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2015年 11月 30日
日本国憲法の秘密-116-
※追記しました。(12月1日)

形のこと

国家が大きくなったり、国民が多民族である時には、共和制(国民主権)は難しくなる。
何故かと言えば、国が大きくなれば国の端から端の距離が長くなるからだ。それはそう物理的な問題である。
人間が宇宙の物質である以上、物理的な事柄からの影響は不可避。
距離があれば親近感を得にくいのは仕方ないこと。
縁も所縁もないものに感情移入することは難しい。
逆に縁や所縁があるものに感情移入しやすいのは、自分と対象との間に「投影」という現象が起きているからである。

ではその縁や所縁は強固なものなのかと言えば、そうでもない。
「遠くの親戚より近くの他人」という諺があるように、距離の近さが血縁的な縁を超越することは日常的に見られる。
縁者よりも赤の他人との関係が強く頼りになるというのでは何かと不味い、そう思った人がいたのだろう。
そこで血の繋がりのみならず単なる巡り合わせも「縁」と呼ぶことにした。
「ここでお会いしたのも何かの縁かもしれませんね~。袖振り合うも多生の縁といいますから」などと言うことがあると思う。(死語?)
「袖振り合うも多生の縁」という諺は、縁も所縁もない見ず知らずの人とたまたま道ですれ違って袖が触れ合った、電車やバスで隣りに座った、そんな出会いも単なる偶然ではなく、実は前世からの深い因縁であるという意味。仏教の教え。
そうでも言わなければ「血縁的な縁」の立つ瀬がない。
一方、血縁を優性と考えれば、血縁者以外と結婚して子供を生むなんて思い切ったことはなかなか出来なくなる。
だから「赤い糸」で繋がっていたとかなんとか言って、それを宿命と思い込ませ、縁組をする。
その昔、結婚話は「縁談」であった。「縁」を結ぶための落としどころを探ったわけである。
袖振り合うも多生の縁の「多生」を「他生」と書くことがあるが、「血縁(輪廻転生)」か「単なる巡り合わせの縁」かの違いであろう。
宿命と運命という言葉の使い方も曖昧だが、本来は前者が」宿命」、後者が「運命」だろうと思う。

話が大きくなってしまったが、国が大きくなるということは、縁のない土地や人が増えるということである。挙句のはてに距離もできる。
全国民に対する宿命や運命の人の割合は、国家が大きくなるほど小さくなる。それはつまり国の一体感や団結力が弱まるということである。
大きな国のあちらこちらで好きな事をして勝手にふるまうようになる。しかし多くの場合、一人一人や小さな集団に悪意はない。それが「私」であり「私達」なのだ。
国家運営は困難を極める。

土台をどんなに広げようとも一人一人の人間が縁を感じられる範囲は限られている。
全ての人を特別にしてしまえば特別の意味がなくなる。特別を与える側も与えられる側にとっても恩恵がなくなってしまう。恩恵がないところに特別性は感じられない。これが人間である。

民族が違う場合にはやはり血縁的な縁を感じにくい。
人間は形に弱いので、見た目や言葉の違いは親近感を阻害する。
一方、「形に弱い」ということは、逆に利用できる。
目に見える物、例えば金や土地や建物やメダルや賞状などを与えてくれる人には親近感を感じやすくなる。
遺伝子を目に見えるものにしたから(目に見えるように扱ったから)、多くの人が信じて疑わなくなるのだ。
姓(名字)なんかもある意味「形」だと思う。

(まとめ)知らない者や見えない者に投影されることはない。


ローマ帝国という手本

ローマ帝国の始まりは、都市国家連合であった。
まずローマという都市国家があった。
ローマはイタリア半島の他の都市と同盟を結んだ。これでローマ都市国家同盟国(連合国)が出来た。
さらにイタリア半島の外に出て領地を獲得し、それは新たに属州と呼ばれた。
属州となった地域(国家)にはもともと君主がいて統治が行われていた所も多い。
こうやって都市国家ローマは帝国を形成していったわけである。

イエスが誕生した地で、現代のパレスチナとイスラエルにあたる地区は ローマ帝国の属州(ユダヤ属州)だった。そして問題児だったのだ。
ローマ帝国の属州になる前はユダ王国で、その前はイスラエル王国だった。
王国という名で分かるように君主である王が存在したのである。


数的には民衆のほうが圧倒的に多いわけだから、君主制はいつの時代も人気がない。
民衆が多くなればなるほど君主の危険性は増す。
ローマ帝国にも共和制の時代があった。それまでいた王を追放して共和制に移行したのだ。
しかしローマ帝国が拡大するほどに共和制の難しさに直面することになった。
それはすべて紀元前のことである。
「再び君主制派」と、「このまま共和制派」が衝突し、君主になろうとする者は暗殺された。
苦肉の策が、実質的には皇帝だが、建前としては共和制を維持するというものだった。
そんなわけで初代皇帝は細心の注意を払った。

彼は暗殺されないために最高権力者を連想させる振る舞いを極力避けた。そんな彼にとって直接の職権を伴わないこの「プリンケプス」という名誉称号は表向きとしては格好の隠れ蓑となった。
統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。1つ1つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。こうした地位について「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。


このような体制を後世において、プリンキパトゥス(元首政)と呼んだ。
そうとなれば、元首とは「共和制(国民主権)の仮面をかぶった君主(皇帝や王)」ということになりそうだ。いろいろ事情はあったにせよ。
これを踏まえれば、現代における「君主は元首である」という見解にも納得がいく。
元首である大統領は実質的には皇帝で、君主の存在する国の首相は元首ではない。
一般論と辻褄があう。

さらにローマ帝国は、血縁による世襲、養子による継承、軍人による皇帝など試行錯誤し、284年に堂々とした君主制に移行した。
この時に既存の属州はおよそ100程度に再分割し、属州総督の権力を削減し、強力な官僚制を作り上げ、皇帝が官僚を通じて人民を支配する体制を作り上げた。
これが「専制君主制」と言われる。
聖書が正しければ、この時にはもうすでにキリスト教が興っていることになる。
ローマ帝国の君主体制は、日本の体制に似ている。
日本は専制君主制なのではないだろうか、そう言えば、憲法があり天皇の存在が明記されていると反論されるだろう。
しかし天皇が「君主」であることは明文化されていない。
「日本国と日本国民統合の象徴」という極めて曖昧且つ意味不明な人物として記されている。
従って、建前は国民に主権のある共和制だが、実質的には「憲法にはとくに規定されていないが、国家統治権を君主あるいは少数の者が独占し、かつ恣意的に行使する政治体制」である専制君主制であると考えられる。

君主制に移行したローマ帝国だが、それでもやは国が大きくなりすぎてなかなか上手くいかなかったらしい。
ローマ帝国は何度か西と東の分割統治を試みている。
395年にも西と東で分割した。これが後世において「西ローマ帝国」「東ローマ帝国」と呼ばれることになる分割である。西側の滅亡により再びの統一はなかった。
395年の分割は皇帝が領地を分けて自分の息子2人に託したものであるが、どちらも無能だったと厳しい評価。
東側r担当の兄17歳、西側担当の弟10歳での皇帝継承だったから仕方ないと言えば仕方ない。
堂々とした君主制に移行して200年余り、476年に西側は統治能力を失い、領地も失うこととなった。


ローマ帝国の凄さ

ローマ帝国の凄さは領地の大きさではなく、記録を残したことだろうと私は思っている。
紀元前の出来事から今日に至るまでの国のありようが、王や皇帝の名前を含めてリアルに語られる。
神話や聖書や古事記といったものとは少し違って、現代人でも現実のこととしてすんなりと受け入れやすい。
それほどの記録を残していたとすれば圧巻。
後世で多少創作したとしても、先見の明があることには変わりない。(19世紀くらいのことだけど?)(いやいや何を言っているんですか、20世紀ですよ?)
創作ではなく訳の妙だろうか。
今はもうほとんど使われなくなったラテン語で記されており、そのラテン語文書はバチカンに眠っている、そうということだろうか?
ラテン語が消えていったように、漢文や漢字も消さなければならない?




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by yumimi61 | 2015-11-30 12:34
2015年 11月 29日
日本国憲法の秘密-115-
長い戦い

東ローマ帝国は1453年についに滅亡した。
直接的に滅ぼしたのはオスマン帝国である。
東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会、東ヨーロッパのセルビアやアルバニアといった国に継承された。
またローマ帝国の後継を自負していた神聖ローマ帝国とハプスブルク家も「双頭の鷲」を使用していた。
神聖ローマ帝国後のオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ国なども継承した。

1472年、モスクワ大公国(ロシア帝国の前身)は君主の妃に、東ローマ帝国最後の皇帝(ラストエンペラーですね)の姪を迎えた。
この時にモスクワ大公国も「双頭の鷲」を採用し、この頃から君主制を強めていった。
すでに東ローマ帝国は滅亡していたが、モスクワこそが西でも東でもない第三のローマであり、ローマ帝国の最後の砦と謳った。
1497年には、早々にローマ帝国の後継国であると自称しローマ教皇(ローマ皇帝ではない)にも認められた神聖ローマ帝国と同等の主権をモスクワ大公国も持つと宣言した。
西の神聖ローマ帝国と東のモスクワ大公国が新たな2つの頭だと言えばまだよかったのだが、「西でも東でもない第三のローマ」ではモスクワ大公国が旧ローマ帝国領地を支配すると言っているようである。
それはおそらくカトリック・ローマ教皇への挑戦状であったのだろう。

当初は「ツァーリ」(東ローマ皇帝を意味するロシア語)を名乗ったが、対外的な力も付け、1721年に皇帝「インペラートル」(ローマ帝国皇帝を意味する)を宣言し、ここにロシア帝国が始まった。
日本が日露戦争に勝利したのは1905年。東欧の帝国と東亜の帝国が衝突し、東亜の帝国が勝利した。
現代から振り返れば、それは第一次世界大戦前夜だったのだろう。
ロシア帝国が崩壊したのは1917年。第一次世界大戦中に起こった二月革命による。
ロシア社会民主労働党の多数派、ウラジーミル・レーニン率いる過激派ボリシェヴィキは、臨時政府を転覆させ、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 (1936年にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に改称)を設立した。
反革命勢力との内戦にも共産主義が勝利し、1922年、ウクライナおよびザカフカースとともにソビエト社会主義共和国連邦を形成した。
ロシア帝国との戦いに勝利したことに大日本帝国は酔い、ロシア帝国を滅亡させた過激派に焦がれたのが日本の過激派だった。

共産党一党制のマルクス・レーニン主義国家は1991年クーデターによって崩壊した。
その間には第二次世界大戦があり、冷戦があった。
1989年12月2日~12月3日、冷戦終結の会談と宣言を行った地が、マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の名称の由来でもあるマルタ島だったことは前述したところ。
その前月にはドイツのベルリンの壁が崩壊していた。
マルタ島はカトリック十字軍の拠点であった島である。マルタ共和国はその後イギリス連邦加盟国となった。
ソ連を成立させた革命家らは無神論を奉じていた。ソ連時代は正教会すら弾圧していた。
マルクス、ニーチェなど19世紀の著名な哲学者は神の存在を否定していたのだ。
無神論者のソ連とプロテスタントのアメリカがカトリック十字軍のゆかりの地で会談し仲直りするということは、なかなか興味深い。
東西ドイツが、ソ連が、そしてアメリカが譲歩した。
カトリック・ローマ教皇の勝利かもしれない。


同盟国家と連邦国家

ソ連と略して呼称することがほとんどなので「ソレン」あるいは「ソビエト」が1つの国家名称のような感じになってしまうが、連は連邦の連である。
「ソビエト社会主義共和国連邦」(通称:ソ連・ソビエト)という連邦国家の中には、それを構成する共和国があった。
そのリーダー格というか本土というか、それがモスクワを首都にした「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」(通称:ロシア)だった。
ソ連崩壊後にソ連の国際的権利などを継承したのはロシアである。

連邦という語は固有名詞ではなく日本語に訳す時にニュアンスが変わってしまう。
ソ連の場合は、連邦ではなく同盟や結合のほうが本来の単語の意味に近いのではないだろうか。
志を同じにする幾つかの社会主義共和国が集まった「ソビエト社会主義共和国同盟(国)」と称した。
同盟国家の場合、構成する国々(共和国)はそれぞれ君主や統治者がいて議会などがあり独立しているのが基本で、同盟を構成する国々(共和国)は同盟内において平等の権利を持って然るべき。
同盟国家の大統領は同盟構成国の君主や統治者から選出し、議会は構成国から代表者を出す。
これが本来あるべき同盟国家の姿。
同盟国家形成にまで至らないのが、戦争時などにみられる同盟国や連合国である。

連邦国家の場合は、構成する国(領邦)の自立独立度が同盟国家の構成国には及ばない。
また各構成国(領邦)の自立独立度や規模の差が大きい。
そこで連邦国家の大統領や議員の選出は、構成国の君主や統治者や代表者から選ぶという方法ではなく、連邦国家を1つの単位として選挙を行う。
これが連邦国家であると思う。
戦争時の同盟国や連合国の流れを汲んで設立された国際連盟や国際連合は加盟国の規模に差があるということで、連邦国家に似ている。

アメリカも連邦国家(連邦共和国)であるが、政党ありきの選挙となっている。
日本も都道府県が存在するのだから連邦国家と称したほうがよいと思う。
江戸時代などは幕府の世襲制を除けば同盟国家に近かった。
古代の日本(大和国)もおそらくそんな形式だったのではないだろうか。
国家の名称や謳う形式に対して実態がどうであるかはまた別の話なのだ。

ソ連を構成した共和国は図を参照。ウクライナはかつてソ連を構成していた共和国の1つである。
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さらに立場的にはソビエト連邦構成共和国よりも低い自治共和国なるものがあった。
例えば「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(通称:ロシア)には1987年時点で16の自治共和国が存在した。
ソ連―共和国―自治共和国ではなく、ソ連―共和国・自治共和国、といった関係になる。
同じ同士・同志である共和国だけどやや規模が小さいですね、くらいな感じだろう。

現在のロシアも正式名はロシア連邦であり、85の地方行政体(連邦構成主体)からなる連邦国家である。
85の内訳は、46の「州」、9の「地方」、3の「連邦市」、22の「共和国」、1の「自治州」、4の「自治管区」となっている。
このうちクリミア共和国とセヴァストポリ連邦市はウクライナと帰属係争中。


対峙するもの

国家の形態と名称が必ずしも一致せず曖昧なところがあるように、王と皇帝の定義もややあやふやである。
王(King)とは一国の君主のことで、皇帝(Emperor)は帝国の君主であるというのが一般的だろうか。
帝国とはそれぞれに君主がいる複数の国や地域(自治領)、多民族を支配下においた国であると考えられる。
日本の天皇は皇帝に分類される。皇帝の権威は王よりも上でなので、天皇は世界一の権威者であり、世界最強と言われることがある
でも皇帝が上記の定義だとすると日本の天皇は皇帝ではないはずだ。もはや大日本帝国ではないのだから。
それとも国璽と同じように今なお大日本帝国であるということなんだろうか?
まさか都道府県が国家扱い?
それとも北海道や沖縄が他国扱い?

皇帝や王がいるということは、それだけで君主制である。
後は皇帝や王がどれほど権力を持っているかによって区別される。
君主(皇帝や王)が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使できるようであれば「絶対君主制」。
君主の権力が憲法などで制限されている場合には「制限君主制」。
どれくらい制限されているかといった程度は関係ない。
何か少しでも制限されていれば、それはもう制限君主制である。

「絶対君主制」の反対は「制限君主制」であって、「立憲君主制」ではない。
例えばだけれど、憲法によって君主の絶対性が規定されていれば、絶対君主制であっても立憲君主制なのだ。
絶対君主制においては貴族や議会などよりも君主の権威が優越するので、議会があっても絶対君主制になり得るということである。
それほどの権利をどうやって得るかと言えば、根拠を神意に求めることが多い。聖書や古代エジプトなどに見られ。日本の天皇もそうかもしれない。
バチカンは絶対君主制であり、ローマ教皇は絶対君主である。
それより権威が上の天皇っていったい・・?

「立憲君主制」の反対は「専制君主制」。
憲法にはとくに規定されていないが、国家統治権を君主あるいは少数の者が独占し、かつ恣意的に行使する政治体制。

「君主制」の反対は「共和制」。
君主ではなく人民(国民)が統治上の最高決定権を持つ政体が共和制。
君主を持たないか、君主がいる場合には主権が君主以外にある場合。
一般には人民(国民)を代表する元首がいることが多い。
すなわち君主制と共和制は、主権がどこにあるかの区別である。
従って君主以外、いわゆる国民の中から(例えば元首など)、公式にあるいは実質的に、民主的ではなく独裁的に統治する者が現れても、主権が国民にあれば共和制であることに変わりはない。
こうしたことから君主を元首とするのは間違っていると思う。
また首相は元首であると思う。

制度的には制限君主制でも立憲君主制でも共和制であっても、実態が違うということはある。、
制度上は君主の権限が大幅に制限されている場合でも、非常事態宣言や国会停止などが頻繁または長期に発動されている場合、三権分立などの権力分立が行われていても各要職を王族で固めて相互チェックが機能していない場合、更には国民の知る権利が不十分で実質的な批判ができない場合(いわゆる非自由主義的民主主義)など、立憲主義が形骸化している場合には、実質的には絶対君主制に近いとも言える。ただしこれらは立憲君主制に限らず共和制でも共通である。



鎌を手に、槌を手に

1472年に双頭の鷲を引き継ぎ、ロシア帝国となってからの紋章にも用いられた。
双頭の鷲が消えたのは、革命によってロシア帝国が崩壊しソ連が誕生した時だ。
ソ連でお馴染みなのは、国旗にも描かれた「鎌と槌(ハンマー)」だろう。
労働者のシンボルであり、労働者に団結を促し、指導者は弱者の味方を標榜する。
「鎌と槌(ハンマー)」は国家や政党を超え、共産主義の旗印となった。これに「赤い五芒星」も加わる。

しかし現代においては西も東も無ければ右も左も無い。
ほとんどの国の、ほとんどの君主・元首・指導者が、労働者に団結を促し、弱者の味方を標榜する。
誰ひとりこぼすまいと「総活躍」などと謳う。
労働者や弱者の味方はもはや共産主義の特有性ではなくなった。
あるいは世界全体共産主義傾向にあるのだろうか。
労働者は金銭的に弱者である部分があるかもしれないが、腕力や頭脳が弱いとは言えないということも忘れてはならないことかもしれない。
要するに共産主義は弱者の味方ではなく強者の味方だったかもしれないということだ。
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ソビエト社会主義共和国連邦の国章
(若干国連の印に似ていますね!)



エイエイオー!

南アフリカの元大統領もやはり弱者の味方だったのだろうか。(ちなみに肌の色的には黒が優性で強いです)
アパルトヘイト反対!人種差別反対!と革命的な活動を行い、人口登録法・原住民土地法・集団地域法などを次々と廃止してノーベル平和賞を受賞した。
27年間に及んだ獄中生活から1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任して、1993年にはノーベル平和賞を受賞するという早業だった。
大統領に就任したのはその後で1994-1999年。

人口登録法とは、南アフリカに住むすべての人を白人・カラード・インド人・アフリカ人の4つの人種に分類し、個人がどれに属しているかを手続きさせるもの。
今後危惧されるのは、戸籍や個籍、国勢調査などの調査表、履歴書などに男女の区別を記すことでしょうね。それが男女差別のもとになりますから。

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このネルソン元大統領にロシアのプーチン大統領が熱烈な賛辞を送ったという。
ネルソン・マンデラとソ連
ソ連は反植民地主義と反人種隔離主義の最前線にいた。人種的隔離がアメリカの大部分で当たり前であった時代、モスクワは人種と国家の平等を訴え続けてきた。1980年代にレーガン政権によって、アメリカのテロ組織リストに載せられたアフリカ民族会議(ANC)の最大の後援者は、ソ連であったということは広く知られている。

冷戦時代、弱者の味方だったのはソ連で、人種差別をしていたのはアメリカだから、ソ連とネルソンは仲良しということらしい。
プーチン大統領は何と言っても元KGBですからね。(KGBに入るにはソ連共産党への入党が条件だったので共産党員になったそう)
今はもう共産党は野党だから、共産党員ではなく、無所属と言いつつ統一ロシア党。










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by yumimi61 | 2015-11-29 12:27
2015年 11月 28日
日本国憲法の秘密-114-
紋章とともに歩んだ家と国々

鷲(鷹)を使った国章・紋章は多い。

鷲は、強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられた。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われた。
古くはローマ帝国の国章とされ、ヨーロッパを中心として関連した帝国、王国、貴族、都市、教会などで使用された。現在のドイツ、アメリカ合衆国、ロシア連邦、エジプトなどの国章にも使われている。


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ローマ帝国の国章


SPQRとは、ラテン語の「Senatus Populusque Romanus」の頭文字略語。
英語圏で流行りの頭文字略語のルーツは古代ローマのラテン語にあったというわけである。
SPQRは現在でもイタリア・ローマで用いられている。
その意味は「元老院とローマの人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。
「SPQR」の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたるあらゆる地域で公共物に全て刻まれ、軍団の軍旗などにも使われた。ローマ時代の遺跡やそれを基にした建造物、ローマ市の盾形の紋章に見て取ることができる。

SPQRを取り入れ、上記の国章を作ったのは紀元前の王政時代や共和制時代ではなく、帝政時代になってからだと思う。

400年代頃にゲルマン人の大移動があり南や西のローマ帝国内にも進出してきた。それに重なるようにローマ帝国の西側は統治能力を失い、代わりに台頭したのがキリスト教の指導者・ローマ教皇だった。
北の方から来た人達が現在のドイツ付近に住みついた。これをゲルマン人と言うが、後にさらに拡がっていった。
ゲルマン人の大移動なくして現在のキリスト教(ローマ教皇)はないと言っても過言ではないかもしれない。
ローマ帝国の東側は領地の変遷や争いはありながらも、その後1000年近くも続いた。
ローマ帝国とローマ皇帝の滅亡は、ローマ教皇が送り込んだ十字軍がきっかけとなった。

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東ローマ帝国の国章
〇の中は万字に似ている気もする


東ローマ帝国の鷲は「双頭の鷲」である。
西と東を表したというが、これが作られたのは帝国末期であり、西側はすでに滅亡していた。
そうとなれば、西側を支配したキリスト教のローマ教皇が作らせた国章ではないのかと疑ってしまう。
現在では、西洋と東洋を表している(ローマ帝国が位置的に境目だったから)、政教結合を表したとも考察される。政治(国)と教会(宗教)の分離ではなく一致である。
要するにキリスト教(ローマ教皇)が支配権を持ったということになろう。
形式的なものであっても一応「政教分離」が謳われる日本においては馴染みにくいが、キリスト教の欧米諸国やイスラム教のイスラム諸国では政治と宗教を切り離すことがなかなか出来ない。むしろ当然のものとして長い間受け入れられてきた。
役割分担を別の言葉で表現すれば、政教結合ということも出来るし、政教分離ということも出来る。


紋章を重要視しない万世一系・世界最長の国家

紋章のような図は戦いにおいて個人や団体を識別するために用いられたものである。
だから剣や盾が描かれ、鷲や獅子など強い生き物がモチーフとなった。
このようなことは紀元前から行われていたことである。
ただそれを「紋章」と呼び、幾つかのルールが設けられるようになったのはもっとずっと後のことで、11世紀のドイツに始まったとされる。
11世紀のドイツとはすなわち神聖ローマ帝国である。
紋章のルールの1つに継承がある。
代々子孫に受け継がれていくのが紋章であり、そうした継承性がないものは例え図がルールに則って描かれていても紋章とは呼ばない。
紋章はドイツからフランスやイギリスへ伝わり、その後ヨーロッパ各地に広がった。

日本でも奈良時代の品々に美しい様々な文様が描かれているのを見ることができる。
もっと言えば縄文時代の品々にも文様は描かれている。その文様が縄文であり時代名にもなっているのだ。
平安時代になると装飾だけでなく、各家固有の目印として用いられるようになる。
始まりは平安貴族が所有の牛車に入れた印であったと言われている。
その後、戦いの際ののぼり旗にも家紋を入れるようになった。
それまでの戦いは一騎打ちであり、運動会の騎馬戦や棒倒しではないが、こちら側は赤い旗(黒でもよし)、こちら側は白い旗と色で分けていたのだ。
そんなわけで日本の家紋も8~12世紀には始まり、戦国時代15~16世紀には戦いの象徴のようにもなっていた。
日本で紋章にあたるものが家紋なのだ。
旧家の蔵に記された家紋を今でも時々目にすることがある。
私が子供の頃、親戚の家にも蔵があって、子供心になんとなくワクワクしたものだが、家紋が入っていたかどうかは記憶にない。

紋章は繋がりを証明するものとなり得る。
天皇(皇室)が万世一系を謳うのであれば、古い建物や品々から天皇家と同じ紋章(家紋)が見つからなければおかしい。
万世一系のもとに日本という国が継続してきたならば、国章(紋章)があって然るべき。
少なくともヨーロッパの権威者や権力者はそう思うのではなかろうか。
天皇が万世一系を謳う日本には公式な国章が無い。
皇室や日本政府が紋章(家紋)に重きを置いているふうもない。そう思うだろう。
(最新技術で古いものでも作るか?そのあとは学者がお墨付きを与えて、メディア部門が広報すればいいんだし?)

蝋の話

アメリカの国章にも鷲が使われている。
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アメリカの国章は国章として定めたものではなく、国の印章であるグレートシール(日本語では国璽)の図柄に彩色したものを用いている。
グレートシールだから裏面があるのだが、日本人であれば印章になぜ裏があるのだと思うかもしれない。
グレートシールは私達が知っている印鑑とは少々違うものである。

西洋の印章は通常は平らな円盤状であり、裏面にも図柄が彫られているものもある。また、東アジアの印章のように朱肉を付けて押すのではなく、溶けた封蝋の上に押し付けて型を取る。そのため、印影だけでなく、立体的な浮き彫りがされている。
現在、国璽(グレートシール)を使っている国などは以下のとおり。
フランス、イギリス(スコットランド・北アイルランド)、アイルランド、アメリカ合衆国及び同国内の諸州、カナダ


またまた郵便の話になるが、手紙に封印を押すことがあると思う。
封印とは封をした証拠やその物の使用や開閉を禁ずるために、封じ目に印を押したり証紙を貼り付けること。
ヨーロッパでは封印をするために蝋を用いた。これをシーリングワックスという。
その上にシール(印璽)で刻印することで、未開封であることを証明できる。
私なんか糊のシールを貼るのがせいぜいだが(ガムテープの時もあります)、日本でもシーリングスタンプキットが雑貨屋などで売られていることがある。こんなやつです
ロシアでは郵便局でシーリングスタンプを押してくれるらしい。
ただ封蝋の上に押すシール(印璽)は本来、家紋や紋章のように個人や家系のシンボルなどを刻んだものである必要がある。
それが確かにその差出人から送られたという証明になるからだ。名前を書くくらいは誰にでも出来てしまう可能性があるということ。
指輪タイプのシール(印璽)もあり、それをシグネットリングと呼ぶ。これはもう本来の意味で使われることは少ないようだ。(カレッジリング参照)
私の父がこの形の指輪をしていた。たぶん自分で作ったものだと思う。但し肝心の彫刻はなかった。のっぺり。

国が使用しているグレートシールもそのようなものである。(もっとサイズが大きいだろうけれど)

現代では形式に過ぎないのかもしれないが、洋酒にもシーリングスタンプが用いられているものがある。
カルーアにはKというシールが刻印してある。

今なおグレートシールを用いている国々は帝国郵便による検閲に対抗した国なのではないだろうか?


今も大日本帝国のまま

国璽は外交文書など国家の重要文書に押される。これは政治的な押印になるだろう。


日本の国璽は金印(金合金製18金とされる)で、印文は篆書体で「大日本國璽」(2行縦書で右側が「大日本」、左側が「國璽」)と篆刻されている。
3寸(約9.09cm)四方の角印、重さは約3.50kg。

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勲章の授章者に与える証書(勲記)や褒章の褒状にも押される。こんな感じに押されています

日本において勲章は、天皇の名で授与される。日本国憲法第7条7号は天皇の国事行為の一つとして「栄典を授与すること」を定め、同条を根拠に「栄典」の一つとして天皇が勲章を授与する。栄典授与の実質的決定権について日本国憲法には明文の規定がないが、日本国憲法第7条の助言と承認及び行政権の主体であることから内閣が実質的決定権を有する。
勲章制度を定める法律はなく、政令(政令とみなされる太政官布告、勅令)及び内閣府令(内閣府令とみなされる太政官達、閣令)に基づいて運用されている。


ここで思い出してほしいのが日本国憲法である。
日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ (行い)、国政に関する権能を有しない。」と規定している。
国璽も「こくじ」と読み、国事も「こくじ」と読む。
天皇が行うのは国事行為ではなく、国璽行為だったのでは?勲記などに押印するお仕事である。
私は前に「国事行為って何?」と書いたことがあるが、国事なんて言葉はおかしくないだろうか?
国璽と国事は読み方が酷似しているため(同じ?)、新憲法を作る際に国事で誤魔化したのでは?

国璽の使用については、1886年に「公文式」(明治19年勅令第1号)、次いで1907年に「公式令」(明治40年勅令第6号)によって明文規定された。
しかし日本は天皇の下に戦った第二次世界大戦で敗北した。
(私はそう思っていないけれど)天皇は政治に関与しないただの象徴になった。旧体制は棄てたはずだ。
公式令も廃止された。にもかかわらず同じものが国の重要文書に使われている。
大日本帝国憲法が日本国憲法に変わっても、「大」を外すこともせず、「大日本國璽」を重要文書に押し続けているという。
(夫婦別姓を導入して姓を変える必要をなくそうと言うのは、国名に肖っているのだろうか?)

公式令は1947年(昭和22年)5月3日の内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)により廃止され、その後これに代わる法令はないが、国璽・御璽の用例など公式令に定められた事項は慣例により踏襲されている。



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by yumimi61 | 2015-11-28 12:32
2015年 11月 27日
日本国憲法の秘密-113-
東の女達の教え

過越祭の頃に亡くなったイエス・キリストが数日後に復活した。
ユダヤ教の過越祭がキリスト教になると復活祭(イースター)となった。
どちらも春先の行事である。

過越祭には種なしパンを食べる。
種とは酵母(出芽酵母・イースト)のことである。
過越祭には発酵パンは食べてはいけないんだとか。
種とか母とか、どことなく受精・受胎を彷彿させる。
種なし母なしということは、今は忙しいからダメ・・・とかなんとか?(それとも逆?)
言い方を変えると、受胎拒否の期間ということになりそうだ。(受精・受胎がなければ良いとか?)

東は英語でEast。
復活祭(イースター)はEaster。EAST+ER=EASTER
イーストはYeast。Yの後にこれまたeastが続く。
イーストという音はイエスやキリストにも似ている。

ヨーロッパではイースターという語は、女神の名(オスタラ)由来だと言われている。
Ēostre or Ostara (Old English: Ēastre, Northumbrian dialect: Ēostre, Old High German: Ôstara)
アングロ・サクソン(ゲルマン人)の多産と豊穣をつかさどる春の女神エオストレは、その化身あるいは使いがウサギである。
ウサギは、冬に失われた生命が復活し草木が芽吹き花々が咲く再生の春のシンボルである。卵は宇宙の根源のシンボルであり、宇宙は卵から生まれ、殻の上半分が天になり、下の部分が地になったことをあらわす。絵画等でも女神は必ずといっていいほどウサギを伴った姿で描かれ、このウサギが良い子に卵をもたらすとされる。


オスタラ (Ostera) アスタルテー (Astarte) イシュタル (Ischtar) イナンナ (Inanna) などの女神の名で欧州各地の神話伝説にあり、さかのぼれば、ギリシャのアフロディーテやローマのビーナスなどにも通じ、古代エジプト、ペルシャ、ローマなどでは春の祭りに卵に着色して食べる習慣が既にあったという。のちに、キリスト教が入ってきたときに、キリストの復活と春を祝う女神信仰が「生命への希望」という共通点で結びつき、エオストレ (Eostre) は復活祭 (Easter) の名前の由来となった。
こうした経緯から、キリスト教会で行われる復活祭(イースター)では、生命と復活の象徴を卵とウサギに求めて、イースターエッグやイースターバニーの名で行事にシンボルモチーフとして登場させる。ただし、正教会においてはイースターエッグのみであり、異教の女神と色濃く結びつくイースターバニーのほうは排除されてしまった。

こうした背景の中で、米英を中心とする西欧世界ではイソップ物語や不思議の国のアリスなどに登場するウサギのように、秩序からはずれた存在をあらわす役目をあてがわれ、あわて者、怠け者、異界へ誘う者、トリックスターとして描かれてしまうことも多い。

天敵の多いアナウサギは生き残りのために発情期をなくして年中生殖行為が可能である。 (一方ノウサギの発情期は春先から秋であり、発情の始まった3月頃のオスのウサギが落ち着かなくなる様を指して「三月ウサギ」というイギリスのことわざが生まれた。)
年中発情している獣はヒトとウサギ(アナウサギ)くらいであるというイメージから、性的誘惑のシンボルとしてウサギが選ばれ、大人の世界のディズニーランドというコンセプトを目指した米国の高級ナイトクラブであるプレイボーイクラブのウェイトレスの正式なコスチュームとして1960年に採用され、カジノやバーなどで女性コスチュームに広く採用されるようになった。


この説明を踏まえると、過越祭や復活祭は「受精・受胎拒否(禁止)期間がもうすぐ終わるー!また受精・受胎が出来るー!!」という祭りのようにもとれる。
春が来て発情の季節を迎えた、ということでノウサギちっく。

もうひとつ考えられるのが、妊娠期間から解放されたということである。
昔の人は「妊娠中には慎みなさい」と教えていたのではないだろうか。
今は種は入れてはダメ、あなたはまだ母ではないのだから(出産を迎えていないということ)、新たに母になろうなんて思わないこと、とかなんとか・・・。
妊娠中からの情操教育などと言ってクラシック音楽など聞かせても、発情して乱れたら意味ないわけですよ。
子宮の中にいる赤ちゃんはもうびっくり、生きた心地がしません、とかなんとか・・・。

そうでなければ東(East)に何らかの意味があるのだろう。
eastはOld Englishのēast(東)より。
同系語として、オランダ語:oosten、ドイツ語:Ost、フランス語:est、スペイン語:este、イタリア語:est がある。
ひょっとすると「東の人達」という語がEasterなのかもしれない。


近現代の世界は聖書で出来ている

一時代を築いたと形容される人物がいるけれども、イエス・キリストは西暦の起源(紀元)である。
一時代もすでに2015年経過。
イスカリオテのユダも天国で「あのイエス・キリストがねぇ・・」と言っていることだろう。
数字がコロコロ変わることなく通し番号みたいで分かりやすく、世界的にも比較しやすいと言えばその通りだが、非常に長い一時代である。
もっとも西暦ができたのは6世紀で、世界的に広まったのは19世紀だというから、そういう意味では歴史は浅い。
過ぎし日も西暦換算するから長いように感じるだけなのかもしれない。

西暦とは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.又ADとは「アンノドミニ (Anno Domini) 」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」と言う意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。
既に2000年余りが経過している西暦は、1800年ころからキリスト教国家を中心に広がり、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。


イエス・キリストは新約聖書の人である。
聖書には旧約聖書もある。旧約聖書の時代は紀元前ということになる。
「約束の地」や「イスラエル」の話は旧約聖書に書かれているものだ。

民族宗教ユダヤ教の聖典タナハでは、パレスチナの地は神がイスラエルの民に与えた約束の地であると説かれ、このためヘブライ語では「イスラエルの地(エレツ・イスラエル、Eretz Yisraël)」とも呼ばれるようになった。のちにユダヤ教から分かれてキリスト教が興ると、その聖地として世界中の信徒から重要視されるようになった。さらに、ユダヤ教・キリスト教の影響を受けアラビア半島に興ったイスラム教も当然エルサレムを聖地としたため、諸宗教の聖地としてエルサレムを擁するパレスチナは宗教的に特別な争奪の場となった。

中世以降の主要な住民はアラビア語を日常語とするムスリム(イスラム教徒)、キリスト教徒、ユダヤ教徒(ミズラヒム)である。前2者とごくわずかのミズラヒムが、近代以降世界各地から移住してきたユダヤ人に対して、パレスチナに在住するアラブ人としてパレスチナ人と呼ばれる


紀元前、パレスチナ付近にはペリシテ人(ペリシテ民族)が暮らし、ペリシテ文明が栄えていた。
その後はイスラエル民族が入植し繁栄した。
そこにちょこちょこ干渉したのがエジプトとローマ帝国とバビロニア(バビロン;現イラク)である。
イスラエル民族はイスラエル王国(イスラエル民族)とユダ王国(ユダヤ民族)で分裂したり、追い出されたりした。
旧約聖書では約束の地をパレスチナとは言ってない。パレスチナと命名したのはローマ皇帝であり、パレスチナという語はペリシテ人由来だそうだ。
イスラムが支配するようになったのは7世紀から。10世紀に一時十字軍が支配するものの、再びイスラムに奪われる。
十字軍から奪還したのはアイユーブ朝*のサラーフッディーンだった。
16世紀になるとオスマン帝国**が支配し、オスマン帝国ではパレスチナをシリアと呼んでいた。
前にも書いたが、これが動いたのが第一次世界大戦。つまり20世紀である。
シリアと呼ばれていたパレスチナはイギリス委任統治領となった。国際連盟に委任されたのがイギリスということである。名称をシリアからパレスチナに戻した。

*アイユーブ朝
エジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配した スンナ派のイスラム王朝。シリアのザンギー朝に仕えたクルド系軍人のサラーフッディーン(サラディン)を王朝の創始者とする。

**オスマン帝国
テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。


カナン!

現在、パレスチナ人と呼ばれる人はアラブ人である。
元々私達がここ約束の地に暮らしていたんだと主張する。
一方、その地は元々私達のものだったのだと主張するのがユダヤ人。
19世紀以降はユダヤ人がパレスチナに流入するようになり、シオニズムが盛んになって第二次世界大戦後にとうとうユダヤ人によってイスラエルという国が建国される。
しかしこのユダヤ人は紀元前のユダ民族にルーツがあるわけではなく、ユダヤ教の信仰者であれば誰でもなれるユダヤ人である。
イスラエル・パレスチナ地方(パレスチナ自治政府)のアラブ人と、イスラエルを建国したユダヤ人の争いが続いている。


「私達ユダヤ人からこの地を奪ったのはアラブ人。だから返して!」というユダヤ人。

アラブ人の前にはユダ民族が暮らしていた。

「ほらみなさい、ね、ユダヤ人でしょう。ここはユダヤ人のものなの!」というユダヤ人。

でも現在のユダヤ人とユダ民族はかなり違うものになっている。
そもそもユダ民族の他にイスラエル民族もいたのだ。両者はともにイスラエル民族だったのだ。

「だから国をイスラエルって名称にしたのよ。これで文句ないでしょ!」というユダヤ人。

しかーし、それより前にそこに暮らしていたのはペリシテ人だったのだ。

「は?聖書読まなかったの?神様はイスラエル人にあげるって言ったの、約束したのよ、ちゃんと。ペリシテ人なんて言ってないの!」というユダヤ人。

キリスト教自身が新約聖書にお墨付きを与えたように、ユダヤ教自身がお墨付きを与えたのが旧約聖書である。(こう言ってはなんだがどちらも客観性にかけるのでは・・・・)
それに何度も言うようだけれど、当時のユダ民族(ユダヤ人)と今のユダヤ人が違うわけで・・・・。


時代はすでにキリスト教ではなかったのか?

紀元前のローマ帝国は多神教だった。
かつてのローマ皇帝と現在のローマ教皇(ローマ法王)を同じものとして考えてはいけない。
バチカンは世界一小さな国(宗教国家)だけれど、ローマ帝国は世界最大(かどうか分からないが)大きな国であった。まだキリスト教が誕生していない時代である。
その中にあったユダヤ地方のユダヤ教(ユダヤ人)は独自性と排他性と主張の強さなどが相まって問題児だったのだ。
ユダヤ教(ユダヤ人)からイスラエルやユダという名を取り上げてパレスチナと名付けたのは、紀元前のローマ皇帝である。
「そこは元々ペリシテ人が住んでいた所でしょう!」ということをユダヤ教(ユダヤ人)に分からせるための名称だったのだろう。
「そう言えばそうだね。じゃあ他に行こう」というユダヤ人がいたり、問題行動に対する荒療治にも効果があったりしてユダヤ教(ユダヤ人)は離散した。

それから長い時間が流れた。
ローマ帝国の皇帝の時代からキリスト教のローマ教皇の時代へと移り変わった。

ユダヤ人を迫害したというナチス・ドイツのヒトラーは第二次世界大戦の人だから、長い歴史の中では最近の人だ。
なぜユダヤ人だったのだろうか?なぜユダヤ人に怯える必要があったんだろう?
ヒトラーが迫害したユダヤ人とは、現在のユダヤ人定義と同じように、ユダヤ教の信徒メインなのだろうか?

鷲の国章

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国章。
左から、エジプト・アラブ共和国、イラク共和国、パレスチナ自治政府。


ほぼ同じ紋章。鳥は鷲(わし)。鷲を国章に使っている国は多い。
金色の鷹は「サラディンの鷹」とも呼ばれ、12世紀にサラディンによって使用され、20世紀の汎アラブ主義のシンボルとされた。

サラディンとは上に書いたアイユーブ朝(エジプト、シリア、イエメンなどの地域を支配したスンナ派のイスラム王朝)の始祖のことである。元はシリアのザンギー朝に仕えたクルド系軍人であった。
十字軍からその地を奪還したイスラム王朝の始祖である。

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国章。
左から、アラブ首長国連邦、シリア・アラブ共和国、ドイツ連邦共和国。


左の2つのわしは「クライシュ族*の鷲」と呼ばれるもの。
*クライシュ族
4世紀頃からメッカ近郊を勢力圏として遊牧および交易を行っていたアラブ人の部族であり、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドの出身部族として知られている。その一方でクライシュ族はムハンマドの布教活動を迫害し続けたイスラームの敵対者でもあり、クルアーンの中にもクライシュ族はしばしば登場する。

この地方のいざこざの収拾はなかなか難しそうですね・・・。






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by yumimi61 | 2015-11-27 14:45
2015年 11月 26日
日本国憲法の秘密-112-
過越祭は春のパン祭り!?

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言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチ作の『最後の晩餐』。
晩餐というと宮中晩餐会に代表されるように、招待者をお招きし、豪華な食事でおもてなしする正式なお食事会を思い浮かべる。
だからそのお食事の英単語はDinnerかなぁなんて思うはず。
(だって中学生の時に習ったでしょ?豪華な夕食がdinnerで質素または日常的な夕食がsupperだって)
でも上の絵の英語タイトルは『The Last Supper』である。
(lastは'最後'の他に'続く'という意味があることを大人になる過程で学びませんでしたか?)

正教会では最後の晩餐とは呼ばず、機密制定の晩餐と呼ぶ。「晩餐」はイエスの復活後にも弟子達とともに行われていたほか、現在に至るまで聖体礼儀として教会に継承されており、本項(最後の晩餐)で述べる晩餐は「最後の」ものではなかったからだとする。
日本聖書協会による新共同訳聖書では、該当する聖書の記述箇所に「主の晩餐」との見出しがつけられている。


そもそも福音書文中では仰々しく「最後の晩餐(The Last Supper)」とは言っているわけではない。
過越祭(the Passover Festival ・the Festival of Unleavened Bread)の食事と言っているだけである。
この食事の後にイエスは死んでしまう。

過越祭 Pesach; Passover
ユダヤ教三大祭りの一つで春祭り。種なしパンの祭り,除酵祭とも呼ばれる。家畜の初子を捧げる牧畜祭りに,大麦刈入れの農繁期に除酵パンを食べる農耕祭りが結合し,さらにイスラエル人のエジプトでの隷属を想起し,そこからの解放を神に感謝するという出エジプトの歴史的意味が加わった。 <ブリタニカ国際大百科事典>

ユダヤ教の祭日の一つ。英語でPassover。ユダヤ暦ニサン月14日の夜から1週間。奴隷状態にあったユダヤ民族のエジプト脱出を記念する。神がエジプト中の初子を殺したとき,仔羊の血を門口に塗ったユダヤ人の家だけは過ぎ越したという故事にちなむ。 <百科事典マイペディア>

その昔、おそらく農繁期休暇と収穫祭が合わさったような過越祭という地域的な行事があったのだろう。
その時期の忙しさや慌ただしさ、後の解放感と達成感、これが旧約聖書・出エジプトの時のユダヤ人の心境にも重なるということになって宗教的意味合いも重ねられたのだと思う。
田植えの頃とか秋の収穫時とか地域や時代によって時期は多少違うが、日本でも農繁期休暇が存在した。農繁期には学校が休みになったのだ。
家の手伝いをしなさいということなんだろうけれど、子供が労働力にはならなくなった時代には、「わーいわーい学校が休みだ!」と子供達はお祭り気分!?
夏休みを短くしてその分を農繁期に(農繁期休暇や秋休みと称して)振り分けるという方法をわりと最近まで行っていた地域があると思う。
近年は、夏休みを短くして通学が大変な冬季に休みが長くなるという現実的な選択をする学校が多くなったのだろう。 

ともかく過越祭はパンだけではなく家畜(羊)のお供え(生贄)にも関係する行事であった。
つまりこの時に殺されたイエスは、生贄(供犠)であるということなのだ。
だからこそイエス・キリストは「神の子羊」とも例えられるのだろう。
イエスを踏み台にして得たものがあった。


郵便を制するものは世界を制する

『最後の晩餐』は1495-1498年にレオナルド・ダ・ヴィンチが制作した。
イタリアのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の食堂の壁画として描かれたもので現存する。
つまり誰かに買ってもらったり美術館に飾ってもらおうと思って描いた絵ではなく、ほとばしる情熱に突き動かされて描いた絵でもない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの初期のパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公(当時のイタリア・ミラノの統治者)の要望で描いたものだそうだ。
後期のレオナルド・ダ・ヴィンチはバチカンで暮らしている。

食堂だけに『最後の晩餐(The Last Supper)』(イタリア語ではL'Ultima Cena)を選んだのかは不明だが、その絵(壁画)に価値が出たのは後世のことだ。
幾度の危機を乗り越えた奇跡の壁画  現在はユネスコの世界遺産となっている。

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ミラノの市旗はイングランドの国旗(セント・ジョージ・クロス)に、
紋章に使われている十字は赤十字に似ている。
神聖ローマ帝国は赤白が逆のパターン。
それはスイスと赤十字の国旗の関係でもある。


レオナルド・ダ・ヴィンチの初期パトロンのルドヴィーコ・スフォルツァ公の後ろ盾は神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)だった。
神聖ローマ帝国は後にドイツとなり領地も現在のドイツに近くなっていくが、神聖ローマ帝国(800年/962-1806年)当初は現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部を領地としていた。
ミラノもイタリア北部にある。
1512年以降の正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」である。

現在のドイツもそうだが神聖ローマ帝国も幾つかの領邦によって構成される領邦国家(連邦国家)であった。
ハプスブルク家はオーストリアの家系で、この家の君主が神聖ローマ皇帝だった時代がある(1526-1806年)。
その後、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国となって領地は縮小するものの、第一次世界大戦まではイギリス・ドイツ・フランス・ロシアとならぶ欧州五大国(列強)の1つに数えられた。
第一次世界大戦の原因とされている国である。

多民族国家だった旧帝国のうち、かつての支配民族のドイツ人が多数を占める地域におおむね版図が絞られた。1938年には同じ民族の国家であるナチス・ドイツに併合されたが、ドイツ敗戦後の1945年から1955年には連合国軍による分割占領の時代を経て、1955年の独立回復と永世中立国化により現在につづく体制となった。
ナチス・ドイツのヒトラーはドイツではなくオーストリア出身である。(もっと古い時代に遡れば1つの帝国だった時代もあるけれども)

神聖ローマ帝国のハプスブルク時代絶頂期に皇帝として君臨したのはカール5世(在位:1519-1556年)であり、同時にスペイン国王(在位:1516-1556年)でもあった。
カール5世の母方がスペイン、父方が神聖ローマ帝国(オーストリア系)で、自分の出生地はベルギー・オランダ・ルクセンブルクの3ヶ国(ベネルクス)にあたるネーデルラント。本人の愛着は生まれ育ったネーデルラントにあった。

その治世は、ヨーロッパ統合を果たしたカール大帝以来の歴史的ヨーロッパ概念の創造者、体現者とも言われる。さらに当時は大航海時代の真っ只中にあったため、「太陽の沈まない国」と称されたようにヨーロッパから新大陸、アジア(フィリピン)に至る世界帝国を築き上げた。彼の理想はオットー1世以来有名無実化していた神聖ローマ帝国を統一し、最終的には西ヨーロッパの統一とカトリック的世界帝国の構築であったが、覇権を争うフランス王国との戦い、宗教改革の嵐、スレイマン1世が率いるオスマン帝国の伸張など相次ぐ戦いに阻まれ、あと一歩のところで目的は果たせなかった。

カール5世は国の郵便主任だったフランチェスコ・デ・タシス1世に郵便事業の独占と世襲を認めた(1516年)。
これを帝国郵便という。帝国の皇帝が民間(一家族)に郵便事業を任せることが「帝国郵便」であり、これが情報グローバリゼーションと郵政民営化の元祖であったという。
ハプスブルク家の君主が神聖ローマ帝国の皇帝だった時代にメディアと郵便事業を掌握し、国家による情報管理の礎を築いたのだ。
この(民間)帝国郵便は1597年に時の皇帝(ルドルフ2世)に公認され領邦郵便を完全に禁じた。
しかし、君主国の郵便は堂々と営業した。ゲラルド・ファン・スウィーテンはイエズス会の検閲制度を段階をふみ、やがて完全に帝国のものへ転化した。その過程ではモンテスキューによる『法の精神』が発禁解除となった。帝国郵便は新聞の流通を掌握し、検閲網となった。このような体制はドイツ統一まで続き、万国郵便連合の基礎となった。

※万国郵便連合
万国郵便連合は、加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度をつかさどる。
最も古い国際連合の専門機関の一つであり(最古は国際電気通信連合、万国郵便連合はそれに次いで古い)、1874年10月9日、国際郵便条約によって設立された。本部はスイス・ベルンに置かれている。


現在は国際連合の機関の1つになっているが、万国郵便連合設立時期は、第二次世界大戦後発足の国際連合、第一次世界大戦後発足の国際連盟より早い。
それが意味するものは何だろうか?

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1939年に定められた半公式国際連盟紋章。
ドイツや常任理事国だった日本は1933年に脱退。
入れ替わるようにソ連が加盟したが、そのソ連も1939年に脱退。
その1939年に定められた紋章。(今頃?といった感じですね)
国際連盟にアメリカが加盟することはなかった。
五角形に五つの点で描かれる☆・・・



全員そちら側にお願いしま~す

小説の影響なのか、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に新約聖書の秘密が隠されているような勢いで、この絵の構成や細部が語られることがあるが、この絵は新約聖書が書かれた時代よりずーっと後に描かれたものである。
創作されたのは宗教改革の走りの時代である。
従って聖書と絵が並行に創作され秘密を隠したということはないし、写実的に描かれた絵でもない。
大事に後世まで残してこれを伝えようという環境に置かれた物でもない。

この絵の存在感と奇異さは、全ての人が横並びに座っている(立っている)ことである。
人々がテーブルの片側にいるということであり、正面があるということ。
「はいチーズ」とか言って記念撮影をする直前でしょうか?こういう構図は記者会見や面接の時にも見られますね。
記念写真撮影で後ろ向きはまずない。
記念撮影ではなくスナップショットだとしても有名どころを後ろ向きにするという構図はなかなか勇気がいる(常識を超えている)。
そんな写真を撮って、とっておきの一枚に使うのはホワイトハウスくらいでしょうね。
日本だったら村上春樹か桜井和寿くらいなもので。
お食事会の絵を写実的に描いたらこんなことにはならない。

≪私信≫隣の隣の人にマフラーがお揃いかもしれないとお伝えください。
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席順は大事

ルカ福音書には席についての記述がある。イエスの話したこととして書かれている。
レオナルド・ダ・ヴィンチがどれくらい新約聖書に精通していたか分からないが、絵的にはイエスとその弟子は上座に位置していることになる。
ただ食堂の描かれた場所如何では下座側である可能性もある。例えば出入り口側とか。
この点においてはなかなか興味深いものがある。

(ルカ 14:7)
客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。
He spoke a parable to those who were invited, when he noticed how they chose the best seats, and said to them,
(ルカ 14:8)
「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。
“When you are invited by anyone to a marriage feast, don’t sit in the best seat, since perhaps someone more honorable than you might be invited by him,
(ルカ 14:9)
その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。
and he who invited both of you would come and tell you, ‘Make room for this person.’ Then you would begin, with shame, to take the lowest place.
(ルカ 14:10)
むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
But when you are invited, go and sit in the lowest place, so that when he who invited you comes, he may tell you, ‘Friend, move up higher.’ Then you will be honored in the presence of all who sit at the table with you.
(ルカ 14:11)
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
For everyone who exalts himself will be humbled, and whoever humbles himself will be exalted.”
(ルカ 14:12)
また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。
He also said to the one who had invited him, “When you make a dinner or a supper, don’t call your friends, nor your brothers, nor your kinsmen, nor rich neighbors, or perhaps they might also return the favor, and pay you back.
(ルカ 14:13)
むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい。
But when you make a feast, ask the poor, the maimed, the lame, or the blind;
(ルカ 14:14)
そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。
and you will be blessed, because they don’t have the resources to repay you. For you will be repaid in the resurrection of the righteous.”



スイス傭兵の裏切り

もうひとつ興味深いことは「裏切り」である。
「この中に裏切り者がいる」とイエスが言ったのが最後の晩餐だとされるが、絵を描かせたミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァのその後の人生は裏切りによって決まった。
福音書に描かれたイエスのようである。

(絵が完成した翌年)1499年ルドヴィーコの後楯である神聖ローマ皇帝のハプスブルク家がフランス王国と対決した。ルドヴィーコは神聖ローマ帝国につき、翌1500年にフランス軍はスフォルツァ城を包囲し、相互にスイス傭兵を率いていた。しかし、1500年に、配下のスイス傭兵の裏切りのために、ルドヴィーコは窮地に追い込まれてしまい、一部のスイス傭兵の好意で、スイス傭兵に仮装して脱出を試みた。しかし、500クローネンの報酬に釣られたウーリ州の傭兵隊長のルドルフ・トゥールマンが密かにフランス軍に密告したため、ルドヴィーコはルドルフの手勢に捕らわれてフランス軍に引き渡された。これが名高い『ノヴァーラの裏切り』である。
ルドヴィーコは、そのまま1508年まで投獄され・獄死した。


神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)・・・・ミラノ公のルドヴィーコ・スフォルツァ・・・・スイス傭兵「裏切り」
                          フランス王国・・・・スイス傭兵




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by yumimi61 | 2015-11-26 12:51
2015年 11月 25日
日本国憲法の秘密-111-
治安の値段

イスカリオテのユダはラザロ&イエスが金持ちを殺したことを知っていた。
ユダは正義感の強い人だったのだろう。殺人は罪だから当局に知らせ引き渡そうとした。
銀貨30枚は今でいう懸賞金のようなものだと思う。
イスカリオテのユダはその前の場面で、香油を300デナリと言っていた。デナリも銀貨である。
懸賞金は香油の値段にはどこにも届かなかったということになる。
乞食のような者ではなく金持ちを殺した犯人に掛けられる懸賞金であっても。
犯罪者を捕まえることは、香油よりありふれていて香油ほどの価値はないということを、イスカリオテのユダは悟ったであろう。
それと同時に、どんな金持ちも死んでしまえば物の値にさえ敵わぬものだということも。


裏切り

イスカリオテのユダからもたらされた情報によって当局は動いた。
イエスを利用することを思いついたのだ。
イエスは当局によって殺された。そしてキリストに祀り上げられた。
死と復活という、イエスが用いた方法を使って。
先にイエスが行ったことなのだから、弟子も誰も文句は言えない。
因果応報。
それを非難できるのはイエスを非難し通報したイスカリオテのユダだけである。
ユダなら出来る。だからイスカリオテのユダは殺された。


なぜ弟子がいるのか?

病気で貧しいラザロ&イエスに弟子がいることを不思議に思うかもしれませんね。

キリスト教の信徒の皆さんが家を訪問してきたことはありませんか?
よその家を訪問したらまず名乗りますよね?
ところがそういう方達、「どこそこから来ました」と近所の地域名を言ったりして、宗教団体名などは言わないんですよ。
冊子を出すから分かるけれども、あくまでも個人的な活動というスタンスなのかしら?
小さな子供を一緒に連れて歩き、子供を前面に出したりします。
そんな布教の仕方もあるということですね。

また福祉商法というのは御存知でしょうか?
脚が不自由そうな人がやってきて、いろいろ大変なことがあることを話したりして、「これを買っていただけないでしょうか」と言ってハンカチなどを差し出す。
一瞬可哀想に思うんですよ、これが。
本当なのか、真っ赤な嘘なのか。
このような手法、いろんなバリエーションで、かなり昔からあります。

















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by yumimi61 | 2015-11-25 00:40
2015年 11月 23日
日本国憲法の秘密-110-
共に選ばれし者

イエスに香油をかけたのは、ルカでは罪の女、マルコとマタイでは女、ヨハネではイベリアのマリヤだった。
少し前になるが、新約聖書「ヨハネの黙示録」にある数字「666」に関する記事を書いた。
その時に、YouTube(ヨハネの黙示録666の正体)をリンクした。
そこにこんなことが書いてあった。
  聖書で「女」は「教会」だ(-ペト5:13)

そうだとすれば、イエスに香油をかけたのは、教会ではないのか?

ペトとはペトロ(ペテロ、シモン・ペテロ)のこと。
「ペトロの書」あるいは「ペテロの手紙」と呼ばれるもので、ペトロが書いたとされている2通の手紙である。
新約聖書に含まれる。
しかしペトロの書であることには疑義もある。

ペトロ書 5章13節
汝らと共に選ばれてバビロンに在る教會、なんぢらに安否を問ふ、

口語訳 あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。
塚本訳 (君達と)共に選ばれたバビロンの人達と私の子マルコスから君達によろしく。
前田訳 バビロンに住む共に選ばれたものとわが子マルコからよろしく。
新共同 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。
NIV She who is in Babylon, chosen together with you, sends you her greetings, and so does my son Mark.

辞解
[バビロン] ローマを指す風刺的称呼(緒言参照)。「教会」なる語は原語になく唯「共に選ばれし者(単数女性名詞)」とあるのみであるため、これをペテロの妻(B1)と解する説がるけれどもこれを教会と見る方が優っている。

黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1ペテロ書より>


破壊

マルコ福音書の香油の場面もひとつのヒントになっている。
「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
壺を壊したとあるのだ。
英語ではbrokeという単語が使われていることが多かった。

女は香油のことは噂には聞いていたが、精油やアラバストロンのことはよく知らず、使い方も分からなかったのだろう。
「非常に高価で純粋なナルドの香油」は金持ちが所有していたものだったのだ。
金持ちの持っていた香油とはおそらく精油であり、容器はアラバストロンだろう。
女も油や軟膏が入っている容器ならば見たり使ったことがあったかもしれないが、アラバストロンは使ったことがなかった。

現在市販されている精油も滴下できるような口(内蓋)が付いていて、さらに外蓋を閉めるという仕様になっているものが多い。
物によってはすんなりと滴が落ちずにイライラすることもある。
中味が少なくなると余計に落ちづらくなって、ついには中蓋を取ってしまうことがある。
女は「もうなによ、これ、全然出てこないじゃない。どうやって使うのよ!」と爆発して、アラバストロンをぽっきり折るか壊すかしてしまったのだろう。
目の前に頭があれば、頭で叩き割ったということも考えられますね。
傷心ならぬ傷頭(床頭)・・・

容器を壊せば、入っていたものはその場で全部出る。
頭で叩き割ったのであれば、嫌でも頭に注がれるだろう。
マルコとマタイに出てくる女はそうやってイエスをキリストにした。
容器で頭を叩いたことが致命傷だったかは分からないが、イエスは死んだ。


儀式の精油

ユダヤでは王など権威者が戴冠する時に油を注いだそうで、これをメシアと言った。
メシアがキリストの語源であるからして、キリストも同様の意味を持っていたはずだ。
油(oil)という言葉からオリーブ油や軟膏と解されているが、儀式に使われていたのも精油だろうと思う。
多くの中から選び抜かれた(抽出された)ものであり、そこには命の精や霊が凝縮されており、生命力を感じさせる。高価で香りもよく効能もある。精油には(物によるが)消毒や腐敗防止効果も期待できるため魔除け(厄予防)の縁起担ぎにもなる。
名誉ある地位にぴったりではないか!と精油が選ばれたのではないだろうか。
儀式であるから精油は薄めずに使っていたかもしれない。
ただし上からドクドクバシャバシャと注ぐという使い方ではないはずだ。滴を散らばせたのだ。
お清めの塩をパラパラと身体に振り掛けるようなイメージである。


裏切りの意味

福音書の香油の場面は、イエスが死ぬ直前の出来事として描かれている。(ルカ福音書は性質が少し違う)
イスカリオテのユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの死(十字架に磔)と続く。
福音書の中でイエス自身が香油は死の準備だと言っていることからも分かるように、キリストになることは死と引き換えなのだ。
そうした意味でもイエスとラザロは重なる。

ラザロが死んだふりをして金持ちを殺したことをイスカリオテのユダは見抜いていた(知っていた)。
イスカリオテのユダはイエス一行の会計係を任されていたという。
ゆえに不正ができる立場にいて金に汚かったというようなことが言われる(書かれている)。
ユダは金目当てでユダヤの祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束を取り付けた。
高価な香油をイエスの足に塗ったマリヤとイエスをユダが非難した頃の話である。

ヨハネによる福音書では、このイスカリオテのユダを「イスカリオテのシモンの子ユダ」と紹介している。
十二使徒のリーダー格ペトロはシモン・ペトロとも呼ばれて、洗礼者ヨハネの子か弟子ではないかと考えられている。
熱心党(熱心者)のシモンという十二使徒もいた。
イエスの兄弟にもシモンという名の人物がいた。
イエスが滞在して女に香油をかけられた場所はらい病のシモンの家だった。

また十二使徒にはもう一人ユダという人物がいた。
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』で「タダイ」と記された人物と、『ルカによる福音』において「ヤコブの子ユダ」と記された人物がおり、伝統的にこの二つの名前が同一人物のものとして解釈されてきた。
タダイと呼ばれるユダは、西方ではイエスを裏切って自殺したイスカリオテのユダとの混同を避けるために意図的に軽視されてきたようで、「忘れられた聖人」とさえ呼ばれた。それは西方の信徒たちがユダの名において祈りを捧げるのを避けたためであった。西方ではユダは敗北者の守護聖人になっている。


「ヤコブの子ユダ」とあるが、ヤコブは旧約聖書において約束の地の継承者であり、イスラエルという名を与えられた者でもある。
【約束の地 継承者】ノアーセムーアブラハムーイサクーヤコブ(イスラエル)ー12人の子(イスラエル12部族)

ヤコブの子12人の兄弟の中にユダとヨセフという名がある。
(全員の名は前に書いたのでこちらを参照してください) 
・ユダ  ヨセフを殺すことに反対し、商人に売ることを提案し売った。ユダの子孫からイエスが出る。
・ヨセフ 兄達によって商人に売られる。エジプトへ。 

ユダとヨセフは異母兄弟である。ヨセフは後から生まれた。
ヤコブが最初に恋に落ち、結婚まで14年も待たされ、挙句なかなか子供の出来なかった姉妹の妹ラケルとの間に出来た最初の子。(これはこちらに書いたもの
ヨセフは父ヤコブから特別に愛されたため、上の異母兄弟たちから反感を買うことになった。
殺すとか売るとか物騒な話が出てくるのはそのせいである。

洗礼者ヨハネをヨセフの子孫、イエスをユダの子孫とすれば、イエスはヨセフ(ヨハネ)を嫌う血が流れていると考えることもできる。

シモン・ペテロは洗礼者ヨハネの子か弟子。
「イスカリオテのシモンの子ユダ」は、ヨセフ(ヨハネ)とユダ双方に関係あるような名前である。
はたして彼にはどちらの血が流れていたのか?
ヨセフ(ヨハネ)の血を引きながら何らかの使命を帯びてユダという仮面をかぶった(かぶらされた)のか、それともユダの血を引きながヨセフ(ヨハネ)を愛したのか。
どちらにしても「裏切り者」という言葉が似合ってしまう人物なのだ。
そして、ユダヤ教のもとに生まれながら、キリスト教の祖になってしまったイエスもまた、裏切り者なのである。

ちなみに十二使徒にはヨハネという名の弟子もいる。
イエスが一番愛した弟子はこのヨハネらしい。
イエスがユダの血を引くならば、父親から溺愛された子に憧れと憎悪という相反する気持ちを持つ人物として描かれてもおかしくはない。
ヨセフ(ヨハネ)の血を引くリーダー格のシモン・ペテロよりも、ひょっとしたらヨハネの血は引かず名前だけ真似てみたヨハネという弟子を愛したということかもしれない。
宿命と運命と複雑な心境が絡み合っているわけですね・・。


元の状態に戻ることに反抗しながら(反!復)、それでも何度も同じことを繰り返してしまう(反復)、それを運命と言うならば

洗礼者ヨハネを何故ヨセフの子孫と考えたかと言うと、名前が一番似ていたから。(ヨしかあってないじゃないか?)
もうひとつはイエスの養父がヨセフという名前だったからだ。
養父と洗礼者という存在は共通点があるのではないだろうかと思ったのだ。

一般的にイエスはユダの子孫と言われている。
養父がもし12部族のヨセフの子孫であるならば、母マリアがユダの子孫だったか、実の父(神様の子ですよ?)がユダの子孫だったかである。
ユダはヨセフにとって、救いであり(殺すことには反対してくれたから)、裏切り者でもある(商人に売ってしまったから)。


JとGに隠された秘密

※名前対照表(左から原語カナ、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語)

 ヤコブ James(ジェームズ) Jacobus(ヤコブス) Jacques(ジャック) Giacomo(ジャコモ)
 ヨハネ John(ジョン) Johann(ヨハン) Jean(ジャン) Giovanni(ジョヴァンニ)
 ユダ  Judas(ジュダ) Juda(ユダ) Judas(ジュダ) Giuda(ジュダ)
 イエス Jesus(ジーザス) Jesus(イエズス) Jesus(ジェジュ) Jesu(イエズ)
 ヨセフ Joseph(ジョセフ) Josef (Joseph)(ヨーゼフ) Joseph(ジョゼフ) Giuseppe(ジュゼッペ)

頭文字がJの聖書主要人物を挙げてみた。
但しイタリア語では頭文字がGとなることが多い。イエスだけがJを維持している。
日本語での呼び方は英語ではなくドイツ語に近い。

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フリーメイソンのシンボルの1つ。
フリーメイソンリーのシンボルマークの一つ。定規とコンパスは石工職人のギルドだったことの名残。
上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、男と女、陽と陰、天と地、精神と物質など世界の二元性の融和を表現している。
中央の「G」は至高存在を意味し、神(GOD)と幾何学(geometry)、栄光(Glory)、寛容(Grandeur)等を意味する。また「G」にはグノーシス(Gnosis)の意味も込められている。
フリーメイソンにおいて個々の建築道具は人間の美徳と対応し、直角定規は道徳、コンパスは真理、こては結束と友愛、槌は知識や知恵を象徴している。


フリーメイソンは、石工組合以外に、キリスト教で言う反キリストの『悪魔の子』=『天上のルシファー、その王の称号がヒラム(フラム)の子=ツロの王の子=自らをルシファーの子と名乗る人々』と示すとの意味と捉えている人達もいる。

1つの目が描かれている「プロビデンスの目」もフリーメイソンのシンボルマークだ。

こちらはグノーシス主義のシンボルマークと言われることもある「太陽十字」。
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福音書は正典として認められた以外にも多くあったらしい。
しかしそれらの福音書はイエスよりもイスカリオテのユダのほうが偉い人物に描かれていたそうで、だからみなボツになったようだ。
要するにそうした書は異端として切り捨てられたわけだが、異端の方が実は多かったりして?
でも時代が進むにつれて異端という名の正統は闇に葬られ、少数異端がいつの間にか多数正統になっていた。ということかな。
グノーシス主義も最初はキリスト教の異端児的存在だったと言われている。






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by yumimi61 | 2015-11-23 18:08
2015年 11月 23日
日本国憲法の秘密-109-
ハブ

聖書は英語で書かれたものではない。しかもかなり古い時代に書かれた書物である(はずだ)。
一字一句間違いなく転写され、正しい解読のもとに、後世に伝わってきたのかどうか、やや疑問が残る。
そうした根本的な問題を抜きにしても、英文の聖書はすでにそれ自体が訳文である。
日本語に訳されたものは、英文の聖書から訳したものだと思うが、違うのだろうか?
ともかく訳文の訳文の訳文の訳文といった感じで幾つかの翻訳を経て、今日の聖書がある。

日本語訳文はそれほど多くのパターンがあるわけではないが、キリスト教本場英語圏では幾つもの聖書(訳文)があり、それぞれ少しずつ表現の仕方が違っている。
こちらのサイトはハブ空港ならぬバイブルハブ。
いろんな言語で聖書が読める。
日本語は1つの訳のみ。英語では複数の訳が提示される。
上でリンクしたのは先日載せた「ルカ7章37節」の英語版。


まず日本語で見比べてみよう。
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―ジャパニーズ・イングリッシュ ルカによる福音書より
(ルカ 7:37)
するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
Behold, a woman in the city who was a sinner, when she knew that he was reclining in the Pharisee’s house, she brought an alabaster jar of ointment.

(ルカ 7:38)
泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
Standing behind at his feet weeping, she began to wet his feet with her tears, and she wiped them with the hair of her head, kissed his feet, and anointed them with the ointment.

— ルカ7:37-38(新共同訳による)
この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
---------------------------------------------

点線内は先日掲載したものだ。
下記はバイブルハブ日本語版より。

(ルカ7:37)
見よ、罪人である一人の女がその町にいたが、彼がファリサイ人の家で横になっていると知ると、香油の入った雪花石こうのつぼを持って来た。
(ルカ7:38)
泣きながら後ろから彼の足もとに進み寄り、自分の涙で彼の両足をぬらし始め、自分の髪でそれらをぬぐい、その両足に口づけし、それらに香油を塗った。


上で赤字で示した箇所の別の表現。
an alabaster jar of perfume
a beautiful alabaster jar filled with expensive perfume
an alabaster flask of ointment
an alabaster jar of perfume
an alabaster flask of fragrant oil
an alabaster vial of perfume
an alabaster box of ointment
an alabaster jar of fragrant oil
an alabaster jar of perfumed oil
an alabaster vase of ointment
a bottle of perfume
an alabaster cruse of ointment
an alabaster box of myrrh
an alabaster-box of ointment
a flask of perfume

ヨハネ12:3の「高価で純粋なナルドの香油一斤」はどうだろうか。

その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。

そこでマリアは,非常に高価な純正のナルド香油一ポンド12オンスまたは約340グラム相当のローマ・ポンドを取り,イエスの両足に塗り,自分の髪で彼の両足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

about a pint of pure nard, an expensive perfume
a twelve-ounce jar of expensive perfume made from essence of nard
a pound of expensive ointment made from pure nard
about a pint of expensive perfume, made of pure nard
a litra of fragrant oil of pure nard, of great price
a pound of very costly perfume of pure nard
a pound of ointment of spikenard, very costly
a pound of fragrant oil--pure and expensive nard
a litron of very expensive perfume made of pure nard
three quarters of a pound of expensive aromatic oil from pure nard
an alabaster vase of ointment of the best Indian spikenard, very expensive
a bottle of very expensive perfume made from pure nard
a pound of ointment of pure nard, very precious
a pound of ointment of right spikenard, of great price
a pound of ointment of pure nard of great price
a pound weight of pure spikenard, very costly


perfume(香水)では駄目だ

イエス・キリストのキリストという言葉は油(膏)を注がれた(塗られた)者という意味なのだから、キリストがキリストであるためには油が注がれたり塗られていなければならない。
新約聖書はイエス・キリストの話であり、それに支えられてイエス・キリストは信仰されているのだ。
もし油とは全く関係なく神聖を謳うのであれば、キリストという名(称号)でなくても良かったはず。
そして確かに新約聖書にはイエスが油を注がれる場面が描かれているのである。
そこがperfume(香水)では、油ではなくなってしまい、「キリスト」がぼやけてしまう。
香水にすることでイエスが真のキリストでないことを暗に伝えているというならば話は別だが。


混せ物では駄目だ

上に書き出したヨハネ福音書の香油の説明(英語版)では、"essence of nard" "pure nard"という言葉が使われている。
これはたぶん「精油」のことだと思う。
しかし精油そのものを持ってきたという表現はほぼ見られない。
唯一この表現"a pound weight of pure spikenard, very costly"が精油のみと受け取れる。
他は全て、精油入りの軟膏、精油入りの香油、精油入りの香水としている。

イスカリオテのユダが見積もった価格を信じれば、混ぜ物ではないはずだ。
精油を混ぜて使う時にもそんなに多くを混ぜるものではない。油や水に数滴混ぜて使用するものである。
女が持ってきた油や水の総量が500mlくらいだったとしても、そこに含まれる精油は僅かとなるので、イスカリオテのユダが言うほど高価にはならない。
オリーブや石油が採取できる地域だから油がとても高価だったとも思えない。
本当に高い価格のものならば100%精油だったと思う。ピュアオイル、ピュアエッセンス。
もし混ぜ物でそれほど値の張らない物だったならば、ユダに「なぜこの香油を売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と指摘された時に、女やイエスは「そんなに高価なものではない」と否定すればよかった。
しかしそうしていない。


ミステリー

もう一度香油の場面比較を載せる。前と少し違うのだがお気づきだろうか?
福音書並びの順番である。
成立が早い順にしてみた。
どれか1つを読むだけでは分からないのだが、4つの福音書を読むと見えてくるものがある。
4つの福音書の記者は2人か1人ではないだろうか。
2人にしても1人にしても1人は洗礼者ヨハネに近い(ヨハネ側)人物。
洗礼者ヨハネに近い(ヨハネ側)人物は福音書の中でイエス一派の嘘を暴こうと試みた。もちろん嘘を嘘と書いているわけではない。

●マルコ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

●マタイ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「高価な香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

●ルカ
・パリサイ人の家
・シモン、その町の罪の女
・罪の女が「香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

●ヨハネ
・ベタニヤ ラザロのいた所
・ラザロ、マリヤ、マルタ
・マリヤが「高価で純粋なナルドの香油一斤」を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。


ラザロという名の人物は、ルカ福音書16章20節に登場する。
金持ちとラザロ」という場面である。

(ルカ16:20)
ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
A certain beggar, named Lazarus, was laid at his gate, full of sores,


―バイブルハブ日本語 ルカ16:20
その門の前には,ラザロという名のこじきが,できものだらけの身で横たわっていて,

バイブルハブ英語 ルカ16:20

「金持ちとラザロ」のラザロは、イエスによって生き返ったラザロと同一人物であろう。
この場面があったからこその推理になるが、ラザロは金持ちを殺した。
自分が死んだ後にである。死んだふりをした後にということである。
死んだ人間が人を殺せるわけがないのでアリバイが成立する。
そしてラザロは復活した。
金持ちは孤独な人間だったのだろうか。金持ちの家や物をラザロは我が物にした。
マリヤとマルタはラザロの姉妹である。皮膚の病気である兄弟ラザロを不憫に思っていた。
たぶん有り合わせの物でラザロの皮膚をケアしてあげていたのであろう。
そこには母の面影もある。
イエスはその兄弟姉妹を愛していたのだ。
イエスとラザロも同一人物かもしれない。


ゴーストバスターズ

ヨハネ福音書以外は香油が何に入れられていたか記述されている。
日本語では「石膏の壺」と訳している。バイブルハブ日本語では「雪花石膏」と訳されていた。
英語では"alabaster"となっている。

アラバスター(Alabaster)は美しい白色の鉱物の変種のひとつ。
その特徴的な美しい白さゆえに、アラバスターは白いものの形容として、例えば英語では"alabaster skin"(白く滑らかな肌)といった表現で詩や歌などで使われている。

アラバスターとよばれる石には2種類あり、それぞれ石膏(CaSO4・2H2O)と方解石(CaCO3)という2つの異なった鉱物の変種である。現代ではアラバスターは石膏のものをさし、方解石のアラバスターは一般に古代のものをさす。
両者の違いは硬さによって簡単に判別できる。石膏のものはモース硬度が1.5から2であり、爪で傷つけることができる(爪の硬度は2.5)。一方、方解石のものの硬度は3で爪で傷つけることができない。さらには、方解石のアラバスターは炭酸カルシウムなので塩酸にとけるが、石膏のものは反応しないことでも判別できる。


上にも詩歌で使われていると書いてあるが、アラバスターは欧米の文学作品にて完璧な美や富を象徴する物として使われる。有名どころでは『赤毛のアン』にも登場する。
しかしそう聖書ですでに使われていたのだ。
「黒い貴族」という言葉が影を落としたのか、それとも人類は全てアフリカから生まれたという学説「out of Africa(アウト オブ アフリカ)」が影響を及ぼしているのか、人間は白肌への憧れが強い。
日本ではアラバスターという言葉はあまり用いられないが、女性ファッション誌や美容雑誌及びインターネットサイトや記事、広告などでよく「陶器肌」という言葉が用いられている。
どういう意味合いで使っているのか最初よく分からなかったが、白くてつるつるすべすべしていて、均一で曇りの無い透明感のある肌らしい。
前に私は「便器だって陶器よ」と書いたことがあるのだが、お掃除は欠かせないということですね。(せめてお茶碗と言って?)
世界は肌の色の差別(人種差別)に厳しくなって猛反対するようになったが、白肌バンザイ観は相変わらずといったところ。
日本人の日除けブームなどは狂気的でさえある。
だから白皮症や白斑症という疾患があるにもかかわらず、また多くの人が当たり前に白髪になるにもかかわらず、肌が白くなったマイケル・ジャクソンを漂白したと非難したのだ。白肌への憧れの裏返しだろう。
健康的に黒い肌が真っ白に漂白できるならば、それこそノーベル賞ものではないのか?

ただ白い物へ憧れる気持ちは分からなくはない。
何故かと言うと、この世界に「白」という天然色は存在しないから。

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アラベスク

精油(ピュアオイル・ピュアエッセンス)を入れていた容器は「アラバストロン」ではないだろうか。
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左) ルーヴル美術館 クラシック時代のギリシア美術(前5-前4世紀) 「アラバストロン」
右) GICガラスミュージアム C4~5世紀頃のアイシャドウの容器 「アラバストロン」

精油は酸化や変性をしやすいので保存や取り扱いには注意を要することは前述したが、精油は揮発性であり油脂とは性質が違う。
常温常圧でも蒸発してしまうものである。
そういった性質を踏まえれば、保存容器も何でもよいというわけにはいかない。
通気性がなく容器の素材と化学反応を起こしにくいもの。そして蓋があることはもちろん、開口部も極力狭くしなければならない。
開口部が狭いことは外気との接触を少なくし蒸発を防ぐ。
また精油は幾滴か滴下して用いることが多いので、滴が垂れるくらいの開口部が使いすぎを防ぐ。
口が大きく開いた容器であれば、必要以上に使ってしまったり、高価な精油を無駄にこぼしてしまうこともあるだろう。
精油容器に蓋がないのは論外。




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by yumimi61 | 2015-11-23 00:21
2015年 11月 22日
日本国憲法の秘密-108-
同名

外国人は同じ名前が多すぎる!
それは日本でも同じではないかと言われれば、まあそうかと思うのだが、それでも外国人ほどの重なりはないような気がする。
ここで言う外国人とはキリスト教徒のことなのだけれど、彼らはファーストネーム(日本で言う名前)に聖人の名を付けることが多い。
日本の場合は、同じ名前が多くなる理由に確固たるものはなく、あえて言えばその時代の流行ということだろう。流行なので流行り廃りもあるし、多いと言ってもやはりそこまで集中はしない。
キリスト教圏では限られた聖人の名がいつの時代にも使われるので、あっちにもこっちにも同じ名前がある。
こんな名前が多いのです。→カトリック講座


その上、外国ではファミリーネーム(姓名・名字)よりもファーストネーム(名前)のほうがよく使われる。
友人や知人など本人やその家族以外の人が覚えて呼ぶ名はファミリーネームではなくファーストネームなのだ。
ファミリーネームまでは覚えていない、ファミリーネームは知らなかったということもしばしばある。
外国では家族を大切にするといわれているのに何だか不思議と思うかもしれない。
外国人はもともと「個」を優先する人達である。
家族は社会に対しての「個」であるが、個々人は家族に対しての「個」である。
対社会という構図になれば家族という個を前面に押し出すこともあるが、基本の基は個々人なのだ。
会社から休暇を得る時や仕事を辞める時などには、「家族」という個が重要になってくる。
でも本当は何より個人が大事なので、家族はすぐにばらけやすい。
それを知っていたからこそカトリックなどは離婚を禁止して容易にばらけないようにしたのであろう。

日本においても、ジョン・レノンをレノンさん、ポール・マッカートニーをマッカートニーさん、マイケル・ジャクソンをジャクソンさんと呼ぶ人は少ない。
ジョンやポールやマイケルである(呼び捨て!)。
やや畏まってフルネーム呼びといった感じで、ファミリーネームのみの呼び方はまず聞かない。
さすがに大統領にもなると一般民衆から「フランソワ」や「バラク」と呼ばれることはなくなる。
オランド大統領やオバマ大統領である。呼び捨てにしてもオランドやオバマであって、公の場でバラクなんて呼ぶのは奥さんくらいだろう。
その奥さんも大方の場合、「ミシェル夫人」である。
日本人の私からすると、「オバマ夫人」のほうがしっくりくるのだが、そういう使い方はあまりされない。大統領夫人と言われることはあるけれども。
血縁というファミリーが何より重要に感じる王室や皇室にも姓名・名字がない。

また国によっては姓名・名字自体存在しない。
例えば最近選挙で話題になったミャンマーがそうである。
アウンサンスーチーという名はファーストネームである。
父親の名前(アウンサン)に、父方の祖母の名前(スー)と母親の名前(キンチー)から一音節ずつ取って、付けられたものである。
ミャンマーに住むビルマ民族は性別に関係なく姓を持たない。アウンサンスーチーの「アウンサン」も姓や父姓ではなく、個人名の一部分に過ぎない。彼女の名前は「アウンサンスーチー」で、原語では分割することはない。したがって、彼女のことを「スー・チー」「スーチー」などと呼ぶのは誤りとなる。ただし日本の新聞や報道などでは便宜上短い表記を使うことがほとんどとなっている。日本の大手メディアでは毎日新聞が1996年から、朝日新聞が2012年から「アウンサンスーチー」と表記しているがそれ以外は「アウン・サン・スー・チー」と表記している。



父名じゃなくて地名?

同じ名前が多いので、「ナザレのイエス」や「ベタニアのマリア」など「地名+ファーストネーム」で呼ばれたり記されたりしているのだ。

例えば、「ジョンをやってくれ」という指令だけでは、「どこのジョンですか?」ということになる。
だから「ニューヨークのジョンだ」と言わなければならない。
それでも分からない?
「ニューヨークのマンハッタンのアッパー・ウェストのダコタのジョンだ」
これくらい必要になりますか?
「もういません!」
「待ってろ!」

ちなみに私は親戚の伯父や伯母を氏名ではなく、「〇〇の伯父さん」「〇〇の伯母さん」と呼んでいた。
〇〇に入るのは地名である。
同じ名字だからかと思うかもしれないが、そうではない。(父母の姉妹の伯母さんなどは嫁いでそれぞれ姓が変わっていた)


頑張っていこう!?

世界の主だった国(地域)の中で、戸籍制度があるのは日本と韓国と台湾のみだそうだ。
日本の戸籍制度は明治時代に始まった。
他の国々は何も管理していないかと言えば、そんなことはない。
出生、結婚や離婚(配偶者名)、死亡などの事実が届けられ管理されている。
よく外国では市民権を得るとか得ないとか言っているが、市民(国民)の権利を得るということは、市民(国民)として籍を置くということになる。
家(世帯)単位ではなく、一人ずつの登録ということで「個」が重視されている。戸籍ではなく個籍である。
少なくとも籍(権利)においては、家族構成やどんな家族がいるかなんてことは重要ではない。一個人としての権利を持っているのだ。

日本で導入されたマイナンバー制度。これが個籍に近い。
従ってこれを導入するならば戸籍は廃止してもよいのではないだろうか。
(にもかかわらず家族分まとめて世帯主宛てに送ってきやがった。もとい送ってきた。普段配達しない日曜日に来たから一瞬詐欺かと思って身構えてしまった。書留で印鑑も必要だったけれど、世帯主ではない私が受け取って押してやった。もとい押しました。郵便局の人は受取人の私が誰であるかということを確認しなかったし、身分証明書を出せとも言わなかった。私のこと誰だか知っているのかしら?フランスあたりじゃテロリストを泊めてしまうことだってあるっていうのに。封筒を開けて家族全員分のナンバーを確認した。がその全てを覚えられる代物ではない)

戸籍を廃止すれば多くの女性が嫌がる夫の家の墓に入る必要などなくなる。(どうして夫と一緒でも嫌なんだろう?)
例え小さくても一人一人の墓(墓石・墓標)があればいいのである。
亡くなった友人のお墓にお参りに行くにも、どこそこ一族の墓となってしまうと気軽には行けなくなる。
故人を想うってなんだろうって思う。
戸籍がなくなれば、家単位の墓といった慣習もいずれ消えていくのではないだろうか。
「同じ墓に入る」という発想自体、火葬の末の骨壺故のものだと思う。
土葬の場合、並べてほしいはあっても、同じ墓に入れてほしいは在り得ない。(権威者の古墳ならあるかもしれないけれど)

夫婦別姓も戸籍があるから拘るのだろう。
姓を変えることが面倒という理由の他に、夫も妻も自分の家の名前を継承したいということがあるのではなかろうか。
女の姉妹しかいなくて、嫁いで夫の姓に変わると、自分の家の姓が途絶えてしまうから。
夫婦別姓が認められている外国は、戸籍がなく、日常生活においてファミリーネームが重要ではなくあまり使われていないという実態がある。
個人管理、もっと言えばナンバー管理なので、姓名が変わっても変わらなくても別にどうってことない。
またファミリーネームを夫側の姓にしてミドルネームに旧姓を残す事も出来る。

皇室は戸籍も持っていない。
先祖代々連なる家系が何より重要なはずの天皇ご一家が戸籍を持たない理由は何だろうか?
古代ローマやインド、中国などで見られたかなり古い時代の戸籍は、奴隷など支配される身分にある家族を登録するというもので、支配者には必要ないものだった。
そんなことと関係があるのだろうか?


諮問機関

シモンに行く着くまでにだいぶ時間がかかってしまったが、「福音書のシモンは同一人物であろうか?」という話がしたかったのだ。

●ルカ
・パリサイ人の家
・シモン、その町の罪の女
・罪の女が「香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

●ヨハネ
・ベタニヤ ラザロのいた所
・ラザロ、マリヤ、マルタ
・マリヤが「高価で純粋なナルドの香油一斤」を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。

●マルコ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

●マタイ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「高価な香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。

イエス・キリストの十二使徒のひとりであるペトロもシモン・ペテロと呼ばれることがある。
イエスはケファ(岩や石という意味)という通名で呼んでいた。
このシモン・ペテロは筆頭弟子みたいな感じでリーダー格。
洗礼者ヨハネの子か弟子だったのではないかとも考えられている。
カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである。

また十二使徒には別のシモンがいて、こちらは熱心党員(熱心者)のペトロと記されている。ただ何度も登場しない。

さらに、イエスには兄弟姉妹がいるのだが、その兄弟の中にもシモンがいる。(ユダもいる)
イエスの兄弟名―ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ。
みんなどこかで聞いたことのある名前である。

プロテスタントは兄弟姉妹をヨセフとマリアの子と認めているが、カトリックはマリアの処女性(イエスの特別性)が薄れることから兄弟姉妹をヨセフとマリアの子と認めないスタンスを取っている。

イエスは「神の子」として誕生したと、『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』の4福音書が一致して述べている。しかし「神の子」という呼び方は当時ではありふれており、アブラハムの子孫を意味する言葉でしかなかった[要出典]。
またイエスの誕生については、それぞれの福音書での記述内容に相違が見られる。もっとも早く成立した『マルコによる福音書』ではイエスの伝道から記述を始め、イエスの生誕についてはまったく述べていない。母マリアの処女懐胎については、共観福音書では『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』にしか記されておらず、『マルコ』には記述がない。 『マタイ』『ルカ』以後に成立した『ヨハネによる福音書』にも記述がない。
『マタイ』と『ルカ』によれば、イエスはベツレヘムで誕生したことになっているが、イスラエルの救済者メシアはダビデの町であるベツレヘムで生まれるという伝承がユダヤ教にはあり、八木誠一は、この伝承に従って福音記者はこのような記述を行ったと考えている。『ヨハネ』はイエスの生誕の地については全く記述していない。八木は、『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』によれば、イエスの父(または養父)ヨセフは古代イスラエルの王ダビデの末裔とされるが、メシアはダビデの家系に生まれるという伝承があり、福音記者はこの伝承に合わせて記述したと、と推測している。

福音書の記述の主な対象は、宗教活動を始めた時期のイエスである。その中で彼は、様々な教えを説き、奇蹟を起こした結果、弟子の集団が構成されたことになっている。福音書にはイエスがさまざまな病人の治療を行い、重い皮膚病患者を癒し、死者をよみがえらせたなど、多数の奇蹟が記されている。イエスは宣教の際に、比喩(たとえ話)を多く用いた。



それから洗礼者ヨハネと十二使徒ヨハネは別人である。
十二使徒ヨハネとヨハネ福音書の記者ヨハネは同一人物説と別人説がある。
洗礼者ヨハネは、イエスが香油をかけられた頃には、南北に流れるヨルダン川の東側で洗礼を行っていた。現在で言えばヨルダンに属す場所である。
エルサレムはヨルダン川の西側である。ベタニヤはエルサレムに近い西側にある。
イエスは洗礼者ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けていた。
イエスより先に洗礼を行っていたヨハネはユダヤ教なのか、それともキリスト教なのか?
ヨハネが行っていた洗礼が「罪のゆるしを得させる悔改め」のためのものならば、罪の女とはヨハネの洗礼を受けていない者ということだったのではないだろうか?
洗礼を受けていなかった女はイエスによって許されてキリスト教に認められたということだろうか。

(ルカ 3:1)
皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、
Now in the fifteenth year of the reign of Tiberius Caesar, Pontius Pilate being governor of Judea, and Herod being tetrarch of Galilee, and his brother Philip tetrarch of the region of Ituraea and Trachonitis, and Lysanias tetrarch of Abilene,
(ルカ 3:2)
アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
in the high priesthood of Annas and Caiaphas, the word of God came to John, the son of Zacharias, in the wilderness.
(ルカ 3:3)
彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
He came into all the region around the Jordan, preaching the baptism of repentance for remission of sins.





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by yumimi61 | 2015-11-22 10:47
2015年 11月 21日
日本国憲法の秘密-107-
オレンジ色な服
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この絵の壺に似た色の花瓶を持っている。
しかしオレンジ色の布やら服は持っていない。
日本全国に広げても、おそらくオレンジ色服を持っている人の割合はそう多くないであろうと推測する。
ハロウィンの時に、テレビに出ている人の「オレンジ色系洋服着ている率」(仮装除外)が急激に跳ね上がったが、お世辞にも似合っているとは言えなかった。
オレンジ色を着こなすのは非常に難しいのだと思った。
そんなわけでうちにもオレンジはないだろうと諦めかけたその時、はっと思い出した。
ユニだ!
ユニリーバではなくてユニホーム。
中学校部活のサッカー部のユニホーム(ホーム用)がオレンジ色だった。(このユニ
正直初めて見た時は斬新な色だと思った。
サッカー部のユニホームは部の物で、引退まで貸し出すことになっている。マイユニではないのだ。
短パンと靴下などは自分持ち。
僅かなオレンジの残像。
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と思ったら、Tシャツがありました。体育祭か何かのクラスT。
そう言えばこれも前に載せたことがありました
前に撮った写真のTはケミカルウォッシュみたくなっているけれども、本当はそんなことなくて鮮やか一色なオレンジ色です。洗濯に失敗したわけでもありません。
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スパイクナード(甘松香)

罪深い女(罪の女)と香油が登場した「ルカ福音書」7章。
この話が「ヨハネ福音書」11章に通じ、マリヤ(アリア)とマルタの姉妹が登場する。
そしてルカ福音書に記されていた罪深い女はベタニヤ(ベタニア)のマリヤ(マリア)であったということがと分かる。
姉妹にはラザロという兄弟がいて、そのラザロは病気だった。
ラザロは死んで一旦は墓に入ったがイエスによって蘇った。
イエス以外にも復活した人がいるわけだが、後世でその人が神の子や聖人など特別な人として扱われていないことは、蘇り・復活した人間自体にはそれほど意味がないということが分かる。

ラザロが生き返った次の章(ヨハネ福音書12章)でも香油が出てくる。赤字で示した箇所。
ここでは「高価な純粋なナルドの香油一斤」と香油の種類と量が具体的に書かれている。

12:1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。

12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。


12:3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。

12:4 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、

12:5 「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。



「高価で純粋」とあるので、ありふれていて簡単に手に入る油や軟膏ではないと推測される。
また「ナルドの香油」と具体的に植物の名前も提示されている。
ナルドとはスパイクナード(spikenard)のこと。甘松香である。
アジア原産の植物で「ハーブ」や「精油」というよりは「漢方」や「生薬」という言葉が似合いそうな一品である。


植物のどこに効能や香りを持っているかということは、個々に違うものである。
根、茎(幹や樹皮)、葉、花。
それをどうやって使うかも違う。
粉にしてそのまま飲むこともあれば、煎じて飲むこともある。精油にすることもあり、お湯や油などに浸しておく場合もある。
根から抽出する精油はそう多くない。
根から抽出する精油として比較的使われるのがベチバー。
あとはジンジャーやスパイクナード、バレリアンなども根から抽出する。
土臭いというか何というか独特な香り(匂い)なので好き嫌いが大きいかもしれない。

香りというのは難しい。多くの人に好まれるのは芳香剤の香りになっているようなバラやラベンダーやジャスミンなど花の香りではないだろうか。
幾ら効能に優れていると言っても、その香りが嫌いとなればストレスになりかねない。
柔軟剤や香水の香りでもきつすぎて吐き気を催すという人もいるくらいだ。やはり個人差が大きい。
それから商売として考えた場合。
簡単に作れない物や少ししかない物の価格は高くしなければ割が合わない。
ありふれた物が役に立たないもので、希少なものが役に立つ素晴らしいものだとも限らない。
そんな高い物はいらないとなれば売れない。
売りたくないならばそれでいいが、それでも売りたければ価格を下げるしかない。
付加価値を付けてみるなどの工夫もするだろう。
また同じ物でも、安い時には売れなかったが、価格を高くしただけで売れたという事例もある。
これがいわゆるマーケット・市場原理というものだ。
市場原理では「高かろう良かろう、安かろう悪かろう」も成り立たなくなる。
こうして何が本当のことなのか分からなくなっていく。


目利き(鼻利き?)のユダさん

ベタニヤのマリアが持ってきた「高価で純粋なナルドの香油一斤」をイスカリオテのユダは即座に300デナリと見積もったようだ。
斤という単位は今では食パンにしか使われていないが、尺貫法の質量の単位である。
日本では通常1斤=16両=160匁で、1匁=3.75gなので600gとなる。
しかし新約聖書のそれは、舶来品に使用していた「英斤」だと思われる。1斤=7.5両=120匁=450g
水に近いものならば450mlということになる。
500mlのペットボトル弱くらいな感じ。
精油の市販品は、3ml、5ml、10ml、20mlといった容量のことが多いので、もし精油100%ならば非常に多い量である。
精油はエッセンシャルオイルと言うが、合成香料などを使用していない天然の精油はピュアオイルと呼ばれたり、100%ピュア、100%天然、100%のエッセンシャルオイル、精油100%などと謳われる。
合成香料のみの場合には精油やエッセンシャルオイルという商品名は付けられない。
少しでも混じっていればOKとなる。(キャリーオイルなどに混ぜて売っているという意味ではない)

デナリは古代ローマの銀貨denariusの複数形denarii のこと。
《新約聖書に penny と記されているもの; ★この略 d. は英国では旧 penny,pence の記号として用いられた; cf. £.s.d.》.
ちなみに福音書は新約聖書である。
古代ローマにおける労働者の1日の賃金がだいたい1デナリだったそう。
日給1万円として計算すれば300万円。
確かに高価な香油ということになろう。


香油の場面比較

マルコ福音書とマタイ福音書にも香油を持った女が登場する。

(マルコ福音書)
14:3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

14:4 すると、ある人々が憤って互に言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。

14:5 この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。


(マタイ福音書)
26:6 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、

26:7 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。


26:8 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。

26:9 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。


この場面は、マルコ福音書もマタイ福音書も内容はほとんど同じである。
またヨハネ福音書の香油の場面とも近似している。
但し、マルコ福音書とマタイ福音書のこの場面では女と弟子の名前が書かれていない。
ヨハネ福音書では、ベタニヤのマリヤとマルタ姉妹、それに生き返ったラザロがその場面にいるが、マルコとマタイではベタニヤのらい病を患うシモンの家にいるとある。

●ルカ
・パリサイ人の家
・シモン、その町の罪の女
・罪の女が「香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

●ヨハネ
・ベタニヤ ラザロのいた所
・ラザロ、マリヤ、マルタ
・マリヤが「高価で純粋なナルドの香油一斤」を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。

●マルコ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「非常に高価で純粋なナルドの香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

●マタイ
・ベタニヤ らい病のシモンの家
・女
・「高価な香油」が入れてある「石膏のつぼ」を持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。




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by yumimi61 | 2015-11-21 09:58