2017年 12月 17日 ( 1 )

2017年 12月 17日
日本国憲法の秘密-641- (外貨準備と貿易について)
与党第1党が自由民主党で政権を維持し、野党第1党がは日本社会党だった時代を「55年体制」と呼んでいる。38年間続いた体制。
1955年(昭和30年)にこの構図が成立し、1993年(平成5年)7月の衆議院選挙で自民党が野党になり崩壊した。
この時に自民党が負けた理由は新党ブームだった。
新党の代表格が細川護煕が結成した日本新党であり、その勢いに乗って細川はそのまま首相に就任することになるが、首相になる人物としてはかなり異色である。閣僚経験など一切ないまま首相に就任した。

細川護煕
肥後熊本藩主だった肥後細川家という家柄(現在第18代当主)。
上智大学→朝日新聞社→自民党公認で参議院出馬
1971年7月4日 - 1983年2月 参議院議員
1983年2月11日 - 1991年2月10日 熊本県知事
1992年7月26日 - 1993年7月 参議院議員
1993年7月18日 - 1998年5月7日 衆議院議員
(1993年8月9日 - 1994年4月28日 首相就任)

(日本新党)結党当初は現職の国会議員がおらず、国政の経験も、いわゆる三バン(ジバン=後援会組織、カンバン=知名度、カバン=選挙資金)も無い新人議員が多かったこともあり、議員よりも党事務局が主導する体制であった。代表である細川の個人的な人脈と人気に頼った「個人商店」も揶揄され、党の運営資金も細川が自宅や別荘等の私財を担保にした借金が主なものであった。(細川は熊本県知事選前に佐川急便より一億円借り入れていた件を1994年に追及され総辞職)

他にも羽田孜と小沢一郎らが自民党を離党して結成した「新生党」や、自民党の中堅・若手議員であった武村正義や鳩山由紀夫らが自民党を離党して結成された「新党さきがけ」も躍進した。
これはかなり大きな政変だったが、元はみな自民党議員である。
「新生党」は後に「新進党」となり、さらにバラバラになって、小沢の自由党は自民党に合流することになる。
「新党さきがけ」は保守リベラル政党であり、これが民主党の母体となる。
「日本新党」は後に「新進党」に合流。細川は最終的に民主党に合流した。
自民党を離党した人達が形作っていったリベラル政権。
一方で自民党内においても「リベラル政権を作る会」が発足していた。
対立しているようでいて実はそうでもないかもしれない。政党の明確な線引きが出来なくなった時代に日本は大きな転換点を迎えていた。


今年10月の選挙直前に突如新党が誕生し、安倍首相が選挙演説で「かつても新党ブームがありました。でも新党なんてダメなんです。もう残ってないでしょう」とか演説していたけれども、新党を一言で言えば有権者の顔色窺った気前の良いリベラル政党であって、そういう自民党も「リベラル政権を作る会」なんか作ってリベラル政権誕生に大いに手を貸していた。安倍首相なんかその会のメンバーだった。
おそらく昨今の日本社会、とくに経済界にはリベラル政権はダメだという認識がある。日本が落ちていく転換点となった時代にあったのがリベラル政権だからだ。
安倍首相の新党ブームがダメと言うことを言い換えればリベラル政権はダメということになる。
経済界などから支持を得るのは日本が強かった時代の自民党であろう。
安倍首相の祖父や父は強い時代の有力政治家で、安倍首相は2世3世議員というサラブレッドである(でも閣僚経験ないまま首相になったのは細川首相と同じ)。いまだ自民党にいて「野党が政権とってもダメ」「新党はダメ」と言っている。
安倍首相が支持を得ているのにはそれなりの理由があるのだ。
だが日本が強かった時代を、転換点にリベラル政権を作る会にいた安倍首相を、本当にそんなに信じてよいものだろうか?



自民党・社会党・新党さきがけによる連立政権で社会党党首・村山富市が首相であった村山内閣1996年1月11日に終わった。
その後の首相は自民党の橋本龍太郎であるが、橋本内閣でも自民党の単独政権になったのは1996年11月7日からである。
でも消費税5%導入開始時やアジア通貨危機が始まった時には自民党単独政権であった。

【アジア通貨危機における日本の支援】
日本は、2年間にわたり国際機関やG7各国と協調し当初の危機対応において、二国間支援の主導的な役割を果たした。また、一時的な資金不足を補填する流動性支援のみならずODAを含む日本独自の政策的金融手段を総動員し長期の安定的な資金を供与してアジア各国の実体経済の回復と安定化に対して全力で取り組んだ。

中でも、IMF・世銀年次総会において発表された新宮澤構想は、アジア諸国の実体経済回復のための円借款・輸銀融資などによる中長期の資金支援を含む合計300億ドル規模の資金支援スキームを用意するものであり、一連の支援策の中でも最大級の物で、チェンマイ・イニシアティブに引き継がれた。この他にも、日本は、人材育成等環境整備のための専門家派遣、研修員受入などの技術協力や、食糧・医療品などの緊急支援および人道・医療・保健対策面での無償資金協力も行った。

一方、日本では、経済恐慌などの危機は直ちに発生しなかったが、危機に際して東南アジアへの支援金の支出なども含め、相応の経済的打撃を被っている。当時アジアでも、特に著しい経済力を持ち、アジア各国へも工業製品を輸出する産業の多い日本は、それら各国の通貨危機の影響も少なからず被っている。


外国への支援がドルで行われる時は外貨準備が使われる。為替介入していたので日本はこれを沢山持っている。
と言っても外貨準備の多くは現金で保有しているわけではなく(アメリカ国債が主)、全額いつでも自由に使えるものではない。金利などから出していると考えられる。
外国への支援が円で行われる場合(円借款)は日本円が使われる。
だけど国内財政が赤字な政府は余分な円など持っていない。
とりあえず何かを流用して貸しておくとか、借金して貸しておくとかになるだろう。
援助なので相手国に低金利で貸し付けるだろうから、日本で借りる金利が高ければ赤字を積み上げることになる。
貸したものがきちんと返ってくる保証もない。

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消費税をアップにしたにも関わらず、その年1997年以降2~3年、税収は落ち込み歳出は増大した。


アジア通貨危機はドルペッグ制を敷いていたアジア諸国の通貨への投機攻撃によって発生した。
実は現在、為替市場の資金の9割以上は投機資金だそうである。
貿易や投資(外国債券・株式購入及び売却)など実体ある取引(売買)を実需と言い、それに対して実体がない売買(売買の差額だけが動く)を投機と言うが、実体ある取引に関わる資金は為替市場の1割にも満たないというのだ。
それくらい世界の金融市場が肥大化してしまった。
それは紙幣発行に裏付けが必要なくなり、倫理観も欠如し、紙幣が増え続けたからである。
極端なことを言えば、汗水垂らして一生懸命働き、為替レートの変動のリスクを気にしながら輸出入していったい何になる、という話である。
その何倍ものお金が蠢いていて、一晩で大儲けすることも夢ではないのだ。

だけどそれを非難しきれない側面もある。
物を作るにはエネルギーが必要だからだ。
この地球にある資源以上の物を人間は作れない。たとえどんなに紙幣を増やしたとしても。
金本位制の金は資源を代表するものだった。
金本位制は金以上の紙幣を発行するなということである。
物を作りだすのに必要な紙幣を、物を作り出すのに必要な資源以上に増やしても意味がない。混乱を招くだけ。
でも今はもう紙幣のほうがずっと多い状態。
その紙幣を世に出して、本気でその分だけ物を作ろうとすれば、資源が尽きる。
そうしないために増えてしまった紙幣の引き受け場所が必要。それが為替市場になっている。
その気になれば小さな市場なんか簡単に潰せるだけの資金が為替市場には存在しているのだ。


そのように規模の違いの影響は大きい。
だからどこかの国が紙幣を大量に増やせば、関係国は自国を守るためにそれに合わせて紙幣を増やすしかなくなる。
製造大国だったために最後まで金本位制を強いられたアメリカがそれをやめた理由もそこにある。
そうしてずるずると世界経済規模は大きくなり続けた。


規模の小さな国や影響が心配な国は投機に規制を掛ければよいのではないかと思うかもしれないが、投機に規制をかければ外国資本減に繋がる。
規模の小さな国や影響が心配な国というのは、結局資本が十分でない国なので、発展を望むなら外国資本が減ることは望ましいことではなくなる。
また投機を規制すればどうしたって通貨安になり、国際的評価が上がることはないであろう。
諸々諦めてしまえばそれまでだが、グローバルとか言って国際社会でそれなりの地位にいたいとかいきたいとか思ったら規制は得策ではないということになる。





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by yumimi61 | 2017-12-17 15:17