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2016年 03月 31日
緑と黄

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ドナルド・キーン
怒鳴るとキーン??

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ドナルド・ダック?
ドナルド・トランプ?

<レモン関係の記事>
相反 2011年10月26日 連合赤軍の浅間山荘事件について
革命 2011年11月31日 イギリスのバンドThe Stone Rosesの1989年発売のアルバムジャケット



最近気に入っているコマーシャルがある。それはゴールデンレトリバーが出てくるAmazonのCM。

赤ちゃんとパパ&ママ、それを見つめるゴールデンレトリバー。その姿がまず切なくて胸を打つ。
赤ちゃんのそばに行くと赤ちゃんが泣いてしまい立ち去るゴールデンレトリバー。ここではもう涙が出そうになる。
ライオンのぬいぐるみには泣かない赤ちゃん。それを見ているゴールデンレトリバー。
その姿にパパが気付いて、ある物をワンクリックで購入。優しげなパパがゴールデンにもう大丈夫だ的に頷く。
ある物とはライオンのたてがみ。犬の変装グッズ?
その日の夜には届いているので24時間以内お届けで買ったのかな。


「さあ本物のライオンを見せてやれ」
赤ちゃんの前に進むライオンゴールデンレトリバー。
むむっこれは・・と手を出す赤ちゃん。
ガオー、がぶり。
「ライオンというものはこういうものだ、分かったか」
・・・・・・・・・・・・・・
とは言うものの所詮被り物であり、ライオンゴールデンレトリバーも偽ライオンには変わりないのであった。







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by yumimi61 | 2016-03-31 21:41
2016年 03月 30日
卒業

3年前の3月、次男は中学校を卒業した。
私は次男の中学校の卒業式に出席しなかった。
どうしても行けなかった。
行けたけれど行けなかった。
次男に行くとも行かないとも言わず私は行かなかった。
卒業式から帰った次男も別に何も言わなかった。

あの時、高校の卒業式には必ず行くから、そう心の中で誓った。
行くとか行かないとかの選択があると思ったことはなかったけれど、次男の中学校の卒業式に出なかった私は素直にそう思っていた。
だけど、一昨年の12月、高校2年生の2学期が終わった時、私は次男に「嫌なら学校を辞めていい、やる気がないなら辞めなさい」と言った。
彼は学習への意欲を完全に失っていたし、人生に希望を持っているようにも思えなかった。
毎学期終わりに学校に呼び出され、私は学校へ足を運んだが変化はなかった。
受験勉強どころか定期テストの前でさえ全く勉強はしなかった。どこかで完全に止まっていた。
課題などの提出物を出さないし、授業中にはよく寝ているらしかった。遅刻も欠席もちょこちょこある。
彼は部活動をするために学校に通っているようなものだった。
テストの点数だけならともかく、これでは救いようがないと先生は言った。
単位制の学校なので単位を取れないと進級は出来ない、仮進級で上げても卒業は出来ない、そう説明されても正直私もお手上げだった。
やる気のない子に強制的に何かやらせるとしたら脅しか暴力くらいしか手立てはないだろうが、そんな強制は気乗りがしない。相手は私よりも大きくなった10代も後半の男の子である。

進級できない、卒業できないと言っても、結局は最後は補習や追試で何となく卒業できちゃうんでしょみたいに思ってほしくないという気持ちが強かった。
さらに、3年生になって部活を引退して通学する目的を失って、あるいは卒業できずに、惰性で退学するくらいなら、辞めるという意思を持ってその前に辞めたほうがよいのではないかという思いもあった。
先生や親に迷惑をかけていること、高校を退学して後で大学へ行きたいと思うようになったら大検を受ければよいことなどを話した。
普段はろくな返事も返ってこないが、その時、彼はしっかりとした口調で「卒業はしたい」と返事した。
呼び出されての三者面談で私は担任の先生にも学校を退学させてもよいと思っていることを話したが、先生も「みんなと一緒に卒業させてやりたい」と言って下さり、次男はそこでも「卒業したい」と言った。
それならばということで、私も先生ももう何も言わないということにした。
卒業したいならば自分でそのようにしなければならないということだ。

彼が大きく変わったの部活引退後だった。
誰に何を言われることなく、自分で夜型の生活を朝型に変えて、勉強をするようになった。
当たり前のことかもしれないが、自分で決めた時間に寝て、自分一人で起きる。
家で勉強するのなんて何年ぶりだろう。
驚くくらいの変わりようだった。
成績も上がってきた。学期末の呼び出しも無くなった。

そして、2016年3月1日、次男は同級生とともに高校を卒業した。
風の強い日だった。強いどころではなく、真っ直ぐに歩くのも容易ではないほどの風が吹き荒れていた寒い日だった。
風に向かって走ろう。
たぶんそれは、卒業式に相応しい風だったのだろう。

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担任の先生、学年主任の先生、部活の顧問の先生をはじめとする諸先生方には、大変なご迷惑とご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
先生方が日頃一つ一つ丁寧に根気よく御指導くださったことに改めて感謝いたします。

彼が退学をせずに卒業できたのは部活動やクラスの仲間がいたからだろうとも思っています。
本当にありがとう。

3年生になる前に役員の保護者から高校の地区役員を決める話をいただいて、その時に退学するかもしれないのでとお断りし、その後のくじ引きでも事情を話して抜いてもらいましたが、結局退学もせずに卒業することになって、なんだか嘘のようになってしまいました。ごめんなさい。
でも本当にあの時は退学するかもしれないと思っていました。
卒業できて良かったです。役員だった方はご苦労様でした。

長い長い3年間でした。
震災からの5年と言われると、「もう5年も経つのだなあ」と思うのだけれど、その中にあった次男の高校3年間は私にとってとても長い3年間でした。

卒業おめでとう。頑張ったね。中学の卒業式に行かなくてごめんね。

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PL学園校歌
作詞:湯浅竜起
作曲:東信太郎
(2番)
人生さだかに 芸術と
まなぶ真道も 明らかに
青春の血は 金剛の
嶺より高く 燃え立ちて
PL学園 これの世に
斬新の道 ひらくなり
ああ PL PL
永遠の学園 永遠の学園

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by yumimi61 | 2016-03-30 16:00
2016年 03月 29日
日本国憲法の秘密-210- ❤
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Special Thanks

●トヨタプリウスシフトレバー画像 ‐200-
 中古車のガリバーより

●あかぎ国体集団演技画像 ‐200-
 第38回国民体育大会あかぎ国体 式典後集団演技 高校生部門より
 「風に向かって走ろう」 出演者:前橋市内高校生6校1697人 県内高校ダンス部20校220人
 あかぎ国体の開催は1983年10月15日~20日。
 「風に向かって走ろう」は、あかぎ国体のスローガンであった。沼田女子高等学校生徒の作品。
 芥川龍之介の三男でもある作曲家の芥川也寸志『行進曲"風に向かって走ろう"』という楽曲を制作した。
 ちなみに日産の『世界の恋人』も芥川が作曲した曲である。
 マスコットキャラクターの「ぐんまちゃん」はあかぎ国体生まれであるが、現在の「ぐんまちゃん」(2代目)とは見て呉れが違う。
 初代ぐんまちゃんは馬場のぼる(漫画家・絵本作家)デザインである。

群馬大学理工学部 ‐201-
 平成27年(2015年)に創立100年を迎え、同年10月10日に記念式典が催された。

桐生が岡動物公園  ‐201-
 無休・無料の動物園。遊園地も隣接している。桜の名所でもある。

掃部山(かもんやま)公園 ‐201-

野毛山動物園 ‐201- 

水道山公園 ‐201-
 桐生を一望できる。お花見もおすすめ。

●通りゃんせ通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ通りゃんせ ‐201-
わらべ歌『通りゃんせ

桐生天満宮 ‐201-
 ☆マークの天満宮はこちら

反町薬師(高野山真言宗瑠璃山照明寺) ‐202-
 1月4日が、年に一度のご開帳が行われる大縁日。 

●金龍寺 ‐202- 金龍寺の由良氏五輪塔並びに新田義貞公供養塔

桐生女子高等学校 ‐202-

●校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空 幻とリアルな気持ち 感じていた ‐202-
 尾崎豊『卒業』より

PL学園高等学校 ‐202-
 〒584-8555 大阪府富田林市喜志2055

●富田林寺内町 重要伝統的建造物群保存地区 富田林寺内町の探訪

●「子供ねぇ・・。子供による子供の殺人って実は意外にあるんだよね。何か大きな事件があるごとに犯罪の低年齢化とか言っているけど昔の事件は皆驚くべき年齢だったりする」 ‐203- 
 こどもの犯罪被害データーベース こどもが子供を殺した事件

●長い長い夜を待ち
僕の夢がみな叶う
僕は歩くその日まで
あの長い長い小径を君と二人で ‐203-
 映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』より

●ノロマでもいいから
走りつづけるさ ゴロゴロと
地図にない道を選んで Yeah…
海の見える街へ行こう La… ‐203-
 スピッツ『353号線のうた』より

●誘拐事件(未解決)
1987年9月14日(月) 群馬県高崎市 5歳・男児 神社 ・・・身代金目的の電話あり ‐204-
 この誘拐事件が発生した時、マイケル・ジャクソンが来日していた。9月9日~10月19日滞在。
 コンサートで事件に触れている。
1986年5月、ペプシとの契約を更新。ペプシはソロ・ワールドツアーの宣伝や公演も受け持つことになったため、それが大きな後押しとなる。
1987年6月29日、マイケルのマネージャー、フランク・ディレオが、ジャクソンの初のワールドコンサートツアーを行うことを発表した。ツアーで最初に訪れたのはマイケルが1973年にジャクソン5として公演したことのある日本である。
日本でスタートする公演は日本テレビが主催者となった。

9月21日の西宮球場でのコンサートでは、戦後唯一未解決となった身代金目的の誘拐殺人事件の犠牲者となった5歳の子供へのお悔やみの言葉を述べた。
さらに大阪球場での公演も追加された。
 Bad World Tour/バッド・ワールド・ツアーWikipediaより

 当時のエピソードが綴られているブログ
 このエピソード元は芸能ジャーナリスト渡邉裕二さんが掲載していたもののよう。
 ブログによると吉本興業に所属していた島田紳助さんの引退会見を事前リークしていた方とのこと。
 サンミュージックに所属していた酒井法子さんのデビュー当時からの担当記者でもあった。

●パチンコ機メーカー 西陣 平和 三共(SANKYO) ‐204-

●ガリバーと写る写真 ‐204-
 撮影地は高崎市。利根川に架かる和田橋に続く県道49号線が通る連雀町。
 かつてそこに田原屋があった。その看板が写真に写っている。
 近くには「アサヒ商会」と「小板橋」といった大きな文房具店が競うように存在した。
 アサヒ商会はHi-NOTEという名称で現在も営業している。
 ホームページのhistoryの1966年の箇所に田原屋が写る写真がある。

●歩道橋のうえ振り返り、焼けつくような夕陽が今、心の地図の上で起こる全ての出来事を照らすよ。 ‐205-
 尾崎豊『17歳の地図』より

●水谷豊さんが写る写真 ‐203-
  1978年撮影。
 
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●東長岡町交番での事故写真 ‐205-
 産経フォトより

●千日デパートビル火災 ‐207-
 大阪の20世紀 (34)死者118人「人間が降ってくる」 千日デパートビル火災
  -産経新聞アーカイブ(1999年04月18日 大阪府下版に掲載)-
 一部抜粋
火災から四半世紀以上がたった。プレイタウンに勤めていた娘=当時(三〇)=を亡くした女性(七二)=大阪市西成区在住=は、小学生だった二人の孫を育てた。二人とも結婚し、ひ孫も生まれたが、「私たちの人生の中では大変なことだったけど、だれに言ってもわかることではない。もう思い出したくない」。

現在、五十八歳の扇谷は、南警備方面隊長を務める。自ら火災現場に出動する毎日が続いているが、「悔しく無念」と、一度もビルには近寄っていない。


●2016年2月25日大阪梅田事故現場の写真 ‐209-
 左写真)news鹿より 撮影者@skullofosk
 右写真)BLOGOS(ブロゴス)より 当該写真ページはリンク切れ
 左写真に写っているレッカー車に「あかつき」と書かれていた。「あかつき」はかつて私が夢の中で見た(聞いた)言葉である。

大阪新阪急ホテル(阪急阪神第一ホテルグループ) ‐209-
 宴会場のご案内
 ロビーラウンジサントルの『春の野』はこちら(日本ホテル協会 大坂新阪急ホテルページ)で見ることができる。

万葉の春・松伯美術館 ‐209-
 上リンク先コレクションにて上村松篁画伯の『万葉の春』を見ることができる。

●古いアルバムの中に
隠れて想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の
日付けは遥かなメモリー ‐209-
 H2O『想い出がいっぱい』(作詞:阿木燿子 作曲:鈴木キサブロー)より
 この曲は群馬県出身のあだち充原作アニメ『みゆき』(フジテレビ)のエンディングテーマ曲でもあった。
 
●ハーバードの「天ぷら」
私がなぜ天ぷら学生の話をするかというと、5月18日、あのハーバード大学で、「偽」学生になりすました23歳の青年が、逮捕・起訴される事件があったからである。
青年の名はアダム・E・ウィーラー。正確に言うと「偽」学生ではなく、本物の学生だったのだが、入学審査時に大学側に提出した学歴・業績が「嘘」だらけであることが露見、除籍処分となったのだった。いわば、学生服を着る代わりに、嘘の経歴という「ころも」で身を包むことで名門大学への入学を果たしたのである。

「嘘」で塗り固めた願書を提出することでまんまとハーバード入学を果たしたウィーラー君だったが、入学後も、偽の業績・盗作の作文/レポートを提出する手口で、諸種賞金・奨学金を獲得し続けた(総額は4万5000ドルを超えると見積もられている)。

悪事が露見するきっかけとなったのは、よせばいいのに、「超優秀」学生しか得ることができないローズ奨学金・フルブライト奨学金に、応募したことだった。
その錚々たる経歴と業績とで、当初は「有望候補」に擬せられていたというが、審査員を務めた教授の一人が、応募書類に添えられた作文(エッセイ)が、別のハーバード教授の論文の盗作であることに気づき、ウィーラー君の悪運も尽きることになったのだった。

しかし、いったい、なぜ、ハーバードともあろう名門大学で、偽の学歴・業績で入学を認めるような「間抜け」な事態が起こったのだろうか? 第一の理由は入学応募者が毎年約3万人と莫大な数に上ることにある。日本の入試のようにたった1回(あるいは2回)の学力試験で選抜するのであれば簡単なのだが、書類・面接での選考は著しく手間暇がかかる。細かなところを一々チェックすることは実際問題として不可能なのである。

ローズとかフルブライトとか、「超優秀」学生しか得ることのできない奨学金に応募するような分不相応な「高望み」さえしなければ、ウィーラー君、逮捕されるどころか、つつがなくハーバードを卒業することができていたのではないだろうか?
私がウィーラー君だったら、「ばれる」ことを恐れて在学中「目立たない」ことに専心、卒業までの毎日を「雌伏」しながら過ごしたと思うのだが、なぜ、ローズやフルブライトという「目立つ」奨学金に応募したのだろう? 入学後、種々の奨学金や賞金を獲得したことに味をしめて、慢心してしまったのだろうか? 


上記はCTBNL (Column To Be Named Later) ボストン在住フリーランス・ライター、李啓充による気まぐれコラム(2010年5月23日記事)より部分的に抜粋した。
目立つことをしなければ発覚しなかったということから、他にも多数同じような人がいると考えられる。
日本でも学力試験よりも書類・面接その他もろもろを重視すればこのようなことは起こり得るし、実際に起こっているだろうと推測する。

シャーロック・ホームズとSTAP細胞
 CTBNL (Column To Be Named Later) ボストン在住フリーランス・ライター、李啓充による気まぐれコラム(2014年3月16日記事)







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by yumimi61 | 2016-03-29 11:35
2016年 03月 26日
日本国憲法の秘密-209- ❤

私達は大阪新阪急ホテル西側に面する大通り176号線側から正面玄関に向かったが、この場合は玄関が右手に位置する。送迎車などが通り抜け出来るように北の入り口と西の入り口はピロティによって通じているのだが、玄関が正面になるためには北側から入る必要があるので、正式には北側を正面玄関という。
あの時の事故車はホテル北側入り口を通り抜けた先の歩道内に設置されたホテル看板下の花壇の囲いに激突して停まり、囲いと車に挟まれて歩行者が一人が亡くなった。
ホテルの北東角ということになる。
このホテルは2階が宴会場になって幾つかの部屋が設けられているが、花の間は事故車が突入した道路側、北側にあった。ピロティの杭、柱と言ったほうがよいのだろうか、その柱と正面玄関の上が花の間なのだ。

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正面玄関を入ると茶を基調としたフロアが縦に長く続いていた。
ショッピングセンターや大きな病院ロビーの吹き抜け空間に慣れてしまっているので、天井が低く茶色の太い柱が前方の視界を遮っているロビーに解放感は感じられなかった。
正面にエスカレーター、左手にフロントがある。
正面玄関から入れば縦に長いということになるが、フロントに面すれば横長の造りである。
昔を思い出すことは懐かしくもあるが切なくもあるので、今この場には相応しくない気がしたが、広い芝生の庭を思い出していた。
その家が何のためにあれほど広い芝生の庭を必要としたのかは今でもって分からない。
その庭で家族で団欒したり遊んだりしている姿やゴルフのパター練習をしている姿を見掛けたことはなかった。
樹木や草花が配されているわけではない。縦に長い長方形の一面芝だけの庭。但し手入れはいつも行き届いていて芝生が伸びすぎていることも雑草が生えているということもなかった。
お城のような豪邸というわけではなく、高い塀に囲われているというわけでもない。極めてオープンな県道沿いの大きな芝生の庭を持った一軒家。南側に広い庭があって、そのだいぶ奥に南向きに家が建っている。県道は南側を東西に走っていた。
友人の車に乗せてもらいその県道を走った時、私はいつも通りにその広い芝生の庭に感嘆した。すると友人が事も無げに言った。
「あの家、横から見ると薄いんだよね」
私はその家を横から眺められる道を走ったことがなく、また横からの姿など考えたこともなかったので、その返答に少々驚いた。
横から見ると薄い、それは芝生の庭と何か関係があったのだろうか。分からないままに今日に至り、私は大阪新阪急ホテルでそれを思い出していた。
奥ゆかしさや奥行きのある人という言葉はたぶんきっと褒め言葉だから、薄いということは褒め言葉ではないのだろう。
玄関を南側と北側に設置したホテルの構造が奥行きを求めているように思えた。

花の間に行くには正面のエスカレーターを上ればよいのだが、もう一つどうしてもこの目で見たいものがあった。
ロビーラウンジの壁画である。
「あれか」
その人の声に私はこっくりと頷いた。フロントの斜め向かいにあるラウンジの前に立ち、私達は壁を見つめた。
壁画と言ったが正式には緞帳、幕である。宝塚劇場で使われていたものだそうだ。

ロビー壁画を飾る
この緞帳は、宝塚大劇場で
'88から'01まで掲げられておりました
上村松篁画伯の「春の野」を
西陣本綴錦で織り上げた
ものでございます。

上村松篁の母は美人画で名を馳せた日本画家大家の上村松園。
根底に人間嫌いがあるという上村松篁は花鳥画を好んで描いた。淡く儚い命と美しさの中に凛とした灯が宿る、そういう絵だった。
父親と存在が希薄で子供を顧みない母親を持っていたという共通点がある岡本太郎は思いの丈を原色にぶつけダダイスム的でありシュルレアリスム的でもある絵画を残したが、上村松篁は確かな写生力や構図力を基礎にして温かく繊細である意匠的な絵画を残した。

夜は必ず明ける。止まない雨はない。山を覆う雪は春が来れば融ける。幼く可愛かったも子供もやがて大人になる。朝を、晴れを、春を、大人を、どんなに憂鬱に思っても、必ずそれはやってくる。
素晴らしい約束である。
変わるという約束があるから、夜に、雨に、冬に、子供に、心を解くことができ、それらを愛することが出来るのだろうと思う。

上村松篁は昭和43~44年(1968~1969年)に井上靖の歴史小説『額田女王』の挿絵を請け負い、初めて人物画に挑戦し、万葉の人を描いた。
日本の大きな転換点のひとつである大化の改新、万葉集はその頃に読まれた歌である。その時代に天皇となった天智天皇と天武天皇という兄弟は蘇我氏を滅ぼした肉親と蘇我氏の間で揺れ、額田女王は天智天皇と天武天皇の愛に揺れる歌を詠んだ。
額田女王はもともとは後に天武天皇となる大海人皇子に愛され大海人皇子の子を産んでいる。十市皇女である。
十市皇女は天武天皇の兄の天智天皇の正妃となり大友皇子(明治時代に弘文天皇の称号が追号された)を産んだ。
その大友皇子と天武天皇が後に戦うことになるのだが、十市皇女という女から見れば、自分の父と自分の息子が争ったということになる。
話はこれだけでは終わらない。万葉集に収められている次の二編の歌が物議を醸したのだ。

茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田女王)
紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子)

今日の世間では、額田女王は天智天皇に見初められ、大海人皇子(天武天皇)とは別れて天智天皇に嫁いだということになっているが、他に記録はなくこの万葉集の2つの歌から導き出された歴史である。
天智天皇は自身の娘2人を大海人皇子に差し出して額田女王と交換したらしいという噂まである。
その推測が正しければ、天武天皇は自分の愛した女性を兄に奪われ、愛した女性との間に出来た娘をも兄に奪われたことになる。そして我が娘と兄との間に出来た大友皇子と戦った。壬申の乱は愛情のもつれだったということにもなりかねない。いささか泥沼愛憎劇の昼ドラに毒されすぎではという気がしないでもない。

歴史小説『額田女王』の挿絵を描いたことをきっかけにして初めての人物画作品『万葉の春』が生まれた。
奈良にちなんだ壁画制作の依頼を受けて昭和45年(1970年)に描いたもので、縦2メートル弱、横7メートルを越える大作となった。
現在は近畿日本鉄道株式会社蔵で松伯美術館管理となっているようだ。
『万葉の春』は、万葉集巻19第4139首の大伴家持の歌をテーマにしている。

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ嬬

『万葉の春』と『春の野』の関係性はよく分からないし基調色も違うが、どこか続き絵のような印象を受ける。
あるいは裏と表ということなのだろうか。
『万葉の春』を観た人に「これはあなたのお家芸か、それとも隠し芸か」と尋ねられた上村松篁は「裏芸です」と答えたそうだ。
上村松篁は平成13年(2001年)3月11日にこの世を去った。98歳であった。

「生きられるでしょうか、私も、98歳まで」
驚いたような顔でその人が私を見る。
「98歳・・」と独り言のように呟いて、また『春の野』に視線を戻した。
不安や愛しさが瞬き、それと似たようなものがその人の表情にも浮かんでいた。
「あの色は・・」
「緑・・の・・?」
「そう」
「萌黄、萌黄色。春の野を表す緑で、英語ではスプリンググリーン。昔は若い人の色だったみたいですよ」
その人は何も言わなかった。

「西陣創業者は清水一二、ボビー・フィッシャーを支援した一人に石井一二、阪急東宝グループ創業者が小林一三、分かりますか?名前がみな数字」
「そうか宝塚は阪急グループだ」
「そうです、それで阪急グループが阪神グループ、正確には阪神電気鉄道、そこを買収して傘下に入れたのが2006年」
「オリックスと阪神は同じグループ?」
「オリックスは阪急グループではないと思うけれど、阪神と読売は関係があったり、あと朝日放送とかも阪神と深い関係にあるから、そういう意味ではどうなんでしょうね」
「高校野球・・・」
「阪急の阪神買収には村上ファンドが関与した。上村ではなくて村上です。甲子園は阪神のものだけど阪急のものでもあるというわけです」
「東宝も?」
「東宝は阪急グループの中核企業です。阪急阪神ホールディングス、H2Oリテイリング、そして東宝」

古いアルバムの中に
隠れて想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の
日付けは遥かなメモリー

思わず口ずさんでしまった、思い出がいっぱい。
慌てふためいて「だめだめ、しっ」と子供に注意するみたいなその人が愛くるしかった。
「ごめんなさい」
申し訳なさげな顔を作れているのか自信はなかった。
懐かしいようなそうでもないような不思議な気持ちに包まれていた。
ラウンジに座る人々はどんな話をしているのだろう。何かを喋っていることは分かるのに音声の意味は入ってこなかった。
はるけき時空を埋めるために私が何か言わなければいけないとしたらそれはどんな言葉なんだろう。
私の知っていることはそんなに多くない。輪郭の中に秘められているものの何を私は知っているというのか。
確かに言えるのは、あの時それは望みようのない状況にあったということだけなのだ。

花の間に行かなければ。
繊細なシルエットにガラスの装飾が施され、カットされたガラスに光が乱反射して複雑に輝く。
多くの光源を持ち大空間を照らすシャンデリアはいつしか富の象徴となった。花をモチーフにしたというシャンデリアが照らす夢をもう一度見届けたかった。
一見して値が張ると分かるスーツと時計を身につけた若い男性と廊下ですれ違う。
良いスーツを着ていないとビジネスは出来ないと言った男がいた。スーツは武器であり、良いスーツつまり値の高いスーツを身に着けていなければ勝負には勝てない、成功に与れない、そう言った。
武器としてのスーツ、武器としての黒塗り高級車、武器としての核兵器、拒絶の気配はそこにはなかった。
原子番号12のマグネシウムは白く美しい閃光を放って燃える。その光をフラッシュにして写真を撮った時代があった。遠い昔のことだ。
カメラのフラッシュが休みなく焚かれる。彼女の一挙手一投足に合わせて閃光がスパークする。
技術は光に追いつかない、たぶん永遠に。その部屋の惨状を他人事のように眺めていた。

カメラのフラッシュが目に刺激を与える場合があります。フラッシュの点滅にご注意ください。
新生児の網膜は未熟です。新生児に向けてフラッシュを焚かないで下さい。

茫然と目の前の空間を眺めていると、自分自身を見つめているような奇妙な錯覚が生まれた。

―STOP細胞はあります―

STOP細胞は・・ あります・・ とリフレインする。

その時だった。その人がポンポンと私の肩を叩いた。置かれた手から温もりが伝わって広がった。
その人はゆっくりと首を横に振って、柔和な眼差しで「いこうか」と言った。







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by yumimi61 | 2016-03-26 14:34
2016年 03月 23日
日本国憲法の秘密-208- ❤

あの日、2016年2月25日、その先のスクランブル交差点で事故は起こった。
左側の道の左折車線にいたトヨタのプリウスが赤信号で交差点に突入して、そのまま大阪新阪急ホテル北側の歩道を突き進み、運転手の他に2名の人が亡くなった。
スクランブル交差点にはまだ少し距離があってよく見えなかったので上を見上げてみる。
通りに面したホテルの壁面に四角い窓が縦に横に几帳面に並んでいてキーボードを思わせた。四角形を囲む影が存在を浮き上がらせる。だけどそれを見ることはほとんどない、見るのはディスプレイだから。
2階に視線を合わせる。このホテルに限ることではないが高いビルを下から見上げる時の2階はなぜか低く感じる。住宅街の2階や3階よりもビル街の2階や3階のほうが低いような気がしてしまう。高層ビルの上階から下を覗けば間違いなく足がすくむというのに。
千日デパートビル火災では幾人もの人が8階あたりから飛び降りたという。ひょっとすると、ああいう時には平時とは逆になって、下から見上げると2階でも3階でもひたすら高く感じ、上にいる人は意外に低いような気がしてしまうのかもしれない。絶望と希望が交錯する世界、混沌。高ければ高いほど現実からかけ離れたものが生まれやすい。
世界が混沌から始まったとするならば緩やかに混沌に戻っていくことを私達に止めることが出来るだろうか。
多くの希望は錯覚であると今ここで言う気にはなれなかった。

「ダイヤ」
その人の視線の先には三菱のマークのスリーダイヤがあった。三菱電機が入居しているなのか、それともただの広告なのか、交差点北西角のビルの屋上の看板が三菱電機だった。
「ダイヤ、鈴、貨幣」
「ん?」
「アラブ、ラテン、ドイツ、フランス」
「どうした?」
「スート、スーツ」
「スイート?スイーツ?」
現在世界で広く利用されているトランプのスート(スーツ・マーク)はフランス式だけど発祥は中世アラブ。ラテンとドイツを経て、カップがハートに、貨幣がダイヤに、ポロスティックがクラブに、剣がスペードに変わった。
ポロというスポーツもイランの辺りで生まれてイギリスに渡って洗練されたもの。
ヨーロッパ発祥と思われているが実はそうではないということはよくある。
そういえばあの頃、トランプが流行っていたっけ。
私は子供の頃、意地悪な7並べとオセロが得意だった。自分でもどうしてこう性格が悪いのだろうと思いつつも、相手が出せなくなるような箇所を見つけてはこっそり出し渋りをして相手を追い込んだ。出せるのに出さない、出せば相手が救われるのにわざと休んだりするのだから性格が悪くなければ出来っこない。勝負に強いのに優しいなんて嘘だ。
ハートは心臓や愛に例えられたりもするけれど、あれもカップや杯のことである。命や愛が勝利の杯だなんて言うとがっかりする人がいるかもしれないが、自分の与る分という意味だから理に敵っている。
賞杯を得るということは、その大会を制したという証であり、それがどんな大会であろうとも世界を手に入れたということにはならない。
それと同じで自分の人生のカップである心臓は1つしかなく、その心臓が紡ぎだす人生の長さには限りがある。だけど、人生の杯は苦い酒を入れる杯ばかりではないはずだ。
菱形の条件の1つは対角線が垂直に交わること。十字になるということ。
その交差点は直交していない。だからこそ一番左の車線から右側の歩道に突っ込んだ。
桐生の天満宮の交差点も直交していない。
あの日、2016年2月25日、あの子は桐生にいた。

「ここだ」とその人が言ったので頭上の文字を確認する。キーボードみたいな四角四角した建物外観に比べると若干くだけた書体で HOTEL HANKYU とあった。HOTEL HANKYU の間に小さく収まっている new という文字がお父さんとお母さんと手をつなぐ子供のようで可愛いらしかった。
この社会にはそういう幸せの典型みたいなビジュアルに憧れる人が多数いて、そういう幸せの典型みたいなビジュアルを押しつけてくる正しさを嫌う人もそれなりにいる。視覚ってやはりそれだけ強烈なんだなあとぼんやり思う。
子供が10人くらいいてお父さんとお母さんを両端に手を繋いで道を歩いたら豪く邪魔!縦列縦列!!!!!!!!!!
以前、介護施設の車が突っ込んだ東長岡町交番の手前で、右側を走る自転車高校生が左側を並んで走る自転車高校生に「並列は駄目だよー」と叫んでいたことを思い出していた。

ホテルの入り口には黒塗りタクシーが縦列に停車していた。黒光りした車体がよそよそしさを醸し出している。
あの日の彼女は普段着のような装いで黒塗りタクシーから降り足早に建物の中へ消えた。
もっとも彼女は幾度も黒塗りタクシーを利用していたようだから普段着ではない装いの時もあったであろう。
彼女が乗っていた黒塗りタクシーは日産フーガで、分類番号300、一連指定番号2の神戸ナンバーだった。神戸の川崎タクシーという個人タクシーである。
大阪に入院していたはずの彼女が、神戸の研究所に出所するために、神戸から大阪にタクシーを呼んで、再び神戸に向かわせた。
そうだとすれば、乗車から降車の区間のみならず、タクシー会社から乗車地、降車地からタクシー会社までの料金が必要であろう。いわゆるハイヤーと呼ばれるもので、料金が高くなるのはもちろんであるが、車種も高級車となり、その多くが黒塗りだ。
黒塗り高級車と言えば、政治家、暴力団幹部、大企業の社長や役員、そう相場は決まっている。そしてハイヤー。
親や兄妹、親戚に友人、仕事仲間、心がくじけ入院している彼女のことを心配し送迎してやろうという者が誰一人としていないという現実を私達はどう受け止めたら良かったのだろう。
そもそもなぜ彼女は大阪にいたのだ?なぜ大阪でなければならなかったのだ?





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by yumimi61 | 2016-03-23 11:31
2016年 03月 20日
日本国憲法の秘密-207- ❤

黒と白の道を挙動不審気に歩く。さながらボビー・フィッシャーを探して。
『ボビー・フィッシャーを探して』というのは1994年に日本でも封切られたアメリカの映画。チェスの天才少年とそのお父さんの話。
ボビー・フィッシャーはアメリカ人として初めてチェスの世界チャンピオンになったチェスプレイヤー。
ボビーの両親はユダヤ人で、父親は生物物理学者。だけど両親が離婚して離れ離れになってから生まれた子なので生物学的な父親はどうも違うらしくて、ユダヤ系ハンガリー人の科学者ポール・ネメンニが実の父親だという説が有力。こちらは流体力学が専門で、第二次世界大戦中にアメリカに渡り、原爆を開発したマンハッタン計画にも参加した。
ボビーが生まれる前年の1942年にネメンニがコロラド大学デンバー校で教鞭を取っていた時の生徒の中にボビーの母親となるレジーナがいて親しくしていたことや、ボビーが生まれた後にも経済的な支援をしていたことが分かっている。
レジーナは科学者に認められるほど優秀だったが、ネメンニはレジーナのことを精神的に不安定で育児に向いていないと言っていたらしい。事実裁判所にも精神鑑定を命じられるほどの騒ぎを起こすも、偏執的人格だが病気ではないと診断された。後に彼女は看護婦になっている。
レジーナを心配していたネメンニも世間一般には変わり者とみられていた。
その二人が実の両親である線が強いボビーも御多分に漏れず世間からは理解されにくい人物であり、世界チャンピオンで英雄になったものの、タイトル放棄や試合拒否などの奇行や反米反ユダヤ的発言などを繰り返したため世の反発を買い幻の英雄と呼ばれた。その後は表舞台から姿を消した。

そのボビーは日本にいた。
日本の女性と事実婚状態であり、日本とフィリピンを行ったり来たりしていたのだが2004年に成田で入国管理法違反の疑いで捕まる。パスポートが失効した状態で他国の市民権も所有していなかったのだ。
また経済制裁下の旧ユーゴスラビアで世界選手権を戦ったことがアメリカの法律に触れて起訴され逃亡状態でもあったが、日本にはこれを支援する人がおり、結局最後はアイスランドが市民権を与えて解決した。
しかしアイスランド滞在3年弱の2008年1月17日に肝臓病で亡くなった。64歳だった。

チェスには引き分けが存在する。必ず白か黒か決まるわけではない、勝ち負けが付かないこともあるのだ。
黒と白の間を取れば灰色、灰色決着ということになってしまうが、天才プレーヤー同士の身を削る勝負だから、それは灰色ではなくて無色透明なのだと言う人がいる。透明な決着を許容するのが紳士なのだと。
そこにあっても見えないもの、それが神の領域。
そうであるならば、そこに無いのに見える0(ゼロ・零)という数字は何だろうか。やはり人間の仮定ということで落ち着くだろうか。
物質の1がどこから来たのか、人間はその答えを出せないでいる。
チェスなんか最初からしなければいい。引き分けが無色透明の高貴な決着ならば、勝負をしないことは無色透明の高貴な選択チョイスではないのか。
ボビーは身なりに無頓着なのにいつも石鹸を持ち歩いていたという。

ボビーが何故いつも石鹸を持っていたのかは分からないけれど、いつもスマホを持ち歩いているからといってどこへでも行けるわけではないのだから、石鹸を持っているからといって潔白とは限らない。むしろ手を汚す当てがあるから石鹸を持ち歩いていたとも考えられる。
ともかく一刻も早く外に出たいと思った。
御堂筋口から出てエスカレーターに乗る。前にいる人達が右側に立っていて、ここが大阪なんだということを実感する。
階段を軽やかに駆け上がれるという自信がなくもなかったが、大人しくエスカレーターに運ばれて終点の歩道橋に立つ。

右か左かの分かれ道の右に進み歩道橋を渡っていく。東京タワーを随分と小さくした赤いタワーらしきものが前方のビルと重なり合いながら頭一つ抜けて空に伸びていた。
もう少し近づいてみるとそれがタワーではなく観覧車であることが分かり、私は少し驚いて足を止めた。涼やかな風がどこからともなく吹き抜けて頬に当たった。
思い出すのはデパート屋上の遊園地ではなく、ゴジラとかウルトラマンとか千日デパートビル火災で、これをノスタルジーというならばあまりに非生産的すぎるけれど、もともとノスタルジーに浸るという行為は非生産的であるからして、と誰ともなしに言い訳をする。
そのとき視線の外側から男の子が勢いよく跳ねて来てぶつかりそうになった。母親らしき人が「ごめんなさい」とちょこんと頭を下げた。
「危ないから走ったらあかんよ」という穏やかな叱り声と男の子が横を通り過ぎてゆく。
振り返るのは気恥ずかしくて前を向いたまま歩き出した。
たぶん私、あんな小さな頃から好きだったんだと思うんだ。

二人の間にある、それは人でなく世界でもよいけれど、二つの間にある空白や隔たりを埋めるにはどうしたらよいのだろう。その空白は隔たりは埋まるものなのだろうか。
然程大きくない空間の前後を分ける柵のあちら側とこちら側。その気になれば簡単に飛び越えられそうだけれど、そうはしない。重く固い観念がそこには横たわっている。
裁判官、検察官、弁護人、被告、そして、傍聴人。傍聴人だけが別世界にいる。
一番奥の他より少し高い上席に座るのは裁判官だから裁判官が偉い人だと誰にでも何となく分かる。でも私は教壇が一番下にあって柵も何もない大学の階段教室に浮き立った。見た目とは違ってヒエラルキーもカーストもないフラットな自由と秩序がそこにはあったから。

ねえ、そこから飛び降りたらどうなると思う?そこって言うのは・・・歩道橋のそこ、ううん違う、国会議事堂本会議場の傍聴席、オペラハウスのバルコニー、病院の外階段、ビルの屋上、橋の上、豪華客船の船首、海の底・・・「そう、海の底」、消え入りそうな声で呟いて遠くを見つめたけれど海は見えなかった。
世界は大量の言語と映像を消費しながら対立と無関心を生み出し核心を覆い隠してしまったのだろう。
どうして私なの?どうして私じゃないの?
今は泣く時ではない。

歩道橋を渡り、阪急梅田駅に入る手前で、左手の階段から地上に降りた。通りを行き交う車が私を程よく現実に引き戻す。
階段を下りて歩道を右へ歩いて行けば、後は直線だけでそのホテルへと辿り着くらしい。
歩道には歩道橋ほど人がいなかったので、少し立ち止まって今歩いてきた歩道橋を見上げた。
あれからの日々を数えることは多分意味がない。分かっている。
視線を戻そうとしたとき、私の横を歩く人が同じように立ち止まり歩道橋を見上げていたので、じっと見つめると、陽射しに照らされて眩しそうに目を閉じた。睫毛の先にきらきらとした光が踊っている。柔らかな幸福に包まれた気だるい午後が昨日の事のように蘇った。
似ている、いつかの君に。
人間はなぜ生まれてくるかだとか、なぜ生きているのかだなんてことは知らなくていい。今はただ死にたくない、素直にそう思った。心臓がドクンとしてぎゅうっと縮まった。






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by yumimi61 | 2016-03-20 16:20
2016年 03月 18日
日本国憲法の秘密-206- ❤
私を見つけて。
私を・・・
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バンバン
!!
バンバンバンバン
その音は左後方で響いているような気がした。
恐る恐る振り返るとあの子が突っ立っていた。
おおいつの間にと思いながら私は慌てて鍵を開ける。
あの子は少し草臥れたくすんだグリーンのリュックサックを先に座席に放り投げて乗り込み、安心したようにスマートフォンを取り出す。
大方のことは分かる。分かっている、つもりだった。
でも野球に興味なんかまるでなさそうなあの子がニューヨークヤンキースのマークの入ったリュックサックを買ってきた理由は分からなかった。
分からなかったけど理由は聞かなかった。
そんなふうにして過ごした時代も終わる。

「どうだった?」
「ふつう」

正門から放たれた黒い人波が分散しながら薄暮の街へ吸い込まれていく。
焼けつくような夕陽の代わりに灯り始めた明かりの数だけ普通の生活が存在するのだと思うと胸が締め付けられた。
あてどないものを待って、待たない頃に追いやり通り過ぎたものを思う。
昼間一通のメールを見返した。
こんばんは、で始まるそのメールの日付は2012年12月14日。
3年が経ったんだ・・・そう思ったら不意に涙が溢れてきた。

少し日にちが経ちましたがまだ寂しさと悲しさと辛さと・・・信じられない気持ちです
みなさんにも悲しい想いをさせてしまいすみませんでした


いつも控えめで丁寧な話し方をする可愛らしい彼女が運転する大きな車の助手席に乗せてもらったことがあった。笑顔で交わした会話を思い出してみたが、最後のお別れのとめどない涙が全てをぼやかしていた。

私はアクセルを5回踏んでエンジンキーを回した。
人が殺されたならば、どこかに殺人犯がいるのは当然のこと。
殺人犯はそこにいる、そうそのとおり。そこがどこだか分からないだけ。「そこ」には何だって当てはめることが出来る。
殺人犯はここにはいない、私は心の中でそう呟いてゆっくりと車を発進させた。
駐車場から66号線に出たところであの子に訊いた。
「お腹すいてない?コンビニ寄ろうか?」
「うーん、いいや。晩御飯早めにしてくれれば」
「早めと言ってもこれから帰って作るから、いつもと大して変わらない時間になるよ」
「うん。でもいい」
緩やかな下り坂を赤信号の読点を挟みながら進んでいく。
忙しい朝には赤信号を恨めしく思うことも多々あるけれど、変化がなく漠然と速いだけの道を進むことに人はそれほど長く耐えられないのだろうと、明かりとシャッターの継ぎ接ぎで出来たアーケードを見て思う。

太陽が眩しかったから。
ライトが眩しかったから。
何故エベレストに登るのか?そこにエベレストがあるから。
何故走るのか?風になりたかった。
走ることは風になること。―君がもしそう言うならばそれは違う。
走ることは風を感じること。君が風になったら君は風を失ってしまう。
君を押す風も、君に向かってくる風も、汗を乾かす風も、花を散らす風も、優しく頬を撫でる風も、愛しき人の髪を揺らす風も、全部。
春の風も、夏の風も、秋の風も、冬の風も、全部。

ねぐらへ帰る鳥たちが影となって舞い、家路を急ぐ車が光の帯を作る。
右折をすればかつて現人神が立ち降りた桐生駅北口へと続く本町5丁目の交差点を右折も左折もせずに真っ直ぐ進む。道は自動的に66号線から68号線に変わり錦桜橋へと向かう。
遮るもののない開けた世界の真ん中に立ち、宙ぶらりんな点でいることに一抹の不安とノスタルジアを覚えながらも、それでも胸が空く思い。私はこの景色が好きなのだ。
ちょうどこの日は沈んだ夕陽が空に残した橙色と一際明るい照明が重なっていた。筋道と奇跡とギャンブルは案外近いものなのかもしれない。
「ギャンブルみたいなことだな」とあいつは言った。
「保険をかけておけ」とあの人もこの人もたぶん言うだろう。
だけど、何を言っても効かないことは私が一番よく知っている。
122号線と交わる交差点を過ぎると、道路を包み込むほどに育った桜並木が数十メートル続いている。まだ花も葉もないその桜並木のトンネルを潜り抜ける。
右手少し奥にある「在」の看板を横目に車を走らせた。



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by yumimi61 | 2016-03-18 14:14
2016年 03月 16日
日本国憲法の秘密-205- ❤

あいつに返事を返そうと思いスマートフォンを手にした。スマートな返し。はてどうしたものか。
歩道橋のうえ振り返り、焼けつくような夕陽が今、心の地図の上で起こる全ての出来事を照らすよ。
フロントガラス越しの歩道橋を見上げたがまだ若人の姿は見えなかった。
1日が足早に駆けていく。季節はゆっくりと、しかし確実に過ぎていった。
あの歩道橋は自分が思うよりもずっと遠くにあるのかもしれない。
朝と同じ場所に停められている運転手不在の軽トラックが少しだけ私を勇気づけた。
歩道橋を渡らずにほいほいと道路を突っ切っていった運転手をぼんやりと思いだしながら×を長押しする。
紙に書くことよりも消すことのほうが数倍大変だった時代があった。デジタル時代になってからはいとも簡単に全てを消し去ってくれる。
縦線の点滅が慌ただしく次の文字を要求するが、瞬間的に加速度的に闇の彼方に葬ることが出来る言葉に思いを馳せていた。
書くのも消すのも簡単な時代を迎えたのに、メール機能付き携帯電話の出現によって再び書くことは容易ではなくなり、残ったのは短文と消去の容易さばかりである。
今やその携帯メールも風前の灯火らしく、「メールなんかもう使っている人いないよ」だとか「え?LINEしてないの?」と何度言われたことだろう。
馴染みがないものだからLINEのアクセントもしっくり来ず、「来院?」と訊き返したこともあった。
私はうつむいた。うつむいて縦線を消してやった。
オオワタリ!
これでも長いかもしれない。
まち!
どこにだって行ける、好きなところへ。


桐生市横山町と横山ゆかり、、353と354、、、重なるのか重ならないのか微妙な距離感だった。
ゆかりちゃんがいなくなったパチンコ店はかつての354号線沿いにある。
かつてのと言うのは、2、3年前に新しい354号線が出来たため長いこと354(さんごーよん)として親しまれたその道が142号線と数字を変えたからだ。
ゆかりちゃんが行方不明になった当時はまだ354号線であり、パチンコ店は太田市の高林という交差点の近くにあった。
高林交差点から東に行けばブラジル人が多い街として有名な大泉町に入る。三洋電機東京製作所(現在はパナソニック)はその大泉の354号線の少し南にある。
高林交差点から西に行くと尾島町に入り、尾島町内の尾島交差点を南に少し行けば、1987年9月15日事件の少女がいなくなった公園がある。その近辺は尾島町の中心地域である。
354号線は北関東を東西に長く走る線で、起点は群馬県高崎市の君が代橋交差点。そこでは国道17号と交わり、国道18号の起点ともなっている。終点は茨城県鹿島郡大洋村の大洋総合支所入口交差点で、海岸沿いの国道51号と交わり終わる。
当初は内陸である群馬県の館林から高崎を繋いでいた道だったが、その後、茨城の古河市、常総市、つくば市、土浦市など東に延びていき、霞ヶ浦を抜け、太平洋岸に達した。
北関東自動車道や国道50号線も群馬県内を起点にして茨城県に通じる道であるが、どちらも栃木県を経由しており、354号線よりは北側を走っている。
354号線は高速道路の谷間となっている箇所を抜けていく道なので流通関係の車も多く交通量は多い。街中を抜ける場所では渋滞も発生しやすい。
高林も車通りの多い交差点であり交番もある。
また驚くべきことにその交差点の近くにも御嶽神社と御嶽神社古墳と呼ばれている古墳が存在する。
高林交差点付近で歩いていれば目撃した人がいてもおかしくはないが、パチンコ店の駐車場ですぐに車に乗せてしまえば子供の姿は分からなくなってしまうだろう。
その近辺の354号線(142号線)から南に2、3キロ行けば利根川が流れており、利根川を越えると埼玉県である。
車ならばあっという間に川を超えて県外に脱出できる。
時間帯や天候にもよるが車で行けるような川岸は、特に休日には、誰かしらいることが多いから怪しい行動はしにくいかもしれない。
すぐそばに山があるという場所ではないし、高速道路の隙間でありインターチェンジ近間でもないから直ちに遠くに逃げ去ることも出来ない。
店内の防犯カメラ映像は使われているが、パチンコ店の駐車場に防犯カメラはなかったのだろうか。乗せた車が分かれば追跡が出来たのではないかと悔やまれる。

それにしても、店内を歩いたり退屈を持て余している子供に話しかけただけで容疑者扱いになってしまうのだから恐ろしい世になったものだ。
パチンコ店には行く機会こそないが、私だってそれくらいのことはするかもしれない。
「誰と来たの?」
「お父さんとお母さん」
「終わるまで待ってるの?」
「うん。ここで待っててって言われたの。良い子にしていたらあそこでチョコレート貰えるんだよ」
「そっかぁ。チョコレート好き?」
「うん大好き」
「おうちはどこ?近く?」
「おおいずみ」
「おおいずみならあっちの方だね」と外を指さす。
その後しばらくして少女の手を引いて店外に出る姿がばっちり防犯カメラに捉えられていた。駐車場の防犯カメラ映像には少女を車に乗せるところが映っていた。
こうした防犯カメラ映像が残っていたというならば分かる。それはかなり怪しい。でも決してそうではない。
その人物が誰かも分からない。要するに前科があるかどうかといったことも不明である。
見た目だけで容疑者扱い、もう少し丁寧に言うと重要参考人ということになるらしいが、見た目からして怪しいということなのか。
もしも若い綺麗な女性が同じことをしていたならばどうなんだろう。やはりそれも重要参考人として大々的に公表したのだろうか。

夏が過ぎ、秋が来て、やがて冬に変わる。
人生の始まりを春とすれば晩年は冬。
張りつめた透明なまでの大気の中を重く冷たい鉛のような足を静かに引きずりながら歩く。胸の中に起こる絶え間ない響みとともに。頂に上り詰めた蒼白の満月が輪郭を緩めて孤独に存在していた。
四季は巡るのに人生の春に再びはなく、僅かばかりの抵抗か、吐き出した煙で大気を汚す。
七夕に消えた少女はどこにいる。迷いない「誘拐事件」の文字に居心地の悪さを感じた。
その交番に介護施設のデイサービスの送迎車が突っ込んだのは昨年のクリスマスの夕方だった。
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太田市の東長岡町の交差点。122号線とスバル町北側を走る128号線が交わる。
128号線にはスバル車だけが通れる歩道橋が架かり、その近くには人が渡る熊野歩道橋もある。
知らないと宙に目を奪われてしまいがちになるけれども地を忘れてはいけない。
122号線は太田から桐生に通じている道。かつては他の路線と重複する箇所があり、真っ直ぐというわけにはいかなかったが、北関東自動車道の開通や大型ショッピングセンターのオープンもありバイパスが整備された。
新しく作られた354号線と122号バイパスがドッキング開通したのは2014年4月11日のこと。4月11日はあの子の誕生日だ。
交番は交差点の北西の角にある。
そこにトヨタのハイエースが突っ込んだ。車には8人の高齢者が乗っていたが命に別状はなく53歳の運転手だけが死亡した。

東長岡町の交差点も交通量は多い。だから信号が変わる間隔も比較的長い。私がその交差点の赤信号にやきもきさせられたしたのは一度や二度ではない。
介護施設の車は東西に走る128号線の東からやってきたことになる。
大阪梅田の事故のように運転手が意識を失った状態で交差点に突入したとしても、交差点は変形していないのでハンドルを切らなければ車道を真っ直ぐに進むはずだ。
左車線を走っていた車がちょうど交差点で対向車線を越え、誰も巻き込むことなく北西角の交番の入り口から上手い具合に中に入り込む。これもまた奇跡的とも言える確率でしか起こらないだろう。
目の前が交番という状況ではないのだ。東西側の128号線が青信号だったならば西から東に走る車がいただろうし、歩行者や自転車が横断歩道を渡っていた可能性もあった。
逆に128号線が赤信号ならば減速停止しないで前方車両に衝突しただろう。もし先頭車両だったならば赤信号で交差点に突入することになるから、南北側122号線を往来する車を巻き込んだ事故になった可能性が高い。
128号線は片側1車線で道幅も広くないので、交差点で交番の中に入り込むよりは対向車線の信号待ちに車に激突する確率や南西角にある太陽という名の中古自動車店に突っ込む確率のほうが余程高い。信号待ちの運転手は逃げ場もないから生命も危うかった。
運転手以外には死者や重症者は出なかったという結果は衝撃的な見た目に比すると違和を禁じ得ないが、クリスマスの日の出来事でもあるし奇跡として大いに享受すべきか否か。

2014年10月14日、私は東長岡町交番の掲示板を写真に撮った。
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なぜ写真を撮ったのかと問われれば、私はこう答える。
―ライトが眩しかったから。
ヘッドライトが異様に白く明るい車とすれ違ったことがあった。耐え難い眩しさが落ちることなく前進してきたので気が動転した。
夜間に多くの光を取り込もうとしたスマートフォンカメラが光る看板や電灯を白飛びさせるように、辺り一面がぼうっと白くなった。
眩しさに耐えかねて目を閉じたのか開けつづけて視界を奪われたのか分からぬが、真っ白になって何も見えなくなった。

幼い少女を連れ去る人が悪い。バン。
幼い子をパチンコ店なんかに連れて行くのも悪い。バンバン。
知らない人に付いて行く子も付いて行く子。バン。




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by yumimi61 | 2016-03-16 11:20
2016年 03月 13日
日本国憲法の秘密-204- ❤

「北関東連続幼女誘拐殺人事件」なんて言葉が出来たのはいつだったのだろうか。
まるで同一犯による犯行であるかのような印象を植え付ける言葉であるが、それらの事件は全て未解決であるからして当然犯人が誰かは分かっていない。同一犯であるという物的証拠は何一つない。
また連続と言うものの短期間に連続して発生したわけではない。
地理的には確かに特徴があり、両毛地区と呼ばれる地域で多く起こっている。
両毛地区とは栃木県足利市や佐野市、群馬県の桐生市、太田市、館林市を中心とした一帯のことで、県が跨るが文化的も経済的にも結びつきが強く交流が活発な地域である。
両毛という名も上毛野国(上野国、現在の群馬県)と下毛野国(下野国、現在の栃木県)の両方に跨る地域という意味であり、範囲としては古代の毛野国に重なる。
ただ古代の毛野国は現在の群馬県伊勢崎市や前橋市、高崎市なども範囲に含まれていたと考えられているが、現代において両毛地区と言う場合にはそれらの地域は含まれない。
室町幕府の足利将軍家は足利の出身であるし、鎌倉幕府を倒した新田義貞は新田(現在の太田市)出身であり、両家は親戚でもある。天皇家が二つあった南北朝時代、それぞれを支えたのが足利氏と新田氏であった。
また徳川家康、つまり江戸幕府の徳川将軍家にも所縁のある地である。
その両毛地区で起こった事件。
ただこうした事件はどこでも起こり得ることで、ある程度の幅を持って期間を設定し事件をカウントすれば、この地域だけが特別多いとも言えなくなるのではないかと推測する。
特異的なのは全てが未解決であることなのだ。
また解決をみたと思った1つの事件が結局冤罪となったことからも注目されるに至った。

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1979年8月3日(金) 栃木県足利市 5歳 神社
1983年10月18日(火) 群馬県桐生市 12歳 自宅近く
1984年11月17日(土) 栃木県足利市 5歳 パチンコ店 
1985年10月10日(木・祝) 栃木県日光市 3歳 実家近くの川 行方不明(遺体などは発見されていない)
1987年9月14日(月) 群馬県高崎市 5歳・男児 神社 ・・・身代金目的の電話あり 
1987年9月15日(火・祝) 群馬県新田郡尾島町(現:太田市) 8歳 公園
1990年5月12日(土) 栃木県足利市 4歳 パチンコ店 ・・・冤罪事件
1996年7月7日(日) 群馬県太田市 4歳 パチンコ店 行方不明(遺体などは発見されていない)
2005年12月1日(木) 栃木県今市市(現:日光市) 7歳 下校中
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連続幼女誘拐殺人事件ということになれば真っ先に零れ落ちるのは1983年の桐生少女事件である。
一人だけ年齢が上であるため連続とは見做されず蚊帳の外となり、ひっそりと忘れ去られた。
もっとも1990年までの事件は全て時効を迎えており、何か特別な事情でもない限り、犯人が見つかったところで刑事責任を問うことはもはや出来ない。
2004年までの公訴時効期間は死刑に相当する罪で15年、無期懲役または禁錮に相当する罪で10年だった。
2005年に死刑に相当する罪は25年、無期懲役または禁錮に相当する罪は15年と延長され、さらに2010年からは死刑に相当する罪に対しての公訴時効は撤廃され、無期懲役または禁錮に相当する罪は30年と延長された。
猥褻目的で誘拐し殺人を犯した場合でも、1人殺害の場合の量刑相場は無期懲役である。
日本が法治国家である以上、時効を迎えた事件を公的機関が捜査することは意味のないことだ。意味がないというか、あってはならないことである。新事実が出てきたとしても犯人を特定して制裁を加えるなどといったことは出来ないはずだ。それは自らの拠り所を破壊する行為となる。

1996年七夕に発生した横山ゆかりちゃん行方不明事件は遺体の発見もないことから生死が不明である。
4歳の子供が自ら失踪するとは考えにくいということで事件として扱われているが、身代金要求もなく遺体も発見されたわけではないから厳密には刑事事件と認定することは出来ない。
刑事事件と認定できず、事件だとしてもその内容が分かっていない現段階で時効を考えるのはおかしな話かもしれないが、もしもこれが事件でゆかりちゃんが殺害されたとするならば時効は成立してない。
刑罰法規に関しては遡及適用させないのが原則だが、法律が改正された時点で時効が未成立な事件に関しては遡及適用したからだ。
1996年から10年後は2006年、15年後は2011年、30年後は2026年。
一連の事件を今現在も「北関東連続幼女誘拐殺人事件」として扱う価値は横山ゆかりちゃん行方不明事件が支えている。
同一犯かもしれないという憶測によって過去の事件を生かしておくことが出来るのだ。

いつまで経っても幼いままの姿と悲しい記憶が取り残される。
アダムとイブが禁断の果実を食べさえしなければ、このような事件は減っただろうか。
快楽と生命の誕生が同じ場所にあることを忌まわしく思うことすらあるが、アダムとイブが恥じらいを知らなければもっと殺伐とした世界になって別の事件が増えただけなのかもしれないと考え直して仕方なく諦める。
幸せと不幸せ、安心と狂気の併存。
それらの事件が模倣犯や便乗犯によって起こされたものではなく、もう少し直接的に関係あると考えるならば、パチンコ店から行方不明になた3つの事件に注目せざるを得ないだろう。
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1984年11月17日(土) 栃木県足利市 5歳 パチンコ店(大宇宙) 
1990年5月12日(土) 栃木県足利市 4歳 パチンコ店(ロッキー) ・・・冤罪事件
1996年7月7日(日) 群馬県太田市 4歳 パチンコ店(パチトピア) 行方不明(遺体などは発見されていない)
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この3つの事件は6年間隔で起きた。1984年から6年後、1990年から6年後。数字を合わせれば66。6+6ならば12。6-6でゼロ。
桐生の市街地から66号線を北上すると1983年の事件に通じる。
桐生はかつて織物の街だったことで有名だが、現代においてはパチンコ機の大手メーカーがあることでも有名であった。西陣(ソフィア)、三共、平和というメーカーである。
西陣の創業者は清水一二、三共は毒島邦雄、平和は中島健吉。
平和の中島は朝鮮出身で1937年に来日し、戦後に日本国籍を取得して日本名を中島健吉としたようだ。
そうであるならば姓の中島はやはり中島飛行機に因んだものだろうか。
平和はオリンピアというパチンコ機メーカーを吸収合併したが、現在の平和の筆頭株主はオリンピアの筆頭株主だった石原ホールディングスである。

1984年11月17日に足利市の大宇宙という名のパチンコ店からいなくなったのは長谷部有美ちゃん、5歳幼稚園児。
この事件では不明から4日後の21日に有美ちゃんの通っていた幼稚園に電話が入り、女の子は「こうせいびょういんにいる」と言ったという。
男は有美ちゃんの自宅の電話番号を聞き、その後自宅にも電話が入った。女の子は「たすけて」と言い、場所を聞く父にも「こうせいびょういんにいる」と言った。
足利には厚生病院がない。両毛地区にある厚生病院は、佐野厚生病院、桐生厚生病院、館林厚生病院。
市内に住む人間が市内の厚生病院を呼ぶ場合には地名を付けずに有美ちゃんのように「厚生病院」で済ませる。但し「厚生病院」は全国各地にある。
両毛地区の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんは発見できなかった。警察はこの電話をいたずら電話と断定したそうだ。
2年後の1986年3月7日有美ちゃんの自宅から1.7キロ離れた足利市大久保町の毛野小学校大久保分校(2004年に毛野小学校と合併し閉校)の東側の畑で畑所有者の犬が盛んに鳴いた。掘ってみると女児の洋服が見つかった。翌3月8日に捜査員が発掘捜査すると白骨遺体が見つかった。
最寄駅は両毛線の富田である。
有美ちゃんの自宅も白骨遺体発見場所は大久保町。
大久保町は地名であるし栃木県だが、群馬の人間が、あるいはある年齢以上の人間が、事件で大久保と聞けば大久保清事件の記憶が掘り起こされてしまう。
ベレー帽を被り画家を装い、言葉巧みに若い女性をナンパして車に乗せ、強姦や殺害に至る。
2か月という短期間の間に8人を殺して山中などに埋めた。1971年の春に群馬県で発生した事件。
同じ年の冬には連合赤軍が同じく群馬県内で、「総括」という名のリンチによってメンバーを次々と死に至らしめた。12人が埋められていた。
大久保清事件にしろ連合赤軍にしろ、なぜ群馬で短期間にこれほどの人が殺され埋められなければならなかったのだ。
世界は不条理に満ちているが、人間は不条理を受け入れがたい生き物である。
不条理な世界と明晰な答え、そのどちらをも受け入れてしまうと人間の心は引き裂かれんばかりになる。
だからほとんどの人間は不条理を受け入れないし、理不尽を許さない。不条理を覆い隠して嘘をつき演技をし、理不尽を憎む。
科学で説明できないことはないと嘯き、科学で説明できないことは偽物と決め込んで相手にしない。宇宙も神も自分の手の中にあるふうに振る舞う。
明晰な答えだけが愛され、理性的な人間だけが高く評価される。
未だ物質の最初の1を説明できていないのに。未だ死なない人に出会ったことがないというのに。
カミュは『異邦人』で不条理を明晰に描いた。
主人公ムルソーは殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と言った。
もしあなたが心底誰かの心に寄り添えるというならば、感情を揺さぶられ感情に突き動かされて誰かを救いたいと願えるのであるなら、人を殺すことも出来るはずである。
だってそれは感情や本能で動ける人間であるということだから。それが出来ない人間はどんな感情を装っても理性や計算で動いているのだ。
その打算的な嘘とギャップが常識だというならば、なぜ大人は子供に嘘をつくなと教えたり、なぜ社会は裏表のある人間を容赦なく罵倒したりするのだろうか。不条理ではないか、理不尽ではないか。
私はこの世界をいたく愛しひどく憎んでいる。
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by yumimi61 | 2016-03-13 13:21
2016年 03月 09日
日本国憲法の秘密-203- ❤
空に広げた枝葉が作った木陰の道を蝉の声に急かされるように歩いた。
彼女が迎えられなかった夏がそこにあった。
人を選ぶことのない自動ドアがあなたを待っていましたとばかりに道を開ける。
冷房が効いているはずだが、ホールには思ったよりも人がいて人いきれを感じた。
打ち合わせの時間までにはまだ大分時間があったので自動販売機で冷たい缶コーヒーを買って、あの部屋に向かった。
妙に静かで薄暗い闇がたゆる。少し前に見た賑やかだが無機質なホールとは随分違う世界だ。
ひとつ場所に、同じ建物の中に、消えゆく生命あれば光を待つ生命もあることの不思議さを思う。
喜びも悲しみも落胆も絶望も希望も共存し、そして分散している。
これが夜ならばまた違うのだろうなぁと思った。夜は薄暗く闇があって当たり前なのだから。
部屋に入ったらいの一番にテレビを付ける習慣はとっくに卒業したけれども、確かな夏を欲してテレビを付けた。高校野球はバックグラウンドピクチャーとしても優れた要素を持ていると思う。
あいつと1983年秋の桐生少女殺人事件の話をしたのはその時だった。

「遺体に石が乗せられていたらしいんだけど、あれは医師の代わりではないかしら?」
「医師の代わり?」
「そう、本当は医師に来てほしかったっていうこと。彼女を助けてあげてという声なき叫びよ」
珍しく彼が身を乗り出して私の話に食いついてくる。
「医師に来てほしかったって・・どういうこと?石を乗せたのは犯人じゃないってこと?犯人でないなら救急車でも警察でも呼べばいいじゃないか。それをしなかったってことは・・・犯人は子供ってこと?」
「子供ねぇ・・。子供による子供の殺人って実は意外にあるんだよね。何か大きな事件があるごとに犯罪の低年齢化とか言っているけど昔の事件は皆驚くべき年齢だったりする」
「子供って純粋に残酷で死や虐待への興味もあったりする」
「そうそう。それに愛を独り占めしたいという歪んだ愛情も強い。歪んだというか、そんな大人もごまんといるわけだから、ある意味真っ当な愛情なのかもしれないけどさ」
「あとは異性や性への興味ってところか。小さな子でも凄く興味持ってる子いるからな」
「思春期に限らないと?」
「そう。逆に異常なまでに嫌悪感を持っている子もいる」
「あっそういえば、あれは結構衝撃的だった。小学1年生の男の子が3歳の女の子に猥褻なことをしようとして未遂だったかしたか忘れたけど、女の子にお母さんに言うとか言われたんで告げ口を怖れて女の子を井戸に落として殺しちゃった事件」
これは1980年に栃木県大田原市で起きた事件だから戦前や戦争直後といった古い時代の話ではない。
少子化で子供に目が行き届くようになったせいなのか、それとも他に理由があるのか分からないが、1990年頃から子供が子供を殺してしまった事件は影をひそめるようになった。
だからこそ1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件の犯人が14歳だったことは衝撃的だったのだ。
「あと悲しかったのが兄弟でプロレスごっこしていて弟が死んじゃった事件。首を絞められて弟が死んじゃって、お兄ちゃんもその後自殺しちゃったの。僕は悪い子です、弟のところに行きますと書かれた遺書とプロレスの星取表が残されていたんだって。なんかやりきれない」
「いつの事件?」
「生まれる前」
「そんな古い話にまで首を突っ込まないこと」
急に冷静ぶるのが奴の悪いところだと思う。私は息を止めてコーヒーを口から食道へと流し込んだ。

テレビ画面がちょうどゼロの並ぶスコアボードを映していた。
スコアボードに0が並ぶことはあっても一つの数字が並ぶことは0以外ではまずない、とすれば、1ばかり2ばかり並んだとしたらそれはやはり奇跡と言ってよいのだろうか。
もっとも八百長や筋書きのあるドラマならばわりと簡単に奇跡は起きるだろうけれど。
でもあまりに揃い過ぎると、幾らなんでもありえないってことになるに違いない。まったく人間という生き物は奇跡を信じているんだかいないんだか。
もしも0~5の目のあるサイコロがあれば、そのサイコロを振って出る各目の確立は数学的には同じはずである。
野球のスコアボードに並ぶ数字の確立はどうだろうか。0と5では0を並べることのほうが容易いと思うけれど、それは勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。
攻守交代が済んでピッチャーがマウンドでキャッチャーのサインに頷いていた。
「国体大会期間中だったことに感化され過ぎているのかもしれないけれど、運転手と高校生だったのではないかと思うの」
私はテレビ画面を見つめたままそう切り出した。
「え?なに、まさか犯人?」
事件は未解決だった。犯人は捕まっていない。
子供の殺人はあり得ると思うあいつが高校生で動揺するなんておかしいと思うけれど声が明らかに揺らいでいた。
「そうそのまさか」、そう言ってゆっくり頷いた。

あいつは矢庭に椅子から立ち上がりドアのところまで歩いていったかと思えば鍵を閉めこんだ。
「ちょちょっとなにしてんの?」という私の問いにもむすっとしたまま椅子に戻るが私の声は聞こえているようだった。
「鍵なんかかけたら怪しまれるよ」と言うと、「怪しまれる」と機械的に復唱し再び開錠へ向かった。
「梅田と言えば桐女でしょ。だから当初は女子高生狙いだったんだと思うんだ。夕方帰宅時の女子高生をナンパしようと思った」
「ナンパ」
「女子を誘おうと思ったってこと、猥褻目的にね。だけど学校前では目立ち過ぎる。それで人気の少なくなる梅田の山側でその機会を窺った。でもそっち方面に帰宅する子は少ないわけよ。山の方角に家があるとしたら送迎とかになるだろうし、山に近い女子高だから当然警戒心も強い」
「それで」
「そう、女子高校生の収穫がなかったところに、ちょうど現れたのが12歳の少女だった」

以上、3塁側アルプススタンドからお伝えしました~
脳天気な汗ばんだ声が餅つきの合いの手のように挟まる。
確かな夏がひどく場違いな存在になりつつあった。
「死んだ子はどんなことがあってももう返ってこないのよ」
返事はなかった。
罪を犯す側の人間にも様々事情があったんだろうということに思いを馳せることはできる。
でもどうしても越えられない壁がある。それは死んだ人間は生き返らないということ。
生きていれば再生することがあるかもしれない。
だけどどんなに後悔しても改心しても更生しても、例え死んで詫びたとしても、死んだ人間は戻ってこない。
生と死には隔絶の差がある。その現実だけは誰にも埋めることが出来ない。私達は奇跡を知らない。

死は無情で、かつてその肉体に宿っていた喜怒哀楽の感情までをも奪い去ってしまう。
殺されて苦しいとも悲しいとも憎いとも言わないし、涙を流すこともなければ笑うこともない。それもまた現実なのだ。
残されるのは周辺の感情のみだが、その感情が姿なき人を浮かび上がらせ、死は如何にも重大事となることだろう。
逆を言えば、人と人との関わりがない全てが個の社会ならば、絶命は然程重大事ではないということになる。
人間関係が希薄な社会では死も浅墓なもののとなるだろう。

「ねえ、ユウならどうすると思う?」
「ゆー・・・・」
「あなたならどうするって訊いてるの」
「え、なにが?」
「もしもよ、もしもだけど、ユウが人を殺してしまったらどうする?」
病院という場所で、他人の生命を操る医師という職業に従事する彼に、訊くべきことではなかったかもしれない。彼は口を噤んだ。
「ごめん、質問が悪かった。犯人は現場に戻るってよく言うでしょう。刑事ドラマではそれを防衛的露出行動と定義していたらしいけど。どう?もし犯人だったら戻る?」
「う~ん。戻りたくはないな。戻ったら思い出すだろ、やっぱり。だから戻らない」
「そうよね、大丈夫、あなたは今のところ正常よ」
「はっ?」
「戻ったら思い出すというのはまあそうなんだけど、でもそうじゃなくて、思い出しているから戻ろうという気になるんじゃないかなと思うの」

ノスタルジア。時間軸上の過去や分離した空間への感傷的な切望や思慕。
もちろんそれはいつでもどこでも良いわけではなく特定の時間であり空間であり、且つ未来が対象となることはない。
ノスタルジアには客観性は必要なく、故に本人にとって負となる部分は除外され、都合よくイメージが再構成されることが多い。
時間や空間を実体験したかどうかも必須要件ではなく第三者からの情報に基づいて想起し、さらに自己の創作した想像を加え拡大してこの感情を持つことも可能である。また、過去や異空間からもたらされた特定の物や人物を介して感情を喚起することもある。
忘れられない経験、忘れられない時間、忘れられない空間、それを懐かしく思い寄り添う、ノスタルジアは幸せな感情なのだ。
孤独を感じたり、失敗をしたり、なぜ生きているのか分からなくなくなった時など、ネガティブな精神状態に陥った時にはノスタルジックな思い出がその人を慰める。
行っても見ても別にどうにもならないことは分かっており、そこで何をする気持ちもないけれど、昔住んでいた所に行ってみたい、子供の頃に通った学校を見てみたい、あの場所をあの時を感じたい、誰もが持ちうるその感情が殺人犯を現場に戻すのだと思う。
さらに殺人犯の場合には、犯人しか知り得ないことを知っているということから価値ある人間になることが出来る。社会の話題の中心にもなる。承認欲求が満たされる。
また事件の関係者であることや社会に組み込まれているという認識を持つことで所属欲求を満たすことも出来る。

後悔は尽きないと言いながら同じ口で同じ道を選ぶと言うあの人はきっと騒動を起こさないことなど望んでいないのであろう。
でなければ中毒なのか。
枝葉の在り様を考えているふりをして大局は変わらないと早々に宣言する強さには舌を巻くばかり。
「何を思い出しているの?」
「ううん、別に、何も、、、」
私は忘れかけていた缶コーヒーに口を付けてから「あっそうそう映画、映画を思い出してた」とぎこちない愛想笑いを浮かべて言い直した。
「映画って?事件の?」
「事件と言えば事件だけど少女の事件じゃないよ。それに外国物だし、」
「それ今思い出すべきこと?」とあいつはまたちょっとむっとした顔をしてみせた。
「昔の映画館って2本立てだったの知ってる?地方?田舎?だけなのかな。まあともかく私が中学生の時に行っていた映画館はほとんどが2本立てだったの。料金は1本分で済む代わりに公開日には来なくて少し遅れるんだけどね」
「初デートは映画館でしたみたいなパターン?」
「御心配なく、女子ですっ。アニメ系ではなくて友達と一緒に映画館で初めて観た映画が『13日の金曜日パート2』と『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だったんだ」
「濃いね」
「ねっ」と私も笑うしかなかった。

彼は道をよく知っていると言った。彼というのは『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の主人公。
枝道も別れ道も楽しみ方も知っていると言った。ただ強い目的と最終目的地がないだけ。それだけ。
放浪者、浮浪者、流れ者、バカボンド、ドリフター。人生は旅、そういう生き方。
ささやかながらも堅実な愛と安定を手に入れたはずの女は日々に満足していなかった。女は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のもう一人の主人公。
二人が出会って恋に落ちる。ここから逃げ出そう、どこにでも行ける、好きなところへ、ここは自由の国なのだから。

長い長い夜を待ち
僕の夢がみな叶う
僕は歩くその日まで
あの長い長い小径を君と二人で

しかし二人はその道を進まなかった。二人は女の夫を殺して殺人者となった。
愛があれば、あなたがいれば、目的などいらない。私が愛しているのは立派な家や高級な衣装ではない、あなたそのもの。男はそこに僅かな希望を見たが、殺人などという大それたことをしながら女が求めたものは結局定住と金だった。
逃避行すらしない殺人。だからといって誰に彼女を責めることが出来る?
これが他人の生命を代償にして得たものだと言うならば誰か俺を笑ってくれ。

ノロマでもいいから
走りつづけるさ ゴロゴロと
地図にない道を選んで Yeah…
海の見える街へ行こう La…

「彼は女を殺した」
ハードボイルドチックな言い方に少しぞくぞくした。
「うわぁよく分かったね。そういう見解の人、皆無状態なのに」
「今の説明聞けばだいたい察しが付く」
「なあんだ、ふん」
物語は最後に女が交通事故で不慮の死を遂げたように描かれている。車を運転していた男は冤罪で死刑が確定したと、皆それを信じて疑わない。
だけど私は違うと思う。男が女を殺したのだ、二人で共謀して女の夫を殺害した時と同じように交通事故を装って。刑事ドラマ風に言えば、プロバビリティーの犯罪。
男は嫌気がさしていた、何もかもに。もっと強い絶望感に苛まれていたのかもしれない。
プロバビリティーの犯罪は罪を立証するのが難しい。前科や女の夫殺しがなければ見逃されていただろう。でも男には死刑が宣告された。
愛があれば、あなたがいれば、二人一緒ならば、どこにだって行ける。男は死刑を前にしてようやく安堵を手に入れ最終目的地を見つけたのだ。
郵便配達は二度ベルを鳴らす、二度のベルがポストマンの証なんだという。ベルの回数がポストマンとそうでない来客との差別化を図る。
このご時世、突然のベルは招かれざる客と相場は決まっている。このご時世と言っても郵便を待ちわびる人がいて、郵便が喜怒哀楽を運び、人と人とを繋いでいた時代のことだけれども。
一度のベルと二度のベルでは月とスッポンであるが、しかしその差はたった一つのベル音に過ぎないのだ。
同じようで違うことと、違うように見えて実は同じことが、この世界には溢れている。

「それでさ」
「ん?」
「石を乗せた人は、罪を犯したのか、それとも犯さなかったのか、どちらだと思っているの?」
「罪というのは・・・」
「罪にもいろいろあるというわけか」
「うん。正直よく分からない。あまり考えたくないのかもしれない。普通に考えれば下っ端よね、雑用や尻拭いをしたり、損な役回りになったり、貧乏くじ引くのは」
テレビの中の野球の試合はまだ終わっていなかったけれど、グラウンドの端に膝まずき、目深に被ったキャップで汗と涙に濡れた表情を隠して、甲子園の土を寄せ集めている高校球児が浮かんでは消えた。




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by yumimi61 | 2016-03-09 13:54