2017年 04月 10日
父の死②
父が亡くなった翌1月30日に通夜を、31日に葬儀・告別式を家族葬で行った。
2月2日に入院費用を清算するために病院に出向いた。
支払いを済ませた帰りに地域連携課に立ち寄った。
大変お世話になったけれども転院は叶わずじまいで、週末に亡くなったため担当者と会うこともないまま立ち消えてしまったので、一言お礼だけでもと思った。
部屋から出てきて私の顔を見るなり「まあ」という感じで担当者は私の両手を握った。
その手が私よりも暖かかったことをとてもよく覚えている。(お昼時で食事中だったからですかね?)

「月曜日に出てきて聞いてびっくりしました」と担当者。
人は必ず死ぬものだけれど、人の死を予想する(想像する)のはやはり難しいなあと思う。

もしも父ががんであることを全く知らずにいたら、どれくらい生きられたのだろうか。
もしも父にがんであることを宣告しなかったなら、生きる長さは違っただろうか。
もしも放射線治療を受けなかったから、父はもっと早くに亡くなっていただろうか、それとももっと生きられたのだろうか。
思うことはいろいろある。
比較してどっちがどうなのか知りたいと思う気持ちもある。
でもそれは決して叶わない欲求である。
2つ以上の選択肢を1人の人間でどっちが良いのかと実際に両方試してみること出来ない。
巻き戻しは出来ない。原点に帰ることは出来ない。
他者と比べることは出来るかもしれないが、他者は他者。結局それは他人の人生である。
何から何までまっるきり同じ人間なんて一人としていない。
だから偶然でもなんでも何かが一致する時、人はそこに奇跡をみるのではないかと思う。
人生は一度きりで、前に進むしかなく、人間は日々否応なく選択の中を生きている。



世界が終わる時、あなたが食べたいものは何ですか?
あなたがこの世を旅立つ時、手にしていたい物はなんですか?
重力崩壊と究極の愛がずしりと響く。


昨日も書いたこの文は私が過去記事(夏休み)に書いたものである。

本のあれこれに続いて選挙の話を書いた。
人生が選択の連続でありながら、選挙というものは自分の選択が全く反映されないことがあるわけで(勝者に投票した人しか自分の選択が反映されない)、これが選挙の、もっと言うと社会の、根本的な欠陥のような気もする。
反映なきところでは責任も欠如しやすい。
選択が反映されず責任を負わない人や、選挙を棄権して責任を負わない人が増えると、選挙で当選者に投票した人でさえ投票責任を負わなくてもよいのだと思うようになる。
1つの選択であるはずの投票行動には少しも責任が伴わないということになってしまう。だから何があっても他人事観満載となる。

国や東電に責任があると言うのは簡単だが、それを言えば政治家を選んだ責任は、国(首相など)を任命した責任は、原発を造ることを了承した住民の責任は、それに恩恵を受けてきた者の責任は、原発があると分かっていながらそこに住むことを選択した者の責任は、などと責任は波及する。
この考えを持ち出すと、一人の過ちということはあっても、一人の責任ということは在り得なくなる。
選択の余地が全くない社会ならともかく、選択肢のある社会においては、自分の人生を選択するのは自分で、それを引き受けるのも自分。それが原則だろうと思う。
責任をもって一人一人があらゆることに対して真摯に誠実に向き合うべきなのだ。
でもそこまで責任を波及させたくないと言うならばどこかで区切ってやる必要がある。
全てを掬い上げることが出来ないのが社会という単位なのだろうと私は思っている。
それが嫌ならば社会の形態を変え、選択肢のあまりない出来るだけ平等な社会にすればよいのだ。
これこそが共産主義が目指したものである。だけど多くの人はこれを嫌ってきたのである。





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# by yumimi61 | 2017-04-10 16:45
2017年 04月 09日
父の病㉚
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日) 死亡


1月27日(金)、この日は父の担当医になってくれていた医師が不在ということで、土日明けて来週に担当医に報告して転院になるでしょうということだった。
地域連携課の担当者との話を終えて、父の病室に戻った。
私はB病院の緩和ケア病棟ではなくて一般病床(呼吸器科)に来週転院になりそうとだけ父に伝えた。
特筆すべき反応はなかったと記憶している。
脱いだものを入れておく蓋付きバケツの中を確認すると、中に入っていたパジャマと下着から尿臭がした。
ポータブルトイレがすぐそばに置いてあったけれど間に合わなかったのかなと思った。

私は学生時代に保育園にも特別養護老人ホームにも実習に行ったことがあるが、何が強烈だったかというと特別養護老人ホームの独特な匂いである。
保育園も特養もどちらもトイレが完全ではないおむつ利用の人や粗相をしてしまう人がいる場所であるが、匂いに関しては全く違った。
病院も病棟によっては尿を溜めておく部屋があり(現在は尿量測定トイレなどもある)、そこはやはり独特な匂いがするが特養ほどではなく限定的である。
私はあの匂いで特養では働くことは出来ないと思った。
(もっともその匂いにも一定期間いれば慣れるらしい。実習くらいの期間では慣れなかったということだけなのかも)
私は汚物系の匂いに弱い。好きな人はそうそういないと思うけれども。
一番困ったのは嘔吐の匂い。
嘔吐物を片付けるとかが嫌なわけではないのだが、匂いを嗅いでしまうと私自身吐き気を催してしまう。
要するに反射的に「おえっ」と込み上げてしまうのである。
吐いてしまった人に対して申し訳なさすぎるのだが反射なので如何ともし難い。
子供などが嘔吐した場合には「大丈夫だからね~」と安心させてささっと片付けるが、下手に匂いを嗅いでしまうと「おえっ」となってしまうので、息を止めて匂いを嗅がないようにしなければならないのだ。
鼻と口と両方止める方法はあっという間に苦しくなってくるので、鼻だけ止めて口だけで息をしながら片付けたりするが、口を意識してしまうと今度は食事を思い出してしまい、好まざるものを積極的に口に吸いこんでいるようで躊躇してしまう。


1月28日(土)、父は大変だから毎日来なくてもいいと言ったけれども、着替えを持って午前中に顔を出した。

1月29日(日)
容態が悪くて呼ばれたわけではなく、いつものように父のところに行った。
父の具合はよくはなかったが私は今日この日に父が亡くなるとは思っていなかった。
この日は午後2時に母と父の病室を訪ねた。妹と姪も来た。
彼女たちは私以上に今日亡くなるなんて思っていなかっただろうと思う。
だから虫の知らせだったと言えばそうなのかもしれない。

父は一変していた。
酸素吸入は鼻腔カニューレから酸素マスクに変わっていた。
ギャッジアップされているベッドに苦しそうに横たわっていたが、おむつをしていてズボンを履いておらず布団もかけていない。
少しシーツも汚れていたので(前の晩下痢で大変だったらしい)着るものがないのかと思ってすぐに確認したがまだ着るものはあった。
普段ならばそんな姿を見せるのは嫌がるであろう父だがもはや姿格好なんて気にするふうもない。
女ばかり4人いたので病室に入ってきた看護師さんが気を使ったのか布団をかけようとしたがやはり剥いでしまう。
看護師さんの話だと熱がっているのだと言う。若干熱があるようだ。汗を拭いてあげた。
父はもうほとんど目を開けることも出来ない。時々顔をしかめる。
それでもまだ話しかける声は聞こえていて返事くらいは出来た。
「苦しいの?痛いの?」と私が訊くと、「両方」と答えた。

ベッドサイドモニタのアラームがなった。
ベテラン看護師さんが時々来てくれていたが、アラームが鳴っても誰も飛んではこなかった。
アラームはエラーぽかった。
妹が「さっきからアラームがずっと鳴っているんですけれど」とナースステーションに声をかける。
父が動いた拍子に何か接続が外れたらしかった。

「昨日の夕方あたりからかなり具合が悪くなってきたのですが、まだ大丈夫そうだったので特に連絡などはしませんでした」と看護師さん。
まだもう少しこの状態が続くと思ったのか、おむつを業者から購入するための契約書に署名するように求められ記入した。

私がちょうど席を外していた時に父がコーラを飲みたいと言ったらしく、妹と姪が売店でコカ・コーラを買ってきた。
しかし看護師さんからストップがかかる。「血糖値を測っているので先生に訊いてみてからではないと」ということだった。
さすがにこの日の父は食事は摂れてないらしかった。
看護師さんがおやつの果物を「食べる?」と聞いても首を横に振る父。
でも「食べましょうね」と半ば強引に口に押し込む。なんとか食べている父。
おやつのゼリーやアイスもあって、時々食べさせていた。
「おいしい水があるので飲ませてあげてください」と看護師さんが言うのでどんな美味しい水があるのかと思えばスポーツドリンクだった。
汲みに行ってストローで飲ませた。

父は相変わらず苦しそうでじりじりと重い時間が過ぎていく。
私は父の左手をずっと握っていた。
横に母が座っていた。
下顎呼吸が始まり意識も低下してきた。もう声も出ない父。
でも一度だけ顔を横に向けて母のほうを見て目を開けた。片目がやっと開くような感じではあったが確かに母の顔を見て目を開けていた。
母が「見える?」と訊いたが返事はなかった。
それが最後の意思表示だった。

またアラームが鳴り出す。
経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)、呼吸数ともにかなり落ちてきている。
口からたらりと一筋の液体がこぼれる。
看護師さんが来て吸入をしてくれる。
やがて呼吸が停止した。まだ心臓は動いている状態。
私達はただ心臓が止まるのを待つしかないのだ。

モニタを見ていた看護師が心停止を告げ、すぐに医師がやってきて臨終を告げた。午後4時46分だった。
午後2時くらいに病院にお見舞いに来て、2時間46分父を看取るという形になった。


「アイスがいいならコーラも飲んでもよかったんじゃない?」と後になって姪が言っていたけれど、コーラは結局飲めずじまいだった。
火葬の前の棺の中に紙コップに少しだけコーラを注いで入れて上げた。


世界が終わる時、あなたが食べたいものは何ですか?
あなたがこの世を旅立つ時、手にしていたい物はなんですか?
重力崩壊と究極の愛がずしりと響く。





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# by yumimi61 | 2017-04-09 17:41
2017年 04月 07日
父の病㉙
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日) 死亡



緩和ケア病棟に転院させたい私と、転院は無理だと思うと譲らなかった地域連携課担当者。
1月26日の夕方に私と地域連携課の担当者が行った面談は平行線のままだった。
刻々と時間だけが過ぎて行った。
「ではとりあえずお父さんと話をしてみましょうか」
担当者はそう言い、私達は父の病室へと向かった。

「お話を聞きたいので少しお時間よろしいですか」と担当者が声を掛けると、父は起き上がった。
「ここでは何なので別のお部屋にしましょう。車椅子を持ってきましょうね」と担当者は部屋を出ていく。
父はベッドを降りて歩いて行こうとするので私は「車椅子を持ってきてくれるって」と言うと、「トイレ」という返事。
父は病室内にあるトイレに一人で歩いて行き用を足した。

その後車椅子に乗って別室へ。3者面談が始まった。
3者面談と言っても私と担当者はここに来るまでに散々話をしたわけで、この時間は担当者が父に質問をするという形で進められた。
私はなるべく口を挟まないようにした。

「私は専門家ではないので詳しいことはよく分からないけれども」
父はそう言って質問に答えていった。

私がよく覚えているのは次の2点。

「緩和ケア病棟をどうして知っていましたか?」という質問だった。
私は「緩和ケア病棟」という言葉は一度も使わずに、がんの苦痛を取り除いてくれる病棟などと父に転院の説明をしていた。
面談についての口裏合わせや指図なども一切していない。
「どうしてって・・それはA病院にもB病院にも案内やバンプレットに書いてあったからね」
「それを見たんですか?」
「そうです」
父は知っていたのだ。


「あとどれくらい生きられると思っていますか?」
なんと残酷な質問であろう。
がんを宣告された時に父は医師に余命を訊いた。でも医師はそれを数字で表すことはなかった。
医師が答えられなかった質問を患者本人にぶつける。
「まあ自分の希望としてはあと4~5年生きられればいいなあと思っているけど。まあ無理だろと思う。どうですかねえ?」
私はちょっと泣きそうになった。
「そうですね~希望としては4~5年と言わずずっと生きられればいいですよねぇ」担当者が答えた。


父の回答は何も問題なかった。私が一番最初に問診票に書いたことと何ら相違はない。
少なくとも私はそう感じた。
担当者も否定する要素はなかったと見られ、「じゃあとりあえずB病院の手続きを進めましょうか。それでいいですか?」と言って話をまとめた。
私達は「はい」と頷いた。こうして面談は終わった。

担当者はバツが悪かったのか、それとも私に対する何らかの批判や疑いが込められていたのか、私と2人になった時に「今朝とは全然様子が違っていました」と言った。


1月27日(金)
この日も私は父の病室を訪ねた。
どころがベッドはもぬけの殻。
父とその隣のベッド(いつも奥さんが付き添っていた方)2つとも誰もおらず未使用仕様になっていた。
(そう言えば隣の人は転院するって言ってたなぁ。転院は今日だったのかぁ)、昨日夕方にはその方もまだいたのでぼんやりとそう思った。
でも父はどこへ?どこへと言ったって病室を変わった以外には考えられないけれども。
私はナースステーションに行って名前を告げ病室を尋ねた。
「ちょっと待ってください。確認してみます」と看護師さん。
「ここですね」
ナースステーションのすぐ前の個室を案内された。
ナースステーション前の個室ということは容態が悪化したということだろうか、私がすぐさまそう思った。
ナースステーション前の個室は差額ベッドの個室とは訳が違う。
通常、頻繁に観察や処置の必要がある重症患者が入るところである。


父はベッドサイドモニタを付けてギャッジアップしたベッドで横になっていた。
動けるような状態の患者が入るところではないせいか、個室であるがトイレは設置されていない。
ベッドのそばにポータブルトイレが置いてあった。
「苦しいの?」と訊くと父は頷いた。

しばらくすると部屋にリハビリスタッフの若い女性が訪ねてきた。
「今日はリハビリは無理そうですね。お休みしましょう」
「そうだね」
「また良くなったらしましょうね」

「この人が凄く良くしてくれるんだ」と父が言った。
「いえいえ」みたいな感じで微笑むスタッフ。
「また頼むね」

私はある出来事を思い出していた。
あれは肺炎で入院した時だったろうか、退院間近の父の病室にリハビリスタッフがやってきた。やはり若い女性だった。
父はリハビリの誘いを無下に断っていた。
2人のやりとりを聞いているとその日の午前中にも誘いにきたらしい。その時にも父は断り午後に再び誘いにきたようだった。しかし父は「リハビリはやらないって言っただろう」と邪険に突き放した。
私はその父の態度にむっとして、すぐにその場で「そういう言い方しなくてもいいんじゃない」と父を諌め、私はそのスタッフに謝った。
「いいんですよ。また来てみますね」と戻っていった。
「どうしてあんなふうに言うの?私だって医療従事者なのに。あの人は若い頃の私かもしれないんだよ」
私は父に言った。
言って気が付いた。ベッドサイドに行って声を掛け邪険にされる、その若い女性にかつての自分を投影していたのだ。
「リハビリはお金取るんだから」、父はそんなふうに力ない反論をしたように思う。

父はその時のことを覚えていたのだろうか。
だから優しく「この人が凄く良くしてくれるんだ」と言ったのだろうか。
それともそんなことはもう全く覚えていなかったのか。

そしてもうひとつ気付いたことがあった。
父は肺炎が良くなっても慢性呼吸不全の患者である。在宅酸素療法をしている患者である。
長時間酸素を吸わなかったり動いたりすれば苦しくなってしまうのだ。
病院に入院しているということで私はそのことをすっかり忘れていた。
酸素吸入をしない状態でのリハビリは苦しかったのかもしれない。
下手に苦しいなんて言えば退院が延びると思っていたのかもしれない。

昨日(26日)3者面談した時にも酸素吸入のことを忘れていた。
面談途中で地域連携課の担当者が「ああそうだ忘れてた、酸素吸入しましょうね。携帯用ボンベを持ってきます」と気が付いたのだった。
車椅子に座っていた父は病院の携帯用ボンベから鼻腔カニューレで酸素を吸入しながら質問に答えた。
病院のベッドでは酸素吸入可能で、在宅酸素療法で使用している外出用の酸素ボンベも「持ち帰ってください」と言われる。
病院に入院するということは具合が悪いわけで、ベッドを長時間離れることをあまり想定していない。
そのせいで携帯酸素ボンベのことが頭からすっかり飛んでしまうのだった。


病室が変わっていたのを知ったのは27日の午前中のことで、私は一旦実家に帰り、午後に再び母と出直した。
私はまた地域連携課の担当者と面談する予定が入っていたので、「ちょっと話をしてくるね」と母を父の病室に残して病室を出ようとした時、「〇〇〇も大変だね」と父が母に話しかけている声が聞こえてきた。


地域連携課の担当者は父がナースステーション前の個室に移ったことをすでに知っていた。
「昨日のお話で分かったかと思いますがあれではやはり難しいと思います」と担当者は話を切り出した。
え?
昨日のお話で分かった・・?いやいやいや分からない、どういうこと?
「4~5年生きられるとか言ってたでしょう、そういう感じではやっぱりねぇ」
え?
希望でしょ、希望を口にしたらいけないのか。本人だって「無理だと思う」と言っていたのに。
もっと言えば、余命の質問にも昨日の問いかけにも、専門家は誰も数字を提示しなかったのだから、どう考えたって勝手だと思うのだけれど。
私は担当者の予想外の言葉に正直驚いていた。
昨日の話の最後の「じゃあとりあえずB病院の手続きを進めましょうか。それでいいですか?」という言葉は社交辞令だったのだろうか?
だけどもう反論する気力は失せていた。
どうしても緩和ケア病棟には向かわせたくないらしい、そのことはよく分かった。

「あれから私、B病院の一般病床にあたってみたんですよ。知り合いがいるので。それで一般病床に入院させてもらえることになりました。もともと呼吸科にかかっていて、先生(ドクター)も知っているわけだし」
それはそうなのだが・・。
「その一般病床から緩和ケア病棟を目指してもいいですし、疼痛コントロールも同じ病院だから緩和ケアの先生と連絡を取ってやりやすいと思うんですよね」
緩和ケア病棟を目指すとはどういうことだろうか。これも言葉の綾だろうか。
一般病床(急性期病床)での入院は1~2週間が目途である。
余命をそれ以下と見越してのことなのか、だったら同じ一般病床に転院させる必要があるのだろうか。このままここにいたって同じではないのか。
「1~2週間でまた次のところを探さなければならないということにはならないでしょうか?」
私は質問してみた。
「いやそれはないです」
「長くいられるということですか?」
「そうです」
俄かには信じ難い返事であった。

若い人の突然死だってあるくらいだから、高齢な末期がんの患者であればいつ容態が悪化しても不思議はない。
不思議はないが、26日夕方から27日の変化は唐突で予想外のものであった。
入院後に父の状態は少し回復して、ベッドに座り、病室内のトイレに行くくらいには動けていて、かつての元気さこそはなかったが隣の人と多少会話し、毎日リハビリも行っていた。
もともと柔らかいご飯を好まない人でもあったが、「普通のご飯に変えてもらったよ」と私に報告したりもした。
がんと診断されてから食欲はガクンと落ちたが、それでも何かしら食べるようにしていた。
私も実家に行く時は大きなプリンとか美味しいカステラを買っていったりした。
茶碗にご飯よりはおにぎりのほうが食べやすいというので(しかもコンビニおにぎりの明太子指定)、なるべく父の希望に沿うようにもした。
元々蓄えもあったせいか目に見えて痩せるということはなかった。それは入院してからも同じだった。
緩和ケア病棟は、突然の変化、それに追いつかなかったり心変わりしてしまう家族の気持ちを恐れているということなのか。
もはや入院先があるというだけでもよしとしなければならないのであろうと思い、私は「お願いします」と言った。










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# by yumimi61 | 2017-04-07 12:27
2017年 04月 05日
外来種
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2017年4月4日、うららかな春の日差しに呼ばれて玄関を開けた。

Hello.I'm a red-eared sliders.

前にいたのは小さくて大きなお客様。

君はどこから来たの?どうしてここに?

しゃがんで顔を覗き込むと赤と黄色のラインが見えた。

アカミミガメだ。日本ではもっぱらミドリガメと呼ばれているあのカメである。

むかし縁日の屋台で見かけたあの小さなカメが小さなままではなく大きくなることを私は結構前から知っていたけれども。


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日本においてアカミミガメ(ミドリガメ)は厄介者扱いされているカメである。
日本生態学会が「日本の侵略的外来種ワースト100」に指定している。
2005年、環境省が「要注意外来生物」に指定。
(この時はポピュラーなカメで飼育数が多いことなどから特定外来生物の指定は見送った)

2015年、環境省及び農林水産省で作成した「生態系被害防止外来種リスト」において、「緊急対策外来種」となった。
そして2020年を目処に特定外来生物に指定される予定である。
特定外来生物に指定されると、「外来生物法」により輸入・販売・飼育などに規制がかかることになる。

植物や動物については、自国の生態系を維持するため、自国の在来種を守るためという理由で、保護主義や自国第一主義がまかり通る。
(だけど本当は、F1、遺伝子組み換え、ミックス、品種改良、そういうことは喜んで当たり前のようにやっているのに在来種を守ると言ってもあまり説得力はない)

貿易やグローバル化の結果として外来種というものが入ってくるわけだが、自由貿易やグローバル化に反して締め出したり廃絶が促される種がある。
それらの多くは大抵、生命力・適応力・繁殖力の強いものである。

生体系を維持し動植物が絶滅しないためには多様性は大事である。
ではグローバル化は多様性に沿うのか?
5つ物があった所に外国から5つ物が入ってきた。全部で10である。この時点では多様性は拡大した。
しかしながら外国から入ってきた1つがとても強く、他を駆逐する勢いで勢力を広げ、やがて天下を取った。
5あったものが10になったまでは良かったが、その後結局1になってしまえば、多様性どころではない。
侵略的外来種とはそういうことである。これを心配して外来種規制を行うわけである。
生命力・適応力・繁殖力の強い動植物に悪意はないだろうに。それを愛している人もいるだろうに。
でも選別される。平等ではない。
では人間はどうなのか?
ダブルスタンダードではないのか?


ここ数年道端でオレンジ色のポピーのようなケシのような可憐な花を見かけるようになったということはないだろうか。
ナガミヒナゲシというお花である。雑草と言う人もいる。外来種である。
危険外来植物だから即刻駆除せよと言う人もいる。
(モネの絵にも似たような花が咲いているのに)
(日本にだって竹とかドクダミとか繁殖力の半端ない植物があるのに)
(雑草は押し並べて繁殖力が強い)(ホトケノザで桃色になっている畑は遠目には結構きれい)
ともかくナガミヒナゲシはあちこちで咲いていて、うちにも種が飛んできたらしく2年位前から咲くようになった。
今年は凄い芽が出ている(繁殖力は確かに凄い)。もうだいぶ育ってきている。
それで私はここ数日悩んでいた。
咲かせたいのはやまやまだがやっぱり嫌がられるかもしれない。花が咲く前に全部引っこ抜くべきなのか。そこそこ抜くべきなのか。
そんなところにカメの訪問を受けたのだった。

ねえどう思う?





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# by yumimi61 | 2017-04-05 09:44
2017年 04月 04日
臓器移植について
雪崩に巻き込まれ犠牲となった生徒の母親が角膜(眼球)提供を決断して提供したという報道があった。
提供した生徒が意思表示していたのか(意思表示記録の有無、記録はないが家族に話していたなど)、それはよく分からない。
本人の意思表示がなくても提供できるものなの?という声が聞かれたので臓器移植についても触れておきたい。

かつては本人の意思が無ければ出来なかったが、2010年に臓器移植法が改正され、本人の意思が不明の場合(本人が嫌だと思っていてもその意思表示がなされていない場合)にも家族(全員の総意)の書面承諾があれば臓器提供できるようになった。

臓器提供をしても良いと意思表示できる年齢に上限はない。高齢になってからでも意思表示は可能である。(実際に全ての人が提供可能かは別問題)

年齢の下限は15歳。
但し臓器提供拒否の意思表示が本人によってなされておらず、家族が承諾した場合には15歳未満でも提供が可能となる。
提供したくない(提供拒否)の意思表示は年齢に限らず誰でも出来る。

現在では提供したいという意思も提供したくないという意思もインターネットで登録可能。
パソコン http://www2.jotnw.or.jp
スマートフォン http://www2.jotnw.or.jp/sp

本人によって拒否の意思表示が登録されている場合には例え家族が希望しても出来ない。
したいという個の意思表示も、したくないという個の意思表示も、どちらも尊重されなければならないということである。
したい方だけを取り上げて美談に祀り上げてはいけない。

現実的には臓器移植や脳死判定はなかなか難しいということを前にも書いたことがある。
病者や死者への思いや尊厳、宗教観なども関係してくるので画一的な結論には至りにくい。
科学的・機械的に脳死や死を見つめれば、もはや何も出来ない・・・そう長くない間にどうせ燃やされて灰になってしまうのだから・・・そう思っても不思議はないが、人の心はそう簡単に割り切れなかったりもする。
移植は時間との戦いでもある。
個の意思表示が無い場合には、せっかくだから提供したいという家族の思いも、まだそんな気持ちにはなれないという家族の思いも、どちらもが汲まれなければなれないと思う。
どちらが良くてどちらが悪いということではない。


例えば角膜(眼球)摘出は、死後6時間以内が理想とされている。
10時間以内でも可能であるが、当然短時間で移植されたほうが成功率は高い。
新鮮であることがやはり重要になってくる。
今回の雪崩による犠牲のケースだと、雪崩が発生して救助隊が現場に到着するまでに3時間という時間を要している。
そこから掘り出して下山させ医師が診察なり死亡確認するまでの時間もさらに必要である。
病気で長く入院していたような場合ならば家族もそれなりに心積もりがあるが、体力のある若者がある日突然亡くなってしまう。
家族に連絡がいって、家族が現場なり病院に駆けつけて、それを確認する。
そして死を現実のこととして受け止めるまでに相当な時間がかかっても不思議はない。
死を受け止め、移植の意思を病院や医師に告げるなりアイバンクに連絡するなりする。
摘出はどこでも行えるが、それでもここまでの過程を6時間あるいは10時間以内にこなすということはかなり大変なことだと思う。
今回特異的だったのは山岳部であったということ。
一般的な若者やその家族よりも多少死が身近にあったと言えよう。(それでももちろん個人差はあると思う)

また今回のようなケースは雪の中に埋まっていた時間や気温によって死後も比較的鮮度が保たれたということも考えられる。

雪崩の場合には窒息死や圧死が多い。
しかし雪に埋まった場合には、低体温の状態になっているがまだ死んではいないという場合もある。


「死亡」実は「生存」
北海道 雪中、脈・呼吸なく硬直 厳寒、判断基準にズレ?

 北海道北見市の北見消防署の救急隊員らに、「死亡」と判断された北見市内の女性(27)が生きていたことが二十日、分かった。女性は同市内の病院に入院、意識はない状態が続いている。雪崩の下敷きになるなどして低体温の状態に置かれた場合、人体の活動レベルが低下して「仮死状態」になることがある。専門家は「現場で的確な判断ができるよう、救急隊員のレベルアップが急務」と指摘、同消防署も「今後は判断基準を厳しくする必要がある」としている。
 北見消防署などによると、二十日午前十時二十分ごろ、北見市豊地の無加川にある豊地大橋堤防の水門近くで、女性が雪をかぶって倒れているのを通行人が発見、一一〇番通報した。
 北見署から連絡を受けた同消防署の救急隊員三人が現場に急行。女性を調べたところ、脈拍や呼吸がないようにみえたことや、死亡をうかがわせる体の硬直があったことから「死亡」と判断し、女性は北見署に移された。
 ところが警察での検視の際、医師が鼻に糸くずを近づけたところ、かすかに糸くずが動いたため呼吸している可能性が浮上。女性は救急車で北見市内の病院に搬送され、生存が確認された。救急車内でも意識はなかったが、心電図には反応があり、蘇生(そせい)措置が施された。
 遺書が見つかったことなどから、北見署は自殺未遂とみている。
 札幌管区気象台によると、女性が発見された当時の北見市の気温は氷点下二・五度で、積雪は六十六センチだった。
 救急隊員らは、総務省消防庁が全国の消防署に通達している救急業務実施基準に従って「死亡」と判断したという。
 基準では「隊員は、傷病者が明らかに死亡している場合や医師が死亡していると診断した場合は(病院に)搬送しない」と規定。「明らかに死亡」と判断するには、呼吸が感じられない▽瞳孔の散大があり、対光反射がない▽体温が感じられず、冷感が認められる▽頸(けい)動脈で脈拍が感知できない−など六項目のすべてに該当している必要があるという。同消防署の新井山勉署長(57)は産経新聞の取材に対して、「現場が屋外で氷点下という状態を考えると、低体温の仮死状態もあり得た。寒い地方なので今後は死後硬直がみられる場合でも、どこまで硬直が進んでいるかなど厳しくチェックする」と話した。
     ◇
 ◆仮死状態なら同様ケース起こり得る
 専門家によると、「死亡」と判断された救急患者が、実は「生存」していたと確認されたケースは極めて珍しい。しかし仮死状態の場合、消防レベルでの「死亡」判断は難しく、専門家は「今後も同様のケースが起こり得る」と指摘する。
 低体温症は中心体温(直腸体温)が三五度以下になる状態。雪山や海などで全身が低温にさらされ、体温を維持する生理機能に障害が起きることで発症する。
 日本救急医学会理事長を務めた杉本侃(つよし)大阪大名誉教授(救急医学)は「低体温症で生きているときには、呼吸は一分間に数回、脈拍も三、四十回となる。手で触れても脈がわからないかもしれない」と説明。
 中心体温が三二度以下になると震えが消え、筋肉の硬直が現れる。二八度以下の「重症」になると、意識や脈拍がなくなり、呼吸も半分以下に減るなどの「仮死状態」となるケースもある。このため、「死亡」判断は困難になるという。
 杉本氏は「救急救命士が病院などの現場で訓練するなどレベルアップを図る必要がある。ただそれは国の救急医療システムの問題で、システムを変えていく必要があるだろう」と話している。

(産経新聞) - 2月21日2時56分更新


<女性蘇生>遺体安置室で生存判明 女性は意識不明の重体

 20日午前10時すぎ、北海道北見市豊地の無加川の堤防で、女性(27)が倒れているのが見つかった。駆けつけた北見消防署の救急隊員は死亡と判断したが、発見から約1時間半後に道警北見署の遺体安置室で生きていることが判明、病院へ搬送された。女性は意識不明の重体という。
 北見署や北見消防署によると、発見現場では警察官が立ち会い、救急隊員が女性を調べた。救急隊員は意識、脈、瞳孔反応がなく、死後硬直が始まっているとして、同10時28分に「死亡」と判断。その後、北見署員が同署の車で女性を署内の遺体安置室へ搬送した。
 ところが、署員が検視のため服を脱がせて胸に手と耳を当てたところ、11時40分すぎに心臓の鼓動を確認、生きていることが分かった。北見市内にある女性の自宅には遺書があり、同署は自殺未遂とみている。
 札幌管区気象台によると、寒波の影響で20日の北見地方は最低気温が氷点下5.8度で、発見された午前10時も氷点下2.5度だった。同署などは、気温が低く、一時的に仮死状態になった可能性もあるとしている。
 新井山勉・北見消防署長は「救急隊員は現場で正当な手続きを踏み、死亡との判断に問題はないと思うが、寒冷地の状況を踏まえ、より厳密な死亡確認方法を考えなければならない」と話している。【丸山博、井上英介】

 ▽林成之・日本大総合科学研究所教授(救急学)の話 体温が32度以下になると、生きているのに心拍が弱まって脈が触れず、鼓動が聞こえなくなることがある。私自身、救急隊が死亡と判断した低体温症の患者を回復させた経験がある。患者が低体温の場合は、生命反応がなくとも病院に運び、蘇生のための医療行為を続けないといけない。
(毎日新聞) - 2月20日23時0分更新


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「死亡」と判断の女性回復 医師の呼び掛けに応じる
【2005年2月23日】

 北海道北見市で20日、救急隊員により「死亡」と判断された後に、北見署の遺体安置所で意識不明の状態だったことが判明した同市内の女性(27)が、自発呼吸をするなど容体が回復しつつあることが22日、分かった。

 女性が入院している北見市内の病院によると、22日午前、女性は医師の呼び掛けに応じるなど、生命に危険な状態を脱した。女性は人工呼吸器を外され、自発呼吸するようになった。

 女性は20日午前10時20分ごろ、北見市豊地の川の堤防付近で雪をかぶって倒れているのを通行人に発見された。駆け付けた北見消防署の救急隊員が現場で、脈拍がないことや体の硬直度などから死亡と判断、北見署の安置所に運んだ。約1時間後、医師の診断で生きていることが分かった。

 低体温の状態になると、仮死状態になることがあるという。当時の気温は氷点下約2度だった。北見署は、女性が自殺を図ったとみている。

記事:共同通信社 提供:共同通信社






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# by yumimi61 | 2017-04-04 13:48
2017年 04月 03日
山岳競技について(続き)
少し前にテレビでスポーツ選手がインタビューに答えていた。
どんな大会の何のスポーツの選手だったか全く覚えていないが若い女性だったと記憶している。
その選手が「皆さんを感動させられるように精一杯頑張ります」と言うような感じで答えていた。
今のスポーツ選手は勝利や記録更新のために行っているのではなく、人々を感動させるために行っているのか、と私は少々驚いてしまった。
感動なんて偶然の産物であって、最初から選手が感動させるために競技していると知れば却って萎える気がするが、昨今は見る側もそうではないということだろうか。


そもそもスポーツって見てもらうことを前提に始まったわけではないと思う。
大前提にあるのは「楽しい」や「面白い」という気持ち。何かが出来るようになったり目標を達成しての「達成感」や「快感」。集団スポーツには集団スポーツならではの面白さや達成感がある(大変さもあり)。健康維持に行う人もいる。
自分自身が感動したり競技仲間と感動を共有することはあるが、見ている者を感動させてやるなんて思って行わない。
ところが最近は見せることを意識し、見ている人に感動してもらうことに意義を感じているようだ。
感動してもらうとは言わなくても良い成績で人々に喜んでもらうことに意義があるように思っているのでは。
プロスポーツとの関連でそうならざるを得ないのか。
日の丸を背負う試合が好きな日本人は特にその傾向が強いように思うがそうでもないのだろうか。
見てもらうこと前提の幼稚園・保育園・小学校の運動会にはその傾向が持ち込まれているような気がする。
兎にも角にもスポーツも承認欲求を満たす手段になっている面がある。

見せる(魅せる)ことを意識して行うのは興行である。
プロレスや相撲は興行である。
お金を取って見せるために行う興行は、舞台に台本があるのと同じで、ある意味シナリオ(八百長)があっても仕方がない。

登山は相手との勝敗を競う競技として始まった活動ではないところにもってきて、基本他者が見学できるスポーツ(競技)ではない。
他者が見ていないので感動させるも何もない。感動は自分の中にある。完全なる自己満足の世界。
孤独で閉鎖的で自己完結的でもある。
だから成果をやたら外に向かって発表したくなる人がいるのかもしれないが、他者が見ていないのだからまごまごすれば嘘がまかり通ってしまう。
行動も誠実さも全てが自身との戦いである。
そうした登山本来の特徴を考えると他者の存在がある合同登山、ややもするとパーティーすら微妙であるように思う。


単独登山かパーティー登山か。
アンザイレン(危険を伴う岩壁・氷面・雪面などで相互安全確保のために2人以上をザイルを結んで登降する)をすべきかどうか。
確保の態勢を取るタイプでもあっても滑落を止めるのは大変なことだろうから、一斉に登降している場合にはザイルを結んでいても止めることは不可能と思っていいのではないだろうか。1人滑落すれば道連れである。
アイザイレンをしていてアクシデントが起こった際には他の者が生きるためにザイルを切断する(アクシデントを起こした者を落とす)という判断を迫られることもある。
どちらにしても1人で済むことが済まなくなる。
それを望むのかそうでないかは外野が口出しすることではなくそれぞれが決めることだろうけれども、複数人いるとどうしたって気を使う(忖度する!)ということが出てくる。
自分の命や行動に自分自身で責任が持てない人は危険な山に登るべきではないと私は思う。
不思議なことだけれど、結構誰もが自分がアクシデントを起こす側だとは思っていなかったりする。
万一の時には道連れにされる側、ザイルを切る側だと思っている。
若いうちは死が身近でないのと同じようなことなのだろうか。


ヨーロッパの山やスキー場では雪崩れ注意の旗や看板が出る。
危険度に応じて黄色い旗、黄色と黒のチェックの旗、黒い旗。
そうしたところでも人の手が入っていない雪面(オフピステ)は非常に危険と言われている。

雪崩対策には、ビーコン、スコップ、ゾンデ棒!?
今回も雪崩対策にビーコンという話が聞こえてきたが、これを持っているかといって雪崩が発生しないわけではない。雪崩が避けられるようになるわけでもない。ビーコンは魔法の杖ではない。
無いよりは有るほうが良いくらいなもので、救出を保証するわけでもない。使い方を知らないのでは話にもならない。
即死してしまえば、何を使っても、使い方が素晴らしくてもダメだろう。まだ生きている人がいてこそ救出が可能。
入出力の指向性や複数の発信音(別のビーコンの電波が入り込む)などに惑わされることなく、精神的な動揺や混乱に負けずにビーコンを使いこなし、ここだ!というポイントを定めてゾンデ棒で確定する。(言うほど簡単ではないので練習が必要)
二次雪崩に十分注意しながら、雪崩のあとの重く締まった雪に耐えられる強度のあるスコップで掘り出す。
雪崩に埋没してから15分程度で急速に生存率が下がる(呼吸空間が確保できたかが生存率に大きく影響する)ので、それ以内に行わなければならない。



【大田原高校山岳の活動実績】(ホームページより)

・大会
県大会 インターハイ予選会(第1位のみインターハイ出場) 8連覇中
      関東大会予選会(第6位まで関東大会出場) 3連覇中
      新人大会(上位大会なし) 3連覇中 
上位大会 インターハイ(全国高校登山大会) 8年連続インターハイ出場
           平成20年(埼玉)  5位
           平成22年(鹿児島) 6位
           平成26年(神奈川) 7位   と全国でも活躍しています。
       関東大会(関東高校登山大会) 7年連続出場
           関東大会は、各都県代表チームとの合同登山を行う大会で順位付けはありません。

・夏山合宿
    平成27年 白馬岳(2932m)第26位  富士山(3776m)日本一
    平成26年 槍ヶ岳(3180m)第5位  北穂高岳(3106m)第9位 富士山(3776m)日本一
    平成25年 北岳(3193m)第2位   間ノ岳(3190m)第3位   富士山(3776m)日本一
    平成24年 奥穂高岳(3190m)第3位 富士山(3776m)日本一
   毎年、夏には、日本を代表する山々を舞台に、魅力ある山行を行っています。

・冬合宿
  毎年12月の下旬に日光白根山を目指して、2泊3日で冬山合宿を行っています。
  氷点下20度になることもある厳しい環境の中で(雪上にテントを張ります)、なかなか体験することができない素晴らしいひとときを過ごします。

・その他、春山(県内)、秋山(県内)も実施しています。



大田原高校は冬山合宿も行っている。
冬山はインターハイには直接関係ないだろう。
広島の先生が「他のスポーツ競技であれば合宿や遠征は大会で好成績を収めるための手段であろうが,登山の場合は,たとえば夏の日本アルプス登山のように,合宿・遠征それ自体が目的となっている」と書いていたが、それ自体が目的の合宿を大田原高校も行っていた。
大会で好成績を収めることと、登山そのものと、両方に足を突っ込んでいたような形になる。
夏山合宿では標高順位が記されている。これだけでも目指すべき登山の嗜好が分かる。
今回の件は、大会で好成績を収めることと登山そのものと、その両者の隙間に落ちてしまったような遭難であるという印象を持つ。
但し亡くなった生徒さんの保護者の方の反応を見ていると、登山が自己責任であるということ十分理解しているような感じがあった。
高体連が主催しているインターハイでの競技中に遭難したとかだったら問題あるだろうし、責任の所在を明らかにする必要があるだろうけれども、登山が目的の合宿であるならば例え部活動中といえど自己責任と言われても仕方ない。
高校生の部活動加入や合宿参加は強制ではないはずである。


かつてはマイナースポーツだった登山が、山ガールブームや中高年の登山人気を経て、今やメジャーになりつつある。
インターネットで社会全体が大きく変わったが日本の登山ブームに一役買っているのが山レコというサイト

ヤマレコは、登山、ハイキングなど、山に関わる全ての方を対象にしたコミュニティサイト です。 写真、GPSログと同期したルート図、標高グラフなどを投稿できる登山の計画や 山行記録(登山記録)を中心に、日記や掲示板などの機能も豊富に揃っています。

他人の旅行記(旅行話)ほど興味を持てずつまらないものはないが、これから自分が行く場所の参考にしようと思えば他人の旅行記ほど役に立つものはない。自分が行ったことのある場所を後から見るのも比較や共感などできるためにそれなりに楽しめる。
このような心理を付いたサイトが山レコだと思う。便利で登山という同じ趣味を持つ人には有益なものであろう。
私も御嶽山の噴火の時には、噴火に遭遇した人の山レコを探した。(記事にリンクしたような気もするが定かではない)
山レコもSNSと同様に弊害もある。基本にあるのは承認欲求だと思う。

佐倉葉ウェブ文化研究室
 自己顕示欲充足システムに飲み込まれる登山者と事故の危険性
 ~インターネットの普及による山行への影響について『ヤマレコ』を事例にして~


 アウトドアレジャーのうち”登山”は油断すると事故に繋がるし最悪”死ぬ”。だから、事前の計画、装備、技術、経験が問われる事になる。

 今回取り上げるのは、”登山”と”ウェブ上の活動”が組み合わさった場合にどうなるかということである。 インターネット時代における登山の問題としてよく挙げられるのは”即席パーティによる遭難”である。 ウェブ上で一緒に山を登る人を募集すると見ず知らずの人達による即席パーティになる。 即席パーティの為、参加者同士の意思疎通がうまく行かなかったり、お互いの実力が判らないまま登山を行うことにより、お互いに足を引っ張ってしまい、事故や遭難に繋がっていくという問題である。 これはこれで問題なわけだがここでは取り上げない。

 ハイカーに”目立ちたい””同情してほしい”という気持ちがあって、ウェブ上の活動でそれを満たそうとする場合、どういう行為に繋がっていくのか。 そしてその行為はやがて事故に繋がっていくのではないか。それがこの文の内容であり、 舞台はウェブ登山界の中で圧倒的な存在感をみせる登山SNS『ヤマレコ』である。


・拍手目的の山行記録
・ユーザーの遭難死

yucon氏(パーキンソン病を患っていると自身で語っていた)
 yucon氏は鈴鹿山脈をよく歩いているハイカーであり、2011年7月3日から山行記録を書いている『ヤマレコ』ユーザーである。 氏は道迷いや滑落を起こしている、危なっかしいハイカーであった。

 2012年07月16日、yucon氏は御池岳山頂からT字尾根(バリエーションハイキングのコース)を道中で出会ったR氏と一緒に進む。やがて道に迷い、予定していなかった谷に降りてしまった。 一日ビバークをしたものの登り返し、再び御池岳山頂に戻ることに成功。しかしながら再びT字尾根を進み再び道迷い。前日と同じ谷に降りてしまう。しかもR氏と逸れてしまった。 T字尾根に登り返すことや谷を下る事を試みるも失敗し谷で数日過ごす。22日、捜索しにきた人(この人もヤマレコユーザー)に発見された。

遭難記を書いたことで『ヤマレコ』内の有名人となり、狭い世界の中の話ではあるが脚光を浴びる存在になったのである。 それを裏付ける数字として山行記録の拍手数が遭難以降上昇している。また、山行記録につけている写真数が遭難以降上昇しており、 山行記録を書くモチベーションが上がったと考えられる(*3B)。 彼は遭難後もバリエーションコースをよく歩いており、しかも夏の低山。さらに時々、道を間違えている。遭難後は以前にも増して危ないハイキングを行っていた。
2013年11月23日、yucon氏はまず銚子ヶ口に登り、そこからを御在所岳へ向う途中で遭難(山と高原地図では赤点線コース)。 27日に救助される。しかし28日、搬送先の病院で死亡した。


uedayasuji氏
uedayasuji氏は八ヶ岳や北アルプスをよく歩いているハイカーであり、2012年12月22日から山行記録を書いている『ヤマレコ』ユーザーである。 氏は『ヤマレコ』内で活発に活動しており、『ヤマレコ』にはまっていたと考えられる。山行記録における氏のコメント数は6000を超える。

uedayasuji氏はナイトハイクが多い(これは仕事の関係上致し方ないところもあると見受けられる)。また、雪渓歩きをして雪渓の下に落ちる、物をロストするなど危険な山行をしていた。 さらに、鐘楼をピッケルで叩いたり鳥居に蹴りをいれたりして、それを山行記録に書くという事も行っていた。 しかし、こういう事に対し、ネット上で他のヤマレコユーザーから注意される事は殆ど無かった。 逆に「生還できてすごいですね!」「すごい運ですね!」「すごい体力ですね!」みたいなコメントばかりであった。 唯一、一人だけコメントで忠告し続けた人(元ヤマレコユーザー)がいたが、その忠告も途中で無くなった。

2015年3月28日、彼は赤岳を真教寺尾根から登る。 前日にナイトハイクで牛首山まで行き、ここで幕営。この時点で標準コースタイムの2倍の時間がかかっていた。 深夜は雪が降り積もり、そのまま赤岳まで行っても下山予定の13時には間に合わないことから、下山した。 4月11日、再び真教寺尾根へ。滑落し死亡した。








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# by yumimi61 | 2017-04-03 15:35
2017年 04月 03日
山岳競技について
山岳部の雪崩事故が依然話題に上るので山岳競技について少々書いておこうかと思う。

死亡者を8人出した栃木県立大田原高校は全国高校総体(インターハイ)県予選会で9連覇中の強豪校であったとも報じられていた。
事故の遠因はこの辺りにあるのではないかと当初からなんとなく感じているが、あまりうっかりしたことも言えない。
山岳競技というのはその捉え方が多様であるため非常に難しい。評価価値基準は一様ではない。
従って部活動として他校と競うには難しいスポーツでもある。

山の近くに住む人々が日常的に、あるいは趣味の一環として山に登ることを別にすれば、山登りというのは歴史的にお金持ちの道楽の1つであった。
高く険しい山ほど人を選ぶ、宇宙旅行するのと同じように(?)、お金持ちでなければ出来なかったのだ。
現地までの旅費やら装備やら現地ガイドを頼む費用やら何かとお金がかかるものである。


ともかく大田原高校の山岳部が強豪ということなので、「がくらん」というサイトをあたってみた。

がくらんより
学力成績は点数化がしやすい側面があるので、学生生活はそれによって評価されがちです。
もちろん、学業に打ち込むことは、将来の可能性を広げたり、考える力の基礎を養うためにとても大切なことです。
だけれど、学校生活は必ずしも学力やテストの点数だけではありませんよね。
がくらんでは、部活動の強さを客観的に数値化して、使える情報としてまとめることを1つの目的としています。

『サッカー部ってどこが強いっけ?』『がくらんで見てみよう』
そんな会話が日常になるように、情報をまとめられるサイトを目指していきます。
今まであまり知られていなかったけれど実績のあるような部活も、存在感を示すことができるはずです。


このサイトに部活動ランキングというものがある。

部活動のランキングは、入力フォームから得られた大会名と結果から計算されます。
過去3年のデータ(今年、去年、おととし)がランキングの点数として反映されます。
ランキングはリアルタイムで更新されます。
つまり、がくらんは全国のユーザーの入力によってランキングが上下推移する、相互作用型の情報サイトです。


要するに在校生なり保護者なり教師なり学校関係者が大会記録をその都度自分で入力しないかぎりランキングには反映されない。自己申告制なのである。
部活動数としては多いだろうと予想される野球部でも全国で39校しかランキングに参加していない状況である。サッカー部では18校。
もっとも大会で好成績を収めなければ入力したくとも入力することがないので、入力できる学校は必然と限られてくる。
しかし自己申告制なので強豪校でもサイトの存在自体を誰も知らないこともあるだろうし、知っていても興味関心もないという学校もあるだろう。
ともかくサイトとしては成功している感じは全くない。

部活ごとのランキングで山岳部を調べて見る。
現時点でランキングに参加している学校は3校のみ。
1 位 / 3校中 広島県 修道高等学校 山岳部 男子 200,000 point
     2015年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ) 団体戦 優勝(200,000ポイント)
2 位 / 3校中 栃木県 栃木県立栃木高等学校 山岳部 男子 2,400 point
     2016年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ) 都道府県大会 団体戦 3位(2,400ポイント)
3 位 / 3校中 兵庫県 須磨学園高等学校 山岳部 男子 600 point
    2016年12月 都道府県大会 学校対抗得点 6LQZqAc9BOvS wgQmaLPvtshI 14位(600ポイント)

試しにキャッシュでも見てみた。いつのキャッシュなのかこちらには19校参加している。
大田原高校も含まれていて7位である。大田原高校は総体県大会で連覇中ということなのでポイントにはなるはずだが、現時点ではランキングに参加していないので入力する人がいなくなったということであろう。
このように同じ学校でも年が変わればランキング熱も変わるということである。

1 位 / 19校中 長崎県 長崎県立長崎北陽台高等学校 山岳部 男子 200,000 point
1 位 / 19校中 広島県 修道高等学校 山岳部 男子 200,000 point
2 位 / 19校中 岩手県 岩手高等学校 山岳部 男子 176,000 point
3 位 / 19校中 千葉県 千葉県立千葉東高等学校 山岳部 男子 160,000 point
4 位 / 19校中 広島県 広島学院高等学校 山岳部 男子 144,000 point
5 位 / 19校中 静岡県 静岡県立藤枝東高等学校 山岳部 男子 128,000 point
6 位 / 19校中 山梨県 山梨県立韮崎高等学校 山岳部 男子 116,000 point
7 位 / 19校中 栃木県 栃木県立大田原高等学校 山岳部 男子 104,000 point
7 位 / 19校中 愛媛県 愛媛県立松山南高等学校 山岳部 男子 104,000 point
8 位 / 19校中 福島県 福島県立橘高等学校 山岳部 男子 80,000 point
8 位 / 19校中 山口県 山口県立下松工業高等学校 山岳部 男子 80,000 point
9 位 / 19校中 高知県 土佐高等学校 山岳部 男子 64,000 point
10 位 / 19校中 神奈川県 神奈川県立麻溝台高等学校 山岳部 男子 56,000 point
11 位 / 19校中 群馬県 新島学園高等学校 山岳部 男子 48,000 point
12 位 / 19校中 福岡県 福岡県立修猷館高等学校 山岳部 男子 40,000 point
13 位 / 19校中 三重県 三重県立神戸高等学校 山岳部 男子 36,000 point
14 位 / 19校中 長野県 長野県屋代高等学校 山岳部 男子 32,000 point
15 位 / 19校中 栃木県 栃木県立栃木高等学校 山岳部 男子 2,400 point
16 位 / 19校中 兵庫県 須磨学園高等学校 山岳部 男子 600 point


日本における全国レベルの山岳競技として挙げられるのは、国民体育大会(国体)と全国高等学校総合体育大会(インターハイ)である。

国体の前身は1924年から太平洋戦争中の1943年まで行なわれていた明治神宮競技大会。
国民体育大会と名を変えて復活したのは終戦の翌年1946年(国体としては第1回)。
第1回から山岳部門はあったが当初は講演会などを行っているのみであった。
1959年(東京にて国体開催)に日本山岳協会が設立されスポーツ登山として見直しが図られ、1971年(和歌山にて国体開催)からは名称が山岳競技と改称された。
1980年(栃木にて国体開催)から山岳競技が正式競技となった。
国体には少年の部があり、中学3年生以上から出場可能である。
一般的には高校生が出場することから、全国高校選抜大会、全国高校総体(インターハイ)、国体・少年種別の3大会を制すると「高校3冠」と言われる。
(競技によっては3大会実施していないものもあり)

全国高等学校総合体育大会(インターハイ)では当初は山岳部を有する高校が合同で登山をするような形をとっていた。
1967年の大会から順位は付けないが優秀校を10校ほど選ぶ方式を採用。
1994年の大会からは順位を付ける方式に変更した。
但し高校によってはインターハイ出場を目標にはしておらず高体連に登録していない山岳部もある。
全国高等学校総合体育大会(インターハイ)は高体連が主催。
要するに個々あるいは集団のスキルが高くてもインターハイには出場しない学校もある。



国体では、縦走競技、登はん競技、踏査競技の3種類の種目があった。
縦走競技や登はん競技は正直若さが必要である(そう言ったらオリエンテーリングもか)。
●縦走競技―山岳マラソンとも言われる。約7kmの山岳コースを、荷物を背負い一気に駆け上がる所要時間を競う。持久力を必要とする過酷な競技である。
●登はん競技―スポーツクライミングとも言われる。人工壁の競技場において規定の用具を使用してクライミングし、時間内にその到達高度を競う。
●踏査競技―山岳オリエンテーリングとも言われる。山岳地帯の競技コースにおいて、荷物を背負い、記入した定点の位置の正確さと所要時間を競う。

インターハイの競技は国体のそれとは全く違う。いわゆる採点競技である。
審査員が登山に同行していろいろなことを採点していくのである。
2泊3日で何時間も歩く。

採点内容
 ・事前準備(登山計画、ルート調査、食事メニュー)
 ・パーティーの統制や歩行技術
 ・装備品
 ・テント設営や撤収技術や整理整頓
 ・体力
 ・炊事
 ・天気図作成と気象予測
 ・読図
 ・登山全般に関するペーパーテスト
などなど

何をどう採点されているかは分かるような分からないような。
地元山岳会の人が審査員だったりするので、顧問が山岳会会員だったりすると対策もしやすいだろうけれども単なる山好きの場合には高得点は難しいかもしれない。
全国大会はこの方式で行われているが都道府県予選では踏査(オリエンテーリング)を取り入れている所もある。

日本が国体やインターハイで行っていた山岳競技というのは国際基準ではなく、日本独自の競技と言っても良い。
日本型の山岳競技はかなり手間暇がかかる。
また山岳競技と言っても、普段から登山をする人ではなく大会用に訓練された陸上競技の選手などが出場することもあった。
国際的に山岳競技と言えば、人工壁でのクライミングである。
そうしたこともあって、国体では2002年大会で踏査が、2008年大会には縦走が廃止され、現在国体の山岳競技はクライミング(リード、ボルダリング)に特化している。
従って尚の事インターハイの山岳競技は浮いてしまった形になった。


実際に高校の部活動で登山指導を行っている先生が書いた文章が参考になる。(一部抜粋、ラインは私が引きました)

http://www.geocities.jp/hiroshima_kokotozan/files/sidou.doc
『登山部指導と登山競技』
(第52回広島県高等学校運動部活動研究大会(平成26年11月21日(金)みよし公園カルチャーセンター)発表レポート) 登山専門部 安芸高校 西部伸也

1 登山競技とは
根本的な問題として,「登山は競技なのか」という疑問がある。登山が体育的な活動であり,軽重はあるものの相当の体力を要する活動であることには疑問はない。したがって登山部・山岳部・ワンダーフォーゲル部・等(以下,登山部で代表)が運動部・体育系クラブに属し,登山専門部が高等学校体育連盟に所属するのも不思議ではない。
ところが登山は他のスポーツとは異なり,相手との勝敗を競う競技として始まった活動ではない。
もちろん登山の歴史においては,未踏峰の初登頂を競ったということはあるし,時期も含めてより困難なルートの登攀に成功することで,優れた登山者としての名誉を得ようとしたことはよくあった。しかしながらそれらの活動は冒険家とも言える一部の先鋭的な登山者に限られた話で,一般の登山者は,より困難な登山への挑戦という意識はある程度普遍的ではあるにしても,他者と競うことを念頭に登山活動をするということはあまりない。
さらに,スポーツが競技となるためには一定のルールが整備され,異なった場所・時においても同様な活動を行いうるゲーム・試合とならなければならないであろうが,登山においては長らくそのようなルールの制定・標準化というものはなかった。


3 インターハイ登山大会における登山競技
 一方,学校体育のクラブ活動では,登山部も各都道府県で高等学校体育連盟の一専門部として組織されるようになり,各校の登山部が集う大会が運営されるようになった
。登山の大会は最初は単に各校が集まって合同で普通の登山を行うものであったが,学校のクラブ活動として生徒たちを指導する目標ともなるべく,より熟達した登山ができるパーティーを表彰しようという機運が生まれたものと思われる。
(略)
それではインターハイの登山大会ではどのような観点で競技が行われるのか。
インターハイ登山大会は国体山岳競技とは異なり,学校のクラブ活動の中で登山を指導しているのだということが大いに意識されている。
登山部の活動は,安全に留意しながら,いかに充実した登山活動が行えるかということが第一義であって,競技に勝つことが第一義ではない。もちろん充実した登山活動を行っていれば競技においても優秀な成績を収める可能性は高く,競技において優秀な成績を収めることができれば,充実した登山活動を行う素地が大いにあるといった相関はある。
インターハイの登山大会では,かつての国体山岳競技のように,登山活動の中の一部を抽出して競技化するのではなく,日頃の登山活動の充実と競技での優秀な成績との相関が高められることを意図して競技化が図られていると言ってよい。
高体連登山専門部の中では「安全登山の推進」ということがよく口にされるが,これは「充実した登山活動の推進」と言い換えてもよいだろう。より充実した登山を求めてより高度な登山に挑戦する中でこそ安全ということに価値があるのであって,平易な登山の中で安全といってもあまり意味がない。したがって全国登山大会における『審査基準』・審査細則は,登山の基礎を身につけることはもちろん,充実した登山活動の推進を念頭に制定されていると考えてよかろう。
登山の審査は100点満点方式で,体力30点・歩行技術10点・装備所持10点・設営技術10点・炊事技術5点・天気図作成5点・気象知識テスト2点・読図4点・自然観察(山域概要・登山用語・地形図知識)テスト4点・救急法テスト2点・医薬品所持3点・計画書作成6点・記録書記入4点・マナー5点の配分となっている。スポーツ活動であるから体力点の比重は高くなっているが,それだけではなく,登山に関連する技術や知識,登山に必要な装備・医薬品の適正な所持,なども審査対象となっている。(ただしこの審査基準は,インターハイ登山大会の経費削減と(国体と同様の)競技性の向上が全国高体連より求められる中で,インターハイ登山大会に従来の隊行動や班行動と異なるチーム行動が大幅に取り入れられることとなり,審査基準・配点の変更も現在検討されているところである。)


4 競技のみには収斂されない高校登山部活動
このようにして,元々競技とは異質のものであった登山が,学校体育のクラブ活動としての指導の過程で競技化されるようになったのであるが,それでは学校体育においては登山がすっかり競技に移行してしまったかというと,それは否である。
このことは各校の登山部が各都道府県の高体連登山専門部に加盟しているかどうか,また各校の登山部員が競技をする際に必要な日本山岳協会への選手登録を行っているかどうかに見ることができる。
広島県の場合は各校の登山部の高体連への加盟率は比較的高い方であるが,それでも10年ほど前の五日市高校や本年度の安芸府中高校などのように,登山部として一定の活動を行いながら高体連には加盟しない学校が皆無ではない。
さらに,東京都や神奈川県など大都市圏の都道府県にあってはかなりの数の学校が登山部はありながら高体連には加盟していないと聞く。
また,加盟校の各部員の選手登録率についていえば,広島県の場合は227人の登録で,登録率は92%であるが,例えば加盟校数が広島県の3倍ないし2倍近くあり,部員数も広島県よりかなり多いと思われる埼玉県や群馬県の登録数はそれぞれ25人,20人と少なく,登録率はかなり低いと思われる。
これらのことは登山の活動が決して競技のみには収斂されないことを示している。
選手登録をしない部員,高体連に加盟しない学校にあってはもちろん,登録部員や加盟校の間でも,競技に出場して良い成績を収めることにはあまり主眼を置かず,通常の登山活動に目的を置く傾向があったりするのは否めない。
他のスポーツ競技であれば合宿や遠征は大会で好成績を収めるための手段であろうが,登山の場合は,たとえば夏の日本アルプス登山のように,合宿・遠征それ自体が目的となっている。
登山にはまた,様々なジャンルがあり,岩登り,沢登り,雪山,さらにはバックカントリースキーという分野もある。これらの登山形態は高校生としては一歩進んだ登山であり,ある程度の危険性も増すため,これらの登山形態で競技が行われるということは通常ない。
高校生がそれらの登山形態を実践するときは,それらの登山自体が目的となっている。それらの登山で得られる充実感・満足感が最終目的である。高校生としてどれだけ困難な登山ができるかという観点で他校と競う面が全くないわけではないが,敢えて競い闘うというなら,むしろそれは厳しい姿も見せる自然の世界との闘い,困難に負けそうになる自分自身との闘いということになろう。



山岳競技は難しいと書いてきたが登山自体その位置づけが難しい。
広島の先生が書いている通り、登山は他のスポーツとは異なり相手との勝敗を競う競技として始まった活動ではない。道楽、趣味、レクリエーションである。
登山が道楽、趣味、レクリエーションならば仕事でも職業でもないはずである。もちろんどこかの代表選手でもない。国旗も校旗も背負っていない。好きだから行うのだし自己責任で行うものである。
広島の先生はこう続けている。
もちろん登山の歴史においては,未踏峰の初登頂を競ったということはあるし,時期も含めてより困難なルートの登攀に成功することで,優れた登山者としての名誉を得ようとしたことはよくあった。しかしながらそれらの活動は冒険家とも言える一部の先鋭的な登山者に限られた話で・・・
未踏峰の初登頂や困難なルートを競う一部の登山家(冒険家)も職業ではない。プロ登山家なんて別にないのだ。
自然の前ではみな素人である(な~んて)。
一部の先鋭的な登山も歴史的にはお金持ちが金に物を言わせて栄光や名誉を得るための手段である。
頂上に札束が金銀財宝が置かれているわけではないのだから出費しかない。
ではお金がない人は高みを目指すことは出来ないのか?貯めれば出来る!
あとは節約が大事ですね。パーティーを組むことも節約の1つになる。
成功の暁には本を執筆するとか写真集出すとか、教室などを開いて指導者になるとかガイドになるとか、名声によって儲ける方法はあるかもしれない。
そして何より寄付やスポンサーが大事になります。
どこの世界もスポンサー様さま。
高校の部活動だって強くなればスポーツメーカーからこれを着てくださいだの使ってくださいだの無料で持って来るわけで。芸能人にもそういうことはありますね。
極めるとどうしても商業臭くなってしまうもの。しかしながら極めればそれで食べていくことも可能となる。
登山や登山家として世間一般に注目されるのは(大手メディアが大々的に扱うのは)、一部の先鋭的な登山や登山家である。
そんなわけで、お金持ちの道楽や商業にまみれて行われる登山が目指すべき登山だと勘違いしやすい傾向にある。







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# by yumimi61 | 2017-04-03 11:57
2017年 04月 02日
父の病㉘
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日) 死亡


地域連携課の担当者は、1月24日(火)の面談の時にはそういう素振りはなかったが、1月26日(木)になると緩和病棟への転院に急に難色を示した。
前にも書いた通り、地域連携課の担当者は26日の朝に父のもとに行ったということだった。
父はその場で転院をしないとかなんとか言ったらしかった。

担当者は施設を勧めてきた。
「実はがん患者も受け入れている施設に1つ空きがあるとの情報をもらったのでちょうどよいと思って。月夜野病院の施設です」
私は、「父は施設に入れるような状態ではないと思うし、父の介護度は要支援1なので施設に入れる資格はないかもしれません」と答えた。


担当者からは施設の詳細の説明も介護度についての回答もなかった。
月夜野病院の施設については家に戻ってから調べてみたが、住宅型有料老人ホームだった。
病院に併設(病院の3階)されているが、病院とは全く異なる施設。医療スタッフも介護スタッフもいないタイプの施設である。
通院するにはとても近いというメリットはあるが、間違っても入院ではない。


私は月夜野病院が施設展開をしているということを知らなかったので、「ほたか病院のような感じでしょうか?」と聞いてみたかしてほたか病院の話題が出たのだった。
父は以前より施設入居については希望していないので説得することは難しいだろうと思うということも付け加えた。
その時、地域連携課の担当者がふとこんなことを漏らした。
「確かにほたか病院の施設は本人が嫌だとはっきりと言っていました」

私はここで思ったのだった。
施設入居についてすでに父と会話している・・・。ということは今朝(26日)の出来事だろうか?
そうだとするならば26日に初めて父を訪問して、転院が嫌だと言ったから即座に代案を提示したのか、いきなりかどうか、二人の会話を聞いていたわけではないので分からないが、施設入居を打診したということになる。
もしそうならば父が気分を害したり、話が違うではないかと訳が分からなくなってしまったとしても不思議はない。
「とにかく話は娘が来てから」と父が言ったのは、父がいないところで施設入居の話が進んでいると思ったからではないのか。

父はどこそこの誰誰さんがあの施設に入っているとか、ショートステイやデイサービスを利用しているとかいう情報は持っていた。
「ほたか病院の施設は誰誰さんが入っている所だ」なんて話を私も聞いたことがある。
しかしながら、それぞれの施設について父がどう思っていたのかは知らない。個別な評価は別に聞いたことが無い。
基本的に父は施設入居自体に積極的ではなかった。

ほたか病院というのは医療法人社団ほたか会が経営している病院。
老人保健施設やケアハウス、サビース付き高齢者向け住宅などの施設運営のほか、通所リハビリ、訪問看護、介護支援事業も展開している。
医療法人社団ほたか会はPAZグループの1つで、他に株式会社ヴィラージュ(介護付き有料老人ホーム経営など)、学校法人群馬パース学園(群馬パース大学経営など)、株式会社サフラン(群馬パース大学の子会社)、社会福祉法人パースの森(特別養護老人ホーム運営など)がある。











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# by yumimi61 | 2017-04-02 17:04
2017年 03月 31日
父の病㉗
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日) 死亡

1月26日(木)
急ぎの話は、「かなり温度差がある」ということだった。
この日の朝に父に話を聞くために訪ねたところ、「転院なんか知らない。家に帰る」というようなことを父が言ったらしいのだ。
その言い方が荒かったのか無下だったのか、ともかく父は「話は娘が来てから」と全く取り合わなかったらしい。
緩和ケア病棟は家族ではなく本人が何もかも納得の上で強く希望していないと入れないそうで、「あれでは緩和ケア病棟に受け入れてもらうことは無理です」ということだった。
でも私は24日に書いた質問の答えに嘘なんか書いたつもりは全くない。
とにかくもう一度お父さんと話をしてみてくださいとは言っていたが、緩和ケア病棟への転院はもはやないような雰囲気があった。
看護学校の講義の時間が迫っていたので、夕方もう一度面談をする約束をして別れた。

(略)

地域連携課の担当者と別れたその足で母と父の病室を訪ねた。
「お父さんっ転院しないで家に帰るって言ったでしょ」
私は家で父に話しかけるように遠慮なくそう言った。
「今朝来て急に言われたから、娘が来てからにしてくれって言ったんだよ」と父。
「あの人は転院の手続きをしてくれている人だから。入院した時に説明したじゃない、転院するんだよって。あの時苦しかったからよく覚えてないんでしょ。だけどここにずっといられるわけではないし、家に帰っても大変だと思うよ。入院する前の日の夜の事を考えたらそう思うでしょう?今は病院で面倒見てくれるから少し楽になったかもしれないけれどさぁ」
「人は、喉元過ぎれば熱さ忘れる、なんだなあ」
結局父はすぐに観念した。
「面会に行くよ、お母さんも連れて行くから。状態がよくなれば外泊もできるんだって」と教えてあげるとちょっと安心したみたいだった。
母が「みんな心配してよくしてくれるんだからあまり我儘言わないで言うことを聞いてくださいね」と「そうだね」と父はうんうんと頷いた。


1月26日(木)夕方
「かなり温度差があり、あれでは緩和ケア病棟に受け入れてもらうことは無理です」という言葉を残して看護学校の講義に出掛けて行った地域連携課の担当者(看護師資格を持つ相談員)と夕方再び会った。
まず私との2者面談を行った。
私は父と話をして転院することに対して了解を得たことを告げたが、相談員さんはもはや転院に積極的ではなかった。
完全に緩和ケア病棟への転院は無理と判断し諦めているような様子であった。
緩和ケア病棟は審査が厳しいので誰でも入れるわけではないというようなことを説明された。
本人が治療を望んでいる状態ではもちろんダメ。
病気の状態や現実を全てを理解し納得していること。迷いがある状態ではダメ。
死を受け入れて、死までを安らかに過ごしたいので「お願いします」というような気持ちや態度である必要がある。
それは家族ではなくあくまでも本人の意志でなければならない。
これだけを聞けば、父は緩和ケア病棟を希望する患者に相応しい優等生ではないと相談員さんに判断されたと理解するしかない。



肺がんであることと治療方法がないことを宣告されてからおよそ1年。
1年もの間、死が迫りくるというストレスの中に身を置いてきた。
年末には胸の痛みが出たり以前にも増して呼吸が苦しくなっていた。これもまたかなりのストレスとなる。
息苦しさと胸痛(肺疾患・心臓疾患)、強い痛みは死を彷彿させるもので患者の苦痛(ストレス)は相当高くなるものでもある。
父はまさにその状況にあった。
年齢的にも80歳を超えている。
この状態にあって鮮明な記憶を維持し、混乱を来たさないことを要求することはあまりに酷である。
命が危ないと感じている状況で本人が意識的にインプットできる情報なんて限られている。
状態の悪かった入院時、「転院するからね」という私の言葉を父が意識的にせよ無意識であったにせよ生命維持には重要ではないと判断したとしてもそれは仕方のないことだ。
痛みがあり呼吸が苦しくて命が危ないと感じている状況でテスト勉強をしてどれほど頭に入るかという話ですよ。100点満点取れると思いますか?


父は入院前から自身の混乱を「頭の中がぐちゃぐちゃになる」などと幾度が口にしたことがある。
何かを忘れてしまったことや勘違いなどがあり本人もそれを自覚していた。
短期記憶が怪しくなる時があるわけだから、認知症テストをすれば点はそれまでよりも低めに出るだろう。
実際父はがん発覚以降に行った介護認定更新時の認知症テストで要経過観察となった。
加齢による記憶力低下も当然あるだろうけれども、多くはストレスから来るものだろうと私は感じていた。

父は介護認定更新時の認知症テストを受けた頃に私に電話をかけてきたことがあった。
「認知症テストしたんだけど、ぼけちゃったらしい。家族と病院に来るように言われた」という内容だった。
その後、指定の日に父と病院へ行った。
病院に行って初めて分かったが、認知症テストは全く関係なかった。
父は耳の下のリンパ節に少し痛みがあり、かかりつけの病院の耳鼻科を自分で受診したのだった。
そこで検査して悪性腫瘍が疑われたため結果説明に家族と来るようにと言われたのである。
父はそのことを忘れていたり分からなかったわけではない。
ちゃんと指定された日時に、呼吸器科でも内科でもリハビリ科でもなく耳鼻科に私を連れて行った。
医師の話も理解していた。
何も知らなかったのは私である。父は私にリンパ節の痛みという不安を打ち明けず自分一人で受診し、来てほしいという電話の時にもバツが悪かったのか私に心配をかけまいと必死だったのか耳鼻科にかかったという話を一切持ち出さなかった。
父を怒る気にはなれなかった。

耳の下のリンパ節に若干異常があることはB病院で指摘されていた。
但しこれを問題にするレベルにはないということも言われた。
肺の腫瘍のほうが大きく、それを治療する手立てがない状況では、リンパ節に異常があったとしてもどうにもならない。
リンパ節に関してはそれ以上詳しい検査などはしなかった。
私はそのことをよく覚えていたので、父に「耳の下のリンパ節に少し異常があることはB病院で言われたよ。だけど問題にするものではないから」と説明した。
「そうか」と父はちょっと安堵した表情を見せた。
私は耳鼻科の医師にも、父は肺がんであり耳の下のリンパ節にも若干異常が認められることをB病院で指摘されていることを説明した。
「父もその場にいました。聞いたこと自体は忘れてしまったのかもしれませんが、聞いたからこそ無意識に耳の下が気になっていて痛みとして現れ、受診したのかもしれません」とも話した。
「そうでしたか、知っていたならば結構です。知らないのかと思いまして」と医師は答えた。


地域連携課の担当者は、1月24日(火)の面談の時にはそういう素振りはなかったが、1月26日(木)になると緩和病棟への転院に急に難色を示した。
前にも書いた通り、地域連携課の担当者は26日の朝に父のもとに行ったということだった。
父はその場で転院をしないとかなんとか言ったらしかった。
私は入院後父が若干元気を取り戻していたように感じていたので、「病院で安心して少し元気になったせいかもしれません」と言った。
担当者も「私が訪ねて行った時にもベッドに座っていたから驚きました」と言った。
もっと容態が悪いことを想像していたということだろう。
ベッドに座って口答えをするような患者は緩和ケア病棟には向かないということなのだろうか。
私は緩和ケア病棟という所に実際に行ったことがないので、いろいろと質問をしてみた。
その担当者は緩和ケア病棟で働いていたことがあるということだった。
緩和ケア病棟にもいろいろあるが、転院しようしている所(B病院)はとにかく審査が厳しいということだった。
26日には担当者はほぼ無理であるという判断をしていたのだが、それがB病院の反応からだったのか、それとも本当に26日朝の父の様子からなのか私は真意を計りかねていた。

「書類審査で断られました」という返事ならば了承するしかない。でもそういう言い方はされなかった。
だから私は「審査を通らなくてもいいので手続きを勧めてほしい」と訴えたが良い返事はもらえなかった。
中間管理職のような医療ソーシャルワーカーにあまり無理強いをしても申し訳ないと思い、「それならば外来(緩和ケア外来)を受診してみるというのはどうでしょうか?」とまでも言ってみた。
しかし何を言っても駄目だった。

担当者は話す。
「本来はD病院で受け入れるべきだと思うんですよ。私もD病院い聞いてみたんですけど断られました」
D病院には緩和ケア病棟はないが緩和ケアチームが作られているそうである。
私は担当者に一通りの経過を24日に嘘偽りなく話しているのだが、D病院の内科を受診したことは確認がとれなかったような口ぶりだった。整形にかかっているとかなんとか言われたとか。
「地域連携課の話ですけれども」と付け加えた。

そして担当者は施設を勧めてきた。
「実はがん患者も受け入れている施設に1つ空きがあるとの情報をもらったのでちょうどよいと思って。月夜野病院の施設です」
私は、「父は施設に入れるような状態ではないと思うし、父の介護度は要支援1なので施設に入れる資格はないかもしれません」と答えた。
すると「とりあえず病院で受け入れて状態が良くなったら施設に行けばいいんですから」ということだった。
たった今「病院」ではなくて、「施設」に空きがあるって紹介したじゃない!(なんてことは口には出していない)
病院が運営している施設で併設されているから医療も受けられて安心と勧められた。
月夜野病院は知っていたが、月夜野病院がどんな施設を有しているのか私はその時点では分からなかった。
担当者から施設の詳細の説明はなかった。介護度についても触れなかった。
状態が良くなったら施設に行けばいいということは介護度が高い人が行く施設ではなさそうだと判断した。


月夜野病院の施設については家に戻ってから調べてみた。
介護関係の施設を幾つか持っているが、担当者から得た情報から判断すると該当するのは1つ。有料老人ホームだった。
有料老人ホーム花水月は、月夜野病院の3階に開設された住宅型有料老人ホームです。全室個室で25室あります。病院と同一の建物と併設し、医療・介護と連携して最高の安心をご提供します。「花水月」は名前の通り、春は美しい花々に囲まれ、夏は谷川の清水に蛍が飛び交い、秋は月夜野の名月を望む自然豊かな環境の中にあります。このような恵まれた環境で入居の皆様と一緒にリラックスした楽しい毎日を作っていくように、職員一同頑張ります。どうぞ、よろしくお願い致します。
月夜野病院ホームページより>

施設詳細はこちら

入居者募集中とある。

住宅型有料老人ホーム
全室個室 25室
(14.3~15.41㎡)

月額利用料金
136,500円
+別途介護費用がかかります。

例外があるのか分からないが入居条件は「要介護の方」と記されている。父は該当しない。
受け入れ体制完備という欄には、経管栄養や点滴などの他にがんの終末期とも書いてあった。


(医療保険)
■一般病床 89.4万床
■医療型療養病床 27.1万床
■精神病床 33.6万床

(介護保険)
●介護療養病床(介護療養型医療施設) 6.1万床 ・・・廃止が決定してから5〜6万床減少した。
●特別養護老人ホーム 54.1万床
●介護老人保健施設 36.2万床

・有料老人ホーム
・軽費老人ホーム(ケアハウス)
・グループホーム
・サービス付き高齢者向け住宅 


前にも書いたことだが有料老人ホームには次の種類がある。

■「介護付有料老人ホーム」(特定施設入居者生活介護)
都道府県より特定施設入居者生活介護の指定を受けた有料老人ホームのみが「介護付有料老人ホーム」と名乗ることが出来る。
特定施設入居者生活介護の指定を受けていない有料老人ホームについては介護付と表示することはできない。
介護サービスは24時間施設常駐スタッフによって提供される。
食事や入浴や排泄など日常生活全般の介護サービス・生活サービスの提供を受けられる。
入居は要介護者を対象とした介護専用型と、要支援者や自立している人(認定を受けていない人)も受け入れる混合型がある。
経管栄養や気管切開といった医療ケア(医療行為)が必要な人でも入居できる施設が比較的多い。(しかしながら看護師が24時間常駐している施設はごく僅か)
部屋は個室、入居は終身が原則。
(以後略)

■住宅型有料老人ホーム
入居は終身が原則。
サービスは食事の提供と緊急時の対応くらいで、施設常駐の介護スタッフによる介護サービスは提供されない。
介護が必要な人は自宅の場合と同様に訪問介護などの介護サービスを受けることは可能。(=介護保険による在宅介護サービス)
入居一時金は0〜数千万と幅広い。月額費用は10〜30万程度。
常駐の介護スタッフがいないため介護度の重い人の場合には外部介護サービスを頻繁に利用することになり介護保険の上限額を超えやすい。
超えた分は全額自己負担となるので、介護度の高い人は費用が必要以上にかかってしまう可能性が高い。

■健康型有料老人ホーム
(略)

■特定有料老人ホーム
有料老人ホームのうち、次の条件を満たすもの。
1.医療法に規定する病院、老人福祉法に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム又は介護保険法に規定する介護老人保健施設に隣接した場所に設置されている。
2.定員が50人未満。
3.利用料が比較的低廉であり、かつ、入居者からは原則として利用料以外の金品を徴収しない。
これを満たせば独立行政法人福祉医療機構から融資の対象となるため、「介護付有料老人ホーム」(特定施設入居者生活介護)などに比べて利用料を安く設定でき、近くに病院や介護スタッフ・支援スタッフがいる施設があるということで住宅型有料老人ホームなどよりも安心感を売りにできる。
最近はこのタイプも多い。 



「新しい月夜野病院の建物の3階に併設 最高の安心と安全を提供します」と施設紹介ページには大きく書かれている。
しかしながら居室の種類は、介護付有料老人ホームでも特定優良老人ホームでもなく、住宅型有料老人ホームなのである。
医療スタッフどころか介護スタッフも常駐していないのが住宅型有料老人ホームである。
必要な人は在宅時と同様に外部の介護サービスを申し込んで受けるタイプの施設である。
但し月夜野病院は介護サービスを提供する施設やセンター(月夜野病院総合介護センター)を別に持っている。
介護保険あるいは実費で希望者はその月夜野病院が展開する外部介護サービスを受けられるということなのだ。
病院と同じ建物に併設してあっても、法的には全く別の施設である。
言い方は悪いかもしれないが、ちょっとした詐欺のような感じである。


みんなの介護 有料老人ホームの設立の条件とは?

有料老人ホームの中でも、住宅型有料老人ホームでは人員配置に関する基準は特にありません。これは比較的元気な高齢者を入居対象者として想定しているこ と、提供するサービスが利用者ニーズにより異なることなどから施設が提供するサービスに応じて必要なスタッフが配置されていればいいとされているからです。

一方で、介護保険における特定施設入居者生活介護の指定を受けている介護付き有料老人ホームでは、介護保険法に基づき職員配置に関しては最低基準が設定されています。下記の表にある通り、要介護・要支援2の高齢者3人に対して最低1名を配置することが求められています。老人ホームを探している際に、人員体制で 「3:1」と記載されているのはこのことを指し、入居者2名に対し1名の職員を配置している場合は「2:1」などと表記されているはずです。最低基準は 「3:1」ですから、この数字が手厚い介護体制が整っているかどうかなどを判断するひとつの基準となっているのです。

有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅を運営するにあたって、特別に必要となる資格はありません。強いて言えば、「法人であること」ということになるでしょう。








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# by yumimi61 | 2017-03-31 12:29
2017年 03月 30日
父の病㉖
前回、脳細胞(神経細胞)と脳細胞(神経細胞)を繋いでいる神経線維について触れた。
加齢によって脳細胞を減少するが、神経線維は増える。
神経線維が増えると、有機体のように多くの細胞を密に繋ぎ、互いに影響を及ぼし合うことが出来るようになる。
知恵を生み、臨機応変に物事に対応できるようになったり総合的な判断力に優れるようになる。
脳細胞の減少を補うことも可能である。

ネットワーク化が人間一人一人の生きる力になっていくことは間違いない。
但し視点を変えて社会や歴史という観点から見るとこれも諸刃の剣である。

インプットされなかった事柄については当然アウトプットも出来ません。
但しインプットは自身の体験でなくとも、書物やメディアや他人から得た情報を自身の体験としてインプットしてしまうこともあります。
例えば恐怖の体験をインプットしても、その時の空の様子はインプットしていない。(恐怖の体験は空の様子よりも個の生命維持に関係しているため記憶として勝る)
しかしながら後から得た情報をその時に自分が見た空と誤ってインプットしてしまうことがあるということになります。
あるいは別々の情報(記憶)を誤って繋げてアウトプットしているか。


ネットワーク化は事実や証言の妨げになることがある。
他から得た情報を悪意や悪気なく事実(この時のこの体験)と思い込んでしまうことがあるからだ。
また「この情報は今のこの体験に相応しい」と誤って繋げてしまうことがある。こうした際には、取り違え、読み違え、勘違い、誤認など判断ミスが起こる。
回線が込み合ってくると混線したり回線を間違うことがあるということ。
沢山回線があるのにいつも同じ回線しか使わないということもある。
太いよく使う回線が何時も「最適」とは限らない。
SNSのデマの拡散が度々問題視されるが、ああいう誤った情報がリンクされている状態は個人の脳の中でも起こっている。
それが個人の中だけに留まっているうちはまだよいが、外に発信され拡散されるような場合には、やはり社会や歴史に悪影響を及ぼしかねない。


「記憶にございません」「覚えていません」「忘れました」と覚えているのに嘘をつく人ももちろんいるだろう。
そういう嘘は許せないという気持ちは分かる。
しかし現実的な問題として人の記憶はそれほど万全なものではない。
詳細を記憶していて当然という前提のもと、記憶にないことを攻撃する社会はとても恐ろしいとも思う。
(記憶が万全ならば皆さんテストで100点取れるはずですよ)
明確に記憶を語るほうが実は嘘だったり誤りだったりすることもある。
(記憶になくてもとりあえず答案用紙を埋めることはできますよね?)
記憶にないことが病気とも言い切れない。
(失書でなくとも、薔薇という字が読めるが書けなかったりすることはありますよね?)


万全ではないところに持ってきて、腦に病変があれば記憶障害が起こることがある。
加齢による脳細胞の減少によっても記憶力は劣っていく。
神経線維の増加による混乱(混線)も無きにしも非ず。

病変や加齢とは関係なく起こるものにはストレス性記憶障害もある。
愛する者の死、虐待やドメスティックバイオレンス(DV)、事件や事故、災害など強く激しいショックやストレスを受けた場合に、記憶が欠落してしまうことがある。

思い出すことに精神的な葛藤があり、無意識に記憶をシャットアウトしている状態。
元々インプットしていない状態とは違う。
生命維持に強く関係することや激しい感情を伴った出来事で記憶はインプットされていて存在している。しかしそれを引き出してくることが出来ないので「記憶がない」ということになる。
防御反応の1種であるが、起こしやすい性格や環境があるとされている。
非陳述記憶(非宣言的、潜在的)が失われることは少ないので日常生活動作には支障がない。
また新しく記憶することにも問題がない。
記憶の欠落の仕方には幾種類かある。
  ・局在性健忘―限られた期間の出来事を一切思い出せない
  ・局在性選択的健忘―限られた期間の限られた出来事を思い出せない
  ・全般性健忘―これまでの人生の全ての記憶を失っている
  ・持続性健忘―ある時期以降の人生の記憶を失っている
  ・系統的健忘―特定の人物などある範疇に対する記憶だけを失っている
多いのは局在性健忘と局在性選択的健忘。
短期記憶障害に該当するものもあれば、長期記憶障害に該当するものもある。
(短期記憶にはインプットされたはずの最近の出来事が思い出せないと言う場合、自身の中で繰り返し思い出すということがないことや十分な睡眠をとれないなどの理由から側頭葉にコピーされず長期記憶に移行しないことが考えられる。長期記憶にコピーされない短期記憶は時期が来れば必然的に消えてしまう)

こうしたものの他に解離性同一性障害(多重人格)などもある。
これも大きく分ければストレス性記憶障害の範疇になるが、複数の人格が存在していて本来の自分以外の人格が現れている時の記憶は残っていない。


愛する者の死、虐待やドメスティックバイオレンス(DV)、事件や事故、災害など強く激しいショックやストレスを受けた場合に記憶が欠落してしまうことがある一方、記憶に振り回されてしまうこともある。
トラウマやフラッシュバック、心的外傷、PTSDなどといった言葉を聞いたことがあると思うが、これらは記憶に囚われ振り回されてしまっている状態である。
愛する者の死、虐待やドメスティックバイオレンス(DV)、事件や事故、災害などによって心が傷ついてしまったことを心的外傷という。
「外傷」というのは進行形で悪化していく病変とは違い、致命傷でなければ感染でも起きない限りだんだん悪くなっていくということは通常なく、次第に傷は癒えて回復するものである。
数字で表せば、外傷は10→1であるが、進行性の病気は1→10へと次第に進んでいく。

心的外傷の場合、特定の症状を呈し苦痛が持続することがある。
心的外傷を受けてから数日から1ヶ月ほど症状や苦痛が続けば急性ストレス障害と診断される。
若干回復に時間がかかってしまい短期的には重症だが予後は決して悪くない。自然治癒が望める。
1ヶ月以上続いていくようならば心的外傷後ストレス障害(PTSD)ということになる。
急性ストレス障害と心的外傷後ストレス障害(PTSD)の主な症状は次の通り。

・追体験(フラッシュバック)
 心的外傷の原因となった出来事を繰り返しはっきりと思い出したり、夢に見てうなされる。
・回避や麻痺
 心的外傷の原因となった出来事に関連する事柄を避けようとする傾向が顕著になる。
 感情が委縮し無表情になったり、希望や関心がなくなり意欲を失くす。
・覚醒
 神経が高ぶった状態が続き不安定で、不眠や不安などが強く現れる。

心的外傷は、普通の外傷と違って目に見えるものではない。
心的外傷には何らかの出来事に対する記憶が関係しているわけだが、記憶であるがゆえに必ずしも本人が体験したものとは限らないことに留意する必要がある。
3つの記憶パターン
 1.重大な出来事が記憶される。
 2.それほど重大でなかったが事後的に記憶が再構成される。 
 3.もともとなかった出来事が、あたかもあったかのように出来事の記憶となる。



PTSDを発症した人の半数以上がうつ病や不安障害などを合併している、
またしばしばアルコール依存症や薬物依存症といった嗜癖行動も抱えている。これは苦痛などからの回避行動、無自覚なまま施していた自己治療的な試みであると考えられている。
上記のような健忘が問題になることもあるが、忘れてしまうことも治癒に繋がる。
以前アメリカの医療ドラマ『ER』で医学生が精神分裂病(統合失調症)の患者に刺されるというシーンがあったということを書いたことがあるが、医学生はその後一時期薬物依存に陥ってしまうのである。


記憶というのは非常に厄介で映像や音声を記憶することもあれば、言語にして記憶することもある。
例えば、津波が押し寄せる映像を記憶する、逃げ惑う人々の姿と声を記憶する、2011年3月11日高い津波が襲ってきて私は津波に呑みこまれながらもなんとか助かったが非常に怖かったなどと言語的に記憶することもある。その他にも様々な記憶要素がある。
従って追体験(フラッシュバック)は、映像や音声や言語のみ、あるいはその複合とは限らず、怖かったという感情、冷たさ、痛さ、特有の匂いなどが無意識に突然襲ってくるというような場合もある。
また言語能力を有していない乳幼児などの場合には、出来事を言語化して記憶に残しておくことは出来ない。
他の記憶(映像や音声、感情や冷たさや痛さなど)も特に残らず出来事自体を記憶できなければそれで良いのだが、言語以外の記憶が残されている場合には追体験(フラッシュバック)に繋がることがある。
言語的記憶ではないので本人も「あの出来事の記憶」と意識できずに苦しむこともある。
また元が言語的記憶ではないことから言語を獲得してからも再構成が難しく、いつまでも鮮明な記憶として残りがちである。
原記憶よりも鮮明さは増す傾向が強いとも言われている。








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# by yumimi61 | 2017-03-30 11:58
2017年 03月 28日
父の病㉕
コンピューターの性能を決める3つの要素は、CPUとRAM(メモリ)とHDD(ハードディスク)。

・CPU(Central Processing Unit;中央処理装置)

・RAM(Random Access Memory)

・HDD(Hard Disk Drive)

分かりやすく例えれば、CPUは人間、RAM(メモリ)は机(作業スペース)、HDD(ハードディスク)は部屋(書斎)。


書斎には沢山の本やファイルが並び、沢山の引き出しがある。これがHDD(ハードディスク)。

必要なもの(ソフト)を書庫から取りだしてきて1つ調べては戻すを繰り返すと時間がかかるので、作業に必要な本なり物を作業スペースに集めて作業をする。
辞書と参考書と日記、音楽を聞いた方が捗るのでプレーヤーといった感じに。これを置いておく場所がRAM(メモリ)。
狭い場所でちまちまとこれでもないあれでもないとかやっていると作業効率は悪くなる。なんとなく心に余裕もなくなる。
RAMは大きいほど良く、また目いっぱい使わずに余裕を残して使っているほうが良い。
(実際のコンピューターのRAMは半導体、記憶用ICチップ。部品そのもので見た目自体は小さいものである)
使わなくなった辞書(ソフト)を片付けるとその分のスペース(容量)が空くように思うが完全には空かない。
そこに辞書(ソフト)を置いていたという記憶はすぐには完全にはなくならないということである。
「ここは辞書、あっそうかさっき片付けたんだっけ」などと混乱してくるというわけ。
よって長時間コンピューターを使っていると、次第にメモリの残り容量が少なくなっていき、やがてメモリ不足でコンピューターが不安定になるというようなことが起こる。
スペース(メモリ)が足りなくなり、書斎の本棚(ハードディスク)を行ったり来たりしている状態はスワップと言う。

しかしながら幾ら広い作業スペースに有効な物を整然と並べたところで人間が作業をしなければ結局作業は捗らない。人間の作業がCPU。頭の回転の速さなどと例えられることが多いが要するに処理能力のことである。
広い作業スペースがあって沢山の物を置けても、却って何をどう使ってよいのか迷ってしまって作業効率が悪くなるという人もいるだろう。CPUが低いということになる。


人間の指示に従って、有意な情報を抽出したり、目的に沿った加工をするのがコンピューターのCPU。
行われた作業(データ)もまずメモリに保存される。人間の海馬と同じである。
海馬は一時置き。最大最長でも1~2週間が限度。パソコンのメモリは電源を切れば全て消えてしまう。
人間が記憶を長期保存するには側頭葉に、コンピューターのデータを長期保存するにはハードディスク・SSD・CD・DVD・USBフラッシュメモリー・磁気テープなど外部記憶装置に保存しなければならない。



先日ソフトバンクショップに行った。
すると4~5歳の男の子がPepperと戯れていた。(お母さんらしき人と来ていてお母さんは手続き中)
Pepperとは「世界初の感情認識パーソナルロボット」として売り出されたソフトバンク提供のロボットである。
Pepperは喋れるけれども、胸の辺りにパソコンのディスプレイのようなものを付けているので、大人にはロボットというよりもパソコンのように見えてしまう。
ショップのPepperはそのディスプレイに4つくらいの選択肢を出していて、男の子は「年齢当て」をタッチしたようだった。
「私の手を握って目を見つめて下さい」とPepper。
へぇ~手を握ると年齢が分かるのかぁと私は興味津々その様子を眺めていた。
男の子はPepperの手をそっと握りちょこっと見て離した。
Pepperは少し考えて、「う~ん、ひょっとして見た目よりも・・」とか言っている。
見た目よりも? 言葉を続けるとすれば、見た目よりも若いか、見た目よりも年寄りということになりそうだ。
だけど男の子の場合、見た目よりも何もない。見た目も若い!
私は少し面白くなってきた。
さてPepperはどうする?
男の子は年齢当てには興味はないらしく手をもう一度握るとかそういう行動には出ない。
「ねえ歯磨きはできるんですか~?」
男の子は唐突にPepperに質問をぶつける。
Pepperはその質問をガン無視。
「う~ん、ごめんなさい、今日は調子が悪いみたい。また今度試してね」Pepperは年齢当てを強制終了。

男の子は今度は(たぶん)「手品」をタッチ。ディスプレイ上にはカードが並べられている。
男の子はもちろん手品にもカードにも興味はない。
「歯磨きは出来るんですかぁ?」
男の子の興味関心はただ一つ。Pepperが歯磨きできるかどうかである。
Pepperは身体全体白い。白く輝いている。しかし口の中が黒い。
男の子はこれを汚れや虫歯だと思っているのだろうか。
しかもPepperは口が小さい。あーんと大きな口を開けて歯磨きをしてもらうとか歯磨きをする雰囲気がまるでない。
これでは男の子の心配も分からなくはない。
彼はきっとお母さんに「歯磨きをしなさい」あるいは「甘い物を食べないように」と口酸っぱく躾けられている最中なのだろうと私は勝手に推測した。

男の子は再度「年齢当て」をタッチ。
「私の手を握って目を見つめてください」
男の子はもはや手を握らない。ちょっとイライラしたのか差し出されたPepperの手をパンパンとやや乱暴に叩いた。
そしてまた懲りずに尋ねる。「ねえ歯磨きはできるんですか?」
その質問には今度もガン無視だが、ところがなんとPepper、今度は年齢が分かったらしい。
ディスプレイにでかでかと4歳と映し出される。
おおー。私は思わず声を上げるところだった。
手を握らないで叩くと4歳なのだろうか?
しかし男の子は微塵も感動する様子はなく、Pepperに「ぴったり」とか「だいたい当たり」とか「もっと上」「もっと下」とかの情報を与えることもなかった。


Pepperの見た目はともかくとして、コンピューターと人間の記憶の仕組みは人工知能を待たずとも実はよく似ている。
では人工知能とは何かということを考える時に登場してくるのが神経線維である。
人間の脳細胞(神経細胞)と脳細胞(神経細胞)を繋いでいるのが神経線維と呼ばれるものである。
昨日書いた通り、人間の脳細胞は成人以降毎日死んでいき再生はしない(海馬だけは再生の可能性あり)。脳細胞の数は減っていく一方なので必然的に記憶できることは減っていくわけである。20歳頃を境にして記憶力は劣っていく一方。
ただ神経線維は逆であり増えていく。
神経線維が増えるということは、有機体のように多くの細胞を密に繋ぎ、互いに影響を及ぼし合うことが出来るようになるということである。
1つ1つの記憶(情報や体験)がネットワーク化され、情報の共有や交換、処理の分散などが可能になる。
臨機応変に物事に対応できるようになったり総合的な判断力に優れるようになる。
知識(記憶)と判断・思慮分別の卓越性を両極に持ち、それらが相補的関係にあるのが知恵である。
どんなに多くの記憶(体験や情報)を持っていても、それが生かされなければ宝の持ち腐れ。
記憶(細胞)を活かしていくのが神経線維というわけである。
また記憶(細胞)の減少をネットワークでカバーすることも可能である。
コンピューターはこの部分があまり得意ではなかった。
コンピューターが得意なのは数多くの中から命令されたものを探し出すことであったり、命令に対して画一的な答えを導くことであった。
それは感情や主観を排除し、とても正確で便利なものである。でもそれが最適とは限らない。
人間の神経線維の役割を持ち知恵のようなものが生み出されるコンピューターが人工知能として目指されてきた。





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# by yumimi61 | 2017-03-28 13:42
2017年 03月 27日
父の病㉓
少し間があいてしまうと、どこまで話したのか、どこまで聞いたのか、忘れてしまうことはよくありますね。
もっとも「聴いてない」「読んでいない」状態であれば、それは忘れたのではなくインプットされなかっただけのことです。

自分の体験した出来事や過去についての記憶が抜け落ちてしまうことを記憶障害と言います。
但し物忘れは普通によくあることなので、物忘れと記憶障害との境目は非常に難しくもあります。
また上に書いた通り、何かに接してもインプットされない(インプットが弱い)体験や情報などもあります。
全てが同じ強さや量でインプットされるわけではありません。
同じ場所にいても、同じ状況にあっても、見ているもの、聞いているもの、感じているものは、ひとそれぞれ違う。
同じ教室にいても、教師の話を聴いていない、教科書を読んでいない、違うことを考えていた、これでは授業の内容をインプット出来ない。
インプットされなかった事柄については当然アウトプットも出来ません。
但しインプットは自身の体験でなくとも、書物やメディアや他人から得た情報を自身の体験としてインプットしてしまうこともあります。
例えば恐怖の体験をインプットしても、その時の空の様子はインプットしていない。(恐怖の体験は空の様子よりも個の生命維持に関係しているため記憶として勝る)
しかしながら後から得た情報をその時に自分が見た空と誤ってインプットしてしまうことがあるということになります。
あるいは別々の情報(記憶)を誤って繋げてアウトプットしているか。


記憶障害は認知症の主たる症状の1つです。
「年寄りは過去に生きている」と言われることがあるのですが、まず短期記憶が失われるからです。

■短期記憶
短期記憶を司るのは脳の海馬と呼ばれる部分である。
一時的に保存するための記憶装置で、保存できる期間は最大最長で1~2週間と言われる。
インプットされた体験なり情報はまず海馬で一時的に記憶される。
あくまでも一時的な記憶であり時間の経過と共に失われるのが定め。
全ての記憶は海馬が取りこみ、一時的に保存し、記憶の重要性を判断する。
繰り返し入ってこない一度だけの体験や情報は重要ではないと海馬は判断し忘れてしまう。

認知症では海馬(短期記憶)が正常に機能せずに、海馬にすら記憶が格納されにくい状態となっているため、新しい事を覚える事がとても難しくなる。
また元々短い保存期間がさらに短くなっていく。数十秒とか。
これを短期記憶障害と言う。
認知症初期では比較的直近の記憶から失われていき、ついさっきの出来事が思い出せなくなり、次第にこれまでの記憶など思い出せない事柄が増えていく。
そのため認知症テストではこの短期記憶を中心に調べている。

■長期記憶
長期記憶を司るのは大脳新皮質の側頭葉という部分。
記憶容量が1000兆項目分ある(大容量)。記憶保存期間も長い。
海馬で重要な記憶と判断されたものはこちらに移されて長期記憶として残る。(睡眠中にコピーされる)
どんな記憶を重要と判断するかと言うと、生命維持に必要な記憶。
生命維持に必要な記憶とは繰り返される体験や情報である。
(天気予報が毎日繰り返されているからと言って10年前の今日の天気を覚えているということではない。晴れという状態がどういうものか、雨という状態がどういうものか分かっていて忘れないということである。今日の天気が分かるのは短期記憶となる)
また喜怒哀楽など強い感情を伴うほど海馬から側頭葉に移りやすい。

この領域に入った記憶は普段は忘れていてもきっかけなどがあれば記憶の底から引っ張り出すことが出来る。
健常者であれば基本的には死ぬまで持ち続ける記憶。
ここにあったのに、この記憶が抜け落ちてしまうことを長期記憶障害と言う。(例えば自分の名前を忘れるなど)

●陳述記憶(宣言的、顕在的、自伝的)・・・言葉に出来る記憶

・エピソード記憶障害
経験の記憶(エピソード)そのものを忘れてしまう障害。
本人は体験自体が記憶から抜け落ちているので体験していないと主張するため、周囲と話がかみ合わなくなり、人間関係が悪化することがある。

・意味記憶障害
学習から得た言葉の意味などを忘れてしまう障害。意思疎通が難しくなってくる。

●非陳述記憶(非宣言的、潜在的)・・・繰り返し練習によって体得した技術的な動作や経験則に基づいた潜在的な記憶など言葉に出来ない記憶。条件反射もこれにあたる。

・手続き記憶障害
身体で覚えたことを忘れてしまう障害。自転車や楽器の演奏など。
意識しないで出来るようになったはずなのに、いちいち考えないと出来なくなってしまう。
認知症の60~70%を占めるアルツハイマー病の最終段階ではこの記憶も失われるため日常生活の単純な作業も出来なくなる。(家事、歯磨き、衣服の着方など)
通常は身体で覚えたことは忘れにくいものである。
しかしながら逆に、身体で覚えたこと(例えば車の運転)が通用しなくなった(MT→ATなど)場合や、身体で覚えているのに外から「右に切って」などと声を掛けられると、咄嗟にどうすべきか訳が分からなくなり思わぬ弊害を生むこともある。
反対に身体で覚えていて意識していないと思っていても実は意識して行っていることもある。その意識が注意力散漫で外れたり、軸がずれているのに意識しないで身体の記憶だけで行ってしまうと間違いが起こることがある。(アクセルとブレーキの踏み間違えなど)

・条件付け障害
条件反射のような受動的な反応が起こらない、条件刺激に対して習得したはずの反応や回避反応が出なくなる。(例えば反射的に車のブレーキを踏む反応が遅くなる、反応しないなど)

・プライミング障害
チェックと言えばワンピース(バスでもいいけれども)、というような記憶がなくなる。

その他に局在病変による失行・失読・失書・視覚認知異常などが起こることがある。
失行や視覚認知異常はアルツハイマー病に多い。


人間の脳細胞は成人以降毎日死んでいく。脳細胞は再生はしない。つまり脳細胞の数は減っていく一方なのである。
認知症を引き起こす原因の60%以上を占めるアルツハイマー病では、脳細胞が減少し、海馬を中心に脳全体が萎縮するとされる。
再生しない脳細胞だが海馬だけは例外で適切な食事・運動・睡眠・生きがい・恋などがあれば再生増殖可能との報告もある。





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# by yumimi61 | 2017-03-27 20:13
2017年 03月 24日
チェック
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3月23日、英警察当局は、ロンドンの国会議事堂付近で発生した襲撃事件に関連した家宅捜索で、7人を逮捕した。
英国のテロ対策を統括するマーク・ローリー氏(写真)が明らかにした(2017年 ロイター/Neil Hall)


籠池証人喚問で吹っ飛んだのはWBC決勝戦ではなくイギリスのテロでしたね。

上の写真に写っている"New Scotland Yard"は、スコットランドということではなく、ロンドン警視庁。
スコットランドヤードという名のドイツのボートゲームがある。ドイツのボードゲームだがロンドンが舞台。
日本でのコスプレのようなものでしょうか?

東京都浜松町にある都立貿易産業センター 浜松町館で開催されたミリタリー販売イベントのビクトリーショーのぶらり一人歩きレビュー
では、アメリカンポリスに対抗してイギリス警察コスをしたお二人の写真を見ることが出来ます。
(何度抗議されても止められない)ナチス親衛隊コスプレの方々も。

ところで市松模様な感じがどことなく似ていませんか?
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ただのチェックだろう?
チェックと言えばワンピース、今センバツには出場していませんが、桐生第一高校のスクールバスがチェック!
ありそうでなかったチェックのバス!!
中西元男事務所(PAOS)デザインで7色あるそうです。私はまだ2色しか見たことがありませんが。


私が森友学園問題で気になったのはこの発言ですね。

安倍昭恵さん
「せっかく塚本幼稚園で培ったものが公立学校へ入った途端に揺らいでしまう」

塚本幼稚園教頭の籠池氏長女
「せっかく園の教育でお子様たちが成長し純粋な双葉となったのに、公立小学校で汚れた雨に打たれて枯れてしまわないだろうかという心配が年々強まりました」(雑誌のインタビューにて)

私立の幼稚園なり学校を運営する人にとって公立というのは最大のライバルでもあるわけだから、ライバルを批判するのはまあ仕方ないとして。
問題は首相夫人の私立入れ揚げ。
国会議員は仮にも公務員。「公」側の人間である。
国立や公立の学校の設立や運営サイドの人間のはずである。
首相は公務員ピラミッドの頂点にいる人である。
私立に入れ揚げている首相夫人が「公人」では如何せん不味い状況である。それで「私人」と閣議決定したのかどうか。

ともかく今回の件に限らず、公務員(政治家含む)が国公立の学校を信用していないということは問題ありと私は前々から思っているし書いたこともあったかもしれない。
私立のほうが素晴らしい、私立優越という思想は外国で強いものである。
外国では宗教や君主(国のトップや国を代表する者となり得るが公務員ではない)が学校設立に関与してきた歴史があるからだと思う。
日本でもお寺や神社といった宗教法人が幼稚園や保育園を経営している事例は多数あるが、高等教育まで手掛けるということには発展しなかった。
日本では金銭的なこともあるがトータル的に言っても国公立のほうが人気が高いし実績もある。
世論という現実的な観点からも国公立が重視されるべきであるが、東京など大都市では私立と国公立の評価や人気の逆転現象がみられる。
特にその逆転現象の傾向は高校以下で強い。







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# by yumimi61 | 2017-03-24 12:16
2017年 03月 22日
サムライ~生きるために死んでいく~
あの世代の方達は、よく「もののけ姫」とか「侍ジャパン」とかおっしゃるので、ちょっと我々というか、違和感を感じるところであります。

「七人の侍」をしっかりと守ることが私の責任です。



黒澤映画『七人の侍』は、毎年のように野武士に襲われて作物を奪われる農民らが7人の侍を雇って対抗する物語である。
農民は野武士の野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。
雇われたのは食べることもままならない浪人であった。
彼らは農民自らが戦うことが出来るように訓練する。
農民はそれぞれ武器を手に、雇った侍(浪人)とともに野武士と戦うのであった。


タイトルは侍であるが、農民に雇われるまでの彼らは浪人であった。
侍とは武士の別称。
主君に仕える職業が武士である。
侍は「従う」を意味する「さぶらう」 に由来する名称である。
主君のために命を投げ出すことも厭わない。
その代わり普段は主君の後ろ盾があり領地や食糧などが与えられる。
安心な毎日と危険な毎日が背中合わせに存在している。
どうも武士や侍を勘違いしている人が多いような気がする。

浪人や野武士は、主君(主家)を滅ばされたり、解雇されたり自ら飛び出したりして、主君を失った武士の事である。
望んで離れた者もあれば、望まないのに放り出されてしまった者もいる。いろんな人がいる。
武士や侍が主君に使える職業である以上、主君を失った時点で武士ではなくなる。
厳密に言えば、浪人や野武士は武士でも侍でもない。元武士や元侍である。
彼らを持っているのは食う物にさえ困る日々である。
危険を避ければ飢えと渇きが襲ってくる。
飢えと渇きを満たすには結局危険に身を晒す必要がある。


ラストシーンで語られる有名なセリフはこうである。7人の侍のリーダー格のお言葉。(7人の侍は全員無事とはいかなかった)
「今度もまた負け戦だったな・・・いや、勝ったのはあの百姓達だ、私達ではない」


「黒澤明と早坂文雄−風のように侍は」(筑摩書房)のなかで、西村雄一郎が、黒澤明本人に、この有名な台詞の意味を直接訊いたというクダリがあります(739頁)。

《黒澤本人に、聞いたことがある。
「七人の侍」のラストで、志村喬の勘兵衛が「勝ったのはあの百姓たちだ、儂たちではない」というが、あれはどんな意味だったのかと。
すると黒澤はこう答えた。
「百姓は、なかには藤原釜足のようにずるいのもいるし、土屋のような賢いのもいる。しかしどんな場合でも、大地と共に根強く生き続けていく。それに対して侍は、ただ旗のように翻っているだけだ。大地をさっと吹き過ぎていく風のようなものなのだ」
と答えた。》
のだそうです。

映画収集狂 勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない より>

人は食べなければ生きていけない。
作物に始まり作物に終わる映画。
農民は本当に弱い存在なのだろうか。自由とは何か。安心とは何か。安全とは何か。
村に襲来して作物を奪う野武士も雇われた浪人も、実は同じような立場の人間であった。
『7人の侍』、このタイトルが意味するものは、農民という主君によって一時的に侍となり得た浪人たちということであろう。
武士とは因果な職業である。

生きろ!

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# by yumimi61 | 2017-03-22 21:35
2017年 03月 21日
49日
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柔らかな光の粒を宿らせし 仏の御石露の輝き



3月18日、亡き父の49日法要と納骨を行いました。

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実家の後飾りに飾ってあった折鶴。
葬儀の翌日だったか翌々日だったかに実家を訪ねると折鶴があった。
普通の鶴と、入れ物に入った小さな鶴と、繋がっている鶴。

実家には私達姉妹が子供の頃から折り紙の本がある。
子供の時にはそれを見ながらいろんなものを折った。
妹の娘(姪っ子)も子供の頃、実家に来るとそれを見ながら折り紙をしていた。
その本も折り紙もまだ残っていた。
「折り紙があったから作った」と姪っ子。

それから数日して金と銀の折り紙で私も鶴を折った。
その後に姪っ子がまた赤い折り紙で鶴を折った。

近所の人がお線香をあげに来てくれた時、置いてあった折鶴に気が付いたらしく、
「あやちゃんが折ったんでしょう。子供の時によく折ってたものね。鶴が繋がっているやつを器用に折って、私もあやちゃんから貰ったのを家にまだ飾ってあるわ」と。

ちなみに父の母の名前は「つる」である。





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# by yumimi61 | 2017-03-21 12:41
2017年 03月 17日
父の病㉒
以前ローマ帝国について書いたことがあるが、西ローマ帝国は400年代に滅亡した。
西ローマ帝国が滅亡した主たる原因はゲルマン民族の大移動だったと言われている。
ゲルマン民族とは北ヨーロッパからやってきたゲルマン語を話す民族である。
「蛮族」と呼ばれることもあるが、分かりやすく言えば「野蛮人」ということである。
野蛮とは、文明・文化に対立する概念であり、文化の開けていない状態あるいは乱暴で礼節を知らないことを言う。未開や粗野と同義。しばしば自身を「文明」と称する人々によって相手に付けられるレッテルとして用いられる。野蛮だとされる民族は「蛮族」と呼ばれる。
(今日の日本では未開の地やグンマーなどと言われている群馬県なんか当てはまりそうですね!?だから「未開の地」という呼称に怒った人もいるわけですよ)


しかしやがてその蛮族であるゲルマン民族はヨーロッパ全土に広がり各地を支配するようになる。
西ローマ帝国の滅亡からゲルマン民族がヨーロッパを支配した時代までを「中世」と言っている。
中世は「暗黒時代」とも言われる。
何故暗黒時代なのか?
ゲルマン民族の支配によって古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退・停滞したからだという。
知的でもアカデミックでもない馬鹿な体育会系というような感じに思われていたのではないだろうか。
史上最大とも言える広大な帝国を作り上げたモンゴル帝国の遊牧民なんかも同じように思われていたかもしれませんね。(巻き込まないでくれ?)
ヒトラーやナチスはゲルマン民族の優位性を信じていた。(ヒトラーがゲルマン民族だったかどうかはともかくとしてゲルマン民族にはヨーロッパを支配したという動かぬ実績がありますからね)
ユダヤ人に「馬鹿な体育会系」と言われたことに憤慨したのか(そんなこと言ってませんよ?)、ナチスはオリンピックに力を入れ、青少年団体の加入を義務付けた。やがてこれがドイツの兵力を支えていく。


近代キリスト教・カトリック(あえて近代と言う)は、このゲルマン民族の大移動とともに拡大していき、ゲルマン民族が支配者になることでその地位を動かぬものにしていったのである。
つまりカトリックとゲルマン民族は切り離すことが出来ない。中世・暗黒時代の主役はカトリックとゲルマン民族なのである。


何故に中世の話なんか始めたかと言うと、ホスピスのルーツがあるからである。

ホスピスとは、元々は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指した。そうした旅人が、病や健康上の不調で旅立つことが出来なければ、そのままそこに置いて、ケアや看病をしたことから、看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになった。

旅人とは主にゲルマン民族で、教会とはカトリック教会だったのではないだろうか。


古代―中世―近代
中世は輝かしいルネサンス時代の到来をもって終焉を迎えた。
輝かしいルネサンスとは何か?
ルネサンス(仏: Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。
早い話、懐古趣味ですか?

宗教改革も同じ時期であり、1500~1600年代(14-15世紀)頃。それによりカトリックは窮地に陥り、プロテスタントが興った。
大航海時代は1400~1600年代(15-17世紀)。
こうして世界の中心はヨーロッパ本土からイギリスやアメリカに移っていくことになる。

ルネサンスに後に来るのは啓蒙時代。大きく分ければ現代もここに属する。
聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動の時代。
中世に学問の中心であった教会や大学にかわり、フランス王立アカデミーやロイヤル・ソサエティなど国家の支援を受けた研究機関が、この時代には人文学、自然学ともに学術の中心となった。こうした動きは中央だけでなく、地方にも及んでいる。アカデミーは学者や芸術家に年金を支給して生活上の保護を与え、あるいは年報を刊行して発表の場を与え、また懸賞金をかけて特定の主題を提示し論文を募集し、学芸の振興を図った。

権威者的には、保守的なのが絶対君主、上から近代化を指示するのが啓蒙専制君主となる。
近代化は国民の総意だとするのが立憲君主!?
そしてここに大きな問題が立ちはだかる。
古代から近代の流れは退化なのか進化なのかということである。
多くは退化であるとの認識を持っている。唯物主義では進化と捉える。
人の一生の前半は進化で、後半は退化!?
さてはて。





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# by yumimi61 | 2017-03-17 11:50
2017年 03月 16日
父の病㉑
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。
- Mahatma Gandhi (ガンジー) -

1人の人間の0歳~50歳までの50年間と50歳~100歳までの50年間には同じだけの時間が存在している。

では何が違うのか?
0歳~50歳までの50年間は「生」の中に「死」がある。
50歳~100歳までの50年間は「死」の中に「生」がある。

人間の死に例外はない。人は必ず死ぬ。
人間はそのことをよく知っているはずである。
にもかかわらず、死に向かう過程に対するケアはメジャーではない。
成長過程に対するケアと比較すればよく分かる。
「レームダック」には興味もなく冷たいということだろうか。
そうであるならば社会は社会的役割を終えた人には冷たいということになる。
要するに人間は社会の歯車であり金づるということだ。次世代の人間を作る製造マシーンでもある。
その役目を終えた時には、社会から、家族から見捨てられる。
それまでの「生」が支配していた世界から、「死」が支配する世界へと移行していく。
その節目が50年といったところであろう。
歯車や金づるでありつづければ「生」が支配する世界とより長く繋がっていられるが、時間は決して巻き戻せない。
前に進むしかないのである。どんなに繋がりを願ってもその距離は離れていくばかりである。
それは物理的にどうにもならないのである。

死が優勢となる世界は恐ろしいので、心を入れ替え健康に注意しながらも、普段は出来る限り死を意識しないようにしている。死が優勢な世界なんて認めたくないとも思っている。
ところが無情にもある日突然病を宣告される。ある日突然病が襲い掛かり倒れてしまう。
死があちらからこちらに向かってくるように目の前に迫ってくる。
「助けてくれ~」と叫んでも、生が支配する世界にはその叫びは届かない。死を意識しないようにと努めている人はその叫びに耳を塞ぐ。


紐の長さが同であるならば、振り子が大きく揺れている時も、小さく揺れている時も、往復にかかる時間は同じである。(振り子の等時性)
ガリレオが発見した法則である。
1人の人間の0歳~50歳までの50年間と50歳~100歳までの50年間は、どんな人生を送ろうとも同じだけの時間が存在している。
ただ人の一生は振り子やブランコのように往復はしない。一方通行である。
「世界のクロサワ」「世界の巨匠」と言われる黒澤監督であるが、映画に込めた思いが一方通行であったということはないであろうか。それは心配し過ぎか。


死に向かう過程に対するケアはメジャーではなく、緩和ケアの認知度もまだまだ低い。
「緩和ケア」よりはまだ「ホスピス」のほうが名が通るかもしれない。


緩和ケアについては、東北大学病院がんセンターが運営している「がん情報みやぎ」というサイトで非常に詳しく説明している。
宮城県のがん患者さんと、ご家族のために。と謳っているなか、県外者の私が臆することなく引用転載させてもらいました。

がん情報みやぎ 緩和ケアについて知ろう

【緩和ケアの定義】
WHOは1990年に、緩和ケアを「治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対する」ケアであるとしていました。
しかし、WHOは2002年に緩和ケアの定義を修正し、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対する」ケアであるとしました。
これは、終末期に限らずより早期から提供されるべきものであるという立場を明確にしたものです。


誤解してもらいたくないのは、「緩和ケアの定義」とは「緩和ケア病棟の定義」ではないということである。

■基本的緩和ケア
緩和ケアはがんの診断時から、がん患者に関わるすべての医療者によって提供されるべきもので、これを基本的緩和ケアと呼びます。基本的緩和ケアとは手術や抗がん剤、放射線治療などのがん治療を行う医師や看護師などのがん医療に携わるすべての医療者によって提供されるものです。
■専門的緩和ケア
しかし、担当の医師・看護師らによる通常の診療・ケアで患者の苦痛を緩和することの困難も存在します。そのような場合は、緩和ケアについて特別なトレーニングを受けた専門家が対応し、これを専門的緩和ケアと呼びます。
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※青四角、赤四角は私が書き入れたものです。

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※赤ラインは私が入れたものです。
実際には明確な区別は医療従事者でも出来ていない印象を受ける。
ホスピスについては「場所」を指しているのではなく「ケアの考え方」を指していると書いているが、ホスピタルと並ぶ言葉(語源が同じ)でもあるので場所という認識が高いかもしれない。


【専門病棟のおける緩和ケア(ホスピス・緩和ケア病棟)】
 緩和ケア病棟(ホスピス)は、緩和ケアを専門的に提供する病棟です。名称としては緩和ケア病棟、ホスピス、緩和ケアセンターなどが用いられています。
 緩和ケア病棟は、一般病棟や在宅ケアでは対応困難な心身の苦痛がある患者への対応や、人生の最期の時期を穏やかに迎えることを目的とした入院施設です。緩和ケアの専門的な知識・技術をもった医師が診察にあたり、看護師数も一般病棟より多い傾向にあります。病棟によっては専属の薬剤師、メディカルソーシャルワーカー、宗教家(チャプレン)、ボランティアなどがおり、院内の栄養士、理学療法士、作業療法士などと共同して多職種によるチームケアがなされています。
 抗がん剤治療などを行わない場合が多いため、医師や看護師などが患者のベッドサイドに行く時間も比較的取りやすく、病室は多くが個室であり、病室の中に家族がくつろげるスペースがあるなど、プライバシーに配慮された構造になっています。家族が宿泊できる家族室や家族風呂、家族が調理できるキッチン、談話室などもあります。また、病棟では七夕やクリスマスなど季節ごとの行事や、音楽会などのレクリエーションを行っていることも多いです。

患者さんにとって、緩和ケア病棟に入院するメリットは以下のようなものがあります。
●苦痛症状を緩和するための専門的なトレーニングを受けた医師・看護師が主治医・受け持ち看護師となり、24時間ケアを受けられる
●ほぼ全室個室であり、プライバシーが守られた環境で家族や友人と穏やかな時間を過ごせる
●面会や持ち込み物の制限が少なく、自分の家のようにその人らしい生活を送れることなどである


父を転院させようと思っていた緩和病棟の問診票にも「緩和ケア病棟」の下に(ホスピス)と書いてあった。




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# by yumimi61 | 2017-03-16 13:00
2017年 03月 14日
乳の病⑳
本当に「受容」が理想なのか?―前記事にリンクした「キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)と、それへの代表的な批判について」の中で挙げられていた批判の1つである。
そしてもう1つの批判が、「神との取り引き」という段階は科学的なのか?というもの。

精神科医であったキューブラー・ロスが、この5段階モデルで示したのは、精神医学的には「防衛」と呼ばれるメカニズムです。ただ第3段階とされる「取り引き」には「神」が登場します。これは、科学的なアプローチではなく、神学的なアプローチであり、混乱を招いてきました。

ここに、精神科医として、精神医学的な表現をするべきだったという批判があります。結果として、この理論は、科学としての説得力を下げてしまっています。

さらに『死ぬ瞬間』の原著(On Death and Dying)において、第3段階とされる「取り引き」に割かれているのは、わずかに3ページと言います。通常の科学的な態度では導き出せないステップを、サラリと簡単に触れただけで、あとはそれを事実として取り扱う態度はどうなのかという批判があって当然でしょう。



分からないことが多い。誰にでも証明できない。その気があれば捏造できる。
科学と神(宗教)という存在に関しての共通点である。
科学と神(宗教)は元々がとても近いものである。

(過去記事より)
ロスチャイルド家が台頭した1700年~1800年代はちょうど、ヨーロッパにおいてオカルティズムな神秘主義が拡大した時代だった。
その前の1500~1600年代に起こった宗教改革が良くも悪くも宗教の権威主義に変化を与え、合わせて独裁的な君主に反旗を翻す市民革命も起こったため、様々なことが世俗化し、自由の名のもとに多様化していった。
1人の人間が発揮する吸引力というものが失われた時代であると言える。
またイングランドでの中央銀行の誕生を経て、1800年代半ばから始まった産業革命が、近代化への幕開けを告げた。
それは科学の時代の到来でもあった。

要するに、「金(紙幣・数字)で買えない物はない」「科学で解決できないことはない」という時代を迎え、宗教はその根幹から揺らぐことになった。
「マリアの処女懐胎」や「イエスは神の子」を謳うキリスト教、特にそれによって権力を獲得したローマカトリックへの打撃が深刻であることは想像に難くない。
こうした時代の変化をいち早く読み取れば、宗教や国のこれまでの権力者は金(紙幣・数字)や科学に近づいていくだろうと思う。
それは自身が生き延びる術であるからだ。


分からないことに対しては恐れ・畏れを抱く。だからこそ威厳が保たれるという側面がある。
分かることが増えるにつれて宗教の権威が揺らぎ始める。社会は変化していく。
それならばと、宗教は率先して金や科学を懐に抱く。


それまでの絶対的権力が緩んだことによって勢いを増したのが、狂信的や反社会的として迫害されていた異端の宗教や宗派や教派である。
自由の名のもとに様々なものが交差して混じり合い変異した。
ユダヤ教とキリスト教の神秘主義の一体化はすでに述べたところであるが、さらには東方やエジプトの古代文明もが取り込まれアジアやイスラム圏にも近づいた。
この時代の神秘主義の中身が何かと言えば、神秘思想、占星術、魔術、錬金術などである。
神秘主義は秘密結社という場に於いて一際光輝いた。そこにはおそらく優越感や背徳感や一体感が存在したのだと思う。
いつの世にも決して廃れない占いやスピリチュアル、『ハリーポッター』や『鋼の錬金術師』などの流行を見れば、科学の時代になって久しい現代においてもこれらのものが多くの人々を魅了することを証明しうる。
また社会が金融や科学に傾けば傾くほど、これら神秘主義は支持されるという側面も持つ。
音楽や唱和などは多分にこの要素を持っている。

余談になるが、こうした時代背景を考え合わせれば、魔女狩りは神秘的な魔女を恐れて迫害したのではないという予想が付く。
どちらかといえば現実的で科学的だったからであり、その現実性や科学性が権力者や世俗の方向性と合致しなかったため迫害されたのだろう。 


(略)

不利な状況に追い込まれながら、こうした激動の時代を乗り越えて、今なおローマ教皇という宗教権力者が存在していることは、無条件の賞賛に値することかもしれないとも思う。
「事実」と「真実」という言葉に違いがあるとすれば、「真実」という言葉を贈れるような、そんな。
「事実」が必ずしも必要とされるものではないことを長い年月をかけて証明してみせたのは宗教であった。


(略)

たとえば今誰かが新しい宗教を興したとする。
すでに2000年以上の歴史があるユダヤ教やキリスト教と同じだけ歴史を重ねようと思ったら、少なくとも2000年という時間が必要になる。
たとえ新興宗教が頑張って幾ら年月を重ねたとしても、ユダヤ教やキリスト教が今後も衰退せずに存続すれば、その歴史の長さを超えることは決してない。
また2000年という時間は絶対に一人で達成できるものではない。
時代の荒波を超えて多くの人々が繋いできた信仰。信仰は強い意志でなければならない。
時間×人数(聖職者及び信徒)のエネルギー、、、それを前にすれば「私個人」だけではどうにもならないという事実に息を呑むだろう。
これを一から超えようなどと思う奇特な人物はもう出現しないのではないだろうか。
まさに、遅きに失する。
救世主の名乗りを上げたとしても、宗派や教派として紛れ込む手段を取らざるを得ない。
宗教界に於いてはもはやそれほど絶対的な存在なのだ。

イエスの誕生が起源と謳われ定められた西暦が用いられ、今や世界で広く使用されるに至るが、この暦の貢献度も高い。
人は毎日毎日来る日も来る日も、キリスト教の歴史の長さや長い時間を積み重ねた偉大さを無意識のうちに刷り込まれている。
とはいっても、西暦が実際に世界に広がったのは1800年頃からで、要するに上記時代背景の下に採用された暦でもある。
金融システムに支配された世界は非常に孤立化に弱いため、結果多くのものが共有されるようになった。
こうした共有がなければ今ほどのコンピューター社会を迎えることもなかっただろう。
宗教はお金を融通してもらう存在だけに甘んじているわけでなく、産業や政治への偉大な貢献者でもあるのだ。



近代世界は共産主義や社会主義を忌み嫌った。
枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)の始まりは反インターナショナル(反共産主義)であった。
ロシア革命で初めて世界に誕生した共産主義国(社会主義国)がソ連である。
その共産主義に密接に関係しているのが「唯物主義」。
観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方である。
「心」や「愛」を振りかざして人を騙し洗脳し搾取する世界にノーを突きつけた。
現実的で科学的。言葉だけの学より実を取り、具体的な方法論を提示した。
しかしそれは「過激」というレッテルを貼られるようになった。
人々は怖かったのだ。
虎は自分とは全く違うもの。柵を取っ払えば自分や愛する者が虎に何をされるか分からない。だから柵を取っ払おうとする人は過激に見えた。
「心」や「愛」を振りかざす世界は動物園の虎を眺めているような状態だということである。
多くの場合、動物園に入るには入園料が必要。
お金を払い安全な場所から獣を眺めて、「心」や「愛」を共有した気になる。

だけど彼にはもうお金を払い安全な場所から獣を眺める時間(退職金を息子夫婦に渡して同居し孫と一緒に暮らす時間)が残されていない。
だから見ず知らずの住民の陳情を受けて公園を造った。
自分のお金ではない、税金で造ったものだ。仕事の一環に過ぎない。
入園料を取らず、柵を取っ払って誰でもが入れるようにしたって、もうあの頃の息子は戻ってくるはずもないのに。
(映画『生きる』の話です)



戦争があったからこそ科学は発展したと言われることがあるように、戦争と科学は切っても切れないものである。
同じように医療の発展と戦争も切り離すことができないものである。
そしてそれらに大きく関わって来たもの、それが宗教である。
宗教、戦争、科学、医療、みな密接な関係にある。
「神」が科学的ではなく神学的であり科学としての説得力を下げると言うならば、逆に精神医学や科学として論じていることは本来神の領域だから人間は立ち入るなと言うことだって出来てしまう。
どちらが正しいのか、私達は誰も明確な答えを持っていない。
私達が明確に例外なく知っている事実は、人間は誰しもが肉体的な終わりを迎える、要するに死んでしまうということだけである。

ともかく医療にはキリスト教✚の影が付きまとう。

教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待を「ホスピタリティ」(英: hospitality)と呼び、そこから今日の病院を指す「ホスピタル」(英: hospital)の語がでた。
歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。


保健師活動の基盤にもキリスト教がある。

保健師活動は1887年に京都看病婦学校(同志社)がキリスト教精神にのっとった慈善事業として実施した巡回看護がもとになっている。巡回看護は社会事業的活動として、病院に行くことができない貧しい病人に対して看護活動を行ったものである。
その後1920年代から東京市や聖路加国際病院、済生会などが精力的に活動していた。巡回看護の内容は、貧困者への看護、災害被災者への手当てと保健指導(伝染病予防)、妊婦の妊娠出産に対する援助や育児相談などであり、現在保健師が行っている公衆衛生看護活動の基礎となっている。














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# by yumimi61 | 2017-03-14 14:31
2017年 03月 13日
父の病⑲
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)

1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日)
 死亡


1月26日(木)夕方
「かなり温度差があり、あれでは緩和ケア病棟に受け入れてもらうことは無理です」という言葉を残して看護学校の講義に出掛けて行った地域連携課の担当者(看護師資格を持つ相談員)と夕方再び会った。
まず私との2者面談を行った。
私は父と話をして転院することに対して了解を得たことを告げたが、相談員さんはもはや転院に積極的ではなかった。
完全に緩和ケア病棟への転院は無理と判断し諦めているような様子であった。
緩和ケア病棟は審査が厳しいので誰でも入れるわけではないというようなことを説明された。
本人が治療を望んでいる状態ではもちろんダメ。
病気の状態や現実を全てを理解し納得していること。迷いがある状態ではダメ。
死を受け入れて、死までを安らかに過ごしたいので「お願いします」というような気持ちや態度である必要がある。
それは家族ではなくあくまでも本人の意志でなければならない。
これだけを聞けば、父は緩和ケア病棟を希望する患者に相応しい優等生ではないと相談員さんに判断されたと理解するしかない。

しかし、死の受容ってそんなに簡単なことだろうか?
死はあらゆる人間に等しく与えられているものだが、死ほど不確かで不公平で理不尽なものはない。
それを受容した優等生でなければ入れない緩和ケア病棟とはいったい何なのだろう?
身体的な問題だけではなく、死に直面している患者の精神的サポートを含めた総合的なケアを行うのが緩和ケア病棟ではないのか。
迷いや死への恐怖、死を受容する過程にある不安定さ、死を直面してもなお持ち続ける希望、それを許さないターミナルケアや医療にどんな意味があるというのだろうか?


私は学生時代にキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本を一度読んでおくことと言われ買わされたか買った。(買っただけでなくちゃんと読みました)
キューブラー・ロスは死の受容までには5つのプロセスがあると論じている。
当然のことながら最初から受容できるわけではない。受容が理想とも限らない。
受容した患者しか受け入れられないという緩和ケア病棟は医療の役割を端から放棄したようなものである。

エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross;1926〜2004年)は「死」に関する科学的な認知を切り開いた精神科医(終末期研究の先駆者)として、人類史に名を残している人物です。彼女が切り開いた終末期医療は、今、世界中の多くの医学部で必修科目となっています。

特に1969年に、彼女によって出版された『死ぬ瞬間』は、世界的なベストセラーとなりました。今でも本書は、サナトロジー(死学)の基本テキストとして、世界中で読み継がれています。

なによりも意義深かったのは(1)それまでは医学が及ばない領域とされてきた「死」について、医師が言及したこと(2)死にゆくプロセスを5つの段階として科学的に捉えようとしたこと、の2点とされます。

「死の受容」プロセス(5段階モデル)
第1段階:否認と孤立(denial & isolation)
第2段階:怒り(anger)
第3段階:取り引き(bargaining)
第4段階:抑うつ(depression)
第5段階:受容(acceptance)

5段階モデルの代表的な批判1:本当に「受容」が理想なのか?
キューブラー・ロスによるこの5段階モデルの、最も中心的な批判とされるのが「段階」という考え方に対するものです。特に、キューブラー・ロスのモデルは、最終段階とされる第5段階に行き着くことを、無意識にも理想としている点が批判されます。
「段階」という考え方は、過去から未来への直線的な物事の進行を表現するものでしょう。そして、次の段階に至っているときは、前の段階は終了している(または次の段階の前提になっている)ことが求められます。
本当に「受容」という段階に至ることが、誰にとっても理想的な死なのでしょうか。そこに、キューブラー・ロス個人の価値観が入っているとは言えないでしょうか。批判の多くは、ここに集中するようです。


キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)と、それへの代表的な批判についてより>


迫りくる死を受容するということは言うほど簡単なことではない。
それまで人生を達観していたような高名な学者や医師、宗教家であっても、いざ自らに死が迫りくると平常心ではいられず取り乱すという話はよく聞く。

人間一度は死なねばならない、とはだれしも一応は合点しているが、 「自分の死」 に直面したときは、動物園で見ていた虎と、山中で突如出会った虎ほど違う。

『死ぬ瞬間』などの著書で世界的に有名な精神科医、キューブラー・ロスは、ターミナルケア(終末医療)の先駆者として、40数年にわたり数千人の人々の最期を看取ってきた。
 死に行く人を励まし、愛の言葉で力づけてきた功績で、聖人とも聖女とも呼ばれていたそうだが、晩年脳梗塞に倒れ、豹変している。
「もうこんな生活はたくさん。愛ってよく言ったもんだわ」
「聖人? よしてよ、ヘドが出る」
精神分析は時間と金の無駄であった。自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。今、何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのである。
 死は誰にでも訪れるものだから恐れなくてもよい、と他人を励ましてきた人が、自分の死に対してはとてもそうはいかなかった。
 幻滅して、離れていってしまったファンも多かったようだ。
 これはいかに「自分の死」に対して我々が無知であるかの証であろう。

 もちろん、戦場とか大ゲンカで極度に興奮しているときは、平気で死ねるように見えるし、不治の病で死の宣告を受けた患者の中には、自殺する人もいるが、あれは極度の興奮で一時気が動転しているか、死を恐れるのあまり自分から死んでしまうのである。
 フランスの哲学者、パスカルは、 「ここに幾人かの人が鎖につながれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。そのなかの何人かが、毎日、他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。これが人間の状態を描いた図なのである」(パンセ) と、言っているが、すべての人間の悲劇は遅かれ早かれ死なねばならないところにある。

 核戦争が怖い、公害が恐ろしい、食糧危機だ、交通戦争だと騒いでいても、しょせんは死が怖いということではないか。
 死という核心に触れることがあまりにも恐ろしすぎるので、それに衣を着せ和らげたものと対面しようとしているに過ぎない。

人生の目的 第5章生と死より>







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# by yumimi61 | 2017-03-13 15:23
2017年 03月 10日
Re

赤 青 黄色の 衣装をつけた

信号無視がしゃしゃりでて〜



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# by yumimi61 | 2017-03-10 09:15
2017年 03月 07日
父の病⑱
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)

1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日)
 死亡


父は入院して10日で亡くなった。上記が父が入院してから亡くなるまでの経過である。

1月17日から2日後の19日がかかりつけの病院の呼吸器外来の日だった。
月に2回(午後のみ)しか来ていない医師なので、もしも17日以降外来日までの期間がもっと開いていれば状況はまた違ったものになっただろうと思う。
ちょうどこの頃、母もめまいやふらつきが酷いということで受診することになっていて、午前中は母の受診に付き添っていた。(母が通っていたデイケアで母を担当してくれていた理学療法士さんが受診を勧めてくれたこともあって予約してあった)
母と入れ替わりで父を病院に連れて行った。
12月頃からの様子や1月18日の夜中に起きた出来事、D病院を受診して鎮痛剤を処方してもらったこと、D病院で放射線治療を受けた時に緩和ケアのアンケートを取っていたので繋げてもらえると思ったというようなこと、D病院を受診するならばかかりつけ医の紹介状を持ってきてと言われたこと等を話すと、肺気腫を長いこと診ていた呼吸器外来の医師は「そういうことならばとりあえずすぐにこのままこちら(系列病院)に入院させて、B病院の緩和ケア病棟に転院する手続きをとりましょう」と言ってくれた。
そして入院を手配してくれた。
但しこの呼吸器外来の医師はかかりけ病院の常勤ではく非常勤である。普段は開業医。


かかりつけの系列病院に移動して、そちらの病院の医師とも少し話をした。
その医師も「B病院の緩和ケア病棟に転院を前提に1~2週間を目途にお預かりします」と言っていた。
「ただB病院が空いていないと転院できないしなぁ。今日も送ろうとしたけど断られたんだよ」ともちょこっと言っていた。
「状態が今後どうなっていくか、どれくらい持つのかそれははっきり分からない。急変して転院まで持たないということもあり得るということは覚悟しておいて下さい」と付け加えた。
こちらの医師としてはそう言うしかないだろう。
この系列病院は、呼吸器科があるわけでもないし、がんの病院でもない。がんの疼痛コントロールなんて完全に専門外。救急搬送されてくる急性期病院である。
逆を言えば急性期病院であるからこそ、急な受け入れに対応できるということでもある。
しかし私もここに長くいられるとは思っていなかったし、それを強く希望していたわけではない。
ただこの時点では父が入院できたことは本当に一安心だった。


週が明けた月曜日午後にその病院の地域連携課より電話があった。
転院にあたってお聞きしたいことや記入してもらうものがあるので来てほしいということだった。
翌火曜日に予約した。


1月24日(火)
地域連携課の部屋の前にスタッフの氏名や顔写真が掲載されていた。
お電話をいただいた人の名前を探すと、看護師ではなく相談員とあった。
実際にお会いすると、身分証明書を首から下げていたので、何気にそれを見ると看護師と書いてあった。
この病院に看護師として就職したわけではない(現役看護師ではない)が、看護師資格を有しているのだなあということが分かった。
おそらく経験豊富な看護師さんでリタイア後に医療ソーシャルワーカーとして働いているということなのだろうと勝手に解釈した。
御本人も「看護師の〇〇です」と名乗った。

私は日々の生活の中で自分が保健師や看護師資格を有していることを積極的に言うことはあまりない。
仕事や就活の場以外でそれを言うことはメリットよりデメリットのほうが大きいと感じるからである。
人には知らない方がいいこともあるのだ。
ところが最初に面談で担当の人が名乗った時、「私も看護師の資格持っているんです」と、つい口が滑ってしまった。こんなことは珍しい(ほんとですよ!ねぇ?)

肺がん発覚からこれまでの経過を一通り説明した。
そして緩和ケア病棟に入るには審査があるということを聞いた。
まずは書類をファックスで送るのだという。その後に今度は病院に行って面接もあるとのことだった。
病気についてどのように説明されたか、どのように思っているか、緩和ケア病棟に何を望むなど、記述式の問いがある用紙に記入を求められた。
患者本人と家族がそれぞれ別に同じ質問に答える必要があった。
但し患者が書けない場合には代筆でもよいということであり、私はその場で2枚の用紙を書きあげて提出した。
別れ際に「では早速書類を作ってファックスしておきますね」と担当者は言った。


1月26日(木)
午前中は母の受診に付き添っていた。帰りに父のところに立ち寄るつもりでいた。
携帯電話に11時すぎに着信があったことに着信時間から30分後くらいに気付いた。留守電が入っていた。
しかし病院という場少しざわついた場所で聞いたせいか音量を上げても留守電の声が聞き取れなかった。
掛け直そうと思って場所を移動しようと思ったが母が診察に呼ばれたようだったので、呼び出し音の途中で慌てて切って戻った。
母はクモ膜下出血の後に耳が少し遠くなっていて普通の声はよく聞こえないため、病院で名前を呼ばれてたり、医師が質問や説明をする時にはそばにいるようにしている。
診察が終われば次は会計でいつ呼ばれるか分からないので、それが終わったら地域連携課に掛け直そうと思っていた。
するとちょうど会計をしている真っ最中に再び電話が鳴った。12時30分だった。
今度はそこで電話を受けた。
地域連携課の担当者は今日私が母と病院を受診していることは父から聞いたそうで知っていた。
予約をしていたわけではなかったが話があるということだったので「帰りにそちらに寄ろうと思っています」話すと、後どれくらいかかるかと訊かれたので、「会計中なのでもうすぐ行けると思います」と答えて電話を切った。
地域連携課を訪ねると、「実は私、この後〇時〇分から看護学校の講義があるんです」ということで、何やら急いでいた理由と看護学校の講師をしていることが分かった。

急ぎの話は、「かなり温度差がある」ということだった。
この日の朝に父に話を聞くために訪ねたところ、「転院なんか知らない。家に帰る」というようなことを父が言ったらしいのだ。
その言い方が荒かったのか無下だったのか、ともかく父は「話は娘が来てから」と全く取り合わなかったらしい。
緩和ケア病棟は家族ではなく本人が何もかも納得の上で強く希望していないと入れないそうで、「あれでは緩和ケア病棟に受け入れてもらうことは無理です」ということだった。
でも私は24日に書いた質問の答えに嘘なんか書いたつもりは全くない。
とにかくもう一度お父さんと話をしてみてくださいとは言っていたが、緩和ケア病棟への転院はもはやないような雰囲気があった。
看護学校の講義の時間が迫っていたので、夕方もう一度面談をする約束をして別れた。


「この病院には呼吸器科もないし、がんの専門でもないので強い薬もないから転院するけれど、とりあえずここに入院させてくれるって」と、私は父に入院した日とその翌日にも話しておいた。
それを忘れてしまったのか、それとも元気になって欲が出てきたのか。

実は父は入院後に少し元気を取り戻していた。
痛みは完全に無くなったわけではないとは言っていたが、22日(日)に母と姪っ子とお見舞いに行った時には途中でリハビリのスタッフが来て、ベッドに座り足の上げ下げなどのリハビリも行っていた。
リハビリスタッフは毎日訪ねてはリハビリを働きかけてくれていた。
もちろん普通に話も出来た。姪っ子に売店で何か買っておいでとお金を渡したりもしていた。
大部屋だが部屋にトイレがあり、そのトイレまでは点滴をしながらも歩いて用を足していた。
24日(火)25日(水)頃には父の声に張りが出てきたように私は感じていた。


地域連携課の担当者と別れたその足で母と父の病室を訪ねた。
「お父さんっ転院しないで家に帰るって言ったでしょ」
私は家で父に話しかけるように遠慮なくそう言った。
「今朝来て急に言われたから、娘が来てからにしてくれって言ったんだよ」と父。
「あの人は転院の手続きをしてくれている人だから。入院した時に説明したじゃない、転院するんだよって。あの時苦しかったからよく覚えてないんでしょ。だけどここにずっといられるわけではないし、家に帰っても大変だと思うよ。入院する前の日の夜の事を考えたらそう思うでしょう?今は病院で面倒見てくれるから少し楽になったかもしれないけれどさぁ」
「人は、喉元過ぎれば熱さ忘れる、なんだなあ」
結局父はすぐに観念した。
「面会に行くよ、お母さんも連れて行くから。状態がよくなれば外泊もできるんだって」と教えてあげるとちょっと安心したみたいだった。
母が「みんな心配してよくしてくれるんだからあまり我儘言わないで言うことを聞いてくださいね」と「そうだね」と父はうんうんと頷いた。

父の隣のベッドは父と同い年だった。
その人のところにはいつも奥さんが面会に来ていた。
たぶん午前中からずっといて長くいるようだった。
奥さんはいつもその旦那さんに何やらかんやら話かけていて、旦那さんは何故かいつも嫌そうで怒り調子だった。
リハビリスタッフがリハビリの誘いに来た時にも「お父さん、待っててくれているんだから早く」とかなんとか奥さんに急かされて旦那さんが声を荒げて怒っていた。
でもとげとげしい態度で接するのは奥さんにだけ。
そのせいか一緒に付いて行こうとする奥さんにリハビリスタッフが「奥さんはここで待っててもらっていいですか」と病室待機命令。(でも結局付いて行った)
娘さんらしき人がいたこともあったが、娘さんはベッドサイドで雑誌を読んでいた。

その隣の夫婦が私と父のやり取りを聞いていて話しかけてきた。
「みんな心配だからよね~」と奥さん。
「いや、この人(私の事)の言うことは合っているけれど、お前(奥さん)のは合っていない」と旦那さん。
「ねえ」とどちらにも同意を求められ若干困る私。
「でもおたくがお隣で良かったわ~話し相手がいてくれて。この病室の他の人、いつもみんな寝てるから」
5人の患者がいたっが(1人2人?入れ替わったような気もするが)、確かに他の3人は寝ていることが多かったし面会者とも行き会わなかった。
父は元々こうした病室などでもわりと誰にでも話しかけ打ち解ける人である(だから情報通で驚くことがある)。
今回の入院はさすがにこれまでのような元気はなかったが、それでも隣の人とは少し会話をしたらしかった。
隣の人も転院予定なのだという。
兎にも角にも父に転院の了承を取り付けたので一度実家に戻ることにした。
「御先に失礼します」
「あら、もう帰るの?」と奥さん。
「また夕方来なければならないので」




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# by yumimi61 | 2017-03-07 11:38
2017年 03月 06日
父の病⑰
(医療保険)
■一般病床 89.4万床
■医療型療養病床 27.1万床
■精神病床 33.6万床

(介護保険)
●介護療養病床(介護療養型医療施設) 6.1万床 ・・・廃止が決定してから5~6万床減少した。
●特別養護老人ホーム 54.1万床
●介護老人保健施設 36.2万床

・有料老人ホーム
・軽費老人ホーム(ケアハウス)
・グループホーム
・サービス付き高齢者向け住宅



すでに述べてきたように、介護保険制度に関係する施設で看護師必置が定められている施設は、介護認定で要介護1~5を認定されていないとそもそも入居資格がない。
またそうした施設であっても、医師が常勤でいるとは限らず、看護師の人数が多いわけでもない。種類や専門性も特に問わない。
がん末期患者のケアは正直難しいと思う。

父は肺気腫を患い慢性呼吸不全で動くと苦しくなるという症状が長いことあったが、在宅酸素療法をして安静な状態にあれば動脈血酸素飽和濃度が著しく悪くなるということはなかった。
肺がん末期の状態になるまでは動けないということもなかった。
それまでの介護認定が要介護ではなく要支援は妥当な判断であったと思っている。
但しそれはあくまでも酸素療法をしているからであって、それをしなければ療養病棟の医療区分2や3に該当する患者である。
「肺気腫による呼吸機能障害3級」の認定も受けていた。


肺がんと診断され治療手段がないと宣告され、それでも放射線治療を受けたのが昨年5~6月。
ところが8月の介護認定の更新で父の介護認定の等級は下がった。(要支援2→要支援1)
状態維持や改善可能性は低い。急速に状態の不可逆的な悪化が見込まれる。
予防給付(要支援)ではなく介護給付(要介護)に移るべき状態に相応しい。
父の状態は厚生労働省が示す予防給付に該当しない状態にあった。
・末期の悪性腫瘍や進行性疾患(神経難病等)により、急速に状態の不可逆的な悪化が見込まれるもの等。
要支援2のままならまだしも下がる理由は私には理解できなかった。
認定に不服があれば不服申し立てをすることが出来るが、現実的な話をすれば実費負担が若干増えるだけで父は今まで通りのサービスを受けることが可能だったし、要介護1になったところで要介護4や5に比べたら優先度は低くすぐさま施設入居は出来ない。父も介護施設に入居を希望していたわけでもない。
サービスに不服があったわけではないので関係性の維持のほうがずっと大切である。
不服申し立てをするメリットはない。


治療がなく状態が安定している状態で病院に入れて欲しいなどとはこれっぽちも望んでいない。
それは、安定したら病院から出てもらう、治療をしないのならば来るな、という現代の国や病院の方針とも何ら相違するものではないはずである。
幸い私は保健師資格や看護師資格を持っている。
同居しているわけではないので毎日常時一緒にいることは出来ないが、父の苦痛などは多少なりとも理解できるし、それを軽減するアプローチが全く出来ないわけではない。
私だけでなく、介護保険のほうでケアマネージャーさんやヘルパーさんにもお世話になっている。
ケアマネージャーさんも看護師資格を持っている。ヘルパーさんの中にも看護師資格を保有している人がいる。
でも薬剤処方や投与、医療行為など個人レベルでは行えないことも多々ある。
がんの治療を全くしないという選択もあったのに何故放射線治療を受けたのか、何故医師が近隣病院での放射線治療を勧めたのか、それは最期の時(ターミナルケア)を案じたからである。
末期患者の新患よりは、そこでがんの治療をした既患のほうが良いに決まっている。一見さんではないのだから。

ところが今回、科を亘るネックが想像以上に大きいことに気付かされた。
手術ならば外科、手術をしないならば内科、放射線治療ならば放射線科ということになるが、同じ病院であっても科が違うとすんなり物事は運ばない。繋がっていない、分断されている。
病院にとって新患でなくても、科が変われば新患、そんな感じ。受け入れたくない理由に過ぎないのだろうか?
放射線科で治療を受け、もうそれ以上は治療がないと言われ在宅で療養していたのに、末期で疼痛が出て内科を受診すれば「どうしてここに?」という反応であった。
全く別の専門外来を受診したというならばともかく、内科を受診したのである。
しかも何年、何十年と期間が開いているわけではない、放射線治療を受けたカルテがあるだろうにと思う。
そのカルテには他病院からの紹介状だって残されているはずである。

専門科があって、専門医や専門ナースがいる。それは悪いことではない。
しかし一人の人間は尊重されなければならない。
憲法にも謳われていることである。
「すべて国民は、個人として尊重される。」
病気や部分だけを診れば(看れば)よいのではない。
人は物や機械ではない、身分・地域・性別・信仰に関わらず、一人の人間として、一人の人格をもった存在として、尊重され尊厳が守られなければならない。
専門医対患者ではなく、病院対患者という「病院」という単位で考えれば尚更だと思うのだが。


父は母がクモ膜下出血を罹患した後、母の身体や生活を心配して、自分が調子悪くても家を離れたがらなかったし、無理して動いていたようなところがある。
ケアマネさんにもヘルパーさんにも、どこの病院でも母を心配するようなことを口にしていたように思う。
自分のことより母のことを優先し大事にしていた。
晩年はそれが生きがいになっていたようなところもある。
しかし現実的に苦しくて痛くて動けない状態となっていた。精神的にも余裕がない。
夫婦喧嘩というほどでもないのだろうけれど、何か行き違いがあったか何かひょんなことから「お母さんは俺が痛み止め(市販薬)飲んで何とか動いているって知らないだろう」と口走ったこともあったと母から聞いていたし、父がそんなようなことを呟いてるのも耳にしたことがある。
動けない父が家にいることは、父の身体的なことのみならず、父にとっても母にとっても負い目になって精神的に良くない、家で過ごすにはもう限界が来ていると私は思った。
例えば私が同居しているとか、母が健康で元気な時であれば、在宅での訪問診療・訪問看護を利用して最期の時を過ごすということも出来たかもしれない。
しかしそういう状況にはなかった。


かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

12月頃から私は父に病院受診を働きかけ、父が1月17日にやっと応じてくれた。
放射線治療をしたD病院を受診したが、かかりつけの病院に戻された。
このかかりつけの病院というのは肺気腫を中心に診てもらっていた病院である。
父が受診していた呼吸器外来(専門外来)の医師は常勤ではなく月2回診察に来ている非常勤の医師(開業医)である。
腫瘍疑いの際には対応不可ということで他の病院を受診するように言われたのでA病院を受診したという経緯があった。
肺がんでかかりつけだったわけではない。むしろ肺がんは診られない(治療は出来ない)ということで病院を移るきっかけとなっている。







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# by yumimi61 | 2017-03-06 16:46
2017年 03月 04日
父の病⑯
高齢化社会ばかり叫ばれるので病院も施設もさぞかし儲かるのだろうと思いがちだが、どちらも経営はそれほど楽ではない。

(医療保険)
■一般病床 89.4万床
■医療型療養病床 27.1万床
■精神病床 33.6万床

(介護保険)
●介護療養病床(介護療養型医療施設) 6.1万床 ・・・廃止が決定してから5~6万床減少した。
●特別養護老人ホーム 54.1万床
●介護老人保健施設 36.2万床

・有料老人ホーム
・軽費老人ホーム(ケアハウス)
・グループホーム
・サービス付き高齢者向け住宅



療養病床は高価な機器や薬剤を使用する機会が少ないために一般病床などよりも支出が低く抑えられる。
また人件費も少なくて済む。
介護より医療の割合が大きくなればなるほど支出は増える。
病院が利益を上げるためには、人件費をなるべく抑え、入院単価(平均在院日数遵守など)と利用率(ベッド回転数)を上げることが大事であるが、単価を上げるためにはクリアしなければならない条件がある。
介護療養病床(介護療養型医療施設)の廃止が決まったために、医療型療養病床に転換した病院があるが、医療型療養病床は医療区分2・3の患者が8割以上(暫定で5割もあり)という決まりがあるため、医療の度合いが俄然高くなり支出が大きくなる。
患者も誰でも良いわけではなく、医療区分2・3の患者である必要がある。
介護療養病床(介護療養型医療施設)から医療型療養病床に転換した病院では病床利用率が下がり、且つ利用率の格差も広がっている。
患者確保と病床管理(ベッドコントロール)に苦労していて、なかなか利益に繋がらない。


施設も人件費をなるべく抑え、入居単価と利用率を上げることが大事。
入居単価が低い施設は放っておいても人気が高いが、入居単価が高い施設では利用者確保が経営を左右する。
入居単価が高いということは多くの場合、設備投資や人件費に費用が掛かっているはずなので、それを踏まえていかに利益を出すかということを考えなければならない。
例え非営利法人であっても利益を出さなければ人件費が出なくなったりして結局経営を維持できなくなってしまう。
(非営利法人とは利益を株主や出資者などに分配しない法人のことで利益を出すことは別に問題ない。但し無暗に利益追求すべき法人ではない)
営利法人であるならば利益追求は当然な話。


そこで病院も施設にも営業が必要になってくる。
かつては病院や施設の営業というと事務方の仕事であった。
例えば、企業の検診(健診)や人間ドック担当者のところに営業に向かい、「ぜひともうちの病院を使ってくれませんか」とアピールするわけである。
一方で病院は営業される側でもある。
製薬会社にはMR(Medical Representatives)と呼ばれる営業職があり、医師や薬剤師を訪ねて「これこれこういったうちの薬剤をぜひとも使ってもらえないでしょうか」と自社製品の情報提供とPRをする。

昨今は医療ソーシャルワーカーやケアマネージャーも営業活動を行う。
(昨今はと書いたが、聖路加病院の浅賀ふさは病院営業マンの先駆者ではないだろうか?)

医療型療養型病院の医療ソーシャルワーカーは、急性期病院や回復期リハビリ病院などに営業に出向き、自分の病院の対象となる患者を紹介してもらい、その患者を転院させて受け入れる。

施設のケアマネージャーは自分が勤務している施設などに利用者を確保するために病院の地域連携課(室)に営業に出向いて、医療ソーシャルワーカーなどに施設をアピールし、施設の利用者になりそうな人に施設を紹介してもらうなどする。

会計検査院が「特定の業者に偏りがちである」と指摘したように、公正中立であるべきケアマネージャーが所属法人の利益に繋がるようなプランを作成をしたりマネジメントをしてしまうことがある。
それ以外にも営業活動がケアプランやマネジメントに影響を与えていることがある。
医療や介護の現場も純粋に清廉潔白というわけでもない。
それは給料を得るために働く人がいて、利益を上げる必要があるからなのだ。
なかなか難しい問題ですね。


さらに難しいのは営業を行う人達。
経営側からは「利用率や回転率をなんとかしろ」とか」「利用者を確保してこい」といった命令を下され、いざその通りにすると今度は現場側から「こんな人手で患者(利用者)増やすとか迷惑なんですけど」とか「重症患者(利用者)ではなくてもっと軽い人を見つけてきてください!」とか言われてしまう。
経営と現場の板挟み。中間管理職みたいな感じでストレスを蓄積させたり爆発させやすい。
「いやいや・・そういう・・わけにも・・いかないのよ・・・法律での・・規定もあることだし・・・むにゃむにゃ」(蓄積型)
「はっ?それ私に言う?文句があるならば直接経営側に言いなさいよ!」(爆発型)
どちらの言い分が正当かどうかはともかく、現場に出ないマネジメントだけの仕事は現場から理解を得にくい。






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# by yumimi61 | 2017-03-04 14:49
2017年 03月 03日
父の病⑮
前回、「地域連携課(室)」「ソーシャルワーカー」「業務独占資格、名称独占資格」「日本の医療ソーシャルワーカーの母!?(浅賀ふさ)」「社会福祉士」「地域包括支援センター」について書いた。

地域包括支援センターでは、保健師、主任介護支援専門員(主任ケアマネジャー)、社会福祉士が必置とされている。


主任介護支援専門員(主任ケアマネージャー)

主任介護支援専門員(主任ケアマネージャー)は、専任の介護支援専門員(ケアマネージャー)として働いた期間が通算して5年あるいは3年あるという条件を満たす者が所定の研修を受けて得られる資格。
ケアマネージャーの上級資格となる。2006年の介護保険制度の改正により新たに誕生した資格(職種)である。
新人ケアマネージャーの教育指導をはじめ、他のケアマネージャーに対するスーパーバイザーとして機能することが求められている。


介護支援専門員(ケアマネージャー)

では介護支援専門員(ケアマネージャー)は何かと言えば、介護保険制度の中で介護をマネジメントする有資格者のこと。
こちらも介護保険制度とともに誕生した新たな資格である。介護保険制度は1997年に制定され、施行されたのは2000年4月。
介護保険制度を上手く運用させるために欠かせない職種と言えよう。

要支援・要介護認定者及びその家族からの相談を受け、介護サービスの給付計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整などを行っている。
介護保険法に基づく名称は介護支援専門員であるが、多くはケアマネジャー(ケアマネ)と呼ばれている。

介護支援専門員(ケアマネ)になるためには、都道府県の実施する「介護支援専門員実務研修受講試験」(年1回)に合格し、「介護支援専門員実務研修」の全日程を休まず全て受講したうえで、レポートを提出する必要がある(第69条の2)。
登録を受けたものには介護支援専門員証が交付され、5年ごとに更新が必要(第69条の7-8)。

しかしながら誰でもが「介護支援専門員実務研修受講試験」を受けられるわけではなく、受験資格を持つ者は下記のように定められていた。

■「介護支援専門員実務研修受講試験」の受験資格

①次の法定資格を有する者
医師、歯科医師、薬剤師、保健師、助産師、看護師、准看護師、理学療法士、作業療法士、社会福祉士、介護福祉士、視能訓練士、義肢装具士、歯科衛生士、言語聴覚士、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師、栄養士、精神保健福祉士

②相談援助業務に従事する者
(例)救護施設及び更生施設における生活指導員、知的障害者更生相談所におけるケース・ワーカー、有料老人ホームにおいて相談援助業務を行っている生活相談員、特別養護老人ホームなどにおける生活相談員、入所者の生活や身上に関する相談及び助言並びに日常生活の世話を行う職員など

③介護等の業務に従事する者、社会福祉主事任用資格者等に該当する者
社会福祉主事任用資格、介護職員初任者研修(ホームヘルパー2級)、実務者研修などの有資格者

④介護等の業務に従事する者、社会福祉主事任用資格者等に該当しない者
資格はなくても業務経験があればよい

①②②は従事した期間が通算5年以上、且つ当該業務(要援護者に対する直接的な対人援助業務)に従事した日数が900日以上であること。
④の場合は、従事した期間が通算10年以上、且つ当該業務(要援護者に対する直接的な対人援助業務)に従事した日数が1800日以上であること
研究業務、教育業務、営業や事務などの業務を行っていた期間は当該業務に含まない。


「介護支援専門員実務研修受講試験」の第1回試験は介護保険制度制定の翌年1998年だった。
2016年の試験が第19回であった。
第1回の受験者数が一番多くて20万7080人。
受験者数は年によって違い、初回を除くと9~17万くらい。13~14万代が一番多い。
この試験の合格率が年々落ちてきているのである。
第1回が44.1%、第2回が41.2%、第3回から30%代に突入し、今や15%程度にまで下降している。
どの資格者がどの程度受験したかは明らかではないが、合格者の元の資格(職種)は分かっている。

これまでに介護支援専門員(ケアマネ)の資格を取得した職種。
1.介護福祉士 42.2%
2.看護師・准看護師 25.1%
3.相談援助業務従事者・介護等業務従事者 11.0%
4.社会福祉士 6.1%
5.保健師 4.1%
6.薬剤師 3.1%
7.医師 2.3%
8.理学療法士 2.1%
9.栄養士 1.9%
10.歯科衛生士 1.7%

合格率の低下を懸念したのか社会情勢の変化か、2015年に上記の受験資格が改正された。(但し2017年度の試験までは旧対象でOK)
どのように改正されたかと言うと、③介護等の業務に従事する者、社会福祉主事任用資格者等に該当する者、④介護等の業務に従事する者、社会福祉主事任用資格者等に該当しない者、を廃止したのである。


■新たな「介護支援専門員実務研修受講試験」の受験資格

①は変更なし。

②生活相談員
特定施設入居者生活介護、地域密着型特定施設入居者生活介護、地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護、介護老人福祉施設、介護予防特定施設入居者生活介護などにおける生活相談員として業務経験がある者。

③支援相談員
介護老人保健施設における支援相談員としての業務経験がある者。

④相談支援専門員
計画相談支援、障害児相談支援における相談支援専門員としての業務経験がある者。

⑤主任相談支援員
生活困窮者自立相談支援事業などにおける主任相談支援員としての業務経験がある者。

経験は通算して5年以上であり、且つ当該業務に従事した日数が900日以上であること。


居宅ケアマネと施設ケアマネ

ケアマネージャーの職場は大きく2つに分けることができる。
居宅ケアマネージャーと施設ケアマネージャーである。

居宅ケアマネジャーは、自宅で介護サービスを受ける人をサポートする仕事をしており、「地域包括支援センター」や「居宅介護支援事業所」で就業している。
利用者の家を訪問したり電話対応しつつ、ケアプランを作成し給付管理業務をこなし、会議などに出席する。
個人宅への外回りがあるのでかなりアクティブである。
個人宅への訪問と言えばかつては保健師の専売特許だったわけだが、介護が必要な高齢者についてはケアマネージャーも担ってくれるようになった。

「地域包括支援センター」と「居宅介護支援事業所」の違い。

「地域包括支援センター」は介護認定者に限らず全ての高齢者や高齢者に関する住民の相談を受け付けている施設。
その中でも主の業務となるのは、今現在は支援や介護が必要ではないが今後介護が必要になる恐れがある高齢者を対象とする「介護予防ケアマネジメント業務」(包括的・継続的マネジメント業務)である。
この業務の中に介護認定で要支援1・2と認定された人へのケアマネジメントがある。
すでに述べたとおり「地域包括支援センター」の設置主体は市区町村で、社会福祉法人に委託していることが多い。
「地域包括支援センター」には保健師、主任介護支援専門員(主任ケアマネジャー)、社会福祉士が必置であるが、介護予防ケアマネジメントは保健師と主任介護支援専門員(主任ケアマネジャー)が担当する。
保健師は健康医療の側面から自立者への普及や啓発、支援予備軍を対象とした教室などを中心にしており、ケアマネージャーが要支援1・2と認定された人のケアマネジメントを行っている。

「居宅介護支援事業所」は要介護認定を受けている高齢者のケアプランの作成や相談に応じる施設。
運営主体は、社会福祉法人、NPO、営利企業など民間の事業所。
ただ勝手に作ればよいというものではなく、市区町村の指定を受ける必要がある。
「居宅介護支援事業所」指定を受けるためには指定申請を行うが、市区町村に申請できるのは事業所ではなく「地域包括支援センター」。
要するに申請を仲介する「地域包括支援センター」が指定事業所の設置者ということになる。

住民が介護認定を受けで要介護(1~5)と認定されたら、地域の居宅介護支援事業者に問い合わせて、担当してくれるケアマネージャーを決め、ケアプランの作成してもらい介護の相談などをする。
居宅介護支援事業所は通常地域に複数あるので、市区町村窓口や地域包括支援センター、あるいは通院入院している病院の地域連携課(室)で、自分の住んでいる地区を担当する居宅介護支援事業所を紹介してもらい契約する。

居宅介護支援事業所は、9割が介護施設を併設した併設型であり、居宅介護支援事業だけを独立して運営している事業所は1割程度しかない。
居宅介護支援事業所のケアマネージャーは自治体に採用されている公務員ではない。
(地域包括支援センターのケアマネをはじめ保健師も委託先の社会福祉法人が直接雇用している場合がある)
自分が所属している法人(運営事業者)があるわけだが、それに係わらず(所属法人の利益確保や利益追求に走らずに)、公正中立に利用者にとってより良いケアプランを作成したりマネジメントを行う必要がある。
しかし2016年3月に会計検査院が「特定の業者に偏りがちである」と指摘している。


一方の施設ケアマネージャーは、「介護関係施設」の入居者の介護サービスをサポートする仕事をする。
「介護関係施設」とは、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、介護療養型医療施設、有料老人ホーム、グループホーム、小規模多機能型居宅介護施設などのこと。



介護認定  要支援1・2 →(在宅)地域包括支援センターのケアマネ
        要介護1・2・3・4・5 →(在宅)居宅介護支援事業所のケアマネ
                      →(施設入居)施設のケアマネ







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# by yumimi61 | 2017-03-03 14:14
2017年 03月 02日
映像
金正恩(キム・ジョンウン)氏がクアラルンプール空港で殺害されたとして防犯カメラ映像が流されている。

若い人は知らないかもしれないが、クアラルンプールと言えば、1975年8月4日に日本赤軍が起したテロが思い出される。
拘束されているメンバー及び、仲間に引き入れようと目をつけた新左翼活動家の釈放を目的に、マレーシアの首都クアラルンプールにある、アメリカとスウェーデンの大使館を占拠し、アメリカの総領事らを人質に取った。日本政府(首相:三木武夫)は要求に応じ、超法規的措置として日本赤軍への参加を拒否した2人を除く5人釈放した。

それはともかく、防犯カメラの映像が気になるのだった。
私が気になるのは空港のクリニックの場面である。

左手から歩いてきて、クリニック内に入っていく様子が公開されている。
分かりやすいためか安心感を与えるためか、クリニックと通路を仕切っているのはガラス。
そのため待合室の様子は外から見える。(一部曇りガラス)
クリニックに行く前に空港係員と警備員に顔に何かされたと訴えている映像があり、クリニックまで警備員らしき人と連れ立って歩いている。
しかしクリニックに入った後も警備員は一歩引いていて、率先してクリニック担当者に何かを伝えるような様子は見られない。
この時点において警備員に緊急性や重大性は全く感じられない。
金正恩(キム・ジョンウン)氏とおぼしき人物は受付のようなところに立って何か言っているようだ。
その後の映像が続かない。
次の瞬間は担架に乗せられて搬出されようとしている場面。

下の画像が途切れる前後。
(画像はこちらから
e0126350_16225817.jpg

e0126350_16223854.jpg


後にこんな画像が公表された。
e0126350_16394071.jpg

彼は黄色〇の椅子に座っていたことが分かる。
クリニックに来たのに診察室に入ることなく(?)、横に寝かされることもなく、そこでぐったりしている。
e0126350_16402188.jpg


途切れて公表されていない部分の映像が非常に大事である。
歩いていた彼がどのように崩れていったのか。
クリニックの誰かが彼の所にきて問診をしている様子があるのか。
何か計測した様子や処置をした様子があるのか。
診察室には入らなかったのか。

防犯カメラならば経過時間も分かるだろう。
彼がその椅子に座ってから担架に乗せられるまでに、どれくらいの時間が経ったのか。
数分か、数十分か、数時間か。
担架に乗せられてから空港を出るまでにどれくらいの時間を要したのか。
病院に搬送途中に亡くなったというけれども、それは病院を出てから何分後なのか。たらいまわしにされたということはないのか。
VXで死ぬまでの時間を云々言っているが、ここにどれほどいたのか分からないと何とも言えないのでは?

どれくらい後に行ったのか分からないが完全防備でクリニック内などを消毒をしている画像もある。
では、クリニックで彼に直接接触した人間はいないのか。
その人は素手ではなかったのか、手袋をしていたのか。
途切れた間の防犯カメラ映像があれば、それも分かるだろうに、何故かその重要な場面の映像が公開されていない。

近づいたり抱きついたりしている映像だけでは殺害した証拠にはならない。
彼女たちが何か薬品のようなものを持たされていたとしても、それがVXであったという証拠はどこにもない。
たとえ彼女たちがVXで殺害しましたと自白しても、先進国では通常それだけで公判を維持することは出来ない、それだけで犯人にしてはいけないはずである。
可能性を言うならば、クリニックで何か薬品を投与され、それが死に至らしめたということも考えられなくはないのだ。
そういう意味においても、途切れた時間の映像が重要である。







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# by yumimi61 | 2017-03-02 16:59
2017年 03月 02日
とおせんぼう
コンビニのくじであたったランチパック
よりによってピーナッツ
実は子供の頃から
あまり好きじゃないのよ
食べられないわけじゃないけど
ピーナッツバター
バタバタバーター
アイスと交換してなんて言えない

ない物がないような世界であなたが
貰って嬉しいものって何だろう
冷蔵庫の隅に忘れられた
スキッピーが泣いていた
ピーナッツバター
バタバタバーター
車のドアのポケットできっと



私人か公人か。
テレビカメラの前で、政府専用機のタラップをお手々繋いで一緒に乗り降りし、誰に向かってか揃って手を挙げる。
夫の出張に妻が同じ飛行機で同伴する。同じホテルの同じ部屋に宿泊する?
ファーストレディが公人ではなく私人ならば「公私混同」として大問題になりかねない。
公私混同の舛添前都知事の二の舞。
さらに言うなら韓国ではないけれども国家機密情報漏洩ということにだってなりかねない。

日本国の象徴やリーダーが夫婦同伴なのだから、企業は夫あるいは妻の出張に家族を同伴させて~~もちろん費用は企業持ちでお願いします。(やめて くれ!?)

そういえば、バリバリ現役で働いているキャリアウーマンのファーストレディっていませんよね?
時代遅れでは?
ヒラリー・クリントンさん?
誤解よ、私はただいつもビルと一緒にいたかっただけよ?新しい愛の形!?

1969年、ヒラリーはイェール・ロー・スクールに進み、そこでビル・クリントンに出会う。
1972年の大統領選ではビル・クリントンが参加していた民主党のジョージ・マクガヴァン大統領候補の選挙運動に加わった。
1973年のロースクール卒業(法務博士(Juris Doctor)の学位を受ける。)後は、エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children's Defense Fund) で働いた後、1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。
調査団解散後はビルのいるアーカンソー州に移り、ビルとともにアーカンソー大学ファイエットビル校ロースクールで教鞭を取った

この年ビルがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選、翌1975年に彼と結婚している1976年にはビルがアーカンソー州の司法長官に選出されて州都リトルロックへ移るのに伴い、アーカンソー大学での職を辞し、ビンス・フォスターがパートナー(共同経営者)を務めるローズ法律事務所に移った。また同じ年の大統領選では、ビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。
1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディとなったが、弁護士としての活動も続け、1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなった。その一方で、アーカンソー州における質の高いヘルスケアの普及を目的とした地方健康諮問委員会 (Rural Health Advisory Committee) の議長を務めるとともに、児童防衛基金の活動にも参加。またカーター大統領の指名により、連邦議会が設立した非営利団体の司法事業推進公社 (Legal Service Corporation) の理事を務めた。

1980年ヒラリーは娘のチェルシーを出産。ビルは再選をかけた同年の知事選に破れるが(当時のアーカンソー州知事の任期は2年)、次の1982年の知事選で当選してカムバックした。この82年の選挙戦を機に、ヒラリーは結婚後も引き続き使っていた「ヒラリー・ローダム」を「ヒラリー・ローダム・クリントン」に替えている。

この第二期目のクリントン知事のもとで、ヒラリーはアーカンソー州の教育制度改革を目的とした教育水準委員会 (Education Standards Committee) の委員長を務めた。

1991年にビルは大統領選に出馬。その選挙運動中、ヒラリーが「家にいてクッキーを焼いてお茶を入れることもできたが、自分の職業を全うすることを選んだ」とコメントしたことで、一部から「専業主婦に対して冷淡」とか「急進的フェミニスト」などという批判を浴びることになった。こうした批判は選挙運動中収まることはなく、ヒラリーはその対応に苦慮した。この頃、法律事務所や「ウォルマート」の社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞している。

同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が公になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。


ビル、大統領になる。

就任後早々、ビルはヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会 (Task Force on National Health Care Reform) の委員長に任命した。

後にヒラリーは著書の中で、医療保険改革の失敗は「すべて自分の政治力が未熟であったせい」だと記している。一方当時の政治評論家は一様にこの失敗が「ファーストレディーを国政に参画させるという前代未聞の人事が国民には不適切だと受け止められたということに他ならない」と評した。しかし、1996年の著作『It Takes a Village and Other Lessons Children Teach Us』はベストセラー本となり、ヒラリーの子供を中心とした政策課題は過半数の女性には好感を持って迎えられ、また大多数のアメリカ国民は「国主導型の健康保険制度導入ということ自体がアメリカにとっては時期尚早だった」と見ていたことが世論調査などで明らかになっている。

いずれにしても、大統領選挙キャンペーンでビルがヒラリーとのコンビを「ひとつ分のお値段で、ふたつ分のお買い得 ("get two for the price of one")」と言っていたように、ビルがヒラリーを「最大のアドバイザー」と評して全幅の信頼を置いていたのは事実であり、ヒラリーはその後もクリントン政権を通じて閣議に臨席するという特別な存在であった(これはケネディ大統領が信頼する実弟のロバート・ケネディを司法長官に任命して常に傍らにおいた例を踏襲したものだといわれる)。

ヒラリーは、イーストウィングにあるファーストレディーとしてのオフィスとは別に、大統領執務室や閣議室のあるウエストウイングにも異例のオフィスを構えたが、そうした彼女のスタッフたちを、ヒラリー自身も含めて周囲は「ヒラリーランド (Hillaryland)」と呼んだ。








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# by yumimi61 | 2017-03-02 11:00
2017年 02月 28日
父の病⑭
地域連携課(室)

近年は急性期病院や大規模病院を中心に地域連携課(室)や地域医療連携課(室)という名の部署を設けている病院が多い。
一頃、高齢化社会の到来と医療費の増大とともに「3時間待ちの3分診療」といった病院の待ち時間の長さと診療時間の短さが取り沙汰された。
大きい病院=良い病院という意識が長いこと人々の意識にあり、ちょっとしたことでも大きな病院を受診する人が多かった。
また高齢者は、安い医療費負担(1割)のためか、暇を持て余しているのか、それとも心地よいのか、寄合所かサロンのように病院や診療所に集うとの批判もあった。
これは診療所の例だが、「最近〇〇さんに行き会わないけど具合が悪いんかね~」「あなたは具合が悪いからここに来てるんじゃないんかいっ!」(←そんなことは言いません)、というようなことも無きにしも非ず。
ともかく大きな病院の新患受け入れは原則他の医療機関からの紹介状が必要になった(予約制)。(新患でなく既患でも予約ベースのところが多し)
他の医療機関からの紹介(予約)の窓口になっているのが地域連携課である。

急性期病院では救急車で搬送されてくる患者がいる。救急の場合には一見さんを受け入れているわけである。
但しすでに述べてきたように急性期病院にいられる期間は短い。
病状が少し安定したところで、退院させるか相応しい病院に転院させる。この調整を行っているのも地域連携課である。
在院期間が長くなってきた患者や高齢者の転院や退院の相談に乗り連絡調整(在宅医療・転院・施設入所など)を行うのも地域連携課である。
つまり、病院・診療所・介護施設や福祉施設・地域包括支援センター・ケアマネジャーなどと連携を図るうえで欠かすことの出来ない部署であり、病院の病床管理や平均在院期間を維持するという重要な役割を担っている。
その他、医療費の心配など経済的問題、退院後の療養や医療についての相談を受けている。

地域連携課(室)のスタッフは看護師と医療ソーシャルワーカー(相談員)、事務員で構成されている。
地域連携課(室)はなく、医療ソーシャルワーカーが1人か2人程度、病院事務室(総務)に配属されているという病院もある。


ソーシャルワーカー

以前私はソーシャルワーカーについて少し書いたことがある。
第一次世界大戦前から独立運動を行い、戦後にチェコスロバキア共和国の初代大統領に就任したトマーシュ・マサリクについて書いていた時の事である。
トマーシュ・マサリクはチェコの東部の町の労働者階級の家に生まれた人物。妻がアメリカ人であった。
32歳の時にプラハ大学の哲学教授に任命されたが、若い頃は鍛冶屋として働いており大学で学び段階を踏んで教授になったわけではないので、妻がアメリカ人だったことの影響があったのではないかと私は書いた。
トマーシュ・マサリクはアメリカ人妻の5人の子がいて、そのうちの1人アリツェに関連してソーシャルワーカーについて触れた。
アリツェははカレル大学に入学を許可された最初期の女子学生の1人であり、その後、英国、ドイツ、アメリカに留学した。帰国後、大学教授となり、1911年のカレル大学における社会学部設立に貢献したが、第一次世界大戦中はマサリクの子は危険人物であるとして幽閉状態に置かれ、活動を制限された。チェコスロバキア独立後はチェコスロバキア赤十字総裁となり、父親の意向で女性の権利拡大にも貢献した。しかし、1939年のナチス・ドイツのチェコスロバキア併合により、米国に亡命。終生米国で暮らした。

アリツェ・マサリクはアメリカのシカゴに招かれた。
ハルハウスではなくて、シカゴ大学内に設置されたセツルメントに招かれたらしいが、ハルハウス創設者の社会福祉の母たちとの出会いがあった。
そしてチェコに戻った後の1911年にプラハ・カレル大学に社会学部を設置し教授となる。
シカゴとシカゴ大学に縁がある人なのだ。

第一次世界大戦後に独立をはたしたチェコスロバキア共和国で、1919年にチェコスロバキア赤十字の総裁となり、第二次世界大戦前の1938年にドイツがチェコスロバキアに侵攻するまでその地位にあった。
ドイツ侵攻後は再びシカゴ大学セツルメントに招聘され、アメリカで暮らした。


困っている人などを援助する社会福祉的な仕事をする人を英語ではsocial worker(ソーシャルワーカー)と言う。
この場合には慈善事業やボランティアなども含まれてくるので広義のソーシャルワーカーである。
日本では国家資格である社会福祉士と精神保健福祉士のことをソーシャルワーカーと呼んでいる。これは非常に狭い範囲のソーシャルワーカーである。
イギリスではソーシャルワークを行う場合には資格が必要でさらに登録制である。


ソーシャルワーカーとは、人権擁護の理念のもと、人々の社会的疎外を解決し、共存共栄社会の実現のために働く人たちの総称のことである。
発祥の頃は資格名や職種名ではなかった。ボランティアなどでも良かったのである。
その後は社会福祉に携わるあらゆる職種の総称となる。
日本ではさらに狭まり「相談援助職」(相談員や支援員)のことをソーシャルワーカーというようになった。
実は今現在も誰がソーシャルワーカーを名乗っても違法ではない。
その点、心理相談員や心理カウンセラーも同様である。

無資格者でもソーシャルワーカーの自称は可能であり、また活動そのものは無資格のソーシャルーワーカーが自己を名乗る際に「社会福祉士」、「精神保健福祉士」と名乗らなければ法律に抵触する事はないが(名称独占資格)、ソーシャルワーカーの国家資格である社会福祉士もしくは、精神保健福祉分野に特化した精神保健福祉士の資格を所持している者の方がもちろん無資格者よりステータスが高く、国家資格という形で国から認定されたソーシャルワーカーということになる。

巷にはソーシャルワーカーや心理カウンセラーが溢れている。
しかし現在医療現場でソーシャルワーカーと言えば社会福祉士のことである。
医療機関では「医療ソーシャルワーカー」と言っている。

医療ソーシャルワーカーとして勤務するための資格は無いが、ほとんどの病院で社会福祉士を保持することを条件としている。採用が内定しても、「社会福祉士国家試験に不合格の場合内定を取り消す」と明示している病院も少なくない。
理由としては、1,診療報酬点数の中に「社会福祉士」であることで請求できるものがあること。 2,病院機能評価機構が実施する評価の中に、専任のソーシャルワーカー配置や専用の相談室の設置などがある が考えられる。
また医師をはじめ、看護師、薬剤師、臨床検査技師など国家資格を保持している職種が働く機関において、無資格であることが許されないという情緒的な理由も考えられる。

(医療ソーシャルワーカーの)資格は無いが実質的には(国家資格である)社会福祉士を保持することが必要といえよう。


業務独占資格、名称独占資格

資格を有するものだけがその業務を行えるのが業務独占資格、資格を有するものだけがその名称を名乗ることが出来るのが名称独占資格である。
業務独占資格は名称独占資格でもあることが多い。

業務独占資格は、医師、看護師、助産師、薬剤師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士、救急救命士、弁護士、税理士、などなど。
資格を持つものでしか提供が許されない業務(行為)がある。
医療には資格者だけに許されている医療行為がある。

名称独占資格は、保健師、栄養士、調理師、介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、公認心理士などなど。
例えば保健師は保健指導や健康教育を業務として行う。
しかし保健指導や健康教育・健康相談は医師や看護師や助産師や栄養士などであってもそれぞれの範疇において出来るものであるし、実際に行うこともある。
つまり保健指導や健康教育という業務は保健師が独占しているわけではないので、業務独占資格ではない。
でも資格のない者が「保健師」を名乗ってそれを行うことは禁じられている。
国家資格である看護師が保健指導を行っているとしても、保健師国家資格がないのに「保健師」と称したり登録することは違法である。

「ソーシャルワーカー」は資格がなくとも誰でも名乗ることが出来る。
また看護師も保健師もソーシャルワーカー的な業務を行うことがある。
しかしながら、一般人はもとより看護師や保健師も社会福祉士を名乗ることは出来ない。
国家資格である「社会福祉士」は名称独占資格なので有資格者しか名乗ることが出来ない。
医療ソーシャルワーカー(相談員)=社会福祉士であることがほとんどなので、病院の地域連携課にはほぼ同じような仕事をしていたとしても看護師と社会福祉士がそれぞれ別の肩書(資格名)でいるということになる。


日本の医療ソーシャルワーカーの母!?

病院の医療ソーシャルワーカーの先駆者が浅賀ふさと言われている。
1929年にかの聖路加病院の医療社会事業部に勤務したことに始まる。

浅賀ふさ
生年:1894(明治27)年2月17日
没年:1986(昭和61)年3月3日
出生地:愛知県半田市
学歴:日本女子大学英文科卒(1916年)、ハーバード大学大学院教育学部修了

1919年(大正8年)に兄がアメリカに飛行機操縦の勉強に行くことになり、ふさはそれに同行した。
25歳になっていたふさは美術学校でデザインの勉強をしながら色々な仕事をした。
1924年30歳の時にシモンズ大学の社会事業専門学校に入り学んだ。
その後にハーバード大学教育学部で1年学んだ。(学歴はハーバード大が強調されている)
1928年(昭和3年)12月に帰国。翌年2月から聖路加国際病院(の前身病院)に勤務した。

戦後はすぐに厚生省児童局に入り、渉外専門家として社会事業に携わる。
1953年の中部社会事業短大(現:日本福祉大学)創設に加わり、教授として80歳まで日本福祉大学の教壇に立った。
日本医療社会協会の初代会長。

結核患者や貧困患者への相談や支援を行い、医療ソーシャルワークの草分け的存在となった。
その医療ソーシャルワーカーが国家資格にならなかったことや、聖路加国際病院が今日全室個室の富裕層向け病院となっていることは皮肉なことか、然もありなんといったところか。
女性の選挙権獲得にも大きな関心を持ち、女性運動家として母子保護法の制定に関わったり、1958年の国際社会事業会議で「放射能と人類福祉-なぜ日本人が核兵器実験に反対するか」というテーマで発表(広島の医療ソーシャルワーカーとともに被爆者調査をしたということで世界に発信)した。
朝日訴訟にも関わっている。

朝日訴訟
朝日訴訟とは、1957年(昭和32年)当時、国立岡山療養所に入所していた朝日茂(あさひ しげる、1913年7月18日 - 1964年2月14日:以下「原告」と呼称)が厚生大臣を相手取り、日本国憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)と生活保護法の内容について争った行政訴訟である。

結核患者である原告は、日本国政府から一カ月600円の生活保護給付金と医療扶助を受領して、国立岡山療養所で生活していたが、月々600円での生活は無理であり、保護給付金の増額を求めた。

1956年(昭和31年)、津山市の福祉事務所は、原告の兄に対し月1,500円の仕送りを命じた。
市の福祉事務所は同年8月分から従来の日用品費(600円)の支給を原告本人に渡し、上回る分の900円を医療費の一部自己負担分とする保護変更処分(仕送りによって浮いた分の900円は医療費として療養所に納めよ、というもの)を行った。
これに対し、原告が岡山県知事に不服申立てを行ったが却下され、次いで厚生大臣に不服申立てを行うも、厚生大臣もこれを却下したことから、原告が行政不服審査法による訴訟を提起するに及んだものである。



社会福祉士

保健師・助産師・看護師(保助看法)の歴史が古いのに比べると、福祉専門職資格の歴史は浅い。
社会福祉士は1987年に新設された国家資格である。
また必置資格となったのは、2006年の地域包括支援センターの創設時が初めてだった。

必置資格
ある事業を行う際に、その企業や事業所にて特定の資格保持者を必ず置かなければならない、と法律で定められている資格。業務独占資格が必置資格としての性質を併せ持つ場合もある。
病院や診療所には医師と看護師が必ず必要。
保育所には保育士、クリーニング所にはクリーニング師、美容所には管理美容師、理容所には管理理容師、一定規模以上の事業場には衛生管理者など、様々な場所に必置資格者の設置が定められている。

社会福祉士資格が誕生するまで、日本における相談援助職と言えば、福祉事務所のケースワーカーと病院の医療ソーシャルワーカーのことだった。
ケースワーカーは大学卒業後に自治体に採用され、社会福祉主事任用資格を得て職に就くという形が主流だった。
社会福祉主事任用資格とは、大学で一定の科目を履修するか、入職後に一定の研修を経た者に資格を付与するものであり、自治体がケースワーカーを任用するための資格に過ぎず、包括的かつ深い知識や実務経験は問われない。
同じく自治体に採用される国家資格の保健師などとは違い、社会福祉主事任用資格を得ても部署が異動して他の業務に就くこともあり専門性は必ずしも高くなかった。
上記のように医療ソーシャルワーカーも独自の資格としては認められてこなかった。

(1989年に誕生した社会福祉士は)これまでは医療保険算定上においても職員の人員規定が無かったので、資格取得者を雇用しても雇用者側が一方的に人件費を費やすのみになり、『非生産部門』と位置づけられて地位も低かったが、昨今では医療保険点数の改訂にて後期高齢者退院調整加算等が創設され、保険加算のための人員配置基準となり、また地域包括支援センターにおいても職員の(主任)介護支援専門員、保健師と並んで人員配置基準になっており、資格者を求める傾向または無資格者には資格取得を求める傾向が出てきた。


地域包括支援センター

地域連携課の連携先の1つである地域包括支援センターというところがある。
地域包括支援センターは、介護保険法で定められた、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関である。各区市町村に設置される。2005年の介護保険法改正で制定された。
センターには、保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士が置かれ、専門性を生かして相互連携しながら業務にあたる。
法律上は市町村事業である地域支援事業を行う機関であるが、外部への委託も可能である。要支援認定を受けた者の介護予防マネジメントを行う介護予防支援事業所としても機能する。

(受託法人は社会福祉法人)

かつて市町村役場内にあった在宅介護支援などの相談業務を行う部署や窓口が専門性を高めて独立し外に出たということである。
妊産婦や乳幼児、成人の健康診断や健康相談、健康教育を行う部署が保健センターとして独立して外に出たのと似ている。
保健師はこの自治体の保健センターに多く就業している。自治体の地域包括支援センターに配属されている保健師もいる。






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# by yumimi61 | 2017-02-28 12:33
2017年 02月 26日
父の病⑬
「病院」とは、入院用ベッドが20以上あるところ。
「診療所」とは、入院用ベッドが19以下のところ。


【病院】
        病院数         病床数           
2001年  9239(100)   164万6797(100)
2014年  8493(91.9)↓  156万8261(95.2)↓


【診療所】
        診療所数           病床数           
2001年  9万4019(100)    20万9544(100)
2014年  10万461(106.9)↑  11万2364(53.6)↓

※(  )は2001年を100とする指数。


日本全体の病床数、つまり入院ベッド数は、この高齢化社会の中、2001年から2014年の13年間で17万5716も減少した。
特に診療所の病床数の現象が顕著である。診療所数自体は増えているのにベッド数は半分になった。
入院は儲からず経営が厳しくなるということだろうか。患者の大病院志向もある。
入院患者がいるとなれば24時間体制を敷かなければならなくなるので、小さな規模の診療所では負担が大きくなり医師や看護師の確保も難しいのかもしれない。
介護施設が増えて、高齢者がそちらに流れたということもあるだろう。


【病院患者数】
        入院         外来
2002年 137万7600人   195万2500人
2014年 127万3000人↓  164万1900人↓

【診療所患者数】
        入院         外来
2002年  7万3400人    337万7600人 
2014年  4万5800人↓   423万3000人↑


患者数が増えているのは診療所の外来のみ。


【看護職員数】
        病院              診療所  
2001年 77万6194人(100)   25万6809人(100)
2014年 97万7654人(126)↑  33万0149(128.6)↑

※看護職員は保健師・助産師・看護師・准看護師とする。
※(  )は2001年を100とする指数。


病床数が大きく減って、それに伴い入院患者数も減り、病院では外来患者も減っているが、病院と診療所で働く看護職員数は病院・診療所ともに増加している。
病院・診療所で働く医師も増加している。(2002年は26万2687人だったが、2014年は31万1205人)

近年看護大学が乱立した。
看護大学はもともと数が少なく、1989年度にはわずか11大学に過ぎなかった。入学者定員は500人程度。
ところが平成4年(1992年)頃から年々増加し続け、2014年度には228大学にまで急増した。入学定員も2万人程度に膨れ上がった。20年で20倍になったのである。
看護大学の他にも依然看護師養成学校や准看護師養成学校もある。
看護師養成学校(3年過程)は少しずつではあるが年々増加している。2014年は65校。
看護師養成学校(2年過程)はやや減少傾向にあり、2014年は80校。
准看護師養成学校も減少傾向にあるが2014年にはまだ188校ある。

看護大学乱立の背景には看護師不足があると言われているが、看護師は本当に不足しているのか?
医師も本当に不足しているのか?
すでに過剰気味なのではないだろうか?
さらに看護師は上記の従事者数以外に潜在看護師(資格を持っているが看護師として働いていない人)が50万人以上いると言われている。
医療現場などのようなところで働き方改革を導入すれば当然より多くの職員が必要になるわけだが、病床数減少の中で看護職員や医師数が増えているのはそういうことだろうか。
働き方改革で職員が増えるのは職員や患者にとっては悪いことではないかもしれないが正規職員では経営は厳しくなる。また一人一人の給与は減ると思う。世の中複雑。
看護師は過剰気味にいるのに、介護施設では看護師の確保に苦労している。


【都道府県別看護職員数】
病院・診療所に限らず何らかの職に従事している看護職の数を人口10万対比で都道府県別に比較。

■看護師・准看護師 多い10都道府県
①高知県 1663.0人
②鹿児島県 1652.4人
③長崎県 1587.8人
④宮崎県 1584.2人
⑤熊本県 1573.4人
⑥佐賀県 1544.6人
⑦徳島県 1484.6人
⑧大分県 1453.2人
⑨島根県 1437.4人
⑩山口県 1422.4人

■看護師・准看護師 少ない10都道府県
①埼玉県 691.9人
②神奈川県 693.7人
③千葉県 710.8人
④東京都 832.8人
⑤愛知県 851.1人
⑥静岡県 863.2人
⑦茨城県 865.0人
⑧奈良県 920.2人
⑨岐阜県 934.0人
⑩滋賀県 953.8人

■保健師 多い10都道府県
①山梨県 64.4人
②福井県 64.3人
③長野県 63.8人
④島根県 63.4人
⑤岐阜県 63.0人
⑥高知県 60.3人
⑦北海道 59.4人
⑧新潟県 58.6人
⑨佐賀県 57.0人
⑩山口県 56.4人

■保健師 少ない当道府県10
①神奈川県 23.9人
②埼玉県 24.8人
③兵庫県 27.9人
④大阪府 29.1人
⑤千葉県 31.8人
⑥東京都 34.6人
⑦奈良県 35.1人
⑧茨城県 35.5人
⑨三重県 36.3人
⑩愛知県 40.1人


職に就いている看護師・准看護師の10万対比については、西高東低というはっきりとした特徴がある。
これは先日掲載した要支援・要介護認定率の高低の傾向にも通じている。


■要支援・要介護認定率の高い都道府県
 1.長崎県 22.3%
 2.和歌山県 21.7%
 3.徳島県 21.2%
 4.島根県 20.7%
 5.愛媛県 20.6%
 6.鹿児島県 20.5%
 7.岡山県 20.3%
 8.秋田県 20.2%
 9.熊本県 20.1%
10.鳥取県 19.8%

■要支援・要介護認定率の低い都道府県
 1.埼玉県 13.7%
 2.千葉県 14.1%
 3.茨城県 14.4%
 4.愛知県 15.1%
 5.静岡県 15.1%
 6.栃木県 15.4%
 7.山梨県 15.6%
 8.神奈川県 15.7%
 9.岐阜県 15.8%
10.滋賀県 16.8%







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# by yumimi61 | 2017-02-26 00:29
2017年 02月 25日
父の病⑫
かつては特別養護老人ホームや介護老人保健施設にも看護職員を配置する基準はなかったが、基準が設けられたため、そうした施設でも看護師を確保しなければならなくなった。
高齢化が進む中、国は医療費の削減を目指し、医療保険から介護保険に比重を移したいと考え施策を練っている。一般病床の7:1という看護体制は減少傾向にある。
一方で介護サービスを受ける高齢者は増えて介護施設は増加している。
それでもまだまだ介護施設で働く看護師は少ない。
介護施設の約半分は看護師の確保に苦労していると言われている。

2014年(平成26年) 就業場所の割合

<資格>・・・特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、訪問看護ステーション、居宅サービス等で働く割合(特別養護老人ホーム、介護老人保健施設で働く割合)
※保健師は看護師資格も必ず有しているが、市町村と保健所以外は主にどちらの立場で働いているのか数値からだけでは分からない。

<看護師+准看護師>・・・11.8%(5.5%)

病院 63.0%
診療所 20.7%

特別養護老人ホーム 2.5%
介護老人保健施設  3.0%
訪問看護ステーション 2.7%
居宅サービス等 3.6%

<看護師>・・・9.5%(3.8%)

病院 70.1%
診療所 15.9%

特別養護老人ホーム 1.8%
介護老人保健施設  2.0%
訪問看護ステーション 3.2%
居宅サービス等 2.4%

<准看護師>・・・19.4%(11.1%)

病院 40,7%
診療所 35.7%

特別養護老人ホーム 4.9%
介護老人保健施設  6.2%
訪問看護ステーション 1.0%
居宅サービス等 7.3%

<保健師>・・・1.3%(0.2%)

市町村 46.0%
診療所 17.0%
保健所 12.0%
病院 9.2%

特別養護老人ホーム 0.1%
介護老人保健施設  0.1%
訪問看護ステーション 0.5%
居宅サービス等 0.5%


介護施設で働く方が病院(病棟勤務)で働くより夜勤が少ない。あるいは夜勤がない。
不規則勤務がないということは就業条件としては敬遠する理由にはならないが、不規則勤務(夜勤あり)がないと給与が下がる。給与が下がるということは敬遠する理由に十分なり得る。
また不規則勤務がないと言っても施設によってはオンコール対応が多いという場合もあり、その場合には結局長時間拘束されてしまう。
しかも拘束時間全てが給与になるわけではなく、出向いた分だけが給与に反映されるというケースが多い。
また介護施設では看護師が少数しかいないため、1人で判断したりや急変時に1人で対応しなければならなくなることもある。
非常に責任が重いし、家族や他職種とのトラブルなども予想できる。

そして何より人間関係がとても難しい。
どこの職場でも人間関係の問題はあるだろう。病院にももちろんある。
しかし介護現場はさらにいろいろと大変である。人間関係を理由に離職する人も多い。
看護職、介護職、リハビリ職、相談員、、、その境目があるようなないような環境。
しかしそれぞれに専門意識があることには変わりない。

医療現場や介護現場は社会のヒエラルキーの縮図のようなところがあるし、そういう意識が持ち込まれることも多々ある。
看護師として就職したとしても介護に全く携わらないなんてことは出来ない。介護の中に医療が必要な場合があるという感じであり、病院ほど看護師として働いている観はない。
また看護職も介護職も種類がある。看護師ならば正看護師と准看護師のように。養成課程や職歴が違う。
臨床経験の有無や年数やブランクによるスキルの違いもある。
正規職員なのか時給職員・短時間勤務職員なのか、はたまた嘱託・臨時・契約社員なのかという違いもある。
看護職・介護職ともに一般企業では定年後の年齢となる人も結構いる。しかしながら学校を卒業したての若い人達も多い。
年配の新人がいたり、若い上司リーダーがいたりする。経験年数と人生経験は必ずしも一致しない。
サービスを提供する対象はすべからく高齢者である。その高齢者が年齢が近い人が良いと思うか、若い人が良いと思うか、それは人それぞれ。みな各々に事情を抱え、それぞれ固有の人生経験を積んでいるという対象者側の背景がある。
病院のような短期の付き合いではなく、長期での付き合いとなり、且つ生活に密着する。
働いている人達は仕事が仕事なだけに勤務日や夜勤交代などで不公平感や不満感を募らせやすい。
売り手市場なので簡単に離職しやすいため、それを繋ぎとめたいがために管理者(経営者)が公平な対応をしない。
人手不足だけに来るもの拒まず的な採用をするなど様々なトラブルを内包している。

さらに男性も増えてはいるが女性が多い職場であることには変わりない。介護職員の7~8割は女性。看護職員は9割以上が女性。
口数・おしゃべりが多い、グループを作りやすい、家庭との両立など、女性ならではの独特な社会が形成されやすい。女の社会ということでママ友付き合いの難しさにも通じるものがある。

言うなれば幼馴染と元彼と今彼とその友達が一つ所にいるようなものです。(違う?)






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# by yumimi61 | 2017-02-25 15:23
2017年 02月 24日
父の病⑫
かいご病院の入院には看護基準(看護体制)が大きく関わっているという話を何度かしてきたが、介護施設にも法的にクリアしなければならない基準がある。

医療保険を使うもの

※左から、看護基準、平均在院日数、正看護師の比率、特徴

【一般病床】・・・・看護体制と平均在院日数によって診療報酬が決まる

 7:1  18日以内  7割以上  急性期
10:1  21日以内  7割以上  急性期
13:1  24日以内  7割以上  急性期・亜急性期
15:1  60日以内  4割以上  亜急性期

【医療型療養病床】・・・・患者の医療区分とADL(日常生活動作)によって診療報酬が決まる

20:1 期間の定めなし 2割以上  重症者が多い(医療区分2と3の患者が8割以上である必要あり)
25:1 期間の定めなし 2割以上  重症者が比較的少ない(医療区分2と3の患者が5割以上である必要あり)
―25:1は暫定的に認められている看護基準であり法的には20:1―

【回復期リハビリ病床】

13:1  180日以内  7割以上  重症患者3割以上
15:1  180日以内  4割以上  重症患者2割以上

【精神病床】

10:1  40日以内   7割以上  精神救急
13:1  80日以内   7割以上  精神急性期
15:1 期間の定めなし 4割以上  精神一般・療養
18:1 期間の定めなし 4割以上  精神療養
20:1 期間の定めなし 4割以上  精神療養


介護保険を使うもの

【介護療養病床(介護療養型医療施設)】
30:1 期間の定めなし 定めなし 医療管理の必要のある要介護者の療養
―30:1は暫定的に認められている看護基準であり法的には20:1―

入居者100人あたりで常勤換算17人の看護職員が必要となる。
介護職員も常勤換算で17人必要。
医師は3人。


【特別養護老人ホーム】 
・介護職員又は看護師若しくは准看護師の総数は、常勤換算方法で、入居者:職員=3:1以上の比率で配置する。
・看護職員の数は、次のとおりとすること。
(1)入所者の数が30を超えない施設では、常勤換算方法で1人以上
(2)入所者の数が30を超えて50を超えない施設では、常勤換算方法で、2人以上
(3)入所者の数が50を超えて130を超えない施設では、常勤換算方法で、3人以上

入居者100人あたりで常勤換算3人の看護職員が必要となる。
介護職員は31人必要となる。
医師は1人(非常勤可)。


【介護老人保健施設】
看護師若しくは准看護師又は介護職員の総数は、常勤換算方法で、入居者:職員=3:1以上の比率で配置する。
看護職員の数は看護・介護職員の7分の2程度、介護職員の数を7分の5程度を標準とする。

入居者100人あたりで常勤換算9人の看護職員が必要となる。
介護職員は25人必要となる。
医師は1人(常勤)。
そのほか、リハビリスタッフ(PT/OT/STのいずれか)を1人配置する必要あり。


・有料老人ホーム
・軽費老人ホーム(ケアハウス)
・グループホーム
・サービス付き高齢者向け住宅

上記施設には法的な看護職員や介護職員の配置基準はない。サービスとして配置しているところもあるが、そういうところは当然入居一時金や月額費用が高い。
但し特定施設の認定を受けて介護保険の「特定施設入居者生活介護」というサービスが利用できる施設(介護付有料老人ホーム、介護型ケアハウス、介護型サービス付き高齢者向け住宅施設)においては基準が設けられている。

【特定施設(介護付有料老人ホーム、介護型ケアハウス、介護型サービス付き高齢者向け住宅施設)】
看護職員又は介護職員を、要介護の入居者:職員=3:1以上、要支援の利用者:職員=10:1以上配置する。

看護職員の配置人数は次の通り。
・利用者数が50人以下の場合は、常勤換算で1人以上配置。
・利用者数が51人以上の場合は、常勤換算で、利用者:看護職員=50:1以上配置。

介護職員の配置人数は次の通り。
・常時1人以上(但し利用者全員が要支援者である場合の当直時間帯は除く)。


夜勤について

介護保険関係施設で職員の夜勤について基準があるのは、介護療養病床(介護療養型医療施設)のみ。
1病棟に付き2人以上で、且つ入居者30人ごとに1人以上。
2人のうちの1人は看護職員でなければならない。もう1名は介護職員で可。

医療保険を使う医療型療養病棟(正看護師割合は2割でOK)も1病棟に付き2人以上の夜勤職員が必要で、2人のうちの1人は看護職員でなければならないが、もう1人は介護職員で可。

特定施設の場合は介護職員配置は「常時」1人以上ということなので夜勤時間帯も1人は必要ということになる。

基準がない施設であっても介護度の高い入居者を預かっていて夜勤者が誰もいないということはさすがにないと思うが、経営に関わることなので基準がなければ最低人数で回すことが多いだろう。つまり多くは1人。
入居者が少なければ当然1人・・・。
1人だから、容態が悪化したり問題行動を起こしている人に付いていれば、他の人には目を配れない。
救急車を呼んだりした場合には誰が付き添っていくのか?行かないのか?そもそも救急車は呼ばないのかとか、、ね?オンコール?
夜中に起きて徘徊しだす認知症の人がいるような時にも大変だなぁ。車椅子?抑制?






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# by yumimi61 | 2017-02-24 14:43