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2017年 08月 31日
日本国憲法の秘密-545- (加計学園問題について)
犬猫も家畜も減少傾向にあり、今後増加するとも思えず、獣医師の需要増は見込まれない。
国際的にも日本の獣医師数は家畜数に比べると多いという状況にある。
従って獣医師養成を目的とした獣医学部を新設する理由などどこにもない。
獣医師は民間資格ではなく国家資格であるからして、何の理由なく個人の夢や野望で増加させたり認可したりは出来ないであろう。
獣医学部の新設が長いことなかったことは別に不思議なことではないのだ。
また地域性や加計学園系列学校の実績を鑑みても、四国の愛媛県や加計学園が獣医師養成を担う必要はない。

獣医師増の必要はないという客観的事実→規制(新設は認めない)

岩盤規制を打ち破るのが国家戦略特区だとしているのだから、それは言い換えれば国家戦略特区は客観的事実を必要としないということになる。
調査もビッグデータも必要ない。
誰かの夢や野望、誰かの感情や縁故、そういうものがまかり通るのが国家戦略特区である。


教師の「依怙贔屓(えこひいき)」というものが古くから噂されたり問題になったりするように、差別にも通じる「依怙贔屓」は根の深い問題である。
客観的事実や集団の目的に合致した依怙贔屓(差別)なのか、それとも個人的な感情によるものなのかという違いがまずあると思うが、差別自体を忌み嫌う社会ではどちらであっても受け入れがたいのであろうし、確かにボーダレスな部分があることも否めず。
また客観的事実が例えば「あの子は見た目が可愛い」「あの子は可愛くない」「あの子は素直」「あの子は反抗的」だとしたら、その客観的事実による依怙贔屓(差別)が許されるのかどうかという問題にぶつかる。
問題と書いたが「美少女コンテスト」とか「ミスなんとか」とか「イケメン」とか見た目差別なんて十分に社会的コンセンサスを得ている観がある。
勉強が出来る子と同じように運動が出来る子も評価されるべきだという視点に立てば、勉強も運動も出来なくても見た目が良いことが評価されるべきという意見も無下には出来ない。
人間だから好き嫌いがあるのは仕方がないと言ってしまえば全てそれで終わってしまう。
そしてたぶん一番根が深いのは、他人が依怙贔屓をされるにはとにかく不愉快だが自分がされている分には(あるいは自分がしている分には)一向に構わないという人が多数を占める事であろう。
差別反対と言いながら自分が差別されることは気にならない。
差別反対と言いながら自分が差別することに対しては無頓着。
だから世の中は平等のようでいて(総論)、実はあっちにもこっちにも差別が蔓延している(各論)。
差別が蔓延しているのだから差別がなくなるわけないではないか。
国家戦略特区もそれにどこか似ている。
戦略を良き物としているのだから闘争が無くなるわけないではないか。戦う気満々なのである。しかも国家という冠が付いているわけだから国家レベルの戦いである。


愛媛県今治市が国家戦略特区に決まったのが2015年のことである。

首相官邸ホームページより平成27年12月15日 国家戦略特別区域諮問会議
(ラインは私が入れたものです)

平成27年12月15日、安倍総理は、総理大臣官邸で第18回国家戦略特別区域諮問会議を開催しました。

 会議では、「区域計画の認定」、「1次指定6区域の評価」及び「国家戦略特区の3次指定」について議論が行われました。

 総理は、本日の議論を踏まえ、次のように述べました。

「本日も、国家戦略特区で大きな成果が上がりました。
 家事を支援する外国人が、来年3月から神奈川県の各家庭で活動を始めます。これにより家事を担っている方々の負担が軽減され、活躍の幅が広がります。特に仕事を持つ家庭人には、大きな支えとなることと思います。
 全国で10番目となる国家戦略特区を、新たに決定しました。瀬戸内のしまなみ海道でつながった、広島県と愛媛県今治市です。
 例えば、しまなみ海道の『道の駅』の民間による設置、ライフサイエンスなどの新たに対応すべき分野における獣医師系の国際教育拠点の整備など、観光、教育、創業などの分野で、国際的な交流人口の流れを呼び込み、地方創生を実現します。
 
 医薬品などのドローンによる宅配を実証する千葉市や、福岡市と連携しながら高齢者の雇用を進める北九州市を、新たに特区の対象にします。  安倍政権の国家戦略特区に、終わりはありません。自治体や事業者の方から経済効果の高い規制改革提案があれば、これからもスピーディに対応してまいります。
 1つ1つの具体的事業を実現し、そのために必要であれば、新たな区域を指定してまいります。」
 

国家戦略特区で国家レベルの戦いのはずだが、安倍首相はどうも広島県と愛媛県今治市に国際人を呼び込みたいらしい。
国際人とは何かという議論もあるだろうが、簡単に言えば外国人ではないだろうか。
国家レベルの戦いに外国人を取りこむ・・国家とは何か・・国家とはどこか・・?


「国家戦略」において学校を作るならば私立学校なんか頼りにせずに国家が責任を持って国立で行えと言いたいが、日本国はすでにあった国立大学も手放している状態である(法人化)。
教育になんかもはや興味がないか、教育は手に負えないのか、それとも金欠なのか。
国立と私立の差も明確ではない。私立にも補助金いっぱい出しているし年金その他優遇しているし。


こうなってくれば客観的事実よりも個人の感情や縁故が優先されていると判断されても仕方ないであろう。
さらに加計学園は個人の感情や縁故が優先されるに相応しい背景を持っている。


「加計ありき」
前川喜平・前文部科学事務次官でなくたって、客観的(証拠)状況的(証拠)からそう思う。
これについて加戸守行・前愛媛県知事はどのように発言したかと言えば次の通り。

「(略)アメリカに、あるいはイギリス、ヨーロッパに10年遅れていると私は思います。10年の後れを取り戻す大切な時期だと、そんな思いできょう、参上させていただいたわけでありまして、そのことがらはそんな意味での地方再生、東京一極集中ではなくて、地方も頑張るんで地方も国際的拠点になり得るんだよと。そういうもののモデルケースとして、愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


加戸守行・前愛媛県知事は「加計ありき」を否定していない。
昨日今日の仲ではない、12年も前から加計学園ありきだったんです!と証言している。(12年前と言うと、2005年ということになりますね)
12年も前から安倍首相の友人である加計学園の理事長は獣医学部を設立を考えていた。
報道機関は加戸・前愛媛県知事の「加計ありき」発言もちゃんと報道してください!

一方で国家(国立)や国立大学法人や東京の有力私学は獣医学部新設や愛媛県での設立に見向きもしなかった。
それはつまり、必要がない、勝算がないと見做していたからであろう。
名だたる組織法人が勝算がないと判断したことに加計学園が乗り出せるのはどうしてだろうか?内閣がゴーサインを出せるのは何故だろうか?
腐るほどお金がある資産家揃いだから採算度外視?ついでに目的達成見通しも度外視?
魔力・超自然力による変質があるはずだから、名だたる組織法人の「勝算がない」は当てにならん?


お二人が閉会中審査の証言者となり、さらにその模様の報道に偏りがあったと取り沙汰されため、二人が対立軸のような印象を世間に与えたが、「加計ありき」については一致している。
加戸・前愛媛県知事は日本会議・教科書問題その他で内閣(官邸)に近い存在であるため、内閣(官邸)vs前川・前文科事務次官という構図は一見もっともらしく見えるが私はやや疑問に感じている。


前川喜作 早稲田大学理工学部卒 前川製作所創業者
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(長男)前川昭一 早稲田大学政経学部卒 前川製作所2代目社長(後に前川産業の社長)
(次男)前川正雄 早稲田大学理工学部卒 前川製作所3代目社長
※前川産業は前川製作所グループで不動産賃貸管理業を行う会社

前川・前文部科学事務次官は前川昭一の息子。前川製作所を継いでもよかった立場にあった。

前川製作所
株式会社前川製作所は、東京都江東区に本社を置く、日本の総合機械製造企業である。産業用冷凍機を始め、各種ガスコンプレッサーやそれらの周辺機器、食品加工機械などを製造・販売している。1924年(大正13年)に前川喜作が創業し、創業以来、世界各地に拠点を構えている。アンモニアを使った産業用冷蔵機では国内の60〜70%、冷凍運搬船用の冷凍設備では世界の80%以上のシェアを占めており[要出典]、世界三大冷凍機メーカーの一つと称される[誰によって?]業界最大手[要出典]である。

産業用冷凍機とは業務用冷凍機とは違うものであろうか。
業務用冷蔵冷凍庫・ショーケースと言えば三洋電機と言われて、確かにお店や施設で目にする冷蔵冷凍機にはSANYO製であることが圧倒的に多かった。(三洋電機の多くはパナソニックに吸収された)
冷蔵冷凍技術にも多種あり、その冷蔵冷凍技術は空調にも関係しているし、バイオメディカが扱うフリーザーがやインキュベーターにも関係している。
三洋電機が開発した世界初の製品も多々あり、シェアがトップクラスというものもある。(東京ドームの空調に利用されている吸収式冷凍機も三洋電機が手掛けたもの)
STAP細胞お披露目の写真撮影会の写真にもSANYOやPanasonicマークが写りこんでいる。(〇を付けた箇所)(小保方女史は早稲田大学理工学部卒)(STAP細胞騒動時の下村博文・文科大臣は群馬県出身で早稲田大学卒、選挙区は東京都板橋区)
(写真は過去記事に使ったものです)
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(前川昭一の長男)前川喜平
(前川昭一の長女)前川真理子・・中曽根康弘の息子である中曽根弘文と結婚
(前川昭一の次女)前川マヤ・・小泉グループのオーナーで東天紅社長の小泉和久と結婚

※中曽根弘文
自由民主党所属の参議院議員(6期)、自民党群馬県連会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。外務大臣(第142代)、文部大臣(第126・127代)、科学技術庁長官(第59・60代)、自民党参議院議員会長(第27代)などを歴任している。
私は昨年6月の参院選の時に選挙カーの後続車になったことをブログに書いた
・今日夕方車を運転していたら、目の前に選挙カーが現れた。(途中どこかで選挙カーの後続車となった)
某〇民〇の某候補の選挙カーで、車両の後ろ側に御立ち台(ステージ?)があるタイプの選挙カーだった。


某候補は中曽根弘文であるが、本人は此処に非ず。
代わりに群馬県議と太田市議が1人ずつ乗っていた(御立ち台に)。
誰かなぁと思っていたら以心伝心な感じでアナウンスがあって分かった次第。でも市議は誰だったか忘れてしまった。
県議は たぶんこの人だったと思う。
実はもはや名前は全然覚えていないのだが、当時調べてみたら太田医療技術専門学校理学療法学科卒業とあった。私はそこの卒業生を知っていたので印象に残っており、今回も学校と議員で調べて辿り着いたというわけ。

その県議の経歴を今回じっくり見てみたら専門学校以外にもへぇ~と思うことがあった。
社会福祉法人同仁会本部!
わたし、同仁会のことも前に書いたことがあるのですよ。(思い切りローカルネタの こちらの記事
(略)
そして2012年、そこは「サービス付き高齢者住宅 ぐるっぺ絆」になった。 運営しているのは大泉町にある「社会福祉法人 同仁会」という法人である。
旧太田市内にも施設を持っていたり、太田市養護老人ホームを受託したりしている。
ホテルプラザニッタ跡の高齢者住宅の落成式には太田市の清水市長や笹川県議(現在は衆議院議員、笹川良一の孫)も出席したという。
(余談ですが、あちこちで見かける笹川県議のポスターが何となく某アナウンサーに似ている気がするんです。気のせいですかね?視力が落ちているんじゃないか?)


※小泉グループ
中華料理レストラン事業の東天紅、小売業のアブアブ赤札堂、富士サファリパークを運営する小泉アフリカ・ライオン・サファリ等を有しているグループ。



少し前に書いた歴史教科書問題第一次は1982年、第二次は1984年だった。
第一次は文部省が「侵略」という言葉を書き換えさせたと一斉に報じたが、結局担当した日本テレビ記者の間違いで誤報という結果であり、書き換えさせたという事実はなかったというもの。
この顛末に納得がいかなかったのが当の日本テレビや系列の読売新聞ではなくて朝日新聞や週刊朝日だった。
読売の渡邊恒雄(東京大学)は元共産党員であり、実は朝日新聞社への入社を希望していたが不採用になったと後年本人が語っている。
渡邊は新しい歴史教科書をつくる会の出版社・自由社の社長であった石原萠記(早稲田大学・東洋大学)と学生時代に学生運動などもしていた。
渡邊は読売新聞にて政治家の番記者として大物政治家と繋がりを強め、フィクサーの児玉誉士夫とも親しくなり、CIAのスパイだったとも言われる正力松太郎や元共産党員である秘書を介して中曽根康弘や田中角栄とも親密になり、やがて自分もドンやフィクサーと呼ばれようになる。
中曽根に秘書には東大卒で渡邊家に住んでいたこともあるという小林克己がいて、田中の秘書には早稲田大学卒の早坂茂三がいた。保守系と呼ばれる政治家の側近にかつて学生運動にのめり込み共産党に入党までした人達がいたのだ。
共産党系つまり左翼であるから中韓などアジア寄りなのかと言うとそうでもなくて、新しい歴史教科書をつくる会に見られるように自虐的歴史は良しとしない(アジアに侵略した事実などないという)立場を取っていたりする。
第二次は「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書が天皇中心の記述であり「天皇の人間宣言」も記載されていなかったことから中国が批判し、それを受けて中曽根康弘首相が文部省に検討を要請、異例の再審議が行われたという問題。
この歴史教科書問題の一件にも加戸守行・前愛媛県知事は当時文部官僚として関与している。

中曽根康弘は1985年日航機123便墜落時の首相でもある。
この事件にも文部省が関係しているという説もある。
その3日後の8月15日に公式に中曽根首相は靖国参拝をして物議を醸した。
リクルート事件はその3年後の1988年、朝日新聞のスクープにて発覚した。

中曽根康弘・前首相(当時)にも、加計学園創立者が後援会長を務めた宮澤喜一副総理・大蔵大臣(当時)にも、安倍首相の父である安倍晋太郎党幹事長(当時)にもリクルートコスモス社の未公開株が譲渡されていた。 
この時に文部官僚だった加戸はリクルートから接待を受けていたことが判明して文部省を辞職した。
前川文科事務次官が中曽根家と親戚というのはなかなか重い事実である。
中曽根と親密な関係にあった渡邊が支配した読売がスキャンダラスな報道をしたことも意味深長。時代が違うと言えばそれまでだが、ある時期の関係性を思えば報道しない選択だってあったはずである。

1988年6月18日に川崎駅西口再開発における便宜供与を目的として川崎市助役へコスモス株が譲渡されたことを朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』としてスクープした。当時再開発が行われていた明治製糖川崎工場跡地の再開発事業であるかわさきテクノピア地区に関して、本来容積率が500%のところを800%に引き上げて高層建築を可能とさせるのが目的であったと報道された。

明治製糖は渋沢栄一らが台湾に創立した会社。川崎工場は1912年に設立された。
明治製糖は1996年に大日本製糖株式会社と合併し大日本明治製糖になったが、大日本製糖の前身・日本精糖も渋沢栄一が設立している。
日本で初めて角砂糖を作ったのが大日本製糖である。

7月になるとマスコミ各社の後追い報道によって、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮澤喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長ら、自民党派閥領袖クラスにもコスモス株が譲渡されていたことが発覚した。90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、森喜朗は約1億円の売却益を得ていた。時の大蔵大臣である宮澤は衆議院税制問題等に関する調査特別委員会で「秘書が自分の名前を利用した」と釈明した。さらに学界関係者では、政府税制調査会特別委員を務めていた公文俊平にも1万株が譲渡されていたことも判明した。
これだけ政治家が関与しながら、ロッキード事件の田中角栄のように逮捕起訴された政治家はいなかった。
こうなるとみな共犯であり共謀であるような感じ。
もっとも元首相が逮捕起訴されたほうが異例と言えるかもしれないが。



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by yumimi61 | 2017-08-31 14:33
2017年 08月 28日
日本国憲法の秘密-544- (加計学園問題について)
前橋放送局の皆さん、私もこちらの本でしたら持っています!

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神尾哲男
埼玉県深谷市出身。1952年生まれ。
料理研究家、「料理工房神尾」主事。
1974年東京都目黒区「自由が丘トップ」にてフレンチシェフ澤部喜次氏に師事する。
1976年、池袋「レストランブッシェ」の料理長として迎えられる。
1982年、群馬県前橋市の本格フレンチレストラン「食卓物語」のオープンに伴いシェフに。以来、群馬県内を中心にキャリアを重ねるが、2003年に末期ステージ4の前立腺がんが判明。
骨とリンパ節への転移も判明し、医者からは「なぜ生きていられるのか?死んでいてもおかしくない」と驚かれる。
がんを抱えながら2007年、前橋市に「レストランポコ」開業。体に優しい料理は評判を呼び、多くのファンに惜しまれながら2013年に閉店。
その後は「料理工房神尾」を構え、健康に生き続けるための料理を提唱し、後進の指導にあたっている。2016年クラウドファンディングによる初著書『奇跡のシェフ』(上毛新聞)刊行。
2017年4月末に体調が悪化し前橋赤十字病院に入院。5月4日に同病院にて死去した。


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野村総合研究所(NRI,野村総研)
東京都千代田区大手町に本社を置く、日本の最大手シンクタンク、コンサルティングファーム、システムインテグレーター。
日本初の本格的な民間シンクタンクである株式会社野村総合研究所 (NRI) と、日本で初めて商用コンピュータを導入したシステム開発会社である野村コンピュータシステム株式会社 (NCC) が合併し、現在の野村総合研究所が誕生した。この合併により、リサーチ、コンサルティング、ITソリューション、システム運用等をトータルに提供する会社となる。

野村総合研究所 (NRI)の設立は1965年で、野村コンピュータシステム (NCC、前身は野村電子計算センター)の設立は1966年。両社が合併したのは1988年。写真の本は1990年に発行されたもの。
野村電子計算センターで思い出したので過去記事に関して追記。
前に私はベネッセの情報漏洩を記事にしたことがあり、赤ペン先生(進研ゼミ)のアルバイトをしていたと書いたことがあるが、それを扱っていたのは高崎共同計算センターだった。

文科省が実施している「全国学力・学習状況調査」は民間企業に丸投げしているらしいが、小学生部門を受注していたのが情報漏洩させたベネッセであるという記事はコチラ
さらに大きな問題はこれだけ大規模なテストが民間業者に丸投げされていることだ。
小6は大規模な個人情報流出が最近話題になったベネッセが受注しているそうだ。
やはりベネッセは国や自治体との結びつきが非常に強いと考えられる。

生活・学習環境の調査までされるにもかかわらず、民間企業・教育産業(小6はベネッセコーポレーション、中3は2007年度がNTTデータ・2008年度からは内田洋行が受託)に情報管理を任せていいのかという指摘がある。全日本教職員組合は特にベネッセコーポレーションが教育産業であり、情報が利用・転用される可能性があることを指摘してきたが、2014年度も小6はベネッセコーポレーションが受託した。

ベネッセにもなかなかご縁があるのですよ。
ある夏休み明けのこと、次男の高校の修学旅行の説明会と進路のための講演があった。そのことも記事にした

修学旅行説明会は1日だけでなく2日設けられていた。
9月3日 進路講演会+修学旅行説明会
9月4日 修学旅行説明会
私は修学旅行説明会のみの9月4日のほうに出席した。出席者はこちらのほうが少なかった。
前日行われた進路講演会の資料は翌日参加者にも配布された。
講演は全国学力テストや高校における模試をほぼ独占化したあげく、個人情報を大量に流出させたベネッセによるものだった。
講師はベネッセ社員。
2004年に大学入学しているので1985年生まれだろうか。そうだとすると日本航空123便が群馬県に墜落した年ですね。
今年で29歳。しかしベネッセに入社してからはまだ1年足らず。新人。
先輩達と立ち上げたベンチャー企業での経験が一番長いわけだが何の会社なんだろう。講演では語られたのだろうか。(出ればよかったじゃん?)
関東圏の事情に強い人のほうが良いような気もするが、気のせいでしょうかね。
この講師の方の経歴が資料に掲載されていたのだが、2008年神戸大学を卒業してリクルートに入社している。でも1年ちょっとで退社。
あららららら?


野村総研の説明に戻ります。
金融業・流通業に強みがあり、日本郵政公社(現・日本郵政グループ)の郵政総合情報通信ネットワーク、簡易保険システムの構築など、公共分野も拡大している。
米国ペンシルバニア大学による2015年および2016年グローバル・シンクタンク・ランキング(営利企業部門)では、5位に位置づけられている。また、給与水準は極めて高く、全従業員の平均年収は1,156万円 (2015年度) である。
なお、野村ホールディングスとは一定の資本関係があるものの、子会社ではない。

野村総研は日本郵政公社(現・日本郵政グループ)のネットワーク構築にも関与しているようだが、今年の5月に野村不動産と日本郵政との間に不穏な動きがあった。

日本郵政は2015年に買収したオーストラリアの物流会社の業績が悪化し巨額の損失を計上したのだが、この買収を主導したのは東芝社長も務めた西室泰三。
今年の5月頃、そんな巨額損失を出した日本郵政が野村不動産を買収するという報道があったのだ。
結局なくなったらしいが、日本郵政が不動産業に力を入れたいと考えていることを露呈した。
郵政民営化を果たしたのは小泉政権であるが、民営化して日本郵政になる前の日本郵政公社だった時代(民営化移行期)に日本郵政が多くの不動産を売却した先がリクルートコスモス社。
リクルート事件は、リクルート社がリクルートコスモス社の未公開株をが政治家や官僚、NTT経営陣などにばら撒いたという事件である。
この時にリクルート社から多額の接待を受けていたことが判明して文部省(大臣官房長)を辞職したのが後に愛媛県知事となる加戸守行である。この人が加計学園獣医学部新設にも関係している。


元々は野村証券の調査部だった野村総合研究所 (NRI)(現在の野村総研のリサーチ・コンサルティング部門)は、日本最大規模のコンサルティングファームである。官公庁・産業界のトップ企業をほぼ網羅して、サービスを提供してきている。米国のStanford Research Institute(現在のSRI International)をモデルに、日本初の本格的な民間シンクタンクとして設立された。 


そんな野村総研が1990年に上記書籍の「第6章21世紀を決める10年間」の「メタモーフォシスをむかえる技術」でここからが大事な時期だと説いている。
metamorphosis(魔力・超自然力による)変形(作用)、変質、変容、変態
これは技術もいよいよ魔力・超自然力頼みになるという理解でよろしいでしょうか?
これまでの産業革命の条件やパターンを見ていくと(産業革命波動説)、次のピークは2010年だというのだ。(過ぎてる過ぎてる?)(ありましたっけ産業革命?AI?自動運転?IoT?ちょっと遅れてるだけ?)
次なる産業革命に間に合うには遅くとも1990年代前半に種がまかれ芽を出していないとダメなんだそうだ。
ちなみに、今までの産業革命の革新技術は、蒸気機関、鉄鋼、電動機、自動車、コンピューター、IC、である。
この産業革命というか技術革新を成功に導いたキーテクノロジーあるいは戦略は次の(  )内のもの。蒸気機関(特になし)、鉄鋼(原価計算法)、電動機(交流送電)、自動車(大量一貫生産)、コンピューター(レンタル、ソフト)、IC(投資サイクル、シュリンク)。
単に技術だけあっても革命は起こりにくいというわけですね。だからこそ「技術戦略」。
それは私が前記事に書いた「多様性からは爆発的な流行(利益)は生まれない」ということに通じる。

野村総研は同じ場所で10のメガトレンドを紹介しているが、その10番目が興味深い。
第十 理論や科学常識を覆す新事実、新技術の登場。(からの、STAP細胞?)
物理学は19世紀末と同様に大きな見直しを迫られているかもしれない、そうですよ。
そしてさらに21世紀以降の技術として、テレパシーや透視といった類も真剣に研究開発テーマとしてあがってこよう、と10大メガトレンドを締めている。






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by yumimi61 | 2017-08-28 14:12
2017年 08月 27日
日本国憲法の秘密-543- (加計学園問題について)
動物性脂肪は量に影響し、動物性タンパク質は質に影響する。(私の仮説)
つまり、動物性脂肪の過不足は健康に悪影響を与え寿命を縮めることになり、動物性タンパク質の過不足は脳機能やADL(日常生活動作)の低下を招くということ。
何故「動物」を重視するのかと言うと、人間は草木でなく動物だからである。
身体を構成するタンパク質は自分と同じタンパク質でできた動物、哺乳類なら哺乳類から摂る方が理に適っている。無理やロスが少ない。
生命活動、知的活動、経済活動、社会活動、あらゆる人間の活動の資本は身体である。
健康や長寿に魚が良いとか植物が良いといった説は根拠に乏しい。
日本対欧米という比較だけでは物足りない。なぜなら食生活の欧米化が進んでもなお寿命は延びてきたという現実があるからだ。
日本で獣肉消費量が魚肉を上回ったのは戦後高度成長期(1954-1973)後のことであるが、戦後はそれ以前もそれ以降も寿命は右肩上がりだった。(但し、寿命の長さ=QOLの高さ、とは言えない)

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QOL(quality of life)は動物性脂肪と動物性タンパク質の兼ね合いで決まるが、QOLは精神面・自己実現を含めた概念であり「自分らしさ」というものも重要であり、他者の価値観を押し付けたところで達成できるものではない。個々に違うものである。
ただそうした多様性を重視すると社会の管理は面倒になるので、一様の価値観でQOLを決めたがる、決めているというのが現実であろう。
人生や生活の多様性は爆発的な流行(利益)を生まないので、多様性を避ける方向で進んできたという歴史もある。

動物性脂肪と動物性タンパク質は完全に分断することは出来ない。
赤身(動物性蛋白質が多く含まれる部分)にも脂肪(飽和脂肪酸やコレステロール)が含まれている。部位によって脂肪とタンパク質の含有割合が変わるだけのこと。
脂肪が一番多いのは、ばら肉(脂肪32.9g、タンパク質14.4g)。
脂肪が一番少ないのは、ヒレ肉(脂肪4.8g、タンパク質20.5g)。
タンパク質が一番多いのは、もも肉(脂肪9.6g、タンパク質21.2g)。
タンパク質が一番少ないのは、ばら肉(同上)。
(可食部100g中)

簡単に言えば、家畜のお腹側がばら肉であり、背中側がロース肉。
ヒレ肉はその間に位置し、部位も腰に限る。
骨盤内にあり背骨(上半身)と大腿骨(下半身)を結ぶ筋肉(大腰筋)。
最も動かさない筋肉であるため非常に柔らかく、且つ脂肪も少ない。
一頭の家畜から採れる量は僅かであるため最高級の部位とされる。



獣医の需要は犬猫でも家畜でもない。
ではなぜ今獣医学部新設なのかと言えば、そう、それが国家戦略特区に関わる由縁。

国家戦略特区・・いったいどこの誰に対する戦略なのか?そもそも国家戦略という言葉がどこか物騒で何だか凄く嫌な感じがする。耳障り。
「絆」とか「TOMODACHI(間違ってもFriendではない!?)」とか「共生」とか「ボランティア」とか「寄付」「募金」「義援金」なんかが大事ではないんですか?
困った時はお互い様で助け合いの精神こそが美しい、人の物を盗んだり横取りしたり人を犠牲にしたり蹴落としたりして一番になることは人間として間違えているのではないですか?
大事なのは働き過ぎないことで、日本人は休暇や休日や家族サビースをもっと大事にすべきだと思っているんでしょう?
グローバルな時代だから自国ファースト主義はダメなんですよね?だからイギリスのEU離脱に幻滅したり、トランプ大統領が非難されたりしたんですよね?(なのに都民ファーストや日本ファーストは良き物という評価はなんなのか・・)
そういうものを持て囃しておきながら、一方で国家戦略特区イエーイ!みないな感じはどうも受け付けない。
国家戦略特区の受け付けなさは前にも書いた記憶があるが、国家戦略特区とは日本経済再生本部からの提案を受け、第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つとして掲げ、国家戦略特別区域法2条で地域振興と国際競争力向上を目的に規定された経済特区である。

日本経済再生本部からの提案を受けとあるが、日本経済再生本部をご存知だろうか?
知らないと政権(内閣)が有識者から提案を受けたように思うが、そうではない。
内閣の内閣による内閣のための組織。

日本経済再生本部
日本の内閣に設置された組織。2012年12月26日の閣議によって決定された。
第2次安倍内閣において、デフレや円高を脱却し、経済を再生する成長戦略の実現を目的として設置された。
組織
本部長:内閣総理大臣
本部長代理:副総理
副本部長:経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、内閣官房長官
本部員:他の全ての国務大臣

安倍首相にデフレ脱却なんて言われると「そうだそうだ!!」なんて思うのかもしれないが、庶民にとってデフレは言うほど悪いものではない。
給料は上がらないかもしれないが、物価も上がらないし、ローン金利も上がらないから、トントンな感じ。給料が上がると物価も上がってローン金利も上がるのに舞い上がってローンなどして失敗する。
デフレが嫌な人達は預貯金などの金利目当ての資産家や土地転がしや投資家などであって庶民は実際のところ何でも同じ。景気なんて気分の問題だから。

それでもデフレ(物価下落)を脱却したいならば物を沢山作らない、サービスしないのが一番。
それを実施すると結果的には人余り状態になるがデフレ脱却のためには致し方ありませんね?
だから国を挙げて皆さんそんなに働く必要はありませんよと推奨しているのである。
資格職だって需要以上には供給する必要はない。需要供給のバランスを見て規制をかけたり緩めたりする。それもこれも経済のため。誰かの夢だけに沿うことは出来ないのだ。

物も人も過剰である。そのわりにというか、だからというか、生産性は良くない。
生産性が良くないということは、生産活動に対する労働や資本への寄与度が低いということ、資源から付加価値を産み出す効率が悪いということ。無駄遣いが過ぎる状態。
コンピューターの時代ですし、機械のほうが速く正確にやってくれますから、あなたたち要りませんということなんでしょうかねぇ・・
でも国としては全部が全部働かなくなるのはやはり困るらしくて、あなたたちはせっせと働いてくださいと特別扱いする区域がある。それが国家戦略特区なわけである。
あらゆる岩盤規制を打ち抜く突破口とするために、内閣総理大臣が主導して、地域を絞ってエリア内に限り従来の規制を大幅に緩めることを目的とする。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている。
今後は人口が減少していくことが予想されている。
過剰な人が減っていくことで生産性が上がればよいが、そういう楽観的な見通しがないから国家戦略特区があるのだろう。



加計学園が獣医学部を新設する目的は、「創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進」である。
昨今は研究や開発や新技術と言えば何でも許されると思っている。
採算性は度外視。狂っているとしか思えない。
どこから湯水のように資金が湧き出てくるのか?北朝鮮然り。

創薬という言葉に関してはSTAP細胞騒動を記事にしていた時に触れた。長いがこちらにも転載しておく。
過去記事
若山氏が遺伝子解析を依頼した第三者機関の中立性
6月16日、STAP細胞の多能性評価としてのキメラマウス作製をまかされた若山氏(理研→山梨大学)が会見を開いた。
小保方氏によればSTAP幹細胞の樹立を担当したのも若山氏であったということだ。
若山氏が騒動勃発後にSTAP幹細胞の遺伝子解析を第三者機関に依頼しており、その結果を受けての会見だった。
会見で「第三者機関とはどこか?」という質問され、若山氏は「(記者会見の)直前まで(私と)一緒に発表する、という話もあった。だが、並んで発表すると僕の味方だと思われてしまう。中立的な立場であるということから、現時点では明らかにしないということになっています」と答えているが、放射線医学総合研究所である。(所在地は千葉県千葉市)
研究所創立当時は科学技術庁所管の国立研究所であったが、現在は文部科学省所管の独立行政法人である。
こちらの記事に書いた通り、第五福竜丸で被爆した船員らに対して追跡健康診断を実施していたのが放射線医学総合研究所であった。

「放射線なのに何故幹細胞の遺伝子解析?」と思うかもしれないが、放医研には分子イメージング研究センターがあるからである。
科学技術振興機構の分子イメージング研究プログラムを通して、理研と放医研、大阪大学や東北大学はみな仲間である。これをオールジャパン体制とも言うらしい。
(オールジャパンで!と言っていたら、侍ジャパン3連覇ならずというテロップが出て、ちょっと面白かったこと
遺伝子などを用いた診断や治療の確立を目指すものである。
最近「創薬」という言葉をよく目にするが「創傷薬」(皮膚の傷を治す)ではなく、「薬を創る」(新薬開発いわば経済発展もしくは金儲け)ことである。
(略)

現在の文部科学大臣は、放射線治療の盛んな群馬県出身で、小保方氏と同じく早稲田大学卒で、小保方推しの下村氏である。
若山氏は解析依頼した放医研はその文部科学省管轄で、理研にも近い研究所であった。
若山氏がどういう意味で中立という言葉を用いているのかよく分からないが、仲間内であるのだから中立とは言い難い。
しかし第三者と言えば確かに第三者である。
(略)

(略)
ともかく若山研究室と理研も第三者機関の報告と同じ解析結果が出ており異議なしという状態であったのだ。
このことは非常に重大な意味を持つ。
何故かと言えば、若山教授はもとより放射線医学総合研究所も理研も山梨大学も実験の根本となるようなこと(Oct4-GFPとCAG-GFPの違いや遺伝子導入について)を全く理解していなかったということになるからだ。
それを否定する唯一の方法は「第三者機関の解析試料は別の場所から持ち込まれたものであり、私達は一切関知していない。話を合わせただけ」と言うしかないだろう。



一頃盛んにバイオテクノロジーが持て囃され、農業系の学校も農業という言葉を捨ててバイオなんとかいう科をつくるのが流行った時期がありましたね。
バイオテクノロジーは、「バイオロジー(生物学)」と「テクノロジー(技術)」が合わさった言葉。
古くから行われている品種改良や細胞・遺伝子などを操作する最先端技術がある。
今度の加計学園はライフサイエンスときた。
ライフサイエンス
生物学を中心に化学・物理学などの 基礎的な面と,医学・心理学・人文社会科学・農学・工学などの応用面とから総合的に研究しようとする学問。生命科学。
ライフサイエンス研究ならば別に「獣医師」「獣医学部」に拘る必要はない。
現に獣医師でも医師でもない小保方さんだってマウスを使って実験してたんですよね?
基礎は終わったから応用に行こうと思っている?

過去記事より)
マウスで始まり、マウスに終わる

今まで述べてきたようにこの論文を否定する要素はいろいろとある。
いろいろあるということが「捏造であった」という証拠になると思うのだが、決定的なのはやはりマウスの種類である。
マウス種類が異なれば論文での主張は一切通用しなくなる。
マウスは出鼻を挫くことが出来る要素なのだ。

小保方氏に手渡されたというマウスが下記のどのマウスだったかによって、実験に与える影響は大きく変わってくるので、そこがはっきりしていないと実験は成立しない。
よって把握していないとすれば論外。
何度か実験を繰り返したと思うが(小保方氏によればSTAP細胞作製に200回成功)、その全てが同じ種類マウスだったのか、それとも混在していたのか。
また1匹のマウスの中に幾つかの要素の混在はなかったのか。
このあたりのことも明確ではない。

【考えられる種類】
・Oct4-GFPマウス―多能性指標となる遺伝子Oct4をターゲットにしてGFP(緑色蛍光)を導入したマウス。
・CAG-GFPマウス―CAGプロモーターによって導入したい外来遺伝子(GFP)をほぼ全身の組織細胞(細胞種非依存的)に過剰発現させたマウス。よって非侵襲的に緑色蛍光が発現する。
・免疫不全マウス―人為的に免疫不全にしたマウス。
・疾患モデルマウス―人為的に特定箇所に変異(異常)を起こさせたマウス。
・野生のマウス―遺伝子操作など何の処理も施されていないマウス。

小保方論文や理研のプレスリリースは当初Oct4-GFPマウスだと述べていたが、途中(検証実験報告など)からは雲行きが怪しくなっており、「GFPを常に発現させたもの」などと図に記入するなどCAG-GFPマウスであったことを匂わせ始めていた。
GFPからも分かるようにこの2種類は緑色蛍光するように遺伝子導入したマウスであり、疾患などとは直接的な関係はないマウスである。
しかしなにせ遺伝子操作しているのだから予期せぬ不調(不良・不具合)までは分からない。

しかしともかく緑色蛍光から始まっている実験なので細かい点は抜きにしてGFPだけに注目する。
Oct4-GFPマウスと言っていたのがCAG-GFPマウスだったとするならば、この実験の一切は成立しない。
もしも無知や過失(うっかりミス)によりマウスが入れ替わっていたとするならば、実験の途中で思うようにいかない点が多々出現して気付くはずである。
ところがそうではなくて全て上手くいったと論文にまとめた。このことが過失ではなく故意であったのだろうという確信に導いた。

証拠は緑色蛍光したマウス

Oct4-GFPマウスは分化した細胞では蛍光しない。だからこそSTAP実験だってそれをマーカーにしたのだ。
それなのにマウスが蛍光することは決定的におかしい。
Oct4-GFPマウスではない。


過去記事より)
マウスの面倒見てるかなぁ
STAP騒動の最中、iPS細胞の山中教授の研究室でのマウス管理が杜撰であったことが報じられ、山中教授が謝罪したことがあった。
杜撰管理は2年以上に亘る。ということはそれ以前にもあったのでないかという疑われても仕方ないだろうと思う。

実験計画では、マウスはいずれも研究所2階にある飼育室と実験を行う処置室で管理されることになっていたが、2011年1月〜13年5月、計14回にわたって1階の洗浄室で見つかっていた。洗浄のために飼育室から運びこまれた飼育ケースの中にいた。
正確な数は不明だが、死骸を含め少なくとも21匹いた。11匹は生きたマウスで、このうち5匹は遺伝子組み換えマウスだったことが確認されたという。
研究所では、実験に使ったマウスは処置室で殺処分した後に冷凍庫に保管し、処理の専門業者が定期的に回収している。飼育室で死んだ場合も冷凍庫に保管し、同様に回収される。

遺伝子改変動物は生態系への影響が心配されており、その取扱いは慎重を期する必要がある。
報道によれば同じ建物内の管理区域外にいたということだが、屋外に逃げ出すことだってあり得る。
すでに逃げ出したマウスがいるのかもしれない。
飼育数を把握していないのか、逃げ出したマウスの正確な数は不明だと言っている。
生態系への影響も然ることながら、マウス管理がそれほど甘いとすれば研究の信頼性も失墜することは避けられない。
違う系統のマウスが混入してしまったり、逃げ出したマウスが交尾して知らぬ間に繁殖していたということだって無きにしも非ず。
STAP細胞実験のように、マウスの種類が違えば実験そのものが成立しなくなる。

死骸の状態で見つかったものがあるようなので、一般的に考えても衛生状態が不安である。
研究所では様々なウイルスや細菌を扱い、マウスには遺伝子組み換えだけでなく、こちらに書いたようにヒト化マウスも利用されているのだ。
それを思うと信じ難い杜撰さである。
こうなると殺処分したマウスを含め医療廃棄物の処理もルーズなのではないかと疑いたくもなる。

まさかとは思うけれども、教員に事務要員(スクール・サポート・スタッフ)を付けるように、研究者に付ける生き物係(飼育係)としての獣医師養成?



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by yumimi61 | 2017-08-27 15:54
2017年 08月 25日
日本国憲法の秘密-542- (加計学園問題について)
東日本大震災が発生する1年くらい前、次男は増水をやたら気にしていた。
その時私はそれが津波という形で、あんな形で現実になるとは想像もしていなかった。

2010年6月5日『増水』これは増水の心配をしていた時の会話を記した記事だが、そこに動物(ペット)が出てきて、家畜の話にもなった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(略)
彼の心配は尚も続く。
「でももし急にどんどん増えたらどうするの?どうやって逃げるの?」
「そうなったら泳ぐしかないんじゃない」
「無理だよー。そんなに泳げない」
「太平洋側は無理としても日本海側なら行けるんじゃない」 ←またしてもいい加減な返事
「寒くて死んじゃう」
「その時が夏であることを祈ろう」
「ふざけてないでさー」(とうとう注意される始末)
「じゃあボートは?ボートに乗ればいいじゃない」(少し反省してまじめに)
「うちにボートある?」
「ボート?ゴムボートがあったかなぁ」(浮き輪に毛が生えた程度のボートです)
「犬はどうするの?一緒に逃げるんでしょ?」
「犬は難しいかな」(とは言ったけれど、以前子供に付き合って観た『マリと子犬の物語』に涙しました。『かわいそうな象』にも涙々)
「ひっどーい」(ほんとに大人ってひどいよね)
「そんなこと言ったらなっちゃんのほうが大変かも。犬はいざとなったら泳ぐかもしれないけど、猫は水嫌いでしょ。ぷるぷるってして、、、あー可哀想」(なっちゃんとは猫のことです)
(略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『マリと子犬の物語』というのは、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の時に新潟県山古志村であった実際のエピソードを元にした映画で、2007年12月8日に公開された。
新潟三洋電子が被災した地震である。
東日本大震災が起こる前は、この地震が自分が体験した地震の中で一番大きなものであった。
そのせいか発生の瞬間を今でもよく覚えいている。
2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分
当時息子達は小学生だった。地域の少年サッカーチームに所属していたので土日はサッカー三昧だった。練習だけなら半日、試合があれば1日。
その日も試合だったのだろうか、地震発生時に私は洗濯物を取りこんでいてベランダにいた。揺れが強くて思わず桟に掴った。
翌日は赤城山のふもとでサッカーの試合があったが、上空にはヘリコプターが行き交っていた。
『マリと子犬の物語』のひどい(?)お父さん(公務員)役は、今を時めく船越英一郎!(もうときめいていないから?寝た子を起こすな?下火下火??)



=都道府県別家畜飼育数ランキング(トップ10)

■乳用牛の飼育数
 1 北海道 795400
 2 栃木県 52900
 3 岩手県 44600
 4 熊本県 44400
 5 群馬県 38800
 6 千葉県 34800
 7 愛知県 28600
 8 茨城県 26700
 9 宮城県 21000
 10長野県17600

■肉用牛の飼育数
 1 北海道 509800
 2 鹿児島県 333200
 3 宮崎県 250000
 4 熊本県 129800
 5 岩手県 91600
 6 栃木県 87900
 7 宮城県 83900
 8 長崎県 76500
 9 沖縄県 71400
 10 群馬県 62500

■豚の飼育数
 1 鹿児島県 1332000
 2 宮崎県 838800
 3 千葉県 681400
 4 北海道 626000
 5 群馬県 613200
 6 茨城県 559500
 7 岩手県 450200
 8 栃木県 393200
 9 青森県 381800
 10 愛知県 349900

■採卵鶏飼育数(単位は千羽)
 1 茨城県 12648
 2 千葉県 11865
 3 鹿児島県 9945
 4 岡山県 9904
 5 愛知県 9052
 6 広島県 8714
 7 群馬県 7216
 8 新潟県 6919
 9 北海道 6716
 10 青森県 6514

■肉鶏(ブロイラー)飼育数(単位は千羽)
 1 宮崎県 28188
 2 鹿児島県 26430
 3 岩手県 21794
 4 青森県 6844
 5 北海道 4849
 6 徳島県 4483
 7 佐賀県 3659
 8 熊本県 3541
 9 群馬県 2730
 10 兵庫県 2520

乳牛、肉牛、豚、採卵鶏、肉鶏、以上5項目全てにランクインする都道府県は北海道と群馬県である。

(地方)都道府県名・ランクイン数(獣医師人数)
(北海道)北海道5(3427人)
(東北)岩手県4(628人)、青森県3(546人)、宮城県2(653人)
(関東)群馬県5(647人)、栃木県3(710人)、茨城県3(1145人)、千葉県3(1878人)
(中部)愛知県3(1671人)、長野県1(761人)、新潟県1(514人)
(中国)兵庫県1(1372人)、広島県1(717人)、岡山県1(596人)
(四国)徳島県1(348人)
(九州)鹿児島県4(1074人)、熊本県3(655人)、宮崎県3(652人)、長崎県1(490人)、佐賀県1(255人)
(沖縄)沖縄県1(450人)

加計学園の獣医学部新設が計画されているのは四国の愛媛県である。
四国は畜産業(家畜飼養)が盛んな地域とは言えない。
では犬猫はどうだろうか。犬猫飼育数のトップ10は人口トップ10とほぼ同じであり、四国では愛媛が一番多くて全国26位。
もちろん学生は大学が所在する地域にのみ就職していくわけではない。
しかし大都市圏ならともかく地方に存在する大学ではやはり就職先も地方色が強くなる。
また実習を伴う学部は実習先・実習地を考慮しなければならない。
それを考えると四国の愛媛県に獣医学部を新設しなければならない理由は特段ない。
我が家の次男は、大学を選ぶ際の希望に、「家から通学できない場所にある大学」「群馬外の大学」というものがあった。(なんたる親不孝者・・)
さらに「離島は嫌」という希望もあった。
私はそもそも離島に大学なんかあるのかと思ったのだが、彼の離島には四国も九州も北海道も含まれていた。(橋や船や飛行機は不安ということなんだろうか)
日本に各地に散らばると言っても、これだけ一極集中が進んでいる社会においては上京と下京(?)では学生や親の許容度は違うであろうし、移動距離も影響する。
また東から西への進学は少なく、場所も近畿あたりが限度であり、それ以西への進学は本当に少ない。
最近の親は進学で家を出た子は地元外で就職や結婚をし地元にはまず帰ってこないと諦めていることが多い。
確かに帰ってこないから一極集中が益々進んでいくのだろうと思う。
大学進学率の上昇が一極集中を進めたという背景がありそうだ。
じゃあ地方に大学を作ればいいかと言えばもはやそんな単純なことではないだろう。



【世界の家畜数】
牛 14.7億
豚 9.9億
羊 12.0億
山羊 10.1億
水牛 1.9億
馬 0.6億
ロバ・ラバ・ラクダ 0.8億
鶏 214億

鶏以外の家畜合計数は約50億頭となる。
世界人口は約73億人。人口であるから赤ちゃんも老人も含まれる。
その人口の7割(10人いれば7人)は何かしらの家畜を1頭飼育している計算となる。
日本の鶏以外の家畜合計数は1320万頭。(牛豚以外は馬・山羊・羊で5万頭ほど)
人口は1億2700万。
人口の1割(10人いれば1人)が何かしらの家畜を1頭飼育している計算になる。
国際比較では、人口に比べると家畜頭数が少ない。


家畜数が多いのは中国。人口も多ければ家畜も多い。
約10億頭の家畜を飼育している。世界の家畜の5分の1(20%)は中国にいる。(そのうち半分近くが豚である)
中国の人口はおよそ13億人くらい。
人口の7.7割(10人いれば約8人)の人が家畜を飼育している計算。

アメリカでは1億7000万頭の家畜を飼育している。
アメリカは豚よりも牛のほうが少し多い。
アメリカの人口はおよそ3億人。
人口の5.7割(10人いれば約6人)の人が家畜を飼育している計算。
アメリカの獣医師の数は15万6000人(2014年)ほどで、日本の獣医師数の4倍であるが、家畜数は日本よりアメリカのほうが10倍以上多い。


残念ながら中国の獣医師数のデータはない。
データがある国で獣医師数が多い国順は、アメリカ、ブラジル、インド、スペイン、エジプト、メキシコ、ウクライナ、日本、フランス、アルゼンチン、ドイツ、イギリス・・の順となる。
ブラジルやメキシコ、アルゼンチンなどラテンアメリカ(南米)は牛や馬の飼育数が多い。


鶏は世界全体で214億羽ほど飼育されているが、うち中国が45億羽で、アメリカが20億羽。
中国とアメリカ合わせて約65億羽なので、世界に鶏の3分の1近く(3割)はこの両国が飼育している。
次いでラテンアメリカ(南米)、東南アジア、南アジア。

ちなみに獣医師1人当たりの家畜頭数が一番多い国はダントツ、オーストラリアである。
オーストラリアの人口が約1800万人なのに対し、羊は1億5000万頭もいる。
日本の獣医師1人当たりの家畜頭数は世界的に見るとかなり少ない。
このことからも獣医師を増やす必要性は全く感じられない。
この現状で足りないと言うならば、それは量(数)ではなくて質(技能)ではないのかという疑問が頭をもたげる。

加計学園の獣医学部はひょっとしてアジアからの留学生狙いでしょうか?




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by yumimi61 | 2017-08-25 10:37
2017年 08月 24日
日本国憲法の秘密-541- (加計学園問題について)
獣医師数(獣医師免許を保有している人の数) 39,098人
このうち獣医事に従事しているのは、34,548人でおよそ88.4%である。

獣医と聞くと町の動物病院の先生を思い浮かべる人が多いと思うが、獣医事といっても幅広い。

農林水産省PDF 獣医師の届出状況(2014年12月31日現在)

国家公務員(計518人)
 農林畜産関係 297人
 公衆衛生関係 159人
 環境、その他  62人

地方公務員・都道府県職(計7121人)
 農林畜産関係 3078人
 公衆衛生関係 3828人
 教育公務員   46人
 環境、その他  169人

地方公務員・市町村職(計1887人)
 農林畜産関係  128人
 公衆衛生関係 1531人
 教育公務員    4人
 環境、その他  224人

民間団体職員(計7623人)
 農協など    2205人
 製薬・飼料企業 2407人
 独立行政法人(国立大学等)1011人
 私立学校     686人
 競馬関係団体   224人
 社団法人・財団法人798人
 その他      292人

個人診療施設(計17241人)
 産業動物  1896人
 犬猫   15205人
 その他   140人


多くの人がイメージする獣医さんは犬猫動物病院の獣医師であると思われるが、総数に対する割合は38.9%である。
獣医師の6割はそうでない仕事に従事している。
都会の犬猫動物病院では少ないと思われるが、地域によっては犬猫動物病院の獣医師でも産業動物を扱っていることもある。
うちの犬猫がお世話になっている動物病院の獣医師は家族経営のような動物病院から獣医師も雇う比較的大きな動物病院に拡大したのだが、畜産農家での仕事もあるらしいし、小学校などにも出向いている。そのように兼務している人もいるだろう。
個人診療施設に従事する人は被雇用者よりも開設者(院長・経営者)のほうが多いという特徴がある。
それはつまり、単独の獣医師で病院を運営しているか、獣医師を雇っても少人数であるということである。
その一方で病院であるからして休日や夜間の対応を余儀なくされることもある。
客商売なので17時終わりや土日ともに休診するということは行いづらい。
自身に家族があれば、「あなた!よそのうちの動物と家族といったいどっちが大事なの?」なんてことにもなりかねない。
可愛くて癒しのペットブームを相手にする動物病院は零細企業で結構ハードな仕事だと思う。
がしかし、ペットブームがなければ個人の犬猫動物病院の経営はなかなか難しいであろう。
極端なことを言えば、ペットが病気になっても放置して、いつどこで死んだって、誰にも咎められないのだ。
動物虐待が問題視され逮捕されるようなこともあるけれど、合法的に保健所が殺処分してくれたりもする。
予防を怠らず、無保険で診療費が何万何十万もかかっても病院に連れてきてくれるお客様がいなければ、犬猫動物病院は成り立たない。
社会構造や経済状態に大きな変化がない社会において(飽和状態・成熟期~衰退期)、そのお客様が大きく増えるとは思えない。例えペット数が増加したとしても。



2014年12月31日現在の医師数(医師免許を保有している人の数)は311,205 人である。

医師は病院(入院ベッド数20床以上)に従事する医師が一番多く、次いで診療所(入院施設なしか入院ベッド数19床以下)の医師である。
医師の場合も診療所は院長・経営者であることが多いであろう。

加計学園の獣医学部新設が52年ぶりだということだが、医学部も40年近く新設がなかった。
それがやはり安倍政権において2016年度2017年度と相次いで認可された。
震災復興支援策の一環として認可された東北薬科大(仙台市)と、国際医療福祉大(栃木県)が国家戦略特区を活用して千葉県成田市に設置する医学部である。

40年近くも医学部の新設はなかったが医師数は今日までずっと増加傾向にある。
1982年と2014年を比較すると15万人近く医師数は増えている。
毎年亡くなる医師資格者よりも毎年医師免許を新たに取得する人の数が多くなれば結果的に医師数は増えていく。つまり社会の高齢化は結果的に医師数も増加させるのだ。

日本の人口は1980年以降微増。引きで見ればほぼ横ばい状態が続いている。
出生数が減った一方で寿命は延びた。各論では大きな変化が認められるが全体としては横ばいなのである。
医師数が15万人も増加して人口が変わらないのだから、人口あたりの医師数も増加している。
しかしながら寿命はそろそろ頭打ちであると見られていて、予想ではこの後大幅な伸びはないと考えられている。
出生数が上がらなければ、いよいよ人口は減少に転じていく。
今はちょうどその過渡期にある。
人口が減れば同じペースで医師数が減っていくことは当たり前のことではないだろうか。
人口減少が予想されている中で早急に医師数を増加させる必要が果たしてあるだろうか?
子供を預けることが当たり前のようになり保育園数やその在り方が問題となっている社会で、犬猫動物病院の需要がこれ以上伸びるわけがない。

出生数が減った一方で寿命が延びた。要するに高齢化社会の到来。
高齢化の理由として科学技術・医療の発展が挙げられることが一般的だが、こんな見方も出来る。
出生数が減れば子供相手の商売は斜陽となる。
斜陽の背景には出生数だけでなく感染症の減少なども存在する。
需要(対象)が減少すれば供給側の力(人数)は余る。
その余力が成人や老人に向き、結果、寿命が延びた。
同じエネルギーであっても、分配先が変われば、当然結果は異なるであろう。
もしも科学技術・医療の発展だけで寿命が延びて来たならば、この先も伸びるという予想してもおかしくないはずなのだ。
しかし予想は頭打ちである。
それはつまり寿命が延びた(高齢化した)のは余力の分配の影響が大きかったと考えているということではないか。
そうでないとするならば、科学技術・医療の発展に限界を感じているということになる。



●獣医師数39,098人、医師数311,205人、医師数は獣医師数より8倍ほど多い。

●日本の人口は、約1億2700万人。世帯数は5340万戸。(2015年国勢調査結果より)

●飼育家畜数(農林水産省の畜産統計より、2016年2月1日現在)
乳用牛 135万(過去5年減少傾向にあり)
肉用牛 248万(過去5年減少傾向にあり)
豚   931万(過去5年減少傾向にあり)
採卵鶏 1億7300万(過去5年横ばい)
肉鶏(ブロイラー) 1億3400万(過去5年横ばい)

●飼育戸数
乳用牛 1万7000戸(過去5年減少傾向にあり)
肉用牛 5万1900戸(過去5年減少傾向にあり)
豚     4830戸(過去5年減少傾向にあり)
採卵鶏   2440戸(過去5年減少傾向にあり)
肉鶏(ブロイラー) 2360戸(過去5年減少傾向にあり)

●犬猫推計飼育頭数(一般社団法人ペットフード協会の2015年調査より)
犬 988万(減少傾向にあり)
猫 985万(横ばい)


家畜の飼育数は鶏を除いた牛と豚では1314万。
鶏は桁違いに飼育数が多く、鶏全体で3億700万羽にもなる。
飼育戸数(畜産農家数)は牛豚農家は7万3730戸。
鶏の飼育農家は4800戸。
鶏は飼育数に比べて飼育戸数が非常に少ない。哺乳類ではないし大きさも違うので一概には言えない面もあるが、飼育環境があまり良くないであろうことは推測できる(飼育される側にとっても飼育する側にとっても)

医師も獣医師も勤務場所や専門(得意分野)が様々であるが、単純に総数で見ると、医師は人口1000人におよそ2人いる計算となり、牛豚に対する獣医師は1000頭に3人いる計算となる。
家畜の牛豚にペットの犬猫数も足すと3287万頭で、1000頭に1人の獣医師がいる計算となる。
世帯数で見ると、1000世帯に6人の医師がいる計算となる。
牛豚鶏全ての飼育戸数は7万8530戸で、獣医師の総数は3万9000人なので、2軒の飼育農家に1人の獣医師がいる計算となる。


畜産も全体的に減退傾向にあり、伸び代のある産業とは言えない。
統計から見れば犬猫・家畜共に獣医師を増加させる必要はないという結論に至る。





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by yumimi61 | 2017-08-24 12:36
2017年 08月 22日
日本国憲法の秘密-540- (加計学園問題について)
2015年8月20日、日本国憲法の秘密-36- で、 よみうりだった・・・(感無量)と私は書いたのだが、正直何がよみうりだったのか全く記憶にない。
感無量って書いたくらいなのに・・・。
誰かご存知の方おりますか?

その記事は労働組合のことを書いています。
吉田茂は労働組合を非難していた。吉田は体制側トップにいたわけだからそれ自体は不思議なことではないが。
日本共産党書記長の徳田球一は、「デモだけでは内閣はつぶれない。労働者はストライキをもって、農民や市民は大衆闘争をもって、断固、吉田亡国内閣を打倒しなければならない。」と、労働闘争による吉田内閣打倒を公言し、日本の共産化を図った。

またまた正直なことを申し上げれば、♪ちゃんちゃんちゃんちゃん絶対反対♪というような紋切型のデモにはこの国の未来を案じずにはいられない。あれで何かが変わるとは到底思えない。
全官公庁共闘はストライキを試みたが、「圧力」によって実施されることはなかった。

1947年1月31日 ゼネラル・ストライキ中止の井伊放送
-------------------------------------------------------------------------------------------------
声がかれていてよく聞こえないかもしれないが、緊急しかも重要ですからよく聞いて下さい。私はいま、マッカーサー連合国軍最高司令官の命により、ラジオをもって親愛なる全国の官吏、公吏、教員の皆様に、明日のゼネスト中止をお伝えいたしますが、実に、実に断腸の想いで組合員諸君に語ることをご諒解願います。敗戦後の日本は連合国から多くの物的援助を受けていますことは、日本の労働者として感謝しています。命令では遺憾ながらやむを得ませぬ。…一歩後退、二歩前進
---------------------------------------------------------------------------------------------------

簡単に圧力に屈する共闘とはいったい・・と思わなくもないが、官公庁の共闘だけに仕方なかったのであろうか。



裏の顔を持ち、策略と圧力によって政財官を掌握し、支配してきた。
民主主義なんてどこ吹く風。酒に酔ったのか麻薬に囚われたのか女に溺れたのか知らないけれど、可愛い我が子を取られ敗戦しても君主制や世襲制を良しとし、新左翼が暴れたこともあって労働者運動は風前の灯火。
その体質は少しも変わっていない。
戦争が歴史の1ページになってしまった分だけむしろ酷くなっている。
圧力や意向なんてあって当たり前の社会。
加えて、加計学園の創設者は広島出身であり、安倍首相と現加計学園理事長が友人というだけでなく、最初から有力政治家や財界人の恩恵を受けてきた。
長い間そういう土壌にあったのだ。
それがたまたま獣医学部新設の一件でクローズアップされた。


話は変わるが、私は高校生の時に獣医学部卒の教師に生物を教わった。副担任だったこともある。
私はその先生のことをブログに書いたことがある。

2007年6月13日 『精気』
高校生の時、生物クラブを選んだことがあった。
担当の生物の先生に憧れていたという、よこしまな理由からだ。
生物に関することならテーマは自由。グループごとに研究・実験するというクラブだった。
私達は、教科書に載っているこのきれいな卵分割は本当に全ての卵におこることなんだろうか、という安易な疑問により『カエルの卵分割』をテーマに選んだ。
そしてその安易な疑問が、卵分割に人の手を加えたらどんなことが起きるんだろう、という生命操作に及ぶ領域にまで広がっていった。
もちろん当時「生命操作」なんていう単語さえ思いつかなかった私達だけれど。

私達はカエルの卵を求めて、学校から30分以上かかる沼に足を運んだ。 足を運んだといっても、30分は車での所要時間であって、生徒を時間外に、その沼まで連れて行ってくれたのはその生物の先生だった。
本当は分かっていたんじゃないだろうか。
高校生の発想と手技、学校の生物室の限られた器具、、その実験が成功しないであろうことは。百も承知だったはずだ。
でも私には、その沼で連なるカエルの卵を前に一番張り切っていたのは先生のように見えた。


憧れていた・・・えええっー?
私が通っていた高校は女子高だったので若い先生というだけでというのはとかくモテた。
高校1年だったか2年の時だったか忘れたけれど、新卒の男性教諭が3人も赴任してきて、女子生徒たちは3人のうちの誰派かということで凄く盛り上がったのである。(新卒のせいか皆丁寧で優しかったし、まだ見ぬ未来やいつかの過去が近くて親しみがあった)
1人は生物の教師、1人は国語の教師(だったように思う)、1人は教科は忘れた。
私は幼い頃から理科が好きだったこともあり生物の先生推し。
仲良くしていた友人は国語教師推しだった。
もう1人の先生に私は直接教わったことがなかったので教科は覚えていないが、妹の担任だった。・・その節は大変お世話になりました(*- -)(*_ _)ペコリ

私は生物の授業を選択し、生物クラブにも入った。
生物はもともと得意だったけれど、「先生ここが分かりません!」とか言って夏休み中にも友達誘って職員室まで押しかけたっけ。おかげでテストはいつも満点近かったはず。
先生は授業中に脱線して獣医学部にいた頃の話をしてくれた。
私達は先生の脱線話が大好きだった。


高校を卒業して何年かした時、先生から結婚しましたハガキが届いた。
それ以来高校卒業以来先生には会っていない。
数年前に県の教育委員会の指導主事をしていると風の噂で聞いた。
現在は前橋女子高勤務でしょうか?


前橋女子高がスーパーサイエンス校に指定(朝日新聞デジタル 2013年3月15日)

 文部科学省が全国43高校を指定する2013年度の「スーパーサイエンスハイスクール」(SSH)に、県立前橋女子高校が選ばれた。指定は2017年度までの5年間で、県内では指定中の県立桐生高校を含めて4校目。将来の科学技術を担う人材を育てるため、理数系を重視した教育を進める。文部科学省が全国の高校に募集し、今回は58校が応募した。

 前橋女子高では13年度、1年生全員が「科学的探究」の授業を週1回受け、課題を主体的に設定。2年生になる14年度にはグループごとに科学的な探究法を学ばせ、研究成果を発表するとしている。また、希望者向けの課外授業として、著名人の講演を年間10~15回計画し、大学の研究者らと高度な研究を進めるラボなどの時間も設ける。担当の武倫夫教諭は「自ら課題を解決する姿勢をもった人材を育てたい」と話す。

武倫夫教諭がその時の先生である。



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by yumimi61 | 2017-08-22 14:15
2017年 08月 22日
残照
e0126350_00380614.jpg

儚く散る花があまりに美しくて憂いもせずぼんやりと眺めていた。
やがて来る日を知らないわけでもなかったのに。
哀しみがあなたを連れてくるなら
私はどんな顔をして久しぶりって言えばいいのだろう。
涙を堪えてさよならをしたのは桜が咲く頃でしたね。
笑顔を隠して神妙な面持ちで、夏は嫌いでしょうか。





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by yumimi61 | 2017-08-22 00:57
2017年 08月 21日
日本国憲法の秘密-539- (加計学園問題について)
Q 文中の赤字部分「これを」が何を指しているか答えよ。
A 第一項の「これを」(              )
  二項の「これを」(              )
=====================================
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
=====================================

日本国憲法第2章戦争の放棄の文章は本当に分かりにくいと思う。
でも第一項は、日本国民が国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する、と言っていると思われる。
主語は日本国民、述語は放棄する。
何でもかんでも永久に放棄するわけではなく条件付けされている。
国権の発動たる戦争や武力行使を、国際紛争を解決する手段として使用するのは、永久に放棄するのである。(言い換えると国権発動以外の戦争や国内紛争解決のためなら良いということになってしまうのですよ)

「国権の発動たる戦争」は放棄すると述べているだけで、「戦争」を放棄するとは言っていない。
戦争は出来る。ただ日本という国が独断で勝手に戦争を引き起こすことは出来ないのだ。
他国や国際機関が法的権限を発動して始める戦争に参加依頼されるようなことがあれば参加は可能。
まさに集団的自衛権による戦争はOKなのである。
また独断ではなく相談の上で国際的にゴーサインが出れば日本独自でも戦争が出来るかもしれない。
簡単に言うと、「日本は外国相手に独断で勝手に戦争をしない(するな)」ということになる。


非常に分かりにくいのは2項。
日本国民が国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行使を永久に放棄するという目的を達成するために必要なことが2項に書かれているはずなのだ。
2項の主語は何か?
1項と同じく日本国民なのか?
助詞(てにをは)に「は」を使用しているので、「陸海空軍その他の戦力は」と「国の交戦権は」が主語になっていると取れなくもない。
例えばこうなら分かりやすい。
二項  前項の目的を達するため、日本国民は陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権も認めない。

どうしても「これを」を使いたいならば、

二項 前項の目的を達するため、日本国民は陸海空軍その他の戦力、これを保持しない。国の交戦権、これも認めない。

でもそういう誰にでも分かりやすい文章にしなかった。試みたが採用されなかった。
その事実を勘ぐれば、「これを」はタイトルの「戦争放棄」を指しているとも取れなくはない。
憲法9条に隠れている意味を明文化してみたのが次の文。

過去記事より

キーポイントは「これ」という指示語。
「これ」が何を指すか?
ずばり、第二章タイトルになっている「戦争の放棄」である。
前項では出来ない戦争と出来る戦争があることが述べられていた。
要するに全部を戦争放棄しているわけではない。全部を戦争放棄されたら困る。
だから陸海空軍その他の戦力は「戦争の放棄」を保持しないと言っているのだ。
また日本という国としても戦争自体を放棄したわけではないということを高らかに宣言している。
国際的に戦争の参加依頼や了承があれば、日本は戦争をする。
それを拒否すること(戦争放棄)は国家権力が認めない。


「安全保障関連法案の合憲性」というだけでは論点がぼやけてしまうが、集団的自衛権が合憲かどうかということならば合憲である。
憲法は文章化していない国さえある。理想的な姿を描くものではあるが、そのぶん総論的で抽象的で曖昧さを残している。
従って法的拘束力は実はそれほど高いものではなく、それは他の法律に譲る場合が多い。
実際に活動するうえで問題になってくるのは理念や概念である憲法よりも、狭く細かい固有の法律のほうだろうと思う。

もしも一切合切戦争を放棄するのであれば「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」ではなく「陸海空軍その他の戦力を保持しない。」と書けばよいのだし、自衛の部隊しか認めないというならばはっきりとそう書けばよいものをそう書かなかった。
憲法が軍隊や戦力を否定しているわけではないからである。
勝手な戦争(侵略戦争とでも言うのかな?)を強く禁止しているだけなのだ。
ということで自衛隊も全く問題なく合憲なのだ。
しかし自衛隊法という固有の法律で何か制限しているものがあるとするならば、そちらに縛られる。
だからそれを変えるのだし、それで不十分ならば固有の新法を制定すればいい。
そうやってきたからこそ今日まで一度も憲法を変えずに済んだのだ。


過去記事より

常に被害者であれ

芦田試案はマッカーサー原則に一番沿う文章だったが、結局そうではない文章に変更された。
芦田試案は日本が戦力や交戦権を持たないことを目的とした。
つまりそれが一番重要であると考えたのだ。マッカーサーもそうであった。
マッカーサーや芦田が次に考えたことは、戦力や交戦権を持たないと決めた国がそれを破る時はどんな時だろうかということである。
一番の脅威は「世界の正義」だと思った。
正義を振り翳した耳触りの良い理由で戦争や武力行使が行われる時には、なし崩しに約束は破棄されるだろうと踏んだ。
だからマッカーサーは「日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」と主張したんだろうし、芦田は「前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する」と述べたのだ。
日本国民に罪は無くとも、日本が戦力を維持している以上、どうにもならないことがある。

急に飛び出してきた歩行者を撥ねた場合でも、「飛び出してきた方が悪い」という自動車側の言い分は通らなくなる。
過失割合10対0で歩行者が完全に悪いと判断されることはまずない。
でも逆に0対10で自動車が悪いという状況は結構ある。
自動車を運転するということは、人間が身体能力以上の物を持つということであり、戦力(武器)を保有することにどこか似ている。

ただこの状態が完全には当てはまらない物がある。それは電車の類である。
鉄道には人が入らないということを前提にしているせいか、コンピューターシステムで運行されているせいか、大きく長くて自由が利かないせいか、撥ねたり轢いたりしても自動車の運転手ほど過失が問題にならない。

ともかくマッカーサー原則は歩行者になることを勧めていた。
それは言い換えると被害者になれということでもある。


GHQのマッカーサーは何故日本に被害者になることを推奨したのか?それには理由がある。
マッカーサー総司令官が提示したという3原則を考えれば分かる。
三原則を簡潔にまとめると「世襲天皇制」「国権発動の戦争放棄」「絶対君主制」である。
敗戦国が「世襲天皇制」「絶対君主制」を維持していくには、被害者になるしか方法はない。
自動車側の加害者が過失0で罰や賠償から逃れられるなんてことはまずありえない。
だから敗戦と同時に日本は被害者となったのだし、敗戦国が世襲天皇制や絶対君主制という現状を維持し戦力も維持するとなれば当然問題視されるだろうから、例えれば過失が小さい歩行者ほどの戦力であることを宣言した。
また他国にすれば、日本は敗戦後も体制を変えないのだから、暴走の懸念は払拭できない。リベンジとか復讐とか再チャレンジとか倍返しとか結構身近にあるものだから、体制を変えない戦力はリスクと言えばリスクである。



戦争の不思議

「朝食はパン派」と「朝食はご飯派」がディベートではなく騎馬戦で決着を付けることにした。
話し合いではなくて、騎馬戦という戦争で勝敗を付けるのだ。
パン派の後ろには小麦農家が、ご飯派の後ろにはコメ農家が見え隠れする。
何人制といったルールは特にないので、クラスの仲間だけでなく、あっちからもこっちからもパン派ご飯派ともに援護者を連れてきた。
そしてついにパン派の勝利。
騎馬戦に勝っただけだというのに、勝者のパン派は俄然偉くなって、パン派の言うことが何もかも正しいような感じになる、これが戦争というものである。
パン派の人達は「おまえたちも明日からパンを食べろよな」なんて言い放ったりする。パンとご飯は本当に戦う必要があったのだろうか?
「あなたたちは明日からもご飯でいいわよ」とパン派の人達、これが負けても体制が変わらないということなんだろうか。それで本当にいいのだろうか?そうなら私達はいったい何のために戦ったのだろう?
何だかよく分からなくなる。例えが悪いのかな。

「明日からおまえたちもご飯を食べよ」と強制された。
私達は好きなものが食べたいから戦った。そして勝ったのだ。
ご飯を食べよなんて他人に強制する人間は排除されるべき、これならしっくりくるのかな。





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by yumimi61 | 2017-08-21 00:40
2017年 08月 20日
日本国憲法の秘密-538- (加計学園問題について)
1925年に起こった史上最大の抗争・鶴見騒擾事件は、1923年の関東大震災後の電力戦争と発電所などの建設ラッシュが背景にある。
臨海部の埋め立てや第一次世界大戦の好況により東京都心から次第に大田区、横浜や川崎への進出が始まったが、本格的な移転は関東大震災がきっかけだった。
原料などの輸出入に便利な日本有数の港湾(東京港・川崎港・横浜港)を有しており、さらに巨大市場が近くに存在していることで、京浜は鉄鋼・機械・化学などの重化学工業を中心に日本一の工業地帯へ発展していくことになる。
工業地帯となれば電力需要が増大する。
逆を言えば工業地帯を発展させるためには安定した電力供給が鍵となる。
鶴見の火力発電所建設は京浜工業地帯発展のために欠かせないものであった。
こうしたことを背景に電力戦争が勃発していた。
電力会社が許認可事業であったこともあり、電力業界や建設を請け負う土建業界の対立は否応なく政官界をも巻き込んでいくこととなった。
(但し戦前の大日本帝国憲法では官吏なども天皇が任命しており、現在の 国家公務員法に当たるような法律はなく、政官界の全てに天皇が関与している)

こうして関東大震災後に京浜工業地帯は誕生した。
そして、1928年張作霖爆殺事件(列車爆破事件)、1932年柳条湖事件(鉄道爆破事件)が起こる。
これが満洲事変のきっかけとなったが、事件はどちらも日本が仕掛けたものであった。
満州事変は1933年に停戦するも、満洲事変から日中戦争を経て太平洋戦争(大東亜戦争)終結までを「15年戦争」と見る向きもある。
この満州事変が起こった後、軍需産業が活発化し、京浜工業地帯もさらに成長することになる。
特に造船・自動車産業企業である横浜の日産自動車や三菱重工業造船所が政府に支援された。
外債の金利上昇をきっかけに、ライバルだった国内大手電力会社5社が手を組んだのもやはりこの時期で1932年だった。

軍需品を作るには工場やエネルギーが必要だが、工場や発電所を造るには建設工事が必要である。
土木建築業のボスだった中野喜三郎にすら一目置かれ、実力もあった菅原恒覧・菅原通済親子が政財界に影響を持つのは必然的な結果であろう。
中野も菅原もフィクサーと呼ばれた。
何か物事を成し遂げようと思ったら、上層だけではダメである。
末端をよく知っている、末端に影響力を発揮し動かせる人物が、フィクサーとなり得るわけである。

関東大震災、京浜工業地帯の誕生、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争(第二次世界大戦)と歴史は流れていった。


戦後、その菅原通済が支援したのが、吉田茂に不満を抱いていた政治家・芦田均であった。
昭和電工事件は菅原通済の妹の夫が社長就任時で芦田均内閣の時に発覚した。
芦田均内閣はこの事件により総辞職を余儀なくされた。この直後に吉田茂内閣が誕生し、吉田茂は政官財を掌握していくことになる。
おそらく吉田茂も末端(裏)に顔が利く人物だったのだろう。
一方で上(表)の要素が足りないことを自覚していたかアドバイスがあり、表要素獲得のための人材を送り込み手中に収めていった。
それが吉田茂の官僚政治である。


(その後の菅原通済は)三悪追放協会を組織し、会長となって売春・麻薬・性病の三悪追放キャンペーンを主唱。売春対策審議会では会長を務め、売春防止法制定に力を尽くした。
麻薬追放はかなり本気であり、麻薬追放国土浄化連盟という組織を作り、山口組の田岡一雄や山岡荘八らとも連携。1972年には『麻薬売春Gメン』、『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』に協力し、1973年には菅原の原案で、麻薬問題をモチーフにした日本・韓国・香港・タイ王国共同映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』が封切り公開された。
いわばこれが菅原通済にとっての反吉田茂ということだったのだろう。



第一次吉田内閣は1946年5月22日- 1947年5月24日(368日)。
この第一次吉田内閣で日本国憲法は可決・交付・施行された。
敗戦し占領され連合国の統治下にあり、正式に戦争状態が終結しておらず(条約未締結状態)、日本国という国がどういった処遇を受けるか分からない状況下にあったはずなのに、まるで独立国家のように憲法を制定したのは甚だ不可解である。
多くの人が気付いていないようで今日まで成功してきたが、実はそれが日本国憲法の最大の過ちなのだ。
戦後処理に焦り過ぎた、言い換えれば戦後処理が悠長すぎた。(憲法改正は終戦2か月後から始まっている)
それは敵味方が一部繋がっていることを暗示している。
占領地日本に幾らGHQが付いていたとはいえ、GHQは政治家でも全権大使でもない。軍の組織である。
先進的な民主主義国家が、あるいは独裁国家が、軍に戦後処理の何もかもを一任するなんてことは在り得ない。

上げたものは下げる必要がある。その基本に則り、憲法施行という大役を果たした吉田茂が一旦その座を降りた。
その後に、反吉田勢力である片山哲と芦田均が続いた。
このチャンスを何とか、、、ここが戦後の分岐点だったのだ。
それが昭和電工事件で打ち砕かれ、吉田茂再登板と一党支配に続いて行く。(ちなみに戦後に再登板した首相は吉田茂と安倍晋三だけである)


芦田均の京都府出身で生家は豪農。父親も衆議院議員を務めた。
東京帝国大学法学部卒。外務省官僚(外交官)から政界入りした。
彼も官僚出身であったわけだが、官僚政治を代名詞とする吉田茂とは馬が合わなかった。
しかしながら帝大法学部卒で外務官僚という実績に加え実力もあったのであろう。
憲法改正特別委員会委員長に就任したのは芦田均であった。
法律改正となれば誰でもよいというわけにはいかない。法律を理解していてGHQとやり取りが出来なければやはり話にならない。



私は現在も続けている「日本国憲法の秘密」というタイトルの記事の最初の方で大日本帝国憲法(明治憲法)から日本国憲法への憲法改正について、特に憲法9条について触れた。
2015年、すでに2年前となる夏のことである。
芦田均(芦田案)も登場した。

2015年7月29日 日本国憲法の秘密-16-
1946年2月13日、マッカーサーの部下が三原則をベースに作成した草案(GHQ原案)を日本政府に提示。これ以降「マッカーサー草案」に基づく「日本政府改正草案」が作成され、1946年3月6日「日本政府改正草案」をマッカーサーが了承した。
しかしここから紆余曲折何度も改正が加えられることになった。

比較

【枢密院で可決した案】
1項 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
2項  陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

【芦田試案当初】
1項 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
2項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。

【芦田案最終】
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

芦田試案では、2項の頭に「前項の目的を達するため」という文言が付け加えらた。
目的というのは重要である。
しかしその目的が委員会の始めと終わりでは変わってしまっているのだ。
そして結局枢密院で可決した案に極めて近いものになった。

【委員会最初】
「陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認する」という目的を達成するため
  ↓
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する」。

【委員会終盤】
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という目的を達成するために
  ↓
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

最初の芦田試案は、「とにかくもう日本の軍隊や戦力は持たないようにしよう!」というのが目的だった。
軍隊や戦力が必要な時はどういう時かと言えば、戦争や武力行使の時だから、「日本の軍隊を保持編成しなくて済むように戦争や武力行使は永久にしないでおこう!」という条文なのである。
日本の軍隊に随分懲りてしまった観がある。
「戦争をしない」などといった目的のほうが違和感なく一般的だろうと思う。
やや違和感の残る目的を選び、わざわざ1項と2項を置き換えたことを思えば、熟考の上の変更だったに違いない。
日本の軍隊を脅威に思った外国人がいたか、日本の軍隊の恐ろしさを知っていた日本人がいたか、どちらかではなかろうか。

法律は芸術ではない

軍隊について書かれている部分を抽出してみると、大きな違いに気付く。
先頭に◎を付けた文章は、軍隊や戦力、交戦権を直接否定しており明確簡潔で非常に分かりやすい。
ところがこの文中に「これを」が挿入された。
そうすると「これを」が何を指しているのかが明確でなくなる。
読む人によって見解が変わるということが生じる。
よくアーティストたちが言うじゃないですか。「どんなふうに解釈していただいても結構です。人それぞれですから」みたいなこと。
でもそれを書いたり作ったのは個人であり、著作権を主張する人達である。
そうであるならばそこには明確な意図や答えがあるべき。
「どんなふうな解釈でもよい」というのは誤解を与える、「答えはあるけれど言いません」と言うべき。
法律であるならば尚更。どんなふうにも解釈できるのでは困る。
法律は芸術ではない。
なるべく誤解を与えない明確で簡潔な文章を用いる必要がある。
幾つもの解釈が出来る文章は避けなければならない。
にもかかわらず、明確だったものを曖昧にした。それが憲法9条である。

◎陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦力が承認されることはなく、国家に交戦権が与えられることもない。(GHQ原案)
・陸海空軍その他の戦力の保持及び交戦権はこれを認めず。(日本政府改正案3月2日)
・陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず。国の交戦権はこれを認めず。(日本政府改正案3月5日)
・陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許さず、国の交戦権はこれを認めないこと。(日本政府改正案3月6日)
◎陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。(憲法改正草案、枢密院に諮問4月17日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。(憲法改正草案、枢密院に諮問5月25日)
◎陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。(芦田試案7月29日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。(芦田試案改正案7月30日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(芦田試案修正案8月20日)
・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(日本国憲法)




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by yumimi61 | 2017-08-20 13:03
2017年 08月 18日
日本国憲法の秘密-537- (加計学園問題について)
森&安西&鈴木コンビが設立した昭和電工と東信電気。
森家は首相家(三木武夫)と姻戚関係にある。
安西家は皇后の実家や首相家(佐藤栄作)と姻戚関係を結んだ。

三木武夫は吉田茂の官僚政治を批判するも、吉田茂に非常に近く元官僚でもある岸信介や佐藤栄作のが政権誕生に力を貸していた。
三木は、吉田学校の生徒の1人に数えられる田中角栄が逮捕された時の首相である。
「私的参拝」と言って靖国参拝し物議を醸した。
そしてー
超法規措置としてテロ犯を釈放した首相でもある。

過去記事より
日本政府は1977年10月1日に福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて、要求された身代金600万ドル(当時のレートで16億円)の支払い並びに日本で服役および勾留中の9名の引き渡しを決断。
「生命は地球より重い」と「超法規的措置」という言葉が有名になった。
指名された9名のうち拒否した者が3名おり、実際に釈放したのは6名。
3名は未だに行方分からず。そのうちの1人が大道寺あや子である。
(略)釈放要求されたメンバー


大道寺あや子の他にもう一人東アジア反日武装戦線のメンバーがいる。
浴田由紀子(えきだゆきこ)
「大地の牙」班のリーダーだった齋藤和の内縁の妻。山口県出身。
現在の長門市に生まれる。生家は地主だったが、農地改革で没落していた。
1969年、県立大津高校卒業後、北里大学衛生学部に一般入試で入学。北里大学への進学にあたって、推薦入試で不合格となった際に親族の計らいで地元選出国会議員の安倍晋太郎の東京の家で書生・行儀見習いをしながら北里の夜学に通うすべも用意されていたというエピソードがある。
1971年、学生運動とは無縁だったが、高校の同級生の逮捕をきっかけにその救援活動に入り、伊達政保らと知り合う。同年初夏に渋谷駅前でハンスト中の平岡正明らのテック闘争に遭遇し、斎藤和と出会う。程なくしてその年の秋、斎藤らと出かけた韓国への「学習旅行」が大きな契機となり、反日思想を醸成させていく。
1973年、大学卒業、新宿の三越診療所で臨床検査技師として勤務。

上記は1977年9月28日に日本赤軍が起したダッカ日航機ハイジャック事件で要求された釈放メンバーである。
「生命は地球よりも重い」のインパクトでこちらのほうが有名だが、日本政府はその前にも釈放しているのだ。
1975年8月4日(8月4日に生まれて!?)に日本赤軍が起したクアラルンプール事件である。この時は三木武夫首相だった。



「超法規措置」で釈放するという判断(恩赦とは違うものでしょうか?)を初めて下したのは三木武夫首相である。
三木の後の首相が福田赳夫で、この時にも事件が起きて同じ判断をすることになる。
靖国参拝問題の中曽根(軍人出身)も超法規措置の福田(官僚出身)も群馬県出身で、そこに三木が絡んでいることになる。
その三木は官僚や軍人出身者による政治に反対で、官僚政治を推進した吉田茂とも対立したというが、実は吉田茂一派の政権誕生を支援していた。

昭和電工事件、ロッキード事件、リクルート事件。
何か因縁めいたものを感じずにはいられない。

福田赳夫は1948年昭和電工事件で10万円の収賄容疑で逮捕されている。当時大蔵省主計局長であった。
但しこの事件も実刑判決が下ったのは昭和電工社長だった日野原節三のみで、他の被告はほとんど無罪となっている。
三木武夫が昭和電工の創業者の1人である森矗昶の娘と結婚したのは戦時中の1940年のことだった。


昭和電工の社長(在任期間)
初代 森矗昶 1939 - 1940 勝浦高等小学校
第2代 鈴木忠治 1940 - 1945 横浜商業学校
第3代 森曉 1945 - 1947 京都帝国大学文学部
第4代 日野原節三 1947 - 1953 東京帝国大学法学部
第5代 佐竹次郎 1953 - 1959 東京帝国大学法学部
第6代 安西正夫 1959 - 1971 東京帝国大学法学部・経済学部

森矗昶(勝浦高等小学校卒)と森暁(京都帝国大学卒)は親子である。
森矗昶の仲人でビジネスパートナー安西直一の息子が安西正夫(東京帝国大学卒)であり、こちらも一族である。
貧しい漁師一家に生まれカジメ拾いをしていたくらいだったのに、起業して成功した途端に子供は帝国大学卒となる。
こういう事例は多数あり、教育(学歴)というのはお金が物を言う(重要)ということがよく分かる。
2代目の鈴木忠治は味の素創業者であり森&安西の事業のスポンサーでもあった鈴木三郎助の弟。
昭和電工1・2・3代目社長は創業一族が就任しているが、4代目は創業一族ではない。
3代目の森暁が戦後公職追放され、昭和電工社長の座も降りざるを得なかった。 
戦時中の中心的な政治家や戦争に関わった企業のトップは刑を免れても公職追放されたケースが多い。財閥解体(分離)などもあって一族で継承していくようなことが難しかった時期である。
バトンタッチされた社長が日野原節三で、この時に昭和電工事件は発生した。

日野原節三を昭和電工の社長に推したのは菅原通済であった。
菅原通済の妹(但し異母)が日野原節三の妻であった。

菅原通済の父親は菅原恒覧。

菅原恒覧
岩手県出身の鉄道技師。後、菅原工務所社長。
東京帝国大学工科大学土木科卒後、鉄道局に入る。
日本鉄道会社(現:JR東日本)の大宮-宇都宮間や甲武鉄道の建設業務に従事。
1891年建築課長に昇進すると、新宿から千駄ヶ谷、信濃町を経て飯田町にいたる市街線の調査及び測量に着手し1895年に開通させるなど、数多くの鉄道建設に携わった。
1901年東京に菅原工務所を開業して自ら土建業界入り。
1907年には鉄道工業会社を設立。
1907年(明治40)6月、菅原工務所の菅原恒覧と元鹿島組の星野鏡三郎などが出資して設立。当初の社名は「鉄道工業会社」、初代社長は菅原恒覧。
社名のとおり、鉄道敷設に関する工事を専門に請負っていた。
自らも鉄道土木で身を起こした菅原恒覧は、旧態依然とした土木業のあり方に不満を持っており、ヨーロッパの最新土木の技術と組織の両方を取り入れた日本初の鉄道敷設に関する設計から施工・監理まで一貫して行う総合請負業として同社を設立した経緯がある。後に菅原は鹿島組の鹿島精一と共に鉄道請負業協会(日本土木工業協会の前身)を設立し、土木請負業の積極的な近代化を図った。
1940年(昭和15)、初代の菅原恒覧が死去し、2代目社長には実業家として活躍していた息子の菅原通済が就いた。通済は江ノ島(江ノ島電鉄)、鎌倉の宅地開発で知られ、その実力から政界にも太いパイプを築いていた。
岩手県出身の外交官・高平小五郎は菅原家の親戚である。
 
菅原恒覧は東京帝国大学卒のエリートでありながら、鉄道建設に技師として広く携わっており、鉄道建設の立役者と言われる。
鉄道建設黎明期にはイギリスなどヨーロッパの鉄道技師が招聘されており、そうした人達との付き合いも当然あったであろう。
にもかかわらずというか、それに触発されたというか、自ら工務所を創業して社長として土建業界に入っていくのである。
おそらく技師として工務店社長として人を使い現場を知り尽くす人物だったのであろう。
そのため土建業界のボスと言われた中野喜三郎にさえ一目置かれた存在であったという。


中野喜三郎
香川県と岡山県に挟まれた瀬戸内海に浮かぶ香川県の豊島(小豆島の西側に位置する小さな島)出身。
父の下で石材業を修行し、1883年24歳の時に上京。
1885年、どんな伝手があったのか、皇居の眼鏡橋の工事を請け負い、それを機に中野組(中野石材店)を開業。
茨城県の稲田地域で産出される稲田石に目を付けて開発に乗り出し成功を収める。
手がけた主な土木工事・石工事は、中央線笹子トンネル、日本橋、国会議事堂、東京地方裁判所、三井銀行(現:三井住友銀行)など。
1916年、東京土木建築業組合が設立され初代会長に就任。後、日本土木建築業組合の会長にも就任した。
皇居の眼鏡橋工事が事業の始まりだったわけだが、1928年に藍綬褒章を受章。
地元・豊島の最高峰の山は340mの壇山だそうで、そのふもとに清水神社と石造りの水場があるが、その水場は中野が私財を投じて造ったものだそうである。
戦後、指定暴力団・松葉会で総会屋として名を馳せた人物に同姓同名の中野喜三郎がいるが関係性は不明。


鶴見騒擾事件
1925年(大正14年)の暮れに現在の横浜市鶴見区で起きた乱闘事件。日本最大の喧嘩と呼ばれるこの事件は500人以上の検挙者を出し、騒擾罪(現在の騒乱罪)で起訴された。
喧嘩、つまり抗争である。
抗争の原因は東京電力火力発電所建設所の工事である。
建物は基礎(水路)と建屋に分けられ、入札の結果、間(ハザマ)組が基礎、発電機を置く建屋工事を清水組(現:清水建設)が落札した。
しかし両社の工事の取り合いがあり、清水組の下請け青山組(青山組に一旦仲裁を試みた松尾が加わり青山松尾連合軍となる)と間組の下請け三谷秀組と間で3時間に亘って抗争が起こった。

事件当時の現場一帯は、地元の三谷秀の支配下にあったため、新参にあたる青山組との規模が違いすぎ、博徒としての性格が強かった三谷秀と、鳶としての性格が強かった青山組とでは「異業種」であった点で相互理解がしづらい面があり、仲裁が五分で成立しづらかった。さらに中野ら業界指導者層に三谷秀のような在野勢力の覇権を排除する意図があった上、三谷秀・青山組の両方に何らかの縁がある者が多かったため、仲裁する側も立場の両立を図ることが難しかった。

松尾嘉右衛門の親分が中野喜三郎であった。

松尾嘉右衛門はこの事件を契機として、中野喜三郎の引き立てもあり神奈川県の土木建築業界に君臨していく。高額納税者として貴族院議員(1945年 - 1946年)にも就任。松尾工務店、花月園観光社長として花月園競輪場の創始にも関わっている。建設業界への長年の功績により勲四等旭日章を受勲した。反面、県の公共事業に王制を敷いていた河野一郎と喧嘩をするなど、1965年に74歳で没するまで波乱の生涯を送る。流れ者として京浜に着いて旭硝子の工員から出発した松尾の成功物語は、京浜の隆盛を物語る神話といってもよい。松尾は清水組との縁も深め、下請けでも特に選ばれた「名義人」になっている。


鶴見騒擾事件に関わった人物は後に土木・港湾・運送・工場労務事業などで成功したものが多く、現在も事件に関わった人物および組織の流れを汲む多くの企業がこの地域に存在している。

事件の裁判・差し入れ等の莫大な経費一切を被り青山芳蔵は破産宣告を受けた。組は幹部に任せ40代でリタイア。その後は日本中から「大喧嘩の大将」「今幡随院」と仰ぎ見られ窮屈な思いをしたとされる。宮崎龍介と知り合い頭山満の知遇を得る。宮崎・頭山が何の意図を以って一介の鳶と接触したかは不明だが、晩年、皇姑站で線路に仕掛けられた爆薬で爆死した張作霖について「あの事件は・・」と何かを語ろうとしたとも伝わっている



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by yumimi61 | 2017-08-18 12:52