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2016年 12月 06日
杓子定規
染色体の秘密

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細胞>細胞核>染色体(常染色体2n+性染色体)>クロマチン繊維>ヌクレオソーム(ヒストン・DNA)

●染色体
2nの染色体は組み換え可能。nは22本。母由来と父由来のnがあるので2nとなる。
この他に女か男かを決定する性染色体が2本あるので、染色体数は全部で46本。

何故「染色体」という名称かと言うと、塩基性の色素でよく染まる部分だから。クロマチン(染色質)とも言う。
細胞学者が細胞を特異的な染料で染色してみたら染まる物質があった。この染まる物質を総称してクロマチンと名付けた。
その後、その染まったクロマチンは、細胞分裂(有糸分裂)の時に構造を変化させて何やら棒状の構造体になることが分かった。構造体になったので、これをクロモソーム(染色体)と名付けた。
最初はそれがなんだか分からなかったわけである。これが1880年代のことである。
その後、クロマチンに含まれるDNAやクロマチンが遺伝情報を担っていると認識され、構造を含め怒涛の研究ラッシュが始まるが、それらは最初の発見からは100年近くも経過していて全て第二次世界大戦後のことである。
電子顕微鏡の発展なども待たねばならなかったわけである。

細胞分裂(有糸分裂)には体細胞分裂と減数分裂とがある。
減数分裂についてはこちらで詳しく説明したが、生殖細胞では受精をするので2nのままではなくnにする必要があり、体細胞の分裂とは違うものである。
ただ生殖細胞だけに、この細胞が生まれてくる子の遺伝に大きく関わるものであることは容易に想像できる。
ところが近年では、有糸分裂に減数分裂を含めないことが多い。
この場合、有糸分裂という語は(本来の意味から離れるが)体細胞分裂とほぼ同義の語として用いられる。
有糸分裂の定義は、クロマチンが染色体を形成し、この染色体が紡錘体によって分配される分裂様式なので、有糸分裂に減数分裂を含めないと、染色体の定義も揺らいでくる。
言っている意味がお分かりでしょうか?染色体は有糸分裂時にしか姿を現さないということになります。

●クロマチン繊維―沢山のヌクレオソームが密集して繊維を形成したもの

●ヌクレオソーム―DNAとヒストンからなる物質(8個の塩基性タンパク質であるヒストンからなる芯にDNAが巻き付いたもの)
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●DNA―ヌクレオチド(デオキシリボースという糖とリン酸と塩基の結合)が繋がった物質。
      DNAの塩基にはアデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4種類がある。

人間の1つの細胞の中に含まれているDNAの長さは全長2mとされている。
それが46本の染色体に分かれているわけだから、染色体1本あたりのDNAの長さはおよそ4cmで、これがヒストンに巻き付いていることになる。
なあんだ2mかとか、4cmか、と思うかもしれないが、マクロの世界ではなくミクロ世界での2mや4cmは大変なことである。

細胞の大きさ(直径)は概ね10~30㎛である。
(1㎛=1/1000mm)→1㎛は1mmをさらに1000等分した長さ(1000個に分けた長さ)
細胞ですらこんな小さいのに、染色体は細胞の中の核に入っている。
上の図の②の中に入っているわけだからさらにさらに小さな場所である。
染色体の中にはヒストンが沢山あってそこに巻き付きながら長さを稼いでいるわけである。
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個人の居場所

遺伝情報はDNAの中に隠されている。
ゲノムと遺伝子という言葉も何となく使っているが、本当はそれぞれ意味がある。

■ゲノム(全遺伝情報)―生物に必要な全ての遺伝情報  
■遺伝子(エキソン)―タンパク質の作り方についての情報 1.5%

「遺伝子」と呼ばれる部分は全情報の1.5%でしかない。

「ヒトゲノム計画」から人間は3万弱の遺伝子を持っていることがわかったそうである。およそ3万の決定項目(情報)が1.5%ということである。
血液型に関する遺伝子、髪の色に関する遺伝子、肌の色に関する遺伝子など様々な遺伝子があるわけだが、それらの遺伝子が各々どこにあるかということはだいたい決まっているそうである。
例えば、1番染色体にはABCDEFGHIJKLMNの遺伝子があり、Aの遺伝子は1番染色体の端にあるというように。
何番染色体のどこにあるという遺伝子の位置のことを「遺伝子座」と言う。

遺伝情報はDNAの中に隠されている。
ヌクレオチド(デオキシリボースという糖とリン酸と塩基の結合)が繋がった物質。
DNAの塩基にはアデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4種類がある。


この遺伝子座において、数塩基~10塩基未満ととても短い塩基を繰り返す特殊な領域があるそうで、そこがDNA型鑑定(個人特定)に用いられている。
その特殊な部分はいったい何の遺伝情報の部分なんだろうか?神様が個人特定用に特別に儲けた箇所なのかしら?
ともかく個人を決定するのは反復数である。

同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」があり、その繰り返し回数は人によって異なり、DNA型の「偶然の一致」は1000兆分の1の確率でしかないということである。

常染色体は対で存在している。その対は何かと言えば、母由来と父由来ということである。
従って反復回数も、母由来と父由来がある。
(例)
花子さんの反復数―母由来6回、父由来8回
太郎さんの反復数―母由来8回、父由来9回
花子さんと太郎さんの長男―母(花子さん)由来6回、父(太郎さん)由来9回
花子さんと太郎さんの長女―母(花子さん)由来8回、父(太郎さん)由来9回


全て同じ?

細胞の数は成人で60~100兆ほどになると言われている。
生殖細胞を除く全ての細胞に同じ染色体(DNA)がコピーされているという。
しかしながら身体中の全ての細胞を隈なく調べたわけではない。60~100兆もの細胞を調べられるわけがない。

しかもである。
若い時ほど細胞分裂は活発であるものの、細胞分裂は一生涯を通して繰り返し行われている。
一人の人間の全生涯に通り過ぎた細胞の数というのは60~100兆なんてものではない。
生まれては死ぬを繰り返しているのだ、その全てを調べられるわけがない。
全ての細胞が同じようにコピーされているというのは推測にすぎない。違う可能性だってある。

赤ちゃんの時と、若い時と、高齢となった時の、細胞のDNAは本当に同じであろうか?
途中で修復もなされているはずだ。変わっていないと言うならば、何のための相同組み換えなんだと言いたい。

さらに事は複雑で、生殖細胞は減数分裂により染色体数が半分となるが、ただ単に父由来と母由来と染色体が綺麗に2つに分かれるわけではないのだ。
2nのnとnは相同染色体なので、半減の過程で交差し組換えが起こることが知られている。
父母からの2nが生殖細胞ではnとなるが、もしこれが父と母に真っ二つに分かれてしまえば、nとなった時点でどちらかの遺伝情報はそっくり消えてしまう。
しかしそうではなくて、この時に組換えを行いながら減数分裂するという。
この相同組換えがうまくいかないと生殖細胞(精子・卵子)は作れないそうだ。
ということは、減数分裂時の相同組換えにもリスク回避という意味合いがあるのだろう。
化学物質や放射線により傷ついたDNAを修復するのも相同組換えによってである。
だからその種のゲノムが持ち合わせていない遺伝子(DNA)を導入しても、相同組換えによって修復されて無くなってしまう可能性が大いに考えられる。
またたとえ導入に成功したとしても、そんな余計な遺伝子(DNA)があれば生殖細胞は形成されない可能性がある。


さらに場所によって違う可能性も捨てきれない。輸血や臓器移植を行った人ならばどうかということもある。
違う場所の細胞はDNAも違うかもしれないという可能性である。
その可能性を少しでも排除したいと努めるならば、せめて同じ場所のDNAを比較対象にすべきであろう。
要するに血痕や精液のDNAと、口腔粘膜のDNAの比較ではダメだということである。


細胞死という問題

人に必ず死が訪れるように細胞にも必ず死がある。細胞の寿命は部位によって違う。
また人は死んだけど細胞はぴんぴんしていますという事はない。
細胞は一番上の図に示されたものである。図は開いて中を見せているが本当は閉じている。細胞膜に覆われている。
細胞が死ぬと細胞内容物は放出されてしまう。
この地球上のものすべてはバラバラになって元に戻っていく運命にある。(エントロピーの増大則)
細胞とて例外ではない。いつまでも細胞膜に包まれてぬくぬくとしているわけではない。
人間が生きている間にイレギュラーで細胞死が起こった場合には、放出された細胞内容物によって周辺組織に炎症などが引き起こされる。
計画的な(予めプログラムされた)細胞死(アポトーシス)(細胞の寿命)の場合には、細胞内容物は断片化され再利用される。

また染色体が現れるのは細胞分裂のときだけ。死んだ細胞はもう分裂はしない。

外界に放たれた細胞はいつまでも生きてはいない。細胞は死ぬ。死ねば細胞内容物も放出される。DNAも。
血液や精液が体の外に出て時間が経てば細胞は死んでしまう。細胞は原形を留めない。
外界に触れるという事は変質もする。何らかの化学反応が起こる。
外界には異物も溢れている。違うものが容易に混ざり込む環境にある。
そんな外界にあったとされるDNAで個人を特定するなんて馬鹿げた話だと思いませんか?


案ずるより産むが易し!?

実際にどうやってDNA型鑑定を行っているかと言うと、分析用試薬キットと分析機器を使用する。
個人特定に用いているのは同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」であると書いたが、個人(個体)特有のDNA配列のことを「遺伝子マーカー」と言う。
遺伝子マーカーは1箇所ではなくDNA中に複数個所あり、場所によって異なる結果が出てしまうので、個人識別に用いる場所を定め、そこに対応した試薬キットを使うことが望ましいが、徹底はされていない。

放射線の話で放射性核種を分析するのは難しいと書いた。
その分析に用いられる検出器と測定用モジュール一式は数百万~一千万越えにもなるという、あの話である。
それでも捉えるられるエネルギーは僅かなので増輻させていると書いたが、DNAでも増幅を行っている。
通常核種分析として行われているのは「ガンマ線エネルギースペクトル分析」である。
放射性物質から放出されるγ線のエネルギーは、それぞれの放射性物質(核種)ごとに違いがある。要するに固有のエネルギー(数値)を持っている。
その差でもって核種を突き止めようとするものである。
しかし拾えるエネルギー(測定器で捉えるられるエネルギー)は僅かなので増輻させて調べる。
元々のエネルギーにあまり差がない場合の確定は難しいらしい。
β線やα線は核種ごとの固有のエネルギーがなく(最大値のみ)、透過力も弱いので、これまた分析はとても難しい。


DNAを増幅する方法はPCR法(ポリメラーゼ連鎖反応)と呼ばれる。PCRという装置があるのだ。
小保方さんのSTAP細胞の論文の中でもPCRは登場した。
(PCRの特徴)
・ヒトのゲノム(30億塩基対)のような非常に長大なDNA分子の中から、自分の望んだ特定のDNA断片(数百から数千塩基対)だけを選択的に増幅させることができる。しかも極めて微量なDNA溶液で目的を達成できる。
・増幅に要する時間が2時間程度と短い。
・プロセスが単純で、全自動の卓上用装置で増幅できる。


2本組のDNAを水溶液に入れて、その水溶液を高温にしたり、冷却したりして、変性を起こさせ1本にしたり、再び2本に戻したりする。
つまり温度の上下を繰り返すだけでDNAの合成が繰り返される(DNAが増幅する)という根本的に変性してしまわないのか心配な代物。
温度だけと言っても、DNA合成酵素や増幅対象ではないDNAも必要。

ともかくPCRは特定のDNA断片(数百から数千塩基対)だけを10万~100万倍にも増幅できる。


特定するのは難しい?

「不規則な収納が生む自由」 前島一博 国立遺伝学研究所 構造遺伝学研究センター(生命誌ジャーナルより)

細胞が分裂する際にできる染色体のDNAはヒストンの芯に巻き付いた直径11nm(ナノメートル=1mの10億分の1)のヌクレオソーム構造をとっています。それが規則正しく折り畳まれて直径30nmのクロマチン線維となり、さらに集まるという階層構造を形成していると考えられてきました。ところが、国立遺伝学研究所の前島一博さんが詳細に調べたところ、定説のようなクロマチン線維は存在せず、より柔軟でダイナミックな姿が浮かび上がってきました。教科書に書かれてきた図は違うのではないか。こんな基本を問う研究です。

ヌクレオソームが沢山あるわけだが、それが規則正しく畳まれてクロマチン繊維になっているというのが定説。
クロマチン繊維の図を探せばどれもヌクレオソームが整然と並んでいる。その繊維の長さは30nmほどだという。
でもそれが確認できなかったという研究報告である。

30nmクロマチン線維も、それがさらに規則正しく束ねられた高次の構造も存在しないのである。私たちの実験は、染色体にはヌクレオソーム線維が不規則に収納されているという、まったく新しい染色体像を示している。

  これまで、電子顕微鏡で30nmのクロマチン線維が観察されていたのはどうしてだろう(図1)。試験管内の実験では、ヌクレオソーム線維の濃度がうすく、線維内のとなり同士のヌクレオソームが結合しやすいため、30nmのクロマチン線維を作りやすいことがわかっている。また、通常の電子顕微鏡は試料を真空中にさらすため、化学固定・アルコール脱水・樹脂包埋・切片作成そして染色という複雑なプロセスを経る必要がある。この過程で、人工的に凝集したヌクレオソーム線維を30nmの構造として観察していた可能性も高い。一方、私たちの実験が用いたクライオ電子顕微鏡は「生きている」状態を観ている。細胞を高圧下で急速凍結し、極低温下(-150 度)で薄片にし、それを極低温下でそのまま観察するからである。また、X線散乱でも化学固定・アルコール脱水なしで、溶液のなかの染色体を観察する。そのため、ヌクレオソーム線維の凝集が起きなかったのである。


自由とは裏腹に、染色体のこのあたりという目ぼしを付けるのが非常に難しくなりますね?










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by yumimi61 | 2016-12-06 13:22
2016年 12月 05日
解釈
幸不幸理論

「人間の(私の、君の)悩みなんて宇宙から見ればちっぽけな事」
誰でも一度くらい聞いたことがあるのではないだろうか。それくらいわりと頻繁に囁かれている言葉。
でも私は思うんです、どうして比較対象が宇宙なのかと。
ちっぽけな人間を宇宙という大きなものと比較することが間違えているような。
ちっぽけな一人の人間なのだから、そこに降りかかった悩みはちっぽけなんかではないでしょう。悩みは大きくて当たり前。
一人の人間にとっては人生を左右するような大きな悩み、その時その人にとってそれが全てになってしまってもそれは仕方がない。

小学校上がりたての子供が運動会の徒競走で1番になったと喜んでいた。
その時に「君の1位なんて世界から見ればちっぽけな事」と言いますか?言わないでしょう。世界となんて比べませんね?
子供が生まれたと喜ぶ夫婦に「あなた達の喜びなんて宇宙から見ればちっぽけな事」と言いますか?言わないでしょう。
どうして悩みや存在になるといきなり宇宙や地球などという大きなものが持ち出されるのか。
それは大きなものと比較することで悩みを相対的に小さく見せて誤魔化すためである。
悩みや不幸は相対的な評価で、喜びは絶対的評価、これが現代のセオリーで生きるための知恵。
比較と言ったって「宇宙」と「悩み」という漠然としたもので、学問的に言えば比較対象になるような条件はこれっぽっちも満たしていない。


逆に自分より下や他人の不幸をみて安心するということもある。
「私の不幸なんてあの人に比べればちっぽけな事」
自分のダメさ加減や不幸と、他人のそれを比較して、他人のほうが大きければ安堵するわけである。
このことによって人間の幸福や不幸は多くの場合比較によって形成されるという知見を得ることが出来る。
だけど1位と2位にどれほどの差がありますか?もっと言えば6位だって7位だって、30位だって同じようなもの。
1位と7位の差は世界から見ればちっぽけな事、宇宙から見れば同じようなもの、そういうことになる。
だけど人間は比較の世界を生きているから、1位と2位には、1位と7位には大きな違いを感じるわけである。



lose-loseな関係!?

限りある世界、限りある資源、限りあるエネルギー。
そんな中、実に緻密に生命は設計され、保存され連鎖し循環してきた。
あらゆる物が相関関係にあると言ってもいいだろう。
このような世界においては、物質的にWin-Winな関係は成り立たない。
こちらが増えれば、あちらが減る。あちらが増えれば、こちらが増える。両方が増えるということはない。
物質的にWin-Winな関係が成り立つ場合というのは、地球上のどこか一部分だけを切り取った場合である。
局所的、あるいは一時的にはWin-Winな関係が成り立っても、大局的にはありえない。

誰かが死ぬということは、誰かが生きるということなのだ。
誰かが生きるということは、誰かが死ぬということである。
何かが死ぬということは、何かが生きるということ。
何かが生きるということは、何かが死ぬということ。
普段そんなことは意識していないが、生は死の上に成り立っている。
でもその「死」とは人間の概念としての死であって、物質的には、ミクロ的には、死とは言えない。
だからこそ連鎖し循環可能なのだ。だからこそWin-Winな関係は成り立たないのである。


まさに修飾

前記事に掲載した「和歌山カレー事件に見る、科学鑑定への誤解が冤罪を生む構図」の中で「異同識別」が取り上げられていた。

最高裁判決が依拠している科学的な根拠が実は脆弱で、そもそも鑑定に示されている「異同識別」の結果が読み違えられている可能性があることを指摘してきた。

京都大学大学院の河合潤教授が中井鑑定の中身を検証した結果、この裁判では中井鑑定に対する大きな誤解があることが判明した。中井鑑定は事件の関係先9箇所から採取したヒ素がいずれも同じ起源であることを示しただけで、それはその地域で流通するヒ素がほぼ同じドラム缶に入って中国から輸入されたものだったために、当然のことだった。

河合教授の指摘と、裁判で使われた中井鑑定を実施した東京理科大の中井泉教授の間では、その後、学会誌の誌上などで激しい論争となっている。一見、素人には難解な専門的な論争に見えるが、その中身を詳しく見て見ると、実は非常に初歩的な問題点が議論されていることが分かる。

要するに中井教授は、検察から依頼された9つのサンプル中に含まれるヒ素の「異同識別」という鑑定嘱託書の意味を、ヒ素の起源が同一だったかどうかを鑑定して欲しいと依頼されたものと理解し、それを行ったまでだった。


「異同識別」とは、違いを識別するという意味である。
「同」という漢字が入っているが、この漢字はほとんど意味を持たない。
「異なるか同じか識別する」という意味ではなく、違いがあることを前提にしている。
複数の試料や検体の異なる点を探すことが目的なのだ。
同じことを確認するのは「照合」である。
結果的に、異なる点はなかった(全く同じ)ということもありうるかもしれないが、それは要求されていることではない。
見た目には分からない、素人にはわかりようもない、同じような物の中にある僅かな差異を見つけ出すことが常に求められている。
違いがあることを前提にしている、これが非常に大事な点である。
「異同識別」という言葉が一番よく用いられるのは遺伝子分野である。


取り逃がすな!

事件報道で「DNA型が一致した」と言っているのを聞いたことがあると思うが、一頃は「DNAが一致した」と言っていた。
さすがに不味いと思ったのか「型」が挿入されるようになった。

当然のことながらDNAや遺伝子と言ったって、髪色‐黒、肌色‐黄、とか書いてあるわけではない。
生命に必要な情報はDNAの塩基配列に隠されているとされていて、これを調べる方法は「DNAシークエンシング(DNA sequencing)」と呼ばれている。
それはすなわち、DNAを構成するヌクレオチド(塩基と糖が結合した化合物にリン酸基が結合した物質)の結合順序(塩基配列)を「決定」することである。
ヌクレオチドの、通称「塩基」と呼ばれる有機塩基(プリン塩基またはピリミジン塩基)には、アデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4種類がある。
塩基もその定義が見直しされたり拡大され、複数の定義が存在している状態。
化学的には酸と対になって働く物質のこと。

有機塩基を、例えばAAAGTTTCなどと記述したものが、塩基配列である。
でもミクロの世界のことで目に見えるわけではない。
そこでどうやって調べるかというと、長さを調べている。
現在主流となっているのは、塩基依存的にDNA断片を作製し、その長さを比べることで塩基の順序を知る方法である。(DNA断片長による方法)


DNA型鑑定は上記とは違う。
DNAの特定領域における反復配列の繰り返し回数の違いを調べる方法「短鎖DNA型」が主流である。
DNAの塩基配列のうち、同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」と呼ばれる部分があるとされ、その繰り返し回数は人によって異なるので、これを利用して個人識別を行うものである。

<DNA型の種類>
MCT118型
HLADQα型
TH01型
PM型(Poly Marker:LDLR型・GYPA型・HBGG型:D7S8型・GC型)



A型、B型、O型、AB型、(Rh+と-)、この血液型で個人を特定することなど出来ないわけだが、このDNA型では同じ型になるのは1000兆分の1とされている。(単に数でしかないのに・・・)

検査で判定できるのはあくまで繰り返し数のみであり、その結果は数値でのみ示される。そのため厳密には「DNA鑑定」より「DNA型鑑定」と称するべきとの見方がある。→この部分は前述のとおり、報道ではひっそり変更されています。

現在の技術ではヒトゲノムの塩基配列のすべてを調べるわけではなく、「一卵性双生児以外すべて結果が異なる」という認識は誤りである。赤の他人であってもDNA型が一致することはある。
「極めて低い確率(数十兆分の一)ではあるため指紋認識のような識別手段としての信頼性がある」というのも誤りで、どの程度の確率で同じDNA型の人が出現するかはまだ明確ではない。
「すべての人間のDNAのパターン・データが登録されれば偶然の一致による誤判定は防げる」というのも誤り。

アメリカのメリーランド州では、2007年1月、データベースに3万人分程度が登録されているDNA型プールにおいて、理論値では1000兆分の1の確率とされるDNA型の「偶然の一致」があったことが裁判で明らかになっており、DNA型の理論上の一致確率に重大な疑念がもたれている。 


「謳っている確立にも大いに疑問あり」ということである。

DNA型鑑定による個人識別の歴史・現状・課題への言及を極力省き、簡潔に表したいという目的からか、鑑定の結果「DNAが一致」したといった表現がしばしばみられる。しかし、それらはいずれもDNAのすべてが一致するかを調べたのではなく、DNAのごく一部の分析からパターンの一致・不一致を判定し、確率論的に推定したものである。どういう分析が行われ、何がどう一致したのかを確認しないと評価を誤りかねない。この点指紋と異なり、判断者に高度な専門的知識が必要とされる性質のものであり、裁判に利用する際その判断は専門家の解釈に依拠することになる。

なお、DNA型鑑定は高度の感度を有する鑑定であるため、陽性対照および陰性対照をも試料として鑑定すべきとの指摘もあるが、日本の科学捜査研究所・科学警察研究所では鑑定ごとの陽性対照および陰性対照の鑑定は実施していない。
今後、陽性対照および陰性対照の鑑定が実施されていないDNA型鑑定については、証拠能力が否定されるべきとの見解が有力化している。



全て確率の世界

「異同識別」は違いを識別するという意味であると書いたが、「ここが違います」と見つけるだけではダメである。
どれをどのような方法で調べ、どう判定が下されたかを提示し、何らかの違いを発見したならばその違いが何を意味するかまでを示さなければならない。証拠として利用する場合には特にそうであろう。
だけど専門家でなければ、説明されたところでその方法の妥当性や判定の正誤までは判断しかねる。従って鵜呑みにするしかないというのが現状ではないだろうか。
例えば、「この装置を用いた結果から判定を下しました」と説明されても、その装置が適当なのか、精度はどんなものなのか、装置の使い方を使用者が熟知しているのか、そんなことは分かりませんよね?
さらにコンプライアンスを重要視すれば疑問は生じなくなり、言われたままに受け入れる状況となる。

「DNAの型が一致した」ということは、「異同識別」ではなく「照合」である。
違いを見つけ出すという使命は弱い(ない)。
どちらかと言えば、「同じであれ」という念が込められていることが多いのではないだろうか。
現場や遺体に残されていた血痕や体液などのDNA型と、容疑者のDNA型を照合するわけである。

DNA型鑑定の前提にあるのは、「DNA型が一致したら同じ人物である」ということである。
この前提がなければ幾ら一致したところで証拠にはならない。
だけどDNA型鑑定ではDNA全体を見ているわけではない。一部分だけを取り出しているに過ぎない。
膨大な情報全体が一致する確率は少ないにしても、一部分が一致することは無きにしも非ず。
本来一部分で存在全てを語ることは出来ない。「一部分が一致したところで・・・」と言われてしまう可能性がある。
だから、その一部分には特別性を持たせる必要があり、且つ一部分であっても一致する確率も極めて低いものにする必要がある。
そうでなければ、「DNA型が一致したら同じ人物である」とは言えないのである。DNA型に証拠能力はなくなってしまう。
その特殊性が、同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」があり、その繰り返し回数は人によって異なり、DNA型の「偶然の一致」は1000兆分の1の確率でしかないということである。
信頼度100%としなかっただけはましかもしれないけれど、もちろん世界の人類全てのDNA型を調べて弾き出した数字ではない。
世界人口って何人か知っていますか?おおよそ70億人くらいです。
さらに言えば人間は間違う生き物ですよ。







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by yumimi61 | 2016-12-05 12:05
2016年 12月 04日
誤解
コンプライアンス(compliance)

とある書類を受け取る必要があったが、少々遠距離だったのでわざわざ自宅まで届けてもらうには申し訳ないと思い「郵送でもいいですよ」と言ったら、相手方が「最近会社がコンプラコンプラ煩いんでそうもいかないんですよ」と。
このコンプラとは企業コンプライアンス(regulatory compliance)のことである。

コーポレートガバナンスの基本原理の一つで、企業が法律や内規などのごく基本的なルールに従って活動する事、またはそうした概念を指す。ビジネスコンプライアンスという場合もある。「コンプライアンス」は「企業が法律に従うこと」に限られない「遵守」「応諾」「従順」などを意味する語だが、以下では主にこの語を使う。なおRegulatory complianceは直訳すると「規制追従」という意味になる。

今日ではCSR(corporate social responsibility の略。企業の社会的責任履行)と共に非常に重視されている概念、仕組みである。

2000年代から、法令違反など不祥事によるステークホルダーからの信頼の失墜や、それを原因として法律の厳罰化や規制の強化が事業の存続に大きな影響を与えた事例が繰り返されているため、特に企業活動における法令違反を防ぐという観点からよく使われるようになった。
こういった経緯から、日本語ではしばしば法令遵守と訳されるが、法律や規則といった法令を守ることだけを指すという論もあれば、法令とは別に社会的規範や企業倫理(モラル)を守ることも「コンプライアンス」に含まれるとする論もある。また、本来、「法的検査をする」といった強い実行性をもっている。


complianceの意味としては、応じる、従う、服従、(法律や規則)遵守、迎合、盲目的などがある。

「企業コンプライアンス」の他に、医療でも使うし、物理でも使う。
「機械的コンプライアンス」「弾性コンプライアンス」、どちらも物体の変形しやすさを示す物理量である。
バネや弾性など力を受けて変形したものを元に戻す力(弾力・復元力)の反対。元に戻す(修正する)力がないと変形しやすい。
言い換えればなんでも受け入れてしまうということ。
法律や規則の遵守は確かに必要であるが、例えばその法律や規則、権威権力あるいは世論や常識に間違いがあったとしても、あまりにコンプライアンスを重視すると修正が効かず間違えたまま突っ走る。
応用が効かない、臨機応変さがないというようなことに繋がる。


2012年公開のアメリカ映画『Compliance』。日本公開は2013年で邦題は『コンプライアンス 服従の心理』。
ファストフード店でマネージャーをしている中年女性サンドラは、ある日、警察官を自称するダニエルズからの電話を受ける。ダニエルズはサンドラの店の従業員が金を盗んだと述べる。サンドラはダニエルズの証言からベッキーが容疑者であると考え、呼び出した。ベッキーは盗んではいないと主張すると、ダニエルズは彼女を身体検査するように要求する。そして、サンドラはマネージャーとして、従業員を管理する責任があると思い、ダニエルズの言うとおりに身体検査を実行していくのであった。

この映画は実際にあった事件をヒントに製作された。
その事件とは「ストリップサーチいたずら電話詐欺」である。

アメリカ合衆国で2004年に犯人が逮捕されるまで約10年間続いた、一連の事件の総称である(サーチ=身体検査)。犯人はレストランや食料雑貨店に電話をかけて警察官を自称し、「警察への協力行為」の名のもとに店長らを誘導、女性店員を裸にして身体検査をしたり、その他の異常な行為をするよう仕向けた。狙われた店の多くは、小さな田舎町のファーストフードレストランだった。

一連の犯行は70件を数え、行われた場所も30州もの広範囲にわたっていた。最後に起こされた2004年のケンタッキー州マウントワシントンにおける犯行から、当時37歳で、アメリカの刑務所・収容所運営会社であるコレクションズ・コーポレイション・オブ・アメリカの従業員であったデビッド・スチュワートが逮捕された。


つまり警察を装って電話で指示していたのが2004年に逮捕されたデビッド・スチュワート。指示のみで実際の行為には及んでいない。
逮捕後、スチュワートは警察官を騙った罪と男性同士の性交を唆した罪でケンタッキー州に移送された。しかし有罪判決は受けなかった。検察と弁護側双方が、彼の犯罪への関与を示す直接的な証拠がないため法的判断ができないと主張したからである。
実際に、言われるままに(言われた以上に?)、身体検査やわいせつ行為に及んだのは店関係者ということ。



ひそひそ話

和歌山カレー事件に見る、科学鑑定への誤解が冤罪を生む構図 (BLOGOS ビデオニュース・ドットコム 2015年04月18日)

以前に一連の原発問題の議論の中で、われわれの社会において「科学の民主化」と「民主の科学化」がいずれも大きく遅れている問題が指摘されたことがあった。

「民主の科学化」については一般の市民が科学的な思考をする習慣が身についていないことを、「科学の民主化」では科学者が科学的に正しいことだけに目が行くことで、民主主義にとって何が正しいかの視点が欠けていることが問題になっていることを学んだ。

そしてそれが、日本が原発問題で一つの方向性を打ち出すことを難しくしているのではないか、という論点だった。


これは至極もっともな意見だと思う。
科学と民主に限らず、社会はいつでも大きく乖離している。政治と民主、男と女、健常者と身障者、雇用者と労働者、都市と田舎、、、などなど。
人にはそれぞれ事情があって、それぞれの使命があり、それぞれの価値観で生きている。
その全てを尊重すれば、どうしたってひずみが生まれてくる。
全てを尊重することなど現実的でないから、人々はいつでも何かを切り捨てながら生きている。
社会には必ず抑圧されたり虐げられたり、捻じ曲げることを強要されたり、失望したり絶望する人がいるものである。
どんなに理想的な社会に見えても、必ずそうした人はいる。

そのひずみを抑え込み、切り捨てを諦めさせるのが、民主主義であり、法律や法規であり、多数決である。
「多いものが正しい」「権威権力が正しい」、これが民主主義の基本ルールなのだ。
この正しさは「科学的な正しさ」ではない。「誰かがこうあるべきだと望む(決めた)社会に相応しい、適合する正しさ」である。
「誰かがこうあるべきだと望む(決めた)社会に相応しい、適合する正しさ」と「科学を含め学問的な正しさ」とが一致することもあれば、そうでないこともある。
また学問も所詮人間が積み上げてきたものである。
どうやって積み上げスタンダードになったのかと言えば、やはり「多いものが正しい」「権威権力が正しい」という民主主義の基本ルールの下で確立されてきた。
私達の正しさはすべからく「多いものが正しい」「権威権力が正しい」から逃れられないのである。
従って自分の正しさを主張するためには、権威権力を握るか、民衆を誘導して多くの支持を得る必要がある。
正しさを声高に主張できるという特権を得れば、やはり行使したくなるようだ。


また「人間の幸福」を軸に物事を考えれば、学問的な正しさなどは霞んでしまう。
お金を得ることや有名になることを幸福と思えば、一生懸命勉強するよりも一攫千金狙って生きる方が正しいのだ。
時と場所が変わって命が何より大事になれば、嘘をついても嘘を受け入れても命を守ることが正しくなるのだ。
「そんなことをしなくてもいい、そんなことをしても無駄」と幾ら言ったとしても、「こうすることで安心や満足感を得ることが出来る」と言う人には効果はない。
競技には直接ルーティーンなど関係なくても、それで力を発揮できると本人が(あるいは著名な科学者が)言うならば、それは意味あることになるのだ。

「自由の敵に自由を与える必要はない」―ナチスやホロコーストの否定や異議を認めない、つまり言論の自由を認めないドイツは「戦う民主主義」の先進国である。
原爆や核について口封じしたアメリカもそうであろう。
「自由の敵」「民主主義の敵」とは、「誰かがこうあるべきだと望む(決めた)社会に相応しくないと烙印を押された者、適合出来ない者」のことである。


どうもその問題が司法の世界にも持ち込まれているようだ。そして、それは人を裁きその自由を奪ったり、場合によっては死刑という形で合法的に人の命を奪うこともあり得る司法の場では、取り返しが付かないほど重大な事態に発展しかねない危険性を孕んでいる。


取り返しが付かないほど重大な事態が誰かの身に起こっても、社会は進んでいくしかない。
世界の終わりを私達は誰一人として経験したことなどないし、遅かれ早かれ人は等しく死んでいく。
私達は無力である。そして諦めの毎日を生きている。

冤罪であることを証明したとして、喜ぶのは死刑囚くらいだろう。
被害者は落胆するかもしれない。
その他大勢の人にとっては他人事だ。死刑囚が死のうが死ぬまいが関係ない。赤の他人の死や苦痛など痛くも痒くも無い。
いや、冤罪の証明も信じられなくて、極悪犯にシャバに出てきてもらっては困ると却って迷惑がるかもしれない。

夏祭りの炊き出しのカレーに猛毒のヒ素が混入し、4人の死者と60人以上の怪我人を出した和歌山カレー事件で、既に死刑が確定している林真須美死刑囚の犯行を裏付ける唯一の物証となっていた科学鑑定の結果に今、重大な疑義が生じている。

これまでこの番組では事件の捜査や裁判の問題点、林真須美氏の死刑判決の物証となった科学鑑定、いわゆる「中井鑑定」の妥当性の問題などを指摘し、最高裁判決が依拠している科学的な根拠が実は脆弱で、そもそも鑑定に示されている「異同識別」の結果が読み違えられている可能性があることを指摘してきた

京都大学大学院の河合潤教授が中井鑑定の中身を検証した結果、この裁判では中井鑑定に対する大きな誤解があることが判明した。中井鑑定は事件の関係先9箇所から採取したヒ素がいずれも同じ起源であることを示しただけで、それはその地域で流通するヒ素がほぼ同じドラム缶に入って中国から輸入されたものだったために、当然のことだった。

中井鑑定はむしろ、林家から発見されたヒ素とカレーにヒ素を混入されるために使われた紙コップに付着していたヒ素とは、軽元素の不純物の含有量が一致しておらず、まったくの別物であることを示していた。しかも、林家のヒ素よりも紙コップに付着していたヒ素の方が、3倍から7倍も純度が高いものだったことから、林家にあったヒ素を発見された紙コップを使ってカレーに投入するというストーリーがあり得なかったことを、中井鑑定は示していたのだった。

河合教授の指摘と、裁判で使われた中井鑑定を実施した東京理科大の中井泉教授の間では、その後、学会誌の誌上などで激しい論争となっている。一見、素人には難解な専門的な論争に見えるが、その中身を詳しく見て見ると、実は非常に初歩的な問題点が議論されていることが分かる。

要するに中井教授は、検察から依頼された9つのサンプル中に含まれるヒ素の「異同識別」という鑑定嘱託書の意味を、ヒ素の起源が同一だったかどうかを鑑定して欲しいと依頼されたものと理解し、それを行ったまでだった。しかし、その起源が同一であることは、先述の通りむしろ当たり前の結果であり、それではまったく林真須美氏の犯行の裏付けにはならない。しかし、にもかかわらずマスコミはその鑑定結果を「林宅と紙コップのヒ素が一致」と大々的に報じ、特に化学などに特別な素養があるわけではない裁判所も事実上、その報道と同レベルの解釈によって、鑑定結果を林真須美犯人説の裏付けとしてしまったのだった。

そして、河合教授が弁護側からの依頼で、単純に中井鑑定の結果を「林真須美氏が犯行を犯していない可能性」を裏付けるために再度検証した結果、不純物の組成などから、中井鑑定はむしろ真須美氏が犯行をしていないことを裏付けるデータを提供していたことがわかったのだという。








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by yumimi61 | 2016-12-04 12:28
2016年 12月 03日
日本国憲法の秘密-430-
ウラン238―99.3%を占める。非分裂性。半減期が長い(約44億6800万年)
ウラン235―0.7%しか存在しない。分裂性。238よりも半減期は短い(約7億380万年)。


両者は原子核の中の中性子の数が違うだけで化学的な性質はまったく同じ。
ウランという同じ元素なのだから陽子の数は同じ。
違うのは中性子の数。非分裂性のウランのほうが3つだけ(仲介者である)中性子が多い。
両者には僅かに質量の差があり、その差でもって「濃縮」しているという。
この質量の違いは中性子3つ分の差ということになる。つまりウラン238の方が少し質量も大きい。
質量とエネルギーは等価である(アインシュタインの法則)ので、質量が大きくなればエネルギーは小さくなる。

質量とエネルギーは等価なものである。「質量+エネルギー」で保在。だから質量とエネルギーは相関関係にある。

ウランやプルトニウム 質量が大きい だからエネルギーが小さい(=結合力が小さい)
ヘリウムやリチウムなど  質量が小さい だからエネルギーが大きい(=結合力が大きい)
水素 質量が小さい だからエネルギーが大きい(→だけど結合力は必要ない)

※水素は崩壊も分裂もしないから結合エネルギーは必要ないのでエネルギーを保有しないと考えることも出来るわけだが、アインシュタインの「質量とエネルギーは等価」により水素もエネルギーを保有していることが分かった(裏付けられた)。


従ってウラン238のほうが保持するエネルギーが少し小さいということになる。
235と238の反発度合は高く同じで(陽子の数)、どちらも不安定な核種ではある。(不安定な核種なのに半減期が長いのはおかしいという疑問はすでに述べてきた)
反発度合(陽子の数)が多いと取り出せる結合エネルギーは小さくなる。
仲介者が3つ多い238のほうが質量が多いとなると、取り出せるエネルギー(保持しているエネルギー)は238のほうが少し小さいということだ。
反発度合が大きいと取り出せる結合エネルギーは小さくなるという法則があるのに、仲介者である中性子が入って235よりは安定している238のほうが取り出せるエネルギー(保持しているエネルギー)が小さいというのはどうにも解せない。
中性子に質量があるのだろうか?中性子は本当に存在するのだろうか?
この点からまたしても根源的な疑問が沸き立つのである。
アインシュタインの法則を否定しない限り、次へと進めない問題である。
原爆開発にアインシュタインの知名度を利用しながら、開発には一切携わらせなかった。
それはアインシュタイン(の法則)が都合悪かったからではないのか。
質量に差がなければ、質量の僅かな差を利用して行っているという「濃縮」は出来ようもない。
(濃縮・分離したとしても自然に崩壊していくのに都合よくパーセンテージを留めておくことなど出来ないことも再三述べてきた)(半減期が違えば全てが崩れてしまうが、半減期の定義や時間にも大いなる疑問がある)


ウランという物質は放射性元素として扱われることが多いので何か特別なもののように感じるかもしれないが、鉄や鉛などと同様に重金属(比重が4~5以上の金属元素)(密度4~5g/cm3以上の金属)である。
人体に重金属が蓄積されて引き起こされるのが公害病である。
ウランも他の重金属と同様に重金属中毒の原因となるが、毒性は鉛や水銀よりも低く、ヒ素と同程度であるとされている。
この場合、重金属としての毒性で、放射性物質としての毒性は加味していない。
ヒ素と同程度と書いたが、ヒ素は豊洲市場でも検出されたと問題視していた物質である。和歌山毒物カレー事件に使われたのがヒ素だった。

2004年(平成16年)、環境省によって水質汚濁に係る人の健康の保護に関する環境基準等の見直しが行われた。
その時にウランは「要監視項目」の1つになった。
「公共用水域の水質汚濁に係る人の健康の保護に関する環境基準及び地下水の水質汚濁に係る環境基準」(水質環境基準健康項目)というものがあり、法に基づいて基準が定められ定期的に測定されているが、「要監視項目」は直ちには「水質環境基準健康項目」にはしないが、国において定期的に測定し、その結果に基づいて水質環境基準健康項目への移行等を検討するもの。
ウランの要監視項目指針値(環境基準値)は、0.002mg/Lである。

2004年~2007年の測定結果
https://www.env.go.jp/council/09water/y095-09/mat03_6.pdfより)
e0126350_15202075.jpg


※10%超過とは、指針値の10%超過ということである。
超過率は、超過地点/調査地点 である。

(第一次答申)
公共用水域等において指針値の超過が見られるが、測定地点が少なく、また、汚染源が不明で自然的要因と考えられる事例もあることから、現時点においては、要監視項目として設定した上で、公共用水域等での挙動、検出地点における原因究明など今後とも知見の収集に努める必要がある。 

ウランは、海水中にも天然に存在することが知られており、平均組成から算出される濃度は0.0033mg/L である。 


海にはもともと指針値(0.002mg/L)以上のウラン濃度(0.0033mg/L)があるはずなので安心と言いたいのか。指針値超過というだけではどれくらい超過しているのか分からない。

ウランの排出に関して、PRTR 届出対象物質となっていないため、環境中への排出情報はない。また、生産等に係る情報もない。
一方で、放射性物質であることや核兵器への転用など核拡散防止観点から、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」に基づき保有量と移動量について厳重な管理が行われている。


※PRTR
健康や生態系に有害なおそれのある化学物質が、事業所から環境(大気、水、土壌)へ排出される量及び廃棄物に含まれて事業所外へ移動する量を、事業者が自ら把握し国に届け出をし、国は届出データや推計に基づき、排出量・移動量を集計・公表する制度です。平成13年4月から実地されています。 
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by yumimi61 | 2016-12-03 14:11
2016年 12月 01日
日本国憲法の秘密-429-
核融合には重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)が用いられる。
どちらも中性子がくっついている水素である(中性子の数が違う)。

この重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)が核融合を起こして臨界に達するには、プラズマのローソン条件をクリアしなければならないそうである。
誰が決めたのか、そういうことになっている。

プラズマのローソン条件
①1億度の超高温
②1立方センチメートルあたり100兆個の超高密度
③1秒間維持

ではどうやってクリアできるのかと言えば、酸水素ガスを10万気圧で圧縮すればよいらしい。(参考:常圧は1気圧)
10万気圧で圧縮すればまず密度条件をクリア。
温度はどうか?
酸水素ガスの燃焼温度は常圧で2000~3000℃であり、その状態でプラズマ状態になるが、物凄い圧力を掛けているために、温度は割増になる。2000~3000℃×10万(気圧)ということで1億℃は軽く突破するらしい。



①まず重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)を電気分解する。
水を「電気分解」するということは、水素H2と酸素O2に分けるということである。

ちなみに電気分解の反対は「燃料電池」である。水素と空気中の酸素を化学反応させて発電する装置。
燃料は水素ということになるが、その水素は天然ガスやメタノールから生成する。
電池とはいうものの充電した電気を溜めておくものではない。

②重水素(デューテリウム)と三重水素(トリチウム)を電気分解すると、酸素ガスと重水素ガスが出来る。
高圧環境で電気分解するので酸素ガスと重水素ガスはすでに液体と気体の性質を併せ持つ(巨視的には区別のつかない)超臨界流体となっている。
電気分解で生じた酸素ガスと重水素ガスを1:2で混合する。
これが酸水素ガスということである。

酸水素ガスは温度が発火点になると自発的に燃焼する。酸素と水素が 1:2 の混合ガス(水素爆鳴気)は、常圧において発火点が約 570 °C となる。

酸水素ガスの燃焼温度は常圧で2000~3000℃。


③生成した酸水素ガス(酸重水素ガス)を10万気圧で圧縮するため、別の高圧容器に噴射して着火する。
すると燃焼する。プラズマ状態になる。
この別の高圧容器には重水を入れておく。(圧力によって固体・氷になっている)
圧縮によって温度は1億度以上にできる。

これで核融合が起こるという。
核融合が始まると、(核融合によって)熱を放出するという。
核融合による放熱によって、圧力を落としても温度が維持できるようになるので圧力を落とす。
(超高温にするためには超高圧が必要)・・・ローソン条件
すると固体になっていた重水が液体に戻る。この液体は循環して使用する。
温度は自己発火点を超えているので燃焼も持続する。

核融合から放出される熱とはつまり「核融合から放出されるエネルギー」である。
しかし、「エネルギーが放出されない」となれば、これを維持することは出来ない。
そもそも、どうして超高温・超高圧ならば核融合が起こる(始まる)のかという、根本的な説明はなされていない。
これも密度だろうか?
そうであるならば、満員電車に乗っていたらベトちゃんドクちゃんになってしまったというようなことだ。
超密集しているからくっついてしまう?
超高温だから熱くて融けて一体化してしまう?
「高温にすると水H2Oが水素H2と酸素O2に分かれる」という話をしたが、これは膨張させない環境の高温下で分離されるのである。面に当たりまくる衝撃によって結合が緩んで離れてしまうわけである。
さらに高温にすると起こるのがプラズマ(電離;電子が外れる)。
そのプラズマを超えると再融合する?


大きな問題もある。容器の問題だ。
10万気圧や1億℃に耐えられる容器はありません。
容器が先に壊れるなり、融けるなりしてしまう。
酸水素ガス(酸重水素ガス)を閉じ込めることが出来ない。装置的に不可能ということになる。
超高温なため容器も一緒にプラズマ状態となってしまう。
容器が融けたり蒸発すればそこに熱を奪われるので結果として全体温度は下がってしまい、ローソン条件もクリアできない。
その反論には「プラズマ」であることが発揮される。
プラズマは多数の自由電子によって電流が極めて流れやすいという特徴を持っている。電気を通しやすい。
そこで物体としての容器を使用せず磁場によって仮想容器を作って閉じ込めることが可能だと言うのだ。
確かに電気は磁場・電場という空間によってもたらされるものである。電線の中で磁場や電場が発生するわけではない。
それでも核融合は未だ夢のエネルギーである。
研究途上のエネルギー研究としては検討の余地があっても、では水爆ではどうしたのかということになる。
水爆は在り得ないという結論に至らないだろうか。
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by yumimi61 | 2016-12-01 14:29