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2015年 07月 31日
日本国憲法の秘密-18-
最近、栃木の宇都宮の託児施設(認可外保育施設)で生後9か月の女児が熱中症で亡くなって、施設長と従業員(家族経営っぽい)が逮捕されたというニュースをやっていて気になった。
亡くなったのは昨年の7月のことらしいが私は今回初めて知った。
報じられなかったのか、報じられたけど私が見聞きしなかっただけなのか、記憶に残らなかったのか。
ともかく3泊4日の宿泊保育中に死亡したということにとても驚いた。
9か月の子を3泊4泊で託児所に預けるなんて私の感覚ではちょっと信じられない。
職業として金銭と引き換えに子供を預かっているのだから託児所にも責任があるのは当然だし、嘘を並べて宣伝したり、虐待のようなことが行われていたとしたら、それは随分ひどい話で罪に問われても仕方ない。
子を亡くした親に鞭打つ気は別にないのだけれど。(それが目的ではないということ)
しかし9か月の子を3泊4泊で託児所に預ける気にはとてもなれない。
日中だけならまだ分かる、少々夜が遅くなってもまあよいとしよう。
だけど見ず知らずの人に幼い子を預けて夜を越えるのは無理。理性より何より体性感覚として無理。
統計学ではないけれど、母集団としては「酷い託児所!」というグループと「なんで預けた?」というグループが出来ると思う。
どちらか一方のみで語られることではないことは分かっているし、託児所に責任があることもその通りである。
でも私はどちらかのグループに入らなければいけないとするならば、「なんで預けた?」グループに入ると思う。

9か月の子を3泊4泊で預けなければいけない状況が思いつかない。
これも1日ということならば分かる。親だって仕事も用事もあるだろう。
しかし3泊4日というのはどういうこと?
個人的用事ならば預けなくとも同伴できるだろうし、同伴が無理な場所ならばその間だけ預ければいい。。
仕事だとすれば出張だと思うが、そうであるならば、育児休暇・イクメン・子育て支援・子育てしやすい会社、そういうPRに余念のないメディアはこういう時にこそ言ってほしい。
1歳にも満たない子供がいて、託児所に預ける以外方法がない親に出張なんかさせるなと。
出張がどうしても断れなかったというならば、親は託児所のみならず会社にも抗議したほうがよいのではないでしょうか。この時代ならば味方は多いはずですよ。

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今日偶然にも銀を買っていた!

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なんと石川さん! 

銀色を買ったのは昨日のオリンピックの灰色とは関係なく、ポストを塗ろうと思ったからでした。


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赤い城にて

前記事にマタイ福音書5章39節のことを書いたが、それで思い出すのが「非暴力」で知られるガンジーである。

But I say unto you, That ye resist not evil: but whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。


モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー

マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー)として知られるインド独立の父。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされているガンディーの尊称である(自治連盟の創設者、アニー・ベザントが最初に言い出したとの説もある)。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(बापू:「父親」の意味)とも呼ばれている。日本語では「ガンジー」とも表記される。

南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した。

この思想(彼自身の造語によりサティヤーグラハ、すなわち真理の把握と名付けられた)はインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特にガンディーに倣ったと表明している指導者にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世等がいる。

ガンディーが不服従運動のための協力者の要員を募集する際のその条件は、やはり多くの人と信頼を構築でき、その協力を得られるような人格者であったが、この「非暴力運動」に参加すること自体でも、暴力で運動を止めさせようとする兵士に対して反撃を行わず、逃げもしないという非常な勇気が必要とされ真の強さと忍耐が必要とされる。


前に夢で「インド」「独立」という言葉を見た(聞いた)ことがあったのだが、個人的にこれと言ってインドという国に心当たりがなかった。(インド綿の服は持っている)
ただインドの独立記念日が8月15日で、私の誕生日も8月15日なので、日にちに関係があるのかなぁと思っていたのだが、もしかしてガンジーのことだったのだろうか。


無抵抗主義の混乱

上の青字転載部分に、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した、とある。

【無抵抗主義】
・社会的不正・圧政などに対して、非暴力的手段によって抵抗する主義。トル ストイ・ガンジーなどが主張。非暴力主義。

・圧政による軍、警察 の暴力行使に対して抵抗しないとする考えをいう。反抗運動の一つの方法である。これ は多くの場合宗教的信念に基づいている。トルストイやガンジーがそうであった。

・抵抗の方法に暴力的手段を用いない立場。宗教やヒューマニズムが思想的背景となる。ガンジーはイギリス植民地政策に対する非暴力・不服従・非協力をもって、インド独立を指導した。


【passive resistance】
(暴力に訴えない)消極的抵抗。
断食したり、協力を拒否をしたりして政府に 平和的に抵抗すること。



「ガンジーは無抵抗主義でない」と主張する人は、ガンジーは非服従という形で抵抗したのだから、無抵抗ではなかったという論理になるらしい。
でも無抵抗主義は一般的に「非暴力的手段によって抵抗する主義」「抵抗の方法に暴力的手段を用いない」と捉えられており、そうなれば「ガンジーは無抵抗主義」となる。
「ガンジーは無抵抗主義ではない」という勘違いと、「日本は戦争を放棄する」という憲法9条解釈は同じようなものではないのか?
前に永世中立国への誤解も書いたことがあるが、個々人が言葉から受ける印象、言葉の意味や使われ方、実際の様子などには違いがあって、しばしばそれが広く誤解や勘違いを生じさせ、その誤解に則って言葉の意味やセオリーが変わってしまうこともある。
その変化が良いか悪いかはここでは言及しない。
変わっていくことを良しとする場合、それを判断するのは誰だろうか。学者か官僚か、辞典辞書執筆者か、数の力の世論か。
いずれにしても変化の途中において統一することは困難であろう。


武力や軍隊、兵士と言えば、頑強な身体や体力、武器などを想像することが多いと思う。
確かに1対1の直接対決ならば体力や武器次第ということもあるだろう。
でも戦争として見れば、戦争に勝利しようと思ったら、体力や武器だけでは多分ダメだと思う。
戦争に負けたことの無い世界最強のイギリスは戦争の達人でもある。
ガンジーの無抵抗主義に敗北したとは思えない。
ガンジーはイギリスに対抗したようで、実はイギリス寄りの人だったのではないだろうか?
そして世界に無抵抗主義や人道主義を流行させることに貢献した。
おそらくそんなところではないかと思う。





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by yumimi61 | 2015-07-31 14:12
2015年 07月 30日
日本国憲法の秘密-17-
大変です!黒じゃありません!!グレーです!!!(五輪エンブレムのこと)
「すべての色を混ぜ合わせるとできる黒で多様性を表現し・・・」と言っていました。
だけどグレー(灰色)です。
グレー(灰色)は白と黒の混ぜ合わせた色ですよね?

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御嶽山噴火の前の出来事




自分で決めること

芦田は「自衛戦力を放棄しないための修正」であると発言したそうである。

芦田試案の前までの明確な文章は受動態であった。
◎陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。(GHQ原案)
◎陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。(憲法改正草案、枢密院に諮問4月17日)
◎陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。(芦田試案7月29日)

受動態ということは相手がいる。
誰か他の人から許されず認められないから軍事力を持たないということになる。
嫌々従っている可能性も大いに考えられる。
何かを嫌々行うということは良い成果が出ないことが多く成長をも阻む。それどころかストレスを溜めて爆発しかねない。
自らの意思で持たないのであれば能動態となる。芦田試案が正解。
嫌々ではなく、自らが「ただただ人類の和協や世界平和を願うから」こそ、戦争放棄や軍事撤退を決意したのだと芦田は説明したのだ。これは説得力がある。

自分と他人は違うものである。
「おまえには戦力を与えない」と誰かに言われ、それに従うことにしたとしよう。
そんな時、他者に急に叩かれた。そこで身を護るために反撃した。
自分は正当防衛だと思い戦力だとは思わなかったが、誰かは「それは戦力だ!」と言って非難してきた。
他人の言動に従う時には相手に基準があり、相手が解釈をする権利を持つ。
自分の決めたことならば、自分に基準があり、答えを持っているのも自分だ。
誰かに急に叩かれたので身を護るために反撃した。
正当防衛かどうか決めるのは自分である。(子供の頃に'誰が見てなくても神様が見てる'と教えられましたよね?)
その自分は人類の和協や世界平和を心から願っているのだ。
「自衛戦力を放棄しないための修正」であるという発言もこのように考えれば、理解できる。


象徴が行う国事行為

「認められない」「与えられない」「許されない」という言葉を使えば、そこには自然と「認める人」「与える人」「許す人」が生じてくる。

ここに問題がある。
認可する人が誰かということである。
日本の重要事項について最終的な認可を下す権利を誰が持っていたのか。
戦争に負けて占領下にあった時代のことである。
GHQか日本政府か、それとも天皇か。
これによって条文の意味合いも変わってくる。
当時、憲法の変更は可能と考えていたか、変更しない(簡単には出来ない)ものと考えていたか、それによっても違うだろう。

それと同じで国や国家が誰を指すのかが曖昧。
日本政府なのか国民一人一人のことなのか。
憲法では主権を持っているのは日本国民だと謳っている。
天皇は日本国民ではなく象徴である。
しかしながら同じ憲法で天皇には国事行為を行う権利があることを明記している。

【天皇の国事行為】
1.内閣総理大臣を任命すること(日本国憲法第6条第1項)
2.最高裁判所長官を任命すること(第6条第2項)
3.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること(日本国憲法第7条第1号)
4.国会を召集すること(第7条第2号)
5.衆議院解散(第7条第3号)
6.国会議員の総選挙の施行を公示すること(第7条第4号)
7.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること(第7条第5号)
8.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権(恩赦)を認証すること(第7条第6号)
9.栄典を授与すること(第7条第7号)
10.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること(第7条第8号)
11.外国の大使及び公使を接受すること(第7条第9号)
12.儀式を行うこと(第7条第10号)
13.国事行為の委任(日本国憲法第4条第2項)

●国事行為は内閣の助言と承認に基づかなければならず、内閣が国事行為の責任を負う(第3条)。

天皇と国民の身分は同じではない。(国民には内閣も含む)
言葉遣いひとつ取っても同等でないことが分かる。
さらに天皇の権威は世界最強である(と言われている)。
対等な立場で何か言えるかどうか非常に疑わしい。
権威者には逆らうことが出来ないのが世の常。
権威者の欲には差があると思うが、基本的には意のままに出来るということである。
それを力尽くで壊してきたのがクーデターであり戦争である。
一方で、「意のまま」を拡大することに利用されてきたのも戦争である。


右の頬を叩かれたら

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」として知っているという人もいるだろう。

マタイ福音書5章39節に書かれている文章である。
英語では次のとおり。
But I say unto you, That ye resist not evil: but whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.

ルカ福音書にも同じような記述がある。
マタイ福音書とルカ福音書は、新約聖書におさめられた4つの福音書の中の2つである。
新約聖書という言葉からも分かるように、旧約聖書より後の時代のもの。

聖書の言葉も一部分を抜き出すことが多いが、節は完全に独立しているわけでなく前後と続く文章である。

マタイ福音書5章(1~48節)の後半部分を連続して示す。

25節 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。

26節 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

27節 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

28節 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

29節 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。 
 
30節 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

31節 また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。

32節 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

33節 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

34節 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

35節 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。

36節 また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

37節 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

38節 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

39節 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

40節 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

41節 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

42節 求める者には与え、借りようとする者を断るな。

43節 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

44節 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45節 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

46節 あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

47節 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

48節 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。



「天の父は、神様は、キリストは、やはり素晴らしい御方」、こういう感想を持つ人も少なくないだろう。
しかし実はこれは、神と人間が差を際立たせ、違いを突きつけるものなのである。
あたなは神ではないということを具体的に教えているわけである。
人間が本当に完全な者になられたら困ってしまうのだ。神の権威が揺らいでしまうから。
出来ないことを知っていて「完全な者となりなさい」と言っている。
行動だけでは不安だった神は、心の領域にまで踏み込んで、行動を起こさなくとも心で思ったらそれはもう罪であり、神ではないと知らせている。神の保険。

新約聖書というのはそうした特徴を持つ書物である。
以前も新約聖書のそうした性質について書いたことがある。罪や死に関することだった


平和とは何か?

上記のマタイ福音書の一部分、「しかし」で始まる節が幾つかある。
「しかし」は通常、前に述べたことに対立することを述べる時(逆説)に用いる。
マタイ福音書で前に述べていることは、古くから民間に伝わる教えであったり、旧約聖書に書かれていることだったり、一般論だったりする。
それを幾つも否定している。

39節は38節を否定しているのだ。

38節 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 ×

39節 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 〇

「目には目にを、歯には歯を」という言葉の出典についてはこちらに書いた
旧約聖書に記載があるが、もっと古くからある言葉である。
罪には罰がある。その罰は必要最低限のものであって復讐であってはならない。
そうした意味が込められている。法治に関連する言葉なのだ。

法的に罰するのか、同じような方法で復讐するのか。
罰を与えることを誰かに委ねるのか、それとも自分で直接裁き罰するのか。
39節をどう取りますか?



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by yumimi61 | 2015-07-30 11:08
2015年 07月 29日
日本国憲法の秘密-16-
憲法9条の変遷の続きです。上部は再掲となります。

1945年8月15日 玉音放送、終戦。
1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立ち、戦争犯罪人容疑者リスト作成を命じた。
1945年9月11日、GHQより容疑者に出頭命令。
1945年10月4日 GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
   この10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。

1946年2月3日、マッカーサー総司令官が三原則*を提示。
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)**を日本政府に提示。
   これ以降、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」***を作成する。
1946年3月6日、「日本政府改正草案」****をマッカーサーが了承する。
   この後も何度か修正が加えられる。*****
1946年10月7日、改正案が帝国議会で可決される。
1946年10月12日、政府が枢密院に諮問。
1946年10月29日、日本国憲法の公布。

1947年5月3日、日本国憲法施行。
   以後今日まで一度も改正されたことがない。

1948年12月23日、死刑判決の下ったA級戦犯の死刑が執行された。


***日本政府改正草案(3月5日案)
第二章 戦争ノ抛棄
第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス
<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国家の主権において行う戦争及び武力の威嚇または行使を他国との間の争議の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず。国の交戦権はこれを認めず。

****日本政府改正草案(3月6日)
1946年3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」。
第二 戦争ノ抛棄
第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト
<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国の主権の発動として行う戦争及び武力による威嚇または武力の行使を他国との間の紛争の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず、国の交戦権はこれを認めないこと。

*****天皇の諮問機関(枢密院)に諮詢された「憲法改正草案」
1946年4月17日に政府案として発表され枢密院に諮詢した「憲法改正草案」。
憲法改正草案(政府原案)
第二章 戦争の抛棄
第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。


*****天皇の諮問機関(枢密院)に諮詢された「憲法改正草案」
4月17日案を若干修正して5月25日に改めて枢密院に諮詢した案。
憲法改正草案(政府修正案)
第二章 戦争の抛棄
第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

現行9条にも入っている(問題の!)「これを」という文言が挿入された。
そしてこの案文が枢密院で可決され、1946年6月25日に衆議院に上程された。


衆議院帝国憲法改正案委員小委員会

1946年7月25日から8月20日にかけて13回にわたって開催された。
委員長は芦田均。
芦田は1947年に日本自由党を離党して民主党を創設した人物で、1948年に7ヶ月程総理大臣も務めたが、昭和電工汚職事件で内閣総辞職した。政界・財界・GHQの絡む汚職事件だった。

上記案文では積極性や自主性に欠けるという意見が出たため芦田試案が提示された。
*****芦田試案(7月29日)
第二章 戦争の抛棄
第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
第二項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。

*****芦田試案修正案(7月30日)
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する
第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

*****芦田試案修正案(8月20日)
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

比較

【枢密院で可決した案】
1項 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
2項  陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

【芦田試案当初】
1項 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
2項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。

【芦田案最終】
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


芦田試案では、2項の頭に「前項の目的を達するため」という文言が付け加えらた。
目的というのは重要である。
しかしその目的が委員会の始めと終わりでは変わってしまっているのだ。
そして結局枢密院で可決した案に極めて近いものになった。

【委員会最初】
「陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認する」という目的を達成するため
  ↓
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する」。

【委員会終盤】
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という目的を達成するために
  ↓
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」


最初の芦田試案は、「とにかくもう日本の軍隊や戦力は持たないようにしよう!」というのが目的だった。
軍隊や戦力が必要な時はどういう時かと言えば、戦争や武力行使の時だから、「日本の軍隊を保持編成しなくて済むように戦争や武力行使は永久にしないでおこう!」という条文なのである。
日本の軍隊に随分懲りてしまった観がある。
「戦争をしない」などといった目的のほうが違和感なく一般的だろうと思う。
やや違和感の残る目的を選び、わざわざ1項と2項を置き換えたことを思えば、熟考の上の変更だったに違いない。
日本の軍隊を脅威に思った外国人がいたか、日本の軍隊の恐ろしさを知っていた日本人がいたか、どちらかではなかろうか。


法律は芸術ではない

軍隊について書かれている部分を抽出してみると、大きな違いに気付く。
先頭に◎を付けた文章は、軍隊や戦力、交戦権を直接否定しており明確簡潔で非常に分かりやすい。
ところがこの文中に「これを」が挿入された。
そうすると「これを」が何を指しているのかが明確でなくなる。
読む人によって見解が変わるということが生じる。
よくアーティストたちが言うじゃないですか。「どんなふうに解釈していただいても結構です。人それぞれですから」みたいなこと。
でもそれを書いたり作ったのは個人であり、著作権を主張する人達である。
そうであるならばそこには明確な意図や答えがあるべき。
「どんなふうな解釈でもよい」というのは誤解を与える、「答えはあるけれど言いません」と言うべき。
法律であるならば尚更。
どんなふうにも解釈できるのでは困る。
法律は芸術ではない。
なるべく誤解を与えない明確で簡潔な文章を用いる必要がある。
幾つもの解釈が出来る文章は避けなければならない。
にもかかわらず、明確だったものを曖昧にした。それが憲法9条である。


◎陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。(GHQ原案)

・陸海空軍その他の戦力の保持及び交戦権はこれを認めず。(日本政府改正案3月2日)
・陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず。国の交戦権はこれを認めず。(日本政府改正案3月5日)
・陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず、国の交戦権はこれを認めないこと。(日本政府改正案3月6日)

◎陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。(憲法改正草案、枢密院に諮問4月17日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。(憲法改正草案、枢密院に諮問5月25日)

◎陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。(芦田試案7月29日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。(芦田試案改正案7月30日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(芦田試案修正案8月20日)

・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(日本国憲法)


芦田の意図

1946年(昭和21年)8月24日、衆議院本会議での委員長報告において芦田均はいわゆる芦田修正について「戦争抛棄、 軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、 専ラ人類ノ和協、 世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタ」ものであると述べている。
その後、この修正について芦田は、自衛戦力を放棄しないための修正であり、このことは小委員会の会議録にも書かれていると発言している。
ところが、のちに公開された小委員会の速記録や『芦田均日記』からは修正の意図がこのような点にあったかは必ずしも実証的には確認できないといわれる。
ただし、国際法の専門家である芦田が自衛のための戦力保持の可能性を生じることとなった点について気付いていなかったとは思われないとみる見方もある。
このようなこともあって芦田の真意は未だに謎とされている。


「戦争抛棄、 軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、 専ラ人類ノ和協、 世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタ」
<口語訳>
戦争放棄、軍事撤退を決意するに至った動機が、専ら人類の和協、世界平和の念願に出発する趣旨を明らかにせんとした。
<意訳>
戦争放棄や軍事撤退を決意するに至った動機は、ただただ人類の和協や世界平和を願うからである。このことを明らかにしようとした。


「これを」を入れず、分かりやすい文章を作ったのは芦田だけではない。
芦田試案が他と違うのは受動態ではなく能動態になったこと。
声明という言葉を使ったことにもその決意が窺える。
「日本は自ら放棄すべき」と言ったマッカーサー原則にも沿う文章である。
ただここで問題となってくるのが自衛である。





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by yumimi61 | 2015-07-29 21:22
2015年 07月 29日
日本国憲法の秘密-15-
毎日暑いですね。
高校野球の地区大会が盛り上がっている今日この頃ですが、わたくし凄いことを発見しました。
高校野球の春夏大会や甲子園と呼ぶ大会は「高校野球選手権大会」。
これは高校総体(インターハイ)とは違う大会です。
高校野球は高校総体を主催している高体連(全国高等学校体育連盟)に加盟していないのです。
高校野球の主催は、朝日新聞社と日本高校野球連盟です。
朝日新聞社の旗が時々目に入ることがありますね。
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朝日新聞社といえばテレビ朝日を思い出します。同じ朝日ですし。
朝日新聞社の筆頭株主がテレビ朝日で、テレビ朝日の筆頭株主が朝日新聞社となっています。
それなのに高校野球ってなんでNHKが放映しているの?
高校野球100年とかなんとかという企画物まで。


●日本教育テレビ→NETテレビ ・・・テレビ朝日前身
1957年、テレビ業界への進出をうかがっていた東映は現在の毛利公園も含めた六本木ヒルズ界隈の広大な所有地をNETに提供し筆頭株主となる。その他日本短波放送(現・日経ラジオ社)およびその親会社である日本経済新聞社、そして旺文社など出版関係者が中心となり、教育番組専門局として株式会社日本教育テレビを設立。免許交付の条件は教育番組を50%以上、教養番組を30%以上放送するというものであり、営利を目的とした教育専門局は世界でも珍しかった。
しかし、この試みは田中角栄と朝日新聞社が介入したことで事実上失敗に終わり、新聞社主導のテレビ局となる。その後は例えばアニメーションや外国映画を、それぞれ「子供の情操教育のため」「外国文化の紹介」の名目で「教育番組」や「教養番組」に指定し、対外呼称も『日本教育テレビ』から『NETテレビ』に変更。事実上の総合放送局化を図った。

日本教育テレビは1959年1月9日本免許交付。翌1月10日から試験放送開始。開局1959年2月1日。

●NHK教育テレビ
1959年1月10日に日本で初めて教育放送を専門に扱うテレビジョン放送局として東京、同年4月1日に大阪が開局した。

●東京12チャンネル→テレビ東京
財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部の番組制作を目的として設立された「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」が、同財団から放送事業を譲り受けて発足したものである。
親局チャンネルである12chはかつて在日米軍が使用していた周波数帯であり、在日米軍より返還されたのを受けて新規テレビ局チャンネルとして開局したと言われている。地上アナログ放送では12chを親局チャンネルとする民放テレビ局が他にもNNN/NNS系列の広島テレビ放送(HTV)とFNN/FNS系列の仙台放送(OX)があったが、その他の地域では12chがNHK教育テレビジョン(Eテレ)に使われる地域が全国的に多かった。

朝日新聞社と報道提携を結んでおり制作も朝日新聞社が行っていた。
その後日本経済新聞社が経営に乗り出す。テレビ東京ホールディングスの筆頭株主は日本経済新聞社。

●朝日放送(ABC)
本社:大阪市福島区福島1丁目1-30 旧大阪大学医学部附属病院(阪大病院)跡地のほたるまち内にあり、2008年(平成20年)5月19日にABCセンターの旧本社から移転。6月23日より放送業務を開始した(専用郵便番号553-8503)。 
筆頭株主は朝日新聞社。

●毎日放送
所在地 : 〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17番1号
一部の番組には「番組専用郵便番号」が存在する。また、電子メールのドメイン表記は、テレビ番組は「mbs.jp」、ラジオ番組は「mbs1179.com」が用いられている。
東京放送、RKB毎日放送、テレビ東京、FM802の大株主となっている。
RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは腸捻転時代も九州朝日放送の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している

毎日放送の筆頭株主はソニー。

●RKB毎日放送
一部の番組には「番組専用郵便番号」が存在する。また、電子メールのドメイン表記は、テレビ番組は「mbs.jp」、ラジオ番組は「mbs1179.com」が用いられている。
本社・演奏所:〒814-8585 福岡県福岡市早良区百道浜二丁目3番8号

大株主は毎日放送、毎日新聞社、株式会社麻生など。


=腸捻転状態=
朝日新聞と関係が深い朝日放送(大阪のテレビ局)はTBSとネット系列。 (朝日新聞―TBS)
毎日新聞と関係が深い毎日放送はNETテレビ(テレビ朝日の前身)や東京12チャンネル(テレビ東京の前身)とネット系列。 (毎日新聞―テレビ朝日・テレビ東京―日本経済新聞社)
1975年までこの状態が続いた。
朝日放送と毎日放送の提携関係を入れ替えたことによって、毎日新聞(毎日放送)―TBS、朝日新聞(朝日放送)―テレビ朝日、テレビ東京―日本経済新聞社という関係になった。


やっぱりこの国はメディアに牛耳られていそうですね!
ダブル・・w

メディアと言えば、実は私も放送委員だったことがあります。小学生の時。
朝の朝礼や運動の時間も放送室の窓から高みの見物!(放送室は1階よ)
お昼(給食)は別室(放送室)で2人だけで食べるんだよね!!
「下校の時間です」放送と音楽流さなければならないから帰りはちょっと遅くなっちゃうけど、あれはいいよねー。





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by yumimi61 | 2015-07-29 13:40
2015年 07月 28日
日本国憲法の秘密-14-
憲法9条の変遷の続きです。上部は再掲となります。

1945年8月15日 玉音放送、終戦。
1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立ち、戦争犯罪人容疑者リスト作成を命じた。
1945年9月11日、GHQより容疑者に出頭命令。
1945年10月4日 GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
   この10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。

1946年2月3日、マッカーサー総司令官が三原則*を提示。
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)**を日本政府に提示。
   これ以降、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」***を作成する。
1946年3月6日、「日本政府改正草案」****をマッカーサーが了承する。
   この後も何度か修正が加えられる。*****
1946年10月7日、改正案が帝国議会で可決される。
1946年10月12日、政府が枢密院に諮問。
1946年10月29日、日本国憲法が公布。

1947年5月3日、日本国憲法施行。
   以後今日まで一度も改正されたことがない。

1948年12月23日、死刑判決の下ったA級戦犯の死刑が執行された。



*マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則
(原文)
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(日本語訳)
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


**マッカーサー草案(GHQ原案)
(原文)
Chapter II Renunciation of War
Article VIII  War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
(外務省仮訳)
第二章 戦争ノ廃棄
第八条  国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ

<外務省仮訳の口語訳>
第2章 戦争の廃棄
第8条 国民の一主権としての戦争はこれを廃止し、他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久にこれを廃棄する。
陸軍、海軍、空軍またはその他の戦力は決して許諾されることがなく、また交戦状態の権利は決して国家に授与されることはない。
<英語の日本語訳>
第2章 戦争の放棄
第8条 国権の発動たる戦争は廃止され、他の国との紛争を解決するための手段としての威嚇又は武力の行使は永遠に放棄される。
陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。

 ※(   )の原文と訳は転載したもので、< >の訳は私がしたものです。


***日本政府改正草案(3月2日案)
第二章 戦争ノ廃止
第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ廃止ス。陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。

<口語訳>
第2章 戦争の廃止
第9条 戦争を国権の発動と認め、武力の威嚇または行使を他国との間の争議の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを廃止する。陸海空軍その他の戦力の保持及び交戦権はこれを認めず。

GHQ原案と日本政府改正草案(3月5日)の違いとしてWikipediaには次の5つが記されている。
1.第1章に条文が追加されたため、第2章の第8条であった本条は繰り下がって第9条となった。
2.第1項の第1文と第2文はつなげられ一つの文となった。
3.「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言が戦争にもかかるように解釈しうることとなった。
4.「廃棄」から「廃止」に改められた。
5.第2項の最後の部分が「之ヲ認メズ」に改められた。



***日本政府改正草案(3月5日案)
第二章 戦争ノ抛棄
第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス

<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国家の主権において行う戦争及び武力の威嚇または行使を他国との間の争議の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず。国の交戦権はこれを認めず。

日本政府改正草案(3月2日)と日本政府改正草案(3月5日)の違いとしては次の5つが記されている。
1.「国家ノ主権ニ於テ行フ戦争」という表現に改められた。
2.「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言について、国家の主権において行う戦争と武力の威嚇・行使とが「及」で結ばれることとなったため、国家の主権において行う戦争にもかかることが明確になった。
3.「廃止」から「抛棄」に改められた。
4.第2項は「之ヲ許サズ」、「認メズ」と分けて書き改められた。



戦争にも種類がある

GHQ原案から章が設けられタイトルが付くようになった。
原則には無し→戦争の放棄→戦争の廃止→戦争の放棄

章タイトルでは戦争の説明をしているわけではない。
中にはどのように書かれているか?
「国権の発動たる戦争」「国民の一主権としての戦争」「国権の発動と認め」「国家の主権において行う戦争」
言い方は変わるが、「国または国民の権限を発動して行う戦争」であることは一貫している。
どこの国かは書かれていないが日本国憲法である以上、日本国であり日本国民だと考えるのが妥当だろう。
日本の権限を持って戦争を行うことはできない。
なぜシンプルに「戦争」ではなく、「あらゆる戦争」「すべての戦争」でもないのか。
日本が国権発動する戦争でなければ行うことは出来るということだ。
それ以外の解釈をしようがない。 


放棄、廃棄、廃止

・放棄とは持っている権利を行使しないこと。
例えば、相続する権利はあるが、その権利を行使しないと宣言することを相続放棄と言う。相続しないのである。
また負うべきものを負わないことも放棄するという。
例えば育児放棄など、すべき立場の人が行わないこと。責任を放棄するということになる。
相続放棄にも、代わって負うべき借金などを負わないという負の意味での放棄がある。

・廃棄は捨てることだが、条約など2者間の約束事を一方的に無効にする場合にも使う。

・廃止は何かをやめることである。
個人が廃止を決めることもあるし、組織が話し合いで廃止を決めることもある。
他者の意向は関係なく個人の都合などで一方的に廃止することもあれば、他者の意見や評価を参考にし協調的に廃止することもある。

戦争の放棄とは、戦争を行う権利を行使しないことであり、行うべき戦争を無責任に行わないという2つの意味がある。


国家と国民

****日本政府改正草案(3月6日)
1946年3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」。

第二 戦争ノ抛棄
第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト

<口語訳>
第2章 戦争の放棄
第9条 国の主権の発動として行う戦争及び武力による威嚇または武力の行使を他国との間の紛争の解決の具(道具・手段)とすることは永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず、国の交戦権はこれを認めないこと。


アンダーラインの部分、3月5日案では国家の主権において行う戦争であった。
この部分を何度もいじっているということは、重要な箇所であると考えられる。
3月5日では「国家の主権」であったのが、翌日には「国の主権」に変更されている。
マッカーサーが政府改正草案を了承したのが3月6日だそうだが、3月5日案が了承され、その後に少々手直ししたのか、それとも3月6日案を了承したのかは不明である。
どちらにしてもマッカーサーは英語に翻訳された文章を読んだと思うので、日本語の変化が英語には表れていない可能性がある。
なぜ私がこれに拘るかと言えば、日本国憲法では国民に主権があるとされているからである。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
要するに「国の主権」と言えば国民と解釈することが出来る。
国民から起こされる戦争や武力行使を、他国との紛争解決の手段とすることを放棄する、という意味になる。


枢密院での大きな変化

*****天皇の諮問機関(枢密院)に諮詢された「憲法改正草案」
1946年4月17日に政府案として発表され枢密院に諮詢された「憲法改正草案」。

憲法改正草案(政府原案)
第二章 戦争の抛棄
第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。


現行のように第1項と第2項に分けられたのは、天皇諮問機関に出された時である。
また「(武力の行使などは)他国との間の紛争の解決の手段としては(放棄する)」という文章が強調されてきたように思う。
これまでは「(武力の行使などを)他国との間の紛争の解決の手段とすることは(放棄する)」となっていた。

(例)
①アイスクリームは、空腹を満たす食物としては、適さない。
②アイスクリームを、空腹を満たす食物とすることは、適さない。

趣旨は大きく変わるものではないが、①はアイスクリームに焦点がある。
アイスクリームは空腹を満たす食物としては適さないと述べているだけで、それ以外のことは言及していない。
それはつまりそれ以外であれば適する可能性があると予想される文である。
それ以外を文章にすれば、アイスクリームは心を満たす食物として最適である、となる。
②は空腹を満たす食物に焦点がある。
アイスクリームも適さない、かき氷も適さない、ジュースも適さない、このように幾つも並べることができる。


天皇は日本国民ではない

天皇には、戸籍や住民票がなく、名字も持っておらず、参政権(選挙権・被選挙権・国民投票権など)も有していない。
天皇は「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」であって、日本国民ではない。
刑法が適用されるかどうかも微妙なところである。
軍事裁判にかけられなかったところをみれば、刑法など法律の適用外である可能性がある。
昭和の時代に天皇は神であるとはさすがに言えなかったのか、象徴という言葉を当てはめたが、象徴とは何だろうか?
日本国民ではない人が日本国の象徴とはいったいどういうことなのか?
気になるのは「日本国民統合の象徴」である。国家総動員の国家総力戦の象徴ということだろうか?
ただの置物の人形なのか、それとも最高権力者なのか、象徴をどう捉えているかによって、原則の意味合いも、ひいては第9条の意図も変わってくる。

憲法第一条では「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と謳われているが、個々の意思を問われたことはないはずだ。
そもそも憲法は1946年に制定され、1947年に施行されたものである。
天皇も国民も、日々、年々、時代においては大きく、変わっていく。
いつまでも変わらず「総意に基づいている」という断定は本来おかしい。
総意に基づいているとするならば、間接的に天皇や皇族という地位や権力を認めていると勝手に判断しているということ以外にない。
誰も何も行動を起こさず、天皇や皇族は敬われ、憲法は大事で、憲法は改正されないから、日本国民はみな天皇の地位を認めていると判断しているのだ。
これもこれまで憲法が改正されてこなかった理由の1つではないかと思う。
「日本国民の総意に基く」という言葉は、「総意に基づかなければならない」と置き換えることも出来るのだ。


国家や国民の権限によって発動する戦争は廃止したとしても、日本国民ではない象徴である天皇が発動する戦争ならば出来るのではないだろうか?
そして天皇命令が表に出てくるとは限らないのでは?


負けても世界最強は揺るがず

アメリカアメリカ言うが、アメリカの権威はそれほど高くない。
権威者の力関係ならば、アメリカより日本のほうが上である。
敗戦国の天皇や皇室をつぶさないということは、権威の入れ替えがないということなのだ。

まとめ:世界最強の天皇陛下
日本人が知らない天皇陛下の権威

天皇の権威が国民に投影される。
日本は世界一になれる、日本人は世界一になる資格がある。
このように無意識に天皇の権威に祖国を重ねあわせ同一視していく。
こうした心理作用は「集合的記憶」や「日本国民統合の象徴」とも無関係ではなさそうだ。
投影やオーバーラップというのは、心理学はもちろん、小説の比喩とも関係がある。


国民とは?

国会議員の皆様は「国民、国民」と自分はまるで国民ではないような第三者観を醸し出していますが、皆さんも国民ですよ!
ただ他によい言葉が無いと言えば無いですね。
「非国会議員の皆さん」とか「非政治家の皆さん」とか「一般ピーポー」とか?
あっ「国家公務員特別職」だから特別?
国家公務員特別職は国民に非ず!?
芸能人の皆さんがお好きな「一般人」という言葉にも私は違和感を感じる。
芸能人のみならずメディアなどが好んで使うため限定的要素が生まれてくるのだと思うのだが、芸能人は一般ではないの?
何か特別な人種?民族?芸能人は国民に非ず!?
職業的なことを言えば、自分の専門としている職業以外の人は一般人となるはずで、その他大勢の呼称が「一般人」となるのは芸能人の特権ではないはず。
裁判官だって医師だって漁師だって農家の人だって、それ以外の職種の人は一般人である。
国家資格など資格職(専門職)なら尚更その他大勢の人が一般人になってもおかしくはないと思う。



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by yumimi61 | 2015-07-28 12:26
2015年 07月 27日
日本国憲法の秘密-13-
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~あの日を忘れない~


そうそれは、昨日まで消費税5%で今日から8%という日だった。
嘘みたいな本当の日の嘘みたいな本当の話。
2014年4月1日。
消費税が今日から上がったことなんてどこ吹く風で買い物をした。
あのラックを見つけたのはその日だった。
それもなんとゴミ置き場で。
ゴミと交換に持ち帰ってきたのは、なにも消費税が上がった日の買い物が過ぎたからではなかったの。
たぶんあなたは何も知らなかったから困惑したんだろうけれど。
まさに運命。幸運。
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by yumimi61 | 2015-07-27 16:19
2015年 07月 26日
日本国憲法の秘密-12-
「他人の悲しみも喜びも決して自分のものにはならないのよ」
そう言う彼女が持つナイフが魚を器用そうに切り分けていく様子を僕は見つめていた。
「どうして?そんなことはないんじゃない?」
「冬は好きよ」
僕の話を聞いているのかいないのか、彼女は時々素っ頓狂な返答をする。
窓に映る常緑の街路樹が僕から季節を奪っていくようだったが、僕に四季があるかと言えばそれも心許ない。
「守らなければいけないから。皮膚も頭蓋骨もそう出来てるんでしょ」
疑問なのか断定なのか、語尾の抑揚を掴みきれなかった。
「街の空気を遮断するみたいに何枚も重ね着して、ぐるぐる巻いたり被ったり覆ったり。どうしてか分かる?」
「それは寒いからだろうな」
「もうホントは分かってるくせにー」と彼女は口を尖らせたが、僕は正真正銘寒いからだと思っていたので少し面食らった。



国連憲章

前記事に「戦争と武力行使は同じものか?」と書いたけれども、GHQ案ではWarという言葉の他に、マッカーサー原則では使われていなかった「The threat or use of force」という文言が付け加えられた。
これについてマッカーサー原則とGHQ原案の違いに触れているWikipediaには次のように書かれている。

2.「The threat or use of force(武力による威嚇又は使用)」の文言が加えられた。 これは前年に国際連合原加盟国によって調印されていた国連憲章2条4を受けたものとされている。

そこでその国連憲章の第2条4項を見てみたいと思う。
第1章 目的及び原則
第2条 原則
4. All Members shall refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations.
(日本語訳)
すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

確かにthe threat or use of force という全く同じ文言が使用されている。
日本語訳が非常に分かりにくい気がするが、分かりますか?
「国際関係において、すべての加盟国は、領土保全や政治的独立に対する威嚇や武力の行使を、また国際連合の目的と矛盾する他の方法を自粛する。」ということだと思う。


集団的措置と集団的自衛

国連憲章の第1条に集団という言葉が含まれている。
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第1条 目的
国際連合の目的は、次の通りである。

1 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

2 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

3 経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

4 これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。
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「集団的措置」と訳されている部分の英語は"collective measures" である。
「集団的自衛」は英語にすると "collective self-defense" である。国連憲章の第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」の第51条にこの言葉が使われている。

第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


国際連合に加盟していれば集団的措置を取る(措置に加わる)必要がある。
第51条は武力攻撃が発生した場合に言及しており、その場合は緊急性が高いので国連決議を待たずに自衛措置を取って構わないという、ある意味至極当然のことを述べている。
つまり集団的措置にも2つあることが分かる。
国際連合が決定する集団的措置と、安全保障条約などに基づく各国固有の集団的措置(集団的自衛)である。
国連の行う集団的措置は狭義には自衛に含まれないものもある。
武力攻撃されたならば、その国独自の自衛や安全保障条約などに基づく各国固有の集団的措置(集団的自衛)を取ってもよく、その自衛に関しては国連は一切関知しないと言っている。
「但し国連の方針が決定したらそれに従ってもらいますよ」という話なのだ。

ついでに第2条も見ておこう。
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2条 原則
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。

1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。

2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。

3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。

4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。

6.この機構は、国際連合加盟国ではない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。

7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。
---------------------------------------------------------------------------------------------------

2条の7でも国連の規定より国の権限が優先だということが述べられている。
しかし、但し書きによって例外が指定されている。
第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」に基く強制措置の適用は、各国の権限に妨げられないというのだ。

国際連合安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為の存在を決定し、勧告を行うとともに、非軍事的強制措置・軍事的強制措置をとるかを決定することができる(第39条意訳)。
また、措置を決定する前に、事態の悪化を防ぐため、暫定措置に従うよう関係当事者に要請することができる(第40条意訳)。

第41条
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。


第41条が非軍事的強制措置で、第42条が軍事的強制措置ということになるだろう。
ロシアが軍事力によって現状変更を行った(ロシアによる平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為があった)とみなし非軍事的強制措置(経済制裁など)を使用することを国連が決定したら、加盟国は皆それに従わなければならないということである。


集合的記憶

集団的措置や集団的自衛の集団にあてられている英語は collective である。
逆の言い方のほうがよいだろうか。collective の訳にあてられている日本語は集団である。
collective で思いだすのが collective memory という言葉。日本語では集合的記憶。
こちらは集団ではなく集合となる。集団と集合はどう違うのだろうか?
集合はそこはかとなくばらけている印象がある。同じ性質を持った集まりだとしても淡々とそこにあるといった感じで、精神性を持ち合わせない集まりというかなんというか。
集団にはやや団結力を感じる。集団としての意思や意志が生まれてくるような。いじめは集団に起こるのだと思う。
だから集団的措置や集団的自衛にいじめの片影を見るのかもしれない。
もちろんこれは確かな裏付けあったり理論に支えられるものではなく私の感じ方に過ぎないが、あながち的を外しているとも思えない。
数学では数字の集合と言うが集団とは言わない。ところが統計学において調査の対象となる数値は母集団と呼ぶ。

では集合的記憶とは何だろうか?
個人の固有な記憶ではないはずだ。
いくら一つ所に人が集まっていたとしても、ばらばらな個人的記憶は集合的記憶ではないだろう。



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by yumimi61 | 2015-07-26 12:48
2015年 07月 23日
日本国憲法の秘密-11-
選択 ~あの頃そこは出口であって入り口だった~

そう、あれは確かに横浜だった。
肉か魚かと訊かれ、私は魚を選ぶ。
クリスマスイブの日だったか、クリスマスの日だったか、それともクリスマスイブイブの日だったか、
とにかく冬だった。
街の匂いも彼とした会話も流れていた音楽もデザートの味も、ひとつ残らず覚えていると言いたいところだけれど、悲しいかな何も覚えていないのよ。
肉か魚かと訊かれ、私は魚を選んだ、銀色のうろこを一枚だけ残した「にじいろのさかな」みたいに、それだけが残っている。
その人にとって必要なものを覚えていて、その人が生きていくうえで必要ではないものを忘れていくとするならば、その魚は私にとってどんな意味があるというの?


國栖等之 春菜将採 司馬乃野之 數君麻 思比日  <万葉集1919 作者未詳>
国栖らが春菜摘むらむ司馬の野の しばしば君を思ふこのころ

駅から続く坂道を上ると直に小さなカメラ屋さんがあって、私はそのお店を知っている。
知っているというのは道すがらの店というだけでなく、カメラを買ったとか写真を撮った、そういうことでもなくて。
そのお店は私の中学の時の部活の顧問の先生の実家。
何年も何十年もそう思ってきた。
むろんそんなことをずっと考えているわけではなく、そこを通る機会も滅多にないので、何十年と言っても思い出したのは数えるほどだけれど、私の中のある特別な思いがその家を形作っていた。
教え子との結婚という少女達の無邪気で世俗的な噂と、反骨精神という先生が私にくれた言葉が、うまくシンクロしなかった。
その不一致さがカメラ屋に投影されたのかもしれない。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
ただ私が何か大事な記憶を失ってしまっただけなんだろうか。
お店に付いている名字らしき名前と先生の名字が一致しない。
こうなるとそこが先生の実家だという確証は何もない。
だけど私はそこで証明写真を撮ったことがあるのだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現9条を先にこちらで読み解いたので、今度は憲法9条までの変遷をみていきたい。
法律が完成するまでの変遷であり、法律施行後は改正されていない。

1945年8月15日 玉音放送、終戦。
1945年8月30日、マッカーサー総司令官は厚木飛行場に降り立ち、戦争犯罪人容疑者リスト作成を命じた。
1945年9月11日、GHQより容疑者に出頭命令。
1945年10月4日 GHQのマッカーサー総司令官は、自由を謳い、憲法改正を示唆した。
   この10月以降、内閣にて、さらには民間においても、憲法改正案が作られるようになる。

1946年2月3日、マッカーサー総司令官が三原則*を提示。
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)**を日本政府に提示。
   これ以降、「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」を作成する。
1946年3月6日、「日本政府改正草案」をマッカーサーが了承する。
1946年10月7日、改正案が帝国議会で可決される。
1946年10月12日、政府が枢密院に諮問。
1946年10月29日、日本国憲法が公布。

1947年5月3日、日本国憲法施行。
   以後今日まで一度も改正されたことがない。

1948年12月23日、死刑判決の下ったA級戦犯の死刑が執行された。



*マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則
(原文)
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
(日本語訳)
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


**マッカーサー草案(GHQ原案)
(原文)
Chapter II Renunciation of War
Article VIII  War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
(外務省仮訳)
第二章 戦争ノ廃棄
第八条  国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ

<外務省仮訳の口語訳>
第2章 戦争の廃棄
第8条 国民の一主権としての戦争はこれを廃止し、他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久にこれを廃棄する。
陸軍、海軍、空軍またはその他の戦力は決して許諾されることがなく、また交戦状態の権利は決して国家に授与されることはない。
<英語の日本語訳>
第2章 戦争の放棄
第8条 国権の発動たる戦争は廃止され、他の国との紛争を解決するための手段としての威嚇又は武力の行使は永遠に放棄される。
陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。

 (   )の原文と訳は転載したもので、< >の訳は私がしたものです。


マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則とマッカーサー草案(GHQ原案)の違いとしてWikipediaには次の7つが記されている。
1.マッカーサー・ノート第二原則第2文「even for preserving its own security(自己の安全を保持するための手段としてさえも)」に該当する部分が削除された。
これはすべての国は自国を守る固有の権利を有しており、自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当であるとGHQ原案の作成にあたった運営委員会の法律家らが考えたためとされるマッカーサーも後年の回想録の中で憲法9条は自衛権まで放棄したものではないと述べている。

2.「The threat or use of force(武力による威嚇又は使用)」の文言が加えられた。 これは前年に国際連合原加盟国によって調印されていた国連憲章2条4を受けたものとされている。
3.「forever(永久に)」の文言が加えられた。
4.マッカーサー・ノート第二原則第3文に該当する部分については修正ののち前文第2項冒頭に回されることとなった。
5.マッカーサー・ノート第二原則第4文に該当する部分については段落を分けないこととした。
6.「other war potential(その他の戦力)」の文言が加えられた。 これは第一次世界大戦以後の戦争が国家の総力戦となったことを意識したものとされている。
7.「any japanese force(日本軍)」から「the state(国)」に文言がそれぞれ変更された。



セキュリティについて

やはり目に見えて大きく変わった点は、1に記述されているようにsecurityに関する文言が無くなったことである。
その部分を比較してみる。訳は私。
(マッカーサー三原則の二)
War as a sovereign right of the nation is abolished. 国民の一主権としての戦争は廃止される。
Japan renounces it   日本はそれを放棄する
as an instrumentality for settling its disputes  紛争解決のための手段として
and even for preserving its own security.
(GHQ原案)
War as a sovereign right of the nation is abolished. 国民の一主権としての戦争は廃止される。
The threat or use of force is forever renounced 威嚇や武力の使用は永遠に放棄される
as a means for settling disputes with any other nation. 他の国民との紛争解決の手段として

and even for preserving its own security.
マッカーサー原則にあったこの言葉が削除された。
日本政府なのか誰なのか翻訳者は不明だが、三原則の邦訳として掲載されている文章では同部分が「さらに自己の安全を保持するための手段としての」と訳されている。
この文章の主語はJapanなので its ownは日本国自身となり、「日本国の安全を維持するための手段として」と訳せる。(主語がI であるならばmy ownで私自身の安全となる)
「日本国の安全を維持するための手段としての」戦争を行う権利を国民は有さないという意味になる。

its own security はもうひとつ別の訳し方も出来ると思う。
「独自の安全」や「独自の防衛(警備)」「独自の安全保障」といった訳し方である。
「独自のセキュリティを維持するための手段としての」戦争を行う権利を国民は有さないという意味になる。

さらに注目すべきはan instrumentality と a means の違い。どちらも手段という意味で用いている。
わざわざ英単語を変えた理由はどこにあるのだろうか?
この2つの英単語のニュアンスの違いはよく分からないが、 instrumentality は媒介する方法(媒体)、means は目的を達成するための方法という違いのような気がする。


日本は戦争に負けたのである。
敗戦国の日本に主権が回復したのは「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」「日米地位協定」が発効した1952年4月28日のことである。
日本国憲法が制定された時期は占領下にあり、日本には主権がなかった。信用もあまり無かったんだろう。
そのためだろうか「戦争は廃止される」など受動態になっていると思う。
分かりやすく云うと、マッカーサー原則はマッカーサー視点なのである。
「国民の権利としての戦争は私が断固廃止する。'戦争をする権利'なんていうものはない。また日本は紛争解決のための手段や独自のセキュリティを維持するための手段として戦争を行うことも自ら放棄しなさい」ということを言いたかったのではないだろうか?
すなわちマッカーサーは目的としての戦争を強く禁じた。
ここでの目的とは観念的且つ倫理的な考えによるもので、理性ないし意志が行為に先だって行為を規定し方向づけることを言う。
「そこに山があるから山に登る」ではないけれど、そういう権利を持っているから行使するんだというようなことになる。
戦争はそんなふうに行うべきものではないということが大前提にある。
その上で、問題解決の方法として戦争を用いることも日本は放棄すべきであると、マッカーサーは述べた。
裏を返せばマッカーサーは対抗手段として武力を用いることを完全に否定しているわけではないのだろう。
マッカーサーが挙げた問題は「紛争」と「独自のセキュリティを維持すること」であった。
主権がなかったとはいえ、マッカーサーは日本が自ら戦争を放棄する権利を尊重したように思う。

手段が目的に変わるとき 何かがその手から滑り落ちていく


意志未来

マッカーサー原則の後半部分。
It relies upon the higher ideals
which are now stirring the world for its defense and its protection.
日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。


この部分はare now stirring の訳が難しいですね!
「感激さえする医学書」のように「感激さえする防衛と保護の高い理想」でもよいかも。(よくない?)
またthe higher ideals(崇高な理想) が何を指しているのかも分かりにくい。(分かる?)
1945年10月24日に正式発足した国際連合(United Nations)なのか、それとも日本とアメリカが築き上げようとしていた独自の防衛保護システムなのか。

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


ここでは国民でも国家でもなく、主役は軍隊となる。
日本の軍隊が認可されることも、日本軍に交戦権が与えられることも、決してないと述べられている。
主役は軍隊だが国の軍隊は自然発足するわけではない。認可したり交戦権を与えるのは誰か?
国が編成した軍隊ならば、それを動かすのは国のトップであり、最高且つ最終的な責任も国のトップにある。
もちろんその下には幾人かのリーダーがいるだろう。その中には全権が与えられた者もいるかもしれない。
要するにこの部分は、日本のトップやリーダーに対して軍隊を編成したり軍隊に交戦権を与えるなと言っているのであり、それは私(マッカーサー)が認めないということでもあるのだ。
willは意志未来。どこからともなくやってくる運命的な未来ではなくて、自分で決める未来のことである。
トップからトップへの強い意思表示。

I will take a chance


マッカーサー原則とGHQ原案の比較

War as a sovereign right of the nation is abolished.  ←マッカーサー原則と同じ。

Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. (マッカーサー原則)
 ↓  ↓  ↓
The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation. (GHQ原案)


No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force. (マッカーサー原則)
 ↓  ↓  ↓
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State. (GHQ原案)


マッカーサー原則は個人的な視点で書かれた文章なので、「日本の憲法」として文章を整えればGHQ原案のようにJapanやJapaneseという言葉が除かれることは不思議ではない。
「It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection/日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」は若干微妙なのでこの省略も分からなくはない。
やはり一番の問題は「and even for preserving its own security」が省かれたことなのである。
マッカーサーの意図を汲みとりきれなかったのか、それとも誤解を生じやすいのであえて抜いたかどちらかになる。
実はその前のitsも重要である。このitsはJapanに掛かり、日本の紛争、日本に関係する紛争ということになると考えられる。

for settling its disputes (マッカーサー原則)
        ↓
for settling disputes with any other nation (GHQ原案)

マッカーサーの言わんとすることはわりと明確である。
日本に直接関係する紛争解決の手段としても、独自の安全保障を維持するための手段(つまりアメリカとの関係を維持するための手段)としても、日本は国権を行使する戦争は行うべきではないと言っているのだ。
つまるところそれは、紛争解決の手段としてもし武力行使が必要ならばアメリカが行ってやるし、またアメリカに気を使って(アメリカとの安全保障関係を理由に)戦争をする必要は無いということなのだ。
GHQ原案になるとこれがぼやけてしまう。


戦争と武力行使は同じものか?

マッカーサー原則では、「日本は紛争解決手段や独自のセキュリティ維持手段として国権を発動し戦争をすることは放棄すべき(意訳)」としたのに対し、GHQ原案では「紛争解決手段としての威嚇や武力行使は放棄すべき」とした。
Warという言葉を用いず、Warに掛かっていく文章にもなっていない。
「国権発動たる戦争は出来ない。他国との紛争解決手段としても威嚇や武力行使することも永遠に出来ない」
マッカーサーが使っていないforever(永遠・永久)という単語を挿入したくらいなので、並々ならぬ決意のようになる。
これが後世においてだいぶ威力を発揮してしまい、「日本は永遠に戦争を放棄する!」ということになってしまった。
 ♪永遠ていう 言葉なんて知らなかったよね~
しかしここでは「永遠に戦争を放棄する」とは言っていない。「紛争解決手段としての威嚇や武力行使は永遠に放棄される」と言っているだけである。
国権を発動して戦争を起こすことは出来ないが、他国が国権を発動して起こす戦争には参加できると解釈可能。

またマッカーサー原則が「日本陸海空軍は認可されず、交戦権が日本軍に与えられることもない」としたのに対し、GHQ原案は「陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない」と変更された。
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

この文章は前後半に分けることが出来るが、upon the Stateが前半部分にも有効となっている可能性がある。
「国における陸軍、海軍、空軍、その他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない」という意味になる。
国(日本)という枠でなければ、戦力になることが可能で、交戦権が与えられるとも取れてしまう文章なのだ。

そもそも考えてみてほしい。
武力による現状変更を認めない世界、平和を望む世界においては、日本に限らずどの国も軍隊は自衛隊と言えるのではないだろうか?
侵攻や侵略をしないという約束の下にあって、自衛手段としてのみ武力を用いるということならば、それは日本となんら変わりなくなる。
そうではないから軍隊と自衛隊があるのだと思う。
世界は戦争を否定していないのだ。


罪と罰と責任

死刑制度が存在していることは犯罪を思い止まらせることに貢献するのだろうか?
重罰厳罰は犯罪抑止力となるのだろうか?
自殺志願者と死刑の関係は?
核の保有は核の使用を抑止するのか?それとも戦争を抑止するのか?武力行使を思い止まらせるのか?
核の保有が核の保有を促進するということはないのか?
戦争の責任はどう取るべきなのか?
戦争を開始したこと、戦争を遂行したこと、戦争を終結に至らしめたこと、戦争に敗北したこと、どの責任が一番重いのだろう?
責任には義務と償いがあるとするならば、何をすべきて、誰に何を償うべきなんだろう?
責任と罰は同じものだろうか?
罰とは、復讐や懲らしめ、体罰、虐待の別名?恨みを晴らすための道具?
責任とは?自ら進んで復讐や懲らしめ、体罰、虐待を受けること?
日常で人を殺せば罰せられるけど、戦場で人を殺した兵隊は罰せられない?
戦地でのレイプや買春は?戦いで人を殺しても罪ではないけれど、レイプや買春をすれば罪?
殺人は罪が重いというのに死刑と称して人を殺すことは無罪?
罪があるとするならば死刑執行者と死刑宣告する人どちらがより大きな罪?
もし冤罪だったら、裁判官は罪を犯したことになってきちんと罰を受けるの?それとも責任を取るの?


大川周明 (梅毒による精神障害が認められ訴追免除)
東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。

東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。東條は最初は苦笑していたものの、何度も叩かれたため睨みつけたという)、「インダー・コメンジー!(「Inder kommen Sie!、ドイツ語で「インド人よ来たれ」の意。アメリカはインディアンを収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。

15分間の休廷中、オーストラリアのウェッブ裁判長は大川を精神異常と判断し、1947年4月9日、彼を正式に裁判から除外した。大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、松沢病院に転院)、主治医の内村祐之により梅毒による精神障害と診断された。その後の精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院での入院が続いた。入院中、以前より念願であったクルアーン全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後まもなく退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。

その後は、神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、「瑞穂の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。大川の墓銘は歴史学者平泉澄の揮毫。oh....



責任が免除されたり軽減されたりする場合はどういう時か?
精神障害者とか未成年とか・・・。

現行刑法では、心神喪失者と認められれば無罪、心神耗弱者と認められれば減刑がなされる。
実際には起訴段階で精神鑑定がなされ、責任能力なしと判定されれば起訴されず不起訴になる。
刑法には責任能力がない者の行為は罰しないという規定がある。
善悪の区別が付かず罰に懲りる理性もないかもしれないから、刑罰に懲りさせて再び犯罪を行わないようにし社会復帰させることは意味がない。必要なのは罰よりも治療、こういう論理である。
でも死刑だったら懲りて反省することも更生も無関係となる。
再び犯罪を行わないようにするという意味において一番効力があるのは疑いようもなく死刑である。
それを思えば死刑には責任能力の有る無しは関係ない気がするが。
懲りる懲りないというよりも、悪意を持って犯罪に至ったわけではなく、病によって起こしてしまったことだから罪はないという考えなのだろうと思う。
やむを得ず’やってしまった’から罪はないという正当防衛に通じる。
兵隊の戦場での殺人が裁かれないことにも相通ずる。「職務を遂行しただけだから」「やりたくなかったけど戦場だから仕方なく」「殺さなければ自分が殺されてしまう」「命令だから嫌でも逆らえない」
(みんなオリンピックを開催したくなかったんじゃないの?)







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by yumimi61 | 2015-07-23 15:27
2015年 07月 22日
日本国憲法の秘密-10-
湾岸戦争のトラウマ!?

湾岸戦争が終結した際、クウェート政府は戦争に参加したアメリカなど30ヶ国に対して謝意を示す全面広告を米紙に掲載したそうだ。
そこに日本が含まれていなかった。
仲間外れにされた気分にでもなってしまったのだろうか。
その後これが「湾岸戦争のトラウマ」として語られるようになる。
日本が「国際貢献」や「国際社会との強調」、「世界の中の日本」「グローバル」をやたら強調したり意識し、英語至上主義や英語崇拝に突っ走ったのは、湾岸戦争のトラウマが大きかったのだろうか?

文民統制の真相 『湾岸』トラウマ 2007年8月22日東京新聞

「クウェート感謝広告事件」というプロパガンダ

その紙面がインターネットにありはしないかと日本語でも英語でも探してみたが見つからなかった。
日本にとっては外国の紙面ということになるし、そもそも1991年のことであってカメラやパソコンやインターネットが今のように普及していない。だから存在しないということか。
日本以外誰もそんな紙面気にしていなかったりして?
本当に掲載されたんでしょうね?

子供のいじめ問題に絡み、「狭い価値観と人間関係しかない狭い世界に留まらず、世界に、広い世界に飛び出したほうがいい」と言う人がよくいる。
著名人のいじめへの提言などで非常によく見かけるアドバイス(?)である。
だったらそれを湾岸戦争のトラウマにも当てはめたらいいじゃないかと思う。
「世界には何百という国がある。たった30か国に入らなかったくらいでどうってことはない」、上記アドバイスに従えばそういう考えに至るはずだ。
「徒党を組んで弱い者いじめをしているグループの仲間に加わることはない」、そうではないのか?
大人のいじめへの提言は上澄みであり、混ざり合って乱れた子供達の心にはまずほとんど効果ない。
人はそれぞれ居る場所が違う。その人がいる場所がその人の世界なのだ。大人であっても子供であっても。
広いとか大きいというのはその人の主観であり、感じ方は人それぞれ。比較には意味がない。

その人にとって広い世界に飛び出すのではなく、より狭い世界に行ったほうがいじめは少なくなる。
人が多ければ多いほど徒党を組みたくなるものだし、様々な違いがあって対立が生まれる。
10対1よりは、1対1のほうが親密になりやすいし、10人の中で1人と親密になっていくことよりは、1対1の関係において親密になるほうが客観的には健全だ。
「引き籠り」はいじめのない世界である。
ただ引き籠った世界にインターネットを繋げてしまうと、世界が広がってしまうので引き籠った意味が薄れる。
空想の世界に羽ばたけ。

昨今1対1で喧嘩できる人は少なくなっているように思う。
グループを作り、集団を作り、空気を作り、社会を味方に付け、喧嘩を吹っかけたり喧嘩に便乗する。
インターネットのブログでもSNSでも対面せず誰でも気軽に書き込める所では些細なことで炎上してしまう。
でもメールで苦情を送り付けてくる人というのはあまりいない。
面と向かって自分の思うことを言う人は思うほど多くない。
インターネットに限らず、テレビでも本でも雑誌でも手紙でも、何か媒体を通して物を言う。
ブログやSNSが廃れないということは、実はみなどこかでいじめや喧嘩をしたい願望を持っているのではないかと思ってみたりする。
または美辞麗句嘘偽りではなく本当のことが知りたいと思っている。怖いもの見たさ。
そうでなければ、いじめや喧嘩があることが分かっていてもそこに居たい、孤独にはなりたくない、仲間でいたいという気持ちがあるか。
人間の会話の方法が進化して、インターネットは媒体ではなくもはや人間や日常の一部に組み込まれてしまった、そう考えることもできる。遠い将来人は声を失うかもしれない。そうなればさらに遠い将来聴覚を失うだろう。
悪い部分が強調されることが多いが、今のところはインターネットでのやり取りには一定のガス抜き効果があるようにも思う。
子供も大人も個人でも国でも、ただ器の大きさや場所が違うだけで、その中で起こることには大した差はない。
子供が大人になるのだから、大人が子供を育てるのだから、それはそうだろうと思う。


ある少女の虚偽証言

「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。

当初はアムネスティ・インターナショナルや避難民からの証言により、裏付けの取れたものであった。しかし、クウェート解放以後、マスコミが同国内に入り取材が許された結果、新生児の件は虚偽であった事が発覚。また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字がアッ=サバーハであり、当時クウェート駐米大使であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハの娘との事実が明らかになった。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた、ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための市民運動広報キャンペーンの一環であったことが判明した。
  <Wikipediaナイラ証言より>

ナイラの涙
・アメリカの湾岸戦争への介入 -ナイラという少女の証言の嘘-(画像あり)
・メディアリテラシーを僕が説く訳 #ナイラ証言(長谷川豊さん公式ブログより)

ナイラ証言に関するブログ記事などを読んでいると、時々イラクによるクウェート侵攻と湾岸戦争がごちゃ混ぜになっていることがある。(上にリンクしたブログではない)
証言を行ったのはクウェートがイラクに占領された後のことだから、嘘であることは悪いが戦争に影響を与えたわけではないという見解が示されているのだ。
イラクによる侵攻が始まったのは1990年8月2日で、同月8日には併合が発表された。
「力による現状変更は認めない!」と言ったかどうかは分からぬが、強国や国連は「私達はクウェートの味方、勝手なことは許さない」と一致団結し経済制裁やらなんやらを発動した。
歴史は繰り返すと言うとけれどロシアとウクライナの時も同じような感じではなかったかしら?
この段階はまだ戦争ではない。

国連安保理が言うことをきかないイラクに武力行使することを決めたのは1990年11月29日のこと。
国際連合は、アメリカやイギリスを中心とした34ヵ国からなる多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆し侵攻して湾岸戦争は始まった。
イラクがクウェートに侵攻し占領してから5ヶ月後のことである。

直接関係ない国が戦争を始めるというのはやはり道義を欠く。
強国もそのことを十分に分かっているのだ。
いくら軍隊を保有しているからといっても、すぐさま戦争を始められるわけではない。
それぞれの国にはそれぞれの国民がいて戦争反対者も少なくない。費用もかかること。
1つ間違えばそれこそ自爆する。自国が崩壊しかねない。
アメリカなどはベトナム戦争の悪夢が蘇るだろう。
よって最低限国民の支持を得ることが必要になる。最低でも戦争への空気を作る時間が必要なのだ。
それに利用されたのがナイラ証言だったということになる。

憲法9条が存在する上でのPKO協力法や特措法では迅速に派遣することできないとの声が強く、これまでも改正が検討されてきたわけだが、海外派遣に限れば迅速性はそれほど必要ない。
湾岸戦争も侵攻から戦争までには5ヶ月もの時間を擁している。
国連決議も必要だし、各国それぞれ自国での調整や準備があるはずだ。
迅速に派遣できないから法改正が必要というのは言い訳に過ぎない。

緊急に出動しなければならないのは、自国領土への侵攻や攻撃があった時。
イラクに侵攻されたクウェートは迅速に対抗する必要があった。
あさま山荘に武器を所持している過激派が立て籠もったら、管轄の警察やら自衛隊が出動する。必要によっては救急車や消防車なども。
長野県だけでは人員が足りないので群馬県からも派遣してもらいましょうということがあるだろう。
だけど普通に考えたら外国の警察や軍隊は来ない。
でももし「日本だけではどうにもならないので多国籍軍か平和維持軍を出動させてください」と日本が国連に依頼すれば来てくれるだろうか?
アメリカを中心とした多国籍軍はあさま山荘に空爆し戦争が始まった。そうなる?
過激派だけでは多国籍軍は来てくれないか。
じゃあもしも自衛隊の幾つかの駐屯地が反旗を翻して国会や放送局などを占拠し、「この国は我々がもらった」とか宣言したらどう?来てくれる?
残りの自衛隊と在日米軍で何とかしなさい?


ナイラ、マララ、ラララ!?

ナイラと同じように、少女が表に立ち世論を誘導したことがあった。マララである。
マララは自身が事件の被害者となった。
そして実体験の告白とそれに支えられた主張を展開した。

マララさん タリバン銃撃乗り越え国連演説全文「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」 (2013年7月13日)

マララ・ユスフザイさんは1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート地区(マラカンド県)に生まれた。父親のジアウディンさんは私立学校を経営する教育者で、マララさんもこの学校に通い、医者を目指していた。

同地はイスラム保守勢力が強く、07年には反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)が政府から統治権を奪い、09年まで実効支配している。イスラム過激派のTTPは女性の教育・就労権を認めず、この間、200以上の女子学校を爆破したという。

09年1月、当時11歳だったマララさんは、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、こうしたタリバーンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿。恐怖に脅えながらも、屈しない姿勢が多くの人々の共感を呼び、とりわけ教育の機会を奪われた女性たちの希望の象徴となった。

同年、米ニューヨーク・タイムズも、タリバーン支配下でのマララさんの日常や訴えを映像に収めた短編ドキュメンタリーを制作している。11年には、パキスタン政府から第1回「国家平和賞」(18歳未満が対象)が与えられ、「国際子ども平和賞」(キッズライツ財団選定)にもノミネートされた。

2012年10月9日、スクールバスで下校途中、武装集団に銃撃され重傷を負った。現地で弾丸摘出手術を受けた後、イギリスの病院に移送され、一命をとりとめたが、15歳の女子学生を狙い撃ちにしたテロ事件は、世界中に大きな衝撃を与えた。犯行声明を出した反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)は、教育権を求める女性の「反道徳的」活動への報復であり、シャーリア(イスラム法)に基づくものとテロ行為を正当化している。


パキスタンは先日書いたとおり、PKO主要軍事・警察要員派遣国ランキング3位の国である。
国連とはそれだけ繋がりが強いということだろう。
マララの父親はパキスタンで教師をしていたそうだが、事件後はマララとともにイギリスに渡り、父親はパキスタン領事館に勤めているそうだ。
私はこのマララ事件にも疑念を抱いている。
この事件については以前こちらに書いた



少女の証言と少女の演説、少年の主張

マララ事件に疑惑を持っている人は少なくない。
ナイラ証言が引き合いに出されることも多い。(例:マララさんは本物か?
ナイラと違うことはマララのそれが「証言」と言われないことだ。

証言とは何か?
事柄が事実であることを言葉によって証明すること。特に,証人として体験した事実および、それに基づいて推定した事項について報告すること。また、その言葉。(大辞林第三版)
①ある事柄の証明となるように、体験した事実を話すこと。また、その話。「マスコミに事故の有り様を―する」②法廷などで証人が供述すること。(デジタル大辞泉)


証という漢字が付いていることから分かるように証明の要素を持つ文言となる。
嘘か本当か、それに値するか否か、このように判断材料の1つとなるのが証言である。
一番分かりやすい証言は裁判におけるものだろう。
ナイラは「イラクはもクウェートで酷いことをしている。報復に値する、戦争をするべきだ」ということを証明してみせた。

11歳だったマララは英BBC放送のウルドゥー語ブログに、タリバーンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿したという。
マララは告発者ということになる。

告発とは何か?
①悪事・不正などをあばくこと。②犯人および告訴権者以外の者が捜査機関に対し犯罪事実を申告して、その捜査と被疑者の訴追を求めること (大辞林第三版)
ちなみに内部告発というのは、組織内の人間が自らが属する組織の悪事や不正を公にすること。
告発する人間というのは多くの場合、自身はその出来事に直接関係していないことが多い。
マララはスクールバスで撃たれて直接の関与者、被害者となった。
被害者は供述もできるし証言もできる。体験を語ることも感想を述べることも可能。非難や陳述、主張も自由だ。
しかしそれでも「マララ証言」と言われることはほとんどない。「マララ国連演説」になった。
「ナイラ証言」によほど懲りたのか?

証言に関連して気になるのが、NHKの『あの日 わたしは ~証言記録 東日本大震災~』というミニミニ番組である。
いったい何を証明しているのか、証明したいのか、気になるところである。





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by yumimi61 | 2015-07-22 13:04
2015年 07月 21日
日本国憲法の秘密-9-
今日はかまちの誕生日だ。
1960年7月21日夏の始まりに生まれ、 1977年8月10日夏の最中に死んだ。

まとめ:早熟の天才・山田かまち 感電死事故の真相

かまち君には何の恨みもないけれど、「かまち」と聞くとついつい「かまいたち」を思い出してしまう。

ひと月ほど前、うちの猫のナツの前足の付け根の内側部分がぱっくりと開いていた。
人間で言えば腋下。えきか・・?
私が気付いた時には出血も腫れもなくただ切れていて深く開いていた。
その時も「かまいたち」のことを思い出したんだ。

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恒久法と特別措置法

前述したとおり「PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)」は恒久法である。
憲法第9条1項の「永久にこれを放棄する」の「これ」を単に戦争や武力行使と捉えた場合、国連の平和維持活動や平和維持軍への参加がかなり不味いことになってくる。
そこで有効期限を設けた特別措置法という法律を作って自衛隊を派遣した。
「期限付きであり、永久に参加するわけではない。永久に戦争を放棄するという精神を捨てたわけではない」
こうなればどう考えても苦し紛れとしか思えない。

これまで3つの特別措置法が制定された。

1.テロ対策特別措置法(平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法)   (  )内は説明ではなく法律の正式名称

2001年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ事件」を受け、2001年10月5日に政府(小泉内閣)が法案を提出し、同月29日に成立・制定された。
施行・公布は2001年11月2日で、1週間後の11月9日には海上自衛隊の艦船3隻がインド洋に向けて出航した。
2年間有効の時限立法であったが、2003年10月に2年延長、2005年10月に1年再延長、2006年10月に1年の再々延長が行われた。
さらに延長するかどうかが注目されたが、9月12日に小泉首相を引き継いでいた安倍首相が突然辞意を表明し国会が空転したため、本法の改正(有効期限延長)が日程的に困難となり、そのまま2007年11月1日に失効を迎えた。

2.イラクの人道復興支援特別措置法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)

イラク戦争後のイラクの非戦闘地域で、積極的に人道復興支援活動・安全確保支援活動を行うことを目的に、政府(小泉内閣)が2003年6月3日に国会提出、7月26日未明に成立した。
4年間の時限立法だったが、2007年3月に2年間延長することを決定。2009年7月に失効した。
イラク特措法とも呼ばれる。

3.新テロ特別措置法(テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法)

1のテロ対策特別措置法の失効を余儀なくされたため、2007年10月17日に後継の法律としてテロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案が提出され成立。
2008年1月16日施行。1年間の時限立法。2008年12月に1年間の延長決定。
2009年9月に民主党・鳩山内閣において更なる延長はしないことが決定し、2010年1月16日に失効した。
補給支援特措法とも呼ばれる。


もう一つの言い逃れが「非戦闘地域への派遣」だった。
非戦闘地域は後方地域とも言い換えられる。
私の憲法9条解釈ならこのような矛盾は全て解決する。どんな角度から見ても一番無理がない解釈なのだ。

イラク特措法を巡る国会審議では「戦闘地域」とそれ以外とをいかに分けるかが問題となったが、そもそも「戦闘行為」が「国際的な武力紛争」と定義されている点も問題であると指摘される。政府は国際的な武力紛争は「国あるいは国に準ずるもの」間の武力行使であると答弁した(2003年7月4日衆議院特別委)。また、首相(当時)の小泉純一郎は「自衛隊がいるところが非戦闘地域」「どこが戦闘地域かなど私に分かるわけがない」という答弁を行った(逆に考えれば自衛隊がいない・いられない地域は戦闘地域である)。

今後、「戦闘ではない」として、この法律の解釈・運用が自衛隊の内戦“戦場”派遣への前例になると指摘する声がある(現に“ソマリア沿岸の海賊対策”を口実に、2011年、自衛隊初の在外基地がアフリカ・ジブチ共和国に作られた)。2007年10月に民主党は、自衛隊イラク派遣を終了させることを目的として「イラク復興支援特別措置法廃止法案」を参議院で提出したが廃案となった。

・非戦闘地域とは、一般的には「直接武力攻撃を受けない地域」を意味する。日本は憲法で戦争を放棄しているため、自衛隊は各法令を根拠に「非戦闘地域でしか行動できない」と定義され、ここで人道的支援、または戦闘中の他国の軍の後方支援などを行っている。

非戦闘地域の考え方は、周辺事態法中の「後方地域」の定義のなかで示され、自衛隊インド洋派遣のテロ特措法、自衛隊イラク派遣のイラク特措法にも引き継がれたもので、次の定義によるものである。
「現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域。



グローバリズムの罠

実はこれまで政府などが主張していた「非戦闘地域(後方地域)における後方支援だから問題がない」という正当性には問題があった。
上に転載した非戦闘地域の考え方は、周辺事態法中の「後方地域」の定義のなかで示され、自衛隊インド洋派遣のテロ特措法、自衛隊イラク派遣のイラク特措法にも引き継がれたもので、、、という部分の周辺事態法がまず問題である。
何故かと言えば周辺と限定しているからである。
我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等、我が国周辺の地域における、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に際しては、後方支援活動ができると定めているのだ。
中東やアフリカは周辺ではないだろう。
我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態でもなく、我が国周辺でもない地域に、自衛隊を派遣して活動させることの根拠にはならない。
国連の平和維持活動に参加すれば全ては崩れてしまうのだ。
また理屈っぽいことを言えば、周辺とは単に地理的なものか、それとも関係性も含めた周辺か、重要な影響とは侵攻や侵略などが予想されることか、それとも経済的損失などを含めるのかという違いもある。
そこで周辺事態法からも周辺を外し、アメリカに限らない外国との連携強化を謳った。
さらにこれまでのPKO協力法を大幅に改正し、国連絡みの新法を作った。


周辺事態法の法律名と目的部分の改正
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周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
(目的)
第一条  この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「周辺事態」という。)に対応して我が国が実施する措置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする。

 ↓     ↓     ↓

重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
(目的)
第一条 この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「重要影響事態」という。)に際し、合衆国軍隊等に対する後方支援活動等を行うことにより、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用に寄与することを中核とする重要影響事態に対処する外国との連携を強化し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする
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by yumimi61 | 2015-07-21 13:44