2017年 10月 01日
日本国憲法の秘密-575- (加計学園問題について)
本日2本目です。


2015年6月4日 今治市が国家戦略特区に申請(加計学園による獣医学部新設を提案)
2015年6月30日 「日本再興戦略 2015」が閣議決定される
2015年12月15日 国家戦略特区諮問会議(第18回)・・3次指定区域案提示
2016年1月29日 国家戦略特区 3次区域指定(決定)


広島県と愛媛県今治市は3次区域に選ばれた。
その今治市の事業主体は加計学園による獣医学部新設である。
2015年6月に申請しており、同月「日本再興戦略」が閣議決定された(もちろんこれは加計学園ありきで進められたものである)。
区域の決定はその提案が通ったということなので、加計学園の獣医学部新設は決まったようなものだった。
内閣(日本再興戦略)は農水省や文科省に年度内(2016年3月31日まで)に獣医学部新設にゴーサインを出せ(学校認可せよ)と迫っていた。

2016年はまだ「加計学園による獣医学部新設」は公表されていない時期だけれども、関係者にはじわじわと漏れ伝わるものである。


大学関係者A
「獣医学部の新設が決まったらしいです」
「大学はどこ?」
「加計学園ですって」
「どこそれ?どんな大学運営してるの?」
「岡山理科大とか」
「知らない。東京理科大の兄弟校?」
「違うと思いますよ。医療系なら吉備国際大学、岡山の。あと宮崎にある九州保健福祉大学とかやってます」
「どっちも知らないなぁ。西日本には疎いもので。やっぱり看護科とか心理学科とかあるの?」
「吉備国際大にはどちらもありますが偏差値は35~BFです。九州保健福祉大も偏差値は40~BFです。ここの薬学部に薬学と獣医学からアプローチしたような4年制の動物生命薬科学科があるんですよ。だから今治でもそんな感じを狙ってるのかもしれませんね」
「4年制ということは研究者養成ということか。6年制はない?」
「ありますよ」
「あなたそれにしても詳しいわね」
「調べましたから。それでですね・・・」
「なに?どした?」
「2007年3月の第92回薬剤師国家試験で全国の国公私立大学48校中トップの成績を収めたと書いてあったんですよ。合格率97.5%で。これが薬学部1期生なんですけど」
「え?全国トップ?偏差値40で?私立だけでなく国公立含めてのトップ?」
「はい」
「嘘でしょ?」
「俄かには信じ難いですね・・」
「2007年3月って第一次安倍内閣の時じゃない」
「・・・まさか漏洩とか・・?」
「・・・・・」
※解説
偏差値のBFとはBorder Free(ボーダーフリー)。Fランなどと呼ばれることもある。
受験における学部学科偏差値とはそのレベル(偏差値)の概ね半数が合格するということを表す。最高レベルを表しているわけでも80%くらいの人が合格するレベルでもない。
受験生はこの半分合格半分不合格の「半分」に、志望しようかレベルを一段階落とそうか心が揺れることになる。
偏差値35の学科というのは偏差値35程度の人が受験して半数が合格するレベルということ。偏差値35でやっと半分が合格するのだから偏差値70の学校よりは学力レベルは低いということになる。
BFというのは偏差値をどこまで下げていっても半分合格しない。例えばだけど偏差値10にしても半分合格ラインに達しないということ。
名前を書きさえすれば受かると言われることもある。またBFは極端に定員を割れるているような場合も考えられる。


大学関係者B
「獣医学部が新設されるらしいですよ」
「え?なんで?獣医学部は新設ダメなんだろう?」
「あれですよ、国家戦略特区ってやつ。あれでごり押ししたらしい」
「それでOKなのか?そんな馬鹿な。そもそも文科省が認可しないだろう」


文科省
「内閣が獣医学部を認可しろと言ってきています」
「認めないって告示してあるじゃないか」
「あれですよ、国家戦略特区ってやつ。規制なんかお構いなしですからねぇ」
「そうは言っても獣医学部は獣医師国家資格に係わることだから農水省との交渉なしには決められない」
「手強いですよね」
「そうだな厳しいな、君に任したよ」
「ちょっと先輩そんな~」


農水省
「はあ?獣医学部新設は国家の意向?」
「ええまあその・・」
「ダメダメ在り得ない!獣医学部の新設なんか必要ない。あまり大きな声じゃ言えないが人数的は十分すぎるくらいなんだ。新設なんか質を落とすだけだ」
「でも年度内にって内閣が言ってきているらしいです。文科省の人もそうに・・」


獣医師会
「国家戦略特区でとうとう決まったらしいです、今治市と加計による獣医学部」
「なんだと?あれほど反対したのにか」
「どうします?」
「どうしますも何もない、これは生命に関わる問題だぞ。あんなのは絶対だめだ。獣医学の名に傷が付く」


関係各所ではこんな会話が交わされていたのではないでしょうか。
なにしろ国家戦略特区の区域(3次)指定が1月末。
それで年度内に結論を出せという話なので、残り2ヶ月。
お役所関係の公務員は、年度末、猫の手を借りたいほど忙しい。
刻々と時間だけが過ぎていく。カチカチカチカチ







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# by yumimi61 | 2017-10-01 23:13
2017年 10月 01日
日本国憲法の秘密-574- (加計学園問題について)
2009年9月‐2012年12月 自民党が野党になる
2009年10月 「株式会社政策工房」設立(会長・高橋洋一、社長・原英史)
2012年12月 安倍内閣誕生(再登板)
2013年9月 国家戦略特区第1次指定地域のヒアリング
2013年12月 国家戦略特別区域法施行
2014年1月 国家戦略特区 第1回諮問会議
2014年3月 国家戦略特区 第4回諮問会議 ※この会議で1次指定区域案が提示された
2014年5月 国家戦略特区 第1次区域指定


2015年1月 「株式会社特区ビジネスコサルティング」設立(顧問・高橋洋一、石津賢治、社長・松島凡) 
2015年4月2日 今治市の職員が首相官邸を訪問
2015年6月4日 今治市が国家戦略特区に申請(加計学園による獣医学部新設を提案)
2015年6月30日 「日本再興戦略 2015」が閣議決定される

2015年8月6日 内閣府が今治市の大学建設用地を視察
2015年8月17日 安倍首相と加計孝太郎・加計学園理事長がともにゴルフ
2015年8月28日 国家戦略特区 第2次区域指定

2015年10月20日 国家戦略特区諮問会議(第16回)・・今治市はまだ議題に上らず 
2015年11月27日 国家戦略特区諮問会議(第17回)・・3次指定についての話あり 
2015年12月15日 国家戦略特区諮問会議(第18回)・・3次指定区域案提示 
2015年12月24日 クリスマスイブ 男たちの悪巧み…(?) 
2016年1月29日 国家戦略特区3次区域 指定(決定)



2017年7月24日、衆院予算委員会の閉会中審査にて、民進党の大串博志議員が安倍首相に、利害関係にある加計学園の理事長と私的にゴルフや食事やゴルフを繰り返していたことを問いただした。
大串議員の示した資料によれば、第2次安倍内閣発足後14回ほど会っているとのことだった。
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大串氏:安倍総理は、加計理事長が獣医学部を新設し、国家戦略特区に申請するという話を聞いていなかったのか。

安倍首相:加計さんとは政治家になるずっと前からの友人関係。彼が私の地位や立場を利用として何かを成し遂げようとしたことは一度もなかった。時代のニーズに合わせて新しい学部に挑戦したいという話は聞いていた。過去にも様々な学部・学科を作ってきたが、具体的に何かを作ろうとしている、獣医学部を作りたいという話は、一切なかった。今治市にという話も。

大串氏:安倍総理は申請の事実をいつ知ったのか。

安倍首相:申請が正式に認められた国家戦略特区の諮問会議、2017年1月20日に初めて知った。わたしは知りうる立場にはあったが、具体的な説明はなかった。

大串氏:これだけの面会記録があるのにか。俄かには信じられない。

安倍首相:国家戦略特区は自治体、今回は今治市の申請ということになる。事業者は決まっていない

大串氏:いつ知ったのか。はっきり答えてほしい。9月から秋にかけて色んな議論が行われている。総理からも検討を深めようという話があった。申請を(文科省の担当者ら)みんな知っていた。総理だけが知らないのはあり得ない。

安倍首相:国家戦略特区というのは、自治体が申請するわけです。私は特定の自治体ではなく、全体において指示している。それが諮問会議、ワーキンググループの肝でもある。中身については私に報告はななった。

大串氏:面会の食事代について聞きたい。

安倍首相:私が御馳走することもあるし、先方が支払うこともある。友人関係ですので割り勘もある。何か頼まれて御馳走されたことはない。気の置けない友人関係なので。

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3次区域が議題にのぼる国家戦略特区諮問会議は上記の通り、2015年10月20日(第16回)、11月27日(第17回)、12月15日(第18回)である。
その3回の次は2016年2月5日(第19回)であり、安倍首相の言う1月20日に諮問会議は開催されていない。
そのことは内閣府の国家戦略特区ホームページで確認できる。指定日が2016年1月29日であることも同ホームページで確認できる。
安倍首相は諮問会議の議長のはずである。議長がそれを知らず確認もしないのか?
安倍首相はどんなに遅くとも2015年12月15日には知っていなければならない。
2017年1月20日まで知らないなんて、明らかに嘘なのだ。
(ちなみにこの日は確かに国家戦略特区諮問会議が開催されている。しかし安倍首相が知るべき時は少なくともそれより1年以上早くなければならない)


また安倍首相の国家戦略特区という制度の認識も間違えている。
この部分、安倍首相だけでなく多くの人が勘違いしているように思う。
国家戦略特区の指定が「区域」なので自治体の関与は避けられないが、必ずしも自治体が提案申請しなければならないということはない。
自治体が自身で何か事業を起こせるならば自治体が申請しても良いと思うが、そうでなければ事業主体(提案主体)はやはり事業者であるべきだ。そうしないと具体的な道筋が立てられない。
共同提案という手法もある。
提案主体を軸に戦略構想を膨らませていくのは国家戦略特区のワーキンググループや諮問会議、内閣や関係自治体の仕事であるはずだ。

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これは提案募集について書かれたものであるが、提案主体の例に会社とある。安倍首相が言うような「自治体が申請しなければならない」なんてことはないという証明になるであろう。
もしも自治体を介して申請するという決まりがどこかにあるとしても、提案の主体となる個人団体の名や住所を記すように定められているので、今治市の場合ならば加計学園を隠して提案することはできない。
加計学園が主体であることを国家戦略特区の諮問会議やワーキンググループのメンバーが区域指定まで知らなかったということはあり得ない。
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提案主体についてなぜこんな誤解が生じているのかと言うと、後から公募も行われるからだと思う。

2016年1月29日 3次区域として広島県・愛媛県今治市が指定される。
区域と事業に関する基本的事項は発表されるが、この時点では「加計学園が獣医学部を新設予定」という発表はなされない。(だからと言って決まっていないというわけではない!)
関係各所との折衝や法的手続きを残しているので、その発表は時期尚早といったところ。
獣医師養成について基本的な事項にはこう書かれていた。
・ 国際教育拠点の整備(獣医師系(ライフサイエンスなどの新たに対応すべき分野)

以下、その区域で行われた公表と公募。

2016年3月18日~3月28日
国家戦略特別区域会議の構成員(特定事業を実施すると見込まれる者)の公募

2016年3月18日~3月28日
国家戦略特別区域における国家戦略特別区域法第19条の2(国家戦略特別区域創業者人材確保支援事業)に定める創業者の公募

2016年4月4日~4月8日
国家戦略特別区域における国家戦略特別区域法第19条の2(国家戦略特別区域創業者人材確保支援事業)に定める創業者の公表及び申出
(公表)
Ⅰ.区域計画に定めようとする創業者
官民人材分野
国家公務員退職手当法の特例
・株式会社OTTA
・株式会社ビー・エス


2016年4月4日~4月8日
国家戦略特別区域法第8条第3項及び第4項に基づく公表及び申出 
(公表)
Ⅰ.区域計画に定めようとする特定事業の実施主体
その他
(1)特定実験試験局制度に関する特例
・株式会社エネルギア・コミュニケーションズ
・ルーチェサーチ株式会社


2016年9月23日~9月29日
国家戦略特別区域における国家戦略特別区域法第19条の2(国家戦略特別区域創業者人材確保支援事業)に定める創業者の公募

2016年9月30日~10月3日
国家戦略特別区域法第19条の2(国家戦略特別区域創業者人材確保支援事業)に定める創業者の公表及び申出
(公表)
Ⅰ.区域計画に定めようとする創業者
官民人材分野
創業者の人材確保の支援に係る国家公務員退職手当法の特例(国家戦略特別区域創業者人材確保支援事業)
・うずの鼻コミュニケーションズ株式会社


2017年1月4日~1月11日
国家戦略特別区域会議の構成員(特定事業を実施すると見込まれる者)の公募


2017年1月12日~1月17日
国家戦略特別区域法第8条第3項及び第4項に基づく公表及び申出受付

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公表と書いてあるところで事業主体が発表されている。
同じ名目で発表募集が行われているが事業内容が違う。
太字で書いたところが獣医学部に関するもの。
事業主体の発表は事業主体がこの時に選定されたということではなく、これは最初から決まっていたこと。発表と同時に他の事業者を募集する。
広島県・今治市国家戦略特別区域に係る区域計画に定めようとする特定事業の実施主体を公表するととも、当該特定事業の実施主体として加えるよう申し出る手続を定めたので、当該手続に従い申出を受け付けます。

(特定事業)
教育
獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するための獣医学部の新設に係る認可の基準の特例〔文部科学省関係共同告示関係〕


国家戦略特別区域会議の構成員(特定事業を実施すると見込まれる者)の公募は事業者の募集ではなく、あくまでも国家戦略特区の該当区域の会議メンバーを募集するものであるが、応募要件は特定事業を実施できる者なので自ずと応募できる者(会議に参加できる者は)限られる。
次の全てを満たす必要がある。
・特定事業について法令等で個別に定められている要件
・当該事業の確実な実施が見込める者(但しこれについては応募時点で具体的にその準備ができている必要はない)
・でも、目的、当該事業に必要な教育環境の整備、その他充実した実施体制等への対応状況を詳細に記載した書類を提出する必要がある。












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# by yumimi61 | 2017-10-01 17:12
2017年 10月 01日
Tiny Little Bows♫
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Congratulations on the beginning of the your new show!


too busy?
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kaki kueba kane ga naru nari Hooryuu-Ji -Masaoka Shiki
(かき くえば かね が なる なり ほうりゅうじ)
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

eating a persimmon
the bell reveberates
at Horyu-ji temple

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(出典)
https://twitter.com/absoluteradio
https://twitter.com/daveberry_tweet
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺




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# by yumimi61 | 2017-10-01 00:43
2017年 09月 30日
日本国憲法の秘密-573- (加計学園問題について)
2009年9月‐2012年12月 自民党が野党になる
2009年10月 「株式会社政策工房」設立(会長・高橋洋一、社長・原英史)
2012年12月 安倍内閣誕生(再登板)
2013年9月 国家戦略特区第1次指定地域のヒアリング
2013年12月 国家戦略特別区域法施行
2014年1月 国家戦略特区 第1回諮問会議
2014年3月 国家戦略特区 第4回諮問会議 ※この会議で1次指定区域案が提示された
2014年5月 国家戦略特区 第1次区域指定


2015年1月 「株式会社特区ビジネスコサルティング」設立(顧問・高橋洋一、石津賢治、社長・松島凡) 
2015年4月2日 今治市の職員が首相官邸を訪問
2015年6月4日 今治市が国家戦略特区に申請(加計学園による獣医学部新設を提案)
2015年6月30日 「日本再興戦略 2015」が閣議決定される

2015年8月6日 内閣府が今治市の大学建設用地を視察
2015年8月17日 安倍首相と加計孝太郎・加計学園理事長がともにゴルフ
2015年8月28日 国家戦略特区 第2次区域指定

2015年10月20日 国家戦略特区諮問会議(第16回)・・今治市はまだ議題に上らず 
2015年11月27日 国家戦略特区諮問会議(第17回)・・3次指定についての話あり 
2015年12月15日 国家戦略特区諮問会議(第18回)・・3次指定区域案提示 
2015年12月24日 クリスマスイブ 男たちの悪巧み…(?) 
2016年1月29日 国家戦略特区3次区域 指定(決定)




2003年の文部省の告示によって実質的に獣医学部の新設は出来ない状態にあった。=規制
現行の規制下では不可能であることにチャレンジする。それが国家戦略特区の1つの目的でもあるので、この場合規制があることはむしろ望ましい。
但しどのように現行規制を打破していくかという観点での提案が必要なはず。
特区のもう1つの目的は、産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成の推進なので、ライフサイエンス研究が持ち出された。
こうした提案作成には、2015年1月に福岡の特区を利用して設立されたという「株式会社特区ビジネスコサルティング」が関わったのだと思う。
この会社はコンサルティングだけでなくロビー活動を行うと会社概要に書いてあった。

アメリカなどでは当たり前だが、日本ではあまり馴染みない言葉かもしれない。
ロビー活動(lobbying)
特定の主張を有する個人または団体が政府の政策に影響を及ぼすことを目的として行う私的な政治活動である。議会の議員、政府の構成員、公務員などが対象となる。ロビー活動を行う私的人物・集団はロビイスト(lobbyist)と称される。また、政府と民間企業の出入りを繰り返すことを回転ドア(revolving door)と呼ぶ。
自分達(顧客である企業や法人)に有利になるように政治家や官僚などに直接働きかけるのだ。
株式会社特区ビジネスコサルティングはほぼ直線的に国家戦略特区の意思決定者に繋がる会社である。また官僚や政治家にも十分なコネクションがある。


現行規制を打破する手段として選ばれたのが「日本再興戦略 2015」の閣議決定だった。
ここに獣医学部新設を検討する文章を掲載した。
「日本再興戦略 2015」は数百ページに及ぶもので、国家戦略特区についてのみ書いてあるものではない。
獣医学部の検討は「国家戦略特区の実現」の中の「地方主導による大胆な規制改革の実現」に関する記述の中にさらっと書いてある。

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これを含む「日本再興戦略 2015」が2016年6月30日に閣議決定されたのだ。
加計学園が国家戦略特区に申請したのが6月4日なのでグッドタイミング!当然狙ってるでしょう。

獣医学部新設について「石破4条件」として次の4つが挙げられているが、このように4つに分けて書かれているわけではなく、上に載せた⑭の文章である。
また当時の国家戦略特区担当大臣が石破茂議員だったので石破4条件と言われているが、石破大臣が直接4つの条件を出したということでも、文章を書いたということでもない。
1.現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化
2.ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らか
3.既存の大学・学部では対応が困難な場合
4.近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討


ポイントは1の箇所の「現在の提案主体による構想」。
現在の提案主体は愛媛県今治市の加計学園による獣医学部新設。
すでに提案が提出されている(申請済み)。
本音を言えば他からの獣医学新設申請なんて眼中にないのだ。
現在の今治市の提案にこのようなことが盛り込まれていれば(盛り込まれれば)現行規制を打破して獣医学部が新設できますとお知らせしているに過ぎない。
これは前に書いた獣医学部新設にはらむ問題、①獣医学部の新設が妥当かどうか、②大学学部の新設が適切且つ適材適所か、獣医学部を新設する学校として適切且つ適材適所か(大学学部認可)、この2つのクリアする上でも重要である。
この条件をクリアすれば獣医学部を新設できる!という宣言でもあるのだ。
しかも2015年度版の戦略に記されているものであり、遠い将来のことを書いているわけではない。今年度すべきことを中心にしている。獣医学部については条件が揃えば本年度内に検討すると書いてある。
獣医師が新たに対応すべき分野に既存の大学学部が即座に対応することは困難であると判断していからこそ3を入れた。
四国に獣医学部がないことや獣医師が少ないこともすでに調査済み、だから4のような書き方をした。
すべて加計学園ありきで練られた文である。
そして実際、国家戦略特区において本年度(2015年度)に検討され、2016年1月に今治市の区域指定された。これで獣医学部新設も決定ということだったのだ。
内閣(日本再興戦略)は農水省や文科省に年度内(2016年3月31日まで)に獣医学部新設にゴーサインを出せ(学校認可せよ)と迫っていた。
しかし期限内にそれが行われなかった。







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# by yumimi61 | 2017-09-30 00:03
2017年 09月 29日
日本国憲法の秘密-572- (加計学園問題について)
☆素朴な疑問なのですが、「1,000万都民のリーダーである都知事」と「国政政党代表」の二足のわらじが懸念されるならば、「1億万国民のリーダーである日本国首相」と「国政政党代表」の二足のわらじはどうなんでしょうか?(なんかの会議の議長なんかも兼ねていたりして・・)
懸念材料は、下々の数の多さなのか(それならば・・)、それとも地方と国という種類の違いなのか、地方と国という規模の大きさなのか?よく分からない。

☆先日赤ちゃんパンダの名前が「シャンシャン」と発表され「シャンシャン総会」を思い出した人は少なくないと思う。
「今日は午後から総会に行ってくるから」
「部長、総会屋なんですか?」
「私は社員だ」
昔は1株でも株を持っていれば株主として偉そうな顔が出来たが、総会屋を締め出すために単位株という制度が導入されて、一定数以上の株を持っていないと総会に出席して発言したりできなくなった。
1982年(昭和57年)10月1日に改正商法が施行されると、単位株制度は実際に多くの総会屋を株主総会から閉め出し、会社から総会屋への対策費などの支出も減少したが、生き残りをかけた総会屋の活動も活発になる。1984年(昭和59年)1月30日に行われたソニーの株主総会では、12時間30分という記録的な「マラソン総会」となり、「総会屋は死なず」という衝撃を世間に与えた。

☆前記事に政権のタウンミーティングのやらせ事件を書いた。サクラを仕込み賛成の質疑応答を偽装したことが発覚し官僚が処分された。全71回、参加者を確保するため、国や地方自治体などが、職員などを大量動員していたことも判明した。
実は私、いろんな講演会の参加者ノルマの片棒を担いだことがある。(過去記事
講演会と一口に言ってもいろいろな講演会があるわけで、なかには人数が集まらないという講演会もあるわけです。
講師の方を頼むのに人数が集まらないのは申し訳ないし、企画した側もどうなのかと問われることにもなるので、そういう場合は大抵、関係各所に参加人数のノルマが割り当てられるわけです。
ノルマを割り当てなければ集まらないような講演会ならやらなくちゃいいのにと思ったりするわけですが なかなかそうもいかないようなのです。
(略)
その2,3年後、私はまたしてもノルマの片棒を担いで、講演会に出掛けました。その講演の途中で不思議な感覚に包まれたのです。この光景をどこかで見たことがあるような気がする、この話も聴いたことがあるような気がする、、、デジャブ!?(略)





医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置や収容定員増はたとえ定員要件を満たしたとしても認可しないと2003年に文科省が告示したが、2005年にそれを見直す動きがあった。
その時の首相は小泉首相。小泉首相最後の第3次改造内閣(2005年10月31日-2006年9月26日)
内閣官房長官が安倍晋三、総務大臣が竹中平蔵、外務大臣が麻生太郎、経済産業大臣が二階俊博、環境大臣が小池百合子。

意外だが、安倍晋三はこの時が初入閣である。
1993年39歳の時から継続して衆議院議員。祖父が首相経験者で、父親もリクルート事件でこけて(?)首相にこそならなかったが幾つもの大臣や自民党の要職を経験している。
いわば安倍晋三は政界のサラブレッドである。
それでも初入閣したのは2005年秋の小泉第3次改造内閣だった。
しかも内閣官房長官。そして2006年9月26日からは自身が首相となるのである。
だから内閣官房長官以外の大臣を経験したことは一度もない。自民党から首相となる人物としては珍しいケースではないだろうか?
自民党の役職も総裁以外は小泉総裁の時に2003年9月-2004年9月に1年幹事長を経験したのみ。
自民党の皆さん、大丈夫ですか?

医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の認可に関する見直し論が起こったのは安倍晋三が内閣官房長官の時だった。
まず教員の養成がターゲットにされた。

この教員とは小中高校の教師のことである。それを養成するのは大学。
先生1人に対して児童生徒が多すぎる、少人数学級でないときめ細かい教育が出来ない、教師は忙しすぎる、残業も多く過重労働で大変、そんな話を聞いたことはありませんか?
だから教師を増やしたほうがよいとなるわけである。
教師を増やすには養成機関である大学を増やすべきと導かれる。
しかし少子化しているのでは・・?
教員ほど詳しくは語られなかったが、教員とほぼ同時期に獣医師養成も検討する必要があるとの発言があった。
それがつまり2005年で、加計学園が今治市に「獣医師学部なら新設してもよい」と返答した年である。


この時の文部科学大臣は中山成彬。
第2次小泉改造内閣と第3次小泉内閣(2004年9月27日 - 2005年10月31日)の大臣。
自民党から党を転々として、2016年の参院選で落選している。その時の党は「日本のこころ」。
そう、彼の妻は中山恭子、つい先日まで「日本のこころ」の代表を務めていた人物。
彼女は代表を放り投げて(?)「希望の党」へ加入した。

中山成彬
鹿児島ラ・サール高校、東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。大臣官房企画官などを経て1982年に退官し、政治の道に入る[要出典]。

2004年の第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣として初入閣し、日本原子力研究所と、もんじゅを運営していた核燃料サイクル開発機構を統合し独立行政法人日本原子力研究開発機構とする法案を成立させた。また、清和政策研究会事務総長を務めた[要出典]ほか、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京事件は存在しないというレポートを出した日本の前途と歴史教育を考える議員の会会長を務める。

2008年9月25日に麻生内閣の国土交通大臣に就任するが、同月28日に辞任。原因は同月25日の「成田反対はゴネ得」、「日本は単一民族」、同月27日の「日教組を解体へ」の発言に対して度重なる抗議を受けたため。


■日本の前途と歴史教育を考える議員の会
自由民主党内で結成された議員連盟。1997年(平成9年)設立。
会長は古屋圭司。自民党の議員が多く所属しており、前身である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会では安倍晋三が事務局長を務め、中川昭一、衛藤晟一、松岡利勝、高市早苗、森田健作、山本一太、中山泰秀などが会員だった。

歴史教科書、慰安婦、南京事件問題に関し否定的な立場から提言を行っている。現在では主に第二次世界大戦末期の沖縄戦における集団自決について議論を行っている。同会では自決について「旧日本軍の組織的な強制・強要はまったくの事実無根」との立場をとっており、2007年(平成19年)10月17日、会内に「沖縄戦検証のための小委員会」を新たに設置した。

会長:古屋圭司
事務局長:義家弘介
顧問:安倍晋三
南京問題小委員会 委員長:(空席)
慰安婦問題小委員会 委員長:中山泰秀
沖縄戦検証のための小委員会:萩生田光一
会員:岸田文雄、佐藤勉、今村雅弘、江渡聡徳、山崎正昭


山中会長の後任・古屋圭司は第二次安倍内閣で国家公安委員会委員長だった人物。
中山夫妻(夫は落選し議員失職したが在職中)は日本会議国会議員懇談会のメンバーである。


見直しが検討された時の文部科学大臣の時の副大臣は塩谷立。
その後自身も麻生内閣( 2008年9月24日-2009年9月16日 )で文部科学大臣に就任した。
静岡県立静岡高等学校卒業後、米国カリフォルニアのアンバサダーカレッジに留学。帰国後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。

第44回衆議院議員総選挙において、文部科学副大臣という立場を利用して「塩谷文部科学副大臣講演会への動員へのお願い」というタイトルの文章を静岡県西部の複数の私立中学・高校へファックスし講演会に学校関係者を動員するなど、選挙活動に当たる行為を行い公職選挙法に違反したのではないかとの疑いが浮上した。



見直しが検討された時の文部科学省事務次官は結城章夫。
山形県村山市に生まれる。山形県立山形東高等学校から東京大学工学部に進学し、1971年6月に東京大学工学部物理工学科を卒業する。

1971年7月、科学技術庁に入庁。入庁後は主に原子力安全や研究開発行政に携わる。2001年、科学技術庁と文部省が統合して文部科学省が発足すると、初代大臣官房長に就任する。その後、文部科学審議官を経て、2005年1月11日に文部科学事務次官に就任する。

2007年7月6日、事務次官を退任する。同日開かれた退任会見で、山形大学の学長選挙に出馬することを表明する。その後、7月26日に開催された学長選考会議において学長候補者に選ばれ、9月1日に学長に就任した。
2011年6月27日、自身の任期満了を受けて開催された学長選考会議で再び学長候補者に選ばれ、学長に再任される。その後、2014年3月末をもって学長を退任し、同年4月に山形大学から名誉教授の称号を授与される。


事務次官を退任したその日に国立大学の山形大学の学長選挙に出馬することを表明し、しかも選ばれるなんて。
天下り学長と考えていいですね?



一内閣一仕事という言葉がある。
1内閣(1人の首相在任期間)で成し遂げる仕事は1つが精一杯という意味。
やりたいことは山ほどあっても1つのことに集中せよという戒めの意味でもあり、1つくらいは成し遂げよという目標的な意味もある。
内閣総理大臣を経験した竹下登は内閣が政治懸案事項について「道筋をつけたり、解決・達成できるのはせいぜい一仕事くらいである」と述べている。

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※図はクリッククリックでもう少し大きくなります。

私は感情的になっているつもりもないし、誰かと特別な利害関係にあるわけでもないが、正直なぜ安倍首相がそんなに支持されるのかさっぱり分からない。どうして飽きられないのか、ボロがボロボロ出てもどうして許され続けるのか理解できない。
他の首相と何がどう違うのだろう? 違いというか特別感というか魅力みたいなものが私には分からない。
現状を維持していく上で特別感は別に必要ないとも思っているが、特別感や魅力が特にないのにこの飽きっぽく不寛容な社会で継続していることがこれまでと何か違うように感じて怖い気がする。
これまでと違うことからくる漠然とした不安を世の中の多くの人が感じないのも不思議。
代わりの人がいないからとよく言われるけれど、では戦後70年ここにきて日本にはどうして代わりの人がいなくなってしまったのだろう?


安倍晋三が内閣官房長官の時に獣医師養成見直しの動きがあり、その後安倍内閣が誕生した。
しかし今治市の「加計学園による獣医学部新設」の構造改革特区申請は安倍内閣(一次)の期間中には間に合わなかった。
一度退陣した首相が再登板したことは、戦後混乱期の吉田茂を除いて戦後一度も無い。
加計学園理事長のことを腹心の友と言って憚らない安倍晋三が首相の座にいる期間を十分に活かせず加計学園と今治市のチャンスは潰えたように思えた。
現に2007年以後、構造改革特区への申請は不可の判定が続いた。
だが2012年安倍は2007年退陣の際には誰も想像していなかった再登板を果たす。
この後に今治市と加計学園の獣医学部新設も急展開を見せていくことになる。








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# by yumimi61 | 2017-09-29 11:07
2017年 09月 28日
日本国憲法の秘密-571- (加計学園問題について)
文部科学大臣】 ※下段は事務次官

ー民主党・野田政権ー(2011年9月2日-2012年12月26日)
2012年10月 1日-2012年12月26日 田中眞紀子 ・・大学不認可騒動を巻き起こす
 (2012年年1月6日-       森口泰孝)


ー自民党・安倍政権ー
2012年12月26日-2015年10月 7日 下村博文 ・・STAP細胞騒動(理研・笹井自殺)、1次区域指定、2次区域指定
 (          -2013年7月8日 森口泰孝)
 (2013年7月8日-2015年8月4日  山中伸一)STAP騒動時、1次区域指定時
 (2015年8月4日-        土屋定之)


2015年10月7日-2016年8月3日 馳浩  ・・今治市3次区域の指定決定
 (         -2016年6月21日  土屋定之)
 (2016年6月21日-        前川喜平)

2016年8月3日-2017年8月3日 松野博一 ・・文科省の組織的天下り事件発覚
 (        -2017年1月20日  前川喜平)
 (2017年1月20日-     戸谷一夫)

2017年8月3日-現在 林芳正
 (       -現在   戸谷一夫)


2001年に誕生した小泉政権の小泉劇場を支えた女傑が、田中角栄の娘である田中眞紀子だった。
金権政治と批判され元首相でありながら逮捕までされた父親を持ちながら、父親譲りの歯に衣着せぬ物言いや人間臭さで人気が高かった。
小泉政権誕生の功労者の1人である田中眞紀子は外務大臣に就任した。
しかしー
彼女は更迭という形でその座を去った。

ターニングポイントとなったのが2002年の事務方との対立に起因する外相更迭であり、当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった(読売新聞では下げ幅が30.7%に及んだ)。しかし直後に自らの秘書給与問題が浮上し、議員辞職に追い込まれる。2003年衆院選で復帰し、院内会派「民主党・無所属クラブ」に加入。今度は以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返すようになった。


彼女はその後民主党入りするのである。
衆院選を目前に控えた2009年8月15日、新潟県長岡市内で記者会見し、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。

そして2012年10月 1日野田政権の改造内閣で文部科学大臣に就任した。
しかし野田首相は11月16日に衆議院を解散した。
発足から僅か1ヶ月ほどで解散が決まり、選挙期間を含めても内閣は3ヶ月あまりで終焉を迎えた。(現内閣と同じ感じですね!)
現内閣がマスコミの世論調査で50%前後の一定の支持率を継続しながら解散に踏み切って費用のかかる選挙を行う判断をしたなら、野田内閣は支持率を20%を下回り選挙をしたら勝てないであろうという時期にあえて解散に踏み切った。全く逆のようだが「先が予想できる」状態で解散に踏み切ったのは同じ。

野田内閣の解散は長い安倍内閣の始まりだった。
田中眞紀子の政治生命はあの時にほぼ終わってしまった。

3ヶ月弱しか文科大臣の職に就けなかった田中眞紀子だったが、彼女は行動の人だった。
就任1ヶ月の2012年11月2日に、田中は申請されていた3大学の新設を認めないと突如表明したのだ。
その3校は、秋田公立美術大学、札幌保健医療大学、岡崎女子大学。
この3校がダメというよりも、大学改革、認可改革、文部科学省改革を行いたかったのでないか。大学不認可によって問題提起したということ。
となれば、助言者がいたような気もするがどうだろう。
結局11月8日に不認可を撤回し新設認可。
解散はこの後に突如発表されたのだ。
岩盤規制は一枚岩では?



かつて「私立大学の大規模校は定員の2倍も3倍もの学生を入学させている」とまことしやかに囁かれたことがあった。
ほんの数年前であってもまだ「私立大学なんて全員学校来たら収容しきれないんだってさ」と言われていたりした。
定員オーバーの程度はともかくして、定員を割っている大学が数多くある一方で定員増しで入学させる大学があるのは事実である。

大学新設が緩和される前の1990年の大学入学現役比率は64.1%、2014年では86.0%である。
浪人者数は1990年には約17万4800人、2014年では約8万3000人いる。
浪人者数はここ数年8万人前後で推移してきた。
大学が増えて、大学希望者≦大学定員 となっているが、この数字が変わらないということはこれ以上大学を増やしても意味がないであろう。
では定員増しをやめたら他に学生が流れるか?
受験レベルが高い学生の定員増しをやめても、彼らには譲れないものがあることが多いので、浪人に流れる可能性が高く分布が大きく変わることはないであろう。
問題は一般入試以外で入学している学生である。
例えば100名の定員で、合格者を一般入試50名、一般入試以外50名とする。
一般入試以外の50名が全員一般入試受験者より学力が高いかと言ったらそうではない。
でも定員を遵守しようと思ったら、学力が高い一般入試の受験者を落とす必要が出てくる。
それをもったいないと思えば合格にする。
定員100名、一般入試合格者90名、一般入試以外合格者50名、計140名。←これは一般入試以外で入学した学生のうち一般入試レベルにある学生は10名であるという事例。
こういうふうに定員オーバーしてしまう。
人気の高い大学が定員増しで入学させていたら、ますます均衡は取れないのだ。
しかし大学経営(お金)や大学間競争のことを考えると、なかなか止められない。
また一般入試だけに限ってしまうと、多様性を否定するのかとか、学力(偏差値やセンター試験)偏重であると非難されかねないので難しい問題。
多様性と言うけれど、この社会には実は多様性がなく、みな同じブランドものを着たいのだ。
何故かと言えば、ブランドものが素晴らしいという社会の評価や評判があるからである。
評価や評判は作ろうと思えば意図的に作れるものであるが、多くの人はそう思っていないし、評価や評判の真偽がどうであれ、そこに恩恵があるならそれに自分も与りたいと考えるものなのだ。


2003年、文部科学省は『大学、短期大学、高等専門学校等の設置の際の入学定員の取扱い等に係る基準』を告示した。(文部科学省告示第四十五号
大学を新設したり定員増加させる場合には定員要件を満たしていないと認可しません、というものである。
4年制大学学部の新設では過去4年の定員超過率平均が1.3未満と定められた。
100人定員ならば入学者130人未満であるということ。

前述したこの事例
定員100名、一般入試合格者90名、一般入試以外合格者50名、計140名。←これは一般入試以外で入学した学生のうち一般入試レベルにある学生は10名であるという事例。
これが4年続いているようでは新設や増員は認められない。
しかし逆を言えば、文科省は定員増しを禁止しているわけではなく、あくまでも新設や増員を認めないと言っているわけで、暗に定員増しを認めていることにもなる。

この告示の中には次のような一文があった。
医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置又は収容定員増でないこと。

定員要件を満たしても、医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置又は収容定員増は認めないということなのだ。
資格や免許に関係し需要供給のバランスとレベル維持が目的にあると思うので、私はこれを問題だとは思わないが、見る人が見れば、どうしてこれだけ特別なんだ?と思うのだろう。


ちなみに新設と増員に定員要件があるだけでなく、入学超過率が一定以上になると私学補助金を不交付にするという決まりによっても規制しているので、大学が補助金を受けたければその範囲内に収めるであろう。
私大補助金不交付の超過率は、2003年は1・46以上と定められていた。
現在は1.3(1.2暫定期間)以上。(中規模校の場合)
医学部と歯学部は1991年以降1.1以上であり、他の大学学部より厳しく数値が設定されている。
医歯学部の質を保つ努力は、認可しないということだけでなく、私学補助金でも行われている。
1.1以内に収めるという条件に獣医学部が入っていないのが不満だったとか?



このように文科省は、医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置や収容定員増は認可しないと2003年に告示していたわけだが、2005年加計学園は「獣医学部をつくる!」と今治市の学校建設誘致に乗った。
実はその2005年に「医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成」の特別視を見直す動きがあった。
2005年はまだ小泉内閣である(2006年9月26日まで、その後は1次安倍内閣2006年9月26日- 2007年9月26日)。

2005年1月28日に文科省の中央教育審議会(文科大臣の諮問機関)から答申された「我が国の高等教育の将来像」において、質を保証するために新設や増員を認めていない医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の5分野に関して、「人材需給見通し等の政策的要請を十分に見極めながら、抑制の必要性、程度や具体的方策について、必要に応じて個別に検討する必要がある」との見解が示された。

=見直し検討を行うための調査研究協力者会議メンバー=
大路正浩  千葉県教育委員会教育次長
小原芳明 玉川大学長
門川大作 京都市教育委員会教育長
清田善樹 岐阜聖徳学園大学教育学部長
児玉隆夫 元大阪市立大学長
舘昭 桜美林大学大学院国際学研究科教授
林勇二郎 金沢大学長
(主査) 村山紀昭 北海道教育大学長

●大路正浩
1964年 兵庫県生まれ。 篠山鳳鳴高校、 上智大学外国語学部卒業。
1987年文部省 (現:文部科学省) 入省。アメリカに5年滞在し、この間ピッツバーグ大学大学院社会学専攻修了。
千葉県教育次長、文化庁長官官房国際課長※、私学行政課長、スポーツ・青少年局学校健康教育課課長、子ども安全対策支援室長補、国際交流基金上級審議役などを歴任。
文科省天下り事件で戒告処分を受けている。 

●小原芳明
祖父が玉川学園創立者
東京生まれ。玉川学園小学部・中学部を経て、高等部2年生よりアメリカ・マサチューセッツ州ロクスベリー・ラテン・スクールに留学、同校を卒業[要出典]。その後マンマス大学(en:Monmouth College)へ進学。卒業後、玉川大学大学院文学研究科、スタンフォード大学大学院教育政策分析専攻修士課程を修了。
1987年以降、玉川大学文学部教授。国際教育室長・文学部長・副学長を歴任。父・小原哲郎の引退に伴い、学長職を世襲し第5代学長となる。
日本私立大学協会理事、文部科学省大学設置・学校法人審議会(学校法人分科会)委員を歴任。2013年より文部科学省中央教育審議会委員[要出典]。
クリスチャンとして宗教の重要性を説く[要出典]。「情報はチャンス」とIT教育に力を入れる。中学部・高等部では「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を採用した[要出典]。


●門川大作
京都府京都市中京区生まれ。京都市立堀川高等学校定時制普通科卒業後、京都市教育委員会に就職。働きながら、立命館大学法学部第二部を卒業した。
京都市教育委員会総務部長、教育次長を経て、2001年に京都市教育長に就任し、2007年まで同職を務める。また2003年から中央教育審議会委員、2006年から安倍内閣の下で設置された教育再生会議委員を務めた
2007年、京都市教育長を辞職し、翌2008年の京都市長選挙に自由民主党・公明党・民主党京都府連・社会民主党京都府連の推薦を受けて出馬する意向を表明。2月の市長選挙では日本共産党が推薦する弁護士の中村和雄らを破り、初当選を果たした。市長就任後、京都サンガF.C.顧問にも就任。2011年6月7日、「世界文化遺産」地域連携会議会長に就任。2012年2月5日に行われた市長選挙で再選された。また2016年2月7日実施の京都市長選挙において、民主・自民・公明・社民府連の推薦を受け三選を果たした

●清田善樹
岐阜聖徳学園大学の講師や教授であったこと以外の来歴情報は確認できず。岐阜聖徳学園大学は1972年に設置された私立大学。西本願寺系で龍谷総合学園に加盟している。

●児玉隆夫
自身が大阪市立大学を卒業しており同窓会会長にも就任している。
2016年3月、大阪市立大学同窓会主催による五代友厚銅像建立完成記念行事が開催された。五代友厚は大阪市立大学前身の大阪商業講習所の共同設立者の1人で中心的役割を果たした人物。記念行事ではNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で五代を演じて一躍有名になったディーン・フジオカさんがスピーチしたそう。

●舘昭
東京生まれ。1972年東京大学教育学部教育行政学科卒業、77年同大学院博士課程満期退学。奈良教育大学助教授、放送教育開発センター助教授、大学評価・学位授与機構教授、桜美林大学教授。
桜美林はキリスト教系の大学

●林勇二郎
1942年石川県金沢市生まれ。1970年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を修了。同年金沢大学工学部講師に着任後、助教授、教授を経て(この間、米国パデュー大学客員教授)、1997年工学部長。1999年9月から2004年3月まで金沢大学長、続いて2008年3月まで国立大学法人金沢大学長。現在、JSTイノベーションプラザ石川総館長、国立高等専門学校顧問、北陸先端科学技術大学院大学監事、石川県工業試験所顧問、金沢こども科学財団理事長、日本学術会議会員など。

●村山紀昭
北海道大学文学部卒業。同大学院文学研究科修了。北海道教育大学札幌校助教授。同教授。1998年同札幌分校主事。1999年(平成11年)北海道教育大学11代学長。2007年(平成19年)北海道教育大学退官。同名誉教授。札幌国際大学人文学部教授。2008年札幌国際大学・札幌国際大学短期大学部学長。2010年病気を理由に学長退任。札幌国際大学短期大学部総合生活学科教授。2012年札幌国際大学退職。


※大路正浩が文化庁官房長官国際課長だった時の文化庁長官は近藤誠一。
第20代文化庁長官。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)大使、デンマーク駐箚特命全権大使を歴任。退官後は、近藤文化・外交研究所を設立し、JXホールディングス取締役、カゴメ取締役、パソナグループ取締役、長野県文化振興事業団理事長、東京都交響楽団理事長、東京大学政策ビジョン研究センター特任教授、東京藝術大学客員教授などに就任。神奈川県生まれ。

近藤誠一の前の文化庁長官は玉井日出夫。文科省官僚から文化庁長官となり、退官後2012年に玉川大学芸術学部教授(文化政策などを担当)に就任している。
玉井は文部科学省官房長在職中の2006年12月15日にタウンミーティング 小泉内閣の国民対話での不祥事に関して口頭厳重注意の処分を受けた。

■タウンミーティング 小泉内閣の国民対話(やらせ事件)■ 
小泉内閣(2001年 - 2006年)が実施した、閣僚や有識者と一般市民が対話する(としていた)政治集会である。いわゆる“やらせ”・“仕込み(サクラ)”(偽装)が行われていたことが後に発覚して問題になった。

2006年9月2日に教育基本法改正などをテーマに行われた「教育改革タウンミーティング イン 八戸」で、開催前に内閣府が青森県教育庁を通じ、教育基本法改正に賛成する趣旨の質問をするよう参加者に依頼、原稿を作成した上、「やらせ」であることを悟られないよう質問方法まで詳細に指示を出していたことが明らかになった。
その後、2003年12月13日の岐阜県岐阜市、2004年5月15日の愛媛県松山市、2004年10月30日の和歌山県和歌山市、2004年11月27日の大分県別府市の「教育改革タウンミーティング」でもやらせが発覚。
そのうち、別府でのタウンミーティングでは、大分県教育委員会の職員4人が、一般県民になりすまし(タウンミーティングでは、質問前に自身の職業を述べる必要がある)、賛成の意見を述べていたことが分かった。

このほか、全タウンミーティング中、15回のやらせ質問が行われており、最多は、裁判員制度などについて議論された司法制度改革タウンミーティングの6回であった。このほかにも、全71回で、参加者を確保するため、国や地方自治体などが、職員などを大量動員していたことも判明した。

2006年5月21日に北海道札幌市で行われた「再チャレンジタウンミーティング」でも同様にやらせを指示するよう北海道庁に対し行っていたことも発覚した。

内閣総理大臣安倍晋三は「(内閣府に対し)注意した」とコメントし、その後の参議院教育基本法特別委員会でも陳謝した。内閣府側は、賛成の意見を述べるよう質問を依頼したことは認めたものの、原稿を作成したのは、文部科学省からの出向職員であるとした。

(処分)
12月15日に政府はこの件での内閣府等の職員を以下のとおりの処分及び16日付けでのタウンミーティング室の廃止を決めた。
内閣府
事務次官内田俊一 - 訓告、給与10%を1カ月分(約13万円)国庫に自主返納
TM担当室長谷口隆司 - 戒告
賞勲局長(元担当室長)勝野堅介 - 訓告
担当室参事官長谷川秀司 - 訓告
大臣官房付(元担当室参事官)田辺靖夫 - 訓告
担当室次長土肥原洋 - 厳重注意
担当室次長竹沢正明 - 厳重注意
国民生活局長(元担当室次長)西達男- 厳重注意
大臣官房審議官(元担当室次長)松田敏明 - 厳重注意
会計課長福富光彦 - 厳重注意
官房長山本信一郎- 訓告
元担当室次長(他省庁出向中)中藤泉 - 厳重注意を所属官庁に依頼
担当室次長(他省庁出向中)成田一郎 - 厳重注意を所属官庁に依頼
元会計課長(他省庁出向中)大森雅夫 - 厳重注意を所属官庁に依頼
元担当室参事官(他省庁出向中)音瀬均 - 厳重注意を所属官庁に依頼

文部科学省
教育再生会議担当の内閣参事官(前広報室長)白間竜一郎 - 訓告
初等中等教育局長銭谷真美 - 訓告(伊吹文科相は国会で「彼は(やらせの)事実を知らなかったと思う」と答弁していた)
官房審議官布村幸彦 - 訓告
生涯学習推進課長高橋道和 - 文書厳重注意
生涯学習政策局長田中壮一郎 - 文書厳重注意
内閣府男女共同参画局長板東久美子 - 文書厳重注意
官房審議官尾山真之助 - 文書厳重注意
官房長玉井日出夫 - 口頭厳重注意

法務省
事務次官(司法制度改革TM運営の指揮に当たった当時の刑事局長)大林宏 - 厳重注意
刑事局長(当時の官房長)小津博司 - 厳重注意


「秘書がやった、知らなかった」という言い訳が得意な政治家だが、これも全く官僚の暴走だと言うのだろうか。(忖度?)
教育基本法が第一次安倍内閣の時に改正されたということは先に述べたが、この改正は小泉内閣からのレール上にあった。安倍内閣で可決した。













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# by yumimi61 | 2017-09-28 12:46
2017年 09月 27日
日本国憲法の秘密-570- (加計学園問題について)
前川・前文科事務次官が国会前で行われていた2015年安保法制反対デモに参加していたと自分自身で暴露したらしいのだけれど、どうしてわざわざそんなこと言うんだろう?他から暴かれることを恐れて?
国会前デモに参加したと言えば鳩山由紀夫元首相。与党議員で元首相という立場ながらデモに参加してとても話題になった。あれは反原発デモだった。
私的には鳩山由紀夫首相は環境マフィアに通じてしまうので(地球温暖化対策・二酸化炭素の排出削減・鳩山イニシアチブ・お金で買える二酸化炭素排出削減)、何をしても胡散臭く思えてしまう。
その鳩山家は悪巧み安倍一派の1人の親戚である。
安保法制反対デモを行った学生集団SEALDs(シールズ)、あれもネーミングからしてちょっと・・
正式名は Students Emergency Action for Liberal Democracy- s(複数形のs)なんだそうだ。
でもシールズと言えば、SEALsだと思うのです。
正式名は United States Navy SEALs。アメリカ海軍の特殊部隊。
SEALsという名称は、SEがSEA(海)、AがAIR(空)、LがLAND(陸)と、陸海空のアルファベットの頭文字から取られており、アザラシ(英: seal)に掛けたものでもある。個々の“チーム”は単数形の「SEAL」であり(SEAL Team 1から10まで)、総隊は複数形の「s」が付く。
チーム6は対テロ特殊部隊DEVGRUとして独立している。

SEAL+DEVGRUでSEALDs!?
戦争や軍隊を否定したいのか肯定したいのか分からない「安全保障法制反対」デモ。 
SEALDsは国立大学の学生が少ない。大学は限定されていないがキリスト教系が多い。それもそのはず、高校が同じというメンバーなのだそうだ。その高校はキリスト教愛真高校や和光学園。
キリスト教愛真高校は島根にある全寮制の高校で偏差値は30を切るとか。
学習とか学力向上とか受験とか、たぶんそういうところに目的を置いていないのだろう。




内閣府特命担当大臣 国家戦略特区担当→地方創生担当
2013年12月13日から始まった内閣府特命担当大臣の1つであった国家戦略特区担当は2015年10月7日で廃止された。

2013年12月13日-2014年9月3日 新藤義孝(自民党) 
2014年9月3日-2015年10月7日 石破茂(自民党)

以後は内閣府特命担当大臣の地方創生担当に成り代わった。

2015年10月7日- 2016年8月3日  石破茂(自民党)
2016年8月3日- 2017年8月3日  山本幸三(自民党)
2017年8月3日-現在  梶山弘志

全員が日本会議国会議員懇談会のメンバーである。
愛媛県今治市が「加計学園による獣医学部新設」を申請し(2015年6月)、今治市が広島県とともに国家戦略特区/地方創生特区に指定される(2016年1月)までの担当大臣は石破茂議員だった。キリスト教徒である。かつて徴兵制の国防軍を組織すべきとか主張していたらしい。



文部科学省事務次官
2013年7月8日-2015年8月4日  山中伸一  ・・今治市申請
2015年8月4日-2016年6月21日  土屋定之  ・・今治市3次区域に指定
2016年6月21日-2017年1月20日  前川喜平  ・・天下り事件発覚
2017年1月20日-現在  戸谷一夫


山中伸一 山梨県出身
1972年 山梨県立都留高等学校卒業。1977年3月 東京大学法学部卒業し、文部省入省。文化庁文化部著作権課。
1992年4月-1995年3月、横浜国立大学大学院国際経済法学研究科助教授。
文化庁文化財保護部記念物課長、文部省高等教育局学生課長、内閣官房内閣内政審議室教育改革国民会議担当室副室長、大臣官房主任教育改革官、 文部科学省生涯学習政策局政策課長、文部科学省大臣官房総務課長、大臣官房審議官(初等中等教育局担当)、 高等教育局私学部長、教育再生会議担当室副室長、大臣官房付(併・内閣官房内閣審議官、命・内閣官房教育再生懇談会担当室長)、 スポーツ・青少年局長、 官房長、初等中等教育局長、 文部科学審議官(文教担当)を歴任。
文部科学事務次官退官後は駐ブルガリア特命全権大使。
2017年3月30日 - 文部科学省の組織的な天下り斡旋問題に関与していた責任を取り、駐ブルガリア特命全権大使を辞任する意向を表明し、2017年5月19日に辞任。


・官民協働海外留学創出(トビタテ!留学JAPAN)事業の「留学促進広報戦略本部」の本部長に就任し、 同 AKB48〔公式〕動画の2分2秒から自らもダンスを踊って広報宣伝に努めた。

・文部科学省顧問に就任してからも精力的に講演をこなしており、パソナでは在日留学生を対象にした合同企業説明会『JOB博』の基調講演を行っている。なお、山中はパソナ・グループの迎賓館「仁風林」で接待を受けた政・財・官界人の中で、マスコミに名前が取り沙汰された官僚だった。


土屋定之 広島県出身
1972年(昭和47年)、修道高等学校を卒業。1979年(昭和54年)、北海道大学大学院環境科学研究科修士課程を修了し、同年に旧科学技術庁(現・文部科学省)に入庁。
その後宇宙開発事業団ロサンゼルス駐在員事務所長、科学技術庁科学技術振興局科学技術情報課長、文部科学省科学技術・学術政策局基盤政策課長、理化学研究所横浜研究所研究推進部長、文部科学省大臣官房総務課長、文化庁文化財部長、文部科学省大臣官房長、科学技術・学術政策局長、文部科学審議官を歴任。


戸谷一夫 岐阜県出身
1980年、東北大学工学部原子核工学科卒業、科学技術庁に入省。
1989年-1992年、パリの経済協力開発機構原子力機関に勤務。のち、同庁原子力局調査国際協力課国際原子力協力企画官、科学技術振興局研究基盤課長等を歴任。2000年-2002年、宇宙開発事業団ロサンゼルス駐在員。2003年1月文部科学省研究振興局ライフサイエンス課長、2004年7月内閣府参事官(原子力担当)、2006年7月文部科学省大臣官房会計課長、2008年7月文部科学省大臣官房審議官(高等教育局担当)。2009年7月14日-2012年1月5日、日本原子力研究開発機構理事。2012年、文部科学省研究開発局長。2013年7月、同省官房長。2015年8月4日、文部科学審議官。




文科省天下り事件
 文部科学省による組織的な再就職あっせん問題で、松野博一文科相は30日、国家公務員法に違反する行為があったなどとして、歴代事務次官8人を含む37人を処分したと発表した。2月の中間まとめ以降、同省の調査で新たに27件の違反が判明。違法事案は2010-16年の計62件となった。うち半数で仲介役のOBを経由せず、現役職員が直接関わっていた。

 同省はこれらを盛り込んだ最終報告を29日、政府の再就職等監視委員会に報告した。1月に公表した分を含め、天下り問題での処分者は計43人。同省では過去最多となった。最終報告では2月の中間まとめで違反が確認できないとしていた8件も違法と認定した。

今回処分された37人のうち懲戒処分は16人。前川喜平、山中伸一、清水潔各氏の歴代事務次官を含む5人が最も重い停職(退職者は停職相当)で、11人が減給や戒告。戸谷一夫事務次官ら21人が訓告や文書厳重注意となった。駐ブルガリア大使を務める山中元次官は30日、岸田文雄外相に辞意を伝えた。

  国家公務員法は職員が退職者の再就職をあっせんすることなどを禁じている。
「文科省天下りで37人処分 最終報告、違法事案62件に」 日本経済新聞 2017年3月31日より)

文科省は口利きや斡旋が当たり前のように存在した土壌だったということだ。
違反を止められない体質なのだから官僚などの再就職のみならず、受験や認可にもそのようなことがあったであろうと想像させる。ないと考えることは難しい。

現在の事務次官の前3人(山中・土屋・前川)は全員処分を受けている。
それを考えると、国家戦略特区チームは文科省から認可を得ることはそう難しいことではないと踏んでいたはずだ。
一番のネックだったのは前記事に書いた「①獣医学部新説の妥当性」のほうだったと考えられる。
でもそれは区域決定によってクリアした。
あとは政権権力者が文科省責任者に「君、よろしく頼むよ」と言えば済むはずだった。
しかし思った以上に「①獣医学部新説の妥当性」への抵抗が大きかったのではないか。
急に特区で獣医学部新設が解禁されたのだから関係者は驚いたであろう。






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# by yumimi61 | 2017-09-27 00:09
2017年 09月 26日
日本国憲法の秘密-569- (加計学園問題について)
愛媛県今治市は何十年も前から学校誘致を続けてきたが、手を挙げる学校なり法人はなかった。
獣医学部という条件で誘いに乗ったのが加計学園である。
愛媛県今治市は12年前から加計学園ありきだったと加戸・前愛媛県知事が証言したけれども、この加計学園ありきは別に問題ない。
(大した証言ではないので報道しなかったと受け取ることもできる)
愛媛県今治市は獣医学部設置母体が加計学園であることを隠していたわけではなく、それを明記して構造改革特区や国家戦略特区に申請してきたのだ。
申請は加計学園ありきでなければ(どこか請け負う事業者がなければ)進まない話である。
だからヒアリングや陳情に加計学園の担当者が含まれていたとしてもそれも全く問題ない。具体的なことが分かる人がいたほうがいい。

問題があるのは獣医学部や獣医師の現況を無視した「獣医学部ありき」だったということ。
これについて加戸・前愛媛県知事は証言しなかったし偽りの証言もした。
「獣医学部ありき」という条件を今治市に提示したのは加計学園である。


国家戦略特区というのは1つの事業を1つの事業者が行うことを目的とはしていないので提案を軸に膨らませていき、また特区に指定された後には特区としての事業に相応しい事業を行う意思のある他の事業者の公募も行われている。
国家戦略特区は区域の認定である。区域の中には事業がある。
この制度自体が申請された1つの提案をぼかしてしまうようになっているが、愛媛県今治市の区域指定の大元には「加計学園による獣医学部新設」提案がある。
つまり「獣医学部ありき」と「加計学園ありき」は重なっている。
愛媛県今治市を区域指定するということは「加計学園による獣医学部新設」を認めたことに他ならない。
言い換えれば「加計学園による獣医学部新設」なくして指定はなかったということ。

この区域や事業の選定や認定は諮問会議で行われ、意思決定の場に関係省庁の大臣や責任者・担当者は参加していない。
参加させると自分達が望む方向には決まっていかないから、それらを無視して半ば強引に話を進める。
その諮問会議の議長は他でもない安倍首相であり、会議議員を自身の擁護者で固めている。

愛媛県今治市の区域指定には、①獣医学部の新設が妥当かどうか、②大学学部の新設が適切且つ適材適所か、獣医学部を新設する学校として適切且つ適材適所か(大学学部認可)、この2つの問題をはらんでいたわけである。
①の部分を嘘の言い訳や誤った現状評価を用いて強引に推し進めた。
残るは②の学校認可の問題。
保育園なら必要に迫られてということもあるが、大学が未認可では箔が付かない。国家試験受験資格を諦めたとしても未認可大学では・・・ここをどうしてもクリアする必要があった。


2009年9月‐2012年12月 自民党が野党になる
2009年10月 「株式会社政策工房」設立(会長・高橋洋一、社長・原英史)
2012年12月 安倍内閣誕生(再登板)
2013年9月 国家戦略特区第1次指定地域のヒアリング
2013年12月 国家戦略特別区域法施行
2014年1月 国家戦略特区 第1回諮問会議
2014年3月 国家戦略特区 第4回諮問会議 ※この会議で1次指定区域案が提示された
2014年5月 国家戦略特区 第1次区域指定

2015年1月 「株式会社特区ビジネスコサルティング」設立(顧問・高橋洋一、石津賢治、社長・松島凡) 
2015年4月2日 今治市の職員が首相官邸を訪問
2015年6月4日 今治市が国家戦略特区に申請(加計学園による獣医学部新設を提案)
2015年6月30日 「日本再興戦略 2015」が閣議決定される
2015年8月6日 内閣府が今治市の大学建設用地を視察 ※1
2015年8月17日 安倍首相と加計孝太郎・加計学園理事長がともにゴルフ ※2
2015年8月28日 国家戦略特区 第2次区域指定


※1 経済産業省と併任で内閣府にて国家戦略特区を担当していた藤原豊・地方創生推進事務局審議官も現地視察に出向いていた。「総理のご意向」という言葉を文部科学省に伝えたのは藤原審議官でしたよね?


※2 安倍首相が8月15~20日まで山梨県鳴沢村の別荘で夏休みを過ごしていた。8月17日のゴルフは「富士桜カントリー倶楽部」にて。メンバーは上記2人の他、高橋精一郎・三井住友銀行副頭取、本田悦朗・内閣官房参与 がいた。


2015年10月20日 国家戦略特区諮問会議(第16回)・・今治市はまだ議題に上らず ※3
2015年11月27日 国家戦略特区諮問会議(第17回)・・3次指定についての話あり ※4
2015年12月15日 国家戦略特区諮問会議(第18回)・・3次指定区域案提示 ※5
2015年12月24日 クリスマスイブ 男たちの悪巧み…(?) ※6
2016年1月29日 国家戦略特区3次区域 指定(決定)


※3 3次指定区域についてはまだ議論されていない。最後に「国家戦略特区の今後の進め方」が確認されている。進め方を提示しているのは諮問会議議員の民間有識者(秋池玲子・坂根正弘・坂村健・竹中平蔵・八田達夫5名連名)。
1、「新3本の矢の1本目(強い経済)」の実現に向けて
- 「岩盤規制改革の工程表」を踏まえた規制改革の加速化 -
・ アベノミクス第2ステージが始まるに当たり、「新3本の矢の1本目(強い経済)」を実現するため、従来の「第3の矢」の柱である「規制改革の総仕上げ」が必要。

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※4 国家戦略特別区域担当大臣であった石破茂より「国家戦略特区の3次指定について」提示されている。
○ 「『日本再興戦略』改訂2015」(平成27年6月30日閣議決定)等に基づき、本年内に「国家戦略特区の3次指定(地方創生特区の第二弾)」を実現する。
○ 本年春から秋に規制改革事項等の提案のあった43の地方自治体(別紙参照)のうち、夏にヒアリング済みで追加提案のないものを除く全自治体について、特区ワーキンググループにおいてヒアリングを実施中。
(11月12日から20日にかけて4日間、30件。)
○ 指定は、下記(1)の国家戦略特区の基準によるが、特に、エ)について、下記(2)の基本的考え方を適用する。
(1)国家戦略特区の指定基準(基本方針(平成26年2月25日閣議決定))
ア)区域内における経済的社会的効果
イ)国家戦略特区を超えた波及効果
ウ)プロジェクトの先進性・革新性等
エ)地方公共団体の意欲・実行力
オ)プロジェクトの実現可能性
カ)インフラや環境の整備状況

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※5 この会議で広島県・愛媛県今治市が3次指定候補として初めて登場した。国会の答弁で安倍首相が「指定された2016年1月まで知らなかった」と答えていたが、どんなに遅くてもこの時には知っていなければならない。
よって虚偽答弁である!

1.広島県・愛媛県今治市
2.東京圏
3.福岡県福岡市・北九州市

(注) 本方針については、「国家戦略特別区域基本方針」(平成26年2月25日閣議決定)及び「『日本再興戦略』改訂2015」(平成27年6月30日閣議決定)に即して定めるものとする。
1.対象区域
広島県及び愛媛県今治市
2.目標
「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」で繋がる広島県と今治市において、多様な外国人材を積極的に受け入れるとともに、産・学・官の保有するビッグデータを最大限に活用し、観光・教育・創業などの多くの分野におけるイノベーションを創出する。
3.政策課題
(1)創業人材を含めた高度外国人材の集積の推進
(2)雇用ルールの明確化によるグローバル企業・新規企業への支援
(3)地場製造業や新たなホスピタリティ・サービス産業の活性化
(4)スポーツ・教育面における国際交流拠点の整備
(5)観光分野における先進的な「自治体間連携モデル」の推進
4.事業に関する基本的事項
(実施が見込まれる特定事業等及び関連する規制改革事項)
<雇用・労働>
・ 多様な外国人受入れのための在留資格の見直し【家事支援、創業】
・ クールジャパン外国人材の就業促進
・ 技能実習制度の拡充
・ 高度人材ポイント制度の拡充
・ グローバル企業等に対する雇用条件の整備【雇用条件】
・ 官民の垣根を越えた人材移動の柔軟化【官民人材】
<都市再生・まちづくり>
・ 「道の駅」の設置主体(地方公共団体等)の民間拡大
<教育>
・ 国際教育拠点の整備(獣医師系(ライフサイエンスなどの新たに対応すべき分野)) 
<医療>
・ 臨床修練制度を活用した外国人医師の診療所における診察【外国医師診療所】
<その他>
・ 小型無人機による公共インフラの保守管理など



※6
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左から、加計孝太郎(学園理事長)・高橋精一郎(三井住友銀行副頭取)・安倍晋三(首相)・増岡聡一郎(鉄鋼ビルディング専務)。

高橋精一郎は福岡県の久留米大学付属中学・高校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。旧住友銀行(1979年入行)出身。今年になって金融庁参与にも就任している。

増岡聡一郎も慶應義塾大学経済学部を卒業(1985年)。
三菱地所に勤務した後、増岡グループ企業へ。
増岡家は広島県呉市で増岡組を創業した一族。増岡聡一郎の祖父が創業者。
一族は三菱グループ企業と関係が深いご様子(三菱の企業に入社した者が複数いる)。
増岡聡一郎の母親は、日本銀行→日本輸出入銀行総裁となった古澤潤一(佐賀県出身)の娘。
古澤潤一の妻は鳩山由紀夫元首相の祖父でやはり首相経験者である鳩山一郎(岡山県出身)の娘。










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# by yumimi61 | 2017-09-26 12:15
2017年 09月 25日
日本国憲法の秘密-568- (加計学園問題について)
芸術には悲劇が必要だと誰かが言った
世界には悲劇が必要なんだと別の誰かが言った
ところで君はどうして悲劇が生まれるか分かるかい?
僕は日の暮れた森をあてもなく歩いた
悲劇は理想や形が存在するところにしか起こらない
理想や形をアポロン的、情動をディオニュソス的とすれば
ディオニュソス的なものなくして悲劇は誕生しない
永遠なるアポロン的なものにそれほど心は動かない
僕は死にたいのだろうか生きたいのだろうか
死の本能と生の本能が蠢いていた
リビドー、それはエロスのエネルギー、性へ生へと向かっていく
デストルドー、それはタナトスのエネルギー、死へ破壊へと向かっていく
森には創造的破壊が必要なんだ
森は泣いている?森は笑っている?
情動こそが理想や形を認識させる?
僕は強烈に生を希望し強烈に死を希望した
あの人はそれを二律背反と言うだろうか
対立しあい支え合う二項対立と言うだろうか









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# by yumimi61 | 2017-09-25 19:09
2017年 09月 24日
日本国憲法の秘密-567- (加計学園問題について)
本日2本目です。 


どの程度の範囲で言われていることなのかは定かでないが、結構前から官僚界の最高峰は財務省であり、底辺は文部省(文科省)と言われているらしい。
文部省が絡む陰謀論が多いのはそのせいなのか?
なぜ財務省が最高峰なのかと言えばお金が絡むからなんだろう。金で買えないものはないと言うくらいだし。
お金がなければ生活できないので何より身近なものだし、直接自分が払う払わないは別として税金は国民全てに関係する。
教育には義務教育が存在しこちらも国民全てに関係するわけだが、ではなぜ文部省が底辺なのか?教育なんて意味がないから?(という悟りの境地?)無駄に費用かかりすぎ?
それとも宗教関係も扱っているので胡散臭いとか?著作権絡みの文化とか芸能とかが胡散臭い?異次元にも足を突っ込んでいるから?


前記事の載せた株式会社政策工房の会長も社長も官僚出身。
会長の高橋洋一が財務省、社長の原英史が通産省(現:経産省)。
原は前述したように国家戦略特区ワーキンググループの座長代理。

実は私、高橋洋一という人のことを前にも書いたことがある。
そのことを私がとてもよく覚えているのは大阪都構想の住民投票の翌日に投稿したからである。


2015年5月18日記事より)
やばいやばい

実はNHKと同じように決算報告書の意味を理解しておらず、誤った報告書を公然と公表している大組織がある。
それはなんと!日本国の財務省である

NHKの年金問題を2009年に報じていたのは渋谷区に本社のあるダイヤモンド社の週刊ダイヤモンド(経済誌)だった。
今年2月、そのダイヤモンド社のビジネス情報サイト(ダイヤモンドオンライン)に「国の債務超過490兆円を意外と簡単に減らす方法」という記事が載った。
「高橋洋一の俗論を撃つ!」というシリーズの記事である。

ダイヤモンド社は『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という本がヒットした会社。
この本やドラッカーは糸井重里さんが大絶賛していた。
と思ったら2011年4月からNHKでアニメを放送。
6月にはAKB48の女の子を主演にして秋元康さんが映画化した。
本の著者の岩崎夏海さんは秋元さんの事務所で働いていた人で、2009年12月に発表した作品で初めての著作。
いわば仲間内で仕掛けたものだ。
まあそれはどうでもいいか。
いやいやよくないな。みんなグルでしょ?

高橋洋一
日本の元大蔵・財務官僚、経済学者である。
嘉悦大学教授、株式会社政策工房代表取締役会長、金融庁顧問、大阪市特別顧問。
NPO法人万年野党アドバイザリーボード。
研究分野はマクロ経済、財政・金融論、数理統計、金融工学、会計・行政法。
2008年、著書 『さらば財務省!』で、第17回 『山本七平賞』(PHP研究所)を受賞した。

1974年 東京都立小石川高等学校卒業、東京大学理科一類合格。
1978年 東京大学理学部数学科卒業。同年、東京大学経済学部に入学。
       学籍を置きつつ、文部省の統計数理研究所に勤務。
1980年 東京大学経済学部卒業。同年、大蔵省入省
1982年 財政金融研究所。日本開発銀行から出向中の竹中平蔵が上司であった。
1998年 プリンストン大学の客員研究員となる。
研究者としてプリンストン大学に在職中には、当時同大学経済学部長で、後に連邦準備制度理事会(FRB)議長となるベン・バーナンキの薫陶を受けた。
2006年 早稲田大学政治経済学部非常勤講師を兼務。
       第一次安倍内閣の内閣参事官となり経済政策のブレーンを務めた。
自由民主党衆議院議員・中川秀直のブレーンであるともされる。『官僚国家日本を変える元官僚の会』 の発起人にも名を連ねている。みんなの党政策ブレーン(江田憲司NET・今週の直言/2012.9.10)
2007年 千葉商科大学大学院で博士号(政策研究)を取得。
2008年 国家公務員退職。
      東洋大学経済学部総合政策学科教授、金融庁顧問就任。
2009年 窃盗容疑で書類送検され、東洋大学を懲戒免職となる。
練馬区の温泉施設 『豊島園 庭の湯』の更衣室ロッカーから、高級腕時計「ブルガリ」や財布など約30万円相当を盗んだ現行犯で事情聴取された所轄の警視庁・練馬警察署による逮捕はなく、窃盗の容疑で書類送検された。
2010年 嘉悦大学経営経済学部教授に就任。
2012年 大阪市長橋下徹の特別顧問に就任

上記記事の1ページ目の中に(会員以外は全部は読めない)、財務省HP 平成25年度「国の財務書類」の貸借対照表の概要、という資料がリンクされている。

バランスシート(貸借対照表)は2003年度からは正式版として公表されているそうで、それより以前(20年前)に初めて国のバランスシート(貸借対照表)を作ったのは筆者、つまり高橋洋一さんだということである。
だけど口外しないようにと注意を受けたそうなのだ。
何故かと言えば、それまで日本の負債の多さを強調してきたが、そこにはあまりに日本の資産が多額にあることが記載されていたからだという。
「これまで言っていたことと違うじゃないか!」と言われかねないという意味だろうか。
しかも資産の大半は特殊法人(NHKのような法人)などへの出資金・貸付金であったため、仮に資産売却・整理となると、特殊法人の民営化や整理が避けられず、天下り先を失う可能性が高かったことも口外しないようにさせた理由だと述べている。
だから国のバランスシートを公表しても、マスコミへも説明しなかった。説明しないからマスコミも書けない。そういう事情があったそうなのだ。(説明しても書かないよね!?無視するよね?)

これまで日本政府は巨額な資産をオープンにせず債務の多さだけを強調してきたのに、ここにきて資産・負債差額が報道されたことは、高橋さんにとっても興味深いことだったそうだが、その先は会員でないので読めん。ごめん。

しかしともかく資産と負債の差が出たら、貸借対照表(バランスシート)としては失格である。
バランス取れてないじゃん!という話である。
誰が付けたか知りませんが、「対照」という言葉が悪かったのでは? 「対称」にすればよかったのかも。
これも意味ないか。


上記のように橋下徹・大阪市長(当時)の特別顧問だった人物である。
さらに竹中平蔵や東洋大学(国家戦略特区諮問会議議員やWGに関係者多し)とも関係ある。


2009年 窃盗容疑で書類送検され、東洋大学を懲戒免職となる。
※練馬区の温泉施設 『豊島園 庭の湯』の更衣室ロッカーから、高級腕時計「ブルガリ」や財布など約30万円相当を盗んだ現行犯で事情聴取された。所轄の警視庁・練馬警察署による逮捕はなく、窃盗の容疑で書類送検された。
(はめられたんですか?)


2015年1月、またまた新しい会社が設立された。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
株式会社 特区ビジネスコンサルティング

本社  〒810-0042 福岡県福岡市中央区赤坂1-3-21 赤坂丸ビル402
※(福岡創業特区を活用して設立しました。業務は全国を対象に行なっています。
出張所 〒102-0083東京都千代田区麹町3-12-1 麹町三丁目ハウス403

・代表取締役 松島 凡
・顧問    高橋洋一(嘉悦大学教授、元・内閣参事官)
       石津賢治(前・北本市長)
・ディレクター  黒澤武邦(早稲田大学公共経営大学院非常勤講師)
・広報・PR担当 宇佐美智久(真人堂取締役)
         山本洋一(地方議会ニュース、元日本経済新聞)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この会社は国家戦略特区1次指定区域である福岡県福岡市(創業のための雇用改革拠点)を利用して設立された会社のようだ。
顧問が高橋洋一である。
事業内容は社名の通り、国家戦略特区のコンサルティング。

①政治・行政対応コンサルティングおよびロビイング
国家戦略特区をはじめ、規制改革を伴う民間企業のビジネス展開において、行政に対する提案から事業開始までのコンサルティングおよびロビイング活動を行います。

②新規事業スタートアップサポート
①に関する新規事業のスタートアップについて、企画提案から事業構築、事業継続までを一貫してサポートを行います。

③広報・PRサポート・各種ツール制作・出版支援
①に関する広報・PR活動のサポートを行います。また各種広報・PRツール制作、書籍・雑誌等の制作、出版についてのサポートを行います。


会社のホームページ(https://www.tokkubiz.com/)は現在準備中と表示される。
以前はオープンになっていたのに加計学園問題が騒動になってからホームページを下げたのだ。(アーカイブはこちら

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写真で紹介されている面々に注目。もろもろという感じ。安倍首相擁護派で前川・前事務次官の証言などに対しては猛反発していたご様子。
竹中平蔵と高橋洋一についてはすでに書いたので残るお二人も。

堺屋太一
大阪市生まれ。本籍地は奈良県。父は弁護士。
東京大学工学部建築学科に進学後、東京大学経済学部へ転入し卒業。
1960年4月に通商産業省入省。
1978年に通商産業省を退官した後も、イベント・プロデューサーとして数々の博覧会を手掛けた。

1998年、小渕内閣に民間人閣僚として経済企画庁長官に就任。第2次森内閣まで務め、同時に総合交通対策担当大臣、新千年紀記念行事担当大臣、情報通信技術担当大臣なども兼任した。

2002年、東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。2004年、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、同大学日本橋キャンパスインテンダント(学督)に就任。2008年には関西学院大学大学院経営戦略研究科客員教授に就任。

2008年大阪府知事選挙の際に、国定浩一らとともに橋下徹を支援する団体として「橋下氏を知事にする勝手連」の設立に関わった。
2009年にはみんなの党の母体となり、後にサポーター組織となった「国民運動体 日本の夜明け」のナビゲーターに就任した。
2010年には大阪維新の会の支援団体である「経済人・大阪維新の会」の最高顧問に就任した。また、2012年には大阪維新の会が政治家の育成を目的に設立した維新政治塾の名誉塾長に就任した。こうした観点から、堺屋は橋下徹及び大阪維新の会のブレーンとされている。


岸博幸
東京都立日比谷高等学校を経て、1986年に一橋大学経済学部卒業し、通商産業省(当時)に入省。

通産省通商政策局総務課、工業技術院総務部産業科学技術開発室を経て、1995年より朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)に出向、1998年、通産省が改称した経済産業省に復職。その後、資源エネルギー庁長官官房国際資源課を経て、2000年内閣官房情報通信技術(IT)担当室に出向しグループリーダーを務めた。

2001年(平成13年)の第1次小泉内閣発足を機に、経済財政政策担当大臣補佐官に就任(大臣は竹中平蔵)、2002年からは金融担当大臣補佐官兼務。2004年以降は竹中経済財政政策担当・郵政民営化担当大臣政務担当秘書官に就任。側近として、情報通信政策や郵政民営化などに携わる。「B層」の言葉が生まれるきっかけとなった宣伝企画立案を行なった、広告会社・スリードの代表を竹中に引き合わせたのも岸である[要出典]。
また、1998年に坂本龍一らと共にメディア・アーティスト協会を設立、同協会事務局長を2000年に同協会が解散するまで務め、著作権保護のあり方についての議論に加わった[要出典]。

2004年からは慶應義塾大学助教授に就任。総務大臣となった竹中の下で総務大臣秘書官を兼任した。
2006年に第3次小泉改造内閣の内閣総辞職及び、竹中の議員辞職にあわせ、経済産業省を退官し、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教授に就任、2年後の2008年に慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授に就任した。
ほかに、2007年から2010年3月までエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社取締役コーポレート企画本部担当。
2008年から総務省通信・放送問題タスクフォース委員も務める[要出典]。

2008年6月には、衆議院議員の江田憲司や元財務官僚の高橋洋一らと共に「官僚国家日本を変える元官僚の会(脱藩官僚の会)」を設立。いわゆる脱藩官僚としてテレビ番組などにも出演する[要出典]。

2010年3月よりエイベックス・マーケティング株式会社取締役。同年4月よりエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社顧問。新生ホームサービス株式会社特別顧問。
2013年から大阪市特別顧問、大阪府特別顧問、大阪府市統合本部特別顧問。


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2016年度の提案実績に昭和村外国人材活用特区とあるが、昭和村というのは群馬県の沼田市のお隣の村である。
利根・沼田という1つの地域を形成するが(選挙区で言うと前橋市と同じで群馬1区になります、中曽根康弘孫兼中曽根弘文子が出馬するとかいう選挙区です)、この地域も平成の大合併でいろいろあった。
昭和村は沼田市と合併しなかった。

沼田市
・昭和村、川場村との合併に失敗し砂時計のようなH型に。
・水上としようとしても月夜野が妨害。
 ・「市役所を月夜野に移動しろ」って馬鹿じゃないの?

川場村の東京都世田谷区入り未遂
・間にどんだけ自治体があると思ってんだか。姉妹都市関係だからと言って、ムチャにも程がある。群馬県に穴が開いてしまうところだったぞ(実際、村民は世田谷の飛び地化までは賛成できなかったらしいが)。
・阿保だろ。てか世田谷が拒否するでしょう。
  ・その世田谷も結構乗り気だった。
    ・それを口実に政令指定都市みたいな?

みなかみ町
・吸収合併がそんなにイヤか?月夜野町よ。
 ・月夜野の方が古い地名なのにね。
  ・だから水上では駄目だったわけね。
・どうしてひらがなにした!NHKの気象情報では浮いてるぞ!
 ・そもそも、NHK自体ひらがな好きだし。(「びわ湖」とか)
 ・水上でも月夜野でも新治でも良いからどれかにしてほしかった。カッコ悪い。さいたま市を馬鹿にできない。
 ・そのうち沼田市になるだろうからどうでも良い。
・この場合は、「水上温泉町」でよかったと思う。
 ・水上温泉町に納得できるぐらいなら「水上町」に反対しないかと・・・
 ・「水月(みなづき)町」の方がいいと思う。
  ・結局合成地名ってこんな感じで出来ていくのだろうな・・・











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# by yumimi61 | 2017-09-24 17:58
2017年 09月 24日
日本国憲法の秘密-566- (加計学園問題について)
似たような特区制度が小泉政権と第二次安倍政権にて導入された。

「構造改革特区」(2002年~現在)
従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を、特別に行うことが可能になる地域をいう。

「国家戦略特区」(2013年~現在)
あらゆる岩盤規制を打ち抜く突破口とするために、内閣総理大臣が主導して、地域を絞ってエリア内に限り従来の規制を大幅に緩めることを目的とする。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている。


小泉内閣 2001年4月26日-2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
福田内閣 2007年9月26日-2008年9月24日 申請開始 結果「不可」
麻生内閣 2008年9月24日-2009年9月16日 申請 結果「不可」
鳩山内閣 2009年9月16日-2010年6月8日 申請 結果「実現に向け検討」
                     ※愛媛県出身衆議院議員が国会にて獣医師環境について質問
菅内閣  2010年6月8日- 2011年9月2日 ※愛媛県・岡山県選出議員が獣医と構造改革特区に関する勉強会を開催
野田内閣 2011年9月2日- 2012年12月26日
安倍内閣 2012年9月2日-現在




構造改革特区は提案を年2回ほど募集をしており、愛媛県今治市は2007年から2014年まで「構造改革特区」に申請を続けてきたが認可されることはなかった。
要するに愛媛県議が自民党議員経由で口利き依頼したと思われる民主党政権でも、その後安倍内閣に代わってもすぐさま愛媛県今治市が認可に至ることはなかった。
これが安倍内閣の言う「岩盤規制」そのものなんだと思う。
大物政治家をもってしても動かなかった認可不可の烙印。
だから安倍内閣は妥当岩盤規制!打倒岩盤規制!を掲げ、霧ヶ峰霞が関の官僚を敵と見做した。
逆を言えば、「(たとえどんな理由があろうとも)大物政治家や政権の依頼に従わないやつはけしからん」と言っているに等しい。


自民党が野党になった翌月(2009年10月)、とある公共政策系コンサルティング会社が設立された。
会社のホームページの所在地には「東京都港区」としか記載されていない。
会社のブログの会社概要は「このページは表示できません」と出る。
ペーパーカンパニーか会社の体を成していないのか。
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社長の原英史は、国家戦略特区ワーキンググループの座長代理となっている人物である。


2009年9月‐2012年12月 自民党が野党になる
2012年12月 安倍内閣誕生(再登板)
2013年9月 国家戦略特区第1次指定地域のヒアリング
2013年12月 国家戦略特別区域法施行
2014年1月 国家戦略特区 第1回諮問会議
2014年3月 国家戦略特区 第4回諮問会議 ※この会議で1次指定区域案が提示された
2014年5月 国家戦略特区 第1次区域指定
2015年8月 国家戦略特区 第2次区域指定

構造改革特区も法律施行前に募集が始まっていたが、国家戦略特区も法律施行前にすでに関係自治体にヒアリングを行っている。
これは募集・申請・認定という過程を踏んでいない。なにせ法施行前なので細かいことは何も決まっていないし公になっていない。
区域ありき(規制を逸脱してしたいことありき)。

1次指定区域(2014年5月指定)
・東京圏(東京都・神奈川県の全域または一部、および千葉県成田市) - 国際ビジネス・イノベーションの拠点
・関西圏(京都府・大阪府・兵庫県の全域または一部) - 医療等イノベーション拠点、およびチャレンジ人材支援
・沖縄県 - 国際観光拠点
・新潟県新潟市 - 大規模農業の改革拠点
・兵庫県養父市 - 中山間地農業の改革拠点
・福岡県福岡市 - 創業のための雇用改革拠点

※医学部新設の解禁は1次指定の千葉県成田市が用いられた。


法律が施行され、諮問会議などが開催された後には公募(募集)が始まった。
但し「国家戦略特区」は提案募集期間が設けられていない。集中的に募集する時期もあるが、その時しか申請できないというわけではなく、随時受け付けている。つまりいつでもよい。間口が広い。
もちろん申請してからといって、その全てが認められるわけではない(今度は自らが揺るぎない採択者になるわけである)

提案は、随時受け付けています。
また、年2回(春・秋ごろ)、締切を設け集中的に規制改革事項を受け付ける、いわゆる「集中受付期間」として、規制改革事項の提案募集を行っています。



国家戦略特区は、例えば「加計学園による獣医学部新設」という何か1つのことを行う区域ではない。
1つの事業や1つの企業や法人に関わることならば区域を指定する必要は無い。
さらに国家戦略特区に申請する提案は「 産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成の推進に資するもの」で、且つ「その実施が現行の規制・制度の下では不可能又は困難である場合に、それを可能にするために必要となる規制・制度改革についての具体的な提案が盛り込まれていること」が条件。
「区域」を補強するために、区域を指定した後に、提案に盛り込まれている事業者以外からも事業者を募集している。


「公務員獣医師が不足していて大変なんで獣医学部を新設したい」なんて理由では本来ダメである。
日本の公務員獣医師が不足しているからと増員したとして、国際競争力が上がりますか?(獣医学部卒の公務員教員を増やして研究者を養成すればいいではないか?)
日本は国際的に家畜が少なく獣医師は多い。
「不足」や「大変さ」が主観では困る。公務員であるなら尚更だ。客観的事実をデータで示す必要があるだろう。
東京都と愛媛県の人口は違うので学校数も教員数も当然違う。その学校数や教員数の違いを偏在や不平等と言いますか?言いませんよね?
だけど獣医師では言っている。
獣医師の場合は「獣」が付いているくらいなのだから家畜数を抜きには語れない。それは国際標準でもある。
目的や条件を何に置いている制度であり、どんなことをどのように提案すれば良いのか、それを教える事から始めないと目的に沿った提案はなかなか出てこないという現実があるのだろうと推測する。だからこそコンサルタントが必要になる。

愛媛県今治市は国際的競争力向上や国際的経済活動の拠点になる資質を持っているか?まずそこが問われる。
残念ながら国内の競争でも負けたから未だに造成地が埋まらないでいるのだ。答えなんかとっくのとうに出ている。
そこで持ち出されたのがライフサイエンス分野の研究の発展だった。
しかし愛媛県今治市がライフサイエンス分野の研究の発展に特別に寄与するだろう資質があるだろうか?
それを推進していくのに適した区域であると判断する事実や実績があるだろうか?
正直別にないと思う。
区域の指定となるとすでにある実績や利便性や経済力などが考慮されるためハードルが上がってしまう。
改革と銘打っても、結局大都市には敵わないということになる。

そこで今度は地方創生が持ち出された。
国家戦略特区の2次と3次指定は地方創生特区でもあるのだ。
要するに「国際的に」という目的にはやや遠いので地方創生という目的が引っ張り出されたわけである。
地方創生
東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策である。2014年(平成26年)9月3日の第2次安倍改造内閣発足時の総理大臣記者会見で発表された。ローカル・アベノミクスともいう。

第2次区域(2015年8月指定)
・秋田県仙北市 - 農林・医療ツーリズムの改革拠点
・宮城県仙台市 - 女性活躍・社会起業の改革拠点
・愛知県 - 産業の担い手のための教育・雇用・農業等の総合改革拠点
・東京圏において、東京都の区域を全域に拡大










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# by yumimi61 | 2017-09-24 15:19
2017年 09月 22日
日本国憲法の秘密-565- (加計学園問題について)
法律施行よりも早く、2002年の夏に第一次募集が行われた構造改革特区。
加計学園と今治市の間で獣医学部の誘致の話が始まったのは2005年。先に述べたように「獣医学部新設」は加計学園側の希望(提案)だった。
それから話し合いを重ね、応募書類などを用意したのだろう。実際の申請は2007年となった。
そして2007年2008年と立て続けに認定を蹴られた。
今治市が認定不可となるだけならまだよいが、加計学園を誘い了承してもらった手前、認定不可が続けば加計学園に合わせる顔がないと自治体側はプレッシャーになるだろうと思う。何と言っても「区域」の募集だから。
それで国会議員に口利きを依頼したのではないだろうか。同郷で本宮県議がかつて公設秘書を務めた村上誠一郎・衆議院議員(自民党)に。
しかしその頃、政権は民主党に変わっていた。
従って村上はそれを妹の夫である岡田克也・衆議院議員(民主党)に振った。岡田は民主党の要職に就いており閣僚でもあった。

小泉内閣 2001年4月26日-2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
福田内閣 2007年9月26日-2008年9月24日 申請開始 結果「不可」
麻生内閣 2008年9月24日-2009年9月16日 申請 結果「不可」
鳩山内閣 2009年9月16日-2010年6月8日 申請 結果「実現に向け検討」
                     ※愛媛県出身衆議院議員が国会にて獣医師環境について質問
菅内閣  2010年6月8日- 2011年9月2日 ※愛媛県・岡山県選出議員が獣医と構造改革特区に関する勉強会を開催
野田内閣 2011年9月2日- 2012年12月26日
安倍内閣 2012年9月2日-現在


自民党政権で2回「不可」をもらい、その後民主党政権に変わって「実現に向けて検討」という結果を得た。
やはり口利きが功を奏したのか民主党政権ではだいぶ歩み寄りがみられた。
しかしそれも地域限定(愛媛・岡山出身者)なものであり、結局民主党政権でも認可されることはなかった。
そうこうしているうちに2011年、東日本大震災が発生し、翌年再び自民党・安倍首相の時代を迎えることとなった。
そして登場した「国家戦略特区」。


「構造改革特区」(2002年~現在)
従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を、特別に行うことが可能になる地域をいう。

「国家戦略特区」(2013年~現在)
あらゆる岩盤規制を打ち抜く突破口とするために、内閣総理大臣が主導して、地域を絞ってエリア内に限り従来の規制を大幅に緩めることを目的とする。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている。

似たような特区制度が2つ存在している。
どちらにも関わっている人物が竹中平蔵。

上の2つの特区の一番大きな違い、それはこれだと思う。

・2013年(平成25年)10月21日、午前の衆院予算委員会で、雇用分野を所管する厚生労働相など、、関係分野の大臣を、国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部から、外す考えを表明。この件に関して安倍晋三総理は、「意見を述べる機会を与えることとするが、大切なのは意思決定。意思決定には加えない方向で検討している」と語った。

・産業競争力会議の竹中平蔵は、総理の主導により「地方から国にお願いして国が上の立場から許可するというもの」ではなく、「国を代表して特区担当大臣、地方を代表して知事や市長、民間を代表して企業の社長という国、地方、企業の3者統合本部でミニ独立政府の様に決められる主体性を持った新しい特区」であると語り、「特区を活用して岩盤規制に切り込みたいと思っている」と語っている。
 

国家戦略特区は統合推進本部から関係分野の大臣を外し、意思決定には加えないことにした。
獣医師であれば農水省、医師や薬剤師や看護師であれば厚労省、その大臣を加えないで意思決定を行うというのだ。大臣の後ろには官僚と呼ばれる省庁職員(国家公務員)などがいるわけで、要するにそうした人達が岩盤規制の元凶だから加えないでおこうと思ったのだろう。
でも少なくとも政治家よりはそれぞれの分野に精通しているはずである。
国家戦略特区は専門省庁や専門家を蚊帳の外に置いて、「特区担当大臣」「知事・市長」「企業の社長」、この3者で進めましょうという驚くべき制度なのだ。
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国家戦略特別区域とは、日本経済再生本部からの提案を受け、第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つとして掲げ、国家戦略特別区域法2条で地域振興と国際競争力向上を目的に規定された経済特区である。実態はパソナグループ会長の竹中平蔵の金儲けのために、国のルールを変更する売国機関に成り下がっている。 


(内閣府 国家戦略特区ホームページより)
 産業競争力会議において、これまでとは次元の違う国家戦略特区の創設の検討が提案されたことを受けて、国家戦略特区の具体的な制度設計等の検討を行うため、国家戦略特区ワーキンググループを設置しました。
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ちょっと前に「異次元の圧力」とか言っていた人がいて、「それを言うなら次元の違う圧力のほうがいいのでは」と突っ込まれていたけれども、意味は同じですね。ロケットなら異次元のほうがしっくりするかも!?それはそうと国家戦略特区も次元が違うらしい。


上の名簿にも下の名簿にも名前がある坂村健。
この人、トロンOSの人である。

学歴
1971年 慶應義塾高等学校卒業
1974年 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業
1979年 慶應義塾大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了(相磯研究室)工学博士。論文名は「問題適応型可変構造計算機の研究 」

職歴
1979年 東京大学理学部情報科学科助手
1986年 東京大学理学部情報科学科講師
1987年 東京大学理学部情報科学科助教授
1996年 東京大学総合研究博物館教授(研究部・博物情報メディア研究系、大学院理学系研究科情報科学専攻教授併任)
2000年 東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授
2017年3月 東京大学を退職、名誉教授
2017年4月〜 東洋大学教授(同大学 情報連携学部 情報連携学科、及び 情報連携学研究科)

1983年頃にどのような経緯があったかは不明であるが、1984年6月に、前述のヴィジョンのためのコンピュータ・アーキテクチャなどを実現する目的を持ち、TRONプロジェクトを開始、TRONの名は「The Realtime Operating system Nucleus」の頭字語から。「Todaini itatokini tukutta Realtime Operating system Nucleus」とも、また、映画『TRON』を見た後の命名ではある、とも書いている。


1985年8月12日日本航空123便の墜落事故の陰謀説にトロンOSが出てくる。
陰謀と言うと急に胡散臭くなるがあの事故や経過はかなり不可解であることは確か。

==主要な陰謀説==
・プラザ合意のための揺さぶり
(G5のアメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本によって1985年9月22日に発表された。協調的ドル安を図ることの合意である。実質的にはアメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 円高ドル安に誘導する内容であった。日本不利な合意と墜落日が近かったために当初からこの説は根強い。だから坂本九さんなど有名人を多く乗せたとまで言われる)
・グリコ森永事件絡み
(脅迫された企業の1つであるハウス食品工業の社長・浦上郁夫氏が搭乗していて亡くなった。また同じ日に犯人側からの「終結宣言」が届いていた。しかしどこに届いたのかは、墜落でそれどころではなくなり定かではない)
・神経生理学の世界的権威であった大阪大学の塚原伸晃氏が搭乗していたから。
(文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり、文部省に出向いた帰路だった。マインドコントロールを研究していたとか)
・トロンOSの開発技術者が17名搭乗していたから。
(噂が出た最初の頃は「WindowsOS日本版の開発技術者」だったが、現在は「トロンOSの開発技術者」になっている)
・123便には貨物として多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が積載されていたから。
(核兵器転用可であり、日本国内で核兵器製造を計画していたため、アメリカのCIAやロックフェラーが脅して妨害したという噂)
・プロ野球チームの阪神タイガースがペナントレースで快進撃を続けていたため。
(阪神タイガースの中埜肇球団社長が搭乗していて亡くなった。阪神タイガースナインはこの日、福岡→羽田の移動で墜落機に乗っていた。それが折り返して羽田→大阪便になった。 しかし結局この年、チームは日本一に輝いた)


【トロンOS説での検証】

昨今この説でよくコピペされているのは以下の文章。
------------------------------------------------------------------------------------------------
実は20年前に日本に純国産の無償OSが存在していた。

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃の日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。
95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。 
それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
 
即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。
もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

20年前というのは80年代後半のこと。
ネタ元はこちらのようだ。
上の記事は123便墜落絡みの記事に引用されていたものだが、ネタ元の1989年はしっかり省かれている。123便の墜落は1985年である。
つまり元の記事は墜落事故に絡めたものではなかったのだが、これを引用してあたかも墜落と関係しているかのように仕向ける記事を書いた人がいたのであろう。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
皆さんご存知だろうか。かつて日本にもこの「Windows」と競った「OS」のあったことを。
1980年代のことである。坂村健・東大教授(当時、助手)が手がけた「トロン」があった。
1989年、日本の全国の小中学校に大量の教育用コンピュータを導入する計画が打ち出され、大手メーカー11社の全社がOS「トロン」の採用を希望したのだった。
ところが、日本市場を「トロン」に独占され米国製OSが締め出されると危機感を抱いた米国政府が、「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて圧力をかけてきたのだ。
この勢いはただ者ではなく、日本に戦争を仕掛けてきたような勢いだったのである。即ち、米国にとっての「OS市場の独占」とは「国家戦略」であり、戦争に等しいものだったのだ。
この有無を言わせぬ「宣戦布告」に対して、当時の日本政府はあっさり「無条件降伏」をしたのだった。

かくして「Windows 95」が上陸し、瞬く間に日本のパソコン市場を独占して行ったのである。
米国のこの世界戦略は大成功し、パソコンOSといえば「Windows」、それ以外のアーキテクチャの機種は市場の片隅に追いやられたのである。殆どの人が、パソコンというと「Windows」そして「米国製」というイメージさえ持っている筈だ。
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TRONプロジェクト
TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足したのは1988年である。

このトロンプロジェクトに松下電器が関わっていた。
実は123便の犠牲者には松下電器グループの社員が複数いた。
1985年8月14日の毎日新聞には「一度に17人遭難松下電器グループ」という記事見出しがあったようだ。
「トロンOSの開発技術者が17名搭乗していた」という説の17名はここから来たものと思われる。

犠牲者一覧があるので私も数えてみたが16名である。後で身元判明した人がいたのかもしれない。
会社や部署はそれぞれ違う。



この陰謀説に文部省も登場する。
大阪大学の塚原伸晃が文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり文部省に出向いた帰路で犠牲となった。
塚原は1985年に『脳の可塑性と記憶』という本を執筆した。
能の可塑性とは可塑性とは形を変えることが出来る可能性、変化しうる性質、可変性や柔軟性のことである。
外界の刺激などによって常に変化が起こっている。
辞書で可塑性を調べると誤解しそうな説明が書いてある。
「外力を加えて変形させ、力を取り去っても元に戻らない性質」
可塑性を持つ身近(?)なものと言えば粘土。
粘土いろんな形にすることが出来る。一度作ったものは手を離してもぐにゃ~と崩れてしまうようなことはない(元に戻らない性質を持っている)。
固まってカチカチになるのはまた別の要素。
熱で柔らかくなって変形する物質もあるが、冷えると固まるので、元に戻らないということはない。

文部省関係で言えばこんな陰謀説もある。
日航ジャンボ123便 米軍最強SR-71は日本の文部省が撃墜した
電磁パルスに関係するものだが(なんと愛媛丸も出てきます!)、北朝鮮による電磁パルス攻撃の可能性があると少し前にテレビやネットで盛り上がっていましたね。






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# by yumimi61 | 2017-09-22 22:34
2017年 09月 21日
日本国憲法の秘密-564- (加計学園問題について)
あれは僕が大学を辞めた頃だったろうか。
この町に学園都市構想なるものが持ち上がった。
正直僕はどうでもよかった。いや、正確には、そんなものは望んでいなかったと言うべきかもしれない。
それを望むくらいならとっくに僕はこの島を離れていただろう。
穏やかな海が、高くない山が、父や母の背中に重なった。
曲がりなりにも僕は大家族や故郷を愛していたのだ。

そんな僕の思いを知ってか知らぬか、30年間あの土地を占拠するものは現れなかった。
遮るものない風景への思慕は決して嘘ではない。
嘘ではないが・・時はとどまることを許してはくれない。
あの頃僕は20代だった。
そして今は僕は・・
この町に加計学園が、獣医学部でいいなら、来てくれると言ってくれたんだ。

それが2005年のことだった。(たら~ららららら~ら♪)



2002年12月小泉内閣は構造改革特別区域法を制定、2003年4月施行。
地方自治体・民間企業・個人から提案を募集し認定し、認定されると特例措置にて法規制が緩和される方法で進められた。
募集は法律施行よりも早く始まっており、2002年の夏には第一次募集が行われた。(国会の数の論理による’可決ありき’での募集でしょうか?)
2011年安倍内閣から始まった国家戦略特区の陰に隠れてしまった形になったが募集は継続して行われている。
今年度6月~7月に行われていた募集が29次になる。

愛媛県の本宮勇県議がブログにて「国の構造改革特区第12次提案から申請を続けています」と書いている(前記事参照)。
第12次募集は2007年10月15日~11月14日が募集期間だった。
以後、愛媛県今治市は「加計学園による獣医学部新設」を何度か申請していたようだ。
しかし小泉内閣に始まった構造改革特区は下から上に這い上がるのを支援することを目的とはしていない。
獣医に関する法規などを所管する農水省も学部の現況や需要と供給のバランスを考え獣医学部の新設は必要ないと判断していたのだろうと思う。
認可は下りなかった。

小泉内閣 2001年4月26日-2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
福田内閣 2007年9月26日-2008年9月24日 申請開始 結果「不可」
麻生内閣 2008年9月24日-2009年9月16日 申請 結果「不可」
鳩山内閣 2009年9月16日-2010年6月8日 申請 結果「実現に向け検討」
菅内閣  2010年6月8日- 2011年9月2日
野田内閣 2011年9月2日- 2012年12月26日
安倍内閣 2011年12月26日-現在

潮目がやや変わったのは民主党政権の時だった。
これが一部自民党支持者(安倍首相擁護派)の反論材料にもなっていた。
「自民党は認可していなかった、検討すると言ったのは民主党ではないか!」と。
しかしそう、昨日書いた通り、加計学園と今治市を繋いだ本宮勇県議は同じ愛媛県出身の自民党衆議院議員である村上誠一郎の公設秘書だったことがあり、その村上誠一郎の妹の夫が民主党(現:民進党)・岡田克也議員である。
加計学園理事長と安倍首相は友人関係にある。

安倍晋三(自民党)衆議院議員
 |
加計孝太郎
 |
学園理事・事務局長(本宮県議の同級生)
 |
本宮勇(自民党)愛媛県議会議員
 |
村上誠一郎(自民党)衆議院議員 愛媛県今治市出身
 |
岡田克也(民主党)衆議院議員 三重県四日市市出身

この繋がりは無視できない。


加計学園誘致関係人物を見ると、加戸を除いて同世代である。
もうひとつ東京大学法学部という共通点もみられる。
村上・岡田・前川に関しては卒業年もあまり変わらないため大学在籍期間が重なっているということになる。

安倍晋三 1954年9月生まれ 東京都(選挙区は山口県) 成蹊大学法学部卒
加計孝太郎 1951年7月生まれ 広島県 立教大学文学部卒
本宮勇  1954年3月生まれ 愛媛県 愛媛大学中退
村上誠一郎 1952年5月生まれ 愛媛県 1977年東京大学法学部卒 
岡田克也 1953年7月生まれ 三重県 1976年東京大学法学部卒 通産省(経済産業省)入省
前川喜平 1955年1月生まれ 奈良県(東京都)1979年東京大学法学部卒業 文部省(文部科学省)入省
加戸守行 1934年9月生まれ 関東州(愛媛県)1957年東京大学法学部卒業 文部省(文部科学省)入省

※村上誠一郎は東大在学中、亡父・信二郎が所属していた三木派を引き継いだ河本敏夫の知己を得て、東大卒業後は河本の秘書を務める[要出典]。
村上は村上水軍の子孫であるそうだ。

※岡田克也
ジャスコ創業者の岡田卓也は父。イオン取締役兼代表執行役社長の岡田元也は実兄。2010年より東京新聞政治部部長を務めている高田昌也は実弟。
桑名市と四日市市を地盤としていた竹下派所属の山本幸雄の後継者として出馬をした。竹下登と財界との関係で繋がりが深かった父の岡田卓也を通じて打診、克也が「やってもいい」と意欲を見せたことで自由民主党竹下派の新人候補として出馬に至った
今でこそ野党の顔というイメージが強いが、彼はもともと自民党に所属していた。大企業創業家という地位を持ち大物政治家との繋がりもあった。
ちなみに妻(村上誠一郎の妹)は医師であるらしい。


村上水軍のことは、中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>の話の流れでこちらに書いた

(呉市は)地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている。第二次世界大戦中は、帝国海軍の拠点でもあり、当時は全国10大都市に数えられるほどの実に40万人を越える人口を抱えていた。

呉市山手の通称「山手の谷」はもともと被差別部落ではなかったが、1889年の軍港開設と共に海軍に納める牛豚肉のための屠場が設けられ、続いて火葬場や海軍の監獄、野犬処理場等が作られ、この付近に住む人々が賤視されて被差別部落になったとされる。山手の入口にある上山手橋には地獄橋の異名があった。

瀬戸内海沿岸に散在する部落について、「瀬戸内海ですと、村上水軍ですとか、塩飽水軍などの名前を聞くはずですが、村上水軍の一番の支配者の人は部落ではないのですが、水軍のかなりの部分は、現在でも被差別部落民です」(『江戸の非人 部落史研究の課題』本田豊、三一書房、1992)、「海岸や沖合警備の名目で瀬戸内の島々に政策的に配備された部落は、豊臣秀吉によって壊滅させられた村上水軍の系統を引くものではないか―そのように私は考えるのだ」(『日本民衆文化の原郷』沖浦和光、解放出版社、1984)との考察がある。


そしてまたメビウスの輪のように(?)ここに戻ってしまう。

森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。

安西八郎兵衛(勝浦の貧しい漁師)
 |
安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
 |
安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚
安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚
安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

中曽根弘文・真理子(旧姓:前川)夫妻の娘の結婚相手である川鍋一朗の父は川鍋秋蔵の息子である。

森為吉(勝浦の貧しい漁師)
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森矗昶(豪農の娘と結婚隣家の安西直一に仲人を依頼し、以後ビジネスパートナーとなる。森コンツェルン創始者)
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森暁(昭和電工社長、衆議院議員)・・・外務官僚で貴族院議員であった室田義文の孫と結婚
森清(昭和火薬社長、衆議院議員)・・・1965年河野一郎亡き後、中曽根康弘らと対立し森派を形成
森美秀(昭和火薬社長、衆議院議員)森満江・・・父森矗昶のビジネスパートナー安西直一の息子の安西正夫と結婚
森睦子・・・三木武夫首相と結婚
森三重子・・・三重県知事や衆議院議員であった田中覚と結婚(田中は再婚)

※田中覚
三重県四日市市出身の官僚。1955年に辞職して三重県知事選に出馬当選。5期務めた。四日市ぜんそく発生時の知事。
1972年、知事5期目の途中で、田中角栄・三木武夫の説得に応じて自民党三木派から衆議院選挙に立候補して当選した。
森三重子と結婚したのは1975年。









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# by yumimi61 | 2017-09-21 23:45
2017年 09月 21日
日本国憲法の秘密-563- (加計学園問題について)
愛媛県今治市が学園都市構想を決定したのは1975年で、中心となるべく大学の建設予定地を造成したのは1983年。
国は1976年に「私立学校振興助成法」を施行し、1991年には大学設置基準をも緩和した。
これによって1991年以降私立大学の新設が相次いだ。(18歳人口は1992年がピークで以後減少)
なかでも看護系を筆頭とした医療系の大学が増加し、都市部に限らず地方にも新設が進んだ。
しかし今治市に新設あるいは移転する大学はなかった。
2001年に小泉内閣が誕生し、「聖域なき構造改革」を打ち上げる。
2002年には大都市圏における大学新設の制限を撤廃したため、大学の都市回帰が始まった。
今治市の大学建設予定がますます窮地に陥ることは火を見るより明らか。

2002年12月、小泉内閣は構造改革特別区域法を制定。
構造改革特別区とは、従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を特別に行うことが可能になる地域のこと。
言うなれば法規の逸脱を法規が認めるものである。
その最たるものは1条に天皇を掲げた日本国憲法であり皇室典範であろう。

憲法14条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


天皇制や皇族に対する態度は憲法14条に沿うものではない。本来憲法違反。
憲法違反を逃れるために憲法1条2条に天皇に関する記述を置いている。

憲法1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法2条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


第1条はなかなか凄い。
最高裁判所裁判官国民審査のように天皇の国民審査が、あるいは大統領のように天皇を決める選挙が一度でもあったかと言えばない。
「日本国民の総意に基く」という文言は、審査や選挙という日本国民の意思によって決めると言っているのではなく、勝手に日本国民の総意と決めて国民に押し付けるものである。
第2条は第14条の例外を定めたものである。
同じ憲法内にある決まりなので本来は効力は同じである。どちらが上とか下とかないはず。でもそれでは矛盾してしまう。平等と天皇、どちらもが憲法に規定されていることなので、例えば両者が争うような場合には最高裁まで行ってもどちらが正しいと裁くことはできない。憲法上は「天皇や皇室が差別されること」も「何人たりとも差別されないこと」もどちらも正しいのだ。
その状態を逃れようと思えば、憲法の優先順位は数字の若い方が上とするしかない。(14条よりも1条2条のほうが格上で優先されるということ)

極端なことを言えば、法規の例外を認めるということは、法規が犯罪と認めているものを、他の法規が「あなたは特別に犯罪者にならなくていいですよ」と定めていて、そちらが適用されるということである。
天皇や皇室の例外を認めるのは他の法規ではなく同じ憲法内である。そしてその憲法を最高法規と同じ憲法内で定めている。

憲法98条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


憲法に反する法規は効力を有しないと定めているのだから、これまで制定され運用されてきた法規は憲法に違反するものではないということだ。
そういう認識にあったはずである。
だからこそ憲法よりも具体的で、限られた者や事項に適用する特別法が優先されても何ら問題はないし、実際にそれを運用してきた。


従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を国が特別に認めて可能にしてあげる構造改革特区、こんなのは国民平等の精神からは逸脱するものだ。
でも構造改革特区は憲法違反ではないと見做されているから制定され運用されてきたはずである。
1つ言い逃れとして考えられるのは、「国民」ではなくて「地域」であること。
1.「すべて国民」は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
「全ての地域」は平等でなくてもOKでしょ~!みたいな。
でも普通に考えれば地域の中には民が存在するわけであり・・。


都市に行きたい、西日本や離島は嫌、こういう個人の意思は憲法違反ではない。
自分がどうしたいかであって人にそれを強制しているわけではない。
どちらかと言えば、大学が学生を選ぶことのほうが人種・信条・性別、社会的身分又は門地・学力などによる差別ではないかと思うが、それだって法律で一律に定めたものでも他大学に強制するものでもなく、各大学の意思であるということならば問題ないということになろう。
憲法が定めているのは法の下の平等。法律は全ての国民に平等であれということ。
自由競争や個人の意思(選択)が法の下にあるうちは違法ではないが、個人の意思を尊重すると結果的にあらゆるところに差が生じてしまう。
価値観の多様性が無くなれれば無くなるほど差は生じ差は大きくなる。
しかし強制的にその差をなくそうとすると個人の尊厳が侵されることになる。


愛媛県今治市の大学建設は自由競争や個人の意思から生じる差にすっぽりとはまり込んでしまった。
自由競争における勝ち負けで言えば負けたのだ。
その上、小泉内閣は構造改革特区にて、従来法規からの逸脱を特定の地域に認めることにした。
この構造改革特区の恩恵を受けない限り、愛媛県今治市が陥った差から抜け出す方法はなさそうだ。
だが小泉内閣が目指したのは下から上に這い上がることを支援することではなく、平等の呪縛から解放してやることである。普通に甘んじていたものを上に引き上げること、突き抜けることを許すことである。
何を目的にそうしたかと言えば国際競争力を高めるためであろう。


国際競争に勝利したとしてもたらされるものは何だろうか。金か名誉か。
勝利するということは敗者がいるということに他ならない。
世界中の人々が安全に安心して生きていくのに果たして勝者と敗者が必要なんだろうか。


構造改革特区の是非はともかくとして国家として目指すべきものがあったということは理解できる。
愛媛県今治市の「何とか構造改革特区の恩恵に与れないものだろうか」という心情も分からなくはない。

構造改革特区を利用するとなると、従来法規制があった事業などを提案する必要がある。
従来から「お好きにどうぞ」と言われていた事業などを提案しても特区に認められることはないのだ。
「私立学校をどんどん作ってください、金銭的な支援も行いますよ」、国は随分前からそう言っていたのだから、単なる学校建設や学園都市構想ではダメである。
そこで持ち出されたのが獣医学部だったはずである。

国家資格、国家試験受験資格、そういうものは国が扱い、需要と供給のバランスや一定のレベル維持をコントロールしている。
看護師など保健福祉系の国家資格者は増員を目的に策が講じられてきた。
しかしその流れの中においても愛媛県今治市の大学建設は叶わなかった。
すでに全国各地に保健福祉系の大学は新設されている。
一方で大学進学率上昇に貢献したのは保健福祉系を筆頭にした医療系であるので、学生を集めることを考えると医療系は捨てられない。
医療系で、国家資格が関係し、今現在も国家が規制などコントロールしているものは何か?
医学部(医師)と薬学部(薬剤師)が思いつくだろう。
定員に比べると志願者は多いはずだから、後発だったとしても全国区の大学として十分通用するだろう、ハイカラな学部をつくるよりも確実に偏差値や学校の格は上がる、そう考えると思う。
では薬学部を誘致しなかったのは何故か?(薬学部は2006年に4年制と6年制の2つの過程が設置され、以後30校近く新設されたのでチャンスであったことは確か。現在全部で74校)
松山大学(私立)が2006年に薬学部を新設している。
実は愛媛県今治市の一番最初の学園都市構想(1975年)はどうも松山大学の移転を念頭に進められたようなのだ。
東京教育大学(筑波大学)が移転に猛反対したように、松山大学内からも反発が大きかったのかこの話が流れてしまった。
遺恨を残したのか、今更松山大学もないだろうという感じなのか分からないが、松山大学薬学部が今治市に来ることもなかった。


社会的地位の高さを思えば医学部こそ確実に学生が集まり大学の格も上がるが、実際医師を養成するのは楽ではない。実習研修施設なども確保しなければならない。となると病院がなくては話にならぬかもしれない。病院経営かぁ・・・なかなか大変そうだなぁ・・・病院作ったら医師以外にも必要だしなぁ・・・
医学部、薬学部と来て、次に思いつくのが獣医学部。
そうだ、これだ!これがいい!
何と言っても獣医学部は数が少ない(医学部より薬学部よりも)。
数が少ないということはライバルとなる大学が少ないということ。
つまり必然的に学校は全国区となり、確実に志願者がある、そう踏んだ。
研究職なら国家試験もいらないし(薬学部例より)、公務員養成だったらちちんぷいぷいちょっと誰かに頼めば何とかなるだろう、きっとそう思ったと思う。


誰がそう思ったかと言うと加計学園理事長(あるいはその側近、あるいはコンサルタント)。
腐っても鯛、仮にも学校経営者。ある程度大学進学事情を知っていたからこそ導き出された獣医学部。

加戸・前愛媛県知事の国会での証言を思い出してほしい。
「愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


(長いこと造成地が埋まらず切羽詰まった愛媛県今治市に)声を掛けてくれたのが加計学園だったと証言している。
12年前2005年のことである。

愛媛県今治市と加計学園を結んだキーマンはこの人。

本宮勇 
1954年(昭和29年)3月4日生まれ
実家は専業農家
(経歴)
愛媛大学 中退
今治南農協(現:JAおちいまばり)職員
自民党県連青年部長
衆議院議員・村上誠一郎の公設秘書
今治市議会議員(1991~1999年)
愛媛県議会議員(1999年~ 当選5回) 

選挙区:今治市・越智郡
所属政党:自由民主党
所属会派:自民党志士の会
所属委員会等:環境保健福祉委員会、議会運営委員会、地方創生・産業基盤強化特別委員会
役職:愛媛県議会議長(平成27年度)、愛媛県議会副議長(平成26年度)
県議会地域公共交通活性化促進議員連盟会長
県議会防衛議員連盟副会長
自民党畜産議員連盟副会長
愛媛県農業共済組合理事
今治市農業委員
全国道路標識・標示業協会愛媛支部顧問

村上誠一郎 1952年(昭和27年)5月11日生まれ
自由民主党所属の衆議院議員(10期)
愛媛県今治市生まれ。1965年(昭和40年)に東京教育大学附属小学校(現筑波大学附属小学校)、1971年(昭和46年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1977年、東京大学法学部を卒業。。
第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構)、第2次森改造内閣・第1次小泉内閣で財務副大臣を務めた。
今治市長や愛媛県議会議長、衆議院議員を務めた村上信二郎は父。
民進党衆議院議員の岡田克也は義弟(妹の夫)。



ブログ「愛媛県議会議員 本宮いさむ活動日記」 2014年6月18日
獣医学部誘致に向け、岡山で打ち合わせ

 岡山市内に本部を構える加計学園に到着しました。学園理事で法人事務局長を務めている高校の同級生と打ち合わせを行います。

 今から9年前、同級生に大学誘致の話を持ちかけたところ獣医学部であれば検討するとの返事が返ってきました。当時、加戸知事に相談したところ「何処の学園ですか?」との話があり「岡山の加計学園ですと申し上げたところ・・・」、それなればいうことで獣医学部誘致に向けた活動がスタートしました。獣医学部については約50年前に北里大学に設置されて以降は門が閉ざされていることもあり、国の構造改革特区第12次提案から申請を続けています。未だ認可をされていませんか、何年か前から国は提案実現に向けて対応をするとの回答になってきました。


2014年に今から9年前と書いているので加戸証言と同じく2005年である。
今治市の本宮議員の高校の同級生が加計学園の理事で事務局長であり、彼を通して誘致を持ちかけたところ、「獣医学部ならばいいよ」という返事だったということなのだ。








 



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# by yumimi61 | 2017-09-21 12:12
2017年 09月 20日
日本国憲法の秘密-562- (加計学園問題について)
大学新設にはいろいろ問題があるにせよ、1991年大学設置基準緩和以降、実際私立大学は増えてきた。
背景には「私立学校振興助成法(1976年施行)」もある。
この時の新設大学設置は東京など大都市部ではなくむしろ地方で増加した。(大都市での大学新設は制限されていた期間があった)
文部省の推奨がここにきてやっと実を結んだことになる。

愛媛県今治市は最初から獣医学部の新設を考えていたわけでない。
大学の設置とともに宅地造成や企業誘致なども行って街を形作る学園都市構想であり、来てくれる大学は何でも良かったというか獣医学部である必要はなかった。
しかしそう、この新設ブームが巻き起こった時も愛媛県今治市が1983年から用意していた土地に大学が設置されることはなかった。
全国的に医療系大学新設が流行したが願いは叶わなかった。
愛媛県立医療技術大学は2004年に短期大学から大学に変わった大学であるが、この時に今治市の造成地に移転することも検討されたらしい。しかし移転はしなかった。
県立大学以外の4年制大学はすべて松山市にある。

愛媛県の4年制大学
<国立>
愛媛大学 松山市 法文学部・教育学部・社会共創学部・理学部・医学部・工学部・農学部

<公立>
愛媛県立医療技術大学 伊予郡砥部町 保健科学部(看護学科・臨床検査学科) 助産学専攻あり

<私立>
松山東雲女子大学 松山市 人文科学部(心理子ども学科 )
人間環境大学  本部は愛知 愛媛県松山市に2017年4月 「松山看護学部看護学科」を設置
聖カタリナ大学 松山市 人間健康福祉学部(社会福祉学科・健康スポーツ学科・人間社会学科) 2017年4月に看護学科を新設
松山大学 松山市 経済学部・経営学部・人文学部・法学部・薬学部



今治市が用意した土地は瀬戸自動車道(しまなみ海道)の今治インターチェンジの近く。
安倍首相が国家戦略特区に今治市を選んだ時にも確かそんなことを言っていた。しまなみ海道で広島と繋がっているとかなんとか。
しかし瀬戸内海の島を転々と繋ぎ、通じているのは広島県の尾道である。
残念ながら広島市にはかなり遠い。
もっと近いとしても有料高速道路を自動車で通学する学生はまずいないであろうから、中国地方からの通学圏になるというわけではない。
愛媛県内の松山市と今治市の駅から駅は電車で1時間半弱くらいなので頑張れば通えないことはないかもしれないが、いこいの丘は今治の駅からは若干遠い。2キロくらいな感じ?つくば駅から筑波大学よりは近いかも。
自宅から通学できる学生は僅かだと思うので寮を完備だろうか?アパート完備?
いずれにしても愛媛県に根を下ろすことになるので、進学にはある程度覚悟が必要である。
そもそもな問題だけれども、どうしてここに大学生が集まると考えたのだろうか。
私立大学+自宅外通学(一人暮らし)になると金銭的に保護者の許容ハードルは一段上がる。
当初は筑波学園都市構想のように既存の大学(学部)を教員学生ごとごっそり移転させることが目的だったのだろうか。


ともかく愛媛県今治市の大学建設予定地は全く日の目を見なかった。
そうこうしているうちに時は2001年となり小泉内閣が誕生。
聖域なき構造改革の柱の1つに「中央から地方へ」というものがあったが、大都市圏での大学新設制限を2002年に撤廃。
それを機に私立大学の都会回帰が始まり、以後は地方よりも大都市圏での新設が多くなった。
「中央から地方へ」というのはいったいどういう意味だったんだろう。
主導権が中央から地方へ移る(地方に任せる)という意味ではなく、中央から地方への命令を強化するという意味?
都市回帰では今治市の予定地はますます難しくなるだろう。
(ちなみに文部官僚だった加戸守行は1989年にリクルート事件で辞職し、1999年から愛媛県知事になっていた)






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# by yumimi61 | 2017-09-20 00:33
2017年 09月 19日
日本国憲法の秘密-561- (加計学園問題について)
本日2本目!

看護系も例外ではないが、看護系に限らず大学生の学力が低下していることは多くの関係者が認識していることで周知の事実である。
国立大の医療技術短期大学部が目指した看護職の地位向上は大学進学率の上昇に伴うことはなく、むしろ逆行しつつある。


HUFFPOST 2014年09月17日
更なる看護大学の新設を!少子化に逆行して高まる大卒看護師人気
森亘平 医大生


静岡県焼津市出身。平成21年3月、静岡大学教育学部附属島田中学校卒業。同年4月、静岡県立静岡高等学校入学。平成24年3月、静岡県立静岡高等学校卒業。同年4月、国立大学法人浜松医科大学入学平成26年現在、医学部医学科2年生。

浜松医科大も国立であるが医科単科大学として設立されており、前述の医療技術短期大学部は存在しない大学であったが、静岡県出身の学部長が推進していた群馬大学医療技術短期大学部の4年制化より2年早い1995年に4年制看護科が設置されている。

現代の日本における少子化の余波は教育界に大きく影響しています。8月25日には大学受験予備校の代々木ゼミナールが全国27か所の校舎のうち実に7割にあたる20か所を閉鎖し、全国模試も廃止することが発表されました。これは必然であるのかもしれません。日本私立学校振興・共済事業団によると今春の大学入試の結果、定員割れが起きている私立大学は全私立大学中46%にも上ることが分かりました。そのような状況で看護大学の状況は異端です。志願者数が少子化に逆らって増加しているにも関わらず、養成体制が追いついていないのです。看護師不足による現場の需要、さらには看護師になりたいという学生からの要望、ともに確実なものであることから、より多くの看護大学の設立が必要だと思います。

大学の看護科志望者に比べて定員数がまだまだ少ないというレポートである。
私立と国公立を併願している学生数によってダブつきはあるだろうが、それにしても志願者に対する定員のギャップは大きいと述べている。
この図は結構インパクトがあって、大学や法人がその気になってもおかしくないかも。
e0126350_15381118.jpg


しかし本当にこんなに私立大学を志願する者(願書を出したものということですよね?)がいるのだろうか。
私立大学が水増し報告しているということはないのだろうか?
国公立・私立合わせて8万5000人ほどが看護学科を志願しているが、定員外となった(私立看護大学を不合格となった)数万人はどこに流れているのだろう?)
専門学校に行くのだろうか?それとも進学せず働きもせず?


1991年の大学設置基準が緩和され大学が増加し進学率も上昇する前の1990年の18歳人口は200万人くらい。
戦後上昇を続けた18歳人口は1992年の205万人をピークに減少に転じ、2009年頃から今日に至るまで120万人程度で推移している。

1990年の全国の18歳人口は200万人くらい。
・大学進学率は約25%なので、大学進学者は50万人。

2009~現在までの全国の18歳人口は120万人くらい。
・大学進学率が約50%なので、大学進学者は60万人。
・短大と専門学校進学者が23万人くらい。
・就職者が21万人。
・それ以外の高校卒業者が10万人
・高校に進学していなかったり中退した者が6.5万人。

大学進学者はおよそ10万人ほど増えた。
そのうち看護学科が2万人近くを占める。増加の5分の1(20%)は看護科が担っている。
他の保健福祉系を含めればもっと多くなることは確か。
残りはハイカラな大学や学部学科だったりするわけだが(それだけではないですね)、上記にあるように既存の私大含めて私大の半数近くは定員を割れているそうだ。

前にも書いたが、看護系大学がかなり増加しているが、実は看護系専門学校も減っておらず、むしろ増加しているくらいである。
看護師を養成するならば専門学校でもよいわけだが、医学部や薬学部に比べて偏差値が看護学部の偏差値は低いと述べながら(ここがセールスポイント?)、医学生が4年制看護大学にこだわる理由は何だろうか。
レベル低下が叫ばれているにもかかわらず、医学生がどうして更なる看護大学設立を推奨できるのだろう。(専門学校卒よりは大卒のほうが聞こえがいいだろ?)



医学部(医師国家試験受験資格)が6年制というのはよく知られていると思うが、戦時中など需要が高まった時には3年制や4年制で養成していた時期もある。

獣医学部(国家試験受験資格)もかつては4年制だった。
1978年に国家試験受験資格が大学院修士課程修了に引き上げられた(実質6年)。
1984年から獣医学部(獣医師国家試験受験資格)も6年制一貫教育となった。

薬学部もかつては4年制だった。
2006年から4年制と6年制の2つの過程が設置された。
新4年制過程は薬学研究者の養成が目的で薬剤師として働くことを最初から目的にしていない。薬剤師の国家試験受験資格が得られない。学位は学士(薬科学)。
6年制は薬剤師養成が目的である。学位は学士(薬学)。
6年制課程を有する薬学部をもつ大学は、薬学実務実習に必要な施設を確保する義務を有する(大学設置基準第39条の2)。
上位国立大学では研究者養成がメインとなっているそうだ。
国公立大学の6年制課程が約700名、4年制課程が約1,500名、一方、私立大学では6年制課程が約10,000名、4年制課程が約500名となっている。
薬学部には私立大学も多く、偏差値だけに拘ればピンキリである。
現代の研究職は学位が非常に重要となっているので4年制でも大学院に進む必要があると考えられる。実質6年(でも国家試験受験資格は得られない)。
かつて医療技術短期大学部の臨床検査技術学科(3年制)から企業の研究職に就職した人が結構いたけれど、昨今は長く大学にいないとダメな感じ。

制度改正で30校近くが薬学部を新設したが、薬剤師も過剰気味らしい。
離職率が高くない仕事は基本そんなに不足することはない。
足りないのはドラッグストアやテナント薬局の薬剤師だけでは?(「薬剤師不在のため」とロープはったり覆いをしたりしているお店を見たことはありませんか?あれが薬剤師が確保しきれていないからなんですね)


加計学園の獣医学部は研究を目的としているらしいから、薬学部と同じで制度変更による4年制導入(国家試験を受けない人達養成)を見据えているのでは?



薬学部のある大学(★は 6年制課程と4年制課程を併設する大学、無印は6年制のみ)
<国立>
北海道大学★
東北大学★
千葉大学★
東京大学★
富山大学★
金沢大学(医薬保健学域薬学類)★
京都大学★
大阪大学★
岡山大学★
広島大学★
徳島大学★
九州大学★
長崎大学★
熊本大学★

<公立>
静岡県立大学★
名古屋市立大学★
岐阜薬科大学★

<私立>
北海道医療大学
北海道薬科大学
青森大学
岩手医科大学
東北医科薬科大学★
奥羽大学
いわき明星大学
国際医療福祉大学
高崎健康福祉大学
城西大学★
日本薬科大学★
東邦大学
東京理科大学★
日本大学
千葉科学大学★
城西国際大学
帝京平成大学
東京薬科大学
明治薬科大学★
昭和大学
昭和薬科大学
星薬科大学★
慶應義塾大学★
北里大学★
武蔵野大学
帝京大学
横浜薬科大学★
新潟薬科大学
北陸大学
名城大学
愛知学院大学
金城学院大学
鈴鹿医療科学大学
京都薬科大学
同志社女子大学
立命館大学★
大阪薬科大学★
近畿大学★
摂南大学
大阪大谷大学
神戸薬科大学
武庫川女子大学★
神戸学院大学
兵庫医療大学
姫路獨協大学
広島国際大学
安田女子大学
福山大学
就実大学
徳島文理大学
徳島文理大学(香川薬学部)
松山大学
福岡大学
第一薬科大学
長崎国際大学
九州保健福祉大学★
崇城大学

獣医学部のある大学
<国立>
帯広畜産大学(畜産学部共同獣医学課程。2012年度から北海道大学との共同教育課程に改組):単年度定員40名
北海道大学(獣医学部共同獣医学課程。2012年度から帯広畜産大学との共同教育課程に改組):同40名
岩手大学(農学部共同獣医学科。獣医学科を2012年度から東京農工大学との共同学科に改組):同30名
東京農工大学(農学部共同獣医学科。獣医学科を2012年度から岩手大学との共同学科に改組):同35名
東京大学(農学部獣医学専修):同30名
岐阜大学(応用生物科学部獣医学課程。獣医学課程を2013年度から鳥取大学との共同学科に改組):同30名
鳥取大学(農学部獣医学科。獣医学科を2013年度から岐阜大学との共同学科に改組):同35名
山口大学(共同獣医学部。農学部獣医学科を2012年度から鹿児島大学との共同学部に改組):同30名
鹿児島大学(共同獣医学部。農学部獣医学科を2013年度から山口大学との共同学部に改組):同30名
宮崎大学(農学部獣医学科):同30名

<公立>
大阪府立大学(生命環境科学部獣医学科):同40名

<私立>
酪農学園大学(獣医学群獣医学類):同120名
北里大学(獣医学部獣医学科、2007年度より獣医畜産学部獣医学科から名称変更、十和田キャンパス):同120名
麻布大学(獣医学部獣医学科):同120名
日本大学(生物資源科学部獣医学科、1996年に農獣医学部獣医学科から名称変更):同120名
日本獣医生命科学大学(獣医学部獣医学科、2006年度より日本獣医畜産大学から名称変更):同80名

※国公立獣医学部を見てもらうと分かるように、多くの大学が共同学部に移行している。共同教育課程制度が2009年に導入されたのだ。
複数の大学がそれぞれの施設や教員を提供し合うというもの。
要するに教員その他のレベルや専門性・経験値が落ちている、実習など含め教育や獣医師養成環境が悪化しているということだと思う。
実績ある既存の獣医学部がこの状態なので、新設私大を認可するのは疑問。












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# by yumimi61 | 2017-09-19 17:37
2017年 09月 19日
日本国憲法の秘密-560- (加計学園問題について)
大学の増加を支えたのは間違いなく医療系(薬学、保健福祉など)である。
保健福祉には看護、栄養、社会福祉、理学療法や作業療法などのリハビリ関係が含まれる。
とくに看護系の大学の増加が著しかった。

1980年代半ばには6校しかなかったのに、2014年には226校にもなっているそうだ。少子化なんかどこ吹く風の看護バブル。


=1990年前の看護4年制大学= ( )内は看護系学科の設立年。
【国立】 千葉大学(1975年) 東京大学(1953年) 東京医科歯科大学(1989年) 琉球大学(1968年)
【公立】 高知県立大学(旧:高知女子大学)(1952年)
【私立】 聖路加看護大学(1964年) 日本赤十字看護大学(1986年) 北里大学(1986年) 藤田保健衛生大学(旧:名古屋保健衛生大学(1969年)

1980年代後半に日本赤十字看護大学と東京医科歯科大学が新たに4年制の看護系学科を設立したが、それまでは6校だった。
当時の看護系の4年制大学は看護教員を目指す人や国家公務員や県職など事務的仕事に携わる人を養成していたのだと思う。
少なくとも私はそう思っていた。

この時代、多くの看護師養成を担っていたのは専門学校である。高卒の場合、3年制。
例えば4年制の日本赤十字看護大学が開校されても、赤十字看護専門学校という3年制の看護師養成学校は各地に多数存在していた。
専門学校の他に短期大学での養成もあった。この短期大学も3年制。
当時は各都道府県に存在する国立大学が医療技術短期大学部という学部を持っていて、ここでも看護師の養成を行っていた。大学に属しているのに3年制の学部という変則的な教育システムであった。
これは看護師の国家資格を得るための所定の過程が高卒後3年であるからである。
専門を3年で教え込むので何もあえて4年もいることはないということ。
その頃の大学には教養課程というものが明確に存在した。
どんな学部であろうが最初の1~2年は教養課程をメインに学ぶという決まりがあり医学部も例外ではなかったが、医療技術短期大学部はこの明確な教養課程が省かれていた。そのぶん夏休みなどは短かった。
看護業界は仕事のハードさから離職率も高く慢性的な人手不足でもあるので、無駄に時間を稼いでも仕方がないということだったんだろうと思う。
私立などの学校運営側からすれば長く学生をしてもらったほうが安定した収入がある。
一方学校運営に税金が投入されることを考えると、学生期間は短く回転したほうが効率がよく節約になる。

国立大学の医療技術短期大学部は高度な医療を提供する大学病院で働く看護師や、地域の病院で看護師長クラスで働くことが期待される看護師、保健師や助産師を目指す人を養成するものであった。
短期大学部3年終了時に希望し希望校の試験にパスすれば4年制の大学に編入することも可能であったし(とはいっても対象の4年制大学がほとんどない)、試験にパスし保健師や助産師の養成科に進めば嫌でも計4年にならざるを得ない。

学力も社会的地位も総じて高い医師という職種と協力し合ったり渡り合う看護師が必要とされた。(先生と呼ばれる職業の人はどうしても傲慢になりがちなので医師の暴走を食い止めたりフォローしたりという・・)
だけど医学部卒と専門学校卒では学歴からして馬鹿にされてしまう(口に出さなくても思っている)。准看護師になると中卒でも可能だったりするので看護師の学力イメージはどうしても薄まってしまう。
だから国立医学部や大学病院に併存して看護学科を置いたわけだが、6年生の医学部から見ると3年制短期大学部というだけで職業的にはやはり軽視の対象となってしまうらしい。
そこで短期大学部を4年制にして「短期」という言葉を省こうという運動が起こった。


以前にも書いていて繰り返しになるが、私は群馬大学医療技術短期大学部を出て、その後保健師の養成学校に進んだ。4年間の学生生活を送っているが学位は持っていない。


過去記事より)
共通一次世代の推薦入試

私は群馬大学医療技術短期大学部に推薦入試で合格した。

「群大の医短で今年から推薦入試が導入されることになったそうだ」と担任から聞かされたのは、3年の夏頃だったような気がする。
それまで県外を中心に考えていた私の転機だった。

現在でも各地の大学で「医学部地域枠推薦」や「指定校推薦」などの推薦入試が行われているが、そのどちらとも少々違った。

「医学部地域枠推薦」というのは地域に医師を確保するためのものなので卒業後の勤務地が何年か指定されているが、それはなかった。
就職先が群大附属病院と指定されているわけでも県内と決められているわけでもなく、進学も可能だった。

「指定校推薦」というのは、高校を指定し推薦枠を与えるもので、指定された高校は評定などの要件を満たした生徒から希望者を募り、多い場合には校内選抜が実施されて推薦者が決定する。
入試は主として書類審査及び面接と小論文となるが、校内選抜者になれば不合格になることはまずない。
私が受けた推薦入試は群馬県内の女子高(一部共学校もあったかもしれない)に2名ずつの推薦枠が与えられていたようだが、2名が揃って合格することはないと事前にはっきりと言われた。(各指定校から1名ずつの合格)
校内には2名以上の希望者がいて選抜があり、選ばれたのは私と、もうひとり親しくしていた友人だった。
どちらかが不合格になるということで何となく気まずかった。
入試には面接と小論文の他に、一般的な試験も課せられた。
但し教科は3教科だったろうか、少なかったと記憶している。

結果は2人とも合格だった。
先生も非常に驚き喜んでくれた。
一緒に合格した友人は、日本化薬で看護師として働いている友人である。

クラスの誰よりも先に試験に臨み、進路が決定したので、当時は大学における推薦入試も今のように一般的でなかったのだと思う。
AO入試は日本にはまだ存在しなかった(1990年が最初、慶應大学にて)。

私は群馬大学医療技術短期大学部の推薦入試の1期生だったのだ。


推薦入試の走りの時代にいて、さらに国立大学の医療技術短期大学部の4年制構想の真っ只中にもいた。

過去記事より)
4年制構想

私が群馬大学医療技術短期大学部の学生だった時の学部長は、ことあるごとに「これからはパラメディカルではなくコ・メディカル(co-medical)*の時代」だと話し、医療技術短期大学部の4年制化実現への抱負を語っていたものだった。
その学部長は群馬大学医学部出身で群大附属病院の第二内科(循環器内科)医局出身。専門は血液学だった。
当時は医療技術短期大学部看護学科の教授であり学部長でもあった。


*コ・メディカル
1982年(昭和57年)、第1回糖尿病患者教育担当者セミナーの講演において、阿部正和東京慈恵会医科大学学長(当時)が、患者教育には医師のみならず全ての関係スタッフの協力が不可欠として、医師以外の関係スタッフを卑下したパラメディカルとの呼称を止め、「協同」を意味する接頭辞の "co-" を用いた「コ・メディカル」(co-medical、英語発音: [ˌkəʊˈmɛdɪk(ə)l] コウメディカル)との呼称の使用を提唱した。「コ・メディカル」という名称は、後に定着する「チーム医療」の考えと合致し、日本の医療業界に広く受け入れられた。


群馬大学医療技術短期大学部の4年化構想が提起されたのは1984年。
私の入学年が1986年なので、まさに4年化構想の真っ只中にあり、学部長の熱意に満ちた話を何度も聞いて育った。
4年制の医療技術学部の創設を目指しての予算要求を開始したのは1987年。以後毎年行った。
しかし当時は文部省の大学審議会は大学に新たな学部の増設は認めておらず、後に譲歩案として出されたのが医学部に保健学科を併設するというものだった。
つまり医療技術学部という独立した学部ではなく、医学部内に保健学科を作れということである。
それに伴い1993年からは医学部保健学科として予算要求を行った。
保健学科の設置が決定したのはそれから3年後の1996年10月。
1997年から保健学科として学生を受け入れることになった。

全国の医療技術短期大学部で一番最初に4年制化したのが大阪大学で1994年。
その後、神戸大学、金沢大学、群馬大学と続く。
2004年までにすべての医療技術短期大学部が4年制化した。
(最終2004年に移行したのは、北海道大学、東北大学、京都大学、熊本大学)←ほぼ旧帝大チーム(九州大学は2003年)
看護研究学会においてはその設立過程から、熊本大学(2004年)・徳島大学(2002年)・弘前大学(2001年)・千葉大学(古くより日本の国立大で唯一看護学部を持つ)の4大学が力を持っている。・・・( )内は4年制移行年。

この国立大学の医療技術短期大学部の4年制化(保健学科設置)実現にやや先行して始まり出したのが新設看護系医療系大学の設置であった。



医師以外の医療職を馬鹿にしたのが医師ならば、その地位をあげようと努力してくれたのも医師だった。
群大で4年制構想を進めていた学部長(医師)は静岡県出身の人で、医師として老人施設の医療も経験したことがあるそうで、医師以外の看護やリハビリといった医療職にも理解があった。

私学を積極的に助成していた1980年代の文部省は国立大学に独立した4年制看護学部を設置することをガンとして認めなかった。
妥協案でも医学部に付随しなさいというものであった。
今現在でも看護学部が存在する国立大学は千葉大学のみ(1975年設置)。
その一方で、大学設置基準を緩和して、新設の看護系大学は認可していった。


国立大学の医療技術短期大学部も1990年代後半から医学部保健学科や医学部看護学科に移行し、完全に4年制となった。(  )内は移行した年。

北海道大学医療技術短期大学部(2004年)
秋田大学医療技術短期大学部(2003年)
東北大学医療技術短期大学部(2004年)
弘前大学医療技術短期大学部(2001年)
群馬大学医療技術短期大学部(1997年)
筑波大学医療技術短期大学部(2003年)
金沢大学医療技術短期大学部(1996年)
岐阜大学医療技術短期大学部(2001年)
信州大学医療技術短期大学部(2003年)
名古屋大学医療技術短期大学部(1998年)
新潟大学医療技術短期大学部(2000年)
大阪大学医療技術短期大学部(1994年)
京都大学医療技術短期大学部(2004年)
神戸大学医療技術短期大学部(1995年)
三重大学医療技術短期大学部(1998年)
岡山大学医療技術短期大学部(1999年)
鳥取大学医療技術短期大学部(2000年)
山口大学医療技術短期大学部(2001年)
徳島大学医療技術短期大学部(2002年)
鹿児島大学医療技術短期大学部(1999年)
九州大学医療技術短期大学部(2003年)
熊本大学医療技術短期大学部(2004年)
長崎大学医療技術短期大学部(2002年)

ベネッセ教育総合研究所によれば、4年制になった今でも勉強が想像以上に大変と根を上げる学生が国公立私立問わず後を絶たないとのこと。
学力や質の低下も問題視されていて、制度をいじったりしている。



4年制化と言っても今まで3年でやってきたことをただ4年に延ばすのではレベルは却って下がっているではないか!と言われかねない。
そこで旧国立大医療技術短期大学部看護学科は4年制移行以降、看護師のみならず保健師あるいは助産師の同時養成を行うことを謳った。
医療技術短期大学部時代も保健師や助産師養成科に進むのは一部の人であって多くは3年で就職していった。
でもせっかく4年制にするのだから、4年制に入学してくる人達には最初から両方を目指してもらうことにしたのだ。
どこに就職にするにしろ全員が2つの資格者になれば、看護科のレベルは今までよりも上がっていると主張できるだろう。
ところがこれが思うようにいかなかった。
目論見が外れ、4年で両方を取得できる人は以前と変わらず一部の人であった。
結果的に、3年で出来ていたことが4年かかるようになった、4年で出来ていたことが6年(修士課程)かかるようになった、そういうことになってしまったのだ。
新設大学では尚更で最初からそれを目指していない。しかし学位は取得できて大学院に進めば修士・博士とランクアップし教授や国家公務員や国家機関に就職できたりしてしまうかもしれない。。
そういうレベルや実務経験のない教授陣が教える看護教育や国家戦略の行き着く先はどこなんだろうか。

卒業要件に保健師国家試験受験資格が指定されている大学、要するに入学者全員が保健師国家試験を受験できる可能性のある大学は226校中20校くらいしかない。
それ以外の大学は保健師養成のための選抜試験を課し、それに合格した10~20人程度のみが進める過程となっている。
保健師養成を諦めた大学もある。(看護師国家試験の合格さえ危うくなってきている・・)
助産師も同様で選択選抜コースである。
看護大学が増えてセット教育を謳ってみたものの保健師や助産師の養成コースは相変わらず狭き門である。

旧医療技術短期大学部看護学科の現在の保健師養成(国家試験受験資格取得)について調べてみた。
人数は明記のある大学のみ。

・北海道大学―2011年度入学者より取得不可となった。2014年度入学者より大学院修士課程で取得可。
・東北大学―全員が取得できたのは2011年入学者までで以後不可。2014年度から大学院博士課程前期(修士課程)で取得可。
・秋田大学―選抜制
・弘前大学―2012年入学者から選抜制
・筑波大学―卒業要件を満たせば全員取得可
・群馬大学―選抜制(40名)
・金沢大学―2014年度入学者から選抜制
・岐阜大学―2012年度入学者から選抜制(30名)
・新潟大学―全員取得可
・信州大学―選抜制(20名)
・名古屋大学―2012年度入学者から選抜制
・大阪大学―2012年度入学者からは選抜制(20名)
・京都大学―選抜制
・神戸大学―2012年度入学者からは取得不可。2016年度より大学院博士課程前期課程で取得可能になる予定。
・三重大学―2014年入学者から選抜制(20名)
・岡山大学―2011年度入学者から選抜制(20名)
・鳥取大学―全員取得可
・山口大学―全員取得可(卒業要件)
・徳島大学―選抜制
・九州大学―選抜制
・鹿児島大学―選抜制
・熊本大学―2012年度入学者から選抜制
・長崎大学―2012年度入学者から選抜制

ほとんどの大学が選抜制に移行している。
大学院修士課程での取得に移行したところもあるので、やがてほとんどの大学がそうなるかもしれない。
保健師という職業は自治体と関係が深いので、あとは公立の大学がどうかなというところだが、全員取得は厳しいかもしれない。私立はもっと難しい。
よって入学者全員が看護師と保健師の国家試験受験資格を同時に取得できる大学はもうほとんどないと考えてよさそうだ。
そもそも最初から無謀な話だったのだ。


こうなると文部省が国立大に独立した看護学部を認めなかったことも一理あると思ってしまうが、ではなぜもっとレベルが下がるであろうことが予想された新設大学は認可したのかということになる。
















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# by yumimi61 | 2017-09-19 13:05
2017年 09月 18日
日本国憲法の秘密-559- (加計学園問題について)
1991年、国(文部省)は大学設置基準を大幅に緩和した。
この策は見事に大当たり。大学の新設や学部の増設が大幅に増加していくことになった。
それに伴い大学進学率も急激に上がっていった。

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私は2014年1月に大学進学率についても書いている。
過去記事より)
時代はどこへ向かうのか

長男の友達が「帝京大学に行こうかなぁ~」と言ったら、そのお母さんが「帝京大学はとんねるずの出身校で馬鹿っぽく思われるからやめなさい」と言ったんだとか。
高卒が売りだったとんねるずがいつのまにか大卒になっていたという話でした。ちゃんちゃん。
時代が変われば何とやら。

少し前のこと、長男がこんなことを言った。
「意外に大学って行かないもんだよね。友達の半分くらいは進路決まっているみたいだし」
同じ高校に限らず小中学校の同級生などと範囲を広げてみると就職先が決まっている子も少なくないと言うのだ。
進学校での大学進学率は100%に近いだろうけれど、社会には工業高校や商業高校という実業高校もあるし、また進学校ではない普通高校も沢山ある。
「友達の半分くらいは」という彼の実感はなかなかいい線をついていて、2013年の大学進学率は49.9%である。(短大や専門学校進学を含めると70%ほど)
専門学校は募集や入試が早いため専門学校に進学する子はすでに進路が決まっている。
専門学校であれば不合格ということはあまりない。(但し入学金や授業料は大学より高めか私大並み)

これも意外かもしれないが大学進学率が急速に伸びたのはバブル経済の弾けた1991年頃からのことである。
1990年には24.6%しかなかった大学進学率が2009年に初めて50%を超えた(50.2%)。
しかしそこでほぼ頭打ちになっていて、ここ2年ほどは若干減少しており、大学進学率もついに限界を迎えたかと言われている。


帝京大学については小保方母が帝京大学グループの教授だとか帝京大学派公衆衛生の学位を出せる大学院を新設したとか先日も過去記事絡みで紹介し、帝京大学もあまり良い噂を聞かないと書いた。
2014年のこの記事ではお友達のうちのとんねるずの話しか書かなかったが、それとは全く別に世間によくない噂があったのだ。

それと「意外に大学に行かないものだね」という長男の感想はおそらく大学全入時代というイメージから来るものだと思う。
だからそれについても書いた。

リンク先の文章は、高校生の2人に1人が大学に進学するという実質的な「大学全入時代」の中で、で始まっている。
確かに「大学全入時代」と言われて久しい。
2人に1人(半数)で何故「大学全入時代」になるんだろうと思うかもしれないが、この「大学全入時代」というのは、高校生のほとんどが大学に進学する時代という意味ではなく、大学を選り好みしなければ誰でも(どんな成績レベルでも)大学に入れる時代という意味なのである。
どういうことかと言えば、出生数(子供の数)は増えていないのに、大学数は増えているということである。
大学は学生がいなければ経営にならないので、推薦試験やAO試験を積極的に導入し、早めに学生を確保する。

実質的な大学全入時代の傾向として、一般選抜(一般入試)による入学者の割合が減少していることが挙げられる。
一般選抜による入学者の割合は、私立大学では2007年に50%を下回ったとのこと。
私立大学入学者全体の半数以上が一般入試の学力テストを受けずに大学に入学する。



大学進学希望者(受験者)≦日本中の大学の定員
大学や学部の数が増えて大学進学希望者分の席(定員)はあるということ。
要するにちゃんと振り分ければ不合格になる人がいない状況、それが「大学全入時代」である。
しかし実際には不合格となって希望の大学に進めない人がいる。
何故かとえいば希望する(受験する)大学や学部に片寄りがあるから。簡単に言えば人気に差がある。
大学全入時代に不合格になる人がいるということは逆を言えば定員を割っている大学が存在しているということ。
大学は受験に際して結構いい値の受験料を取るわけだから、受験者が少ないというだけで経営にダメージを与える。
希望の大学を不合格となった人が滑り止め大学で妥協したり、後期試験で他の大学に流れれば多少こなれるが、浪人する人がいるということはそれだけでは解決しない問題であろうと思う。 


大学の学生の学力に関して言えば、大学が増えたことによって低下した。
すなわち1991年以降日本の大学生の学力は下降している。
私立大学入学者全体の半数以上が一般入試の学力テストを受けずに大学に入学をしているのだから当然な話。
大学を増やしたからといって学力が上がるわけではない。
そもそも学力向上や勉強をしたいから大学へ進む人がどれくらいいるのか。
まだ就職したくないから、親のお金で自由を謳歌し遊んでいたい、家を出られるから、都会に行きたい、恋愛相手や結婚相手を探すため、大学に進学したり学位を取ったほうが就職に有利だと思うから、親や先生が大学に行けとうるさいから、そういう人も少なくないのが現状。
大学進学率が高校のステータスになっているのか、現代の高校はやたら大学進学を推奨している(進学校でなくとも)。入学の時点で受験の話をしたりする。指定校推薦が変な夢を見させたり。
家庭の経済状況が厳しかったり大学(学問・勉強)に対して興味がなくても、「学校圧」や「いつでもみんな一緒のお友達関係」や「パパ同士ママ同士バトル」などから大学進学から離脱できない状況もある。
大学に行く気が無いなら実業高校へ進むという手もあるのだが、実業高校は負け組みたいな風潮もあるため、目的もなく普通高校に進学してしまう。
それでも大学希望者は高校3年生の50%程度が限界のようである。
その数値をさらに伸ばそうと給付型奨学金や大学無償化などが検討されているのだろうけれども、大学に行く人を増やしたからといって学力が向上するわけではないことは現状が証明している。
学力向上が望めないところにもってきて、収入が無くなる学校がどうやって学校運営していくのか?
国や自治体が肩代わりする?何のために?学校経営者を救うために?
その資金はいったいどこから出てくるのか?



1991年の大学設置基準の規制緩和によって、大学数、学部数、大学進学率とも増加した。
なんともハイカラな大学名や学部学科名が登場したのもこれ以降である。
ハイカラな名称はどうしても新しさと軽さが前面に出てしまい、案外受験生にも不評である。もうちょっと名称がどうにかならないものかと・・
大学の増加を支えたのは間違いなく医療系(薬学、保健福祉など)である。
保健福祉には看護、栄養、社会福祉、理学療法や作業療法などのリハビリ関係が含まれる。
とくに看護系の大学の増加が著しかった。

1992年に「看護師等の人材確保の促進に関する法律」が施行され、1990年代後半から現在に至るまで看護系大学(保健学科や看護学科の設置)は増殖し続けている。
1980年代半ばには6校しかなかったのに、2014年には226校にもなっているそうだ。少子化なんかどこ吹く風の看護バブル。


いくら大学進学が当たり前になりつつあるとは言っても、お金のかかること。出来れば資格取得に繋がる食いっぱぐれのない職業関係の大学や学部に進学してほしいと親は考える。
お金を出してもらう子供からすればなるべく親の願いに沿って円満に大学進学したいと考える。
大学の先の就職が念頭にあるため、文学部とか経済学部とか抽象的な学部は好まれない。
理工系でも数学・物理・化学など基礎系学科は敬遠されがち。学問探究よりも就職目当てだからだ。
現に優秀な成績でそうした学部学科に進んでも、それを活かして就職できるわけではなく、全く違う業界の会社に就職するという話は後を絶たない。
子供達も高校の段階と大学で就職を考える段階、就職をしてからでは、考えもだいぶ変わっていて、もっと違う学部(学科)を選んでいればなぁなんて言ったりする。後の世代にはそういうものが情報として積み重なる。
企業側から見れば、新卒に専門的な仕事が最初からこなせるとは思っていない。だから研修期間を設ける。しかし設定した期間にマスター出来ない新卒が多く、研修期間を延ばすはめになる。1年とか研修に充てている企業などもあり、大学とはなんだ?という話になってしまう。
しかも慣れないことに耐え切れず辞めていく新卒も少なくはない。
何をどう学ぶのか分からない学部学科に比べると、大まかにイメージできる医療系は魅力的なんだろう。
さらに、教師や医師、警察官に弁護士、銀行員などと同様、医療従事者にも割合お堅い印象がある。
同時に弱者の味方だから優しくて悪い人ではないかもなんて印象もあるかもしれない。
看護系なんかだと男性受けとか結婚相手として親受けが良かったりもしそうと思ったり、医師と出会うチャンスもあるし~とかなんとか?(それを言うなら芸能界経由の患者のほうがよいのではとか?)
それまで大学進学を考えていなかった層(進学率増加分)を一手に引き受けたのが医療系であると言っても過言ではない。










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# by yumimi61 | 2017-09-18 12:58
2017年 09月 17日
日本国憲法の秘密-558- (加計学園問題について)
1976年「私立学校振興助成法」施行。
既存の私学が新たに補助金をもらえるようになるようなことは喜ばしいことだったろうけれども、大学や学部の新設や移転となると助成すると言われてもそう簡単にはいかない。
まず不動産に莫大な費用がかかる。新設ならば備品や人件費もそっくり上乗せとなる。そのうえ学生が集まらないとなれば既存の事業を含め死活問題となろう。
学校法人は私立であっても営利法人ではないが、赤字を垂れ流して存続できるわけがない。利益をあげていく必要がある。
だから私学はなるべく富裕層の子弟や自分達に有利に動いてくれる政財官の有力者の子弟を抱え込みたい。
「金で買えないものはない」という名言を吐いた人もいたが、学力より何よりお金が一番大事。(やっぱり対抗すべくといった感じになっちゃうんでしょうかねぇ?)

株式会社ならば利益を株主に分配するが、学校法人など非営利法人は出資者に利益を分配することが禁じられている。利益はすべて事業に還元しなさいということなのだ。
また株式会社の株券は売買されるが非営利法人ではそのようなこともない。
要するに株式会社などに比べると閉鎖的で第三者の干渉を受けない。
職員を縁故採用して手当や給与を高くする、縁故者に外注する、営利法人を別に作りそこと取引する形で利益を流す、公私曖昧に理事などが贅沢品を購入したり旅行したり遊んだり、利益で資産運用する、そのようなことがわりと自由に出来る。


お金が大事な人達が火中の栗を拾ったりなんかしない。経済的に勝算のない事業に無暗に手を出したりはしない。負け戦はしない。ある意味においては冷徹でシビアである。有力な私学伝統校ほどそれを実践してきたということ。だからこそ続いてきたのだ。
愛媛県今治市には42年も前(1975年)から学園都市構想があり、文部省の推奨もあって1983年から積極的に準備し動いてきた。
しかしその誘致に乗る大学や法人は皆無で、愛媛県今治市の学園都市構想は頓挫していた。
造成した予定地は荒れ果てていった(この部分は想像です)。


そもそも「公」に「私」を援助しろと言っても、「公」のどこにそんな余分なお金があるのだ?という話になる。
地方自治体自体が国から補助金を貰っている。
国は国で世界に類をみない大赤字国家の借金大国。
高齢化が進み、出生率は下がり、頼みの若者は故郷を捨てて都市部に集中。
家を捨て車を捨てて、コンピューターや携帯を手に入れコンパクトに、ある部分では健全に生活しているため、国や地方の財政力は弱体化。(もっとも1980年代はまだコンピューターや携帯の時代ではなかった)
やがて人口が減少していくことが予想されており、そうなればますます窮地に陥る。大学だって学生争奪戦となるだろう。
そんな時代に、どんな勝算を描いたのか知らぬが、大した税金も取れず利益を分配することのない大学の設置を自治体が援助するなんて理解に苦しむ。「経済効果」という雲を掴むような話に惑われてしまうのだろうか。


夏には日本一二を争う暑さに襲われる地域の、多くの子供達が通う市立小中学校の教室にエアコンがないのに、私学の立派な校舎設備やその運営に税金から補助金を出すと言ったら、「その前にやることがあるだろう!」と市民が怒るのは当然だと思う。
外国に通用する人材を育てて、その人材を東京あるいは外国に送り出すならば地元にいったいどんな恩恵があるというのか。なんのリターンもないのにどうして税金から私学に資金援助しなければならないのかと疑問を持つのも不思議はない。(県立ですけれども進学校だからエアコン代は自分達で出します・・?)
(これはローカルな話ですけれども)



「私立学校振興助成法」を施行し、文部省が自治体に私学助成を推奨したが、既存の私学は冷徹でシビアな面を持ち、勝算ない新設にはなかなか踏み切らなかった。
そこで次なる策が打たれた。
1991年、国(文部省)は大学設置基準を大幅に緩和したのである。
この時の首相は海部俊樹。早稲田大学卒で竹下登など早稲田大学出身者と親交が深かった。
初当選以来、三木派に所属し、三木武夫の秘蔵っ子として知られていた。
代表的な文教族であり、福田赳夫内閣と第2次中曽根内閣で2度文部大臣を務めている。
リクルート事件で有力政治家が謹慎している中で、極端な世代交代を避けたかった竹下が、「時計の針を進めず、戻さず」として年齢の割に当選回数があり、かつ同じ稲門会(早稲田大学)として近い関係にあった海部を首相にする構想を打ち出したことから、思いがけず総理総裁の座が転がり込んできた(派閥の長である河本敏夫も総裁候補の一人だったが、高齢などのため見送られ、河本は海部を支える姿勢を明確にした)。



大学設置基準の大綱化
日本で1991年(平成3年)におこなわれた大学設置基準等の改正を指す。これにより文部省の大学に対する規制が緩和された。

文部省が大学の設置を認可する際の基準である大学設置基準では、大綱化以前は、「学部の種類は、文学、法学、経済学、商学、理学、医学、歯学、工学及び農学の各学部、その他学部として適当な規模内容があるとみとめられるものとする」と規定され、旧制大学の学部名称が基本とされていたほか、カリキュラムについても、一般教育科目、外国語科目、保健体育科目及び専門教育科目の区別を定め、それぞれについて、卒業に必要な単位数(一般教育科目36単位、外国語科目8単位、保健体育科目4単位、専門教育科目76単位の、計124単位。)を定めていた。

また、学士の名称については、学部名に応じて、文学士、理学士等29種類が定めており、それ以外の専攻の名称を名乗ることは認められていなかった。

しかし、大学進学率が向上し、高等教育の規模が拡大する中で、旧制大学を規範とする大学制度では、多様な社会のニーズに対応できなくなったことから、1984年(昭和59年)に設置された臨時教育審議会は、1986年(昭和61年)の第二次答申で、高等教育の個性化・多様化等を求める答申を出した。この後設置された大学審議会の答申を受けて、1989年(平成元年)の大学院設置基準の改正、1991年(平成3年)の学校教育法等の改正、同年の大学設置基準・学位規則の改正等が行われた。このうち、1991年の大学設置基準の改正により、大学に対する規制は大幅に緩和されることとなった。

大学設置基準の改正により、まず学部名称については、「学部は、専攻により教育研究の必要に応じ組織されるもの」とし、例示を廃止した。
また、カリキュラムについても、一般教育科目、外国語科目、保健体育科目及び専門教育科目の区別を廃止し、卒業に必要な単位数は124単位で変わらないものの、科目区分と単位数の設定は、カリキュラムにより、各大学が自由に設定できるようになった。
さらに、学士の名称が「学位」の一種に位置付けられる(学校教育法及び学位規則の改正による)とともに、名称も「○○学士」の表記から、「学士(○○学)」の表記に変更し、「○○学」の表記もカリキュラムにより大学が自由に設定できることとされた。

これ以降、国公私立大学を問わず、各大学で改革が行われることとなり、情報・環境・国際・地域・総合・政策等のキーワードを組み合わせた様々な名称の学際的な学部が新設、又は既存学部の改組により設置されることとなった。学部名称は、1979年の69種類から、現在では500種類以上に増加することとなった。これに伴い学位の名称も多様化し、700種類以上に増加した。

また、教育科目の区分の廃止に伴い、多くの大学で一般教育科目の削減が行われることとなり、一般教育科目・外国語科目・保健体育科目の教育を担当する教員が所属する「教養部」は改組されることとなった。結果として、新制大学設置の際、旧制大学に統合された旧制高等学校・旧制大学予科に由来する存在であった「教養部」は、国立大学においては東京医科歯科大学以外の全てが廃止された。

この他、授業評価や自己評価システムの導入なども含め、これ以降、日本の大学は大きな変革期に入ったが、これらの変化のきっかけについては「大綱化以降」と称される。













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# by yumimi61 | 2017-09-17 21:54
2017年 09月 17日
日本国憲法の秘密-557- (加計学園問題について)
日本で最初の学園都市構想は筑波(つくば)である。
中心となった学園は国立筑波大学である。
筑波大学の前身は東京教育大学で、その前身は東京師範学校。
明治初頭の1872年に文部省によって創立されており、東京大学の母体となった学校や慶應義塾大学の母体となった学校に次いで古い学校である。(東大以外の旧帝大や早稲田大学よりも古い)


筑波大学の母体となった東京教育大学の本部は文京区にあった。
文京区大塚に本部の他、教育学部・文学部・理学部が存在していた。
目黒区駒場に農学部、渋谷区幡ヶ谷に体育学部がそれぞれあった。
東京大学と東京教育大学という国立一期校(旧入試制度による区分)の本部はともに都心である文京区に存在していた。
都心における総合大学はそうでなくても手狭なのに、然程大きくない同じ区に似たような大学が2つ存在する。この2つの大学を離したいという理由が学園都市構想の裏には存在したと思われる。
そして茨城県筑波市に追い出される学校は東京大学ではなく東京教育大学のほうだった。


東京師範学校(東京教育大学・筑波大学の前身)学校創立のキーマンは森有礼(薩摩藩出身)であり、アメリカの影響を強く受けた学校だった。また森有礼と新島襄(群馬出身で同志社創立者)はアメリカで知り合い旧知の仲であった。
明治期は薩長閥が仕切っていた時代だが、東京大学は伊藤博文(長州藩)が設立しイギリスの影響を受け、一方の東京教育大学はアメリカの影響を受けた。
どうしても英米や薩長閥と一緒に括ってしまうが微妙に隔たりがあることも確か。そもそも薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は犬猿の仲だった時代もある。(それを結びつけたのが土佐藩・高知)
この微妙な繋がりと隔たりは私大の慶応義塾大学(福沢諭吉)と早稲田大学(大隈重信)にも見られる。
早稲田大学と同志社大学には医学部がない。どちらも歴史ある古い学校であるにもかかわらず。
(早稲田理工出身の小保方STAP事件は早稲田大学の医学部認可蹴落としに一役買ったと見ることだって出来なくはない)


世界の科学技術に追いつき追い越すため、国際色豊かな街に、それが学園都市構想の表立った理由である。
1985年に筑波市で科学万博が開催されたことがそれを証明している。
筑波(つくば)市に集まるのは理系の研究機関や企業の研究所である。
また東京教育大学のほか1897年創立の国立東京外語国大学も移転させる案があった。言い方を変えると東京外語国大学も都内から追い出したかったということになる。

東京教育大学では教授学生ともに猛烈な反対運動が巻き起こった。
移転によって首都に存在するというブランド性と利便性を失う。
それだけでなく職場や学校が移転するということは家や家族など個人的な事情や経済的損失も伴う。
折しも学生運動の時代。超大学派による反対運動になったっておかしくはない。
また理系重視の学園都市構想であったため東京教育大学では文系の反対が大きかった。どうしたって文系の軽視に繋がるからである。

筑波学園都市構想は政府主導で行われたが、閣議決定された時の首相は池田勇人(広島県出身)。

●池田勇人(1899年生まれ)広島県出身 ・・吉田茂の舎弟
大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角をあらわし、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。1960年に首相に就任した。


○永野重雄(1900年生まれ)広島県出身 
新日鉄会長、経済同友会創立者で会長。“戦後の財界のドン” 財界四天王の1人
全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。 会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
ショーン・アイゼンベルグを紹介されスクラップ工場設立に協力した。アイゼンベルグが結婚したのは永野の娘という説もある。
アイゼンベルグらはイギリスに麻薬貿易に貢献したサッスーン一族を殺して麻薬販売網を力ずくで奪い取った。

【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長)
永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)

○加計勉(1923年生まれ)広島県出身
池田勇人(1960-1964年首相)が中学の大先輩にあたり親交があった。
その関係で宮澤喜一(1991-1993年首相)の後援会長も務めていた。
1955年予備校・広島英数学館を設立。
1961年、岡山県岡山市半田山の山麓(現在の岡山市北区理大町)に学校法人「加計学園」を設立⇒岡山理科大学



筑波学園都市構想の真の狙いは表向き理由ではなかったと考えられる。
わざわざ新しく造る都市なのに、中心となる学園(筑波大学)の近くまで線路を引いて駅を置かなかったことがそれを証明している。



地図の紫マークが筑波大学。
広大なキャンパスでありキャンパス内でさえ徒歩移動は難しい!?
赤マークがつくばエクスプレスの終着駅「つくば」。

前川・前文科省事務次官は前川製作所の創業一族であると書いたが、実は前川製作所の守谷工場がつくばエクスプレス沿線にある。関東鉄道沿線でもある。緑マークのところ。
乗り換えるといろんな所に行ける良い場所にありますね。
常磐自動車のインターもかなりお近いですね。
まさか前川製作所だけのためにつくばエクスプレスや常磐自動車道を造ったのではないと思うけれど・・・
守谷工場が前川製作所のマザー牧場工場なんだそうだ。1970年操業。



愛媛県今治市の学園都市構想は筑波学園都市構想よりも遅く、こちらは県や市が主導となって進められていた。
しかしその構想には文部省が関わっていたと思われる。
なぜなら文部省は1980年代以降に自治体が土地を無償提供したり補助金を給付するなど資金援助をすることによって私立大学を誘致することを推奨していたからだ。


この文部省の推奨の根拠となる法は1976年に施行された「私立学校振興助成法」である。
国や地方公共団体が、学校を設置する私立の学校法人に対して、私立学校振興助成法施行令の定める基準に従って、あるいは国会の議決や地方議会の議決を経て、助成することが出来るようになったのだ。
但し助成を受ける学校法人は、文部科学大臣または都道府県知事に経営状況の報告を行うなど所定の監督に服さなければならない。
法律が制定された時の首相は三木武夫(徳島県出身)である。

森&安西&鈴木コンビが設立した昭和電工と東信電気。
森家は首相家(三木武夫)と姻戚関係にある。
安西家は皇后の実家や首相家(佐藤栄作)と姻戚関係を結んだ。

三木武夫は吉田茂の官僚政治を批判するも、吉田茂に非常に近く元官僚でもある岸信介や佐藤栄作のが政権誕生に力を貸していた。
三木は、吉田学校の生徒の1人に数えられる田中角栄が逮捕された時の首相である。
「私的参拝」と言って靖国参拝し物議を醸した。
そしてー
超法規措置としてテロ犯を釈放した首相でもある。


私学助成法に大きな問題がある。
国民という視点で語れば公立学校に通う子供も私立学校に通う子供も同じ国民であるが、私立の学校は経営者や出資者という個人の損益に直結している。
限られた個人の利益のために公費(庶民の税金)を投入することが妥当なのかという問題である。
「公」とは何か?「私」とは何か?
国立大学に関して言えばもはや国立ではなくて教職員も公務員ではないが、未だに「税金で学校に通わせてもらっていることを自覚しろ」とか「税金で高い給料もらっているくせに」とか言われたりすることがある。
その一方、私立学校に助成金が入っていることや私立学校教職員は年金なども待遇が良いことを知らなかったりする。
あるいは知っていても知らんぷりなのか。

公務員は民間企業に比べると給与の男女差が少なく、非常に安定して昇給する給与体系となっている(昔ほどではないと言うが)。
成果を上げずとも(実力主義ではなく年功序列が基本)大きな問題さえ起こさなければ給与は上がっていって高い退職金を手にして老後も安心。
なんだかんだ言っても公務員はなってしまえば美味しい職業だと言われる。(だから、あなたも公務員になれる!とか言って自衛隊員を募集したりもする)
民間企業に比べると女性が産休や育休を取りやすく(職場復帰しやすく)、定年まで働きやすい。
教員の場合は産休育休代替制度が古くから整っている。(教育委員会の地域機関である教育事務所が登録制にてピンチヒッターを請け負う人を確保していたりするから)。
こうしたことから公務員に厳しい目が向けられたり、非難の対象となったりすることは昔からあったこと。
公務員の教員が優遇されるならば、同じ仕事をしている私学の教員にも同じ待遇を!ということなのか知らないが、「公」と「私」の問題は「国家とはなにか」という問題にも通じる。

ともかく文部省は1980年以降積極的に「公」は「私」を援助しなさいと推奨していた。
その理由の1つとして挙げていたのが一極集中回避と地方活性であったが、それも表向きの理由に過ぎず、ただ単に限られた「私」の利益に貢献することが目的だったのだろうか。







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# by yumimi61 | 2017-09-17 13:46
2017年 09月 15日
日本国憲法の秘密-556- (森友・加計学園問題について)
森友学園問題は少し本気で調べれば分かりそうな不正が放っておかれ、籠池夫妻だけを詐欺容疑で逮捕するなんていう暴挙によって有耶無耶にしようとしている。

さて加計学園問題に戻ろう。

犬猫も家畜も減少傾向にあり、今後増加するとも思えず、獣医師の需要増は見込まれない。
国際的にも日本の獣医師数は家畜数に比べると多いという状況にある。
従って獣医師養成を目的とした獣医学部を新設する理由などどこにもない。


加計学園の獣医学部新設が計画されているのは四国の愛媛県である。
四国は畜産業(家畜飼養)が盛んな地域とは言えない。
では犬猫はどうだろうか。犬猫飼育数のトップ10は人口トップ10とほぼ同じであり、四国では愛媛が一番多くて全国26位。
もちろん学生は大学が所在する地域にのみ就職していくわけではない。
しかし大都市圏ならともかく地方に存在する大学ではやはり就職先も地方色が強くなる。
また実習を伴う学部は実習先・実習地を考慮しなければならない。
それを考えると四国の愛媛県に獣医学部を新設しなければならない理由は特段ない。

加えて残念ながら日本各地から学生を集めるのには大層不利な環境にある。

加計学園が獣医学部を新設する目的は、「創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進」である。
昨今は研究や開発や新技術と言えば何でも許されると思っている。
採算性は度外視。狂っているとしか思えない。
どこから湯水のように資金が湧き出てくるのか?北朝鮮然り。


多様な実験動物を用いたライフサイエンス研究などと言うと、大変デリケートな問題にも発展するだろう哺乳類など大型動物を使った実験を想像して暗然たる気持ちになったりもする。

加戸守行・前愛媛県知事は「加計ありき」を否定していない。

「10年の後れを取り戻す大切な時期だと、そんな思いできょう、参上させていただいたわけでありまして、そのことがらはそんな意味での地方再生、東京一極集中ではなくて、地方も頑張るんで地方も国際的拠点になり得るんだよと。そういうもののモデルケースとして、愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


12年も前(2005年)から安倍首相の友人である加計学園の理事長は獣医学部を設立を考えていた。
12年も前どころか、愛媛県と今治市が大学誘致(学園都市構想)を目指し始めたのは42年前の1975年のことである。
1983年には建設予定地の土地造成し、以後大学誘致目的でお金を積み立ててきたという。

学園都市構想というとまず筑波(つくば)市を思い出すが、筑波の学園都市構想は1950~1960年代に始まった。
筑波は果たして学園都市として成功したんでしょうか?あまりそんなイメージはないですが。
筑波の良さは電車1本(つくばエクスプレス)で1時間以内で都内と繋がること。止まる駅が少なく電車がスピードを出す。初めて乗った時はスピードに伴う(?)何とも言えない(あえて言うならば分解してしまうのではないかと思うような)独特の電車の振動に心底恐怖を感じたくらい。
駅から大学は歩いて行ける距離ではなく大変不便。駅から離れた研究施設なども同じく。学生ならともかくややくたびれた出張サラリーマンが人気の少ない通りのバス停で佇んでいる姿を見るとこれも何とも言えない気持ちになる。
ただつくばエクスプレスの駅周辺など沿線はそれなりに開けて恩恵を受けたと思われる。
学園都市としての恩恵なのか、つくばエクスプレスの恩恵なのか・・。
日本の国章と筑波大学の校章と瑞穂の国小学校(森友学園)の校章はそっくりである。

筑波学園都市構想の中心となったのは国立で伝統ある筑波大学であり、国家主導で進められた構想である。
愛媛県今治市の学園都市構想は筑波学園都市構想よりも遅く、こちらは県や市が主導となって進められていた。
しかしその構想には文部省が関わっていたと思われる。
なぜなら文部省は1980年代以降に自治体が土地を無償提供したり補助金を給付するなど資金援助をすることによって私立大学を誘致することを推奨していたからだ。
愛媛県と今治市はまさに文部省の推奨どおりのことをしたに過ぎない。
この時代の愛媛県の学園都市構想にどれほど関わったのか、あるいは全く関わっていないのかは不明であるが、加戸・前愛媛県知事は愛媛県出身である。1980年代には文部省の官僚であった。そして前川・前文科省事務次官は部下だったそう。
文部省・文科省の組織体系が分からないけれど、上司部下という関係はどれくらいの密度なんでしょうか?
あといつの時代の上司部下関係なんでしょうか?

加戸・前愛媛県知事は文部官僚1970~1980年代に文化庁でお仕事されていたような職歴記述も見られるのだが、私は文化庁にあまりよいイメージを持っていない。
何故かと言うと、心理学者の河合隼雄が文化庁長官になり、文部科学省が全国の小中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わっていたから。
河合隼雄には経歴詐称などあまり良くない噂があった。

以前、河合隼雄は高校教師の在職中に夜間大学院に通っていたと書いたが、どうも夜間ではなくて昼間の大学院らしいという情報もある。

臨床心理学者・河合隼雄の異常性
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/760.html

なにしろ、河合は自分の経歴を隠そうとしているので、はっきりしない点があるのだ。河合が京大教授だったことを知っている人は多いだろうが、天理高校教諭やその在職中の大学院通学や天理大学教授だったことはあまり知られていないだろう。ただ、在職しながら大学院に通学していたことは確かである。高校(奈良の天理高校)教諭の身分を保ちながら昼間の大学院にも籍を置けるものかどうか分からないのだけれども(物理的に果たして可能なのだろうか)、こちらの情報(昼の大学院)のほうが正しいとすれば、河合は尚更悪いということになる。天理高校には15年間も在職していたらしい。その在職中に大学院に行きたくなったようだ。おそらく、「本校天理高校の生徒指導に役立てたいので、大学院に行かせてほしい」と申し出たのだろう。そうして、大学院を修了するや、その年のうちに天理高校を退職している。これは詐欺だ。天理高校では、河合が大学院通学中には、担任・校務分掌・学年関係の仕事や授業時間で配慮していたわけだから。
河合がカウンセラー・臨床心理学者になることができ、こんにちの河合があるのも、天理高校在職中に大学院に通学していたからである。いわば河合のアイデンティティの根本には、大学院通学に際しての天理高校の配慮がある。ところが、河合は自己の経歴から天理教関連の学校を排除したがっているように見える。天理教は、河合にとって恩人といってもよいにもかかわらず。
このように倫理観の欠如している者が中教審の委員になって国の教育行政にタッチし、果ては「心のノート」などという道徳の教科書に類するようなものを作成するのは問題ではないだろうか。これこそ偽善というべきだろう。


河合隼雄は兵庫県出身。天理高校や天理大学が奈良県天理市にある。晩年も奈良県天理市で暮らしていたようだ。
この河合隼雄に、傍から見る異常なほどまでにと言いたくなるくらい傾倒していたのが兵庫県出身の村上春樹だった。
私は心理学者への傾倒に嫌悪感すら感じるという記事を書いたことがある
その記事で臨床心理士についても触れている。
一般の方はご存知ないかもしれませんが、臨床心理士という職種は現在でも国家資格ではありません。
国家資格化しようとの動きもありますが、今のことろ、文部科学省認可の財団法人が認定する民間資格です。(そこがよかったのかしら?)
(まぁそれに国家資格があればいいってものでもないですけれどね)


民間資格なのに自衛隊では何故か給与が他よりも良いという待遇だった・・・。
実はその後、2015年9月16日に公布された公認心理師法に基づく国家資格「公認心理士」が誕生した。
公認心理師法は、文部科学省と厚生労働省の両省が管轄している(共管)。

2014年4月にもSTAP小保方関連で書いた。
小保方晴子さんのお母さんと言われている方が小保方稔子さん。
お茶の水女子大学大学院にて修士号を取得。臨床心理士の資格(民間資格)もお持ちのようだ。
以前に慶應義塾大学からお茶の水大学大学院に進学と書いたが、それはお姉さんだったようで、お母さんの出身大学は不明。
現在は帝京平成大学健康メディカル学部教授および大学院健康科学研究科教授。
こちらの大学は教授要件に博士の学位は必要ないようだ。
帝京平成大学は帝京大学グループ内にある。
帝京大学が国会議員に献金していたという話はこちらに。(亀井氏は元警察官僚。徳洲会創設者の息子・徳田毅の媒酌人もした)

ともかく「心理学」が身近な一族であるようだ。

繰り返しになるが、心理学と言えば、村上春樹さん(早稲田大学)が崇拝した河合隼雄(京都大学)なのである。
河合さんは2002年に文部科学省文化庁長官に就任した。
「心のノート」なるものを教育現場に導入したのが河合長官であった。
その他にも「関西元気文化圏」「九州・沖縄から文化力」といった構想を持っていた。
自身が兵庫県出身だったせいか西の地域により愛着を感じていたようだ。
そういえば村上春樹さんも兵庫県神戸市の出身だった。同郷のよしみもあるのだろうか。

今回の騒動を河合・村上両氏に関連する下記観点で見てみた。(オウム真理教との関連は本の出版。その本の出版社が講談社。村上『ノルウェイの森』も講談社で、河合も講談社からの出版がある)

●河合隼雄・村上春樹
兵庫県、心理学、京都大学、早稲田大学、オウム真理教、講談社、、、

【兵庫県関連】理研CDB、野依理事長、豊田亨(元オウム真理教の科学技術省次官で地下鉄サリン実行犯)、神戸製鋼(元オウム真理教の科学技術省大臣・村井秀夫)、阪神大震災、人工地震(オウム真理教の主張)
【心理学関連】文部科学省文化庁、小保方稔子、小保方晶子
【京都大学関連】山中教授、野依理事長、笹井副センター長、青山吉伸(元オウム真理教の弁護士)
【早稲田大学関連】上祐史浩(元オウム真理教の外報部長)、TWIns、小保方晴子
【講談社関連】小保方晴子(講談社が絵本宣伝に名前を使用)、音羽グループ、光文社(『検死秘録』『葉隠入門』『週刊宝石(獄中ラブレター)』)、小保方宇三郎(元光文社社長・群馬県出身)、野間佐知子(元講談社社長・2011年3月に逝去)


帝京平成大学は帝京大学グループと書いたが、帝京大学は2011年に公衆衛生の学位を出せる大学となっている。
国立大学から唐突の私立大学といった感じであった。
帝京大学もあまり良い噂を聞かない。

公衆衛生大学院設置大学も前回書いた時よりも増えている。
(前回は帝京大学までだった)

2000年度開校
##京都大学(大学院医学研究科社会健康医学系専攻)

2001年度開校
##九州大学(医学系学府医療経営・管理学専攻)

2007年度開校
##東京大学(大学院医学系研究科公共健康医学専攻)
##大阪大学(大学院医学系研究科医科学修士社会人コース)

2008年度開校
##長崎大学(大学院国際健康開発研究科・国際健康開発専攻)
##筑波大学(大学院人間総合科学研究科・フロンティア医科学専攻)

2011年度開校
##帝京大学(大学院公衆衛生学研究科)

2014年度開校
##岡山大学(大学院医歯薬学総合研究科・医歯科学専攻)

2015年度開校
##東北大学(大学院医学系研究科・公衆衛生学専攻)
##広島大学(大学院医歯薬保健学研究科・医歯科学専攻)
##慶應義塾大学(大学院健康マネジメント研究科・公衆衛生プログラム



















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# by yumimi61 | 2017-09-15 23:32
2017年 09月 15日
日本国憲法の秘密-556- (森友・加計学園問題について)
有価証券の種類の中には債権証券と社員証券がある。
手形、小切手、国債、地方債、社債などは債権証券である。
商品券や図書券も債権証券に含まれる。
つまりお金や物に換えることが出来る券のこと。
これらの券を持っている人は誰かに「貸し」があるということなのだ。
これらの券を発行した人は誰かに「借り」があるということである。
貸した人が誰であるかは特定されていない。券の所有者が変わっても構わない。要するに券の売買が可能である。
また返済に関してのルールはややルーズであり、貸した人が返してほしいというアクションを起こさなければそのままとなってしまうし、期限内に換金しなければ無効となってしまうものもある。

すでに何度も述べてきたが、紙幣は債券である。
日本銀行券という債券を発行した日本銀行は「借り」を保有している。日銀の借金の証が紙幣である。
日本銀行の借りたいものが何かと言えば本当はゴールド(金)なのだ。
ゴールドという普遍な価値の後ろ盾があるからこそ国債も成り立つ。
債券と債券を交換し合ったって意味がない。普遍的な価値が欲しい。
価値が同じものでは保証(安心材料)にはならない。この場合の価値とは価格のことではなく種類のことである。
だからこそ土地は優良な担保となり得る。

 ゴールド⇔日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券
 
しかし現代ではゴールドの部分が抜けている。だからおかしなことになる。
最近ではこれも崩れているようだが、かつて日本銀行は国債を買うために紙幣を発行すると言われてきた。

 日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券

債券と債券だけの交換では意味がない。
日本銀行が普遍的な価値を持っていなければ保証や後ろ盾にならない。
ゴールドに代わり日本銀行が借りたい普遍的な価値とは何か。ひょっとして土地なのか?
 
 国土⇔日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券

国債も債券である。国は日本銀行債券(紙幣)を借りた。
貸したという証の国債証券を持っている人に対して時期が来たら日本銀行債券(紙幣)を返済しなければならない。
日本銀行が国債を持っているならば、国は日本銀行にだって返す必要がある。
しかし一方日本銀行は自行で発券した債券の返済を行わない。
貸した金は返してもらって、借りた金を返さなければ、日本銀行だけが膨らんでいく。
もっとも上に書いたように日本銀行が借りているのは金ではなくて土地かもしれない。

貸したものを返してくれと言われたら発行者は応じなければならない。
紙幣の場合、本当は同等のゴールドが返されるべきなのだが、そんなにゴールドがないので「紙幣と同等の物品をお返しします」というルールになっている。
だけど日本銀行は物品なんか作っていない。日本銀行の借りを返しているのは日本銀行ではなく国民なのだ。
日本銀行の借りが堂々巡りしているだけなのだ。
日本の国土は誰のもの?確か国民に主権がありましたよね?
日本国民は国土を日本銀行に貸していて、日本銀行の代わりにあくせく働いて物品を返済しているのも日本国民、そういうことになるのでないか。


企業が発行する債券は債権証券であるが、株券は社員証券である。
財貨を支払ってもらう権利の証が債権証券であるが、社員証券は社員の証に過ぎない。
この場合の社員は従業員ではなく、従業員の証の社員証のことでもない。
従業員とは従う者であるが、社員は社に対して意見したり主張する権利を持つ同等な立場にある。
その代わり、株券と引き換えに出したお金は戻ってはこない。
「社に対して意見したり主張する権利」や「儲かった時に分け前をもらう権利」を買ったと考えるべきものである。
株券に限らず出資とはそういう類のものである。
会社は資金に余裕が出来たとしても出資金を勝手に株主など出資者に返してはならない。
何故かと言えば、会社は出資金をベースに成り立っているからである。
いわば出資金が普遍的な価値なのだ。
その保証があるからこそ金融機関や他の会社から取引に応じてもらえる。
お金が無いからお金を出してもらうという借金の側面があることも確かだが、自己資金と出資の大きな違いは実はここにある。
自己資金と出資金は同じお金でも種類が異なり、出資金は保証に成り得るということ。
大きな仕事をしようと思ったり、大きなお金を動かそうと思ったら、やはり保証は大事。
小銭だったら誰にでも簡単に貸せるけれども、大金だったらそう易々と誰にでも貸せない、それと同じこと。
株式会社にはそういう意味合いがある。
前にも書いたと思うけれど、外国ではクレジットカードが身分を保証したりする。
いつも自己資金で生活しているほうが良いだろうと思うかもしれないが、カードで購入したりローンをしたことがない(借りを返さないのはもちろんダメだけれど)なんていう人は信用されなかったりするのだ。

以上のように融資と出資は違う。融資は返還義務があるが出資にはない。
だけど出資者は債権以外の一定の権利を持っており、これが他者に対して保証の側面を持っている。
保証があるからこそお金を出してもらった人は他の人から取引に応じて貰える。
寄付や給付にも返還義務がないが、こちらはお金を出した人の権利は特にない。つまり他者に対する保証にはならない。
(返還型奨学金と給付型奨学金はこの部分を考える必要があるだろう)

融資
お金を貸す(融資する)のは主に銀行。
お金を借りるのは大小さまざまな企業であり個人。
借りる者に対して銀行による厳しい審査がある。
但し銀行のお金というのは元を正せば誰かから預かっているお金。
預けてもらって貸し出すのだから銀行は最初から自転車操業している。

債券
お金を貸すのは個人や企業。
お金を借りる(債券を発行する)のは国や地方自治体や企業など。
借りる者(発行する者)に対して銀行や証券会社による引き受け審査がある。

銀行での資金調達
1年以内の短期資金- 割引手形、手形貸付、当座貸越
1年以上の長期資金-証書貸付、支払承諾
※長期資金のほうが審査が厳しい。一般的に融資といっているのは証書貸付(担保をとっての契約書よる融資)である。

※支払承諾は銀行が保証料を取って支払いを保証するものである。審査はさらに厳しいはず。
例えば森友学園の学校建設が藤原工業に発注された。藤原工業は請け負いたいのはやまやまだが、金額も大きいし森友学園の財務状況や支払い能力にやや不安を感じている。そんな時に銀行が森友学園の保証人になってやるということである。契約は銀行と森友学園の間で交わされる。この時に限度額(保証額)が設定されると思う。森友学園は銀行に保証料(保証額の0.2~0.5%程度が相場らしい)を支払う。
万が一支払いが滞った時には森友学園に代わって銀行が藤原工業に支払わなければならない。そんなことが実際あったら銀行は儲からないから支払いはまずないという前提に立ったものであろう。普通に考えたって明らかに怪しく危険な人の保証人にはなりませんよね?



日本銀行にお金を預けるとお金を徴取します。徴取されたくなかったら市中銀行はもっと国民にお金を貸し付けなさいというのがマイナス金利。
市中銀行は国民の親兄弟や親戚なわけではなくビジネスである。
何の保証もなくホイホイと貸し付けるわけにはいかない。金額が大きくなればなるほど尚更の事。
大金を長期で貸す時には、本当に返してもらえるんだろうかと審査し吟味し、金利を乗せ、さらには抵当権を設定した後に貸す。
どうしてか?それは他者のお金を預かっているからだ。そしてそれは銀行の存続にも直結することである。
貸したお金が返ってこないことで銀行がつぶれることもあるし、そうでなくても返せない人にバンバンお金を貸している銀行では信用が落ちる。
信用が落ちるということはお金を預けたくなくなるということだ。
金融機関は銀行以外にもあるが、銀行の一番の強みは信用であろう。
普遍的な価値に近いところにいるのが銀行であり、銀行の信用を支えているのは厳しい審査であったりもする。
要するに銀行は厳しい審査を簡単に手放すわけにはいかない。
厳しい審査を手放せば預金者が減る。
この世の中に審査を通る人が減れば必然的に銀行の融資だって減る。
また抵当権設定なしに大口の融資に応えるわけにいかない。
だけど抵当権が設定できる物件は次から次へと溢れ出てくるわけではない。(日本の)土地は基本増えないのだ。
2番手3番手での抵当権設定では心許ない。
こうなれば貸したくても貸せない。貸す相手がいないということになる。企業の資金調達方法は銀行の融資だけでなく株式や社債で増資することも可能である。
日本銀行がマイナス金利にして貸し出しを増やせと言っても増やせる環境になければ市中銀行は貸し出せない。市中銀行につぶれろと言っているようなものである。
それに金利を下げて物価が上がるわけもないと思うけれど。












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# by yumimi61 | 2017-09-15 11:45
2017年 09月 13日
912
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1988912 その夜きみは
15歳になって
築き上げたものが あっけなく崩れていくのを その目に焼き付けて
上手く歩けない日も 早く走れない日も あったけど
それでも一歩ずつ また一歩ずつ きみは
きみは

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# by yumimi61 | 2017-09-13 00:18
2017年 09月 12日
日本国憲法の秘密-555- (森友・加計学園問題について)
前記事に「最初に(森友学園は)土地9.5億、校舎7.5億と計画していた」と推測し、抵当権との関係から3つの契約書があった理由を考えたが、ひとつ大きな問題がある。
森友学園は当初土地を定期借地契約にしていたことである。
この契約で工事に着手し、基礎工事の段階で埋設物が見つかって、売買契約に切り替えた。
学校を借地に建設することは禁じられているらしく、そうだとすれば本来認可は下りない案件である。
だからこそ、土地を10年以内に買い取るという条件を付けたのではないだろうか。
この条件契約が合法なのかどうか、誰にでも適用されるものかどうかは分からないが、少なくともこの条件がなければ出来ない契約だったのだろうという推測は立つ。

(9月10日の記事にも転載した朝日デジタルの報道)
国有地は国土交通省大阪航空局が管理していた8770平方メートル。財務局は2013年に売却先を公募し、森友学園が小学校用地として取得を要望。学園が10年以内に買い取るとした定期借地契約が15年5月に結ばれたが、基礎工事の掘削中に「地下に埋設物が見つかった」と連絡してきた学園と財務局との間で、16年6月に売買契約が結ばれた。

人から借りた土地を抵当に入れるわけいかない。そんなことがまかり通るわけがない。だから森友学園は小学校用地を担保に融資してもらうことはできない。
建物を抵当に入れるには完成していなければならないため、こちらもすぐに融資(振込み)してもらうことはできない。
ということで、森友学園は小学校の建設工事の代金を完成まで自分で用意しなければならない。(他の所有不動産を抵当に入れて融資してもらった形跡は登記事項で分かる)(自分で用意と書いたが建設費の融資が銀行の審査を通っていればつなぎ融資なども銀行が指南してくれると思う)


最初に計画していた建設費7.5億円を3回に分ければ1回は2.5億円。(とはいっても必ず3回と決まっているわけではない。それは契約による)
着手2.5億円と中間2.5億円で5億円である。
5億というのは藤原工業の「5億しか支払ってもらってない」という主張に一致する。
この主張が正しければ森友学園が少なくとも5億円を自力で用意したと考えられる。
5億しか支払われなかったのは、完成間近となったが工事が行われなくなったので最後の2.5億円の支払いを森友学園が拒否したか、支払いが行われなかったので工事をストップしたかのどちらか。
最終段階なので建物を早めに引き渡してもらって登記すれば融資が実行されるから、ここまできて急に支払いに困窮するというのは腑に落ちない。
土地売買契約後は土地を担保に融資してもらうことが可能になるので業者への支払いは却って余裕がでる。
もっともその前の5億円をどうやって調達したかにもよるが。 


最初の契約が15億円説もある。
これを3回に分ければ1回の支払いが5億円。
着手時の5億円しか支払ってもらっていないということになる。
しかし中間支払いがなければその先の工事は普通は進めないはずである。
藤原工業がまともなら校舎が完成間近だったということがおかしくなってしまう。


契約が7.5億円で、藤原工業も7.5億円で工事を進めたとする。(それが正解だとする)
そうとなると、23億円の契約が正しいと証言したキアラ建築研究機関が嘘を付いていることになる。
15億円で契約して実際には21億円かかったと証言した藤原工業も嘘を付いていることになる。



国と森友学園の土地契約が定期借地契約だったということにはさらなる問題がある。
定期借地契約の定期とは「期限が定められている(有限)」という意味である。
定期の付かない借地契約では、期限を定め満了したとしても自動的に更新されてしまう。
借り賃の支払いが滞っていたり、よほど問題のある使い方をしていない限り、貸主は「もう退去して」というアクションを起こしにくい。
問題があって退去を要求したとしても素直に応じてくれるとも限らない。
強制撤去するなんてことはかなりハードルが高くなる。
ずるずるとした関係では貸主の立場は強いようで弱くなってしまうのだ。(金払えば文句ないんだろう!的に凄まれたりして・・?)
そういうトラブルを避けようと思えば地主は最初から土地を貸すのを避ける。そうなると優良な土地の有効利用が出来ない。
断っても貸せ貸せと迫られるかもしれない。
ということで、国によって定期借地権という制度が導入された。
契約期間を終了したら借主は貸主に土地を返されなければならないと法的に定めたものである。更新はない。

定期借地で学校運営するということは、100年も200年もその場所で子供達を育て子供達を送り出そうと考えてはいないということになる。
校舎建設に何億円もかけても、壊すことが予定されているということになる。
学校経営は校舎を作ったり壊したり、新たな場所に移したりできるほど利益のあがる商売なのか。
または理念的にも不味いだろう。瑞穂の国が笑う。
「すぐには買えないけれどいずれ土地を買うから」と言うしかない。
貸す側も同じである。学校を建てると言っている人に土地を貸すわけにはいかないのだ。


法的に定められた定期借地契約(定期借地権)には3種類ある。

1.一般定期借地権
一般の人が借地に家を新築するための制度。
期間は50年以上で契約される。
期間満了後は更地(建築物のない土地)で返却する必要がある。
借主が貸主に建物を買い取る要求をするのも禁じられている。
契約は文書にする必要がある。(口約束は無効)

2.建物譲渡特約付借地権
期間は30年以上で契約される。
期間満了後に建物ごと返却する制度。
土地借主は自分が建てた建物を契約満了時の相当の価格によって土地貸主に譲渡するという特約が付いているということ。
契約は文書である必要はない。(それは期間を経ると多くの場合、建物の価値は下がるため。また壊すにも費用がかなりかかるので建物持主にとってもすでに建物の価値は低くなっている)
トラブルを避けたければ文書にしておくのが無難。

3.事業用借地権
借地に建てられる建物は事業用の建物に限られる。個人のマイホームではダメ。
期間は10年以上20年以下で契約される。
この期間で撤退(退去)しなければならないということなので、短期間で収益が見込める事業が適している。
契約は公正証書で作成する必要がある。


国と森友学園が交わした10年以内に買い取るという条件での定期借地契約は上記の定期借地権に当てはまらない。
国有地は別に何か特別な取り決めがあるのだろうか?
もし無いとするならば最初の契約からして違法ではないのか。
事業が学校という性質上、本当ならば期限を切っていない借地契約のほうが良いが、学校建設は借地では不可という縛りがあるためやむを得ず買取条件での定期借地契約を利用したのではなかろうか。
つまり正当な契約でないことを最初から分かっていた。

買取前提の借地契約は実質的に支払猶予なのでは。
最初から売買契約ならば問題なかったものをあえて法を犯すようなことをしているのだから。
それは森友学園に便宜を図ったということに他ならないであろう。
こうなると埋設物があったという話も俄然怪しくなる。
土地価格の値引きを正当化させるための作り話。
でもあまりに値引き額が大きかったため怪しまれることになった。
なぜそんな怪しまれそうな値引き額を付けたかと言えば、やはり土地の抵当権設定だけで土地建物の金額を融資させるためだったのではないだろうか。
それが何を意味するかと言うと、森友学園は普通に銀行に融資を掛け合ったら審査に通らないということだろうと思う。要するに森友学園は建物建設の工事費を調達できない状況にあった。
だから土地を抵当に工事費も捻出させてあげた。

土地の価値(抵当権)のほうが建物より確実とはいえ、審査に通る状況ではない法人に対して土地代金を融資する銀行があるかどうか。
しかも背徳な取引がチラついている。
銀行がリスク回避すれば融資は叶わない。
そうなれば「鶴の一言」、権力者同士の手打ちが必要であろう。
何と言っても億単位の決済だから。
で、銀行はどこ?りそな?











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# by yumimi61 | 2017-09-12 12:31
2017年 09月 11日
日本国憲法の秘密-554- (森友・加計学園問題について)
国立公衆衛生院で学位を出していたが、国民に開かれた学院ではなかったので完全紹介制の一見さんお断りシステムなんだろうかと疑問を呈した。
森友学園の小学校の設計業者は京都のキアラ建築研究機関だそうだが、日本の観光地の代表のような京都は景観に煩いことも有名。
言い方を変えると、中味(現実の生活に即しているとか合理性や効率性、安全性など)よりも箱が大事。イメージの維持が重要。
神社仏閣とともに京都のイメージを形作っている祇園であるが、祇園と言えば花街。祇園と言えば舞妓・芸妓。
舞妓・芸妓のルーツは祇園社(八坂神社)に参拝する人をもてなす水茶屋の茶立女にある。
ちょっと昔風に言えば茶屋、甘味処、近代風に言えば喫茶店、今風に言えばカフェ。
そうしたお店で働く店員は、お店で歌を歌ったり踊ったり、三味線(ギターでもピアノでも良いけれど)弾いたりは致しません!(いい迷惑です。ねぇ?)
ギターやアコーディオン持参で「酒場」などを回り、客のリクエストに応じて演奏したり歌ったりするのは流しと呼ばれる方々です。

京都の花街で舞妓や芸妓がいるお店もお茶屋と言う。
こうしたお店は一見さんお断りで、馴染みの方の紹介がなければお店に入ることも出来ない。
つまり開かれていない。その開かれていなさを格式だとか言ってしまえばそれまでだが、一般に開かれていない場所なのだから「いったい中で何をやっているのか」と思われても仕方ない。
昔は舞妓というのは年端もいかない幼い女の子(処女)が入門して、旦那さん(夫ではなくパトロン)が付く際に性行為をすることが慣わしだった。それを水揚げと言った。
現代ではそういう風習は残っていないと言われていて、うっかり関東の人間がそんなことを言おうものなら猛反論されて「遊郭や花魁(娼婦)とは違う!」とかなんとか言われるだろうと思う。
でも京都にそういう歴史があったことは誰も否定していない。
歴史を重んじる京都での歴史・・・。
外国人には遊郭も祇園も花魁も舞妓も芸妓も芸者も細かい区別なんかつかない。まごまごすれば娼婦(売春婦)や慰安婦だって同じになっている。そのうちコスプレイヤーだって同類になるかもしれない。「コスプレ」だからいいものの「コスチュームプレイ」とか言うと怪しさが漂ってくる。

舞妓というのは近代のアイドルのような存在で、男を感じさせない初々しさが売りで色恋はご法度だった。
そうして何も知らない少女に大人のイロハを仕込んでいくわけである。
その醍醐味というかなんというか?
高く売るための「恋よりも芸」である。
昔は口減らしや借金のかたに祇園や遊郭へ少女が身売りされたことがあった。子を身売りしたのは親や親戚などだった。 一種の人身売買である。
近現代のアイドルというか芸能人というかタレントというかグラドルというか(このあたりの区別も明確ではありませんよね)だって、枕営業があるという噂は後を絶たない。
舞妓や芸妓が枕営業しないなんて言っても説得力がない。
そういうところにお偉いさんが足しげく通うのは問題ないのだろうか?

なんでこんな話をしたかと言うと、森友学園の小学校の外観が京都の祇園の「一力亭」に似ていたから。
祇園商店街のお店 一力亭


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法務局で登記事項証明書をとると登記してある内容が分かる。
他人の所有する不動産であっても住所(地番)が分かれば調べられる。
どこの法務局でもいいし身分証なども別にいらない。若干(数百円)お金がかかるだけ。
また法務局に出向かなくてもインターネットで登記事項を得ることもできる。
不動産の情報は丸見えで、借金なんていう個人情報もオープンになっているということなのだ。
本来は他人の借金を覗き見るのが目的ではないと思うが、不動産を抵当に融資する人にとっては大事な情報である。

上の見本は登記事項証明書の下半分。
権利部(乙区)と書いてあるところが抵当権設定で、どこから幾ら借りているか、利息はいかほどかなどの情報が記されている。
その下の共同担保目録というのは、セットになっている抵当(担保)。
例えばA銀行から3000万円の融資をしてもらうのに、土地と建物の両方を抵当に入れた場合にはここにその両方が記される。
一般庶民の新築住宅ローンの抵当では土地建物セットが多いが、抵当は住宅ローンだけとは限らず、建物と他の建物、この土地とあの土地という組み合わせもある。


マスメディアの方々はまず森友学園や籠池夫妻が使用している土地建物の登記事項を調べてみるべき。(普通に考えればそんなことはすでに行っていると思うが、それについての情報が出てこない)
建設業者である藤原工業が売却についての署名活動をしていたところをみると、小学校建物はまだ引渡しや登記がされていない状態かもしれないが、土地はすでに売買されたのだから登記(移転)されているはず。未だ国有地ではおかしい。
9億5600万円の土地が値引きされて1億3400万円になったということだけれども、1億でも大金は大金である。森友学園(籠池理事長)が支払ったはずのその資金は融資によるものだったのか否か。
この土地に抵当権が設定されているのか、森友学園の他の不動産や自宅はどうなのか。
もし融資ならば債権者は誰なのか。
とりあえずそれを調べるだけでも価値があるのではないかと思う。


上記の登記事項証明書の抵当権設定に記されている債権額というのが最初の借入額であり、返済が進んで残高が減っていってもこの額の記述は変わらない。(利息から計算すれば残額は分かる)
利息の下に記載されている損害金は返済が遅れた時に上乗せされる額である。
一般住宅を新築するため土地建物を購入する時は(土地の購入と建設がほぼ同時期に行われる時には)、土地を売った人と建物を建設する人が違っても、融資してくれる銀行などが調整して一緒に手続きをしてくれるので、業者への支払いが急に出来なくなるというようなことは考えにくいし、抵当権の設定は上記のように土地建物共同であることが多い。

なぜ森友学園は藤原工業に5億しか支払っていないのだろうか?
なぜ藤原工業は5億しか受け取らずに21億かかる工事を進めて行ったのだろうか。
なんだかとてもおかしい、怪しい。


抵当には根抵当権という種類の抵当権もある。
根という字から何となく想像できると思うが、どっしりと根を張ってしまい深い関係になってしまうのだ。
誰と深い関係になるかと言うと銀行である。
どういうことかと言うと、枠を決めてしまうのだ。
例えば銀行から1億融資してもらった。普通の抵当権では返済を続ければ残高が8000万円になったり5000万円になったりする時が来る。
根抵当権はならない。不動産担保に基づく枠だから1億のまま。
その代わり、減った2000万円だったり5000万円をまた融資してくれる。
融資限度額は借入額の1.2倍が設定されるので、実際はもう少し借入できる。
簡単に言えば銀行の抱え込みである。借りる側は穴が空いたところをまた融資で埋めるのだから自転車操業と言ってもいいだろう。
一度根抵当権をつけると銀行がなかなか外してくれない。「枠」は顧客確保という意味の枠でもあるのだ。
1つの銀行と深い関係になり融資残高が減らないから、この不動産を担保にして他の金融機関からお金を借りることは出来なくなる(審査に通らない)。


森友学園の小学校の土地は埋設物があったがため国が値引きしてくれて1億3400万円になった。
その埋設物のせいで土地の価値がかなり下がるようならばダメだが、そうでなければ土地の価値は元の売価9億5600万円に近いものであるはずである。
払った金額と価値の差額は8億1900万円。
もしも校舎建設費が大阪府に報告した7億5000万円が正しければ、土地を抵当に入れるだけで土地建物をカバーできる計算となる。
(一般的には融資される額は評価額よりも少し少な目、だから自己資金も必要)
建物は完成しないと抵当権設定できないけれども、土地はすぐに出来るので9億の融資にすぐに対応してもらえる。
森友学園(籠池理事長)は建設業者に8億円ほどすぐに支払える状況となる。
8億円を自己資金と考えて欲が出た(とする)。
最初に土地9.5億、校舎7.5億と計画していたが、土地が8億円も値引きされたので、その8億を校舎建設に回すことが出来る。15.5億。
藤原工業と森友学園が最初に契約したという額が15億だったと言われている。
23億の契約書もあったということだけれども15億に8億足すと23億である。
「建設費は8億円を足しておいて」という指示がこんがらがって、15億円と23億円が生じた。一番最初に予定していたのが7億。
そう考えると3つの契約書があったことも辻褄が合う。














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# by yumimi61 | 2017-09-11 14:46
2017年 09月 10日
日本国憲法の秘密-553- (森友・加計学園問題について)
不動産の現況と権利関係を登記簿に記録して公示するのが不動産登記である。
法務省の地方支分部局である法務局が不動産登記という制度によって土地や建物を管理している。
その制度に基づいて国がその不動産が誰のものであるかを証明してくれる。
だから調べようと思えば誰が所有者なのか分かる。
また抵当権が登記されていれば、その不動産を担保にして誰がお金を貸しているかも分かる。


土地は法的に無期限の価値を持つし(減価償却されない資産)、土地を作ったり壊したりということは基本的に出来ないので(埋立地は別)、建物に比べると所有者や価値が動き難く、同時に明確にしておく必要がある。
一方の建物は劣化するし、造ったり壊したりも可能。
価値の増減は土地以上に大きい。
そんな建物の新築時登記には「建物表題登記」と「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」がある。
「建物表題登記」は建物を新築した際に行う登記。
この建物の所有者は誰々さんであるという表札みたいなもの。借地に建てた場合などには特に重要である。
「所有権保存登記」は所有権登記のなかった不動産に初めてされる所有権の登記のこと。
「抵当権設定登記」は住宅ローンなど融資を受ける際に行われるもの。

登記のない建物の所有者になった者は不動産登記法に基づいて「建物表題登記」や「所有権保存登記」をする必要がある。
但し実際には未登記の建物は数多く存在する。
未登記となる一番の理由は銀行を介していないこと。要するに融資(ローン)で建物を新築したのではなくて手持ち現金で建てた場合。
また母屋は登記されているが、母屋以外の建物(離れ)を後から建てた場合の離れや増築部分が未登記であることなども多い。
未登記ならば固定資産税が逃れられるかと言えば、そんなことはない。
固定資産税は登記の有無に関わらず課税される。税金徴収への執念は凄まじく(?)、ちゃんと見回って発見するので見逃されることはまずないとのことです。


融資を受ける場合には何か抵当に入れる必要がある。
例えば銀行から3000万円借りようと思ったら、同じ価格(価値)程度の不動産を抵当として差し出す。
差し出すと言っても自分の物でなくなるのは万一返済不能となった場合の事で、返済が行われていれば不動産を実際に差し出す必要はない。
抵当権という権利をお金を貸してくれた人に渡すだけのことである。
完済すれば抵当権は抹消できる。
銀行もビジネスなのでそんなに気前よくポンポンとお金を貸してくれはしない。審査の上で貸してくれることになっても何か抵当権を設定する。
通常庶民が住宅ローンで家を新築する場合には、新たに新築する家の土地建物に抵当権が設定される。


抵当権それ自体は契約書も登記も必要なくて、お互いの意思表示つまり口約束だけでも成立する。
だからこそと言おうか、だけれどもと言おうか、言った言わない論争でなんとか有耶無耶にしてしまおうなんて考えは甘い。
お金を借りるということはそれだけの覚悟を持って行うこと。お金を貸すということはそれだけのリスクを背負うということ。
同時にお金の貸し借りは信用第一であるということでもある。
しかしながら抵当権は複数の人が持っている可能性がある。
1つの不動産に1つの抵当権しか設定できないということではないのだ。
例えば、1つの家にA銀行、B銀行、C社、3つの抵当権が設定されることもある。家の所有者は3か所から借金をしているということ。
借金返済に行き詰まれば、3者が返せ返せ返せと言い、それぞれ抵当権を主張する。
債権者平等という原則があるので、本来お金を貸している人の権利は平等であるべきなのだ。
しかし1つの価値を3等分したら到底貸した金額は戻ってこない。
貸した側がなるべく損をしないためには2者よりも優先して返してもらわなければならない。
それが抵当権の登記によって可能になる。
優先順位は登記の早い順なので、お金を貸したのは先だったけれど登記を忘れていて先を越されてしまえば、もう1番にはなれない。
だから抵当権が設定されたらすぐさま登記する必要がある。
銀行など第三者からお金を借りるときには、こうして第三者側から登記が求められるので未登記であるということはまずない。
また一般的に考えればあまり価値のない物件に2番目3番目として融資することはないだろうと思う。
お金を貸した当時の評価額よりも相当高値で売れなければお金が戻ってくることは考えにくいからだ。


抵当権を設定したら登記をすぐに行う必要があると書いたが、建物を抵当に入れるのに建物が存在していなかったら意味がない。透明では何の価値もない。
つまり建物の登記は基本的に建物が完成したら出来るということになる。
では建築主に引き渡される前(建設途中)の建物の所有者が誰かと言えば建設業者である。
建設業者は工事が完了したら所有権を建築主に引き渡し、工事完了引渡証明書を発行する。(その後に残工事をすることはある)
所有権が建築主に引き渡されていないのに登記することは出来ない。
「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」の間が開いてしまうと、抵当権の順番に先を越されてしまう可能性があるので、これは同時に行ったほうがよい。

ここで問題となるのが融資(振込み)時期と業者への支払いの関係。
3000万円の工事費を融資してもらうことが決定したが、実際にお金が振り込まれるのは建物が完成し建築主に引き渡されて登記後になるということである。
例えば建設業者への支払いが、着手1000万、中間1000万、完成(引き渡し時)1000万だとすれば、とりあえずその3000万円を自分で用立てる必要がある。
通常建設業者は支払いのない工事を進めたり、支払いのない建築主に所有権の引き渡しを行ったりはしないから建築主はその工面が絶対必要となる。
とりあえず手持ちのお金を融通しておくか、実際に振込みが行われるまで他の所から借りるか(つなぎ融資)。
とりあえずの短期だからと説得して親兄弟や知人に無利子で借りるという手段もあろう。
工事期間が長ければ長いほど融通しづらくなるし、ビジネスで借りれば金利がかさんでくる。
建設業者との交渉で最終段階の引き渡し時期などは多少融通がきくこともある。



森友学園の問題は国有地が安く払い下げられたということから始まったはずだ。
土地評価額は9億5600万円。
森友学園は地下のごみ撤去費など(8億1900万円)が差し引かれた約1億3400万円で購入したという。
近隣国有地に比べると破格の安さ(10%ほど)だと問題視された。

学園「ごみ撤去1億円」 国は8億円見積り 国有地購入
吉村治彦、飯島健太
朝日デジタル 2017年2月14日12時10分


 国有地は国土交通省大阪航空局が管理していた8770平方メートル。財務局は2013年に売却先を公募し、森友学園が小学校用地として取得を要望。学園が10年以内に買い取るとした定期借地契約が15年5月に結ばれたが、基礎工事の掘削中に「地下に埋設物が見つかった」と連絡してきた学園と財務局との間で、16年6月に売買契約が結ばれた。

森友学園はやはり購入資金が不足していたのか、国有地をすぐには購入するつもりはなく、10年以内に買い取るという条件でとりあえず借りる契約を結んだ。
ところが、地下に埋設物が見つかった途端、売買契約に変更。それはつまり値引きの理由が出来て、安く買えることになったということだろう。
値引きの理由(地下埋設物が本当にあったのか)と値引き額が嘘偽りない事実なのか、それとも人を騙すための創作話なのかは分からない。

 財務省の資料によると、近畿財務局はこの売買にあたり、不動産鑑定士が査定した更地価格9億5600万円から、国交省が積算した地下のごみの撤去・処理費8億1900万円と撤去によって事業が長期化する損失を差し引いていた。

建物と違い土地は完成を待つ必要はない。土地はすでに存在している。
売買と同時に所有権移転登記が出来る。
しかし前述したように建物は完成してからの登記であるので、融資と業者への支払いの関係で工事期間が長くなることは望ましいことではない。
工事が始まってから当初の予定より工期が長くなることを余儀なくされたとなれば、確かに建築主には損失が生じる。
工事費が高額になればなるほど建築主は損失は大きい。それは金利を考えれば分かること。
森友学園の小学校建設の場合、建設に支障ある埋設物が存在するにも関わらず説明もなく土地を売却した責任は国にあるということで、撤去費と損失分を値引きしたということなんだろう。
国有地売買の法的詳細や契約は分からないが、一般的に考えると代価を値引きするという行為はおかしくはない。
問題はその価格が正当かどうかということになるが、埋設物がどんなもので、その撤去費が幾らなら妥当なのか、また損失計算をどのようにしたのか、埋設物の存在が土地の価値に影響を与えるのか、開校時期がずれこむなど森友学園の事業に与える損失があったのか、国と学園の間で交わした売買契約に違約があったのか、詳細が分からないので何とも言えない。
2015年5月に定期借地契約、2016年6月に売買契約を結び、2017年には校舎はほぼ完成しているようなので、工期延長による金利分の損失と常識的な金利から考えれば8億越えの値引きは高いと感じる。何年何十年と延びたわけではないのだから。










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# by yumimi61 | 2017-09-10 15:48
2017年 09月 10日
1Q8…6?7?8?9?
あなた、今どこにいるの?
僕は今どこにいるのだ?

尾崎豊と『ノルウェイの森』

尾崎豊が逮捕されたのは1987年12月22日。
覚醒剤に気が付いた父親が警察に通報しての逮捕だったそうだ。

懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受け、逮捕から2か月後の1988年2月22日に釈放された。

その日、東京拘置所から出る尾崎は手にある物を持っていた。
作家、村上春樹が書いた本、『ノルウェイの森』である。

この本は上下巻となっており、1987年9月に発売された。
クリスマスに向かう秋に発行され、当時としては斬新な赤と緑の表紙で、「100パーセントの恋愛小説」というコピーも受けたのだろうか、ベストセラーとなった。
マスコミなどに取り上げられ、評判は増幅し、驚異的なセラーとなる。
これによって村上春樹は国民的に認知される作家となったし、国際舞台へ出ていくことにもなった。


『ノルウェイの森』というタイトルは、ビートルズの"Norwegian Wood"いう曲の邦題と同じであった。
小説の冒頭をはじめ、何カ所かにビートルズのこの曲が登場する。

小説は学生運動の時代の学生の話である。(1968〜1970年)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚した頃。
著者である村上春樹の学生時代とも重なる年代である。
過去記事より)



『ノルウェイの森』上下巻を確かに私も持っていたはずで、前にも探したことがあるが、どこにいってしまったのか見つからないでいる。


公益財団法人和敬塾
東京都文京区目白台にある男子大学生・大学院生向けの学生寮。1955年(昭和30年)、前川製作所の創業者である前川喜作によって創設された。


村上春樹はこの寮にいたことがあるそうだ。
大学一年の春から秋まで西寮生だったものの、和敬塾そのものが肌に合わず引っ越す。村上の代表作『ノルウェイの森』に出てくる寮は、和敬塾をモデルにしている。


7,000坪の敷地に、東寮、西寮、南寮、北寮、巽寮、乾寮の全部で6つの寮がある。塾生は約600名、塾生の所属大学は約50校である。留学生もいる。発足時は西南北の3つだったが、後に東寮、2005年4月より大学院生と留学生のための寮である巽寮が加わり、さらに2009年4月より乾寮が加わった。乾寮は全寮の中で留学生が最も多く、中国や韓国、台湾等のアジア系民族が多い。なお西寮と北寮は2009年に建て直された。

年間を通じて様々な行事があるが、なかでも開催期間1ヵ月、約20種目を数える体育祭は最大行事である。また各界の著名人による講演も数多く催され、大講堂前の廊下には湯川秀樹、金田一京助等の著名人からの色紙が飾られている。

和敬塾本館(旧細川侯爵邸)について
和敬塾本館は、1936年に細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。細川護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていた。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われている(現在は敷地が分割されているが、新江戸川公園、永青文庫の敷地まで細川邸であった)。 また、本館は結婚式の会場に使われることがある。

熊本藩、熊本洋学校(熊本バンド)、新島襄と同志社、赤十字社、近衛家、島津家、キリスト教・・・✚


兵庫県立神戸高校を卒業して1968年に早稲田大学に入学した村上春樹は、大学にはほとんど行かずジャズ喫茶でアルバイトをし、1971年に学生結婚した。
1974年に国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。
早稲田大学を卒業したのは1975年だったという。
1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。
1979年、作家デビュー。
1981年、住居を千葉県船橋市に移す。

和敬塾を創設した前川喜作も早稲田大学出身。
その孫にあたるのが前川喜平・前文部科学省事務次官。
奈良県御所市室出身。御所市立秋津小学校4年生の時に東京に転居。麻布中学校・高等学校を卒業して東京大学に進学。
1979年4月 - 東京大学法学部卒業、文部省入省
1986年9月 - 宮城県教育委員会行政課長
1989年2月 - 在フランス大使館一等書記官



あー!(なになに?)
当時群大医学部に麻布高校出身の先輩がいたなあ。
カッコいいと評判だったかも!?
お昼に学食でよく見かけた。


喫茶?ジャズ?出会い?
私は普通の喫茶店でアルバイトをしていたことがある。
今風に言えばカフェ。普通のカフェですよ。
群馬県前橋市上小出町1-21-3にあった「ハートピア」という名前の喫茶店。
現在は「やきとり一蔵(上小出店)」というお店になっているみたい。
もう少し前は居酒屋だったような。
「やきとり一蔵(上小出店)」の写真を見てみたが、店舗は同じもののような気がする。作りがよく似ているから。
カウンター席があって、その向こう側にテーブル席があった。
カウンター内から見て右手に学生が貸切でわーっと出来るような大きなテーブルがあった。カウンターから見て左側には人目に付きにくい半個室(スペース)があった。
入り口は2か所。駐車場あり。
お客さんは医学部や大学病院に近かったので学生や先生の常連客とか、あと公園にもわりと近いのでカップルなども多かった。
お料理担当はマスター(御主人)、デザートや飲み物担当はママさん(奥様)。プラス、昼間はパートさんがいて、夕方から夜には学生のバイトがいた。閉店は21時か22時くらいだったと思う。
ある時ママさんと話をしていたら、ハートピアが親戚の税理士事務所の顧客だということが判明して、その偶然にとても驚いたことがあった。
どうしてそんな話になったのかは全然覚えていないけれど。
私は幼少期に病気で入院していたことがあるが、その時母が私に付き添っていたため妹はその税理士一家に預けられていた。


♪広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず~
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず~♪
仙台のご当地ソング(?)である『青葉城恋歌』。
実は前橋にも広瀬川という小さめな川がある。(七夕祭りもあります)
学生の時にはよくこの川のほとりを歩いた。






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# by yumimi61 | 2017-09-10 00:53
2017年 09月 08日
日本国憲法の秘密-552- (森友・加計学園問題について)
学位もなく?、公務員試験を受けることなく?、有権者の審判もなく、教員や公職に従事しているらしい自称(?)一級建築士の鈴木敏恵さんという方を前記事で紹介した。

実は私、建築士ではなくて、宅建の本を持っているんです!
宅建(宅地建物取引士)は不動産取引に関係する国家資格。
現在は受験に際して学歴要件や実務要件はもとより年齢その他何ら制限はなく誰でも受験できるようになっている。
かつては高校卒業以上の学歴、または2年以上の実務経験が必要であった。

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ここからが大事なのでよく聞いてください。
この本を試しにAmazonで調べてみたんですね。
するとなんと・・・商品価格32,800円(送料別)!!
定価は970円です。これはどういうことなんでしょうか?プレミアが付いている?
念のため、私が出品しているんじゃないですからね。あ、あとAmazonから買ったわけでもないです。
前から時々不思議に思っていたんだけど、なんてことはなさそうな本に破格な値段が付いていることがありますよね?あれは間違い誘い(カード払いで間違いにも気が付かない)なんでしょうか?



加計学園問題の前に散々取りざたされていた森友学園問題。
森友学園問題と言えば土地建物取引。

7月31日、大阪地検特捜部は森友学園の籠池夫妻を詐欺の疑いで逮捕した。
逮捕容疑‐国の補助金(5600万円あまり)を騙し取った詐欺の容疑。

国や自治体が関与している補助金の不正受給が「詐欺」で逮捕されるというのは極めて異例ではないだろうか。
しかも補助金は騒動になってからすでに返還されているとも言われている。

この補助金は国土交通省が実施している「サステナブル建築物等先導事業」に対するものである。
建設費総額が幾らかなんてことは直接関係ない。
「建築物の木造化」「建築物の内装・外装の木質化」に対しての費用補助である。

サステナブルとは持続可能という意味。国連あたりが好んで使いそうな言葉。環境問題でもよく使用される。
国交省のサステナブル建築物等先導事業(リーディングプロジェクト)に対する補助金は2種類ある。「省CO2先導型」と「木造先導型」である。
先導的な技術の普及啓発に寄与する住宅・建築物を公募によって募り、整備費等の一部を国が補助するもの。
森友学園は平成27年度(応募期間:2015年6月9日‐7月17日)に「木造先導型」に応募して、支援対象として適切と判断された。(応募総数7件で6件が適切)
評価委員会による評価結果が国土交通省に報告され、それを踏まえて国土交通省が採択を決定する。

平成27度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)評価委員会/委員名簿
委員長 大橋 好光 東京都市大学/工学部建築学科教授
委 員 五十田 博 京都大学/生存圏研究所教授
委 員 伊藤 雅人 三井住友信託銀行㈱/不動産コンサルティング部審議役
委 員 腰原 幹雄 東京大学/生産技術研究所教授
委 員 長谷見雄二 早稲田大学/理工学術院教授
委 員 萩原 一郎 (独)建築研究所/防火研究グループ長
委 員 林 知行 秋田県立大学/木材高度加工研究所教授

≪森友学園のプロジェクト≫防火地域に新築される小学校の校舎及び体育館の木質化についてのプロジェクト
大阪府豊中市 学校法人森友学園 5,678㎡ 3階建 
補助限度額 6194万4000円
・大阪府豊中市内の防火地域に、私立小学校の校舎及び体育館を新築するプロジェクト。
・鉄骨造ではあるが、建物の内外部、また教室の床材に、杉材等の木質材料を使用し、木質化することで視覚的に大規模な木造校舎の再現を目指している。
・主体構造となる鉄骨を木造フレームと変わらない寸法で納め、内外にわたって木質化。


正式に応募し評価委員会が適切であると判断し国交省が合格印を押した。だからこそ、国から森友学園に補助金が支払われた。
これのどこが詐欺なのか?
これを詐欺だと認定するには、申請内容が全くの出鱈目だったと言う以外にないであろう。
申請したとおりに建築されなかったということ、つまり実際は木を活かした建築物ではなかったということだ。
学校建物は実際に出来上がっていたようだがどうだったろうか?
完成を見ないまでも建設の経過を定期的に確認していればもっと早い段階で分かることではないだろうか。
国交省はどの段階でチェックに入るのだろうか。
実績を書面で報告してもらうだけだろうか?
応募書類なども設計業者や建設業者の専門家や代理人が揃えたものだと思う。
籠池夫妻だけで出来る詐欺ではない。

また補助金不正受給が事実だとしても、そもそも詐欺ではなくて、補助金適正化法違反ではないのか。
詐欺というのは広く一般的な犯罪に用いられる罪名である。
補助金には補助金適正化法という固有の法律が存在する。
憲法や自衛隊法のところで述べたけれども、法律には適用対象が広い一般法と適用対象が特定されている特別法が存在する。
通常は特別法が優先されるのだ。


森友学園は木造先導型での応募だったけれども、実は前川製作所も28年度(応募期間:2016年9月5日-10月20日)に省CO2先導型で応募し適切と判断されている。

建築物(非住宅)/中小規模築物部門
株式会社前川製作所 前川製作所本社ビル新館計画
(提案の概要)
世界の人が集い・つながり・未来つくりに挑戦するオフィスの創出を目指した本社ビル新館の新築プロジェクト。知的生産性向上を目指した空間利用を実現するための空調システム、普及性・波及性に優れた省CO2技術を導入し、中規模オフィスビルにおけるZEB Readyの達成を目指す。
(概評)
CASBEE・Sランク、BELS・5つ星の達成と、建築・設備計画からエネルギーマネジメントまでバランス良く省CO2技術を導入する取り組みは、中小規模オフィスとして波及・普及が期待できるものと評価した。知的生産性やウェルネス性の向上も目指し、多種多様の省CO2技術の積極的な活用は意欲的な取り組みで、先導的だと評価できる。


サステナブル建築物等先導事業(省CO2先導型)評価委員名簿 平成28 年12 月19 日現在
委員長 村上 周三 一般財団法人 建築環境・省エネルギー機構 理事長
委 員 浅見 泰司 東京大学大学院 教授
〃 伊香賀 俊治 慶應義塾大学 教授
〃 柏木 孝夫 東京工業大学 特命教授
〃 坂本 雄三 国立研究開発法人 建築研究所 理事長
〃 清家 剛 東京大学大学院 准教授
専 門 委 員 秋元 孝之 芝浦工業大学 教授
〃 伊藤 雅人 三井住友信託銀行 不動産コンサルティング部 審議役 環境不動産推進チーム長
〃 大澤 元毅 国立保健医療科学院 生活環境研究部 主任研究官
〃 桑沢 保夫 国立研究開発法人 建築研究所 上席研究員
〃 佐土原 聡 横浜国立大学大学院 教授
〃 山海 敏弘 国立研究開発法人 建築研究所 環境研究グループ長
〃 坊垣 和明 東京都市大学 名誉教授



森友学園が建設した小学校の設計業者は「キアラ建築研究機関」という京都の業者。
ホームページより
KYARA(Kyoto Academy for Researching Architecture=京都建築研究機関、通称キアラ建築研究機関)は、
代表の松本 正を中心に2002年、京都で開設された設計事務所で、松本及び共同代表の杉本 昌裕、そして実務経験を積んだスタッフがオープンな関係で結ばれた設計集団です。
10名(2012年1月現在)(1級建築士2名、2級建築士3名)

洛中の本事務所、神戸(芦屋)のアトリエ、東京(代官山)のサテライトオフィスを拠点に、これまで京都のみならず、大阪、神戸、滋賀、奈良の近畿一円、また東京、神奈川、静岡等の関東方面、また岡山等中国地方でも建物を設計、完成させてきました。東北大震災の折は、東北まで駆けつけ、集会施設、牡蠣工房等、復興のための火急の計画を実現させたこともあります。こうした私たちの活動は多方面にわたります。


大震災の際には東北まで駆けつけたとあるが、海援隊にちなんで京援隊なる組織を編成した模様。
京援隊(但し継続した活動報告はない)
京援隊は、被災地にものを送り続けることを目標としているのではありません。
むしろ、自立に向けてのサポートをしてゆきたい。
被災地では様々な情報が錯綜した混乱した状況の中で、
被災者が本当に望むものかどうかを考える以前に、モノが動いて、
時によっては不当な金額で、建築材料や建築費で建物が出来上がっていく状況を、
阪神大震災のときに、多く経験しました。資本主義である限り、ビジネスを否定はしません。
(海援隊が「商社」的側面を持っていたことは有名な事実です)。
そうではなく、然るべき場所に望まれるものが、適正な金額で届けられるような活動をしていきたい。



建設業者は大阪府吹田市にある藤原工業。
この会社、大阪府や大阪維新の会とコネクションが強いらしい。

ホームページより
従業員数21名
資格取得者(一級建築士2名、二級建築士3名、1級建築施工管理技士11名、2級建築施工管理技士3名、1級土木施工管理技士4名、二級建設業経理事務士3名、監理技術者11名 )

主な取引先
大阪府・・・・・・・・・・・・・・住宅まちづくり部
財務省・・・・・・・・・・・・・・近畿財務局・大阪国税局・大阪税関・神戸税関
国土交通省・・・・・・・・・・海上保安庁(第四・第五・第八管)・気象庁・近畿地方整備局
裁判所・・・・・・・・・・・・・・大阪高等裁判所
防衛省・・・・・・・・・・・・・・千僧駐屯地・阪神病院・他
独立行政法人・・・・・・・・国立病院機構・国立印刷局・万博記念機構・造幣局
独立行政法人・・・・・・・・雇用、能力開発機構・医薬基盤研究所
地方独立行政法人・・・・大阪府立病院機構母子保健総合医療センター
中納言(株)・・・・・・・・・・活け伊勢エビ料理店
あづま姿(株)・・・・・・・・・・着付用和装小物及び周辺用具の製造販売
その他民間企業、個人顧客



一般的には設計業者が建築主と建設業者の間に入って建設は進んでいく。
設計者は建築主と話し合って設計し、それに基づいて建設してくれる業者を選ぶ。
建築主の希望がある場合などは1社に依頼することもあるが、2,3の業者に声をかけて入札し決定する。(建築主は同じことをするなら安くしてくれる業者が良いと思うのが普通ではないだろうか)
建設中は設計業者が進捗状況などを随時確認する。
設計業者に支払われる費用は建築費の10%程度が相場。この相場には設計費用だけでなく交渉や確認などの費用も含まれる。
設計業者と建設業者が別の場合に建設費(工事費)とは別に支払われるものである。
つまり専門的知識を持って建築主に寄り添い主導権を持って建設を進めるというのが設計業者の役割である。

建築主・森友学園(籠池理事長)
     |
設計業者・キアラ建築研究機関
     |
 建設業者・藤原工業


建設費用に3種類あったことが問題になっていた森友学園の小学校建設。
国には23億8000万円と報告。
騒音に対する助成金関係の申請で関西エアポートに15億5500万円と報告。
認可を担当する大阪府には7億5000万円と報告。
こういう数字がよくニュースで挙がっていた。

設計業者のキアラ建築研究機関は23億8000万円で合っていると証言し、藤原工業は設計業者に23億8000万円の契約書を作るように指示され、森友学園側からは7億5000万円の契約書を作るように指示されたと証言したらしい。
最初に森友学園と藤原工業が交わした契約では15億6000万円だったが、追加工事があり最終的な工事代金は21億円ほどになったという。
しかし完成間際で工事はストップ。5億円くらいしか支払ってもらっていないとかなんとか。

工事費は大金。
建設業者からすれば工事を始めれば資材や人件費だって相当掛かってくる。
完成間近で建築主にとんずらされたり踏み倒されたりなんかすれば大変な事態。会社の存続に関わる。
だから工事費は現金一括が基本。前払い制。
でもそれで建設業者にとんずらされたら今度は建築主がたまらない。
だから業者は信用がとても大切。
でも金額が大きい場合には、工事に着手する時、中間、完成時と3回くらいに分けて支払ってもらうのが一般的ではないだろうか。
支払いがなければ工事を進めないでストップする。被害は最小限にするためには当たり前なこと。何と言ってもビジネスなのだから。
お金を支払わない怪しい建築主の工事を進めるほうがどうかしている。

そもそも大阪府が認可したから建設が始まったのではないのですか?
そう言えば加計学園も認可前から箱を作っていた?どうして?もしダメだったらどうするつもり?認可ありきだったから?
認可するということは、学校運営が出来るのかどうか費用面も含めて審査されるのでは?細かいことは気にしないで認可?


購入した土地代金や小学校の建設費を現金一括で支払えればよいですけれども、滅多にそんな人はいません。
どうするかと言えば借金する。一般的には銀行に融資してもらう。
融資してもらうには通常は銀行による厳し~い審査もありますよね?
資金力や返済返還能力のない者に莫大なお金を貸し付けますか?貸し付けませんよね?
森友学園はりそな銀行から融資されている?
銀行の審査も大阪府の審査も通った物件、この意味は重いですよね?
森友学園の資金力や資産がどれほどのものか知らないけれども、経営は厳しかったようなことが報じられている。
そんな法人にどうして大金が貸し付けられるのか?


もしも銀行から融資してもらったとするならば、ゆくゆくローン返済が出来なくなるということはあっても、業者への支払いに困窮するということはないであろう。
藤原工業のホームページにこんなことが書いてあったが現在土地建物は誰のものになっているのだろうか。森友学園?財務省?藤原工業?銀行?
下の文章は、財務省に売却してもらいたいという意味なのか、それとも財務省に買い取ってもらいたいという意味だろうか。


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署名活動にご協力頂いた皆様へ

 この度は、「豊中の小学校建設の土地建物について」
財務省に土地建物を一緒に売却手続きをしてもらうことを求める要望書
の署名活動にご協力いただき誠にありがとうございました。

 短い期間にも関わらず皆様のご協力により、4,343名もの方々から御
署名をいただき、先週、近畿財務局に提出する事が出来ました。

 皆さまには建物の存続に対し大きな力を貸して頂きましたこと、深く
感謝申し上げます。

結果につきましては決定次第、またこちらでご報告させていただきます。

  平成29年7月31日

藤原工業(株)総務部 小学校建築事務局

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# by yumimi61 | 2017-09-08 14:11
2017年 09月 07日
日本国憲法の秘密-551- (加計学園問題について)
法律を無視して、その資格もないのに勝手に学位を授与している、外国の財閥に支援されて出来た国立機関。
特別ルールがあるのか知らないが、人によっては専門学校卒なのに大学飛ばして大学院で学位を取得できたりもするらしい。(もしかして飛び級!?)
論文ひとつ出せば取得できる博士号。
論文もコピペだって実際は他者が行った研究だって分かりはしない。(論文に必死な人とそうでない人が出会えば、「これ論文に使っていい?」「どうぞどうぞ」なんてこともある)
客員教授の名で誰でも(ちょっと有名になれば)教授になれる社会。
この世界は「先生」という職業に憧れる人が多いということなんでしょうか?
日本の高等教育は崩壊しているのではないか、職業の目的を履き違えているのではないかと感じる昨今。(初等中等もですか?)


また経歴が華やか過ぎるというか何というか、どうしたらこんなに次々と仕事を引き受けられるのかという経歴を目にすることもある。
そこにはそこはかとなく政治臭が漂っている。
野中ともよさんなんかもその一例だろう。
そこには「ありき」が存在するはずで、「ありき」というのはつまり何等かのコネクションがあるということである。
権力者のコネであればあるほどその威力も大きい。
忖度とか御意向とか圧力とか、結局みんなそのコネが裏に表にチラついているということであろう。


ということで、前川喜平・文部科学省初等中等教育審議官!、鈴木敏恵さんという方をご存知でしょうか?


Wikipediaより
鈴木敏恵(すずき としえ)は、シンクタンク未来教育ビジョン 代表 ・教育クリエータ(Architect/設計思想)・一級建築士 ・日本赤十字秋田看護大学大学院非常勤講師 ・放送大学非常勤講師(専門:心理と教育)。

公職歴:内閣府中央防災会議専門委員(避難/人材育成)・千葉大学教育学部特命教授・東北大学非常勤講師。

建築家として未来型の学校の設計を行うとともに、21世紀の新しい教育として未来教育プロジェクト学習やポートフォリオ評価などを構想、提唱し自らも実践。

教育界、医学界、消防士など高度専門職の領域でアドバイザー、人材育成、コーチとして活躍。自治体や大学などにおいてプロジェクト手法やポートフォリオ評価などの全体構想コンサルタントも行う。2005年9月、12月に教育先進国フィンランド視察。近年、看護教育界での導入支援が目覚ましい。教職員研修、大学FD構想、新人研修、指導者育成、キャリアデザインを目的とする人材育成などを行う。
2005年~2015年 文部科学省 ものづくり日本大賞文部科学大臣賞(青少年支援部門)選考委員。
2014年より文部科学省 SPH(スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール)指定、埼玉県立常盤高等学校のプロジェクト学習のスーパーバイザーを務める。

新しい教育創造
知識創造の時代に求められる新しい教育コンセプトをデザインするとともに、その具現化をはかる教育手法を設計。新カリキュラム対応/統合と実践への看護教育プログラム構想へポートフォリオ活用。病院における目標管理へポートフォリオを活かす手法。理学療法士、薬学生の育成・薬剤師指導者など臨地実習ポートフォリオ、新人研修ポートフォリオ・キャリアポートフォリオ・進路や就職へのパーソナルポートフォリオ活用の提唱とともにプロジェクト学習の手法を目的に応じ構想設計し導入。主に教育界、医療界、自治体等の新人研修、指導者育成、目標管理、人が育つ環境づくりの提案、専門学校や大学FD、公的機関の教育担当者支援、人材育成などを行う。

プロジェクト学習による「防災教育」提唱
 2000年 文部省大臣官房『学校施設整備指針策定調査研究(小中学校編)部会委員』  2002年 内閣府/中央防災会議「防災に関する人材の育成・活用専門調査」委員  2002年 日本初の防災プロジェクト学習/高知市立大津小学校にて実施  2003年 著書「ポートフォリオでプロジェクト学習!地域と学校をつなぐ防災教育」教育同人社  2004年 岐阜市立小中学校「防災プロジェクト」指導講師  2005年 NHKテレビ「視点・論点」にて「命を守る防災プロジェクト学習の推進」を提案  2005年 ヘラルド・トリビューン紙/オピニオン欄「防災教育をはじめよう」  2005年 著書「未来教育ポートフォリオ/防災プロジェクト 地震からこの町を救え!」学研  2007年 横浜市教育委員会『防災チェックシート、小学校用、中学校用』作成協力  2008年 総務省消防大学校「幹部科・火災調査課」講師   2008年 総務省消防庁国民保護・防災部防災課『防災教育に関する懇談会』  2009年 文部科学省防災教育支援事業「新居浜市小中学校における防災教育」指導講師  2009年 国土交通省/気象庁交通政策審議会第12回気象分科会臨時委員  2010年 千葉県教育委員会/地域・学校防災教育セミナー『プロジェクト学習で新しい防災教育を!」  2010年 島根県教育委員会/防災教育実践講座(島根県立教育センター 能力開発研修)  2011年 西条市教育委員会「集中豪雨」教員研修 企画指導・コーチング  2011年 内閣府中央防災会議「災害時の避難に関する専門調査」委員  2011年 主催:JICA/トルコ国民教育省(教育研修局、初等中等教育局教育委員会、大学)        「新しい防災教育の授業設計と教員研修について」講義  2011年 論文:特集 災害と地域ケア ─訪問看護師に提案─ポートフォリオ活用と        「防災ハザードマップ」による地域連携/医学書院「訪問看護と介護」  2011年 主催 文部科学省・島根県教育委員会「プロジェクト学習・ポートフォリオ評価を活用した防災教育」  2011年 東北大学にて東日本大震災地域の高校生「未来への願い」発表への支援  2011年 高知市・市民防災プロジェクト「地震・津波」昭和小校区/企画指導・講師  2011年 論文「子どもの自律的な防災行動を育むプロジェクト学習とコーチング」慶應義塾大学出版会 | 教育と医学  2012年 西条市教育委員会「集中豪雨」防災教育教員研修/企画・講師  2012年 内閣府/中央防災会議「防災に関する人材の育成・活用専門調査会」委員

公職歴ほか
『理科教育及び産業教育審議会委員』
『情報教育推進等に関する調査研究協力者』文部省
『電気通信審議会通信政策部会委員』郵政省
『次世代IT活用未来型教育研究開発会議委員』文部科学省・総務省
『中央防災会議専門委員』 内閣府  
『宇宙利用推進調査審議特別委員』文部科学省
『学力向上施策—文部科学省/その道の達人派遣事業』(社)日本理科教育振興協会
『島根県立看護短期大学客員教授』ほか



鈴木敏恵ポータルサイトのプロフィールより
一級建築士・architect・次世代教育クリエーター・シンクタンク未来教育ビジョン 代表

建築家として教育施設へのIT環境の実現、AVネットワーク化、遠隔教育システム、CAI(computer-assisted instruction)導入など、教育のインテリジェント化、学校の未来化を先導。1998年「未来学び舎構想インテリジェントセンター 21 / 設計企画において『日本計画行政学会賞』特別賞受賞。

「意志ある学び-未来教育」をコンセプトに、プロジェクト学習、ポートフォリオ、対話コーチングなどを融合させた次世代教育の設計思想から実施を全国展開。AI(artificial intelligence)時代の教育、次世代プロジェクト学習の構想・提唱。主に教育界、医学界へ新人教育、指導者育成、次世代教育構想コンサルタント等を行う。文部科学省「確かな学力の育成に係る 実践的調査研究 H21」事業採択。日本赤十字秋田看護大学大学院非常勤講師。

【公職歴】内閣府中央防災会議専門委員・国立大学法人千葉大学教育学部特命教授・東北大学非常勤講師・放送大学非常勤講師(専門:心理と教育)・島根県立看護短期大学客員教授・先進的教育ネットワークモデル地域事業企画評価委員(文科省総務省連携プロジェクト) 他



一緒にお仕事されてますよね?
未来教育プロジェクト全国大会(山下公園前「ワークピア横浜」 
教師、医師、看護師、理学療法士、大学関係者、様々な方が日本全国から参加。最新のポートフォリオやプロジェクト学習の実践発表や情報交換など楽しく開催されました。


鈴木敏恵という人、公職歴は列記しているが、Wikipedia、御自身のサイト、講演会などの講師略歴などどれも見ても学歴には全く触れていない。
高等教育を受けたのか、受けたとしたなら、どこで何を学んできたのか、分からない。「一級建築士」と書いてあるだけ。
箱と中味が全く関係ないとは言わないけれども、一級建築士が何故教育を指導しているのか。教員免許を持っているということなんだろうか。

一級建築士は国家資格である。
一級建築士の国家試験を受験するには学歴要件と実務経験の両方か、実務経験(長め)が必要である。
学歴要件はかつては「所定の課程を修めて卒業」だったが、近年「国土交通大臣が指定する建築に関する科目(指定科目)を修めて卒業」になった。
学歴要件を満たしていなくても実務経験を満たして二級建築士から一級建築士を受験する方法がある。
医療系の国家資格は実務経験だけでは受験資格は得られない。学歴要件必須である。
実務経験だけでOKとなると、知り合いに頼んで実務経験を満たしているという虚偽の証明書類を書いてもらったりすることが横行しがちなのだ。
虚偽が発見されれば資格を取り消されるが、見つからないことも多いのでは。


またこの専門領域の教育と資格者養成や管理がややこしいのは担当省庁が違う事。
学校の認可に関しては文科省。
でも、医師や看護師など医療系の資格を扱っているのは厚労省。
獣医師は農水省。
建築士は国交省。





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# by yumimi61 | 2017-09-07 23:12
2017年 09月 07日
日本国憲法の秘密-550- (加計学園問題について)
加計学園の獣医学部新設が52年ぶりだということだが、医学部も40年近く新設がなかった。
それがやはり安倍政権において2016年度2017年度と相次いで認可された。
震災復興支援策の一環として認可された東北薬科大(仙台市)と、国際医療福祉大(栃木県)が国家戦略特区を活用して千葉県成田市に設置する医学部である。


九条摂子久常節子という方をご存じだろうか。
看護協会の元会長で、国際医療福祉大大学院の副大学院長だった方である(現職ではない)。

私はこの人のことを2014年11月に書いている。赤十字社からの話の流れだった。
赤十字社はナイチンゲールの名をかたり「ナイチンゲール記章」なるものを創設して授与しているが、赤十字社が行っていることなので日本の受章者を見ると日本赤十字の養成所や看護学校出身者など日赤関係者がほとんどなのだ。
そんな中、 高知女子大学(現:高知県立大学)出身の方もいますね、という話であった。
久常節子は四国の高知県生まれで高知女子大学出身者で、ナイチンゲール記章を受章している。

実は看護教育界では高知はわりと力を持っている(幅が利く)。何故かというと、早い時期に大学だったからである。

過去記事より)
高知県立女子大学というのは日本で最初に4年制の看護学科を持った大学である(1952年)。
何故かと言うと、戦時中の医師養成作戦で作られた1校「高知県立女子医学専門学校」(1944年4月開校)が母体だからである。
高知県立女子医学専門学校は1947年にGHQの判定により秋田や山梨などの医専とともにB級判定され廃校となってしまった。
その学校が同年に医学科を持たない高知県立女子専門学校として生まれ変わり(生活科・生物科・英文科)、さらに1949年に高知女子大学(家政学部生活科学科)となった。
この大学に1952年看護学科が増設されたのである。
東京大学の衛生看護科の創立が1953年だからそれよりも1年早い。
大学の沿革を見ると、1952年に看護学校として指定、1955年に保健婦学校として指定と記載があるのだが、教員免許などの課程には「認定」、大学や学部学科の増設には「認可」という言葉を使用している。
「指定」とはなんだろうか?「認定」と「指定」の違いやいかに?
医科が廃校になったくらいであり昔から附属病院を持っていない。
現在は県内の提携病院へ実習に出す形式を取っているのだろうが、4年制の走りだった当時はどうだったのだろうか。


高知女子大学出身でナイチンゲール記章を受賞しているお一人、久常節子さん。
現在、国際医療福祉大学大学院の副大学院長という役職に就かれている。

1968年年3月 高知県立高知女子大学家政学部衛生看護学科卒業
1970年3月 大阪市立大学家政学部社会福祉修士課程修了
1982年12月 日本医科大学医学博士取得
1991年 カリフォルニア大学サンフランシスコ校ポストドクトルコース修了


博士の学位は日本医科大学で取得しているが、博士課程修了とは書いていないので在学して単位を取得したわけではなく論文のみで博士になった論文博士であろうと思う。
ちなみに医学博士=医師とは限らない。つまり医学博士だからといって医師として働けるわけではない。医師だけでなく学科を卒業していることや学位を取得していることと国家資格を持っていることは同じではないのだ。
前にも書いたことであるが、これは国際的に混乱を生んできた案件なので今回も付け足しておく。


≪久常節子の国際医療福祉大学院の副学院長になるまでの職歴≫
昭和45年4月 大阪府富田林保健所
昭和47年4月 高知女子大学家政学部衛生看護学科助手
昭和48年4月 大阪府門真保健所
昭和50年4月 福井県立短期大学看護学部講師
昭和52年9月 国立公衆衛生院衛生看護学部看護管理室研究員
昭和57年4月 国立公衆衛生院衛生看護学部主任研究官
平成 3年6月 厚生省健康政策局計画課保健指導室長
平成 5年7月 厚生省健康政策局看護課長
平成13年4月 慶應義塾大学看護医療学部教授
平成17年6月 社団法人日本看護協会会長

看護協会会長になる前はお役人や慶應義塾大学の教授だった。
2014年に書いた時には大ざっぱ職歴しか分からなかったが、細かい職歴が分かった。

私が問題にしたのは国立公衆衛生院である。
過去記事より)
国立公衆衛生院はロックフェラー財団から日本政府への経済支援によって設立されたものだそうだ。
日本の公衆衛生の改善向上のために、公衆衛生技術者の養成及び訓練、公衆衛生に関する調査研究などを目的とした。


国立公衆衛生院も国際文化会館や国際基督教大学(ICU)と同様にロックフェラーから財政支援を受けていたのである。
(国立公衆衛生院は、2002年に、国立医療・病院管理研究所及び国立感染症研究所・口腔科学部の一部を統合し「国立保健医療科学院」と改称した)

国立公衆衛生院時代は公衆衛生修士号(Master of Public Health,MPH)の学位を授与しており(期間によっては博士号も?)、WHOは国立保健医療科学院を「School of Public Health(公衆衛生大学院)」として紹介しているが、日本の法律上においては大学院にも省庁大学校にも該当しない。
国家公務員が不足を学ぶところだったのか、完全紹介制の一元さんお断りシステムだったのか、ともかく開かれた大学院ではなかった。
大学評価・学位授与機構の審査を通った省庁大学校の修了者は申請すれば学位が授与されるが、国立公衆衛生院や国立保健医療科学院はその対象にもなっていない。
つまり学位対象にならない人達に好き勝手に学位を授与していたことになる。

日本の大学に公衆衛生専攻(公衆衛生大学院)が設立されたのは2000年(平成12年)以降のこと。
これは公衆衛生修士号(Master of Public Health,MPH)を授与できる大学院である。

・2000年度開校 京都大学(大学院医学研究科社会健康医学系専攻)
・2001年度開校 九州大学(医学系学府医療経営・管理学専攻)
・2007年度開校 東京大学(大学院医学系研究科公共健康医学専攻)
            大阪大学(大学院医学系研究科医科学修士社会人コース)
・2008年度開校 長崎大学(大学院国際健康開発研究科国際健康開発専攻)
・2011年度開校 帝京大学(大学院公衆衛生学研究科)

他からも出始めたのでさすがに不味いと思ったのか、国立保健科医療科学院(旧:国立公衆衛生院)は2009年より学位称号を「Certified Public Health Professional (CPHP)」に変更した。
(ここもまた出ちゃったものは仕方ないというやつですね。しかもまだ出す気なのかという・・)

学位を授与できる大学院もMPHの他に、公衆衛生博士号(Doctor of Public Health,DPH)や学術博士号(Doctor of Philosophy,PhD)を与える課程を併設することが可能。
ここでまた問題になりそうなのが、ドクターである。
生命科学と似たような問題が起きそうな(起きている)予感がする。
公衆衛生大学院に進学できるのは、保健師や助産師のように看護師有資格者等という限定はなく、医師や保健師、助産師や看護師などの医療職に限らず、かなり誰でも進めるようになっている。
そこで博士号を取得さえすれば、現場で医療行為を行える医療職のようにも思われてしまうだろうし、
例えば「Doctor of Public Health」であれば医師と思われても不思議はない。
外国へ出てしまえばもっと分からなくなるし、紹介者を介せばお墨付きを与えたようなもの。
そうして何が何だか分からなくなる世界になります。


国立公衆衛生院、厚生省、慶應義塾大学、久常節子の足跡はその関係性をよく示しているのではないだろうか。
そして彼女は国際医療福祉大学大学院の副学院長にもなったのだ。


国際医療福祉大学は大学病院を持っているが大学に医学部がないという珍しい大学。
だけれども絶対に医学部を創らせてはならぬと言われたりもする大学である。
大学本部は栃木県にある。よってこんな政治家の名が挙がってくる。


副総理、蔵相、外相、厚相などを務めた渡辺美智雄、その子息の渡辺喜美と関係が深いとされ、文部科学省が構想する東北や千葉県成田市に新設を想定される国際医学部(仮称)を早稲田大学、同志社大学とともに目指している。

近年の医師不足を背景に、医学部の設置を検討している大学の1つである(学内に「国際医療福祉大学医学部設置準備委員会」を設立している)。


以前こちらに皇族&芸能人御用達ブランド産院御三家のことを書いたけれど、その時にもこの大学が登場した。
御三家の一つだった山王病院が1996年に高邦会・国際医療福祉大学グループによって買収されたという話題だった。


「近年の医師不足」は嘘か間違いか、言葉が足りないかである。
40年近くも医学部の新設はなかったが医師数は今日までずっと増加傾向にある。
1982年と2014年を比較すると15万人近く医師数は増えている。


「看護師不足」を背景にして近年看護系大学が爆発的に増えた。(それに伴い質が低下したと言われている)
大学が増えたことで急増したのが教授などを含めた教育者であり、重要視されるようになったのが学位だったのである。
そしてこの学位が専門分野に混乱を来たすことになった。

同上過去記事の中で久常さんと同じくナイチンゲール記章を受章しているした徳永瑞子という人を紹介したが、彼女は国立公衆衛生院で博士号取得したと言っている。
カトリック教徒で2011年4月に上智大学総合人間科学部看護学科教授に就任した。



この頃の私の記事に特区と「安倍晋三を囲む午年の会」の発起人で「エンジン01文化戦略会議」のメンバーでもある神奈川県の黒岩知事(元フジテレビキャスター)も登場していた。(こちらの過去記事
黒岩知事と国際医療福祉大学のただならぬ関係も分かる。





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# by yumimi61 | 2017-09-07 14:38