2017年 10月 03日 ( 2 )

2017年 10月 03日
日本国憲法の秘密-578- (加計学園問題について)
2本目!

内閣改造から1か月後の2016年9月2日、規制改革推進会議の設立が閣議決定された。
これは全く新しい組織ではなく、以前からあった規制改革会議の後継組織になる。設置基準が7月末で切れており、内閣改造後に名称やメンバーを若干変えて再スタートした。


規制改革推進会議は内閣総理大臣(内閣府)の諮問会議である。
この規制改革推進会議の委員に、国家戦略特区ワーキンググループの座長代理で、2009年自民党が野党になった翌月に設立された公共政策系コンサルティング会社「政策工房」社長の原英史(通産省出身)と、同じくワーキンググループ座長代理であった八代尚宏が送り込まれた。

すでに述べたように「政策工房」の会長・高橋洋一(財務省出身)は、1次特区の福岡を利用して設立された「特区ビジネスコンサルティング 」の顧問でもある。
八代尚宏は こちらの異次元記事のワーキンググループ名簿に載っている方。
国際基督教大学出身なんですね。その後に東京大学にも2年行っているが大学院ではなく、日本での学位はどちらも学士。
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2015年度は「日本再興戦略2015」が規制突破するための印籠だったが、2016年度は「規制改革推進会議」を印籠にしたのである。
「規制改革推進会議」設置の閣議決定から1週間後となる2016年9月9日に開催された国家戦略特区諮問会議にて竹中平蔵ら民間有識者によって今後の進め方として次のように述べられている。
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5月の国家戦略特区諮問会議の後6月7月8月は開催されておらず、その間に内閣改造(8月3日)が行われたことは前述したが、そこで文部科学大臣は馳浩議員から松野博一議員に交代となった。
内閣改造の前には文部科学省事務次官も交代していた。
2016年6月21日、土屋定之事務次官から前川喜平事務次官となった。
この人たちが直接的間接的にどのように関わったのかは分からないが、2015年度の獣医学部新設認可は結果的に阻止されたわけで、その時のペアは馳浩大臣・土屋定之事務次官であったということになる。
馳大臣は2015年10月7日-2016年8月3日で留任がなかったため10か月ほど。
事務次官という役職の任期は特に決まりはないが、1~2年が慣例なんだそうだ。
土屋事務次官は2015年8月4日-2016年6月21日で10か月と2週間あまり。
どちらも在任期間が比較的短い。
そうとなればやはり新設認可しなかったことが響いているのではないかと素人目には映ってしまう。
となれば、やっぱり前川事務次官は事を進めやすいという判断のもとに就任したのではないかと思ってしまう。



2016年度獣医学部規制突破のために選ばれたメンツ!?

規制改革、地方創生担当大臣:山本幸三(2016年8月3日‐2017年8月3日)
文部科学大臣:松野博一(同上)
文部科学副大臣:丹羽秀樹(2016年8月7日‐現職)
文部科学省事務次官:前川喜平(2016年6月21日‐2017年1月20日)

山本幸三
1948年福岡県門司市(現北九州市門司区)生まれ。
福岡県立京都高等学校卒業後、東京大学理科一類に入学。しかし、3年次の専門課程に進学する際は理系から文系に転じ、東京大学経済学部卒業。
東大卒業後、大蔵省に入省した。大蔵省在職中の1973年、コーネル大学経営大学院に留学し、MBAを取得した。帰国後、岩国税務署長、アメリカ合衆国ハーバード大学国際問題研究所客員研究員等を経て、1987年6月から宮澤喜一大蔵大臣の秘書官を務めた。1991年4月より九州国際大学講師。

大蔵大臣や厚生大臣を歴任した元衆議院議員の村山達雄は義父、参議院議員や門司市長を務めた柳田桃太郎は叔父。

1990年自民党公認で福岡4区から出馬するも落選。
1993年に新生党公認で出馬当選。
2000年の選挙は無所属出馬で当選。自民党に復党。
2003年の選挙は自民党公認で出馬したしたがまたもや落選。
2005年の選挙も自民党公認で出馬したがこれも落選。比例復活当選。

1993年初当選で2年ブランクありの7期目。
選挙結果を見るかぎり自民党との相性に疑問符が付くが、2006年9月安倍内閣で経済産業副大臣に任命された。
衆議院法務委員長・消費者問題に関する特別委員長・地方創生に関する特別委員長等を歴任。


松野博一
1962年千葉県木更津市生まれ。千葉県立木更津高等学校、早稲田大学法学部卒業。
1986年(昭和61年)、ライオン株式会社に入社し、1988年(昭和63年)に退社した。その後、松下政経塾に入塾した(第9期生)。
2000年に衆議院議員初当選で6期目。 文部科学副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、厚生労働大臣政務官(安倍内閣)、衆議院文部科学委員長等を歴任。


丹羽秀樹
1972年愛知県春日井市生まれ。
父方の祖父は元労働大臣の丹羽兵助。母方の祖父は元衆議院議員の安藤孝三。父方の大叔父に元衆議院議員の丹波久章、親戚に元知多市長の安藤嘉治、アーク証券会長の安藤龍彦がいる。
東海高等学校、玉川大学文学部卒業。在学中、元内閣総理大臣海部俊樹事務所で学ぶ。
地元証券会社勤務を経て、高村正彦元外相秘書となる。
2005年に衆議院議員に初当選し途中2年ブランク挟み4期目。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、日本ユネスコ国内委員会委員、衆議院厚生労働委員長、内閣府副大臣(第3次安倍内閣)、文部科学大臣政務官(第2次安倍内閣)、自民党副幹事長を歴任。

※高村正彦議員は山口県出身(選挙区)。父親も衆議院議員。現在の自民党副総裁。今回の選挙に出馬しないと引退を表明している。



上記メンツを揃えておいて9月からは攻めの姿勢。立て続けに行動。

2016年9月2日 「規制改革推進会議」設立閣議決定
2016年9月9日 国家戦略特区諮問会議
2016年9月16日 国家戦略特区ワーキンググループ ヒアリング

9月16日会議出席者
<ワーキンググループ委員>
座長 八田達夫  アジア成長研究所所長・大阪大学社会経済研究所招聘教授
委員 原英史  株式会社政策工房代表取締役社長←規制改革推進会議委員
委員 本間正義  東京大学大学院農学生命科学研究科教授
委員 八代尚宏  昭和女子大学グローバルビジネス学部特命教授←規制改革推進会議委員

<関係省庁>
浅野敦行  文部科学省高等教育局専門教育課長
辻直人  文部科学省高等教育局専門教育課長補佐
磯貝保  農林水産省消費・安全局畜水産安全管理課長
大石明子  農林水産省消費・安全局畜水産安全管理課長補佐
<事務局>
藤原豊  内閣府地方創生推進事務局審議官

皆さん大変お忙しいとみえて、「ちゃちゃっと終わらせましょう!」ということで会議時間は20分ほど。

まずは事務局の藤原審議官よりご挨拶。
〇藤原審議官
WGをスタートさせていただきます。
文科省、農水省にお越しいただきまして、獣医学部の新設の問題ということでございます。学部、大学を問わず、これは去年の成長戦略の中でこの問題につきましては政府決定をしておりまして、当時、本年度中に検討ということなので少し時期をもう越えておるのですが、関係省庁とともに政府として宿題を負った形になっているというのがポイントでございます
また、先週金曜日に国家戦略特区の諮問会議が行われまして、まさに八田議員から民間議員ペーパーを御説明いただきましたが、その中で重点的に議論していく項目の1つとしてこの課題が挙がり、総理からもそういった提案課題について検討を深めようというお話もいただいておりますので、少しそういった意味でこの議論についても深めていく必要があるということで今日はお越しいただいた次第でございます。


はい(挙手)!
そこの君。
「それはつまり、総理から圧力がかかっていると解釈してよろしいでしょうか?」


WGの本間正義委員。
山形県新庄市出身。1974年帯広畜産大学畜産学部卒業。1976年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。1982年アイオワ大学大学院経済学研究科博士課程修了。
1983年東京都立大学経済学部助手、1985年小樽商科大学商学部助教授、1991年同教授、1996年成蹊大学経済学部教授を経て2003年から東京大学農学部教授。2010年度日本農業経済学会会長。日本国際フォーラム政策委員。
行政改革委員会の規制緩和小委員会のメンバーで農業などの規制緩和に取組んでいる。


規制緩和小委員会というのは1995年「自社さ連立・村山内閣」で発足した委員会であり、規制改革には初期の頃から関与している人物である。
帯広畜産大学を卒業して東大大学院も農学系だが、アメリカで経済を学び経済学が専門らしい。
1996年に小樽商科大学から成蹊大学経済学部へ異動。
成蹊大学というの安倍首相の出身大学である。
1996年9月12日の「経団連くりっぷ」に「本間成蹊大学教授より、今後の農政の課題について聞く」という記事が掲載されている。
その後の規制改革会議でも農業分野の専門委員を務めている。


(本間委員の発言抜粋)・・文科省がああ言えばこう言うで端から聞く耳なんか持ってないと感じられる。完全に今治市(加計学園)推し。
・前にも議論して、獣医師の定員管理をどうするかということは水かけ論になっていて、我々として定員管理は必要ないという立場であって、一定の技術を持ち、資格が認められれば、獣医師になるかならないか、試験を受けて獣医師になるか、その仕事に就くかというのはマーケットが決めればいい話だという議論をずっとさせていただいているのですけれども、そこを詳しく議論する時間もないのですが、今治市のほうから出てきている話としては、例えば感染症対策だとか新しいニーズとして獣医師の養成が必要だということです。単なる定員増とは別のところにあるということ。

・例えば家畜の越境国際感染症だとか、これまであまり日本の中では対処の必要がなかったわけではないと思うのですが、需要が非常に出てきたという中で、一定の人材の中でそれに割くというよりは、新たなニーズが出てきたからには、それに対応するマンパワーの増強というのは必要だと思うわけです。ですから、その意味では、既存の獣医学部でそういうところに回したら、むしろ今のスキームの中ではその獣医学部の増員も必要かもしれないけれども、やはり特化した形での今治市のような提案の獣医学部というのはある種の差別化した獣医学部の創設ということで、これは今の時代に非常に求められているという気がするわけです

・具体的に鳥インフルエンザなり感染症なりが発生したときにそれをどう防ぐかという問題と、それの根本の学問的な検証とか、あるいは今後の動向だとかということを含めた研究を行うことは全く別の話であって、今、水際のところも十分獣医師が足りているのかどうかわかりませんけれども、たとえ足りているとしても、新たな問題が多々発生している中で、それは将来的にどう防ぐかということも含めた学問的な追求ないしは体制づくりということが必要だということがここの主張であって、今、水際で検疫等々で調べる獣医師さんがとても不足しているから増やせという話では必ずしもないということですね。



(八田座長の発言抜粋)・・言い成りにならない文科省にかなりイライラしている感じが文章からも伝わってくる。
・こういう新しい分野の研究に特色を持った大学は学生数や研究費を増やしていけるようにし、その一方で、従来型のもうあまり需要がない科目を教えている大学では学生数や定員数も研究費も減らしていくのが順当な話だと思います。どんな新しい分野も既得権を持った大学の中だけで、やっていきましょうということはあり得ない。新しい工夫をしたところが伸び、旧態依然のところが退出していくのが基本だと思います。
獣医師が新たに必要な分野における研究者の需要を計測すべきだと思います。外国だって恐らく伸びているでしょうから、日本だってこういうニーズは増えているのを計測可能でしょう。新しい分野の研究者を既存の大学の人だけにやらせるのではなくて、専門的な教育を受けた人を増やす必要があります。


・仮に数が多過ぎて競争によってだめな獣医師が退出して、優秀な獣医師に置きかえられるのは大いに歓迎するべきことです。実際問題として、今、例えば日本はバイオに関する研究者はすごく不足しています。医者が制限しているため不足しているので、結局、理学部の出身の人がバイオ研究を支えているわけですけれども、獣医からも来てほしいわけです。日本のバイオの研究の根底がそういう、医学部や獣医学部の既得権を持った人による供給制限で押さえられているわけです。文科省はそんなところを見るべきでない。やはり日本の研究水準を上げることを第一に考えられるべきではないでしょうか。

・それから、研究レベルを検討するときに、国内の囲まれた学者の意見だけ聞くのではなくて、国際的な評価を御覧になるべきだと思います。それも重要で、特にこの新しい獣人共通のような分野で本当に日本の研究が進んでいるのかどうかということは御覧になるべきで、向こうの議論、既得権を持った人に対する議論を突破するためには、そういう国際的な見地あるいは知見をお使いになるということは重要ではないかと思います。


数がどんどん増えた挙句に、制度を変えたりなんだりして学位とか留学マジックでだめな獣医師が進出して、優秀な獣医師が退出してしまう懸念は考えないのですか?
看護学科とか保健学科の実例があります。
大学入学も就職も縁故採用が幅を利かせていて純粋な能力主義だとはとても思えない。それもマーケットが決めたことだということでしょうかね。
能力がないのに研究水準をあげよと言っても無理があると思うけれども。大学入試大改革して一般入試以外を一切やめることから始めてみたらどうでしょうか?それか霞みを食うような研究なんかやめるかですね。
研究水準を上げることが第一という言葉から推測すれば、現状とても低いということになる。だから憂えている。それが獣医学部を新設すれば解消するとお考えなわけですか?
獣医学部を抱っこにおんぶでつくって研究費が欲しいと言うわけでしょうか。研究といえば泣く子も黙る世の中ですからね!?


「全国的見地」と文科省が再三言っているにも関わらず、完全に京都を無視しているWG委員。
ただ最後の藤原審議官のまとめのお言葉に京都が!
(抜粋)
あと逆に言うと、今治市だけではなくてこの要望は今、京都のほうからも出ていまして、かなり共通のテーマで大きな話になっておりますので、WGでの議論もそうですが、その区域会議、分科会のほうでまた主だった議論をしていくということになろうと思います。









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by yumimi61 | 2017-10-03 21:08
2017年 10月 03日
日本国憲法の秘密-577- (加計学園問題について)
2016年1月29日 国家戦略特区 3次区域指定(広島県・愛媛県今治市)
 →農水省と文科省に獣医学部新設を年度内に了承するよう求める
2016年3月24日 京都府と京都産業大学が国家戦略特区に獣医学部新設の提案を申請。


獣医学部新設の提案が2つとなった。
誰の目から見てもこれで1つを強引に推し進めることはできなくなった。
農水省と文科省からの回答は無し、このまま2015年度期限である3月31日を迎えた。

獣医学部の新設は必要ない。しかしどうしても作るというならば、きちんと検討し関係者のコンセンサスを得て相応しい場所に相応しい形で造りたい。
関係者はそう考えたのではないだろうか。これは妥協案でもある。
とりあえずそれを可能にするのが年度内の京都府と京都産業大学の国家戦略特区提案申請だった。
制度と権限によって押し切られそうなところだったが、その制度と権限を利用して対抗した。
国家戦略特区(地方創生特区)の区域はすでに決定し発表も済んでおり、区域には愛媛県今治市だけでなく広島県も含まれ事業も教育だけではないので、特区の撤回は難しいかもしれないが、加計学園による獣医学部新設については振り出しに戻った。

2016年6月2日、「日本再興戦略2016」が閣議決定された。
2015年度版には「獣医師系養成大学・学部の新設に関する検討」が国家戦略特区の箇所に盛り込まれていたが、2016年度版には獣医師という言葉は出てこなかった。

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日本再興戦略2016の閣議決定より前の2016年4月26日、衆議院地方創生特別委員会にて担当委員の1人である民進党の高井崇志議員が国家戦略特区を利用しての獣医学部新設の必要性を訴えた。加戸愛媛県知事同様に「これは愛媛県今治市の悲願でもある」とも語った。そういう本人は北海道出身。
衆議院地方創生特別委員会は2014年9月国会から設置されている。

2016年4月26日の衆院地方創生に関する特別委員会で、「中国・四国地方の獣医師が足りない」として、国家戦略特区を用いるよう主張している。4月29日には、自身の公式サイトに「愛媛県今治市に50年ぶりの新設をめざす「獣医学部」について。四国4県の大学には獣医学部が一つも無く、獣医師の偏在が問題になっています。地元の岡山理科大学が力を入れており、「これは何としても実現して欲しい」と山口俊一与党筆頭理事(徳島県選出)とともに、石破大臣に強くお願いしました」と掲載している。

高井崇志
北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高校卒業。東京大学経済学部卒業。
大学卒業後は郵政省に入省。
ミュンスター大学(ドイツ)への留学を経て、帰国後は大臣官房総務課行政改革担当係長や総務省情報通信政策局放送政策課課長補佐を務める。
岡山県企画振興部情報政策課へ出向中に総務省を退官し、岡山県選挙区選出参議院議員・江田五月(民主党)の秘書に転じる。
2007年、民主党から第21回参議院議員通常選挙における岡山県選挙区の公認を受けたが、現職の萩原誠司の第44回衆議院議員総選挙出馬に伴う岡山市長選への出馬を表明し、参院選の公認を辞退。同年10月9日の岡山市長選挙で落選。落選後、民主党を離党した。
民主党岡山県総支部連合会が実施した衆議院議員総選挙の候補者公募に合格し、再び民主党に入党。

2009年8月30日の衆議院議員総選挙に岡山1区から民主党公認で出馬し落選するも比例で復活当選。2012年衆議院議員総選挙では比例復活もならず落選。
2013年5月に民主党を離党。7月の参議院議員選挙に岡山県選挙区から無所属で出馬するも落選。10月の岡山市長選でも落選。
2014年12月の衆議院議員総選挙では今度は維新の党の公認で岡山1区から出馬。比例復活当選で国政復帰の現職。

若い時分には学生運動家であったという江田五月議員の秘書をしていたということだが、今治市と加計学園が構造改革特区に申請していた時に民主党の岡山・愛媛県出身議員が獣医系の勉強会を開催したが江田議員はそれに参加している。

地方という観点でみれば、内容の是非はともかくとして「中国・四国地方の獣医師が足りない」「四国4県の大学には獣医学部が一つも無く、獣医師の偏在」という主張は一応筋は通る。
内容的に言えば、そのことは地元以外では問題になっていないし、問題として考えられるような客観的な事実も認められない。
国家戦略特区的な観点で言えば、それらの理由は新設に全く値しない。
国家戦略と地方創生を被せたことにより、余計に混乱や誤解を深めることになった。


国家戦略と地方創生が相容れればよい。しかし愛媛県今治市や加計学園ではそれが両立しない。地方創生を立てれば国家戦略が立たず。
国家として何を目指しているのかということも問われる。地方創生を立てれば国家戦略が立たず、これではもともとの趣旨から離れてしまう。
しかし今治市・加計学園では両立しないことが分かっていたので(この自治体・事業者だけとは限らないが)、途中から地方創生色を強く出してきた。
衆議院の地方創生特別委員会は2014年9月から設置されており、内閣府特命担当大臣国家戦略担当は2015年10月に地方創生担当に名称を変えた。
その後に今治市・加計学園は国家戦略特区に申請したのだ(2015年6月4日)。
「日本再興戦略2015」はそれより遅れて閣議決定。
これで決まるはずだったのに、国家戦略と地方創生の両立が可能な京都府・京都産業大学が名乗りを上げる。
国家戦略として獣医学部を新設するならばどう考えてもこちららほうが相応しい。
この状況で地方創生特別委員会にて加計学園地元選挙区(岡山)の議員が訴えたところで話が進むわけがない。
膠着状態のまま、また半年ほど時間が流れた。


どうして両立しないことが分かっていたのに進めたか、それは縁故なりなんなり特別な関係があるからであろう。
目的を達成するためには公平に公正にドライに割り切るべきところをそうしなかった。出来なかった。
長い目で見るとこれが諸悪の根源になっていく。「適切でない」ことが世代継承され積み重なっていくということなのだから。



膠着状態の間も「まあ大丈夫だよ」とか言っていたか知らないが、7月と8月に安倍首相と加計学園理事長は安倍首相の山梨県にある別荘での休暇に合わせて会食やゴルフの機会を持った。
その休暇と休暇の間には内閣改造もあった(8月3日)。

国家戦略特区諮問会議は2016年5月19日に開催された。ここで6月閣議決定する「日本再興戦略2016」の国家戦略特区部分について話し合いが持たれた。
その後夏休みモードに入ったのか、6月7月8月と会議は開催されなかった。(2014年1月が第1回開催だが7月と8月に開催されたことは一度もない)

しかし彼らは打開策を練りに練っていたと思われる。
その打開策は2016年8月3日内閣改造で始動した。
大臣の抱き合わせ商法である。
2015年10月に内閣府特命担当大臣国家戦略担当の名称を地方創生担当に変えたが、2016年8月の内閣改造では別に存在した規制改革担当と地方創生担当を1人に任せた。山本幸三大臣。
石破議員は国家戦略特区担当の時も地方創生担当特区の時もそれぞれ単独の大臣であった。
一方規制改革担当の大臣は幾つかの担当を兼務していた。
例えば2015年10月7日~2016年8月3日まで規制改革担当であった河野太郎議員はこれだけ兼ねていた。
 国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当・規制改革担当・防災担当)
獣医学部新設のための規制突破を狙った時の地方創生担当と規制改革担当という組み合わせで言えば、石破茂・河野太郎だったということだ。
しかしこの時には失敗に終わってしまったのだ。


内閣改造から1か月後の2016年9月2日、規制改革推進会議の設立が閣議決定された。
これは全く新しい組織ではなく、以前からあった規制改革会議の後継組織になる。設置基準が7月末で切れており、内閣改造後に名称やメンバーを若干変えて再スタートした。
実は「規制改革」の緒は村山内閣(1994年6月30日-1995年8月8日)にあった。
細川内閣→羽田内閣→村山内閣

細川内閣は非自民・非共産党連立政権で8党の寄り合いだった。
これよって1955年結党以来38年間与党だった自民党政権に終止符が打たれた。
しかしこの内閣は1年も続かなかった。それを引き継いだのが同じく非自民である新生党・羽田内閣。

しかし、新生党との折り合いの悪い与党第一党だった日本社会党は連立を離脱し、また、新党さきがけも閣外協力として政権と距離を置いた。政権は少数与党となり、事実上の予算管理内閣となった。
安定政権への要望、野党に安んじられない自由民主党等の状況の中、武村正義、竹下登、野中広務などが水面下で動き、社会党を首班とし、自民党とさきがけが参加する大連立政権が構想されていった。

自民党は、社会党の8党派連立政権離脱直後から、前幹事長の梶山静六を中心とした「参謀本部」のもとで、佐藤孝行、野中広務、亀井静香、与謝野馨、白川勝彦らが水面下で社会党工作を開始。また自民党は自社連立政権樹立後の政権運営を想定して、村山首相を誕生させるための自社有志による勉強会を開き、「リベラル政権を創る会」と「憲法問題研究会」というふたつのグループを作った。ここでの政策研究が自社さ連立の政権政策の基礎となるとともに、首班指名選挙における村山首班側の基礎票となった。


現在自民党の方々が野党を批判しているが、右である自民党と左である社会党が組むという離れ業を繰り出した動かざる歴史がある。かつて自民党も同じようなことをしていたのだから、それこそどの口が批判するのかという感じとなる。
自民党・社会党(1996年1月19日以降は社民党)・新党さきがけによる連立政権。
発足時の自民党総裁は河野太郎議員の父親である河野洋平であった。
「自社さ連立政権」は村山内閣と第一次橋本内閣である。
この両内閣は「新首都を2年をめどに候補地を選定する」という公約を掲げていた。
またこの連立政権の時に阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こっている。
橋本首相はその後大規模な金融改革を推し進めることになる。

(前出の)リベラル政権を創る会には、自民党から逢沢一郎、安倍晋三、衛藤晟一、小川元、川崎二郎、岸田文雄、熊代昭彦、白川勝彦、二田孝治、村上誠一郎、谷津義男が、社会党からは金田誠一、中尾則幸、伊東秀子が、護憲リベラルの会からは翫正敏、西野康雄(旭堂小南陵、現・旭堂南陵)、国弘正雄、田英夫、三石久江が、二院クラブからは青島幸男と下村泰(コロムビア・トップ)が、無所属から紀平悌子が参加した。憲法問題研究会には自民党から石原慎太郎と松岡利勝が、社会党からは北沢清功、秋葉忠利が参加した。

「自社さ連立政権」での内閣総理大臣指名選挙では、自民党の議員もほとんど社会党の村山に投票した。
村山に投票しなかったのは中曽根康弘・渡辺美智雄などごく一部の議員しかいなかった。

「自社さ連立政権」が規制改革の緒なのだ。
その時「リベラル政権を創る会」に参加していた安倍晋三が今現在首相となっている。
1994年12月19日、行政改革委員会を発足。
1995年3月31日に規制緩和推進計画が閣議決定され、それを受けて4月19日規制緩和小委員会が発足した。
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長いこと会議の長を務めていたのはオリックスの宮内義彦。
父の義作は神戸の米国人商館に出入りする木材輸入商社に勤務する貿易商だった。
神戸市立成徳国民学校(現神戸市立成徳小学校)を経て、山口県玖珂郡大畠町に疎開。鳴門国民学校(現柳井市立鳴門小学校)、佐用町立佐用小学校、関西学院中学部・高等部を経て、1958年関西学院大学商学部卒業。在学中はグリークラブに所属する。1960年、ワシントン大学大学院経営学部修士課程修了(MBA)。
1960年8月、日綿實業(日商岩井と共に現在の双日を構成する)入社。調査部配属。海外統括部、オリエント・リース設立準備事務所を経て、1964年4月、オリエント・リース(現オリックス)入社。







 

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by yumimi61 | 2017-10-03 12:19