<   2014年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

2014年 08月 31日
甍(いらか)百八
e0126350_0371631.jpg


代々木公園発祥のデング熱の感染の広がりが伝えられている。
69年ぶりの感染と騒がれていたが、それほど驚くべきことではない。
これまでも海外で感染し国内で発症したケースは結構ある。
日本国内でもデング熱が流行したことがありますが、現在はすべて海外で感染して日本に持ち込んだ症例で、2010年度には245件の報告がありました。日本旅行業協会 添乗員のための旅行医学2012年3月

デング熱はアジアや中南米で流行している感染症である。(ブラジルW杯に行った人いるでしょうけれども流行していたのよ)
今回最初に感染確認された若者に渡航歴が無かったことから話題になったのだ。
海外で感染した人(不顕性感染含む)を刺した蚊がウイルス感染して、その蚊を通して感染拡大したと考えられているようだが、そうならばこれまでも渡航歴のない人が感染して然るべき、というか感染者が出なかったことが不思議である。

蚊を絶滅させるための「遺伝子組み換え蚊」
イギリスの企業がデング熱などを媒介する蚊を駆除するため、順調に行けば、3年後にマレーシアで遺伝子組み換え蚊を大規模に放つ計画という、2008年1月の記事である。


ウイルスと導入は仲が良い。
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-31 14:40
2014年 08月 30日
甍(いらか)百七
e0126350_1102050.jpg

「アイス・バケツ・チャレンジ」という用語はは8月1日~13日まで0件であった。
8月14日に14件、15日に11件、16日になると100件を超える。ピークは8月23日で16469件である。
どんな有名人であっても1人の影響力はたかが知れている。有名人が連なることによってネズミ講のように増えていく。
しかしそれも、総人口から考えれば、たかが知れている。
流行っているように見せかけることは可能だが、真の流行というのはそれほど難しい。

e0126350_1111546.jpg

日本では「氷水をかぶる」など氷水と表現されることが圧倒的に多かった。

e0126350_1115779.jpg

一方、疾患については日本語の正式名称を書いている人は少なく、8月22日のピークでも947件。

e0126350_11259100.jpg

豪雨により広島にて大規模な土砂災害が8月21日に発生して死者も多数出たが、「土砂災害」(8/23がピークで22490件)よりも「氷水」(8/23がピークで52334件)と書かれたほうが遥かに多かった。

e0126350_0152763.jpg

1980年代 フジテレビ番組『オレたちひょうきん族』の「ひょうきん懺悔室」
初代番組プロデューサーで神父に扮しているのは横澤氏は群馬県生まれ。
この番組に出演していた明石家さんまさんは、1985年8月12日、日本航空123便に搭乗予定だったが、その日の『オレたち ひょうきん族』」の収録が中止になったか早く終わったかで、1本早い便で大阪へ向かったため難を逃れたそう。


真冬に実行しただろうか?
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-30 16:23
2014年 08月 27日
甍(いらか)百六
e0126350_00486.jpg


私の文通相手は宮崎県だったわ。
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-27 14:04
2014年 08月 26日
甍(いらか)百五
e0126350_23562167.jpg


1985.8.12のトップテン

1980年代前半に毎週月曜日20時より(21時迄)日本テレビにて生放送で放映されていた歌番組「THE TOP10(ザ・トップテン)」。
1985年8月12日、日本航空123便が墜落した日は月曜日であった。
よってこの歌番組でも日航123便のニュースが報道センターから随時伝えられていた。

当日のトップテン
「緊急降下するという連絡を最後に消息を絶ったということです」 
「消息を絶った地点は明らかではありませんが、アメリカ軍から運輸省に入った情報によりますと、東京の横田基地から北北西に34マイル、およそ60キロ付近の群馬県富岡市付近で炎上する物体を目撃したということで現在確認を急いでいるということです」(富岡市?)
「また長野県警に入った連絡によりますと、午後6時55分頃、群馬県と長野県の県境の山中に黒煙を上げた飛行物体が墜落したのを住民が目撃したという情報もありまして現在確認中だということです」
(話は逸れるが番組の司会は堺さん)
「日本航空ジャンボ機ですが、長野県内に墜落したことが先ほど確認されました。長野県警によりますと、日航ジャンボ機が墜落したのは長野県南佐久郡北相木村で、機体は現在炎上しているということです」
墜落箇所が「長野県南佐久郡北相木村」だと報道されている。
その後も様々な名が登場した(コンパス説)。

墜落箇所特定の発表は大幅に遅れた。
群馬県や長野県に待機していた捜索関係者でも深夜0時頃。一般には翌朝となった。
墜落場所の山の名前も間違えた。(高天原山→御巣鷹山)



数字に纏わる広島長崎。
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-26 13:37
2014年 08月 23日
甍(いらか)百四
e0126350_1425959.jpg


晩婚化も少子化もセックスレスも同性愛もある意味必然かもしれない。

私達は差別が嫌なのではない。

嘘や欺瞞に満ちた世界が嫌なのだ。

この世界で愛する人を増やすことなど、どうしてできよう。

この世界に自分の分身を誕生させることなど、どうしてできよう。


分身?
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-23 14:50
2014年 08月 22日
甍(いらか)百三
e0126350_135151100.jpg


介在者
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-22 15:54
2014年 08月 21日
甍(いらか)百二
e0126350_12444944.jpg


車を走らせていたら、小さな山の斜面を切り崩してソーラーパネルが設置されている箇所があった。
これでは本末転倒なのではないかと思ったが、遊休地利用という意味では大本営 大本命 大成功? クリーンヒットと言うべきなんだろうか。
ソーラーパネルが人々に受け入れられやすく、そして同時に胡散臭さを払拭できないのは、環境より何より金儲け(電気を売る)や節約(光熱費ゼロ・光熱費減)がメインになっているからである。
福島原発事故が無くともこれまでずっと長いこと節約メインのソーラー利用は行われてきた。
実家では私が子供頃から太陽熱温水器を利用している。
夏の間のお風呂のお湯はそれでほぼ賄える。
メンテナンスをしたふうもないが何十年も使用している。
肌で実感する自然の素晴らしさと節約であり、出来る時に行う環境行動と節約となる。負担がそれほど大きくない。
今住んでいる近辺でも太陽熱温水器を結構見かけるし、東日本大震災の津波動画でも太陽熱温水器が上がっている家を結構目にした。
(逆に最近の新築の家はどこもソーラーパネルが乗っている。広島の災害現場動画にも映っていた)
節約と環境で一石二鳥、この観点で拡大していけばよかったのに、原発事故後、人々は皮肉にも売電に走った。
再生可能エネルギーの固定価格買取制度(国が定める固定価格で一定期間、電気事業者に買取を義務づけた制度)がそれを確かなるものにした。
環境を懸念しての切なる行動ならば代償は必要ないはずなのに。

初期費用の大きいわりには、思ったほど戻らないのがソーラー発電である。
儲かるどころか光熱費ゼロも無理ではないだろうか。
その時にはこう言えばいいか、「環境を懸念しての切なる行動ならば代償は必要ないはずだ」


e0126350_12463469.jpg


彼はなぜ欲しかったものを盗まなかったのか?
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-21 11:50
2014年 08月 20日
甍(いらか)百一
e0126350_17143243.jpg


外部からもたらされる快感は洗脳だと疑え。
[PR]

by yumimi61 | 2014-08-20 15:46
2014年 08月 18日
甍(いらか)百 ~JLスペシャル6~
6日も続いたらスペシャルじゃないのでは?
送り盆も、その週末も終わり、ちょうどきりのよい5でスペシャル終了しようと思っていたのですが、若干書き残したことがあるので、今日ももう1日JLスペシャルでいきたいと思います。

【奥多摩からの飛行経路について】
123便は幾つかの目撃証言があった。
西多摩郡奥多摩町日原 前田清巡査長(24)「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで・・・直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」
その後の別の場所での目撃証言もつなげれば、奥多摩町日原を北西方向に飛行していった123便は、埼玉県と山梨県と長野県の県境にある甲武信ヶ岳を南下。(埼玉県内のどこかで左旋回したということ)
その後は大きく右旋回して北西方向へ進み、扇平山の手前あたりで再び大きく右旋回し北東方向に向きを変えた。
123便は長野県、群馬県、埼玉県の県境にある三国山方向へ進み、群馬県内で墜落した。
横田基地以降の飛行経路を都道府県で表せば、東京都→埼玉県→山梨県→長野県→群馬県となる。
(余談だが三国山を地図上で▲表示すれば頂点は群馬県側となる)


【奥多摩で撮られた写真について】
飛行中の123便を東京都奥多摩町日原で撮影した人(山崎啓一さん)がいたという。
今回のフジテレビの特番でもその写真が使われていた。過去にも再三使われている。

気になるのは機体の赤い部分である。
ボイスレコーダーでは「ギアをみて」という機長の言葉があったが、機体底部の赤味はちょうどそのギア(車輪)あたりだろうか。もう少し前方になるだろうか?
下記画像はフジテレビではなく昨日リンクしたTBSの過去の特番より。(フジテレビでも同じように赤い部分がある画像が使用されていたが、その赤さについては特に言及していなかった)
e0126350_1436116.jpg

e0126350_1436745.jpg

他にも幾つかネットから拾ってみた。
e0126350_14384240.jpg

e0126350_14384138.jpg

e0126350_14392114.jpg

e0126350_15273139.jpg

下記は上野村の慰霊の園の資料館に展示されているものをこちらの方(青山貞一さん)が撮った写真。
e0126350_14401883.jpg

元の写真はこちらのようだ。要するに123便はもっと小さく写っている。
画質が荒いのでこれでも拡大しているはずだ。
飛ぶ飛行機を狙って撮ったわけではなく、居合わせた人が手持ちカメラでたまたま撮ったとするならばこんなものだろう。(飛んでいる飛行機を見つけてからではレンズを撮りかえる暇もない)
e0126350_14452943.jpg

下の写真は低空飛行している飛行機を私が慌てて撮ったもの。2枚撮るのが精一杯で木に被ってしまった。
e0126350_156546.jpg


ここで登場しそうなのが、音声(音響)解析ならぬ画像解析である。
昨日リンクした動画をみてもらうと分かると思うが、テレビ番組で使われている画像はズームされてくるのである。
私が123便を誰でも出来る方法でズームしたらこうなった。
e0126350_159348.jpg


専門家が行えば、最新の技術を持ってすれば、もっと見やすく出来る、そう言い出しそうだ。
しかし存在しないものはどんな技術を持ってしても映し出せないはずである。
最初に撮られたあの写真には機体に赤っぽい色なんか存在していない。
専門家や最新の技術を持ってすれば、存在しないものをあたかも存在していたかのように作り出すことが出来るということを、私達はもっと知るべきだろう。
形や色を付け加えたり削除することは、もはや専門家でなくともそう難しいことではない。
写真愛好家や写真のプロは当たり前のようにそれを行っている。
しかしそれは場合によっては捏造と呼ばれる。映画ならば許されても、許されない場合がある。
使命感を持てば持つほど捏造や偽装は起きやすい側面があることを過去にも書いたことがある。
STAP細胞論文も画像をいじって作り上げた。

上に掲載した写真は少しずつ違う。
それは、問題の垂直尾翼だったり、主翼先端の形であったり、ジェットエンジンの見え方だったり。
奥多摩で撮られた写真の画像解析により、写真が撮影された時点で垂直尾翼は55%以上欠損していたと推定された。
しかし写真によって見え方はまちまちだ。全く存在のないものもあれば、存在するように見えるものもある。


【垂直尾翼の真実を追え】
上記に元の写真と書いた写真と、それと似た角度から撮影された飛行機の写真を比較してみた。
(撮影角度重視で選んだので比較対象はANAのエアバスになってしまった。垂直尾翼の形は似ている)
この比較では垂直尾翼の先端が少し無いように思える。(赤ラインよる上の部分が破壊された)
e0126350_18262831.jpg

e0126350_17522486.jpg

もしあの写真に間違いがなければ、垂直尾翼は55%も破損されていないと思う。(下画像程度)
e0126350_1752639.jpg


ところがテレビ番組ではこの画像から始まっていた。
もし元の写真の飛行機がこの大きさならば、上の元写真の垂直尾翼も怪しくなってしまう。
上の写真は垂直尾翼がとても綺麗に写っているから。
e0126350_17535824.jpg


こうなると何が本当なのか分からない。
画像解析をするのは構わないが元画像も提示すべきだ。
1985年と言うとデジタルカメラでなかったはず。
あの時代には誰でも簡単に画像処理は出来ないので、行ったとすれば自分で現像をするような写真通か専門家である。
デジタル時代とインターネット時代になってからは裾野が果てしなく広がったので真実は尚更埋もれがち。


事故調査委員会が本当の原因を隠すのと同様に、追求する側(探求側と開発側と言い換えてもいいかも)が自分の思惑に沿って画像処理などを行っていることがある。
民衆を誘導しての化かしあいの様相を呈することがあるのだ。 
それが判明すればどちらにしても信頼を損なうことになる。
名だたる組織の権威に傷がつくこともあれば、陰謀説(革新や開発と言い換えてもいいかも)が軽視されることもあるだろう。
しかし結局のところ多数決勝負だろうと思う。この世界は数が多い主張が正しくなるのが常だ。
特殊部隊には心理戦部隊や民事(作戦)部隊が掲載されている)


【なぜ123便だったのか】
日本航空123便の墜落は、事故原因の証拠に乏しく、異常発生後の挙動がおかしかったため、今なお陰謀論が根強い。
かつては陰謀論というのもテレビや書籍がそれを支えていたが、現在はインターネットでいつでもどこでもお目にかかれる時代なので余計に廃れない。
但し現代はいつでもどこでも誰にでも陰謀論を語ることができ、且つコピー&ペーストで拡散可能時代なため、陰謀論というものはかつてより軽視される風潮にある。

陰謀論ならば123便は狙われたということになる。
狙われたということはそれなりに理由があるはずだ。

==主要な陰謀説==

・プラザ合意のための揺さぶり
(G5のアメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本によって1985年9月22日に発表された。協調的ドル安を図ることの合意である。実質的にはアメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 円高ドル安に誘導する内容であった。日本不利な合意と墜落日が近かったために当初からこの説は根強い。だから坂本九さんなど有名人を多く乗せたとまで言われる)
・グリコ森永事件絡み
(脅迫された企業の1つであるハウス食品工業の社長・浦上郁夫氏が搭乗していて亡くなった。また同じ日に犯人側からの「終結宣言」が届いていた。しかしどこに届いたのかは、墜落でそれどころではなくなり定かではない)
・神経生理学の世界的権威であった大阪大学の塚原伸晃氏が搭乗していたから。
(文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり、文部省に出向いた帰路だった。マインドコントロールを研究していたとか)
・トロンOSの開発技術者が17名搭乗していたから。
(噂が出た最初の頃は「WindowsOS日本版の開発技術者」だったが、現在は「トロンOSの開発技術者」になっている)
・123便には貨物として多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が積載されていたから。
(核兵器転用可であり、日本国内で核兵器製造を計画していたため、アメリカのCIAやロックフェラーが脅して妨害したという噂)
・プロ野球チームの阪神タイガースがペナントレースで快進撃を続けていたため。
(阪神タイガースの中埜肇球団社長が搭乗していて亡くなった。阪神タイガースナインはこの日、福岡→羽田の移動で墜落機に乗っていた。それが折り返して羽田→大阪便になった。 しかし結局この年、チームは日本一に輝いた)


【トロンOS説での検証】

昨今この説でよくコピペされているのは以下の文章。
------------------------------------------------------------------------------------------------
実は20年前に日本に純国産の無償OSが存在していた。

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃の日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。
95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。 
それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
 
即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。
もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

20年前というのは80年代後半のこと。
ネタ元はこちらのようだ
上の記事は123便墜落絡みの記事に引用されていたものだが、ネタ元の1989年はしっかり省かれている。123便の墜落は1985年である。
つまり元の記事は墜落事故に絡めたものではなかったのだが、これを引用してあたかも墜落と関係しているかのように仕向ける記事を書いた人がいたのであろう。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
皆さんご存知だろうか。かつて日本にもこの「Windows」と競った「OS」のあったことを。
1980年代のことである。坂村健・東大教授(当時、助手)が手がけた「トロン」があった。
1989年、日本の全国の小中学校に大量の教育用コンピュータを導入する計画が打ち出され、大手メーカー11社の全社がOS「トロン」の採用を希望したのだった。
ところが、日本市場を「トロン」に独占され米国製OSが締め出されると危機感を抱いた米国政府が、「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて圧力をかけてきたのだ。
この勢いはただ者ではなく、日本に戦争を仕掛けてきたような勢いだったのである。即ち、米国にとっての「OS市場の独占」とは「国家戦略」であり、戦争に等しいものだったのだ。
この有無を言わせぬ「宣戦布告」に対して、当時の日本政府はあっさり「無条件降伏」をしたのだった。

かくして「Windows 95」が上陸し、瞬く間に日本のパソコン市場を独占して行ったのである。
米国のこの世界戦略は大成功し、パソコンOSといえば「Windows」、それ以外のアーキテクチャの機種は市場の片隅に追いやられたのである。殆どの人が、パソコンというと「Windows」そして「米国製」というイメージさえ持っている筈だ。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

TRONプロジェクト
TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足したのは1988年である。

このトロンプロジェクトに松下電器が関わっていた。
実は123便の犠牲者には松下電器グループの社員が複数いた。
1985年8月14日の毎日新聞には「一度に17人遭難松下電器グループ」という記事見出しがあったようだ
「トロンOSの開発技術者が17名搭乗していた」という説の17名はここから来たものと思われる。

犠牲者一覧があるので私も数えてみたが16名である。後で身元判明した人がいたのかもしれない。
会社や部署はそれぞれ違う。
10代の女性なども含まれている。出張帰りの人も多いが、レジャー帰りや帰省という私用で搭乗した人も含まれている。
 松下電器システムエンジニアリング本部課長
 松下電器産業システムエンジニアリング本部の部長
 松下電工東京支店
 松下電器ゼネラルオーディオ事業部アクセサリー営業部長
 松下電器製品開発推進センター副参事
 松下電器貿易総合企画室長
 松下電器九州特機営業所勤務
 松下電工東京支店
 松下電器貿易自動車機器課主任
 松下電器勤務
 松下電器産業ビデオ事業部課長
 松下電器ゼネラルオーディオ事業部首都圏営業課係長
 松下電器社員
 松下電器産業システムエンジニアリング本部企画担当参事
 松下電器電化調理事業部
 松下電器会社社員
※上記社名のシステムエンジニアはコンピュータープログラマーのことではない。
日本で言うシステムエンジニア(SE)という職種は和製英語。意味が違う。

【搭乗者について】
夏休み&お盆休みであり、ディズニーランドとつくば万博、帰省なども多いが、出張帰りの人が非常に多い。
1985年8月のお盆前後は11日と18日が日曜日。8月12日は月曜日。ちなみにオーソドックスな迎え盆は8月13日。
昨今ならば10日~18日の連続休暇をとる企業も少なくないと思うが(見かけだけよ?)、1985年8月12日夕方の大阪行き便にはサラリーマンが多かった。

個々の搭乗理由を見ていくと、一人一人に、確かに人生があったということを知らされて、とても切なくなる。


[PR]

by yumimi61 | 2014-08-18 17:08
2014年 08月 17日
甍(いらか)九十九 ~JLスペシャル5~
なんと5日連続スペシャルに突入です。(昨日の続きです)

【キープするのはボトルばかりではない】
スペシャル3に書いたこの部分の会話。
CAP アー、リクエスト レーダー ベクター ツゥ ハネダ アー キサラヅ
ACC ラジャー、了解しました ランウェイ22なので ヘディング090をキープしてください

機長が付け加えた「木更津」の他に、ACCの「ヘディング090をキープ」という言葉が気になる。
そもそも123便がこの時にいた地点は横田空域なので、本来ならば横田の管制官の指示に従うべきである。
ここから羽田空港に戻る場合には、横田アプローチ(YOK)⇒東京アプローチ(APC)⇒東京タワーと引き継がれていくはずなのだ。
それなのにYOKを無視してACCが指示を出している。しかもAPCを差し置いてランウェイ指示まで(機長が45分に羽田とのコンタクトを断ったこともあるが)。

また「キープ(keep)」という言葉も不思議だ。
維持や保持、そのままでという意味の航空用語として一般的なのは「メインテイン(maintain)」や「オールザウェイ(all the way)」である。
キープはどういう意味なのだろう?維持、そのまま続ける、守る、、、!?
どちらにしても前にヘディング090という状態にあったということを意味する。
これはひょっとして先にあった大島へのレーダー誘導のことだろうか?
ACCが発した「ライトヘディング090 レーダー ベクター ツゥ オオシマ」である。
要するに、横田空域に入ろうなどという邪心を抱くな(横田の指示に従うな)というような・・。


【周波数は大事よ?】
ともかく横田基地に近づきながら着陸できなかったあたりから目に見えて状況は悪化していった。
時間にすると18時47分からである。墜落したのは18時56分。
それなのにACCがやっていたことといえば、周波数を変えさせることであった。
【18・47・30】
ACC ジャパン エア 123 コンタクト トーキョー コン アー トーキョー アプローチ 1197 119.7
CAP ―――オッケイ?
COP はい
CAP 119.7 ど ラジャー
【18・53・45】
ACC ジャパン エア 113 123 ジャパン エア 123 周波数119.7 119.7に変えてください
CAP はいはい 119.7
COP あっ はい えーナンバー2
CAP 119.7
COP はい
【18・53・58】
F/E やろーか?
COP はい
APC ジャパンエア 123
(社用無線呼び出し音18秒間)
ACC ジャパンエア 123 できましたら119.7に変えてください
【18・54・03】
CAP はいひだり レフトターン
COP はい
APC ―――ミッティグ。イフ ユー リーディング カム アップ フリクエンシー
F/E はい119
CAP レフトターン
F/E 119.7です
APC 1197 オア、ウィ アー オールレディ オープンリィ エニイ フリクエンシー トーキョー アプローチ アウト
【18・54・19】
F/E ジャパン エア123 えー119.7 セレクトしました
CAP リクエストポジション
F/E リクエストポジション


【リクエストポジションの意味】
機長は「あなたたちがお望み通りの周波数にしましたよ」という意味で言ったような気もするが、一般的には現在地を尋ねているのである。
そしてこの言葉、スコーク77を発信した航空機が軍用機とコンタクトする時に使用してよい言葉でもある。
つまり交信相手は自衛隊なのではないかと思わせるものである。

その後に続く会話はこれである。
【18・54・25】
F/E ジャパン エア123 リクエストポジション?
【18・54・30】
APC ジャパン エア 123 ユア ポジション 5 アー 5 45 マイルス ノース ウエスト オブ ハネダ
F/E ノース ウエスト オブ ハネダ えー
CAP ―――
F/E あー えー 何マイルですか?
APC はい そのとおりです。こちらのレーダーでは55マイルノースウエスト おー 熊谷から あー 25マイルウエストの地点です どうぞー

気になるのは急に日本語に切り替わったあげくの「熊谷」である。
「木更津」と同様に、熊谷には航空自衛隊の基地がある。航空ショーが行われたりもする。
この基地は歴史が古いらしく様々な噂のある基地である。
埼玉県にもう1つ入間基地という航空自衛隊の重要拠点があるが、横田基地付近には日本の航空自衛隊の基地が幾つかあるのだ。


すでに墜落1分前となっている。
【18・55・05】
APC ジャパン エア 123 日本語で申し上げます こちらのほうは アー アプロ―チ いつでもレディになっております なお横田と調整して横田ランディングもアベイラブルになっております
F/E はい了解しました
APC インテンション聞かせてください どうぞー

APCというのは東京アプローチであるが、ここでも日本語である。
横田基地を大分過ぎた今頃になって横田ランディングもアベイラブルなどと言っている。
繰り返すが墜落1分前のことである。
私達は何もできません、話しかけることくらしか、といった感じだったのだろうか?


【1985年はつくば万博が開催されていた】
墜落が近くなった頃、機長はなぜか山梨県に入ることを避けた節がある。

1985年は茨城県にて「つくば万博(国際科学技術博覧会;科学万博;TSUKUBA EXPO'85)」が開催された年であった。
日本航空123便の墜落は開催期間中(1985年3月17日~9月16日)のことであったのだ。
子供達は夏休み、しかもお盆休みときている。
123便にもつくば万博帰りの人が多数搭乗していたという。
123便の行き先の大阪では1970年には「大阪万博(日本万国博覧会;EXPO'70)」が開催されたことを思うと何とも皮肉な巡り合わせである。

日本航空はつくば万博のオフィシャル・エアラインであった。
当時のJALの機体には万博のロゴマークを入れられていたほか、多くのパッケージツアーも主催したそうだ。
しかし昨今のド派手なペインティングに慣れてしまった私達には、どこに入っているのか気付かないほど主張のないものである。
下記写真は123便の機材。
e0126350_16262445.jpg

e0126350_16283776.jpg

こんなマークです。
e0126350_16314514.jpg

万博終了後に記念して建造された「科学の門」の下のプレートに万博の案内図が描かれているが、そこにあるマークがなんと反対!
123便への哀悼の意なのでしょうか?
e0126350_16345390.jpg

ちなみに国際連合平和館は1986年3月に日本初の爆破解体によって取り壊されたそう。
平和館にはあまり似つかわしくない取り壊し方ですね。ノーベル的な解体とでも言えばよいのでしょうか。

この万博の時に郵政省が「ポストカプセル2001」というサービスを行った。
期間中に専用ポストに投函した葉書を2001年の元旦に配達してくれるというもの。
私は友人からこれが届いた。送ってくれたことは届くまでは知らなかったので感激した。
しかしその友人も投函したことを忘れていた(笑)。
その友人が山梨県で暮らしている。これまた何の因果というか。


●第1空挺団の仕事ぶりを紹介していた!

「第1空挺団はいったい何をやっていたのだ」という 村上さんの世の疑問に答えるつもりだったのか、番組では第1空挺団による救助の様子が紹介されていた。
それによると出発は翌朝のことだったようだ。
前の晩は、「なぜ私達を行かせてくれないんですか?」と歯がゆかったでしょう。(墜落場所が分からなかったんだから仕方ないだろう?)(ラジオアイソトープが原因だっけ?)(あっ!もしかして第2部隊だったのかな?)

第1空挺団はエアボーン(パラシュート降下など)やヘリボーン(ラぺリングなど)で有名な部隊。
123便墜落現場にもラぺリング(ヘリコプターから降ろされたロープを伝って滑り降りる)で降下した。
生存者を発見した後、墜落現場に派遣された日赤の医師と看護師もラペリング降下したそうだ。

息子が幼かった時に時々連れて行った医院の医師が偶然にも、若い頃に警察医で123便の犠牲者の検死に携わった人だった。
息子達が大きくなってからは受診する機会はなくなってしまったが、この春に亡くなったと聞いた。
この動画の棺の並ぶ写真の中に立つ人の姿形が先生にどことなく似ていて、別人なんだろうけれども若かりし頃の先生を彷彿とさせる。
e0126350_238016.jpg



[PR]

by yumimi61 | 2014-08-17 13:34