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2017年 12月 03日
日本国憲法の秘密-630- (外貨準備と貿易について)
外国車は高いくせに故障しやすい、アフターサービス(定期点検、故障時の迅速な対応や高額な部品代など)が悪いとの評判がある。
外国車の価格が高いのは日本に入ってくるまでの諸経費が上乗せされているので、ある意味当たり前な話である。
アフターサービスについても現地に体制や部品が揃っていないことを考えれば致し方ない面がある。
車検を含めた定期点検は日本独自の制度である。アメリカには車検すらない(カリフォルニア州などは排ガス検査を実施している)。
ちなみに車検のような検査が存在するヨーロッパでも日本ほど金額が高い国はない。とにかく日本は車の維持費が高い。

では本当に外国車は故障しやすいのか?
答えはイエスでありノーである。

自動車メーカーはそれぞれの国の環境、気候や、文化に適した自動車を開発設計し製造してきた。
日本は四季が明確にある気候で、夏季の高温多湿を特徴とする。
厳しい冬もあれば厳しい夏もある。豪雪地帯もあれば雪が全く降らない地域もある。
日本の自動車メーカーはそうした環境でも使える自動車を作ってきたのだから、日本で走らせるならば日本の車が優秀である。
多湿ではなく乾燥した地域の車は日本には向いていないのだ。緯度が高い地域の寒さ対策が十分な車でも日本の夏の暑さや湿度が想像以上で対応できていないということがある。特別な対策もなく紫外線の強い地域に持っていけば劣化も早い。
このように気候的な問題がまず横たわる。その国で優秀になるにはその国に合わせないといけない。

あとはどんな走行が多いのかによっても適する自動車は違う。
高速道路に乗る機会や走る距離が多いのか、高速道路は十分に整備されているのか(有料かどうか)、制限速度が存在するか(制限速度が存在しない道路があるか)、信号や一時停止が多いか、舗装状況など。
何を乗せるのか、どれくらい人を乗せるのかによっても変わってくる。
要するにその国に適した自動車が一番優秀で故障もしにくい。
日本の自動車は日本で故障しにくい。アメリカの自動車はアメリカで故障しにくい。ヨーロッパ各国の自動車はその国で故障しにくい。


「安かろう悪かろう」の木綿製品を日本からアメリカに輸出して貿易摩擦を引き起こしたことがあったが、自動車もそんな時代があった。
自動車輸出は1954年からの高度経済成長期に始まり、1965~1980年に大きく成長したが、1960年代はやはり価格は安いけれども品質も劣る「安かろう悪かろう」であった。
ただ自動車の場合、上記のような環境的な事情があり、日本車をただアメリカに持って行っただけでは適さない。適さないということは故障や早期劣化を呼び込み、結果的に「品質が悪い」という表現になる。

頻繁に停止する日本の道路事情に合わせて作られた車を、広大な土地の高速道路で何時間も走らせれば故障しやすくもなるし、そもそも思うようには走らないであろう。
逆も然りで、排気量が大きく力強い馬力とドライビング力を特徴とする外国車を日本の街中に持ってきてちょこちょこブレーキ踏んでいたら、その特色は出ないし故障もしやすい。


故障しやすいと簡単に言うけれど、何を持って故障しやすいというのかも重要である。
明確な定義を持って故障しやすいと言っている人は少ないであろう。

①2年に1回の車検と、車検と車検の間の法定定期点検、ディーラーなどが行っている半年点検、これら全ての点検を受けて故障無しで10年ほど乗った自動車。
②車検しか受けないで10年ほど乗った自動車。車検4回。(法定と言えど日本でも法定定期点検は受けない人多し、ペナルティーはなし)
③点検を何も受けずに10年ほど乗った自動車。

例えば、①は故障経験なし、②は3回故障経験あり、③は5回故障経験あり だったとする。
この場合、どれを故障しやすいと言いますか?③ですか?
費用対効果はどうですか?

不具合や故障がなくても点検でオイルや部品を交換してしまえば、やはり故障はしにくいであろう。でも同時に費用が発生しているのだ。

④たまにしか乗らない車(1年3000km走行)、⑤毎日通勤に使用している車(1年10000km走行)、⑥毎日通勤+週末遠出している車(1年20000km走行)
5年のうちに、④は故障経験なし、⑤は1回故障、⑥は2回故障。
故障しやすい自動車は⑥ですか?
点検具合は訊かなくていいですか?
故障しやすさを計るということはそれくらい難しいことである。




イギリスで起こった産業革命は石炭の利用によってもたらされた。これを第二次エネルギー革命とも言う。(第一次エネルギー革命は人間による火の利用)
第三次エネルギー革命は石油と電気の利用。この革命を牽引したのは自動車だった。
欧米で石油の利用が始まったのは1800年代後半から1900年代前半のことで、石油は自動車の動力となった。アメリカではトラクターなども登場して農業も変わっていった。火力発電の燃料ともなった。
石油が必要とあれば、どこかに石油(油田)はないかと探す。そうして1900年代半ばに中東やアフリカで大規模油田が発見された。


ロックフェラー家はアメリカで石油を独占することでアメリカ一の財閥に伸し上った。
そして第一次世界大戦で大きく資本力を拡大した。
第一次世界大戦までは中東の石油利権を握っていたのはロスチャイルド(系の企業)である。
その中東にロックフェラーが入りこみ住み分けが崩壊。
第二次世界大戦でもアメリカは疲弊しなかったが、ヨーロッパ諸国は程度の差こそあれ勝敗にかかわらず疲弊した。
それをいいことに1954年国際石油資本8社からなるイラン国際企業連合を発足させ、中東の石油利権をロックフェラーに有利な条件で決定した。
ロックフェラーが独占したわけではないが第二次世界大戦後は石油利権に関して圧倒的な支配力を誇っていた。


アメリカの石油生産量と消費量は1950年代まで同程度だった。要するに自国で石油を調達できた。アメリカでは石油が安かった。
産出される原油は特別な加工を必要としないし、形を作ったりパッケージングすることもない。
「水よりも安い石油」と言われることがあるが、この場合の水の価格はペットボトルなどに入ったミネラルウォーターの価格であり、そういう意味で水よりも牛乳よりも石油は安かったのだ。
1950年以降はアメリカの石油消費量が生産量を上回るようになる。そうとなれば輸入に頼るしかなくなる。輸入すればどうしても価格は高く付く。
アメリカはロックフェラーが有利な条件で石油利権を得ていた中東から石油を輸入することになった。
アメリカの石油生産量は1970年をピークに減少に転じ、一方の消費量は依然伸び続けた。

アメリカが国力を落とすことになる大きなきっかけは1973年と1979年のオイルショックである。
オイルショックに絡んでいるのはアラブ諸国。
ユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ国家は1948~1973年までの間に大規模な戦争を4回行っている(中東戦争)。
この争いに関してアメリカはイスラエルに付いた。アメリカだけでなくイギリスやフランスなどのヨーロッパ勢もイスラエル側。
アラブ諸国を支援したのはソ連だった。
そんなわけで民主主義国家と社会主義国家であるソ連との代理戦争の側面もあると言われていた。

この状況の背後には原子力の問題も見え隠れする。
1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で原子力平和利用に関する提案「Atoms for Peace」(平和のための原子力)を行った。
アメリカでは1954年に原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会が原子力開発の推進と規制の両方を担当することとなった。
実は世界的規模の石油によるエネルギー革命と原子力の発展時期は戦後の同じ頃なのだ。
原子力利用がオイルショックによってもたらされたというのは適当ではない。


アメリカの石油の消費量が拡大し、石油生産量よりも消費量が上回った1950年代にアメリカは原子力のエネルギー利用に力を入れる素振りを見せた。当時としては、いわば脱石油宣言のようなものである。
現実に原子力が石油にとって代わるものならばアメリカは国力を落とすことはなかった。でもそうではなかった。
アメリカはアラブ諸国(それを支援したソ連)に足元を見られていた。
1960年にOPEC(石油輸出国機構)発足。
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国の原加盟によって発足し、その後も他の中東諸国が次々に加盟した。
1968年にはOAPEC(アラブ石油輸出国機構国機構)も発足。イラク、サウジアラビア、クウェートなどはこちらにも加盟している。他は北アフリカの国々。

中東戦争でイスラエル側に付いたアメリカに対してのアラブ諸国の反抗が第一次オイルショックだったのだ。

第二次オイルショックはイラン戦争・革命がきっかけ。
イランの石油生産が一時途絶えたため価格が高騰を始める。
欧米が支援していたイラン体制が終わりイスラム至上主義の新体制へ移行することにより、イランと欧米との関係が悪化。再びオイルショックを迎えることととなった。






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by yumimi61 | 2017-12-03 17:37