2017年 08月 04日
日本国憲法の秘密-529- (加計学園問題について)

加計学園と政権の関係は今に始まったことではない。
つまり安倍総理と加計孝太郎加計学園理事長が親友であったというだけではないのだ。
安倍総理や麻生副総理の祖父の時代から、加計孝太郎理事長の父(加計学園グループ創立者)の時代から、続いていることである。
だから「総理の意向」や「加計ありき」でなかったということではない。
むしろそれを補強するものである。

吉田茂(東京都)・・日本自由党・民主自由党・自由党(自民党の前身党)
 第1次吉田内閣 1946年5月22日-1947年5月24日(368日)

ーー片山哲 片山内閣(292日)・・社会党
ーー芦田均 芦田内閣(220日)・・民主党(自民党の前身党の1つ)
  ※吉田茂に不満を抱き社会党と連立を組んだがやがて自民党に飲み込まれていく。
   この内閣の崩壊の原因は昭和電工事件(戦後間もない時期に起きた贈収賄事件)

 第2次吉田内閣 1948年10月15日-1949年2月16日(125日)
 第3次吉田内閣 1949年2月16日-1952年10月30日(1353日)
 第4次吉田内閣 1952年10月30日-1953年5月21日(204日)
 第5次吉田内閣 1953年5月21日-1954年12月10日 (569日) (通算2616日)

ーー鳩山一郎 鳩山内閣 (通算745日)・・日本民主党・自民党 ※自由党+日本民主党=自民党
ーー石橋湛山 石橋内閣 (65日)・・自民党 

岸信介(山口県)・・自民党
 第1次岸内閣  1957年2月25日-1958年6月12日 (473日)
 第2次岸内閣  1958年6月12日-1960年7月19日 (769日) (通算1241日)

池田勇人(広島県)・・自民党
 第1次池田内閣 1960年7月19日-1960年12月8日 (143日)
 第2次池田内閣 1960年12月8日-1963年12月9日 (1097日)
 第3次池田内閣 1963年12月9日-1964年11月9日 (337日) (通算1575日)

佐藤栄作(山口県)・・自民党
 第1次佐藤内閣 1964年11月9日-1967年2月17日 (831日)
 第2次佐藤内閣 1967年2月17日-1970年1月14日 (1063日)
 第3次佐藤内閣 1970年1月14日-1972年7月7日 (906日) (通算2798日)

田中角栄(新潟県)・・自民党
 第1次田中内閣 1972年7月7日-1972年12月22日 (169日)
 第2次田中角栄内閣 1972年12月22日-1974年12月9日 (718日)(通算886日)

三木武夫(徳島県)・・自民党
 三木内閣 1974年12月9日-1976年12月24日 (747日)

福田赳夫(群馬県)・・自民党
 福田内閣 1976年12月24日-1978年12月7日 (714日)

大平正芳(香川県)・・自民党
 第1次大平内閣 1978年12月7日-1979年11月9日(338日)
 第2次大平内閣 1979年11月9日-1980年6月12日(217日) (通算554日)

鈴木善幸(岩手県)・・自民党
 鈴木内閣 1980年7月17日-1982年11月27日(864日)

中曽根康弘(群馬県)・・自民党
 第1次中曽根内閣 1982年11月27日-1983年12月27日(396日)
 第2次中曽根内閣 1983年12月27日-1986年7月22日(939日)
 第3次中曽根内閣 1986年7月22日-1987年11月6日 (473日) (通算1806日)


安倍晋三(東京都)・・自民党
 第1次安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日(366日)
 第2次安倍内閣 2012年12月26日-014年12月24日(729日)
 第3次安倍内閣 2014年12月24日-現在
2017年5月に小泉首相の在任日数を抜いて戦後歴代3位(佐藤栄作・吉田茂・安倍晋三)となった。
自民党は昨年11月の総務会で、これまで「2期6年」だった総裁任期を「3期9年」に延長することを決定。
このまま安倍内閣が続けば、2019年8月に佐藤首相(2798日)を、同年11月には、戦前も含めた歴代最長の桂太郎首相(2886日)を抜くことになる。
2期6年では2018年12月に期限が切れてしまうから、前もって自民党はそのお膳立てをした。ということは続ける腹積もりなのだろう。

与党第1党は自民党であり、その自民党が政権を維持し、野党第1党は社会党が占めていた体制を55年体制という(1955年に成立したこの構図が長く続いたため)。
ただ自民党は一大政党と言ってもよいくらい強力で、単独で政権をとれるような野党はほぼなく、政権をとった時代も僅かで、日本は二大政党とはとても言えない状況である。


明治新政府成立以後、日本は表社会と裏社会が一体となっていた。
戦後間もなく政権をとった吉田茂の特色は、表社会の補強と言おうか、官僚や官僚出身の政治家を囲い込んだことにある。(裏社会とは裏方の裏ではない)
その目的のために帝国大学や官庁に送り込まれた人物もいただろう。
人間は強さと欲に弱い生き物なので弱みに付け込んで勢力拡大した。

吉田学校
吉田茂の独自体制を支えるために集められた国会議員のグループを指す。吉田と同じ官僚出身が多数を占め、吉田学校出身者の多くは吉田の引退後も戦後日本を牽引した。吉田学校出身者では首相となった池田勇人、佐藤栄作らが有名である。


吉田茂(旧名:竹内茂)が養子となった吉田健三(40歳で死亡)はジャーディン・マセソン商会の商人であった。
この商社もアヘンを扱っていて香港上海銀行設立時に出資している。
安倍首相の祖父・岸信介は1936年に満洲に渡った。
吉田茂、岸信介、とともにアヘンの密輸出入や販売に携わっていた。
アイゼンベルグがサッスーン一族を駆逐してアヘン販売網を奪取できたのは、この日本勢の協力があったからである。
上海から日本に来たアイゼンベルグは里見甫とも出会っていたのである。


●吉田茂(1878年生まれ)東京都出身 ・・麻生副総理の祖父
実父・実母ともはっきりとしていない。
実父は高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士で板垣退助の腹心だった竹内綱であったとされるが、茂の誕生は竹内綱が投獄中のことである。 
養父・吉田健三は竹内の親友であったそうで、女は吉田健三を頼りにして茂を生んだ。
吉田茂は横浜在住の商人であった吉田健三に養子入りし、健三が早死にしたことから子供ながらに莫大な財産を相続した。


●池田勇人(1899年生まれ)広島県出身 ・・吉田茂の舎弟

大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角をあらわし、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。1960年に首相に就任した。


●岸信介(1896年生まれ)旧姓佐藤、佐藤栄作の実兄 山口県出身 ・・安倍首相の祖父
農商務官僚(三島由紀夫父と同期の官僚)から満州国へ、そして戦争。
東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年12月24日、駐日アメリカ大使ジョセフ・グル―の計らいにより不起訴のまま無罪放免。
「昭和の妖怪」と呼ばれた。


■ジョセフ・グル―
アメリカ・ボストンの銀行家一族。
ハーバード大学時代に学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていた。
クリムゾン」は1873年に創刊された学内新聞としては最古の歴史を誇る。
過去にはフランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディなど後に大統領になった人物も学生時代に編集に関わったことでも知られている。
ジョセフ・グル―がクリムゾンに所属していた時の仲間に、キャボットが出資したラッセル商会のアジア担当取締役になり、第二次世界大戦中の大統領にもなるフランクリン・デラノ・ルーズベルトがいた。この2人は学生時代からの友人であった。

ジョセフ・グル―は後にキャボット一族とペリー一族の血を引くアリスと結婚し、駐日アメリカ大使になるわけだが、家族はジョセフがハーバード大学を卒業すると彼を世界旅行に旅立たせた。この時に日本にも来ている。
そしてジョセフ・グル―は「鈴木」という名の人物を連れてアメリカに帰国した。
ジョセフとアリスとの縁を取り持ったのはこの「鈴木」だったという。鈴木大拙!?
その後は家族や友人のコネクション(圧力、忖度?)を存分に使い外交官大使の地位を手に入れた。
外交官としてエジプト、メキシコ、ロシア、ドイツ、デンマーク、スイスなどに派遣された。
しかしジョセフ・グルーは難聴気味であり他国の言葉での会話は不可能であったという。

ジョセフ・グルーは1908年から第一次世界大戦アメリカ参戦1917年までドイツにいた。
ここで注目すべき点がある。
前に書いたようにアメリカはホワイトハウスの主(大統領)が変われば、長官をはじめ政府高官、その下にいる補佐官や秘書などごっそり入れ替わる。党が変われば尚更である。ところがジョセフ・クルーは変わらなかったのである。
次期大統領候補の呼び声も高かったハーバート・フーヴァーは、 人々がドイツの発展を脅威に思っている最中にドイツに近づいていった。彼は親ドイツなのか、それとも反ドイツなのか、ジョセフ・グル―はハーバート・フーヴァーがドイツで何をする気なのか見張っていた(見極めていた)のである。
ハーバート・フーヴァーはクェーカー教徒の一家に生まれて自身もクェーカー教徒であった。
クェーカー教徒と言えば、アメリカ建国に一役買ったトマス・ペイン、ジョンズ・ホプキンス(大学の初代学長はラッセル商会にいたダニエル・ギルマン)。GHQにも信者がいて現天皇の皇太子に家庭教師を務めたエリザベス・ヴァイニングもクェーカー教徒であった。

第一次世界大戦の終盤、ジョセフ・グル―とハーバート・フーヴァ―は一緒にフランスに入った。
彼らが日本の代理人として西園寺八郎と牧野伸顕、松平恆雄、吉田茂を育成した。
西園寺八郎は天皇の私的顧問、牧野伸顕は公式顧問、松平恆雄と吉田茂は私的相談役になった。

西園寺八郎は長州藩(山口県)の毛利一族であり、昭和天皇(1901年生まれ)の実父だという説あり。
同じく長州藩出身の伊藤博文らの仲介により公爵西園寺公望の養子となった。
西園寺(毛利)八郎の長男は、ゾルゲ事件(スターリン時代のソ連のスパイ組織・ゾルゲ諜報団が日本で諜報活動)にてスパイ容疑で逮捕されている。

牧野伸顕は薩摩藩士・大久保利通の息子(大久保伸顕→牧野伸顕)。 娘・雪子が吉田茂の妻となった。つまり吉田茂の義理の父親。

アメリカも明治期以降の日本もヨーロッパ(ロスチャイルドなど)の影響下にあった。
ジョセフ・グル―とハーバート・フーヴァ―はどちらかと言うとロスチャイルドから独立して勢力拡大を狙うアメリカのロックフェラー寄りになっていったのではないだろうか。それに追従したのが日本であった。
ロスチャイルドとロックフェラー、両者の影響下にいて、両者を上手く利用した。
両者の影響下にあったという点では中国も同じである。

ジョセフ・グル―、彼こそが天皇制維持の必要性を主張した人物。
こうして真の戦犯たちは罪や責任から上手く逃れ、何食わぬ顔で戦後を生きることになる。


●佐藤栄作(1901年生まれ)山口県出身 岸信介の実弟・安倍首相の大叔父
運輸省官僚から1949年政界入り。衆議院議員に当選する前の1948年、第二次吉田内閣で官房長官として入閣するという異例の人事。
吉田茂とは縁戚関係にあり早くから親交があった。いわば身内。
ノーベル平和賞受賞(初の国連大使だった加瀬俊一のロビー活動が寄与。加瀬は千葉県出身、妻が小野英二郎の娘)


●橋本登美三郎(1901年生まれ)茨城県出身 ・・吉田茂の舎弟
衆議院議員。自民党幹事長、建設大臣、運輸大臣などを務めた。
ロッキード事件で受託収賄(全日空ルート)で懲役2年6ヶ月(執行猶予3年・追徴金500万円)・・1990年1月19日死去で公訴棄却


●宮沢喜一(1919年生まれ)東京生まれの東京育ちだが本籍は広島県にあった。
父親・宮澤裕は広島県出身の衆議院議員。
大蔵省の官僚から1953年に政界入り。
1991-1993年首相であった。


○永野重雄(1900年生まれ)広島県出身 
新日鉄会長、経済同友会創立者で会長。“戦後の財界のドン” 財界四天王の1人
全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。 会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
ショーン・アイゼンベルグを紹介されスクラップ工場設立に協力した。アイゼンベルグが結婚したのは永野の娘という説もある。
アイゼンベルグらはイギリスに麻薬貿易に貢献したサッスーン一族を殺して麻薬販売網を力ずくで奪い取った。

【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長
永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)


○加計勉(1923年生まれ)広島県出身
池田勇人(1960-1964年首相)が中学の大先輩にあたり親交があった。
その関係で宮澤喜一(1991-1993年首相)の後援会長も務めていた。
1955年予備校・広島英数学館を設立。
1961年、岡山県岡山市半田山の山麓(現在の岡山市北区理大町)に学校法人「加計学園」を設立⇒岡山理科大学


○加瀬英明(1936年生まれ)東京都出身
ノーベル平和賞の裏工作を担当した国連大使・加瀬俊一の息子。オノ・ヨーコの従弟。
慶應義塾大学卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。
日本会議代表委員・東京都本部会長、史実を世界に発信する会代表を務める。
「新しい歴史教科書をつくる会」(残留組)の顧問で、その教科書出版を担当する自由社の社長。
一方で離脱組の「日本教育再生機構」の代表委員とや「日本会議」の幹事や代表委員でもある。







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# by yumimi61 | 2017-08-04 13:26
2017年 08月 03日
日本国憲法の秘密-528- (加計学園問題について)
“the last mile”
技術が発達して機械化が進んでも収穫時期を判断しているのは人間である。
収穫者が収穫時期を逃してしまえば、技術発展もそれまでの作業や努力も意味ないものになってしまう。
それほど最終段階、最終ランナーは大事なものである。
人工知能というからにはコンピューター(機械)がそれを出来なければならない。
人間が収穫機械のスイッチを入れるのではなく、コンピューター(機械)が自分で最適な時期を判断して人間に知らせるなり、自動でスイッチを入れて機械を動かし収穫する必要がある。
現段階ではそれは不可能である。

コンピューターで何かを検索したり買い物をすると、そのままそれが広告として表示されたりする。
あれでは「オウム返し」である。
オウム返しは幼児期や発達障害の人に見られる特徴。
「暑いね~」暑いね~」
「寒いね」「寒いね」
「カッコいい!」「カッコいい!」
「上手」「上手」
「これやって」「これやって」
「ダメでしょ」「ダメでしょ」
「このハゲー」「このハゲー」
「バカ何言ってるの」「バカ何言ってるの」
「ごめんね」「ごめんね」
「傷ついた」「傷ついたんですね」
「ありがとう」「こちらこそありがとう」
「また明日」「はい、また明日」
オウム返しは安心感と心地よさを与えるという側面もある。
同意してもらい受容されている気持ちになるからであろう。
相手の言ったことを否定しないで同じような言葉を返すのはカウンセリング技術の1つでもある。
語彙が少なくなり短文化して必要以上にオウム返しを望む社会は健全とは言い難い。


文科省が教科書検定を行い合格不合格を付ける。
教育委員会や学校長が合格した教科書の中から使用する教科書を選ぶ。
選んだ教科書を児童生徒に無償配布したり購入させる。
その教科書を用いて教師が児童生徒に教える。児童生徒が自発的にそれを読む。
授業では教科書以外に教師が用意した資料が使われることもある。
児童生徒は自発的に教科書以外の書物を読める環境にある。
学習塾に通っている子も少なくない。
学校の授業では1冊の教科書を1年で教え終わらないこともある。最後は駆け足になったり、自分で読んでおくようにとか言って終わることもままある。
特に歴史は年々増えていくわけだから年々厳しくなってくる。近現代の歴史は入りきらないことも多い。
しかし近現代の情報を得ることは古代の情報を得る事よりも簡単であろう。
私立有名進学校では教科書を用いない授業を売りにしたりもしている。

“the last mile”
それは末端ともいえる。
アマゾンが即日に出荷しても、配送業者が3日も4日も荷物を据え置いておいたのでは意味がない。
やはり最終ランナーは大事である。
だからそれを他者に頼まず自社でそれも機械(無人ヘリコプター・ドローン)にやらせようとしていたりするがはてどうだろうか。

教科書をつくる人、教科書を選ぶ人、教科を教える人。
この場合、最終ランナーは教師ということになりそうだ。
しかし今の子供達は学校や教師以外からも学ぶ機会も多い。
教科書の「侵略」や「進出」の言葉分けがそれほど重要とは思えない。
それが重要となってくるのは試験の解答に其の語が用いられる時であろう。
テストや試験あっての教科書である。教科書と試験のセットで言葉は初めて威力を持ってくる。(だから教科書を使わない授業で有数の進学校というのは少々怪しい。本当ならば学校の力量ではない。私立→私立ではその限りではないが)
例えば大学入試センター試験で「侵略」が正解で「進出」が不正解となれば、よほどのことが無い限り受験生は「侵略」と書く。記憶力の良い子ほど間違いは少ない。
その逆も然りで、種々の歴史背景から自分では「侵略」と判断しても、「進出」が正解だと教えられれば「進出」と記入する。
そのうち本当に「進出」と思い込む人もいれば、試験は試験、自分は自分で、自分の意見は変わらない人もいるだろう。
しかしながら外から与える一方だと思考は育ちにくくなる。いわゆる思考停止状態となる。



第二次教科書問題

「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書『新編日本史』(原書房) に中国が批判し、中曽根康弘首相が文部省に検討を要請、5月27日、異例の再審議が行われた。これは第二次教科書問題ともいわれる。
この『新編日本史』は「皇室への敬意を育む」「神話を通して建国を理解させる」などの方針に基ずいて編纂されており、天皇中心の記述が多かった。
「天皇の人間宣言」が記載されておらず、4回にわたる文部省との折衡の焦点となり、『新編日本史』を作成した日本を守る国民会議側は「人間とか神格否定の語句だけは絶対入れたくない」と主張した。
こうしたさなか国民会議支援の懇談会が、不二歌道会、新日本協議会など40数団体が集結して開かれ、政府、文部省に対する糾弾大会の開催が決定した。
『新編日本史』は、検定に合格したが、教科書採択率は低く、昭和62年8月の締め切りで32校8900部に留まり、その理由として朝日新聞が批判記事を書いたことを「悪質な妨害活動」と神社新報は糾弾している。

なお、家永三郎は当時、「立場は違うが、検定で落とせとは口が裂けても言えない」と語り、教科書は自由発行・自由採択であるべきとの持論を述べた。


ということは、「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」は戦後もずっと、そして今も、天皇が人間ではなく神だと思っているということでしょか?
ということは、ローマ教皇も人間ではなく神だと考えているのでしょうか?あれは職業のようなものだから人間だ!?
地上に天(神)ありということで、天存(アマゾン)ですか!?








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# by yumimi61 | 2017-08-03 12:54
2017年 08月 03日
旬と物価
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旬を外れると、値段も外れる。
旬を過ぎると値段が安くなることもあるし、旬を過ぎると値段が高くなるという例もありますね。

野菜などは旬の時期が一番安くて美味しい。
育つのに適した季節(温度や気候)がある野菜は、その時期を過ぎると温めたり冷やしたりと余分なエネルギーや物や作業が必要になる。だからそのエネルギーや物や作業分の値段が上乗せされる。
また作れる人が少なくなり競合相手が減るので価格を下げる必要がなくなるということもある。

一方、季節性や流行のある物品は旬の時期のほうが高い。
それほど値段を下げなくても売れる(需要がある)。
旬を過ぎると安くなる。
夏物が安く売られたり、冬物が安く売られたり。
型落ち製品が安くなったり。

但し野菜の場合も短期的にみれば、旬が高値ということはある。それは採り旬(適した採り時)である。
採り旬を過ぎたものを無料で提供したり安く売ったりすることはある。
本格的な出荷では採り旬を逃したものは難しいが、今流行りの直売所などでは多少の幅が許されるので、値段を下げて売ったりできる。

野菜の例は育成に旬がある。
育ちきった後、購入後はそれほど保存が効かない。

一方下の物品の例は需要に旬がある。
そして保存が効く。1年だけでなく何年も使える物がほとんど。
でもそれでは物が売れないので、メーカーはあれこれ変えて新製品を出し、新しい物を買わせようとする。

需要より供給が上回ると物の価値(値段)は下がる。
物価が上がらないとするならば、それは供給過多ということである。






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# by yumimi61 | 2017-08-03 11:17
2017年 08月 02日
旬聞く?
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# by yumimi61 | 2017-08-02 23:49
2017年 08月 01日
日本国憲法の秘密-527- (加計学園問題について)
「軍に無理やり協力させられた」というセリフはミスリード。
戦争は軍が悪いという誤った解釈に誘導して、軍のみが悪である(悪であった)と植え付ける。
明治憲法という揺るぎない証拠があるのに、どうしてもそれに目を瞑るのか。
「軍」ではなくて「国」や「天皇」と言うべきだわ。

もう少し歴史教科書の件を引っ張る。

「新しい歴史教科書をつくる会」が設立されたのは1996年。
創設者の藤岡信勝は湾岸戦争以前まで日本共産党員であったが、保守に転向して右にも左にも組しない自由主義史観の構築を提唱した。
左から右への転身など自由主義覇権(金融覇権)を主張したアメリカの新保守主義(ネオコン)に似ている。


昨今の日本のニュースにおいては日本の首相もアメリカの大統領も事あるごとに「日本とアメリカは強固な同盟国」と言っていることが報じられるので、第二次世界大戦直後から日本とアメリカは同盟国になったような感覚に陥っている人もいるのではないかと思う。
一方で、戦争の敵で殺し合いをし勝者と敗者になった者がどうして強固な同盟国になんかなれるんだ?と腑に落ちない人もいると思う。
殺人の被害者と加害者が例え和解はしたとしても、堅い絆で結ばれた最良の友、親友になれるだろうか?ということである。
「同盟」という言葉が最初に使われたのは1981年のこと。
鈴木善幸首相とレーガン大統領との会談後の共同声明の中で初めて「同盟関係」という文言が記された。
だから新たな軍事的密約を懸念したマスコミから記者会見の場で「同盟関係ということが初めて謳われたが何か軍事的に変わったことがあるか」という質問がなされたくらいであった。
同盟関係になったのはそれほど昔ではない。(十分昔ですよ?)

アメリカではレーガン大統領の時にネオコンが誕生した。
環境マフィアと呼ばれることもある『不都合な真実』のアル・ゴアの顧問弁護士がネオコン派の代表的人物であったことから少し前にネオコンについて書いた。
**新保守主義(ネオコン)
新保守主義とは左翼から鞍替えした右翼のこと。
旧保守主義とは区別するために新保守主義と呼ばれる。
公民権運動、フェミニズム運動(ウーマン・リブ)、反戦運動などのムーブメントにより大々的に「道徳的正さ」が求められるようになり、品行方正な政治家を良しとする風潮が生まれた。
公民権運動、フェミニズム運動(ウーマン・リブ)、反戦運動、こうした運動をする側は反体制、要するに左翼として捉えられる。アメリカの政党で言えば民主党である。
ヘルメットを被って暴れるといった左翼のイメージからは品行方正さは感じられないが、左翼の運動は結果として波風を立てない大人しい政治家を生みだした(これもある意味、核抑止力が効いていたということですね)。
左翼の中の異端児と言おうか、窮屈な社会に息が詰まったとでもと言うべきか、いつなんどきも品行方正であることがそんなに偉いことか!、といった感じの人達がネオコンである(核抑止力の崩壊と言ってもいいでしょう)。
第二次世界大戦後、ソ連を脅威に感じてびくびくしながら冷戦で様子を窺っていたアメリカだったが、レーガン大統領(1981-1989)は強硬路線を採った。これに乗って左翼・民主党から転向した人が結構いた。
レーガン・中曽根時代には、よくタカ派という言葉が聞かれたが、主張のはっきりとした行動的な人達のことであり、ネオコン派ともダブルものがある。
民主党が政権を取ると、左翼から右翼(反体制から保守)に回るので、必然的にネオコンに足を突っ込むことになる。


レーガン大統領がネオコンではなくて、レーガン大統領の時に左翼から右翼に転向したネオコンが生まれたわけである。
日本とアメリカの共同声明の中で「同盟関係」と言及したのは、同じタカ派で仲が良いと有名なロンヤスコンビの中曽根康弘首相の時ではない。
左翼の人物をも惹きつけたレーガン大統領と鈴木善幸首相との会談によるもので、中曽根首相は鈴木善幸首相の後の首相である。

1981年にアメリカと同盟関係を結んだ鈴木善幸首相の娘と1983年に結婚したのが麻生太郎議員。
この流れを見れば政略結婚と見做されても仕方ないだろうと思う。


1996年に創設された「新しい歴史教科書をつくる会」も度々物議を醸してきたが、歴史教科書が最初に問題としてメディアに取り沙汰されたのはもっと前だった。
それが実は1982年なのである。

第一次教科書問題(教科書誤報事件)
1982年に文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとする誤報がなされ、これにより日本の外交・内政に混乱が生じた事件。
1982年、あなたは何歳でしたか?

1982年(昭和57年)6月26日、大手新聞各紙および各テレビ局は、「文部省(現在の文部科学省)が、教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を(中国華北に対する)“侵略”から“進出”へと改めさせた」と一斉に報じた。『朝日新聞』は「教科書さらに『戦前』復権へ・『侵略』表現薄める・古代の天皇にも敬語」、『毎日新聞』は「教科書統制、一段と強化・過去の日本、正当化・“自衛隊合憲”の記述定着」、『読売新聞』は「自衛隊成立の根拠を明記・明治憲法の長所も記述・中国『侵略』でなく『進出』」といった見出しが並んだ。

同日付の『東亜日報』では「日本、教科書検定強化、古代の天皇に敬語、侵略の用語を抑制」と二段で簡単に報道しただけであった。約二週間後の7月8日付社説でも取り上げられたが、この時点ではさほど大きな問題になってはいなかった。


小学校と中学校の教科書検定は4年に1回行われている。
高校は低学年・中学年・高学年と別に検定が行われているので変則的。
1982年度(昭和57年度)には小学校と高校の教科書検定が実施された。(1983年度に教育委員会や校長に採択され、翌1984年から使用される)
1982年度検定に合格した全教科書593点が1982年6月16日に報道機関に配布された。
これに全部目を通して取材するのは大変なことである。いつになるか分からない、旬を逃してしまう。
そもそも合格しただけのことでその教科書が採択されるかどうかはまだ分からないのだ。
ということで、当時の記者クラブ(文部記者会)では教科書取材については「各社分担・持ち寄り制」という慣行があった。
1981年には次の37点がピックアップされた。
 ・高校―日本史10点、世界史10点、政治経済5点、国語5点、地理4点、倫理3点(計37点)
理科系には口出しできないということでしょうか?定義は変えようがないだろう?


記者クラブ
公的機関や業界団体などの各組織を継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される
大手メディア以外の記者・ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」(日本では、社団法人である日本記者クラブや、日本外国特派員協会などが該当)とは全く性格を異にし、日本独特のシステムと言われ、フリーランスなどに対し排他的であるとして近年、批判を受けている。
アメリカのホワイトハウスや連邦政府の官庁、国連本部などに似た組織が存在している。


記者クラブは法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり、中央省庁・国会・政党を初め、企業・業界団体、地方自治体の役場などに置かれている。ほとんどの記者クラブは庁舎内に専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れている。

つまり敵にはなりにくいとうこと。記者はほとんどがクラブに常駐している。

公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。また、官房機密費を使っての供与疑惑も持ち上がっている。
取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。


ニュースなどで聞いて一番馴染みがあるのは「警視庁記者クラブ」ではないだろうか。
しかしこの「警視庁記者クラブ」は1つではなく、3つのクラブが存在するのだとか。
①朝日、毎日、読売、東京、日経、共同の新聞・通信社6社が加盟する「七社会」。
昔はここに時事新報も加盟していたので、7社の加盟で七社会に。警視庁の記者クラブの中では最も歴史と権威がある。
②日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の民放5社が加盟するのが「ニュース記者会」。
③NHK、産経、時事、ニッポン放送、文化放送、MXテレビが加盟する「警視庁記者倶楽部」。実質的に常駐しているのは前3社で記者クラブの中では最小規模。
このことから分かるのは、同じグループでも新聞とテレビでは記者クラブが違うということ。

当時の文部記者会には新聞やテレビ、通信社など16社が加盟しており、新たに合格した教科書は前の教科書のどこがどうに変わったのか確認したり取材したりすることを各社で分担した。
分担したのでその結果を持ち寄り報告し合った。
それが1982年6月22日だったという。
その場で、実教出版の「世界史」を担当した日本テレビの記者が、「日本軍が華北に侵略すると」という記述が検定によって『日本軍が華北に進出すると」に変わったと報告。
実教出版は工業・商業・農業などの実業高校の分野に強い。昨今も愛国者側(自虐的歴史は嫌だサイド)から度々批判の対象となる教科書出版。
そうした出版社の表記を文部省が検定によって書き換えさせたということを問題視し報道機関は報道した。
それは国による権力行使(強権発動)であり、結果的に再び軍国主義に突き進むのではないかという懸念を持っていたからであろう。
だけど前述の通り、記者クラブは便宜供与されているのに、文部省の協力なく文部省を悪者に出来たのだろうか?
ともかく実際は書き直しはしておらず検定前も検定後も「進出」であったというのだ。(実教出版は今より穏健だった?)
そうとなれば、このような結論がリードされる。
出版社の表記を文部省が検定によって書き換えさせた。⇒事実無根。報道機関の誤報(嘘)。
国による権力行使であり、結果的に再び軍国主義に突き進むのではないかという懸念。⇒在り得ない。


検定した文部省は教科書出版に意見を述べるわけだが、その意見には、直さなければ合格せず必ず直す必要がある修正意見(A意見)と、直しても直さなくてももよい改善意見(B意見)があったという。
「侵略」という文言に付くのはB意見であり、直しても直さなくても合格可能だった。
だから報道の通りに出版社(著者)が書き直したとしても何ら不思議はなかった。
現に直す出版社もあれば直さない出版社もあったと言うが、1982年検定で書き直しした出版社はなかったという。(実教出版は最初から「進出」だったらしい)
こういってはなんだが検定過程においては大した問題ではなかったわけだ。
採択する者が気になるなら、そうでない教科書を選べばよいだけの話であり、選択肢がある状態であったということなのだ。(こうなるとと採択者が重要になりますか?)

だけど古今東西「侵略」という言葉には敏感であるがゆえ、選択肢がある状態が許せない人もいるのだろう。
つまり「侵略」「進出」どちらでもよいという意見ではなく、「侵略」に対して文部省は修正命令であるA意見を付けるべきという考えの人がいるということ。
この侵略問題は外に相手がいるだけに面倒である。外交問題となる。
侵略した側は侵略ではない(合意の上の進出)と主張し、侵略された側は侵略だと主張する。
進出した側は合意の上の進出だったと主張し、進出された側は一方的な侵略であり合意なんかあるはずないと主張する。
これは合意があったとかなかったとかで言い争う強姦罪によく似ていますね。
強姦罪は日本では今のところ被害者からの告訴がなければ検察が起訴することができない親告罪である。
捜査機関が独自に逮捕や捜査をすることは出来ない。
だから金銭で片が付くことも少なくない。
侵略された中国が告訴し、国際連盟がそれを調査し侵略行為と認定。日本は満州国建国の無効と日本軍の撤退を求められたが、それが不服で国際連盟を脱退した。
言うなれば、裁判の結果に従わなかったということである。この歴史から進出と語るのは無理がある気がするが。

報道から1ヶ月後に中国から正式な抗議があり、韓国でも反発が大きいと伝えたのは共同通信社ソウル支局長の黒田勝弘であった。
共同通信社の創立は下記を参照。新聞社とNHKが出資して前会社の事業を受け継ぐ形で設立され、電通とも関係がある。

日本広告・電通→電通
際通信社・東方通信社→新聞連合社→同盟通信社→(戦後に解散・加盟新聞社とNHKが出資)→共同通信社
※電通は通信部門は同盟通信社に、同盟通信社は広告部門を電通に。

日本広告と電通の創業者は熊本県人。
長年電通のトップとして君臨した成田豊は創業家一族ではなく元従業員であった。
成田の父は石川県出身だが朝鮮総督府鉄道に勤務しており朝鮮半島を転々としていて、豊は日本統治下の忠清南道天安郡(現在の天安市)に生まれている。
国籍がどうなっているかは与り知らぬが、韓国生まれの韓国育ちであった。

電通は1932年に満洲国において新聞聯合社と電通の通信網を統合した国策会社「満洲国通信社」(国通)を創立。
同社は新京に本社を置き里見甫を主筆として活動したが、1936年(昭和11年)には通信部門は同盟通信社に譲渡され、電通は広告代理店専業となる。


里見甫という名前に見覚えはないだろうか?アヘン王であった里見は電通の国策会社にいたのである。
吉田茂(旧名:竹内茂)が養子となった吉田健三(40歳で死亡)はジャーディン・マセソン商会の商人であった。
この商社もアヘンを扱っていて香港上海銀行設立時に出資している。

安倍首相の祖父・岸信介は1936年に満洲に渡った。

吉田茂、岸信介、とともにアヘンの密輸出入や販売に携わっていた。
アイゼンベルグがサッスーン一族を駆逐してアヘン販売網を奪取できたのは、この日本勢の協力があったからである。
上海から日本に来たアイゼンベルグは里見甫とも出会っていたのである。



支配下に置いた時代もあったので、日本びいきの旧知の知り合いなど太いパイプはあるだろう。
しかし一方、侵略し支配下に置いたということは、反発する人だって少なくない。
中国と韓国の外交問題に発展すると、なかなか日本の意のままにはいかなくなって、「進出」では済まない。

韓国の反発が大きいと報じた共同通信社ソウル支局長の黒田勝弘の意図はどこにあったのか、彼はその後NHK→フジサンケイグループの産経新聞へと転職。
フジサンケイグループと言えば自虐的歴史を良しとしない新しい教科書の出版を請け負う扶桑社・育鵬社を擁している。
だからフジサンケイグループは保守派メディアと言われている。
客を拒む権利が店主にはあるのと同じようにメディアには報道しない自由もあるらしいので、韓国の反発を報道しないという選択もあっただろうか?なし?意向がある?圧力がある?煽っただけ?


しかしながら、どうして書き換えしていないものが書き換えしたことになってしまったのだろうか。
文部省が説明するように本当に書き換えはなかったのか?文部省が嘘を付いているということはないのか?
政府関係者が答弁で嘘を付く事なんかよくあることではないか。
いつの時代も権力や法律を盾にする政治家の前に民間人は弱い存在である。
そういう疑問は払拭できなかったのだろう。
あるいは、世間が全く無関心だったか。

そこで次なるキャンペーンがうたれた。
書き換えていないのに書き換えたと報道した報道機関が悪者になった。

書き換え報道があってから2ヶ月後の9月2日になって文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』に渡部昇一の「萬犬虚に吼えた教科書問題」が掲載された。『諸君!』の渡部論文は、板倉由明の調査や8月6日付世界日報「テレスコープ」「実際は変わっていない“教科書”」「一部を誇大に報道」「『侵略』記述は、逆に増加」などを参考にしている。これに先立ち渡部は8月22日放映の『竹村健一の世相を斬る』に出演、用語を書き改めた教科書が皆無であることを明確に断言している。
『週刊朝日』はこの問題について、野坂昭如と対談しないか、と渡部に企画を持ちかけ、また、「書き換えは存在しない」ことのソースをしきりに知りたがったという。


『週刊文春』には「意外『華北・侵略→進出』書き換えの事実なし」が掲載され、9月7日には産経新聞が一面で訂正お詫びを掲載した。ここに「侵略進出書き換えは誤報である」との主張が始まった。
一方朝日新聞はお詫び記事を掲載せず、「読者と朝日新聞」という中川昇三社会部長名の四段の囲み記事で、「『侵略』→『進出』今回はなし」「教科書への抗議と誤報」「問題は文部省の検定姿勢に」と報じた。「一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません」としながら、「ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか」「侵略ということばをできる限り教科書から消していこう、というのが昭和三十年ごろからの文部省の一貫した姿勢だったといってよいでしょう」と書いた。


誤報であるという顛末に納得がいかなかったのが週刊朝日や朝日新聞だったということらしい。
元々は国家に近い存在だった朝日が左翼として敵視されるようになったのはこの頃からではないのか。

「侵略→進出」がセンセーショナルに報道された一方で、「『侵略→進出』書き換えが誤報である」ことは広く伝わることはなかった。いわゆる「進歩的文化人」は、その後も「日本の右傾化」「侵略主義の隠蔽」といった表現で論議を展開していく。たとえば藤原彰は1994年8月に出版された著書の中でも「文部省の歴史教科書の検定が「侵略」を「進出」に直させたり」と書いている。

センセーショナルに報道されたものが後で間違いだと分かっても、それが広く伝わることがないのは全くその通り。
だから印象操作のためにセンセーショナルに報道すると批判されても仕方ない部分がある。
でも間違いであったという姿勢に態度を大きく変えて大々的に報道すると、手のひら返しなどと言われてこれも激しく非難されるので、誤りを報道しにくいという側面もあることは確か。


この騒動は結果的に教科書定基準の中に「近隣諸国条項」の追加するはめになったという。策士策に溺れる!?
条項―近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。

それにお嘆きなのが、加戸元文部省官僚(元愛媛県知事)。
自虐史観記述の源流「近隣諸国条項」撤廃も 2013年4月11日 産経ニュース(新しい歴史教科書のお仲間である産経のニュース)

安倍政権が、教科書検定制度の見直しを目指す。その背景には、現行制度では社会科を中心に多くの教科書にはびこる自虐史観の記述に歯止めをかけることができず、改正教育基本法に掲げた愛国心の育成を阻害しているとの考えがある。その源流ともいえるのが、近現代史の教科書記述で近隣アジア諸国への配慮を求めた「近隣諸国条項」だ。

 条項導入のきっかけは昭和57年の高校教科書検定で、当時の文部省が、中国華北への日本の「侵略」を「進出」に書き換えさせたと報道されたことだった。実際には誤報だったが、中国と韓国が強く反発して外交問題に発展したため、沈静化を図ろうと検定基準に付け加えた。

 これを機に、「慰安婦問題」や「南京事件」など主に歴史認識の問題について、自虐史観の記述が急増していく。

 当時、文部官僚として条項導入に携わった元愛媛県知事の加戸守行氏は「条項導入で、省内は中国と韓国に関する記述はアンタッチャブルですべて認めざるを得ないという雰囲気に陥った。一方の教科書会社側は『削れるものなら削ってみろ』という勢いで自虐史観の記述を強めていき、明らかに条項導入前より過激になった」と振り返る。



報道悪のキャンペーンを張った論調jの記事を書いた渡部昇一は、上智大学卒のカトリック教徒である。

先生の本を読んで、これは凄いと思いました
渡部昇一先生×メグビー株式会社代表取締役 笹木多恵子
 より

笹木:先生は上智ですから、カトリックですよね?幼児洗礼を受けていらっしゃるんですか?

渡部:家内は親の代からですが、私は大学の2年の時です。
中川先生(元国際基督教大学学長)というとてもお元気な100歳近いプロテスタントのリーダーの一人ですが、お話を伺った時に「この歳になると死んで神のそばに行くとかキリストのそばに行くとか、そんなことを考える必要は無いですね。虚空に消えるだけでいいじゃないですか。」って仰ったんですよ。キリスト教の大リーダーですよ!
若い人は病気で死ぬから苦しむんです。究極の医学は95歳まで生かせることですよ。
いわゆるボケ老人ではなくて、ボケていない人は95歳まで生きないと気の毒です。それまで生きれば安らかに死ねると思いますよ。ボケたら死ぬのは怖くないんでしょうか?
先生は老齢までお元気で、一番参考になる方のおひとりですよ。スキーに行って亡くなられましたよね?


どうですか、これ。
カトリック教徒なはずなのに、国際基督教大学学長であったプロテスタントリーダーの影響を受けたような話しぶり。
日本のカトリックとプロテスタントの区別はかなり怪しい。
皇室を見ても(そもそも神道であるはずの皇室がキリスト教の学校出身であることや、あえて入学することが信じられないけれども)、カトリック系の学校とプロテスタント系の学校を股にかけている。






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# by yumimi61 | 2017-08-01 14:58
2017年 07月 30日
資料(日本会議国会議員懇談会の会員)
日本会議 国会議員懇談会の会員(2016年現在) ※氏名はあいうえお順

1.逢沢一郎 自由民主党 衆 岡山1区 [19][20]
2.愛知治郎 自由民主党 参 宮城県 [19][20]
3.青木一彦 自由民主党 参 島根県 [19][20]
4.青柳陽一郎 民進党 衆 比例南関東(神奈川6区) [19][20]
5.青山周平 自由民主党 衆 比例東海(愛知12区) [19][20]
6.赤池誠章 自由民主党 参 比例区 事務局次長 [19][20]
7.秋元司 自由民主党 衆 比例東京(東京15区) [19][20]
8.浅尾慶一郎 無所属 衆 神奈川4区 [19][20]
9.東徹 日本維新の会 参 大阪府 [19][20]
10.麻生太郎 自由民主党 衆 福岡8区 特別顧問 [19][20]
11.阿達雅志 自由民主党 参 比例区 [19][20]
12.穴見陽一 自由民主党 衆 比例九州(大分1区) [19][20]
13.安倍晋三 自由民主党 衆 山口4区 特別顧問 [19][20]
14.甘利明 自由民主党 衆 神奈川13区 [19][20]
15.有村治子 自由民主党 参 比例区 政策審議会副会長 [19][20]
16.安藤裕 自由民主党 衆 比例近畿(京都6区) [19][20]
17.池田道孝 自由民主党 衆 比例中国 [19][20]
18.池田佳隆 自由民主党 衆 比例東海(愛知3区) [19][20]
19.石井準一 自由民主党 参 千葉県 [19][20]
20.石井正弘 自由民主党 参 岡山県 [19][20]
21.石関貴史 民進党 衆 比例北関東(群馬2区) [19][20]
22.石破茂 自由民主党 衆 鳥取1区 相談役 [19][20]
23.石原宏高 自由民主党 衆 東京3区 [19][20]
24.礒崎陽輔 自由民主党 参 大分県 政策審議会副会長 [19][20]
25.磯崎仁彦 自由民主党 参 香川県 [19][20]
26.伊東良孝 自由民主党 衆 北海道7区 [19][20]
27.稲田朋美 自由民主党 衆 福井1区 政策審議会副会長 [19][20]
28.井上貴博 自由民主党 衆 福岡1区 [19][20]
29.井上信治 自由民主党 衆 東京25区 [19][20]
30.井上英孝 日本維新の会 衆 大阪1区 [19][20]
31.井上義行 無所属 参 比例区 [19][20]
32.井林辰憲 自由民主党 衆 静岡2区 [19][20]
33.井原巧 自由民主党 参 愛媛県 [19][20]
34.伊吹文明 自由民主党 衆 京都1区 [19][20]
35.今枝宗一郎 自由民主党 衆 愛知14区 [19][20]
36.今津寛 自由民主党 衆 比例北海道(北海道6区) [19][20]
37.今村雅弘 自由民主党 衆 比例九州 [19][20]
38.岩田和親 自由民主党 衆 比例九州(佐賀1区) [19][20]
39.岩屋毅 自由民主党 衆 大分3区 幹事 [19][20]
40.上野通子 自由民主党 参 栃木県 [19][20]
41.宇都隆史 自由民主党 参 比例区 [19][20]
42.浦野靖人 日本維新の会 衆 比例近畿(大阪15区) [19][20]
43.江渡聡徳 自由民主党 衆 青森2区 [19][20]
44.衛藤晟一 自由民主党 参 比例区 幹事長 [19][20]
45.衛藤征士郎 自由民主党 衆 大分2区 [19][20]
46.江藤拓 自由民主党 衆 宮崎2区 幹事 [19][20]
47.遠藤敬 日本維新の会 衆 大阪18区 [19][20]
48.大岡敏孝 自由民主党 衆 滋賀1区 [19][20]
49.大隈和英 自由民主党 衆 比例近畿(大阪10区) [19][20]
50.大島理森 自由民主党 衆 青森3区 [19][20]
51.太田房江 自由民主党 参 比例区 [19][20]
52.大塚高司 自由民主党 衆 大阪8区 [19][20]
53.大塚拓 自由民主党 衆 埼玉9区 [19][20]
54.大西英男 自由民主党 衆 東京16区 [19][20]
55.大西宏幸 自由民主党 衆 比例近畿(大阪1区) [19][20]
56.大野敬太郎 自由民主党 衆 香川3区 [19][20]
57.大家敏志 自由民主党 参 福岡県 [19][20]
58.岡下昌平 自由民主党 衆 比例近畿(大阪17区) [19][20]
59.岡田広 自由民主党 参 茨城県 [19][20]
60.奥野信亮 自由民主党 衆 奈良3区 幹事 [19][20]
61.小倉將信 自由民主党 衆 東京23区 [19][20]
62.小里泰弘 自由民主党 衆 鹿児島4区 [19][20]
63.小田原潔 自由民主党 衆 東京21区 [19][20]
64.越智隆雄 自由民主党 衆 東京6区 [19][20]
65.尾辻秀久 自由民主党 参 鹿児島県 相談役、日本会議代表委員 [19][20]
66.鬼木誠 自由民主党 衆 福岡2区 [19][20]
67.尾身朝子 自由民主党 衆 比例北関東 [19][20]
68.柿沢未途 民進党 衆 東京15区 [19][20]
69.梶山弘志 自由民主党 衆 茨城4区 [19][20]
70.片山さつき 自由民主党 参 比例区 [19][20]
71.勝沼栄明 自由民主党 衆 比例東北(宮城5区) [19][20]
72.勝俣孝明 自由民主党 衆 比例東海(静岡6区) 副幹事長 [19][20]
73.加藤勝信 自由民主党 衆 岡山5区 [19][20]
74.加藤寛治 自由民主党 衆 長崎2区 [19][20]
75.門山宏哲 自由民主党 衆 比例南関東(千葉1区) [19][20]
76.金子万寿夫 自由民主党 衆 鹿児島2区 [19][20]
77.金子恵美 自由民主党 衆 新潟4区 [19][20]
78.金子恭之 自由民主党 衆 熊本5区 [19][20]
79.金田勝年 自由民主党 衆 秋田2区 [19][20]
80.神谷昇 自由民主党 衆 比例近畿(大阪18区) [19][20]
81.神山佐市 自由民主党 衆 埼玉7区 [19][20]
82.亀井静香 無所属 衆 広島6区 [19][20]
83.亀岡偉民 自由民主党 衆 福島1区 [19][20]
84.鴨下一郎 自由民主党 衆 東京13区 [19][20]
85.河野正美 日本維新の会 衆 比例九州(福岡4区) [19][20]
86.河村建夫 自由民主党 衆 山口3区 [19][20]
87.神田憲次 自由民主党 衆 比例東海(愛知5区) [19][20]
88.木内均 自由民主党 衆 比例北陸信越(静岡7区) [19][20]
89.城内実 自由民主党 衆 静岡7区 [19][20]
90.黄川田仁志 自由民主党 衆 埼玉3区 [19][20]
91.岸信夫 自由民主党 衆 山口2区 [19][20]
92.岸田文雄 自由民主党 衆 広島1区 [19][20]
93.北村茂男 自由民主党 衆 石川3区 [19][20]
94.北村誠吾 自由民主党 衆 長崎4区 [19][20]
95.木原誠二 自由民主党 衆 東京20区 幹事 [19][20]
96.木原稔 自由民主党 衆 熊本1区 幹事 [19][20]
97.木村太郎 自由民主党 衆 青森4区 [19][20]
98.木村義雄 自由民主党 参 比例区 [19][20]
99.工藤彰三 自由民主党 衆 愛知4区 [19][20]
100.熊田裕通 自由民主党 衆 愛知1区 [19][20]
101.上月良祐 自由民主党 参 茨城県 [19][20]
102.鴻池祥肇 自由民主党 参 兵庫県 [19][20]
103.國場幸之助 自由民主党 衆 比例九州(沖縄1区) [19][20]
104.小島敏文 自由民主党 衆 比例中国(広島6区) [19][20]
105.小林鷹之 自由民主党 衆 千葉2区 [19][20]
106.小林史明 自由民主党 衆 広島7区 [19][20]
107.今野智博 自由民主党 衆 比例北関東(埼玉11区) [19][20]
108.齋藤健 自由民主党 衆 千葉7区 [19][20]
109.斎藤洋明 自由民主党 衆 比例北陸信越(新潟3区) [19][20]
110.酒井庸行 自由民主党 参 愛知県 [19][20]
111.坂本哲志 自由民主党 衆 熊本3区 [19][20]
112.坂本祐之輔 民進党 衆 比例北関東(埼玉10区) [19][20]
113.櫻田義孝 自由民主党 衆 千葉8区 副幹事長 [19][20]
114.笹川博義 自由民主党 衆 群馬3区 [19][20]
115.佐々木紀 自由民主党 衆 石川2区 [19][20]
116.左藤章 自由民主党 衆 大阪2区 [19][20]
117.佐藤正久 自由民主党 参 比例区 [19][20]
118.佐藤ゆかり 自由民主党 衆 大阪11区 [19][20]
119.山東昭子 自由民主党 参 比例区 [19][20]
120.塩崎恭久 自由民主党 衆 愛媛1区 [19][20]
121.塩谷立 自由民主党 衆 静岡8区 [19][20]
122.柴山昌彦 自由民主党 衆 埼玉8区 [19][20]
123.島田佳和 自由民主党 衆 比例東海(三重2区) [19][20]
124.島村大 自由民主党 参 神奈川県 [19][20]
125.清水貴之 日本維新の会 参 兵庫県 副幹事長 [19][20]
126.下地幹郎 日本維新の会 衆 比例九州(沖縄1区) [19][20]
127.下村博文 自由民主党 衆 東京11区 副会長 [19][20]
128.新谷正義 自由民主党 衆 比例中国 [19][20]
129.新藤義孝 自由民主党 衆 埼玉2区 [19][20]
130.末松信介 自由民主党 参 兵庫県 [19][20]
131.菅義偉 自由民主党 衆 神奈川2区 副会長 [19][20]
132.菅原一秀 自由民主党 衆 東京9区 [19][20]
133.鈴木淳司 自由民主党 衆 比例東海(愛知7区) [19][20]
134.世耕弘成 自由民主党 参 和歌山県 [19][20]
135.瀬戸隆一 自由民主党 衆 比例四国(香川2区) [19][20]
136.薗浦健太郎 自由民主党 衆 千葉5区 幹事 [19][20]
137.高市早苗 自由民主党 衆 奈良2区 副会長 [19][20]
138.高木宏壽 自由民主党 衆 北海道3区 [19][20]
139.高鳥修一 自由民主党 衆 新潟6区 事務局次長 [19][20]
140.高野光二郎 自由民主党 参 高知県 [19][20]
141.高橋克法 自由民主党 参 栃木県 [19][20]
142.滝沢求 自由民主党 参 青森県 [19][20]
143.武井俊輔 自由民主党 衆 宮崎1区 [19][20]
144.竹下亘 自由民主党 衆 島根2区 [19][20]
145.武田良太 自由民主党 衆 福岡11区 [19][20]
146.武部新 自由民主党 衆 北海道12区 [19][20]
147.武村展英 自由民主党 衆 滋賀3区 [19][20]
148.竹本直一 自由民主党 衆 大阪15区 [19][20]
149.田所嘉徳 自由民主党 衆 茨城1区 [19][20]
150.田中英之 自由民主党 衆 京都4区 [19][20]
151.田中良生 自由民主党 衆 埼玉15区 [19][20]
152.棚橋泰文 自由民主党 衆 岐阜2区 [19][20]
153.谷垣禎一 自由民主党 衆 京都5区 顧問 [19][20]
154.谷川とむ 自由民主党 衆 比例近畿(大阪19区) [19][20]
155.田畑裕明 自由民主党 衆 富山1区 [19][20]
156.田村憲久 自由民主党 衆 三重4区 [19][20]
157.塚田一郎 自由民主党 参 新潟県 [19][20]
158.柘植芳文 自由民主党 参 比例区 [19][20]
159.津島淳 自由民主党 衆 青森1区 [19][20]
160.土屋正忠 自由民主党 衆 東京18区 [19][20]
161.寺田稔 自由民主党 衆 広島5区 [19][20]
162.土井亨 自由民主党 衆 宮城1区 [19][20]
163.冨樫博之 自由民主党 衆 秋田1区 [19][20]
164.渡嘉敷奈緒美 自由民主党 衆 大阪7区 [19][20]
165.冨岡勉 自由民主党 衆 長崎1区 [19][20]
166.豊田俊郎 自由民主党 参 千葉県 [19][20]
167.中泉松司 自由民主党 参 秋田県 [19][20]
168.長尾敬 自由民主党 衆 比例近畿(大阪14区) [19][20]
169.永岡桂子 自由民主党 衆 比例北関東(茨城7区) [19][20]
170.中川雅治 自由民主党 参 東京都 [19][20]
171.中川郁子 自由民主党 衆 北海道11区 [19][20]
172.長坂康正 自由民主党 衆 愛知9区 [19][20]
173.長島昭久 民進党→無所属 衆 比例東京(東京21区) [19][20]
174.長島忠美 自由民主党 衆 新潟5区 [19][20]
175.中曽根弘文 自由民主党 参 群馬県 会長代行 [19][20]
176.中谷元 自由民主党 衆 高知1区 [19][20]
177.中谷真一 自由民主党 衆 比例南関東 [19][20]
178.中野正志 日本のこころを大切にする党 参 比例区 [19][20]
179.中村裕之 自由民主党 衆 北海道4区 [19][20]
180.中山恭子 日本のこころを大切にする党 参 比例区 [19][20]
181.中山泰秀 自由民主党 衆 大阪4区 [19][20]
182.西田昌司 自由民主党 参 京都府 [19][20]
183.西村明宏 自由民主党 衆 宮城3区 [19][20]
184.西村康稔 自由民主党 衆 兵庫9区 [19][20]
185.二之湯武史 自由民主党 参 滋賀県 [19][20]
186.額賀福志郎 自由民主党 衆 茨城2区 副会長 [19][20]
187.根本幸典 自由民主党 衆 愛知15区 [19][20]
188.野上浩太郎 自由民主党 参 富山県 [19][20]
189.野田聖子 自由民主党 衆 岐阜1区 [19][20]
190.野田毅 自由民主党 衆 熊本2区 [19][20]
191.野中厚 自由民主党 衆 埼玉12区 [19][20]
192.野村哲郎 自由民主党 参 鹿児島県 [19][20]
193.萩生田光一 自由民主党 衆 東京24区 事務局長 [19][20]
194.橋本岳 自由民主党 衆 岡山4区 [19][20]
195.橋本聖子 自由民主党 参 比例区 幹事 [19][20]
196.長谷川岳 自由民主党 参 北海道 [19][20]
197.馬場成志 自由民主党 参 熊本県 [19][20]
198.馬場伸幸 日本維新の会 衆 大阪17区 [19][20]
199.浜田靖一 自由民主党 衆 千葉12区 [19][20]
200.林幹雄 自由民主党 衆 千葉10区 [19][20]
201.平口洋 自由民主党 衆 広島2区 [19][20]
202.平沢勝栄 自由民主党 衆 東京17区 幹事 [19][20]
203.平沼赳夫 自由民主党 衆 岡山3区 会長 [19][20]
204.福井照 自由民主党 衆 比例四国 [19][20]
205.福島伸享 民進党 衆 比例北関東(茨城1区) [19][20]
206.福山守 自由民主党 衆 比例四国 [19][20]
207.藤井比早之 自由民主党 衆 兵庫4区 [19][20]
208.古川禎久 自由民主党 衆 宮崎3区 政策審議会副会長 [19][20]
209.古屋圭司 自由民主党 衆 岐阜5区 副会長 [19][20]
210.星野剛士 自由民主党 衆 神奈川12区 [19][20]
211.細田健一 自由民主党 衆 新潟2区 [19][20]
212.堀井学 自由民主党 衆 北海道9区 [19][20]
213.堀内詔子 自由民主党 衆 比例南関東(山梨2区) [19][20]
214.舞立昇治 自由民主党 参 鳥取県 [19][20]
215.前田一男 自由民主党 衆 比例北海道(北海道8区) [19][20]
216.牧原秀樹 自由民主党 衆 比例北関東(埼玉5区) [19][20]
217.松沢成文 無所属 参 神奈川県 [19][20]
218.松下新平 自由民主党 参 宮崎県 [19][20]
219.松浪健太 日本維新の会 衆 比例近畿(大阪10区) [19][20]
220.松野博一 自由民主党 衆 千葉3区 [19][20]
221.松野頼久 民進党 衆 比例九州(熊本1区) [19][20]
222.松原仁 民進党 衆 比例東京(東京3区) [19][20]
223.松本文明 自由民主党 衆 比例東京(東京7区) [19][20]
224.松本洋介 自由民主党 衆 東京19区 [19][20]
225.松山政司 自由民主党 参 福岡県 幹事 [19][20]
226.丸川珠代 自由民主党 参 東京都 [19][20]
227.三ッ林裕巳 自由民主党 衆 埼玉14区 [19][20]
228.御法川信英 自由民主党 衆 秋田3区 [19][20]
229.三原朝彦 自由民主党 衆 福岡9区 [19][20]
230.三原じゅん子 自由民主党 参 比例区 [19][20]
231.宮内秀樹 自由民主党 衆 福岡4区 [19][20]
232.宮川典子 自由民主党 衆 比例南関東(山梨1区) [19][20]
233.三宅伸吾 自由民主党 参 香川県 [19][20]
234.宮腰光寛 自由民主党 衆 富山2区 [19][20]
235.宮崎政久 自由民主党 衆 比例九州(沖縄2区) [19][20]
236.宮澤博行 自由民主党 衆 静岡3区 [19][20]
237.宮下一郎 自由民主党 衆 長野5区 [19][20]
238.武藤貴也 無所属 衆 滋賀4区 [19][20]
239.武藤容治 自由民主党 衆 岐阜3区 [19][20]
240.村岡敏英 民進党 衆 比例東北(秋田3区) [19][20]
241.村上誠一郎 自由民主党 衆 愛媛2区 [19][20]
242.茂木敏充 自由民主党 衆 栃木5区 [19][20]
243.望月義夫 自由民主党 衆 静岡4区 [19][20]
244.森英介 自由民主党 衆 千葉11区 副会長 [19][20]
245.森屋宏 自由民主党 参 山梨県 [19][20]
246.森山裕 自由民主党 衆 鹿児島5区 [19][20]
247.保岡興治 自由民主党 衆 鹿児島1区 [19][20]
248.簗和生 自由民主党 衆 栃木3区 [19][20]
249.柳本卓治 自由民主党 参 大阪府 [19][20]
250.山口俊一 自由民主党 衆 徳島2区 [19][20]
251.山崎正昭 自由民主党 参 福井県 副幹事長 [19][20]
252.山下貴司 自由民主党 衆 岡山2区 [19][20]
253.山田賢司 自由民主党 衆 兵庫7区 [19][20]
254.山谷えり子 自由民主党 参 比例区 政策審議会会長 [19][20]
255.山本公一 自由民主党 衆 愛媛4区 [19][20]
256.山本幸三 自由民主党 衆 福岡10区 [19][20]
257.山本順三 自由民主党 参 愛媛県 [19][20]
258.山本拓 自由民主党 衆 比例北陸信越 [19][20]
259.山本朋広 自由民主党 衆 比例南関東 [19][20]
260.山本有二 自由民主党 衆 高知2区 [19][20]
261.義家弘介 自由民主党 衆 比例南関東(神奈川16区) [19][20]
262.吉川貴盛 自由民主党 衆 北海道2区 [19][20]
263.笠浩史 民進党 衆 神奈川9区 [19][20]
264.若林健太 自由民主党 参 長野県 [19][20]
265.鷲尾英一郎 民進党 衆 比例北陸信越(新潟2区) [19][20]
266.和田政宗 無所属 参 宮城県 [19][20]
267.渡辺周 民進党 衆 静岡6区 副会長 [19][20]
268.渡辺猛之 自由民主党 参 岐阜県 [19][20]
269.渡辺博道 自由民主党 衆 千葉6区 [19][20]
270.渡邉美樹 自由民主党 参 比例区 [19][20]

[19]俵義文 『日本会議の全貌——知られざる巨大組織の実態』 花伝社、2016年。ISBN 9784763407818。
[20] 成澤宗男編著 『日本会議と神社本庁』 金曜日、2016年。ISBN 9784865720105。

※ラインは同会の役職者。
※赤色は現内閣のメンバー。

国会議員数は、衆議院475人、参議院242人で、計717人。
このうちの270人が日本会議国会議員懇談会の会員であるから、約40%(37.656904)が会員である。

自称安倍晋三応援団と公言しネット戦略アドバイザーで安倍Twitterの中の人でもあるくらいなのに会員ではない山本一太議員のように、熱烈に安倍首相を支持していても会員でない人もいるから、何らかの事情で入りたくても入れない人もいるのかもしれない。(一太議員は国連の意向ですか?)
但し、山本一太議員は神道政治連盟国会議員懇談会(会員国会議員310人)の会員ではある。
現在の入閣者で日本会議国会議員懇談会の会員とされていない者も数名いるが、神道政治連盟国会議員懇談会のほうには属している。
今現在どちらでも確認できないのは鶴保庸介内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)のみ。野田聖子議員の元パートナー。
かつては本人のホームページにも所属していることが記されていたが、現在は本人サイトでも会のサイトでも確認はとれず。

神道政治連盟
日本の国民運動団体。略称名は神政連。神社界を母体として1969年(昭和44年)に結成された神社本庁の関係団体である。 現在の会長は、長曽我部延昭(伊豫豆比古命神社宮司)。 本部所在地は神社本庁と同一である。
「神道政治連盟国会議員懇談会」は神道政治連盟の趣旨に賛同する日本の国会議員からなる議員連盟。

キリスト教徒であることを公にしている麻生議員(カトリック)や石破議員(プロテスタント)が日本会議国会議員懇談会や神道政治連盟国会議員懇談会に同調しているというのも胡散臭い。(どちらも両方に属している)
愛国ー!伝統ー!日本がー!神社―!とか言うならば改宗し、それを公表した方がよいのではないかとさえ思う。
世界的に宗教の問題ってデリケートなはず。

その証拠に超党派と言えど日本会議国会議員懇談会に公明党の国会議員(2016年現在60名)は一人もいない。
創価学会という宗教組織がバックについているからだろう。
熱心な信仰者は宗教の垣根をそんなに簡単には超えられない。

それから日本会議国会議員懇談会の副会長でもある古屋圭司議員。
この人、国家公安委員会委員長(内閣府の外局であり警察庁を管理する)だった人である。
国家公安委員会委員長も首相が任命するのだということに気が付いて愕然とした。

2012年9月の自由民主党総裁選挙では安倍晋三を支援し、推薦人にも名を連ねた。
同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、岐阜5区で前回敗れた民主党の阿知波に比例復活すら許さないほどの大差をつけて破り、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で国家公安委員会委員長兼内閣府特命担当大臣(防災)および拉致問題・国土強靭化を担当する国務大臣に任命され、初入閣した。


1976年3月に成蹊大学経済学部経済学科卒業後、同年4月に大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)へ入社。1984年に退社し、安倍晋太郎(当時外務大臣)の秘書に転じる。同年、養父である古屋亨の秘書を務める。 


日本会議国会議員懇談会も神道政治連盟国会議員懇談会も国会議員懇談会であるので、国会議員でなくなればここに属する資格はなくなる。(大元の日本会議や神道政治連盟には属せる)
小池百合子現東京都知事もかつては会員であったが、2016年東京都知事選挙に立候補したため衆議院議員を自動失職。
こちらからも抜けた。
しかし在籍時は副幹事長を務めていた。 日本会議国会議員懇談会の役職だったのだ。
ちなみに石原慎太郎元都知事は日本会議の代表委員である。






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# by yumimi61 | 2017-07-30 20:21
2017年 07月 30日
日本国憲法の秘密-526- (加計学園問題について)
第一次安倍内閣:2006年9月~2007年9月
第二次安倍内閣:2012年12月~

なぜ安倍政権一強で野党にも受け皿がないと言われるかと言えば、超党派な組織があるからである。
また2011年3月に発生した東日本大震災時の政権が民主党で、その時の混乱の記憶が人々に強く残っているからである。
政権を握っていることの多い自民党が、たまたまあの時に政権でなかったことは自民党にとってはかなりラッキーだったとも言える。(今に限らず内閣誕生以後ずっと日本は二大政党とは言えない)


「新しい歴史教科書をつくる会」
 ①残留組
 ②離脱組=日本教育再生機構(2006年発足)、改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)

「新しい歴史教科書をつくる会」=扶桑社(フジサンケイグループ)⇒2007年に関係解消
 ①残留組―自由社
 ②離脱組―扶桑社・育鵬社(扶桑社が新たに設立した子会社)

※豆知識―育鵬社の「鵬」は中国の伝説の鳥である。


「新しい歴史教科書をつくる会」に内紛が絶えなかったのは事実であるが、2006年の分裂が内紛によるものだったかどうかは若干怪しい。
残留組(つまり「新しい歴史教科書をつくる会」)の教科書出版を担当するのは扶桑社から自由社に変更された。
扶桑社は離脱組に付随した。

自由社の社長は加瀬英明。つくる会の顧問でもある。
ちなみにつくる会の現会長は早稲田大学法学部卒の弁護士である。

加瀬英明はオノ・ヨーコの従弟。
オノ・ヨーコの父(小野英輔)と加瀬英明の母(小野寿満子)が兄妹である。
足利赤十字病院院長だった小野康平も英輔の弟で寿満子の兄。
兄妹の父は(オノ・ヨーコからみると祖父)は日本興業銀行の総裁を務めた小野英二郎。

この件、前にも記事にした。
末っ子の小野寿満子さんは、外交官の加瀬俊一氏と結婚。
加瀬俊一氏は総理大臣顧問や国連大使を歴任。
佐藤栄作首相のノーベル平和賞受賞に向けて尽力したのも加瀬氏だったということです。
当時の日本において重要なポストにいたことは間違いないでしょう。

この加瀬俊一氏と寿満子さんの息子さんが、オノ・ヨーコさんと従弟である加瀬英明氏。
教科書に繋がるのはこの方です。
彼もまた首相特別顧問、外相特別顧問などを歴任しているようです。

加瀬英明氏は、一頃盛んにニュースにもなった「新しい歴史教科書をつくる会」の顧問であり、 「新しい歴史教科書」を出版している自由社の社長であられます。
統一教会とも関係があります。(統一教会はX JAPANの話題でリンクした先にも出てきていた)

上記の自由社はWikipediaにリンクしてありますが、自由社という同じ名前の社が2つあります。
石原萠記氏が社長の自由社と、加瀬英明氏が社長の自由社です。
社長は違えど、社名も所在地も同じ。
(加瀬氏は、石原氏の自由社の取締役でもある)
(加瀬氏の自由社の監査役の弁護士がパチンコチェーンストア協会法律分野アドバイザーというのもなかなか凄い)
教科書検定に合格したのが石原自由社。
すぐさま版権を譲渡し出版したのが加瀬自由社。
歴史もあやふやなら教科書出版社もあやふやといったところでしょうか。(現実に問題多々あるらしい)

石原萠記氏は学生時代、先頃話題になっていた読売グループの会長、渡辺恒雄氏らとともに学生運動に参加。
社会主義者です。
東京電力とも関係があり、自由社は東電から財政援助も受けていました。
なんと3月11日大震災と原発事故発生の日にも東京電力の勝俣会長と一緒にいたというから悪運強し。

渡辺恒雄氏は共産党員でしたが、後に自民党の中曽根首相など保守系の政治家と親密になっていったのは周知の通り。
また読売グループは原子力発電とも関係が深い。(参考:CIAのスパイでもあったらしい正力松太郎氏)



自虐的な歴史は嫌だ!愛国万歳!!日本万歳!!!といった感じでバリバリの保守(右翼)と見做されている「新しい歴史教科書をつくる会」の背景には実は共産主義・社会主義(左翼)が大きく横たわっている。
オノ・ヨーコもかつて集会ジョン・レノンのコンサート(?)で共産系組織のヘルメットを被り、反共産主義のヒトラーの声明を読み上げるという意味不明な行動をしていた。血筋だろうか?
再三述べているが、右左という短絡的な思想では物事は判断できない。

昨年の1月7日、私は日本会議のことを記事にした。
皇室経済会議の構成員を書いた流れである。

サミットは教団の総会?

皇室経済法にて皇室経済会議の構成員が定められている。

オウム真理教は教団内の教祖の絶対性が事件を引き起こすことになったと言われるけれども、天皇や首相の絶対性、それに付随している宗教家集団、気に入らなければポアパワハラ、この社会とオウム真理教の構造にはいったいどんな違いがあるというのだろうか?
オウム真理教には選ばれない人達(弱者)も多数いたが、こちらの教団は選ばれた人(強者)ばかりだということだろうか?
チェック機関か決定機関に身内や仲間や舎弟を配し、そのうえ権力を利用した恐怖政治・恐怖支配を行うならば、冷静公平に決定することもないだろうし、チェック機能が正常に働くとも思えない。


皇室経済会議の構成員は皇室経済法第8条に定められており、誰でもなれるわけではない。
次の役職である必要がある。
衆議院・参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長

記事を書いた当時はこうだったのだ。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
・衆議院議長:大島理森(69歳)
 青森県出身、慶應義塾大学卒、青森県議、自民党
 尾崎行雄記念財団会長
 国務大臣環境庁長官(第32代)、文部大臣(第128代)、科学技術庁長官(第61代)、
 農林水産大臣(第34代)、自由民主党幹事長(第44代)、自由民主党副総裁(第12代)などを歴任。

・衆議院副議長:川端達夫(70歳)
 滋賀県出身、京都大学卒、東レ(三井財閥の中核企業の1つ)、民主党
 2009年9月、鳩山由紀夫内閣で文部科学大臣に任命され、初入閣した。
 民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(12・13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、
 総務大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)などを歴任。

・参議院議長:山崎正昭 (73歳)
 福井県出身、日本大学卒業、福井県議、自民党
 保守主義団体日本会議の役員
 参議院議院運営委員長、参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員長、内閣官房副長官、
 参議院政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党参議院幹事長、参議院副議長(第29代)などを歴任。

・参議院副議長:輿石東(79歳)
 山梨県出身。都留市立都留短期大学(現:都留文科大学)卒、民主党
 参議院国土交通委員長、民主党参議院国会対策委員長、民主党参議院幹事長、民主党代表代行、
 民主党幹事長職務代行、民主党幹事長(第12代)、民主党参議院議員会長などを歴任。

・内閣総理大臣:安倍晋三(61歳)
・財務大臣:麻生太郎(75歳)

・宮内庁長官:風岡典之(69歳)
 新潟県出身、東京教育大学卒、官僚、元国土交通事務次官

・会計検査院長:河戸光彦(62歳)
 山口県出身、東京大学卒、会計検査院
---------------------------------------------------------------------------------------------------

「保守主義団体日本会議」は、1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。

「守る会」は、円覚寺貫主・朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけて1974年4月に結成、政治課題に対して様々な政治運動を行っていた。一方、「国民会議」は、最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって財界人・学者中心で、元号法制定を目的に1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられ、やはり政治運動を行っていた。

神社本庁*、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教等、宗教団体や宗教系財団法人等が「守る会」以来の繋がりで多数参加している。特に神社本庁とは、「建国記念の日奉祝式典」や皇室関連の問題への取り組み等、人的交流も盛んである。2015年の時点で、日本会議の役員62名のうち24名が宗教関係者である。
宗教団体ならば何でもござれといった様相を呈している。


現在の皇室経済会議の構成員は、参議院の議長と副議長、宮内庁長官が変わっており、他は同じである。
郵政公社の不動産売却に関して会計検査院がおかしなレポートを上げていたが、会計検査院長も構成員の1人である。

大島理森衆議院議長は、神奈川県相模原市の障害者施設「県立津久井やまゆり園」で大量殺人事件を起こした犯人がその数か月前に手紙を渡した(警察官経由で)人物であったということから名前を記憶している人もいるのではないだろうか。
事件が起きたのは7月、大島衆議院議長に手紙を渡したのは2月、私が上記記事を書いたのは1月。
殺人を犯すと場所まで指定されて予告されたのに防げなかったのは事実。
手紙を独自入手したと言っていたのはフジサンケイグループのフジテレビだった。(今年1月に記事にした


「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂した。
離脱組が安倍内閣をバックに新たに結成した日本教育再生機構(2006年発足)と改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)には日本会議が関わっている。
しかし残留組が組んだ出版社の社長で、つくる会の顧問もである加瀬英明は、日本会議の監事及び代表委員でもある。

これが日本会議の役員だ!

==日本会議の役員(平成27年6月15日現在)==

[名誉会長]
三好達  元最高裁判所長官

[顧 問]
石井公一郎   ブリヂストンサイクル(株)元社長
北白川道久  神社本庁統理
鷹司尚武   神宮大宮司
服部貞弘  神道政治連盟常任顧問
渡邊惠進  前天台座主

[会 長]
田久保忠衛  杏林大学名誉教授

[副会長]
安西愛子  声楽家
小田村四郎  元拓殖大学総長
小堀桂一郎  東京大学名誉教授
田中恆清  神社本庁総長

[代表委員]
秋本協徳  新生佛教教団最高顧問
石原慎太郎  作家
板垣正  元参議院議員
市川晋松  前日本相撲協会相談役
伊藤憲一  青山学院大学名誉教授
稲山霊芳  念法眞教燈主
今林賢郁  (公社)国民文化研究会理事長
入江隆則  明治大学名誉教授
宇都宮鐵彦  株式会社日華代表取締役会長
大石泰彦  東京大学名誉教授
岡田光央  崇教真光教え主
岡野聖法  解脱会法主
小串和夫  熱田神宮宮司
尾辻秀久  日本遺族会会長
加瀬英明  外交評論家
城内康光  元ギリシャ大使
黒住宗晴  黒住教教主
慶野義雄  日本教師会会長
佐伯彰一  文芸評論家
佐藤和男  青山学院大学名誉教授
澁木正幸  日本会議経済人同志会会長
志摩篤  (公財)偕行社理事長
志摩淑子 (株)朝日写真ニュース社会長
住母家岩夫  日本会議経済人同志会相談役
関口慶一  佛所護念会教団会長
千玄室  茶道裏千家前家元
髙城治延  神宮少宮司
武覚超  比叡山延暦寺代表役員
竹本忠雄  筑波大学名誉教授
長曽我部延昭  神道政治連盟会長
寺島泰三  (社)日本郷友連盟会長
德川康久  靖國神社宮司
中島精太郎  明治神宮宮司
中野良子  オイスカインターナショナル総裁
長谷川三千子  埼玉大学名誉教授
廣池幹堂  (公財)モラロジー研究所理事長
保積秀胤  大和教団教主
松山文彦  東京都神社庁庁長
丸山敏秋  (社)倫理研究所理事長
村松英子  女優・詩人
横倉義武  日本医師会会長

[監 事]
加瀬英明  外交評論家
澁木正幸  日本会議経済人同志会会長

[理事長]
男成洋三  明治神宮崇敬会理事長

[事務総長]
椛島有三  日本協議会会長

[事務局長]
松村俊明  日本会議常任理事



教科書版権に関しても不可解な点がある。

扶桑社が発行している「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」の版権は扶桑社にあり、著作権も執筆者、監修者、扶桑社にある共同著作物で、著作者全員が了解しなければ他の発行者から発行することはできない。ところが新しい歴史教科書をつくる会は2008年4月2日、自由社から発行する中学校歴史教科書について「内容は、基本的に現行の『新しい歴史教科書』(改訂版)の内容と変わりません。但し、一部書き直しや図版の変更等の手直しは行っております」として、扶桑社版を元に作成することを表明し、4月17日に文部科学省に検定申請した。これに対して扶桑社は、違法な複製であるとして反発している。

フジサンケイグループの扶桑社と決別した「新しい歴史教科書をつくる会」と手を組んだ自由社は、版権と著作権の関係で同じ物は発行できないはずだが、文科省に教科書検定申請を行ったというのだ。
この時、2つの自由社が駆使されている。
ミスがあったりしてすんなりは運ばなかったが結局検定に合格して発行に至っている。
扶桑社は反発するというポーズを見せたものの、法的手段など強硬な抗議をしなかったということになる。





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# by yumimi61 | 2017-07-30 13:57
2017年 07月 28日
資料(新しい教科書採択状況と教育再生実行会議メンバー)
なるほどというか何と言うか、かなり偏りのある採択状況とメンバーとなっています。

育鵬社版の歴史・公民教科書 採択状況

公立校

歴史
栃木県大田原市
埼玉県立伊奈学園中[要出典]
東京都立中高一貫校(白鴎・両国・富士・大泉・武蔵)
東京都立中等教育学校(小石川・桜修館・立川・三鷹・南多摩)
東京都立特別支援学校(聴覚、肢体不自由)
東京都大田区[要出典]
東京都武蔵村山市
東京都小笠原村
神奈川県横浜市
平塚中等教育学校[要出典]
神奈川県藤沢市
島根県益田地区
広島県呉市
山口県岩国地区[要出典]
香川県立高松北中
愛媛県立中等教育学校(松山西・今治東・宇和島南)[要出典]
愛媛県立特別支援学校[要出典]
愛媛県今治市[要出典]
愛媛県四国中央市[要出典]
愛媛県上島町[要出典]
大阪府大阪市


公民
栃木県大田原市[要出典]
埼玉県立伊奈学園中[要出典]
東京都立中高一貫校(白鴎・両国・富士・大泉・武蔵)
東京都立中等教育学校(小石川・桜修館・立川・三鷹・南多摩)
東京都立特別支援学校(聴覚、肢体不自由)
東京都大田区[要出典]
東京都武蔵村山市
東京都小笠原村
神奈川県横浜市
神奈川県藤沢市
大阪府大阪市
大阪府東大阪市
大阪府河内長野市
大阪府四條畷市
広島県呉市
広島県尾道市
香川県立高松北中
愛媛県立中等教育学校(松山西・今治東・宇和島南)[要出典]
愛媛県立特別支援学校[要出典]
愛媛県今治市[要出典]
愛媛県四国中央市[要出典]
愛媛県上島町[要出典]
沖縄県八重山地区(八重山教科書問題を参照)


私立校

歴史
国学院大学栃木
幸福の科学学園(栃木)
樹徳
帝京大学
麗澤
狭山ヶ丘
福井工業大学附属福井
長野日大
麗澤瑞浪
帝京大学可児
津田学園
皇學館
浪速
同志社大学香里
尾道学園
開星
岡山理科大学附属
岡山学芸館清秀
幸福の科学学園(滋賀)
近畿大学附属東広島
明徳義塾

公民
国学院大学栃木
幸福の科学学園(栃木)
帝京大学
麗澤
狭山ヶ丘
福井工業大学附属福井
長野日大
麗澤瑞浪
帝京大学可児
津田学園
浪速
同志社大学香里
尾道学園
岡山理科大学附属
岡山学芸館清秀
清風
開星
甲子園学院
明徳義塾


教育再生実行会議のメンバー

第1次安倍内閣時に設置された教育再生会議は、安倍晋三の首相退陣後、求心力を失った。安倍の首相復帰に際して設置された当会議は、事実上の「再生会議の復活」と見なされている。

2015年10月に有識者の総入れ替えを行った。これは発足当初の有識者委員に、下村博文 文部科学大臣(当時)が政治献金を受けている塾の経営者がいたこと、下村は当該委員が就任する前に寄付は全額返納したとしていたにもかかわらず、翌年にも当該委員から寄付を受けていたことが発覚したことなどが関係しているとみられる。


閣僚
内閣総理大臣 安倍晋三
内閣官房長官 菅義偉
内閣官房副長官
文部科学大臣兼教育再生担当大臣 松野博一
文部科学副大臣 (オブザーバーとして)
文部科学大臣政務官 (オブザーバーとして)


有識者(委員)
出雲充 (株式会社ユーグレナ代表取締役社長)
伊原木隆太(岡山県知事)
漆紫穂子 (品川女子学院校長)
鎌田薫座長(早稲田大学総長)
小林りん (インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢代表理事)
貞廣斎子 (千葉大学教育学部教授)
三幣貞夫 (千葉県南房総市教育長)
清水信一 (武蔵野東高等専修学校校長)
鈴木典比古(国際教養大学理事長・学長)
坪谷・ニュウエル・郁子 (東京インターナショナルスクール理事長)
中邑賢龍 (東京大学先端科学技術研究センター教授)
中室牧子 (慶應義塾大学総合政策学部准教授)
名和晃平 (彫刻家、SANDWICH Inc.ディレクター、京都造形芸術大学大学院教授)
細江茂光 (岐阜市長)
堀義人 (グロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー)
松本紘副座長(理化学研究所理事長、京都大学前総長)
向井千秋 (東京理科大学副学長、日本学術会議副会長)
湯野川孝彦(株式会社すららネット代表取締役社長)

【2015年(平成27年)10月5日までの有識者】
大竹美喜 (アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)創業者)
尾崎正直 (高知県知事)
加戸守行 (前愛媛県知事)
蒲島郁夫 (熊本県知事)
川合眞紀 (東京大学教授、理化学研究所理事長特別補佐)
河野達信 (岩国市立高森小学校教諭、前全日本教職員連盟委員長)
佐々木喜一(成基コミュニティグループ代表)
鈴木高弘 (専修大学附属高等学校理事・前校長、NPO法人老楽塾理事長)
曽野綾子 (作家)
武田美保 (スポーツ/教育コメンテーター)
佃和夫副座長(三菱重工業株式会社相談役)
八木秀次 (麗澤大学教授)
山内昌之 (東京大学名誉教授、明治大学特任教授)
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# by yumimi61 | 2017-07-28 23:51
2017年 07月 28日
日本国憲法の秘密-525- (加計学園問題について)
郵政民営化の広報にあたっては、小泉政権の主な支持基盤とされる「B層」に絞ってPRを展開すべきとし、ネガティブな表現を極力避けたうえで、「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの広報番組を利用し、民営化の必要性を徹底的に「ラーニング」させるように、また、「A層はB層に強い影響力を持つ」として、「A層」向けに数万人規模のイベントを開催し、間接的に「B層」にも影響を与えるようにと提言した。

徹底的に「ラーニング」させる、つまり学習させるということである。
「ラーニング」に似た意味で「刷り込み」という言葉が使われることがある。
どちらも繰り返し教えて(聞かせて)何かを学ばせる(覚えさせる)という意味があるように感じるかもしれないが、本来の意味の「刷り込み」は繰り返しではない。
繰り返しの刷り込みは新聞の印刷のようなイメージがあるのかもしれない。

鳥は最初に目にした鳥を親だと思うという話を聞いたことはないだろうか。あれが「刷り込み」である。
通常、後天的にものを覚える、つまり学習が成立するためには、特に知能がさほど発達していない動物では、繰り返しと一定の時間の持続が必要であると考えられていた。しかし、この例ではほんの一瞬でその記憶が成立している。しかも、それがその後にも引き続いて長時間にわたって持ち越される。ローレンツはこの現象が、まるで雛の頭の中に一瞬の出来事が印刷されたかのようだとして、刷り込み(imprinting)と名付けた。

刷り込みに関わる行動は、その基本的な部分は先天的遺伝的に持っているものであって、そこに後天的に変更可能な部分が含まれていると考えられている。
ラーニングは後天的な記憶である。
ある事柄を大事なことだと認識し記憶するには繰り返しや劇的な感情を伴う刺激が重要である。
繰り返しに導くには心地よい感覚が必要。不快なことは繰り返したくないという気持ちが先立つ。
同時に刺激も必要だが、肯定を意図してのラーニングだから怒りや悲しみといった否定的感情が支配したのでは逆効果。
心地よく好意的な刺激で感情を高ぶらせながら学習させる、その教育係がA層といったところ。
本来恐怖や悲しみといった感情のほうが刺激が強く記憶に残りやすいので、好意的感情の反対の感情を上手く使うか、徹底的に好意的な感情を繰り返す必要がある(それでも人には飽きというものがあるけれども)。

これは、教育によって無知から脱出させ、民衆を啓蒙させるという思想である「啓蒙思想(主義)」に似ているところがある。
一見素晴らしい思想のようだが、外から与えるということなので、権力者などが都合の良いものを教え込むということが出来る。
引っ張りたい方向に引っ張る、支配に利用できるのだ。
だから都合の悪いものは間違いと切り捨たり認められなかったりする。
現代の教育には啓蒙思想が大いに利用されている。
最初は自己主張ができないようなタイプがターゲットにされ、それが大勢を占めてくると権力者と相まって自己主張(独自の主張)が許されない社会が形成される。
ラーニングや啓蒙はひとつ間違うと洗脳やマインドコントロールになる。



なんでこんな話をしてきたかと言うと、加計学園問題の証人の1人である加戸元愛媛県知事(文部省をリクルート事件で辞任しJASRACの理事長などを歴任)は、「新しい歴史教科書をつくる会」編纂の教科書を採択ように主導していた人物だったからである。

愛媛県知事時代の2001年、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を推薦し、県立ろう・養護学校の一部で採択された。
翌2002年には、2003年開校予定だった中高一貫の県立中学校3校で使う歴史教科書として同教科書が採択された。公立中学ではこれが初めてだった。


新しい歴史教科書をつくる会とは、1996年に結成された日本の社会運動団体。

湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転進すると共に、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼ぶことなり、1996年12月に西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成。産経新聞で連載され反響を呼んだ自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』は後に書籍化され全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった。

つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている。



藤岡信勝は北海道生まれで北海道大学出身。長いこと共産党員、左翼だった。
湾岸戦争で国連が結成した多国籍軍に刺激されたのか、一国平和主義から脱することを決意し、左翼(社会主義)を見限って保守に転じたらしい。
国連、多国籍軍、一国平和主義からの脱却、となればグル―バルと言えよう。
しかし共産主義・社会主義は古くからインターナショナルなわけで、本来閉鎖的でも一国平和主義でもない。
グローバルの中味は違うが、単にグローバルという観点に立てば、民主主義vs共産・社会主義という構図は成り立たない。

そのことが分かっているのか、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。
これはやはり左翼から強い保守に鞍替えし、自由主義覇権(金融覇権でもある)を主張したアメリカのネオコン(新保守主義)と似ている。
一応保守と言われるが、「一国平和主義」ではなく「グローバル」が好きなので、昔ながらのコテコテの「愛国」とは異なる。
スマートでクールで且つ強い国際人が憧れ。だから他国で暴力を振るったり、戦争に負けたりした母国や、国際テロを繰り返した共産主義組織などは認めたくないのであろう。

つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。2007年5月には、7代目会長につくる会が発足するきっかけを作った藤岡信勝が就任した。つくる会の地方支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。平沼赳夫や萩生田光一といった会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されているほか、日本会議も支援している。また、藤岡によれば、つくる会の事務所に電話をかけ「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れた老人もいたという。

萩生田光一現官房副長官も加計学園問題の登場人物でしたね。

しかしながら、つくる会は内紛も絶えない。権力争いとかいろいろあるみたい。
でもそれはなんとなく分かる気がする。
自虐的歴史は嫌だ!という点では意見が一致しても、グル―バルや国際人を目指す人と、昔ながら愛国者は相容れない点も多いことは容易に想像がつく。
左翼出身者と右翼出身者のわだかまりや埋められない溝みたいなものも存在するのではないか。
そして「なんか違うぞ・・」「こんなのと一緒にされたくない」とか思い始めてしまうのではないだろうか。



「新しい歴史教科書をつくる会」は実際に教科書を編纂して出版している。
その出版を担当していたのがフジサンケイグループの扶桑社である。
しかしながらこの両者の関係を2007年に解消した。

そのきっかけとなったのは第一次安倍内閣(2006年9月‐2007年9月)である。
安倍内閣が発足すると、「日本教育再生機構」なる組織が作られた。
表向きは「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛により同会を離脱したメンバーによって発足されたとされているが、内紛がきっかけなのか安倍内閣誕生がきっかけなのかは微妙なところではないだろうか。

■日本教育再生機構
複数の顧問が日本会議の幹部でもあり、組織面・運動面で関係が深いといわれている。
2012年2月26日、地方組織「日本教育再生機構大阪」がシンポジウムを開催。理事長の八木秀次が進行役となり、元内閣総理大臣(当時)安倍晋三と大阪府知事松井一郎が対談した。安倍と松井は、これを機に会合を重ねていったことから、日本教育再生機構は両名を結びつける役割を果たしたとされる。


松井大阪府知事は森友学園問題の登場人物でしたね。

第一次安倍内閣では準憲法的性格を有すると言われていた教育基本法を改正した。
教育基本法も憲法と同じく1947年制定以来一度も改正されたことがなかった。(憲法は1946年制定以後改正されていない)
やはり安倍内閣は改正好きなんでしょうか?

この後に今度は「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」が結成された。

■改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(教科書改善の会)
教科書改善の会(きょうかしょかいぜんのかい)とは、「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の内部分裂により脱退したメンバーが、引き続き中学校歴史・公民教科書の発行を行うために2007年に組織した団体。正式名称は「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」。代表は屋山太郎。
教科書出版社として扶桑社が設立した「育鵬社」から教科書を継続発行することが決定している。

2007年に当時の安倍内閣が成立させた、「公共の精神の尊重」と「我が国と郷土を愛する態度を養う」などを謳う「改正教育基本法」(平成18年法律第120号)に基づいた歴史教科書及び公民教科書を出版することを目的として同会が設立された。日本教育再生機構と共に、教育とは「押しつけるもの」「植えつけるもの」と主張している


「日本教育再生機構」と「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」は一心同体のような組織。
「新しい歴史教科書をつくる会」、安倍内閣、日本会議、そしてフジサンケイグループが深く関係している。
フジサンケイグループの扶桑社は、「新しい歴史教科書をつくる会」に別れを告げて、「日本教育再生機構」と「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」と結ばれたのだ。
扶桑社が安倍内閣をバックに付けたこの組織のために設立した子会社出版社が「育鵬社」で、ここから新しい歴史教科書を刊行している。
しかし全く新たに作ったというわけではなく、つくる会が編纂した教科書と変わらない。
それもそのはず扶桑社が版権を持っている。

扶桑社が発行している「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」の版権は扶桑社にあり、著作権も執筆者、監修者、扶桑社にある共同著作物で、著作者全員が了解しなければ他の発行者から発行することはできない。


加計学園問題の証言者の1人である加戸守行元愛媛県知事は2013年1月より教育再生実行会議(第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関)の委員を務めていた。
安倍首相や安倍内閣と非常に近い存在であるはずなので証言の中立性に疑問符が付く。



美しい日本の心を伝える 日本教育再生機構 ホームページより

 日本教育再生機構は、「教育再生から日本再生へ」を合い言葉に、教育を国民の手に取り戻したいという思いか ら、平成18年に発足した団体です。(平成21年に一般法人化)

 教育を通じて国民意識を覚醒させ、国家への愛情を取り戻すことーこれは衰退期に陥った国家が再生するに当たって一つの鉄則といえます。

 その意味で、現在の日本の教育には「日本」が足りないと言えます。かつて、日本の教育は、世界から絶賛される高い水準にありました。日本人一人ひとりの胸にある使命感や道徳心がその教育力を支えていたのです。しかし、今や見る影もありません。いつしか教育が、文部科学省や教育委員会、教育関係者の占有物のようになり、教育を支える国民意識が奪われていったのです。

 今こそ教育を真の意味で国民の手に取り戻そう。教育を国家戦略の中心に位置づけ、教育の立て直しを国家再建の要諦(ようてい)とする政策を各界の要路に向けて発信しようー。そうした思いを共にする多くの個人や団体と手を結んで、私ども日本教育再生機構は「日本を取り戻す」事業に取り組んで参りました。

 全国各地で教育再生民間タウンミーティングを開催し、政府の「教育再生会議」(第一次安倍内閣)に政策提言をして「ゆとり教育」からの路線転換を遂げさせました。育鵬社の中学校歴史・公民教科書の編集や採択を支援することで、毎年7万人以上の中学生が、日本への愛情をはぐくむ教科書で学べるようになりました。「道徳」の教科化を提言して実現させ、あるべき道徳教育の教材として『13歳からの道徳教科書』『はじめての道徳教科書』を作成し、普及に努めて参りました。



愛媛県の加戸守行知事は、総理の意向ならぬ知事の意向で渦中の人であった。

愛媛県教委 新設の3中学校で 「つくる会」教科書採用 公立では初めて
愛媛県教育重点会(井関和彦委員長)は十五日、来春開校する中高一貫教育型の県立中学校三校(生徒定員四百八十人)で使う歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書(扶桑社発行)を採択した。昨年の愛媛県立と東京都立の養護学校などに続く三例日の採択で、公立中学では初めて。文部科学省によると、扶桑社版は今年から私立含めて計十二校約六百人が使用。来年は千人以上が使うことになる。「アジア侵略正当化」「戦争賛美」「国粋主義的」などの指摘があり、終戦記念日と重なった今回も国内外から批判の声が上がった。

「扶桑社版がベスト」知事の意向を反映 教育委員は「言いなり」
愛媛県の加戸守行知事は就任四年目の今年、新設三中学校用に「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書(扶桑社発行)を採択することを「県政の重要課題」と位置付けていた。昨年に続く採択には「扶桑社版がベスト」と公言してきた知事の意向が反映されたと指摘する声は多い。
 加戸知事は昨年の採択後「国の歴史に対する愛情を深めさせる。学習指導要領の方向に一番ぴったり」と扶桑社版を絶賛。今年に入ってからも「昨年と考え方は変わっていない」と話していた。
 元文部官僚で、つくる会に近い「教科書改善連絡協議会」の会長を務める作家三浦朱門氏が文化庁長官の時には、文化庁次長として仕えた。官房長だった一九八九年四月、当時の西岡武夫文相が「リクルート事件のけじめ」として人事を刷新した際、辞職した。
 十五日の採択を決めた教育委員六人は元県立高校長と県内の元市立小校長各一人、木材会社と製紙会社の社長各一人、PTA役員、教育長を兼務する県職員。「全員加戸知事に任命され、知事の言いなり」 (県内の教育関係者)との指摘もある。
 知事の懸念は中国や韓国との摩擦。「外交問題に発展すれば、県教育委員会では対応できない。知事が責任を取るぺき問題」との見解を明らかにしている。




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# by yumimi61 | 2017-07-28 18:32
2017年 07月 28日
日本国憲法の秘密-524- (加計学園問題について)
政治家、官僚、財界にばら撒かれた未公開株。
戦後最大の企業犯罪と言われたその事件の当事会社であるリクルートコスモスは20年後、郵政民営化の移行期間に郵政公社から多くの不動産を取得した。
リクルートコスモスの落札は全て幾つかの物件を抱き合わせで売る(セット販売)バルク方式であった。
この方法を日本で初めて導入したのは、リクルートコスモスの独立を担当したユニゾン・キャピタルの共同創業者の1人である三井銀行(出身)の佐山展生であったという。

佐山展生
米国を中心とした海外企業の買収案件を多数成約させた他、1997年に日本のM&A業界において前例のない 大型倒産企業のM&A案件の日債銀(現 あおぞら銀行)子会社で当時最大の1兆円を越す負債を残して破産したクラウン・リーシングの営業譲渡を成約。約3,000億円の不良債権を日本で初めてのバルク入札により 約3カ月で売却。この際のバルクセールの手法は、今日の日本の不良債権バルクセールの礎となった。1998年には大倉商事の破産事件にも関与し、日本の倒産企業のM&Aの先例となる。
INTEGRAL(インテグラル) メンバー紹介より>

クラウン・シーリングは日本債券信用銀行の関連会社であった。
巨額の不動産担保融資が不動産バブル崩壊とともに不良債権化し1997年4月に約1兆2千億円の負債を抱えて破産した。

不動産は担保になる。バブル期など不動産価格が高い時に不動産を担保にして巨額の融資をする。
バブルが弾けて不況が到来すると貸したお金が戻ってこない。
そこで担保になっていた不動産を没収するが、肝心のその不動産もバブルが弾けて時価が大幅に下落しているため売却してもお金にならない、そもそも売れない。何もせずにただ持っていても維持費がかかるだけ。何かしようにも資金が必要だし不況の真っただ中。どうにもならなくなる。
こうして借りた企業だけではなく貸した企業も倒れる。

日債銀の関連会社は、上記のクラウン・シーリングの他に日本トータルファイナンス、日本信用ファイナンスサービスも破綻しており、3社合計で2兆1838億円と記録的な巨額の負債総額であった。(クラウン・シーリング1社だけでも記録的)
この3社はノンバンクである。ノンバンクということは銀行のように預金を持っていない。
銀行は誰かから預かったお金を他の誰かに貸し付けたりして儲けるのだ。でも銀行ではないノンバンクは預金がない。
そこでどうするかと言うと、銀行などからお金を借りるのである。借りて貸す。
銀行→ノンバンク→企業などに融資。
銀行→企業などに融資。

バブル期に日債銀系列の上記ノンバンク3社は、住宅金融専門会社、末野興産、イ・アイ・イ・インターナショナル、第一不動産グループ、千昌夫の経営会社等に積極融資を行っていたが、バブル崩壊とともに1992年に金利減免の要請を三菱銀行などの貸出先に行うにあたり、日債銀本体の経営に疑念が持たれ始めることとなる。
日債銀はこれら不良債権を抱えたノンバンク処理を行う上で、元国税庁長官の窪田弘を頭取とし、1997年4月に破産申請を行うこととなった。
貸付債券以外は比較的優良な資産を抱えていたため破産管財人により東京地裁の許可を得て三井銀行のM&Aチームをアドバイザー(佐山展生、現一橋大学大学院教授)とし、入札等で2ヶ月で約4000億円(海外資産800億円程度を含む)の回収を行い、債権者に20%以上の高配当がなされた


日本債券信用銀行についても以前書いた。

おおぞら銀行
1998年12月に経営破綻した「日本債券信用銀行」。
前身は「朝鮮銀行」である。
1909年に「韓国銀行」の名称で設立され、1911年に「朝鮮銀行」と改称された。

経営破綻後、一時国有化され(特別公的管理銀行として預金保険機構の管理下に置かれた)、5兆円の公的資金を投入された。(公的資金=国民のお金よ)
2000年、ソフトバンクは、東京海上火災保険、オリックス、アメリカの投資会社サーベラスとともに、日本債券信用銀行の経営を引き継ぐということで株式を取得し、孫社長も取締役に就任した。
銀行名を「あおぞら銀行」と変更。
ソフトバンクは493億円出資し49%の株式を保有し、「あおぞら銀行」の筆頭株主となった。

この直後、日本債権信用銀行の頭取が遺書を残して自殺した。
北朝鮮関係の不良債権処理で出張した大阪でトラブルに巻き込まれたと噂された。

経営譲渡には「瑕疵担保特約」いうお得な特典が付いていた。
新たな不良債権が発生した場合には、その損失を公金で補填するという特典である。
リスクなく再建に打ち込めるはずだった。
ところがソフトバンクにはそんな気はなかったようで、2003年再建目途も立たないまま、「あおぞら銀行」の株式を「サーベラス・キャピタル・マネジメント」に1000億円で売却。
ソフトバンクは500億円の売却益を得た。

サーベラスは2000年頃から経営不振に陥った日本企業に大口出資を行うようになり、ハゲタカファンドの名を欲しいままにする。


日債銀はバブルが弾けた1991年に未公開株で儲けるプライベート・エクイティ・ファンド(日債銀プライベートエクイティ社)を設立していた。


日本郵政民営化と言えば小泉元首相と竹中平蔵元大臣。

モーリス・ストロング(アナン国連事務総長の特使) ― ジェフリー・サックス(アナン国連事務総長の特使)
             (北朝鮮問題特別顧問)         (ソ連崩壊前後のソ連・ロシア経済改革の顧問)
                  |                             |
                小泉首相(拉致問題進展) ―  竹中平蔵(郵政民営化など経済改革)
                                                |
                                    西室泰三(東芝社長、日本郵政社長、東証社長)
                                                ↓
                          東芝の原子力事業企業買収で巨額損失、日本郵政の買収でも巨額損失




竹中平蔵元大臣はパソナグループの会長でもある。
パソナグループ、覚えていますか?

迎賓館は利用しませんっ!

某有名歌手の覚醒剤逮捕にて話題となったパソナグループと政治家の出入りもあったというパソナの迎賓館「仁風林」。
パソナグループの取締役会長は竹中平蔵氏。慶應義塾大学の教授でもある。
小泉内閣にて「聖域なき構造改革」を主導した人物。
日本経済低迷(崩壊?)を招いた首謀者として小泉・竹中コンビは悪評も高い。
竹中氏はハーバード大学留学中にジェフリー・サックス氏やローレンス・サマーズ氏と知り合って、ハーバード大学客員准教授にも就任したことがあることは「ソチ」に書いた。
総理大臣の片腕として政治の中心にいた人物が会長となっているのがパソナである。その迎賓館に政治家の出入りがあっても何ら不思議はないであろう。

「友達の友達はみな友達」はネズミ講とも言えますね

以前こちらに、安倍晋三(総理)を囲む「午年の会」のことを書いたことがある。
メンバーは芸能人や文化人だそうだ。
同じく芸能人や文化人が大挙してメンバーになっているのが「エンジン01文化戦略会議」である。「甍(いらか)三」に書いた。
iPS細胞の山中教授も名を連ねる。
一時期三洋電機取締役会長兼CEOに就任した野中ともよ氏や、神奈川県知事の黒岩祐治氏は、「午年の会」「エンジン01文化戦略会議」どちらのメンバーでもある。
この「エンジン01文化戦略会議」のメンバーをほぼ丸抱えしているのが芸能事務所の渡辺プロダクションである。
ENJIN01(ゼロワン)「カルチャークラブ」事務局

渡辺プロダクションの歩みを見ると、2009年11月に「英国ロスチャイルド家/バロネス・シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド プライベートコンサートパーティー招待出席」とある。
ロスチャイルド家とも懇意なのかしら?

会長個人の経歴はこちらをどうぞ。
フランス政府とも懇意かしら。
2012は藍綬褒章も受章している。
フランスといえば、こちらに書いた東京都のプロジェクトにシラク大統領が関係していたようである。
猪瀬氏や秋元氏は安藤氏やボノ氏が出てくる、あの話題である。
シラク大統領は東京の銀行に巨額の隠し口座を持っていた(巨額振込み)疑惑があったが、それを追っていたジャーナリストが消え、シラク大統領も表舞台から消えた。




小泉首相と言えば小泉劇場と言われた劇場型政治。STAP細胞騒動同様に広告代理店が関与している。
この小泉劇場の郵政民営化の広報戦略でターゲットにされたのがB層だったという。
B層ってご存知ですか?

B層(ビーそう)とは、郵政民営化の広報企画にあたって小泉政権の主な支持基盤として想定された、「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」と定義されている。

2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社・有限会社スリードが、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念である。

スリードの企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。B層には、「主婦と子供を中心した層、シルバー層」を含み、「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を何となく支持する層」を指すとされる。

上記の企画書がネット等を通じて公に流布されたため、資料中に使用された「IQ」という知能指数を示す語や露骨なマーケティング戦略が物議を醸すところとなり、国会でも取り上げられた。


スリード社等は、国民を以下の4層に分類している。

A層―エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造改革に肯定的。構成者は財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど。

B層―郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるために、より深いレベルでの合意形成が不可欠。マスコミ報道に流されやすく「IQ」が比較的低い、構造改革に中立的ないし肯定的。構成者は主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層など。具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する。

C層―構造改革抵抗守旧派。「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。構成者についてはこれ以上の分析はない。

D層―「名無し層」「命名無し層」と呼ばれることも多い。「IQ」が比較的低く、構造改革に否定的。構成者は既に失業などの痛みにより、構造改革に恐怖を覚えている層。


郵政民営化の広報にあたっては、小泉政権の主な支持基盤とされる「B層」に絞ってPRを展開すべきとし、ネガティブな表現を極力避けたうえで、「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの広報番組を利用し、民営化の必要性を徹底的に「ラーニング」させるように、また、「A層はB層に強い影響力を持つ」として、「A層」向けに数万人規模のイベントを開催し、間接的に「B層」にも影響を与えるようにと提言した。
「C層」及び「IQが比較的低く、構造改革に否定的」な層についてはPRの対象外としている。











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# by yumimi61 | 2017-07-28 14:06
2017年 07月 27日
日本国憲法の秘密-523- (加計学園問題について)
リクルートコスモス社の未公開株がばら撒かれたリクルート事件。
リクルートコスモスという会社は、マンション・不動産事業を手掛けるリクルートの子会社であった。

(リクルートコスモス社の沿革)
1969年6月20日 - 株式会社日本リクルート映画社として設立。
1974年2月8日 - 事業目的を不動産に変更し、商号を環境開発株式会社に変更。(創業)
1985年3月1日 - 株式会社リクルートコスモスに商号変更。
1986年10月30日 - 株式を店頭登録(現ジャスダック)。
1998年5月 - 初の再開発事業となるラムザタワーが完成。
2005年6月30日 - ユニゾン・キャピタルなどから出資を受ける形でMBOの手法によりリクルートグループから独立。
2006年9月1日 - 株式会社コスモスイニシアに商号変更。また、本社を東京都千代田区内幸町1-3-2へ移転。


同社が手掛けて1998年に完成したラムザタワーはJR武蔵浦和駅周辺。
リクルート事件は大事件となったが、当のリクルートコスモス社は存続してきた。
もっとも親会社であるリクルートの株式を多数所有していた創業者の江副浩正は1992年に保有株式をダイエーの創業者である中内功に譲渡しダイエーグループ入りした。
リクルートはダイエーから送り込まれた役員などによって会社の立て直しに成功し、有利子負債を自力で完済。
しかしながら今度はダイエーが1990年代後半に業績が悪化。
すると恩を忘れたリクルートはダイエーグループから離脱。これが2000年頃。
ダイエーは破綻寸前にまで追い込まれたが近年イオンの完全子会社となった。

ダイエーから離脱したリクルートの不動産部門である子会社リクルートコスモスは、その後リクルートから独立するが、それは日本郵政の民営化と重なるところがある。
日本郵政が民営化したのは2007年のことだが(とはいっても独自の法律によってなる特殊会社、NTTも同じく)、移行準備として2003年に郵政公社が設立された。
2003年までは省庁が郵政事業を行っていた。国営である。
郵政公社は政府が100%出資して省庁から独立させた組織で、NHKやJRA,年金機構などと同じ特殊法人の形式をとった。

日本郵政公社は成立した2003年から民営化に伴い解散する2007年までの間に保有資産を次々と売却していった。
売却した資産は628物件。
この時、3回にわたる一括売却(抱き合わせ売却のバルク売却)で合計424の物件を落札したのが、リクルートコスモス(コスモスイニシア)を代表とするグループであった。
売却物件の67.5%がリクルートコスモス(イニシア)に渡ったことになる。

郵政公社による物件売却について会計検査院がレポートしている。

国会からの検査要請事項に関する報告(検査要請)
簡易生命保険の加入者福祉施設等の譲渡等に関する会計検査の結果について

1) 旧日本郵政公社が締結した譲渡契約に係る分(平成15年度〜19年度上期)
ア 譲渡施設の概要
 15年度から19年度までの間に、公社が不用資産として売却した土地、建物等の不動産は、図表第2-2-1 のとおり628物件となっており、その売却価格は総額1093億7632万余円に上っている(物件ごとの売却状況については別表2-1 参照)。
 そして、関係書類及び日本郵政の説明によると、売却物件に係る売却時直近の簿価は合計775億3725万余円となっていることから、売却価格との差額318億3906万余円が売却益となっている。


簡単に言うと、売却したことによって318億3906万余円の利益が出たということなのだ。
しかしこの利益は、「取得価格-売却価格」で計算したものではない。
「簿価ー売却価格」となっているのである。

簿価は減価償却が関係する。
以前も私はソーラーパネルやドクターヘリの件で減価償却について書いたことがあるが、減価償却とは費用の計上の仕方のことである。
多くの物品は使い捨てではない。反面いつまでも新品ではない。
そこで耐用年数というものが定められていて、物品を取得するのにかかった費用は耐用年数で割って分けて計上できる。
例えば600万円で営業に使う自動車を購入。普通自動車の耐用年数は6年である。
取得した年にかかった費用600万円と計上するのではなく、6年間毎年100万円ずつ計上するのである。
その営業車であげる売上が年200万円だとする。(分かりやすくするために他の費用は無視しています)
支出計上は100万円で、売上が200万円だから、その車で年間100万円の利益が出ていることになる。
計上は分割(減価償却)にしていても、もしも現金一括で購入していれば、最初の年に600万円お財布から出てるわけだから、あとの5年の利益でお財布に回収することになる。
利益が出なければ赤字になる。(ただ通常は営業車だけで会社の利益が決まるわけではない)
問題は現金一括で買う余裕が無くローンで購入した時。
この場合、最初に600万円お財布から出していない。出したのは金融会社である。
しかし支出として計上できる。100万円ずつ6年。

購入した会社は金融会社に返済していく必要がある。ローンだから利子が付くので当然600万円では済まない。
営業車によって上げた利益はお財布に回収するのではなく返済に充てていく。
借金で購入するほど余裕のない会社なので、その営業車によって上げられる利益が返済限度額である。
上記のように100万円の利益が出れば、毎年100万円ずつ返済できる。ひと月8万3000円くらい。でも利子もある。
100万円ずつ減価償却(返却)するのにその営業車による売上が100万円では利益が出ない。
そうなると資金繰りに行き詰まり破綻に向かってしまう。
また耐用年数は6年と定められているが、返済期間はもっと長いかもしれない。
6年経つと100万円ずつの減価償却が無くなって簿価は0円となり帳簿から消えるが、イコール完済ということではない。
返済が残っていることもあるので返済に充てる資金は別途確保しておかなければならない。
借金していることを忘れるな、ということである。


600万円の自動車を購入すると6年で減価償却。
600、500、400、300、200、100、0と減っていく。
これが簿価である。帳簿上の自動車の価値(価格)。
4年目には300万円となるわけである。
その4年目にその自動車が実際どれくらいの評価が付くのか(評価額・時価)、現時点において幾らで売るのが妥当なのか(時価・相場)、そうしたことと直接的な関係はない。

上では100万円ずつ6年の減価償却(支出)で毎年200万円の売り上げと仮定したが、それがもし50万円の売り上げならば利益は出ない。毎年50万円ずつ赤字となっていたことになる。
最初の年に600万円支出して、さらに50万円ずつ赤字となれば、回収できるどころか4年目には800万円もマイナスしていることになる。
その時点で売りに出してトータル赤字にしないためには、すでにマイナスした金額も乗せて800万円で売る必要がある。それでトントン、何もなかったことになる。
赤字ではなかったが利益も出ていなかったとするならば、最初に支出した600万円で売らなければ損したことになる。
時価や相場、その不動産が上げてきた損益がいかほどなのか、そもそも利益を上げる目的で所有していた不動産だったのか(そうでなければ元々利益が出るはずもない)、維持やメンテナンスにこれまでどれだけの資金を投入したのかを無視して、単に簿価と売価を比較して利益が出たと言っているわけである。



会計検査院のレポートでは更に目を引いたことがあった。
「図表第2-2-1 公社における不動産売却状況」の平成15年度のところである。
この年度は1件だけで、売却物件は土地のみである。建物は含まれていない。
注釈にはこのようにある。
平成15年度の売却物件は、有珠山噴火に伴う砂防事業用地として北海道に売却したものであり、公社による不用資産の売却は実質的には16年度からとなっている。

その物件(土地)について、売却価格372,604円、 売却時直近の簿価217,500円、 売却利益155,104円とある。※単位:千円
しかしながら通常、土地は費用換算せず、減価償却の対象ではない。
土地に耐用年数は存在しない。

土地を購入すれば、購入代金という支出が生じる。
しかしどんな大金を支払ったとしても、この土地購入代金(支出)は費用として計上されない。
土地は資産となり貸借対照表に計上される。
例えば地価が大幅に下落して資産価値が下がったとしても、損失として費用(損益計算)に影響してくるといったことはない。
所有者は資産価値として保有し続けるだけである。
値段が上がろうが下がろうが売却しない限り損益は出ない。
それは世界的なルールでもある。
但し不動産を所有している場合には税金はかかるし、資産は担保になるので借金のしやすさや限度額に影響する。
損益として計上するのは保有している土地を売却した時のみ。
売却価格>購入価格ならば利益となるし、売却価格<購入価格ならば損失となる。
日本郵政公社の売却物件は土地だけなのに「簿価」となっている。
他の物件は建物が混ざっているため(建物は減価償却あり)、土地が簿価となっているのかどうなのかは分からないが、15年度は土地だけとある。
どうして土地だけなのに「簿価」なのか?おかしくないだろうか。


平成15年度に有珠山噴火に伴う砂防事業用地として北海道に売却した土地は洞爺にあったもの。
有珠山は洞爺湖近くにあって2000年に噴火した。
当分噴火しないだろうと思ったのか、2008年には洞爺湖サミットが開催された。
会計検査院のレポートを少しスクロールすると、「図表第2−2−3 加入者福祉施設及び周知宣伝施設の売却状況」という表が出てくる。
そこで売却先が北海道土地開発公社であることが分かると同時に、取得金額も記載されている。
150,000千円。(1億5000万円)
それなのに売却時直近の簿価が217,500千円(2億17500万円)となっており、売却価格が372,604千円(約3億7200万円)。
どうして土地に簿価があり、簿価が取得金額より値上がりしているのか?
時価のことなんだろうか?それにしても、地方の、それも火山を抱えているような地域の土地が、不動産バブルが弾けてて久しい時代に値上がりするものだろうか?
ひょっとすると国の取得価格が時価ではなく何らかの理由で破格の安さだったということだろうか?
没収地?にしては1億以上も費用がかっている。国はどこの誰からこの土地を買ったのだ?
ちなみに夕張市は夕張市土地開発公社の経営破綻によって破綻状態(財政再建団体)となったのである。



リクルートがダイエーグループから離脱し、さらに不動産部門の子会社であったリクルートコスモスが2005年に親会社リクルートから独立した。
この際、出資したのがユニゾン・キャピタルであった。

ユニゾン・キャピタル株式会社は、日本のプライベート・エクイティ・ファンド(PEファンド)運営会社の1つ。
1998年にゴールドマン・サックス出身の日本人らによって創業。
現在までに累計企業価値ベースで合計約6000億円に上る投資を実行している。
日韓連携を投資テーマのひとつとしている。


江原伸好代表取締役ら3人のゴールドマン・サックス出身者と、三井銀行(現:三井住友銀行)出身の佐山展生が共同設立した。企業を転売して儲ける投資会社である。
実は私、前にもユニゾン・キャピタルのことを書いたことがある
その時もWikipediaの記述を転載した。
今現在の記述と変わっているので以前のも掲載しておこう。

1998年にゴールドマン・サックス出身の日本人らによって創業。
創業者をはじめパートナークラスの主要メンバーに韓国・北朝鮮系の人物が複数おり、日韓連携を投資テーマのひとつとしている。
ファンド設立初期からの主要メンバーであった木曽健一氏が、2009年10月のSEC(証券取引監視委員会)特別査察の翌日にパートナーを懲戒解雇され自殺するという痛ましい事案が起こったファンドでも有名。


消えた記述は「創業者をはじめパートナークラスの主要メンバーに韓国・北朝鮮系の人物が複数おり」という部分と、社員(パートナー)の自殺の記述である。

記述は消えたが、自殺の件は事実でないということではない。
2009年10月28日、木曽健一(43歳)が自宅で自殺しているのが発見された。
その前日、ユニゾン・キャピタルはSFC(証券取引等監視委員会)からインサイダー取引の疑いで強制調査されていた。

自殺したのは、大手投資ファンドのユニゾン・キャピタル(東京都港区紀尾井町、以下ユニゾン)のパートナーだった木曾健一氏。証券取引等監視委員会の特別調査課は10月27日、ユニゾンに強制調査に入り、その場で木曾氏はインサイダー取引の容疑を認めた。
このため同社は、即刻、同日付で木曾氏を除名し、翌28日には「役職員の株取引の調査に関する第三者委員会」(委員長・国広正弁護士)を設置し、社内調査にも乗り出した。
監視委は28日に再度木曾氏を事情聴取に呼んでいたが、約束の時刻になってもあらわれず、不審に思って自宅を訪ねると、本人が死んでいるのが見つかったという。

 木曾氏を一躍有名にしたのは、菓子メーカー・東ハトの再生案件だった。東ハトは、本業では堅調だったが、バブル期に手を出したゴルフ場開発で多額の債務を負い、03年に民事再生法の手続きを申請して倒産した。ユニゾンはバンダイ、丸紅と組んで新会社をつくり、その新会社が旧東ハトに180億円を払って菓子事業の営業譲渡を受けた。「倒産」というマイナスイメージを払拭しようと木曾氏がとったのは、元サッカー日本代表・中田英寿氏の執行役員への起用だった。中田氏自身もビジネスへの進出に乗り気だったため、チーフ・ブランディング・オフィサーとして主力商品のキャラメルコーンのリニューアルなどに関わっている。2人は、『お菓子を仕事にできる幸福』(日経BP社)を出版している。

NETIBNEWS 名門ファンドのインサイダー疑惑 渦中の辣腕パートナーは「自殺」(上) ビジネス最前線 2009年11月 9日

リクルートコスモスがリクルートから独立したのは2005年。
翌2006年に三洋電機グループの子会社だった人材派遣会社三洋ヒューマンネットワーク、2007年には住友建設の元社員が創業した人材派遣会社スタッフサービスの株式を取得し子会社化。

株式会社OSパートナーズ(RECRUIT FACTORY PARTNERS CO.,LTD.)(旧:三洋ヒューマンネットワーク)
日本のアウトソーシンググループの製造&設計開発を主業務とする人材会社である。パナソニックグループを主なクライアントとして、電池製品・家電製品・デジタル機器・電子部品の製造事業、設計開発事業を、開発・製造工程の請負、あるいは人材派遣という形態でおこなっている。また事業の補助的位置づけとして、エンジニアおよび製造スタッフの教育・育成をおこなっている。

三洋電機の経営が悪化していったきっかけは2004年10月23日に発生した新潟中越地震だったと言われている。
その地震で三洋電機の子会社であった新潟三洋電子の半導体工場が被災した。
同社は地震保険に加入しておらず、5億円を超える被害はそのまま損失計上となった。
地震被害であったが、寄付や募金とか、買って応援とかそんなの無縁だった。
阪神・淡路大震災を経験したはずの会社が地震保険に入っていないなんて自業自得と世間からは批判非難されたのである。
三洋電機の本社は大阪府の守口市にあった。地震被害にあったのは新潟県の子会社である。
近年起こった数々の災害に遭われた皆さんは保険に入っていらしたのですか?農家の皆さんは共済保険などに入ってらしたのですか?入っていたけれども寄付や応援も必要なのですか?犯罪ですらお金が解決するんですよ。


その後、リクルートコスモスも業績悪化で大和ハウスグループ入りする。
独立の時から転売専門投資会社の手に掛かっていたということは、経営には失敗したが、会社(資産)転売で儲かったパターンでしょうか?
それとも子会社化や資本提携の事前情報によるインサイダー取引で儲けた人がいるとか?

2009年4月28日 - 不動産市況悪化に伴う業績悪化による債務超過を受け、私的整理手続きである事業再生ADR手続を活用して再生を図ると発表。同日、代表取締役会長が引責辞任を発表した。
2009年9月28日 - 事業再生ADR手続が成立し、事業再生計画が承認された。これにより管理会社コスモスライフの持株がコスモスイニシアから大和ハウス工業に売却され、2010年に大和ライフネクストとなる。








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# by yumimi61 | 2017-07-27 23:39
2017年 07月 25日
日本国憲法の秘密-522- (加計学園問題について)
リクルート事件
1988年(昭和63年)6月18日に発覚した日本の贈収賄事件である。
リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモス社の未公開株が賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、大スキャンダルとなった。
当時、第二次世界大戦後の日本においての最大の企業犯罪であり、また贈収賄事件とされた。



リクルート社創業者である江副浩正リクルート社会長(当時)が1984年12月から1985年4月にかけて、リクルートの子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を有力政治家・官僚などに譲渡した事件である。

江副浩正は東京大学の出身で、在学中に東京大学新聞社に在籍していた。
東京大学新聞とは学生が編集の主体となり発行するいわゆる学生新聞である。歴史ある著名な大学が発行していることが多い。
学内での配布が主であるが、東京大学新聞は学外で販売もしている。
それが可能なのは、「唯一の帝国大学」という歴史と、日本一という世間での評判が背景にあるのだろうと思う。
学生新聞は第二次世界大戦で一旦衰退するも(物資や人材不足のため)、学生運動の時代に再び繁栄した。

国公立大学
一橋新聞、京都大学新聞、筑波大学新聞、東京大学新聞、東京工業大学新聞、東北大学新聞
私立大学
青山学院大学新聞、関西学院大学新聞、慶應塾生新聞、上智新聞、成蹊大学新聞、日本大学新聞、NEWS立命通信、中央大学新聞、同志社学生新聞、東京経済大学新聞、東京理科大学新聞、法政大学新聞、松山大学新聞、武蔵大学新聞、立命館大学新聞、龍谷大学新聞、早稲田大学新聞
廃刊
北海道大学新聞、教育大学新聞(文理科大学新聞)、三田新聞


Wikipediaに掲載のあった学生新聞なので漏れがあるかもしれません(あしからず)。
この中で異色なのは松山大学ではないだろうか。
初代首相の伊藤博文が創立した「唯一の帝国大学」が、後に「東西2つの帝国大学(東京と京都)」となる。
さらにその後地方にも広がり、現在でも受験生に「旧帝大」と呼ばれ親しまれている帝国大学が生まれた。
私立大学で学生新聞を発行している大学はほとんど本部が東京と京都である。
パッと見た感じ、違うのは兵庫の関西学院大学と、愛媛の松山大学だと思われる。
今話題となっている加計学園が運営する岡山理科大学(岡山県本部)の獣医学部を新設しようとしている今治市は愛媛県である。

そうとなれば、松山大学にも興味を抱くであろう。(抱かない?)
創立は1923年。創立者は新田長次郎。
松山大学では、旧松山高等商業学校の設立に寄与した新田長次郎、加藤恒忠、加藤彰廉の3人の人物を「三恩人」と呼んでいる。

・新田長次郎
明治時代から昭和前期の日本の実業家、資産家。新田帯革製造所(現ニッタ)の創業者。
新田帯革製造所、新田ベニヤ製造所各代表社員。愛媛銀行取締役。
1857年(安政4年)、伊予国温泉郡山西村(のちの味生村大字山西、現在の愛媛県松山市山西町)に被差別部落の農家・新田喜惣次の次男として生まれる。
1877年(明治10年)、20歳の時に大阪に出て、米屋に丁稚奉公した。米屋を辞めて藤田組製革所に入り、西欧式製革技術を習得した。

1885年(明治18年)に新田組として独立し、大阪府西成郡難波村久保吉(現在の大阪市浪速区久保吉2丁目)に空家を借り、製革工場を起こした。1901年(明治34年)に、東京出張店を開設し、その後各地に出張店を設置した。
1902年(明治35年)には、実業功績者として、緑綬褒章を授与された。

この間、2度の海外視察を行っている。まず、1893年(明治26年)、シカゴで開催された世界大博覧会出品のため渡米し、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨークを回った後、ロンドン、パリを訪れ、多くの製革所を視察するとともに、製革機械を買い入れ、工場の改善に大いに役立てた。パリの日本公使館では同郷(松山)の代理公使加藤恒忠と知り合い、以後交友を結んだ。次いで1900年(明治33年)、パリ万国博覧会への製品の出品に合わせて、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、アメリカと海外視察を行った。


革というからには動物に関係がある。
W加藤はどちらも愛媛県松山出身で衆議院議員であった。外交官、教育者や第五十二銀行の取締役でもあった。

リクルートの江副の話に戻ろう。
実は江副浩正は愛媛県今治市生まれなのだ。

1936年(昭和11年)6月、江副良之、マス子の長男として母親の郷里の愛媛県越智郡波方村(現在の今治市)に生まれた。父・良之は教師。良之の最初の赴任校、今治実科高等女学校の教え子が浩正の実母マス子(旧姓菊川)である。

その後、大阪府豊中市に転居(借家住まい)。
豊中の市立小学校から兵庫県の私立甲南中学・高校に進学。
当時、甲南に通う生徒は、高級住宅地の芦屋、御影に邸宅を構える資産家の子弟か、中流以上の家庭の子弟が大半で、数学教師の息子にすぎない江副のような生徒は、きわめて少数派の部類に属していた。
江副は勉強でもスポーツでも飛び抜けたところはなく、同級生の間に印象らしい印象を残していない。
江副の東京大学合格は甲南の同級生たちの間でしばし話題となった。



江副は東京大学新聞で広告を担当していた。
新聞なんてただの紙だから費用がなく出来るんだろうと思うかもしれないが、少なくとも紙代と印刷費はかかる。
さらに東京大学新聞は学生が自身の考えや主張を記事にするのではなくて、原稿依頼して書いてもらうという手法を多用していた。(東大全共闘ですら三島由紀夫を呼んでましたね)
依頼したのは東京大学出身者が多いが、現役学生の意見や主張ではないのだ。(全共闘だって三島を呼んで来たら霞んでしまうわけですよ)
そして人に頼むとしたらなかなか無料では出来ない。謝礼くらい必要ですよね。
費用が余分にかかるわけだから、その費用を捻出しなければならない。
ということで広告。
東大というネームバリューと東大出身者の評論家をチラつかせて企業に営業に行く。
「学生新聞に広告出してもね~」と渋い顔される。
「じゃあ求人情報はどうですか?安く使える優秀な人材が集まりやすよ!」
「ほほ~そうかぁ、それはいいかもしれないな」

その後、江副浩正は株式会社大学広告という会社を設立した。これがリクルートの前身である。
リクルートはベンチャー企業の先駆けであり、江副浩正はベンチャー起業家の先駆者である。
しかしながら求人情報でお金を稼ぐ(求人情報を掲載して企業から料金を得る事)は限りなく違法に近いグレー商法である。
但しこれまで取り締まりされたことはない。癒着を疑われても仕方ないであろう。

先日六本木ヒルズの森ビルのことを書いたが、森ビル創業者で初代社長である森泰吉郎の次男で、六本木ヒルズで森ビルの名を売り実質的創業者ともされる森稔は東京大学新聞の先輩であり、江副とは親しい間柄であった。
(江副の株式会社大学広告は)森稔が経営する賃貸ビル「第2森ビル」の屋上に仮設事務所を借りて事業を行った。

六本木ヒルズの地はかつて長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷が置かれていた。
長州というのは山口県。安部首相の祖先の出身地。

六本木ヒルズ誕生前は、テレビ朝日周辺の六本木六丁目は住宅密集地だったこともあり道路が狭く、消防車が通行する事も困難な状況であったため、1990年(平成2年)に同局本社の移転も兼ねた再開発計画地域に指定された。愛称で「六六(ろくろく)」と呼ばれているのも六本木六丁目が由来となっている。なお、この付近の再開発の先行事例として、同じく森ビルが行った赤坂アークヒルズがある。

1984年 - アークヒルズ完成に伴いテレビ朝日の本社が一時移転。権利変換により森ビルが地権者となり、ここを中心にアークヒルズに続く大規模な都市再開発計画が同社内でスタートした。
1984年 - この大規模な都市計画が六本木六丁目であることから、66再開発と呼ばれた。
1993年 - 森ビルの働き掛けをきっかけに東京都も加わり、「六本木六丁目地区第一種市街地再開発事業」を開始。住民による勉強会が行われる。

計画の立案後にはバブル崩壊や反対派住民による抵抗などの紆余曲折があり、その完成までには約17年の歳月を要した。
(竣工・開業は2003年)

開業が2003年4月25日なので以前書いた記事には尾崎豊の命日と書いたが、なぜ尾崎豊が出てくるかと言うと、尾崎豊のラブレター(?)にリクルートと江副社長が出てくるからです。


東京の一等地の不動産に建物を建てるほどリクルートを成長をさせたが、新興企業であることで既存の大企業からは距離を置いて見られ、財界では孤立していた。財界でリクルートを注目させるべく政界を初めとして様々な業界との交流を深めようとしたが、それがリクルート事件のきっかけとなった。

求人広告は限りなく違法に近いので、リスクマネジメントできている大企業から距離を置かれるのは仕方がない。

江副浩正はリクルート社会長が自社の政治的財界的地位を高める目的で、有力政治家、官僚、通信業界有力者にリクルート社の子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を譲渡した。未公開株の取引相手は、1984年12月20から31日の期間に39人、1985年(昭和60年)2月15日に金融機関26社に、4月25日に37社および1個人にわけられる。
1986年(昭和61年)6月に藤波孝生元官房長官ら政財界へのコスモス株譲渡がおこなわれた。



中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家、官僚やNTTなど、およそ150名に200万株に上るリクルート・コスモス社の未公開株がばら撒かれていた。
未公開株を配っておいて、新規株式公開(上場)する。
前評判が高くて高い株価が付けば、それを転売して儲けるというわけである。
一株3000円の株に付いた初値は5270円。最初の支出が無ければ丸儲け。
値上がり確実な未公開株を店頭公開前に譲渡することで利益を供与する。違法である。

1986年(昭和61年)10月30日にリクルート・コスモス株は店頭公開された。譲渡者の売却益は合計約6億円とされている。


それは東日本大震災発生の4日後であった。
日本航空新経営陣は第三者割当増資(未公開株割当)を行ったのだ。
第三者割当は縁故採用ならぬ縁故割当。特定の第三者、要するに縁故者に株を割り当てる(引き受けてもらう)ことである。今までその会社の株主であったかどうかは関係ない。

2011年3月15日 - 京セラ(250万株)、大和証券グループ(250万株)、東京海上日動火災保険(75万株)、損害保険ジャパン(25万株)、ジェイティービー(15万株)、阪急交通社(10万株)、あいおいニッセイ同和損害保険(5万株)、三井住友海上火災保険(5万株)を引受人とする127億円(635万株、1株あたり2000円)の第三者割当増資(未公開株割当)を行う。

2011年3月28日 - 会社更生終了。民間企業に復帰する。

2011年4月1日 - 日本航空株式会社に商号変更、日本エアシステムとの経営統合前の商号に復活する。

2011年8月16日 - カンタス航空グループ、三菱商事との合同出資でジェットスター・ジャパンを設立し、LCC事業に参入することを発表。

2012年9月19日、日本航空は再上場した。
初値は売り出し価格(3790円)を20円上回る3810円だった。時価総額は約6900億円と世界の航空大手の中でも屈指の規模。世界の株式市場では米フェイスブックに次ぐ今年2番目の大型上場となった。(当日の日本経済新聞より)

未公開株はインサイダー取引(未公開情報を利用した不公正取引)に抵触しない。
未公開時の販売価格よりも市場価格が大幅に上回れば大儲けできる。
大儲けできると分かっている予想できる未公開株を普通は赤の他人になんか渡したくないはず。
だから特に縁故でもないのに未公開株をやたら勧められたら疑ったほうがよい。大損するかも。
(U2のボノさんはフェイスブックの未公開株で大儲けしたんじゃなかったっけ?)

第三者割当(縁故割当)の場合、一般販売価格よりも安く取得している。
日本航空の場合、売り出し価格の半分だったと言われている。
だから上記日経の記事の20円アップには当てはまらない。それはあくまでも一般価格。
縁故者はもっとずっと大儲けしているはず。
縁故者間の「未公開」なのだから半分にさえ届かず、あってないような価格だったりして。



加計学園の獣医学部新設問題で証人として登場した加戸元愛媛県知事はリクルート事件に関係している。
彼は文部省(文科省)の人間だった。

加戸守行
関東州大連市に生まれる。愛媛県八幡浜市の愛媛県立八幡浜高等学校を卒業。東京大学法学部を1957年に卒業し、文部省(現文部科学省)に入省。

リクルート社からゴルフ接待を受けていたことなどから文科省官房長を辞職した。
リクルート事件で逮捕されたのはリクルートの江副会長、NTTの真藤会長とその秘書くらいで、政治家では自民党の藤波孝生議員、公明党の池田克也議員が在宅起訴されたたが、大物政治家に司法の手が伸びることはなかった。
しかしこの事件によって総理大臣の座が遠のいた人もいた。
渡辺善美氏の御父上(渡辺美智雄)や安倍総理の御父上(安倍晋太郎)など。
リクルートはこの事件によって経営難に陥り、バブル景気の終焉も重なって、所有していた不動産を手放していった。
こちらには「新橋のリクルートには私も行ったことがある」と書いたが、看護職として行ったのだった。1990年代のことだ。



加戸は東京大学卒業後に文部省に入省し、文化庁で著作権ビジネス確立に関与した。
1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られている。著作権の権威であり著書の「著作権法逐条講義」は著作権法を学ぶ者にとって必読の書となっている[要出典]。 

1988年に大臣官房長に就任するも、リクルート事件との関わりで1989年4月に辞職した。
その後は公立学校共済組合理事長に、いわゆる天下り。
さらに日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長などを歴任。
1999~2010年、愛媛県知事であった。
2011年度より大阪国際大学客員教授を務める。2012年、秋の叙勲において旭日重光章を受章。2013年1月より教育再生実行会議の委員を務める。






 

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# by yumimi61 | 2017-07-25 16:44
2017年 07月 24日
COOL CHOICE
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# by yumimi61 | 2017-07-24 23:15
2017年 07月 23日
日本国憲法の秘密-521-
第一次世界大戦はドイツが敗北し連合国が勝利したが勝敗に関わらずヨーロッパはみな疲弊した。
終盤の参戦によってひとり勝ち組状態となったのがアメリカである。
これによりアメリカの工業生産は絶好調となる。
ニューヨークは世界有数の大都市となり、ウォール街は世界をリードする金融センターとなった。
NYダウ工業株は上昇を続け、株価が下落するなんて誰も思わなかった。株投資はブームにもなっていた。
しかし青天井なんて存在しない。上がったものは必ず落ちる。
そうでなければバランスが取れない。
もしもこの世のどこかに永久が存在したとしても、永久は許されない運命にある。
悲しいかな、だからこそ世界は概ね平和で継続していけるのだ。
そのバランスを失えば、世界は終焉に向かうだろう。
1929年株価が大暴落した。

ゴールドマン・サックスは、この1929年株価大暴落時に株価操作とインサイダー取引に関与したことが明るみになって、信用はがた落ちとなった。
ウォール街の諸悪の根源とまで言われたゴールドマン・サックスを立て直したのは、シドニー・ワインバーグ。

シドニー・ワインバーグもユダヤ系移民である両親の元に生まれている
しかし彼は著名な金融家の2世でもなければ、アイビーリーグのような馬鹿高い学費のかかる名門大学を卒業したエリートコースを歩んでウォール街に就職してくる若者とも違った。
学歴で言えば「小学校しか出ていない」というタイプであった。中学校を退学して社会に飛び出す。
父親は卸売業者であった。両親は子沢山であり兄弟姉妹が多かった。
家族はブルックリンのシナゴーグ(ユダヤ教のコミュニティセンターのような場所、会堂あるいは神殿)の中心的なメンバーであり、熱心なユダヤ教徒であった。
小学校しか出ていない少年が、ゴールドマン・サックスの管理人のアシスタントとして週3ドルで雇われ雑用係となり、経営一族であるサックス家に気に入られ、やがてCEOにまで上り詰め、名だたる新聞雑誌から「ミスターゴールドマンサックス」や「ミスターウォール街」、「役員の中の役員」と呼称されるようになる。
アメリカ・ウオール街、いや世界の金融業界の顔になったのだ。

彼は株価大暴落の翌年1930年にゴールドマン・サックスの幹部となり、信用が落ち倒産危機にあったゴールドマン・サックスでリーダーシップを発揮し、諸悪の根源(単なる詐欺師集団!?)から最強の投資銀行(天才的詐欺師集団)へと生まれ変わらせる。
ゴールドマン・サックスのトップの地位だけでなく、フォードをはじめとする30社以上の大手企業の社会取締役を務めた。
それらの企業は当然みなゴールドマン・サックスの顧客である。彼は財界のアドバイザーとなったのだ。
選挙資金を提供し大統領にも近づき政府の財務部門にも人材を送り込む。政界のアドバイザーでもある。
そうしたゴールドマン・サックスを築き上げたのは小学校しか出ていないワインバーグである。
亡くなる1969年までその地位にあった。
ゴールドマン家が創業したゴールドマン・サックスは、その後サックス家に支配され、1929年の大恐慌後はワインバーグ家が象徴となった。



以前の記事で私はゴールドマン・サックスのことを「大手企業の株を買い漁り、空売りも辞さないというやり手の銀行」と書いた。
空売りとは株を持たずに売買に参加することである。
どうしてそんなことが出来るかと言えば、株券の貸借を専門に行っている証券金融会社という会社があるからである。
そこから空売り用の株券を借りて売買を行う。
借りたものは返す必要がある。返さないとか踏み倒しとかはダメダメ。そんなんじゃ空売りも成り立たない。
空売りは信用の上に成り立つ信用取引の1つである。
もっともどんな企業の株券でも借りられるわけではなくて、空売りをしようと思っている時に賃借銘柄に指定されている会社でなければならない。
空売り目的で借りたわけだから、売らずにいつまでも悠長に保有しているというわけにもいかない。目的が違う。

借りて返すのがポイント!だから、売ったら買い戻す必要がある!! これが空売り。

例えば
 現在500円の株価の株を1000株借りた。借りた株を即座に売る。
 500×1000=500,000・・・50万になった。
 でも借りた株は返さなければならないから買い戻す必要がある。
 株価が下がって300円になっているから買い戻した。
 500×1000=300,000・・・30万円支払った。
 50-30=20万円の儲け。
 簡単に言えばそいうことである。

空売りの場合、株価が下がったほうがいいのだ。
通常の場合、買った時より株価が上がったほうがいい。上がるとみんな喜ぶ。上がれば資産価値も増える。
株価上昇に市場は沸く。
安く買って高く売るのが儲けの基本だが、実際のところ高いものは財力のある人しか買えないし、高く推移している株は手放したくないという人も出てくる。
株価が落ち着いて高めで推移している時には意外に市場は活性化されにくい。
でも空売りは株価が下がる局面で儲けることが出来るのだ。下落幅が大きければ大きいほど投資家の利益は大きくなる。
天才騎士であったナポレオンが失脚して株を上げたのはローマ教皇やイエズス会であったことを思い出す。
下落幅が大きければ大きいほど、つまり落ちた者が高いものであるほど、誰かは利益に与る。

株価の変動は値幅制限があって1日の中では上下の幅が決められている。ストップ高、ストップ安と呼ばれているものである。
でも1日を超えて長期的に見れば株価自体に制限はない。
制限はないと言っても株価にマイナスは付かない。下は1円ということになる。
500円の株が最大下がっても1円まで。1000円の株が最大下がっても1円まで。10000円の株が最大下がっても1円まで。
だから最大利益は計算できる。獲らぬ狸の皮算用。(獲らぬものは計算などしない?)
利益は株価の範囲内にある。それを飛び越えることは決してない。
一方上には上限がない。だから最大赤字は計算できない。青天井なのだ。
ハイリスクハイリターンではなく、ハイリスクローリターン。理論上はそういうことになる。


あなたはアメリカンドリームという言葉に何を思い浮かべますか?
スポーツ選手ですか?映画俳優ですか?ロックスターですか?起業家ですか?金融家ですか?大統領ですか?
私は子供の頃、アメリカンドリームって桁違いな、つまり限りない成功だと思っていた。
計算できる最大利益ではなくて、計算できなかった最大利益を得る事。
こんな人生を送ってきたこの人の成功はこの程度で生涯獲得するマネーはこれくらい。そうした予想を大幅に覆すこと、それがアメリカンドリームだと思っていた。
つまりそれは言い方を変えると不相応な最大利益を得るということにもなる。
どうして不相応な利益を誰かに与えるかといえば、その他大勢の者に夢を見させて競争させて現実的感覚を麻痺させるため、そう考えていた。
多くの人が予想することならばドリームと言うほどでもない。誰にも彼にも起こることもドリームと言うほどのことではない。
もしも収支の計算が出来ない予想外や想定外が多くなりすぎれば会社や国家というものは財政破綻してしまうはずだ。
アメリカンドリームの下に安心して生きることは出来ないから、そこには必ず計算があるはずだ。
アメリカンドリームは偶然でも奇跡でもない、誰かによって計算され尽くされて作られている。
そう思っていたのだけれど、アメリカンドリームにはちゃんと定義があるらしい。

アメリカン・ドリーム
アメリカ合衆国における成功の概念。 均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされ、その根源は独立宣言書に記された幸福追求の権利に拠る。

機会が均等に与えられているから、誰でも成功できる可能性がある。それがアメリカンドリーム(アメリカの夢?)だと言う。
独立した新しいアメリカという国では個の主張は許されない。アメリカの市民権を得たら、あなたも私も「アメリカ人」ということになる。
そのかわり、アメリカ人には等しく機会があって、人種や民族や家柄や学歴や性別などによって成功が閉ざされることも約束されるということもない。
自由と平等の国、それがアメリカ。
そういう意味で間違いないでしょうか?








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# by yumimi61 | 2017-07-23 17:26
2017年 07月 23日
日本国憲法の秘密-521-
第一次世界大戦はドイツが敗北し連合国が勝利したが勝敗に関わらずヨーロッパはみな疲弊した。
終盤の参戦によってひとり勝ち組状態となったのがアメリカである。
これによりアメリカの工業生産は絶好調となる。
ニューヨークは世界有数の大都市となり、ウォール街は世界をリードする金融センターとなった。
NYダウ工業株は上昇を続け、株価が下落するなんて誰も思わなかった。株投資はブームにもなっていた。
しかし青天井なんて存在しない。上がったものは必ず落ちる。
そうでなければバランスが取れない。
もしもこの世のどこかに永久が存在したとしても、永久は許されない運命にある。
悲しいかな、だからこそ世界は概ね平和で継続していけるのだ。
そのバランスを失えば、世界は終焉に向かうだろう。
1929年株価が大暴落した。

ゴールドマン・サックスは、この1929年株価大暴落時に株価操作とインサイダー取引に関与したことが明るみになって、信用はがた落ちとなった。
ウォール街の諸悪の根源とまで言われたゴールドマン・サックスを立て直したのは、シドニー・ワインバーグ。

シドニー・ワインバーグもユダヤ系移民である両親の元に生まれている
しかし彼は著名な金融家の2世でもなければ、アイビーリーグのような馬鹿高い学費のかかる名門大学を卒業したエリートコースを歩んでウォール街に就職してくる若者とも違った。
学歴で言えば「小学校しか出ていない」というタイプであった。中学校を退学して社会に飛び出す。
父親は卸売業者であった。両親は子沢山であり兄弟姉妹が多かった。
家族はブルックリンのシナゴーグ(ユダヤ教のコミュニティセンターのような場所、会堂あるいは神殿)の中心的なメンバーであり、熱心なユダヤ教徒であった。
小学校しか出ていない少年が、ゴールドマン・サックスの管理人のアシスタントとして週3ドルで雇われ雑用係となり、経営一族であるサックス家に気に入られ、やがてCEOにまで上り詰め、名だたる新聞雑誌から「ミスターゴールドマンサックス」や「ミスターウォール街」、「役員の中の役員」と呼称されるようになる。
アメリカ・ウオール街、いや世界の金融業界の顔になったのだ。

彼は株価大暴落の翌年1930年にゴールドマン・サックスの幹部となり、信用が落ち倒産危機にあったゴールドマン・サックスでリーダーシップを発揮し、諸悪の根源(単なる詐欺師集団!?)から最強の投資銀行(天才的詐欺師集団)へと生まれ変わらせる。
ゴールドマン・サックスのトップの地位だけでなく、フォードをはじめとする30社以上の大手企業の社会取締役を務めた。
それらの企業は当然みなゴールドマン・サックスの顧客である。彼は財界のアドバイザーとなったのだ。
選挙資金を提供し大統領にも近づき政府の財務部門にも人材を送り込む。政界のアドバイザーでもある。
そうしたゴールドマン・サックスを築き上げたのは小学校しか出ていないワインバーグである。
ワインバーグは死去した1969年までその地位にあった。
ゴールドマン家が創業したゴールドマン・サックスは、その後サックス家に支配され、1929年の大恐慌後はワインバーグ家が象徴となった。










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# by yumimi61 | 2017-07-23 17:26
2017年 07月 21日
日本国憲法の秘密-520-
リーマン・ブラザーズ・・・・・(サミュエル・サックス)・・・・ゴールドマン・サックス
              友人・社員           姻戚・社員


リーマン家、サックス家、ゴールドマン家、みなドイツ・バイエルンからの移民であるユダヤ人である。

サミュエル・サックスは創業者マーカス・ゴールドマンの娘婿である。
マーカス・ゴールドマンには実の息子もいた。
娘婿とともに息子ヘンリー・ゴールドマンも会社を引き継いだ。
ところがこの2人、第一次世界大戦勃発後に確執が表面化。
ヘンリー・ゴールドマンは自身のルーツであるドイツを支持することを表明。
JPモルガンが主幹事だったイギリスとフランスの戦時公債の引き受けにゴールドマン・サックスが参加することを拒否した。

第一次世界大戦
  (同盟国)ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア帝国
  (連合国)フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、ベルギー王国、セルビア王国、大日本帝国、
       イタリア王国、ルーマニア王国、アメリカ、ギリシャ王国、中華民国など多数

サミュエル・サックスはじめ他の社員は連合国支持であった。
ゴールドマンもサックスもドイツにルーツを持つ家系ではあるが、アメリカに渡った移民であり、アメリカで会社を起こした。移民2世である彼らはアメリカ生まれである。
アメリカの動きによってはドイツ支持はかなり難しい立場となる。
それが現実的になった。
アメリカは遅れて1917年に連合国側で参戦したのだ。
同年ヘンリー・ゴールドマンは会社を引退せざるを得なかった。
以後ゴールドマン・サックスは実質的にサックス家による支配のもと拡大を続けた。

ヘンリー・ゴールドマンはその後ドイツをベースに生活や仕事をしている。
強力なドイツ支持者であったが、反ユダヤであるナチスが権力を掌握した1933年にドイツを離れた。
そして1937年には亡くなったので、彼は第二次世界大戦を知らない。



ゴールマン・サックスを去りドイツに渡ったヘンリー・ゴールドマンは、ドイツで原子物理学者を支援していた。
ドイツの産業界がロスチャイルドなどの庇護なく凄まじい発展を遂げたことは他国に脅威を与えるほどだったわけだが、科学においても抜きん出ていて、特に当時まだ新興学問であった原子物理学のメッカとなっていた。
ヘンリー・ゴールドマンはアインシュタインなどのパトロンであったのだ。
アインシュタインはドイツのウルムで生まれたユダヤ人である。
そのウルムには当時世界一の高さを誇る尖塔があった。
ルター派福音主義教会のウルム大聖堂である。
高さが162メートルほどだそうで、現在においても教会堂建築としては世界一。

1922年にシュテルンとゲルラッハが行った実験(シュテルン=ゲルラッハの実験)の資金を援助していたのもヘンリー・ゴールドマンだった。
シュテルンとゲルラッハはどちらもドイツ生まれのドイツ人。ユダヤ人ではない。
シュテルンはアインシュタインの弟子であった。

シュテルン=ゲルラッハの実験
加熱して蒸発させた銀粒子をビームとして磁界中に通過させると、ビームは2点に分かれることを示した。これは、電子にスピンがあることを示す。

当初の実験の目的と違って不思議な結果が出た。
電子がスピンしている?電子は粒子なのか?原子核の周りを粒子が回っていてスピンもする?どれくらいの速さで?
実験の結果から導き出される理論は古典的物理学では説明が付かなかった。
その時シュテルンとゲルラッハは30代の研究者。
彼らは師に相談した。アインシュタインや、アインシュタインの友人でもあったエーレンフェストである。
謎と問題を多く抱えたまま論文発表したのはエーレンフェストであった。
しかしながら古典物理学では説明のつかないことなので、量子力学が解釈するに至る。

ナノスケールの半導体中で実現
2012年に東北大学、京都大学、東邦大学、日本電信電話らの研究グループは、強磁性材料や外部磁場を全く用いずに、半導体中を流れる電子のスピンを一方向に揃える手法を確立した。本実験は、量子力学の基本原理であるシュテルン−ゲルラッハ効果をナノスケールの半導体中で実現したことに相当する。
(強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを揃えることに世界で初めて成功 -半導体中でシュテルン‐ゲルラッハのスピン分離実験を実現)



エーレンフェストはオーストリア出身のユダヤ人。
ウィーンの食料品店を営むユダヤ系の家庭に生まれる。子供の頃から数学に才能を見せる。最初大学では化学を専攻したがウィーン大学でルートヴィッヒ・ボルツマンの講義を聴き理論物理学の道に進む。
1905年プランクの黒体放射の理論に関する論文を発表。
1911年量子力学に関する重要な論文を発表。
1912年ライデン大学(オランダ)教授に就任。
1931年頃から精神を病み、1933年、ダウン症の息子を射殺した後、自殺した。



ユダヤ人であるヘンリー・ゴールドマン、同じくユダヤ人であるアインシュタイン、アインシュタインの弟子だったドイツ人のシュテルン、彼らはみな1933年にアメリカに移った。
「シュテルン=ゲルラッハの実験」をしたもう一人の研究者ゲルラッハはアメリカに移住していない。
ずっとドイツにいて国家や軍の組織に深く関係している。
第二次世界大戦時にはドイツの原子物理学を率いていた。
つまりドイツの原子力、核兵器の開発に関与していたということになる。
そのためドイツが降伏した後、敵であった連合国に拘束されてもいる。








 
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# by yumimi61 | 2017-07-21 17:59
2017年 07月 20日
日本国憲法の秘密-519-
日本人がロックフェラーやロスチャイルドと聞くと「また陰謀論か」ぐらいにしか思わない人が多いだろう。それくらい雲の上の人、現実離れした存在なのかもしれない。
大富豪でもないし投資もしないから関係ない、関わりがないという人も多いのかもしれない。
リーマンショックで相当名を売ったリーマン・ブラザーズならばどうだろうか。
世界金融危機に繋がったから自分にも関係あると思うのだろうか?それとも遠い世界の話なんだろうか?
ゴールドマン・サックスはどうだろう?
ロックフェラーやロスチャイルド、リーマン・ブラザーズに比べたらもう少し現実的な存在に映るだろうか?

私のこのブログにもゴールドマン・サックスが何度か登場している。

六本木ヒルズから10年
ITや投資会社の起業家たちの拠り所であり、その後、ステータス・シンボルとなった六本木ヒルズ。
一時期よく、IT長者と芸能人の交際や結婚が報じられていたが、芸能人も多く、政界関係者も出入りしていた。
ヒルズ族という言葉も流行った。
何をしているのかは知らないがヒルズ族の親睦会なるものも催されていたらしい。

六本木ヒルズは2003年4月25日(尾崎豊の命日)に開業。
リーマン・ブラザーズの日本法人である「リーマン・ブラザーズ証券」は破綻する前、六本木ヒルズ森タワーの29〜32階に入居していた。
同じく森タワーに入居していたライブドアの堀江社長は2004年〜2005年頃、テレビにも頻繁に出演する時の人だったから、横手(千野アナウンサー)夫妻もよく知っていたのだろうと思う。

森タワーオフィスフロアーの最上階部分(42〜48階)を陣取るのは「ゴールドマン・サックス」の在日法人グループ。
33階は「J-WAVE」というFMラジオ局。(おかしいでしょ?いや別におかしくないから?いやいやおかしいわよ?)
日本の新進起業家たちが失墜していき、入居企業は外資系が多い。
ヒルズの落日と呼ばれるまでになったが、森タワーの高層階からは栄枯盛衰の世を眺めることができるのだろうか。
昨年3月8日には、政界と結びつきの強かった森ビルの会長も亡くなった。
六本木ヒルズは森タワーは何処に行くのだろう。



クリントン夫妻の娘
1980年生まれのチェルシー・クリントン。
彼女もアイルランド好き。
クリントン大統領のルーツでもあるので当然かもしれませんが。
バカンスにも訪れています。
スタンフォード大学では北アイルランドについての論文を書いたそうですが、その論文が公表されないので何か怪しいと言われたりもしています。
卒業後はニューヨークのヘッジファンド、アベニュー・キャピタル・グループで3年間働くものの、仕事への意欲が感じられなくなり2009年に退職。
しかし金融業界を高く評価していることには変わりないそうです。
その後、コロンビア大学で公衆衛生専攻での修士号を得ます。
現在は同大学で複数国間の衛生政策について教えながらオックスフォード大学から国際関係学の博士号取得を目指しているとのことです。

2010年、彼女は大学時代の友人で現在ゴールドマン・サックスに勤務する男性と結婚。(彼の親も政治家)
「好き好き好き好きメズビンスキー」と言ったかどうか。
宗教の違いを有耶無耶にして乗り越えて、ユダヤとの結びつけを強めました。


再び三洋電機(の話題)←ボブ・ディランが歌詞に出てくる『学生街』の歌詞も掲載した。
それからこちらも興味深い記事です。
三洋電機〝崩壊〟の裏でゴールドマン・サックスがやったこと。(パート3まであります)
三洋電機は金融機関の仕掛けた罠に嵌ってしまったということらしいです。
敵か味方か、昨今は演技派も多いのでなかなか分かりにくいですね。
でもまあ、会社内部に入り込んだ関係者がいたわけですね。 


ゴールドマン・サックスとは?(過去記事リンクは同上)
世界最大級の投資銀行で、ウォール街の主と言われているのがゴールドマン・サックス。
大手企業の株を買い漁り、空売りも辞さないというやり手の銀行。
ライブドアやソフトバンクなど日本の新進企業の資金源になっていたとも言われています。
ソフトバンクとはずぶずぶの関係だとか。(噂の持田社長や坂本龍一氏の名前も出ています)
お・と・も・だ・ち?

(略)

分からないということ
【ソニーの大株主】−2012年3月31日
1.日本トラスティ・サービス信託銀行 10.99%
2.MoxleyandCompanyLLC(常任代理人:三菱東京UFJ銀行) 5.42
3.日本マスタートラスト信託銀行 5.1
4.SSBTOD05Omnibus Account Treaty Clients(常任代理人:香港上海銀行)  2.39
5.Mellon Bank NAas Agentforits Client Mellon Omnibus USPension (常任代理人:みずほコーポレート銀行)0.87

【ソニーの大株主】−2013年3月31日
1.日本トラスティ・サービス信託銀行 9.8% 
2.MoxleyandCompanyLLC(常任代理人:三菱東京UFJ銀行) 5.6
3.日本マスタートラスト信託銀行 4.7
4.Goldman, Sachs & Co.Reg 2.3
5.SSBTOD05Omnibus Account Treaty Clients(常任代理人:香港上海銀行) 2.3

大きく変わったのは4位にゴールドマン・サックスが入ってきたことである。
ソニーは2012年11月に転換社債を発行し1500億円調達している。
社債発行の主幹事会社は、ゴールドマン・サックス、JPモルガン、野村インターナショナル、SMBC日興証券であった。
利息(クーポン)が無いかわりに額面金額よりも大幅に低い単価で売りに出され、償還日に額面金額で償還される「ゼロクーポン債」で発行された。
ソニーの株価が957円に達すれば株式への転換も可能。
全てが株式に転換された場合には、発行済み株式の約13%に相当する。



ゴールドマン・サックスの創業者はドイツ・バイエルンからの移民であるユダヤ人マーカス・ゴールドマン(Marcus Goldman)である。
1869年にアメリカで会社を設立。
1882年に末娘の夫であるサミュエル・サックス(Samuel Sachs)が入社する。
そして社名を現社名でもあるゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)にした。

サミュエル・サックスはアメリカ生まれ(1851年)だが、両親がドイツのバイエルン出身の移民であった。ユダヤ人である。
サミュエル・サックスは妻の父親が創業した会社に入る前、リーマン・ブラザーズにいた。

リーマン・ブラザーズはエマニュエル・リーマンとマイヤー・リーマンという兄弟が創立した会社。
兄弟の父はドイツのバイエルンからの移民で家畜商人だった。
リーマン・ブラザーズの創業者の1人であるエマニュエル・リーマンの息子フィリップがサミュエル・サックスと友人であった。
息子フィリップも父の会社リーマン・ブラザーズに入社し、初の取締役議長にもなった。
息子フィリップ・リーマンとその友人であり社員であるサミュエル・サックス2人は、新会社設立の資本金調達に株式を発行するという手法を編み出したイノベーターであった。
お金がある人が新会社を設立できる、お金持ちに個人的にお金を借りて新会社を設立する、ということではなくてお金が無くても広く資金を調達できるようになるわけである。
チャンスが広がると言えば確かにそうだが、借金ベースの世の中を作ったとも言えるのではないだろうか。


リーマン・ブラザースと・ゴールドマン・サックスという会社はサミュエル・サックスという人物を介して繋がるのだ。
そして全てドイツのバイエルン出身のユダヤという家系である。

  リーマン・ブラザーズ・・・・・(サミュエル・サックス)・・・・ゴールドマン・サックス
              友人・社員           姻戚・社員

トゥーレ協会もイルミナティも、ドイツ労働者党(国家社会主義ドイツ労働者党;ナチス)も本部はバイエルンにあった。


ゴールドマン・サックスは1906年にSears, Roebuck and Company(シアーズ)の株式公開を担当し、株式公開市場に参入した。
シアーズ(Sears)は、アメリカ合衆国イリノイ州に本部がある百貨店。かつてシアーズ・ローバック(Sears, Roebuck and Company )によって展開され、カタログによる通信販売で知られた。また衣料など日用生活品以外に工具、カー用品などDIY用品のプライベートブランドを持つ。2005年に同業のKマートと合併し、持株会社シアーズ・ホールディングス下の事業会社・店舗となっている。
創業者はやはりユダヤ人であり、ゴールドマン・サックスがこの会社の株式公開を担当したのも個人的な付き合いからであった。

シアーズの創業経緯はなかなか面白い。
1886年、ユダヤ系のリチャード・シアーズはアメリカ・ミネソタ州で駅長をしていた。
当時のアメリカは鉄道会社が郵便輸送だけでなく配達も担当していたらしい。
ある日、シカゴの宝石会社が送った時計の入った荷物が宛先人によって受領を拒否された。
当時、卸売り業者が小売業者に委託販売用の商品(荷物)を送るということが一般に行われていたそうである。

卸売業者とは、生産者から商品を仕入れて、企業や小売業者に販売する人(問屋・中間業者)である。
消費者に販売するのは企業や小売業者。
 生産者→卸売業者→小売業者→消費者
生産者には農家や漁師などもいれば、工業製品メーカーもいる。
間に入るとその間の人もそれぞれみな利益をあげなければならないので、通常間に入れば入るほど商品価格は高くなるか、生産者の単品あたりの儲けが少なくなる(中間業者を入れずに同じだけ数を捌けるかどうかは別問題)。
間を抜いてしまえば、もっと安い価格で消費者に提供できたり、生産者がもっと高い価格を提示出来る。
築地市場とか豊洲市場はいわばその中間業者である。
産地でもないのに「築地ブランド」って何?と思うのだが、首都であり日本一の人口を抱える東京という都市にあるだけに数が捌ける市場という意味での「築地ブランド」だろうか。(だったら豊洲でも同じではないかと・・)

当時のアメリカでは卸売業者が頼まれてもいない商品を小売業者などに勝手に送りつけて在庫品を処分しようとすることが時々あったそうである。(送り付け商法)
またあえて存在しない住所や虚偽の住所宛てに荷物を送り、配達が不能であったことを連絡されると、その係員に安く売るからと売買を持ちかけるという方法も行っていた。(同情商法・誤発注商法)←インディーズでのCD販売や台風被害や災害地を名乗っての果実や野菜販売、障害者や子供連れ販売などを見たことあり。ネット社会な現代ではコンビニなどが誤発注商法を行っているのも時々見かけます。

リチャード・シアーズはシカゴの宝石会社からまとめて安く時計を買い、それを売る会社を設立した。いわば中間業者になったわけである。(現代社会にも訳あり商品のみを扱う競り市場があります)
「満足していただけなければ返金いたします」という今でもよく聞く宣伝文句はシアーズが発案したものである。

がしかし、起業ってそんなに簡単なことではないし、企業もそうそう上手くいくわけではない。
翌1887年、会社をシカゴに移転し、後に共同経営者となるアルバ・ローバックが入社する。
1893年、 社名をSears, Roebuck and Companyとする(共同経営)。
その年に1893年の不況で商品は売れずだぶつくようになる。(疫病神?)
1895年に共同経営者であるアルバ・ローバックが退社してしまい、オーナーがそっくり変わることになる。
この時にオーナーになったジュリアス・ローゼンウォルドがゴールドマン・サックスと旧知の仲で、1906年に同社へ株式公開を依頼した。
この新オーナーもドイツ系ユダヤ人。
アフリカに寄付するなどの慈善活動家でもあり、シカゴの科学産業博物館の創設者であり館長も務めた。
彼はどうせ卸業者が小売業者に配達するのだから、小売業者にではなくて消費者に直接届けてやれば手間暇が省けるではないかと思ったのか、それとも交通費かけて買い物に行くとお金がかかる(何とってもアメリカは広い!)から送料を多少乗せたとしても消費者にとってはそのほうが便利だし安く提供できると思ったのか、分厚いカタログを作成。聖書の次に読まれる書物とまで言われるようになった通信販売の先駆者である。
アマゾンはシアーズのインターネット版といったところでしょうか?


シアーズは1900年半ばにはアメリカ最大の、そしてまもなく世界最大の百貨店(総合スーパーマーケット)となった。
その本社ビルとして建設されたのがシアーズ・タワーで、当時はアメリカ一、世界一の高層ビルディングだった。
2013年よりアメリカ一の超高層ビルはワンワールド・トレード・センターになったそうである。

シアーズ・タワーは同社の繁栄の象徴であった。後に同社は事業拡大の失敗等により経営不振に陥り、1994年にシアーズ・タワーは売却された。シアーズの命名権自体は2003年に消滅していたが、その後もビルの名称は変更されずに残され、シカゴダウンタウンのランドマークの名称として地元民・観光客に親しまれていた。


しかし流通業者が都心の中心部に高層ビルでは如何せん使いにくい。シアーズには不向きなビルであった。
また経営不振も手伝って10年あまりで郊外にお引越ししたそうである。
その後、ビルディングは売却され、2009年にはイギリス系保険関連企業のウィリス・グループ・ホールディングスが命名権を取得してウィリス・タワーに改称された。

ウィリス・グループ(Willis Group Holdings Limited)
バミューダ諸島に本社を置くイギリス系保険関連企業。ニューヨーク証券取引所に上場している。
本拠地はロンドンのウィリス・ビルディング。
登記上の本社を2009年にアイルランドに移して、持株会社はアイルランドの法人となっている。

ウィリスはヘンリー・ウィリスによって1828年にロンドンに設立された会社から発展した企業であるが、大きな転換点がある。
1990年にアメリカに進出し、1998年に大手投資会社コールバーグ・クラビス・ロバーツに買収された点である。
買収したコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)はニューヨークの会社である。
ウィリス・グループと名乗っているが、もはや登記上もオーナー的にもイギリスの会社ではない。

コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)の3人の創業者はいずれもユダヤ系で、投資会社ベアー・スターンズの出身である。
KKRも企業を買収して(あるいは上場前の企業の未公開株を得て)、企業を価値を高めてから転売する投資会社である。
その中でも最も得意としている手法がレバレッジド・バイアウト(LBO)。
KKRに資金を提供しているのはグループ・ブリュッセル・ランバート。そう、前に書いたベルギーの投資会社である。

通常買収にはかなりまとまった資金が必要である。この資金を調達する必要がある。
つまり買収する側も誰かから資金を借りるわけである。
お金を借りるからには何か担保が必要である。
レバレッジド・バイアウト(LBO)とは、その担保が自分が所有している資産ではなくて、これから買収しようとしている企業が保有している資産やその企業が将来生み出す利益でよいというのが大きな特徴。
手持ちの資金や資産がなくても買収を仕掛けることが可能で、小が大を呑み込むチャンスがあるというわけ。
しかも、買収のために借りたお金は買収された企業が返済していくというもの。
買収された企業は多大な借金を背負わされるのに、買収してオーナーになる意味?ほら、収支と資産価値は違うのでね・・。
ライブドアがフジテレビ買収騒動がLBOだったし、ソニーを買収するつもりもあったとか後で言っていた。
六本木ヒルズ開発の資金調達もこれに似たノンリコースローンであった。
お金を借りた人が(例えば森ビルが)借主に返済できなくなった場合にも、担保である六本木ヒルズを渡せばそれで返済義務はなくなるというもの。
物件売却額で例え借りた額が帳消しに出来なくても、それ以上の返済は必要ない。責任が自分の資産に及ばず、自分の借金になることもない。
要するにこれもお金を借りる人の資金力(返済能力)に信用を置いているのではなく、不動産など物件の収益力に信用を置いたものである。

10年で本社を移さざるをえなかったシアーズもシアーズ・タワー建設の資金をこの方法で調達したのではないだろうか。
流通業のシアーズがシカゴ中心部に超高層な本社ビルを建てたのは最初から間違いだった。
だけどシカゴ中心部のアメリカ一・世界一の超高層だからこそ物件の収益力はあったわけである。
シアーズは結局、2002年に破綻した企業(Kマート)に2004年に買収されて2005年に合併した。シアーズの名が使われているが、シアーズはあくまでも買収された側で傘下に入った側である。





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# by yumimi61 | 2017-07-20 15:47
2017年 07月 18日
日本国憲法の秘密-518-
億万長者に騙されるな!億万長者よ騙されるな!?

どんなものでも安く買って高く売ればその差額が儲けになる。
信用の下がった(株価の下がった)企業の株を買って、企業価値を上げて高く売れば儲けに繋がる。
EMIを買った「テラ・ファーマ・キャピタル」はこれを試みたが企業価値は上がらず失敗に終わった。

一方、バークシャー・ ハザウェイがウェルズ・ファーゴの株を永久保有銘柄と認定していたように、もしも永久に株を手放さずに保有し続けるとなれば、現金にはならない。
株は資産の1つに数えられ時価に見合った資産となるが、それを売らない限りあくまでも「資産価値」であって現金ではない。
資産価値のある株券だって状況によってはがただの紙切れになってしまうこともある。

気持ち(資産価値)はお金持ちだが、実際(現金)はお金持ちではないということも無きにしも非ず。
土地貧乏とか文化財貧乏とか言う人がいるけれども、貧乏かどうかはともかく売らなければお金にはならない。(資産価値のない土地などは売ってもほとんどお金にならないので、土地はあるけど貧乏であるという人も確かにいる)
不動産貧乏と言う人もいれば、相続税貧乏対策のために不動産に変えたほうが良いと言う人もいるけれども。


ともかく現金を持っている億万長者と、株式や不動産といった「資産価値」による億万長者は、同じではない。
通常資産価値だけで生活していくことはできない。日々の買い物に株券や不動産を出すわけにはいかないのである。(株主ならば配当や優待はあるけれども)
売買や投資や寄付をする相手が、「株式や不動産でもよいです」と言ってくれれば価値は価値のまま使えるが、一番融通が利くのはやはり現金であろう。
外国の貧しい人に寄付するのに日本企業の株式や日本の不動産なんかあげたって意味がない。そういう意味では日本円も同じく。
そうした意味のないものを意味あるものにするために、間に人や会社が入ることもある。
間の人や会社が買い取って相手方の必要なものに変えてあげる。。
間に入る人や会社はボランティアではないので利益を上げる必要がある。まごまごすればどこに寄付したのか分からないといった状態になる(間が取ってしまって相手方には僅かしか、あるいは全く渡らない)。
間に入る人や会社が資産価値を担保に融資する(現金を代わりに出す)という方法もある。この場合、資産家は資産もあるけれども同じだけ借金もあるという状態になる。資産価値は永久ではなく時価なので、資産価値が目減りすると怖い。


いくら資産価値があるとはいえ、売りたい時に売りたい価格で売れるとは限らない。
売りたいときには足元を見られることも少なくない。
また株式を保有している理由が転売による金儲けではなく他の理由であった場合、たとえば企業掌握や企業コントロールなどであった場合には、売ったら意味がなくなるので売ることはできない(売りたくない)。
大株主であるからこその権力なのだから。

聞かれもしないのに資産(100億円)は全て現金で借金はゼロと言い切る某資産家は確かになかなか強かではある。心配なのは相続でしょうかね?



経営破綻したのに大儲け?

以前書いた記事に、マイケル・ミルケンと関係のあるらしいグッゲンハイムは、ロサンゼルス・ドジャースやテレビ番組製作会社ディック・クラーク・プロダクションズを共同買収していると書いた。


ロサンゼルス・ドジャースというのアメメリカのプロ野球メジャーリーグ(MLB)ののチームです。
日本はセントラル・リーグ(セ・リーグ)とパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の2リーグ全12球。
アメリカはナショナル・リーグとアメリカン・リーグの2リーグ全30球団。
アメリカはその昔、5つも6つもリーグがあり、二大政党制ならぬ二大リーグ制になったのは1901年のことなんだそう。

ロサンゼルス・ドジャースはかつてはニューヨーク近郊のブルックリン(現在はニューヨーク市内)にあってブルックリン・ドジャースという名称だった。
アメリカで人気あるスポーツというのは「独立したアメリカ」「人種のるつぼ」というアメリカの特徴をよく表している。
1800年代イギリスやフランスからの移民者が好んだアイスホッケー、クリケット、ラグビー、サッカーなどは親しまれなかったり、そのまま受け入れることを拒絶されたりした。
そしてベースボールやアメリカンフットボールなど独自のルールを持つスポーツが発展していったのである。
ちなみにアメリカ人に一番人気のあるスポーツはベースボールではなくてアメフトである。


ブルックリンはイギリスやフランス以外の移民労働者が多く、当時のブルックリンは全米一野球熱の高い地域で、ブルックリンファンは全米一熱狂的であったそうだが、それが西部に移転してしまうというのだから、さあ大変。
これを遂行したのがドジャースの顧問弁護士から経営者になったウォルター・オマリー。
ちなみにドジャー(Dodger)の意味は次の通り。
1 すばやく身をかわす人、ごまかしじょうずな人、ぺてん師、責任を逃れる人
2 ちらし、 広告びら

オマリーは当時として数少ないフルタイムのオーナーであり、「企業家オーナー」として冷徹にドジャースの利益を上げる方策を取り続けた。その最たるものが、ドジャースのブルックリンからロサンゼルスへの移転である。ロサンゼルスという西海岸への移転は、観客動員の面でも人気の面でも「成功」ともいえる目覚しい成果をあげ、西海岸に野球ビジネスを広げたパイオニアという評価がある一方、ブルックリンからドジャースを「持ち出した」と野球ファンから非難を浴びたのも確かである。

ドジャースの移転の衝撃はあまりにも大きく、ブルックリンの町中の誰もが涙を流すほどの衝撃であった。この移転はオマリーに対する悪のイメージを決定付け、20世紀の三大悪人はヒトラー、スターリン、そしてウォルター・オマリー」などといわれるようになったのである。


ウォルター・オマリー1942年にドジャースの顧問弁護士になり、翌年には株を取得して経営に参加。
その年に社長兼GMに就任したのは元メジャーリーガーのブランチ・リッキー。
彼も株主であった。

1942年、ブルックリン・ドジャースの総支配人で友人のラリー・マクフェイルが徴兵されるとリッキーはドジャースに社長とGMを兼ねた後任として招かれる。1944年に人種差別の撤廃に消極的だったランディスコミッショナーが急逝すると、翌1945年にユナイテッド・ステート・リーグという黒人選手を受け入れるマイナーリーグ組織を創設。1945年8月28日にジャッキー・ロビンソンとマイナー契約を結んだのをはじめ、ドジャース支配下のマイナーリーグのチームに多くの黒人選手やニグロリーグ経験者を集めた。このことがメジャーリーグにおける新時代の幕開けになった。
リッキーが黒人選手を受け入れることに積極的であった理由としては、ブルックリンにおける黒人の人口の多さや将来的な黒人家庭の中産化を見越した上でのマーケティング戦略と、より効率的な選手の供給源の開拓のためであった。


当時メジャーリーグは白人しかいなかった。
黒人は黒人でニグロリーグというリーグを持っていて、スター選手もいた。
黒人はやはり概して身体能力が高いのか、その実力はメジャーリーグを上回っており、黒人選手を入れれば勝てるのではないかと考える向きはなくなかった。
しかしながらブランチ・リッキーがスカウトしたのは二グロリーグのスター選手ではなく全くの無名な黒人選手であった。
それがジャッキー・ロビンソンであり、彼がメジャーリーグ初の黒人選手であった。
安く買う(無料で手に入れる?)という儲けの基本に忠実であったわけだ。
こうしてメジャーリーグに黒人選手が加わったことにより皮肉にも人気実力を兼ね備えていた二グロリーグは消滅してしまうことになる。
イギリスやフランスという個の主張がアメリカで受け入れられなかったと同様に、黒人という個の主張も消え去るを得なかった。


ウォルター・オマリーはブランチ・リッキーの方針には反対であった。
野球熱が高いことと、金になることは、同じではないですね・・。
ロサンゼルスはアメリカ一の格差地域であり、また熱狂しない土地柄であるという。
オマリーは株を買い占めて経営権を握り、その格差都市・熱狂しない都市ロサンゼルスへの移転を実現させた。
移転に資金がかかったからか、選手の年棒は極力抑えたが、選手からは不満が噴出した。

球団のオーナーはウォルター・オマリーの息子に受け継がれたが、1998年にルパート・マードック率いるFOXに売却。
FOXは2004年に不動産業で財をなした実業家フランク・マコートにこれを売却。
しかしやはり経営は上手くいかなかった。オーナーであったマコートは2011年に会社更生法の適用を申請し、チームを売却。
つまり支出が収入を上回り赤字になって利益が出ていない会社(球団)ということである。
新しくオーナーとなったのがグッゲンハイムなどの投資グループ。このグループの中には元バスケットボール選手のマジック・ジョンソンもいる。
フランク・マコートが2004年に球団を買った時には4億ドルで、売却は20億ドルだから、経営に失敗しながらも、自身は良い買い物(良い転売)をしたことになる
経営難が発覚したのが自身の離婚だったというから、良い転売はきっと離婚問題も解決したのでしょう。
なぜ利益を出せない球団が高く売れるのか?それは資産価値が上がっているからである。
経済紙フォーブスが球団の「資産価値」なるものを発表している。(この資産価値は不動産とか放映権とか広告料とか選手の年棒総額とか加味して算出するのでしょうか?)
売却前に発表されたランキングでLAドジャースは資産価値14億ドルで2位であった(1位はNYヤンキースで20億ドル)。
その後にLAドジャースはオークションで20億ドルで売れた。スポーツチームの売却としては過去最高だったそう。

資産価値があっても売らなければ(売れなければ)現金は手に入らないんですよ?分かってます?お金を持っている人の道楽だから放っておけ?買い手はうじゃうじゃいる?買わぬなら買わせてみよう?買わぬなら・・?


ラブレターフロームカナダ~~♪(それはやめなさい?)

実はブロンフマン家(シーグラム)3代目のエドガー・ブロンフマンもアメリカメジャーリーグ球団のオーナーであった。
現在もトロント・ブルージェイズというカナダ本拠の球団が存在しているが、初のアメリカ国外の球団はモントリオール・エクスポズであり1969年に加わった。
1967年にモントリオールで開催されたエキスポが球団名称の由来だそうである。

モントリオールはカナダではトロントに次ぐ規模の都市。

住民の大半がフランス系カナダ人を中心にしたヨーロッ系だが、市内の人口の31.7%は非白人と世界各地からの移民も多い多民族都市である。
周辺地域を含むモントリオール大都市圏の人口は約380万人であり、これは北米で15番目、世界でも第77位の規模。面積は約4千km2。
モントリオール大都市圏の住民の7割弱が第一言語をフランス語とし、フランス語圏ではパリとキンシャサに次ぐ規模である。
フランス文化の薫り高い異国的な雰囲気、美食の町、石造りの住宅街、街中にある数多くの教会、石畳のヨーロッパ調の旧市街の街並みなどから観光客向けに「北米のパリ」と宣伝される。
一方では、都市圏の住民の1割強の第一言語は英語であり、19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて英国系移民によって街が発展してきたことからヴィクトリア朝の建物が多いなど英国文化も色濃く残り、北米文化と混合している側面も持つ。

かつてはカナダ最大の都市であったが、1970年に生じたオクトーバー・クライシスと言われる要人誘拐殺人ならびに爆弾テロ事件多発に伴う軍出動の戦時措置法の発動といった社会混乱(イギリス資本が攻撃の標的となった)、およびその後のフランス語単一公用語化に伴い、多くの企業の本拠地がトロントへと移った。


このようにフランス圏であり、イギリス色も混ざるというモントリオールでは、ベースボールの観客は思うように集まらなかった。
経営状態は悪くなり、深刻な財政難に陥り、とうとうオーナーは球団経営に匙を投げ、オーナー不在となる。
オーナー不在のモントリオール・エクスポズを2002年に1億2000万ドルで買い取って引き受けたのがMLB機構。
機構に売ったオーナーはその資金にMLBコミッショナーからの無利子での融資を資本金にして、なんとマイアミ・マーリンズを買収して新オーナーに納まったというこから開いた口が塞がらない。

MLB機構がオーナーであったモントリオール・エクスポズに救いの手を差し伸べたのはアメリカの首都ワシントンD.C.であった。
「我が街へおいでよ。何と言ってもアメリカの首都だからね」
と言ったってワシントンD.C.がオーナーになったわけではない。でも球場の建設費用を市が負担してくれるというから悪い話ではない。
こうしてワシントン・ナショナルズと球団名を変えて2005年に移転し、観客は大幅に増え、買い手が見つかり2006年に売却。

エドガー・ブロンフマンは匙を投げて機構に売却したオーナーではなくて、もっと前のオーナー。

メジャーリーグは例えば日本が本拠の球団でも参入できるんでしょうか?(若干遠いですか?)(もう増やす気はないからダメ?)(それとも陸続きでないとダメとか?)







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# by yumimi61 | 2017-07-18 19:47
2017年 07月 16日
日本国憲法の秘密-517-
Drexel&Co.を設立したにフランシス・マーティン・ドレクセルと、Drexel、Morgan&Co.をJ・P・モルガンと共同で設立したアンソニー・ジョセフ・ドレクセルは親子である。
ドレクセルはオーストリア出身のカトリック教徒。

父の設立したDrexel&Co.はベルギーのグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、息子が設立したDrexel、Morgan&Co.はJP モルガン(J.P. Morgan)に吸収された。
ともにロスチャイルド系である。
ベルギーのグループ・ブリュッセル・ランバートに吸収されたほうの会社にいたのが、ジャンクボンドの帝王マイケル・ミルケンであった。

マイケル・ミルケンは今回はじめて登場した人物ではない。
私は前にもマイケル・ミルケンのことを書いている!
2013年10月のことなのでSTAP細胞騒動よりも前の話。
STAP細胞騒動は2014年初頭に始まりました。あれももう3年も前のこと。時が経つのは早いものです。

この話の流れで何故にSTAP細胞が出てくるかというと、STAP細胞騒動が巻き起こる1週間ほど前に私はスティーブ・ジョブズの日の丸写真を使い、ベトナム戦争の頃のことを書いた。
2014年1月21日の記事である。

STAP細胞を最初に扱ったメディアはテレビ朝日の『報道 ステーション』(1月29日21:54~)であった。
理化学研究所は、それが正当な研究であったとしても基礎研究成果の1つにしか過ぎないはずのものをメディアに放出し、翌朝からメディアは小保方一色、メディアは狂騒の状態を呈した。
言っておくがノーベル賞を受賞したわけでもないし、当然のことながらSTAP細胞が社会に大きく貢献したわけでもない、科学雑誌に掲載されるというだけで、国を挙げて狂乱状態となった。

前にマイケル・ミルケンが登場した時もレコード会社のことを書いていた。EMI買収からの流れでソニー連合の話など。2013年10月のことである。
その中でスティーブ・ジョブズも登場した。(こちらの記事の=ジョブズの処方箋=
だからマイケル・ミルケンと書くとSTAP細胞を思い出すというわけです。


世界4大レコード会社といえば、ソニー、ユニバーサル、ワーナー、EMIの4つであった。
しかしEMIは分割買収されたために、世界3大メジャー時代へ突入した。
EMIは著作権などを管理する音楽出版部門と音楽ソフト部門を分割し、音楽出版部門を「ソニー連合」が、音楽ソフト部門をユニバーサル・ミュージックの親会社「ヴィヴェンディ」(フランス)が買収した。

EMIはビートルズを輩出したイギリスの大手レコード会社。

EMIを「ソニー連合」と「ヴィヴェンディ」が分割買収するまでには2つの所有者を経由している。

1つは「テラ・ファーマ・キャピタル」というイギリスのプライベート・エクイティ投資会社。
プライベート・エクイティというのは、機関投資家などから集めた資金を企業に投資する代わりにその企業の経営に深く関与し、自ら企業価値を高めて売却し利益を得ることを目的とした投資ファンドである。
安い時に(評価や信頼が下がっている時に)買って、企業価値を高めて転売し利益を設けるやりかたで稼ぐ。
「テラ・ファーマ・キャピタル」のCEOはゴールドマン・サックス→野村インターナショナル(野村証券)という職歴を辿り、野村インターナショナル内に企業買収部門を構築し、2002年に「テラ・ファーマ・キャピタル」を分離独立させた。

しかし残念ながら目論見は外れ、EMIの企業価値は上がらなかった。逆に買収した時よりも下がってしまった(買った時よりも悪くなった)。
EMIは買収前から負債を抱えていた会社なので、状況はかなり厳しい(負債積み上げ)。
さらに悪いことにというか、投資会社だからある意味当然だが、投資会社やそのCEOは自分のお金で買い物をしているわけではない。
他人から預かったり集めたお金を使ったり融資をしてもらい買っているわけである。
CEOは買い物の責任者といったところか。責任者なのでテラ・ファーマ・キャピタルのCEOはEMI買収の責任をとって辞任した。
そのCEOがシティグループ相手に訴訟を起こす。
テラ・ファーマ・キャピタルは買収資金の大半をシティグループから調達しており、その際にシティグループから虚偽の説明をされ騙されたと訴え出たのだ。
しかし「EMIの企業評価はあなたがしたもので、サーベラスもシティグループも関係ない」と言われ、最終的に和解に至り、テラ・ファーマ・キャピタルは負債を減らすために保有していたEMIの株式を融資者であるシティグループに譲った。

ということで、次なる所有者がシティグループである。

シティグループはロックフェラー系の金融機関で、創業者がロックフェラー1世の弟ウィリアムだと言われていることもあるが、彼は創業者ではない。
創業は1812年でありロックフェラー家が生まれる前よりも早い。
ロックフェラー1世は20代前半で起業し石油事業に投資し、後に自分も製油所を経営し、1870年にスタンダードオイルを創立。20代半ばで世界一の製油業者と言われ、30歳頃には押しも押されぬ石油王となる。
弟との関係は良好で兄弟は協力しあった。
弟ウィリアムの長男と次男がそれぞれナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨークの頭取スティルマンの娘と結婚した。
頭取スティルマンは、父がニューヨーク、テキサス、メキシコに金融・不動産王国を築いたという人物で、W・H・ハリマン、ジェイコブ・シフ、ウィリアム・ロックフェラーらと共にテキサスの主要な鉄道会社を掌握している。
親戚であり仕事仲間でもあるスティルマンが頭取を務める「ナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク」にウィリアム・ロックフェラーは投資しており、1893年にアメリカのトップ銀行となってスタンダード・バンクと呼ばれるようになる。
1909年にモルガンが大株主となった。
1955年に「ナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク」(国法銀行)は「ファースト・ナショナルバンク」(国立銀行)と合併して「ファーストナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク」となり、その後改称により「シティバンク」となる。

1863年に設立された「ファースト・ナショナルバンク」の創業者の1人で、1877年から1912年まで頭取と会長を務めたジョージ・F・ベーカーはスティルマンやモルガンの親友であった。また孫娘がクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフの孫と結婚しており親戚という関係。
ロスチャイルドとモルガンとロックフェラーの関係が見える銀行である。
FRB設立のための秘密会議を構成するメンバーと非常によく似ている。


ロックフェラー4世とお家騒動を繰り広げたロックフェラー2世の末息デイヴィッド・ロックフェラーが頭取を務めていたチェース・マンハッタン銀行は、上記のシティバンクとはライバルの関係にあった。
チェース・マンハッタン銀行は、チェース・ナショナル銀行とマンハッタン銀行の合併により1955年に誕生した銀行。
マンハッタン銀行は水道事業からスタートした会社であり、チェース・ナショナル銀行で1930~1950年代の20年間あまり頭取を務めたウィンスロップ・W・オルドリッチは、オルドリッチ法案のネルソン・オルドリッチ(共和党)の息子でイギリス大使を務めていた。
(FRB誕生の法案を通したのは民主党。法案の名称以外は共和党のオルドリッチ法案とほとんど同じだった)
ウィンスロップ・W・オルドリッチの姉(ネルソン・オルドリッチの娘)がロックフェラー2世の妻である。
また上記「ファースト・ナショナルバンク」のシティジョージ・F・ベーカーはチェース・ナショナル銀行の大株主でもあった。
ライバル関係にあっても様々なしがらみによって繋がっている。
2000年にJ・P・モルガンと合併してJPモルガン・チェースとなった。


ロスチャイルドとモルガンとロックフェラーが合体したようなシティバンクが所有していたEMIは、音楽出版部門を「ソニー連合」」、音楽ソフト部門を「ヴィヴェンディ(ユニバーサルミュージックの親会社)」とに、分割買収された。

ソニー連合とは以下の投資グループ。
買収額は22億ドル(約1760億円)。

・ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ
・マイケル・ジャクソン・エステート(マイケル・ジャクソン遺産管理財団)
・GSOキャピタル・パートナーズ(ブラックストーン・グループ傘下の投資会社)
・ジンウェル・キャピタル(兆赫?台湾?)
・ムバダラ・デベロップメント(アブダビ政府傘下の投資会社)
・デービッド・ゲッフェン(映画プロデューサー)
 =デヴィッド・ゲフィン


ソニー連合の財務顧問を務めたのはレイン・グループ、ピーター・J・ソロモン・カンパニー、UBSインベストメント・バンク、グッゲンハイム・セキュリティーズ。 

【グッゲンハイム・セキュリティーズ】
グッゲンハイム・パートナーズの子会社。(グッゲンハイム証券)

親会社グッゲンハイム・パートナーズは非公開の世界的金融サービス会社で、資産運用や投資銀行サービスを提供している。
運用資産は1700億ドルを超えるという。
本社がニューヨークとシカゴにある。

「グッゲンハイム」はスイスに生まれたドイツ系ユダヤ人・マイアー・グッゲンハイムの一族。
貿易商だったが1847年に渡米し、コロラドの銀鉱山を安値で買い取ったことをきっかけに鉱山・精錬業で財産を築いた。

マイアー・グッゲンハイムの10人の子のうちの1人にソロモンR.グッゲンハイムがいる。
NYのソロモン・R・グッゲンハイム美術館の設立者。
ソロモン・R・グッゲンハイム財団を有し、幾つかの美術館を持つ。

グッゲンハイム・パートナーズの創業者はピーター・ローソン・ジョンストン。
ソロモンR.グッゲンハイムの曾孫にあたる。
グッゲンハイム・パートナーズは2000年に一族の資金を基に創立された。

●東京拠点
グッゲンハイム・パートナーズは、今年に入って東京にも運用拠点を設立した。
金融緩和により株価上昇が期待できると判断してのことで、2013年中に2億ドル(約200億円)を日本株に投資予定。
さらに今後数年をかけてアジアを対象に運用させる額を最大20億ドル(約2000億円)まで増やす予定とのこと。
外部投資家からの資金も受け入れ、そのうちの約1/3を日本株に投じる見通し。

●グッゲンハイム・パートナーズとマイケル・ミルケン
「ジャンク債の帝王(Junk Bond King)」として名を馳せたが、証券詐欺で業界を永久追放されたマイケル・ミルケン。
バークレーマフィアで名高いカリフォルニア大学バークレー校を卒業し、ロシアのユリ・ミルナーと同じくペンシルベニア大学ウォートン校でMBAを取得した。
ジャンク債の開拓で巨大な富を得る。
永久追放処分後は慈善活動家として活動しており、医療(がん治療)への資金援助や奨学金などを提供している。
投資助言行為などは禁じられているが、グッゲンハイム・パートナーズへのアドバイザーとなっていた疑惑が今年になって浮上した。
グッゲンハイムはロサンゼルス・ドジャーズやテレビ番組製作会社ディック・クラーク・プロダクションズを共同買収している。


ソニー連合の財務顧問の1つだったグッゲンハイム・セキュリティーズの親会社グッゲンハイム・パートナーズとマイケル・ミルケンに関わりがあったということで書いたのだ。
マイケル・ミルケンはドレクセル親子の父の設立したドレクセル系(後にベルギーのグループ・ブリュッセル・ランバートに吸収されてドレクセル・バーナム・ランベールとなる)で働いていた。
ドレクセル息子はモルガンと共同で新たに会社を設立(後にJPモルガンに吸収される)。

カナダのシーグラムを経営していたブロンフマン家
・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。

ドレクセル・バーナム・ランベールはブロンフマン×ランベール一族の賜物のような投資会社。

・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。
エドガーは「ユダヤ人名誉毀損防止同盟(ADL)」の名誉副会長と「世界ユダヤ人会議」の会長であった。


エドガー・ブロンフマンの妻アン・ローブの両親の組み合わせが、会社の合併でも体現されるのが、それを実現させたアメリカン・エキスプレス。
アメリカン・エキスプレスが1960年代に株価が暴落した時に株式を大量買いして大儲けしたのが投資の神様と言われるウォーレン・バフェットと彼が率いる会社バークシャー・ ハザウェイ。
似たような手法で1980年代にシジャンクボンドの帝王と呼ばれたのがマイケル・ミルケン。
マイケル・ミルケンは不正が発覚し、ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような投資会社ドレクセル・バーナム・ランベールは倒産した。
シーグラムの3代目はMCA(ユニバーサル)を松下電器(現パナソニック)から買い取るが、そのためにデュポンの株式も手放した。
4代目になると、ついにはシーグラムも売却。娯楽部門はロスチャイルド系会社ヴィヴェンディへ。ヴィヴェンディもドレクセル(息子)とモルガン共同会社が設立したGEに売却(但しミュージックは売却対象外)。
GEもコムキャストに売却。コムキャストの創業者はロシア系ユダや人。
父がユダヤ界のドンだったエドガー・ブロンフマン・ジュニアはワーナーミュージックを買い取ってCEOとなっている。

1990年松下電器(MCA)→1995年シーグラム(ユニバーサル)→2000年ヴィヴェンディ(ヴィヴェンディ・ユニバーサル)→2004年GEと合併(NBCユニバーサル)→2009年コムキャスト(NBCユニバーサル)


①シーグラムからヴィヴェンディに売られたユニバーサルミュージック。 ・・・EMIの音楽ソフト部門を買収
②元シーグラムCEOのエドガー・ブロンフマン・ジュニアがワーナーから買い取ったワーナーミュージック。
②ソニーミュージックエンタテインメント(アメリカ法人)。・・・EMIの音楽出版部門を買収
これがレコード会社の3大メジャーとなっている。

①のユニバーサルミュージックは本家ユニバーサルとは親会社が異なる。資本も当然別。
②のワーナーミュージックも本家ワーナーとは経営者が違う。資本関係なし。
②のソニーミュージックエンタテインメントの親会社はソニーミュージックホールディングスで、その親会社がソニー・エンタテインメントで、その親会社がソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(ソニーのアメリカ法人)で、アメリカ法人のオーナーが日本のソニー。
本家ソニーと資本関係はあるということになる。
日本のソニーミュージックエンタテインメントはアメリカのソニーミュージックとは資本関係が異なり、3大メジャーと言う時に日本のソニーミュージックは含まれない。
日本のソニー・ミュージックエンタテインメントの親会社は日本のソニーで、アメリカのように事業会社ではなく中間持ち株会社である。
アメリカで言えばソニーミュージックホールディングスのような感じ。ソニー・ミュージックエンタテインメントの下に事業会社であるレーベルがある。


マイケル・ミルケンと関係があるらしいグッゲンハイム以外のソニー連合の財務顧問。

・レイン・グループ
ゴールドマン・サックスで投資銀行部門のメディア責任者だったジョー・ラビッチと、UBS(スイス本拠の金融機関)でメディア・テレコム部門責任者だったジェフ・シネが共同で設立。
後に野村証券のアメリカ法人での投資銀行部門責任者だったグレン・シフマン(リーマン・ブラザーズ出身)も加わっている。
また元グーグルCEOのエリック・シュミット、元フェイスブック社長のショーン・パーカーなどが出資者に名を連ねている。
ソフトバンクの孫正義社長も取締役の1人となっている。

・ピーター・J・ソロモン・カンパニー
創業者のピーター・J・ソロモンは、元リーマン・ブラザーズの副会長で投資部門の責任者だった人物。
新会社設立にあたって他社から銀行家・証券マンを引き抜いた。
ワーナーとタイムの合併はこの会社が担当した。

・UBSインベストメント・バンク
上にも書いたとおり、UBSはスイス本拠の金融機関。
インベストメント・バンクはそのうちの投資銀行業務・証券業務を行う部門。





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# by yumimi61 | 2017-07-16 18:13
2017年 07月 14日
日本国憲法の秘密-516-
トランプ大統領!未定になっていた科学顧問はもう決まりましたか?それとも永遠の秘密ですか?

前記事にオバマ大統領就任時の経済顧問団のことを書いたけれど、トランプ大統領の科学顧問(アメリカ合衆国科学技術政策局の局長)が未定のままで分からない。
オバマ政権ではジョン・ホルドレン前ハーバード大教授(理論物理学・環境政策)であった。
ハーバード大を巻き込むSTAP細胞騒動はジョン・ホルドレン大統領科学顧問の下で起こった事件でしたね。



ブロンフマン家の3代目でユダヤ界のドンでもあったエドガー・ブロンフマンは2013年に亡くなった。

息子であるエドガー・ブロンフマン・ジュニアは若い頃は家業に反発し、音楽家・演劇プロデューサーとして身を立てていた。 
彼が1989年に社長に就任してからシーグラムがMCAやポリグラムを次々と買収したのはこのような背景からである。
エドガー・ジュニアはシーグラム売却後もヴィヴェンディ・ユニヴァーサルの副会長にとどまっていたが、同社をNBCが買収した際に退任。その後、2004年にタイム・ワーナーの音楽部門であるワーナー・ミュージック・グループを他の投資家たちと共同で買収し、現在はその会長となっている。


家業に反発したとあるが、エドガー・ブロンフマンという名をそのまま継いでエドガー・ブロンフマン・ジュニアと名乗り、シーグラムの社長にも就任しているので、反発とは言えないであろう。

直接の関係がない分野の会社を多数傘下に収めている企業グループのことをコングロマリットと言うが、メディアや娯楽産業ではメジャーな企業であっても関連ある会社を多数傘下にしているということが多く、全く関係ない畑違いの会社を所有しているということがほとんどない。
従ってシーグラムという酒造会社と娯楽産業の繋がりに一見違和感を感じるのだと思うが、一般的なコングロマリットではむしろ普通のことである。

映画産業であるハリウッドを築いたのはユダヤ人で、ユダヤ系ギャングが多額の投資をしていた。
1930年代に金融資本と結びついて8大映画会社(Hollywood majors)が成立した。
ユダヤ人が創業し経営していたので、ユダヤ系ではない企業がなかなか買収できなかったという背景があると考えられる。(買収などしようものなら反ユダヤ企業だと烙印を押されADLに猛烈に抗議されたり脅されたりしてしまうため)

1.パラマウント ・・・ハンガリー系ユダヤ人
2.MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー) ・・・ロシア系ユダヤ人
3.20世紀フォックス ・・・ハンガリー系ユダヤ人
4.ワーナー・ブラザース ・・・ポーランド系ユダヤ人
5.RKO ・・・前身会社にはケネディ大統領父が関係している。現存しない。版権はワーナーが保有。
6.ユニバーサル ・・・ドイツ系ユダヤ人
7.コロムビア ・・・ドイツ系ロシア系ユダヤ人
8.ユナイテッド・アーチスツ ・・・チャップリンなどが創立、創立者の1人がユダヤ系、現在はMGM傘下。
(1~5がビッグファイブ、6~8がリトルスリーと呼ばれる)

映画企業は当初からユダヤ人よって始められ、ユダヤギャングやユダヤ全融業者が支援し、ユダヤ政治家を背景に成長した。
第二次世界大戦前には作家、脚本家、演出家はほぼユダヤ人によって占められており、さらにユダヤ系の俳優や芸術家や音楽家なども抱え込み、アメリカの5大産業の1つになる。
とある調査によれば、戦後1965~1982年の間にメジャー映画会社の中で働いていたプロデューサー、ライター、ディレクターの62%がユダヤ教徒の家庭に育ったユダヤ人であったそうである。

上記のメジャーから現在は5のRKOと8のユナイテッド・アーチスツが抜けて、代わりにウォルト・ディズニーとソニーが入る。コロンビアもソニーの傘下となっている。
ウォルト・ディズニーはユダヤ人ではなく(一族はアイルランド移民で父はカナダ生まれ)、当初ユダヤ人は雇わないという主義であったが、1980年代初めに破綻危機に見舞われ、創業者の甥が経営立て直しのために招き入れたのがマイケル・アイズナーという東欧系(チェコ出身)ユダヤ人であった。
後にその創業者の甥とも意見が合わなくなり創業者一族との軋轢が表面化。ディズニー―はユダヤ人に乗っ取られたと言われるようになる。
1984年から2005年までCEOを務めた。その後は投資家に転身。投資の傍らスタジオを設立し司会業などもこなす。


上に書いたようにコングロマリットが異なる分野の会社を傘下に持つ企業グループであるが、メディアや娯楽産業ではそうではないので、「メディア・コングロマリット(media conglomerate)」とメディアを冠して呼ばれる。
映画、放送、新聞・出版、インターネットなど多様なマスメディアを傘下に収める巨大な複合企業・寡占企業のことである。
アメリカを本拠地とするメディア・コングロマリットのビッグファイブ。
・・・は傘下にある放送・出版の代表的企業。

1.コムキャスト(NBCユニバーサル)
  ・・・ユニバーサル・ピクチャーズ(映画)、NBC(放送)
2.ウォルト・ディズニー・カンパニー
  ・・・ウォルト・ディズニー・ピクチャー(映画)、ABC、ESPN、ディズニーチャンネル(放送)
3.21世紀フォックス・ニューズ・コープ 
  ・・・20世紀フォックス(映画)、フォックス(放送)
  ・・・ザ・サン、タイムズ、ニューヨーク・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル(出版)
4.ナショナル アミューズメント(バイアコム・CBSコーポレーション)
   ・・・パラマウント(映画)、MTV、CBS(放送)
5.タイム・ワーナー 
   ・・・ワーナー・ブラザース(映画)、CNN、TBS(放送)、タイム、ピープル、フォーチュン(出版)


1.コムキャスト(NBCユニバーサル)  

1990年松下電器(MCA)→1995年シーグラム(ユニバーサル)→2000年ヴィヴェンディ(ヴィヴェンディ・ユニバーサル)→2004年GEと合併(NBCユニバーサル)→2009年コムキャスト(NBCユニバーサル)

MCAの大元はシカゴのタレント事務所。
この会社MCAがユニバーサルを買収したイギリスのデッカ・レコードアメリカ法人を買収した。
デッカ・レコードは1930年代にEMIと並んでイギリスの2大レコードであった。
MCAはその他にもモータウン・レコードや(カート・コバーンにギターを買ってくれなかったディビッド・ゲフィンの)ゲフィン・レコードなどを次々と買収。
そのMCAを日本の松下電器が買収したのが1990年。しかし5年後にブロンフマン家のシーグラムに売却した。
ブロンフマン家は大手総合化学メーカーデュポン社の大株主でもあったが、MCAを買収するためにデュポンの株を手放している。それほど手に入れたかった。
というのも、MCAにはユニバーサルが含まれていたからだ。
ドイツ系ユダヤ人が創業した上記の8大映画会社の1つにも含まれていたユニバーサルである。
ユダヤの手に再び取り戻さなければならないという使命感があったに違いない。

2004年、シーグラムのユニバーサルはフランスのヴィヴェンディと合併した。
ヴィヴェンディ
ヴィヴェンディ(Vivendi)はフランスの企業。前身は水道事業を中心とするジェネラル・デ・ゾー社。1990年代からメディア事業や電気通信事業に進出し、2000年にカナル・プリュス、シーグラムとの合併によってヴィヴェンディ・ユニバーサルとなった。
ヴィヴェンディの前身のジェネラル・デ・ゾーは1853年に水道会社として設立された。
設立者はフランスのロスチャイルド家。もちろん大株主。

ただどこでもそうらしいが、音楽など娯楽部門はなかなか利益が上がらない。
はっきり言って儲けに繋がらない商売である。
儲けの基本は何でしたか?
安く買って高く売る。無料で得て高額で売る。投資しないで(経費を注ぎ込まないで)作り上げて売る。
娯楽部門はこの基本に則れない商売ということだ。
ミイラ取りがミイラになる、ロスチャイルド家にしてもそうだった。
赤字の膨らんだエンタテインメント事業(ヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンタテインメント)の大半をGE(ゼネラル・エレクトリックに売却し、GE傘下のNBCとヴィヴェンディ・ユニバーサルを合併しNBCユニバーサル(GE 80%、ヴィヴェンディ・ユニバーサル20%)を設立した。

GEというとエジソンを思い出すかもしれないが、エジソンだけでは現在のような大企業になることは無理であったろう。
エジソンの会社は前身会社の1つではあるが、ライバルも多く(電流戦争)、実質的にGEを設立したのはドレクセル・モルガン&カンパニーであった。
ドレクセル・モルガン&カンパニーはJ.P. モルガン&カンパニーの前身であり、1871年にJ・P・モルガンとアンソニー・ジョセフ・ドレクセルが共同で設立した会社。
1895年にドレクセルという名を外した。
鉄鋼会社を買収して巨大化していく。タイタニック号の実質的なオーナーでもあった。
2000年にチェース・マンハッタンと経営統合してJPモルガン・チェースとなっている。アメリカ最大の資産を有する銀行。

ドレクセルという名に聞き覚えはありませんか?そう、先日出てきましたね。
1975年、ロスチャイルド系のランベール銀行がブリュッセル銀行(1871年ジャック・エレラが創業)と合併してGBL となった。
GBLは翌1976年にフランシス・マーティン・ドレクセルが創業したアメリカの銀行の支配権を得る。
フランシス・マーティン・ドレクセルはオーストリア生まれで、イタリアのカトリック教会でイタリア語と絵画を学ぶ。
1817年にアメリカに移住。
1837年に永住権を取得した後、アメリカ大手金融会社の1つとなるDrexel&Co.を設立。
メキシコ・アメリカ戦争とアメリカ内戦で連邦政府との金融取引に携わる。
創業者が1860年に死去し息子が事業を継承。
1868年にパリの会社Drexel、Harjes&Co.が設立され、1871年にはJ. P. モルガンと提携してニューヨークにDrexel、Morgan&Co.を設立。
だがその後、会社は傾いて行く。
幾つかの合併や改称を経て、1976年にベルギーに本拠を置くグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、ドレクセル・バーナム・ランベール(Drexel Burnham Lambert)という社名になった。
1980年代の企業乗っ取りの中心にいたのがこの会社。ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような銀行。
ランバートに吸収合併される前からドレクセルにいて、1980年代にジャンクボンドの帝王"Junk Bond King"として名を馳せたのがマイケル・ミルケン。
傾いていた会社はアメリカ5位の投資銀行となりウォール街に欠かせない会社へと変貌を遂げた。


モルガンもドレクセルもロスチャイルド系。
結局NBCユニバーサルはコムキャストの傘下に入るが、コムキャストの創業者はロシア系ユダヤ人である。

先日も書いた通り、ユニバーサル・ミュージックはGEとの合併の対象外であり、GE→コムキャストに移らず、フランスのヴィヴェンディが所有している。


5.タイム・ワーナー 
シーグラムのエドガー・ブロンフマン・ジュニアはMCAとポリグラムを買収して世界最大のレコード会社を所有することになったわけだが、それをフランスのヴィヴェンディに売却。さらにGEに売却されると役職も退任した。
ブロンフマン家はタイム・ワーナーの株主でもあった。
タイム・ワーナーも業績低迷悪化を改善するために音楽部門を切り離すことにした。
これを買ったのがエドガー・ブロンフマン・ジュニアを含む投資家グループである。
完全に売却したので、ワーナーという同じ名称を依然使用しているものの、タイム・ワーナーとワーナー・ミュージック・グループに資本関係はない。
エドガー・ブロンフマン・ジュニア取締役会長兼CEOである。
要するに彼はユニバーサル・ミュージックではなく、ワーナー・ミュージックを選んだということになる。
世界はひとつ~♪ではないけれども、ユニバーサルとワーナーもいずれ合併するんですかね?


アメリカ本拠地以外
本社が日本のソニー、フランスのヴィヴェンディ、ドイツのベルテルスマンが世界的な巨大メディア・コングロマリットとして挙げられることがある。
しかしソニー全体で言えばメディアだけでなく一般的なコングロマリットでもある。そのため単純に企業グループの売上高を比較すれば他のメディア・コングロマリットよりも桁違いに高い。
いずれソニーも合併するんですかね?

でも、世界はひとつ~♪ の世界で、映画を作ったり、歌を歌う理由って何ですか?
世界はひとつの世界で、映画や歌ってどこまで響くんでしょうか?
すれ違いや重なり合わない隙間に生まれる感情を描くものなのではないでしょうか?
それとも何か麻薬みたいなものですか?






                   








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# by yumimi61 | 2017-07-14 11:53
2017年 07月 13日
日本国憲法の秘密-515-
・エチェル・ブロンフマン(初代)
1898年にルーマニアからカナダへ移住。売春業から始まり、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大規模な酒や麻薬の密輸密売を行って巨万の富を築く。
マイヤー・ランスキーの作った全米犯罪シンジケートにも供給していた。
その金でジョセフ・E・シーグラムが創業した「ジョセフ・E・シーグラム&サンズ社」という酒造会社を買収して、あえて「シーグラム」という社名にした。

・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。

・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。


ブロンフマンに関連して、※ランベール銀行、※ソシエテ・ジェネラル、※グループ・ブリュッセル・ランバート、
※EU(欧州連合)、※イギリスとドイツ、イギリスとベルギーの切っても切れない関係、※ドイツとイギリスとフランスの複雑な関係、※ロスチャイルドはフランキスト?カトリック?、の続き。



※アメリカン・エキスプレスとウェルズ・ファーゴ
カナダのブロンフマン家3代目のエドガー・ブロンフマンの妻アン・ローブの父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。

ジョン・ランゲロス・ローブは1931年にウォール街にLoeb、Rhoades&Co.という証券会社を設立した人物の息子である。
父子ともにニューヨーク証券取引所の社長にも就任していた。
Loeb、Rhoades&Co.は1979年にShearson Hayden Stoneという会社によって買収された。さらに1981年にアメリカン・エキスプレスに買収される。
Shearsonは創業者(Edward Shearson)の名であり、彼はカナダのオンタリオ州の出身。
(1931)Loeb、Rhoades&Co→(1979)Shearson Hayden Stone→ (1981)Shearson/American Express

1850年にドイツからの移民であるリーマン兄弟によって設立されたリーマン・ブラザースは、1977年に当時経営が低迷していたクーン・ローブを統合し、リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ(Lehman Brothers, Kuhn, Loeb Inc.)と改称した。クーン・ローブは日露戦争で日本の公債を引き受けたジェイコブ・シフがいたことで有名。FRB創立の秘密会議のメンバーでもあった。
1924年にリーマン一族以外から共同経営者を招き入れる。その後も外部の人間がCEOに就任し会社は成長を続けたが社内での求心力を失い会社は崩壊の危機に立つ。
そして1984年にアメリカン・エキスプレスに買収された。
(1850)Lehman Brothers→(1977)Lehman Brothers, Kuhn, Loeb→ (1984)Shearson Lehman/American Express

エドガー・ブロンフマンの妻アン・ローブの両親の組み合わせが、会社の合併でも体現されたことになる。
ではそれを実現させたアメリカン・エキスプレスとはどんな会社なのか?
1850年に、ウェルズ・ファーゴの創設者でもあるヘンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴ、ジョン・バターフィールドの3人によって、荷馬車により貨物を運ぶ宅配便業者として事業を開始した。事業は好調に推移し、輸送網を全米、および隣国のカナダやメキシコにも広げた。
1882年に、世界で初めて郵便為替業務を開始したことで、同社の主事業となる金融業に参入した。1891年には、ウィリアム・ファーゴの発案により、世界で2番目(世界初は、1841年のトーマスクック・トラベラーズチェック)のトラベラーズ・チェックを発行し、アメリカ国内のみならず事業展開していた各国に導入を行った。
海外旅行に行くアメリカ人旅行者のサポートのために、1895年にフランスに、1896年にイギリスに事務所を開設したのを皮切りに海外に事業網を展開し、1917年には日本事務所を横浜に開設するなど、その事業基盤を世界中に広げた。


1964年にアメリカン・エキスプレスが破綻確実と見られていた会社に融資しようとして株価が暴落した時があった。
この時にアメリカン・エキスプレスの株式を大量買いしたのが投資家ウォーレン・バフェットである。
アメリカン・エキスプレスはその後大きく成長し、バフェットと彼が率いる会社バークシャー・ ハザウェイに多大な利益をもたらした。

(リーマンなどを吸収合併した頃のアメリカン・エキスプレスの)CEOジェームズ・ロビンソンの妻リンダ・ゴスデン・ロビンソンは、ロナルド・レーガン政権の樹立をバックアップして政財界との関係を深め、さらに1988年からはマイケル・ミルケンを擁護する広報戦略を展開した

マイケル・ミルケンとは先日も書いたが、ロスチャイルド系ランベール銀行に吸収されたドレクセルという会社にいて、ランベール吸収後の1980年代にジャンクボンドの帝王"Junk Bond King"として名を馳せた人物。
彼の手法はリスクのある社債を引き受けるというもの。
リスクが高いと評価された信用が低い企業が発行する債券はただの紙くず(junk)になりかねない。だからジャンク債と呼ばれる。
「ハイリスクハイリターンだから買う」と言えば”ジャンクボンドの帝王”になるし、「私が評価した企業価値より格付け機関がした評価や株価が低いだけである」と言って買えば”投資の神様”になる。
行っていることは同じで、その裏には往々にして不正がある。

儲けの基本は、安く買って高く売ること。
無料で手に入れたものを高額で売るのが一番良い。
無料で手に入れる方法?
騙したり盗んだり強奪すること。犯罪となる詐欺や盗難や強奪もあれば、法律を定めたり変えたりして合法的に奪うという手段もある。国の創成期や混乱期には盗難や強奪が有耶無耶になってしまうこともある。
寄付してもらうというのも無料で手に入れる1つの方法である。


上記にあるようにアメリカン・エキスプレスとウェルズ・ファーゴの創設者は同じである。
ウェルズ・ファーゴは1852年に創立された。現在はアメリカだけでなく、カナダ、北マリアナ諸島、西インド諸島においても現地法人を持ち、個人向けの業務を営む。2005年時点で、営業網は6,250店舗、顧客は2,300万人を数える。2015年現在、資産価値では全米第三位であり、市場価値では世界最大の銀行である。
但し、2016年9月8日、自社で顧客の許可のないまま口座を開設したりクレジットカードを発行したりする行為が横行していたと明らかにし、この問題で過去数年の間に5300人の行員を解雇したと認めた。この問題はCEOの辞任にまで発展、継続してきた金融機関としての時価総額世界一が途切れることになった。

投資家ウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ ハザウェイがウェルズ・ファーゴの株式10%を保有していて唯一の永久保有銘柄と認定するほど優良銀行だったわけだが、不正発覚で今年4月に一部手放したとか。(永久が泣きますよ!?)


※オバマ政権とウォーレン・バフェット
2008年のアメリカ大統領選で民主党のバラク・オバマが勝利した。
そのオバマ大統領が選んだ経済顧問団17名のうちの1人がウォーレン・バフェットだった。

・デービッド・ボアニー 元民主党下院議員・副院内総務
・ロエル・カンボス 元米国証券取引委員会委員
・ウィリアム・デイリー 元商務長官
・ウィリアム・ドナルドソン 元米国証券取引委員会委員長
・ロジャー・ファーガソン 元米連邦準備制度理事会(FRB)副議長
・ジェニファー・グランホルム ミシガン州知事
・アン・マルケイヒー ゼロックスCEO
・リチャード・パーソンズ タイムワーナー取締役会議長
・ペニー・プリッツカー クラシック・レジデンス・バイ・ハイアットCEO
・ロバート・ライシュ 元労働長官、カリフォルニア大バークレー校教授
・ロバート・ルービン 元財務長官、シティグループ経営執行委員長
・エリック・シュミット グーグルCEO 
・ローレンス・サマーズ 元財務長官、ハーバード大教授
・ローラ・タイソン 元国家経済会議(NEC)議長
・アントニオ・ビヤライゴザ ロサンゼルス市長
・ポール・ボルガー 元FRB議長
・ウォーレン・バフェット バークシャー・ハサウェイCEO

またにウォーレン・パフェットはオバマ候補が財務長官の候補として、ローレン・サマーズや元FRB議長で選挙中のオバマ陣営の経済顧問でもあったポール・アンカーらとともに名を挙げた1人でもある。
結局財務長官に就任したのは親がフォード財団の一員仲間であるティモシー・フランツ・ガイトナーであったが。


※ユダヤ人名誉毀損防止同盟(ADL)と世界ユダヤ人会議
ユダヤ人名誉毀損防止同盟(ADL)はユダヤ人ギャングを支援し、ロシア出身のユダヤ人ギャングだったマイヤー・ランスキ―の作った全米犯罪シンジケートを乗っ取ったというか、便乗したとか言うか、手本にしたというかの組織となっていく。
ルーマニアからカナダへ移住し、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大金持ちとなったブロンフマン家の3代目エドガー・ブロンフマンは「ユダヤ人名誉毀損防止同盟(ADL)」の名誉副会長と「世界ユダヤ人会議」の会長となった。

世界ユダヤ人会議(英:World Jewish Congress、略称WJC)
1936年から活動しているユダヤ人の国際組織。本部はアメリカの都市ニューヨークにある。またフランスのパリ、ベルギーのブリュッセル、スイスのジュネーヴ、ハンガリーのブダペスト、イスラエルのエルサレム、ロシアのモスクワ、カナダのオタワ、オーストラリアのシドニー、アルゼンチンのブエノスアイレスなどに加入している事務所が存在する。一国一団体が原則であり、世界中のすべてのユダヤ人団体が加入しているわけではない。1994年の段階で86カ国の団体が加盟している。国際連合・ユネスコなどの国際機関にNGOとして参加している。

エドガー・ブロンフマンはおよそ30年(1979- 2007)という長きに亘って世界ユダヤ人会議の会長を務めた。この際ユダヤ界のドンと言ってもいいのではなかろうか。(2013年にお亡くなりになっております)
ちなみに現在の会長と言うと、エスティ・ローダーの息子でオーストリア大使などを務めたロナルド・ローダーである。エスティ・ローダー(会社)の社長だった時もあるし美術品コレクターとしても名高いアメリカの富豪である。
実は私、前にエスティ・ローダーのことを書いたことがある!
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はははやまらないで

カーネル・サンダースが1号店をオープンしたのは64歳の時なの。
エスティー・ローダーが何かしたのは(起業?)72歳の時なの。
私のノートにもそう書いてあるから!

カーネル・サンダース 1890-1980年
サンダースが、各地のレストランの経営者や従業員にフライドチキンの調理法を教えて歩合を得るという新しいビジネスモデル(フランチャイズ)を始めたのは、1952年である。この年、ユタ州ソルトレイク市のピート・ハーマン (Pete Harman) が最初のフランチャイジーとなり、フランチャイズ一号店が開業した。「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)というブランド名は、このときハーマンによって提案されたものである。

1952年の時には64歳ではなくて62歳ね・・・。
それに・・急に「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)1号店がポンと誕生したわけでもないわね・・・。

エスティー・ローダー 1906-2004年
1946年、皮膚科学の専門家であった伯父の開発したクリームの営業・販売を担当する形で、エスティローダー社を創設した。

う~ん72歳に何があったのかしら?
さらに1976年には日本法人を開設した。
日本法人のこと?それなら70歳よ?
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# by yumimi61 | 2017-07-13 14:21
2017年 07月 13日
rayer
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# by yumimi61 | 2017-07-13 00:03
2017年 07月 11日
日本国憲法の秘密-514-
・エチェル・ブロンフマン(初代)
1898年にルーマニアからカナダへ移住。売春業から始まり、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大規模な酒や麻薬の密輸密売を行って巨万の富を築く。
マイヤー・ランスキーの作った全米犯罪シンジケートにも供給していた。
その金でジョセフ・E・シーグラムが創業した「ジョセフ・E・シーグラム&サンズ社」という酒造会社を買収して、あえて「シーグラム」という社名にした。


・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。


・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。


前回、ブロンフマンに関連して、※ランベール銀行、※ソシエテ・ジェネラル、※グループ・ブリュッセル・ランバートのことを書いた。その続きである。


※EU(欧州連合)
欧州の統合はベネルクス3国によるベネルクス関税同盟に始まった(1948年)。
ベネルクス三国とはベルギー・ネーデルランド(オランダ)・ルクセンブルクである。
この3国の中心がベルギーの首都ブリュッセルだった。
だからここから発展したEUの本部もベルギーのブリュッセルにある。
関税同盟のベネルクス3国の他にフランス・ドイツ・イタリアが加わり1952年に欧州石炭鉄鋼共同体が作られる。
1957年にその6か国が欧州経済共同体と欧州原子力共同体を設立(ローマ条約)。
1967年には、欧州石炭鉄鋼共同体・欧州経済共同体・欧州原子力共同体の3つの共同体の運営機関が統合される。
1993年にEUが発足した後も2009年までこれらの共同体は存続していた。
ここから見えるのは、最初に出来た共同体とEUは同じ流れの上に乗っているようでいて、微妙に違うのではないかということである。
インナーシックスは第二次世界大戦の戦いで負けた国である。
ベネルクス3国とフランスは早々ドイツに負けた。イタリアとドイツも結果的に敗戦国となる。
戦いに敗れた国々が手を組んだのが共同体だった。
だから共同体はどちらかと言うと防衛的。それに対してEUは攻撃的である。
EU発足の際、本部はベルギーのランベール銀行に置かれていたという。

共同体の中で今現在残っているのは欧州原子力共同体のみで、この欧州原子力共同体はEU発足後にEUの下部機関という位置づけになったが、ほぼ独立して存在している。宙に浮いているような感じ。核開発の怪しさはここにも浮かび上がっている。


昨年のEU残留意思を問う国民投票の記憶が新しいイギリスであるが、イギリスの迷いは今に始まったことではない。戦後から続いている。
当初インナーシックスと呼ばれるベルギー・ネーデルランド(オランダ)・ルクセンブルク・フランス・ドイツ・イタリア以外のヨーロッパの国は共同体に懐疑的であり、インナーシックスも拡大を望んでいたわけではなかった。
イギリスはアメリカと同様に戦勝国である。戦いに敗れ去った国とは少し違う。
イギリスの最初の加盟申請は1961年。加盟が実現したのは1971年なので、最初の申請から実に10年の歳月を要している。
これにはイギリスがアメリカの内通者になることを懸念してフランスなどが加盟を拒否したという歴史がある。
第二次世界大戦後の世界は束の間の平和を享受しながら疑心暗鬼に満ち溢れていた。
イギリスの加盟の条件は保守党政権が受け入れた。
そのため1975年に労働党が政権を取った際に労働党は国民投票で残留の意思を国民に問うも、残留支持67%で維持された。

下記はEUの組織や機関の本部が置かれている場所。イギリスの名はない。

欧州委員会(ベルギー)
欧州議会(フランス)
欧州理事会(ベルギー)
欧州連合理事会(ベルギー)
欧州司法裁判所(ルクセンブルク)
欧州会計監査院(ルクセンブルク)
経済社会評議会(ベルギー)
地域委員会(ベルギー)
欧州投資銀行(ルクセンブルク)
欧州中央銀行(ドイツ)・・・1998年設立。ドイツ連邦銀行及びドイツの州立銀行をモデルにしている。
欧州原子力共同体(ベルギー)


※イギリスとドイツ、イギリスとベルギーの切っても切れない関係
1714年からイギリスの王家はドイツ出身となっている。ドイツのハノーファー公国の君主の家系からイギリス君主が出たのでハノーファー公国を冠した王家となった。
1901年にドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公国を冠する王家となる。
1901年の改称は「大英帝国」を象徴する女王として知られるヴィクトリア女王の後から。
ヴィクトリア女王の母がザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系の人物であり、ヴィクトリア女王の夫は母の兄の子であるので(いとこ婚)、やはりザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系。
こちらの公国の名を使用したというわけである。
現在のウィンザー家も第一次世界大戦中で敵国となったドイツの名を冠した家名を避けて改称したもので、流れ自体は続いているからドイツ出身の家系である。
またヴィクトリア女王の母の弟が初代ベルギー国王(レオポルト1世)となった。ベルギーとも親戚なのだ。
ついでに言うならば、ベルギーとオランダの王家も親戚である。

ベルギーやドイツは第二次世界大戦で敗れて共同体を作った。勝ったイギリスはそれとは立場が違う。
がしかし元を正せば、イギリス王家はドイツ出身である。
イギリスはドイツの血を分けた国なのだ。ドイツにも同じ勝者としての血が流れている。そう思っても不思議はない。
ベルギーにしたってそう。ベルギーはドイツに負けたが、ベルギー王家もドイツ出身である。兄弟喧嘩では敵わなかったが他人には勝てると思っても不思議はない。


※ドイツとイギリスとフランスの複雑な関係
第一次世界大戦よりもっと前、ナポレオン戦争(1796-1815)以前の状況は過去記事に書いた通り。

ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争いである。
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた。
このハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。
ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロシア、ザクセン・ヴァイマール、バエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。
ロスチャイルドは元々はヘッセン家の金庫番であった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)

■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあった)

1714年よりイギリスの王家がハノーヴァー出身となる。つまり反ハプスブルク家(カトリック)、親ヘッセン家(プロテスタント)ということになる。
フリーメイソンは当初反イギリス・反イングランド国教会であった。つまり親カトリック。
アメリカに渡ったのは反イギリス・反イングランド国教会の教徒たち(ピューリタン)で、それはフリーメイソンとも深く関係していた。アメリカをイギリスから独立させた勢力とも言える。
啓蒙思想などを介してフランスのフリーメイソンにも応援を求めた。
それら勢力とアメリカで戦ったイギリス正規軍はヘッセン家(プロテスタント)が調達した。
一方イルミナティは親カトリック(親教皇)。ヘッセン家から破門された男爵が支援しており、神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)側に取り込まれ、反ヘッセン家(反プロテスタント)組織となった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)
ハプスブルク家(カトリック)vsイギリス王家(ヴェルフ家・ハノーヴァー出身・プロテスタント)
        フリーメイソンvsイルミナティ

⇒フリーメイソン+イルミナティ

右側サイドがやや劣勢に立つ。
そこに登場したのがナポレオン!ヨーロッパの王族や貴族はこの新しい敵を前に一致団結!!
この反ナポレオン勢力に資金を貸し付けたのがロスチャイルド家で、傭兵を貸し出したのがヘッセン家。
ナポレオンはカトリックの権威を利用しようとカトリックに近づく。
しかしナポレオンはイエズス会の残党がいたらしいロシアやプロイセンの反撃により失脚を余儀なくなされる。
ナポレオン撃破に貢献したのはカトリックということで教皇の地位も上がりイエズス会は晴れて復活。
かつてカトリックに対立したヘッセン家は傭兵と郵便支配(ナポレオン戦争のドサクサに紛れてタクシス家を掌中に収めた)で大儲け。ヘッセン家の財産はロスチャイルドがロンドンに移し守ってくれた。
両者win-winで万歳!!


この頃、フランスは親プロイセンで、イギリスは親オーストリアだった。フランスとイギリスは植民地戦争を行っていた。フランスとイギリスは因縁の仲である。

ナポレオンはカトリックを利用しようとして逆に利用される形になった。
イエズス会が復活したのはナポレオンが失脚した1814年のことである。
復活後のイエズス会は急激な成長を遂げた。

イルミナティはローマ教皇がヨーロッパ王家の圧力に屈してイエズス会を解散した時に起こったイエズス会内紛をきっかけに設立された組織。「解散に怒った人達(可愛さ余って憎さ百倍派)」と「怒らなかった人達(何事も淡泊あるいは相も変わらず派)」がいたのであろう。イルミナティは怒らない人達が結成した。
またイギリスは王家がドイツ出身の家系となった時にイギリスには首相が誕生していて、以降政治の中心が王家から内閣へと変わっていった。従って反イギリス王家=反イギリスという短絡的な図式が成り立たなくなっていく。

ややこしいことに、ドイツは古くから領邦の国(連合国家のような国)なので、簡単に「ドイツ」と括れない側面がある。
それぞれの領邦に権威者がいたのでその権力争いもあったし宗教の違いによる戦いもあった。
歴史的なドイツをごく簡単に分ければ、ドイツも北部と南部に分けられる。
かつてのドイツ南部はオーストリア周辺であり、現在はドイツではない。
カトリックのローマ教皇と組んだハプスブルク家、神聖ローマ帝国が支配した地域である。
北部の代表はプロイセン王国で、オーストリアとプロイセンは1866年に戦争を行い、プロイセンが勝利している。それはカトリックの敗北も意味する。
イギリス王家の出身公国もドイツ北部に属していた。
勝利したプロイセンがオーストリアを除いてドイツ統一を果たし、1871~1918年の間、プロイセン国王がドイツ皇帝となった。
ドイツの産業界の台頭が脅威だったことを背景に第一次世界大戦は勃発したが、もうひとつ重要な要素としてカトリックが(ドイツ南部がドイツ北部に)敗北していたということもある。


※ロスチャイルドはフランキスト?カトリック?
ロスチャイルド家の祖はマイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild)(1744-1812)
ロスチャイルドは英語読み。フランス語ではロチルド。
神聖ローマ帝国生まれ。
親戚の紹介でハノーファー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に丁稚奉公した。ここで宮廷御用商人(ほとんどがユダヤ人なので「御用ユダヤ人」とも呼ばれたの業務を学んだ
ハノーファーはイギリス君主を輩出した国である。
マイアー・アムシェル・ロートシル(ロスチャイルド家)はその後ヘッセン家の金庫番として台頭する。
父親の仕事を手伝っていた彼の息子5人が5か国(ドイツ・オーストリア・イギリス・イタリア・フランス)に散らばる。
この5人のロスチャイルド兄弟(ロスチャイルド家)に貴族の称号と紋章を与えたのはハプスブルグ家のオーストリア皇帝であった。1822年のことである。
ハプスブルグ家はカトリックとともに歩んだカトリックの擁護者。

ロスチャイルド家の祖マイアー・アムシェル・ロートシルトはユダヤのゲットーで生まれたユダヤ人である。
マイアー・アムシェル・ロートシルトの父親はユダヤ教徒であった。
マイアー・アムシェル・ロートシルトが金庫番を務めるヘッセン家はプロテスタント一家である。
マイアー・アムシェル・ロートシルト死後10年目にロスチャイルド家を貴族にしたのはカトリックのハプスブルグ家であった。

ロスチャイルド家は神秘主義(オカルト)を信奉していたと言われている。
神秘主義も元々の意味から変異して、黒い貴族の周辺で好まれ、キリスト教とユダヤ教の垣根を超えて結合した。
先日「フランク」や「フランキー」の話をしたが、ユダヤ教の神秘主義者にフランクがいて、フランクの信奉者をフランキストと言った。

ヤコブ・フランク(1726-1791)
ヤコブ・フランクは、ポーランド出身のサバタイのような“自称メシア”で、ユダヤ教の救世主思想を「この世の悪や不幸を人為的に頂点にまで満たして、この世を破壊し尽し、メシアを到来させる」という危険な思想に転換させた。
ヤコブ・フランクとその信者(=フランキスト)たちは、正統派ユダヤ教のラビ から破門されたが、フランキストたちは「改革派ユダヤ教」と名称を変え、ユダヤ教の中で一大勢力となっている。
そして、このフランキストがサバタイ派と結びつき、キリスト教徒・イスラム教徒・仏教徒たちの中に紛れ込んで、危険な終末思想を実現しようとしている。
さて問題は、世界を支配するユダヤ王ロスチャイルドが、ただの大富豪ではなく、タルムードを信奉していて、しかもサバタイ派=フランキストに属して いることである。
世界中で起こっている、まるで地球を滅ぼそうとしているかのような数々の破滅的な出来事の裏には、政治・経済・軍事・宗教・メディア・教育等を支配する一 族の意向があるのではないだろうか?

サバタイ派フランキストより>

1700年代半ば、当時のポーランド領(現在のウクライナ)においてヤコブ・フランクがフランク主義(フランキズム)を掲げて社会運動を起こした。
フランクは自らがシャブタイ(サバタイ)・ツヴィの生まれ変わりであると主張した。


サバタイ・ツヴィ(1626-1676)
トルコ出身のユダヤ人である。
激しい躁鬱病患者であったサバタイは、自分がメシアであるとの自覚を持っていたが、彼をメシアと認める人はいなかった。しかし、カバラ学者のナタ ンと運命的な出会いをし、ナタンはサバタイを「メシアだ」と宣言した。信用あるナタンの宣言により、人々はサバタイをメシアとして受け入れた。
サバタイは、イスラム教やキリスト教などの内部に、彼らの味方のふりをして入り込み、内部から腐らせ、無力化させて最終的には崩壊にいたらせるという戦法 を説いた。このアイディアは、屈辱的に改宗せざるをえなかったマラーノたちに希望と言い訳を与えてくれるものでもあった。このサバタイの思想は、 多くの熱狂的な信者を獲得し、ユダヤ人の間に大ムーブメントを起こした。

サバタイ派フランキストより>

シャブタイ派は、その中心人物たるふたりのカバリスト(カバラ思想信仰)の出会いをきっかけに誕生している。そのふたりとは、奇人として知られていたシャブタイ・ツヴィ(サバタイ・ツヴィ)(1626年〜1676年)と「ガザのナタン」ことアブラハム・ナタン(1643年〜1680年)である。
アブラハム・ナタンはエルサレムで生まれ育ち、シャブタイと出会った頃に幻の中で「シャブタイ・ツヴィこそがイスラエルの救世主である」という預言を受けたそうである。

フランク主義者(フランキスト)の多くはユダヤ教の伝統的なモラルを無視して放蕩にふけり、シャブタイ派思想の本質的な部分をさらけ出していた。フランクも同様に仲間を集めて擬似家族と小規模な王国を作り、仲間内で近親相姦を繰り返していた。この運動は1759年に信奉者(フランキスト)たちが大勢キリスト教に改宗したことにより終焉を迎えているとされる。

ユダヤ教の正統派からは異端とみなされていた。ただし現在のユダヤ教がシャブタイ派の影響を少なからず受けていることは事実である。

ロスチャイルドもユダヤのフランキストからキリスト教に改宗したのだろうか?
1700年代はプロテスタントのヘッセン家の金庫番をしていた。
その父が亡くなり、息子達に貴族の称号を与えたのはカトリックのハプスブルク家である。
カトリックに改宗したのか。それともずっとフランキストだったのか。









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# by yumimi61 | 2017-07-11 14:29
2017年 07月 09日
日本国憲法の秘密-513-
カナダはその昔イギリスとフランスの植民地だった。植民地争いから英仏戦争も勃発したが(イギリス勝利)、フランス人もそのまま住み続けるなど多様な面をみせる。
以降もカナダは多くの移民・難民を受け入れてきた。
カナダはアメリカ同様に移民の国である。
アメリカが「人種のるつぼ」なら、カナダは「人種のモザイク」である。

るつぼとは異なる金属を溶かして混ぜ合金を作るための道具である。
融け合ってしまったため元の金属がそれぞれ個を主張することはない(少なくとも表面上は)。あくまでも新たに出来た合金であり、それは均質等質である(でなければならない)。
モザイクは違う。
モザイクと言うと「モザイク処理」を思い浮かべる人が圧倒的に多く、やはり個を消すというイメージを抱くかもしれないが、モザイクとは装飾(アート)の事である。
小石や大理石、色ガラスやタイル、木片や貝殻など異なる材料で様々な模様や絵を表現 する技法や、その絵画(装飾)の事。
性質や姿形の異なる物が1つの絵を構成するが、材質そのものが融け合うということはない。
るつぼは現実的に融け合っているが、モザイクは現実的には融け合っていない。モザイクに融け合うという表現を使うとすればそれはあくまでも感覚的なものである。
アメリカは移民に対してアメリカという新たな国家に融けることを求める。アメリカの価値観に沿って暮らせということである。
一方のカナダは、元の民族国家の特徴そのままの共同体を作ってくれて構わないという国である。
だからカナダの中でも場所を移せば、イギリスであったりフランスであったりウクライナであったりイタリアであったりインドであったり韓国であったりする。逆に言うと「カナダ人」というものがどういう人達なのか分かりにくい。
モザイク処理に当てはめて考えたいならば、モザイクがかかっているのはカナダ人ということである。
移民というのは今に始まったことではなく、かなり古くからいたが、歴史的にも「人種のモザイク」が一般的である。だからこそアメリカは特別に「人種のるつぼ」と言われてきたという背景がある。

カナダがイギリスから完全に独立したのが1982年。しかしながら今でもイギリス連邦王国の1つである(カナダの君主はイギリスのエリザベス2世女王)。



カナダのシーグラムはブロンフマン一族のものである。
ブロンフマンを一躍有名にしたのは、1917年にアメリカで可決された禁酒法で1920年から全面的にアメリカ全土で全面的な禁酒が始まると、隣国のカナダにあったブロンフマン家は、ギャングやマフィアの重要な酒を調達するための供給源となった。
ブロンフマンも積極的にギャングとマフィアを巧みに操りながら、酒を密売し、天文学的な財を築いた。その結果、ブロンフマンはわずか数年で一躍北米有数の大富豪の仲間入りを果たし、「造酒王」の称号をほしいままにした。



・エチェル・ブロンフマン(初代)
1898年にルーマニアからカナダへ移住。売春業から始まり、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大規模な酒や麻薬の密輸密売を行って巨万の富を築く。
マイヤー・ランスキーの作った全米犯罪シンジケートにも供給していた。
その金でジョセフ・E・シーグラムが創業した「ジョセフ・E・シーグラム&サンズ社」という酒造会社を買収して、あえて「シーグラム」という社名にした。


・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。


・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。


※ランベール銀行
ランベール銀行はベルギーを本拠としている銀行でベルギーの貴族ランベール一族が創立した。
ランベール銀行はベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)の親会社でもある。
(フランスにも「ソシエテ・ジェネラル」が存在する)


※ソシエテ・ジェネラル
ベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)
ベルギー最大の持株会社で,コンツェルンを形成。本社はブリュッセルにある。1822年にブリュッセルの商人,金融業者たちが,通貨の混乱を克服し為替取引の便を図るために発券銀行として企画。当時ベルギーを統治していたオランダ国王ウィレム1世は,これを認可するに当たってその定款を大幅に修正し,自らも大口の出資を行ってその性格を国家財政の下請機関に変え,名称も銀行の名を避けて〈全ネーデルラント産業振興会社Société générale des Pays‐Bas pour favoriser l’industrie nationale〉とした。


フランスのソシエテ・ジェネラル(Société générale S.A.)(ソジェン)
フランスの預金銀行。クレディ・リヨネ,商工信用銀行,パリ国民銀行(パリ割引銀行の後身)とともにフランス四大預金銀行と呼ばれる。本店パリ。1864年にクレディ・モビリエと対立関係にあったパリの有力銀行家および産業企業家たちにより,通常の銀行業務のほかに,長期の産業金融などあらゆる金融業務をも営む〈混合銀行〉としてパリに創設された。同行は創設の当初から,パリおよび地方への支店・営業所の開設を積極的に進め,70年までに47の店舗を設置し,フランスの銀行の中で最初に全国支店網を完成させた。
ロスチャイルドの主導によってベルギーのソシエテ・ジェネラルがフランスに設立した。(イギリスにもジェネラル・クレジットを設立し、エジプトや近東で活躍)
フランスのソシエテ・ジェネラルは1945~1987年まで国有化されたが、その後また民営化した。
国有化時代もフランスの中央銀行であるフランス銀行が理事会の席を占めていた。
このフランス銀行は創立以降、株主総会への出席者は出資額の上位200人だけに許された。そしていわゆる200家族に支配された。フランス銀行は統計上4万名の株主がいたが、大株主は彼ら家族であった。その代表格がロスチャイルドで常任理事でもある。
フランスのソシエテ・ジェネラルはロスチャイルドは主導したものの出資はしていなかったが監査役に就任していた。

※ベルギー国立銀行
ベルギーの中央銀行。欧州中央銀行制度に参加している。日銀のモデルとなり、ユーロ導入前は独自通貨ベルギー・フランを発行していた。
ベルギー総合会社は国立銀行と別の経済主体であるが、しかし国立銀行の設立時に通貨発行権を譲った歴史をもっており、現代へいたるまでの経営史も他行との関わりにおいて興味深いため、一節を割いて説明している。

日本銀行創設者である松方正義はフランス蔵相レオン・セーからベルギーの国立銀行をモデルにするようにアドバイスされたのである。

上記の説明の「ベルギー総合会社」が「ベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)」のことである。

(ベルギー総合会社は)ウィレム1世が発起人であり、彼とその家族が株式の大部分を保有した。この会社は旧教会領や工業会社のデベロッパーとして大掛かりな抵当貸付を営む一方、政府銀行家として国債を発行したり、中央銀行として発券したり貯蓄銀行の資金を預かったりした。

そこにライバルが現れる。
1835年、対抗馬となるベルギー銀行をチャールズという男がつくった。ベルギー銀行はジョン・コックリルと組んで、ベルギー総合会社とロスチャイルドが1832年から計画してきたパリ=ブリュッセル鉄道の利権を奪った。1838年の金融危機に、ベルギー総合会社は250万フランの即時手形(2-3日以内)をベルギー銀行へ突きつけて、このライバルを潰そうとした。もっとも、1830-40年代にベルギー総合会社はしばしばロスチャイルド家と国債引受を共同した。1840-48年の間にベルギー総合会社は国王の持株を買収した。1848年革命でベルギー総合会社とベルギー銀行がともにデフォルトしてしまった。国家経済を立て直すべく、ベルギーは双方の銀行券を法定通貨として認めた。すなわち、1851年にベルギー国立銀行が両行の発券権能と国庫金出納を吸収して開業に至ったのである。このときベルギー総合会社は国立銀行株を1万株取得した。
結局両者は共存。

ベルギーのソシエテ・ジェネラル(ベルギー総合会社)は1988年にスエズ金融の傘下に入る。
(スエズ金融の前身はスエズ運河会社。スエズ運河会社はエジプトスエズ運河を建設し所有した会社。海上だけでなく海底にイギリス産のケーブルが通った。1966年まではイギリス王室の持株比率が4割近くを占めていた。設立者はフランスの外交官。1958年にスエズ金融に改称し銀行を創設。フランスのリヨン水道の主要株主となる。そのリヨン水道と1997年に合併してスエズSAとなり、2008年にはフランスガス公社と合併して世界第2位の電気ガス事業者である)
傘下のベルギーのソシエテ・ジェネラルは1998-1999年にフォルティス・フィナンシャル・グループに売却。
フォルティス・フィナンシャル・グループはオランダの保険会社が合併して出来たグループ。そこにベルギーのソシエテ・ジェネラルが加わり、オランダ国有化を経て、2010年にはオランダ東インド会社の経営に参加したホープ商会の後継である銀行と200人家族に含まれる一族が設立したABNアムロ銀行に吸収合併された)


2020年東京オリンピックのエンブレムがベルギーリエージュ劇場のロゴと酷使していた問題があった。
リエージュ劇場(仏: Théâtre de Liège)は、ベルギーのリエージュ市にある劇場。古くからテアトル・ド・ラ・プラス(Théâtre de la Place)の名で知られていたが、2013年の新施設建築(併設)と同時に改称された。
フランス語共同体においてワロニー王立歌劇場、リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団と並び「三大文化施設」とされている。

その三大文化施設をこともあろうに「こちらが真似するほど(相手方は)有名ではなかろう」的な発言をした人が結構いたが、日本銀行からしてベルギーの国立銀行をモデルにしている。


※グループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)
ベルギーの投資会社。
ベルギー国内で十指に入る会社で1956年からBEL20の構成銘柄となっている。2014年12月31日現在、ロスチャイルドのイメリーズを支配している。GBL のルーツはランベール家にある。GBL のレオン・ランベールはパリ家ギュスターヴのひ孫である。

1975年、ロスチャイルド系のランベール銀行がブリュッセル銀行(1871年ジャック・エレラが創業)と合併してGBL となった。

GBLは翌1976年にフランシス・マーティン・ドレクセルが創業したアメリカの銀行の支配権を得る。
フランシス・マーティン・ドレクセルはオーストリア生まれで、イタリアのカトリック教会でイタリア語と絵画を学ぶ。
1817年にアメリカに移住。
1837年に永住権を取得した後、アメリカ大手金融会社の1つとなるDrexel&Co.を設立。
メキシコ・アメリカ戦争とアメリカ内戦で連邦政府との金融取引に携わる。
創業者が1860年に死去し息子が事業を継承。J
1868年にパリの会社Drexel、Harjes&Co.が設立され、1871年にはJ. P. モルガンと提携してニューヨークにDrexel、Morgan&Co.を設立。
だがその後、会社は傾いて行く。
幾つかの合併や改称を経て、1976年にベルギーに本拠を置くグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、ドレクセル・バーナム・ランベール(Drexel Burnham Lambert)という社名になった。
1980年代の企業乗っ取りの中心にいたのがこの会社。ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような銀行。
ランバートに吸収合併される前からドレクセルにいて、1980年代にジャンクボンドの帝王"Junk Bond King"として名を馳せたのがマイケル・ミルケン。
傾いていた会社はアメリカ5位の投資銀行となりウォール街に欠かせない会社へと変貌を遂げた。

ドレクセル・バーナム・ランバートは、そうしたリスクのある社債をすすんで引受けたのである。
格付け会社の評価でリスクプレミアムがついた社債を、ハイイールド債とかジャンク債という。これをドレクセルが引受けた理由は、第一に利回りが良いからである。第二はミルケンがリスク分散する方法を考えたからだった。

しかしマイケル・ミルケンの不法行為が発覚。
ジャンクボンド市場は世論から非難されるようになった。ミルケンを解雇したドレクセルは顧客を失い倒産した。ミルケンは禁固10年の判決を受けた。刑期は司法取引で2年に縮んだ。出所後はかつての顧客を取り戻し、公然とM&Aのアドバイザーなどを務めるようになった。ミルケンは第1回イグノーベル賞を受賞した。

2017年ドナルド・トランプが大統領となった。トランプは1990年前後に経営難で苦しみ、ゴールドマン、ロスチャイルド、フィデリティなどから支援を受けていた。ラファージュとHSBCが支援するヒラリー・クリントンは敗れた。いずれのスポンサーにも、グループ・ブリュッセル・ランバートや、その株主のBNPパリバが関係している。アンタントが終わるまで民衆と富豪の戦いは何世紀でも続く。(アンタントはフランス語で協約・協商)

BNPパリバは欧州1位のメガバンク。
BNPは元はフランスの国立銀行。
パリバの元はオランダ貯蓄信用銀行とパリ銀行。







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# by yumimi61 | 2017-07-09 11:47
2017年 07月 07日
日本国憲法の秘密-512-
シーグラム(The Seagram Company Ltd.)
カナダの酒造メーカーである。1990年代にはMCAやポリグラムなどの娯楽企業を買収した。

沿革
1857年 - 後にシーグラムとなる蒸留酒製造所がカナダのオンタリオ州に開かれる。
1869年 - ジョセフ・シーグラムが前述の蒸留酒製造所の共同オーナーとなる。
1883年 - ジョセフ・シーグラムが単独オーナーとなる。
1928年 - ディスティラーズ・コーポレーションがジョセフ・シーグラムの蒸留酒製造所を買収し、社名をシーグラムに変更する。
1995年 - 松下電器産業(現 パナソニック)からMCAを買収。
1996年 - 娯楽部門をユニヴァーサルと改名。
1998年 - フィリップスからポリグラムを買収。
2000年 - 酒造部門をペルノ・リカールに、娯楽部門をヴィヴェンディに売却。以降シーグラムというブランド名はペルノ・リカールが使用している。


※ペルノ・リカールとヴィヴェンディ、両方ともフランスの企業である。

※MCAは現在のNBCユニバーサル。
NBCユニバーサルは、ゼネラル・エレクトリック (GE) 傘下のNBCと、ヴィヴェンディ傘下のヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンタテインメントの合併により、2004年に設立された。
設立当初の出資比率はGEが80%、ヴィヴェンディが20%だったが、現在はアメリカのケーブルテレビ運営会社のコムキャストが全株式を取得しており、コムキャストの完全子会社。ユニバーサル・スタジオなどを擁している。
ユニバーサルミュージックはアメリカの音楽会社だが上記合併対象となっておらず、現在もフランスのヴィヴェンディが所有している。
日本のユニバーサルミュージック合同会社も当然のことながらフランスのヴィヴェンディが親会社となる。

前に東芝レコードのことを書いたけれど、その記事に登場した石坂敬一。「原子心母」の人である。

昭和20年8月25日生まれ
昭和43年、慶應義塾大学経済学部卒業
東芝音楽工業(現 東芝EMI)入社
洋楽ディレクターとして、ビートルズ、ピンク・フロイド、レノン&ヨーコ、Tレックス、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどを担当
昭和56年、同社 邦楽本部において、BOOWY、松任谷由実、長渕剛、矢沢永吉を担当
平成3年、 常務取締役 就任
平成6年、 ポリグラム株式会社(現 ユニバーサル ミュージック株式会社)入社、代表取締役社長 就任
平成11年、ユニバーサル ミュージック株式会社 入社、代表取締役社長 就任
平成13年、同社 代表取締役社長兼CEO 就任
平成18年、同社 代表取締役会長兼CEO 就任
平成19年7月より、社団法人日本レコード協会会長 を務める
2016年末に亡くなられたそうである。


彼の父親は石坂範一郎。
石坂範一郎は石坂一族の本家の出身で石坂泰三は分家出身との記述もあるが、本家の出身であるならば医師である石坂公成の子であるはずだがそうした裏は取れない。
石坂範一郎は戦前に東芝から日本ビクターに出向していたようで、戦前から石坂一族が東芝で幅を利かせていたような感じだが、石坂泰三が三井銀行に頼まれて東芝の社長に就任したのは戦後である。
要するに石坂範一郎は東芝社長石坂泰三コネクションで東芝や日本ビクターにいたわけではなさそうである。
コネクションならばやはり三井コネクションであろう。


早い話、ロスチャイルド系である。それもイギリス・フランス連合であろう。


シーグラムの説明に戻る。

ディスティラーズ社(シーグラムの元となった企業を買収した会社)はベッサラビアからのユダヤ系移民であるサミュエル・ブロンフマンが設立した。その後、シーグラムの社長には代々ブロンフマン一族が座っている。
1957年から1989年まで社長を務めたエドガー・ブロンフマンは世界ユダヤ人会議の会長でもあった。

ブロンフマンを一躍有名にしたのは、1917年にアメリカで可決された禁酒法で1920年から全面的にアメリカ全土で全面的な禁酒が始まると、隣国のカナダにあったブロンフマン家は、ギャングやマフィアの重要な酒を調達するための供給源となった。
ブロンフマンも積極的にギャングとマフィアを巧みに操りながら、酒を密売し、天文学的な財を築いた。その結果、ブロンフマンはわずか数年で一躍北米有数の大富豪の仲間入りを果たし、「造酒王」の称号をほしいままにした。
禁酒法の時代に酒を密輸し、大儲けしたことで有名なアル・カポネもブロンフマン家の一介の売人にすぎなかったといわれるほど、莫大な財を築いており、証拠が全くないにもかかわらず、禁酒法がユダヤ人主導で行われたという陰謀論が根強く残っている由縁である。

その息子であるエドガー・ブロンフマン・ジュニアは若い頃は家業に反発し、音楽家・演劇プロデューサーとして身を立てていた。彼が1989年に社長に就任してからシーグラムがMCAやポリグラムを次々と買収したのはこのような背景からである。

エドガー・ジュニアはシーグラム売却後もヴィヴェンディ・ユニヴァーサルの副会長にとどまっていたが、同社をNBCが買収した際に退任。その後、2004年にタイム・ワーナーの音楽部門であるワーナー・ミュージック・グループを他の投資家たちと共同で買収し、現在はその会長となっている。







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# by yumimi61 | 2017-07-07 23:50
2017年 07月 07日
日本国憲法の秘密-511-
全米犯罪シンジケートを作り、犯罪組織のビジネス化を推し進めたマイヤー・ランスキー。
元々数字に強く経済に興味を持っていたという。
彼はロシア系ユダヤ人(ユダヤ系)である。
シチリア発のマフィアはこの中に取りこまれることになったが、第二次世界大戦で潮目が変わった。
アメリカ海軍から協力を求められて出所し勝利に貢献したシチリア出身のラッキー・ルチアーノのほうが立場的に優位になったのだ。


(マイヤー・ランスキ―の)組織上の立場
ヴィンセント・テレサ(ニューイングランド一家所属)によれば、ランスキーはラスベガス等のギャンブルで全米のコーサ・ノストラの組織を儲けさせているが、あくまでコーサ・ノストラの代理人としてのそれであり、代理人として正直に振舞っている上では役に立つが、そうでなければいつでも消される立場にあるとしている。またアンソニー・サレルノ(ジェノヴェーゼ一家)は、ランスキーの死に際し、「ジェノヴェーゼ一家のワークスタッフに過ぎない。何をやるにもヴィンセント・アロ(ジェノヴェーゼ一家)を通さなければならず、独立した権力もなかった」とFBIに語った。これらマフィアの内部証言者2人とも、世間に定着した「暗黒街の大物」「闇社会の帝王」のイメージを否定した。

コーサ・ノストラは秘密結社的犯罪集団である。イタリア語で「我らのもの」を意味し、一般的にはマフィアとして知られるが、正確にはマフィアとコーサ・ノストラは区別される。
コーサ・ノストラは第二次世界大戦中にアメリカが強制送還したラッキー・ルチアーノに対してつけられた組織を言う。



(マイヤー・ランスキーの)「大富豪」の虚実
FBIの盗聴記録から、「生活の必要は自分から多くのものを奪った」、「戦争で大金持ちになった人々がいるが、彼らは職を持つべきではない」などと、富豪と思えないような発言(愚痴)を繰り返していたことが判明した。息子の手術代を払えずヴィンセント・アロに用立ててもらったエピソードも後になって露見した。晩年に滞在したイスラエルでのテレビインタビューではマスコミで言われている「3億ドルの資産」を真っ向から否定した。彼の質素な生活が、謙虚なライフスタイルの反映でも富豪のイメージを隠す偽装でもなく、実際の財政状態を表していたのではないかとの指摘もある。




「代理人として正直に振舞っている上では役に立つが、そうでなければいつでも消される立場にあるとしている」とあるが、確かに、トーマス・E・デューイ(特別検察官、後の大統領候補)の暗殺をダッチ・シュルツが企て組織に諮り、その組織に殺されたのが当のダッチ・シュルツだったことを知っていれば、国家と手を組んだラッキー・ルチアーノに反するような言動は行い難くなるだろう。
しかもマイヤー・ランスキーは戦後アメリカが敵視したソ連(ロシア)出身の人物である。


マイヤー・ランスキーには夢があった。目指すべきものがあった。
犯罪と呼ばれるようなことをあくまでも合法的に行う事である。
その手段の1つが法の抜け穴をつくこと。
もう1つの手段としては自分だけの法律を作ってもらうこと。(日本なら例えば日銀の日銀法、NHKの放送法、日赤の日本赤十字社法など。他では禁じられているようなことが独自の法律によって許可されている)
どんな犯罪を犯しても決して表沙汰になることはない体制、国家が手出しできない体制とはどんなものだろうか、彼は考えた。
その考えにはベースがあった。国家が簡単に手出しできない権威者、国家に優遇される者である。
これは別に彼が考えたことではないが、例えば日本の天皇は法的にも憲法と皇室典範によって刑事責任が及ばないと言われている(奇跡や例外を無視した100%を認めている)し、そもそもその権威によって法まで辿り着かないうちに犯罪は無きものとなるだろう。
手本がないわけではない、そうしたことに学べばいいのだ。
古臭い宗教や家柄が権威だと言うならば、それに代わるものを作ればいいではないか。その上に立てばよいではないか。
あの権威者たちは何を欲しているのか?何を大事にしているのか?ああそうだ、仕事だ、金だ。


余談だが、少し前に「(がん患者は)働かなくていいんだよっ」と発言した議員がいたらしく非難されているニュースを見たが、私は何が悪いのかよく分からなかった。
私ががん患者だったら、あくせく働かないで治療に専念したり、好きなことをしていたい。
「働かなくていいんだよ」と言われれば「ありがとうっ」という感じである。
と、そこまで考えてお金のことを思いついた。働かないと収入が絶たれて治療も療養もままならないということかと。
贅沢は敵よ?(は?)
がん保険は?(そんなの入ってねーし?)
傷病手当は?(非正規社員なんだよ?)
家族が養ってくれるでしょ?(独り身なんだよ?いや逆に養わなければならないんだ?)
寄付は?募金は?寄付や募金を募れば?(がん患者なんて珍しくないから集まらないさ?)
労災申請すれば?(まだ死ぬつもりはない!?)
国家を訴えれば?がんになったのはお前のせいだって。(証拠不十分?)





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# by yumimi61 | 2017-07-07 10:33
2017年 07月 06日
日本国憲法の秘密-510-
マーダー・インクの説明に「組織は一連のメンバー逮捕および実刑確定により事実上消滅した」との記述もあったが、逮捕されたからメンバーとして知られたのであって、逮捕されること無く潜伏したメンバーいただろう。
また逮捕されてもその生涯の多くを知られていないメンバーもいる。
死刑になった者もいるが出所した者もいる。
そもそもマーダー・インクを組織したボスたちが生き延びており、全米犯罪シンジケートが消滅したわけではなかった。

ボクシングのヘビー級王者となったチャールズ・"ソニー"・リストン(Charles "Sonny" Liston)のバックには、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモやニューヨークマフィアのルッケーゼ一家の一員でマーダー・インクの殺し屋でもあったフランキー・カルボなどが付いていた。

フランク・パレルモとフランキー・カルボ、「フランク」に「フランキー」である。
マーク・リッチと1966年に結婚したデニス・アイゼンバーグは、シスター・スレッジに"Frankie”(フランキー)という曲の歌詞を提供した。
この曲はアメリカの歌手フランク・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra)のことを書いたそうである。

フランク・シナトラ
現在も歌い継がれる数々の世界的大ヒット曲やゴールドディスクを世に送り出し、その卓越した歌唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀を代表する歌手の一人である。

第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代までの長きに渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオンセラーを連発し、また多くのミュージシャンに影響を与えた。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位にランキングされた。

しかし、デビュー期からイタリア系マフィアとの深い関係が度々取りざたされており、またマフィアを介してジョン・F・ケネディ大統領と親密な交友関係を持ち、ケネディの大統領当選に貢献したものの、後に仲たがいしたことから、同大統領の暗殺に関与したと噂されたこともある。



シナトラとマフィアとの関係

●タブー
シナトラはその生涯にわたり、イタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかった。実際にマフィアの大物のサム・ジアンカーナやカルロ・ガンビーノ、ラッキー・ルチアーノなどのイタリア系マフィアの歴代の大ボスとの交流があったことが、FBIの資料で公になっており、その資料は合計で2,403ページにも及ぶことから、いかに深く広いつき合いがあったかわかる。

しかも、このことは「公然の秘密」であったにも関わらず、メディアのインタビュアーがマフィアとの関係を尋ねることはタブーとされていて、実際に尋ねてしまった場合はインタビューは即時中断し、そのインタビュアーは二度とシナトラに対するインタビューはできなかった。

なお、有名なニュースアンカーのウォルター・クロンカイトがインタビュー番組の収録の際、番組のプロデューサーにけしかけられてシナトラにマフィアとの関係を尋ねてしまった際には、怒ったシナトラが自らのマネージャーを呼びつけて中座し、インタビューは中止された。その後、シナトラとマネージャー、プロデューサーの話し合いの後に再開し、シナトラより「興行先で興行主がマフィアであると知らず同席することはあった」との説明があったに留まった。


●最初の結婚
1940年代、シナトラはジェノヴェーゼ・ファミリーの副ボスウィリー・モレッティと友人となった。シナトラの最初の妻だったナンシー・バルバートはモレッティと縁のある人物のいとこであった。

●『ゴッドファーザー』

シナトラが『地上より永遠に』の脇役に抜擢されるまでの有名なエピソードがある。つまり、カムバックを狙ったものの、映画界における女性スキャンダルが元で役につけなくなったシナトラが、「育ての親」であるサム・ジアンカーナに泣きつき、最終的にジアンカーナが裏で「マフィア的に」動いて役に抜擢されたというものである。

このエピソードは後に、イタリア系マフィアの血族を描いた映画、『ゴッドファーザー』で取り上げられ、世間に知られるようになる(映画上ではさすがに実名ではなく、「ジョニー・フォンテーン」と言う芸名になっている)。

その後、あるパーティーに、「ゴッドファーザー」の原作者のマリオ・プーゾとシナトラとが同席していて、知人がプーゾをシナトラに紹介しようとしたところ、「Fuck off(うせろ)!!」と怒鳴ったのは有名な話である。


●ケネディ大統領暗殺事件
娘のナンシーによれば、ケネディが1960年の大統領選挙に立候補する際、ケネディの父親で、密造酒商売を通じてマフィアと繋がりが深く、禁酒法時代に密造酒製造・販売で財を成してのし上がった過去があるジョセフ・P・ケネディが、シナトラの歌手デビュー当時から密接なつき合いがあるイタリア系マフィアの大ボスで、ショービジネス界を裏で握っているジアンカーナに選挙運動に協力するように頼んでほしい、とシナトラに頼んだと証言している。
(略)
しかしケネディは大統領当選後、ケネディ家とジアンカーナをはじめとするマフィアとの関係を怪しんだFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーに忠告を受けたため、マフィアの協力で大統領に当選したことが表ざたになることを恐れた弟で司法長官となったロバートが、大統領就任後にジアンカーナをはじめとするマフィアとの繋がりがあるシナトラを露骨に避けた上、この様な事実のもみ消しのために「マフィアを徹底的に取り締まる」と発表し、実際にジアンカーナとシナトラとの関係を一方的に断った。

このような無礼な仕打ちに怒ったジアンカーナとシナトラは徐々に反ケネディに傾いて行き、ジアンカーナは「ケネディ大統領暗殺事件の黒幕の一人」と言われ、シナトラも「ケネディ大統領暗殺の際に何らかの役割を果たしたのではないか」、「ケネディ兄弟の暗殺はシナトラやジアンカーナへの裏切りに対する報復であっただろう」と言われる根拠となっている。ちなみにシナトラはケネディ大統領暗殺事件の直後、自分が出た映画「3人の狙撃者」のフィルムを回収して回った。なぜなら、そこでのシナトラの役は大統領狙撃未遂の主犯の上官だったからである。



「フランクに話そう」などと言うフランク(frank)は率直というような意味で用いられている。
日本語ならば「明け透け」といった感じだろうか。
本音で話し、嘘はつかない、隠し事はしない、年齢や身分、立場などの上下関係も関係なくフラットな感じで接する。
好感を抱く人もいれば無遠慮で礼儀知らずな嫌な奴と感じる人もいるだろう。
このフランクの語源になったのは、3世紀頃に隆盛した西ヨーロッパのフランクという部族集団である。
気取らない率直な性格で自由な社会を築き、且つ勇敢で強かった。
その特徴が英語のfrank(フランク)の意味となった。

flunk(フランク)ならば落第や失敗という意味である。
flunky(フランキー)ならば制服を着た使用人、下働きや助手、卑屈にぺこぺこする人、おべっか使い、太鼓持ち、取り巻き、ごますり(yes-man)、取るに足りない奴、言い成りになる人などの意味で、frankとはだいぶ意味が違ってくる。

フランキー(franky)と書いた場合は「フランクな人」という意味合いになるのだろうか?
シスター・スレッジの楽曲はFrankieと書いてフランキーである。Frankieとflunkyを掛けたとか!?

FrankやFrankieは、Francis(フランシス)という名の愛称として用いられる。
フランシス(Francis)は、アッシジのフランチェスコに由来する英語圏の男性名及び姓。
フランス語圏ではフランソワ、イタリア語圏ではフランチェスコ、ドイツ語圏ではフランツとなる。

アッシジのフランチェスコは、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、悔悛と「神の国」を説いた。中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、カトリック教会と聖公会で崇敬される。また、「シエナのカタリナ」とともにイタリアの守護聖人となっている。


要するにFrancis(フランシス)、Frank(フランク)やFrankie(フランキー)はカトリックに関連のある名前である。


フランク・シナトラの説明に、マイケル・ジャクソンなどと並び20世紀を代表する歌手の一人とあったので、ついでにマイケル・ジャクソンの「ファミリー」について。
と言っても、ジャクソン5でも、お姉さんでも、お父さんでも、子供達の話でもない。

実はマフィアのグループは「ファミリー」と呼ばれる。だからそれが気になっている。ソニーだけにね!?
今更と言えば今更でもありますが、この動画の1:14あたり、「僕らはファミリーなんだ」という字幕がでるが、実際英語で何と言っているのか聞き取れない。(なんて言ってますか?その前がI love you なのは分かります)


マイケルの死後に設立されたジャクソン・ファミリー財団は御存知だろうか?(ファミリーですけど大丈夫ですか?)
なんと日本支部がある。→http://jffj.jp/greeting.html
Engilish→http://jacksonfamilyfoundation.ning.com/

慈善団体であるジャクソン・ファミリー財団は、マイケル・ジャクソンの悲劇的な死後、ジャクソン・ファミリーの全歴史とマイケル・ジャクソンの壮大な遺産を維持する為の献身的な目標と共に、マイケル・ジャクソンのジャクソン・ファミリーの家長であるジョセフ・ジャクソン、女家長であるキャサリン・ジャクソン、そして、わたくしサイモン・サフーリによって設立されました。

日本支部の代表は古賀賢治というお方。

古賀賢治
日本の芸術家、グラフィックデザイナー、アートディレクター。長崎県生まれ。東京都在住。
代表作ともいえる切手のコラージュ「平和の象徴」が、ニューヨーク国連本部のパーマネント・コレクション(永久保存)に日本人として初めて選出。
「平和の象徴」は、小さな紙片の中に人と人を結びつける力を強く秘めた切手に、世界の平和を希求する想いを託したものである。

20世紀の世界各国の使用済み切手と、国連が過去40年間に発行した切手による作品(この作品のみオリジナル制作。
他はすべてシルクスクリーンプリント)、それら合計8点のアート作品が国連郵便管理局によって永久保存されている。
また1994年、国連で開催された“自然災害軽減世界会議”の記念切手案が国連切手デザイン委員会の決定を経て、1994年に選出される。
オリジナル絵画3点およびデザインを手掛けたその作品は、1995年、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンのそれぞれの国連より20世紀最後の国連記念切手として発行された


国連尽くし。

凄く長いですが、年譜も貼っておきます。
国連難民高等弁務官事務所が度々出てくるが、ここもカトリックに関係あり。

1974年 - ニューヨーク渡米。アートワーク活動開始。

1982年 - デザインオフィス株式会社C.Y.A設立。

1992年 - NGO団体(主に国連難民高等弁務官事務所への支援)日米アースサクセス委員会ニューヨーク本部設立。同年8月日本支部設立。現在に至る。
マイケル・ジャクソンよりワールドツアー日本公演の際、「マイケル・ジャクソンワールド」のイメージ空間デザインの依頼・制作。

1993年 - ニューヨーク、アートディレクターズギャラリーにて個展開催。
ニューヨーク、ミューチュアル保険会社本社ギャラリーにて個展開催。ニューヨーク国連本部にて原画2点、シルクスクリーン6点の永久保存特別レセプションが行われる。

1994年 - 国連記念切手「国際防災の10年」の世界コンペへ作品提出、ニューヨーク国連本部デザイン査問委員会の決定を経て選出される。
伊勢丹デパートにて個展開催。横浜にて「自然災害軽減世界会議」へ特別出展。(日本で初めての国連国際会議。皇太子徳仁親王・同妃雅子さまが観覧した。)

1995年 - ニューヨークメットライフ(旧パンナムビル)保険ギャラリースペースにて個展開催。
「自然災害軽減の10年」の記念切手、ニューヨーク国連本部、ジュネーヴ国連支部、ウィーン国連支部から販売される。国連認定の難民救済募金箱設置スタート。(以後一年に一回国連難民高等弁務官事務所を通し基金の寄付を行っている。)阪神・淡路大震災被災者に対するベネフィットCD作成・参加。ジャズ界よりハービー・ハンコック、キース・ジャレット、パット・メセニー、チャールズ・ロイド、坂本龍一他海外アーティスト数十人参加。阪神・淡路大震災被災者、高校生・大学生6000名のためのフリーチャリティコンサートを企画・開催。ハービー・ハンコック・トリオ、小曽根真、菊池雅章他多数出演。

1996年 - 伊勢丹デパートにて個展開催。
1997年 - 銀座ミキモトアートギャラリーにて個展開催。

1998年 - 第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの弟、ロバート・ケネディ司法長官の次男ロバート・ケネディJr. (リバーキーパーズ財団を率いて河川汚染問題を主軸にした環境汚染を追求するアメリカ屈指の人物)を日本へ招聘。東京・京都で日米アースサクセス環境セッションを主催。

1999年 - メキシコ「サンイグナシオ・ラグーン(環礁)」の野生動物・植物(世界遺産候補地)が絶滅の恐れがあるため日米アースサクセス委員会とロバート・ケネディJr.並びに世界環境保護協会(アメリカ最大のNGO)、世界有数の学者が現地に集まる。

2000年 - 「ニース国連世界水会議」に出席。
「国連難民高等弁務官事務所・創立50周年記念コンサート」を開催。その際ニューヨークより「アメリカ公民権運動家」でもあり「ジャズ界のゴッド」でもあるマックス・ローチ・カルテットを招聘。2001年 - 天台宗総本山・比叡山延暦寺にて黒沢久雄、小林大僧正等とのパネル・コラボレーション。

2003年 - 「KENJI KOGA ANIMAL ARTBAG」ブランド、ニューヨークデビュー。

2006年 - <ダ・ヴィンチ・コード展>総合アートディレクション。最新のデジタル技術を駆使した「ダ・ヴィンチの謎」を六本木ヒルズで展開した。会場内で販売されるウォッチ・グラスなどのアート作品のプロデュースも手掛ける。

2010年 - LEDウッドオブジェ<ル・コルビュジエへのオマージュシリーズ>制作。近代建築の三代巨匠の一人、ル・コルビュジエ後期の代表作「ロンシャン礼拝堂(1955年竣工)」。その礼拝堂内部の南壁に無数に作られた「光入れのためのステンドグラスのカタチに魅せられ、マホガニーとLEDを組み合わせた作品である。尚、同時に<”ポスト侘び寂び”>としてウッドアートオブジェの作品も発表された。

2012年 - 5月皇居前に位置する「パレスホテル東京」がグランドオープン。その一階ロビー部分に設置されたデジタルサイネージ作品「淋派・狩野派などの日本の名画シリーズ」のアートディレクションを手掛ける。淋派・狩野派などの重要文化財クラスの名画の新しい見せかたを展開。新しいパブリックサイネージデザインを提案した。



何故にジャクソン・ファミリー財団日本支部の代表を務めているのか?
マイケル・ジャクソンとの関係はワールドツアー日本公演の際にイメージ空間デザインを依頼をされたかららしい。






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# by yumimi61 | 2017-07-06 00:17
2017年 07月 04日
日本国憲法の秘密-509-
1935年にニューヨーク州知事から特別検察官に任命された男、トーマス・E・デューイ。
彼はマイヤー・ランスキ―の親友でありシチリア出身ニューヨーク拠点マフィアのトップになったラッキー・ルチアーノをターゲットに据えた。

1936年、野心家の検事トーマス・デューイは、ルチアーノを「公共の敵ナンバーワン」と名指しし厳しく追及した。そのため、(ラッキー・ルチアーノは)当時引退したギャングが集まる街だったアーカンソー州ホットスプリングスに身を隠した。このとき、古くからの友人のオウニー・マドゥンに生活の面倒を見てもらう。しかし4月1日にカジノで遊んでいたところ逮捕される。マドゥンが用意した優秀な弁護士を雇い5千ドルですぐに釈放されるが、デューイ側はすぐに再逮捕しニューヨークに連行された。ルチアーノ側はアーカンソー州司法長官のカール・E・ベイリー(Carl Edward Bailey)長官に5万ドルの賄賂を交換に釈放を求めたが断られた。

裁判では容疑は数多くあった。殺人、酒の密造・密売、労働組合の恐喝、ミカジメの取立てなどである。しかし有罪になったのは、彼が犯さなかった数少ない犯罪の一つである強制売春だった。売春事件としては異例の禁固30〜50年の刑を宣告された。このときの裁判で検察側が出頭させた証人の多くは、当局の指示に従わないと逮捕すると脅迫を受けた売春婦たちで、ルチアーノに対して不利な証言をさせていた。そこまでしてもデューイ側はなんとしてもルチアーノを投獄させたかったという。ルチアーノは「私は多くの不法行為に関与したが強制売春だけはやっていない」と無実を主張したが、その後10年近く刑務所で暮らすことになる。ギャングが監視体制の厳しさからシベリアと恐れていたダンネモーラ刑務所(Clinton Correctional Facility, Dannemora)に送られた。

投獄されるがその権勢は衰えず、刑務所内から面会に来たマイヤー・ランスキーやフランク・コステロたちを使い、組織犯罪の指揮をとり続けた。刑務所の中でも大きな権威を持っていた。刑務所ではラジオを置き、新聞を取り、労働はせずに快適に暮らしていた。



ダッチ・シュルツ
ドイツ系ユダヤ人(ユダヤ系)。1920~1930年代にニューヨークで活動したギャング。
気が短く暴力的な性格で、問題がおきると銃で解決するタイプで、多くの流血沙汰を起こした。
ラッキー・ルチアーノらと縄張り協定を結び、全米犯罪シンジケートの協力者として位置付けられていた。
またニューヨーク・マンハッタンのアフリカ系の人達(黒人)が集まるハーレムの賭博組織を支配下に置いた。
これはタマニーホールの弁護士と結託して行ったことである。

1933年1月に脱税容疑で告発される。その後はニューヨークを離れて潜伏するが、1934年11月にニューヨークに戻った。
元州知事や元州議会議員ら豪華なメンバーの弁護団を組織して裁判に備えた。弁護団の計らいにより、裁判地をシュルツの悪名が轟いていたニューヨーク市ではなくカナダ国境に近い田舎町マローンとすることに成功すると、広告会社を雇って地元の企業に寄付金をばらまき、慈善活動を行なった。政治家のように地元民と握手したり、子供にキスをして「善良な市民」をアピールし、政府のスケープゴートにされた犠牲者のように振る舞った。
翌年行われた裁判では、第一審で有罪となったが、第二審では陪審の買収工作により無罪を勝ち取った。アル・カポネやワキシー・ゴードンらの脱税投獄の例から有罪は確定的と見られていたが、そうした予想を覆した。


裁判とは誰かの正義である。つまり感情である。法とか科学とか実はそんなに関係ない。
それが露骨に出るのが陪審裁判である。市民の感情で罪と罰は決まる。市民の感情に沿わない人が悪い人ということである。
裁判は感情的なもの、しかしそれではあまりに近代的、沈着冷静、客観的ではない。
規範のシンボルのような裁判に規範がないというのでは示しがつかない。
そこで「判例」というものがある。
同じような裁判が繰り返されて行われるとその判決は規範化し一定の拘束力を持つようになる。
判例は判決を導く上での法的理由付けにもなる。
誰かの個人的感情によってかけ離れた判決を出すということは出来ないということ。
(但し日本はアメリカやイギリスと違って判例法の国ではないので、判例に法的拘束力まではない)
判例法の国であるアメリカで予想を覆す判決が下された。

無罪となったダッチ・シュルツは1935年8月にニューヨークに戻った。
この判決に激怒したニューヨーク市長がダッチ・シュルツをすぐさま逮捕するように命じる。
この時にはトーマス・E・デューイは特別検察官になっており、上記に書いたようにラッキー・ルチアーノを公衆の敵とターゲットに据えていた。
しかしその下の副官はラッキー・ルチアーノと通じていた。(1935年9月、副官は行方不明となった)
ダッチ・シュルツは再びニューヨークを脱出した。

ダッチ・シュルツはニューヨークを追われた事を恨み、トーマス・E・デューイの暗殺を全米犯罪シンジケートの会議に諮った。
全米犯罪シンジケートの暗殺実働部隊とも言えるマーダー・インク(殺人株式会社)のリーダーだった“レプキ”・ルイス・バカルターは反対、その右腕だったジェイコブ・"グラ"・シャピロは賛成。
決定権は上層部にある。ラッキー・ルチアーノは反対であったという。
ラッキー・ルチアーノがマーダー・インクに指示したのはダッチ・シュルツ殺しだった。
計画は実行され、銃撃から22時間後にダッチ・シュルツは死んだ。

事件翌日のニューヨークのタブロイド紙に 「シュルツ銃撃さる」の見出しが踊った。ハーレムの女王で過去シュルツにポリシーゲームを乗っ取られたステファニー・セント・クレアは死の床にあるシュルツに"As ye sow, so shall ye reap." 自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならない という短い電報を送った。

最後に言った言葉は「俺のことはほっといてくれ」。彼はユダヤ教徒だったが、銃撃直後にカトリックに改宗したため、ニューヨークのゲート・オヴ・ヘヴン墓地に埋葬された


彼はなぜ最期にカトリックに改宗したのだろうか。いずれにしても組織がカトリックと深い関係にあったことを示唆している。

ラッキー・ルチアーノと、トーマス・E・デューイは裏で通じていたか、取引をしたのだろう。
トーマス・E・デューイの命を狙ったダッチ・シュルツの暗殺を依頼したのはトーマス・E・デューイだったかもしれない。
ダッチ・シュルツは、デューイの暗殺を企てた結果殺されたと報道されると、デューイは一躍名を上げて1940年には大統領候補にもなるのである。
1942年にニューヨーク州知事となる。
第二次世界大戦後の1948年大統領選挙では当選が有力視されていたが民主党のトルーマンに敗れる。
トルーマンは原爆投下を指示した功労者である。
その原爆「平和のための原子力」はロスチャイルドとロックフェラーの争いに束の間の平和をもたらした。
我々も原爆開発に成功したなどとぬかすソ連という敵に一致団結して戦わなければならないのだ。
トルーマンはユダヤ人の親友がいて1948年にイスラエル国家の承認に踏み切っている。

シカゴ・トリビューン紙は、デューイの勝利という見出しを掲げた。このことは世紀の大誤報として現在も記憶されている。

シカゴ・トリビューン
1847年に当時台頭してきたノー・ナッシング(Know Nothing)と呼ばれる外国人排斥運動の新聞として創刊された。 創刊当時は定住外国人やカトリック教徒について批判的な姿勢をとり、外国人への恐怖に関する記事が紙面の多くを占めた。

創刊8年後にジョゼフ・メディルら6人がこの新聞を買収し、外国人への恐怖を与える内容は抑えられていく。しかしやがて禁酒運動に傾倒していく(プロテスタントは後から来た移民などと比べ飲酒を控える事が多い)。

1930年には、当時禁酒法によってマフィアやギャングが街を牛耳っていたため、紙面で「民衆の敵」としてリストアップして非難した。ちなみに民衆の敵ナンバー1はアル・カポネだった。

1935年には、保守派の立場のロバート・R・マコーミック大佐が編集長を務めた時代のこの新聞は、孤立主義の色が強く、政治面や社会面では偏った報道を行なっており、「アメリカ人のためのアメリカの新聞」を自称していた。また、アメリカ民主党とニューディール政策を強く非難し、イギリスとフランスをはっきりと軽蔑しており、 ジョセフ・マッカーシー上院議員と蒋介石を非常に好意的に紹介した。

シカゴ・トリビューンで有名なスクープは、日本の真珠湾攻撃の前日に報道されたアメリカの第二次世界大戦参戦計画の暴露である。

アメリカ大統領選挙での選挙結果について共和党のトマス・デューイの勝利との誤報を出してしまい(民主党のハリー・S・トルーマンが勝利)、笑いものにされた。「デューイ、トルーマンを破る」と書かれたシカゴ・トリビューンを持って笑うトルーマンの写真は有名である。
それ以来この新聞は変化を遂げたとはいえ、共和党寄りの方針が基本となっている。


アル・カポネはイタリア系。但しシチリア出身のマフィアではなくイタリア系のギャングであった。
ニューヨーク生まれでシカゴに事務所を構えた。
シカゴにとって民衆の敵だったことに違いはないだろうけれども(もっともシカゴにもマフィアがいたが)、全米という観点から見ると、知名度の高さと影響力の大きさが一致していない人物。
映画化されたりしていたので名が知られていた。


ちなみに刑務所で労働もせずに快適に暮らしていたラッキー・ルチアーノはどうしたかと言うと、第二次世界大戦中にアメリカ海軍から協力を求められて出所したそうな。

ドイツが降伏しヨーロッパ戦線が終結した直後の1945年5月7日に、恩赦を求める嘆願書をニューヨーク州知事となったかつての宿敵デューイ元検事に提出した。政府は大戦中の功績を認め恩赦を許可した。しかし、アメリカ市民権を持たないのでイタリアへ強制送還される。

(イタリアのナポリで)、スカラ座のバレリーナのイゲア・リッソーニを愛人にし、彼女と共に競馬場や高級レストランに毎日のように通い優雅な生活を送る。表は医療器具や家庭電化製品を扱う商人で、裏は麻薬や煙草の密輸をやっていた。

アメリカ追放後も、レバノンの密輸業者と連絡し、トルコで生産されている非合法アヘンをレバノンでモルヒネに加工させ、トロール船でイタリア沿岸部、または、フランスのマルセイユに運びヘロインに精製させていた。この意味で、1970年代のパレスチナゲリラの分派たちに資金作りの方法を教えた恩人と言える。

米本土とのコネクションを持ち、イタリアとアメリカの間に麻薬密輸ルートを築き上げ、マフィアの勢力はさらに拡大する結果となった。中継基地のキューバも手中に収めている点でルチアーノは間違いなく1960年代の麻薬王となった。この麻薬はマフィアの資金源として彼の権威を絶大なものとした。さらにその資金を、ミラノの弁護士で銀行家のミケーレ・シンドーナを通じてマネーロンダリングさせていた。




ソニーの創業は1946年。当初は東京通信工業という社名であった。
その会社が「SONY」という言葉というかロゴを商品に使い始めたのは1955年。
そして1958年に社名をソニーにして東証1部に上場した。
ソニー・コーポレーション・アメリカを設立したのが1960年。
ではSONYにはどんな意味があるのか?

SONYは「音」を意味するラテン語の「SONUS (ソヌス)」、「小さい、坊や」を意味する「SONNY(サニー)」が由来。
「SONNY」だと「損(SON)」を連想させるため、「N」をひとつなくしてSONYとなった。
1955年にトランジスタラジオの商標にSONYという名称が採用されたのが始まり。
世界のどの国でも誰にでも読めて発音できる言葉として考案された。


アメリカで名を馳せたイタリア系ギャングのアル・カポネの息子の通称もソニーだった。
Albert Francis "Sonny" Capone
本名は、アルバート・フランシス・カポネ(Albert Francis Capone)である。
1918年生まれなのでソニー株式会社より誕生は早い。

ギャング・マフィア絡みのソニーとしてもう一人有名なのが、チャールズ・"ソニー"・リストン(Charles "Sonny" Liston)。
ボクシングのヘビー級王者だった人物である。こちらも通称がソニー。
彼には出生記録が無く、正確な生年月日は不明。1932年生まれということになっているが、これは本人の申告によるものである。
1932年生まれということは、ソニー株式会社よりも誕生は早い。

チャールズ・"ソニー"・リストンは幼い頃から犯罪に手を染めており、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕された記録が残されている。
1950年に強盗などの複数の罪に問われ、5年の有罪判決が確定し刑務所に収監され、結局2年間の刑務所生活を送った。
この間に、ボランティアでアスレチック・ディレクター(アメリカの高校や大学には全運動部活動を管理する管理者がいるが、その刑務所版ということだろう)を務めていた神父からボクシングの手ほどきを受けた。神父ということはプロテスタント(牧師)ではない、カトリックである。
仮釈放で刑務所を出所した彼は、その神父の支援を受けてアマチュアデビュー。
セントルイスのマフィアのボスとも関係するようになる。
翌1953年にプロデビュー。

1956年5月5日、路上でリストンを呼び止めた警官に暴行を働いた上に拳銃を奪い去ったとして感化院へ9ヶ月間送られる。その後、再び警官相手に暴力沙汰を起こして町を出て行くよう宣告を受け、セントルイスからフィラデルフィアへ拠点を移す。
この時点での戦績は14勝(7KO)1敗。

この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアのルッケーゼ一家の一員でマーダー・インクの殺し屋でもあったフランキー・カルボの支配下で試合を行うようになる。

フィラデルフィアへ拠点を移しての復帰後には19連勝(17KO)をマークした。
しかしながら、バックに付いている裏社会との関係が記者たちの格好の標的となり、世界王座に挑戦させるべきではないとの世論が形成された。
時の王者に対して、NAACP(全米黒人地位向上協会)がリストン戦に同意しないよう直訴したり、ケネディ大統領までが否定的な見解を示すなど大きな騒動に発展した。

結局、フロイド・パターソン(6人の白人挑戦者を下した黒人のヘビー級王者)が「逃げていると言われるのは心外」と反対を押し切って契約書にサインし、1962年にソニー・リストンと対戦し1ラウンドKOで敗れた。
そのソニー・リストンは絶対有利と言われながらも、カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)にあっけなく負けたため、八百長が疑われたくらいであった。

ソニー・リストンは1975年にラスベガスの自宅で死亡した。
病死で処理されたが、麻薬の過剰摂取やギャングに殺されたとする説も根強い。

「知らなかった」とか「そんなの関係ない」と言えばそれまでだが、「ソニー」という名称はあまりクリーンなイメージではない。















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# by yumimi61 | 2017-07-04 12:10
2017年 07月 02日
日本国憲法の秘密-508-
アイゼンベルグとは何か?
・アメリカ最大のマフィアであり、麻薬ネットワークを構築している。
・金銭で殺人を請け負う「殺人株式会社」と呼ばれている。
・イスラエル建国の中心的存在であり、あらゆる産業を支配している。国家そのものと言っても過言ではない。


アイゼンベルグのルーツは「殺人株式会社」にある。
マーダー・インク (Murder, Inc.) または殺人株式会社 (Murder Incorporated)
1930年代から40年代にかけて暗躍した犯罪組織。主要メンバーの出身地にちなみ、ブラウンズヴィル・ボーイズ (Brownsville Boys) とも呼ばれた。なお、これらの名前は、マスコミが命名したものである。

1930年代前半に、ラッキー・ルチアーノを中心とするニューヨークのイタリア系ユダヤ系犯罪シンジケートが、「縄張り争いは各々のビジネスを損なう」という発想の元、殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋から構成される暗殺専門の執行機関を作った。暗殺はビジネスの必要に限定され、恋愛や復讐など個人的な理由は禁じられた。反逆者の粛清や政府密告者の口封じが中心だった。
際限ない復讐合戦に歯止めをかけるという点で役立った反面、「抗争はギャングのビジネスを損なう」というビジネス至上主義は、容易にビジネス拡大のための縄張り強奪の正当化に転じた。

構成員は主にニューヨーク市ブルックリン区のブラウンズヴィル、イースト・ニューヨーク、オーシャン・ヒル地区のユダヤ系・イタリア系ギャングが中心だった。

この体制で実際に数百人のギャングやマフィア幹部らの殺害が実行された。その手口は、銃撃や絞殺、溺殺、刺殺などで、武器は足のつかないアイスピックやロープが好まれたといい、「仕事はあくまでビジネスと割り切る」、「決して民間人を巻き込まない」などの厳しいルールの下で任務を実行したという。メンバーは暗殺ターゲットと直接利害関係がなく互いに顔も知らないことが強みとなり、全米各地に出向いては暗殺業務に従事した。

組織は一連のメンバー逮捕および実刑確定により事実上消滅した。



イタリア系と言えば「マフィア」が有名であろう。
マフィアとは、本来イタリアの中でもシチリア島を起源とする犯罪組織のことである。
アメリカへの拡大は、1865年終結のアメリカ南北戦争の後にシチリアからアメリカに移住した人達に依る。
アメリカではニューヨーク拠点とシカゴ拠点のマフィアが有名。

シチリアはフランス王家の支配下にあり、続いてスペイン王家、オーストリア王家の支配下となり、再びスペイン王家の支配下に戻り、1861年にイタリア王国(統一イタリア)へ統合された。
フランス、スペイン、オーストリア、みなカトリック国であった。
このイタリア王国はローマ教皇領も併合した。教皇保障法によってその地位を保障しようとするが、ローマ教皇はこれを拒否して対立するに至る。
その対立はムッソリーニ政権でラテラノ条約(1929年)が結ばれるまで続いた。

日本では憲法改正が取り沙汰されているが(外国では結構何度も改正しているという論調もあるが)、改正しなかった期間ナンバーワン憲法は、カトリックと対立関係にあったこのイタリア王国の憲法である。
イタリア王国は1946年に共和国に移行し憲法も変わったが、その間に改正はなく、85年間改正無しという(名誉な?不名誉な?)記録を持っている。
日本の現憲法は1947年に制定されたものなので、今年で70年。
記録を更新しようと思ったら後15年は改正できない。

ともかくイタリアでマフィアが勢力拡大したのはイタリア王国誕生後のことで、マフィアはカトリックの宗教組織を利用して拡大していった。
また激化した労働者運動・社会運動(ファッシ・シチリアーニ)とも関係がある。
「ファッシ」という単語は集団というような意味だそうで、「ファシズム」はここから生まれたが、最初にこれを使用したのが1880年代後半のシチリアの運動である。
王国という政権に対して革命的な民主主義者という意味合いを持っていた。
カトリックという権威とマフィアという犯罪組織と労働者運動・社会主義的運動はここで繋がっていたのだ。
この時代にシチリアからアメリカに移住した者が多数いた。そしてアメリカでもマフィアが暗躍するようになる。

もうひとつ台頭したのがユダヤ系ギャング。
ユダヤは貧富の差が激しい。
金のないユダヤ人は金になることならば何でも行った。
また金のないユダヤ人が美味しい話を餌に東欧やロシアから連れてこられ、非合法な活動や売春などをさせられた。
他民族の通り一遍なユダヤ人に対する偏見がそれを助長したりもした。
しかしながらユダヤ系ギャングはなかなか頭脳的でもあった。逆境を糧に。ピンチをチャンスに。
1919年に禁酒法が成立すると、密造酒や密輸によって、ユダヤ系ギャングは全盛を極めることになる。

このようにマフィアやユダヤ系ギャングがアメリカ暗黒街を形成していくが、発祥の時代から言うと、アイルランド系ギャングのほうが早く、当初は彼らがアメリカの裏社会を仕切っていた。(後にアイリッシュ・マフィアと呼ばれるようになる) ボストンを拠点としていた。
アイルランド系ギャングの後に台頭してきたマフィアやユダヤ系ギャングと縄張り争いなどで抗争を繰り広げることになる。
アイルランド系ギャングは特にシカゴ拠点マフィアとの対立が激しかった。
アイルランドもカトリック国である。

ケネディ大統領の父親はアイルランド系ギャングと親密だったと言われる。
ジョセフ・P・ケネディ・シニア
巨大な資産をバックグランドにした民主党の有力政治家であり、アメリカのカトリック教徒および、アイルランド系アメリカ人の実力者でもあった。
フランクリン・ルーズベルトの大統領選出時(1932年)に財政支援を行った功によって、初代証券取引委員会委員長(1934年)、連邦海事委員会委員長(1936年)、在イギリスアメリカ合衆国大使(1938年〜1940年)のポストを歴任した。

1888年、ボストンにアイルランド系政治家の子として生まれたジョセフ・P・ケネディ・シニアは、ボストン・ラテン・スクールからハーバード大学に進み、金融業につくと株式市場を利用して莫大な財産を築いた。この財産を元手にさまざまな資産を運用するようになった。第一次世界大戦中、ケネディはベスレヘム・スチール社の造船部門の支配人補佐となり、海軍次官補だったフランクリン・ルーズベルトと知り合った。その後、映画産業に食指を動かし、いくつかの映画会社を統合してRKOを設立する過程で一財産築いた。さらに1933年に禁酒法が廃止されると、ルーズベルト大統領の長男と組んでサマセット社という会社を設立、ジンとスコッチの輸入を一手にとりまとめさらなる富を生み出した。1945年には建設当時世界最大のビルだったシカゴのマーチャンダイズ・マートビルを買い取ったことでも有名になった。

しかし外交官および政治家としての活躍は唐突に終わる。1940年11月、バトル・オブ・ブリテンのさなかに行われたボストン・グローブ紙のインタビューで「英国で民主主義は終わった。米国にはまだあるかもしれない」と発言したことが大問題となったためだった。以後ケネディは表舞台には出ず、豊富な資産を運用して息子たちの政界進出を強力にバックアップした。


ケネディ大統領父が「イギリスで民主義は終わった」と述べたのは原爆開発が行われていた頃である。


アイルランド系移民を支持した団体として知られているのがタマニー・ホール。
私は以前にもこの団体について書いたことがある。

「タマニー・ホール」は移民など貧困層に関わる代わりに選挙の時に投票してもらうという方法を取っていたのである。
これがニューヨーク市政に強力に影響を及ぼすようになって、否応なく経済界をも巻き込んでいく。
雇用、特定候補への投票依頼、企業への見返り。選挙の企業票というのはこの時代に確立した。

「タマニー・ホール」のボスとして名高いのが、ウィリアム・ツィード。
アイルランド移民にボスあり。
移民や貧困層への慈善活動でその地位を揺るぎないものした。
「票は金で買うもの」と言って憚らず、ニューヨーク市会議員にもなった。
殺人、恐喝、売春、違法な酒場、密輸、密輸品の売買など、彼が絡まなかった犯罪は存在しないとまで言われた。
政治にも不正の限りを尽くした。
ニューヨーク市当局とマフィアのボス、それに群がるギャング達が公然と取引していたのである。
ウィリアム・ツィードはニューヨーク市のお金を着服していたことがばれて失脚したが、「タマニー・ホール」はその後もアイルランド人がトップに立ち続けた。
タマニー・ホールとアイルランド系移民と民主党の癒着はここに始まり育っていった。(ユダヤ人とドイツ人も、タマニー・ホールの集票マシーンに認められていた)
その集大成はおそらくケネディ大統領の誕生であったのであろう。
ケネディ大統領とは直接的な関係はないとされているが、アイルランド移民がアメリカやイギリスに恨みを晴らした瞬間であった。

だいぶアスターから話が逸れてしまったが決して無関係なことではない。
ウィリアム・バックハウス・アスターは、ボスのウィリアム・ツィードと組んでの不正取引で、アスター家の財産を拡大したのであった。
アスター家のこの代は、暗黒街に生きたアスター家の中でも特にアウトローに彩られていた。


アスター家はドイツ出身。アヘンの密貿易で財を成して、ニューヨークの土地を買い、人に貸して儲けた。
1800年頃から密貿易で得た資金をニューヨーク・マンハッタンの土地に投資するようになった。
この時代はまだニューヨークは今のような街ではなかったが、アスターは土地を購入するだけで開発にはタッチしなかった。
ある一定の期間で契約を結び土地を他人に貸したのである。
ニューヨークが開かれた街になることを知っていたのである。
土地を借りた人が勝手に開発してくれ、契約満了時期には土地の価格は高騰していた。
彼はリスクを負うことなく巨大な富を手にした。
金融業に手を出すこともなかった。


アスター1世→長男(アスター2世):精神障害があったため後継者にはならず
       →次男(アスター2世代理)・・・暗黒街に生きたアスター家の中でも特にアウトローに彩られていた

アスター2世代理→長男(アスター3世)
            次男ウィリアム・ジェイコブ・アスター・ジュニア(父の名を受け継ぐが後にそれを外す)
             ・・・妻キャロラインがニューヨーク社交界のスター
         次男夫妻には取り巻き連中がいた。
         (有力な取り巻き)
         ・ロスチャイルドがアメリカに送り込んだオーガスト・ベルモントの一族。
         オーガスト・ベルモントは1853年に黒船で日本にやってきたマシュー・ペリーの娘と結婚した。
         ・J.P.モルガンの一族

アスター3世→長男ウィリアム・ウォルドルフ・アスター
次男ウィリアム→長男(アスター4世)

アスター3世と次男ウィリアム・ジェイコブ・アスター・ジュニアが1890年と1892年に亡くなる。
すると次男の妻のキャロラインと3世の長男の間の確執が表面化。
キャロラインはロスチャイルド系の取り巻き連中を引き連れてアッパー・イーストへお引越し。
キャロラインの息子であるアスター4世は1912年沈没したタイにタック号に乗船していて47歳で亡くなった。
タイタニック号の実質的なオーナーはJ.P.モルガンであった。
タイタニック事件の時にはすでに母であるキャロラインも亡くなっている(1908年没)。
5世を継承したのは4世の子ではなく(若かった)、アスター3世の長男ウィリアム・ウォルドルフ・アスターの子であった。
当時5世はアメリカではなくイギリスに暮らしており、イギリスの近衛騎兵連隊ライフガードの任務にあたっていた。インド総監でもあった。
以降、アスター家はイギリスに移ることになる。アスター家とおしでは現在は8世となるが、4世の子孫ではないため、ウィリアム・ウォルドルフ・アスターからスタートしたウィリアム・ウォルドルフ・アスター4世ということになる。
どの家にもお家騒動があって「●●●家」で十把一絡げに語ると真相は分かりにくくなる。
ウィリアム・ウォルドルフ・アスター家のほうはイギリス・フランス連合と考えてよいのではないだろうか。


アイルランド移民を支援したのがタマニー・ホールならば、ユダヤ系ギャングを支援したのはユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)である。
ユダヤギャングが暗躍し始めた頃にはニューヨーク市警察も取り締まりを強化したが、ユダヤ名誉棄損防止連盟がユダヤ人を不当に扱うと非難して大々的に抗議活動を行った。(今の黒人問題のような感じ)
ニューヨーク市警察長官はその地位を追われ、結果警察も委縮。
そんなずる賢さも手伝ってユダヤ系ギャングは隆盛を極めることになった。
ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)は現代でもユダヤ関連で様々な抗議活動を行っている。
今でこそ穏健派と言われるが、それは1968年に過激派であるユダヤ防衛同盟が出来たからである。


上に書いた「殺人株式会社のリーダーは“レプキ”・ルイス・バカルター。東欧系のユダヤ人(ユダヤ系)である。
その右腕だったジェイコブ・"グラ"・シャピロ。ロシア系のユダヤ人(ユダヤ系)。

だが殺人株式会社を組織したのは彼らではない。
ユダヤ系ギャングのボスであったマイヤー・ランスキーである。

上の転載文に「1930年代前半に、ラッキー・ルチアーノを中心とするニューヨークのイタリア系ユダヤ系犯罪シンジケートが、「縄張り争いは各々のビジネスを損なう」という発想の元、殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋から構成される暗殺専門の執行機関を作った」とあるが、マイヤー・ランスキーはラッキー・ルチアーノの少年時代からの親友だった。

ルチアーノとの出会いはユダヤ人の用心棒などをやっていたルチアーノが、小柄だったランスキーに目を付けて自分を雇わせようとしたのが発端で、ランスキーは用心棒など要らないと突っぱねた。ランスキーが体格で大きく上回る自分に断固とした態度をとってきたことに驚いたと言い、以降無二の親友となった。身長は低く160前後だったという。

ラッキー・ルチアーノは、シチリア出身のニューヨーク拠点マフィアの最高幹部となる。
マフィアの古いしきたりを一掃してビジネスライクな組織に変革させた人物でもある。

(シチリア発の)マフィアは日本のヤクザや香港の三合会とは異なり、徹底した秘密組織・非公然組織である。これはマフィアには構成員に服従と沈黙を厳しく命じる血の掟(オメルタ)が存在するためである。掟を破った時には、他の構成員に対する見せしめの為、凄惨な制裁がなされる。行方不明になり、のちに拷問を受けた痕のある惨殺体で発見される例が最も多い。
この掟と正式構成員が少人数であることが相まって、マフィアに対する犯罪捜査は困難である。


その代わりに縄張り争いによる抗争に民間人を巻き込まないなどの決まりもあったわけである。
でもそんな古いしきたりは一掃してビジネスライクに徹する。
マーダー・インクの説明に、「仕事はあくまでビジネスと割り切る」、「決して民間人を巻き込まない」などの厳しいルールの下で任務を実行したという、と書いてあるがビジネスと割り切るからこそ殺人依頼のターゲットが民間人でも場合によっては引き受けられるのだ。
「決して民間人を巻き込まない」というのは古いしきたりである。
またマフィア同士の抗争は殺しで落とし前を付けるのではなく金で解決できるようにもした。これでこそビジネスライクである。
こうしてマイヤー・ランスキ―は「全米犯罪シンジケート(NCS)」を組織することに成功した。
シチリア発のマフィアもここに加盟していた。
マイヤー・ランスキ―はギャング・マフィア界の頂点に立つことになる。

(マフィアの)主な活動内容は麻薬取引、殺人及び暗殺、密輸、密造、共謀、恐喝及び強要、みかじめ料(縄張り地域で営業する店舗から喝取する占有料)徴収、高利貸しなどの犯罪と、不動産業など合法的なものである。

「ワイズ・ガイ」(wiseguy)であるように、マフィアのメンバーは個人事業者であり、一つに限らずあらゆる商売をする。賭博のノミ行為、暴利金融、ポルノ・セックス関連、故物売買以外に、パートナーと言われる周旋業がある。商売をしたい、賭博をしたい人間と、彼らにサービスを提供できる人間を繋ぎ、その代わり共同経営者になったり手数料を貰ったりする仕事である。

売春と賭博は「名誉ある男」が行うビジネスではないとされており、ご法度とされている。イタリアの流通業界団体の報告書によればマフィアは年間約1300億ユーロ(約15兆8600億円)の売上高を上げているとの推計を発表している。


上記にはないが保険金を巻き上げることもマフィアの重要な活動である。保険金というからには合法であろう。
しかし保険金を払わないと必ず良くないことが起こる。
でも古今東西、一番の活動はやはり麻薬取引である。

上記マフィアの活動には賭博はご法度とされているとあるが、マイヤー・ランスキ―の有力支援者はユダヤ人賭博王であった。
アーノルド・ロススタイン
アメリカの実業家、ギャンブラー、ギャング。組織犯罪の元祖とされ、ラッキー・ルチアーノやマイヤー・ランスキーに多大な影響を与えた。
またマイヤー・ランスキーと親しかったユダヤ系ギャングのべンジャミン・シーゲルは酒の密売と麻薬で稼いだ資金を元手に「ラスベガス」を作った。
アメリカのギャングには賭博が御法度なんてことはなかったのだ。
べンジャミン・シーゲルはハリウッドとの関係も深い。
ハリウッドの社交界に出入りして人脈を築く傍ら、手練手管でハリウッド映画のエキストラ組合に強引に入り込み、組合ストを盾に大手映画会社から示談金を巻き上げた。また映画スターから金を借りて返済せず、そうして懐に入れた金は年に40万ドルにも達した。
ケーリー・グラント、ハンフリー・ボガートら多くの映画スター、プロデューサーと交際し、ケティ・ガリアン、ウェンディ・バリー、ジーン・ハーロウ、マリー・マクドナルドらハリウッド女優と浮き名を流した。 


「全米犯罪シンジケート」の最高幹部の1人で、「殺人会社(Murder Inc.)」のメンバーでもあったアブナー・ツビルマンというユダヤ系ギャングもハリウッドに多額の投資をしていた。

活動がビジネスライクになってくると、民間人とギャング・マフィアの見分けがつきにくいという難点がある。
べンジャミン・シーゲル家の近所の人は彼がギャングスターだなんてことは全く知らず企業の役員か何かだと思っていたという。

ユダヤ系ギャングのマイヤー・ランスキ―とシチリア発マフィアのラッキー・ルチアーノ、それにやはりユダヤ系ギャングのべンジャミン・シーゲルが組んで、「殺人会社(Murder Inc.)」を設立して私的に運営していた。
ビジネスライクと言っても金で解決できると言っても、やっぱり最後は殺人。
この世には金で動かない人間がいる。そうなったら殺しで動かなくするしかない。
人々が最も恐れるのも金ではない、死(殺し)である。
こうして「全米犯罪シンジケート(NCS)」は確かなものになっていった。
CIAはここと関係を深めていく。









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# by yumimi61 | 2017-07-02 17:46
2017年 06月 30日
日本国憲法の秘密-507-
ブッシュ政権で国家安全保障問題担当副大統領・チェイニー副大統領首席補佐官・ブッシュ大統領補佐官を兼任していたルイス・リビーの律家としての師匠というか上司というか親分というかが、アンドレ・マイヤー。
ラザード・フレールを代表する人物となった。
そしてゴア家、ケネディ家、リンドン・ベン・ジョンソン大統領をクライアントに持ち、CBSの会長を長く務めた。
デイビッド・ロックフェラーを育てたのもアンドレ・マイヤーである。

アンドレ・マイヤ―は顧問弁護士と紹介されていることも多いが、前記事に書いたように16歳で学校を中退しており、彼は法的な法律家ではない。(職歴もメッセンジャー→銀行マン)
「顧問弁護士」と言うよりも「顧問」と言った方が相応しいであろう。
もっとも松本重治がインタビューで次のように答えていたことがあるので(過去記事にも書いた)、上の方の世界では法的資格など別に必要ないのかもしれないが。

■国際弁護士時代
ある日、大船駅のホームで、いとこの松方正広君にばったり出会った。彼の弁護士事務所に机を置かして貰えまいかと頼んだところ、快く引き受けてくれた。・・・私は外国からの技術導入を専門に扱う「国際弁護士」になった。・・・私はジャーデイン・マデイソン社の顧問弁護士もやっていた・・・


日本では通常、大学の法学部や法科大学院(2004年に創設された制度)を卒業したからといって、弁護士になれるわけではない。
まず司法試験に受かる必要がある。その上で司法修習生として決められた期間の修習と研修を受け、最終試験に合格しなければならない。
松方重治は経歴を見る限り、日本でも外国でも弁護士資格を取得したような経歴ではない。
松本重治は日銀の松方家と親戚で、松方三郎と親友。ロックフェラーらと日本に国際文化会館を設立して理事長となった人物である。


ルイス・リビーはマーク・リッチの顧問弁護士だった。

マーク・リッチ(Marc Rich, 1934-2013)
ベルギー出身の起業家、相場師。スイスの商品取引大手であるグレンコア社の創設者。

ベルギーのアントウェルペンにてユダヤ人の家庭に生まれる。出生名は Marc David Reich。1941年にナチを避けて一家で渡米。高校卒業後、ニューヨーク大学に進学するが、一学期で退学。すぐにディーラーとして働き始め、貴金属取引の分野で頭角を現す。
1974年、グレンコア社の前身である商品取引会社マーク・リッチを共同創業。

イランからイスラエルに必要量の石油を極秘にパイプライン輸送で供給する合弁事業を何年にもわたって成功させた。イランとイスラエルとの間の非公式仲介者として活動し、またイスラエル諜報特務庁(モサド)の活動を財政面で支援した。アパルトヘイト政策のため経済制裁を受けていた南アフリカ共和国へ総額20億ドル(約1780億円) 相当の石油を販売した。

1970年代のオイルショックの際には巧妙な原油取引により巨億の富を手にした。しかし、パートナーのピンカス・グリーンと共謀して脱税やイランとの不正な石油取引を行った疑いで、1983年にアメリカの検察当局から起訴される。当時、リッチはスイスにいたが、連邦捜査局(FBI)の「10大重要指名手配犯リスト」に名前が載ったためにアメリカに帰ることは事実上不可能になった。1984年には欠席裁判で有罪判決を受けた。

2001年1月20日、任期終了数時間前のクリントン大統領から恩赦が与えられた。しかし、これに先立ってリッチの元妻デニス・アイゼンバーグ・リッチが民主党に総額100万ドル以上の献金を行っていたため、一部のメディアで「金で恩赦を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。

リッチは赦免を獲得するや否や、石油・食料交換計画のスキャンダルに絡む事業でサッダーム・フセインと協力を行っている。



マーク・リッチは1966年32歳の時にデニス・アイゼンバーグと結婚した。(1996年離婚)

デニス・アイゼンバーグ・リッチは作詞家(Joy Denny)である。
シスター・スレッジ(アメリカ出身の4姉妹グループ)の"Frankie”という楽曲を作詞したことによって他の有名歌手の作詞も手掛けるようになる。
シスター・スレッジは1971年にマイナーデビュー、1972年にメジャーデビュー、1975年にアルバムデビュー。
1979年に“He's The Greatest Dancer”と“We Are Family”が大ヒットするも、その後は低迷。
しかし1984~1985年にイギリスで再びヒットする。
"Frankie”は1985年にイギリスで1位に輝いた。(アメリカでは50以内にも入らず)


マーク・リッチはまずフィリップブラザーズという非鉄金属のトレーディング事業を行う会社に入った。この会社はロスチャイルド系である。
宝の山とはよく言ったもので、非鉄金属を含む産業廃棄物のスクラップを買い取り、それを金属メーカーに持ち込んだり海外に輸出したりして、新たな金属としてリサイクルする事業がある。
アルミ缶などを集める廃品回収はお金になりますね?それと同じ。
レアメタルという言葉を聞いたことがあると思うが、あれも非鉄金属である。
買い取るということは、買取価格があるわけで、買取価格にはやはり相場がある。だから投機の対象にもなる。

日本に来たショーン・アイゼンベルグが新日鉄の永野重雄を紹介されてスクラップ工場を設立したと過去記事に書いたが覚えているだろうか?
まあ、そういうことである。

ユダヤ人であるアイゼンベルグ家は1938〜1939年にかけてアルプスを越えてスイスに入った。
スイスから西ヨーロッパに移動し、1940年の終りにはオランダにいた。
第二次世界大戦がの最中にオランダから中国の上海に向った。上海には各国・各組織の諜報員たちが蠢いていた。
そして日中戦争の最中の1940年にショーン・アイゼンベルグは日本にもやって来た。
彼は日本で、日本人女性と結婚したオーストリア人の画家と接触した。その画家もスパイだったのだろうか
日本人女性は官僚の家系の娘だったという。
こうしてアイゼンベルグは財界四天王の一人である永野重雄を紹介され、終戦直後にスクラップ工場を設立している。
またアイゼンバーグは日本人と結婚して日本国籍を取得している。
そのお相手はオーストリア人画家と官僚家系日本人夫妻の娘だという説もあれば、永野重雄の娘とする説もある。(永野重雄の次女の夫は日本銀行職員) いずれにせよその娘はユダヤ教に改宗した。


ショーン・アイゼンベルグは日本に来てまず日本人と結婚したオーストリア人の画家と接触したが、マーク・立地の妻のデニス・アイゼンバーグ・リッチもオーストリアのデペロッパーと親密な関係がある。
「アイゼンベルグ」と「アイゼンバーグ」は言語による読みの違いであって同じ姓である。
この2人も何らかの関係があるのではないか。

今ではすっかり忘れているかもしれないが、私はデイビット・ロックフエラーが頭取だったこともあるチェース・マンハッタン銀行の日本人の国際諮問委員会メンバーについて書いていたところで、今は住友化学社長だった長谷川周重と住友に関連して話が広がっている最中である。
長谷川周重の妻の父親は禅を外国に紹介したという鈴木大拙のパトロンだった。
鈴木大拙とベアトリス夫妻には実子がおらず、イギリス人男性と日本人女性の間に生まれた子供を養子にしたのだが、その子は鈴木勝(アラン勝, Alan Victor Suzuki)で、後に『東京ブギウギ』の作詞者となるということを過去記事に書いた。
作詞者を送り出しているという共通点もあるのだ。

住友商事のサイトにはマーク・リッチとフィリップブラザーズに関する記述がある。

住友商事グローバルリサーチ 資源商社の盛衰
2015年10月23日 住友商事グローバルリサーチ 代表取締役社長 高井 裕之

世界最大の資源商社グレンコアの株価が9月末、上場時から9割近く下げた。ロンドン上場は2011年5月。上昇基調だった商品市況が下方転換したタイミングであり、資源ブームの潮目の変化を象徴するかのようだ。

 グレンコアの創業者は伝説の商品トレーダーと呼ばれたマーク・リッチ氏である。筆者も以前、ロンドンの夕食会でご一緒したことがあるが、一線を退いたとはいえユダヤ系のベルギー人トレーダーは神秘的オーラを放っていた。

 そもそも資源商社という業態はユダヤ系ドイツ人が1901年に創業したフィリップブラザーズ(略称フィブロ)が源流とされる。元来フィブロは非鉄金属を扱う商社で、リッチはそこで丁稚奉公をしつつ商売のイロハを学んだ。

 リッチは石油トレードで頭角を現す。1970年代に入り石油メジャーから主導権を奪還した産油国が独自で取引を始めた際に、リッチはその取引を仲介しフィブロの稼ぎ頭に躍進する。その後、彼が独立して興したグレンコアの前身が、自身の名前を冠した商社マークリッチだ。



ロスチャイルド系のラザール・フレールで育ったアンドレ・マイヤ―はアイゼンベルグの顧問であった。
ゴア家、ケネディ家、リンドン・ジョンソン大統領の顧問でもあった。
デイビッド・ロックフェラーを育てたのもアンドレ・マイヤーである
アンドレ・マイヤ―の部下のルイス・リビーはマーク・リッチの顧問弁護士だった。アル・ゴアの顧問弁護士もしていた。
ルイス・リビーは天然痘流行によって冬の北日本の宿屋で立ち往生した旅行者という設定で怪しげな小説を書いている。
マーク・リッチの妻の姓はアイゼンベルグ。
ブッシュ政権で副大統領になったディック・チェイニーはアイゼンベルグの大株主であった。
アイゼンベルグは戦後、中国にいたサッスーン一族を駆逐して麻薬販売網を奪取した。日本に来たアイゼンベルグ他、日本の協力があった。サッスーン一族もロスチャイルド系である。

マーク・リッチは1973年の第一次オイルショックで億万長者となる。
その翌年ソ連に乗り込み、マークリッチという会社を設立して麻薬や武器の生産と販売を始めた。




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# by yumimi61 | 2017-06-30 18:10