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2017年 11月 30日
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by yumimi61 | 2017-11-30 23:42
2017年 11月 28日
日本国憲法の秘密-628- (外貨準備と貿易について)
以前私はマツダのMPVに乗っていたが、あの自動車はもともとはアメリカ輸出用として設計生産されたものである。
後に日本でも販売された。

1988年 - 北米向け専用車として生産開始。
1990年1月 - 国内販売開始。


1995年10月 - マイナーチェンジ。
グレード体系も大幅に拡大され、2-3-3シートレイアウトを持つ8人乗り仕様、MPV初のディーゼルエンジンである2500ccWL型のディーゼルターボ搭載車の設定及び4WD車も初めて追加された(ただしディーゼルエンジンのみの搭載)。センターデフロック機構と二輪駆動から四輪駆動へ走行中に切替が可能なスーパーデュアル4WDが搭載され、さらに最低地上高が引き上げられたグランツシリーズ4グレードも追加された。


私はこのディーゼル車の4WDに乗っていたのだった。
外観というか形がとても気に入っていたが性能も乗り心地も良かった。タフで丈夫な車でだったと思う。見た目がごつい感じではないがそこそこ大きくて車高もあって乗っていて安心感があった。
日本で販売していた同じくらいの価格の車や後に出てきた自動車に比べると、内装や後部座席のシートの移動など室内スペースとしてはいまいちだったかもしれない。
MPVは1999年にフルモデルチェンジを行って形が大きく変わってしまい、それまでのMPVらしさを失い他と見分けがつかなくなったので、以後のMPVには私は全く興味を持てなかった。
そのMPVも2016年に販売を終了した。
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実は自動車の関税、日本は0%である。
外国が日本に輸出する場合には関税がかからない。
<排気量1800ccの乗用車の場合>
アメリカ 2.5%
EU加盟国 10%
中国 25%
韓国 8%
オーストラリア 5%
シンガポール 0%
インドネシア 40%
タイ 80%
マレーシア 10%
フィリピン 30%
ベトナム 67%
インド 125%
ケニア 25%

自由貿易協定や経済連携協定を結んでいる国同士の場合には、この関税率よりも低かったり関税フリーとなることもある。
また一般的に輸入通関の際には、関税以外にも複数の税金を課せられることが多い。従って関税が安くても、結局徴収される額は上がり、輸出の障壁となっていることも少なくない。自国保護のためである。
日本からアメリカに自動車を輸出すると2.5%の関税がかかるが、現地生産すれば関税を通らないので必要はない。
自動車を輸入している国にとっては関税収入がなくなるが、現地法人を作って生産している場合には所得税などが現地国に落ちている。また現地の雇用にも繋がる。
現在日本の輸出自動車は現地生産のほうが多い。


関税以外にも輸出の障壁になる規制はあり、関税以外の税金もその1つだが、そうした関税以外の障壁のことを非関税障壁と言う。
アメリカに輸出する際の非関税障壁のベースとなるのは、安全基準(DOT)と排ガス基準である。
● DOT Conversion (安全基準)
計器表示部・タイヤ・ドアの補強・シートベルト・エアバッグ・バンパー・ライト類などの部品を精査してDOTマーク入りの部品と交換しなければならない。
● EPA Emission (排ガス基準)
触媒・EGRバルブ・ECU解析技術などを駆使してカリフォルニアの排ガス基準値をコールドスタートでクリアしなければならない。

【アメリカに輸出する際の非関税障壁】
・左ハンドル
アメリカは日本と逆で右側通行の左ハンドル。
基本的にアメリカでは右ハンドルは認められない。右ハンドルでよいのは郵便配達車だけ。
だからアメリカに輸出する日本の自動車メーカーは最初から左ハンドルで設計する。
ハンドルを右から左に付け替えればよいだけではないかと思うかもしれないが、そんな簡単なことではない。
自動車の根本に関わってくることであり、後からのハンドル付け替えは不可能と言ってもよい。というか、それなら一から作ったほうが早いといった感じになってしまうのだと思う。

・衝突試験
すでにアメリカに輸出実績のある車種についてはリストに掲載されていて安全に関わる情報もあるが、リスト未登録の車種にはない。
そうなるとアメリカの公認検査機関で何台もの車を潰してクラッシュデータを取って安全性を立証しなければならない。これが衝突試験と呼ばれるもの。
自動車メーカーが型式認定を受ける時には当然通らなければならない道だが、これを個人や小さな業者が行うとすれば負担は大きい。
膨大な数の自動車を輸出させるために数台の自動車をクラッシュさせるのと、1台2台あるいは数十台の自動車を輸出させるために数台の同種自動車をクラッシュさせるのでは意味が変わってくる。
この検査費用は数千万円かかるという。


・排ガス基準
世界で一番排ガス基準が厳しいのはガソリン車でもディーゼル車であってもアメリカのカリフォルニア州だと言われている。
カリフォルニア州には大気汚染に厳しい。
よってアメリカに輸出するにはそれをクリアしなければならない。
しかしながらカリフォルニア州以外は、日本の車検制度のような強制力を持った排ガス検査制度がなく、新車登録を済ませてしまえば後は野となれ山となれ。違法改造しても劣化してもチェック機能がない。
だからこそ最初の検査時だけ基準をクリアするような不正も行われる。
もっとも日本の車検でも車検時だけ基準クリアさせるというようなことが行われているが。
また基準が変わってもそれが適用されるのは通常新車だけである。古い基準で作られたものが新しい基準に適合しないのはある意味当たり前である。
新旧が大きく入れ変わらなければ、環境に与える影響は小さい。
でも新旧大きく入れ替えるとすると、廃棄物処理に関わるエネルギーと大気汚染、新車製造に関わるエネルギーと大気汚染も考えなければならない。
環境問題も多面的に見る必要がある。そんな簡単なことではない。

アメリカは大気汚染を防止するため、1963年に大気浄化法を制定した。
その後、1970年と1977年、1990年に大幅な改正がなされた。
1970年の改正は上院議員エドムンド・マスキーの提案(マスキー法)により非常に厳しい排気ガス規制が規定され、実現不可能とまで言われた。
しかしそれをクリアしないと販売できない。
とりあえず環境装置をつけて対応したが、大排気量を特徴とするアメリカ車のパワーは軒並みダウンすることになった。
マスキー法を世界で最初にクリアしたのは日本の自動車メーカー・ホンダであった。1972年にレシプロエンジンにて。搭載したのはシビック。
翌1973年にはマツダのロータリーエンジンがクリア。
ただあまりに厳しい基準だったので結局改正された。
基準クリアを第一に考えるとどうしてもパワーが落ちてしまう。
広大な国で乗る人の身体も比較的大きく、車も大きさやパワーを売りにしているアメリカの自動車メーカーは不利である。

近年は環境問題ブームで先進国はどこも基準が厳しくなっているので昔ほどの差はない。
排ガス基準については比較的ヨーロッパが甘いと言われることがあるが、ヨーロッパは昔からバスやトラックのような汚染物質量の多い車両にも規制をかけていた。
日本は規制をかけやすい乗用車をターゲットにして、バスやトラックには甘かった。
その差である。


アメリカに輸出する際の非関税障壁になっているこれらの事項は、生産から21年(あるいは25年)経過した歴史的または技術的に価値ある自動車に対しては免除される。「ビンテージ」扱いとなる。
基準をクリアしていなくても構わない。アメリカにおける検査をしないで登録可能。
州によるかもしれないが右ハンドルでもOK。
日産スカイラインGT-R、マツダRX-7、トヨタスープラなど日本のスポーツカーは人気があり、古い中古車でもかなり高額で取り引きされる。

基準の厳しい新車は小さな車を得意とする日本に有利で、排ガス基準などが免除される制度も日本に有利となっている。
関税だけ見れば日本が不利のように思えるが、輸出企業は現地生産によってその問題をクリアし、むしろ為替変動を利用できて優位な立場となる。
日本の自動車関税が0%であることは日本の輸入業者や顧客にとっても有利である。外国の車が安く手に入るのだから。
税金が取れなくて儲からないのは国家であるが、日本銀行にどんどんお金を出してもらえばいいんだし?(日本国埋蔵金)









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by yumimi61 | 2017-11-28 13:18
2017年 11月 28日
日本国憲法の秘密-628- (外貨準備と貿易について)
以前私はマツダのMPVに乗っていたが、あの自動車はもともとはアメリカ輸出用として設計生産されたものである。
後に日本でも販売された。

1988年 - 北米向け専用車として生産開始。
1990年1月 - 国内販売開始。


1995年10月 - マイナーチェンジ。
グレード体系も大幅に拡大され、2-3-3シートレイアウトを持つ8人乗り仕様、MPV初のディーゼルエンジンである2500ccWL型のディーゼルターボ搭載車の設定及び4WD車も初めて追加された(ただしディーゼルエンジンのみの搭載)。センターデフロック機構と二輪駆動から四輪駆動へ走行中に切替が可能なスーパーデュアル4WDが搭載され、さらに最低地上高が引き上げられたグランツシリーズ4グレードも追加された。


私はこのディーゼル車の4WDに乗っていたのだった。
外観というか形がとても気に入っていたが性能も乗り心地も良かった。タフで丈夫な車だったと思う。
日本で販売していた同じくらいの価格の車や後に出てきた自動車に比べると、内装や後部座席のシートの移動など室内スペースとしてはいまいちだったかもしれない。
MPVは1999年にフルモデルチェンジを行って形が大きく変わってしまい、それまでのMPVらしさを失い他と見分けがつかなくなったので、以後のMPVには私は全く興味を持てなかった。
そのMPVも2016年に販売を終了した。
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by yumimi61 | 2017-11-28 13:18
2017年 11月 27日
the past
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by yumimi61 | 2017-11-27 23:58
2017年 11月 26日
日本国憲法の秘密-627- (外貨準備と貿易について)
【パターン1】
日本の輸出企業がアメリカでドルを稼ぐ。
  ↓
そのドルを為替市場で円と交換。(⇒日本のドル建て貿易が輸出>輸入だと為替市場は円<ドルとなり円高に動く)
  ↓
交換した円は企業の収入となり、次なる人件費・諸経費・設備や研究投資、利益分配などに充てられる。


【パターン2】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業がドルを稼ぐ。
  ↓
現地生産しているのでドルを円に交換しない。(⇒日本のドル建て貿易が輸出<輸入だと為替市場は円>ドルとなり円安に動く)


【パターン3】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業が日本から部品を輸入する。
  ↓
部品を売った日本の企業がドルを稼ぐ。⇒(日本のドル建て貿易が輸出>輸入だと為替市場は円<ドルとなり円高に動く)
  ↓
交換した円は企業の収入となり、次なる人件費・諸経費・設備や研究投資、利益分配などに充てられる。


【パターン4】
日本の輸出企業がアメリカでドルを稼ぐ。
  ↓
国内でも十分円を稼いでいて資金力があるので、ドルを交換しないで保有しておく(ドル建て決済にドルが使用できるため)。
  ↓
このような企業が増えると、日本のドル建て貿易が輸出>輸入だとしても為替市場は円>ドルとなり円安に動く。


【パターン5】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業が日本から部品を輸入する。
  ↓
部品を売った日本の企業がドルを稼ぐ。
  ↓
国内でも十分円を稼いでいて資金力があるので、ドルを交換しないで保有しておく(ドル建て決済にドルが使用できるため)。
  ↓
このような企業が増えると、日本のドル建て貿易が輸出>輸入だとしても為替市場は円>ドルとなり円安に動く。


近年の日本の実質実効レートは低く円安である。それに比べると円ドルレートは円高であり(円高でありつつも安倍政権では円安方向に推移していた)、乖離が認められる。
日本の輸出企業が稼いだドルを円に交換することを考えると(パターン1や3の場合)、円安にあったほうが儲かるのだが、輸出が強いと結果的に円高に振れてしまうという矛盾がある。
アメリカから日本への投資が増えても円高に動く。

それで日本政府は為替介入して円安に誘導していたのではないかと考えられる。(結果として外貨準備高が異様に大きい)
しかしそれを諌め釘を刺したのがプラザ合意。
以後円ドルレートは円高方向に動いた。
状況が一変し輸出企業は国内生産で利益を上げることが大変厳しくなったので海外進出が盛んになった。
人件費や諸経費が安くあがるアジア圏での生産、輸出に関わる運賃代や関税をなくす目的での現地生産を始めた。
これによって日本の輸出企業の雇用は大きく失われる。
また支店ではなく子会社・現地法人など別法人として外国に会社を設立した場合、所得税などの税金は外国に落ちるので日本には入ってこない。
これを産業空洞化と言う。
輸出企業が稼ぎ頭となっている国にとっては大変な痛手である。

輸出の強い貿易黒字国日本の輸出企業が生産拠点を外国に移すと、どちらと言えば円安に動くはずなのだ。
しかしプラザ合意以降、円ドルレートが大きく円安に動いたことはない。
そうなるとやはりプラザ合意前のレートが実態から相当かけ離れていたという証拠となる。


もし日本政府がプラザ合意後は円ドルレートを円高に誘導しているとするならば為替市場にドルを入れる必要があるが、ドルは自国通貨ではないので日本円のように自由にはならないはずである。
そのため日本がドル紙幣を作っているという黒い噂もなくはないが、その前に借りる、あるいはプライベート的に交換するという方法がある。
相手が誰かと言えば、ドルを沢山持っている人。日本の輸出企業とか、外国の投資家とか資産家とか。
でもドルを入れて円と交換したら外貨準備高が伸びないはずである。
それが伸びているということは円を入れて円安誘導を試みている(が思うほど成果が上がらない)と考えるほうがしっくりくる。

円ドルレートと実質実効レートが開いてしまう理由は対アメリカ以外の輸出に弱いということもあるが、開き具合が大きいのは紙幣供給によるインフレの影響があるからだろう。



プラザ合意以後、現地生産が増えたため貿易統計(通関ベース)ではトップでこそないが、戦後の日本を代表する輸出品である自動車。
日本にとってのお得意様はアメリカである。
自動車を輸入する形態には2つある。
①正規輸入
②並行輸入(業者・個人)

但しこれらは俗にそう呼んでいるだけで、この言葉自体は法律に基づくものではない。
自動車の型式ごとに安全性や環境性などを届出して、相手国や州の法律に基づき型式認定された自動車を正規輸入車と呼んでいる。
ハンドルが右か左かを含めて相手国の基準に合わせた仕様になっているということ。

(ハンドル位置について)
日本では一部の輸入車が左ハンドル仕様のままで正規輸入・販売されており、これは世界的には特殊な例である。海外においては、ごく一部の例に限られている。
これは「左ハンドル」に対し、ごく一部において「ステータスシンボル」「高級外国車の象徴」といった、自動車本来の機能とは無関係な要素を見出している日本独特の現象であり、輸入販売元がその嗜好にあわせ対応している結果である。通常とは逆側の、運転席が歩道側に面する自動車が、ごく一部であるとはいえそのような地位を得ていることは、先進国の中では日本のみであり、極めて特殊な現象といえる。

最近では日本でも右ハンドルの外国車が増えている。
日本からアメリカに輸出する正規輸入車(型式認定車)は左ハンドル仕様となる。

日本からアメリカへの輸出ならば、日本の自動車メーカーのアメリカ法人や商社などのインポーター(輸入業者)が日本から輸入し、ディーラーと呼ばれる正規販売店(正規代理店)で販売される。
誰でもが販売できるわけではない正規販売店(正規代理店)が扱っていて、販売・サポート体制を完備しているので安心感がある。
最初から外国で使う車として設計されるのだから、原価が幾らで幾らくらいで売り利益をどれくらい取るかなどといった計算もドル思考である。現地生産しているならば尚のこと。
最終的に輸入車の定価を決定するのはインポーターであるが(輸入業者もまた利益を出す必要があるので)、最初からドル思考で組み立て輸出するものなので顧客が為替レート変動の影響を受けることはほとんどない。


例えば日本の自動車メーカーがアメリカでの販売価格30,000ドルと決めた自動車。
 ・1ドル=300円(円安)でも販売価格は30,000ドル
 ・1ドル=100円(円高)でも販売価格は30,000ドル
やや極端だけれどもそういうことである。
現地生産していて現地法人がドルを保有すれば収入30,000ドルは30,000ドル。
しかしその30,000ドルを日本法人に渡すとすれば、円安時には900万となり、円高時には300万であり、1台に付き600万も差が出る。



型式認定されている正規輸入車以外は全て並行輸入車である。
日本では販売されているけれど、日本自動車メーカーがアメリカで型式認定の申請をしていない車をアメリカが輸入(日本から見れば輸出)すれば、業者が行おうと個人が行おうと並行輸入となる。
また型式認定されている車でも正規販売店(正規代理店)以外のルートから購入したものについては並行輸入と呼ぶこともある。
中古車は全て並行輸入である。
新車であっても並行輸入の場合には走行距離が0kmということはまずない。
並行輸入車は基本的に時価であるので、為替レートの影響を受ける。

例えば日本で販売価格300万円の自動車。
 ・1ドル=300円(円安)の時ならば購入者は10,000ドル必要
 ・1ドル=100円(円高)の時ならば購入者は30,000ドル必要
やや極端だけれどもそういうことである。

従って為替レートの推移を見ながら安く買える時に購入するという方法がとれる。
並行輸入車の場合には販売価格(本体価格)以外にも、輸入に関わる諸経費・輸送運賃・手数料・検査費用などで、安くても100~200万くらいプラスして必要となる。










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by yumimi61 | 2017-11-26 15:27
2017年 11月 26日
aluminum
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To play billiards moderately well is the sign of a gentleman;
to play it too well is the sign of a misspent life.
-Mark Twain
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by yumimi61 | 2017-11-26 01:15
2017年 11月 24日
日本国憲法の秘密-626- (外貨準備と貿易について)
先日、日本は概ね貿易黒字国である、と書いた。
貿易黒字とは輸入よりも輸出が多い状態である。
細かいことを言うと、貿易収支にも2つ種類がある。

1.「国際収支統計」の貿易収支(決算ベース)・・財務省と日本銀行が発表
2.「貿易統計」(通関ベース)・・財務省が発表

2の「貿易統計」は税関を通過した貨物を集計の対象としていて、金額は貨物(輸出する荷物)の金額であり、輸送運賃や保険料を含まない。

1の「国際収支統計」は物だけではなく、財貨・サービス・所得・資本・国の金融資産など全ての取り引きが含まれる。いわゆる経常収支。
その中から物の取り引きだけを抜き出したのが「国際収支統計」の貿易収支。
物の取り引きだけを抜き出したと書いたが、物の取り引きに関わる輸送運賃や保険料、輸送船舶や飛行機の燃料代や修理代、紙幣以外での決算など全て含まれるものなので、当然「貿易統計」の税関通過時貨物代に比べたら金額はずっと多くなる。
またこちらは税関を通過したかどうかは関係ない。所有権が国を移転した時点で取引をカウントする。
例えば日本企業が現地生産して現地で販売すれば税関を通過しない。従って「貿易統計」の貿易収支(通関ベース)には含まれてこないが、「国際収支統計」の貿易収支には含まれる。


先日、パソナが運営会社の貿易女子のためのサイトで貿易赤字の説明が間違えていることを指摘したが、間違いがあった記事のタイトルは「日本はアメリカに何を輸出し、何を輸入しているの?」というものであり、グラフなどで輸出入上位10品目を紹介していた。
あのグラフの出典にはUSITCとあった。
The United States International Trade Commission (USITC)、アメリカ国際貿易委員会のことである。

日本の会社が日本の輸出入を紹介しているのに、日本ではなくアメリカ国際貿易委員会のデータを用いているということになる。
これも細かいことだけれど、グラフは全て日本語で記されていたので何かの資料からそのまま引っ張ってきたものでなく、数字を自分でグラフ化したか訳して作成したグラフなはずなのでアメリカ国際貿易委員は参考(参考資料)とすべきである。

そのパソナのグラフで、アメリカ向け輸出上位10品目の1~3位。
①車両(鉄道除く)35.1% ・・自動車だけだと27.8%
②原子炉・ボイラーなど 22.2%
③電気機器・部品 12.6%

車両(自動車)がトップに来ているので、これは上の2.「貿易統計」(通関ベース)ではなく、1.「国際収支統計」の貿易収支のほうである。
これが通関ベースになると自動車がトップではなくなる。
通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である。

細かく見る時にもうひとつ注意しなければならないのは分類である。
機器・機械・同部品の主な輸出品は次のように分類できる。

<輸送用機器>
・自動車
・自動車部品
・船舶
・二輪自動車

<電気機器>
・半導体など電子部品
・電気回路などの機器
・電気計測機器

<一般機械>
・原動機
・ポンプ、遠心分離機
・電算機類の部分品

<その他>
・科学光学機器
・写真用や映画用材料

グラフや表を作成する時には分類を独自にまとめていることが多いので、その分類の仕方によってランキングや金額は変わってしまう。
例えば私は上で、通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である、と書いた。
その機器・機械・同部品には自動車と電子(半導体など電子部品やコンピューター)を含んでいない。
自動車はたいてい別になっている。


貿易統計(通関ベース)における2015年日本の輸出上位6品目(アメリカに限らない)
①機器・機械・同部品
②自動車
③化学製品
④電子
⑤鉄鋼
⑥船舶


日本の産業構造や輸出品の転換点は1954年。この時から①機器・機械・同部品が輸出品として急成長していく。高度経済成長期の始まりの年だった。
明治時代から戦前の輸出を支えたのは生糸である。生糸が輸出金額の大きなウェートを占めていた。
明治期には生糸の他、お茶や米、水産物など一次産業の品も輸出上位に入った。
大正時代・昭和時代には生糸には及ばないものの綿織物が急増した。
生糸・綿織物・絹織物など繊維品が下降し始めたのは1931年満洲事変以後。日本は1933年に国際連盟を脱退し、1938年に国際連盟が対日経済制裁を採択。

繊維品と機器・機械・同部品の輸出割合が最初に逆転したのは太平洋戦争勃発(アメリカへの奇襲攻撃)の1年前1940年のこと。ヨーロッパ勃発の第二次世界大戦は1939年に始まっている。
戦時中は機器・機械・同部品の割合が急上昇。(あくまでも輸出総額に対する割合であり輸出額や量が多いとは限らない)

戦後は再び生糸と綿織物が復活。戦後5年(1950年)の間に生糸と綿織物の割合が入れ替わり、トップに立った綿織物も1950年をピークに割合を下げ、1958年には機器・機械・同部品と並び、その後は機器・機械・同部品の割合が圧倒的となっていく。

繊維の輸出が減少していく背景にあるのは粗悪品である。
明治期~戦前は輸出品に厳しい検査を課していた。
規制緩和によってそれがなくなると粗悪品が目立つようになる。

輸出検査ー日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
戦前は重要輸出品取締法によって公設検査機関による検査が強制され、それに合格しなければ輸出が許可されなかった。
戦後に制定された輸出品取締法は、業者の責任で自主的に行う自主検査へと急転換し、品目によってその品位を示す等級を表示することになった。
しかし、1956年(昭和31)前後から海外で日本商品のなかに多くの粗悪品が発見されて問題化され、それを契機として検出検査制度の強化への要望が高まり、これにこたえて輸出検査法(昭和32年法律97号)が制定された。同法によれば、指定貨物は原則として政府機関または政府指定の検査に合格しない限り、輸出できないことになった。
検査を受ける指定貨物は輸出検査品目令(昭和33年政令3号)に明示され、品質については材料検査と製造検査、包装については包装条件が検査される。同時に、なれあい検査を抑止するために指定検査機関と検査自体に対する監視・監督が強化され、罰則も厳しいものであった。しかし、その後の日本の技術力向上と、政府による規制緩和推進により、輸出検査法は1997年(平成9)に廃止された。


上記のとおり、1957年に輸出検査法が制定されて検査が強化されたが、綿織物の輸出割合が浮上することはなかった。
1ドルのブラウスをアメリカ貧困層向けに輸出していた時期も下降の真っ只中にいた。
ジョンソン大統領やニクソン大統領が日本の繊維(綿ではなく麻だったりして?)を問題視していた1960年代後半や1970年代前半の日本の綿織物の輸出割合は3~1%しかなく、機器・機械・同部品が25%ほどに伸びていた。(綿織物は1949年がピークで28%)
だから日本にしたら、何でいまさら繊維を規制する必要があるのか?と思っていたのかもしれない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society. -Mark Twain
もう一方の側面は、衣類の価格差に横たわるのは人権問題であるという認識。安い賃金にて劣悪な環境で働く人がいるからこその低価格という認識。
沖縄返還と繊維輸出規制を交換したアメリカの真意はどこにあったのだろうか。


1958年に割合トップに立った①機器・機械・同部品は伸び続け、1985年に30%になっていた。
そしてプラザ合意。その後さらに伸びて35~40%になり今日に至る。
これは海外進出によって部品の輸出が伸びたからだろう。

自動車の輸出も高度経済成長期から始まり、1965年~1980年の間に大きく成長した。
自動車の割合のピークは1986年の20%で、その後は15%前後で推移している。こちらも現地生産が増えたということだろう。







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by yumimi61 | 2017-11-24 15:09
2017年 11月 24日
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by yumimi61 | 2017-11-24 00:30
2017年 11月 23日
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by yumimi61 | 2017-11-23 01:07
2017年 11月 21日
日本国憲法の秘密-625- (外貨準備と貿易について)
日本などは輸出に有利な状況でいたいので、為替介入してドルを自国で貯め込む。
この為替介入によってドル安にならないのだ。
要するに貿易赤字の国の通貨がいつまでも価値がある状態(ドル高)であり、実態と乖離した状態となっていた。
ニクソン大統領の時と同じような状況で、再びドル危機が危ぶまれていた。
それを回避するための合意が1985年9月のプラザ合意だった。


プラザ合意( Plaza Accord)
1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。



日本政府が為替市場にて円とドルを交換すると為替介入となる。
為替介入すると外貨準備高が伸びる。
中国と日本は外貨準備高が異様に高い。

通常為替介入は自国通貨に急激な為替レートの変動があった時に行うものである。
変動相場制なので何らかの理由で急激に為替レートが変動する可能性がある。
しかし急に大きく為替レートが変わってしまうと輸出入企業や金融業界、投資などに大きなダメージを与えかねない。それは国の経済にも直結する。
そこでその急激な為替レートの変動を抑えるために政府(中央銀行)が介入する。
例えるなら右に大きく振れたものを左側に引っ張って元の位置付近で安定させるということ。
左に引っ張りたいがために安定してもなお左に誘導するのではないし、ましてや安定しているものを自国に有利だからといって継続的に左に誘導するものでもない。

プラザ合意は為替レートの安定化を目的に、複数の国で為替レートを一定の水準まで誘導することに合意した。
要するに急激に為替レートの変動があったわけではないが、今の状態は世界経済に良くない状態であるとの共通認識のもとに、アメリカ・日本・イギリス・フランス・西ドイツの5か国が協調介入して目標とするレート付近まで誘導することにした。
複数の国の政府が強力しあっているのだから、為替レートを一方向へ操作する強い影響力を持つ。が反面、秘密裡に進めるわけではなく公表して行うことであり、それに対抗する市場というものもあるので、急激に起こる為替レートの変動ほど世の経済に影響を与えない。


日本は外貨準備高がどんどん大きくなっていったのだから、当然政府の継続的な為替介入が疑われていただろう。
それは日本の貿易を有利にするのだ。
日本の最大貿易相手国はアメリカである。
そのアメリカは貿易赤字を増大させている。
問題にされて然るべき状況。
プラザ合意は日本に対する圧力だったと考えることができる。

だからこそプラザ合意は日本航空123便墜落の陰謀説の一番の理由として挙げられているわけである。
「これでもあなたたちはプラザ合意に合意しないおつもりですか」という無言の圧力をかけるために日本航空123便をアメリカが撃ち落としたという陰謀説。

この陰謀説には決定的な欠点がある。
日本航空123便は海上で最初に何か衝撃があった後、内陸や横田基地方面に向かっている。
横田基地に不時着を試みたような飛行ルートや高度の下げ方なのだ。
何者かに攻撃されたということならば、その状況を一番よく分かっているのは機長である。(特に日本航空123便機長は元自衛隊パイロット)
アメリカに攻撃されたとするならば陸の上空を進むという危険を冒して横田基地になんか向かうわけがない。
横田基地に向かったということは逆だったとしか考えられないのだが。


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ドルが基軸通貨な上に、日本はアメリカとの貿易が盛んなため、円高と言えば円がドルに対して上昇している状態であることを指していることが多い。
しかし世界の通貨は円とドルだけではなく、ドルに対して円高であっても、他の通貨に対して円高とは限らない。
実効為替レートは主要15通貨に対する為替レートの合成値(為替レートの一定時点を100として指数化して貿易額に応じて指数を加重平均する)である。
さらにインフレによる通貨価値の下落分を差し引いている。
実効為替レートは国際的な通貨の実力、おもに国際的な輸出競争力を示すとされている。
数値(指数)が高いほど通貨価値が高い。

水色の折れ線グラフは単に対ドルの為替レート。1ドル何円かというあれである。
青の折れ線グラフが上で説明した実質実効レート指数。
ここ何年かの日本は安かろう悪かろうの綿製品をアメリカに輸出していた1970年代前半の実質実効レートと同じくらいに通貨価値が低くなっている。
通貨量的に言えば、通貨が流通しすぎている状態ということになる。


上のグラフに私が線などを書き入れてみた。
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 ・黄色期間は、バブル景気(1986年12月~1991年2月)と呼ばれる好景気期間。不動産や有価証券などの高騰が主。
 ・①⇒期間は、いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)の期間。
  いざなみ景気時の首相:小泉首相、安倍首相、福田首相
 ・②⇒期間は、再登板後の安倍内閣(アベノミクス)期間。

この3つの期間はいずれも好景気といわれている。
だが見てお分かりのように実質実効レートは低下している。
好景気に導く簡単な方法は通貨を供給することである。
景気なんて気分だから、物価が上がっていても給料が上がって儲かった気になるし、自分には何ら関係なくても世間様(マスコミとか)が景気の良い話をしているとそんな気分になってしまうものなのだ。


・黒⇒期間は、安定成長期(1973年12月~1991年2月)の期間。

上がった景気は必ず下がる。山(好景気)あり谷(後退期)あり。その山や谷がどれだけ高いか低いか、山や谷がどれだけ続くかの違いである。
安定成長期の中にも山も谷もある。
安定成長期とは、どれくらい経済が成長しているかの指標である経済成長率(GDPか国民所得の年間増加率)が安定的に伸びていた期間。
1973年12月~1991年2月の間は5%前後で安定して成長していた。
バブル景気が殊更異様に語られることが多いが、バブル期も経済成長率には大きな変化はなく前20年間と同じような伸び率だった。
経済成長率が大きかったのが高度経済成長期(1954年12月~1973年11月)。
高度経済成長期を好景気と勘違いしている人が時々いるがイコールではない。
経済成長期は日本で物を沢山作るようになった、サービスを沢山するようになったということ。儲かったとか儲からないとか景気が良いとか悪いとかは直接は関係なく一生懸命働いている証。
安定成長期は1991年のバブル崩壊(1991年大学設置基準緩和)とともに終わり、以後2~0%を推移。
1998年、1999年、2008年、2009年。2011年はマイナスだった。
大卒者は増えたが物を前より多く作り出せなくなった。サービスが増えることもなくなった。付加価値が生み出せなくなってしまった。

必要なものは大抵揃っている。人件費は高い。人々は早く帰りたくて休暇を取りたい。アイデアは出てこない。
作っても売れない、作らなくても概ね満たされている、この国で作ったら高く付く、先進国はどこもそのような状況である。
人間も成長期を過ぎたら成長がなだらかになり、やがて少しずつ失っていくほうになる。
先進国も成長期を過ぎた観がある。
一生ハングリーだと短命であると前に書いたけれど、ハングリーというのは成長期と言い換えることも出来る。








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by yumimi61 | 2017-11-21 12:29