2017年 12月 05日 ( 1 )

2017年 12月 05日
日本国憲法の秘密-632- (外貨準備と貿易について)
前記事で少し人口に触れたが、アメリカの人口は現在3億2000万人ほど。この他不法移民も1000万人以上いると言われている。
日本の人口は約1億3000万人。
中国は約13億7000万人。

人口の10%の支持を得たとしよう。
アメリカ 3200万
日本 1300万
中国 1億3700万

10%の支持が自動車の販売数だったとする。
各国同じように10%の支持を得たとしても、それを数にしてみれば随分差が出てくる。
自動車メーカーが同じ程度の割合の支持を得られるならば、人口の多い国で得た方が得である。
物を売る時のお得感は人口が少ない国が多い国で同じ支持を得た場合、物価が安い国が物価の高い国で同じ支持を得た場合に大きくなる。
物とお金の動きは逆なので、お金の影響はその逆である。
大きな市場にとっては平常であっても大きな市場が小さな市場に与える影響は大きい。
物価が高い(経済規模が大きい)国から物価が低い(経済規模が小さい)国に行けばお金持ちになれる。
プラザ合意後、日本企業が東南アジアへ進出した際、「あちらに行けばお手伝いさんが複数ついた豪邸に住める」などとそそのかして駐在員を確保したものである。


石油産出国であるアメリカは今でもガソリンが安い国の1つであるが、自給率が今より高かった時代にはもっと安かった。
そんなアメリカで誕生したのがオートマ(AT)車である。1940年代のこと。
オートマ車は燃費が悪い。しかしながらガソリンの安いアメリカでは燃費の悪さはさほど問題にならなかったというわけである。

オートマ車は日本のようにちょこちょこと停止する環境や坂道発進の多い地域での運転に便利なものである。
マニュアル(MT)車では停止するための減速にクラッチを踏んでのギア操作を必要とする。発進して一定の速度に乗せるまでにもクラッチを踏んでギア操作を必要とする。発進では半クラッチを使いこなす必要がある。
要するに停止が多いほど操作も多くなる。
オートマ車はドライブギアに入れたままでクラッチ踏む必要もないし、坂道発進で半クラッチが上手くいかずにバックしてしまうこともないのだから楽である。
本来、広大な土地を長距離走らせる機会の多いアメリカで歓迎されるようなものではないのだ。
しかし合理的なアメリカの国民性にマッチしたのか、最初は都市部の一部地域に歓迎されたのか、オートマ車が受け入れられていく。
そうとなるとアメリカに自動車を輸出したい自動車メーカーはオートマ車を導入することになる。1960年代には日本やヨーロッパの自動車メーカーも積極的にオートマ車に参入した。

前述したようにオートマ車は燃費が悪い。さらに本体価格がマニュアル車よりも高い。故障しやすい(マニュアル車も運転技術によっては故障しやすくなるが)。修理が手間である。
販売台数が上がってくれば、そういうことも多少改善されてはくるが、根本的に違うものとの比較では埋まらない差もある。

現在オートマ車が世界で一番普及しているのは日本であり、登録車両の95%はオートマ車となっている。
これは本家アメリカの90%を凌ぐ。
日本で新車販売数のオートマ車比率が80%を超えたのは20年ほど前の1996年のことであり、徐々に新旧入れ替わり全体の95%がオートマ車となっている。
ヨーロッパでは依然マニュアル車が主流。オートマ車割合がもっとも多いドイツでのマニュアル車比率が50%程度。イギリスでは70%くらい。
ヨーロッパ全体では80~90%がマニュアル車である。
東南アジアなどはほとんどがマニュアル車である。

今年1月に父が亡くなって、実家の車を2台手放したが、どちらもマニュアル車であった。
母は病気をしてから車には乗れなくなり、2,3年前に免許証も流してしまったが(返上はしなかった)、最後の車を買う時も私は乗らず嫌いなのではないかと思って母にオートマ車を勧めたがマニュアル車にこだわった人だった。
最近になってやたらに多くなっていると感じるアクセルとブレーキの踏み間違い事故はマニュアル車では起きないであろう。
派手に突っ込むのは高齢者が多いのか知らないが、若者でも踏み間違い経験あるという人は結構いる。柵や壁やぶつかる程度の自損事故やヒヤリハットで済んでいるらしいけれども。


ガソリンが安いがために燃費などに無頓着だったアメリカ人が目覚めたのが1970年代のオイルショックだった。
1950年頃にアメリカの石油消費量は生産量を超えており、1970年をピークに生産量も減少に転じている。
そこへもってきて輸入原油の値上がりである。
さらに1971年のニクソンショックを受けてアメリカも金本位制ではなくなり、アメリカもドル紙幣を出せるようになってやがてインフレに見舞われていく。
紙幣が多くなれば物の値段は上がる。ガソリンも例外ではなかった。

アメリカで日本車が注目されるようになったのはこの時である。
アメリカ人もいわゆる燃費の良い車を求め出したのだ。
日本の車が技術革新で殊更燃費の良い車を作れていたわけではない。
アメリカの車よりも車のサイズが小さく排気量が少なかったのだ。
同じ車種や同型サイズの車での比較においての燃費の良し悪しは技術的な進歩や創意工夫が影響するだろうが、サイズが違うものはもともとの燃費が違う。
中大型車よりも小型車のほうが燃費は良い。
アメリカにおいて比較的小さな車の需要が以前よりも増えたのだ。

しかし燃費が良いからといってアメリカの高速道路をガンガン走られたら故障もしやすくなる。
そこで日本の自動車メーカーはアフターサービスも輸出したわけである。
アフターサービスは日本では別に特別な事ではないが(うるさいくらいに感じる人もいるだろうけれども)、車検すらないアメリカで定期点検や迅速に修理に対応してくれるとあれば驚き桃の木山椒の木。信頼に繋がる。
当時は対ドルもかなりの円安。輸出に有利なのだから壊れそうな部品はアメリカにバンバン送っておけばよいのだ。
すぐ壊れる部品はなかなか壊れない部品よりも概して安い。
外車なのに早く修理してくれて安い!と好評を得る事が出来る。
また幸いアメリカも日本と同じくらいに買い換えまでの期間が短かった。
下取りで高値が付くうちに買い換えようという合理的な考えからのようである。

でもこうした理由でアメリカで売れた車は俗に言う大衆車である。
日本でも沢山作っていた自動車をアメリカに輸出した。
大衆車であるからそれほど高い価格の車ではない。
アメリカに輸出するとなると関税や輸送料など余計に費用がかかるが、大衆車ゆえにあまり高い値をつけることもできない。薄利多売で勝負するしかない状況であった。





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by yumimi61 | 2017-12-05 12:51