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2016年 07月 31日
日本国憲法の秘密-305-
まず第一に、「ヒトラーの思想」や「優生思想」という言葉が曖昧で、誤解を与えたり焦点をぼやけさせる。

「思想」という語に対応する英語は"thouguht"である。直訳すると「考え」ということ。
考えという用語の英語には、"thouguht"の他に"idea"や"thinking"がある。
「考え」という意味において一番無難で一般的に使われるのは"idea"である。
"thouguht"は解釈が2通りあって、1つはひらめきや思いつきなど、もう1つは深い考え。
"thouguht"という用語だけではどちらか分かりにくいが、文章の中にあれば形容詞や文脈で判断が付く。

「ヒトラーの思想」と言うと、ヒトラーの考えということになる。
私達はヒトラーと直接会って話をしたわけではないので、ヒトラーの考えなど知る由もない。
何やらスピーチしているような映像を見たことがあるような気もするけれど(気のせいだろうか?)、なにせドイツ語が理解できない。そもそもドイツ語を話しているのかどうかも判断できないレベル。
正直、ヒトラーのチョビ髭くらいしか記憶には残っていない。
ということで、これがヒトラーの思想だったと、誰かに吹聴されたものを、ヒトラーの思想だと思い込んでいるに過ぎない。
でもいくらヒトラーが独裁者だったとはいえ、大掛かりなことはヒトラー一人で出来るわけがない。
実行者が多数いたはずである。でも実行者の名前を挙げ連ねることも出来ない(知らない)。
では何と言うのが妥当か。それは「ドイツ」や「ヒトラー政権」、あるいは「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」、ナチス(Nazis))のイデオロギーであるナチズム(Nazism)ということになるだろう。
普通に考えれば、独裁者1人を相手に戦うならば、独裁者がどんなに強くても10人もいればクーデターは成功するだろう。
独裁政権になにより重要なのは独裁者ではなく、それを支える無数の支持者や協力者である。

ヒトラーは『わが闘争』という本を出版したことで知られている。
ヒトラーは1923年11月に起こったドイツの中央政権転覆を目指した「ミュンヘン一揆」(クーデター)の首謀者の一人だった。
ナチス党員が参加していた一揆だったのだ。
ドイツは第一次世界大戦(1914-1918)で敗北し、ドイツにとっては(何故か関係のない)多くの国が敵国となって、それに伴って天文学的な賠償金を課せられるなどしたため、国内には不満が鬱積していた。
ヒトラーはミュンヘン一揆まで全く無名の人物だった。
このミュンヘン一揆は失敗に終わり、ヒトラーは投獄されたのだが、この獄中で『わが闘争』の執筆を開始する。
従っておそらく執筆はヒトラーの発案ではないであろう。
刑務所の管理者は「彼(ヒトラー)はこの本が多くの版を重ねて、彼の財政的債務や法廷費用支払の助けとなる事を望んだ」と記したそうだ。
誰かが本を書くことを勧めたのであろう。
執筆を開始したと言っても、ヒトラー自身が書いたものではない。
ヒトラーが話したことを(口述)、同じ刑務所にいた人が書いたそうだ。それはつまり、ヒトラーには執筆能力が無かったということになる。
能力というか、言語的な問題があったのかもしれない。
前にも書いたが、ヒトラーはドイツ生まれではない。多民族国家であったオーストリア生まれのオーストリア人であった。
出生地はオーストリア・ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州であり、国籍としてはドイツ人ではなくオーストリア人であったが、民族としてはドイツ人である。1932年にドイツ国籍を取得してドイツ国の国民となっている。

オーストリアは多民族国家なので種々の言語が入り込んでいるが、多くはバイエルン・オーストリア語である。
オーストリアとドイツのバイエルン地区で使われいた言語で、母語話者数は約1200万人と日本語の母語話者数の約10分の1程度である。
バイエルン・オーストリア語はドイツ語の一方言と見做す学説も存在するので、ドイツ語に近いことは近そうだ。
当初ヒトラーは『Viereinhalb Jahre (des Kampfes) gegen Lüge, Dummheit und Feigheit(虚偽、愚鈍、臆病に対する(闘争の)の4年半』というタイトルを希望していたらしいが、出版担当者に却下されたそうだ。
これは要するにヒトラーの自伝なのである。
オバマ大統領がまだイリノイ州の州議会議員にすらなっていない1995年に、『マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝』を書いたのと同じ。将来大物になることを予見したのか、自身の原風景を描いた。

『わが闘争』には1部と2部があって、1部が自伝で、2部が国家社会主義運動(ナチズム)についての記述である。
1部は、1925年7月に「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の出版局から発売された。
2部は、1926年12月に発売。
主に支持者が購入するのだから最初から大ヒットしたというわけではない。
「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の支持拡大とともに販売数は伸びて行った。
ヒトラーは多額の印税収入を得てホクホクだったらしい。
ナチスが権力を掌握後はもはや怖いものなし。
国民のバイブルするようにという上からのお達しにより、お役所はこの本を買って結婚する全ての夫婦に配布する勢いだったという。
(ヒトラーはこの時まだオーストリア人である)

無名な外国人が、クーデターに失敗したにも関わらず、ヒーローになりつつあって、大金も手にした。
こうなればアメリカンドリームならぬ、ジャーマンドリームと言ってもよいだろう。
(トルコにもドリームが生まれるかな?)


外国(英語圏)では「優生思想」という言葉はほとんど使われない。
「優生思想」ではなく「優生学(eugenics)」である。
eugenics thought という使い方も一般的ではない。
優生学
応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される。1883年にフランシス・ゴルトンが定義した造語である。

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フランシス・ゴルトンは、チャールズ・ダーウインの従兄弟。

eugenicsの'eu'はギリシア語のeusを起源としていて、goodやwell(良い、善、上手)というような意味を持つ。
'gen'もギリシア語で生む(産む)という意味。
eugenics=eu(良い)+gen[e](遺伝)+-ics(~学)

「安楽死」はeuthanasia。
eu(良い)+thanas(死)+-ia(名詞化) である。
thanasはギリシア語のthanatos(タナトス;死)由来。

'eu'は科学分野において本物(genuine)という意味を持たせる分類学上の名称(造語)として重宝されている。

優生学があれば、劣性学(dysgenics)もある。
種属退化学(cacogenics)なんていうものもある。
dysは悪・不良・困難といった意味があり、euの対義語。
cacoも悪・誤りという意味がある。


優生学は学問である。
勉強や学習と言えば義務教育や高校で学ぶことが含まれていもいいが、「学問」と言うと、大学・大学院レベルで学ぶ知識となる。
なかには大学では扱われず大学院レベルというものもある。
そうなると、基本的に、学士・修士・博士でしか語れない話となるわけで、部外者が何を言っても戯言。
何か言いたければ博士号を取ってからにしろだとか、学会員(創価学会じゃないですよ)になってからにしろだとか言われてしまうわけ。この学問が社会を作っている。
学問の分野は大きく分けて、基礎科学と応用科学がある。文系だから科学とは無縁ということはない。すべてどちらかの科学内に分類される。

学問の一覧は、大学・大学院レベルで学ばれる知識を分類したものである。それぞれの分野には下位分野があり「(例)物理学→素粒子物理学」、この下位分野にはそれぞれ学術雑誌、学会があることが多い。
学問の分類には図書分類法のような分類法がなく、日本とアメリカ、ヨーロッパなど地域や教育機関ごとに差異がある

(素粒子物理学は日本の得意分野なのです)

■基礎科学の分野
●人文学―哲学、 宗教学、文学、言語学・言語
●社会科学―政治学、経済学、心理学、社会学、人類学・考古学、歴史学、地理学、地域研究
●自然科学―物理学、宇宙科学・天文学、地球科学、化学、生物学
●形式科学―数学、統計学、計算機科学、システム科学

■応用科学の分野
芸術学・芸術・デザイン、法学、行政学、軍事学、経営学、家政学、メディア研究、教育学、工学、建築学、交通科学、農学、医学、歯学、薬学、医学・歯学・薬学以外の健康科学、図書館情報学

~学(例:物理学)の中でもさらに細分化されていて(例:素粒子物理学)、1つの学にそれこそ何十という分野がある。
それを下位分野と言っているが、この下位分野には学会があることが多い。原子力村(原子カムラ)ではないけれども、学会村(学カイムラ~)があるのである。
心理学が基礎科学なのか?とか、応用科学の医学に含まれる基礎医学は基礎科学ではないのか?といろいろ疑問はあるかもしれないが、あくまでも分類なのでご容赦ください。


哲学者と思想家が一緒に語られることが多いせいか、「思想」という言葉を使うと「哲学」を彷彿とさせるのだが、優生学(優生思想)は哲学とは関係ない。
優生学は応用科学に含まれると書いてあるが、現在は優生学という分類はない。
関係する分野としては、遺伝に関係することなので、人類学、生物学、医学、農学、工学といったところだろうか。

元々の優生学は遺伝病が広範囲に広がって社会に弊害を生まないように、遺伝子レベルでの根絶を目指した学問だった。
それを民族単位で展開しようとしたのが「民族衛生学」。それぞれの民族には固有の特色や問題があるはずだという考えがベースになっている。

日本には現在も「日本民族衛生学会」がある。
本学会は、昭和5年(1930)、永井潜(生理学)らによって創設され、その目的は、所謂、社会・文化的背景を考慮にした医学研究及び社会啓発を目的とする当時としては先覚的な理念に基づいている。
この理念は福田邦三(生理学)、勝沼晴雄(公衆衛生学・人類生態学)らに引き継がれ、現在では、ヒューマンエコロジーを基盤とする包括的医学研究の育成・推進を図り、健康と福祉の向上に寄与することを目的としている。
即ち、健康現象を研究するにあたり、人間と環境との係わりを包括的に記述、分析する方法に関心を持つ医学研究集団である。DNA、細胞、臓器、人体、集団、民族を分析的のみならず統合的に研究し(differentiation & intergration)、一方、環境については「人間が作った環境(culture)」を「自然の環境(nature)」に対比する。
特に後者は、文化を精神文化(culture)とし物質文明(civilization)と対比する人文・社会科学の定義ではなく、「自然環境=自然」に対比する「人間が作った環境=文化」とすることによって、「文化」を生物科学的に定義した。これによって人文科学ではない医学が「文化」を取り扱うときに困惑していた問題を整理できた。

なお、創立当時の世界情勢によって本学会が民族主義的優生学の学会と誤解されることもあったが、当時、圧倒的に優勢だった要素還元主義・人体機械論及び決定論的パラダイムから距離を保ち、包括主義・人体有機体論及び確率論的パラダイムを志向する学会であり続けて今日がある。

日本民族衛生学会についてより>

上記ホームページに記載されている名誉会員名に鈴木庄亮という名があるが、私はこの教授に公衆衛生学を学んだ。
1981年、東京大学人類生態学助教授を経て、群馬大学医学部公衆衛生学教室の(3代目)教授として赴任。


たぶん優生学が学問の中だけで存在していたならば問題にされることはなかったのだろうと思う、
政治と結びついたことが不幸の始まりと言うか、誤解を生んだと言うか、変質してしまったと言うか、なんというか。「優生学」自体が偏見の目に晒されるようになった。
また政治と結合したことで、政治学、法学、社会学、行政学、経済学、軍事学、教育学、芸術学など多くの分野に関係することとなり、結果的にそれが社会に影を落とすこととなった。

「ヒトラーの思想」や「優生思想」というとユダヤ人虐殺(ホロコースト)に直結して、それしか思い出せない状態となる。
でも考えて見てほしい。
優生学は農学では早くから取り入れられていて実用化されている。
遺伝子操作は今日もっとも持て囃されている科学である。
遺伝子操作をして悪いものを作ろうなどと考えている人はそうそういないはずである。
自然に任せるのではなく、自らの手で操作してまで良いものを作りたい、それが「優生思想」でなくて何なのだ?
デザイナーズベビー、出生前診断、みな優生思想に立ったものだ。
出生前診断には中絶がセットになっている。安楽死は許されないが中絶は許されている。
もっと言えば「生まれてくる子が五体満足でありますように」「健康ならば良い」といった願いや祈りも優生思想である。
難関校やブランド校に子供を入学させたいとお受験に熱心になる。我が子を地元の低俗な公立になんか通わせられない、これも立派な優生思想である。
社会は優生思想で満ち溢れている。
優生思想が悪いなどと言う欺瞞はたくさんだ。


ナチスは、その単位が個人や家族ではなく、国家であった。
優秀な子供を誕生させたい、優秀な子供を育てたい、勝ち組な家族になりたい、国家レベルでそれを実現しようとした。
ナチスが優秀だと信じていたのは北方人種(北欧人)とアーリア人。
北欧はゲルマン人の発祥の地だから関係があるが、何故にアーリア人?と思う。
アーリア人
広義には中央アジアのステップ地帯を出自とし、南はインド亜大陸、西は中央ヨーロッパ、東は中国西部まで拡大したグループ。狭義にはトゥーラーン(中央アジア)を出自としたグループを指す。
イランはアーリア人の国という意味だそうだ。
次第にヨーロッパにも移動したとはいえ、民族的にはアーリア人=ドイツという構図にはならない。これではドイツの中央アジア信奉になってしまう。

もうひとつの考え方が言語。
インドのサンスクリット語と古代ローマ帝国が使用していたラテン語が似ているということで、これを合わせて「インド・ヨーロッパ語」とし、この言語を使う民族を「インド・ヨーロッパ語族」とした。
そして「インド・ヨーロッパ語族」のルーツは全てアーリア人であるという学説を発表したのが、ドイツ生まれの学者(後、イギリスに帰化)。
この学説が流行したために民族ルーツが霞んで、インド・ヨーロッパ語族がアーリア人だと定着してしまった。

さらに悪いことに(?)、音楽家ワーグナーが「アーリア人の中で一番優秀な民族がゲルマン人」と主張。
これがドイツで熱烈支持されることになる。

ドイツでは、作曲家ワーグナーなどが、アーリアン学説を肯定した上でドイツ人が最も純粋なアーリア人の血を引く民族であると主張する事で、近代になって形成されたに過ぎない自民族の権威付けに用いた。
ゴビノ―のアーリア人種至上主義は、ヒューストン・ステュアート・チェンバレン(ワーグナーの娘エヴァの婿)の『十九世紀の基礎』(1899年)に継承され、そこでは理論はさらに先鋭化され、アーリア人種の中でもゲルマン人こそ最も優秀な民族であると主張された。『十九世紀の基礎』はドイツでベストセラーになり、彼の理論は後にナチズムのイデオロギーを支える重要な柱となった。
20世紀初頭のドイツ人は、「アーリア人種」という神話を「民衆思想の一部」となったといわれるほど広く受け入れ、「金髪、高貴で勇敢、勤勉で誠実、健康で強靭」というアーリア人種のイメージは彼らの理想像となり、アーリア人種論はヒトラーの思想形成にも影響を及ぼした。ドイツ民族こそがアーリア人種の理想を体現する民族であり、ドイツ的な「精神」が「アーリア人種」の証とみなされた。アーリア人種はドイツ民族と同義語になり、人種主義はドイツ・ナショナリズムを統合するものになっていった。


ヒトラーもこの影響を受けており、主に文化芸術分野や経済分野からユダヤ人を閉め出したいと考えていたようで、優生学とは観点が違う。

ヒトラーは『我が闘争』で、人種は大まかに三段階に分けられ、最上位がアーリア人種で、中でも雑種化していない純粋民族であるゲルマン民族が最も上等であるとした。アーリア人種、ゲルマン民族は唯一文化を創造する能力を持つとし、「文化創造者」と呼んだ。ユダヤ人をこの対極にあるとして「文化破壊者」とした。
ヒトラーは、ゲルマン民族を純粋民族として保ち、存続させるために国家が存在すると考えた。
ナチスドイツは、数世紀の歴史を持つ反ユダヤ主義(ユダヤ人はイエス・キリストの殺人者)が人種主義と結びついた「反セム主義」を元に政治的経済的イデオロギーを形成し、「アーリア・北方人種」に対するユダヤ資本主義の脅威という強迫観念となった。ユダヤ人を経済活動から排除する「脱ユダヤ化」と共に、ユダヤ人資産のドイツ人への移譲とその活用を目指す「アーリア化」が行われた。



外国では、「優生思想」とは言わず、「優生学(eugenics)」。
日本で言うところの「ヒトラーの思想」は、外国では"Master race"や"Superior race"と表現する。by Naziなどを付け加える。ヒトラーよりもナチス・ナチズムが用いられることが多い。

Master は、支配者、指導者、巨匠、主人、勝者などという意味。修士号やキリスト、原版などという意味もある。
Superior は、上位、上級、上等、優勢などという意味。

要するに、ナチスドイツは「ドイツは凄い」「アーリア人、ゲルマン民族、最高!」というプロパガンダにレース(大会)を利用した。
プロパガンダはラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。
競わさせて勝利させたのだ。
特にナチスドイツは、ユダヤ人の劣るものが身体で、苦手なものが運動だと思っていた。
そこでスポーツに力を入れた。
「ダメなかっこ悪い勝てないユダヤ人」「いけてるカッコいい勝者のアーリア人・ゲルマン人」を演出し大衆に見せることで優越民族であることを強調した。ドイツの人々は熱狂した。
最大の見せ場は1936年のベルリンオリンピックだった。

・ナチスドイツで開催された「ベルリンオリンピック」
今では当たり前となっている開会式の「聖火リレー」は、ヒトラーによって初めて行なわれたものである。
また、巨費を投じた競技施設と五輪史上初の選手村、擬似軍隊的な開会・閉会式、国家元首によるおごそかな開会宣言、「民族の祭典」というキャッチフレーズ、初のテレビ中継大会などなど、期間中の華麗な演出はまさに現代オリンピックの原型となった。
この「ベルリン・オリンピック」は、ナチスの力を世界に誇示する場となり、「ヒトラーの大会」とさえいわれた。


・ヒトラーの祭典…1936年ベルリン・オリンピックの熱狂した様子
1933年にアドルフ・ヒトラー率いるナチスがドイツの政権を奪取し、その3年後の1936年にはベルリンで夏季オリンピックを開催しました。
アーリア民族の優秀性とヒトラーの権力を誇示するプロパガンダとして大いに利用された、ベルリン五輪当時の様子をご覧ください。
ドイツの総力を挙げ、短期間でスタジアム、選手村、ホテル、さらには鉄道やテレビ中継まで整備されました。


ナチスドイツはオリンピックの高揚を上手く利用して、オリンピック開催の年に国家唯一の青少年団体への加入(10~18歳の青少年全員)を義務付ける法律を制定した。
オリンピックで終わりではなかった。そう、戦争が待っている。
前身組織は、1926年に組織された、放課後に学校外で活動する地域の党青少年教化組織・ヒトラーユーゲント(ヒトラー・ユース)である。
やがてこれがドイツの兵力を支える存在となる。
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by yumimi61 | 2016-07-31 12:33
2016年 07月 30日
日本国憲法の秘密-304-
おそらくどこの国もそうだろうけれど、国民の意見が一人残らず一致するなんてことはない。
全国民でなく、例えば政治家だけを取り出しても、その意見が全て一致するなんてことはないだろう。
強い理念を持つ個人、強いイデオロギーを持つ集団ほど、摺り合せは難しくなる。
理念やイデオロギーはアイデンティティの形成に大きく関与しているので、これを譲ることは自己の喪失に繋がりやすい。

アイデンティティは「どこにいても誰といても何をしていても自分は自分」というところの、「自分」である。
自己同一性、本人に間違いないこと、出生から今日まで生きてきた自分。
連続する同一のもの。魂を抜かれて途中で誰かと入れ替わったわけではない自分。
連続や同一を維持するには「芯」や「根っこ」が大事ということで、そうした言葉に置き換えてもいいかもしれない。
服を着ても脱いでも、化粧をしても、整形をしても、要するに見た目が変わっても、変わらない自分ということで「核」と言ってもよいかもしれない。

アイデンティティの形成に関与してきたと思われる理念やイデオロギーを譲ってしまうと、「今までの自分は何だったのだ?」とか「自分が今までしたきたことは何だったのだろう?」といった虚無感や無力感に苛まれる。
一番分かりやすいところで言えば、性別。性別もアイデンティティの形成に関与している。
本人が自分自身の性別をどうみているか、すなわち性自認がアイデンティティに影響している。ジェンダー・アイデンティティ。
自分を女だと自認して形成したアイデンティティがある。性別学的な女の場合はそれでとくに問題が無い。
ところが性別学的に男であった場合、「いやいやあなた男でしょう」とか「男なんだから男らしくしろ」と言われたりする。女として形成してきたアイデンティティが揺らぐ。否定される。
自分が形成してきたアイデンティティ(理念やイデオロギー)を社会に認めてもらえない。そうすると自分自身を否定されていると感じてしまう。
それが進むと罪悪感や劣等感に悩まされることにもなる。自分が自分を認められなくなってしまう状態は本人にとっては深刻である。本当はこれを性同一性障害と呼ぶべき。
生物学的な性別と自己認識の性別が一致していなくても、それによって自分を否定するようなことがなければ、精神的な問題(障害)はない。その人のジェンダー・アイデンティティがしっかり確立された状態である。

自分を形成してきたものを否定されたくないという気持ちは、自己否定からの防御反応である可能性が高い。
過度な承認欲求は過剰な防御反応であると言える。
承認欲求は誰にでもあるものだが、アイデンティティ形成期、要するに人生経験が少ない時に多い。アイデンティティの不足を承認によって埋めて自己を保つのである。
上に自分が形成してきたアイデンティティ(理念やイデオロギー)を社会に認めてもらえないと自分自身を否定されていると感じてしまうと書いたが、パラドックス的なことを言えば、「どこにいても誰といても何をしていても自分は自分」がアイデンティティなので、社会に認められないからとすぐに自己否定に走るような場合には、アイデンティティの形成が上手くいっていないと考えられる。

ただ社会における人間関係をアイデンティティだけで語ることは出来ない。
アイデンティティは個人や単集団内でこそ有効なものである。
自分とは違う自分(他者)・理念・イデオロギーの存在はストレスや煩わしさに繋がる。
アイデンティティが確立していて自己否定に走らないことは良いことだが、だからと言って他者否定をしてよいという理由にはならない。
社会には数多くの自分・理念・イデオロギーが存在しており、それが相反の関係にある場合も当然あり得るのだから簡単ではない。


例え話だと思って聞いてほしい。
生物学的には男性だが、自身の性認識は女性、こうした人がいたとする。
この人は性転換手術などは受けておらず、見た目は男性である。
しかし女性として生きている。
性別学的な性別と自己認識の性別は一致していないが、幸い自己否定に陥るようなことはなく、生物学的な男性ともお付き合いを重ねたりして結構幸せな日々を送っている。
これは精神的にはとても健やかな状態であり、問題(障害)はない。

でもこの人はひょっとしてHIV陽性者かもしれない。
今のところ健康状態には何の問題なさそうだから発症はしていないだろう。
本当はHIVに感染しているかどうかくらい検査したほうがよい。
現代では感染していても適切な治療によってエイズ発症がだいぶ抑えられるようになったというから、受けるにこしたことはないかもしれない。
でも彼は受けていない。
HIV陽性者がコンドームなしでアナルセックスをした場合、1回の行為で相手を感染させてしまう率は0.5%と言われている。
な~んだ99.5%は感染しないのかぁと思うかもしれない。そう99.5%感染しない。社会的には。
だけどこれは確率だからたった1回の行為で「0.5%の感染」に当たってしまうことも無きにしもあらず。個人的にはいつでもリスクはあるということ。個人のリスク(1回の行為で感染するかしないかの個人的な確率)は2分の1と言い換えることが出来る。感染するかしないかしかないのだ。
一般的な確率論で言えば、同じ陽性者と10回行為をして感染しない確率は95.1%に減る。
20回連続感染しない確率は90.5%となる。
このように数が増えれば増えるほどやはり感染確率は上がってくる。200回、300回、400回となれば、感染確率はどんどん100%に近づいていく。

その男性は精神的に日々健やかに過ごしているけれども、HIVに感染しているかもしれないという問題、HIVに感染していればいずれエイズを発症するかもしれないという個人的な健康問題を内包している。
また同時にHIVを感染させる可能性があるという公衆衛生上の問題もある。
HIV感染すると高確率でエイズを発症し、その死亡率が高いということになれば、問題はもっと大きくなる。
「検査をして白黒つけさせましょう」「陽性者と陰性者に分けて指導と経過観察をしていきましょう」、こうしたことは公衆衛生対策として考えられないものではない。かなり有効ではないだろうか。
しかし陽性者に対して差別を生んでしまう可能性はある。

その男性は勧められて恋人と一緒に検査を受けた。するとなんと自分だけHIVに感染していた。
病院では「ちゃんと治療すれば大丈夫ですよ。あとコンドームを使用してくださいね」と言われた。
だけど男性はHIV+に頭が真っ白。唐突に人生の終わりがやってきたような気がした。
恋人も逃げるように離れていき、自暴自棄になった。
生物学的な男だろうと女だろうと、手当たり次第、誰とでも性行為するようになった。
「なんで自分だけが・・」という気持ちが強くてコンドームを使う気にはなれなかった。
相手が見つからなかった時には強姦にも及んだ。もちろんコンドームなんか使わない。
「HIVは感染率が高くないんだ、心配はいらないさ」、心の中でそう呟いていた。
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by yumimi61 | 2016-07-30 16:59
2016年 07月 30日
カエルくん
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『かえるくん、東京を救う』は、村上春樹の短編小説。
村上は『新潮』1999年8月号から12月号まで、「地震のあとで」と題する連作の短編小説を続けて掲載した。本作品は12月号に発表されたその5作目。
収録書籍は、『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社、2000年2月)。
英訳での収録書籍は、『after the quake』(クノップフ社、2002年8月)。

あらすじ

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。蛙は「ぼくのことはかえるくんと呼んでください」と言い、片桐に早くドアを閉めて中に入るよう促した。
片桐は蛙が返済金の交渉のために遣わされた「クミの関係者」と思う。かえるくんは片桐が「東京安全信用金庫新宿支店融資管理課の係長補佐」をしていることを知っていて、これは借金の返済とは関係のない話だと答える。

「ぼくがここにやってきたのは、東京を壊滅から救うためです」

壊滅とはかえるくんによれば地震だという。地震は3日後の2月18日の朝8時半頃に東京を襲い、それに伴う死者はおおよそ15万人とのことだった。震源地は東京安全信用金庫新宿支店の真下。片桐はかえるくんと共に地下に降り、みみずくんと闘い、地震を阻止する。それがかえるくんの言わんとするところだった。




写真のカエルは国道17号線沿いの前橋教習所。
国道17号線の起点は日本橋。数字は日本橋から距離。

実は前に123kmの写真を掲載したことがある。
123km地点は信用組合のところ。
写真を撮った時には「かみつけ信用組合前橋北支店」だったが、2012年11月より「ぐんまみらい信用組合前橋北支店」になっている。

(「群馬県庶民信用組合」と「北毛信用組合」が合併し、「北毛信用組合」となる)
1990年4月、 「吾妻信用組合」と「北毛信用組合」が合併し、「かみつけ信用組合」となる。
(1991年4月、 「群馬県商工信用組合」と「新町信用組合」が合併し、「信用組合けんしん」となる)
1998年1月、「かみつけ信用組合」と「信用組合けんしん」が合併し、「かみつけ信用組合」となる。
2012年11月、「かみつけ信用組合」と「東群馬信用組合」が合併し、「ぐんまみらい信用組合」となる。

信用組合の根拠法は「中小企業等協同組合法」および「協同組合による金融事業に関する法律」。
信用金庫の根拠法は「信用金庫法」。
銀行の根拠法は「銀行法」。
日本銀行の根拠法は「日本銀行法」。
信用組合と信用金庫は、組合員または会員の出資による協同組織の非営利法人。
銀行は株主のいる株式会社で営利法人。
日本銀行は株主ではなく出資者と言う。出資者は非公開。基本的に配当はないらしいので非営利法人!?

実は実は、前橋教習所のカエルの写真ももっとアップで前に掲載したことがある。
その時は、123kmは知っていたのだが、123.4kmには気が付いていなかった。
気付いたのはごくごく最近のことで、それで写真を撮ったのだった。
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by yumimi61 | 2016-07-30 12:09
2016年 07月 29日
日本国憲法の秘密-303-
■1939年9月1日 (ドイツ)西からポーランドへ侵攻(・・・これが第二次世界大戦の発端とされている)
※「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)及びドイツ系民族への迫害(そのような事実はなく、せいぜいが禁酒法の施行程度)という自作自演の事件を理由に侵攻した。

■1939年9月3日 (イギリス・フランス)ドイツに宣戦布告(宣戦根拠は前月に締結したポーランドとの相互援助条約)

■1939年9月17日 (ソ連)東からポーランドへ侵攻

●1940年1月21日 (日本)浅間丸事件
・・・日本とイギリスの悪化した関係が表面化


■1940年5月10日 (ドイツ)フランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクへ侵攻
ドイツは1939年4月に「ドイツ・ポーランド不可侵条約」と「イギリス・ドイツ海軍協定」を破棄した。このことからドイツが東(ポーランドやソ連)にも西(フランス・イギリス)にも侵攻する可能性が出てきたということになる。同年8月には「ドイツ・ソ連不可侵条約締結(ポーランド分割占領という秘密議定書含む)」が締結された。
秘密議定書が公開されていなくても東のソ連には侵攻しないということだから東に行くならポーランド止まりということが分かる。
島国でない国は国境線で幾つかの他国と隣接している。ドイツもそうである。
隣接した国を全て敵に回すと、必然的に自国の兵力規模は小さくなり、力も分散する(東西南北すべてに兵を送り込む必要が出てくるから)。
従ってドイツがどこと組むかによってドイツの侵攻したい場所が見えてくる。ソ連と組んだということは、東に力を分散させたくないということだから、ソ連と不可侵条約を結んだ段階で、とりあえずの真の目的は西であろうことが分かる。
8か月の「まやかし戦争」を終えて、いよいよドイツの西への侵攻が始まった。オランダ・ベルギー・ルクセンブルクは同月中に降伏しドイツの占領下に入った。

■1940年6月10日 (イタリア)イギリス・フランスに対して宣戦布告。

1936年11月に日本とドイツが締結した「共産インターナショナルに対する協定及附属議定書」(通称:日独防共協定)、それに1937年にイタリアが加盟し「日伊防共協定」と呼ばれる協定を、日本とドイツとイタリアは結んでいた。
この3国(日本・ドイツ・イタリア)の対イギリス・フランスの姿勢が明確になってきた。

■1940年6月11日 (フランス)フランス政府によるパリの無防備都市宣言
戦争や紛争が勃発した際に、軍事力が存在していない開放地域(英語: Open City)であると宣言し、敵の攻撃による損害を避ける目的で行われる。
宣言が出来るのはその国を統治している中央政府か、国家の軍事活動を統制している軍隊のみで、都市である地方自治体が独自で行う宣言は国際的には有効ではない。
無防備地区(無防備都市)であるとの宣言が行えること、無防備地区(無防備都市)への攻撃の禁止は、戦時国際法(ハーグ陸戦条約・ジュネーブ諸条約追加第1議定書)に規定されている。

紛争当事国に特段の合意がある場合を除いて、この地域から全ての戦闘員、移動可能な兵器、軍事設備が撤去され、また、地域において軍隊や住民が軍事施設を敵対的に使用すること、軍事行動の支援活動を行うことが禁止される。

無防備地区に対して禁止されている行為は物理的な攻撃のみであり、占領、占領行政、および(占領後の占領軍による)その地域の軍事的な使用は禁じられていない。
本来は歴史的建造物・歴史的遺産などを攻撃によって無暗に損失することがないよう守る意味合いが強いものであると思うが、「都市単位の無条件降伏」であると捉える向きもある。
こうした理解の相違もあり、宣言しても守られないことも少なくない(これが有効に機能するのは当事者たちが法を忠実に守った場合だけである)。

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「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」という団体により、日本の地方公共団体(地方自治体)のレベルで無防備地域宣言を行うための条例制定の直接請求運動が全国各地でなされている。諸外国から宣戦布告も受けておらず、また諸外国の侵攻すら受けていないのにもかかわらず無防備地域宣言をするこの「運動」は、世界でも日本にだけみられる独特の社会運動で、自治体の無防備都市宣言はハーグ陸戦条約と関係がない。

これまでいくつかの自治体で直接請求(条例制定請求には有権者の50分の1以上の署名が必要)が成立しているが、提出された無防備地域条例案はすべて否決された。無防備地域宣言運動全国ネットワークも2011年の東日本大震災以降、原発反対運動などに主軸を移し、会報は2014年1月号以降発行が無い。

無防備地域宣言運動全国ネットワークが条例化運動を行った地方自治体
北海道 - 苫小牧市、(札幌市)
東京都 - (品川区)、(荒川区)、板橋区、(大田区)、(国立市)、(日野市)、(目黒区)、北区、国分寺市、小金井市、練馬区、(立川市)
千葉県 - (市川市)
神奈川県 - (藤沢市)、(小田原市)、(川崎市)
長野県 - (中川村)
三重県 - 鈴鹿市
大阪府 - (大阪市)、(枚方市)、(高槻市)、豊中市、(箕面市)、(堺市)、(寝屋川市)、(吹田市)、四条畷市、大東市
滋賀県 - (大津市)
奈良県 - (奈良市)
京都府 - (京都市)、(向日市)、(宇治市)、亀岡市、(精華町)
兵庫県 - (西宮市)、(尼崎市)
愛媛県 - 南宇和郡愛南町
鹿児島県 - 鹿児島市
沖縄県 - (竹富町)、石垣市、(那覇市)、大宜味村
※カッコで囲んである自治体は議会が無防備地域条例案を否決している。 


「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」
反戦を前面に押し出し、ジュネーヴ条約(正確にはその追加第1議定書の第59条)に規定された「無防備地域宣言」を行えば戦争に巻き込まれることはない、として、その宣言を行う条例の制定を全国の自治体に呼びかける活動を行っている。
<呼びかけ人>池上洋通・池田香代子・井上ひさし・上原公子・川田悦子・きくちゆみ・斎藤貴男・澤野義一・土屋公献・成見暁子・藤永のぶよ・平安名常徳・前田朗・松浦悟郎・松本健男・山内徳信・山内敏弘・中井多賀宏

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■1940年6月14日 ドイツがパリに無血入城。
一種の歴史叙述上の表現として使用される「無血入城」とは、無抵抗で降伏した都市に敵の軍隊が進駐することを指す。
フランス政府によってパリの無防備都市宣言がなされたので、ドイツ軍はそこへ進駐した。
通常、相手領域に無断で入ること、すなわち侵攻は地上戦を行うことを前提としている。
侵攻した場所で「我が領域に入るな」「我が領域を取るな」という抵抗があれば当然戦いになる。その地で戦いになれば勝っても負けても被害が出ることが考えられる。
その被害を出さない目的で行われるのが「無防備地区宣言」である。要するに「その領域に入ってきたとしても抵抗しない」という宣言となる。
だからドイツ軍はそこへ戦うことなく進駐した。
戦って負けたということではないのはもちろんのこと、負けそうだから戦わないということでもない。
その地には守りたいものがあるので、そこでは戦わないということである。部分的にせよ占領されるということはマイナス要素になることは間違いない。そのハンディを背負っても守りたいものがあるのだ。
一時的に占領されることは覚悟の上だけれども、占領されたとしても最終的に戦いに勝利すれば、その地も戻ってくる。

■1940年6月17日 フランス政府がドイツに休戦を申し込む(6月22日独仏休戦協定)。
この時のフランス政府は第三共和政。休戦によってフランスはドイツに占領される。
ドイツによるフランス占領に反対して自由フランスが成立。(1944年にフランス共和国臨時政府に発展。戦後1946年に成立したフランス第四共和政に繋がる。現在は1958年からの第五共和政)
1940年5月末から6月にかけてイギリスを中心とした連合国軍は撤退作戦を敢行した。
「引く勇気」「退く勇気」「勇気ある撤退」、これらの言葉は、喧嘩、経営者としての姿勢、登山家の判断などに用いられる言葉であるが、戦争にも作戦としての撤退がある。
その目的や意味は、被害の拡大を防ぐ、無駄死にを防ぐ、余力を残して挽回のチャンスを窺う、損して得とれ(損をしても徳を取れ)など。
 ・ダンケルクからの撤退(ダイナモ作戦)
 ・ル・アーブルからの撤退(サイクル作戦)
 ・フランス西部の諸港湾からの撤退(エアリアル作戦)


■1940年6月12日 (フランス)タイと相互不可侵条約を締結。
フランスは、ドイツのフランス侵攻(5月10日)とイタリアのイギリス・フランスへの宣戦布告(6月10日)にすぐさま反応し、タイと不可侵条約を結んだ。フランスは植民地に敵が侵攻してくることを予測したのだろう。
前にも書いたかもしれないが、日本・ドイツ・イタリアは植民地の獲得が遅れていた国々であった。
ドイツは第一次世界大戦前には太平洋諸島をスペインから譲り受けて所有していたが、それを日本に占領され、国連の委託統治領となり日本領となった(但し1933年に日本は国連脱退している)。
この点を踏まえると、フランスがすぐさまアジアの植民地に目を向けたということは、日本の侵攻を危惧したということになる。
タイは植民地になっていなかった国(独立国)で、タイに隣接する国々(インドシナ半島のベトナム・ラオス・カンボジア)はフランス領であった。
陸続きでフランス領に侵攻できるのはタイくらいなので、タイの侵攻がなければ、海を重点に出来る。
タイはドイツとイギリス・フランスの戦い勃発直後に中立宣言をしていたが、独立国であることから同盟などを組む可能性は捨てきれない。そこでフランスはタイと不可侵条約を結んだ。

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フランスとタイが不可侵条約を締結したのは6月12日で、6月17日にフランスはドイツに休戦を申し込んでいる。
フランスは6月17日の段階でまだタイとの不可侵条約を批准していなかった。
批准しないうちに休戦申込みしたので、タイは「フランスも終わったか」と思い、これに付け込むことにした。インドシナ半島の領地争奪に乗り出したのである。
同じ頃、日本軍もフランス領のインドシナ半島へ侵攻し始めていた。フランスの読み通りである。
こうして1940年11月23日よりタイ・フランス領インドシナ紛争が勃発する。
1941年5月8日に(まだ真珠湾攻撃しておらず開戦していない)日本の仲介により東京条約を締結し、タイがフランス領の一部を自国領に併合することで一応の決着をみた。

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タイは日本の友好国であると言われることがある。
多くの国が植民地となっているアジアの中で独立国を維持してきたということは、それだけ立ち回り方が上手いということである。
タイは非常にしたたかな国である。
開戦の段階で日本の敗戦を予測した上で、可能ならば領土を広げようと企て、日本を利用したという側面もある。

真珠湾攻撃と時を同じくして日本はタイにも侵攻している。そこで日本とタイは「日本国軍隊のタイ国領域通過に関する協定」を締結する。
「タイは日本軍に協力するからタイの領土獲得にも協力してね」という協定である。
1941年12月21日には「日本・タイ攻守同盟条約」が締結され、1942年1月25日にタイはアメリカ・イギリスに対して正式に宣戦布告した。しかしこの布告文には3人の摂政の1人が署名しておらず、書類不備によって無効だった。
また日本軍に協力することを約束したわりには現地では通過を邪魔して小競り合い。日本と戦ったとの言い訳になる。
タイの親王に靖国神社を参拝させたりするも、戦争の重大場面においては日本と一定の距離を取った。
さらにアメリカに留学していた留学生を中心とした抗日組織と連携をとり、タイ国内に招き入れた。
日本と同盟条約を結んだということは、タイは枢軸国となるはずなのだが、抗日組織を介してアメリカの支持を得る。アメリカが強硬な態度のイギリスとフランスとの交渉を仲介し、占領した領土などの返還と引き換えにをタイは敗戦国となることを免れた。

タイが日本にやってきたという記録は、1388年室町幕府(第3代将軍・足利義満)の時に見られる。
このころから既に日本人の一部はタイに入植しており日本人集落も作られていた。
以後、安土桃山時代、江戸時代と、かなりの日本人が移り住んでいる。
明治時代に入ると明治政府は通商条約としてタイと不平等条約を結んだ。
この条約では日本を最恵国待遇とする事、日本のタイ国での治外法権などを定めた。
日本はタイの法律整備に協力することを約束し、それが完了した後には平等条約に切り替えるという条項を含んでいたが、法律整備に関与するということは都合の良い法律を作れるということを意味し、真の意味で平等なのか疑問は残る。
またタイでは伝統的に、タイ人でなくともアジア人に対してはタイ人と同様に見做すことを認めていたが、結果的に日本はこの政策を破壊することになり、すでにタイに住んでいて、それまで認められていた日本人の土地所有も否定されるという弊害も生んだ。

作家の三島由紀夫は1965年と1967年にタイを訪問している。
小説『豊饒の海』4部作の3部目の「暁の寺」の舞台がタイのバンコクなのだ。

作家の村上春樹も『タイランド』という短編小説を発表している。
村上は『新潮』1999年8月号から12月号まで、「地震のあとで」と題する連作の短編小説を続けて掲載した。本作品は11月号に発表されたその4作目。
収録書籍は『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社、2000年2月)。
『村上春樹全作品 1990~2000』第3巻の解題で村上はこう述べている。「甲状腺の専門医を主人公にしたのは、たまたま甲状腺の専門医と知り合い、話をする機会があったからだ。『世界甲状腺会議』なんてものが本当にあるのかと疑う方がおられるかもしれないが、これは実在する。」


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by yumimi61 | 2016-07-29 10:52
2016年 07月 28日
日本国憲法の秘密-302-
■1939年9月1日 (ドイツ)西からポーランドへ侵攻(・・・これが第二次世界大戦の発端とされている)
※「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)及びドイツ系民族への迫害(そのような事実はなく、せいぜいが禁酒法の施行程度)という自作自演の事件を理由に侵攻した。

■1939年9月3日 (イギリス・フランス)ドイツに宣戦布告(宣戦根拠は前月に締結したポーランドとの相互援助条約)

■1939年9月17日 (ソ連)東からポーランドへ侵攻



ドイツの侵攻があり、イギリス・フランスの宣戦布告があって、戦争は始まった。
しかしながら前にも書いたように地上戦が行われず「まやかし戦争」とまで言われた。

1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻の後、1940年5月のドイツ軍のフランス侵攻まで、ドイツとフランス・イギリスは戦争状態にあったにもかかわらず、陸上戦闘が皆無に近い状態であったためで、いかさま戦争とも言う。ドイツでは座り込み戦争(独: Sitzkrieg :ジッツクリーク)、フランスでは奇妙な戦争(仏: Drôle de guerre :ドロール・ドゥ・ゲール)と呼ばれていた。

アドルフ・ヒトラー総統は、英仏軍が攻撃して来る可能性は皆無と判断し、ドイツ軍主力をポーランドに集中し、独仏国境線の戦力をわざと薄くしたのである。

ポーランドは約1ヶ月でドイツおよびソ連に占領されるが、この後1940年5月にドイツが西方諸国に侵攻するまで、フランス・ドイツ国境地帯においては英仏軍は、ヒトラーの予想通り、フランス軍がドイツにごく小規模な侵攻(2000人程度の部隊)を行ない、すぐに撤退したことを除けば攻撃を行なわず、陸上戦闘は生じなかった。

戦闘休止状態が長引くにつれ、国境をはさんで対峙する将兵たちにも戦意の低下が見られ、双方の兵士たちがタバコや菓子を交換し合うような光景も珍しくなくなり、敵前で堂々と日向ぼっこをするようにもなった。戦争状態にあり、しかも国境を接しているにもかかわらず戦闘が生じないことから「まやかし戦争(いかさま戦争)」との名称が生じた。


なぜ地上戦に踏み切らなかったか。
おそらくそれはイギリスが島国で海軍優位の国だったからだろう。
海軍だからやはり海上での戦いを得意とする。
地上戦に積極的でないイギリスが多くの植民地を持って大英帝国になったということは、それなりに意味があると思う。

ただし、海上ではドイツ海軍のUボートによりフランスやイギリスの艦艇に対する通商破壊戦や、ラプラタ沖海戦(ドイツ艦グラフ・シュペーがイギリス艦と交戦の後自沈した)など活発な戦闘が発生しており、北欧では冬戦争(1939年11月末、ソ連がフィンランドに侵攻した)やドイツ軍による北欧侵攻が行なわれていた他、イギリスでは戦時予算が議会で承認されたことを受けて、戦闘機や戦車、海軍艦艇の生産が急ピッチで進められていた。

イギリスは「ロンドン海軍軍縮条約」を締結しており、さらに潜水艦全廃を主張していたくらいである。
1939年8月にアメリカはドイツに対して強硬な態度をとるようとイギリスやフランスに要請したが、準備が整わないうちにドイツをあまり刺激したくないというのが本音ではないだろうか。
西に侵攻してきたならともかく東に進んだのだ。
ドイツとソ連が手を組んで西に侵攻することがあれば、その時こそ一大事。今のうちに少しでもそれに備えなければならない。
またイギリス王家はドイツにルーツがあり、両国は無縁というわけでもない。
条約を守らず大型艦船を建造するなど再軍備していたドイツは、イギリスのその立場をよく分かっていた。

Uボートは、ドイツ海軍の保有する潜水艦の総称。一般的には特に第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期のものが語られる。
ドイツ潜水艦隊の華々しい活躍により、Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞として広く普及した。第一次大戦では、約300隻が建造され、商船約5,300隻を撃沈する戦果を上げた。第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。
後に連合国が有効な対策を編み出した事もあり、全ドイツ軍の他のあらゆる部隊よりも高い死亡率であった



●1940年1月21日 浅間丸事件
強力な海軍力を持つイギリスはドイツ商船隊(ドイツ籍の武装商船や戦争関連の品や人を運搬している商船。商船なので民間人が乗っている)を全世界の公海上で制圧して行動不能にし、自沈や中立国での係船を余儀なくするにいたらせた。
しかし、浅間丸の所属する日本や、出港地のアメリカ合衆国は1941年12月まで第二次大戦には参加せず、また太平洋でドイツ海軍による戦闘は発生しなかったことから、太平洋を挟んだ両国間では商船会社による定期運航が、上記のような戦争当事国に関係する物資や人員の輸送に制約をもうけながらも比較的に平穏に行われており、日本などのアジアとヨーロッパ間を行き来する人々のルートの1つとしても使用されていた。

英独開戦後、英国海軍省と日本各商船会社の間では戦時禁制となる人や物の輸送中止の紳士協定が結ばれていたが、日本郵船の「浅間丸」船長らは日本大使館の強い要請により、ニュー・ジャージー州メイ岬沖で英国駆逐艦の追跡から拿捕を免れるため自沈したドイツ客船コロンブスの船員など51名を乗客に加え、1939年12月にサンフランシスコよりホノルルを経由して横浜港に向けて出行した。翌1940年1月21日、千葉県房総半島沖の公海上でイギリス海軍の中国艦隊所属の軽巡洋艦「リヴァプール」より空砲で停船を命じられ臨検を強制された。


それによってイギリスは浅間丸船上よりドイツ人21人の身柄を拘束し連行した。
イギリス海軍側の「浅間丸」に対する公海上における臨検とドイツ人乗客に対する措置は、戦時国際法上適切なものであった。
しかし外務省は駐日イギリス特命全権大使を外務省に呼んで正式に抗議した。
日本のマスコミ(各新聞)と国民も「帝国の面目に泥を塗った」などと一斉にイギリス海軍を非難したほか、友邦のドイツ人を「無抵抗で引き渡した」として船長・渡部喜貞に対しても激烈な批判を行った。『写真週報』では「浅間丸ドイツ船客拉致事件」というタイトルをつけ、『報知新聞』は「国民の感情を無視するな」と主張した。

宇垣一成(陸軍大将、陸軍大臣、朝鮮総監、外務大臣などを歴任)は1月26日の日記に、類似の事件を日本は沿岸封鎖中のイギリスの植民地の香港や、フランスの植民地のハイフォンの沖で起こしていることを指摘して、沸騰する日本の世論について恥の上塗りをしないような注意が必要だと書き残している。

当時関係が悪化していた日本とイギリスの間において大きな国際問題に発展した。
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by yumimi61 | 2016-07-28 21:04
2016年 07月 27日
たまごっちプラス
ブルー・オーシャン戦略
ブルー・オーシャン戦略(blue ocean strategy)とは、INSEAD(欧州経営大学院)教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュが著したビジネス書、およびその中で述べられている経営戦略論。

W・チャン・キムはその名前から分かるかと思うが韓国人。
レネ・モボルニュも何となくその響きからフランス人かなぁと思い、Renée Mauborgneという表記を見ればやっぱりフランス人だなぁと思うと思うが、フランス系のアメリカ人である。

■概念
競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説く。そのためには、自分の業界における一般的な機能のうち、何かを「減らす」「取り除く」、その上で特定の機能を「増やす」、あるいは新たに「付け加える」ことにより、それまでなかった企業と顧客の両方に対する価値を向上させる「バリューイノベーション」が必要だとしている。そのための具体的な分析ツールとして、「戦略キャンバス」などを提示している。

従来からよく知られているマイケル・ポーターの競争戦略が「事業が成功するためには低価格戦略か差別化(高付加価値)戦略のいずれかを選択する必要がある」としている一方、ブルー・オーシャン戦略では「減らす」「取り除く」ことによる低コスト化と「増やす」「付け加える」ことによる顧客にとっての高付加価値は両立し得る」と主張している。



■事例
書籍では、旧態依然のサーカスから脱却したシルク・ドゥ・ソレイユ、日本の10分1000円のカット店(QBハウス)、ワインを飲まない層を開拓したオーストラリアワインのイエローテイル、機能を絞り携帯電話とネットサービスを結びつけ独占的なサービスに成功したNTTドコモのiモード、米国の海軍、空軍、海兵隊の要望を統合して量産化と低コスト化を図ったF-35、などの事例などが紹介されている。
韓国サムスングループが組織的にブルー・オーシャン戦略を実践していることが知られている。
ゲーム業界において、ソニー・コンピュータエンタテインメント(PlayStation 3)やマイクロソフト(Xbox 360)が仕掛けた高性能化競争に埋没しかけていた任天堂が、Wiiの開発にブルー・オーシャン戦略を応用したといわれている。比較的ロースペックのハードウエアながら、「Wiiリモコン」などの新機軸で、ゲーム慣れしていない層にとって付加価値を提供することに成功した。


高級感や高品質感、無駄な包装やディスプレイを取り除き、取扱商品数を増やした100円ショップダイソーはどうですか?ブルー・オーシャン戦略ですか?


物を買ったらお金を支払う。品代。代金、代価。
物ではなくサービスを受けた場合などにもお金を支払うことがある。多くの場合、これを料金という。
材料という言葉もあるように、料という字には用に充てるという意味がある。
何かをするのに役立つ物を借りた。その場合は借り賃を払う。車を借りた、ホテルの部屋を借りた、高速道路を借りた、遊園地の遊具を借りたなど。
何かをするために必要な無形な物を提供してもらった。この場合にも代金を支払う。人や機械がしてくれるサービス。電気やガスなどの光熱費。通信費など。

現代では料金の中の通信費に課金という言葉をあてることが多い。
課金とは元々は価値ある物への対価ということである。
目に見える物の価値は比較的分かりやすいけれども、目に見えない物の価値は分かりにくい。プライスレス!?
だからこそあえてそこに課金という言葉を用いた。(価値を分かってもらうのが大変な世界でもあるが、分かりにくいゆえに言い値が通りやすい世界でもある)
通信業界の課金とは、インターネット接続、携帯電話通話、音楽配信、アプリ配信などのサービスの提供に対して課せられる費用、代金。
課金とはサービス提供側の対価回収手段である。
しかし通信業界においても課金という言葉が指す意味はどんどん小さくなっており、かつてはホストコンピューター(情報処理システム)使用料だったものが、現在ではオンラインゲーム内においての追加機能やゲームに使用する便利アイテムの有料での提供(配信・販売)を「課金」(アイテム課金)と言っていることが多い。

作ったアプリを無料で配信すれば儲け(収益)はない。
しかし無料で配信してもアイテム課金で儲けるという方法もある。
無料で間口を広げておいて誘い込み、オークションの値上がりではないけれども、熱中したり誰かに負けたくないとついつい購入してしまう心理に付け込む。
有効な方法であることは間違いないが、無料で誘い込まれる人に比べると、熱中する人は圧倒的に少ない。
オークションのように競争によって値が吊り上っていく方法ならば熱中する人が少なくても良いのだが、アイテム課金はそうではない。
そうとなれば、無料で誘い込まれる人々が確実に儲けに繋がったらいいなぁ、そう考えるのは自然な流れだろう。

そんなアプリ製作者側の心理に付け込んだのが広告配信である。
アプリ内に広告を表示させ、一般的にはその広告をクリックさせることで広告収入を得る。
ダウンロード数が多ければ多いほど、アプリを起動させる数が多ければ多いほど、広告クリック数は上がる。(間違えてクリックしてしまったとしてもクリックはクリックだから)
アプリなんて無料にこそ価値があるのであってお金は一銭たりとも支払いたくないという人が大多数を占めても、この方法ならばアプリ製作者には儲けるチャンスがある。

広告はアプリ自体で個別に表示しているのではなく(アプリ製作者が表示したい広告を自分で選んでいるのではなく)、アドネットワーク(Webサイトやブログ、アプリなどのインターネットで広告配信可能な媒体を多数束ねて広告を配信するネットワーク)を介している。そのプログラムを埋め込むだけである。
アドネットワーク提供事業者は、広告受注を一手に引き受けて、ネットワーク参加媒体に一括に、あるいは最適な広告を配信している。早い話、広告代理店。

前にも書いたけれど、私のこのブログにも現在広告が表示されている。
しかしこれは私の収入には全くならない。ブログ運営者の収入となる。
私がブログシステムを構築しているわけではなく、私はそこを借りて記事を書いているだけだからだ。(変更が許されているデザインを一部改編しているのみ)
借りているのだから本来借り賃を払うべきだが、無料が主流のインターネット界隈では有料は敬遠される。
「無料で提供してやるから、代わりに広告を出させてね」というのが、この広告の意味である。
私が借り賃を払えば(有料契約すれば)広告は消してもらえる。
以前は有料契約で広告は掲載していなかったが、突然な変更と値上げがあり、イタチごっこっぽい気がしたので無料(広告掲載)に切り替えた。
それでもエキサイトブログは広告導入がわりと遅く、広告が入らないことでエキサイトブログを支持する人も少なくなかった。入れ方も良心的だと思う。


ところで、広告ってどれほどの効果があるのだろうか?
これは私が前々から不思議に思っていることであるが、インターネット広告が出現してからはより強くなった。
視覚に訴えたり、ドラマ性のある広告が展開できるテレビCMは、ある程度効果があるような気がする。
新製品発売のお知らせくらいにはなる。
しかしそれには、当たり前なことだけれどCMを見る必要がある。
テレビを観ないとCMを見る機会もなくなる。
テレビを観ていても、私達は日々CMを探してテレビを観ているわけではないのだから、そのCMに出会う出会わないは運次第。
一般的にはCMはどちらかと言うと視聴時間を一方的に遮断する邪魔者。
ややもすると「今のうちにトイレに行っておこうっと」とトイレタイムになってしまう。(少しも見逃せない番組も最近はないな?)
最近は目的(新製品発売のお知らせ)のないCMも少なくないのでは?よく分からないけれど。
企業の知名度向上やイメージアップを狙っているのだろうか、これといった商品紹介のない抽象的なCMも少なくない気がする。

こうした捉えどころのないテレビCMに比べると、インターネット広告はターゲットを絞れるということを売りに出来る。
検索した言葉やサーフィンしたサイト、ネットショップ購入履歴、地域などから、それに関連する広告を表示したりも出来る。
しかしですよ?
ピンポイントが特徴なインターネットの世界においては、ネットユーザーのピンポイント性のほうが高いのではないかと思う。
「求めよ、さらば与えられん」の世界なのだから、ついでのように提示されたものに誘われるだろうか。
必要ならば自ら探す。それがそれほど手間なく出来るのがインターネットではないのか。

ともかく費用対効果に厳しいはずの企業が、広告などという海の物とも山の物ともつかないものに大金を拠出することに納得がいかない。
効果がよく分からないものを、効果のないものを、業績が良くても悪くても変わらずに、いつまでもずるずると行うなんて「らしく」ない。
「経済効果」ではないが「広告効果」を(自ら検証するのではなく)誰かから提示されているのだろうか。
それとも知らず知らずの洗脳効果というのはそれほど威力あるものであるという別角度からの証明が大金を拠出させるのだろうか。
半ば脅迫的な?
すでに洗脳されている人が企業人になるから何も心配はいらない?


先日、25日(月曜日)の夕方、ショッピングセンターのATMに行ったら人が並んでいた。
私の前にいたのは、お母さんと(たぶん)小学校入学前の子供2人。
そのお兄ちゃんのほうがお母さんに何かを買ってほしいと駄々をこねていた。
「ねえいいでしょ、買って~」
「ダメ、だってどうせ遊ばないでしょ」
「遊ぶもん」
「遊ばないよ、ゴミになるだけ。いつもそうじゃん」
「そんなことないよ~~~ねぇ~~~買ってぇぇえぇぇ」
「そんなに欲しいならお父さんに言えば」
「どうせダメだって言うもん」
「じゃあダメなんだよ」
「お母さんがいるんだからお母さんが買えばいいじゃないっ!!」
「やだ、ゴミッ、ゴミになるだけに決まってる!」
・・・・・・・・ああもうじき18時になるけど間に合うかなぁと私の意識も遠ざかる。
「お母さんは夕ご飯しなくちゃだから忙しいのっ!そんなことやってられない」
何を欲しがっていたのかはよく分からないけれど(付録つきの雑誌とかかな?)、待っている間中、子供は駄々をこねていた。
「〇〇ちゃんはそんなこと言わないよね~」
お母さんはまだ小さくて駄々をこねない弟だか妹に話しかけるも返事は特にない。

子供が欲しがっている物が無料だったならどうだったんだろう?
「じゃあ貰って来れば」とか言っちゃうんだろうか。
100円だったらどうだろう?
「んーもうっしょうがないな」とか言って買っちゃうんだろうか。
それとも無料でも100円でもお母さんは夕ご飯の支度に忙しいから断固拒否するのだろうか。
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by yumimi61 | 2016-07-27 18:54
2016年 07月 27日
たまごっち
たまごっちは1996年11月23日にバンダイから発売されたキーチェーンゲームであり、登場するキャラクターのことでもある。名称の由来は「たまご(Tamago)」と「ウオッチ(Watch、腕時計)」。企画、開発は横井昭裕。
「たまごっち」のラテン文字表記は日本語版ではTamagotchまたはTamagotchi(iがついている)。英語版ではTamagotchi。略称表記はTMGC。

■第1期(誕生期)

第1期たまごっちは、ウィズの横井昭裕が1996年の年末商戦用にバンダイに提案した企画であり、女子高校生をメインターゲットとして開発された。第1期たまごっちは「携帯ペット」と銘打っていたが、開発者の横井が動物好きであったことから「ペットを育てる」という発想が生まれたものである。

1997年を中心に、社会現象になるほど爆発的な人気を誇った。マスコミの煽りや同時期に流行していたグッズ収集ブームもあって異常人気となり、入荷の情報を聞きつけた人々が徹夜で店に並ぶ様子が連日新聞やテレビで報道された。入荷の情報はテレビでは取り上げられず、もっぱらインターネットとラジオ番組によって発信された。

その結果、たまごっちを持っていることが一種のステータスとなり、街には数個たまごっちを所有していたり、忙しい人向けの「たまごっち託児所」なる預かり所が登場したりもした。ブームの全盛期には、白いデザインのたまごっちが非常に稀少だとして特に人気が集中したり、「飼育」していたたまごっちの「死」によってペットロス症候群に似た現象が一部のユーザーで見られるようになるなど、たまごっちブームは社会現象化した。50個のたまごっちの抽選販売に対して、抽選整理券が4000枚配られた所もある。

1997年2月にはニッポン放送のラジオ番組で行ったたまごっちのプレゼント告知に15万通の応募が殺到した。

ブームが過熱し品薄状態が続くと、希少価値のある白いデザインの商品を中心に1個数万円で取引されるようになったり、たまごっちを手に入れるために売春行為まで行なう若者が現れるなど社会問題にまでなった。また、「人気維持のために出荷制限をしている」という噂が流れた。

しかし、数か月後にはブームが沈静化。それまでに経験したことがない大ブームに大増産を行ったバンダイは不良在庫の山を抱えることになり、在庫保管費などが経営を圧迫、1999年3月にメーカー在庫250万個を処分。不良在庫の処分により60億円の特別損失を計上し、最終的に45億円の赤字となった。大ヒットしたにもかかわらず、社内では失敗という声も出た。バンダイ取締役でチーフたまごっちオフィサー(2005年当時)の本郷武一によれば、第1期たまごっちシリーズがブーム定着に失敗した理由は社内で情報を共有できなかったことに尽きるという。関係各部門が独断で出荷を決め、品薄状態の店舗に追加出荷したものの、顧客は複数店舗に予約しており実際の需要は予約件数よりずっと少なかった。

日本以外にも世界30カ国で発売され、アメリカやアジア各国でも大流行[要出典]。アメリカの人気ドラマ『ER』にも登場した。1997年、「数百万人分の労働時間を仮想ペットの養育に費やさせた」功績(?)により、ノーベル賞のパロディ的な賞であるイグノーベル賞の経済学賞を受賞している。また、同年には新語・流行語大賞のトップテンを受賞している。

発売元のバンダイによれば、これら第1期のたまごっちシリーズは全世界で4000万個(日本国内で2000万個、日本国外で2000万個)を販売したという。


■第2期(ツーしん期)
かえってきたたまごっちプラス

第2期たまごっちシリーズは「かえってきたたまごっちプラス」として2004年3月20日に発売された。
横井昭裕によると2001年頃に杉浦幸昌(当時バンダイ会長)が横井に「たまごっちを復活させよう」と働きかけたことがシリーズ復活の一つのきっかけだという。2002年末頃からバンダイ社内でのたまごっち復活の動きが本格化。さらに2003年頃、当時の高校生の間で初代のたまごっちが再燃しているという情報をバンダイの開発チームが聞きつけたことがきっかけとなって開発が始まった。

第2期では小学生がメインターゲットとなった。これは「今の女子高生は携帯電話ばかりで玩具が生活に入り込むのは難しい」との開発側の判断によるもの。以前の「たまごっち」に赤外線通信を追加している。第1期ブームの加熱により、かえって短命化を招いたことの反省から、メディア露出を従来より控えめにして人気の長期持続を狙った。

アニメ映画の配給会社が第1期の東映から第2期では東宝に変更された。

1990年代のブームほどではないが小学生を中心に受け入れられ、国内外での売上個数は2007年6月末までに3000万個を超えた。そして、本来のターゲットだった小学生の上や下の世代にも人気が拡大した。

2008年頃からは人気が沈静化し、玩具店・量販店によっては商品の在庫処分が行なわれた。




たまごっちが何より衝撃的だったのは、非現実なペットであるにもかかわらず死があったことである。
子供や玩具といった本来は死とは限りなく遠いものに、出来る限り死というものを避けるジャンル・ターゲットにおいて、死が提示されたことはそれまでの常識を覆した。

発売当初大人気で入手困難と言われたが「たまごっち」。
私はマツダの人から2個貰った。
でも私も大人だから付きっきりで玩具のペットの面倒を見ていられない。
(子供はもっと忙しいし、いろいろ制約がある?付きっきりで面倒みられる子供なんて幼児くらいでしょ?)
(でも今は幼児も保育園やら幼稚園やら習い事で忙しいかもしれない・・・)
だから死も体験した。
「死」というものはいつでもどこでも少なからずショックなものである。
そんな「たまごっち」は、世間の風潮と同じで直に飽きてしまった。

製造側にとって大流行は喜ぶべきものであるが、その反面生産コントロールが難しい。
実態がなかなか見えてこないからである。流行と製造と展開には時差もある。
製造側は増産体制をとれば当然コストがかかってくる。
判断を誤ればバンダイのように赤字ということになりかねない。
一時的なものであろうという冷静な判断で増産しなければ、それが却って入手困難を生み、流行を煽ることにもなる。
いつの時代にも、物を作るということには、リスクと無駄が付いて回る。なかなか厳しい世界。それこそハード。

「たまごっち」は物体があるものだから、ハードかソフトかで言えばハードである。
ハードとソフトがセットになった販売方法ではソフトの利点が生かしきれない。

パソコンは、「ハードウェア」、これがないと何も出来ない「基本ソフトウェア(オペレーティングシステム;OS)」、基本ソフトの上で動く「アプリケーションソフトウェア」、パソコンに接続した機器を動かす「ドライバーソフトウェア」、から成る。

ハードウェアは箱ということになるが、ただの箱ではない。
ただの箱ではどんな素晴らしいOSがあってもパソコンは動かない。パソコンでは(パソコンでも、と言うべきか)半導体が大活躍している。半導体集積回路がコンピューターの心臓部。
半導体もそのままではダメで、半導体加工技術が必要である。
こうした技術に特許をとったり素晴らしい部品を開発して多くのハード製造会社に使われるようになれば、その部品会社も成功するだろう。
しかしこうしたものには物体があるのでやはりコストがそれなりにかかってくる。
繊細で難しい物の製造は場所や人を選ぶのでコストもどんどん高くなる。
よほどシェアを獲得しないとペイできない。

パソコンの基本OSで成功したのがマイクロソフト・Windows。
マイクロソフトはその名のとおりソフトウェアの会社であるが、ハードウェアを製造する会社全般と手を組んで成功した。
マイクロソフトはIBMとともにパソコン黎明期を支えた企業であり、まだそんなにライバル企業もいなかったのでシェアが広がるのは必然的な流れだった。
キーボードでしか操作できなかったものを、マウスを使ってディスプレイ上で操作可能にしたのはIBMとマイクロソフトというハード&ソフトペアである。だいぶ後に登場したスマートフォンの画面操作が新しい技術だったわけではない。
一方のアップルは自社が製造するハードウェアに自社が開発した基本ソフト・マックOS(現在はOS Xになっている)を乗せた。
たまごっちではないが、ハードとソフト一体型商法。
スマートフォンでも同じである。
iPhone の基本ソフト(OS)はiOS 。
iPhone以外の多くのスマートフォンが採用しているのがアンドロイド。


ハードとソフト一体型商法は成功すれば儲けも独り占めできるわけだが、それぞれの利点が生かし切れず共倒れすることがあり、なかなか難しい。
アップルは真の意味でハードでもソフトでもない「デザイン」を売りにした。
そして広告戦略で成功した。
つまり広告会社やマスメディアと手を組むことによって成功に導いた。
しかし物体を作っている以上、バンダイのたまごっちみたいな失敗はいつでも付いて回る。
流行と実態が同じでないというリスクも避けられない。
アップルは新機種(新製品)を定期的に発表することで、自ら流行や生産をコントロールしようと試みた。
その顔となったのがジョブズとWorldwide Developers Conference(WWDC)である。
WWDCはソフトウェア開発者向けのカンファレンスだがアップルファンを集めた新作発表会のようである。


流行と実態が同じではないリスクと書いたが、現代社会は実態を必要としないことも多い。
会社も昨今は金融要素が大きい。本業でなく財テクに経営が左右される。
マーケットの消費者(顧客)と投資家(金融市場)が連動せずに、投資家(金融市場)が独立した状態となっている。
こういう状況の中では流行と実態が連動しなくてもよくなってしまう。
会社(経営者や株主)にとっては流行によって金融世界で勝利できれば良いということになる。手段は選ばないといった感じ。
しかし流行によって金融世界で勝利できる世界では従業員はあまり必要でない。経費は少なければ少ないほど利益は大きくなるのだ。
流行によって金融世界で勝利できる世界にしておくには、社会にデフレ観(不景気観)を漂わせておく必要がある。


アプリケーションソフトウェアのことを略してアプリと呼んでいる。
基本ソフトウェアに対応したアプリでないと使えない。
文書作成ソフトも表計算ソフトも、メールソフトもゲームソフトも、写真加工ソフトも画像編集ソフトもお絵かきソフトもみんなアプリである。

でも最近はスマートフォン時代。
スマートフォンのアプリはいったいどれだけあるのか。アプリをダウンロードして使うことがほとんどない私はよく分からないが、おそらく無数にあるのではないだろうか。
ハードや基本OSを個人や素人が製作するのは容易ではないが、アプリだったらもっとお手軽に出来る。
開発ソフト等を使えば専門知識なんか無くても出来る。
イギリスではプログラミング教育が義務教育化されているとか、欧米に比べると日本ではプログラミング教育が遅れているからと日本でも義務教育に導入することを検討しているようだが、いささか遅いのでは?

それはともかくとして、お手軽に出来るどころか、自分で作ったアプリを自分のスマホで使うだけでなく広く公共の場で発表できる。
例えばiPhoneのアプリを製作したとする。それはAppStoreで配信可能となる。
でもiPhoneアプリを開発しようと思ったら、まずiPhoneが必要。(無い人は買わなければならない。言うまでもなく本体のみならずネット環境が必要である)
Macも必要。(無い人は買わないといけない)
そしてアップルがリリースしているXcodeという開発者向けツールを使用しなければならない。
これが結構重いらしいので、パソコン性能はそれなりに維持しておかなければならない。(Mac関連の維持費がかかる)
昔IBMがホームページビルダーというソフトをIBMパソコンに同梱していたけれど、そんな感じだろうか。
製作したアプリをAppStoreで公開しようと思うならば、Apple Developer Programに加入しなければならない。そうしないとアプリをAppStoreでリリースすることは出来ない。
これにはお金がかかる。Apple Developer Programの登録料は11,800円/年、Mac用アプリのリリースやAppStoreを通さずに社内利用できるApple Developer Enterprise Programの登録料は37,800円/年。
言うまでもなく、開発者ツールのダウンロードやリリースにはネット環境が必要である。

ちなみにアプリダウンロードユーザーの8割以上がアンドロイド(グーグル)ユーザーなんだそう。
何だかんだ言っても元々のシェアが違うと思う。
しかし収益の高いのはiPhoneアプリのほうなんだそう。収益とは有料とか課金とかでの儲け(と思われる)。

アプリをリリースする際には、そのアプリが有料なのか無料なのかを自分で決めることが出来る。配信地域なども自分で決めることが出来る。
「もちろん有料にしてバリバリ儲ける!」←個人や凡人には現実的ではない。
本当に質の高いアプリならば有料で高い値を付けてもよいが、現在のインターネット界隈は何でも無料が主流。
無料にこそ価値があるのであるから、よほどの付加価値がなければ到底生き残れない。
しかも無料であるにも関わらず、そのレベルはどんどん上がってきている。
もはやモノ余り状態の飽和状態。
アプリを製作しているのは個人だけではないのだ。
アプリ製作を専業とするアプリ製作会社もあれば、すでに多くのノウハウとネームバリューを持っている大企業もあれば、多角経営の大企業もある。
ここでも中小企業や個人の活躍は難しくなってきている。


アプリで高い利益を上げられるのは、すでに他のハードやOSでリリースされていて十分すぎる知名度と人気を誇る『ドラゴンクエスト(ドラクエ)』や『ファイナルファンタジー(FF)』、今回の『ポケットモンスター(ポケモン)』などではないだろうか。
ちなみにスマホアプリの市場データと分析ツールを提供する企業「App Annie」が発表した調査結果では、Google Playで配信されているAndroidアプリのうち、この4年間(2012年1月から2016年3月)で最も収益を上げたゲームアプリに日本初のアプリが4つ入っている。

1位にガンホー・オンライン・エンターテイメント(ソフトバンクグループ傘下のオンラインゲームの運営開発会社)の『パズル&ドラゴンズ』
3位にミクシィ(SNS会社)の『モンスターストライク』
7位にLINE(SNS会社)の『ディズニーツムツム』
10位にコロプラ(オンラインゲーム運営開発会社)の『魔法使いと黒猫のウィズ』


LINEは韓国最大のインターネットサービス会社「ネイバー」(旧:NHN)の日本法人から生まれた。
NHN Japan株式会社からウェブサービス事業を分割し発足したのがLINE株式会社。
会社分割後に社名が変わったが資本関係には変更がなく、韓国ネイバー(旧NHN)の100%子会社のままである。社名はサービス名の「LINE」にちなむ。役員11人のうち親会社の韓国ネイバー社出身は4人で、執行役員17人のうち7人が韓国系である。

2013年4月に、NHN(現:ネイバー)の日本法人が、「LINE」「NAVERまとめ」「livedoor」などのウェブサービス事業を行うLINE株式会社と、ゲーム事業を行う会社とに分割された。後にゲーム事業会社はNHN PlayArtという社名になった。
2015年10月にはNHN PlayArt内でさらに事業分割を行い、スマートフォンゲーム部門が分社して新NHN PlayArt(2代目)となった。

親会社が韓国企業であり、その100%子会社である以上、韓国企業の日本法人という認識が正しいと思うが、LINEは純国産と売り込まれた。
韓国との難しい関係ゆえのことかもしれないが、強調すればするほど疑念も高まるという悪循環を生む。
個人情報漏洩、韓国政府によるデータ傍受、脆弱性などが指摘されたり問題になった。

LINEもアプリであり、初版リリースは2011年6月だった。
2012年10月5日、首相官邸公式アカウントが開設され、行政機関として初のLINE公式アカウント導入となった。内閣官房、内閣広報室IT広報アドバイザーのいしたにまさきは、若い世代に情報発信をするツールとしてLINEの導入を検討していたところLINE社側からも提案があり、「お互いの認識をすりあわせることができて」導入に至ったと述べている。

TwitterやFacebookというSNSにステイタスを与え、世界的に流行させたのもアメリカの大統領や有名人であった。
もっとも日本でLINEが流行ったのはステイタスではなくて、間違いなく「無料」効果が大きい。
日本で事件の犯人や被害者がことごとくTwitterやFacebookをやっているということに私は驚きを隠せないが、これも無料がなせる技だろうか。
App Annieによれば、Google Playにおける収益は日本・アメリカ・韓国に集中する傾向があり、特に日本はゲームアプリにとって重要な市場だそうだ。
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by yumimi61 | 2016-07-27 11:00
2016年 07月 25日
日本国憲法の秘密-301-
第一次世界大戦。敗戦国ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約。
領土の取り決めの他、ドイツに軍備制限と多額の賠償金が課せられた。
アメリカは国際連盟加盟と同じく、署名はするも批准はしなかった。
中華民国は講和会議に出席するも署名しなかった。

第一次世界大戦敗戦国のドイツに課せられた賠償金は天文学的数字だった(当時のドイツのGNPの20年分に相当したと考えられる)。
天文学的数値になると現実味が薄れ、却って圧力(自由の制限)にならないということはある。

=ということで賠償緩和===============================
1924年 ドーズ案発効
 ・・ドーズはアメリカ人。第一次世界大戦前は弁護士業や銀行業務に携わり、第一次世界大戦中に入隊。1919年に退役後は大戦の予算関係の仕事に就く。1924年の大統領選挙で共和党の副大統領候補となり、1925-1929年まで副大統領就任。就任の年に前年のドーズ案によってノーベル平和賞受賞。

1930年 ヤング案発効
 ・・ヤングはアメリカGEの会長。ヤング案の会議はJ.P.モルガンが中心となった。
国家賠償金に関してだが民間人による会議。債権国からの参加も銀行関係者(民間人)であった。 
ヤング案では「国際決済銀行に関する条約」と「国際決済銀行定款」が採択され、賠償金の支払いを円滑化させるための機関としてBIS(国際決済銀行)を設立した。
中央銀行相互の決済をする組織。通貨価値と金融システムの安定を目的として中央銀行の政策と国際協力を支援している。
銀行の元締めが中央銀行ならば、中央銀行の元締めが国際決済銀行(BIS)である。従って「国際金融マフィア」とも言われる。世界の「オフショア金融」を主導しているとも言われる。(パナマ文書は内部流出作戦ですか?それともFRBの反乱?)
本部はスイスにあるも、各国にある中央銀行とは違うので、国の法律に従って設立されたわけではない。従ってどこの国の法律にも縛られない。その意味においては国際連合も同じである。自身で定めた(倫理規定)のような規定に沿って活動するということになる。
上位機関が無い以上、そこに直接意見したり処罰することは容易ではない。
日本人ではなく(日本国籍を持たず)上位者のいない(国民主権から完全に独立している)天皇も似たような存在である。
===========================================


◎1921年12月 「四か国条約」(アメリカ・イギリス・フランス・日本・フランス)

◎1922年2月 「海軍軍備制限に関する条約(ワシントン海軍軍縮条約)」(アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア)

◎1922年2月 「九カ国条約」

■1922年4月 ラパッロ条約(第一次世界大戦後のドイツとソ連の和解。国交回復)
第一次大戦敗戦国のドイツとロシア革命によって社会主義国(共産政権)となった両国は外交的に孤立気味だった。

◎1927年8月 ジュネーブ海軍軍縮会議決裂

■1927年 (イタリア)王国議会を解散させ、ファシスト党の諮問機関「ファシズム大評議会」に立法権限を移動、独裁体制を確立した。

■1929年 (イタリア)「ラテラノ条約」可決。バチカン市国建国と引き換えに教会から独裁支持を取り付けた。政教条約。
1984年に、「カトリック教会が国家に承認された特別な宗教」であるという趣旨の条文が削除される改正が行われたが、条約自体は現在も有効。

◎1930年4月 「ロンドン海軍軍縮条約」締結(イギリス・アメリカ・日本)

●1931年9月~ (日本)満洲事変

●1933年3月 (日本)国際連盟脱退(満洲事件のリットン調査団裁定を不服として)

■1933年10月 (ドイツ)国際連盟脱退(ベルサイユ条約や軍縮会議を不服として。軍備平等を訴えた)

■1934年1月 (ドイツ)「ドイツ・ポーランド不可侵条約」を締結
ドイツがポーランドと不可侵条約を結んだということは、ドイツがソ連かフランスに侵攻する可能性が大きくなるということである。

●1934年12月 (日本)ワシントン海軍軍縮条約の条約破棄を通告(破棄通告後二年間は有効)

■1935年3月 (ドイツ)徴兵制の復活(一般義務兵役制の導入)を宣言し再軍備―ベルサイユ条約違反
イギリスとフランスは抗議。
その一方で、イギリス(海軍省)はフランスには無断でドイツと交渉を進め、ドイツに対して一定の譲歩をすることによって、それ以上の膨張政策をとらせないようにしようとする宥和政策をとった。
実はイギリスは、条約違反となる1935年以前から建造されていなければ出来ないであろうドイツの大型艦船を発見したのだった。
そこでイギリスは「イギリス・ドイツ海軍協定」を締結するという現実的な選択を採った。これによってドイツのみならずイギリスもベルサイユ条約違反となる。
イギリスはドイツに、軍艦はイギリスの3.5割まで、潜水艦はイギリスの6割まで建造保有することを認め、商船攻撃はしないことを約束させた。
協調路線をとっていたイギリスとフランスの関係もぎくしゃくする。
1935年12月9日に開催された第二次ロンドン海軍軍縮会議では、日本はドイツ同様に「軍備平等」を主張していた。交渉決裂で1936年1月15日に日本は本会議を脱退。
この第二次ロンドン海軍軍縮会議では、潜水艦に対してイギリスとフランスの意見が異なり、イギリスは潜水艦の全廃を主張し、フランスはそれに反対した。


■1935年10月 (イタリア)エチオピアに侵攻し第二次エチオピア戦争勃発(1936年5月5日まで。イタリア勝利でエチオピアを併合)

◎1936年11月 「共産インターナショナルに対する協定及附属議定書」を締結(日本・ドイツ)(通称:日独防共協定)
 1937年11月 イタリアが加盟(通称:日独伊防共協定)
 1939年2月 満洲国が加盟
          ハンガリーが加盟
 1939年3月 スペインが加盟
日本に接近したのは軍縮問題全権代表であったヨアヒム・フォン・リッベントロップ。ドイツ外務省は、日本が建国した満州国承認も行わず対日接近には消極的で、極東情勢に不干渉の立場をとっていた。外相コンスタンティン・フォン・ノイラートは「日本は我々になにも与えることができない」と評価していた。また第一次世界大戦で特に紛争があったわけでもないのに敵国側についた日本に悪印象を抱いていた。ドイツ外務省は親華(親中国)路線だった。


●1937年7月~ (日本)支那事変(日中戦争)

■1937年12月 (イタリア)国際連盟脱退
  (1935年のエチオピア侵攻を、連盟規約違反として国際連盟が経済制裁に踏み切ったことを不服として。経済制裁には実効力がなかったあげくの戦争終結後の脱退である。)

■1939年4月 (ドイツ)「ドイツ・ポーランド不可侵条約」を破棄
          (ドイツ)「イギリス・ドイツ海軍協定」を破棄
ドイツが東(ポーランドやソ連)にも西(フランス・イギリス)にも侵攻する可能性が出てきたということになる。

■1939年8月 (ドイツ・ソ連)ドイツ・ソ連不可侵条約締結(ポーランド分割占領という秘密議定書含む)
※反共産主義のドイツと共産主義のソ連が手を組んだことに世界が驚愕したと言うが、両国は1922年にラパッロ条約を結んでおり、そこまで驚くことではないように思う。
しかもナチスドイツは「国家社会主義ドイツ労働者党」の独裁政権であり、社会主義・共産主義である。むしろドイツが反共だったということに驚くべき。同じ社会主義であるドイツとソ連の違いがあるとすれば「宗教ベース」か「思想ベース」という違いではないだろうか。
ともかく東のソ連には侵攻しないということだから、東に行くならポーランド止まりということになる。

■1939年8月 (イギリス)ポーランド・イギリス相互援助条約を締結
          (フランス)ポーランド・フランス相互援助条約を締結

1939年夏、アメリカのルーズベルト大統領は、イギリス、フランス、ポーランドに対し、「ナチがポーランドに攻撃する場合、英仏がポーランドを援助しないならば、戦争が拡大してもアメリカは英仏に援助を与えないが、もし英仏が即時対独宣戦を行えば、英仏はアメリカから一切の援助を期待し得る」と通告するなど、ドイツに対して強硬な態度をとるよう英仏ポーランドに要請した。

■1939年9月1日 (ドイツ)西からポーランドへ侵攻(・・・これが第二次世界大戦の発端とされている)
「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)及びドイツ系民族への迫害(そのような事実はなく、せいぜいが禁酒法の施行程度)という自作自演の事件を理由に侵攻した。

■1939年9月3日 (イギリス・フランス)ドイツに宣戦布告(宣戦根拠は前月に締結したポーランドとの相互援助条約)

■1939年9月17日 (ソ連)東からポーランドへ侵攻


枢軸国の原形となったのは、1936年11月に日本とドイツが締結した「共産インターナショナルに対する協定及附属議定書」(通称:日独防共協定)だった。
 1937年11月 イタリアが加盟(通称:日独伊防共協定)
 1939年2月 満洲国が加盟
          ハンガリーが加盟
 1939年3月 スペインが加盟


共産インターナショナルとはコミンテルンとも呼ばれるソ連共産政権の国際組織。
従って本来ならば「対ソ連」という意味合いになるはずであるが、ドイツも日本も当面ソ連と敵対せず、不可侵条約や中立条約を結んでいる。
何故かと言うと、ソ連の指導者が変わったからである。
ロシア革命(1917年)の中心となったのはレーニンとトロッキー。どちらもロシアに生まれるが親がユダヤ人。レーニンは混血。
ロシア革命を支援したのもユダヤ系の銀行家や団体だったとも言われる。
レーニンが1924年に53歳で死去(1918年に暗殺未遂となる、以降体調は思わしくなかった)。
トロッキーとスターリンがレーニンの後継者争いをする。実力(革命貢献度)はトロッキーのほうが上だったが、スターリンのほうが同調者を増やし、多数派と対立したトロッキーは失脚する。 

スターリンは自身が務めていたソビエト連邦共産党中央委員会書記長に権限を集中させることで、その確固たる地位を確立した。
レーニンやトリッキーが持っていた思想・世界革命論(永久革命)は共産インターナショナルに反映されている。世界的な革命に導こうとするものである。
これを否定したのがスターリン。一国社会主義論による国内体制の維持を優先する路線を採った。
スターリンはトロッキーを1929年に国外追放した。トロッキーはトルコ→1933年フランス→1935年ノルウェーと亡命。ソ連の圧力によりノルウェーから国外退去を求められ、1936年メキシコへ亡命。
しかし国外でも活動を続け(とくに1935年からは積極的に活動)、1938年には第四インターナショナルを結成し、コミンテルンに代わる国際社会主義運動の組織化に乗り出す。
これに反発したスターリンはトロツキー派を次々と粛清していった。
トロッキーの息子も誘拐され殺され、1940年ついにトロッキー自身も秘書の恋人になりすました人物によってアイスピッケルで後頭部を突かれ殺された。

つまり1924年以後は、もはやロシア革命のソ連とも違うソ連になっていた。
しかし何も知らない人が外から見れば同じ社会主義国(共産政権)である。
日本やドイツやイタリアは、ソ連に対抗したのではなく、共産インターナショナルという国際展開派(革命的思想派)に、つまりトロッキーに対抗した。
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by yumimi61 | 2016-07-25 12:50
2016年 07月 24日
日本国憲法の秘密-300-
主権を持つ国家は他国の裁判権に服さない。
これは裁判権免除という慣習国際法上の原則である。
主権を持つ国家は平等であり、どちらかがどちらかを支配する権利などない。
国家にはそれぞれ固有の特徴や法律があり、そこに相違点があったとしても独立している国家と国家は対等であるという考えに立ち、国家が他の国家の裁判権という権力に縛られる必要はないというもの。
国家主導の行為が問題になるのであって、個人が他国の裁判から逃れられるという話ではない。
国家主権は国家の国際上の平等な権利を担保している。
一方、憲法に規定されている国民主権は、国民の国内での平等な権利を担保している。何人も法の下では平等に扱わなければならない。(国家に平等な法律を作る義務と平等に法が運用適用される義務を課すことになる)

つまり裁判権免除とは、アメリカという国家が日本で法律に触れる行為をしたからといって、アメリカ国家が日本の法律に基づいて裁判を受けなければならない義務はないということなのだ。
慣習的な原則であるし、近年世界は人権や人道上の問題に敏感なので、必ず免除されることについては議論もある。
裁判権免除という原則があるから仕方ないと諦めてくれればよいが、「こちらは裁きたいのに免除を盾に逃れる、どうしても許せない」ということになれば国家間の紛争となる。国際紛争である。
こうなった時には前述した国連の平和的解決(時と場合によっては武力行使)が利用される。
仲介や調停で決着しなければ国際司法裁判所の出番である。

国連憲章 第14章国際司法裁判所
第93条(規程の参加国)
1.すべての国際連合加盟国は、当然に、国際司法裁判所規程の当事国となる。
2.国際連合加盟国でない国は、安全保障理事会の勧告に基いて総会が各場合に決定する条件で国際司法裁判所規程の当事国となることができる。


国際司法裁判所規定には「国のみが裁判所に係属する事件の当事者となることができる」(第34条)とあるが、国際連合加盟国は主権を持つ国家と見做されているので、当然に当事者となれる。

今回の中国とフィリピンの仲裁裁判について、「国際司法裁判所は当事者の合意がないと提訴できないから、中国が拒否していて仲裁裁判しか方法がなかった」というような説明がよくなされている。
「国際司法裁判所は当事者の合意がないと提訴できない」というのは合っている。
国際社会は各国の主権をとても大事にしている。(だから前述した仲裁裁判所Wikiの説明にある国家主権原則により当裁判所が強制的管轄を有さなくとも、言い渡された仲裁判断は強制力を有するなんてことはないし、仲裁裁判は合意がなくても開くことができるなんてこともない)
当事者合意という基本原則があるので当事国は何らかの形で同意していなければならない。各国にはするしないを選ぶ自由がある。(それは条約の署名批准についても同じことが言える)

「同意」の解釈に少々誤りがあるのだ。

●特別の合意
ある特定の問題を争っている国々が、その件について共同で裁判所に付託する(解決を委ねる)という特別の合意を結ぶことによって合意の意思を示す。

●条約の条項
数多の条約には裁判所の管轄権を受け入れることを約束する条項(管轄権条項)が含まれている。
これは締約国が将来別の締約国との間で、当該条約を巡って、その解釈や適用に関して紛争が生じた場合に裁判所の管轄権を認めることを明記したもの。

中国が南シナ海のほぼ全域の管轄権を主張しているのは法的根拠がなく国際法に違反する」と報道されている。
国際法とは国家と国家の間で結ばれる条約である。(もうひとつ上記のような慣習的な国際法がある)
条約(国際法)を署名批准しているならば、それに関して問題が生じた際には裁判の当事者になることをすでに同意していることになる。
国際法(条約)に関係ない紛争であり、予め義務宣言もしてなければ、特別の合意が必要となる。

●義務宣言
裁判所規程の当事国は、同じ義務を受け入れている他の国家との関係において、特別の合意も条約の条項も関係なく、裁判所の義務的管轄権を認める宣言を行うことを選択できる。
これは選択条項であり、希望した国のみが行う。
裁判所規程内の連盟みたいなもので、紛争が生じたら、その解決は国際司法裁判所に委ねるとの宣言。
これに属する各国は原則として、連盟内の国を相手取り、裁判所に訴訟を提起する権利を持つ。
宣言は国連事務総長に寄託される。
期限や留保などもあり、一定の紛争の種類が除外されることもある。
とはいっても、いきなり裁判という選択になってしまいがちなので、これを宣言している国はあまりない(はず)。
もちろん中国は宣言なんかしていないだろう。


国際司法裁判所規定 第36条
1.裁判所の管轄は、当事者が裁判所に付託するすべての事件及び国際連合憲章又は現行諸条約に特に規定するすべての事項に及ぶ。
2.この規程の当事国である国は、次の事項に関するすべての法律的紛争についての裁判所の管轄を同一の義務を受諾する他の国に対する関係において当然に且つ特別の合意なしに義務的であると認めることを、いつでも宣言することができる。
a. 条約の解釈
b. 国際法上の問題
c. 認定されれば国際義務の違反となるような事実の存在
d. 国際義務の違反に対する賠償の性質又は範囲
3.前記の宣言は、無条件で、多数の国若しくは一定の国との相互条件で、又は一定の期間を付して行うこと
4.その宣言書は、国際連合事務総長に寄託され、事務総長は、その謄本を規程の当事国及び裁判所書記に送付する。
5.常設国際司法裁判所規程第三十六条に基いて行われた宣言でなお効力を有するものは、この規程の当事国の間では、宣言が今後存続すべき期間中及び宣言の条項に従って国際司法裁判所の義務的管轄を受諾しているものとみなす。
6.裁判所が管轄権を有するかどうかについて争がある場合には、裁判所の裁判で決定する。



第37条
現行諸条約が国際連盟の設けた裁判所又は常設国際司法裁判所にある事項を付託することを規定している場合には、その事項は、この規程の当事国の間では国際司法裁判所に付託される。

第40条
1.裁判所に対する事件の提起は、場合に応じて、特別の合意の通告によって、又は書面の請求によって、裁判所書記にあてて行う。いずれの場合にも、紛争の主題及び当事者が示されていなければならない。
2.裁判所書記は、この請求を直ちにすべての利害関係者に通知する。
3.裁判所書記は、また、事務総長を経て国際連合加盟国に、及び裁判所で裁判を受けることができる国に通告する。


第41条
1.裁判所は、事情によって必要と認めるときは、各当事者のそれぞれの権利を保全するためにとられるべき暫定措置を指示する権限を有する。
2.終結判決があるまでは、指示される措置は、直ちに当事者及び安全保障理事会に通告される。

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by yumimi61 | 2016-07-24 12:58
2016年 07月 24日
日本国憲法の秘密-230-
NHK
1925(大正14)年に「社団法人東京放送局」が設立され、1926年8月に3局の統合し「社団法人日本放送協会」が誕生した。
これが「特殊法人日本放送協会」の前身である

民法は明治時代1896年に制定された法律であり、民法全体が施行されたのは1898年7月。
一部改正されたが、基本的には継続している。

社団法人や財団法人の根拠は民法にある。
旧民法第34条(公益法人の設立)
学術、技芸、慈善、祭祀、宗教その他の公益に関する社団又は財団であって、営利を目的としないものは、主務官庁の許可を得て、法人とすることができる。


但しこの部分は2008年12月1日に「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」が施行され改正された。

社団法人NHKは旧民法34条に則って設立された法人ということになる。
現行では公益ではない一般社団法人や一般財団法人を認めているが、旧民法では公益であることが条件なので、旧民法に基づいて設立された社団法人・財団法人は公益法人である。公益法人は税制優遇がある。

放送電波は公共のもので免許制なのにNHKだけを「公共放送」と言われてもしっくりこない。
またよく「公共放送NHK」と「民放各局」という対比で語られるが、実はこの「民放」って「民法」だったりしてね。
NHKは1950年に固有の法律・放送法によって特殊法人になったので、民法から離脱した。特殊法人にも税制優遇がある。
「私達はもう民法団体じゃないの!私達だけのために作ってくれた放送法があるのよ。あなたたちとは違うの。まあもっともあなたたちは公益法人でもないけどね」(イライライラン?)

放送法第3章「日本放送協会」より
第15条(目的)
協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うことを目的とする。

第16条(法人格)
協会は、前条の目的を達成するためにこの法律の規定に基づき設立される法人とする。



ちなみに非営利とは儲けないということではない、儲け(利益)を分配しないということである。
民間企業は利益を出したら株主や社員(従業員ではない。総会で議決権を持つ正会員)に還元するのを前提としている。
株式会社は株主の利益ためにある。逆を言えば利益(メリット)の当てもないのに赤の他人に自分の財産を拠出(出資)するわけがないということ。
公益法人は収益事業から利益を上げたとしても分配しなくてもよい。
株式会社のように配当すべき株主はおらず、資本金という考え方を持たない法人である。
利益を好きに法人の運営費や従業員の給料に充てることが出来る。
資金は企業から協賛金や寄付、会員から会費を募るなどして確保する。
収益性の高い事業計画があれば公的融資制度も利用できる。

現行の一般法人になると、公益性公共性のない事業を有料で行い、利益を上げても構わなくなる。
また民間企業が資金調達のために株式を発行するのと同じように、資金調達のための「基金」(財産を拠出してもらう。誰でも良い)が設定された。
それでも利益分配する必要はない。
従って民間企業でも一般社団法人、一般財団法人を上手く利用することも出来る。
災害などに関係すれば民間企業(関係者など)が公益社団法人、公益一般法人の認可を受けることも可能である。(例:東日本大震災復興支援財団など)
やはり利益分配する必要が無く、税制優遇もあるので、資金をプールすることも出来る。


民法は社会生活を権利と義務の関係として捉え処理していく。
権利を主張するには、権利能力という資格が必要である。
権利能力を持つのは個人(自然人)。出生に伴い誰でも持っている。
よくペットも大事な家族の一員と言うけれど、残念ながら動物は権利能力を有しない。法的には家族ではなく物である。

銀行に功罪解説口座開設したり、不動産を購入したり賃貸契約をしたり、人を雇用する。
原則的にはこれらの権利能力を持つのは個人であり、団体(法人)は持たない。財団法人なんか財産(物)の団体である。
団体(法人)名や会社名ではなく、誰か代表者を決めて個人名義で行わなければならない。
しかしそれでは不都合や煩わしさも大きい。
そこで法人に権利能力を与えて、法人名義で法律上の取引を行うことを可能にした。
法人の権利能力は法人格ともいう。
法人格を持つ法人は法人名義が使える。

なんでこんな話をしたかと言うと、「財務大臣名義」が前から気になっていたからである。
日本国が株主になっている株式会社の株主名が財務大臣名になっている。(正式な何かを見たわけではないけれども)
幾ら財務大臣であっても法律上は個人である。
では日本国は法人格・権利能力を持っているのか?
恐らく持っていない。国の法人格に直接言及する条文はないと思う。だから個人名を使用しているのではないだろうか。
却って地方公共団体や国内における外国法人(外国国家機関)のほうが明確に法人規定がある。(放送法のように法人格について言及しているかどうかは別として)

国家の権利及び義務に関する条約
モンテビデオ条約(Montevideo Convention)とは、1933年にウルグアイのモンテビデオで締結された16条から成る条約。正式には、国家の権利及び義務に関する条約(英語: Convention on Rights and Duties of States; スペイン語: Convencion Sobre Derechos y Deberes de los Estados)。当事国はアメリカ合衆国および中南米諸国のみである。

主権を持つものとしての国家の資格要件について述べている。条文中では国家とは永久的住民、明確な領域、政府、外交能力を持つものとして定められている(第1条)。

しかしながら国際法も含め国際社会には国家の上位に位置する機関がないためにその権利が認められるには他国からの承認が必要であるとされるが、承認するかしないかは各国の自由にゆだねられているとされる。そして国際法上は国家の成立が他国の承認によってなされるとする創設的効果説と実効的な国家の成立のみで十分とする宣言的効果説が存在する。


国家に法人格を与える明確な規定がないとすると、法律上は全て個人名義での取引になってしまう。
そうなると法的には民法・民間・私人ということになる。

以前東京メトロについて書いた。

株主― 政府(53.4%)、東京都(46.6%)。
東京地下鉄(東京メトロ)は私鉄扱いになっているが、これでどうして「民営」なのだ?
東京都が民間扱いなのか?
それとも代表取締役社長が公務員ではない、従業員が公務員ではないからという解釈なのか?


株主が政府ではなく財務大臣だとすれば、法律上は民営・民間である。

民営化!
もともと民営じゃないか!?

聖域なき構造改革・・・・

元気、勇気、ラッキー。
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by yumimi61 | 2016-07-24 00:23