2017年 12月 10日
日本国憲法の秘密-634- (外貨準備と貿易について)

戦後日本の物価は上がり続けた。
戦前(1936年頃)と高度経済成長期の始まった1954年との比較では物価は300倍にもなっている。
戦前(1936年)と1949年の比較では220倍ほどだったという。
インフレが起きたということは紙幣が多くなったということ、つまり紙幣をかなり発行したということである。

実態はともかくとして日本が名目上金本位制を止めたのは戦時中1943年だった。まだ天皇が絶対的権力を握っていた時代である。
「日本銀行兌換券」(額面と同額の金貨との交換が保証された紙幣)から「日本銀行券」(金の保有高に基づいて紙幣を発行するのではなく日本銀行法に基づいて発行する)に取って代わり紙幣が改められた。
正々堂々好き放題に紙幣が発行できるようになった。
日本国は日本銀行に国債を引き受けさせた。
国債引き受けとは日本銀行に国債を渡して紙幣を作らせること。日本銀行は作った紙幣を国に渡す。
国は戦争を行っている最中であるから民間企業などに軍需品を作らせ買い取るわけだが、買うにはお金が必要。
国から企業に支払われたお金は世に出るということである。こうして世に流通する紙幣が増えていきインフレが進行していく。
あまり急速にインフレが進行してしまうと物が人々に行き渡らず生活の基盤すら危うくなってしまう。
日本はインフレ対策に個人相手に国債を発行したりもした。
お金を持っている人がお金を国に貸すことで世の中の紙幣を減らす作用がある。
また「欲しがりません勝つまでは」のスローガンの下、購買意欲を抑制し預金を引き出すのを抑えたりもした。
世に紙幣が多く出回っていても欲しがる人がいなければ極端な物価高にはなりにくい。
紙幣を大量発行した戦時中こそハイパーインフレ状態なのだが、その紙幣は主に戦争に費やされ、上記のような対策の効果もあって世の中の人々はハイパーインフレ状態を認識しないでいた。


日本がアメリカのパールハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃して太平洋戦争が勃発したのは1941年12月のこと。日本は1937年から日中戦争を行っていた。
その日本が名目上金本位制を止めたのは戦時中の1943年(昭和18年)。この時に初の日本銀行券(不換紙幣)が発行された。
実はその1年前の1942年(昭和17年)に千圓(1,000円)や貳百圓(200円)という超高額紙幣が準備されていた。明治以来ずっと最高額面は百圓(100円)だったことを考えるとインフレに備えて大きな額面の紙幣を作っておいたと考えられる。これは金貨との交換が保証されている日本銀行兌換券である。
但しすぐには使われなかった。インフレ抑制策が上手く機能していたのだろう。
1943年(昭和18年)8月12日には金属類回収令が出され日本中の貴金属が没収された(戦後も戻ってくることはなかった)。
貳百圓(200円)が実際に発行されたのは終戦4か月前の1945年4月16日だった(大蔵省予告では1月6日)。
戦争は終わっていないのに世にお金が回りだしたということは、日本ではこの頃、戦争に対する楽観ムードが漂い始めたのではないだろうか。


1945年4月というのは、日本が本格的に特攻作戦を開始した時期と重なる。
特攻作戦とはパイロットの命はもちろんのこと、寝る間も惜しんで作った高価な戦闘機を大破させ海に沈めてしまう作戦である。

「“特攻作戦”は何故行われたのか」より 航空特攻作戦の概要/知覧特攻平和会館
日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていましたので、その最前線を守るために採られたのが、特攻作戦でした。
沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず " 死ぬ・亡くなる " という『必死』条件の作戦でした。
 特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
 本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続きました。


そして迎えた終戦。
1945年8月に戦争状態は終結。降伏文書への調印は9月2日。
しかしながら8月15日玉音放送の日が日本における終戦記念日である。戦争が終わった~!とタガが外れた日とも言える。
その翌日8月16日に4月発行開始とは別種の貳百圓(200円)紙幣、8月17日に千圓(1,000円)紙幣が発行された。(ともに日本銀行兌換券)
日本では1945年の終戦直後にハイパーインフレが起きたと言われている。
発行された紙幣の額面からしてもそれはそうだったんだろうと思う。


国の命令で軍需品にしか力を注いでこなかった戦争の時代が終わった。
ふと我に返ればいろいろな物が品薄であり、負けてタガが外れ購買意欲が刺激されたことも重なり物価高になった影響はあるだろうが、ハイパーインフレが起きたということは戦争に負けてもなお日本国内には結構お金が残っていたということである。
戦争で儲かったのは寝る間を惜しんで軍需品を作っていた企業だろう。
しかし終戦直後のインフレで紙幣は紙くず同然になったと言われている。預金も借金も目減りした。


日本の戦費は今の金額で言えば4400兆円にも上ったという。
しかしなにせ戦時中のことである。日銀に引き受けさせた国債は満期時に返すという約束がなされていたのかどうか。
日銀の国債を踏み倒せるならば借金はだいぶ少なくなるであろう。返す必要があるのは個人向け国債だけとなる。
多額の借金返済の必要がなくなるとなると戦時中の経済規模をぐんと縮小してもさほど問題はない。
多額の費用を注ぎ込んだであろう船や飛行機が戦闘で撃たれ突撃し大破し海に沈めば、その費用分の円は消えてなくなる。
経済規模は小さくなるということである。。
幸いと言うかなんと言うか、現金による賠償金支払いもなく、日本国内の軍需工場の機械など資本設備をかつて日本が支配した国に移転譲渡することが戦争賠償となった。
戦時中に世に出た沢山の紙幣は機械などにかなり化けたはずである。
これを外国に無償譲渡するということは機械に投資された円が消えるということである。これによっても経済規模が小さくなる。
1946年に金融緊急措置令によって預金封鎖を行い、新円紙幣への切り替えを実施した。この時に戦時中と戦争直後に発行された紙幣は失効した。


しかしそれでも現在の4400兆円に値する紙幣発行は如何せん多い。
戦後解体されたものの多くの財閥はやがて息を吹き返す。息を吹き返した財閥は銀行を持っているところが多い。
大量発行された紙幣を使わないで高額な兌換紙幣に交換したもの勝ちだったんだろう。
日本のインフレ(物価上昇)は着実に進行し続けた。
インフレになれば、あるいは国債などで世に紙幣供給がなされれば、経済規模(少なくとも名目GDP)は一回り大きくなる。
戦後初の国債は1965年。国債によって世に紙幣が出る。
だが初の国債発行前もずっと日本のインフレは進行していた。
つまり戦争中に発行した膨大な紙幣の影響力が戦後20年あまり、1964年東京オリンピックの頃まで及んでいたということになる。
「東洋の奇跡」(英語では「Japanese miracle」)と呼ばれる驚異的な経済成長は、戦時中の裏付けのないとてもつもない紙幣発行によって支えられていたのだ。
但し紙幣を膨張させただけならば奇跡は起こらなかったであろう。
上り詰めた山は下るしかない。
一旦かなり縮小させたことが成功の鍵となっている。犠牲が必要だったのだ。
製造した物のあっけない廃棄、支配下においた国(途上国)への設備の無償譲渡、財閥解体、有力者の処罰などなど。
世の中的には貧しくなってしまったが、そうでない人や企業が確かにあったからこそのJapanese miracle。














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# by yumimi61 | 2017-12-10 15:00
2017年 12月 08日
日本国憲法の秘密-633- (外貨準備と貿易について)
オイルショックとドル紙幣供給開始による猛烈なインフレにより、元来ガソリンがとても安かったアメリカにおいてガソリンが値上がりした。
このときアメリカ車よりも小さく燃費のよい日本車の需要が高まり、日本の大衆車がアメリカに輸出された。1970年代のことである。
1台あたりに大きな利益を望まず安く数売る薄利多売方式で自動車を販売し、かわりにアフターサービスも輸出し部品代なども稼いだ。
戦後様々な悪循環に陥っていったアメリカ経済に比べて日本の貿易黒字は堅調だった。にもかかわらず依然として円安が続いており、ますます輸出企業には有利な状況だった。
但し日本も貿易黒字だったとはいえ、決して健全な財政状況ではなかった。
ここには今でも払拭できない大きな問題を内包している。
景気が良い=良い財政状況 ではないのだが、そのように思い込みがちであるということ
あるいは景気さえ好ければ良い(自分さえ好ければ良い)という考えに基づいて世の中が回ってしまうこと。
過去にも何度か書いたが正気の沙汰ではないようなことを平気で行う。

日本の高度経済成長期は1954~1971年。沢山の物やサービスを生み出し続けていた時期。
しかしこの期間全てがイケイケの好景気だったわけではない。ここも間違いやすい。
高度経済成長期内で一番景気が良かったのは(長い好景気は)1965~1970年。「いざなぎ景気」と呼ばれている。
どうして景気が良くなったか分かりますか?
1965年11月に戦後初の国債を発行したからである。オリンピックの翌年のこと。
オリンピックが終わると日本は不況に見舞われたのだ。

高度経済成長期の只中、東京オリンピックや新幹線の整備などによる総需要の増加(オリンピック景気)で、日本経済は高い経済成長を達成していた。経済成長は同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破した。この勢いは、当時、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。

しかし、1964年に東京オリンピックが終了し、金融引き締めも重なると、企業業績の悪化が顕在化した。1964年にサンウェーブと日本特殊鋼(現大同特殊鋼)が、1965年には山陽特殊製鋼が負債総額500億円で倒産した(山陽特殊製鋼倒産事件)。

重工業の不振は証券市場の低迷にある程度影響した。大手証券会社各社が軒並み赤字となった。大手証券会社は金融債を顧客から有償で預かってコールマネーの担保に入れるというレバレッジの掛け方をしており、ある程度において自業自得であった。なお、1964年は西ドイツ発行外債の内訳において、金融債が前年比で大幅に伸びていた。

ともかく重証の経営悪化を受け、日銀は公定歩合を1%以上も下げた。しかし効果は薄く、政府は不況拡大を防ぐために、1965年5月に山一證券への日銀特融を決め、7月には戦後初である赤字国債の発行を決めた。これを受け、同月を底値に株価は上昇し、結果、当時の政財界の関係者が危惧していた昭和恐慌の再来を未然に防ぎ、高度経済成長を持続した。



なぜ政府が国債を発行するのかと言えば、お金が足りないからである。
国営企業がない国の収入は税金しかない。(国営企業が赤字を出せば収入どころか赤字が膨らむという側面もある。経営手腕や経営環境がないなら民間企業の税収に頼ったほうがよいということになる。国営企業の場合には経営や雇用に対する非難などが政府を直撃するのでいつでも国民の支持を得ていたい政府としては難しい面もある)
税金だけで国の支出が賄えなくなった時には借金をする。国債は国の借金である。
国の支出にもいろいろあるが現在の内訳は下図のとおり。

http://www.zaisei.mof.go.jp/pdf/平成29年度一般会計予算.pdf
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一番多いのは社会保障費。年金や医療費の公費負担(国負担)分の費用。
高齢化や医療依存体質によって年々これが大きくなっているが、それでも社会保障財源の約50%を担っているのは企業事業主と労働者である。国の負担分は30%くらい。
次に多いのは地方自治体への仕送り。その次が借金(国債)返済。
この3つで支出の70%を占めてしまう。
仕送りをしてもらっている分際で憲法で禁じられている私立学校への寄付に税金から大金を投じるなんて言語道断。
収入の濃いピンク(公債金)は借金のこと。予算を組む段階で借金する予定でいる。借金が減るわけがない。



戦後の日本政府の借金・国債には2種類ある。(国債は公債とも言う)
①建設国債(財政法4条国債)
②赤字国債(特例法国債)

1947年(昭和22年)に制定された財政に関する基本法では一部領域を除いて政府が国債発行すること(借金すること)を認めていない。
本来赤字国債は法律違反なのである。
認められているのは公共事業費と出資金及び貸付金の財源。
出資金及び貸付金は配当や返済によって一応戻ってくるあてのあるお金である。
公共事業費は国が何かを作ったりする時のお金。例えば高速道路とか鉄道とか。支出額は大きいが毎年決まって出ていくものではない。建設する時に一時的に大金が必要になる。
だから建設国債と呼ばれていて、金額も大きいことから返済の計画(税収の範囲内で返済可能である計画)を国会に提出した上で国債発行される。
あとは全て税収の範囲内で行わなければならない。
後から行う政策(立法)もまずそれが念頭になければならない。

財政法4条
1.国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
2.前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
3.第1項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。


東京オリンピックの翌年1965年に戦後初めて発行された国債は建設国債である。
オリンピックが終わってからの建設国債に「なんで?」と思うかもしれない。
オリンピック不況を高速道路建設で乗り越えようという算段だったのか高速道路が本格的に整備されていくのは1965年以降である。
それ前に開通していたのは首都高の一部区間と名神高速の一部のみ。


赤字国債が初めて発行されたのは1975年(昭和50年)である。
法律違反であるがゆえ、財政法第4条に対する特例として1年度に限る法律(「昭和50年度の公債の発行の特例に関する法律」)を公布して赤字国債を発行した。
発行額については国会で議決された金額の範囲内。
国家戦略特区も、天皇の退位についてもそうだが、特例を許すならば基本法だって憲法だってどんどん破っていける。いずれ歯止めが効かなくなる。








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# by yumimi61 | 2017-12-08 15:03
2017年 12月 07日
16
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私達が決断できなかったことだから
どんなに大変でどんなに幸せだったんだろうと思いを馳せてみる
地球が回るスピードよりも速く1年は過ぎ去っていくけれど
クリスマスよりお正月より楽しみに指折り数えた日があったんだろうなって
泣き顔笑顔めまぐるしくて気付けば取り残されたカレンダー
この時間を止めたいような進めたいような

いつしか私達を包む世界が少しずつ壊れていって
人はそれを成長といったりもするけれどまだ後ろを振り返る余裕はなくて
そこまで達観できなくてあなたが手にした新世界に戸惑いもした
その世界はどれほどの速さで回っているの?それとも止まっているの?

思い出して慌てて駆け出し滑り込みセーフ
誰かがアウトと言う時には拗ねないでここへおいでよ
何より大切なことを私はあなたに教えてあげられる
それはあなたが私に幸せを分けてくれたこと
それはあなたが決して間違えていなかったこと
新世界に眉をひそめて煙たい顔しても悪いことばっかりじゃない
そのこと私が一番知っているから

あなたの未来に幸多からんことを 心より

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# by yumimi61 | 2017-12-07 12:07
2017年 12月 07日
Worldwide
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日本のような教習所は世界では珍しいそう。
日本は免許取得までに、時間がかかる、お金もかかる(30万くらい、合宿で20万くらい)
教習所を経由しない試験もあるにはあるが合格率は低く、ほとんどが教習所に通う。
アメリカではペーパーテストを受けてそれに合格すると、路上で運転練習できる日本で言うところの仮免を取得でき、免許を持っている人に同乗してもらって路上練習し、実技試験を受けて受かればOKなんだとか。
実技試験の時の車も自分で持込みだから練習しなれた車でOK。
マニュアル車に乗る必要もない。費用も僅か。 

ちなみにゴルフ人口の1位はアメリカ、2位は日本、3位はカナダ、4位はイギリス。
75%はこの4国で占めるがゴルフ人口も高齢化がかなり進んでいるらしい。





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# by yumimi61 | 2017-12-07 01:05
2017年 12月 05日
日本国憲法の秘密-632- (外貨準備と貿易について)
前記事で少し人口に触れたが、アメリカの人口は現在3億2000万人ほど。この他不法移民も1000万人以上いると言われている。
日本の人口は約1億3000万人。
中国は約13億7000万人。

人口の10%の支持を得たとしよう。
アメリカ 3200万
日本 1300万
中国 1億3700万

10%の支持が自動車の販売数だったとする。
各国同じように10%の支持を得たとしても、それを数にしてみれば随分差が出てくる。
自動車メーカーが同じ程度の割合の支持を得られるならば、人口の多い国で得た方が得である。
物を売る時のお得感は人口が少ない国が多い国で同じ支持を得た場合、物価が安い国が物価の高い国で同じ支持を得た場合に大きくなる。
物とお金の動きは逆なので、お金の影響はその逆である。
大きな市場にとっては平常であっても大きな市場が小さな市場に与える影響は大きい。
物価が高い(経済規模が大きい)国から物価が低い(経済規模が小さい)国に行けばお金持ちになれる。
プラザ合意後、日本企業が東南アジアへ進出した際、「あちらに行けばお手伝いさんが複数ついた豪邸に住める」などとそそのかして駐在員を確保したものである。


石油産出国であるアメリカは今でもガソリンが安い国の1つであるが、自給率が今より高かった時代にはもっと安かった。
そんなアメリカで誕生したのがオートマ(AT)車である。1940年代のこと。
オートマ車は燃費が悪い。しかしながらガソリンの安いアメリカでは燃費の悪さはさほど問題にならなかったというわけである。

オートマ車は日本のようにちょこちょこと停止する環境や坂道発進の多い地域での運転に便利なものである。
マニュアル(MT)車では停止するための減速にクラッチを踏んでのギア操作を必要とする。発進して一定の速度に乗せるまでにもクラッチを踏んでギア操作を必要とする。発進では半クラッチを使いこなす必要がある。
要するに停止が多いほど操作も多くなる。
オートマ車はドライブギアに入れたままでクラッチ踏む必要もないし、坂道発進で半クラッチが上手くいかずにバックしてしまうこともないのだから楽である。
本来、広大な土地を長距離走らせる機会の多いアメリカで歓迎されるようなものではないのだ。
しかし合理的なアメリカの国民性にマッチしたのか、最初は都市部の一部地域に歓迎されたのか、オートマ車が受け入れられていく。
そうとなるとアメリカに自動車を輸出したい自動車メーカーはオートマ車を導入することになる。1960年代には日本やヨーロッパの自動車メーカーも積極的にオートマ車に参入した。

前述したようにオートマ車は燃費が悪い。さらに本体価格がマニュアル車よりも高い。故障しやすい(マニュアル車も運転技術によっては故障しやすくなるが)。修理が手間である。
販売台数が上がってくれば、そういうことも多少改善されてはくるが、根本的に違うものとの比較では埋まらない差もある。

現在オートマ車が世界で一番普及しているのは日本であり、登録車両の95%はオートマ車となっている。
これは本家アメリカの90%を凌ぐ。
日本で新車販売数のオートマ車比率が80%を超えたのは20年ほど前の1996年のことであり、徐々に新旧入れ替わり全体の95%がオートマ車となっている。
ヨーロッパでは依然マニュアル車が主流。オートマ車割合がもっとも多いドイツでのマニュアル車比率が50%程度。イギリスでは70%くらい。
ヨーロッパ全体では80~90%がマニュアル車である。
東南アジアなどはほとんどがマニュアル車である。

今年1月に父が亡くなって、実家の車を2台手放したが、どちらもマニュアル車であった。
母は病気をしてから車には乗れなくなり、2,3年前に免許証も流してしまったが(返上はしなかった)、最後の車を買う時も私は乗らず嫌いなのではないかと思って母にオートマ車を勧めたがマニュアル車にこだわった人だった。
最近になってやたらに多くなっていると感じるアクセルとブレーキの踏み間違い事故はマニュアル車では起きないであろう。
派手に突っ込むのは高齢者が多いのか知らないが、若者でも踏み間違い経験あるという人は結構いる。柵や壁やぶつかる程度の自損事故やヒヤリハットで済んでいるらしいけれども。


ガソリンが安いがために燃費などに無頓着だったアメリカ人が目覚めたのが1970年代のオイルショックだった。
1950年頃にアメリカの石油消費量は生産量を超えており、1970年をピークに生産量も減少に転じている。
そこへもってきて輸入原油の値上がりである。
さらに1971年のニクソンショックを受けてアメリカも金本位制ではなくなり、アメリカもドル紙幣を出せるようになってやがてインフレに見舞われていく。
紙幣が多くなれば物の値段は上がる。ガソリンも例外ではなかった。

アメリカで日本車が注目されるようになったのはこの時である。
アメリカ人もいわゆる燃費の良い車を求め出したのだ。
日本の車が技術革新で殊更燃費の良い車を作れていたわけではない。
アメリカの車よりも車のサイズが小さく排気量が少なかったのだ。
同じ車種や同型サイズの車での比較においての燃費の良し悪しは技術的な進歩や創意工夫が影響するだろうが、サイズが違うものはもともとの燃費が違う。
中大型車よりも小型車のほうが燃費は良い。
アメリカにおいて比較的小さな車の需要が以前よりも増えたのだ。

しかし燃費が良いからといってアメリカの高速道路をガンガン走られたら故障もしやすくなる。
そこで日本の自動車メーカーはアフターサービスも輸出したわけである。
アフターサービスは日本では別に特別な事ではないが(うるさいくらいに感じる人もいるだろうけれども)、車検すらないアメリカで定期点検や迅速に修理に対応してくれるとあれば驚き桃の木山椒の木。信頼に繋がる。
当時は対ドルもかなりの円安。輸出に有利なのだから壊れそうな部品はアメリカにバンバン送っておけばよいのだ。
すぐ壊れる部品はなかなか壊れない部品よりも概して安い。
外車なのに早く修理してくれて安い!と好評を得る事が出来る。
また幸いアメリカも日本と同じくらいに買い換えまでの期間が短かった。
下取りで高値が付くうちに買い換えようという合理的な考えからのようである。

でもこうした理由でアメリカで売れた車は俗に言う大衆車である。
日本でも沢山作っていた自動車をアメリカに輸出した。
大衆車であるからそれほど高い価格の車ではない。
アメリカに輸出するとなると関税や輸送料など余計に費用がかかるが、大衆車ゆえにあまり高い値をつけることもできない。薄利多売で勝負するしかない状況であった。





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# by yumimi61 | 2017-12-05 12:51
2017年 12月 04日
日本国憲法の秘密-631- (外貨準備と貿易について)
日本がエネルギー資源に乏しい国であることは自他ともに認めている。
それにも関わらずエネルギー消費大国である。

【エネルギー消費大国】
1.中国
2.アメリカ
3.インド
4.ロシア
5.日本

人口が桁違いに多いのが中国とインド。
アメリカはその2国に次ぐ第3位。
ロシアは9位。日本は10位。
日本以外の国は国面積も広い。
特にロシアは飛び抜けて広く、また寒冷な地域である。
中国とインドは石炭の比率が大きく、ロシアは天然ガスである。
天然ガスで賄えるロシアは石油自給率も200%超えである。
石油の割合が一番なのはアメリカ(37%)と日本(42%)であるが、特に日本は石油への依存率が高い。
アメリカで石油に次ぐのは天然ガス(31%)、日本で石油に次ぐのは石炭(27%)である。ちなみにこれは2015年の統計であり日本の原子力は0%となっている。

日本のエネルギー自給率はとても低く4%ほど。石油自給率に限れば0.1%程度しかない。

【エネルギー自給率の高い国】
1.ロシア 180%
2.カナダ 150%
3.中国 90%
4.イギリス 80%
5.アメリカ 75%

一番意外なのは国土がそれほど広くないイギリスの自給率の高さだと思うが、イギリスは石油、天然ガス、石炭とバランスよく供給できる。
思えばイギリスが第二次産業革命を起こしたのも豊富な石炭資源が背景にあった。
イギリスには北海油田があり石油に限った自給率は120%を超える。
但しイギリスの油田も枯渇し始めていると言われている。


次の順位は、各国のガソリン小売価格をUSドルに換算して比較し高い国から並べたものである。(2014年)
1 エリトリア
2 ノルウェー
3 オランダ
4 イタリア
5 トルコ
6 香港
7 デンマーク
8 モナコ
9 ギリシャ
10 南スーダン
11 イギリス
12 アイルランド
13 ベルギー
14 ポルトガル
15 フィンランド
16 イスラエル
17 アイスランド
18 スウェーデン
19 バルバドス
20 ウルグアイ
21 ドイツ
22 マルタ
23 フランス
24 マラウイ
25 スロベニア
26 スロバキア
27 パレスチナ
28 アルバニア
29 リヒテンシュタイン
30 スイス

51 韓国
80 日本

110 中国
112 カナダ
120 インド
146 北朝鮮
155 ロシア
156 アメリカ
163 アラブ首長国連邦
164 イラク
166 イラン
170 クウェート
172 サウジアラビア

上位(ガソリンが高い国)はヨーロッパの国々が多い。
ヨーロッパも石油を輸入に頼っている国が多いが、自給率が高いイギリスが自給率の非常に低い日本よりも高価格であることは驚かされる。
全体的な傾向としては石油産出国では価格が安く、輸入に頼る国では高くなっている。
ひとつ気を付けなければならないのは小売価格をUSドルに換算していることである。
単位を同じにしなければ比較しようがないので仕方ないが、為替レートによって価格が変わってきてしまう。
1リットル150円のガソリン、1ドル100円の時(円高)ならば1.5ドルとなり、1ドル300円の時(円安)では0.5ドルとなる。
対ドルの為替レートと実質実効レートがかなり乖離していることを先に述べたが、実質実効レートの円安具合に合わせて1ドル300円くらいの円安だとするならば日本のガソリン小売価格はもっと順位を下げることになる。
資源に乏しく輸入に大きく依存する日本のガソリン小売価格はどうしてこんなに安いのだろうか?


石油の値段が安くなる時
●需要<供給
輸入した量よりも使う(売れる)量が少ない。
●原価が安い
原油価格も物の値段の1つなので需要と供給のバランスで決まる。季節性は多少あるが継続して使用されるものであり産出国もほぼ限られていることから、エネルギー革命や製油所の事故でも起こらないかぎり意図的な理由以外で大きく需要と供給のバランスが崩れることはない。(枯渇してくれば供給減となるので価格は上がるが)
近年原油は投機対象となっており、それによって価格が上下している。
金融市場と比べると原油市場は小さいので、金融市場からの投機は原油価格に大きな影響を及ぼしてしまう。
何故に金融市場が大きくなったかと言えば、各国の紙幣を裏付けなく好き勝手に発行できるようになったからである。
原油価格が上がれば儲かるのは石油会社である。
かつてはロスチャイルドとロックフエラー系の7社がセブンシスターズと言われた。

■現在の新セブンシスターズ(全て国営企業)
サウジアラムコ(サウジアラビア)、ペトロナス(マレーシア)、ペトロブラス(ブラジル)、ガスプロム(ロシア)、中国石油天然気集団公司(CNPC)(通称:ペトロチャイナ)(中国)、イラン国営石油(NIOC)(イラン)、ベネズエラ国営石油(PDVSA)(ベネズエラ)  

■旧セブンシスターズ(統廃合によって7社が4社に)
シェブロン、エクソン・モービル、ロイヤル・ダッチ・シェル、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)

旧セブンシスターズの原油生産シェアは10%程度、保有する油田の埋蔵量シェアは5%程度に減少した。
一方の新セブンシスターズは、原油生産シェアも保有する油田の埋蔵量シェアも30%にまで増加。
セブンシスターズ以外の国営企業も含めると石油埋蔵量のシェアは70~80%が国営企業で、その他ロシア系の企業が15%ほど保有している。



ここで日本のガソリン価格(1リットルあたり)の推移を見てみたいと思う。

1946年(終戦翌年) 1.2円
1954年(高度経済成長期始まり) 39円
1964年(東京オリンピック) 48円
1965年(戦後初めての国債発行) 51円
1971年(ニクソンショック) 57.3円
1973年(10月勃発中東戦争による第一次オイルショック始まり) 66.2円
1974年(オイルショック継続&高度経済成長期終了直後) 97.6円
1975年(FRBが$紙幣供給開始) 112.4円
1979年(2月のイラン革命による第二次オイルショック) 124.8円
1980年(イラン・イラク戦争、アメリカインフレピーク) 154.8円
1981年(レーガン大統領就任)(鈴木内閣の増税なき財政再建開始) 157.8円
1982年(第5次中東戦争)(11月中曽根内閣発足) 172円
1985年(9月プラザ合意) 146円   ↑対ドル円安(輸出に有利)(自国通貨インフレ傾向)(インフレは物価高を呼びやすい)
--------------------------------------------
1986年(プラザ合意翌年) 128円   ↓対ドル円高(輸入に有利)(自国通貨デフレ傾向)(デフレは物価安を呼びやすい)

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黄色縦線と西暦と入れた1974年と1979年はオイルショックの影響で価格は上昇した。
1985年はプラザ合意の年。
第一次オイルショックの影響が落ち着いてきたと思ったら(①)イラン革命による第二次オイルショックに見舞われた形になっている。
日本の高度経済成長期は第一次オイルショックとともに終わったと言われている。
そのせいか第二次オイルショックでは経済への影響を受けなかったとか。
もともと第二次オイルショックは第一次ほど継続していないのだが、日本のガソリン小売価格は下がっていない。②の部分である。
アメリカは2つのオイルショックとインフレのダブルパンチで国力をダウンさせた。
③1999年5月がプラザ合意後の最安値で100円を切った。
上昇を始めたのは2004年頃。投機的に買い方が増えた、買いが買いを呼ぶ原油バブルによって高騰していったと考えられる。
その後ストンと落ちたのはリーマンショックの影響である。リーマン前が最高値だった。
かなり大きく落ちてその後またじりじりと上げていた。
シェールガス革命の影響かここ数年は下げているが、安定的に低めだった時期に比べるとまだ高めである。

次のグラフは原油価格の推移。残念ながら1980年からである。
http://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.html
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21世紀に入ってからは投機によって原油価格が上昇しており、日本の小売価格もそれを反映している形になっている。
しかし第二次オイルショック後の小売価格の高騰は原油価格を反映していない。
原油価格は上がっていないのだ。むしろ少し下げている。
その時期に日本では石油の価格が上がっていた。
自動車売上や貿易なども好調な頃であるので石油の需要が増えたということは考えられる。
あるいは税金を上乗せしたんだろうか。タバコの値上がりは税金であるということはよく知られているが、意外にガソリンの価格にはかなり税金が含まれているということを知らなかったりする。
「増税なき財政再建」を掲げたものの実はガソリンで税収を稼いでいたということはないのだろうか?
自給率の高いイギリスもかなり税金が乗せてある。税収になるのはもちろんのこと、高くすることで石油をふんだんに使うことを抑える効果がある。

1バレルは約159リットル。
原油価格が1バレル=30USドルだとする。1リットル≒0.19ドル
1ドル=100円ならば、1バレル=3000円 1リットル≒19円
1980年代前半、原油価格1リットル19円くらいの時に、日本では160円前後でガソリンを売っていた。(もちろん原油価格の他に輸送料や保険代などもかかるので日本の原油価格はもっと高くなってしまうけれども)








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# by yumimi61 | 2017-12-04 12:54
2017年 12月 03日
日本国憲法の秘密-630- (外貨準備と貿易について)
外国車は高いくせに故障しやすい、アフターサービス(定期点検、故障時の迅速な対応や高額な部品代など)が悪いとの評判がある。
外国車の価格が高いのは日本に入ってくるまでの諸経費が上乗せされているので、ある意味当たり前な話である。
アフターサービスについても現地に体制や部品が揃っていないことを考えれば致し方ない面がある。
車検を含めた定期点検は日本独自の制度である。アメリカには車検すらない(カリフォルニア州などは排ガス検査を実施している)。
ちなみに車検のような検査が存在するヨーロッパでも日本ほど金額が高い国はない。とにかく日本は車の維持費が高い。

では本当に外国車は故障しやすいのか?
答えはイエスでありノーである。

自動車メーカーはそれぞれの国の環境、気候や、文化に適した自動車を開発設計し製造してきた。
日本は四季が明確にある気候で、夏季の高温多湿を特徴とする。
厳しい冬もあれば厳しい夏もある。豪雪地帯もあれば雪が全く降らない地域もある。
日本の自動車メーカーはそうした環境でも使える自動車を作ってきたのだから、日本で走らせるならば日本の車が優秀である。
多湿ではなく乾燥した地域の車は日本には向いていないのだ。緯度が高い地域の寒さ対策が十分な車でも日本の夏の暑さや湿度が想像以上で対応できていないということがある。特別な対策もなく紫外線の強い地域に持っていけば劣化も早い。
このように気候的な問題がまず横たわる。その国で優秀になるにはその国に合わせないといけない。

あとはどんな走行が多いのかによっても適する自動車は違う。
高速道路に乗る機会や走る距離が多いのか、高速道路は十分に整備されているのか(有料かどうか)、制限速度が存在するか(制限速度が存在しない道路があるか)、信号や一時停止が多いか、舗装状況など。
何を乗せるのか、どれくらい人を乗せるのかによっても変わってくる。
要するにその国に適した自動車が一番優秀で故障もしにくい。
日本の自動車は日本で故障しにくい。アメリカの自動車はアメリカで故障しにくい。ヨーロッパ各国の自動車はその国で故障しにくい。


「安かろう悪かろう」の木綿製品を日本からアメリカに輸出して貿易摩擦を引き起こしたことがあったが、自動車もそんな時代があった。
自動車輸出は1954年からの高度経済成長期に始まり、1965~1980年に大きく成長したが、1960年代はやはり価格は安いけれども品質も劣る「安かろう悪かろう」であった。
ただ自動車の場合、上記のような環境的な事情があり、日本車をただアメリカに持って行っただけでは適さない。適さないということは故障や早期劣化を呼び込み、結果的に「品質が悪い」という表現になる。

頻繁に停止する日本の道路事情に合わせて作られた車を、広大な土地の高速道路で何時間も走らせれば故障しやすくもなるし、そもそも思うようには走らないであろう。
逆も然りで、排気量が大きく力強い馬力とドライビング力を特徴とする外国車を日本の街中に持ってきてちょこちょこブレーキ踏んでいたら、その特色は出ないし故障もしやすい。


故障しやすいと簡単に言うけれど、何を持って故障しやすいというのかも重要である。
明確な定義を持って故障しやすいと言っている人は少ないであろう。

①2年に1回の車検と、車検と車検の間の法定定期点検、ディーラーなどが行っている半年点検、これら全ての点検を受けて故障無しで10年ほど乗った自動車。
②車検しか受けないで10年ほど乗った自動車。車検4回。(法定と言えど日本でも法定定期点検は受けない人多し、ペナルティーはなし)
③点検を何も受けずに10年ほど乗った自動車。

例えば、①は故障経験なし、②は3回故障経験あり、③は5回故障経験あり だったとする。
この場合、どれを故障しやすいと言いますか?③ですか?
費用対効果はどうですか?

不具合や故障がなくても点検でオイルや部品を交換してしまえば、やはり故障はしにくいであろう。でも同時に費用が発生しているのだ。

④たまにしか乗らない車(1年3000km走行)、⑤毎日通勤に使用している車(1年10000km走行)、⑥毎日通勤+週末遠出している車(1年20000km走行)
5年のうちに、④は故障経験なし、⑤は1回故障、⑥は2回故障。
故障しやすい自動車は⑥ですか?
点検具合は訊かなくていいですか?
故障しやすさを計るということはそれくらい難しいことである。




イギリスで起こった産業革命は石炭の利用によってもたらされた。これを第二次エネルギー革命とも言う。(第一次エネルギー革命は人間による火の利用)
第三次エネルギー革命は石油と電気の利用。この革命を牽引したのは自動車だった。
欧米で石油の利用が始まったのは1800年代後半から1900年代前半のことで、石油は自動車の動力となった。アメリカではトラクターなども登場して農業も変わっていった。火力発電の燃料ともなった。
石油が必要とあれば、どこかに石油(油田)はないかと探す。そうして1900年代半ばに中東やアフリカで大規模油田が発見された。


ロックフェラー家はアメリカで石油を独占することでアメリカ一の財閥に伸し上った。
そして第一次世界大戦で大きく資本力を拡大した。
第一次世界大戦までは中東の石油利権を握っていたのはロスチャイルド(系の企業)である。
その中東にロックフェラーが入りこみ住み分けが崩壊。
第二次世界大戦でもアメリカは疲弊しなかったが、ヨーロッパ諸国は程度の差こそあれ勝敗にかかわらず疲弊した。
それをいいことに1954年国際石油資本8社からなるイラン国際企業連合を発足させ、中東の石油利権をロックフェラーに有利な条件で決定した。
ロックフェラーが独占したわけではないが第二次世界大戦後は石油利権に関して圧倒的な支配力を誇っていた。


アメリカの石油生産量と消費量は1950年代まで同程度だった。要するに自国で石油を調達できた。アメリカでは石油が安かった。
産出される原油は特別な加工を必要としないし、形を作ったりパッケージングすることもない。
「水よりも安い石油」と言われることがあるが、この場合の水の価格はペットボトルなどに入ったミネラルウォーターの価格であり、そういう意味で水よりも牛乳よりも石油は安かったのだ。
1950年以降はアメリカの石油消費量が生産量を上回るようになる。そうとなれば輸入に頼るしかなくなる。輸入すればどうしても価格は高く付く。
アメリカはロックフェラーが有利な条件で石油利権を得ていた中東から石油を輸入することになった。
アメリカの石油生産量は1970年をピークに減少に転じ、一方の消費量は依然伸び続けた。

アメリカが国力を落とすことになる大きなきっかけは1973年と1979年のオイルショックである。
オイルショックに絡んでいるのはアラブ諸国。
ユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ国家は1948~1973年までの間に大規模な戦争を4回行っている(中東戦争)。
この争いに関してアメリカはイスラエルに付いた。アメリカだけでなくイギリスやフランスなどのヨーロッパ勢もイスラエル側。
アラブ諸国を支援したのはソ連だった。
そんなわけで民主主義国家と社会主義国家であるソ連との代理戦争の側面もあると言われていた。

この状況の背後には原子力の問題も見え隠れする。
1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で原子力平和利用に関する提案「Atoms for Peace」(平和のための原子力)を行った。
アメリカでは1954年に原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会が原子力開発の推進と規制の両方を担当することとなった。
実は世界的規模の石油によるエネルギー革命と原子力の発展時期は戦後の同じ頃なのだ。
原子力利用がオイルショックによってもたらされたというのは適当ではない。


アメリカの石油の消費量が拡大し、石油生産量よりも消費量が上回った1950年代にアメリカは原子力のエネルギー利用に力を入れる素振りを見せた。当時としては、いわば脱石油宣言のようなものである。
現実に原子力が石油にとって代わるものならばアメリカは国力を落とすことはなかった。でもそうではなかった。
アメリカはアラブ諸国(それを支援したソ連)に足元を見られていた。
1960年にOPEC(石油輸出国機構)発足。
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国の原加盟によって発足し、その後も他の中東諸国が次々に加盟した。
1968年にはOAPEC(アラブ石油輸出国機構国機構)も発足。イラク、サウジアラビア、クウェートなどはこちらにも加盟している。他は北アフリカの国々。

中東戦争でイスラエル側に付いたアメリカに対してのアラブ諸国の反抗が第一次オイルショックだったのだ。

第二次オイルショックはイラン戦争・革命がきっかけ。
イランの石油生産が一時途絶えたため価格が高騰を始める。
欧米が支援していたイラン体制が終わりイスラム至上主義の新体制へ移行することにより、イランと欧米との関係が悪化。再びオイルショックを迎えることととなった。






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# by yumimi61 | 2017-12-03 17:37
2017年 12月 02日
too fast!?

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It's never too late to dream.

パスタ? バスだ? パスだ?



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# by yumimi61 | 2017-12-02 23:18
2017年 12月 01日
日本国憲法の秘密-629- (外貨準備と貿易について)
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https://www.keikenkyo.or.jp/information/attached/0000015443.pdf(軽自動車協会) 

日本の登録自動車数と軽自動車比率の推移(赤折れ線グラフ)。
登録自動車というのは登録してナンバー(プレート)が付いている自動車である。
2000年前後から登録自動車数は頭打ちの観がある。
時期を同じくして軽自動車比率が伸び続けている。
これは人口動態との明らかな相関性は認められない。

グラフの平成8年と平成13年に□印とラインを入れたが、平成8年(1996年)は「日本版金融ビッグバン」を実施した橋本内閣が始まった年。平成13年(2001年)は「聖域なき構造改革」を実施した小泉内閣が始まった年。
登録自動車数の頭打ちと軽自動車数の比率増加はこの辺りから見られる傾向である。
現在、登録自動車数中の軽自動車の比率は40%ほど。
軽自動車を保有(常用)としているのは若い女性が一番多く、10~20代女性では6割を超える。

平成元年(1989年)と平成9年(1997年)に消費税3%と5%が導入されたが登録自動車数はその後も伸びが見られ、消費税が自動車購入に与えた影響は見られない。


軽自動車は日本のガラパゴス規格。外国ではこの規格の自動車はなく販売されていない。
従って「軽自動車って何?」という世界となる。
軽自動車の誕生は1949年。
敗戦国・借金国で資金力が乏しく、国民の多くも金銭的に余裕がない。
資源が乏しく、国面積もアメリカのように大きくはない。
都市部などには狭い入り組んだ道が多いし、駐車スペースも限られている。
体格も大きくない。
そんな日本に事情を反映して発展した。

<現在の規格>
ボディ寸法:全長×全幅×全高3400×1480×2000mm以下
排気量:660cc以下
乗車定員:4名以下

<軽自動車の排気量規格の推移>
1976年まで 360cc
1976~1990年 550cc
1990~現在 660cc

1975年(昭和50年)に日本において排ガス規制の大幅強化が行われた。「日本版マスキー法」と呼ばれる。
翌1976年(昭和51年)にさらに大幅強化が行われ、「日本版マスキー法第二弾」と呼ばれる。
本来はこの年度の規制でマスキー法の規定値を完全達成する予定であったが、1974年に数度実施された環境庁及び衆議院での聴聞の席上、トヨタ自動車を筆頭とする国産9メーカーが連名で、「現時点の技術水準では昭和51年実施予定のマスキー法正規規定値への適合は、耐久性を度外視する手法以外では困難であり、昭和50年規制値を2年間継続することで技術開発の猶予期間を与えてほしい」旨を答申。 


もともと軽自動車に要求されているものはパワーではないが、それでも排ガス規制が厳しくなると軽自動車もパワー不足が否めなくなった。
そこで1976年に排気量規格を360→550に上げた。(木を見て森を見ず!?)
ただ排気量を上げただけでは技術力不足が露呈してしまい芸がないので、この時に全長の規格も10cm拡大され、少しだけ大きいものが作れるようになった。
1990年にさらに排気量規格を上げ、1998年には再びボディ寸法規格を全長・全幅とも伸ばした。
この改正はそれまで順調に伸びてきた軽自動車比率が停滞した時期に行われている。
軽自動車比率が停滞した時期は1988~1997年。この期間も自動車登録数は伸びている。



登録自動車数が頭打ちしているということは、日本では新車があまり売れていないということになる。
毎年廃車にする自動車分くらいの新車しか売れないので登録総数は伸びない。

廃車になる(廃車にする)主な理由。
・経年劣化(老朽化)が進んだ
・事故や天災によるダメージ
・トラブルや故障の程度が酷い
所有者が乗り換えで手放しても、まだ使える自動車ならば中古市場に出るので廃車にはならない。

●自動車寿命(使用年数)―自動車の新規登録から抹消登録(廃車)までの期間。
1976年(昭和51年) 普通車が7.05年 軽自動車6.79年
2014年(平成26年) 普通車が12.97年 小型車が12.44年

●消費動向調査では1990年以降の乗用車(新車)の買い換え平均年数は5.5~9.0年となっている。
(※消費動向調査は内閣府が実施しているものだが調査は抽出された世帯が質問に記入していくような形であり、実際の自動車登録から弾き出される数値ほど信頼性は高くない)

例えば2014年の買い換え年数平均は7.7年であったが、同じ年の自動車寿命は12-13年であり、中古に回った車も4-5年程度で廃車になる計算となる。

寿命12-13年を長いと考えるか短いと考えるかは人それぞれだと思うが、自動車の使用年数が伸びてきたことは間違いない。
ちなみに私が乗っていたMPV、4WDで舗装していない道も走り、猛烈な寒さにも猛烈な暑さにも晒され、ガレージどころか屋根もない青空駐車(違法ではない)をずっとしていたが、20年以上乗りました。晩年の車検は毎回20万円近くかかっていたけれども。

自動車は、整備や手入れを多額の費用や時間をかけて行えば、30 - 40年あるいはそれ以上の期間使用することも可能である。かつて日本では「10年・10万kmは寿命」の標語で、その目標に達すると廃車にしてしまうことが多かった。現在では異なり、車両の寿命は延びつつある。舗装道路の比率が高まったこと、鋼板の防錆性能の向上などによる。

長期間使用される例としては、車庫やガレージ等に保管していた車をそのまま使用する、旧車などで車をレストアさせて使用するという例もある。しかし、これらは非常に稀であり、大抵の自動車は遅くとも普通車では20 - 30年(ただし軽自動車、および排気量1,000cc未満の小型車などでは性能や大きさの問題から15年程度)、早くて10年前後で役目を終えて、所有者は次の車に乗り換える。


新車を売りたいと思うならば、長く乗ることは推奨されないであろう。
新規登録から13年を経過したガソリン車、11年を経過したディーゼル車は自動車税が15%重課となり、重量税も13年経過した車と18年経過した車は増額された。
日本の自動車税は世界でも高いほうである。
しかも古い車に割増課税するのなんて世界でも日本くらいである。
「13年」設定には、もうこれ以上平均使用年数を延長させない気持ちがにじみ出ている。

日本車はモデルチェンジも早い。たった3~4年でフルモデルチェンジをしてしまうのだ。
マイナーチェンジはその前に行われる。
3~4年でフルモデルチェンジするということは、2回目の車検の時にはもう形の変わった旧車になっている。要するに他人が見て古い型の車と分かる状態となってしまっている(もっとも同じ車に乗っていたり、自動車に詳しくなければ分からないと思うけれども)。だから買い換えを考えるというわけ。

外国車のほうがフルモデルチェンジまでの期間が長い。
ここ最近は日本でも若干フルモデルチェンジまでの期間が伸びているようだ。4~5年くらいとか。

販売台数の多い自動車ほどフルモデルチェンジが早く、高級車やスポーツカーなど販売台数が少ない自動車ほどフルモデルチェンジは遅い。
何故かと言うと、販売台数が多いほど開発費や設備投資を早く回収できるからだ。
長く使う予定ではないものほど開発期間は短くて済む。寿命を長く設定すれば開発にもそれだけ時間がかかる。
日本は最初から長く使うことを設定していないので開発期間も3~4年と短い。
ヨーロッパなどは10年かけて開発していたりしたけれども、昨今はコンピューターの普及によってだいぶ短縮した。複雑な計算やシュミレーションをコンピューターがしてくれるから。
また安全基準、排ガス基準、税金などの制度が度々改正されるようだと長い期間をかけての開発は向かなくなってくる。





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# by yumimi61 | 2017-12-01 15:02
2017年 11月 30日
little by little
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Do you remember this picture?
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# by yumimi61 | 2017-11-30 23:42
2017年 11月 28日
日本国憲法の秘密-628- (外貨準備と貿易について)
以前私はマツダのMPVに乗っていたが、あの自動車はもともとはアメリカ輸出用として設計生産されたものである。
後に日本でも販売された。

1988年 - 北米向け専用車として生産開始。
1990年1月 - 国内販売開始。


1995年10月 - マイナーチェンジ。
グレード体系も大幅に拡大され、2-3-3シートレイアウトを持つ8人乗り仕様、MPV初のディーゼルエンジンである2500ccWL型のディーゼルターボ搭載車の設定及び4WD車も初めて追加された(ただしディーゼルエンジンのみの搭載)。センターデフロック機構と二輪駆動から四輪駆動へ走行中に切替が可能なスーパーデュアル4WDが搭載され、さらに最低地上高が引き上げられたグランツシリーズ4グレードも追加された。


私はこのディーゼル車の4WDに乗っていたのだった。
外観というか形がとても気に入っていたが性能も乗り心地も良かった。タフで丈夫な車でだったと思う。見た目がごつい感じではないがそこそこ大きくて車高もあって乗っていて安心感があった。
日本で販売していた同じくらいの価格の車や後に出てきた自動車に比べると、内装や後部座席のシートの移動など室内スペースとしてはいまいちだったかもしれない。
MPVは1999年にフルモデルチェンジを行って形が大きく変わってしまい、それまでのMPVらしさを失い他と見分けがつかなくなったので、以後のMPVには私は全く興味を持てなかった。
そのMPVも2016年に販売を終了した。
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実は自動車の関税、日本は0%である。
外国が日本に輸出する場合には関税がかからない。
<排気量1800ccの乗用車の場合>
アメリカ 2.5%
EU加盟国 10%
中国 25%
韓国 8%
オーストラリア 5%
シンガポール 0%
インドネシア 40%
タイ 80%
マレーシア 10%
フィリピン 30%
ベトナム 67%
インド 125%
ケニア 25%

自由貿易協定や経済連携協定を結んでいる国同士の場合には、この関税率よりも低かったり関税フリーとなることもある。
また一般的に輸入通関の際には、関税以外にも複数の税金を課せられることが多い。従って関税が安くても、結局徴収される額は上がり、輸出の障壁となっていることも少なくない。自国保護のためである。
日本からアメリカに自動車を輸出すると2.5%の関税がかかるが、現地生産すれば関税を通らないので必要はない。
自動車を輸入している国にとっては関税収入がなくなるが、現地法人を作って生産している場合には所得税などが現地国に落ちている。また現地の雇用にも繋がる。
現在日本の輸出自動車は現地生産のほうが多い。


関税以外にも輸出の障壁になる規制はあり、関税以外の税金もその1つだが、そうした関税以外の障壁のことを非関税障壁と言う。
アメリカに輸出する際の非関税障壁のベースとなるのは、安全基準(DOT)と排ガス基準である。
● DOT Conversion (安全基準)
計器表示部・タイヤ・ドアの補強・シートベルト・エアバッグ・バンパー・ライト類などの部品を精査してDOTマーク入りの部品と交換しなければならない。
● EPA Emission (排ガス基準)
触媒・EGRバルブ・ECU解析技術などを駆使してカリフォルニアの排ガス基準値をコールドスタートでクリアしなければならない。

【アメリカに輸出する際の非関税障壁】
・左ハンドル
アメリカは日本と逆で右側通行の左ハンドル。
基本的にアメリカでは右ハンドルは認められない。右ハンドルでよいのは郵便配達車だけ。
だからアメリカに輸出する日本の自動車メーカーは最初から左ハンドルで設計する。
ハンドルを右から左に付け替えればよいだけではないかと思うかもしれないが、そんな簡単なことではない。
自動車の根本に関わってくることであり、後からのハンドル付け替えは不可能と言ってもよい。というか、それなら一から作ったほうが早いといった感じになってしまうのだと思う。

・衝突試験
すでにアメリカに輸出実績のある車種についてはリストに掲載されていて安全に関わる情報もあるが、リスト未登録の車種にはない。
そうなるとアメリカの公認検査機関で何台もの車を潰してクラッシュデータを取って安全性を立証しなければならない。これが衝突試験と呼ばれるもの。
自動車メーカーが型式認定を受ける時には当然通らなければならない道だが、これを個人や小さな業者が行うとすれば負担は大きい。
膨大な数の自動車を輸出させるために数台の自動車をクラッシュさせるのと、1台2台あるいは数十台の自動車を輸出させるために数台の同種自動車をクラッシュさせるのでは意味が変わってくる。
この検査費用は数千万円かかるという。


・排ガス基準
世界で一番排ガス基準が厳しいのはガソリン車でもディーゼル車であってもアメリカのカリフォルニア州だと言われている。
カリフォルニア州には大気汚染に厳しい。
よってアメリカに輸出するにはそれをクリアしなければならない。
しかしながらカリフォルニア州以外は、日本の車検制度のような強制力を持った排ガス検査制度がなく、新車登録を済ませてしまえば後は野となれ山となれ。違法改造しても劣化してもチェック機能がない。
だからこそ最初の検査時だけ基準をクリアするような不正も行われる。
もっとも日本の車検でも車検時だけ基準クリアさせるというようなことが行われているが。
また基準が変わってもそれが適用されるのは通常新車だけである。古い基準で作られたものが新しい基準に適合しないのはある意味当たり前である。
新旧が大きく入れ変わらなければ、環境に与える影響は小さい。
でも新旧大きく入れ替えるとすると、廃棄物処理に関わるエネルギーと大気汚染、新車製造に関わるエネルギーと大気汚染も考えなければならない。
環境問題も多面的に見る必要がある。そんな簡単なことではない。

アメリカは大気汚染を防止するため、1963年に大気浄化法を制定した。
その後、1970年と1977年、1990年に大幅な改正がなされた。
1970年の改正は上院議員エドムンド・マスキーの提案(マスキー法)により非常に厳しい排気ガス規制が規定され、実現不可能とまで言われた。
しかしそれをクリアしないと販売できない。
とりあえず環境装置をつけて対応したが、大排気量を特徴とするアメリカ車のパワーは軒並みダウンすることになった。
マスキー法を世界で最初にクリアしたのは日本の自動車メーカー・ホンダであった。1972年にレシプロエンジンにて。搭載したのはシビック。
翌1973年にはマツダのロータリーエンジンがクリア。
ただあまりに厳しい基準だったので結局改正された。
基準クリアを第一に考えるとどうしてもパワーが落ちてしまう。
広大な国で乗る人の身体も比較的大きく、車も大きさやパワーを売りにしているアメリカの自動車メーカーは不利である。

近年は環境問題ブームで先進国はどこも基準が厳しくなっているので昔ほどの差はない。
排ガス基準については比較的ヨーロッパが甘いと言われることがあるが、ヨーロッパは昔からバスやトラックのような汚染物質量の多い車両にも規制をかけていた。
日本は規制をかけやすい乗用車をターゲットにして、バスやトラックには甘かった。
その差である。


アメリカに輸出する際の非関税障壁になっているこれらの事項は、生産から21年(あるいは25年)経過した歴史的または技術的に価値ある自動車に対しては免除される。「ビンテージ」扱いとなる。
基準をクリアしていなくても構わない。アメリカにおける検査をしないで登録可能。
州によるかもしれないが右ハンドルでもOK。
日産スカイラインGT-R、マツダRX-7、トヨタスープラなど日本のスポーツカーは人気があり、古い中古車でもかなり高額で取り引きされる。

基準の厳しい新車は小さな車を得意とする日本に有利で、排ガス基準などが免除される制度も日本に有利となっている。
関税だけ見れば日本が不利のように思えるが、輸出企業は現地生産によってその問題をクリアし、むしろ為替変動を利用できて優位な立場となる。
日本の自動車関税が0%であることは日本の輸入業者や顧客にとっても有利である。外国の車が安く手に入るのだから。
税金が取れなくて儲からないのは国家であるが、日本銀行にどんどんお金を出してもらえばいいんだし?(日本国埋蔵金)









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# by yumimi61 | 2017-11-28 13:18
2017年 11月 28日
日本国憲法の秘密-628- (外貨準備と貿易について)
以前私はマツダのMPVに乗っていたが、あの自動車はもともとはアメリカ輸出用として設計生産されたものである。
後に日本でも販売された。

1988年 - 北米向け専用車として生産開始。
1990年1月 - 国内販売開始。


1995年10月 - マイナーチェンジ。
グレード体系も大幅に拡大され、2-3-3シートレイアウトを持つ8人乗り仕様、MPV初のディーゼルエンジンである2500ccWL型のディーゼルターボ搭載車の設定及び4WD車も初めて追加された(ただしディーゼルエンジンのみの搭載)。センターデフロック機構と二輪駆動から四輪駆動へ走行中に切替が可能なスーパーデュアル4WDが搭載され、さらに最低地上高が引き上げられたグランツシリーズ4グレードも追加された。


私はこのディーゼル車の4WDに乗っていたのだった。
外観というか形がとても気に入っていたが性能も乗り心地も良かった。タフで丈夫な車だったと思う。
日本で販売していた同じくらいの価格の車や後に出てきた自動車に比べると、内装や後部座席のシートの移動など室内スペースとしてはいまいちだったかもしれない。
MPVは1999年にフルモデルチェンジを行って形が大きく変わってしまい、それまでのMPVらしさを失い他と見分けがつかなくなったので、以後のMPVには私は全く興味を持てなかった。
そのMPVも2016年に販売を終了した。
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# by yumimi61 | 2017-11-28 13:18
2017年 11月 27日
the past
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# by yumimi61 | 2017-11-27 23:58
2017年 11月 26日
日本国憲法の秘密-627- (外貨準備と貿易について)
【パターン1】
日本の輸出企業がアメリカでドルを稼ぐ。
  ↓
そのドルを為替市場で円と交換。(⇒日本のドル建て貿易が輸出>輸入だと為替市場は円<ドルとなり円高に動く)
  ↓
交換した円は企業の収入となり、次なる人件費・諸経費・設備や研究投資、利益分配などに充てられる。


【パターン2】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業がドルを稼ぐ。
  ↓
現地生産しているのでドルを円に交換しない。(⇒日本のドル建て貿易が輸出<輸入だと為替市場は円>ドルとなり円安に動く)


【パターン3】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業が日本から部品を輸入する。
  ↓
部品を売った日本の企業がドルを稼ぐ。⇒(日本のドル建て貿易が輸出>輸入だと為替市場は円<ドルとなり円高に動く)
  ↓
交換した円は企業の収入となり、次なる人件費・諸経費・設備や研究投資、利益分配などに充てられる。


【パターン4】
日本の輸出企業がアメリカでドルを稼ぐ。
  ↓
国内でも十分円を稼いでいて資金力があるので、ドルを交換しないで保有しておく(ドル建て決済にドルが使用できるため)。
  ↓
このような企業が増えると、日本のドル建て貿易が輸出>輸入だとしても為替市場は円>ドルとなり円安に動く。


【パターン5】
アメリカで現地生産している日本の輸出企業が日本から部品を輸入する。
  ↓
部品を売った日本の企業がドルを稼ぐ。
  ↓
国内でも十分円を稼いでいて資金力があるので、ドルを交換しないで保有しておく(ドル建て決済にドルが使用できるため)。
  ↓
このような企業が増えると、日本のドル建て貿易が輸出>輸入だとしても為替市場は円>ドルとなり円安に動く。


近年の日本の実質実効レートは低く円安である。それに比べると円ドルレートは円高であり(円高でありつつも安倍政権では円安方向に推移していた)、乖離が認められる。
日本の輸出企業が稼いだドルを円に交換することを考えると(パターン1や3の場合)、円安にあったほうが儲かるのだが、輸出が強いと結果的に円高に振れてしまうという矛盾がある。
アメリカから日本への投資が増えても円高に動く。

それで日本政府は為替介入して円安に誘導していたのではないかと考えられる。(結果として外貨準備高が異様に大きい)
しかしそれを諌め釘を刺したのがプラザ合意。
以後円ドルレートは円高方向に動いた。
状況が一変し輸出企業は国内生産で利益を上げることが大変厳しくなったので海外進出が盛んになった。
人件費や諸経費が安くあがるアジア圏での生産、輸出に関わる運賃代や関税をなくす目的での現地生産を始めた。
これによって日本の輸出企業の雇用は大きく失われる。
また支店ではなく子会社・現地法人など別法人として外国に会社を設立した場合、所得税などの税金は外国に落ちるので日本には入ってこない。
これを産業空洞化と言う。
輸出企業が稼ぎ頭となっている国にとっては大変な痛手である。

輸出の強い貿易黒字国日本の輸出企業が生産拠点を外国に移すと、どちらと言えば円安に動くはずなのだ。
しかしプラザ合意以降、円ドルレートが大きく円安に動いたことはない。
そうなるとやはりプラザ合意前のレートが実態から相当かけ離れていたという証拠となる。


もし日本政府がプラザ合意後は円ドルレートを円高に誘導しているとするならば為替市場にドルを入れる必要があるが、ドルは自国通貨ではないので日本円のように自由にはならないはずである。
そのため日本がドル紙幣を作っているという黒い噂もなくはないが、その前に借りる、あるいはプライベート的に交換するという方法がある。
相手が誰かと言えば、ドルを沢山持っている人。日本の輸出企業とか、外国の投資家とか資産家とか。
でもドルを入れて円と交換したら外貨準備高が伸びないはずである。
それが伸びているということは円を入れて円安誘導を試みている(が思うほど成果が上がらない)と考えるほうがしっくりくる。

円ドルレートと実質実効レートが開いてしまう理由は対アメリカ以外の輸出に弱いということもあるが、開き具合が大きいのは紙幣供給によるインフレの影響があるからだろう。



プラザ合意以後、現地生産が増えたため貿易統計(通関ベース)ではトップでこそないが、戦後の日本を代表する輸出品である自動車。
日本にとってのお得意様はアメリカである。
自動車を輸入する形態には2つある。
①正規輸入
②並行輸入(業者・個人)

但しこれらは俗にそう呼んでいるだけで、この言葉自体は法律に基づくものではない。
自動車の型式ごとに安全性や環境性などを届出して、相手国や州の法律に基づき型式認定された自動車を正規輸入車と呼んでいる。
ハンドルが右か左かを含めて相手国の基準に合わせた仕様になっているということ。

(ハンドル位置について)
日本では一部の輸入車が左ハンドル仕様のままで正規輸入・販売されており、これは世界的には特殊な例である。海外においては、ごく一部の例に限られている。
これは「左ハンドル」に対し、ごく一部において「ステータスシンボル」「高級外国車の象徴」といった、自動車本来の機能とは無関係な要素を見出している日本独特の現象であり、輸入販売元がその嗜好にあわせ対応している結果である。通常とは逆側の、運転席が歩道側に面する自動車が、ごく一部であるとはいえそのような地位を得ていることは、先進国の中では日本のみであり、極めて特殊な現象といえる。

最近では日本でも右ハンドルの外国車が増えている。
日本からアメリカに輸出する正規輸入車(型式認定車)は左ハンドル仕様となる。

日本からアメリカへの輸出ならば、日本の自動車メーカーのアメリカ法人や商社などのインポーター(輸入業者)が日本から輸入し、ディーラーと呼ばれる正規販売店(正規代理店)で販売される。
誰でもが販売できるわけではない正規販売店(正規代理店)が扱っていて、販売・サポート体制を完備しているので安心感がある。
最初から外国で使う車として設計されるのだから、原価が幾らで幾らくらいで売り利益をどれくらい取るかなどといった計算もドル思考である。現地生産しているならば尚のこと。
最終的に輸入車の定価を決定するのはインポーターであるが(輸入業者もまた利益を出す必要があるので)、最初からドル思考で組み立て輸出するものなので顧客が為替レート変動の影響を受けることはほとんどない。


例えば日本の自動車メーカーがアメリカでの販売価格30,000ドルと決めた自動車。
 ・1ドル=300円(円安)でも販売価格は30,000ドル
 ・1ドル=100円(円高)でも販売価格は30,000ドル
やや極端だけれどもそういうことである。
現地生産していて現地法人がドルを保有すれば収入30,000ドルは30,000ドル。
しかしその30,000ドルを日本法人に渡すとすれば、円安時には900万となり、円高時には300万であり、1台に付き600万も差が出る。



型式認定されている正規輸入車以外は全て並行輸入車である。
日本では販売されているけれど、日本自動車メーカーがアメリカで型式認定の申請をしていない車をアメリカが輸入(日本から見れば輸出)すれば、業者が行おうと個人が行おうと並行輸入となる。
また型式認定されている車でも正規販売店(正規代理店)以外のルートから購入したものについては並行輸入と呼ぶこともある。
中古車は全て並行輸入である。
新車であっても並行輸入の場合には走行距離が0kmということはまずない。
並行輸入車は基本的に時価であるので、為替レートの影響を受ける。

例えば日本で販売価格300万円の自動車。
 ・1ドル=300円(円安)の時ならば購入者は10,000ドル必要
 ・1ドル=100円(円高)の時ならば購入者は30,000ドル必要
やや極端だけれどもそういうことである。

従って為替レートの推移を見ながら安く買える時に購入するという方法がとれる。
並行輸入車の場合には販売価格(本体価格)以外にも、輸入に関わる諸経費・輸送運賃・手数料・検査費用などで、安くても100~200万くらいプラスして必要となる。










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# by yumimi61 | 2017-11-26 15:27
2017年 11月 26日
aluminum
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To play billiards moderately well is the sign of a gentleman;
to play it too well is the sign of a misspent life.
-Mark Twain
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# by yumimi61 | 2017-11-26 01:15
2017年 11月 24日
日本国憲法の秘密-626- (外貨準備と貿易について)
先日、日本は概ね貿易黒字国である、と書いた。
貿易黒字とは輸入よりも輸出が多い状態である。
細かいことを言うと、貿易収支にも2つ種類がある。

1.「国際収支統計」の貿易収支(決算ベース)・・財務省と日本銀行が発表
2.「貿易統計」(通関ベース)・・財務省が発表

2の「貿易統計」は税関を通過した貨物を集計の対象としていて、金額は貨物(輸出する荷物)の金額であり、輸送運賃や保険料を含まない。

1の「国際収支統計」は物だけではなく、財貨・サービス・所得・資本・国の金融資産など全ての取り引きが含まれる。いわゆる経常収支。
その中から物の取り引きだけを抜き出したのが「国際収支統計」の貿易収支。
物の取り引きだけを抜き出したと書いたが、物の取り引きに関わる輸送運賃や保険料、輸送船舶や飛行機の燃料代や修理代、紙幣以外での決算など全て含まれるものなので、当然「貿易統計」の税関通過時貨物代に比べたら金額はずっと多くなる。
またこちらは税関を通過したかどうかは関係ない。所有権が国を移転した時点で取引をカウントする。
例えば日本企業が現地生産して現地で販売すれば税関を通過しない。従って「貿易統計」の貿易収支(通関ベース)には含まれてこないが、「国際収支統計」の貿易収支には含まれる。


先日、パソナが運営会社の貿易女子のためのサイトで貿易赤字の説明が間違えていることを指摘したが、間違いがあった記事のタイトルは「日本はアメリカに何を輸出し、何を輸入しているの?」というものであり、グラフなどで輸出入上位10品目を紹介していた。
あのグラフの出典にはUSITCとあった。
The United States International Trade Commission (USITC)、アメリカ国際貿易委員会のことである。

日本の会社が日本の輸出入を紹介しているのに、日本ではなくアメリカ国際貿易委員会のデータを用いているということになる。
これも細かいことだけれど、グラフは全て日本語で記されていたので何かの資料からそのまま引っ張ってきたものでなく、数字を自分でグラフ化したか訳して作成したグラフなはずなのでアメリカ国際貿易委員は参考(参考資料)とすべきである。

そのパソナのグラフで、アメリカ向け輸出上位10品目の1~3位。
①車両(鉄道除く)35.1% ・・自動車だけだと27.8%
②原子炉・ボイラーなど 22.2%
③電気機器・部品 12.6%

車両(自動車)がトップに来ているので、これは上の2.「貿易統計」(通関ベース)ではなく、1.「国際収支統計」の貿易収支のほうである。
これが通関ベースになると自動車がトップではなくなる。
通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である。

細かく見る時にもうひとつ注意しなければならないのは分類である。
機器・機械・同部品の主な輸出品は次のように分類できる。

<輸送用機器>
・自動車
・自動車部品
・船舶
・二輪自動車

<電気機器>
・半導体など電子部品
・電気回路などの機器
・電気計測機器

<一般機械>
・原動機
・ポンプ、遠心分離機
・電算機類の部分品

<その他>
・科学光学機器
・写真用や映画用材料

グラフや表を作成する時には分類を独自にまとめていることが多いので、その分類の仕方によってランキングや金額は変わってしまう。
例えば私は上で、通関ベースでトップは、機器・機械・同部品である、と書いた。
その機器・機械・同部品には自動車と電子(半導体など電子部品やコンピューター)を含んでいない。
自動車はたいてい別になっている。


貿易統計(通関ベース)における2015年日本の輸出上位6品目(アメリカに限らない)
①機器・機械・同部品
②自動車
③化学製品
④電子
⑤鉄鋼
⑥船舶


日本の産業構造や輸出品の転換点は1954年。この時から①機器・機械・同部品が輸出品として急成長していく。高度経済成長期の始まりの年だった。
明治時代から戦前の輸出を支えたのは生糸である。生糸が輸出金額の大きなウェートを占めていた。
明治期には生糸の他、お茶や米、水産物など一次産業の品も輸出上位に入った。
大正時代・昭和時代には生糸には及ばないものの綿織物が急増した。
生糸・綿織物・絹織物など繊維品が下降し始めたのは1931年満洲事変以後。日本は1933年に国際連盟を脱退し、1938年に国際連盟が対日経済制裁を採択。

繊維品と機器・機械・同部品の輸出割合が最初に逆転したのは太平洋戦争勃発(アメリカへの奇襲攻撃)の1年前1940年のこと。ヨーロッパ勃発の第二次世界大戦は1939年に始まっている。
戦時中は機器・機械・同部品の割合が急上昇。(あくまでも輸出総額に対する割合であり輸出額や量が多いとは限らない)

戦後は再び生糸と綿織物が復活。戦後5年(1950年)の間に生糸と綿織物の割合が入れ替わり、トップに立った綿織物も1950年をピークに割合を下げ、1958年には機器・機械・同部品と並び、その後は機器・機械・同部品の割合が圧倒的となっていく。

繊維の輸出が減少していく背景にあるのは粗悪品である。
明治期~戦前は輸出品に厳しい検査を課していた。
規制緩和によってそれがなくなると粗悪品が目立つようになる。

輸出検査ー日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
戦前は重要輸出品取締法によって公設検査機関による検査が強制され、それに合格しなければ輸出が許可されなかった。
戦後に制定された輸出品取締法は、業者の責任で自主的に行う自主検査へと急転換し、品目によってその品位を示す等級を表示することになった。
しかし、1956年(昭和31)前後から海外で日本商品のなかに多くの粗悪品が発見されて問題化され、それを契機として検出検査制度の強化への要望が高まり、これにこたえて輸出検査法(昭和32年法律97号)が制定された。同法によれば、指定貨物は原則として政府機関または政府指定の検査に合格しない限り、輸出できないことになった。
検査を受ける指定貨物は輸出検査品目令(昭和33年政令3号)に明示され、品質については材料検査と製造検査、包装については包装条件が検査される。同時に、なれあい検査を抑止するために指定検査機関と検査自体に対する監視・監督が強化され、罰則も厳しいものであった。しかし、その後の日本の技術力向上と、政府による規制緩和推進により、輸出検査法は1997年(平成9)に廃止された。


上記のとおり、1957年に輸出検査法が制定されて検査が強化されたが、綿織物の輸出割合が浮上することはなかった。
1ドルのブラウスをアメリカ貧困層向けに輸出していた時期も下降の真っ只中にいた。
ジョンソン大統領やニクソン大統領が日本の繊維(綿ではなく麻だったりして?)を問題視していた1960年代後半や1970年代前半の日本の綿織物の輸出割合は3~1%しかなく、機器・機械・同部品が25%ほどに伸びていた。(綿織物は1949年がピークで28%)
だから日本にしたら、何でいまさら繊維を規制する必要があるのか?と思っていたのかもしれない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society. -Mark Twain
もう一方の側面は、衣類の価格差に横たわるのは人権問題であるという認識。安い賃金にて劣悪な環境で働く人がいるからこその低価格という認識。
沖縄返還と繊維輸出規制を交換したアメリカの真意はどこにあったのだろうか。


1958年に割合トップに立った①機器・機械・同部品は伸び続け、1985年に30%になっていた。
そしてプラザ合意。その後さらに伸びて35~40%になり今日に至る。
これは海外進出によって部品の輸出が伸びたからだろう。

自動車の輸出も高度経済成長期から始まり、1965年~1980年の間に大きく成長した。
自動車の割合のピークは1986年の20%で、その後は15%前後で推移している。こちらも現地生産が増えたということだろう。







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# by yumimi61 | 2017-11-24 15:09
2017年 11月 24日
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# by yumimi61 | 2017-11-24 00:30
2017年 11月 23日
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# by yumimi61 | 2017-11-23 01:07
2017年 11月 21日
日本国憲法の秘密-625- (外貨準備と貿易について)
日本などは輸出に有利な状況でいたいので、為替介入してドルを自国で貯め込む。
この為替介入によってドル安にならないのだ。
要するに貿易赤字の国の通貨がいつまでも価値がある状態(ドル高)であり、実態と乖離した状態となっていた。
ニクソン大統領の時と同じような状況で、再びドル危機が危ぶまれていた。
それを回避するための合意が1985年9月のプラザ合意だった。


プラザ合意( Plaza Accord)
1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。



日本政府が為替市場にて円とドルを交換すると為替介入となる。
為替介入すると外貨準備高が伸びる。
中国と日本は外貨準備高が異様に高い。

通常為替介入は自国通貨に急激な為替レートの変動があった時に行うものである。
変動相場制なので何らかの理由で急激に為替レートが変動する可能性がある。
しかし急に大きく為替レートが変わってしまうと輸出入企業や金融業界、投資などに大きなダメージを与えかねない。それは国の経済にも直結する。
そこでその急激な為替レートの変動を抑えるために政府(中央銀行)が介入する。
例えるなら右に大きく振れたものを左側に引っ張って元の位置付近で安定させるということ。
左に引っ張りたいがために安定してもなお左に誘導するのではないし、ましてや安定しているものを自国に有利だからといって継続的に左に誘導するものでもない。

プラザ合意は為替レートの安定化を目的に、複数の国で為替レートを一定の水準まで誘導することに合意した。
要するに急激に為替レートの変動があったわけではないが、今の状態は世界経済に良くない状態であるとの共通認識のもとに、アメリカ・日本・イギリス・フランス・西ドイツの5か国が協調介入して目標とするレート付近まで誘導することにした。
複数の国の政府が強力しあっているのだから、為替レートを一方向へ操作する強い影響力を持つ。が反面、秘密裡に進めるわけではなく公表して行うことであり、それに対抗する市場というものもあるので、急激に起こる為替レートの変動ほど世の経済に影響を与えない。


日本は外貨準備高がどんどん大きくなっていったのだから、当然政府の継続的な為替介入が疑われていただろう。
それは日本の貿易を有利にするのだ。
日本の最大貿易相手国はアメリカである。
そのアメリカは貿易赤字を増大させている。
問題にされて然るべき状況。
プラザ合意は日本に対する圧力だったと考えることができる。

だからこそプラザ合意は日本航空123便墜落の陰謀説の一番の理由として挙げられているわけである。
「これでもあなたたちはプラザ合意に合意しないおつもりですか」という無言の圧力をかけるために日本航空123便をアメリカが撃ち落としたという陰謀説。

この陰謀説には決定的な欠点がある。
日本航空123便は海上で最初に何か衝撃があった後、内陸や横田基地方面に向かっている。
横田基地に不時着を試みたような飛行ルートや高度の下げ方なのだ。
何者かに攻撃されたということならば、その状況を一番よく分かっているのは機長である。(特に日本航空123便機長は元自衛隊パイロット)
アメリカに攻撃されたとするならば陸の上空を進むという危険を冒して横田基地になんか向かうわけがない。
横田基地に向かったということは逆だったとしか考えられないのだが。


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ドルが基軸通貨な上に、日本はアメリカとの貿易が盛んなため、円高と言えば円がドルに対して上昇している状態であることを指していることが多い。
しかし世界の通貨は円とドルだけではなく、ドルに対して円高であっても、他の通貨に対して円高とは限らない。
実効為替レートは主要15通貨に対する為替レートの合成値(為替レートの一定時点を100として指数化して貿易額に応じて指数を加重平均する)である。
さらにインフレによる通貨価値の下落分を差し引いている。
実効為替レートは国際的な通貨の実力、おもに国際的な輸出競争力を示すとされている。
数値(指数)が高いほど通貨価値が高い。

水色の折れ線グラフは単に対ドルの為替レート。1ドル何円かというあれである。
青の折れ線グラフが上で説明した実質実効レート指数。
ここ何年かの日本は安かろう悪かろうの綿製品をアメリカに輸出していた1970年代前半の実質実効レートと同じくらいに通貨価値が低くなっている。
通貨量的に言えば、通貨が流通しすぎている状態ということになる。


上のグラフに私が線などを書き入れてみた。
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 ・黄色期間は、バブル景気(1986年12月~1991年2月)と呼ばれる好景気期間。不動産や有価証券などの高騰が主。
 ・①⇒期間は、いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)の期間。
  いざなみ景気時の首相:小泉首相、安倍首相、福田首相
 ・②⇒期間は、再登板後の安倍内閣(アベノミクス)期間。

この3つの期間はいずれも好景気といわれている。
だが見てお分かりのように実質実効レートは低下している。
好景気に導く簡単な方法は通貨を供給することである。
景気なんて気分だから、物価が上がっていても給料が上がって儲かった気になるし、自分には何ら関係なくても世間様(マスコミとか)が景気の良い話をしているとそんな気分になってしまうものなのだ。


・黒⇒期間は、安定成長期(1973年12月~1991年2月)の期間。

上がった景気は必ず下がる。山(好景気)あり谷(後退期)あり。その山や谷がどれだけ高いか低いか、山や谷がどれだけ続くかの違いである。
安定成長期の中にも山も谷もある。
安定成長期とは、どれくらい経済が成長しているかの指標である経済成長率(GDPか国民所得の年間増加率)が安定的に伸びていた期間。
1973年12月~1991年2月の間は5%前後で安定して成長していた。
バブル景気が殊更異様に語られることが多いが、バブル期も経済成長率には大きな変化はなく前20年間と同じような伸び率だった。
経済成長率が大きかったのが高度経済成長期(1954年12月~1973年11月)。
高度経済成長期を好景気と勘違いしている人が時々いるがイコールではない。
経済成長期は日本で物を沢山作るようになった、サービスを沢山するようになったということ。儲かったとか儲からないとか景気が良いとか悪いとかは直接は関係なく一生懸命働いている証。
安定成長期は1991年のバブル崩壊(1991年大学設置基準緩和)とともに終わり、以後2~0%を推移。
1998年、1999年、2008年、2009年。2011年はマイナスだった。
大卒者は増えたが物を前より多く作り出せなくなった。サービスが増えることもなくなった。付加価値が生み出せなくなってしまった。

必要なものは大抵揃っている。人件費は高い。人々は早く帰りたくて休暇を取りたい。アイデアは出てこない。
作っても売れない、作らなくても概ね満たされている、この国で作ったら高く付く、先進国はどこもそのような状況である。
人間も成長期を過ぎたら成長がなだらかになり、やがて少しずつ失っていくほうになる。
先進国も成長期を過ぎた観がある。
一生ハングリーだと短命であると前に書いたけれど、ハングリーというのは成長期と言い換えることも出来る。








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# by yumimi61 | 2017-11-21 12:29
2017年 11月 20日
日本国憲法の秘密-624- (外貨準備と貿易について)
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日本は概ね貿易黒字国である。
貿易黒字とは輸入よりも輸出が多い状態である。
輸入の時は相手国にお金を支払う。支出となる。
輸出の時は相手国がお金を支払ってくれる。収入となる。
支出(輸入)よりも収入(輸出)が多くなれば黒字である。
収入(輸出)よりも支出(輸入)が多くなれば赤字である。


貿易キャラナビTlady 学んで使える貿易女子のデイリーマガジン 
貿易事務に携わる方、貿易事務を目指す方のためのお役立ち情報メディア
というサイトがある。
サイト運営会社は株式会社パソナ (Pasona Inc.)。
国家戦略特区諮問会議の民間有識者議員である竹中平蔵が取締役会長の会社。
代表取締役グループ代表は南部靖之。
パソナ創業者。大阪大学大学院国際公共政策研究科客員教授。
兵庫県神戸市出身。兵庫県立星陵高等学校、関西大学工学部卒業。学位は工学士(関西大学)。
ベンチャー企業の起業家が一般的ではなかった時代には、ソフトバンクの孫正義、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称された。
竹中平蔵を2007年2月からパソナ社の特別顧問としていたが、2009年8月からは「取締役会長」及び「アドバイザリーボード」のメンバーとした。
投資ジャーナル事件で逮捕された中江滋樹とは盟友関係にあった。 また、2014年に覚醒剤取締法違反等の容疑で逮捕されたASKAとその愛人女性との出会いの場となったパソナ迎賓館「仁風林」で開かれた秘密パーティーの主宰者が南部だった。


関西大学卒業ということだが、森友学園の籠池理事長(元理事長になるのかな?)も関西大学卒業生。
非常勤(客員)ならば博士の学位がなくても教授になれる、フリーターバンザイ !?
それはともかく。


2017/01/05の貿易コラム 教えて、こんてなん!「日本はアメリカに何を輸出し、何を輸入しているの?」という記事。
この中に重大な誤りの記述がある。

戦後、日本とアメリカの間で貿易が盛んに行われ、1980~90年代のアメリカの大統領と日本の首相が対談するときには、アメリカの貿易赤字(日本にとっては貿易黒字)による貿易摩擦問題がそのトピックスに取り上げられたんじゃ。

※貿易赤字とは、輸入より輸出が上回る(お金を外国に支払っている量が多い)状態を指します。アメリカの対日貿易赤字は1991年がピークで、翌年以降徐々に低下しています。現在もアメリカの貿易赤字が続いていますが、かつてほどの差はなく、アメリカ国内では対中貿易の赤字の方が問題視されています。


貿易赤字は、輸出よりも輸入が上回る状態。
漢字の出が付いているから支出、入が付いているから収入ではない。
物とお金の動きは逆である。
国の経済担当相や国家戦略特区の有識者が会長の会社が運営しており、しかも貿易ナビゲーターのサイトなので胆になる部分であり、輸入輸出が逆さまになってしまったら単なる間違いでは済まない。

名前:こんてなん
年齢:??
趣味:鉄道写真
自己紹介:
ワシのことは「こんてなん」と呼んでおくれ。そこらへんの港に積まれとるコンテナだと思ったら大間違いじゃ。ワシのボディーには、貿易に関する知識や、世界各国を旅した経験がパンパンに詰め込まれているのじゃぞ!県道沿いの空き地に放置されとる元カラオケボックスやトランクルームみたいにならぬよう、これからも精進せんといかんのう。





ニクソンショックをきっかけに唯一金本位制だったドルもその役目を終え、固定相場から変動相場に移行した。
ニクソンショックの前のアメリカ国内はドルが国外に流出しデフレだった。
それがやがてインフレに傾いて行く。
何故かと言えばアメリカも金の縛りなくドルが供給できるようになり、どんどん供給したからだ。

ブレトン・ウッズ協定が1971年から1972年に掛けて崩壊し、ニクソンは連邦準備制度の金の窓口を閉鎖し、合衆国は金本位制から完全に離れた。この間1971年12月、ハント委員会(President's Commission on Financial Structure and Regulation)が開かれ、定期性預金の預金金利最高限度を廃止してマクファーデン法のモーゲージ規制を骨抜きにしたり、特に貯蓄貸付組合と相互貯蓄銀行をモーゲージ貸付に誘導したり、連邦住宅局保険付貸付・復員軍人局保証貸付によるモーゲージ金利最高限度額規制を廃止したり、全金融機関で住宅モーゲージ貸付由来の利子所得に特別税額控除制度を適用したりすることが同委員会より勧告された。
1973年10月に金融機関法案が同委員会の勧告を多分に盛りこみ上程された。
1975年以降、議会に追及されながらも連邦準備制度が通貨供給量を増やしていった。
連邦準備制度の独立性保証が先のハント委員会で勧告されていた。
このような一握りの人間が計画した官民連携が、西海岸の住宅ローン、特に将来のサブプライムローンが太っ腹に組まれる条件としての資産インフレを招いた。


日本でも紙幣供給しすぎて怖いのはこのインフレであるが、その予防策としては日本銀行の国債売りがある。
国債を買い入れる時に紙幣発行したのだから、日本銀行は国債を保有している。
その保有国債を売れば対価としてのお金が日本銀行に入ってくる。つまり世に出た紙幣を引き上げて日本銀行に戻させることが可能。
もちろん国債を買ってくれる人がいなければ売りたくても売れない。
またどんなに紙幣発行しても市中銀行にそれが留まっているうちはインフレにはならない。
銀行から紙幣が世に出ていくには借金する人を増やしたり預貯金を引き出してもらう必要がある。だから金利を下げたりする。

・日本銀行が国債を沢山保有している状態は世にお金を沢山出した状態。(デフレ対策になる)
・日本銀行が国債を売って保有を減らしている状態は世からお金を引き上げている状態。(インフレ対策になる)


アメリカはニクソン大統領の後のジェラルド・R・フォード大統領、ジミー・カーター大統領、ロナルド・レーガン大統領の間、およそ15年くらいインフレの状態が続いた。
 紙幣の量>物の量 →インフレ(物価高、貯金や借金の目減り)


インフレは紙幣量に比べて品薄で物の値が高いということだから、他国から物が入りやすい状態である。アメリカは輸入が増える。日本などはアメリカ向け輸出が増える。
ドル決済だとドルが支払われるのでまたまたドルは外国へ流出するが、今度はドルを供給しているのでアメリカもデフレにはならないし、国際的にドルがかなりインフレ状態となっているので流入によってもアメリカのインフレは拡大する。

規制緩和の動きはニクソンが辞任したときに始まり、フォード、カーターおよびレーガンの政権下で超党派の動きとなった。最も重要なのはエネルギー・通信・輸送・金融各分野から、グラス・スティーガル法とニューディール政策の規制を取り去ることだった。預金と貸付の規制を急いで緩和したが、一方連邦保険はそのままだった。これが預金・貸付危機となり、政府は推計で1600億ドルを失った。間接金融から逃避した資本は投資銀行の日欧進出を勢いづけた。

バランスの悪い規制緩和によって危機を招き、銀行(間接金融)に預けられていた紙幣も銀行を敬遠する形で世に出た。これで一層インフレを加速させた。
アメリカはインフレの悪循環に陥っていたとしか思えない。

1981年に就任したレーガン大統領は高インフレ抑制政策として厳しい金融引締めを行った。
ドルの供給量を抑えて金利を上げ、世の紙幣流通量を減らすのが金融引き締め。
その結果、ドルの金利は20%にまで達した。
金利が高いと金融機関にお金が集まる。世の中から紙幣が減っていく。
アメリカ国内はもとより金利20%に惹かれ世界中からドルがアメリカへ流れ込む。
でも金利狙いであり世に出るわけではないからインフレにはならない。
こんな高い金利では借金する人も少なくなるから紙幣は世に出ない。
こうしてアメリカの紙幣流通量が減り、高インフレが解消していく。
但しこんな金利が高いと働かなくてよい人が出てくる。
一生懸命仕事しないのでアメリカ政府の収入には繋がらない。財政赤字になる。
アメリカ国内が働かなくなって物が不足したら輸入する。すると貿易赤字が進む。
他国から来てアメリカ国内で金融商品を買われたら国際収支も赤字になる。

こうなると次に行うのは金融引き締めの反対の金融緩和である。
また世にお金を出すのだから世間の金回りはよくなって景気は良くなる(ように見える)。
金利も下がったのでまた借金して物を買う人も増える。
金利が下がったのでまた働くかぁと思う人もいる。
物に対する需要が全体的に上がるので品薄となり価格も上がっていく。
するとまた外国から物が入って貿易赤字は続いていく。ドル決済ではドルは外国に出ていく。
しかし金利が下がった状態ではドルがアメリカに流入してこない。
日本などは輸出に有利な状況でいたいので、為替介入してドルを自国で貯め込む。
この為替介入によってドル安にならないのだ。
要するに貿易赤字の国の通貨がいつまでも価値がある状態(ドル高)であり、実態と乖離した状態となっていた。
ニクソン大統領の時と同じような状況で、再びドル危機が危ぶまれていた。
それを回避するための合意が1985年9月のプラザ合意だった。






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# by yumimi61 | 2017-11-20 17:30
2017年 11月 19日
日本国憲法の秘密-623- (外貨準備と貿易について)
企業など生産者が同じ費用で沢山の製品を作れるようになると製品の価格は下がる。
同じ費用で沢山の製品を作れるようになる理由は、原材料費の低下、人件費の低下、技術革新などである。

もっともそれも生産者が価格に乗せる利益取り分が同じであるという前提での話である。安く作れるようになったからといって利益取り分を多くしたら製品価格は変わらない。
でも多くの企業が作れるようになった製品ならばどこかの企業が利益取り分を減らして価格を下げてくるかもしれない。同じような製品が安ければ消費者はそちらになびく。
こうなると他の企業も利益取り分を減らして価格を下げざるをえない。
下げないで高くしておきましょうという企業同士の協定(カルテル)は独占禁止法で禁止されている。
このように技術革新(多くの企業が作れるようになること)は市場競争にて価格低下をもたらす。同時に技術的に安定したということでもあり質は向上する。

経済関係のテキストを見ると、製品の価格が下がる理由として技術革新が挙げられていることが多いが、技術革新には落とし穴がある。
技術革新を進めるにあたっては研究費や設備費など予め投資(資金投入)がなされているので、その資金の回収を考えれば本来すぐに製品価格に反映してくるものではない。
だが沢山作れるようになったことをすぐに価格に反映させてしまう風潮があり、市場競争で下げざるをえなくもなる。
そうなると1つの製品をよほど数売らないと投資した費用を回収できないということになる(薄利多売)。
多売には一時期に爆発的に売る方法と、長期に亘って地道に売っていく方法があると思うが、後者には技術革新とは相反するイメージがあり、技術革新をウリにする企業や国は前者嗜好になる。熱しやすく冷めやすい世間を相手にする場合にも前者が合致する。
一時的にでも爆発的に売れて投資した費用を回収できればよいが、完全に回収できなかった場合にはその状態で新たな投資をしていくのだから必要経費が増大していくことになり、赤字に陥りやすい経営となっていく。
必要経費(研究費や設備費)の増大を、不動産投資や金融投資の利益で補おうとして失敗することもある。



1955年のアメリカの繊維製品の関税引き下げを受けて、アメリカでは日本製の安価な綿製品の輸入が激増した。
日本製のブラウスがアメリカで1ドル(360円)で大量に売られたというのだ。
同じような製品がアメリカでは1000円で売られていたとしたら、アメリカ企業は大打撃。日本製に合わせて価格を下げたら利益どころか人件費も出ない。研究費や設備投資も回収できない。
同じ環境で経営していたアメリカ企業の自由競争や技術革新を外から入って来た安価な製品が阻害してしまうのだ。

その製品は粗悪な物であった。それが本来高い物であるならば資金力のある企業が不当に安く売ってアメリカの市場競争の破壊を狙っているのではないかと言えてしまうわけだが、そうではなくて粗悪で安かった。
つまり日本のそれは技術革新で安くなっているのではなく、安い材料・安い人件費で安いのだ。安かろう悪かろうという単純な世界である。
こうなるとダンピングであると訴えることは出来なくなる。
もしもそんな粗悪なものに関税が乗ってアメリカと同じくらいの価格になってしまえばアメリカでは売れない。
だけど悪くても安い物なら買う人はいる。
関税引き下げは日本に有利な状況をもたらした。

現代の日本だって100円均一、ワンコイン、アウトレット、社外品(純正品以外)など質は落ちることが分かっていても安さゆえに人気があるものがある。
当時日本はそのあたりを主張した。
アメリカの繊維企業は損失なんか出さない。ターゲットにしている購買層が違う。今までブラウスの買えなかった貧困層が買えるようになっただけのこと。そのような主張である。


米繊維業界が日本製繊維製品の輸入制限を主張する根拠は、「安価な日本製品の増加により、国内産業が衰退し雇用が減少しているため」というものである。
しかし、1969年10月4日のリンドン・ジョンソン大統領の命により関税委員会が行った米国繊維産業の実態調査の報告書(1968年1月15日提出)では、
・米国繊維産業はかつてない急成長を果たした
・国内他製造業に比べても繊維産業の企業利益は大きい
・安価な輸入品は低所得者の必需品購入を助けている
・輸入により、特定の製造業者の利益や雇用に影響が生じたという資料は得られなかった

とされている。このことから、ジョンソンは自由貿易の堅持を主張したが、繊維規制を公約したニクソン大統領の就任後、繊維輸入規制運動が活発化した。
これには、「米国は自由貿易を推進している。これに逆行する規制を主張するならば、米国産業への被害をきちんと立証すべきだ」という批判が行われた。


上の批判は、「愛媛県今治市に獣医学部新設が必要な理由を客観的根拠・全国的視点で持ってきちんと説明すべきだ」と言ったところ、「国家戦略特区は岩盤規制打破を推進している。これに逆行する規制をす主張するならば、獣医学部新設の必要ない根拠をきちんと立証すべきだ」と言い返した国家戦略特区関係者を彷彿させますね。
だけどどんなに説明したところで聞く耳がなければ(ありきの世界では)通用しないような気もしますが。

日本国内だけでなくアメリカにも規制に反対する者がいた。何と言っても アメリカは自由がウリな国なので。
上ではリンドン・ジョンソン大統領の命により関税委員会が行った米国繊維産業の実態調査の報告書の例が挙げられている。

リンドン・ジョンソン大統領
1963年11月22日にケネディ大統領暗殺事件で副大統領から大統領に昇格し政権を引き継いだ。
翌1964年の大統領選挙では暗殺されたケネディへの同情票が多数集まり、共和党候補を大差で破り歴史的な大勝を果たした。

リベラルとして知られたケネディに対して、南部テキサス州出身のジョンソンは民主党の中では保守派と目されていたが、大統領就任にあたって掲げた貧困撲滅と公民権の確立を骨子とする「偉大な社会 (Great Society) 」政策は、非常にリベラル色の強いものであった。

政権初期には、公民権法の早期成立に向けて議会をまとめることに努め、議会との関係が円滑でなかったケネディに比べて巧みな議会工作で法案を可決させ、その他にも内政においては達成した政治課題が多く、ジョンソン政権は同じ民主党のルーズベルト政権と並んで「大きな政府」による社会福祉や教育制度改革、人権擁護を積極的に推進した政権であった。

大きな政府とは政府や行政の規模や権限が大きくなった国のこと。
安倍政権は大きな政府でしょうね。

「偉大な社会」を掲げたジョンソン大統領は当選後に様々な改革立法を提案した。
民主党優位の議会でもあったので、その69%を成立させるという驚異的な記録を残したという。
司法・行政・立法の三権がイデオロギー的に同調した時期に権力の座にあった珍しい大統領であったからであると言われる。それは議会と大統領と最高裁判所がともに連邦政府の庇護のもとで国民の権利拡大を図るべきだという思想を共有していたからに他ならない。

当時のアメリカは人種差別撤廃を目指す公民権運動が盛んに行われていて、1963年8月「ワシントン大行進」で最高潮に達した。
I have a dream!
1960年に発足した民主党のジョン・F・ケネディ政権は、閣僚他スタッフに有色人種がいない事を批判されながらも公民権運動には比較的リベラルな対応を見せていたが、ワシントン大行進から3ヶ月後の11月22日、パレード中に暗殺された。
その後を継いだジョンソン大統領が人種差別撤廃を推し進めたのだ。
盛り上がる公民権運動とリベラル民主党ケネディ大統領暗殺が生んだ国民の団結がアメリカを一方向に向かわせた。
大きな政府とはつまり非常にリベラルであることで成し遂げられ、やがてそれは戦争に向かっていくのだ。
だがそこに待っていたのは成果を上げられず赤字だけを残し翳りを色濃くしたアメリカであった。

(ジョンソン大統領は)1965年からベトナム戦争の拡大で国の内外からの強い批判に身動きが取れなくなり、次の再選を目指した1968年の大統領選で民主党大統領候補の指名を受けることが難しい状況に追い込まれ、1968年3月31日、全米に向けたテレビ演説でそれまでのベトナム政策の劇的な転換を発表すると同時に大統領選挙に再出馬をしないことを表明、自らの政治生命に幕を引いた。

ジョンソン大統領のもと一致団結し一方向に向かったアメリカが突き進んだのはベトナム戦争の拡大である。
ベトナムの共産化を阻止する口実でアメリカは1965年から本格的に軍事介入した。
ところが公民権運動に一定の成果を上げたアメリカの一致団結が向かった先は反戦運動であった。

このようにアメリカ国民が国民の権利を大きな声で主張しアメリカ政府が国民の権利を認めて行った時代に、日本の安価で粗悪な綿製品はアメリカ貧困層をターゲットにアメリカに入っていった。


(リンドン・ジョンソン大統領の在任期間は1969年1月20日までなので、上記に転載したリンドン・ジョンソン大統領の命により関税委員会が行った米国繊維産業の実態調査の報告書の記述は命じた日と提出の年が逆になってしまっていると思う)
報告書の記述についてだが、私は元の原文を読んだわけではない(読んだところで隅々まで理解できるとも限らない)。ごく簡単にまとめている日本文から言えることを述べる。

・米国繊維産業はかつてない急成長を果たした
⇒繊維産業を今風に言うと(英語風に言うと?)アパレル産業ということになる。実はこの産業区分が重要である。

1.アパレル素材産業
 ①繊維業・・糸メーカー、糸商、商社(輸入糸を扱う)
 ②生地業・・生地メーカー、生地商、商社(輸入生地を扱う)
2.アパレル産業
 ①アパレル生産企業(縫製)
 ②アパレルメーカー
 ③卸売業(輸入品卸売商含む)
 (②と③は一緒のこともある)
3.アパレル小売産業
 ①小売企業・・デパート、衣服販売店、通信販売など

アメリカの繊維産業は急成長した、繊維産業の利益は大きいと言った時、1~3の業界全てが成長し利益を上げたのか、それともその中の一部業界なのか、はたまた一部の企業に過ぎないのか、それによって評価や対策は違ってくるだろう。
例えば日本で製造した製品をアメリカで売るならば、2の③の卸売業社や3の小売業社が儲かるのであって、1や2の①は別に儲からない。
貧困層をターゲットにしても中流層からも客が流れることが考えられるので単に儲からない(現状維持)だけでなくやはり不利益となるだろう。
多くの雇用を伴うのは製造業なので、そこが儲からないのは国の経済にとって痛手となる。
研究や設備など投資費用がかさむのも製造業である。
またアメリカは綿花の生産も盛んな国で、綿花はアメリカの主要な農産物である。
1の素材産業が不振になれば、綿花を栽培する農業へも影響を与えるので、アメリカにとっては深刻な問題となりやすい。

・国内他製造業に比べても繊維産業の企業利益は大きい
⇒製造業とアパレル業界1~3全ての比較では同等ではない。 
利益と言ってもいろいろな種類があるので何をもって利益というかも問題。
業種や作る製品によって祖利益(売上高-売上原価)は全く異なるが、粗利益が高いからといって営業利益や経常利益の高さに即繋がるわけでは決してない。

・安価な輸入品は低所得者の必需品購入を助けている

・輸入により、特定の製造業者の利益や雇用に影響が生じたという資料は得られなかった
⇒「資料は得られなかった」という表現も微妙。どこかに資料請求したけど出てこなかったのか、どこかで検索しても出てこなかったのか。
単に資料を作っている業者がいないということなのか、そういう事実がないということなのか、いまいち分からない。
また例え特定の製造業者の利益や雇用に影響が生じなくても、アメリカという国の輸出入と通貨のことを考えれば(特に当時はUSドル基軸の固定金利制)、輸入が激増することは一大事である。







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# by yumimi61 | 2017-11-19 14:39
2017年 11月 17日
日本国憲法の秘密-622- (外貨準備と貿易について)
子供がどんな問題児であろうと、あれが教師や顧問の体罰だったら論調は全然違うだろうなぁ。
甲子園出場校だって部員の事件が発覚すれば辞退したり出場停止になる世の中なのに、それを考えると皆さん甘いですね~
そういう二面性に嫌気が差す人も少なくないと思いますけどね。
この際はっきり言うけれど、テレビが言うほど人気なんかないと思いますよ。
もっとも分母をどれくらいにするかによるんですが。
10000分の9000も、10分の9も同じなので。
単なる軽い頭部打撲だと思っていたら、数週間から数か月後に症状が現れて慢性硬膜下出血だったということもありますので、園・学校関係者や施設職員、病院関係者などはご注意ください。



日本には「衣食住」という言葉がある。
衣服と食物と住居、それは人間が生きていくための、人々が生活をしていくための基礎となるもののことだが、真っ先に挙げられているのが衣服なのだ。
衣服が何故必要なのかという原点に立ち返れば、寒さを凌ぐためということになるだろう。
有史以来世界の貿易を牽引してきたのは繊維だった。
日本の貿易を考える時にもそれは例外ではない。
それがやがて火を点すことのできる原油に変わっていく。
いつしか世界の貿易を支えるものが繊維から戦意に変わっているとするならば何とも皮肉なことである。


第二次世界大戦後に導入されたドルを基軸とした固定金利制。
アメリカ以外の国は金(ゴールド)の保有量に制限されることなく通貨を発行できる。
戦後の各国の復興はその余裕と安定性ゆえにもたらされたと言っても過言ではないだろう。
最初からアメリカに不利な制度だったのだ。
広大な土地と多くの人口を擁し、戦火に遠いアメリカは、戦争にて貿易的に独り勝ちのような状況となり、戦後に莫大な金を保有していたため、不利な制度であることが見えずらかった。(もっとも同じ金本位制を続けていればアメリカが有利であったということであり、それが良かったかどうかは分からぬが)
アメリカは対外支援が増大した。
直に先進各国の経済力・競争力と為替レートが乖離していき、アメリカは国際貿易において赤字を出すようになっていく。
さらに海外に流出したドルを各国が対外準備として貯め込んだため、アメリカ国内はデフレに、国際的にはインフレを加速させた。
そんなアメリカにとって良いことのない制度に終止符を打ったのがニクソン大統領だった。
良いことがないと言っても唯一金と交換できる通貨なのだからUSドルへの信頼度は抜群に高かったということなのだが、多くの人口を抱えた国が名誉だけではやっていけない。
1971年のニクソンショックはアメリカファーストへの転換であった。


アメリカの国際収支は1960年代には赤字となっており、1968年には国内の財政収支も赤字となる。
それまで見えづらかった、あるいは見えなかったアメリカの翳りが1970年代に突入すると誰の目にも分かるようになってきていた。
そして1971年には一強アメリカを支えてきた貿易収支もとうとう赤字となった。


日本において江戸から明治への時代の転換のきっかけとなったのもアメリカや貿易である。
そこにも繊維が深く関わっていた。

第二次世界大戦後の日本経済の上昇のきっかけとなったのは朝鮮戦争(1950-1953)特需である。
日本高度成長期は翌1954年から始まる。
アメリカもまだまだ余裕があったのだろう、1955年アメリカは繊維製品の関税引き下げを行った。
するとアメリカでは日本製の安価な綿製品の輸入が激増した。
かつての日本は安くて質が高い絹製品が売りだった時代がある。
これもやがて大量生産などによって質が落ちてヨーロッパなどで問題にされたことがあったが、この時も日本製の粗悪なブラウスが1ドル(360円)で売られダンピング(不当に安く売ること)ではないかと指摘された。
日本で1080円(アメリカドルで3ドル)で売っているものをアメリカで1ドル(360円)で売ったならば不公正貿易となる。アメリカの市場競争を阻害してしまうからだ。だからその差額分くらいの関税を課すことができる。
でも日本で360円で売っているものを1ドルで売るならば問題ない。
戦勝国で一強好景気にあったアメリカと、敗戦国で焼け野原からスタートした貧しい日本では人件費が違う。
1ドル100円ならば不可能であることも1ドル360円ならば出来ることもあるのだ。
だから不当に廉価とは言い切れない。
しかしアメリカの繊維業界にしたら堪らない価格であり、日本からの綿製品輸入制限運動が高まりを見せ、アメリカ政府がそれを受けて日本に対して綿製品貿易に関する取り決めを提案。1957年に「日米綿製品協定」が締結され、日本は対米綿製品の輸出を5年間自主規制することとなる。
これが日本とアメリカの最初の貿易摩擦であり、この後も続いていくことになる。


ニクソンショックのニクソン大統領が就任したのは1969年1月のことである。
ウォーターゲート事件で1974年8月9日(長崎原爆記念日ですね)に辞任。任期途中で辞任に追い込まれ辞職した唯一のアメリカ大統領。
大統領選挙中の1968年8月11日(日本時間では8月12日でしょうか)にニクソンは「綿だけでなく毛や化学繊維にも国際的取り決めを導入する」と繊維規制を公約に掲げ、そして当選したのだった。

1969年5月、モーリス・ヒューバート・スタンズ商務長官が訪日し、日本による繊維製品輸出の自主規制を要請。これを愛知揆一外務大臣が拒否すると、ウィルバー・ミルズ下院歳入委員長が「日本が自主規制に応じなければ、議会は繊維の輸入割当を法制化する」との声明を発表する。

1970年6月22日から24日、ワシントンD.C.で宮澤喜一通商産業大臣とスタンズ商務長官が会談。
しかし、スタンズが前年の佐藤・ニクソン会談で合意された「沖縄返還密約」を基に交渉を行ったのに対して、宮沢は密約の存在を否定する佐藤の主張に沿って交渉を行った。その結果、交渉は事実上決裂する。 なお、2012年7月31日付で外務省が公開した外交文書にはこの「沖縄返還密約」が含まれており、その存在が初めて確認された 



佐藤というのは佐藤栄作首相である。
首相在任期間は1964年11月9日 - 1972年7月7日。
1971年8月15日(日本時間8月16日)のニクソン大統領による発表(ニクソンショック)の時も佐藤首相だったわけである。
佐藤首相は安倍首相の大叔父(安倍首相の祖父・岸信介首相の実弟)。
佐藤栄作首相の次男と結婚したのが安西浩の長女。
安西浩の次男日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚。
中曽根弘文・真理子(前川喜平の妹)夫妻の娘の結婚相手である川鍋一朗の父は川鍋秋蔵の息子という関係であることは加計学園問題の最初の事露に書いたこと。
宮澤喜一通商産業大臣も後に首相になるが、後援会長が現加計学園理事長の父親(加計学園創始者)。
ちなみに宮澤首相の就任は1991年11月5日で退任は1993年8月9日。ニクソン大統領と退任日が同じ(長崎原爆記念日)。


1971年8月15日のニクソンショックでドル買いに走った日本。
この時の大蔵大臣は水田三喜男。
佐藤内閣の大蔵大臣は一番最初が田中角栄(新潟)で、後は福田赳夫(群馬)と水田三喜男(千葉)が交代で就任している。
安西浩というのは千葉県勝浦の森・安西というカジメ拾いの漁師から成りあがったコンビの息子であるが、水田三喜男は勝浦のお隣の市の鴨川市出身。


1971年2月22日、ミルズ下院歳入委員長は「政府間で合意できないならば、業界単体での一方的自主規制に反対しない」と提案し、自主規制の具体的骨子にまで言及。
この提案を基に、日本繊維産業連盟は3月8日、自主規制案を発表し、日本政府はこの自主規制をもって政府間交渉を打ち切る。
しかし、ニクソン大統領は3月11日に日本側の宣言に不満を表明(「ジャップの裏切り」と口走ったとも言われる)。自主規制案の内容は受け入れがたく、更に政府間交渉は日本が打ち切ったため行えないので、議会での通商法案の成立を強く支持するとの声明を出した


沖縄問題(返還密約)
アメリカ政府は沖縄を日本に返還する代わりに、日本政府に米国の主張する繊維規制に同意することを求めていた。これが沖縄返還密約である。
このニクソン政権の戦略は、日本側の事情で極秘扱いにされた
表立った交渉の場ではあくまでも「経済的交渉」という体裁が整えられたため、米国側の意向は実際の交渉を行う事務方には伝えられなかった。
このため日米双方で思惑が食い違い、交渉は混迷を極めたのである。時期を同じくしたこの双方の動きは、当時「絡んだ糸が縄になる」とか「糸を売って縄を買う」などと皮肉られたが、それが必ずしも単なる戯れ言とは言い切れない事情がそこにはあったのである。

尖閣諸島の返還問題(領有問題)にも繊維交渉が絡んでいることが近年明らかになっている。
1946年1月29日、GHQよりSCAPIN - 677が指令され、北緯30度以南の南西諸島全域における日本の「施政権」が停止された。
施政権とは国連の信託統治制度のもとにおかれる地域に対して信託統治協定に基づいて統治を行うことができる権利。
信託統治については1952年発効の平和条約にも明記されている。
領有権と施政権は違い、アメリカと日本でやり取りされたのはあくまでも「施政権」であって「領有権」ではない。
1972年5月15日に「施政権」がアメリカから日本に返還された。


日米貿易経済合同委員会
1971年7月に成立した第3次佐藤改造内閣で通産大臣となった田中角栄は、就任直後にニクソンの特使として来日したデヴィッド・ケネディと会談。9月には渡米し、日米貿易経済合同委員会でジョン・コナリー財務長官と会談した。
田中は同委員会に際して、事前に通産官僚の小長啓一達から「関税貿易一般協定(GATT)の『被害なきところに規制なし』の大原則を守るべきだ。米国は大きな被害を受けていない。」という通産省の立場について説明を受けており、「政府による思い切った規制を」と迫るコナリー長官に対して「貿易は多国間でバランスをとる話だ。」「我々の調べでは、米国の繊維業界はこれといった被害を受けていない」と一歩も譲らなかったという。


しかし、田中の帰国直後に米国から「対敵通商法を発動し、一方的な輸入制限もあり得る」との報が入り、田中は両角良彦通産事務次官ら通産省幹部達に問題提起。
幹部らの「潮時だ」との判断を受け、田中は米側の要求をのむ代わりに繊維業界の損失を補填するという方針に転換。
国内繊維業界への対策として複数の案が挙げられた中で田中は輸入規制で余剰の出る織機の買い上げ案に目を留めたものの、当時の通産省の一般会計が2千億円弱であるのに対し、要求ベースで2千億円を超えるという巨額な費用がネックであった。
この説明を受けた田中は、相次いで佐藤首相、水田三喜男大蔵大臣に電話し、説得。さらに自身の名刺の裏に「2千億円よろしく頼む」と万年筆で記し、これを大蔵省主計局に届けさせた。
10月15日には米側原案に近い形での「日米繊維問題の政府間協定の了解覚書」の仮調印が行われ(直後に施行)、日米繊維問題は一応の決着を見た。繊維業界へは751億円の救済融資が実施された。同年の第67臨時国会でも1278億円の追加救済融資が補正予算として計上された。


1971年にアメリカの要求を呑み、日本の繊維業界の反発を収めるために赤字補填を決めた田中角栄は、1972年7月、佐藤栄作首相の後の首相に就任した。
田中はゼネコンのイメージと相まって金権政治と批判され1974年に退陣、1976年にアメリカで発覚したロッキード事件で逮捕起訴された。
繊維規制を推し進めたニクソン大統領が前代未聞の途中辞任で失脚し、繊維規制を呑んだ田中首相も前代未聞の元首相逮捕劇で失脚した。
ニクソンや田中がクリーンだとは言わないが、やはり日本とアメリカは一部どこか繋がっていて、彼らは陥れられたという側面があるのだろう。







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# by yumimi61 | 2017-11-17 14:15
2017年 11月 16日
日本国憲法の秘密-621- (外貨準備と貿易について)
実はわたしこの春4月にLINEデビューしたんです。
今まで数年間、何度も「えっやってないの?」と言われましたが、やましいことはしていませんむしろ何でそんなに必要なのか分からなかった。
LINEとiPhoneはメッセージ表示の仕方がよく似ていて別に目新しい感じがしなかったし、既読機能にも必要性は感じなかった。大人社会では用事があってメッセージやメールを送ったら遅い早いは別にして普通返事が返ってくるから。電話もそんな長時間しないし。
でもメッセージやメールをほとんど使わずにLINEを使っている人は、メッセージで送ってもすぐに気付かないということがあるという話を聞いた。
息子達がまさにそんな感じで、こちらは用事があって送っているのに返事がなかなか返ってこず、読んでいるのか読んでないのかすら分からないということが何度かあった。
そう言ったらLINEなら見ると言うので始めたのでした。
LINEって受信した時に一番上に表示されるから、既読が付かなくても見ているってことなのかな。
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人類はどこから来たのだろうか。
人類の祖先はアフリカで発生して、そこから全世界に広がっていったという「アウト・オブ・アフリカ」(出アフリカ)と呼ばれる説がある。
この説は、かつてアフリカに現代人すべての祖先となる女性がいたと想定するイブ仮説にも通じる。
キリスト教的にいえば最初に創造された人間はアダムとイブ(エバ)である。
アダムとイブはエデンの園に誕生した人間である。
エデンの園は地上の楽園と呼ばれることもあるくらいだから、神とともにいたというがやはりそこは地球上のどこかだったということだろう。
2人は裸で暮らしていたが、食べてはいけないと言われた禁断の果実を口にしたことによって2人の無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部を葉で隠すようになる。
これを知った神がアダムとイブを楽園から追放した。痛みも苦しみも死もある人間の始まりとなるというのが旧約聖書の創世記で語られていることである。

私は人間の始まりが裸であったと記されていることに意味があると考えている。
つまり裸で暮らせるほど温暖(あるいは熱帯)な気候だったということだ。
エデンの園の描写から、そこは草木が生い茂り果実がなる豊かな場所であったことも窺える。
氷河や寒冷地や砂漠地帯では決してないはず。
人類は暖かい地方で誕生した。他の人類起源説と照らし合わせても、このことはどうも間違いなさそうである。
地球全体が今よりずっと暖かかったことも考えられる。

しかしながら猿は毛におおわれている。
人間と猿が同じ霊長類だとするならば、人間だけが進化の過程で体毛を捨てたということになる。
ではなぜ同じ気候環境にいても猿は進化しないのか?
そう考えると、人間は猿から進化したのではなく、最初から猿ほどは体毛のない現代人に近い姿で誕生したように思える。
神がどうこう言ったという部分はともかくとして、猿から進化したのではないという点においては創世記に近いのではないかと思えるのだ。

裸で暮らせるような温暖な地で生まれた人間が何らかの理由で寒さ暑さの厳しい土地に広がっていったのではないか。
何らかの理由は、罰だったかもしれないし、好奇心や野望だったかもしれない。
あるいは裸で暮らせるような気候であった地球全体が少し冷えて衣類を身にまとわないと生きていけなくなってしまったということか。


1985年12月、アメリカにて"Out of Africa"という映画が公開された。
日本での公開は1986年3月で『愛と哀しみの果て』という邦題であった。
デンマークの小説家が書いた小説『アフリカの日々』(1937年出版)が原作である。
カレン・ブリクセン
デンマーク語と英語の両方で執筆し、デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセン名義、英語版はペンネーム(男性名)のイサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン(Isak Dienesen)名義で作品を発表した。作品によっては作品間の翻訳の際に加筆訂正がなされ、時には別作品ともいえる物になっているという複雑な作家である。

『アフリカの日々』は彼女の経験がベースになっている。
以下は彼女の人生。
1913年に父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住。夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻(夫に移された梅毒は生涯の病になった)し、離婚。単身での経営を試みるがあえなく失敗し、1931年にデンマークに帰国した。1933年(当時48歳)に本格的に作家活動を始めた。1934年にアメリカで出版したイサク・ディーネセン名義の作品「七つのゴシック物語」で成功を収め、その翌年デンマークでカレン・ブリクセン名義でそのリライトを発表し、以降その名義の使い分けを始めた。 
1950年代に入ると体調を崩す事が多くなり、執筆活動が困難になるものの、ラジオ番組などに出演するなどの活動を続けた。1962年にルングステッズで死去。


以下は映画のあらすじ。
カレンは貴族のブロアと結婚し、酪農場経営を夢見てデンマークからケニアに移住。
ブロアがカレンのお金を使ってコーヒー農園を買ってしまう。
ブロアは仕事をしないで浮気ばかり。
挙句のはてにカレンに梅毒を移して、カレンはデンマークに一時帰国。
体調は戻るが出産できない身体となる。
ブロアは相変わらず浮気ばかりでついに離婚。
その後にカレンは 自由人のデニスと恋仲となる。

カレンは、2人の間を継続的な関係にしようと試みるが、やがてデニスのことを、まるでアフリカそのもののように、手にすることも手なずけることもできない人なのだと知る。
デニスは、ぜいたく・所有・肩書きといったヨーロッパの習慣よりも、雄大な土地で牧畜生活を営むマサイ族の自由で素朴なアフリカを好んでいた。
デニスはカレンの家に移ってきたが、カレンの、物や人までも「所有」したいという欲望を批判し、結婚することも自由な生き方をやめることも拒否し、ただ一枚の紙切れに過ぎない結婚が、デニスの彼女への愛を増やすことにはならない、と話す。カレンはそれを認めざるを得なかった。


子供が産めなくなったカレンはアフリカの子供達にヨーロッパ式の教育を施そうと学校をつくることを決意するが、コーヒー農園が経営難に陥る。
挙句の果て、火災にて全てを失う。
恋人デニスとの関係も終わり、デンマークへ帰ることを決めたカレン。
最後の夜にデニスと再会し最後のダンスを踊った。
翌日彼が飛行機で港のある街まで送っていくことになっていたが、彼は現れなかった。飛行機事故で亡くなっていたのだった。
彼女はデンマークに戻り、そして小説家になった。アフリカでの出来事を書いたが、二度とアフリカの地を踏むことはなかった。


実はこの小説も少々入り組んでいる。
カレンはデンマークの裕福な家の御嬢さんだった。
結婚したのは上にあるように父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア(男爵)。貴族といってもすでに没落していて、金銭的にはカレンのほうが恵まれていた。
ブロアには双子の兄がいて、映画では本当のカレンの恋人は兄のほうだったという設定である。
双子の兄はカレンとブロアがケニアに移住した4年後の1917年に飛行機事故で死亡した。
離婚した夫のブロアはサファリ・ツアー(狩猟ツアー)の会社を始め、顧客にはイギリスの皇族や貴族がいたという。
ブロアはカレンとの離婚後、探検家のエバと再婚するも2年後にエバが亡くなり、ブロアはスウェーデンに帰国し、その地で没した。
カレンが離婚後に恋仲になったデニスも貴族である。ケニアの土地を買ってやはりサファリ・ツアー(狩猟ツアー)の会社を経営していた。
自由人で結婚したがらなかったというが、実は彼は1930年からは牧場経営者の女性と親しくなり、2人で飛行機の操縦も学び、ケニア中を飛び回っていた。
そしてこちらも本当にカレンがデンマークに帰国しようと決心した時に飛行機事故で死亡してしまう。


アフリカの景色は美しいけれども盛り上がりに欠けて退屈、長ったらしいという感想とともに、この映画の邦題がセンスがないだとか、原題のままで良かったのではないかという意見もある。
センスが邦題や誤訳的な邦題は確かあるが、私はこの邦題は良く出来ていると思う。
この邦題がいまいちだと思う人はひょっとするとOut of Africaの意味もよく理解していないのではないだろうか。
カレンの愛と哀しみの果てにあったのはアフリカではなく、生まれ故郷デンマークだった。
 
私達はアフリカ人と簡単にひとつにまとめてしまうがアフリカは広い。
同じアフリカに、同じ国に暮らしていても、部族が違えば得体のしれない不気味な民族に映るほど、互いが互いを理解することは難しい。
特権を持ちお金を持ち、苦労なく綺麗に毎日を過ごしていける人々が、危険を顧みず見知らぬ土地で自分の手で何かを切り開いていこうとする姿は別の意味で美しい。
だが彼らはアフリカに住んでもアフリカの中には決して入り込めないのだ。
恋に敗れ、愛を失い、事業に失敗する、何か大切なものを一つでも、あるいはその全てを失った時、彼らはそこにいる意味を見いだせなくなる。
アフリカが終の棲家とは成り得なかった人の哀しみや切なさが、雄大で激しいアフリカの景色に重なる時、それは増幅する。







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# by yumimi61 | 2017-11-16 14:25
2017年 11月 14日
日本国憲法の秘密-620- (外貨準備と貿易について)
好きな人と会いたい。
でも会ったら疑われる。噂になってしまった以上、今後はかなり厳しいだろうと思う。
顧問にすれば会う理由が出来る。あの時みたいに仕事をしていたとの言い訳が成り立つ。
彼女は男勝りな女性になりたかったのではなく、女として生きたかったのだ。
愛は盲目。
疑惑のあった人をあえて起用して疑惑をはらすという元検事の計算があったわけではない。日本死ね!(落ちてねーし?)



俳優のTさんはその昔(1980年代のいつか)Kさんと付き合ってたんです。
お相手のKさんは映画『ションベンライダー』で主役でデビューした女優さん。
別に隠していなくて雑誌でハグして2人で出てたりしてた。(そうですよね?)




何から話せばよいのだろう。
第二次世界大戦後、世界経済の中心にいたのはアメリカだった。
日本に原爆という核兵器を投下したという海に囲まれた大陸の大国。戦火からは遠いアメリカは世界大戦のたびに国力を上げることになった。
第二次世界大戦後、世界の金(ゴールド)の3分の2はアメリカにあった。
金(ゴールド)は世界が認めた価値ある物で、各国の発行する紙幣の裏付けとなっていたが、各国の金の保有が少なくなってその体制を維持できなくなった。
そこで、金(ゴールド)を沢山保有しているアメリカの通貨ドルのみが金を裏付けにした通貨になった。(金1オンスを35USドルと定められ、USドルだけが金と交換できる通貨となった)
もはや何の裏付けもない、ある意味ただの紙切れである各国紙幣は、各国の好き放題に発行できる。外国と取引しない閉じられた社会ならばそれでもよい。
だが発行の仕方や倫理観の違う各国の紙幣を交換する時には問題が生じる。
紙1枚の重み(価値)が各々違うからだ。これでは貿易に不均衡不公平が生じてしまう。
その対策が為替レートである。各国の経済状態を客観的に見て、それに合わせて各国の通貨とドルとの交換比率を固定した。

ところが固定した時期が戦後だったこともあり、しばらくすると各国の経済状況が好転してきて、固定為替レートは次第に各国の経済力・競争力から乖離した状況になってきた。
1950年代にはポンドやフランといった通貨は切り下げられ、西ドイツのマルクは切り上げられた。

日本は当初 1ドル=360円 だった。(1オンスの金を得るためには12,600円必要だった)

1ドル360円を1ドル300円にすることを、日本から見ると切り上げ(円高になる)と言い、アメリカから見ると切り下げ(ドル安となる)という。

1ドル=300円ならば、1オンスの金を得るのに必要な日本円は10,500円である。
円高は日本紙幣1枚1枚の価値が上がった状態なので、少ない枚数で金を得ることができるのだ。

核兵器を作り戦争に勝利したことや戦後世界経済の中心にいたことの自負か、あるいは頼られたり集られたりしたのか、アメリカは外国への貸付や援助が膨らんでいた。また他国の争いに首を突っ込んで他国のための軍事支出も増大していた。
アメリカは輸出のほうが多い国だったが、その貿易黒字以上の金額を他国に注ぎ込んでいたのだ。
そんなことをしているうちに余裕が出始めた他国が自国通貨と金と交換し、アメリカの金保有率は大幅に低下。
1966年には外国のドル準備(外貨準備)がアメリカの保有する金保有額を上回る事態となった。
経済状況が変わり、貿易が活発になれば、当初の読み通りにはいかなくなる。その状況が起こったのだ。
ドル安の時よりもドル高のほうが各国に入っていくドルは多い。
戦後復興した各国の経済力・競争力が上がったのにドル高のままにしていて貿易を続けたらアメリカ以外の国に大量のドルが入っていく。
そのドルを各国が外貨準備として貯め込んだということなのだ。
ドルが外に流出して戻らなければアメリカはドル紙幣の量が少なくなるということでデフレ(物はあるけれどお金があまりない状態)になる。国際的にはインフレである。
金もドルもアメリカからどんどん流出し、アメリカがドル債務を負う形でドルを供給したが、金は供給しようもない。
金という側面からもドルという側面からも戦後の国際金融体制は崩壊しつつあり、ドル危機が囁かれていた。


国際的な比較や貿易では2つの観点から見る必要がある。ここがとても混乱しやすく間違いやすい。
例えば円高という状況。
これが日本円の価値が国際的に上がっているという状況。
国の経済力・競争力が上がっていることを意味する。
輸出企業が外国で商品を売ってくれば円高になるという説明をしたが、日本の価値(お株)は上がるのだ。
しかしながら日本の輸出企業の利益という観点から見ると円安のほうがよい。
夢をとるか金をとるかではないが、価値・名誉をとるか利益をとるかといったような感じとなる。(多くの従業員を抱える企業は名誉だけではやっていけないけれども)
やりがちなのが金利の上昇との勘違い。
金利が高いのはリスクが高い証拠であり、対外的に国の経済力・競争力が上がっていることを意味するわけではない。
インフレやデフレも国外との関わりや状況を考えないと見誤る(間違いを誘って騙される)。物もお金も人も動いているのだ。



1971年4月にアメリカはとうとう輸出よりも輸入が多い貿易収支赤字国となった。
8月13日、この日イギリスがアメリカに30億ドル分の金交換を要求した。当時のレートで日本円にすると1兆500億円分。
これによってアメリカのニクソン大統領はドルと金の交換の停止を決意したという。
そして8月15日夜(アメリカ時間)、後にニクソンショックと呼ばれる発表を行ったのだった。

1971年8月15日にニクソン大統領の声明が発表された後、欧州各国はまだ外国為替市場が開いておらず、即閉鎖を決定し結局23日に再開するまで1週間は市場を閉じたままであったが、日本はこの声明が出たのが8月16日の午前10時で、すでに外国為替市場が開いており、ドル売りが殺到し、日銀がドル買いに走り、日本の外貨準備高が一気に100億ドルの大台を超えるなど混乱したが、その後も市場を閉鎖することがなかった

1971年という年は日本の高度経済成長時代にあった「いざなぎ景気」が終わりを告げた翌年のことである。
この時はまだ固定相場であり変動相場ではない。
つまりレートは1ドル360円。日本銀行が100億ドル近いドル買いに走ったということは日本政府は一気に3兆6000億円分の円が必要だったということになる。
そんな大金を急遽どこから調達したんだろうか?
日銀に夜なべてして作って(紙幣を刷って)もらったんだろうか。
ともかく日本の外貨準備高はニクソンショックのおかげで大きく膨らんだ。
ニクソン大統領は曰くつきの大統領だけれども、日本にとってはありがたい存在であったとも言える。

日本はその後10日余りは固定相場制を維持したが、あまりの為替市場の混乱に、1971年8月27日に外貨準備高が125億ドルに達して、この日の閣議で翌28日からやむなく為替相場で1ドル360円に上下1%の変動幅の制限枠を撤廃し、変動相場制に移行することを決定した。1ドル360円の時代はこの日に終わった。ショックから12日後である。円の為替レートは前日までの360円から変動相場となった初日8月28日に342円となり、その後340円前後にとなり、年末までに320円前後を推移した。


投資家は株でも通貨でも金利でも国債でも先物取引でも差を狙って儲けを出す。
差にこそ魅力がある。差が大きければ大きいほど儲けに繋がる。
時にはその差を自ら生み出すこともある。
平らで安定した世界なんか望んでいないのだ。
世界の基軸通貨であるドルが変動することになり、その後の世界は経済を投資家など市場に操られるようになった。









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# by yumimi61 | 2017-11-14 13:07
2017年 11月 13日
日本国憲法の秘密-619- (外貨準備と貿易について)
最初から借金あてに予算を組んでいる国が金利を上げられるはずがない。
借金の金利が上がることになるのだから、自分で自分の首を、あるいは自分で我が子の首を絞めるようなものだ。

また国内と外国の金利差で儲けようと(運用で儲けようと)企んでいる時は、国内の金利はなるべく下げておきたい。
ということで現在の日本は金利を上げられる環境にない。

だからと言ってこのままで良いのか?
貸す方もいい加減呆れて貸してくれる人が誰もいなくなれば当然倒れる。

借りるから返す必要が出てくる。それなら借りなければいい。
次に考えるのはそういうことになるのではないか。
借りなければやっていけないのに借りないとはどういうことかと言えば、借りるのではなくて貰ってしまうということ。
政府が日本銀行にお金を作らせて、それを借りるのではなくて貰ってしまう。

日本銀行はジャスダックに上場している民間企業である。
でも日本政府が55%出資しているので完全な民間企業ではない。残り45%を誰が出資しているのか非公開。
日本銀行法という固有の法律によって、出資者は株主とは違い発言権も与えられない。配当はあるが驚くほど少ない率で設定されている。
紙幣発行権を持っている中央銀行だから誰もが買えたら困るけれども、買い占めることが出来ない仕組みとなっている。

筆頭出資者で紙幣発行権を与えている政府が日本銀行に紙幣を作らせる。
しかしながら日本銀行は日本政府とは別の民間企業(半官半民)なので会計も当然別。中央銀行の帳簿が合っていないということでは示しがつかない。
日本銀行が紙幣を発行する時にはマイナスで出すので、戻ってこないとプラスマイナス0にはならないのだ。
だから国債を購入する時に紙幣を発行していた。
国債が満期で元金が戻ってくれば帳簿はプラスマイナス0になる。
しかしながら紙幣現物は廃棄しないかぎり日銀の手元に残る。
この廃棄すべき紙幣を政府の為替介入用の円に流用したらどうだろうか。
どうせ廃棄する紙幣だからもはや返さなくてもよいものだし、日銀も痛くも痒くもない。

上記のような手段あるいは最初から帳簿に載せないで裏から紙幣を発行し、それを回収したり廃棄しないとなると、心配なのはインフレである。
日銀が紙幣を世の中にどんどん出すと、世間には紙幣が溢れて、紙幣の価値が落ちる。紙幣が珍しい貴重なものでなくなるからだ。
紙幣を持っている人が増えるということは物を買える人が増えるということを意味する。(需要が増える)
それなのに物の供給量がこれまでと同じならば、相対的に今までよりも物が減ったということになり物の値段が上がっていく。
逆を言えば、需要に合わせて供給量も増加するならば紙幣が増えても物価が上がるわけではない。

インフレを例えれば、今まで1万円で買えた自転車が10万円出さないと買えなくなるということ。
10万円貯金があれば自転車10台買えたのに、インフレになったら1台しか買えない。そうなると日本での貯金額の価値は目減りしていることになる。
一方借金も目減りする。自転車10台に値した借金が今や自転車1台分にしか値しない。自転車1台売れば10万円の借金が返済できるのだ。
すでに自転車在庫があり、それを国内で売れば儲かるが、インフレになってから国内で自転車を作ろうと思えば原材料費なども上がっているため原価も上がるしかなく儲かるわけではない。

日本国の首相も日銀もデフレ脱却と言ってる。物価上昇させるために金利を引き下げると言う。
インフレとは逆のデフレ状態にあると言うのだ。デフレは紙幣の価値が高く物価が低い。世の中に出回っている紙幣が少ないということ。

紙幣の量>物の量 →インフレ(物価高、貯金や借金の目減り)
紙幣の量<物の量 →デフレ(物価安、貯金や借金の割増し)

こんなに世の中に紙幣を出しているのに何故インフレに傾かないのだろうかと不思議に思い、銀行が抱え込んで出さないのではないか、企業が抱え込んで出さないのではないかと考え、そこに向けた対策を講じているということなんだろう。


為替市場が円安で推移しているということは銀行(為替部門)などが円を沢山持っているということだ。
日本政府自ら率先して円安誘導するために為替市場に円を投入している。
もうひとつ貿易の変化も理由に挙げられるが、それは後述する。
廃棄すべき紙幣を流すとか裏から紙幣を出すとか日本銀行や日本政府が不正を行ったとしても、円が日本国内に出回らなければ、日本という国がインフレになることはない。



アメリカに輸出する時には多くはドル建てだが(ドルで支払いが行われるが)、アジア向けの輸出は50%ほどが円建てである(円で支払いが行われる)。
そして今、日本の輸出はアジア向けが多い。
下の順位は日本の輸出相手国多い順。
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輸出総額と輸出割合
       単位:100億円
=================================
対アジア
1,288(31.1%)  2,125(41.1%)  3,783(56.1%)  3,711(53.0%)

対EU
773(18.7%)  843(16.3%)  762(11.3%)  798(11.4%)
=================================
対アメリカ 
1,356(31.5%) 1,536(29.7%) 1,039(15.4%) 1,414(20.2%)

対中国
圏外    327(6.3%)  1,309(19.4%)  1,236(17.6%)
=================================
※上の対中国には台湾や香港は含めていないが、台湾や香港も中国圏(中華圏)である。



輸入相手国多い順
e0126350_18572470.jpg

輸入総額と割合 
=================================
対アジア
973(28.7%) 1,706(41.7%) 2,751(45.3%) 3,320(50.3%)

対EU
507(15.0%)  504(12.3%)  582(9.6%)  815(12.3%)

対中東
442(13.1%) 531(13.0%) 1,039(17.1%)  650(9.8%)
=================================
対アメリカ 
759(22.4% )778(19.0%)  591(9.7%) 732(11.1%)

対中国
173(5.1%) 594(14.5%) 1,341(22.1%) 1,702(25.8%)
=================================

金額ベースなので物価、例えば原油価格が下がれば輸入量が変わらなくても輸入額は減少する。
日本円に換算したものなので当然レートが違えば額にも影響する。
従って年度間の金額は単純比較できないものである。
輸入のインドネシアやオーストラリアは資源の輸入で上位に来ている。

1990年
対アジア 輸出1,288 > 輸入973
対EU  輸出773  > 輸入507
ーーーーーーーーーーーーーーーー
対アメリカ 輸出1,356 > 輸入759
対中国   輸出 圏外 < 輸入173

2016年
対アジア 輸出3,711 > 輸入3,320
対EU  輸出798 < 輸入815
ーーーーーーーーーーーーーーーー
対アメリカ 輸出1,414 > 輸入732
対中国   輸出1,236 < 輸入1,702


対アメリカはやはり貿易不均衡が目につく。
輸入額は輸出額の半分程度しかない。
完全なる自由貿易で、そういう結果ならばそれは仕方ないはずだ。事業者にも消費者にも選ぶ自由がある。
ただ完全に自由となっておらず輸入をコントロールしている場合には、国内産業や雇用を保護しているということであるので、輸出はどんどんしたいけれど輸入は断るというのでは、相手はあまり良い気はしないだろうと思う。
その挙句、輸出入の差が大きくても輸出企業が損をしないように政府が為替介入して円安誘導し、為替介入で得たドルでアメリカ国債を買って儲けているとなれば、増々アメリカは不利になる。



日本企業が海外進出するきっかけとなったのは、やはり1985年9月に行われたプラザ合意である。
為替レートの安定化に関する合意で、実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。
当時1ドル250円くらいだったのが、それを境に1ドル170円ほどと大きく円高に振れた。
輸出企業がアメリカで100億ドル稼げば2兆5000億円だったのが、同じ100億ドルが1兆7000億円にしかならないということだ。

例えば2兆5000億円(販売価格)の半分が原価だったとする(粗利益率50%)。原価を差し引いた単純利益は1兆2500億円である。
原価の他にも人件費や諸経費など固定費が必要である。そうしたものを差し引いた売上経常利益率は10%を目指したい(だいたいそんな程度です)。2500億である。つまり2兆2500億円は必要経費であったということ。
同じ物を売って1兆7000億円にしかならなければ利益が吹っ飛ぶのはもちろんのこと必要経費(2兆2500億円)も出ない。同じ物を同じだけ売っても5500億円の赤字に転落してしまう。

そのため、少しでも安く原材料を仕入れられる場所、人件費や諸経費が安くて済む場所を求めて、日本企業の海外進出が始まった。
現在存在する日本企業の海外現地法人の約8割は1986年以降に進出(設立)したものである。
1986年前も外国に現地法人を持っていたのは電気機械工業系の企業が多かったが、1986年以降に急激に海外進出始めたのも電気機械工業系の企業が圧倒的に多い。
最初はASEAN地域(東南アジア)への進出が多く、1991~1995年にかけて中国(香港含む)への進出が急増した。
1991年11月に中国はAPEC(アジア太平洋経済協力)に加盟している。
その11月というのは、ロシア共和国エリツィン大統領が共産党解散を指示する大統領令を発令し事実上ソ連が崩壊した時期(正式には12月)(クーデター失敗は8月)。

日本企業がアジアに法人を持ったことにより、部品などを日本からアジアへ向けて輸出し、半製品や製品をアジアから日本に輸入するといった貿易が行われるようになった。
日本企業がやり取りしているのだから円建てでも不都合はない。

アジアなど外国で製造し、そこから輸出するという方法もとられている。
ASEAN地域内は自由貿易協定によってほとんどの品に関税がかからないためASEAN地域内での貿易は有利。
日本はそのASEANと2008年に経済連携協定を結んでいる。
またシンガポールは幅広い自由貿易協定ネットワークを持っていて、貿易のハブ国となっている。ASEAN加盟国でもある貿易立国。ここを介して関税フリーで輸出できる。








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# by yumimi61 | 2017-11-13 11:54
2017年 11月 12日
日本国憲法の秘密-618- (外貨準備について)
前記事で説明した通り、日本政府は短期国債を発行して円を集め(円を借金し)、そのお金でドルを買う(そのお金をドルと交換する)。
これこそが外貨準備であり、為替介入(ドル買い・円売り介入)である。
外貨準備の多くは現金で保有しているわけではなく、アメリカ国債を保有している(外貨準備金をアメリカ国債で運用している)。


日本は金利が低い国である。今や金利ゼロとかマイナスの世界である。
その金利が低い日本国内からお金を借りて、日本よりも金利が高いところにお金を貸せば、理論上は金利差の分だけ儲けることが出来る。
例えば私が町内会の会費貯金を無金利で借りて、その資金で金利1.5%の3年物アメリカ国債を購入したとする。
時期が来て元金(町内会の貯金)と金利が戻ってきたので、元金を町内会に返して金利は懐に入れる。(どうですか、これ?)
個人の懐に入れるかどうかは別としてこれが運用である。
年金積立金や保険積立金を運用するというのはこういうことである。
日本の貯金でアメリカ国債を買うには両替を通る必要があるが、両替や購入を人に頼めば手数料もかかってくるし、両替するということは為替リスクも背負うということになる。
だから借りる額(投資額)と期間と金利と手数料と課せられる税金と為替変動を考慮した上でやらないといけない。単純に金利差だけ儲かるという話でもない。

金利にはこれだけ差がある。
アメリカ国債10年物 年利回り2.4%
日本国債10年物 年利回り0.037%

ごく単純に計算すれば、2%金利に1兆円投資すると、1年間に200億円の利息が付く。
日本で1兆円を借りた時は1ドル100円であった。1兆円は100億ドル。
満期時には1ドル80円と円高が進んでいた。
アメリカから帰ってくる元金は100億ドルであるが、これを日本円に両替するならば8000億円になってしまう。
しかし日本国内から借りたお金は1兆円である。マイナス2000億円。
利息200億円×10年=2000億円を足してもチャラになるだけ。手数料だとか日本の借金に対する金利だとかは出せない。

リスクが高い国は別だが、国債は比較的安定しているので金利がべらぼうに高いわけではない。それでも日本に比べたら他国は高いけれども。
また長期よりも短期のほうが金利は低い。
7割と言われているアメリカ国債以外はもっと高い金利のところへ投資していることも考えられる。
アメリカ国債以外での運用部分やアメリカ国債その他の利息儲け分を途上国などへの援助(貸し付け・寄付)に使っていると考えられる。
預金よりも投資のほうが金利が高い。金利が高いということはリスクが高いということでもあるので、高金利での運用は元金が戻ってくる保証はどこにもない。途上国への貸付なども寄付だと思ってなければならない。


国内に短期国債を発行し借金しても1年以内に元金+利息(金利ゼロならば元金のみ)を返す必要がある。
それなのに金利が高いからといって10年物のアメリカ国債を購入してしまったら1年以内に元金を返すことが出来ない。
返済するためにまた借金しなければならない。いわゆる自転車操業。漕いでないと(借金し続けないと)倒れる方式。
貸す方もいい加減呆れて貸してくれる人が誰もいなくなれば当然倒れる。
ーAnd Then There Were None(そして誰もいなくなった)― ・・初期翻訳では死人島だそうです。



日本企業がアメリカに輸出する場合、多くはドル建てである。(物が通用しても円が通用しない)
日本の車をアメリカに輸出したら代金はドルで支払われるので、日本の輸出企業はドルを円に換える必要がある。
だから為替レートが非常に重要で円高だとか円安が経営に大きく影響してくる。
日本の輸出企業にとっては円高よりも円安のほうが良いし、輸入企業にとっては円安よりも円高の方が良い。

為替市場にドルが多く出回ればドルの価値は下がりドル安(円高)となる。
逆に円が多く出回れば円の価値は下がり円安(ドル高)になる。
物価と同じで多く存在するものは価値が低くなる。価値が低くなるということは価格が下がるということ。

日本の輸出額(ドルで売りあげて円に交換する)>日本の輸入額(ドル製品を買うために円をドルに交換する)

この状態が続くと為替市場では、ドルが増えていき、円が減っていく。
円が減っていく(ドルが出回る)ということは、円の価値が上がるということで、円高ドル安になるということである。
輸出企業は円高になると不利になり損することになるが、輸出企業が頑張って外国で売りあげてくると円高になってしまうという矛盾が起こる。
輸出額以上に輸入額が大きくなれば円安ドル高となり輸出企業にとっては良いが、消費量が変わらないで輸入が増えるということは売り上げを減らす国産品があるということで、失業や業績不振に陥る事業者が発生する可能性もあり、輸入品増大は国内での反発も予想される。輸入は国内での雇用を伴わない。(輸入をコントロールするのが保護貿易)
輸入品が日本国内で売れるとも限らない。売れないものを大量に輸入すれば輸入した会社の業績不振にも繋がる。
そんなこんなでなかなか難しい問題。輸入を増やすのは諸刃の剣。
国のプライドという側面から考えると、おそらく輸出にウェートをおきたいんだと思う。戦争やオリンピックや国際試合に勝つのと同じで、自分の国が作った製品が他国に進出したほうが他国に勝った気がして気分がいいんだろう。








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# by yumimi61 | 2017-11-12 14:36
2017年 11月 10日
日本国憲法の秘密-617- (加計学園問題について)
2本目です

・安倍首相(日本)はイバンカ(大統領補佐官が主導した世界銀行設立の)基金に57億円拠出。
・愛媛県今治市は37億円(土地)+96億円(建設費192億円の半額)=133億円を安倍首相の腹心の友が理事長をしている加計学園に寄付。

イバンカ基金も霞んでしまうほどの寄付金を地方自治体が出すというのだから、いろんな意味で凄い。
安倍首相はイバンカ基金だけじゃなくてあっちにもこっちにもばら撒いているから単独の比較ではダメかな?
ともかく善良な日本国民は、世界に類をみない赤字大国で、国民にはお金が足りないから増税するとか言ってるのに、どこにそんなお金があるのか!とお怒りのことと思います。
そんな怒りが「首相 イバンカ氏基金に57億円」の拡散に繋がったのだと思うのですが、そういう怒りが何故か選挙にはなかなか反映されないわけですね。
「首相 イバンカ氏基金に57億円」の拡散にあたり、産経ニュースが記事にするまでもなく「それはイバンカ基金ではありません!」とか「税金は一銭も使いません!」とか反論した人もいたかと思います。
そこでその辺りの事を少々書こうかと思います。


57億円(5000万ドル)をどこから出すか?
安倍首相のポケットマネーなのか、国民の税金からなのか、外貨準備金からなのか、出すと言った安倍首相が出所を明言していない以上、今の段階ではどこから出すのかはっきりとしたことは言えない。
ただこうした発展途上国をはじめとした対外援助金や寄付金・出資金などは外貨準備金から出すのが一般的。

外貨準備金とはその名の通り外貨である。
世界各国どこに行っても日本円が通用するわけではない。むしろ通用しないことのほうが多い。
外国から物を買ったり、外国から借りたお金を返したり、外国に何かの費用を拠出する場合には米ドルをはじめとした外貨が必要である。
日本円がない時には日本の誰かから借りればいいし、日本銀行にお願いして急遽紙幣を作ってもらうことだって、日本の権力者ならば出来なくない。
しかし外国のお金を調達するとなると日本の権力がどこまで通用するか分からない。
簡単に借りたり作ったり出来ないとなれば何か急に入用になった時のために少し準備しておく必要がある。
それが外貨準備金である。その金額を外貨準備高と言っている。
日本はこれがとても多い(日本円に換算すると約141兆円)。
日本の外貨準備の多くをアメリカ国債として保有している。(外貨を現金で持っているのではなくてアメリカ国債という有価証券を購入して保有している。国債満期になれば元金+利息が戻る。満期まで待たず高額の時に売れば買った時より多い現金を手に入れることができ、低額の時に売れば買った金額にはならない。暴落すれば悲惨。ただ日本のアメリカ国債は好き勝手に売れないと言われている)

(単位は100万USドル、換算)(残高時点が若干違い、そうなるとレートも違うので正確性には欠ける)
1.中国  3,056,789
2.日本  1,249,847
(参考 EU 720,159 )
3.スイス  773,118
4.サウジアラビア 487,000
5.中国台湾地区(旧:中華民国) 440,253
6.ロシア 420,500
(参考 中国特別行政区香港 413,300)
7.インド 394,550
8.韓国 378,469
9.ブラジル 358,689
10.シンガポール 244,013
11.ドイツ 193,716
14.イギリス 159,349



では、どうやって外貨準備金をこんなに貯め込んだのかということになりますね。
そんなにお金があるなら借金や増税なんかする必要などないだろうという意見もごもっとも。

貯めこんだと書いたが、外貨準備金も基本的には借金である。
国営企業を持たない国家の主な収入は税金であり、それ以外の収入は大して見込めない。
黒字国家ならば収入から一定額を貯蓄に回せるが、赤字国家ではそんなことも出来ない。なんせ預金金利より借金金利のほうが高いのだから。
巨額赤字を抱え、今でも毎年借金あての予算を組んでいる赤字大国日本に貯金する余裕なんかどこにもない。

よくこんなことを言う人がいる。
日本は借金も多いけど(1071兆円)、貯金(外貨準備高141兆円)も多いし、政府所有の不動産もあるから大丈夫、全然余裕。
外貨準備高も借金なのに・・。
1071兆円の借金は主に国債で調達していて、約90%が日本国内での借金である。約60%は銀行や保険会社などが引き受けている。
外国人に借金していると危ないけれど日本人から借りているから大丈夫。それに金融機関が引き受けてくれているから安心という論理を展開する人もいる。
日本の銀行や会社でも出資者(株主)が外国人であることもあるのに・・。

上記の通り、中国と日本は外貨準備高が異様に大きい。
少し前にトランプ大統領が中国と日本の通貨安誘導を批判していたが、通貨安誘導こそが外貨準備高に通じるものである。

通貨安誘導とは何か?
政府による為替介入のことである。
介入指示を出すのは財務大臣。実施するの日本銀行。

①ドル買い・円売り介入ー市場で円を売ってドルを買う。円安に誘導できる。
②ドル売り・円買い介入ー市場でドルを売って円を買う。円高に誘導できる。

①「円を売ってドルを買う」=「円をドルに交換してもらう」
②「ドルを売って円を買う」=「ドルを円に交換してもらう」

外貨と日本円を交換してくれる場所が外国為替市場。
外国為替市場を具体的に言えば銀行※や外為ブローカー(仲介者)ということになる。

※銀行(為替銀行)
多くの国が外国為替業務を行える銀行について認可制を採用している。
日本で明治初期に出来た横浜正金銀行が為替銀行だった。
戦後は外為法の認可を受けた金融機関と、外国為替銀行法の免許を受けた外国為替専門銀行の東京銀行(現:三菱東京UFJ銀行)のみが外国為替公認銀行だった。
1998年に改正外為法が施行され(橋本内閣の金融ビッグバンの1つ)、認可や免許制を取っ払い、全ての金融機関のみならず一般企業や個人にも開放して完全に自由化した。
外貨売買や海外への貸付などの外為関連業務も外国為替公認銀行に限られていたがそれも撤廃した。
昨今のグローバルブームは世紀末の金融ビッグバンに始まったともいいだろうと思う。

日本は上記①のドル買い・円売り介入(円をドルに交換してもらう)を行っている。
円をドルに交換してもらうには最初に円を差し出さなければならない。
要するに日本政府は円を持っていなければならない。
でも御存知のとおり、赤字国家で余分な円なんかこれっぽっちも持っていない。
どうするか?借りるのである。


かつては外国為替資金特別会計が発行していた「外国為替資金証券」なる短期国債で調達していたが、1999年に一般会計が発行していた「大蔵省(現:財務省)証券」、食糧管理特別会計が発行していた「食糧証券」の3つを統合して「政府短期証券」とし、これによってドルに交換してもらうための円を調達していた。
大蔵省証券も一時的な資金不足を補うための短期国債で年度内に償還する必要があり長期国債とは別物。
「政府短期証券」は発行条件や買取希望額を公募する公募入札方式を採用し、入札資格があるのは日本銀行・銀行・証券会社・投信会社・生命保険会社などの金融機関であって、その他の法人が入札することは出来なかった。入札単位は1000万。個人にいたっては購入も不可であった。
2009年2月からは「国庫短期証券」という名称に変更となった。

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# by yumimi61 | 2017-11-10 20:20
2017年 11月 10日
日本国憲法の秘密-616- (加計学園問題について)
産経ニュース 2017.11.9 21:18
東京新聞・望月衣塑子記者、また意味不明な質問…菅義偉官房長官「事実に基づいて質問を…」と苦言


義偉官房長官は9日の記者会見で、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者が、政府がトランプ米大統領の長女、イバンカ補佐官が関わる基金に資金を提供することにより、幼児教育無償化の予算が削られるのではないかと質問したことについて、「事実に基づいて質問してほしい」と苦言を呈した。

 安倍晋三首相はイバンカ氏も参加した3日の国際女性会議で、イバンカ氏が主導し、世界銀行などが設立した女性起業家を支援する基金に5千万ドル(約57億円)を拠出すると表明した。

 望月記者は、これまで加計(かけ)学園問題などで菅氏を質問攻めにしており、この日は「イバンカさんの基金、世銀が設立した基金にかなりの金額が費やされるという話が出た。教育無償化に財源を当てる以上にイバンカ基金が必要という意見か」と尋ねた。菅氏は「イバンカ基金なんかありません」と否定。世銀と主要国が立ち上げ、「各国同じような形で拠出する」と一蹴した。



国家戦略特区の加計学園問題を追及された安倍首相は「国家戦略特区というのは、自治体が申請するわけです」(自治体でなくても申請できる)とか「加計学園が申請していると知ったのは1月20日」(会議の長が決定の段まで知らないことはありえないし、そもそも1月12日が公表の日)だとか国家戦略特区の制度すら無視した意味不明な回答をしている。
菅義偉官房長官にはぜひとも安倍首相に「事実に基づいて回答してほしい」と苦言を呈してもらいたいものです。
一新聞記者の質問より、一国の首相の国会答弁の事実に基づかない発言のほうがよほど重大だと思いますが。


上の記事や菅官房長官の回答の背景には恐らく「イバンカ基金」騒動がある。
上の記事や菅官房長官の発言は「イバンカ基金」を意味不明や事実に基づかない質問と言っているのだと思う。
しかしそれを言うと、東京新聞一記者だけの問題ではなくなる。

騒動の発端は11月3日に共同通信が配信した記事のタイトルにあった。
「首相、57億円拠出を表明 / 女性起業家支援のイバンカ氏基金」

共同通信とは?
一般社団法人共同通信社(Kyodo News)は、東京を拠点とする非営利の通信社である。日本国内外のニュースや写真、記事関連のデータを日本国内の新聞社、NHK、民間放送局などに提供・配信している

新聞記事の冒頭に(共同)と書いてある記事は共同通信社から配信された記事であるが、それ以外にも加盟紙が(共同)のクレジットをつけずにそのまま掲載している記事もある。契約上、国内ニュースにも(共同)のクレジットを明記することになっているが、沖縄以外の加盟紙で明記する新聞社は少ない。(共同)クレジットを明記すれば、地元記事以外の全ての記事が共同通信配信記事と判断され体裁がつかないためとされている。このため、通信社の配信記事の責任の所在を巡ってトラブルが起こることもある。

社の就職説明会によると、採用は少数精鋭毎年20人弱ほどで東京大、京都大、早稲田、慶應が半数以上を占める。

英国のロイター通信や米国のAP通信とならぶ、世界を代表する通信社である。日本国内はもとより世界で、強固な地位を確立している。日本国内の新聞社等各社は、共同通信が存在しないと、ニュースを報じ運営していくのは困難である



非営利というのは、法人の構成員(法人の出資者、例えば株式会社なら株主)に利益を分配しなくてよいということ。
「儲けないこと」や「公益性が高い」ということとは意味が違う。
新聞社にも民間放送局にも株主が存在し、利益が出ればそれを分配しなければならないが、記事元の共同通信社は利益分配しない(NHKも分配しない法人)。

株式会社ならば利益を株主に分配するが、学校法人など非営利法人は出資者に利益を分配することが禁じられている。利益はすべて事業に還元しなさいということなのだ。
また株式会社の株券は売買されるが非営利法人ではそのようなこともない。
要するに株式会社などに比べると閉鎖的で第三者の干渉を受けない。
職員を縁故採用して手当や給与を高くする、縁故者に外注する、営利法人を別に作りそこと取引する形で利益を流す、公私曖昧に理事などが贅沢品を購入したり旅行したり遊んだり、利益で資産運用する、そのようなことがわりと自由に出来る。


共同通信社は1945年に社団法人として設立された。
加盟新聞社と日本放送協会(NHK)が出資者である。
そしてこの時、この共同通信社と時事通信社が電通の大株主となった。

(各社出資者)→共同通信加盟新聞社やNHK(出資者)→共同通信(取材して記事を書き配信)→加盟新聞社・NHK(配信された記事を紙面や電波に乗せる)


共同通信の記事タイトルに「イバンカ氏基金」という言葉が用いられていた。それを毎日新聞や東京新聞、産経新聞が使った。


毎日新聞2017年11月3日 11時26分(最終更新 11月3日 21時39分)
イバンカ氏基金 安倍首相、57億円拠出を表明


 安倍晋三首相は3日午前、海外の女性指導者らを東京に招いて女性政策を議論する国際シンポジウム(女性版ダボス会議)の関連行事に出席した。あいさつでは、トランプ米大統領の長女イバンカ大統領補佐官が設立に関わった、女性起業家を支援する基金への5000万ドル(約57億円)拠出を表明した。
 来日中のイバンカ氏も関連行事に出席して講演。5日のトランプ氏の来日を控え、友好ムードを演出した形だ。
 首相は「日本は世界で女性活躍の旗を高く掲げ、強い指導力を発揮していく決意だ」と強調。女性起業家への期待を示した上で「イバンカ氏が主導した基金を強く支持する」と述べた。(共同)



産経ニュース 2017.11.3 09:39更新
安倍首相、女性支援のイバンカ氏基金に57億円拠出を表明

 安倍晋三首相は3日、海外の女性指導者らを東京に招いて女性政策を議論する政府主催のシンポジウム「国際女性会議WAW!」の関連イベントにトランプ米大統領の長女イバンカ大統領補佐官と出席し、イバンカ氏が設立に関わった、女性起業家を支援する世界銀行グループの基金に5千万ドル(約57億円)を拠出すると表明した。

 首相は「世界中に『女性活躍』のネットワークを広げていく。世界中の女性たちが立ち上がれば、貧困をはじめ世界のさまざまな課題はきっと解決できるはずだ。日本は世界でこれからも『女性活躍』の旗を高く掲げ、強いリーダーシップを発揮していく決意だ」と語った。

 基金は、イバンカ氏の提案を受け今年7月に世界銀行グループが設立した。日本、米国、英国、中国、カナダ、ドイツ、韓国など14カ国がパートナーとなっている。



さらにニュース記事などをネット配信しているYahoo!Japanのトップニュースにも「首相 イバンカ氏基金に57億円」と掲載され、あっという間に話題になった。

短文SNS流行の昨今、長文を読み込む人は少ない。長くなると読む気が失せ、何が書いてあるのか分からなくなるらしい。(母国語ですらそうなのだから・・・)
週刊誌の中吊り、テレビ欄、ネットニュースなどなどタイトルや見出ししか見ないという機会も多い。
よって「イバンカ氏基金に57億円」がどんどん拡散した形である。
記事の中の文章を読むとどれにも「トランプ米大統領の長女イバンカ大統領補佐官が設立に関わった、女性起業家を支援する基金への5000万ドル(約57億円)拠出を表明した」と書いてある。

共同通信のタイトルがミスリードだったのか。
※ミスリード
人を誤った方向へ導くこと。わざと間違いや誤解を誘うこと。 新聞や雑誌などで見出しと記事とが大きく違うこと。

それとも文字制限がある中での事実の要約に過ぎないのか。
基金はイバンカ大統領補佐官の提案を受け今年7月に世界銀行グループが設立したものである。
イバンカ大統領補佐官が提案し設立に関わった基金≒イバンカ基金

あなたはどちらだと思いますか?


一番上の産経の記事の中にある望月記者の質問と官房長官の質疑応答はこうである。

質問(望月記者):「イバンカさんの基金、世銀が設立した基金にかなりの金額が費やされるという話が出た。教育無償化に財源を当てる以上にイバンカ基金が必要という意見か」
回答(菅官房長官):「事実に基づいて質問してほしい」「イバンカ基金なんかありません」「各国同じような形で拠出する」

望月記者もイバンカ基金が世銀が設立した基金だと分かっていると十分に解釈できる。
そう考えると、官房長官の回答や産経の記事のほうがおかしい。









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# by yumimi61 | 2017-11-10 14:22
2017年 11月 09日
Mourning
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実はわたし昨日の夕方、交通事故に遭遇した。
と言っても事故の瞬間を目撃したわけではない。
交差点の赤信号で止まる列に付いた時、私の前には4~5台の車がいたが、交差点の横断歩道の途中で人が倒れていることに気付いた。
横断歩道の所には1台の乗用車も止まっていた。
横断歩道を渡っていた人が右折車に撥ねられたような感じだった。
倒れた人のそばに数名の人がいたが倒れた人は動くふうはなかった。
交差点の中に人が倒れ車が止まっているので青信号になっても進まない。
どうしようかと思っていたら、前の車の同乗者が私のところにやってきて「交通事故でたぶん死んでるから動かない。こちらに出たい(進行方向と逆)ので車をバックさせてほしい」と言った。
交差点が塞がれているので対向車も来ない。
私の前の車2台には複数の人が乗っていたがみな喪服を着ていた。
通夜かなにか時間があって急いでいたのではないかと思う。
私の後ろにも複数車が付いていたが喪服の人が「オーライオーライ」と言いながら私の車の後ろを見てバックさせた。
そうこうしているうちに救急車の音が聞こえてきた。
私もそこでUターンをして回り道をし目的地に向かったが、私のすぐ後ろの車はそのまま直進していった。



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# by yumimi61 | 2017-11-09 15:48
2017年 11月 08日
Autumn

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2017/11/08 14:13

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2017/11/08 14:21

This is just beginning…

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# by yumimi61 | 2017-11-08 23:58