2018年 04月 23日
日本国憲法の秘密-720- (外貨準備と貿易について)
中国に最初にアヘン(ケシ)が持ち込まれたのはイギリス産業革命の頃ではなく、もっとずっと前。西暦600年以降のアラブ人によって持ち込まれたと考えられている。
600年代というのはちょうどアラビア半島のムハンマドによってイスラム教が開かれた時代。
ムハンマドの弟子が中国にも布教に出向いたということなので、その時に持ち込まれたのだと思われる。
900年代の本草書(生薬の原材料となる植物の特色などを記した中国の書物)には芥子(ケシ)が記載されている。
栄養補給や医薬品として用いたわけだが、副作用や中毒性などがやはり問題になったのか、取扱いが難しいとして中国の東洋医学は慎重だった。
生薬の服用の仕方には原末・丸薬・エキス・煎じなど様々あるが、生薬を燃焼させてその煙を吸い込む飲煙という方法もある。
生薬と漢方薬の違いは使われている植物が単独か否かということ。漢方医学の理論に基づいて複数の生薬を組み合わせたものが漢方薬である。
日本やヨーロッパでは生薬自体を医薬品に含めているが、アメリカは生薬に含まれる有効成分しか医薬品として認めていない。
現在、国際条約下でアヘンの輸出可能な国はインド、中国、日本、北朝鮮の4ヶ国に限定されているが、現在も輸出を継続しているのはインドのみであるため、国際条約下においてはインドが本種の最大の栽培地といえる。
(表向きではなく密かに輸出入するのが密輸であり、それは摘発され公表されなければ知る由もない)

アラブ人から中国にアヘンが持ち込まれた時には爆発的に広がるということはなかった。

アヘンの拡がりにはタバコが関係している。
タバコの発祥地は南米。紀元前より喫煙文化があり、当初の宗教儀式から嗜好へと変化していった。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸に上陸した時にはすでにアメリカ先住民の間でも喫煙が根付いていた。
そのアメリカからヨーロッパに喫煙文化が伝えられ、ヨーロッパを経由して中国にも広がった。
もともとケシが生薬として存在しており飲煙という方法もあった中国で、ケシをタバコの葉代わりにしてみた人がいたのだろう。
先日化学兵器のことを書いた時に気化させたガスのほうが即効性が高いと書いたが、それは生薬でも同じことである。
経口服用よりずっと速効性が高い。生薬を飲むよりも煙にして吸い込む方が大量に効率よく取りこめる。このことによって麻薬的効果も格段に増幅されてしまう。
アヘン(ケシ)をタバコ代わりにすることをヨーロッパに伝えたのはカトリック国であるポルトガルであった。


産業革命頃から始まったイギリス(インド)からのアヘン輸出により、清ではアヘンが瞬く間に広がっていった。
清のアヘン中毒者は、1820年から1845年の25年間に100倍増え、国民の10%近くが中毒に陥っていたと推測されている。
そしてついにはイギリスの紅茶輸入額よりも清のアヘン輸入額が上回ってしまう。
イコールならば物々交換でいけるが、清の輸入額が増えたらそうはいかないだろう。「金でも銀でもいいけどお金払って」とイギリスは言うに決まっている。
こうして清からイギリスへ銀が流出していくことになった。
中毒者が増えて風紀は乱れるは、銀は流出するはで、清は踏んだり蹴ったり。
「アヘン禁止!輸入してはダメ!」、とうとう清政府からお達しが出た。
それでも密輸は止まらず、ついに戦争に突入したことは御存知の通り。アヘン戦争とアロー戦争。


”風紀が乱れた”でちょっと脱線。
風紀と言うと「風紀委員」を思い出すという人もいるのではないかなと思うが、通っていた学校に風紀委員という委員会活動がありましたか?
私は記憶にないのでたぶん風紀委員という委員会がなかった学校だったと思うけれど、ある?
職場にもあったりして?
風紀ー日常生活のうえで守るべき道徳上の規律。特に,男女の交際についての規律や節度
風紀委員のメインのお仕事は男女交際の見張り? 


Yahoo知恵袋より
2013/5/29 12:51:37
Q 風紀 とは? 簡単に教えてください!
..................................................................
...................................................................
夜の職業の言葉で【風紀 - ふうき】とありますが、どういう意味ですか?
例えも込みで、簡単に教えてください!


2013/5/2913:19:36
A 風紀とは。
社会生活の秩序を保つための規律。特に、男女間の交際についての節度。

とあります。
たとえばキャバクラなどの、お酒を飲み、会話を楽しむためのお店で、
ノリのよすぎるキャストの女性が男性客に足や胸を触らせたり、
店内でキスしたりしているのを周囲に見られたとします。
(普通やらないようなルール違反ですね。)
他の男性客が「俺にもさせろ」と他のキャストに言い寄る。
それに応じるキャストばかりではないので「向こうでは、やってたぞ」とクレームになる。
「あそこの店はいろいろやらせてくれる」という風評や
「俺は断られた、クソだあの店は」と悪評を流されたりと、
お店のイメージが悪くなる。
お客は気分悪いし、キャストも迷惑だし、お店は大損害です。
いいお客も行きづらくなりますし、キャストも辞めたくなったりします。

これが風紀が乱れた結果。
良好なお店である為に必要な「皆が守らなければならないルール」のことを風紀といい、
それを破る(乱す)とそのお店の雰囲気やイメージがガタ落ちになって、
社会的に悪く言われてしまい、やっていけなくなります。
実社会でも「風紀」というのはすごく重要です。

お分かりいただけましたでしょうか。









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# by yumimi61 | 2018-04-23 16:44
2018年 04月 22日
日本国憲法の秘密-719- (外貨準備と貿易について)
178.png2008年6月までカテゴリーとタグ付終了しました。


イギリスが1825年に機械輸出を解禁したことで、イギリスでの産業革命はほぼ完了した。
イギリスはこれにより金銀外貨を獲得する筋道を立てた。国内で不足するものがあっても輸出がある(貿易黒字国である)限り安心である。
イギリスの産業革命はヨーロッパ諸国、アメリカ、日本など世界各地に広がっていった。

工業化に支えられたイギリス経済は成長し、その間に人口は3.5倍に増大した。
人口の増大と経済成長は調和的に進行した。
機械工業化は生産効率を上げ、作れる物を大きく増加させた。
物が増えて、お金も増えて、人口も増えた。
人口は増えたけれど、国民が持つお金も増えて、必要な物を供給することも出来た。
人口増加が問題とされてきたのは「革命」がなかったからで、革命さえあれば乗り越えられると誰もが思うようになった。
乗り越えることを考えに入れなかった「マルサスの人口論」は「マルサスの罠」なのだと言わんばかりに。



イギリスは工業製品と綿製品が主要な輸出品であった。
国内で不足するものがあっても輸出がある(貿易黒字国である)限り安心である。 ←しかしこれがそれほど上手くはいかなかった。
綿製品の生産はアジアやアメリカでは困っていなかった。要するに売れないのだ。
機械や工業製品の輸出を通してアメリカとはそれなりに上手くやっていたが、機械や工業製品が入っていかない国との貿易では均衡や黒字化は難しい状況だった。
もっとも世界各地で産業革命が進んでいくに従って機械や工業製品もイギリスの優位性は失われていくのだが。

イギリスの貿易赤字が顕著に現れたのが清(中国)との貿易だった。
清は綿製品は良い物があったので必要としなかった。工業化は進んでおらず大型機械類などはなかなか受け入れられない。工業製品はまだ価格が高く富裕層ならまだしも庶民に行き渡るものではなかった。

だがイギリスは紅茶を必要とした。
イギリスと言えば紅茶と言われるくらい紅茶で有名な国だが、実は昔から茶葉を自国で栽培しているわけではなく、輸入に依存している。
イギリスは物として紅茶が誇りなのではなく、紅茶という文化が誇りになっているのだ。
ヨーロッパの水は硬水でミネラルが多すぎて常飲には向かない。
(だから水代わりにお酒を飲むのだとか・・)
(日本人はミネラルウォーターが良いと思い込んでいるふしもあるが、硬水は臓器が十分に発達していない赤ちゃんや子供、病気の人には負担や弊害となることもあるので拘り過ぎは注意が必要です)
またヨーロッパは川の全長が長く勾配も緩やかで非常にゆっくりと流れるため、衛生的見地に立つと問題が多い。(日本の川は短くて流れが急)
それを安全に飲める水にするには薬品などを多く使うことになり、どうしても水の味が落ちてしまう。
ヨーロッパの人達は歴史的にあまり水道を信じていないという面もある。
さらに硬水はお茶の香りや味をしっかりと出すのに向いていない。特に不発酵の緑茶や半発酵のウーロン茶では抽出されにくい。
ところが完全発酵である紅茶の場合は、とてもよく抽出されて美味しさが引き出される。
さらにさらに濃く抽出された紅茶にはミルクがよく似合う。
イギリスは酪農が盛んであり、イギリスのミルクはとても美味しい。
そのミルクも使えるお茶となれば一石二鳥である。
自国栽培していない紅茶は本来はお金持ちの上流階級の人達がたしなむものであったが、中国から豊富に輸入できるようになったことと、産業革命によって増えたお金によって紅茶を飲用する人が増大したことによって、イギリスの紅茶は今の地位を築いていく。(労働者がお酒を飲んでばかりでは困るので経営者が紅茶を勧めたとか・・)

 イギリス(綿製品や工業製品)→×買わない 清
 イギリス←(紅茶)清
 ※イギリスの清との貿易は赤字


産業革命によって大量生産できるようになったイギリスの綿製品は当初ヨーロッパ諸国中心に輸出されていたが、産業革命が拡がるにつれて輸出先は工業化が進んでいない国へと移っていった。
特にインドに大量に輸出されるようになった。
そのインドも綿製品の生産が盛んな国ではあったが、手工業・家内工業的生産だった。
企業が機械で大量生産した安い綿製品がインドに入っていくことによってインドの綿生産は大打撃を受けたが、その代わり綿花をイギリスに輸出することになった。

 イギリス(綿製品)→インド
 イギリス←(綿花)インド
 ※イギリスのインドとの貿易は黒字
 

以前書いたように、イギリスは手形がいち早く導入された国でもある。
産業革命の頃にはすでに為替手形による貿易が行われていた。

インドはイギリスから輸入した綿製品の代金を支払う必要がある。
イギリスはインドから輸入した綿花の代金を支払う必要がある。
だが貿易黒字なのはイギリス。インドの支払いのほうが多い。

イギリスは清から輸入した紅茶の代金を清に支払う必要がある。
そこでイギリスは手間を省いて、インドがイギリスに支払うべき代金をイギリスではなく清に支払ってもらう契約を結んだ。=この形式を為替手形という。

イギリス(手形振出人)
インド(支払人)→清(受取人)(手形所有)


だが両国のイギリスとの貿易額には差があった・・・
 イギリスのインドへの輸出額<イギリスの清からの輸入額
インドが清に支払う額では足りなかったのである。

インド「清がこれでは足りないと言ってます」
イギリス「じゃあインドがもっとイギリスの綿製品を買いなさい」
インド「いや我が国はこれ以上の綿製品は必要ありません」
イギリス「うーん困ったな・・・そうだ!いい方法がある。お金(銀)の代わりにアヘンを清に渡せばよい」
インド「アヘンをですか?そんなもので了承してもらえますかね?」
イギリス「とりあえず支払いをちょっと待ってもらって、そのお詫びとしてアヘンを渡して御覧なさい」
インド「そんなことで上手くいくもんですかねぇ」

その方法はイギリスの目論見通り非常にうまくいき、やがて清では代金はいらないからアヘンを持ってきてくれと言い出すようになったほどである。
こうなると紅茶とアヘンの物々交換が成立する。
インドを植民地にしてインドでアヘンを生産させ、イギリスは清と直接物々交換すれば、お金(銀)が他国に流出することはない(外貨が必要ない)。
それと同じで綿花と綿製品も物々交換にしてしまえば、イギリスからインドに流れるお金(銀)も最小限で済む。



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# by yumimi61 | 2018-04-22 17:35
2018年 04月 22日
生長点
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# by yumimi61 | 2018-04-22 01:33
2018年 04月 20日
日本国憲法の秘密-718- (外貨準備と貿易について)
2001年3月、日銀は当座預金残高(民間金融機関が日銀内に保有する預金)を一定額増加させていくという金融政策を導入した。
これはデフレ脱却(前年比のインフレ率を安定的にゼロ%以上にする)という理由が掲げられていた。
どうして日銀の当座預金が増えると金融調節が出来るのかと言えば、その預金で日銀が国債や手形が買えるから。
日銀が国債や手形を買うということは市中銀行に現金が出ていくということ。さらに市中銀行から世間に出され、世の中に出回るお金が増える。
世にお金が増えるとインフレになると考えられている。。

銀行であっても誰であってもお金がなければ国債や手形を買うことは出来ない。
日銀とて買うにはお金が必要。でも日銀は紙幣発行権を持っている。つまり紙幣を作る権利を持っている。
日銀は国債を発行する時に紙幣を製造して市中に出していたはずである。
世に出す紙幣が負債で、所有する国債が資産。これでプラスマイナスゼロ。左右のバランスが取れる。

銀行の事業というのは自分の資金を使うのでなく、他人から預かったお金(預金)を用いて行っている。預金をどれだけ集められるかが銀行の成功を左右する。(しかし預金は銀行にとって負債でもあるので、それをただそのまま自分のところに置いておくわけにはいかない。貸したり買ったり他に貯金したりして左側の資産にしなければプラスマイナスゼロにならない)
市中銀行は企業や国民が預金しているが、日銀は企業や国民と直接取引していない。日銀にお金を預金するのは銀行という企業のみである。
日銀が積極的に事業を行おうと思ったら預金を集める必要があるけれども、紙幣発行権を持っている日銀の積極的な事業とは何か?
インフレを目標に国債や手形を購入するというならば、新しい紙幣を出せるはずである。



【市中銀行から見た日本銀行の当座預金】①+②=預金額
①所要準備額 0%
 市中銀行が日銀に必ず預金しなければならない額。
②任意額 ほぼプラス金利に該当する
 市中銀行が所要準備額を超えて預けた額

【日本銀行から見た日本銀行の当座預金】
預けられた金額を次の3つに仕分けする。 ①+②+③=預金残高
①マクロ加算残高 0%
 ・所要準備額 
 ・日銀が特別にゼロ金利で一般の銀行に貸し出す金額(貸出支援基金および被災地金融機関支援)
 ・日銀が適宜加算する金額 
②基礎残高  0.1%
③政策金利残高 -0.1%(マイナス金利)
 預金残高から①と②の額を引いた残りの金額


2016年1月に日銀がマイナス金利を導入して話題になったが、マイナス金利が適用されるのはごく一部だけである。③政策金利残高の部分のみ。

マイナス金利導入当時の日銀当座預金残高がおよそ250兆円。
①マクロ加算残高
 ・所要準備額9兆円
 ・日銀が特別にゼロ金利で一般の銀行に貸し出す金額(貸出支援基金および被災地金融機関支援)30兆円
 ・日銀が適宜加算する金額0円
②基礎残高210兆円
③政策金利残高
 250兆円-39兆円-210兆円=1兆円

250兆円のうち、マイナス金利に該当するのは1兆円くらいの計算だった。

日銀の当座預金は増えている。
10年ほど前は5兆円くらいで、黒田総裁が就任した2013年3月頃には60兆円近くになっており史上最高額を記録していた。
しかしマイナス金利を導入した2016年1月にはすでに250兆円となっていた。
日銀は一頃、日銀当座預金残高が増えればインフレ率2%が実現できるというような説明をしていた。
日銀が当座預金を使って国債や手形を買うことで紙幣を市中に出せば、一応その可能性は無くはない。
だがその出したはずの紙幣が世間に出ずに、再び銀行から日銀の当座預金に戻ってくるならばインフレなんか起こりようもない。
そもそも日銀に預けられたお金は日銀のものではない。市中銀行のものである。
インフレを目標としているならば、日銀が国債を買ったりなんかする必要も無く、最初から市中銀行がそれを日銀に預けず世間に出せばよいだけのことである。
また新しく紙幣を作らない限り、お金の総量は同じである。
結局のところ日銀のやりたいことは国債の回収なのではないかという疑惑が涌く。


市中銀行が日銀に預金しないようにする策が「マイナス金利」だったように一見見えるが、実際のところマイナス金利に該当するのは僅かな部分でしかない。
日銀がマイナス金利部分を増やすには、預金をしないようにするどころか、もっと預金してもらう必要がある。
世間に紙幣を出すという目的からしたら本末転倒。そのお金でもっと国債を回収したいということか。


だいいち、0.1%という金利は日本の世間一般から見れば高い。
この時代、私達の普通預金金利は0.001%、定期預金でも0.01%くらしかない。
1年で500円の金利を稼ぐのは決して楽ではないんですよ、黒田総裁。
だというのに、銀行は日銀の当座預金(普通預金)に預けておくだけで0.1%の金利が付く。
日銀の当座預金の金利が真の意味でマイナスになるのは、0.1%付けている基礎残高よりも-0.1%の政策金利残高が大きくならなければならない。同額ならば相殺されて金利ゼロである。そこまでは銀行は損をすることはない。

また例えば日銀が「もっとマイナス度を上げます!」と言って-0.5%にしたとする。でもその時に日銀が同時に「適宜加算する金額」を上げてしまえば、ゼロ金利該当額が増え、実質的な金利は言うほど落ちない。


日銀当座預金の実質金利(実質的な金利)は金利に幾つかの種類があることから生じるが、金融の話で「実質金利」と言う場合には次の事を指していることが多い。 

実質金利=名目金利ー物価上昇率(インフレ率) 

(例)1,000万円貯金があるので1000万円の家を買おうか考えている。
   今買えばプラスマイナス0円。
   では1年後はどうだろう?
------------------------------------------------------------------------
  金利:0% ⇒1,000万円
 インフレ率:0% ⇒1,000万円
   ↓
 1年後もその家は1,000万円で、貯金も1,000万円。
 今と変わらない。
------------------------------------------------------------------------
 金利:0% ⇒1,000万円
 インフレ率:2% ⇒1,020万円
   ↓
 1年後その家は1,020万円になっているが、貯金は1,000万円。
 1年後に買うと今買うより20万円損する。(足りない)
------------------------------------------------------------------------
 金利:0% ⇒1,000万円
 インフレ率:-2% ⇒980万円
   ↓
 1年後その家は980万円になっていて、貯金は1,000万円。
 1年後に買えば20万円得する。
------------------------------------------------------------------------
 金利:2% ⇒1,020万円
 インフレ率:0% ⇒1,000万円
   ↓
 1年後もその家は1,000万円で、貯金は1,020万円になっている。
 1年後に買えば20万円得する。
------------------------------------------------------------------------
 金利:2% ⇒1,020万円
 インフレ率:2% ⇒1,020万円
   ↓
 1年貯金しておけば1,020万円になるが、その家も1020万円になる。
 今と変わらず損も得もしない。
------------------------------------------------------------------------
 金利:5% ⇒1,050万円
 インフレ率:2% ⇒1,020万円
   ↓
 1年貯金しておけば1,050万円になり、その家は1020万円となる。
 1年後に買えば30万円得する。
------------------------------------------------------------------------
 金利:1% ⇒1,010万円
 インフレ率:0%  ⇒1,000万円
   ↓
 1年貯金しておけば1,010万円になり、その家は1,000万円と変わらず。
 1年後に買えば10万円得する。
------------------------------------------------------------------------

幾つかのパターンを書いてみたが、金利が何%で貯金し1年後に幾らになったか、インフレ率(物価上昇率)がどの程度で物の値段が1年後に幾らになっていたか、それによって損するのか得するのかは違ってくるということ。
だけどこれは、どうしても今買わなければならない人、どうしても今欲しい人には関係のない話。
時は金なりではないけれども、時が優先順位で上ならば、損得なんか関係ない。
そもそも1年後にどれくらい物価が上昇したかということは、1年経ってみなければ分からないこと。1年前に出来るのは予想と期待でしかない。
予想や期待は当たるとも叶うとも限らない。
2%の物価上昇率を目標にしても達成できなかったと日銀は何度も発表したではないか。
日銀が大々的に「2%の物価上昇率を目指します」と言えば(色を付けたケースになる)、1年待たずに今すぐ買ってくれて景気がよくなると期待しているのか知らないけれど、実質金利の意味を理解していなければ、そんな期待も意味なし。





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# by yumimi61 | 2018-04-20 16:28
2018年 04月 19日
日本国憲法の秘密-717- (外貨準備と貿易について)
世界恐慌後の失業者増加に対し、ライヒ政府(ドイツ政府)には抜本的な対策が要求する声が殺到していた。しかし財源不足な上に、資本市場が停滞している状況では公債発行もままならなかった。
1932年初頭より、政府内部では労働者雇用政策の財源を手形によって調達することが検討されはじめ、9月に発表されたパーペン計画、1933年1月に決定した緊急計画において採用された。
具体的には政府・公共団体が発注した事業を受注した企業が、公共金融機関を引き受け手とする手形を振り出し、ライヒスバンクが再割引を保証し、銀行または銀行団が割引き、期間内にライヒスバンクがこれを決済するというものであった。


上記は前にも引用した文章。

世界的に見ても好調だったドイツ経済は世界大恐慌によって萎んでしまった。
銀行や企業が機能せず、国民の収入が減ったり失業者が増えるということは、要は貧困を招くということである。国民の不満も高まったのでドイツ政府は何か手を打ちたいが、政府にも策を講じるだけの資金がない。
政府の主な収入源は税金であり、予算で管理されるものなので余剰金を生みにくく、また急激に大きく増やせるものでもない。一方で銀行や企業が機能せず国民の収入が減れば税金は減る。
そんな政府に出来る数少ない資金調達が国債発行である。
しかし資本市場も停滞している状況では、それに応えてくれる人が少ない。要するにお金を貸してくれるだけの余裕のある人が少ない状況。

この状況の中でヒトラー内閣は成立した。1933年1月30日。

これも以前書いたことになるが、ヒトラー政権は国債発行して資金調達し経済を上向きにさせたのではなく、手形を利用した。
例えば、政府が公共事業として高速道路を建設する。(受注した企業や下請け企業が沢山の労働者を使うようになるので失業問題の解決に繋がる。大規模な工事が行われることによって、それだけ潤う企業も増える)
政府が建設計画を立てたならば、まず見合った資金を調達しなければならない。
建設を受注する企業は「支払いはいつでもいいですよ」とか「支払いは10年先でよいです」とか「支払いは出世払いで構いません」なんて言ってくれない。実際にすぐに設計費に材料費に人件費などなど沢山のお金が必要となるのだから。
そんな悠長なことを言っていたら自分の会社が潰れてしまう。企業会計はシビアである。建設業界は前払いが基本。
だから政府は、「支払いを待ってもらう」のではなく、「支払うべきお金を借りて準備する」。建設国債などがそうである。

(国民や企業を救済するために政府が借金をする。でも政府の財源は税金なので結局のところ国民が借金をしていることに他ならない。借金はいつか返すべきものだが、現役年齢や寿命に限界がある限り、後に送れば送るほど自分には関係なくなるので借金が先送りされる。政府ではなく個人目線に立てば現役年齢や寿命が来ることで借金が踏み倒せることになる)

でも当時のドイツは国債発行しても買い応えてくれる人が期待できない状況だった。
だからヒトラー政権は「支払うべきお金を借りて準備する」のではなく、「支払いを待ってもらう」方式で事を進めた。
これが手形による資金調達ということである。

「支払うべきお金を借りて準備する」
これは3年とか5年とか10年とか予め期間を決めて借りる。
貸す方もその覚悟で貸す。但しその分だけ多い利息を期待して貸している。
通常オープン市場で調達する。

「支払いを待ってもらう」
こちらは長期の貸与は考えていない。「知らない仲じゃないからちょとだけなら待ってやるよ」といったニュアンスである。
例えば3月に、「5月に税金を徴収するのでお金が入ってくるから、それで支払うのでちょっとだけ支払いを待ってくれないか」と政府が言って、支払ってもらう側が了承すれば、これが成り立つ。
だけど5月に入ってくる税金が予め社会保障費に充てられると決められているならば、支払ってもらう側は「5月に税金が入ってきてもそのお金はあちらさんに払うお金でしょ、騙されませんよ」と言えば、成り立たない。
予算でがんじがらめになっている政府は、予算に挙げられている事業以外ではこちらの方法は通用しないことが多い。


ではなぜヒトラー政権は「ちょっと待ってもらう方式」が使えたのか。
マネーロンダリングのように貸し手をぐるぐる回し、最終的な手形持主を親密な関係にあり紙幣発行権利を持つ中央銀行にすることで、長期で待ってもらうなり踏み倒すなりが可能となるからだ。
ぐるぐる回す方法は、金融機関の割引、再割引(保証)という形で実施された。割引という言葉で分かりにくくなってしまうが、要は利息を付けることで手形が動くということである。



知らない仲でない人にちょっとの間お金を借りる。
世間一般でもよくあること(?)だが、金融の世界ではこれをインターバンク市場と言う。

【インターバンク市場】
金融機関の間で短期資金の貸借が行われる市場のことで、市場参加者は金融機関にのみ限られる。
人々が預け入れたり引き出したりする金額を銀行が計画的に管理することは出来ないので、金融機関は毎日多額の資金が余ったり足りなかったりする。お金は生き物。
信用第一の銀行が顧客の要求や依頼にすぐに応じられないのは不味いし、今日たまたま不足したからといって、それで銀行が潰れてしまうのもおかしい。
ということで、金融機関同士で短期的に資金の過不足を調整できるようになっている。

インターバンクには、「コール市場」と「手形売買市場」、「東京ドルコール市場」「東京オフショア市場」がある。

●コール市場
短期の資金(1ヶ月未満)の貸し借りを行う市場。
その日のうちに決済を行う「半日物取引」、翌営業日に決済を行う「翌日物取引」(これが主流)、期日を自由に設定できる「期日物取引」があるが、いずれにしてもごく短期である。
「呼べば応える」から「コール市場」。

コール市場は、1902年(明治35年)頃から、金融機関が日々の資金過不足を最終的に調整しあう場として自然発生的に成立した。
当初は無担保で貸し出されていたが、1927年(昭和2年)の金融恐慌の後に有担保で行われるようになった。
しかし1985年7月に無担保コール市場が創設されて、現在はどちらも存在するが、市場規模は縮小した。担保になるのは国債など。


●手形売買市場
手形を媒介にして金融機関が中長期の貸し借りを行なっている市場のことである。
金融機関の中長期的な資金過不足を調整する機能を持っているとともに、かつては日本銀行の金融調節の場としても重要であった。
というのもこの市場は、1971年5月にコール市場の比較的期間の長い取引(1ヶ月以上)を吸収する形で日本銀行が中心となった創設された。

翌1972年から金融調節手段として手形オペレーションが導入された。
・売りオペレーション:日銀が保有手形を売却することで市中から紙幣を引き揚げる。(金融引き締め)
・買いオペレーション:日銀が市中の手形を買い取ることで市中に紙幣を供給する。(金融緩和)

1972年は高度経済成長期が終焉していく年である。石油危機も重なり、1975年からは赤字国債を発行するのである。
政府や日銀は、日銀が民間銀行へ貸し付けを行う時に適用される基準金利である公定歩合(政策金利)、無担保コール翌日物の金利、手形オペレーションを用いて金融調節をしてきた。


手形売買市場の売買される手形は「表紙手形」と呼ばれ、金融機関が降り出した(発行した)手形である。
ヒトラー政権の手形はぐるぐる回って最終的な中央銀行が保有したが、これもそのように手形保有者が移っていく。
銀行→(銀行)→短資会社⇒売りに出す
金融会社なので自己引受とし、受取人は短資会社というインターバンク市場において借り手と貸し手を仲介する会社となる。
仲介会社が買い手を見つける。さらにそれを金融調節によって引き揚げれば中央銀行に行く。

「表紙手形」の担保にされるのは、優良企業が銀行から借り入れる際にに発行した約束手形や国債などの公社債。より信頼の高い手形である。
銀行が期日に支払出来ない場合には、その信頼度が高いと目される手形が没収されるということ。
ほとんどの場合、手形を発行して資金を調達するのは都市銀行であり、手形の買い手になるのは都市銀行以外の金融機関。これはコール市場でも同じである。
(現在の都市銀行は5行のみ。三井住友、三菱UFJ、みずほ、りそな、埼玉りそな)

短期市場は元々は「知らない仲ではない仲間の間で短期に無担保で行われた貸し借り」だった。
だがその期間が少し長くなったり、ぐるぐると回るうちに親密具合が弱まれば、やはり担保が必要となってきてしまう。

ごく短期のコール市場では無担保もあるが、実はこれも大混乱に陥ったことがあった。
1997年11月4日、三洋証券(三洋電機とは一切関係なし)が経営破綻し、群馬中央信用金庫が貸し付けていた無担保コール資金約10億円が返済されない事態となった(債務不履行・デフォルト)。



金融機関同士が行っている貸し借りの市場(インターバンク市場)を取りまとめたり仲介しているのが短資会社。
借りたい銀行がどこかの銀行に直接電話をして交渉しても良いが、煩わしさとか気まずさとか手間などを考えたら専門の仲介業者に頼むほうが手っ取り早いし、取引がまとまりやすい。
第三者が間に入ることで借金を踏み倒されるということや、返済を延ばし延ばしにされるということも起こりにくい。
それでもリスクというものはゼロにはならないので、有担保の場合のリスク引き受けは短資会社が持ち、無担保の場合は貸す側が持つことになっている。

日本の中央銀行である日銀を含め、日本の金融機関を顧客に持つ短資会社。短資会社はビルブローカー(bill broker)とも呼ばれる。手形仲買人。
短資会社は1990年代までは7社あったが合併などで現在3社しか存在しない。

1.東京短資
現在ある短資会社の中では最も古い。
1900年8月に柳田ビル・ブローカー設立。1909年4月に 柳田ビル・ブローカーが手形仲介業務を始め、創業。
1949年1月に 柳田短資株式会社が、早川短資株式会社を吸収合併、大和証券株式会社資金部の短資業務(藤本ビルブローカーの流れ)を営業譲受し、東京短資株式会社となった。
東短グループの中核企業。2003年に持株会社制に移行したことから、現在は、持株会社である東短ホールディングス株式会社の完全子会社。
東短ホールディングスの子会社には 温室効果ガス排出権取引仲介業を行っている会社もある。

(藤本ビルブローカーの流れ)
1902年5月、大阪の繊維専門商社の老舗・八木商店の社長八木輿三郎(早稲田大学高額寄付者)の叔父である藤本清兵衛の個人商店「藤本ビルブローカー」を大阪に開業。
戦時中の1943年12月に株式会社日本信託銀行と合併し、大和證券株式会社(現在の大和証券グループ本社)を新しく設立し、1949年1月に資金部の短資業務を柳田短資に事業譲渡した。

東京短資は1952年より外国為替の仲介業務も始め、1978年子会社トウキョウ フォレックス株式会社を設立し外国為替の仲介業務を移管した。
この会社の流れを汲む会社を買ったのがマネックスグループ。
マネックスグループ
松本大とソニーの共同出資で創業したマネックス証券株式会社(旧法人)と、日興コーディアルグループ(現在はシティグループ・ジャパン・ホールディングス)子会社の日興ビーンズ証券株式会社を経営統合するために、共同株式移転で設立された持株会社(設立時はマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社)である。ソニーは出井伸之社長時代。

2.上田八木短資
1918年6月に「匿名組合上田商店」(営業主は上田要)として大阪で創業。1937年2月に株式会社化し、「株式会社上田商店」となり、1942年6月に「上田短資株式会社」と改称する。2001年7月に、同じく大阪に地盤を置く「八木短資株式会社」を合併(合併比率は八木短資1に対して上田短資0.8)、現在の上田八木短資株式会社となった。

(匿名組合とは中世の地中海貿易に始まったコンメンダ/commendaのうち、出資者の素性を隠しておくもの。王族や貴族、聖職者など営利行為に関わっていることを隠したかった人々の出資関係を秘匿にしつつ利益を上げるという需要に応えて発展した)

3.セントラル短資
2001年(平成13年)4月に、山根短資株式会社、日本短資株式会社、名古屋短資株式会社の3社が合併し発足した。
1909年7月に、山根十吉という人物が藤本ビルブローカーから独立して、「山根ビルブローカー」を創業した。
合併した残りの2社はその後に設立されたものだが3社は同じ出所。大坂、名古屋、東京にあった会社が1つになった。



※上田短資会社は八木短資会社と合併する以前、1984年にイギリスのMAI社と資本業務提携をして、子会社として上田ハーローを設立し、1985年に合弁会社化した。「ハーロー」とは、提携先であるMAIの子会社・Harlow Meyer & Coの社名より。
その上田ハーローと後にマネックスグループに買われることになる外国為替仲介事業の最大手トウキョウフォレックスが、1999年にとのトウキョウフォレックス上田ハーロー株式会社(トウフォレ上田)という合弁会社を設立した。親会社は匿名者の出資で始まった上田八木短資会社である。

上田八木短資・・・上田ハーロー・・・トウキョウフォレックス上田ハーロー




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# by yumimi61 | 2018-04-19 14:03
2018年 04月 17日
日本国憲法の秘密-716- (外貨準備と貿易について)
世界の産業革命を牽引したのはイギリスであるが、そのイギリスで産業革命が始まったのは1700年代後半のことである。
綿工業での手作業に代わる機械の発明があり、さらに石炭を利用した蒸気機関が出現し、生産技術の革新とエネルギー変革が起こった。
機械工業 、鉄工業、石炭業といった重工業が発展し、鉄道や蒸気船の実用化という交通革命にも繋がった。
資本家と労働者を生みだし「資本主義社会」の確立にも重要な役割を果たす。
イギリスが1825年に機械輸出を解禁したことで、イギリスでの産業革命はほぼ完了した。
イギリスはこれにより金銀外貨を獲得する筋道を立てた。国内で不足するものがあっても輸出がある(貿易黒字国である)限り安心である。
イギリスの産業革命はヨーロッパ諸国、アメリカ、日本など世界各地に広がっていった。

前述のトマス・ロバート・マルサス(1766〜1834)が生きた年代はイギリスの産業革命とほぼ重なっている。
『人口論』を書いたのは革命真っ只中の1798年のことである。
産業革命の高揚の中、人口も急増していった。そんな中マルサスはこのまま人口増加が進めばイギリスの貧困は深刻になると人口抑制の必要性を説いた。

20世紀を代表する経済学者であるケインズは産業革命が世界に広がった後に登場した人物である。
すでに世界的に人口が著しく増加していく中にあった
ケインズは人口圧迫と市場の奪い合いや市場競争は戦争に繋がると言ってもいたが、実際2度の世界大戦を経験することになる。
ケインズと同時代の人物で、やはり人口圧迫に警鐘をならしたのがバートランド・ラッセル。

初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ 1883~1946年

第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル 1872~1970年
イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。ラッセル伯爵家の貴族であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。

ラッセルは1957年に"Population pressure and war"(人口圧迫と戦争)を記している。



世界人口は長く緩やかな増加を続けてきたが、19世紀末から21世紀に至るまで「人口爆発」と呼べるほどのスピードで急増した。西暦1年頃に約1億人(推定)だった人口は1000年後に約2億人(推定)となり、1900年には約16億5000万人にまで増えた。その後の20世紀、特に第二次世界大戦後における人口の増加は著しく、1950年に25億人を突破すると、50年後の2000年には2倍以上の約61億人にまで爆発的に増えている。国連人口基金は、2011年に70億人を突破したと推計している。

西暦1年頃・・約1億人(推定)
1000年・・約2億人(推定)
1900年・・約16億5000万人
1950年・・約25億人
2000年・・約61億人
2017年・・約76億人

21世紀初頭では、アジアやラテンアメリカをはじめとする多くの発展途上国で出生率は低下してきており、世界の人口増加率は減少する傾向にあるものの、中東やアフリカ地域の出生率は依然高く、人口増加は続いており、西暦2038年には90億人を突破、さらに2056年に世界の人口は100億人に達することが見込まれている。


ここで世界の情勢とは真逆の状態ー少子高齢化の人口減少に足を踏み入れた日本の人口について注目してみたい。
人口が増えるということを年単位で見ると、年間死亡者数よりも年間出生数が上回るということになる。
同じならば増えも減りもしない。
逆に年間死亡者数よりも年間出生数が下回れば人口は減少する。

           出生数    死亡数
-------------------------------------------------------------
1873年(明治5年) 842,000人  667,000人
1883年(明治15年)1,094,000人 685,000人
1893年(明治25年)1,238,000人 946,000人
1903年(明治35年)1,489,816人 931,008人
1913年(大正2年) 1,757,441人 1,027,257人
1923年(大正12年) 2,043,297人 1,332,485人
1933年(昭和8年) 2,121,253人 1,193,987人

1943年(昭和18年)2,253,535人 1,219,073人
1944年(昭和19年)2,274,000人 1,258,000人
1945年(昭和20年)1,902,000人 2,147,000人 ←終戦の年
1946年(昭和21年)1,576,000人 1,369,000人
1947年(昭和22年)2,678,792人 1,138,238人
1948年(昭和23年)2,681,624人  950,610人
1949年(昭和24年)2,696,638人  945,444人

1953年(昭和28年)1,868,040人  684,189人
1963年(昭和38年)1,659,521人  670,770人
1973年(昭和48年)2,091,983人  709,416人
1983年(昭和58年)1,508,687人  740,038人
1993年(平成5年) 1,188,282人  878,532人
2003年(平成15年)1,123,610人 1,014,951人
2013年(平成25年)1,029,800人 1,268,432人

統計のある明治期以降出生数が一番多かったのは、第二次世界大戦終結から4年後の1949年(昭和24年)である。
人口1万人あたりの出生数として見ると、明治初頭から末にかけて増加し、明治末から昭和初期までは同じくらいで推移していた。
これが減少に転じていくのは1931年(昭和6年)満洲事変の翌年からである。その後の戦争期間は僅かな増減を繰り返し、1941~1944年という太平洋戦争の最中はその期間においては高めである。
そして終戦年と終戦翌年にはがくっと減少。その反動なのか1947~1949年が非常に多くなり、明治の増加期と同程度だった。これが後に第一次ベビーブームと呼ばれるようになった年代である。
人口1万人あたりの出生数はどこかで急に減ったわけではなく、戦後のベビーブーム以降着実に減少を続けてきて今に至る。
人口減や年齢構成の変化の問題が重く圧し掛かってくることは間違いないが、大局的には人口増加し続けることのほうが問題は大きい。
着眼点も問題の取り上げ方も人それぞれ違うものなので、どれくらいの未来を見据えるか、自分のいない未来にどれだけ思いを馳せられるかにもよるけれど。

世界の人口は、1900年から1950年の50年で1.5倍増。
日本の人口は、1900年から1950年の50年で1.9倍増。
世界の人口は、1950年から2000年の50年で2.4倍増。
日本の人口は、1950年から2000年の50年で1.5倍増。

日本の人口が初めて減少を経験したのは2006年(平成18年)。
その後数年は僅かな増減を繰り返し、減少に転じたのは2011年(平成23年)以降のことである。
但しまだ減少の程度はそれほど大きくはなく、2000年と2015年の人口を比較すれば、2015年のほうが若干多い。等倍と言える。人数にすれば1億2000万人ほど。

アフリカ大陸の人口は現在12億5000万人ほど。
国連推計では2050年に2倍の25億人になるとしている。
世界人口の4分の1はアフリカ大陸が占める。
しかもその6割を若年層が占める。となればまだ当分自然減少は望めないということだ。
市場拡大と浮かれていると人口圧迫の問題がいまにも増して顕著になるだろうと予想される。







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# by yumimi61 | 2018-04-17 23:38
2018年 04月 17日
日本国憲法の秘密-715- (外貨準備と貿易について)
今年の初め、私はケインズの経済理論について書いていた。
その中で戦争についても触れている。

国民というものは基本的に好戦的なんだそうである。
好戦的という性質を活かして国民を戦争に仕向けることは容易いことだという。
人々のオリンピック好きや国際試合好きを見ればなんとなく納得できる。
しかしそれ以上に扇動という作業を容易にするのは、経済的な理由なんだそうだ。
近代の戦争の原因はもっぱら経済が原因となっているとかで、原因を具体的に言うと人口圧迫と市場の奪い合いや市場競争。

人口圧迫については後で改めて書きたいと思っている。


ケインズは著書『一般理論』の終盤で戦争と経済について語っている。
1800年代後半の経済システム(国内は自由放任主義で、国際的には金本位制)では、政府が経済停滞を緩和する手段をほとんど持っておらず、唯一の手段は貿易黒字化だった。それはすなわち国外に新たな市場を開拓するということになり、その争奪戦が戦争に発展すると危惧しているわけである。

各国が自国政策によって自国に完全雇用を実現できることを学習すれば(そしてまた付け加えなければならないのは、彼らが人口トレンドで均衡を実現できれば、ということです)、ある国の利益を隣国の利益と相反させるよう計算された、大きな経済的な力は存在しなくてすみます。

ケインズの提唱していた自国政府による完全雇用を実現させたのがナチスのヒトラー政権であるが、そのヒトラー政権は自ら戦争に突入していった。
最悪な経済状態の中で政権を握ったヒトラーが、どうして経済を回復させ完全雇用が実現できたかと言えば、理由は2つある。

①第一次世界大戦の莫大な外貨による賠償金の支払いを就任半年後に拒否したからである。
賠償金支払いさえなければ景気がすぐに回復し失業者を減らせるような素地がドイツに存在していたことも確かであろう。
ただここでも痛かったのが外貨不足である。
資源や食糧が自国で完全に調達できる国ならばよいが、そうでない場合、どうしても輸入に頼らなければならない。そうなると外貨が必要となる。
賠償金の支払いを拒否したくらいだから対外的に円満とは言えない。心証を悪くしたり経済制裁的なものがあったりして、外貨を稼ぐことも資源や食糧を輸入することも難しくなる。世の中、上手く出来ていると言うか上手くいかないと言うか。
さらに悪いことにドーズ案(1924年)の時に外国から借金している(外債)。せっかくマルク支払いが認められても外貨を借りたら元の木阿弥。
長期融資であっても利子の支払いは毎年行われるわけだから、それなりに外貨が必要となってくるし、満期時にはまとまった外貨が必要となる。


②権力掌握
ヒトラーは反国際金融資本、反ユダヤ、反共産主義インターナショナルなど国際組織を嫌い、愛国を前面に押し出した。
戦争に負けて莫大な賠償金を課せられたドイツ国民はそうしたヒトラーに大いに賛同したのである。
ドイツ国民だけでも戦争に勝てる、ドイツ国民だけなら戦争に勝てた、そういう意識があった。第一次世界大戦前にドイツが好調だったのは確かで、全く根拠のない思い上がりとも言えないところがミソ。
ヒトラーは熱狂的な支持を獲得していた。だからこそ就任から2か月後には全権委任法成立し国会を掌握し、1年半後には大統領が死去し大統領の権能も委譲された。

ヒトラーが力を持ち、とりあえず政策が上手くいったもうひとつの理由は、政権を握る前に世界恐慌が起こっていてドイツの全銀行が閉鎖され連鎖的に企業が倒産していたから。
それはつまり自由競争で勝利し優位に立っていた銀行や企業が苦境に陥れられたということに他ならない。それらは事業ではなくてマネーゲームの犠牲になったとも言える。
それまで好調で大きな力を持っていた銀行や企業が力を失った所に現れたのがヒトラーで、それまでの銀行や企業に代わる、政府と密接な中央銀行や企業、国有・国営企業を確立した。
絶対権力者は何もかも自分の好きなように采配できる。だから政策による完全雇用も達せられた。


何もかも自由に采配できることで生じる不都合な社会現象はインフレ―ション。
権力者が手に入れた究極の自由は自分の好きにお金を製造することである。
金で買えないものはない。これで大方の事は上手く回り出す。
しかしそれは紙幣の量が増えるという事だからインフレを引き起こす。
インフレとは紙幣の量に比べて品物が少ない状態である。
お金があるのに買いたいものが買えない。これは人々の不満に通じる。
皮肉にもお金がない状態と同じのだ。

お金がなくて買いたい物が買えない=お金があるのに買いたい物が買えない
 
物が足りないから作り出すために一生懸命働くことを強要する。

お金がないので必死に働かなければならない=お金があるのに働くことを強要される

物が限界に達したので外国から輸入するとなると外貨が必要になる。

外貨支払いを不満に思って拒否した。国民はそれに大賛成した・・・なのに・・・外貨を支払わなければ国民の不満を押さえられない・・・

一旦求心力が弱まるとそれまで親密な関係だった中央銀行が反旗を翻す可能性もある。発行した紙幣は国の借金なのだ。返せ、なんとかしろという圧力が政府に掛けられる。

インフレを防止するには社会にお金を出しすぎないことが重要。
お金を出し過ぎると結局国民の不満に繋がり、また押さえてあった民間銀行や企業が息を吹き返してしまう可能性がある。
それを防止するには軍事費に注ぎ込むのが手っ取り早い。
社会にお金が出ないと国民の不満が高まるけれど、戦意や愛国心は人々に耐える力を与えるというメリットもある。
戦争は大儲けできる可能性を持ち、物事を有耶無耶に出来るチャンスでもある。
権力を維持しようと思ったら戦争以外の選択肢がなくなっていく。



人口が増大することによって生じる問題は物の不足である。
衣食住、人間が生きていく上で重要な物が行き届かない状態を招く。
権力者が好き勝手に紙幣を製造しなくとも、人口増大は次の左右の状態どちらをも引き起こす恐れがある。

お金がなくて買いたい物が買えない=お金があるのに買いたい物が買えない
お金がないので必死に働かなければならない=お金があるのに働くことを強要される

品物が不足したので外国から輸入しようと思ったら一般的に外貨が必要である。
外貨を獲得するにはやっぱり働かなければならない。その場合、ただ働けば良いといういうわけではない。市場の獲得や市場競争に勝たなければならないのだ。
その力を養おうと躍起になれば、競争の激しい外国で育てるようなことが推奨されてくるだろう。
しかしこれも皮肉なことだが、外国に出すということは外国に囲われるというようなことで、外国にコントロールされやすい人間を作ってしまうことに繋がる。
実際に競争が行われれば波風も立ち、最悪戦争に繋がることもある。
競争をしないで外国から外貨を手に入れようと思えば、やはり外国の言い成りになるしかない。外貨で縛られる、コントロールされるということになる。
市場競争に勝てない国や外国からコントロールされてしまう国は後進国や新興国と呼ばれる国となってしまうわけだが、人口増大はその引き金となる要素の1つである。



ケインズはその場限りのマネーゲームのようなことは止めて、真面目な未来予想とそれを支えるアニマルスピリットによる自国政策での経済自立を推奨していた。それにはやはり人口コントロールが重要になることを示唆している。
ケインズは自由放任主義の古典派経済学を批判したが、古典派経済学の学者であるトマス・マルサスは評価し、彼の影響を受けている。
マルサスは『人口論』を発表した学者。

ケインズはマルサスについて「もしリカードではなくマルサスが19世紀の経済学の根幹をなしていたなら、今日の世界ははるかに賢明で、富裕な場所になっていたに違いない。ロバート・マルサスは、ケンブリッジ学派の始祖である」と評価している。


トマス・ロバート・マルサス(1766〜1834)
イギリスの古典派経済学者。イギリス国教会の牧師の家庭に生まれた。
1798年に『人口論』を匿名で発表した。

まずマルサスは基本的な二個の自明である前提を置くことから始める。
第一に食糧(生活資源)が人類の生存に必要である。
第二に異性間の情欲は必ず存在する。

この二つの前提から導き出される考察として、マルサスは人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいと主張し、人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する、という帰結を導く


「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する生活資源の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」という考えを示している。
発表した当時イギリスではフランスとの戦争や物価高騰などの問題が存在していた。
また当時カルヴァン派の牧師の家に生まれて自身も一時期牧師をしていたウィリアム・ゴドウィンがフランス啓蒙思想(啓蒙教育)に傾倒し、社会制度を改良すれば貧困や道徳的退廃は改善し平等が実現すると主張していた。
しかしマルサスは人口の原理を示し、過剰人口で貧困と悪徳が発生するのは必然であり、貧困や悪徳は社会の責任ではなく人口の自然的圧力の結果であるとした。従って社会制度を改良したからといって解決するものではないと「理想的な革新派」を批判した。
マルサスはこのまま人口増加が進めばイギリスの貧困は深刻になると人口抑制の必要性を説いた。その手法として、性的欲望を抑えて結婚年齢を遅らせるという「産児制限」など家族計画(道徳的抑制)を推奨した。

人は幾何級数的に増加するが、生活資源は算術級数的にしか増加しない。
・幾何級数的とは前に数倍する勢いで増大・変化し続けるさま。掛け算的。倍々ゲーム型。高い利息で増やす派。
・算術級数的とはある量ずつの増大・変化。足し算的。積み重ね型。地味にコツコツ貯金派。

当時は人口と生活資源の関係を幾何級数的・算術級数的と言ったが、投資家と経営者の関係にもこれを当てはめることが出来る。
投資家は幾何級数的に増加するが、経営者は算術級数的にしか増加しない。
投資家や経営者の人数自体もそうだし、彼らが持っているお金もそうである。
過剰投資家と過剰投資金で貧困と悪徳が発生するのは必然であるという論理が成り立つ。


しかしながらマルサスの人口論は後に「マルサスの罠(Malthusian trap)」として半ば否定的に扱われることが主流となった。
もともと「人口論」は発表当時から学界を中心に反対意見が占めていた。
最先端を自負する楽観主義な人達には悲観主義は嫌われやすい。
特にマルサスが戦争や災害や病気の蔓延などで人口が減ることを積極的制限と名付けたため、まるで戦争や災害や疾病を推奨しているかのごとく受け取られてしまい批判された。

折しも1800年代のイギリスは産業革命の時代である。
工業化に支えられたイギリス経済は成長し、その間に人口は3.5倍に増大した。
人口の増大と経済成長は調和的に進行した。
機械工業化は生産効率を上げ、作れる物を大きく増加させた。
物が増えて、お金も増えて、人口も増えた。
人口は増えたけれど、国民が持つお金も増えて、必要な物を供給することも出来た。
人口増加が問題とされてきたのは「革命」がなかったからで、革命さえあれば乗り越えられると誰もが思うようになった。
乗り越えることを考えに入れなかった「マルサスの人口論」は「マルサスの罠」なのだと言わんばかりに。










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# by yumimi61 | 2018-04-17 13:58
2018年 04月 16日
On time
昨日書き忘れたことがあったので追加。

■鉄道トリックでのアリバイ工作は日本でしか通用しない

ミステリー小説やサスペンスドラマで根強い人気の鉄道トリック(時刻表トリック)によるアリバイ工作。
これは電車が時刻表通り正確に運転されることを前提にしたトリックである。
時間通りに運転されないことが多い外国ではこの設定は難しい。

テロとか事件を企てる時も同じで、運転が時刻表通りだったり常に一定で狂いがないほど、計画を立てやすく、結果成功しやすくなる。

2017年11月14日、つくばエクスプレスの普通列車が南流山駅を予定より20秒早く発車した。 運営会社のニュースリリースによると、9時44分40秒が定刻のところ、同20秒に発車してしまったという。乗務員が時刻表を十分に確認しなかったことが原因のようだ。遅延ならともかく、わずか20秒の早発で謝意を表明したこの出来事は、とても日本らしい話題として海外メディアとSNSを賑わせることになった。 

正確な鉄道ネットワークが称賛され、それを自負するがゆえに必要以上に正確性に拘るわけだが、日本の鉄道は非常に事件を起こしやすいとも言えてしまうのだ。
もちろん電車の乗り継ぎではその正確性に助けられることが多々あるけれども。
でも間に合いたいという気持ち自体、遅刻をしたくないとか遅れたくないとかいう気持ちから来るものだから、全てがアバウトならば乗り継ぎを焦ることもないかもしれないけれど。
最初から余裕を持てば何も問題ないではないか?そうですね。

昨日載せた象の写真は夜にディズニーランドで働く人の特集を見ながら撮った。
その番組で物凄く正確にパレードを進行するという話をしていて、電車の正確性を思い出したが、正確性はターゲットに命中させやすい。


■余裕を持ったはずなのに変な所で線を引いたので墓穴を掘った事例

昨年8月29日と9月15日に北朝鮮西岸からミサイルが発射され、日本政府による「全国瞬時警報システム(Jアラート)」が東日本を中心に鳴らされた。
北朝鮮のミサイルに関連したJアラートは、沖縄県で2012年12月12日と2016年2月7日に出されたが、北海道と本州が対象になったのはその時が初めてだったそうだ。
発射されたけど鳴らなかった時もありますものね。
昨年のJアラート対象地域は以下の12道県。

北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県

私もその圏内にいたので2回ともJアラートが鳴った。
私は初めて自分の携帯電話で警報を経験した。
これまで緊急地震速報含め一度も鳴ったことがなかった。
普段ほぼ内陸にいるので震度が大きいと予想されることがないのだろうか。

それに比べるとあのミサイルJアラートは不可解極まりない。
ミサイルの言われている射程距離は日本を軽く飛び越えている。
アメリカ全土に届くミサイルを開発したとか言っている。
発射するミサイルは距離と方角の目標を持たされているはず。
途中で故障したり爆発してしまうこともあるかもしれないので、目標距離には届かないかもしれないという備えはよいだろう。
ではなぜ方向を絞りきれず北海道から長野といった幅を持つのだろうか。

不測の事態に備えるため、想定された飛行経路を飛ばなかったことを考慮するなど、様々なパターンを踏まえて、念のために対象を広めにしています。

それを言うならば、なぜ南関東は含まれないのか?
これでは全く説明が付かない。
不測の事態に備えるのであれば南関東も同じでなければおかしい。
人口密集地だから一度何かあれば被害は格段に大きくなる。
被害の大きさを考えた時には南関東こそ警戒すべきである。
それをしないのだから、少なくとも東北以西は危険なんかないのだろうと思う。

そもそも群馬から県境越えて埼玉に入ったら突如安全になるなんてことがあるはずない。
その境にはいったいどんな防護柵があるのか。
Jアラートが鳴らされる危険率と鳴らされない危険率、基準などを客観的に明確に示してもらいたい。
それによって個々の判断や対処は変わるはずである。










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# by yumimi61 | 2018-04-16 12:10
2018年 04月 16日
Physics and Chemistry
178.png2008年6月までカテゴリーとタグ付終了しました。


大事な物を忘れていました。
e0126350_00504951.jpg


前記事に載せたロンドン地下鉄のポケットマップは1995年のもの。
日本で地下鉄同時多発テロ事件(地下鉄サリン事件)が起きたのが1995年。
イギリスで地下鉄同時多発テロ事件が起きたのは2005年。

日本の地下鉄サリン事件を不可解に感じたり疑問に思う人はほとんどいないみたいだけれど(私は以前に何度か疑問を書いているが)、イギリスの地下鉄同時多発テロでは結構いたみたい。

怪しさが増すロンドンテロ事件 2005年7月19日 田中宇

シリアでサリンと塩素ガスが使われたと報じられ、「化学兵器は絶対に許さない」ということで米英仏が攻撃に出たということだけれど、化学兵器は核兵器と同じでどうも過大評価されているような気がしてならない。
私は2013年4月10日にもシリアの化学兵器について少々書いた。

昨年末に、シリア軍がサリンの原料物質を爆弾に搭載したと報道があった。
その爆弾を戦闘爆撃機に載せ、化学兵器として空から投下するのではないかということだ。

ところで原料物質を搭載したというのはどういう意味だろう?
原料物質ではまだ「サリン」ではない。
分離状態で同梱しておいて使用直前に混合するバイナリー方式のことを言っているのだろうか?

しかしサリンは熱に弱い不安定な物質である。
爆弾が爆発したらサリンも熱分解してしまう。
爆弾内ではその前の混合が上手くいく保証もない。
もちろん爆弾としての危険性はあるだろうけれども、化学兵器としてはどうなんだろう。

熱分解が始まる温度とどれくらいの熱を加えるかにもよるが、オウム真理教が実践したという加熱して気化させる方法もやや問題がありそうである。



報道によればシリアのアサド政権はたる爆弾を使用しているという。
たる爆弾
ドラム缶のような円筒形の鉄の容器に150キロから1トンの火薬を入れ、クギや金属片を詰め込んだもの。政権軍がヘリコプターで運び、主に住宅地に投下する。

それを爆弾の威力目的で使うならばまだ分かる。
今回はそのたる爆弾にサリンと塩素ガスが入っていた可能性が高いという話である。
だけどそれをまき散らすための最低限の条件としては爆弾が爆発しなければならない。しかもそれを投下で行うと言う。
そうなると毒ガス取扱いやターゲットに毒を浴びせる難易度は極端に上がり、その効果は著しく劣ってしまうはずである。
よく言われる致死量とは条件が揃った状態での致死量であり、条件が整わなければ致死量には至らない。
爆風で巻き上げられ上昇気流に乗って、そうでなくても屋外なら空気に薄められ風に運ばれ、あらゆる方面に飛散してしまう。
飛散は拡散でもあるが、拡散面積が広がれば広がるほど致死量には至らない。
いくら空気より重いガスと言っても、その重さは密閉空間や地下、くぼみなどで効力を発揮するものであって、空気が大きく動くような場所で問題になるような重さではない。屋外でガスは停留しにくい。
だから換気って大事なのに。
逆に外への散布は屋内にいることで凌げる。放射線のように壁をすり抜けてくるなんてことはない。閉めておけば問題ない。住宅にもよるけれど。
毒ガスでは外にいる人しか狙えない。
もちろん爆弾ならば住居などを破壊する威力もあるが、その範囲は限定的であり、その中心部にいた人は爆弾そのもので命を落としたり怪我をする可能性が高い。


今回のシリアの一件もテレビでは苦しそうにしている子供が洗い流されている場面とか遺体とおぼしき映像が流れていたが、爆弾が爆発し、その近くにいたならば、毒ガス云々よりまず爆弾そのものでダメージを受けるのではないか。
どこに爆弾が落ちて、あるいはどこで爆弾が爆発して、どのくらいの範囲の人が被害を被ったのか詳細は全く知らないけれど、上記のように毒ガス効果は屋外ではさほど望めない。


オウム真理教はどうして爆弾を使用してテロを起こすことを考えなかったのだろうか。
サリンを作ったりサリンを撒くことよりも、爆弾を作って爆発させるほうがずっと簡単だったと思うけれど。
当時の日本なんてテロ対策も大してしていなかっただろうから、自爆ではなく時限爆弾だって目的を達したのではないかと思うけれど。
満員電車で同時多発的に爆弾を爆発させれば、死者は確実にもっと増えたはず。
爆弾は見た目も派手で視覚に訴えるものがある。飛び散ったり火や煙が出たりもするから地下鉄でのパニック度は専門的な知識が必要な化学物質サリンなんかよりもずっと上だったと思う。
でもその確実性を選択しなかった。
それがあのテロ事件やあの教団の大きな特徴である。


屋外ではなくて地下鉄の満員電車内で行ったということは、効果の面から言えば評価できる。(評価というのもおかしいけれど)
但しあんな超満員な電車で、袋を床に置いて、傘を突き刺し、自分だけ安全に逃げるなんて至難の業である。
さらに気化に成功しなかったのか液体を持ちこんだ。液体では触った人にしか効果がない。
もちろん液体だって次第に気化していく。サリンは揮発性も高い。そうは言っても液体からではやはりガスを散布して充満させるほどの即効性は見込めない。人間が運べる程度の液体を一か所に置いたくらいでは駅全体の被害なんか到底狙えない。
一車両程度を狙う計画ならば爆弾で十分である。
それくらい分かっていたはずである。
あの事件は「化学兵器」の宣伝か売り込みが目的だったような気がする。





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# by yumimi61 | 2018-04-16 01:04
2018年 04月 15日
Journey
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https://twitter.com/lukakubotunited/status/983277323221778432


  ↑
ピンクのカバならぬピンクのゾウが・・・


Stop the season in the sun~♪

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ロンドンの地下鉄のポケットマップ。
写真は1995年のもので、"Tube Map"と書いてあるが、1994年までは"Journey planner"と書いてあり、もっと前はUndergroundなんとかと書いてあった。
で、Journey。
学生の頃、JourneyとTravelとTripの違いを習いましたね?
Journeyと言えば遠めの旅行、Travelは普通めの旅行、Tripは近めの旅行。
ロンドンの地下鉄地図なのにどうしてJourneyなの?Why?Why?Why?
そんな誤解を招いてしまうと気付いたのか、"Tube Map"にしたというわけですね。
でもTubeは大丈夫かしら?

You can't beat the tube あなたはそのチューブを叩くことは出来ない・・テロへの挑戦状?ロンドン地下鉄最高!


今更ながらですが、Journey planner のJourney は旅行ではなくて行程という意味だったんでしょうか。





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# by yumimi61 | 2018-04-15 14:49
2018年 04月 13日
日本国憲法の秘密-714- (外貨準備と貿易について)
ジェームズ・ゴールドスミスの祖父はフランクフルト出身のユダヤ人(ある意味ではドイツ人)で、イギリスに移住した。
ジェームズの父親はイギリスで国会議員をしていたこともある。ユダヤ人であるがイギリス人でもある。
ジェームズの母親はフランス人。
従ってジェームズはイギリス国籍とフランス国籍を持ち、さらにユダヤ人という顔も持っている。
兄は環境活動家(原発推進の環境活動家ではない)。ジェームズは兄の活動資金を支援していたりもした。

ユダヤ人の宗教はユダヤ教。
イギリスはイングランド国教の国。独立の過程から一応プロテスタントに分類される。
フランスは元々はカトリック国であるが、市民革命後の政権は王政復古の時期を除けば基本左派である。国の行事や手続きは宗教分離が徹底されている。但し国民の信仰はかつてカトリック国であったことを反映してキリスト教(カトリック)が多い。でもカトリックが多い国では一番世俗化が進んでいて、洗礼は受けたものの無信仰であるという人も非常に多い。このようにフランスの宗教事情は少々複雑というかややこしい。日本の信仰事情に似ている部分もある。
ジェームズはユダヤ人でありカトリック教徒であると公言しており、この辺りも分かり難さがある。

ジェームズのイギリスでのキャリアは必ずしも順風とは言えなかった。
サッカーと相まってイギリス文化のアイコンにもなったほどの液体ビーフのBovril(ボブリル)社を買収して嫌われたりもした。
1973~1975年にイギリスで二次銀行危機(the secondary banking crisis)があり、ジェームズが資金調達していた二次銀行も危機に陥り、イングランド銀行に救済され、ジェームズがそのトップに据えられた。
ラベンダーリストにも選ばれた。
その頃からジェームズはアメリカでの仕事が増える。投資の形も株主となって企業を育てるというよりも、M&Aそのものを目的とするような形に変わってきている。

ゴールドスミス家はロスチャイルドのナポリ家と婚姻関係がある。
同じくロスチャイルド・ロンドン家もナポリ家との婚姻関係があり、さらにイングランド銀行大株主の一家とも婚姻関係がある。
ゴールドスミス家、ロスチャイルド・ロンドン家、イングランド銀行はこのように婚姻関係によって繋がる。
イングランド銀行は1800年頃よりロスチャイルド家が実権を握るようになっていた。
但しロスチャイルド家で最初にイングランド銀行の理事になったのはロスチャイルド・ロンドン家のイギリス初代男爵の弟、つまり分家である。
その後もイングランド銀行やロンドン家の銀行は分家筋が主導権を握っていた。
それに対立した第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブは独立して独自に会社を起こす。
ロンドン分家はパリ本家と組むようになり、これはやがてロックフェラーのお家騒動にも関わり、ロックフェラーの分家側の味方をしたと言われている。いわゆる原発推進派である。またパリ家はスイスやベルギーとの関係も強い。そのベルギー王家はイギリス王家と親戚にあたる。ベルギー国王2代目はカトリックであることを公表した。
但しパリ家はフランスの左派勢力に押されて力が弱った側面もある。
その裏にいるのは、イギリス王家(親戚のヨーロッパ王家も)、カトリック教皇(バチカン)、ある種の左派勢力(リベラル含む)なのではないだろうかと私が書いたが、イングランド銀行が分家派だとすればやはりその辺りと繋がるのではないか。そしてジェームズ・ゴールドスミスはそれらに引っ張り込まれるような感じになったのではないだろうか。
その分岐点が1975~1976年。

本家筋
兄・第2代ロスチャイルド男爵ウォルター(1937年没)
弟 ・チャールズ(1923年没)・・・ 第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター(1990年没)・・・第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ

分家筋
兄・ライオネル(1942年没)・・・エドムンド(2009年没)、レオポルド(2012年没)
弟・アンソニー(1961年没)・・・エヴェリン

※エドムンドが特に日本と関係が深かった人。


ジェームズ・ゴールドスミスは1977年にアメリカのDiamond International Corporationという森林製品会社の株主となり、その後もこの会社の買収に向けて動いた。
当時アメリカではそれが問題視された。その中心になったのがケネディ大統領の末弟であった上院議員。買収を阻止するような法案を提出している。
ケネディ大統領はアイルランド系でカトリック教徒だった。民主党の政治家。しかし1963年、日本の初めての衛星放送の日に暗殺された。
弟の信仰は分からないが同じ一家だからカトリック教徒だったのではないだろうか。彼はオバマ大統領の支援者でもあった。
彼もオバマ大統領の就任式に出席し倒れて心配されたが過労だったらしい。その7か月後に77歳で亡くなったが。
ジェームズ・ゴールドスミスはその当時はまだカトリック教徒であることを公言していなかったのかもしれない。
あるいはケネディ家がカトリックにとっての裏切り者だったとか!?


ジェームズ・ゴールドスミスのDiamond International(ダイアモンド・インターナショナル)社の買収の資金は十分ではなかった。
その資金を用立てたのはアイヴァン・ボウスキーではないかと言われている。
前にも書いたが1987年のアメリカ映画『ウォール街』の主人公ゴードン・ゲッコーのモデルになったという人物。
ジェームズ・ゴールドスミスも同映画の企業乗っ取り屋ラリー・ワイルドマン卿のモデルになっている。
ボウスキーはL.F.ロスチャイルド(アメリカのロスチャイルド)で下積みを経験しているが、このアメリカのロスチャイルドというものの実態がよく分からない。
ともかくボウスキーは1986年に証券取引法違反により逮捕された。

ボウスキーは同業者とインサイダー取引に手を染めていた。ボウスキーがKidder, Peabody & Co. やファースト・ボストンの関係したM&A 銘柄を追いかけていることは当時の証券業界で公然の秘密であった。ジャンクポンドの帝王とも呼ばれるマイケル・ミルケンや時には証券取引委員会の人間とも共謀した。

Kidder, Peabody & Co.もファースト・ボストンも投資会社。
Kidder, Peabody & Co.は1986年にGEが、ファースト・ボストンは1988年にクレディ・スイスが買収している。
そうとなれば最初からバックにGEやクレディ・スイスがいたのではないか。
同じく逮捕されたマイケル・ミルケンはドレクセル・バーナム・ランベールの人物で、ドレクセル・バーナム・ランベールと言う会社はロスチャイルド・パリ家やベルギーにも関係ある会社。
つまりロンドン分家とパリ本家、イギリス王家(親戚のヨーロッパ王家も)、カトリック教皇(バチカン)、ある種の左派勢力(リベラル含む)に近い筋ということになる。

彼らが逮捕された翌年1987年にはアメリカ発の大恐慌が発生した。ブラックマンデー。
ジェームズ・ゴールドスミスはその前に自分が育てた食品会社を売却し、1986年末にアメリカのタイヤメーカー・グッドイヤー(Goodyear Tire)に買収を仕掛けている。しかし反発も大きくこの時に取得した株式は10%ほどだった。
翌年大恐慌が発生した。株価は全般的に落ちるだろう。ジェームズ・ゴールドスミスは株価を高値(元値?)で買い戻してと迫ったという。
ゴールドスミスが買収を仕掛けたのは、グッドイヤーは業績が好調で財務状況がとても良いのに株式市場での評価は低かったからだそう。
買収しようと思っている会社の財務状況が良いと、買い手側は買収資金が調達しやすい(この手法での買収をLBOと言う)。
財務状況が良いだけにまったりぼんやりしていたグッドイヤーはゴールドスミスのおかげで目が覚め買収防衛に動いた。
しかし投資会社も刺激されてしまったようでLBO流行になったとか。


M&Aが得意な者同士で気が合ったのか、ジェームズ・ゴールドスミスは晩年には本家の第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブとも一緒に仕事をしていた。
ジェイコブはダイアナ妃の父親であるスペンサー伯爵のロンドンハウスを借りて会社本拠地とした人である。
片やゴールドスミスはダイアナの実の父親であると噂される人物。
スペンサー家、ダイアナ妃にもつながるお二人。


晩年と書いたが、ジェームズ・ゴールドスミスは1997年7月18日に64歳で亡くなっており、長い余生を、長い晩年を過ごしたわけではない。
1994年、ゴールドスミスは国民投票党(Referendum Party)を創立した。
彼はイギリスがEUに加盟していることや、当時提案されていたにEUの通貨統一(ユーロ圏)に猛烈に反対していた。
このままイギリスが「連邦欧州国家の一部(領邦国)」になってしまってよいのか、それとも「政治的機能を持たない欧州自由貿易圏の一部であった主権国家」に戻るのか、国民投票で決めようと訴える政党だった。
「連邦欧州国家」というのはすなわち、カトリックやナチスによる大ドイツ構想や、それに対抗するドイツ周辺の王族を統一した絶対君主の新王国建設に通じていくものがある。
ゴールドスミスは1997年5月に行われたイギリスの総選挙で国民投票党を率いた。もちろん活動資金も提供した。
選挙では547選挙区で候補者を擁立し、全国で80万票以上獲得したが、小選挙区制を攻略しきれず議席確保には至らなかった。(選挙は労働党の大勝で、トニー・ブレア政権が誕生した)
ジェームズ・ゴールドスミスはその僅か2か月後に亡くなった。

1993年に膵臓がんの診断を受けていたという。膵臓がんという診断はスティーブ・ジョブズと同じ。
でもジェームズ・ゴールドスミスは入院していたとかではなくて、スペインのファームハウスにいて、そこで金曜日の夜に亡くなったのだという。

ダイアナ元妃が亡くなったのも、それから1か月後くらい後のこと。1997年8月31日。日曜日の未明。
前年8月にチャールズ皇太子と正式に離婚していた彼女は男性と一緒にいた。フランス・パリのセーヌ川アルマ橋下のトンネル内で支柱にぶつかった後に壁に激突したらしい。


第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブの異母弟がアムシェル・ロスチャイルド(Amschel Rothschild)。
3代目の2番目の奥さんの子供なので最初の妻の子である兄ジェイコブとは19歳も年が離れている。
アムシェルはアイルランドの名門ビール醸造会社の創業家一族で財閥であり貴族でもあるギネス一家と婚姻関係を結んだ。
しかしアムシェルは1996年7月にフランスで資産運用会社の会合後を持った数時間後にホテル ル ブリストル パリにて自殺した。


自殺したアムシェル・ロスチャイルドの娘と、ジェームズ・ゴールドスミスの息子が夫婦となったが、これまたいろいろとあったらしい。

【英国発】大富豪セレブが「ツイッター離婚」!英国を賑わせた劇場型離婚劇は“子どものことを第一に”で収束 2012年06月12日

英国の上流社交界を代表する大富豪家出身の若きセレブカップルが、3人の子どものみならず警察やら黒人ラッパーやらツイッターフォロワーやらを巻き込んで、派手な離婚劇を繰り広げたからである。

かたやユダヤ系大富豪、故ジミー・ゴールドスミス卿の息子、ベン・ゴールドスミス(31)。英上流社交界の華、貴族の血筋をひくアナベルとの間の末息子で、親二人も社交界の名士でありながらスキャンダラスな人生を送った。
本人は(上流階級の常で)イートン校を卒業して何不自由なく育ち、父の莫大な遺産を相続した後は資本家、社会・環境活動家として「有意義に遺産を運用する人生」を送っている。

対するは、かの一大銀行家、ロスチャイルド家とギネスビール創始者一族の間に生まれた長女、ケイト・ロスチャイルド(29)。父親が1996年にパリのホテルで首つり自殺をしたことで、同じく遺産を相続し、現在は3人の子どもを育てる傍ら音楽プロデューサーとして活動し始めていた。






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# by yumimi61 | 2018-04-13 17:43
2018年 04月 12日
日本国憲法の秘密-713- (外貨準備と貿易について)
原発新設のコスト増で経営破綻したS&Wを、その親会社だったショー・グループ(The Shaw Group)込みで買って、両社の親会社となったのがCB&Iである。
2011年に日本で原発事故が起こり、原発業界にとっては逆風が吹いたため、関連企業の経営悪化や工事遅延はそのせいだと思われていた面もあった。(冷却期間を置けば回復するだろう、温暖化防止という旗が振られている限りビジネスチャンスであると思われている部分があった)
しかし問題は原発事故由来でなく、事業そのものにあった。
CB&Iは、S&Wの経営悪化も工事遅延も、元請WECと、その親会社である東芝のせいだということが分かったから責任取れと怒りだした。
これを丸く収めるにはS&Wを買うしかないか・・・ということで、2015年末にWECがS&Wを買うことになった。
古くからの仕事仲間であるWECとS&Wが同じ会社に所属するのだから、収まる所に収まったかのように見えた。


WECとS&Wの買収契約には、「固定価格オプション(Fixed Price Purchase Option )」と「アーンアウト条項(Earn Out Provision)」が盛り込まれていた。

●「固定価格オプション(Fixed Price Purchase Option )」
工事の延長などによって発生したコスト全てを受注企業が持つこと。
このオプションを行使された時には、受注企業は固定価格を出た部分について、お金を貰って造るのではなく、自分で全部のお金を支払って造ってあげることになる。。
コスト増となっても発注企業は固定価格(最初の契約額)のみで済むということ。
原発ならば発注企業は電力会社。WECに発注していたのはスキャナ(SCANA)というエネルギー事業会社だった。
すでにそれ以前から遅延に対する賠償問題で発注企業と受注企業、受注元請と下請けが揉めていたが、2015年の買収に際して「固定価格オプション」が盛り込まれ、スキャナは2016年にWECに対してこれを行使した。


「固定価格オプション」は工事遅延などに関する費用の問題であるが、受注発注という関係に注目すれば、福島第一原発の発注企業は東京電力、受注企業はGEや東芝ということになる。
実際に運用しているのだから東京電力はGEや東芝から説明を受けて使い方に熟知していなければ困るが、設計や技術といった中心の専門的な部分を担っているのはやはりGEや東芝である。
例えば、研究機関が研究に用いる機器だって研究所が自前の機器を作って研究しているわけではない。それを設計製造しているメーカーが納入している。
要求に沿ったオーダー品を開発製造することもなくはないが、オーダー品というのは馬鹿高くなる。そうでなくても安い物ではない。
メーカーが説明書を添付するなり、使用方法などを説明し、それを使ってもらう。
だから調子が悪いと言えば、すぐに呼び出される。関西圏まで修理に出向いてやっと東京駅まで帰ってきたと思ったら、また調子が悪くなったと電話が入って踵を返す。そういうことだってなくはないわけで。
原発事故で東京電力ばかりが矢面に立たされたが、実際に中で起こっていること、対処の仕方、そういうことは設計製造したものではなくては分からないことだってあるだろう。
不注意で自動車事故を起こして自動車が破損した。修理代を誰が持つかはともかくとして、その破損程度を判断したり修理するのは運転手ではない。
その場でいくら運転手を責め立てても、壊れた自動車は片付かないし、直ることもない。


●「アーンアウト条項(Earn Out Provision)」
買収金額の支払いについての取り決めで、これが付いていると直ちに一括払いされない。
最終譲渡契約を締結し、代金決済が終了することをクロージング、その日をクロージング日と言う。
通常は最終契約書を交わしたら、すぐに買収金額を支払い、取引終了となる。
アーンアウト条項が儲けられている場合には、最終譲渡契約締結からクロージング日までに期間が設けられる。
通常のアーンアウトでの決済はすぐに幾らか支払って、残りは後でという分割方式が多い。
但し分割と言っても決められた額を支払うわけでない。
最終契約締結後も売り手側と買い手側が協力して事業を行い、後で払う金額はクロージング日までの業績などによって決めるというものである。
買い手側は一度に大金を支払う必要がないというメリットがある。
会社を直ちに潰そうと思って買収する人はいないはずなので、業績が好転し売り手側はより多くの買収代金を手にするチャンスがある。
一方で売り手側が最初に受け取る金額は少ない。業績がさらに悪化するようならば追加の買収代金も期待できなくなる。
もしも最初に全く受け取らず、全てその後の業績次第という後払い契約ならば、好転しない場合には買収代金を手に出来なくなる。


買収から7か月後の2016年7月、CB&I(売り手側)が「S&W買収金額」の件でWEC(買い手側)を提訴した。
提訴した理由はWECの親会社の東芝が買収金額20億ドルをCB&Iに請求したからだという。
S&Wを買ったのはWECである。通常お金を支払う立場にあるのはWEC。
ところがWECの親会社・東芝が売った側に代金を請求した。
CB&Iはとりあえず驚く。

(そういえば郵政民営化後、外部委託する国債などの債券管理業務についての競争入札で、約10億円のマイナス入札がありましたね。普通は「この金額をいただいて業務を引きうけます」となるわけだが「この金額を払ってその業務を行います」となるのがマイナス入札。とても珍しい。行ったのは住友信託銀行などが出資する日本トラスティ・サービス信託銀行)

東芝の言い分としては、「アーンアウト条項契約だったので7か月経過したところで企業価値を計算してみたら、20億ドル払ってもらうことが妥当である」というもの。
でも20億ドル支払えと言うのは、「S&Wの企業価値は全くないので、元の親会社であるCB&Iが賠償金を支払うべきです」と言っていることになる。何か少しアーンアウト条項の方向性が違うようにも思う。
東芝はアメリカ企業にぐるになって騙されたと思ったのではないだろうか。気持ちとしては分からなくもないけれど。


東芝にはさらに「のれん代(Goodwill)」の問題ものしかかる。

●「のれん代(Goodwill)」
のれん代も企業買収に関係するものであり、以前も書いたことがある。(過去記事

例えば東芝が英国核燃料から買ったWEC。この買収額は54億ドルだった。
WECの純資産が18億ドルだったとする。純資産とは購入する会社の負の資産(負債)を含めない純粋な資産額である。
負の資産と純資産というのは、バランスシートの右側の話。
左側に会社の預貯金や有価証券など流動資産と不動産などの固定資産がある。
それらを売り払えば負債が返せる状態で会社は存在が許される。
返せない状態になったら債務超過となり破綻に向かう。

買収金額のベースになるのは買収しようと思っている会社の純資産額。
WECの純資産額が18億ドルならば18億ドルで買うのが妥当である。
でも実際はもっと高値で買うことがある。
東芝は54億ドルも出したのだ。WECの純資産額18億ドルとの差額は36億ドル。この差額が「のれん代」。
「のれん代」はバランスシートの左側の無形固定資産に計上してよいという決まりになっている。東芝のバランスシートの左側に計上される。
東芝は18億ドルの子会社と36億ドルの「のれん代」という資産を手に入れた。
バランスシートなので右側も増えなければイコールにはならない。それはすなわち買収額の54億ドルをどこから出したのかということ。
借金したならば負債資産が増え、増資ならば純資産が増える。
貯金を当てたならば左側流動資産がその分だけ減る。
これでイコールになるのだ。
「のれん代」は目に見えない価値(少々悪く言えば実体のない価値)。期待とか見込みとか時世とかを反映している。独りよがりな部分も無きにしも非ず。
不動産など固定資産を担保に借金することは出来る。それは他に売れる可能性が高いから。
でも「のれん代」だけを買ってくれる人はいない。換金価値は無いに等しい。「のれん代」では借金できない。だからこれが大きくなりすぎる経営は危うい。

「のれん代」は日本と外国では扱いが違う。
日本は減価償却の対象となる。換金価値も無い資産のために会社は毎年帳簿上で利益を減らすことになる(一括払いにしているのに毎年必要経費として少しづつ計上していく)。
しかし毎年確実に換金価値のない「のれん代」が減っていくことも確かである。
もしも「のれん代」だけを減らし、減価償却しなければ(必要経費に計上しなければ)、その分利益は少し増える。もちろんそんなのは不正だけれども。

国際会計基準では「のれん代」の減価償却を認めていない。
36億ドルの「のれん代」を左側の資産に計上したらずっとそのままそこにある。会社が行うべきことはただ一つ、利益に繋げることだけ。
ずっとそのままと書いたが、永遠に置いておくことを許しているわけではない。
外国の場合、「のれん代」は会社の収益性が悪いと判断された時に、バッサリ切られる。
経営者が自ら行う時もあれば、監査法人や株主に強制的に指示されることもある。
例えば36億ドルの「のれん代」をバッサリ切られれば、その分右側も減らさなければならない。他から借りている負債を勝手に減らすわけにはいかない。減るのは純資産である。
もしも36億ドルバッサリ切られた時の純資産が20億ドルしかないとするならば、減らすことすら出来ない。バランスが成り立たない。会社の存在が許されないレベルになっている。負債を増やすか増資するか。
そんな会社に新たにお金を貸してくれるところなんか普通はないはずなのだ。増資だって限界がある。そうとなれば破綻である。

東芝は国際会計基準に則っている。



大きすぎた「のれん代」の代償。しかも期待していた肝心の事業は全く希望が見えず、それどころか受注側なのに費用を支払わなければならない垂れ流しの事態となってしまった。踏んだり蹴ったりで、にっちもさっちもいかない状態に陥ってしまったのだろう。
東芝は原子力事業だけを行っていたわけではない。メモリ事業(半導体)など好調だった部門もある。
だけど東芝という会社が破綻すれば、当然全てに影響が及ぶ。
日本の東芝の株主、役員や従業員、子会社の経営者や従業員、関連企業の経営者や従業員、みな打撃を受けるのだ。
老舗企業東芝がそれを想像するのは憂鬱で恐ろしかっただろう。だから不正に手を染めたのではないか。
また外国の原子力事業会社の買収に端を発した破綻というのも格好が悪い、印象が悪い。
1996年に社長に就任し、その会長、相談役となった東芝の闇将軍・西室泰三は2005年に東証の社長に就任し、政府の郵政民営化委員会の委員長を経て、2013年には日本郵政社長にもなった。
その西室が率いていた東芝が破綻したのでは体裁が悪い。西室や東証や日本政府や日本郵政のメンツにも関わるし、その後の影響力にも響く。
一方、東芝が潰れると困るという外部事情もあったであろう。
アメリカや日本が原発をまさに推進しようしているその矢先に、アメリカと日本の老舗企業の原子力事業が行き詰まったということでは大層具合が悪い。
原発の、原子力の、核開発の、ひいては原爆の実態が明るみになるのは困る。
東芝やWECが潰れたら、稼働中、停止中、新設中や計画中の原発はこの先いったいどうするのか。
それを思えば、なんとか東芝に踏みとどまってもらいたいという思いもあったのではないか。


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# by yumimi61 | 2018-04-12 11:26
2018年 04月 10日
日本国憲法の秘密-712- (外貨準備と貿易について)
イギリスはかなり早い段階から核燃料開発を止めたかった。廃止を模索していた。続けても赤字にしかならない。
2005年、イギリスは原子力廃止措置機関(NDA)を設立した。この機関は政府外の公共機関である。
廃止実現化に向けての道筋を付けたことになる。
廃止の理由には債務を前面に押し出し、政府事業の債務処理という形で政府外だけど公共機関という絶妙な立ち位置の機関に任せることにした。
また2006年には要素技術や潜在的開発力を国立原子力研究所が受け継ぐと発表。
何はともあれ原子力事業は採算が取れないということだ。
廃止するにしてもなるべく損は減らしたい。そこはイギリス政府や原子力廃止措置機関(NDA)の腕の見せ所である。
こうして東芝は破格の高値でWECを掴まされた。
英国核燃料(BNFL)がイギリス国内に所有していた20ほどの発電所や施設すべてを売却したり廃止したりして、2009年5月に英国核燃料(BNFL)はその役割を終え消滅した。
そのイギリスで日本の企業(日立など)は原発新設を進めていたりする。
イギリスは地震がないから安心と思っているのか知らないけど、原発事故なんかどこ吹く風である。



2008年9月15日、アメリカの投資銀行リーマン・ ブラザーズが経営破綻した。
それに端を発して連鎖的に世界的金融危機が生じた。
"the global financial crisis "、 "the 2008 financial crisis"、日本では「リーマン・ ショック」と呼ばれる。
そんな中、アメリカ大統領に就任したのがバラク・オバマ。
政権移行経済顧問委員会のメンバーの1人にはウォーレン・バフェット(Warren Buffett)もいた。
世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。

企業が金融危機にあえぐ中、彼は次々と資金を提供した。
ゴールドマン・サックスに50億ドル。
コンステレーション・エナジー・グループに50億ドル。
GEにも30億ドル。

コンステレーション・エナジー・グループはアメリカの電力大手会社。原子力発電所を幾つか所有していた。

そんなウォーレン・バフェットに危機が訪れた。
アメリカ最大手の電力会社エクセロンがNRGエナジーに敵対的買収を仕掛けたからである。
NRGエナジーの株価も2008年10月に大暴落していた。
その安い株価に最大手が目を付けたということである。
政権交代(民主党オバマ大統領誕生)によって原発推進に舵を切ることも見越していた。
ウォーレン・バフェットはNRGエナジーの筆頭株主つまりオーナーであった。
エクセロンはそのバフェットが他の原発関連企業にも投資しているのだから間違いないと踏んだのだろう。
現にオバマ大統領はアメリカで20年以上行われてこなかった原子炉の新設を就任まもなく承認し、すぐに計画が進行していった。
新設に踏み切る理由は温暖化防止である。

エクセロンはアメリカ国内において最も多くの原子力発電所を運営している会社である。11箇所の原子力発電所で19基の原子炉を運営しているが、その中にはかつて大きな原子力事故を起こしたことがあるスリーマイル島原子力発電所が含まれている。

最大手エクセロンは株式交換での買収を提示。
NRGエナジー1株につきエクセロンは0.545株。半分程度である。
当時の株価でNRGエナジー1株が26ドルに化けることになる。
大暴落時の価格からすれば悪い提示ではないが、NRGエナジー側は安すぎると反発した。
バフェットがNGRエナジー株を買った平均額は1株43ドルだったそうだ。
例えばバフェットが紙切れ同然の株を手に入れていたのだとすれば、1株26ドルだって黒字である。
NRGエナジーは2003年頃に一度経営難に陥っているが、バフェットが買ったのはその時ではなくて再建されて値が上がっていた時だという。これでは大損である。

両社は9か月間争いを繰り広げ、2009年7月にエクセロンが諦める形で収拾した。
その間にも原発推進計画は着々進んでいた。
オバマ大統領は計7基の原発建設に政府の融資保証を付けた。
うち6基は東芝製の原子炉だった。
エクセロンが選んだ企業はGE・日立。
バフェットのHRGエナジーが選んだ企業は、2006年にイギリスから高値でWECを買った東芝(WEC)。
オバマ大統領は原爆を否定されたら困る派だったのだ。
それで派手に広島までやってきたのかしらね。



御存知の通り、2011年3月11日、日本は未曽有の大災害に見舞われた。
しかし世界の経済界はどこ吹く風の平常運転だった。
4月、アメリカの最大手電力会社エクセロンが、リーマン金融危機でバフェットが資金提供したコンステレーション・エナジー・グループを買収すると発表。
コンステレーション1株当たりエクセロン0.93株と交換ということなのでほぼ1対1であり、当時の双方の株価からすればコンステレーション側株主が若干お得になる。

2013年2月にはアメリカのショー・グループ(The Shaw Group)という大手建設エンジニアリング企業が、シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン(Chicago Bridge & Iron Company;CB&I)という同じく大手建設エンジニアリング企業に買収された。

ショー・グループ(The Shaw Group)は2000年に経営破綻したストーン・アンド・ウェブスター(Stone & Webster;S&W)という原子力発電所の建設や総合サービスを提供していた会社を買収して原子力事業に参入した。
経営破綻した会社を買うのはナンセンスと思う人もいるかもしれないが、そんな状態ならば安い(タダ同然)。但し借金が付いてくるかもしれないが。
経営破綻と一口に言ってもその理由は様々である。実際のところ経営や事業自体は何の問題もなく破綻することもある。人が変われば、あるいは手法を変えれば、事業を整理すれば、業績が改善する場合もある。もちろん何をやっても無駄という場合もあるわけだが。
それらは見る人によって違うわけで、やってみなければ分からないという面もあり、だからこそ経営破綻しても買う人がいる。
ショー・グループ(The Shaw Group)という会社が大きくなったきっかけが経営破綻した会社を買って再建に成功したからだったということもあり経営悪化した企業の買収に積極的だった。
さらにS&Wの創業者はマンハッタン計画で多くの原爆開発関連施設の建設を担った技術者であったので、原子力事業に対する信頼に繋がったのだろう。

原子力事業に参入したショー・グループ(The Shaw Group)(実際に仕事をするのは子会社にしたS&W)は東芝の子会社となっていたウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)のプラント建設の下請けとして仕事を受注していた。

だが2012年にS&Wはアメリカの新設原発4基建設を担当して債務超過に陥った。その額は30億近くに上ったという。
これでショー・グループ(The Shaw Group)の子会社であるS&Wは倒産である。
2000年に破綻した時にショー・グループに買われた会社が2012年に再び破綻した。
2度あることは・・・

2013年にS&Wは親会社ショー・グループ(The Shaw Group)もろともCB&Iに買収され、今度はCB&I(実際に仕事をするのは子会社にしたS&W)が東芝の子会社であるWECと仕事をするようになった


東芝←2006←Westinghouse Electric Company(WEC)

Chicago Bridge & Iron Company(CB&I)←2013←The Shaw Group←2000←Stone & Webster(S&W)
 
Westinghouse Electric Company(WEC)←2015←Stone & Webster(S&W)

2015年末には東芝の子会社WECが、2度も破綻経験のあるCB&Iの子会社S&Wを買収した。
この買収で再び東芝はピンチに立つことになった。



S&Wの創業者が戦中に原子力関連施設の建設に携わった技術者であったことは前述したが、戦後S&Wはアメリカの電機メーカーWEの原子力事業部門と一緒に仕事をしてきた。
WEの原子力事業部門は後に分社化されてWECとなったが、S&WとWECはそういう仲だったのだ。
WECの親会社であるWEが巨大メディア会社に変貌するために放送に関係ない会社を売り払ったのが1997年。(原子力事業のWECはすぐには売れなかったが)
同じ頃、S&Wも会社が傾いていた。
生き残りをかけてS&Wはインドネシアのスハルト大統領の親族に賄賂を送り、大規模な化学プラント建設を受注することを企てた。
しかし顧問弁護士から猛反対されたか、スハルト大統領が失脚して有耶無耶になったかで、賄賂からの受注はまとまらず、良いような悪いようなで経営破綻した。
それを買ったのがすでに述べてきたようにショー・グループ(The Shaw Group)である。
S&Wは子会社になったが一応そのままの形で残った。そのS&Wは東芝が買ったWECと一緒に仕事をしてきた仲。
ということで、(ショー・グループの)S&Wは東芝の買収に絡んでいるのだ。

東芝は2006年にWECを54億ドルという高値で落札したが、それでも保有株式は100%ではなく77%であった。
資金調達しきれず一緒に仕事をする仲間に負担してもらったのか、残り20%はショー・グループ、3%は日本のIHIが保有した。
この時、東芝とショー・グループはプットオプション(市場価格に関係なく予め決められた価格でWECの株を東芝に売る権利)を付けている。
原発の仕事に直接かかわる2社がどういう意図でこれを付けたかは分からぬが、2011年3月の日本の原発事故後にショー・グループはその権利を行使した。東芝はここでも出費。
事故後は原発関連株は下がるだろうから、東芝が損をしたように思うが、2006年に東芝が払いたかった金額と考えれば別に損ではない。


アメリカのS&Wが債務超過に陥ったのは、日本の原発事故による株価下落が原因ではなかったが、株価下落と思い込んだ人もいたのだろう。
だから2度目の破綻の後にも買い手が付いたとも言える(株価が回復すれば儲けになると睨んだ)。
買ったのはCB&Iである。投資家バフェットはこの会社の大株主でもあったようだ。

しかし問題は株価ではなく事業そのものだった。
工事が思うように進まず、コストが予算以上にかかり、さらに工事の遅れに対しての賠償金まで請求されてしまった。
S&Wの工事遅れは一緒に仕事をしているWECのつまずきとも言える。
WECがしっかり設計し指示を出せない状態、あるいは設計や指示通りにならない状態ならば、当然S&Wだって仕事は進まない。
WECの親会社は東芝であるが、東芝も目論見も外れ、原子力の中枢技術や原子炉設計の具体的ノウハウなどは教えてもらえない状態。ごく少数の者しか知らないこと。
建屋は作れるかもしれない、だけどその中央の中央で行われている事はみんな分からない、理論は語れてもいざ作れと言われれば作れない、作っても結果が出ない、それが現状である。
最初から無理のある原爆・原発な上に、アメリカでは20年以上も新設されてこなかったのだ。設計者や技術者だって入れ替わっているだろう
いろんな意味で難しい。
そのうち賠償金をWECが持つか(CB&I子会社の)S&Wが持つかで両社が揉め始めた。
S&Wの新しい親会社CB&Iはあまりに杜撰な実態に怒り心頭。
最終的に責任を取らなければならなくなるのはWECの親会社である東芝である。




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# by yumimi61 | 2018-04-10 13:38
2018年 04月 09日
日本国憲法の秘密-711- (外貨準備と貿易について)
福島原子力発電所
原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR)
1号機BWR–3型、2~4号機BWR–4型、6号機BWR–5型
原子炉格納容器形式:1〜5号機MARK-Ⅰ型、6号機MARK‐Ⅱ型、素材は鋼鉄製

1号機 
建設着工1967年 営業運転開始1971年 GE
2号機
建設着工1969年 営業運転開始1974年 GE・東芝
3号機
建設着工1970年 営業運転開始1976年 東芝
4号機
建設着工1972年 営業運転開始1978年 日立
5号機
建設着工1971年 営業運転開始1978年 東芝
6号機
建設着工1973年 営業運転開始1979年 GE・東芝


沸騰水型軽水炉(BWR)はアメリカのGE社を中心に開発されたもの。
一番最初に造られた1号機のプラントの建設を請け負ったのはGE社。
その下請けとして、原子炉圧力容器を東芝、原子炉格納容器を日立、建屋の建築工事を鹿島建設が担った。
2号機以降は日本企業もプラント建設元請になっている。


第二次世界大戦中に原爆をアメリカに売り込みに行ったマーク・オリファント(イギリスにいたオーストラリア人)はGE社にいた人物だった。

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日本を代表する電機メーカーの1つである東芝は原子力事業の損失で経営悪化した。
東芝は三井系企業であり、1996年に西室泰三が社長に就任した。
西室は慶應義塾大学から東芝に入社し、半導体部門から社長に昇進した人物である。
昨年10月に亡くなった。

株式会社東芝代表取締役社長(後に代表取締役会長を経て、2016年4月時点で相談役)、株式会社東京証券取引所代表取締役会長兼社長、株式会社東京証券取引所グループ取締役会長兼代表執行役、日本郵政株式会社取締役兼代表執行役社長、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役社長、第33期慶應義塾評議員会議長、東芝名誉顧問等を歴任。東芝でウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーの買収により巨額損失を出し、その後に社長となった日本郵政の海外事業買収でも同様の巨額損失を出した。その経歴と実績から東芝内部では「東芝の闇将軍」、財界では「肩書コレクター」の異名をとる。

西室は異例の昇進で東芝の社長に就任したが、これはアメリカの影響が強い。
1995年から1996年にかけてのDVD規格の策定においては、西室は東芝専務としてソニーや松下電器産業との難しい交渉をまとめ上げ、東芝がDVD規格の策定において主導権を握ることに成功した。
当時はソニー・フィリップス連合が主導するMMCD規格が「次世代ビデオ」の本命とも言われており、東芝の主導するSD規格との間で規格戦争が起こる可能性もあったが、西室はワーナーを筆頭とする米映画会社との交渉を行い、ハリウッドが東芝陣営に付いたことが決め手となり、ソニー・フィリップス連合はMMCDの開発を断念。
MMCD規格の一部がSD規格に取り込まれてDVD規格が誕生し、「次世代ビデオ」はDVD規格に一本化され、前世代で行われたVHS対ベータ戦争の再来は避けられた。その交渉力を買われて社長に就任することになる。


(ワーナーなどアメリカの娯楽・映画産業企業については過去記事参照


東芝が巨額損失を出すことになったのは、2006年にウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーという原子力事業を行っている会社を買ったからである。
売りに出したのは英国核燃料(British Nuclear Fuels Limited、BNFL)というイギリスの国有会社(イギリス政府完全所有)である。
1954年にイギリスでは原子力法によって原子力省(Department of Atomic Energy)と原子力公社(UK Atomic Energy Authority, UKAEA)が創設された。リオ・ティント社はそのどちらにもカナダのウラン鉱山開発に資金を出してほしいと交渉したが良い返事は受け取れなかった。
その原子力公社から1971年に生産部門が核燃料公社として分割され、1984年に完全国有企業となった。
1984年の首相はサッチャー首相。サッチャー首相は市場に任せる小さな政府派で国有企業の民営化を推し進めた人だが、核燃料公社はその逆で完全政府国有会社となった。
すなわち市場価値は低いと見込んでいたのだろう。それがイギリスという国の核燃料事情だったはず。そんなものを無暗に市場に出すわけにはいかないという意識もあったのかもしれない。
もともと原爆にも否定的だったイギリスではあるが、この頃も原子力には行き詰まっていて、イギリスは原子力発電の廃止に向けて模索していたのではないだろうか。
1990年にはアメリカで原子炉の除染事業と廃止措置に特化した子会社を設立している。
その後、部分的な民営化を目指し、国からの切り離しをさらに模索する。だが改竄が明るみにされるなどして、すんなりとは進まなかった。

1999年にBNFL職員がいくつかのMOX燃料の品質保証データを1996年から改竄していることが発見された。また、1999年から2000年にかけてBNFLで製造し、関西電力の高浜原子力発電所でプルサーマル発電に使われるはずだったMOX燃料の抜き取り検査で、BNFLが品質保証のために必要な燃焼ペレットの外径測定を行わずに測定データを偽装するという不正も見つかった。更にその不正調査の過程で、調査を混乱させるためにBNFLの作業員が故意に燃料棒に異物を混入させるという事件も発生した。

原子力施設検査局(NII)の調査は「管理と操作の段階は...事実上存在しなかった」と結論付けた。結果、日本側は使用を中止し、BNFLは日本の顧客である関西電力に保証金を支払い、2002年に欠陥のあった出荷済みMOX燃料を日本から回収した。BNFLの最高経営責任者であったジョン・タイラーは最初は辞任に抵抗したものの、NIIの厳しい報告書が発表されたことによって辞職した。

この問題の結果、BNFLの部分的民営化の見込みは2年間遅れた。


英国核燃料(BNFL)がアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを買ったのは改竄が発覚した1999年。
当時ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーはアメリカのメディア・コングロマリット「CBS」の商業原子力部門だった。


上の「CBS」は「CBSコーポレーション」のことで、CBS放送局の親会社である。
かつてはCBS放送という1つの会社があった。
CBS放送(コロンビア放送)(愛称:EYE NETWORK)の主力部門は長いことレコード部門だった(コロンビアレコード)。
日本のソニーはのCBS(コロンビアレコード)と合弁事業(CBSソニー)を行っており、1988年にはソニーがレコード部門であるコロンビアレコードを買収してソニーミュージックになった。
1995年にCBS放送(コロンビア放送)を買収したのがウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション(WE)というアメリカの電機メーカである。電機メーカーだが放送黎明期に放送局を幾つか開局していた。そのWEがCBS放送(コロンビア放送)のオーナーになったということ。
WEは1997年に放送に関係ない会社を売り払い、自らのWEという名も捨て「CBSコーポレーション」と改称して巨大メディア会社となった。
この頃にはすでに電機メーカの面影はなかった。

1999年に今度はVIACOM(バイアコム)がCBS放送(コロンビア放送)をWEから買収した。CBS放送のオーナーはバイアコムになった。
バイアコムはCBS放送の番組販売部門の分社化によって出来た会社。かつての親会社を買収したことになった。
そのバイアコムは2005年に会社を整理分割し、再び「CBSコーポレーション」と改称。

東芝が英国核燃料から買ったウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)という会社は、ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション(WE)から分社化された原子力企業であった。
1997年以後唯一残っていた生産(製造)部門が原子力事業だったのだ。それを1999年に買ったのが英国核燃料。
イギリスでは1997年に労働党トニー・ブレア首相が就任していた。


Westinghouse Electric Company(ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー;WEC)

1997年 WEが放送に関係ない会社を売り払い、「CBSコーポレション」となる。
原子力事業であるウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー;WEC)は売れ残っていた。

1999年 英国核燃料(イギリス)が11億ドルで購入
2005年 英国核燃料が売却すること発表。売り出し価格(見積もられた価値)は18億ドル 競争入札へ
2006年 東芝(日本)が54億ドルで購入決定

英国核燃料が買ってから売脚するまでの6~7年の間にどれほど赤字を垂れ流していたのかは不明だが、購入価格から見ればぼろ儲けである。
これは今の日本にも大事な話だと思うのでもう一度言いますね。
購入価格と比してぼろ儲け出来るんですよ!

入札に参加した企業
①GE社・日立
②三菱重工
③東芝

WEという電機メーカーはGEのエジソンと同時代の発明家が創業した会社でGEのライバル会社でもあった。
WEとGEのどちらもが原子力産業に手を出していた。
第二次世界大戦中にはフランスの科学者が発表した核連鎖反応には重水が必要であるという理論を皆が信じていたわけだが、現在は軽水炉が一番多く使われていて世界の原子炉の80%を超える。
その軽水炉にも2種類ある。
加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR)である。
軽水炉中ではPWRの割合が8割ほどになる。
PWRを得意にしていたのがWEで、BWRを得意にしていたのがGEということなのだ。
こういった情報だけ見れば、PWRのWEを手に入れれば世界の原発市場の主導権を握れると思うだろう。

当初売却先として有力視されていたのは①で、そのうち②になった。
でも結局③の東芝に決まった。
その間には言い値の3倍、買った価格の5倍ほどにも価格は吊り上っていた。
何故こんなに価格が上がったのか。
アメリカのブッシュ大統領と商務長官が「アメリカはGEを支援している」とイギリスのブレア首相と貿易産業相にプッシュしたと伝えられたからだと思われる。
オークションだって強敵がいればいるほど値が釣り上がっていくもの。
負けたくない一心なのか、とても妥当な値段には見えない価格で落札されるということはよくある。
ブッシュ大統領は民主党でもないし、ブッシュ家は石油事業に関係していた一家で原発派ではなさそう。
しかも売りに出されているWEはもともとがアメリカ企業である。そんなに必要ならば最初から他所の国になんか売らなければよいのだ。
いらないから売ったんだし、最後まで売れ残っていたんだし。
値を釣り上げるための工作としか思えない。





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# by yumimi61 | 2018-04-09 18:04
2018年 04月 09日
日本国憲法の秘密-710- (外貨準備と貿易について)
渡辺プロダクションとケネディハウスとShureと原子心母の関係

渡辺プロダクションはかつて「銀座メイツ」というライブハウスを経営していた。
渡辺プロに所属するタレントやスクールメイツが出演していた。「会いに行けるアイドル」 を売りにした秋葉原のAKB48劇場の先駆けみたいな所だったのだろう。

スクールメイツ(School Mates)
俳優やタレントを育成する「有限会社東京音楽学院」の選抜メンバーで構成された芸能グループである。
1962年、渡辺プロダクションの渡辺美佐(現・名誉会長)が欧米研修から帰国した時に「本格的なジャズ・ポップスの合唱団をつくり後継者を育てたい」と提案。その翌年1963年、東京音楽学院が発足した。その中から優秀な生徒を集めて1964年に結成されたのが「スクールメイツ」である。
当初は地方からの入学希望者も多く、1960年代後半~1970年にかけて全国各地(名古屋市、大阪市、福岡市、広島市など)に系列地方校が誕生し、そこから今日の芸能界を支える多くのスターを輩出。1968年には既にNHK紅白歌合戦のバックダンサーとしても活動していた。
同時期のジャニーズ事務所と、渡辺プロダクションの若手タレントやスクールメイツが共にレギュラー出演していた『プラチナゴールデンショー』では、毎回番組の終わりに「あなたもフォーリーブスと共演しませんか?」と、各系列校の生徒を募集する字幕を流していたこともあり、入学者数はうなぎ上りとなり、最盛期には約400名にまで膨れ上がった。
1970年には大阪万博のオープニングイベントにも参加。そこで渡辺美佐プロデュースにより「女子メンバーがテニスルックでポンポンを持って踊るスタイル」が確立した。
主な出演番組
##NHK紅白歌合戦(NHK総合)
##レッツゴーヤング(NHK総合)
##思い出のメロディー(NHK総合)
##夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
##ドリフ大爆笑(フジテレビ)
##FNS歌謡祭(フジテレビ)


現在は渡辺プロダクションも分社化された芸能事務所部門も渋谷にあるらしいけれども(NHKが好きなのかしら?)、かつては日比谷公園とか日比谷駅や有楽町駅が最寄り駅となり東宝ツインタワービル・東京宝塚劇場・東宝日比谷ビルなどが立ち並ぶ東宝界隈近くのビルに入居していた。三井系のビルだと思われる。
その時代はNHKも内幸町のNHK東京放送会館にいた。

渡辺プロダクションが経営していた「銀座メイツ」もそこからそう遠くない場所にあり、今は「ケネディハウス」になっている。

ケネディハウス(KENNEDY HOUSE)は、株式会社エィティスリーが運営する銀座のライブハウスレストラン。
ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦が1983年に銀座メイツ跡地にオープンさせた。専属バンドのスーパー・ワンダーランドが1960〜1970年代のロック、ポップス、グループサウンズを中心に生演奏を行う通常営業日とゲストアーティスト出演日がある。ゲスト公演では加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズや加山雄三&ハイパーランチャーズが定期ライブを行う。


オーナーだった加瀬さんは2015年にがんで療養中に自殺されたそうでお亡くなりになられている。
運営していたエィティスリーという会社は2013年にヒビノ株式会社の完全子会社となっている。

ヒビノ株式会社(Hibino Corporation)は、プロ用音響機器・映像機器の輸入販売、音響・映像システムの設計、LEDディスプレイの開発・製造・販売、コンサートイベント用映像機材・PA機材のレンタル及びオペレーション、ライブレコーディングを行う会社。本社東京都港区。

創業は1956年、日比野宏明(現会長)がテレビの販売・修理店である日比野電気を開業。1964年に同店を母体として音響設備会社のヒビノ電気音響株式会社(現ヒビノ)を設立し、業務用音響機器の販売を開始する。1970年の大阪万博でShureのPAシステムに出会い国内販売を開始する。導入費が高額なことや操作に専門知識が必要なことからなかなか販売には結びつかなかったものの、使いたいとの要望は絶えなかった。そこで1971年、販売と並行してPA機材のレンタル並びに技術者によるオペレートを提供するPA(コンサート音響)事業を開始。日本におけるPAの道を切り開く。コンサートの音響を手掛ける中で、コンサートに映像が必要な時代が訪れると考え、1984年に映像事業へ参入。翌年よりイベントやコンサートの映像演出サービスを本格的に開始する。当初、日本ではコンサートに映像は必要ないとなかなか受け入れられなかったが、1985年に日本で初めてコンサートに映像演出としてのマルチビジョンを導入。展示会や企業イベントにおける映像需要の拡大を追い風に、映像事業は大きく成長する。

・主な技術協力アーティスト:aiko、access、Acid Black Cherry、ATSUSHI、嵐、アリス、アンジェラ・アキ、E-girls、UVERworld、ウルフルズ、AKB48、EXILE、X JAPAN、及川光博、大塚愛、ORANGE RANGE、甲斐よしひろ、KAT-TUN、Gackt、the GazettE、加山雄三、関ジャニ∞、℃-ute、Kis-My-Ft2、清木場俊介、KinKi Kids、クレイジーケンバンド、黒夢、倖田來未、GLAY、郷ひろみ、コブクロ、ゴールデンボンバー、佐野元春、沢田研二、三代目J Soul Brothers、サザンオールスターズ、THE YELLOW MONKEY、the HIATUS、湘南乃風、Superfly、スガシカオ、SMAP、滝沢歌舞伎、タッキー&翼、T.M.Revolution、TOKIO、DREAMS COME TRUE、AAA、ナイトメア、長渕剛、NEWS、HiGH&LOW、葉加瀬太郎、BUCK-TICK、浜崎あゆみ、浜田省吾、VAMPS、BUCK-TICK、B'z、氷室京介、藤井フミヤ、V6、flumpool、BABYMETAL、槇原敬之、水樹奈々、Mr.Children、miwa、モーニング娘。、乃木坂46、矢沢永吉、山崎まさよし、山下達郎、YUKI、ゆず、ユニコーン、横山健、吉井和哉、L'Arc〜en〜Ciel、RADWIMPS、凛として時雨、Red Hot Chili Peppers、ONE OK ROCK

・主な技術協力音楽イベント:イナズマロックフェス、UDO MUSIC FESTIVAL、a-nation、ap bank fes、Augusta Camp、COUNTDOWN JAPAN、サマーソニック、J-WAVE LIVE、JAPAN NIGHT -MOVE WITH THE MUSIC-、情熱大陸SPECIAL LIVE、FUJI ROCK FESTIVAL、FREEDOM aozora

・主な技術協力スポーツイベント:国民体育大会、シドニーオリンピック、ソルトレイクシティオリンピック、東京マラソン、長野オリンピック、B.LEAGUE、FORMULA 1 JAPANE GP

・主な技術協力イベント:愛・地球博、XFLAG PARK、さっぽろ雪まつり、上海万博、神宮外苑花火大会、即位の礼、大喪の礼、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)、ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー、ミラノ万博

・主な技術協力テレビ番組:朝まで生テレビ、いきなり!黄金伝説。、クイズ雑学王、インディジャパン300、NHK紅白歌合戦、FNS歌謡祭、F1グランプリ、芸能人格付けチェック、SASUKE、サルヂエ、ダウンタウンDX、TVのチカラ、プレバト!!、ワンダー×ワンダー

・主な技術協力展示会:東京モーターショー、東京ゲームショウ、ビジネスショウ、アミューズメントマシンエキスポ、NTT GROUP COLLECTION、東京オートサロン、海外モーターショー(ニューヨーク、ソウル、上海、フランクフルト、シカゴ、デトロイト、広州)


LEDディスプレイの開発・製造・販売も行っている。

製造工場は持たないファブレス。自社ブランドのChromaLED(クロマレッド)は高輝度・高精細が特徴。日本製にこだわっておりLEDの球は日亜化学工業製、製造組立は国内協力会社の工場で行う。街頭ビジョン、商業施設、テレビ局のほか国内外のレンタル会社に販売している。

・主なヒビノ製LEDディスプレイブランド:ChromaLED、ChromaVision(クロマビジョン)、Chromawall(クロマウォール)、infoLED(インフォレッド) 主な納入先:赤坂サカスSacas400、秋葉原UDXビジョン、アドビジョン大阪、池袋リプレビジョン、iTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズ、ウメキタるるっと!ビジョン、表参道ヒルズ、QFRONT Q'S EYE、警視庁サインカー、サンシャインシティ、品川駅港南口ふれあい広場、渋谷キャスト、渋谷ヒカリエ、新橋ヒビノビジョン、JR大宮駅、そごう千葉店、中部国際空港セントレアSORAビジョン、T-WESTビジョン(名古屋駅前街頭ビジョン)、東京国際フォーラム、NISSAN CROSSING、日産グローバル本社ギャラリー、日本科学未来館、日本橋アドビジョン、白馬ジャンプ競技場、パシフィコ横浜、ビックロ ユニクロ新宿東口店、フジテレビジャンボビジョン、PRADA(銀座店他50店舗)、HONDAウェルカムプラザ青山、ボートピア習志野、ボートレース平和島、DHC Channel(旧マイティビジョン渋谷)、ユニクロ(銀座店、池袋サンシャイン60通り店、UNIQLO OSAKA、上海店、広州店、広州ビクトリー広場店、エンポリアム メルボルン店、ミッドシティセンター店、他)、横浜アリーナヨコアリビジョン、横浜スタジアム、ラジオシティ・ミュージックホール、ロードサイドネットワークビジョン(六本木、麻布、芝公園、日本橋、江戸川橋)



Shureはアメリカの会社。
1925年4月25日、シドニー・シュア(Sidney N. Shure)がThe Shure Radio Companyという、ラジオ無線機器の組み立てキットおよび完成品を製造販売する個人企業をイリノイ州のシカゴで創業した。1929年の大恐慌の後、一変した市場のニーズを踏まえ、マイクロホンを扱うようになる。

1939年に業界初の単一指向性マイクロホンであるモデル55を発売。アメリカ大統領の演説の場で用いられるなど、幅広く受け入れられた。1965年には現在に至るまで同社の代表的な製品の一つであるSM57を発売。SM58と共にライブ・パフォーマンスやスタジオ・レコーディングで使用される業界のデファクト・スタンダードとなった。

また、ミュージシャンのステージモニター用に開発されたイヤホンであるEシリーズは、2000年代におけるiPodなどのデジタルオーディオプレーヤーの爆発的普及にともない、一般顧客層にも高音質イヤホンの代表的な製品として受け入れられた。



伝説の「箱根アフロディーテ」でピンク・フロイドの音響を手掛ける

当日の大トリを務めたのは、初来日となったイギリスのプログレッシブロックの雄、ピンク・フロイドであった。
 前年の1970年に発表したアルバム『Atom Heart Mother/原子心母』が全英チャート1位を記録し、一躍人気バンドとなったピンク・フロイドの日本初のライブステージは、ロックファンの大きな期待を集めていた。
 ピンク・フロイドはイギリス「wem」のスピーカーシステムを本国から持ち込んでいたが、野外ライブで十分な音を出すには本数が足りず、日比野が用意したShureのスピーカーも併せて使うことになった。


ピンク・フロイド、「原子心母」と言えば東芝の音楽部門にいた石坂敬一。後にユニバーサル ミュージックの代表になった方である。
ユニバーサルミュージックの親会社はフランスのヴィヴェンディ。
松下電器が持っていたMCAをカナダのシーグラムが買って、娯楽部門をユニバーサルという名称にした。

MCAは現在のNBCユニバーサル。
NBCユニバーサルは、ゼネラル・エレクトリック (GE) 傘下のNBCと、ヴィヴェンディ傘下のヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンタテインメントの合併により、2004年に設立された。
設立当初の出資比率はGEが80%、ヴィヴェンディが20%だったが、現在はアメリカのケーブルテレビ運営会社のコムキャストが全株式を取得しており、コムキャストの完全子会社。ユニバーサル・スタジオなどを擁している。
ユニバーサルミュージックはアメリカの音楽会社だが上記合併対象となっておらず、現在もフランスのヴィヴェンディが所有している。


何気に原発の影がチラつく感じ。





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# by yumimi61 | 2018-04-09 02:00
2018年 04月 08日
日本国憲法の秘密-709- (外貨準備と貿易について)
Witch-hunt is the work of the pope (people)

Witch-hunt、魔女狩り。
魔女狩りとは’魔女’であるという嫌疑を掛けられた者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑等の一連の迫害を指す。
私刑(リンチ・lynch)だけでなく法的手続きを採っていたとしても、魔女狩りに値するものがある。

【魔女狩りが起こる場所】
①不可侵な君主や宗教指導者などが存在する場所
君主という存在が公的に認められており君主継承が世襲である絶対君主や、人は変わっても教皇という地位が変わることがないローマ教皇など不可侵な絶対権力者が大勢を支配している場所においては、「法」すらその支配下にあるからである。
最終的には全てが絶対権力者の意向に沿い、それに反することが出来ない状態なので、絶対権力者の意向で容易に白が黒になってしまうことがあり得る環境である。

②大衆が物事を決める場所
権力者が大衆をバックに付けている場合には、大衆の意向が重要となる。
大衆は風潮に流されやすい。
また大衆というものは反権力を謳うことが多いが、その実、非常に金や権力に懐柔されたり騙されやすくもある。
よって権力者は大衆コントロールを研究し、大衆を利用することを考える。
多数決の原理で多数が正しくなり、物事に普遍的な軸がない状態。
大衆を利用して、英雄を作り出すことも、悪者を作り出すことも出来る。
裁判における陪審員は大衆の代表ということで、権力の暴走を食い止めるという利点はあるが、専門的知識も軸もなく風潮に流されやすい民衆が善悪を判断する危険性は常に伴っている。しかも大衆の代表が僅か数名であるという矛盾も孕んでいる。


かつて「魔女狩り」といえば、「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」などと語られることが多かった。
このような見方は1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展によって修正されており、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」と考えられている。


これはつまり魔女狩りを行ったのかは誰かということであるが、①から②に修正されてきたということを述べている。
絶対権力者が大衆に罪を被せたと言える。

どちらにしても魔女狩りは「反カトリック者を許さない」ために始まったことは確かである。

ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と結託してキリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の「魔女」の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が興った。そして初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来した。現代では、歴史上の魔女狩りの事例の多くは無知による社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられている。

16世紀は宗教改革の時代なので、キリスト教にはカトリックの他に、新たにプロテスタントが生まれた。
一般的には新種の魔女とはプロテスタント支持の女性ということになる。
宗教改革の時代には王家や貴族などもカトリックに反旗を翻したという事実があるので(カトリック教会は王族や貴族からもかなりのロイアルティーroyaltyを巻き上げていた)、①に該当する同じ権力者であってもカトリックにとっては魔女に該当した者がいた。
逆にプロテスタント派から見れば、権力と金という欲と同性愛に溺れたカトリックの存在を許している女性は悪魔に魂を売り渡した魔女のように思えてもおかしくはない。
つまりこの時代以降は、カトリック側にもプロテスタント側にも魔女に見える女性がいた。そのことが「魔女狩り」をややこしくさせた。
イギリスはその宗教改革の時代にカトリックの女王もプロテスタントの女王も即位しており対立者の処刑も行っている。
これは「魔女」である女性が狩られたのではなく、「魔女」に値する女性が狩ったケースにあたる。


スイスやカトリック系であるサヴォイ家(サヴォイア家)の領地サヴォワは魔女狩り発祥の地

12世紀に始まった異端審問が本格的に魔女を裁くようになったのは15世紀に入ってからであるが、それはワルドー派が迫害を逃れて潜伏していたアルプス西部地方(スイスのヴァレー州、フランスのドーフィネ、サヴォワ)で始められた。ノーマン・コーンによれば、記録に残るものでは1428年にスイス、ヴァレー州の異端審問所が魔女の件を扱ったものが最古であるという。もともとこの地方の異端審問所はワルドー派の追及を主に行っていたため、やがて異端の集会のイメージが魔女の集会のイメージへと変容していくことになる。悪魔を崇拝する、あるいは聖なる物品を侮辱する、子供を捕えて食べるといった魔女の集会の持つイメージはかつて異端の集会で行われていたとされたものそのままであった(当時は魔女は群れるものとされていたのであり、森に一人で住む魔女というイメージはグリム童話などに負うところが大きい)。

また、魔女の概念は当時のヨーロッパを覆っていた反ユダヤ主義とも結びつき、「子供を捕まえて食べるかぎ鼻の人物」という魔女像が作られていった。魔女の集会がユダヤ人にとって安息日を意味する「サバト」という名称で呼ばれるようになるのも反ユダヤ主義の産物である。このように人々の間に共通の魔女のイメージが完成したのが15世紀のことであった。


ワルドー派は、権力や富の象徴とされる装飾や華美さを目指さず尊ばず清貧を追求し、金と権力に溺れて腐敗の始まっていたカトリックからは異端として断罪された。
近年ではこのワルドー派の福音主義的・聖書主義的特性から宗教改革の先駆とも評されている。

これらの歴史や種々の噂を踏まえると、ダイアナ元妃の死は魔女狩りの一種だったと思えなくもない。


死刑が行われるべきではない理由

人権問題とか冤罪の問題とかいろいろあるが、基本的なところで言えば、死刑が私刑になりうる場合には死刑という制度を設けるべきではないのだ。
上記①の場合、絶対権力者の意向で死刑に出来てしまう。つまりそれは私刑であり魔女狩りにも通じる。
そこで大衆やら多数決が登場する。
しかし大衆や陪審員には②に書いたような問題があり、結局私刑に通じてしまう恐れが払拭できない。
この2つを考えた時に、後戻りのできない死刑は廃止の方向に動いた。


なぜ’Witch(魔女)’なのかということをもう一度考えてみよう

カトリックでは、教皇はもちろんのこと、神父(司祭)、司教、助祭といった聖職者に女性が就くことを一切認めていない。女人禁制の聖域としている。
唯一認めているのが修道女(シスター)である。

一方のプロテスタントには教皇に比肩する人物はいない。
神父に相当するのが牧師であるが、女性を禁止してはいない。
プロテスタントには修道女(シスター)もいない。

カトリックから見れば、カトリックを尊重しない人間、聖域を尊重しない人間は許しがたい。
カトリックを尊重しない人間には男性もいるが、カトリックが特に聖域に拘った場合には女性が敵となる。
聖域を尊重しない女は悪魔(反カトリックの男性)の手先で、魔女という認識にあるんだろうと思う。

一方のプロテスタント派から見れば、カトリックの横暴に手を貸している修道女(シスター)こそ魔女に見えたりするわけである。


ちなみに仏教の僧侶も神社神道の神主も女性が禁じられているということはない。女性も就ける。
私の父の葬儀に来て下さったお坊さんも女性だった。

但し日本では仏教や神社新道においても、時代によっては、宗派や場所によっては、女人禁制や女人結界が存在していた。
それは日本独特の風習や観念だったらしい。
日本で神の世界に入るということは世俗を捨てるということだった。
妻子がいる男性が僧侶になりたければ、世俗(妻や子)を捨てて門をたたく必要があったということである。
愛というものは時に何にも増して強いものになる。
愛ゆえに家庭を捨てて他の人のもとへ走ることもある。
愛するが故に誰かを殺すことすら厭わないこともあり、愛するが故に死さえ恐れないこともある。愛するが故に悪やら障害をも受け入れる。
ある意味、愛は神をも超越してしまう。
大事な仕事をしなければならない男が愛に溺れて成果が挙げられないのは困る。
受け入れる性、産む性である女は男よりも愛が大きくなりやすい。
神にとっては神を超越する者がいるのは都合が悪い。一番愛されるべきものは神でなければ都合が悪い。
そこで、愛が存在する(かもしれない)世俗を捨てさせ神のもとへ走らせるわけであり、愛の比重が大きい女性は敬遠されたということになる。

本来の仏教には、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。道元の『正法眼蔵』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然や親鸞なども女人結界には批判的であった。

ただし仏教は、性欲を含む人間の欲望を煩悩とみなし、智慧をもって煩悩を制御する理想を掲げている。そのため出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の僧侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい制限がある。


言い換えれば、「魔女」は「愛」ということでもある。

かつて女人禁制が存在した日本だが、今は僧侶も神主も女性OKで、女人結界もほとんどなくなった。
しかし今でも日本国象徴であり最高権威(権力)者である天皇は女性を認めていない。
先頃、人命救助にあたった女性に対して「女性は土俵から下りてください」とのアナウンスを繰り返した国技と謳う相撲界も女性を認めていない。
女性を認めない理由は神事であり、土俵は聖域だから女人禁制なのだと言う。聖域で裸同然って・・・楽園か!
すでに神事を行う僧侶も神主も女性を認めているし、寺も神社も女人結界ではない。
相撲は寺や神社の上を行くという事なんだろうか。天皇と関係が深いことは何となく察しがつくけれども。


女の装飾も変わったものである!?

前に渡辺プロダクションについて書いた。現総理にも繋がる話だった。(過去記事

以前こちらに、安倍晋三(総理)を囲む「午年の会」のことを書いたことがある。
メンバーは芸能人や文化人だそうだ。
同じく芸能人や文化人が大挙してメンバーになっているのが「エンジン01文化戦略会議」である。「甍(いらか)三」に書いた
iPS細胞の山中教授も名を連ねる。
一時期三洋電機取締役会長兼CEOに就任した野中ともよ氏や、神奈川県知事の黒岩祐治氏は、「午年の会」「エンジン01文化戦略会議」どちらのメンバーでもある。
この「エンジン01文化戦略会議」のメンバーをほぼ丸抱えしているのが芸能事務所の渡辺プロダクションである。
ENJIN01(ゼロワン)「カルチャークラブ」事務局

渡辺プロダクションの歩みを見ると、2009年11月に「英国ロスチャイルド家/バロネス・シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド プライベートコンサートパーティー招待出席」とある。
ロスチャイルド家とも懇意なのかしら?

会長個人の経歴はこちらをどうぞ

フランス政府とも懇意かしら。
2012は藍綬褒章も受章している。
フランスといえば、こちらに書いた東京都のプロジェクトにシラク大統領が関係していたようである。
猪瀬氏や秋元氏は安藤氏やボノ氏が出てくる、あの話題である。
シラク大統領は東京の銀行に巨額の隠し口座を持っていた(巨額振込み)疑惑があったが、それを追っていたジャーナリストが消え、シラク大統領も表舞台から消えた。



渡辺プロダクションに書いてある「英国ロスチャイルド家/バロネス・シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド プライベートコンサートパーティー招待出席」
このロスチャイルドさんはこちらの御方。
Charlotte Henriette de Rothschild(シャーロット・ヘンリエッタ・ド・ロスチャイルド)

日本との関係が深く、引退後も群馬の「ツインレイクスカントリー」というゴルフ場に来日していたというエドムンド・ド・ロスチャイルドの末娘。彼女は双子(双子相方はお兄さん)。
ザルツブルグ音楽学校(オーストリア)、イギリス王立音楽大学及び大学院を卒業したソプラノ歌手である。
エドムンドはロンドン家の分家の人物。

ロンドン家の本家当主がオーストリアとイギリスの世襲男爵であるが、分家は違う。
分家の人物が男爵になるには独自で授与される必要がある。
しかもイギリスは近年世襲の爵位を与えていない。
渡辺プロの記述では末娘にバロネス(男爵の女性版の呼び方)が付いているが、父親エドムンドは男爵ではない。
万一エドムンドが男爵だとしても、通常は長男が後継者となる。例え未婚であったとしても末娘が後継者となることはほとんどないだろう。
彼女独自で一代限りで与えられたものなんだろうか?でも英語のWikiの氏名にもバロネス表示はない。


エドムンドの父ライオネルがイギリスのエクスバリー(Exbury)という所に作った美しいガーデンがある。Exbury Gardens
花の品種改良なども行っていて、アジア生まれのツツジ(外国ではツツジのことをアザレアと言う)やシャクナゲの改良種を作出している。
ツツジもヨーロッパのベルギーやオランダで改良され鉢物としても観賞できるようになったが、これは寒さに弱かった。それを寒さに強く改良したのがエクスバリー・アザレアと呼ばれる品種。知る人ぞ知る。
改良種が日本に入ってきた時に日本ではツツジとは分けてアザレアと呼んだ。


渡辺プロダクションの話に戻ると、群馬県藤岡市出身で元宝塚の奥様を持つ方とか、カトリック教徒のひふみん棋士とか、お昼の帯番組の司会をやっている方とか、群馬テレビでも放送しているMXの5時夢の司会をやっている方とか、テレビ番組で登山家顔負けの山に登山している女芸人さんとか、バブル時代をネタにしている女芸人さんとか、いろんな人が所属しているんですね。
所属者一覧




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# by yumimi61 | 2018-04-08 14:47
2018年 04月 07日
日本国憲法の秘密-708- (外貨準備と貿易について)
神聖ローマ帝国と、スペインやポルトガルの王家だったハプスブルク家は、カトリック教皇から戴冠されておりカトリック派である。
ハプスブルク家は現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)貴族。
スイスが独立したのは1200年代のこと。

1300年代
青線内が神聖ローマ帝国。カトリック教皇をバックに付けた皇帝がいる。色付部分は貴族や領邦君主(~家)の領地。カトリック派もいれば、そうでない人もいる。
カトリック派のハプスブルク家領はオレンジ色の所。
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1500年代
ハプスブルク家領だけに注目した地図である。領地は広がった。
ハプスブルク家領ではないイギリスやフランスもこの頃まではカトリック国である。
でもこの頃から各地で宗教改革が勃発した。
ハプスブルク家領や皇帝領でなかったイギリスやフランスが国としては一早くカトリックから離脱出来たということになる。

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ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争いである。
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた。
このハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。
ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロイセン、ザクセン・ヴァイマール、バイエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。
ロスチャイルドは元々はヘッセン家の金庫番であった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)

■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあったゆえ)


カトリック、皇帝、ハプスブルク家、イギリス王家、フランス王家など、全てに衝撃を与えたのがフランスの市民革命とナポレオンの登場だった。
これが逆に旧勢力を一致団結させ、宗教改革で追い込んだはずのカトリックを見事に復興させてしまった。
ロスチャイルド家はこの戦争や戦後処理でも資金調達で大活躍した。

現在
フランスの国土は上の1300年代や1500年代に比べると、東側の部分が少し広がっている。
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フランスではナポレオンが政権を取った時に、フランス内の貨幣統一を目指して、それまで王立だったフランス銀行を再出発させ、手始めにパリの発券銀行とした。
ナポレオンの甥が皇帝となった第二帝政が始まった1848年にフランス銀行は紙幣発行独占権を全国に拡大し、とうとうフランス銀行券が法定通貨となった。その後に王政復古しても、共和国に移行しても、それはそれは変わらず維持された。

1860年代初頭、フランス銀行はサヴォワ銀行とライバル関係にあった。
サヴォワとは一番上の地図で黄色い部分でサヴォイと書いている辺り。
フランスとイタリアの国境近辺の地域で、サヴォイ家(サヴォイア家)の領地であった。カトリック系である。
1720年にサヴォイア公がイタリアの西側にあるサルデーニャ島と王位を手に入れサルデーニャ王国が成立した。サヴォイ家は王家となったわけである。
1860年にそのサルデーニャ王国がはイタリア統一を果たした。サヴォイ家はイタリア王家になるということである。
イタリア王国を隣国フランスに承認させるため、サヴォイ家はニース地方とサヴォワをフランス帝国に割譲した。以後、サヴォワはフランスの国土となった。
フランスに割譲された時にサヴォワのサヴォワ銀行は銀行券の発行権を今まで通り保持することが認められた。
しかしそうは言ってもフランスに入ってしまった以上、フランス銀行との軋轢が生じ、1864年にサヴォワ銀行が発行権をフランス銀行へ売却した。

前記事にもこのサヴォワ銀行が登場している。
ロチルド銀行を支配していたCCF は1993年にサヴォワ銀行と合併し、2000年4月HSBC(1865年に設立された香港上海銀行を母体とした銀行、現在はロンドン本拠)に買収された。

フランス商業信用銀行(CCF)は、「スイス銀行」のパリ支店がルーツである。フランスの幾つかの銀行を合併し、かつて世界の貿易の中心地であり黒い貴族発祥の地でもあると言われるイタリアや地中海沿岸に支店を出して大きくなっていた。この銀行もミッテラン政権が発足した1981年に国有化されたが、1987年に再び民営化されている。ここもスイス金融の影がちらつく。

アルプス山脈を抱えるサヴォワのサヴォイ家はナポレオン戦争前の貴族同士の争いで軍事を担当していた家である。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。


前記事の③RIT Capital Partners ・・・ロンドン本家筋
RITは第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターの後継である第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルドがN・M・ロスチャイルド&サンズ内でロンドン分家筋(②となる)と対立した挙句に飛び出して1980年に設立した会社である。

1985年からはロンドンのダイアナ妃の父親が所有していたスペンサーハウスに本拠を置いた。
貴族はみな地方に領地とお城などを所有している。しかし首都にもハウスを持っている。
日本の大名もこれと同じであった。各地方の大名は江戸に屋敷を持っていた。
ジェイコブ・ロスチャイルドはスペンサー家のロンドン屋敷を借りたということである。
ダイアナがウェールズ公チャールズと結婚したのは1981年。
ダイアナが保母をしていたことがあるということからか当時は一般人とか平民扱いしていた報道もあったように思うが、名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢であり決して平民なんかではない。

1985年にRITはダイアナ妃の父であるスペンサー卿からスペンサー・ハウスを96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された。


ダイアナはスペンサー家の令嬢であるが、家庭環境は少々複雑でもあった。上流階級にはありがちで驚くようなことではないけれども。
ダイアナの母上は18歳の時に社交界にデビューし、12歳年上のスペンサー伯爵家の御曹司オールソープ子爵エドワード・スペンサーと知り合い、わずかな恋愛期間だけで結婚。
結婚披露宴には女王エリザベス2世やエリザベス皇太后も出席していた。
ダイアナの祖母はエリザベス皇太后に女官として仕えていた方。。
そんな母親が不倫して離婚。子供を残して、そのお相手の男性と再婚、だから母親なく育ったとか。ダイアナ自身やんちゃな女の子だったとか。まあそれなりにいろいろあったわけですね。
再婚相手の男性はオーストラリア帰りの実業家で当時妻子持ちだった御方。
しかしながら最近ではダイアナの母親はジェームズ・ゴールドスミスとも不倫関係にあって、ダイアナはジェームズの子であったというような噂まである。





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# by yumimi61 | 2018-04-07 00:28
2018年 04月 06日
日本国憲法の秘密-707- (外貨準備と貿易について)
第二次世界大戦中のロスチャイルド・ロンドン家の当主は、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターである。
家業があるので当主=家業の最高責任者でもある。
だが再三書いている通り、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは事業を好まなかった。
ヴィクターだけでなく父や父の兄である第2代ロスチャイルド男爵ウォルター(1937年没)も好まなかったため、大戦前より主導権を持って事業を回していたのは、ウォルターの従弟であるライオネル(1942年没)とアンソニーという兄弟だった。
日本と関係の深いエドムンドはライオネルの息子である。

アンソニーは第二次世界大戦中に持株会社を設立し、ロンドン家事業の法人化を試みた。そしてロンドン家の中心銀行であるN・M・ロスチャイルド&サンズを1947年に子会社にした。
リオ・ティント社とももちろん関係があり、カナダのウラン鉱山開発にも関わっている。しかし前に書いたようにリオ・ティント社のカナダのウラン鉱山開発は思うようにはいかなかった。
但しオーストラリア鉱山などを開発し、リオ・ティントは日本とも関係が深い。

ロスチャイルド5人兄弟がヨーロッパ各地に作った5家で生き残ったのはロンドン家とパリ家だけである。
ロスチャイルド家のリーダー的存在は次のように変移してきた。

本家のフランクフルト家→オーストリア爵位をもらうきっかけとなったナポリ家→ロンドン家→(パリ家)

ロンドン家は第一次世界大戦中に本家当主含め3人が亡くなり、法人組織でなく「家」だっため莫大な相続税がかかったこと、またその後の本家当主が事業に熱心でなかったことなどから次第に影が薄くなり、一方でパリ家は比較的順調に事業を発展させ、第二次世界大戦後はパリ家が軸になったような感じだったが・・。内実は少々複雑である。

2003年、戦中にロンドン家のアンソニーが設立した持株会社にパリ家も加わる形で両家が統合された。その代表はパリ家の当主が就任した。⇒②

現在、ロスチャイルド家が営む主な金融グループは3つある。

①Edmond de Rothschild Group ・・・パリ家分家筋
スイスに本拠を置く金融グループ。スイス証券市場に上場。

②The Rothschild Group(Rothschild&Co) ・・・パリ家本家筋+ロンドン分家筋
パリ証券市場に上場。
1967年にパリ家の銀行以外の主な事業会社にパリ・オルレアン鉄道を合併させ、Paris Orleansというパリ家グループの持株会社を設立した。
この時にパリ本家の家業であり中心銀行だったロチルドフレールも株式会社化・預金銀行化された(→ロチルド銀行)。
このロチルド銀行はミッテラン政権(1981–1995年)の時に国有化され、これを実際に支配していたのはフランス商業信用銀行(CCF)だった。
しかし1990年にロチルド銀行はバークレイズ銀行(ロンドン本拠)に買収された。
ロチルド銀行を支配していたCCF は1993年にサヴォワ銀行と合併し、2000年4月HSBC(1865年に設立された香港上海銀行を母体とした銀行、現在はロンドン本拠)に買収された。
Paris Orleansというパリ家グループの持株会社はその後、ロスチャイルド家の金融に特化した金融持株会社となり、2015年にRothschild&Coに改称された。
だがすでにパリ家の家業であり中心銀行だったロチルドフレール(→ロチルド銀行)はイギリスのバークレイズに買収されていて、ここには存在していない。

③RIT Capital Partners ・・・ロンドン本家筋
ロンドン証券市場に上場。
第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターの後継である第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルドが1980年に設立した。
祖父ウォルター(2代目男爵)やその弟、父ヴィクター(3代目男爵)が事業に熱心でなかったので、ロンドン家の家業で中心銀行であるN・M・ロスチャイルド&サンズは分家筋主導で1947年に株式会社化された。
株式の60%を分家が所有し、本家は20%しか持っておらず、経営権を握っていたのは分家である。
本家当主が事業に興味を持っていなかった時代はそれでも良かったのだが、4代目ジェイコブは父や祖父と違いやり手事業家であった。
N・M・ロスチャイルド&サンズの中にRITという投資部門を作り、積極的なM&Aを行うなどして、影の薄くなっていたロンドン家の業績を回復させて事業を急拡大した。
この大胆なM&A路線は堅実経営を好んだ分家筋からは嫌われ、内部対立が勃発。
それを収拾するためにヴィクター(3代目男爵)がトップに立つも筆頭株主である分家側を尊重したため、息子であるジェイコブ(後の4代目)がRITを率いて社を飛び出し独立し、アメリカやイギリスを中心として世界中の会社に投資を行っている。
結局その後、残ったN・M・ロスチャイルド&サンズはパリ家(②のところ)のほうに吸収されるような形になった。 


ざっくりいうと、ロスチャイルド家は第二次世界大戦後に、②(ロンドン分家+パリ本家)と③(ロンドン本家)の対立が生じた。

アメリカのロックフェラー家でも当主を巡る本家と分家のお家騒動が起こっていた。
ロックフェラー3世の末弟デイヴィッド・ロックフェラ−(分家) vs ロックフェラー3世の息子ジェイ・ロックフェラー(本家)


ロックフェラー家創始者の弟はナショナル・シティ銀行(現在:シティグループ)の投資者の1人であり、その息子2人は頭取家と婚姻関係を結んでいて、ロックフェラー家はシティグループ派だったが、デイヴィッド・ロックフェラ−は1970年代にチェース・マンハッタン銀行(現:JPモルガン・チェース)の頭取であった。
チェース・マンハッタン銀行やJPモルガンには日本人の国際諮問委員会メンバーがいて、ソニーの創業者・盛田昭夫もそうだった。企業家が中心であるがキリスト教との縁も深い人物であったりする。
JPモルガンは成り立ちからしてロスチャイルド系であるが、そのJPモルガンを介して、ロスチャイルドとロックフェラーが通じている形になっている。逆に言えば、上手く立ち振る舞えばどちらの恩恵にも与るのがJPモルガンということになる。

日本国として関係が深いのはロックフェラー本家筋のほうである。
こちらもキリスト教との繋がりを色濃く感じさせる。
モルガンと同じように、上手く立ち振る舞えば、日本はロスチャイルドとロックフェラーのどちらの恩恵にも与ることが出来るというわけだ。

ロックフェラー3世・・・日本の国際基督教大学に関与し息子が留学経験あり、松本重治や松方三郎の親友
第2次世界大戦後、日本との平和条約を締結するために来日したダレス国務長官とダグラス・マッカーサーに同伴した。

ロックフェラー4世・・・ハーバード大学で東洋の歴史と言語を学んだ後、日本の国際基督教大学に留学。日本語を3年間学んだ。
国際基督大学(ICU)は中島飛行機の三鷹研究所があった所で、現在も一角は富士重工三鷹製作所となっている。



上記のロスチャイルドグループのうち、分家の・デイヴィッド・ロックフェラ−を支援したのが②だったと言われている。

①パリ分家
②ロンドン分家+パリ本家→デイヴィッド・ロックフェラ−(ロックフェラー分家)・・・原子力派、環境派、アメリカ民主党
③ロンドン本家
・ロックフェラー本家・・・石油派、アメリカ民主党

ロックフェラー本家が石油で地位を築いた一家なので、それに対立する②のロンドン分家+パリ本家+デイヴィッド・ロックフェラーは原子力派だと言われている。
アメリカ大統領選挙でビル・クリントンを支援したのはデイヴィッド・ロックフェラー。
その選挙にはロックフェラー4世も同じ民主党から出馬しており、予備選でクリントンに敗れる形となった。



複雑化した一族の行方の鍵を握っているのは、やはり金融立国であり永世中立国であるスイスであろう。
宗教改革の時にスイスにも反カトリックの波が押し寄せたが、反カトリック指導者が亡くなるとフランス発の「蓄財は悪ではない派」(カルヴァン派)に吸収され、確かなる金融立国の地位を確立した国である。
対立や戦争において資金や兵隊を貸し付けて、「~家」という貴族や財閥が力を持ち大きくなってきたという歴史もあるが、どこかそれを彷彿させるものがある。

●ロスチャイルド①(パリ分家)はスイスを拠点としている。
スイス銀行という呼ばれ方をすることがあるが、スイス銀行という単独の銀行は存在していない。
スイスの銀行は無限の責任を有する個人銀行家(プライベートバンカー)が経営している銀行が中心であり、スイス銀行はそれら全て銀行の総称であって、経営実態はよく分からない。
さらに個々の銀行にも高い守秘義務規定が存在し、口座顧客の身元を知っているのは担当者とごく一部の上層部だけだという。
無限の責任を負い、さらに秘密厳守であるということで、信頼を得ているということ。

口座番号が漏れてもそこから身元を割り出すことはできない。口座番号さえわかれば誰でも振り込みはできるが、口座番号を間違えると、守秘義務により、振り込んだ金は返ってこない。
プライベートバンクの主な顧客層は世界の王侯貴族や、大企業の社長といった富裕層とされる一方で、スイス銀行法に基づく顧客情報の厳格な秘匿・守秘性(高度なプライバシー保護)と番号口座(ナンバーズアカウント)により口座所有者の名前や住所を含む情報が一切開示されないという特徴は、非合法活動や犯罪を含む不法・不正な報酬の受け取りやその蓄財・脱税にも最適であり、世界各国の独裁者や犯罪者が利用していると言われ、「独裁者の金庫番」「犯罪者の金庫番」とも呼ばれる。



●②のパリ家の中心銀行であったロチルド銀行はミッテラン政権(1981–1995年)の時に国有化された。
ミッテラン大統領はカトリック教徒の家に生まれ、王政復古や外国人排斥を謳う右派だった。
第二次世界大戦中にフランスは親カトリックであるドイツに占領されてヴィシー政権となったわけだが、ミッテランはこの政権下での働きが認められ勲章を授与している。だが1943年末に一転ロンドンに逃亡し、ヴィシー政権に対立したド・ゴールの臨時政府に参加。
戦後大統領選に出馬する頃には左派に転身していた。社会党第一書記長として共産党との連立政権によって大統領に就任したのである。ロンドンで一体何があったのかという変わりぶりである。
ミッテラン大統領は社会主義的(リベラル的とも言える)な政策を採り、私企業の国有化もその一環だったわけだが、これら政策によってロスチャイルド・パリ家の本家当主など有力企業家はフランスを離れる事態となった。

国有化されたロチルド銀行を実際に支配していたのはフランス商業信用銀行(CCF)だった。
この銀行は「スイス銀行」のパリ支店がルーツである。フランスの幾つかの銀行を合併し、かつて世界の貿易の中心地であり黒い貴族発祥の地でもあると言われるイタリアや地中海沿岸に支店を出して大きくなっていた。この銀行もミッテラン政権が発足した1981年に国有化されたが、1987年に再び民営化されている。ここもスイス金融の影がちらつく。

ロチルド銀行は1990年にバークレイズに買収されたが、バークレイズ銀行は奴隷貿易で発展したバークレイ家が興した銀行で、バークレイズ銀行を主導しているのはクエーカー教徒である。
中興の祖はテューク家であるが、テューク家のバークレイズ代表者はその後リオ・ティント社の会長にも就任している。

クエーカー(Quaker)は、キリスト教プロテスタントの一派であるキリスト友会(Religious Society of Friends, フレンド派とも)に対する一般的な呼称である。友会は、17世紀にイングランドで設立された宗教団体である。ピューリタン革命の中で発生した宗派で、教会の制度化・儀式化に反対し、霊的体験を重んじる。この派の人びとが神秘体験にあって身を震わせる(quake)ことからクエーカー(震える人)と俗称されるようになった。 
現在のクエーカーの信仰は幅広く、信者の中にはキリスト教徒を自認している者から、無神論的傾向(nontheistic)をもつ者など様々であるが、少なくとも北米・英国では大多数がキリスト教の中でもリベラルな傾向を持っている。

個人ではなく集団的な神秘主義が特徴。


第二次世界大戦後にイギリスとフランスの中央銀行が国有化されたことも特筆すべき事項かもしれない。
イギリスの中央銀行はイングランド銀行。フランスの中央銀行はフランス銀行。
国有化とは銀行の資本金の全額ないし過半数を政府が保有すること。(資本金とは株式や出資金のことで、総資産額とは異なる)
政府が直接経営にまで携われば国営銀行となるが、通常国有化と言った場合には経営を然るべき機関に委任することが多い。
イギリスもフランスも左派の時に国有化され、形式的には今もってそれを維持している。
フランスは市民革命の国であるし共和国でもあり戦後もいわゆる左派政党やリベラル政党がずっと政権を取ってきた。
しかしイギリスは共和国でもなく左派政党が続くというわけではないので微妙なところである。
イングランド銀行はユグノーというフランスの反カトリックの資本で設立されゴールドスミス家を手本に銀行業務を展開した。ある頃からユダヤであるロスチャイルド家が主導権を握っていた。1973~1975年の二次銀行危機で多くの二次銀行に介入し救済して、イングランド銀行の力は増強した。
ジェームズ・ゴールドスミスなどは二次銀行から資金調達をしていた口で、資金調達には苦労したらしく事業も最初から順風満帆というわけではなかった。
イングランド銀行はそのジェームズ・ゴールドスミスを1975年にイングランド銀行が吸収した二次銀行のトップに据え、その年に問題視されたラベンダーリスト(労働党政権での受章者、でも決定権は王家にある)にも選ばれた。

社会主義国の多くの銀行や資本主義国の政府金融機関は国有化されたうえで国営でもある。
銀行国有化の典型とされるのは、イギリスの労働党政府による中央銀行であるイングランド銀行の国有化(1946)と、フランスの共産党・社会党・人民共和派の連立政権による中央銀行であるフランス銀行およびソシエテ・ジェネラルなど四大預金銀行の国有化(1945)である。
イギリスの場合は、イングランド銀行の全株式を政府の所有とし、総裁以下の役員を国王が任命するほか、財務省は同行総裁と協議のうえ公共の利益のために必要と考える指令を同行に与えることができる。
フランスの場合も、フランス銀行および四大預金銀行の株式を全額政府所有とし、主要な役員は政府任命となった。また、銀行監督委員会が設けられ、以前の株主総会の権限を行使している。なお、四大預金銀行は、国有化されていない他の大銀行と同じく利潤追求の経営を行って互いに競争しており、これらの銀行の債務については、政府は普通の株主のように保有する株式の限度までしか責任を負わない。


フランス銀行にもロスチャイルドは深く関与していたが、フランス銀行はロチルド銀行が国有化されるより早い時期に(戦後まもなく)国有化された。
大戦の戦費がフランス銀行に直接引き受けられていたので、赤字財政・借換債発行・大インフレという庶民にとる苦境が続いた。
しかし、なにゆえかフランスの対外債務は急速に返済されていった。西ドイツの核武装需要が起こってから、国債は銀行シ団をつくらなくても銀証・郵便を窓口として一般投資家に消化されるようになった。
(シ団はシンジケート、銀行の提携のこと)

敗戦国日本とドイツの民主化と非軍事化が徹底されなかった戦後(逆コース)、イギリスとフランスは左派が台頭し、中央銀行が国有化された。
原爆に否定的だったイギリス保守派、原爆にある種のプライドを持っていたフランス共和国(基本左派・市民)。
要するに原爆を背景に、イギリスは終戦末期から戦後の一時期左派が台頭し、フランスも左派が勢力奪還して再び主導権を握ったと見ることが出来る。
この時にかつて力を振るったユダヤのロスチャイルド家などの関与が弱まった。
その裏にいるのは、イギリス王家(親戚のヨーロッパ王家も)、カトリック教皇(バチカン)、ある種の左派勢力(リベラル含む)なのではないだろうか。





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# by yumimi61 | 2018-04-06 15:03
2018年 04月 06日
Washington
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“I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration
for freedom in the history of our nation.”

“I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged
by the color of their skin but by the content of their character.”

Martin Luther King, Jr. - Aug 28, 1963 -


What is 'the content of their character'?
Alternative to appearance?
Alternative to race?
Alternative to ethnic group?
Alternative to social status?
Alternative to economic success?




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# by yumimi61 | 2018-04-06 00:44
2018年 04月 04日
四方山話
ガイチ、ナイチ、ライチ・・・

先日母と話をしていて、浅間山荘事件の鉄球作戦の日、母は病院でその様子を伝えるテレビ放送を見ていたと、たまたま知った。病院でもやはりテレビに釘付けだったそうだ。
1995年3月20日、地下鉄サリン事件があった日、私は妊婦健診で病院にいて、やっぱり病院のロビーでその事件を知ったので、妙な親近感を覚えた。
浅間山荘事件は1972年2月19日~2 月28日、実に10日間も立てこもりが続いたので、普通なら中だるみじゃないけれども、人々の興味も適度に薄れてもおかしくはないが、母が病院にいたのは最終日の2月28日。「伝説の壁ドン」(鉄球作戦)からの突入が行われたその日だった。
作戦開始から人質救出と逮捕に至るまでは午前中10時から夕方18時までとデイタイムまるまるかかったようだが、どの時間帯に見ていたのかは聞かなかった。
母は、母のお姉さんが出産するとかしたとかで入院しており、病院にいたらしい。
また偶然にもというか何というか、その病院は共産党系の病院(協立病院)だったらしい。


「気になるニュース」http://columbo-news.blog.so-net.ne.jp/2015-04-19-4 より
犯人の多くは3階にいる一方、泰子さんは、2階に監禁されていると思われた。
そこで 山荘内部の階段を壊し、人質と犯人を分断、安全に泰子さんを救い出す作戦を取ることにしたが、階段は鉄骨製。
警察庁から応援に来ていた佐々が解体工事に使う鉄球を使うことを提案した。

近隣の建設会社は報復されることを恐れて断り続けた中、「やる」と申し出たのは長野市安茂里の「白田組」白田弘行だった。
白田組は戦前から軍の払い下げの車両を改造して重量物運搬を行っていた老舗で、当時は在日米軍から軍用車両を多数払い下げ購入し、それらを独自で改造し営業していた。
当時は大事故を請け負うレッカー会社も存在しない時代、白田組は長野県警の依頼で事故レッカーを行う事も多かったという。

白田は、 すぐ義弟の五郎に協力を依頼、車の運転は兄、鉄球の操作は弟、と役割分担し、突入劇への参加が決まった。
突入作戦の前日、白田兄弟は、クレーン車の改造を急いだ。
銃撃に備え鉄板を取り付け、のぞき窓には警察の用意した9ミリの防弾ガラスをはめ込んだ。
改造には10時間もかかったという。



「難局打開の鉄球」が光ヶ原高原(新潟県上越市板倉区)に設置されていて、なんでまたここに?と思うわけだが、『突入せよ!あさま山荘事件』という映画のロケが行われた場所だって。
鉄球は2つあって、1つは映画で使用したもの、もう1つが当時「集められた鉄球の1つ」。
鉄球だからどうしても錆びちゃうんですよ。遠目に見るとなんか大きなライチみたいな感じに・・。



子供が女の子で良かったと密かに思っていたかどうかは分からない

加山雄三さんの船が燃えて沈没してしまったそうで、何とも残念ですね。
ふと私は「この愛いつまでも」を思い出した。
あ、本の方です。若大将の子育て実戦記。光文社から1981年(昭和56年)1月に出版された本です。
その本が実家にあった。
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草むら背景なところが若干「金八先生」っぽい。
本の裏表紙に、流産を4回経験して4児を授かったと、奥様が書いている。この年にして初めて読んでなんか凄いなあと思った。
こういう本が家にあっても、加山さんに子供が4人もいるなんて想像したことすらなかった。
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加山さんと言えば、大学の先輩(男子)がファンだったのか何なのか、加山さんの歌を愛聴していた。
福島県いわき市小名浜出身の人だったけど、『海 その愛』という歌が特に好きだった。
’カセットテープ’を貸してくれたのか、カラオケで歌ったのか、どこかでかけてくれたのか、どういう経緯だったかは忘れてしまったけれど、私はその人を介して初めてその歌を知った。

前述の加山さんの本にも海愛とか船愛が少し書かれている。
クイーン・エリザベス号のスイートでの世界旅行は実現されたのかなあ。






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# by yumimi61 | 2018-04-04 23:18
2018年 04月 03日
日本国憲法の秘密-706- (外貨準備と貿易について)
先日スパイの話を書いて、昨日グリーンの話を書き、思い出したことがある。

Major Edmund Leopold de Rothschild, CBE, TD(エドムンド・レオポルド・ド・ロスチャイルド少佐)
1916年1月2日 - 2009年1月17日)は、イギリスの銀行家、実業家、軍人。
英国ロスチャイルド家の庶流の一人。1955年から1975年にかけてN・M・ロスチャイルド&サンズの経営を任せられていた。カナダ・ニューファンドランド州の総合開発事業で知られる。愛称はエディ。


名前にde(ド)が入っているので一見フランス人のようだが、ロスチャイルド・ロンドン家の人物である。
先日書いた、フランス人として唯一マンハッタン計画に参加し、戦後のフランス原子力界を牽引し、国際原子力機関(IAEA)の議長となったこともあるBertrand Goldschmidt(ベルトラン・ゴールドシュミット)の妻であるNaomi Rothschild(ナオミ・ロスチャイルド)のお兄さんにあたる。
金融業や事業を好まなかった第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター(ロンドン家5代目当主)の従弟である。
ちなみにヴィクターの父親である第2代ロスチャイルド男爵ウォルターも大の動物好きで動物の研究に勤しみ金融業や事業には熱心でなかった。

de(ド)というのはフランス貴族の名前に入るもの。
但しなかには貴族でも使わなかったり、また貴族でないのに勝手に入れてしまう人もいるらしい。
ドイツ(オーストリア)やイタリアやスペインなどの貴族もダとかフォンとか入る。
ロスチャイルド家はオーストリア貴族である。
ロスチャイルド・パリ家はフランス貴族ではないが、全員名前にde(ド)が入っている。
ロンドン家もde(ド)が入っているのはエドムンドだけではない。
de(ド)が入ったルーツはロンドン家の始祖ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドにある。

1817年にはロスチャイルド五兄弟全員にオーストリア帝国のハプスブルク家より「フォン(von)」の称号を送られ、さらに1822年には5兄弟に男爵位と紋章が授与された。だがネイサンは称号や紋章のような名誉には関心がなく、男爵の称号も全く使用しなかった。勲章も贈られていたが、身につけなかった。自由主義国イギリスではハプスブルク帝国のような専制王朝国家から授与された爵位などほとんど価値を認められていないことをネイサンが感じとっていたためとも言われる。名前にドイツ語の貴族称号「フォン」を入れることも忌避し、繊細な印象があるフランス語の貴族称号「ド(de)」に変更している。

要はフランス貴族ではないのに勝手に使っている人達というわけである。
ロンドン家は3代目当主の時にイギリスからも男爵位(世襲)が与えられたため、さすがに3代目以降の本家の人達はde(ド)を使用していない。
エドムンドは分家筋の人。

だがエドムンドは日本と結構関係が深い。

1951年に日英関係が回復した後、ロスチャイルド家は日本の大和銀行、住友銀行、横浜銀行、日本興業銀行と取引を開始し、これらの銀行のためにポンド建て信用状を開設してあげていた。そのためエドムンドも日本財界と関係が深くなり、1962年には友人の野村証券社長奥村綱雄らからシティ有力者として東京へ招待された。
東京では内閣総理大臣池田勇人、大蔵大臣田中角栄、経済企画庁長官宮沢喜一、日本銀行総裁山際正道、三菱銀行頭取宇佐美洵など政財界要人と友好を深めた。
また父ライオネルが創設した庭園エクスベリー・ガーデンから取れたシャクナゲを宮内庁に寄贈し、それは皇居の庭園の一郭に埋められた。満開になると昭和天皇もよくそれを観覧したという。

この訪日でエドムンドは日本政財界から外資導入への熱望を寄せられ、その期待にこたえて「パシフィック・シーボード・ファンド」を立ち上げて、日立、テイジン、東洋レーヨンなどの日本企業のためにユーロドル建て社債の発行を行うようになった。1969年にはメリル・リンチや野村証券とともに「東京キャピタル・ホールディングス」を創設し、その監査委員会議長に就任した。これにより毎年1回は役員会や会合などのために訪日するようになった。

資金提供を通じて日本の戦後復興に尽くした功績で勲一等瑞宝章を受勲した。

1975年にN・M・ロスチャイルド&サンズを退社して引退生活に入った。

引退後も群馬県にあるゴルフのカントリークラブ「ツインレイクスカントリー」の名誉会長として毎年訪日した。

余生は常に穏やかだったわけではなく、1986年11月に英国司法当局からMI5(英国国内情報部)の機密漏えい(ソ連の二重スパイ)の疑いで捜査を言い渡されたことがある。



「ツインレイクスカントリー」は群馬県の南西部である藤岡市にある。
群馬県藤岡市高山169-1
藤岡市というのは1985年の夏に日本航空123便が墜落した上野村に一番近い市であり、遺体安置や遺族待機、検視などは藤岡市の学校体育館や市民体育館で行われた。

「ツインレイクスカントリー」は日本のゴルフ全盛期に石楠花(シャクナゲ)で有名なゴルフ場だったが、ゴルフ場のガーデニングデザインを行ったのがエドムンド・レオポルド・ド・ロスチャイルド家で、石楠花も輸入物だったとか。
ゴルフ全盛期のことだから1980年代後半か1990年代前半くらいだろうか。
経営者は日東興業という手広くゴルフ場を経営していた会社だったが、2000年頃に倒産し、ゴールドマンサックスが買った。
ゴールドマンサックスというのはロスチャイルド系である。













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# by yumimi61 | 2018-04-03 13:24
2018年 04月 02日
日本国憲法の秘密-705- (外貨準備と貿易について)
水、木材、石炭、石油、原子力、天然ガス、太陽光、、、
エネルギーを制したい者の、すなわち全大陸を制したいという者の野心が渦巻き、世界はそのたびに翻弄されてきた。
どうして人々を制したいと思うのか、どうして全大陸を制したい思うのか、結局のところ金と権力を手に入れたいからであろう。名声や名誉といったものも付いてくるかもしれない。世界を手に入れたいのだ。
限界があることを知っているからこそ、自分だけ特別でありたいと願っているのだ。
人間の欲は留まることを知らない。
金や権力や名声や名誉に人々が平伏す姿を見たいのだ。
金や権力や名声や名誉に裏打ちされた幸せを享受したいのだ。
手に入れた金や権力や名声や名誉を逃したくないのだ。
そこに永遠という夢を見ているのかもしれない。
金や権力が主産物であり、エネルギーは副産物である。
他人の幸福より、地球の将来より、自分の金や権力が何より大事。
人間のそういうどろどろとしたエネルギーが結集して人間社会のエネルギーは作られてきたんだと思う。


現在の日本はエネルギーとなる資源の乏しい国であるが、一方で森林率がとても高い国である。
地球上の陸地面積における森林の割合は30~35%ほど。この割合は長い歳月(文明の進化)とともに減少傾向にある。
現存する世界の森林の95%は天然林で、人工林(木材を生産するために人間が木々を植栽し出来た森林)は5%に過ぎない。
現存する世界の森林のおよそ30%が熱帯林である。
この熱帯林には地球に存在すると考えられている生物の種類(5千万~1億種)の5~9割が存在していると推測されている。(そのうち人間が確認し分類している種は3~0.1%程度)

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日本の森林面積の割合は67%であり、世界割合(30~35%)の倍にもなる。それだけ森林が多い国である。
アメリカ25%、カナダ27%、中国18%、オーストラリア20%、このように広い国土を持つ国でも森林面積の割合はそう多くない。
ロシアが50%ほど。森林の国のイメージのあるフィンランドやスウェーデンは70%くらいで日本より若干森林面積が大きい。
熱帯林を抱えるインドネシアやマレーシアが60%と日本と同じくらいの割合である。
日本の森林面積の約半分は人工林である。(日本の面積の3分の1は人工林ということになる)
人工林以外の森林には手つかずの原生林と、落葉樹などが多く植えられ古くから人々とともに生きてきた里山(雑木林)がある。
日本はある頃から世界の森林面積の減少傾向に逆行して、森林面積が増加してきた。


日本に人工林が増えたのは明治期から昭和前半の戦争(富国強兵時代)に理由がある。
軍需物資の製造やエネルギー資源とし大量の木材が必要となった。
さらに戦争で木造の建築物が破壊されたり焼けてしまえば、復興時にも大量の木材が必要となる。
木は一度伐採してしまえば次が育つまで時間がかかるので、戦争を計画しているならば森林を増やさなければ不足するのは目に見えている。
入りやすい林の木はあちこちで伐採され禿山と化したそうだが、それでは物足らず昭和の初めから田畑を潰し国を挙げて人工林造成が進められた。
針葉樹は広葉樹に比べると成長が早い。特にスギやヒノキは早い。
これが現代において花粉症の主な原因になっている木々である。
競い合って早く真っ直ぐ伸ばすために密に植えてひょろ長く育てる。
それでも一般的に針葉樹を建築材料として使える木に育てるためには40〜60年ほどかかると言われている。
一方の広葉樹は冬に葉を落として休眠しながら太くゆっくり育つので、木材として使用するには150〜300年もかかると言われている。特に寒い地方では成長が遅くなる。従って人工林で落葉樹が植栽されることはほとんどない。
木が持つイメージと違って、材質は広葉樹のほうが硬く、針葉樹の方が柔らかい。傷がつきにくいなどの理由で硬いほうが好まれることも多いが、加工のしやすさから言えば柔らかい方が楽である。


日本は世界的にみると森林大国であるが、同時に木の消費大国でもある。
まず建築物がほとんど木造である。また面積のわりに人口が多い(人口1,000万人以上を有する国の中では10位)
消費大国になるのは建築物や家具などが長持ちしない(長持ちさせない)という理由も大きいだろうと思われる。
建築や家具など木材としての用途が約6割、紙を作るためのパルプ用途が約4割。
森林大国が消費大国ならば問題ないではないかと思うかもしれないが、驚くべきことに自給率は非常に低く18%しかない。
約8割は輸入に頼っている。これは世界的に見てもまれに見る自給率の低さである。
上で森林面積の割合を挙げた国、アメリカ(25%)、カナダ(27%)、中国(18%)オーストラリア(20%)、ロシア(50%)、フィンランド(70%)、スウェーデン(70%)、インドネシア(60%)、マレーシア(60%)のうち、自給率が100%に満たないのはオーストラリア(95%)アメリカ(85%)中国(70%)しかない。
日本は面積の70%近くが森林で、うち人工林が半分も占めるのに、自給率が20%にも満たないなんて異様である。


森林大国であり木材消費大国であり、且つ木材輸入大国である日本。
さらに言えば違法木材輸入大国でもある。
木材調達のために森林を破壊することが地球生物環境にも悪影響を与えるという話は、地球温暖化が国際的に取り上げられるようになったのと同じ頃(1990年頃)から取り沙汰されるようになったが(温暖化の大流行は『不都合な真実』2006年以降である)、特に問題とされているのは多くの生物を生かしている熱帯林の破壊である。
ヨーロッパを中心にこれを保護するために世界森林条約の締結が目指されたが、木材が主要な経済資源である発展途上国やサミットの議長国であったアメリカや同盟国の日本が反対し、結局法的拘束力のない「森林原則声明」が採択されるに留まった(1992年)。
しかしその後に各国や地域において木材取引の規制に動き、アメリカでは2008年、EUでは2013年、オーストラリアでも2014年に違法木材の輸入が禁じられるようになった。
日本には法的拘束力を持つ規制がない。
違法木材輸入大国は中国と日本と言われている。中国はその木材で加工した家具などを日本などに輸出しているので、日本にはさらに違法木材の恩恵を受けていることになる。
どうして国内に沢山の木々を保有していながら違法木材にまで手を出さなければいけないのだろうか。


確かに熱帯林を破壊するのは木材だけではないだろう。
鉱業開発、農地や牧草地や都市への転換など大規模な開発、ダムの建設なども森林を破壊する。
森林破壊してしまうから木や水を使うなとなれば、他のエネルギーに向かわざるを得ない。
何かをダメと言えばエネルギーの選択肢はそれだけ少なくなる。エネルギーの流れを作ることになる。
石炭や石油で天下が取れないと思えば、石油枯渇危機が叫ばれ、環境を悪化すると槍玉に挙げられて、原子力が持て囃される。
原子力が上手くいかなかったり、原子力で天下が取れないと思えば、原子力事故が槍玉に挙げられ、原子力は悪魔の技術だと言われ、再生なんかするわけもないのに再生可能エネルギーなんて曖昧な名称で括られたいかにも自然っぽいエネルギーが流行ったりする。
エネルギーを支配したい者の野心が蠢き、何が真実なのかよく分からないが、木を見て森を見ずで、ほとんどはその時々の風潮に流されていく。


森林は極端に寒い所と雨が少ない所では育たない。
北欧、ロシアのシベリア、カナダ、アメリカ北部などの森林は針葉樹である。
広葉樹はある程度の気温になる地域でないと育たない。温帯か熱帯地域。
温帯地域では針葉樹や広葉樹、落葉樹や常緑樹など多様な木々が生息する。但し熱帯地域ほど大きく育つことはない。
気温が高く雨の多い熱帯地域は広葉樹が多く、しかも非常に大きく育つ(成長が早い)。

日本の人工林は戦後だいぶ経過し、ある程度育っているが、今のところ使われていない。
密に生えた木々によって地には光が届かないので、光合成が出来ず下草も生えない。針葉樹なので地に落ちる葉も少なく、豊かな土とは言いがたい。痩せた土に浅い根張りの木々が並ぶので、水を浸み込ませることなくそのまま流れたり、木や土ごと滑り落ちたりして、災害などを引き起こしやすい状態であるので二次的な問題にも繋がる。

実は熱帯林もこれに似ているところがある。
熱帯林は広葉樹であるが、あまりに大きく育ち、木々も何層かになっていて、根本までは光が届かず、やはり下草は生えにくい。
あってもつる性植物などどうしても光を求めて上に行くものになってしまう。
また乾季や温度差が少ないために木々は結実しにくく、こぼれた種で育ち自然に木々が循環するということが期待しにくい。
葉が落ちる量は多いが生物量も多い。
地球の生態系は生きている植物を食べる草食動物から続く食物連鎖よりも、死んだ植物(植物遺体)の堆積に始まり、植物遺体を消費する生物からの食物連鎖の比重のほうが大きいが、熱帯地域は植物遺体が堆積されずにどんどん消費され連鎖していく。
つまり栄養分が土に留まっている期間(堆積期間)がとても短く、生物間を転々とする形になる。だからこそ多くの生物が生息できるとも言えるのだけれど。
また熱帯で気温が高いために早い分解が可能であり、すぐに無機化されてしまうので土壌の有機成分は少なく、肥沃な腐植土にはなりにくい。土の栄養そのものは乏しいのが特徴である。
それは通常植物の成長に大きな影響を与えるのだが、熱帯地域は雨が多いため、分解で生じた無機成分が水に溶けだして、養液栽培のような状態を作り出すことが出来る。だから木々は育つ。
但し一旦広い面積で木々を失うようなことがあれば、生物を失うことに繋がり、また雨とともに無機成分も流れ出てしまい、それまでと同じような熱帯林としての再生は難しくなるかもしれない。


熱帯林が破壊されると、木々が二酸化炭素を取りこんでくれなくなるので温暖化を進めると言ったり書いている人も多いが、熱帯林が破壊されると、分解時に放出される二酸化炭素や、森林に暮らす生物の呼吸によって吐き出される二酸化炭素も減るので、プラスマイナスゼロのような・・・。

ともかく生命というものは気温がある程度高い所に多く存在している。





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# by yumimi61 | 2018-04-02 13:32
2018年 04月 01日
日本国憲法の秘密-704- (外貨準備と貿易について)
178.png2008年5月までのカテゴリーとタグ付終了しました。


Who controls the food supply controls the peoples.
Who controls the energy can controls whole continents.
Who controls the money can controls the world.
Henry Kissinger 1973

食料供給を支配する者は人々を制す。
エネルギーを支配する者は全大陸を制す。
貨幣を制する者は世界を制す。
ヘンリー・キッシンジャー(1973年)


昨年11月に私は日本には「衣食住」という言葉があると書いた。
日本には「衣食住」という言葉がある。
衣服と食物と住居、それは人間が生きていくための、人々が生活をしていくための基礎となるもののことだが、真っ先に挙げられているのが衣服なのだ。
衣服が何故必要なのかという原点に立ち返れば、寒さを凌ぐためということになるだろう。
有史以来世界の貿易を牽引してきたのは繊維だった。
日本の貿易を考える時にもそれは例外ではない。
それがやがて火を点すことのできる原油に変わっていく。
いつしか世界の貿易を支えるものが繊維から戦意に変わっているとするならば何とも皮肉なことである。



人間が生きていく上で基本で重要なこと3つ。その優先順位は、①衣、②食、②住、である。

①衣
人間であることの証。人間を人間たらしめるもの。人間は裸で暮らせた楽園を出て誕生したのだから。
保温としても重要な意味を持つ。狭義には遮断の意味もある。

②食
人間のエネルギー源である。

③住
外界との遮断として重要。寒風や日射や雨や雪、動物に虫に細菌、騒音に醜態、そして他者、それらを遮断し身を隠し自分の心身を解放する場所。自分を守る場所。遮断された場所だから裸になることも出来る。人間には孤独や孤立、あるいは信頼する者と密な時間を過ごす場所が必要なのだ。


地球温暖化が進めば、保温の重要性は薄れることになる。
昨今流行の地球温暖化説は、古来より伝えられる生命・智慧・伝統・文化にそぐわない理論である。
生命が誕生する場所にはエネルギー(熱)があった。生命はエネルギー(熱)を持っている。
外界は生命を誕生させた場所や生命よりも冷たい。従って生命は次第に冷やされていく。
熱エネルギーの移動は必ず一方通行である。熱は冷たいものに奪われる運命にあるのだ。奪われて平衡になっていく。
幾千年幾億年という長い歴史の中でそれに逆行し生き延びた人間は一人としていない。
恒温動物の体温は恒常性(ホメオスタシス)により外気温に左右されずに通常は一定であると言われるが、人間が生命を維持できる深部体温の幅は小さく、差が表には現れづらく差を差として認識しないうちに生命を終えてしまうので恒温動物として捉えられているのであろう。
人間の体温は高温も低温もどちらも問題となるが、どちらかを選べと言われれば、間違いなく低温のほうが問題である。
冷えの進行を少しでも和らげるのが食と遮断である。
食は自身の内から発するエネルギー(熱)となる。
遮断は熱エネルギーの移動、すなわちエネルギー(熱)が奪われることを緩和する役割を持っている。

地球は太陽から加熱されている。太陽からの熱エネルギーを享受している。
さらに地球は内から発するエネルギーも持っている。人間の体温みたいなもの。放射性物質の崩壊熱と物質にかかる重力(位置エネルギー)が熱エネルギーに変わって生じる熱。
地球という生命体を維持するには、生命体たらしめる衣が必要である。外部から遮断する住環境が必要である。熱を逃がさない保温効果を持つものが必要である。












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# by yumimi61 | 2018-04-01 18:30
2018年 03月 31日
日本国憲法の秘密-703- (外貨準備と貿易について)
第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家当主、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターはソ連のスパイと疑われたそうだが、実際にスパイとして逮捕された人物を紹介しようと思う。

Klaus Emil Julius Fuchs(クラウス・エミール・ユリウス・フックス )
1911年生まれ、1988年76歳没。
ドイツ生まれの理論物理学者。

プロテスタントルター派の神学者の父の下に生まれた。
大学時代から政治活動に身を投じドイツ社会民主党の活動家となり、1932年にはドイツ共産党に入党した。
明らかに反カトリック派である。
ナチス政権が誕生した1933年にフランスを経由してイギリスに渡った。
ユダヤ人ではないので迫害されたということではなさそうなので、親カトリックとなったドイツが嫌になったか、便乗移住といったところか。イギリスで博士号取得。
第二次世界大戦勃発後の1940年6月、敵国ドイツの国民として拘束されマン島の収容所へ、さらにケベック州の収容所に移されたが、マックス・ボルンのとりなしで翌年には釈放されイギリス軍の原爆計画に加わり、1942年にはイギリス国民となった。
(マックス・ボルンはユダヤ人でドイツ出身。1933年にイギリスに移住。イギリスの大学でフックスの師であった)

独ソ戦の勃発後、彼はソビエト連邦もイギリスの秘密の軍事研究の内容を知るべきだと考えソ連側との接触を開始した。1941年8月にはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)のロンドン支部で活動していたドイツ出身のエージェントと接触し、「rest」のコードネームで呼ばれるようになった。

フックスはドイツ国籍のままイギリスに滞在していたため戦争勃発後の1940年にイギリスで収容所に送られるも、ドイツ出身の師のとりなしで1941年(30歳)に釈放され、その後はイギリス軍の原爆計画に加わり、独ソ戦勃発後にソ連との接触を開始したと書かれている。
しかしイギリスは1941年当時原爆には否定的だったのだ。
彼がソ連に情報を流したとするならば、「原爆は不可能である」か「原爆は不可能だと判断されている」という情報である。
1941年の終わり、真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が勃発。アメリカとイギリスは協力体制に入った。
アメリカのマンハッタン計画は1942年にスタートし、1943年8月19日にケベック協定が結ばれた。

この時に原爆計画に加わっていた科学者であるスパイが探るのは原爆開発の進捗状況であろう。
ケベック協定を結んだのは良いが、不可能なはずだった原爆開発の進捗状況はいったいどうなってるのだろうか、まずそうした疑問が生じるはずだ。
もしもイギリスで原爆開発が相当に進んでいたとするならば、科学者でありスパイであるフックスがイギリスを離れるはずがない。
でも彼はアメリカに渡った。
それはイギリスにおいて開発が進んでいなかったことの証になる。
フックスがソ連のスパイならば、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。
フックスがイギリスのスパイだったしても、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。

1943年末にはアメリカ合衆国に渡りコロンビア大学に、後にロスアラモス国立研究所に勤務し、理論物理学者として、原子爆弾および水素爆弾の製造に不可欠な臨界計算に多大な貢献をしていた。

スパイと疑われないためには研究に疑惑の目を向けるよりも貢献しているふうに見せたほうが良いに決まっている。

フックスは第二次世界大戦後イギリスへ戻り、米国・英国・カナダの政府高官らの間で核開発など軍事上の機密技術を交換するための合同政策委員会 (Combined Policy Committee) にも出席していたが、この間もドナルド・マクリーン(「ケンブリッジ5人組」の一人)やアレクサンドル・フェクリソフなどの情報員と接触して原爆の、後には水爆の製造理論などの情報を流し続けた。こうした情報なくして、ソ連が1940年代後半に急速に核兵器の開発および配備を進めることは困難であった。

第二次世界大戦後はイギリスはアメリカから核開発へのアクセスを一切遮断されたはずだ。少なくとも表向きはそういうことになっている。
またアメリカは共産主義者を大々的に締め出したように情報管理には非常に神経質になっていた。
ドイツ出身の共産党員でイギリスから送り込まれた科学者であるフックスが抜いた情報でソ連が核実験の成功に漕ぎ着けるならば、科学者を送りこんだイギリスがすぐに成功していなければおかしいし、フランスにだってそのチャンスがあるはず。
しかし自国の科学者をアメリカのマンハッタン計画に送りこんだイギリスはアメリカからは7年、ソ連からも3年も遅れての成功発表だった。
マンハッタン計画は一から計画をスタートさせて僅か3年で実戦に使用されたのだ。
その成功を思えば、幾らなんでもイギリスのこのタイムラグは信じ難い。


1949年に核実験の成功を発表したソ連。
アメリカの仲間だったイギリスやフランスが成功していないのに、アメリカが裏切ったソ連が成功したというのは如何せん都合が悪い。
本当は「成功なんかするわけないだろう!」と言いたいが、3年で原爆投下を成功させた手前まさかそんなことは言えない。
だけどだけどイギリスやフランスが先を越されたのはやっぱり格好がつかない。
これはもうスパイがソ連に原爆の情報を漏らしたと言うしかない。(ところでイギリスはアメリカにスパイを送りこみ原爆の情報を得なかったんですか?)

ソ連の暗号を解読する米英共同研究・ヴェノナ計画の結果、フックスの関与が明らかになった。MI5の捜査を受けたフックスは尋問の後、1950年1月にスパイであるとの告白を始めた。

フックスはイギリスおよびアメリカの核兵器関連の機密情報をソ連に漏らした軍事スパイとして告発され、1950年3月1日、フックスはわずか90分の裁判で最高刑の懲役40年の判決を受けた。同年12月、フックスは英国の国籍を剥奪される。フックスが自白をする気になったのは、死刑を逃れるためだったという意見がある一方、当のフックスは、自白をした以上は釈放されて、また研究生活に戻れるという程度にしか考えていなかった節が見られるともいう


1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝え、その情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている。

その後も東ドイツでフックスは科学者としての活動を続け、多大な功績を残している。レオポルディナ科学アカデミーのメンバーに選ばれているほか、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバーにも選ばれ、引退する1979年までロッセンドルフの核研究所の副所長を勤めた。カール・マルクス勲章も受賞している。1988年1月28日にドレスデンで死去。


こうなるとフックスは何気に核実験成功の正当性を宣伝する広報マンのようになっている。
核実験や原爆が嘘でないようにフックスが振る舞えば、アメリカと日本の立場は守られるし、核実験に成功したと発表したソ連を裏切ることにもならない。
核開発が進んでウランが売れれば鉱山を所有しウランを生産する国や企業も儲かる。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ、イギリス(南アフリカ、オーストラリア)など。
さらにソ連やアジアでも鉱山開発や需要が広がる。



上記のフックスはソ連のスパイ容疑でイギリスで逮捕された人物だが、次の夫妻はソ連スパイ容疑でアメリカで逮捕された人物。2人は電気椅子で死刑になった。

Julius and Ethel Rosenberg(ローゼンバーグ夫妻)
(夫)Julius Rosenberg(ジュリアス・ローゼンバーグ)1918年生まれ
(妻)Ethel Greenglass Rosenberg(エセル・グリーングラス=ローゼンバーグ )1915年生まれ

2人ともユダヤ人移民家庭に生まれた。ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちである。
妻の両親はロシアとオーストリアのユダヤ系移民だった。
夫はニューヨーク市立大学シティカレッジを1939年21歳の時に卒業しており、電気工学の学位を取得した。
妻は海運会社で秘書の仕事をしていた。
2人は1939年に結婚した(夫21歳、妻24歳)。
終戦時1945年でも夫27歳、妻は30歳。
1943年と1947年に生まれた息子がいた。
彼らは共産主義者であった。

容疑は、妻エセルの弟(David Greenglass デービッド・グリーングラス;1922年生まれ)が第二次世界大戦中にロスアラモスの原爆工場に勤務しており、その弟から原爆製造などの機密情報を受け取ってソ連に流したというもの。
弟も当然ニューヨーク生まれ。ブルックリン工科大学に進学したが中途退学した。
20歳の時に結婚している(妻18歳)。彼も共産主義者であった。
終戦1945年でも23歳と21歳という若い夫婦であり、幼子がいた。

ローゼンバーグ夫もグリーングラスもアメリカ軍関係の工場で働いていた。
ソ連のスパイだったのはローゼンバーグ夫妻のほうで、諜報活動の対象は原爆に限っていたわけではないが、妻の弟が原爆工場で働いていると知ってスパイに誘い込んだり、情報をもらったりしたということらしい。


逮捕当時、公式に「証拠」とされるものはグリーングラスの自白のみだった。ローゼンバーグ夫妻は裁判で無実を主張したが、1951年4月5日に死刑判決を受けた。夫妻に同情した支援者によって、西側諸国を中心とした助命運動が行われた。ローゼンバーグ夫妻の冤罪を訴えた著名人には、サルトル、コクトー、アインシュタイン、ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、ネルソン・オルグレン、ブレヒト、ダシール・ハメット、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラ、ピカソ、フリッツ・ラング、ピウス12世などがいた。
アメリカ政府は、この死刑判決が重すぎるとするガーディアン(英国)など、世界のメディアによって、厳しく批判された。

司法側からは「供述すれば死刑にはしない」との取引誘導もあったが、ローゼンバーグ夫妻は供述を拒否し続け、最終的に死刑が執行された。なお、司法長官室と刑務所間のホットラインが死刑執行まで繋がっており、この状況が刻々と報道されて全世界が注目し、興奮に沸いたが、ローゼンバーグ夫妻は1953年6月19日夜、ニューヨーク州シンシン刑務所にて同じ電気椅子にて、最初に夫ジュリアスが午後7時6分に、そして次に妻エセルが午後7時16分に、それぞれ処刑された。建国後初のスパイ容疑による民間人の処刑であった。

長年の間多くの研究者や文化人、マス・メディアの間では、この事件そのものが「でっち上げである」とされ続けていた。しかし、冷戦崩壊後の1995年に「ベノナ計画」についての機密が解除されたことにより、裁判では明らかにされなかった証拠も明らかになり、夫婦共にソ連のスパイであったことが判明している。だが、世界のメディアや文化人が主張したのは冤罪ということだけではなく、スパイで死刑は重すぎるという点や、マッカーシズムの影響を受け、罪が本来妥当な刑罰よりも重くなったのではないかという批判も含んでいた。また、容疑者には黙秘権もあり、自己に不利益な供述を強要されない、疑わしきは罰せずなどの刑事弁護の基本概念も存在する。しかし、政府側に(防諜上の問題があって公的に提示できなかったとはいえ)明確な証拠があり、何よりも彼らの本来の所属となるソ連ではスパイ行為は(単なる密告だけで)拷問の上に処刑されるのが普通で、相互主義的な観点で言えばもっと過酷な扱い(自白剤の投与や拷問など)があってもおかしくなかったと指摘する向きもある。

妻エセルについては弟夫婦をソビエトのスパイ組織に夫と共に勧誘している記述が存在するも、国家機密をソ連に手渡す行動を明確に示唆する記載はなく(夫の行為を知っていたのは明らか)、死刑となった罪状そのものには関与していなかった可能性も残っている。



ローゼンバーク夫妻も妻の弟のグリーングラスも若い。
しかも大学を出て学位を取得し研究職に就いていたというわけではない。
軍関係の工場で働いていたわけだが、原爆情報を漏らしたというグリーングラスは単なる若い作業員だったはずだ。
その若さと経歴では工場の技術者や監督者として働くことも難しいと思う。
要するに原爆製造に繋がるような詳細な情報を抜ける立場にない。
よっぽど精通していて探る気がなければ、彼が工場で何をし、周囲の人間が何をしているか、それくらいしか分からないはず。
例えば、「原爆なんか作ってないよ、本当は飛行機を作っているんだ」といった情報ならば原爆製造に繋がらなくても大した情報になるが、そうでなければ情報の価値はそれほどないと思われる。
要するに見せしめと宣伝の要素が強い逮捕と処刑ではなかったろうか。
情報内容なんか関係なくてスパイ行為そのものが死刑に値するというようなことも書かれているが、戦後に民主主義国家の司法がそこまで行うことはやはり冷静ではない。

グリーングラスを通してジュリアスがソ連に伝えた情報の質については、より中枢に近い立場にいたフックスと比較するとかなり劣ったものであり、他にも複数いたエージェントの中では際だったものではなかった。







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# by yumimi61 | 2018-03-31 00:17
2018年 03月 31日
日本国憲法の秘密-703- (外貨準備と貿易について)
第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家当主、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターはソ連のスパイと疑われたそうだが、実際にスパイとして逮捕された人物を紹介しようと思う。

Klaus Emil Julius Fuchs(クラウス・エミール・ユリウス・フックス )
1911年生まれ、1988年76歳没。
ドイツ生まれの理論物理学者。

プロテスタントルター派の神学者の父の下に生まれた。
大学時代から政治活動に身を投じドイツ社会民主党の活動家となり、1932年にはドイツ共産党に入党した。
明らかに反カトリック派である。
ナチス政権が誕生した1933年にフランスを経由してイギリスに渡った。
ユダヤ人ではないので迫害されたということではなさそうなので、親カトリックとなったドイツが嫌になったか、便乗移住といったところか。イギリスで博士号取得。
第二次世界大戦勃発後の1940年6月、敵国ドイツの国民として拘束されマン島の収容所へ、さらにケベック州の収容所に移されたが、マックス・ボルンのとりなしで翌年には釈放されイギリス軍の原爆計画に加わり、1942年にはイギリス国民となった。
(マックス・ボルンはユダヤ人でドイツ出身。1933年にイギリスに移住。イギリスの大学でフックスの師であった)

独ソ戦の勃発後、彼はソビエト連邦もイギリスの秘密の軍事研究の内容を知るべきだと考えソ連側との接触を開始した。1941年8月にはGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報部)のロンドン支部で活動していたドイツ出身のエージェントと接触し、「rest」のコードネームで呼ばれるようになった。

フックスはドイツ国籍のままイギリスに滞在していたため戦争勃発後の1940年にイギリスで収容所に送られるも、ドイツ出身の師のとりなしで1941年(30歳)に釈放され、その後はイギリス軍の原爆計画に加わり、独ソ戦勃発後にソ連との接触を開始したと書かれている。
しかしイギリスは1941年当時原爆には否定的だったのだ。
彼がソ連に情報を流したとするならば、「原爆は不可能である」か「原爆は不可能だと判断されている」という情報である。
1941年の終わり、真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が勃発。アメリカとイギリスは協力体制に入った。
アメリカのマンハッタン計画は1942年にスタートし、1943年8月19日にケベック協定が結ばれた。

この時に科学者であるスパイが探るのは原爆開発の進捗状況であろう。
ケベック協定を結んだのは良いが、不可能なはずだった原爆開発の進捗状況はいったいどうなってるのだろうか、まずそうした疑問が生じるはずだ。
もしもイギリスで原爆開発が相当に進んでいたとするならば、スパイであるフックスがイギリスを離れるはずがない。
でも彼はアメリカに渡った。
それはイギリスにおいて開発が進んでいなかったことの証になる。
フックスがソ連のスパイならば、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。
フックスがイギリスのスパイだったしても、マンハッタン計画の地であるアメリカに渡って原爆実現性の可否を確かめると思う。

1943年末にはアメリカ合衆国に渡りコロンビア大学に、後にロスアラモス国立研究所に勤務し、理論物理学者として、原子爆弾および水素爆弾の製造に不可欠な臨界計算に多大な貢献をしていた。

スパイと疑われないためには研究に疑惑の目を向けるよりも貢献してるうふうに見せたほうが良いに決まっている。

フックスは第二次世界大戦後イギリスへ戻り、米国・英国・カナダの政府高官らの間で核開発など軍事上の機密技術を交換するための合同政策委員会 (Combined Policy Committee) にも出席していたが、この間もドナルド・マクリーン(「ケンブリッジ5人組」の一人)やアレクサンドル・フェクリソフなどの情報員と接触して原爆の、後には水爆の製造理論などの情報を流し続けた。こうした情報なくして、ソ連が1940年代後半に急速に核兵器の開発および配備を進めることは困難であった。

第二次世界大戦後はイギリスはアメリカから核開発へのアクセスを一切遮断されたはずだ。少なくとも表向きはそういうことになっている。
またアメリカは共産主義者を大々的に締め出したように情報管理には非常に神経質になっていた。
ドイツ出身の共産党員でイギリスから送り込まれた科学者であるフックスが抜いた情報でソ連が核実験の成功に漕ぎ着けるならば、科学者を送りこんだイギリスがすぐに成功していなければおかしいし、フランスにだってそのチャンスがあるはず。
しかし自国の科学者をアメリカのマンハッタン計画に送りこんだイギリスはアメリカからは7年、ソ連からも3年も遅れての成功発表だった。
マンハッタン計画は一から計画をスタートさせて僅か3年で実戦にまで使用されたのだ。
その成功を思えば、幾らなんでもイギリスのこのタイムラグは信じ難い。


1949年に核実験の成功を発表したソ連。
アメリカの仲間だったイギリスやフランスが成功していないのに、アメリカが裏切ったソ連が成功したというのは如何せん都合が悪い。
本当は「成功なんかするわけないだろう!」と言いたいが、3年で原爆を投下を成功させた手前まさかそんなことは言えない。
だけどだけどイギリスやフランスが先を越されたのはやっぱり格好がつかない。
これはもうスパイがソ連に原爆の情報を漏らしたと言うしかない。(ところでイギリスはアメリカにスパイを送りこみ原爆の情報を得なかったんですか?)

ソ連の暗号を解読する米英共同研究・ヴェノナ計画の結果、フックスの関与が明らかになった。MI5の捜査を受けたフックスは尋問の後、1950年1月にスパイであるとの告白を始めた。

フックスはイギリスおよびアメリカの核兵器関連の機密情報をソ連に漏らした軍事スパイとして告発され、1950年3月1日、フックスはわずか90分の裁判で最高刑の懲役40年の判決を受けた。同年12月、フックスは英国の国籍を剥奪される。フックスが自白をする気になったのは、死刑を逃れるためだったという意見がある一方、当のフックスは、自白をした以上は釈放されて、また研究生活に戻れるという程度にしか考えていなかった節が見られるともいう


1959年6月23日に釈放されたフックスは、東ドイツのドレスデンに移住する。そこでの講義で、フックスは中華人民共和国の研究者に核技術を伝え、その情報を元に中華人民共和国は5年後に核実験を行ったとされている。

その後も東ドイツでフックスは科学者としての活動を続け、多大な功績を残している。レオポルディナ科学アカデミーのメンバーに選ばれているほか、ドイツ社会主義統一党中央委員会のメンバーにも選ばれ、引退する1979年までロッセンドルフの核研究所の副所長を勤めた。カール・マルクス勲章も受賞している。1988年1月28日にドレスデンで死去。


こうなるとフックスは何気に核実験成功の正当性を宣伝する広報マンのようになっている。
核実験や原爆が嘘でないようにフックスが振る舞えば、アメリカと日本の立場は守られるし、核実験に成功したと発表したソ連を裏切ることにもならない。
核開発が進んでウランが売れれば鉱山を所有しウランを生産する国や企業も儲かる。フランス、ベルギー、アメリカ、カナダ、イギリス(南アフリカ、オーストラリア)など。
さらにソ連やアジアでも鉱山開発や需要が広がる。







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# by yumimi61 | 2018-03-31 00:17
2018年 03月 30日
日本国憲法の秘密-702- (外貨準備と貿易について)
前記事に、人工放射性元素の一番最初の発見者、原爆には重水が不可欠であるという理論提唱者、ドイツが重水を仕入れていたという情報入手者、これらは全てフランスのマリ・キュリー長女の夫Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)である、と書いたが実は彼は原爆に繋がるもう1つ重要な報告をしている。

1939年パリのコレージュ・ド・フランスの科学者のグループ、フレデリック・ジョリオ= キュリー、ハンス・フォン・ハルバン、レフ・コワルスキー、フランシス・ペランはウランの原子核で発生する核分裂を発表し、2つか3つの中性子が必要であることを示した。
この重要な発見は自然と維持される連鎖反応が可能であると言うことを示していた。これは即座に多数の科学者に、非常に強力な爆弾「原子爆弾」が理論的に作成可能であることを想像させた。しかし、ほとんどの科学者はその様な原理的な爆弾は不可能であると考えていた。
(⇒赤字部分参照)


1938年、化学者オットー・ハーン(ドイツ)とフリッツ・シュトラスマ(ドイツ)がウランの原子核に中性子を衝突させていたら副産物としてバリウムが発見された。
その現象を説明出来なかったのである人物に手紙を書いて送った。
 ↓
ある人物とはリーゼ・マイトナー(オーストリア)という物理学者。女性である。マリ・キュリーより11歳年下。放射線や核の研究をしていたがこの方は長生きしており89歳没。
手紙が来た時にそこにたまたま居合わせたのがオットー・フリッシュ(オーストリア)。マイトナーの甥で物理学者。
手紙をもらったマイトナーがそれは「中性子による核分裂」で説明が付くと回答。
 ↓
1939年1月、回答を受けたオットー・ハーン(ドイツ)とフリッツ・シュトラスマ(ドイツ)がウランの核分裂についてドイツで論文発表。
同月、オットー・フリッシュの上司であるニールス・ボア(デンマーク)がアメリカで開催された物理学会においても「核分裂」を発表し、物理学会は大興奮、以後核分裂に関する論文が急増していく。
翌2月には2人の論文がイギリスのネイチャー誌にも掲載された。
数学者スタニスワフ・ウラム(ポーランド)は核分裂が連鎖反応を引き起こし得ることを数学的に計算してみせた。
 ↓
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、戦争勃発。
同じ日、ニールス・ボーア(デンマーク)とジョン・ホイーラー(アメリカ)が「原子核分裂の予想(ウラン同位元素235が分裂しやすい)」論文を発表。
それを言い換えれば、「ウランは核分裂などしないではないか」という声があったということに他ならない。
ウランは何でもかんでも分裂するわけではなく、分裂しやすい同位体があるとして核分裂連鎖反応、引いては原子爆弾開発への重要な理論根拠にされた。(希少ウランしか分裂しないとなれば誰もが再現できずとも筋は通る。しかしその理論は産業的には首を絞めることになった)
 ↓
1939年、パリのチームがウラン原子核の分裂は絶え間なく多くの中性子を衝突させなくても、2つ3つの中性子があれば分裂すると発表。
それはつまり分裂時に放出される中性子だけで連鎖反応が可能であるという報告である。
但し連鎖反応を維持するためには必要最低限のウラン量があり(臨界量)、また自然に放出された中性子は高速なので減速材が必要であると主張した。



当時は多くの科学者が実現不可能と否定的見解を持っていたが、それでも結局フランスチームの理論をベースにして原爆は作られていくことになる。

だがマンハッタン計画はアメリカの計画であり、後にイギリスとカナダがアメリカと協定を結び、両国の科学者もアメリカに渡って計画に加わった。
フランス科学者の理論をベースにして開発が進んでいるのに、そこにフランスは含まれていないのである。無茶というか無駄というか何というか。
アメリカ政府公認のマンハッタン計画がスタートする前、あるいはケベック協定が結ばれる前に独自にアメリカに渡った場合はよいが、その後にアメリカのマンハッタン計画に参加する科学者は、アメリカかイギリスかカナダの市民権が必要だった。
ユダヤ人科学者や東欧の科学者が国を移動することにはそう抵抗がないかもしれないが、フランスの科学者は若干意識が違う。
特にフランスはキュリー夫妻の放射線研究の地である。ある意味、聖地である。そのプライドみたいなものもあるだろう。
ましてやマリ・キュリー長女夫妻がフランスを捨ててイギリスやアメリカに行くことなど出来るわけがない。


アメリカは核開発への参加をしぶったイギリスに対する疑心暗鬼の念を捨てられずケベック協定を結ぶに至るが、実はそのケベック協定にも大きな危機があった。
1944年、イギリスがハンス・フォン・ハルバンとの間で秘密協定を結んでいることをアメリカ合衆国に明らかにした時である。この秘密協定は、フレデリック・ジョリオット=キュリーとフランス大学のチームによりまとめられた原子炉に関連する多数の特許を無償で使用する代わり核関連の情報をフランスとの間で共有すると言う内容であった。
これを発見し、アメリカ合衆国はこれはケベック協定の内容、具体的には、第三者との情報の共有に関する章、に反すると反対した。チャーチルの主張により、イギリスはアメリカの要求を満たすようにフランスとの協定を破棄することにした。

(ハンス・フォン・ハルバンはパリチームの科学者の1人である)

しかしながら、フランスの参加していないマンハッタン計画に独占的にウランを供給したのは、マリ・キュリーが見つけたラジウムの生産競争でカナダに負けたロスチャイルド・パリ家系のフランス企業である。
フランスにもそれなりにメリットがあったことになる。
上手くバランスが取れているというか何というか。


フランスの科学者で唯一アメリカのマンハッタン計画に参加した男がいた。
Bertrand Goldschmidt(ベルトラン・ゴールドシュミット)

ゴールドシュミットという姓はドイツ出身の著名な金融一族と同じであるが親戚には数えられてはいない。
ベルトラン・ゴールドシュミットは1912年生まれ。
父親はベルギーのユダヤ人で、母親がフランス人で、パリで誕生したフランス人である。
1933年にマリ・キュリーによってラジウム研究所に採用された。戦時中の1940年(28歳の時)に博士号を取得している。

1939年9月にドイツがポーランドに侵攻し勃発した戦争。
1940年5月にドイツはオランダ・ベルギー・ルクセンブルクのベネルクス三国に侵攻したため、フランスとイギリスは主力の軍をそちらに進出させた。
フランスの防衛線が手薄になったところでドイツはフランスにも侵攻。6月にとうとうドイツ軍はパリに入った。
パリは無防備都市を宣言し(軍事力が存在していない地域であると宣言し、敵による軍事作戦時の損害を避ける目的で行われる)、内閣は総辞職し和平派が政府の主導権を握ってドイツに降伏した。ヴィシーに首都を置いたことからヴィシー政権と呼ばれた。
それに異を唱え、イギリスに亡命し、「自由フランス」を結成し、イギリスからフランス国民にドイツ抗戦の継続とヴィシー政権への抵抗を呼びかけたのがシャルル・ド・ゴール(前国防次官)。

ベルトラン・ゴールドシュミットは、1941年5月にアメリカに渡り、そこでシャルル・ド・ゴールの自由フランス軍に加わった。
マンハッタン計画が始まる前のことである。
ベルトラン・ゴールドシュミットをアメリカに誘ったのは、1938年にノーベル物理学賞を受賞したエンリコ・フェルミ(イタリア)。
授賞式の足でアメリカに移住し、コロンビア大学を研究の場とした人物。
ベルトラン・ゴールドシュミットはプルトニウムの研究をしていたグレン・シーボーグ(アメリカ人)のチームに入った。
ウランの欠点を補いプルトニウム理論を確立したのはイギリスとスイスの科学者だが、それを実際に作って見せたのが(ウランからプルトニウムを抽出)グレン・シーボーグで1951年ノーベル化学賞も受賞している。
原子爆弾材料のプルトニウム239生成用原子炉を設計するための実験炉として開発されたのがシカゴ・パイル1号(Chicago Pile 1)。

1942年に発足したマンハッタン計画に組み込まれ、研究の場をシカゴ大学に移し本格的な研究がスタートしたのである。
1942年5月に原子炉の設計が開始され、同年11月にはシカゴ大学のフットボール競技場スタッグ・フィールド(Stagg Field)の観客席下にあったスカッシュ・コートに極秘裏に建設が開始された。
1942年12月2日 8時30分より実験が始まり、同日15時25分(シカゴ時間)、科学者の一人ジョージ・ウェイル(George Weil)の操作により制御棒が引き抜かれ、原子炉は臨界に達した。この様子を見守っていた科学者のバーナード・フェルド(Bernard T. Feld)は「制御棒を引き抜くとルルルルルルルル…と音がして計器の針が振り切れてしまった」と回想している。


この成功をもとに長崎の原爆に使用されたというプルトニウムは作られていくことになる。
しかしベルトラン・ゴールドシュミットは爆弾が完成する最後の最後までマンハッタン計画のグレン・シーボーグ(アメリカ人)チームにいたわけではなく、1944年にはカナダに移って原子炉の研究している。こちらには他にもフランス人科学者がいた。
マンハッタン計画に最後まで携わってしまえば、戦後にフランスに戻った時にすぐに作ってみせる必要があるだろう。
「作り方がよく分からない」では格好がつかない。
ウラン資源で儲けるためには戦後にウランが商業利用される必要があるのだ。
マンハッタン計画から抜けたことは妥当だったのではないか。
第二次世界大戦中のベルトラン・ゴールドシュミットは20代後半から30代前半というポスドク(postdoc)くらいの若い研究者だったので途中で移動することに対しての不自然さもない。


マンハッタン計画に参加した唯一のフランス人科学者ベルトラン・ゴールドシュミットの妻はNaomi Rothschild(ナオミ・ロスチャイルド)だった。
Naomi(ナオミ)という名前は日本でも馴染みある名だが(私の妹もナオミ、奈の付くナオミ)、外国人のナオミが日本人の血を引くということではない。
外国人が用いているNaomiは「旧約聖書」のルツ記に登場する女性の名前で、ナオミとも発音しないらしい。
Naomi Rothschild(ナオミ・ロスチャイルド)は、ロスチャイルド・ロンドン家の当主・第3代ロスチャイルド男爵 (イギリスから授かった男爵)ヴィクターの又従妹にあたる。


ベルトラン・ゴールドシュミットらはカナダの最初の原子炉の開発に貢献し、終戦とともにカナダの研究を終えて、1946年にフランスに戻った。
彼はフランス原子力委員会創設者の1人であり、フランスの化学部門を1960年まで率いた。
Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)が1947年にフランス初の原子炉「ゾエ」の開発に成功すると、1949年11月にその原子炉の使用済み燃料から数ミリグラムのプルトニウム抽出に成功したと発表。
1958年から1980年まで国際原子力機関(IAEA)理事会のフランス代表であった。
1979年スリーマイル島の事故後には国際原子力機関(IAEA)の議長となり、1986年ソ連のチェルノブイリ事故も経験するが、「事故はサッカー場の騒動よりも軽微なものだ」と発言したらしい。




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# by yumimi61 | 2018-03-30 12:12
2018年 03月 29日
日本国憲法の秘密-701- (外貨準備と貿易について)
当初イギリス・アメリカの主な科学者は原爆開発について否定的見解を持っており、それを反映した両政府も乗り気ではなかった。
科学者らの意識を変えたのはプルトニウムという人工放射性元素生成(発見)の報告と、ドイツが重水を仕入れていたという事実であった。
人工放射性元素の一番最初の発見者、原爆には重水が不可欠であるという理論提唱者、ドイツが重水を仕入れていたという情報入手者、これらは全てフランスのマリ・キュリー長女の夫Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)である。
その後、オーストラリア出身でアメリカGE社が古巣の科学者マーク・オリファントのアメリカでの原爆売り込みによって、アメリカ大統領が政府レベルでの開発に了承したのが1941年10月。
アメリカ政府はイギリス政府を誘ったがそれでもなおイギリス政府の反応は鈍かった。
それから一月もしないうちに日本によるアメリカ奇襲攻撃(真珠湾攻撃)が行われ、やがてアメリカ政府とイギリス政府はとうとう原爆開発についても手を組むことになる。


原爆に欠かせない資源はウランである。ウランに新たな需要が生まれた。
当時一番ウランを供給できた鉱山はベルギー領コンゴにあった。
コンゴはもともとベルギー王の私領地だった。
ベルギーは1831年に反カトリックでプロテスタント国のオランダから独立した。
ベルギー王レオポルド1世はその時に即位したわけだが、彼はイギリスのヴィクトリア女王の母の弟である。
レオポルド1世はプロテスタント派の王であると公表されていたが、1865年に即位した息子2世はカトリック教徒であることを公表。1885年からは政権もカトリック党が担当するに至る。

マンハッタン計画へのウラン供給を担当したのは、ユニオン・ミニエール(2001年にユミコアに改称、フランス語でUmicoreと書きます)という鉱山会社。
この会社のルーツはベルギーとドイツ国境付近でナポレオンが開発した亜鉛鉱山にある。
その後、その鉱山にソシエテ・ジェネラル・デ・ベルギー(ロスチャイルド系)の資本が入り会社組織化され、1906年にユニオン・ミニエールという社名になり、1968年まではベルギー王私領地であるコンゴの鉱山を中心に事業を行ってきた。
要するにマンハッタン計画を推進するアメリカにウランを供給していたのはイギリス王家にも繋がるカトリック・ロスチャイルド系企業だったということである。


アメリカ政府とイギリス政府は真珠湾攻撃後に戦争協力について確認したが、イギリス政府が核開発に対して最後の最後まで反応が鈍かったことやドイツの重水入手(原爆開発)問題もあり、アメリカは疑心暗鬼になった。
原爆には何か別の方法があるのではないか。イギリスがその情報を入手したり他に流したりすることはないか。
イギリスはアメリカとは別に独自に原爆を開発しているのではないか。
そんな不安が払しょくできず、1943年、アメリカとイギリスおよびイギリス連邦の1つでありアメリカと隣接しているカナダとの間でケベック協定が結ばれた。

ケベック協定(英: Quebec Agreement)
イギリスとカナダとアメリカ合衆国の公文書で、イギリスとアメリカ合衆国間で核開発の情報の秘密化を決めた文章である。この文章は1943年8月19日にカナダのケベック・シティーにおけるケベック会談を機会に、ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルトにより調印された。

ウィンストン・チャーチルが全く別のイギリス独自の原爆開発計画の準備を行なったと言う情報が入ってきたため、アメリカ合衆国とイギリスとカナダ間の核開発の協調が必要となり、そのための協定が必要であった。しかし、1943年7月、アメリカの政府は、イギリスの動機に対していくつかの誤解を払拭することができ、合意書が作成された。

調印後、イギリスは手元の資材を全てアメリカに送り、その見返りに大統領へ提出されたアメリカの進捗報告のコピーを受け取った。イギリスの核開発研究は戦争終了までマンハッタン計画と統合され、イギリスとカナダの研究者のチームはアメリカに移動した。



ケベック協定を結んだアメリカ・イギリスの2国は、1944年9月にイギリス王家にも繋がるカトリック・ロスチャイルド系企業のユニオン・ミニエール社とも契約を結んだ。
コンゴの鉱山はマンハッタン計画がスタートした時点ですでに一番ウランを供給出来ていたわけではなく、鉱山開発の費用を出すからウランをどんどん供給してくれという契約を結んだのだ。
カナダとのラジウム生産競争に負けてユニオン・ミニエールが1935年に閉山していたのを、トラスト(アメリカ・イギリス・カナダ)が必要経費をもつから再開させるというものであり、トラストがユニオン・ミニエールから鉱石を買うときの単価も決められていた。

1944年末、アメリカとイギリスはコンゴの支配者(管理者)であるベルギー政府と、以後10年間にわたりアメリカとイギリスだけにベルギー領コンゴのウラン鉱石を売却するという約束を交わした。1954年末までということになる。
1943年8月のケベック協定ですでに商業エネルギー利用ににも触れているが、当時はまだ原爆も成功しておらず世界的に宣伝もされていない。
従って一般的には商業利用なんてことがイメージ出来なかった上に、もし商業利用できるならばアメリカとイギリスにしか売れないなんて約束は却って損ではないかと思うのは当たり前な話。従って約束は旨みが薄いと思われていた。
(でも資源には限りがあるし、特に必要な物が希少ウランだったのだから、継続して使う気があれば囲いたいのは当たり前だけど)
九条(a) は商業エネルギー利用の開始から英米に対等な条件でベルギーの参加を認めるとしていた。しかし、他には何も国益を見出せなかった。国民に顔向けできないばかりか、ウランの産出そのものに対する国際世論の風当たりも強かったので、契約内容は特定秘密であった。このような条件をベルギーがなぜ飲んだのかはユニオン・ミニエールの都合以外に理由となるものが特に見当たらない。なお、九条(a) は戦後ドワイト・D・アイゼンハワーにより原子力平和利用が提唱されるきっかけとして十分考えられるところである。

1946年初頭にベルギーがウラン供給を国有化する法案を提出したので、契約当事者は狼狽した。ベルギー首相は議会を解散させて自動的廃案へもっていった。日本や西ドイツでの逆コースと足並みをそろえるように、ベルギー領コンゴのウラン事業は(ユニオン・ミニエール専務)エドガーの活躍もあって軌道に乗りだした。
(逆コースとは「民主化・非軍事化」の逆のこと。カトリック親和国で敗戦国の日本やドイツにおいて民主化・非軍事化が徹底されなかった)


1945年8月の原爆投下という大宣伝によってウラン鉱山開発と生産がいよいよ本格化していく。
戦後の原子力拡大期に開発されたウラン鉱山を保有する国は、アメリカ、カナダ、南アフリカ、オーストラリアである。

少し前に、スペインの鉱山から始まったリオ・ティント社というロスチャイルド系の資源鉱業会社を紹介した。
アルマデン鉱山とリオ・ティント鉱山というスペインの2つの大きな鉱山を所有していたのはカトリック国のスペイン王国だったが、ロスチャイルドのロンドン家やパリ家の資本が入り所有者がロスチャイルドに移った。
ロンドン家とパリ家両方の血を引き、医師であり、マリ・キュリーのラジウム研究所設立に資金援助したくアンリ・ロスチャイルド(パリ家)は鉱山管理者(ロスチャイルド代理人)の一家の娘と結婚しており、その意味においても関わりが深い。
そのリオ・ティント社も1950年代よりウラン採掘と生産に乗り出した。
リオ・ティント社は現在はイギリスのロンドンを本拠としており、世界最大級のウラン生産会社である。(日本法人の社長が日本とともにリオ・ティントは成長してきたと挨拶していましたね)
『ジェームズ・ボンド (James Bond)』 の著者イアン・フレミングの従兄はこの会社の役員であった。


開発すると言っても多額の資金がかかること、当てもなく開発するなんて賢くないし得策ではない。
ロスチャイルドのリオ・ティント社はイギリス政府に開発費用を出してもらい、イギリスにウランを供給するという計画を立てた。
ところがこれがなかなかスムーズには進まなかった。

思惑通りに進まなかった理由
①イギリスは戦後アメリカらからマンハッタン計画(原爆開発)や核開発へのアクセスを一切絶たれてしまった。
自国で一から原爆を検証し核開発をしていくとなれば遅れは避けようがない。

②ケベック協定と、その協定におけるカナダの立ち位置。
ケベック協定によってイギリスはコンゴからはウランを供給してもらえる約束を取り付けているので、ウランが全く手に入らないわけではない。
また協定の中で今後のウラン鉱山開発地は自国が所有している領地周辺という取り決めもあったが、資源大国カナダはそこに含まれていなかった。それはつまりカナダがイギリスの管轄なのかアメリカの管轄なのか明確にしなかったということである。
さらにカナダはケッベク協定の協議に参加していて協定を結んでいるが、こまごまとした具体的な取り決めや契約はアメリカとイギリス2国間で行われているので、その2国間の約束事を守る義務はない。
イギリスはリオ・ティント社などが中心に大規模にカナダの鉱山開発に乗り出したが、結局カナダ政府との折り合いが付かず、カナダは独自に開発生産を始め、カナダからの供給はアメリカ寄りになった。

③第二次世界大戦前後のロスチャイルド・ロンドン家の当主・第3代ロスチャイルド男爵 (イギリスから授かった男爵)ヴィクターが金融業や事業に精を出すことを好まなかった。 

「ドイツユダヤ人のための英国中央基金」や「ドイツユダヤ人のための委員会」といった募金機関を立ち上げ、ドイツ・ユダヤ人の亡命と亡命後の生活の支援をした。ヴィクターは一族の中でも特に熱心にユダヤ人救済活動に取り組んでいたという。

第二次世界大戦中にはイギリス陸軍に入隊し、若くして中佐階級まで昇進した。MI5のB1C部(爆発物とサボタージュ対策部)部長としてドイツ軍が仕掛けてくるサボタージュ煽動への対策や爆発物の解体にあたっていた。その戦功で国王ジョージ6世よりジョージ・メダルを賜り、またアメリカ軍からもブロンズ・スター・メダルを授与された。首相ウィンストン・チャーチルの護衛隊員にも選出されている。

しばしば「ソ連のスパイ」という疑惑を受け、1986年12月にはマーガレット・サッチャー首相にその噂を否定する声明を出してもらっている。

ケンブリッジ大学の生物学者でもあり、受胎と精子の研究にあたった。それに関する著作もある。また初版本の蒐集を趣味としており、その多くをケンブリッジ大学に寄贈している。


家業(N・M・ロスチャイルド&サンズ)の事業に熱心でなかったために、そちらの主導権は分家筋のアンソニー・ロスチャイルドに握られた。
N・M・ロスチャイルド&サンズは個人営業であり、その経営権はロスチャイルド一族に限定されていた(だからこそロスチャイルド家と呼ばれてきたし、一族と血縁関係がなく本拠以外で活躍した関係者はロスチャイルド代理人と呼ばれてきた)。
ところが第二次世界大戦中にアンソニーが持株会社ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングス(Rothschild Continuation holdings)を設立。1947年にはN・M・ロスチャイルド&サンズもその持株会社の子会社となった。ロスチャイルド・ロンドン家は法人化され株式会社となったが、そのスタイルでは競合するアメリカ企業には敵わなかった。
会社中心部にも外部者が入り込み、ロンドン家は次第に影が薄くなってしまった。

④イギリス政府も核開発には依然消極的だった。 
その理由としてはウラン鉱石の製錬技術の限界と、財政の限界。
戦後も費用対効果の観点で積極的に取り組むべきものではないという評価が主流だった。
イギリスでは1946年に原子力研究機構(AERE Atomic Energy Research Establishment) が設立された。これは研究所である。
原子力行政の管轄は供給省(Ministry of Supply)だった。
供給省の管轄であることが原子力政策が停滞させたのだと批判したのはチャーウェル卿(Frederick Alexander Lindemann/フレデリック・リンデマン)。
物理学者でイギリス空軍物理学研究所の所長でもあった人物。
第二次世界大戦中の科学政策をめぐって、ヘンリー・ティザードと激しく対立したことで有名。
ヘンリー・ティザートは化学者であり、イギリス空軍の科学研究ディレクターであり、イギリス防空科学調査委員会の議長でもあった。
マーク・オリファントから原爆実現可能性の情報提供を受け、MAUD委員会を組織したが、原爆に対しては否定派であった。
チャーウェル卿はチャーチル首相とは個人的に親しい間柄だったというが、大戦中のチャーチル首相は個人的な関係には流されなかったということになる。
1945年の終戦前に思いがけず選挙で大敗したチャーチル首相は、1951年に再び首相に返り咲いた。在任中の1953年にはノーベル文学賞を受賞。
その翌年1954年、イギリスでは原子力法によって原子力省(Department of Atomic Energy)と原子力公社(UK Atomic Energy Authority, UKAEA)が創設された。
原子力公社は政府の省庁からは独立した機関であり、ウランを調達するのは兵器の為ではなく電力の為であることを明確にしていたそうである。
リオ・ティント社は原子力省と原子力公社のどちらにもカナダの鉱山開発について働きかけたが、費用の問題とカナダの受け入れ問題もあって、イギリスやリオ・ティント社のカナダの鉱山開発は思うように進まなかった。
しかしリオ・ティント社はイギリスのかつての植民地であるオーストラリアと南アフリカで鉱山を開発しウラン生産に乗り出した。

ロスチャイルド系リオ・ティント(イギリス)の南アフリカとオーストラリア、カナダ政府などのカナダ、アメリカ勢力(元はロスチャイルド系だがアメリカで大きく発展した富豪家など)のアメリカ西部、これがウランの主要生産地となった。
カナダとアメリカの鉱山はアメリカという上客がいるが、リオ・ティント社は難しい要素を持つヨーロッパが主要な商圏であったので厳しい面もあった。




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# by yumimi61 | 2018-03-29 14:09
2018年 03月 27日
日本国憲法の秘密-700- (外貨準備と貿易について)

春告げる 木蓮映える 白い家 縷々綿々と 続くが如し (由)


ユダヤ、カトリック、イングランド国教会、イギリス、フランス、ドイツ、、、
対立してきたはずのこれらが1600年代から次第に近づいていき、陰に日向に強大な力を発揮し出した。
それは彼らが世界進出を始めた後のことであり、ヨーロッパに留まらなかった。

対立者より同じ者が集まっているほうが良いように思うが、プラスとプラス、マイナスとマイナスが反発し、プラスとマイナスが引きつくように、同じものの集まりの中には反発をかなり内包している。
特段の努力も無く同じ種類が集まっているだけのことであるので、そこに結合力という力は生まれにくい。違うものが結びつくことのほうが遥かにエネルギーが必要なのだ。
「エネルギーが必要」ということを言い換えれば「大変なこと」。
大変なことは出来るならば避けたい。私達はみな心の何処かで苦労の無い楽園に暮らしたいと思っている。
そんな私達がその大変さを前向きに捉えることを学べるとしたら、それは異性との結びつきだろうと思う。
アダムとイブが異性だったことには理由があるはずだ。
でも異性と結びついても、女は女、男は男、それ自体が変わるわけではない。違うものの結びつきとはそういうことである。
結合力の強いものが結合力を離した時には大きなエネルギーを放出する。その大きなエネルギーは子供と捉えることが出来る。
(その意味で処女懐胎から始まる新約聖書をベースにしたキリスト教は最初から疑問符が付く)
神を信じる宗教が、旧約聖書という1つの聖典を基にしている宗教が、科学をそれなりに受容している宗教が、それらの上層部が、同性愛に没頭したり推奨したりすれば、自らの根幹を大きく揺るがしてしまう。
そこに表出しているのは欺瞞である。恥ずかしがらないことが楽園であり神の証とでも思っているのか、恥ずかしげも無く欺瞞を見せてしまうことになる。

世界には同じものが増え続けた。
ユダヤ教がユダヤ教のままキリスト教と結びついたのではなく、キリスト教に変わってしまったのである。
仏教が仏教のままキリスト教と結びついたのではなく、仏教からキリスト教に変わってしまったのだ。
苦労なく同種に括られる同じ種類に変わっただけの話である。
でも残念ながら同じ種の結びつきはかなりの反発を抱え込み、結合エネルギーをあまり持っていない。
1900年代になると、その弊害が生まれだす。
同種内にある反発が表立って目立ってきたり、結合エネルギーが生まれなかったり育たなかったり、結合エネルギーの美しき輝きが失われ出した。

ユダヤ、カトリック、イングランド国教会、イギリス、フランス、ドイツ、、、かつて対立し、その後近づき、やがて同化したこれらも、その弊害が噴出しだす。それは世界に蔓延した。



・原子力産業との関わりが深いながら、なぜか原子力発電に反対し、フランスが原子力に猛進する様を「聖母マリアの顔に唾を吐きかけるようなものだ」と語った。
これもジェームズ・ゴールドスミスのエピソードである。

ジェームズ・ゴールドスミスはユダヤ教でありカトリック教もであったそうだから、どのような意図で聖母マリアを持ちだしたかは良く分からない。
でもフランスの原子力黎明期に尽力したのはマリ・キュリー長女夫妻である。

「処女懐胎」を一般的に解釈されている「男性と一度も性交渉したことのない女性による妊娠」とするならば、聖母マリアからは結合エネルギーは生じないはずである。
生じるとしたら自分の身を裂いた時である。(←陽子1の水素を分裂させることに等しい)
でもそうではなくて、処女というのは、これまで人々が大変なことだからと避けてきた、例えば異人種間や異宗教間、通常は堕胎するようなケースで妊娠出産をした女性ということなのではないだろうか。


Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)は1900年生まれで、1926年にマリ・キュリー長女と結婚したフランス人である。
夫妻で1934年に人工放射性元素の生成(発見)に成功して1935年にノーベル化学賞を受賞した。
マリ・キュリーの両親は熱心なカトリック教徒であったが、それに対する反発心もあったのかマリは無神論者だったという。

マリ・キュリー長女と結婚したフレデリックは1934年にフランスの社会党に入党した。左派ということである。
ところが1936年以降はスペイン内戦(1936-1939年)に関して社会党と意見が合わなくなった。

スペイン(王国)はカトリック国であるが、時代が進むとともにやはり反乱や反発が増えてきた。
1923年9月12日、こうした状況を打開するためにバルセロナ総督であったプリモ・デ・リベーラは、軍部や教会を中心とする大土地所有者層の支持を得て、クーデターを成功させた。その後、内々にクーデターの承認を得ていた国王アルフォンソ13世より首相に任命され、軍事独裁政権(1923〜1930年)を樹立した。

しかし1929年に起こった世界大恐慌によって国家財政が乱れたことによって、再び反王政・反教会・反政権といった左派の活動が顕著となってくる。左右対立は次第に激化していく。
数年前に反乱や反発が勃発した時には権力(国王)側の武力によって押さえられてしまった。
そこで左派勢力は、ある決断をする。
1935年、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の大会にて、「味方ではない者は敵へ」から「敵ではない者は味方へ」の転換を図った。
これはつまり電荷を持たない中性子をどう扱うかというようなことである。
左派が負の電荷を持つグループと仮定すれば、中性子は負の電荷を持っていないので違うグループである。もっと大きく見れば電荷そのものを持っていないのだから電気業界にも属していない違うグループということになる。
ある意味、対立している右派よりも遠い存在である。
しかしともかく、左派でも穏健共和派、自由主義勢力、無政府主義者、労働者、農民、知識人、反権力な宗教組織といった諸勢力が結集することになった。
そして1936年2月の総選挙で左派が勝利し共和国政府(人民戦線内閣)が誕生した(1936-39)。これはクーデターによらず成立した世界初で唯一の社会主義政権だった。
当時カトリック親和国であった日本やドイツ(言い換えればカトリック)が恐れたのはまさにこれだったのだ。

1936年(昭和11年)11月25日に日本とドイツの間で共産「インターナショナル」ニ対スル協定が提携された。
締結当初は二国間協定である日独防共協定と呼ばれ、国際共産主義運動を指導するコミンテルンに対抗する共同防衛をうたっており、後の日独伊三国を中心とした軍事同盟、いわゆる枢軸国形成の先駆けとなった。 1937年にイタリア王国が原署名国として加盟し、日独伊防共協定と呼ばれる三国間協定となり、1939年にはハンガリー王国と満州国、スペインが参加したことによって多国間協定となった。

スペイン国内でもすぐにかつての独裁政権勢力が共和政権に対して反乱を起こした。
そして1936年7月~1939年3月までスペインは内戦が続いた。
  左派の反ファシズム政権(共和政権) vs 右派の反乱軍(ナショナリスト派)

左派を支援したのはソ連、欧米市民知識人らが数多く参加した義勇軍(国際旅団)。
右派のファシズム陣営を支援したのはドイツ、イタリア、ポルトガル。←カトリック側

戦場マスコミ報道の出現は空前のレベルで人々の注目を集めた(小説家のアーネスト・ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル、写真家ロバート・キャパらが関わった)。そのため、この戦争は激しい感情的対立と政治的分裂を引き起こし、双方の側の犯した虐殺行為が知れわたり有名になった。他の内戦の場合と同様にこのスペイン内戦でも家族内、隣近所、友達同士が敵味方に別れた。共和国派は新しい反宗教な共産主義体制を支持し、反乱軍側の民族独立主義派は特定複数民族グループと古来のカトリック・キリスト教、全体主義体制を支持し、別れて争った。戦闘員以外にも多数の市民が政治的、宗教的立場の違いのために双方から殺害され、さらに1939年に戦争が終結したとき、敗北した共和国派は勝利した民族独立派によって迫害された。


民族独立派というのが右派の旧独裁勢力(国王やカトリック教会側)である。
左派はいろんな勢力を結合させた。それは一定の成果を上げた。しかしその結合が真の意味で大きな力を発揮するのは、皮肉なことであるが分裂した時のエネルギー放出なのだ。
そのエネルギーを受けた旧独裁勢力のリーダーだったフランシスコ・フランコは内戦に勝利した1939年から1975年までの36年間総統を務め独裁者でありつづけた。


フランスの社会党はインターナショナル(社会主義の国際組織、第二の時代)のフランス支部だった。1905年設立。
「フランス社会党」は通称であり、正式な名称は「労働インターナショナル・フランス支部」(この略称がSFIO)である。

第二インターナショナルは1889年に設立されたが、第一次世界大戦で雲行きが怪しくなった。
国際主義者として信望を集めヨーロッパの平和を熱望し第一次世界大戦に反対していたフランスのジャン・ジョレスが暗殺された。
その後、第二インターナショナルを導きうる唯一の政党はドイツ社会民主党だったが、これが戦争を支持し政府に協力する「城内平和」路線へと舵を切り、フランスやオーストリアの社会主義者もそれに倣った。
戦争を支持するのが多数派となり反戦主義者の少数派となって分裂し、第二インターナショナルは廃止された。

「フランス社会党」はその後も続いていたわけだが、大戦末期になると戦争協力に対する党内外からの批判が強くなり、またロシア革命による社会主義国家樹立も影響して1918年には反戦少数派の人物が書記長に選ばれた。

1919年には第三インターナショナル(コミンテルン)が設立された。
ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派ボリシェヴィキ(ロシア共産党)が中心となった。
(1924年レーニンが亡くなり、その後はスターリンが一国社会主義論を打ち出しコミンテルンの役割も変わっていった。スターリンと対立した者は粛清された。だが同じ組織なので外からは違いが見えにくい)

コミンテルンが設立された以降はフランスでもこれを支持する左派が拡大し、1920年にコミンテルンへの加盟を決議し、「フランス社会党」は「フランス共産党」に変わった。正式名は「共産主義インターナショナル・フランス支部」。
この時にコミンテルンへの加盟に反対した少数派が「フランス社会党」を維持した。いわば分裂である。
Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)が1934年に入党したのは「フランス社会党」のほうである。
この党はスペイン内戦において、左派の反ファシズム政権(共和政権)の支援に付かなかった。それがフレデリックは不満だった。

(フレデリックは)1941年6月パリ大学に抵抗委員会がつくられるとこれに参加し、やがて国民戦線全国委員長に選ばれて地下活動を続けた。1942年5月に共産党に入党したが、1944年8月までは公表されなかった。

1945年にフランス原子力庁が設立された。
Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)が長官となった。現在までの長官は彼を含めて2人しかいない。非常に閉鎖的な組織である。
フランスは今なお電力生産量の約8割を原子力が担っていると言い張っている。これは世界的にみても異様に高い割合である。誇りを捨てられないのか何なのか原子力への依存度が非常に高く手放せない国となっている。

1945年8月、アメリカによって日本に原爆が投下され、原子爆弾成功が世界に大々的に宣伝された。
しかしその時から、何かしら真実を握っていたソ連がアメリカと日本を中心として世界の脅威となり、反共産主義が吹き荒れた。
そのソ連が1949年に核実験の成功を発表。
原爆を嘘と言わずに、自国の成功を伝えた。
欧米にとっては一層深刻な状況となった。
Jean Frédéric Joliot-Curie(フレデリック・ジョリオ=キュリー)は戦前から核の研究者であり、且つインターナショナルな共産主義者なのだ。
彼は対ソ連戦争に使用される可能性が高い核兵器の研究や製造を拒否する意思を1950年4月のフランス共産主義大会で明確に示した。
これが問題視され、フランス原子力庁長官を更迭された。





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# by yumimi61 | 2018-03-27 12:26
2018年 03月 26日
日本国憲法の秘密-699- (外貨準備と貿易について)
ともかくドイツが重水をすでに仕入れていたことが発覚したことで広げた波紋があった。
一部の科学者はこの時に気が付いたはずである。ドイツは減速材として重水に注目したのではないだろうと。
注目したのはエネルギーの大きさとしての水素である。


水素はこの地球上で一番質量が小さい(軽い)元素であるが、一番安定している元素とも言える。
原子番号が大きくなるほど、重く不安定な元素となる。
天然元素で一番重く不安定なのは原子番号92のウランである。
原子核(核子)の中に陽子と電子という組み合わせがいるわけではなく、陽子は陽子で集まり、その外側に電子が散らばり、原子を形作っている。
同じ大きさの所に92の陽子がぎゅうぎゅうに詰まっているのがウランで、1つの陽子しかないのが水素。2つの陽子がヘリウム。

その陽子たちはみな正(プラス)の電荷を持っている。
陽子と陽子はプラスとなるので反発し合い斥力が大きくなる。すなわち結合力が弱いということなのだ。
ウランは92、プルトニウムは94も陽子がある。
反発し合うもの同士が大勢一緒にいるのだから原子核の状態としては不安定である。

原子核(ウラン)=反発×92
原子核(プルトニウム)=反発×94
原子核(ヘリウム)=反発×2
原子核(水素)=孤立・安定


質量の小さな元素のほうが結合力が大きく、質量の大きな元素は結合力が小さい。
分裂の時に放たれるエネルギーは必要なくなった結合力である。
ウランはもともと結合力が少ないので、分裂しても放たれるエネルギーが少ない。
一方、陽子が1つしかない水素をもし分裂することが出来るならば、これは大きな結合エネルギーが放たれる。
しかしさすがに1つの陽子を分裂させることは不可能かもしれない。そうとなれば注目するのは重水素であったり、2つの陽子を持つヘリウムだったりするのではないか。


私はここでジェームズ・ゴールドスミスの次の逸話を思い出すのだった。
「私は、ユダヤ人に対するときはカトリックである。カトリックに対するときはユダヤ人である」と語った。

彼はユダヤ人を代表するようなユダヤ人である。
しかしながらカトリック教徒であると公言している人物でもある。

普通の人が考えがちなのは、「ユダヤ人に対する時はユダヤ人。カトリックに対する時にはカトリック」だと思う。
多数と違うことを言ったり行ったりすると「空気が読めない(KY)」と総非難されるのが日本社会である。KYが流行語になる国である。裏切り者と村八分的扱いを受けるかもしれない。「ぼっち」を恥だと思う社会である。不満も苦しみも悲しみも呑み込んで大人しく行儀よく一列に並ぶのが誇りの国である。
空気になれ主義、長いものには巻かれろ主義、協調性、絆、ともだち。
最近は国際社会も似たような印象を受けるけれども。
でも同じものが集まっている状態というのは中に反発を相当抱え込んでいて結合力は少ない。
違ったもののほうが実は引き合ってがっしりと結合する。
それは地球上のあらゆるものを形作る元素の特徴なのだ。
ジェームズ・ゴールドスミスの言葉の意図は分からないけれど、私は原子のことが思い浮かべる。
「ユダヤ人に対する時はカトリック、カトリックに対する時はユダヤ人」、この同化しなさは必要以上の反発を避けて自分を守るための術だったのかもしれないと思う。

しかしながらプラスマイナスの強い結合で繋がっていない状態で原子が存在しているという事こそが、私達人間に応用や変化の可能性を与えている。
その流動性は希望なのか失望なのか。



ウラン原子核が存在している場所で中性子が放出されると、ウラン原子核がそれを取りこみ分裂し、分裂時に2~3の中性子を放出。それを他のウラン原子核が取り込み、ねずみ講のように分裂連鎖反応が進む。
これが原爆や原発の原理である。
ウランと言っても何でも良いわけではない。核分裂連鎖反応を起こすのはウラン235。このウラン235は全ウラン中0.7%しか存在しないと言う。
一般的なものはウラン238。
簡単に精錬できず誰もが容易く手に入れられないものの発見は、学問的価値はあったとしても産業的価値は低い。
産業的価値を獲得していないものに対してノーベル賞を授与しだした頃からノーベル賞は変質したんだろうと思う。

最近日本で希少糖が静かなブームであることをご存知だろうか?
なぜ希少糖と名付けられたかと言えば、その総量が糖全体の1%にも満たない微量な糖であるから。種類としてはおよそ50種類程度あるらしい(希少糖は総称)。
「希少糖」は効果云々というよりも絶対量が少ないという事実に基づいた言葉である。
極端に少ないものに対しては「希少価値」というものが生まれやすいのもまた事実。
日本が希少糖を流行らせたいのには訳がある。
1994年、香川大学の何森健らによって、フルクトースをプシコースに変換する酵素、D-タガトース3-エピメラーゼ(DTE)が発見された。これにより希少糖を体系的に生産するシステム(イズモリング)が考案され、大量生産への道が拓かれた。

・2001年からは国際希少糖学会が置かれている。
・香川県では、希少糖産業の基盤形成を促進するため、希少糖の生産や試験研究を行う企業の施設・設備に対して、企業誘致助成制度を活用した手厚い支援(投下固定資産額の30%を助成)を行うこととしている。
・一般社団法人・希少糖普及協会は2017年、11(いい)月10(とう)日を「希少糖の日」に定めた。


フルクトースが希少ではない糖で、プシコースというのが希少糖の1種。希少でない糖を希少糖に変える方法を見つけたという。錬金術での一種ですね。
香川大学を中心に香川県を含む産学官連携での研究によって、希少糖の生産技術が確立され、大量生産できるようになったらしい。
大量生産できたら希少価値が失われてしまい、希少糖ではないと思うのだけれども・・・。まあそれを言ったら「お金(紙幣)」もそうなんだけど。
存在するだけで保有していた希少価値が失われたら、何か他の価値(付加価値)を見つけてそちらを大きくしなければならなくなる。
糖は健康的にも美容的にも目の敵にされやすいものなので付加価値は付けやすいかもしれない。
でもこの場合、希少価値と付加価値がごちゃまぜにされていて、目くらまし戦法のようである。


0.7%しか存在しないウラン235も糖風に言えば「希少ウラン」である。
その「希少ウラン」には核分裂連鎖反応を起こすことが出来るという付加価値も付いていた(付けられた)。
だがどう転んでもウラン238を235に変換することは出来ないので、大量生産への道は拓かれていない。0.7%は0.7%のままである。
それどころかその0.7%のウラン235だけを取り出すことも出来ていないのだ。
ウラン235とウラン238の違いは僅かな質量差のみ(ごく僅かな質量しか持たない中性子3つ分だけ)で化学的性質はまるで同じであるのだから難しい。


ウラン235の生成も精製(分離)も難しくてどうにもならなかった。。
そこで普通に存在するウラン238を用いる方法を考えた。これがプルトニウムに繋がった。

ウラン238(偶数)=陽子92(偶数)+中性子146(偶数)←中性子1
                ↓
ウラン239(奇数)=陽子92(偶数)+中性子147(奇数) 
                ↓
      β崩壊(中性子1が陽子1に変わる)
      (電子と反ニュートリノ放出、エネルギー)※反ニュートリノが検出されたのは1956年
                ↓
ネプツニウム239(奇数)=陽子93(奇数)+中性子146(偶数)
                ↓
      β崩壊(中性子1が陽子1に変わる)
      (電子と反ニュートリノ放出、エネルギー)
                ↓
プルトニウム239(奇数)=陽子94(偶数)+中性子145(奇数)→一部は分裂せずにプルトニウム240となる
                ↓
核分裂(新たな元素2つ、中性子2~3放出、結合エネルギー)



ウラン238が中性子を取りこむと、自然な反応によってプルトニウムが出来るというが、プルトニウムも分離できていないし、プルトニウムに留めておくことも出来ない。
ウラン235の生成や分離という一番手前のハードルはなくなったが、この自然反応を爆弾に利用するというのでは爆弾成功の難易度はさらに上がった感じである。
そのせいか何なのか、そのうち何故か中性子を減速させる減速材は必要ないという方向に転換された。
プルトニウムの場合は、高速中性子でも核分裂するのだという。その理由は十分に説明しきれていない。
分裂のメカニズムはウランとほぼ同じで、遅い中性子ほど核分裂を起こしやすいというのも同じ。だけど何か引き合うものがある中性子があるらしく、高速中性子でも十分にいけるらしい。
戦後はウラン原発にも重水は必要なくなり軽水となった。






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# by yumimi61 | 2018-03-26 13:10
2018年 03月 25日
日本国憲法の秘密-698- (外貨準備と貿易について)
ドイツの科学者がウランの原子核に中性子を衝突させていたら、副産物としてバリウムが出来ていた。
今までここになかったはずのバリウムが出来ている。
それはつまり、ウランに何か変化が起きて、その変化によってバリウムに変わったということである。
この現象を「核分裂」と解釈し、その世紀の発見に物理学会は興奮した。
核(原爆)開発はこの発見からスタートした。

金属であろうと人間であろうと、空気であろうと水であろうと、地球上の全ての物質は原子核からなる。
 原子=核子(陽子・中性子)+電子

陽子は正(プラス)の電荷を持ち、中性子は電荷を持たない。電子は負(マイナス)の電荷を持つ。
普通の状態のときは、電子の数と陽子の数は等しい。

原子に外側から中性子を放出させ衝突させていたら原子核(核子)の核分裂が起きたと物理学会は喜んでいたが、中性子は電荷を持たない。
電荷を持たない中性的なものが電気業界(陽子と電子の例えです)に体当たりしても影響を与えない。
プラスでもマイナスでもない者は、プラスにもマイナスにも影響を与えることが出来ない。
粒子線であるベータ線やアルファ線、電子線の影響力が強いのは、電気業界に影響を及ぼす力を自らが沢山持っているからである。
プラスがマイナスに沢山働きかければ、マイナスがプラスに動いて行き、プラス支配が強くなる。
マイナスがプラスに沢山働きかければ、プラスがマイナスに動いて行き、マイナス支配は強くなる。
影響を与えるとはそういうことである。


物理学会も直に、この「中性子を衝突させて核分裂を導いた」という「外部からの攻撃による破壊」解釈の欠点に気付く。
そこで路線変更。衝突ではなくて原子核が中性子を取りこんだことにした。
ある数の陽子とある数の中性子でバランスが取れていたところに、余分な中性子が入りこんだから、「それまでの安定が崩れて分裂してしまうという内部崩壊的」解釈である。
三角関係の末の離婚を想像する人もいるかもしれないが、陽子と中性子はそれぞれ1つずつというわけではなく、陽子と中性子の数は最初から等しくもないので、夫婦に他人が入りこんだという例えは適さない。
こんな例えはどうだろうか。
1つの学校の女子生徒が陽子。教師が中性子。電子が男子生徒。
女子生徒と男子生徒の数は同じでバランスは取れていた。教師はそれらと同じ数である必要はなく、学校によって数は様々。
その学校に外部から教師が1名さらに加わった。それだけでこの学校は分裂してしまう?
中性子を取りこむと分裂するというのは、実はこれくらい根拠の薄い解釈である。


さらに話をややこしくしているのは自然と人工の違いと、言葉の違い。
自然現象として原子核は放射線を出して別の原子核に変化していくが、これは「核崩壊」と言う。
それを人工的に行えば「核分裂」である。
ただし自然と人工は明確に線引きできない。
いずれにしても陽子と中性子のバランスが崩れて起こると言われているが、人間に与えられた寿命があるように、学校に決められた就学期間があって次のステージに進学したり卒業したりするように、特別に(狭義的には)バランスが崩れなくても崩壊や分裂は起こるとも考えられる。


原子核が中性子を取りこむためには、原子核に在籍していないウロウロしている中性子が存在している必要がいる。
そのウロウロした中性子は核崩壊や核分裂の時の放出されたものである。
分裂時に放出される中性子は「高速」である。何故かと言えば、外部から無理やり引っ張り出されるのではなく、中から外に弾け出るということはそれ相応の運動エネルギーなり位置エネルギーを持っている(持たされている)から。
ここで物理学会には次なる問題が生じた。
そんなエネルギーを持った中性子を、何故に安定している原子核がわざわざ取り込む必要があるのだろうか?ということである。
この問題は難しい。
そこで若干話を摩り替え、エネルギーを持った高速の中性子を取りこむのは大変だけれども、低速の中性子ならば比較的簡単に取り込めるという見解に至った。


爆発力(大きなエネルギー)を獲得するために早急な核連鎖反応が必要な原子爆弾では、当てもなく悠長に原子核が中性子を取り込むのを待っているわけにはいかない。
また放出された中性子には寿命がある。中性子が原子核の外に単体で放出された場合には安定して存在することはできず、半減期はおよそ15分程度とされている。予め中性子を沢山作ってセットしておいたとしても15分で半分になってしまう。
自然の反応をスムーズに進めるために(原子核が放出された中性子を取りこみやすくするために)、人工的に低速化することが必要があると考えた。
高速中性子を減速させるのが減速材で、重水が理想的な減速材であるという理論を組み立てたのは、フランス・パリの研究チーム。
マリ・キュリーの長女の夫フレデリック・キュリーらのチームである。


減速材を検討する時に考慮したのは質量だった。
質量とは物体が含む物質の量。物体の動きにくさと言える。重い物ほど動きにくい。
中性子を減速させるには何か物質にぶつける必要がある。
例えば100ジュールの運動エネルギーを持っていたボールを壁にぶつけたとする。
壁にぶつかった瞬間、ボールが持っていた運動エネルギーは壁に移る。壁が100ジュールの弾性エネルギーを持てば、そのまま壁から物体を押し出すエネルギーとなる。こうしてボールは跳ね返る。
この時もしも壁が弱ければ、100ジュールの運動エネルギーを同じ100ジュールの弾性エネルギーには変えられない。
熱エネルギーとして受け取ってしまったり、壁が動いたり破壊されるための運動エネルギーに変わり、ボールは跳ね返らなくなる。
ボールは壁から再びエネルギーを貰うことが出来ないので、持っていたエネルギーが減ったり消滅する。
ボール側が中性子。ぶつかる相手が質量の大きいものだと中性子は再びエネルギーを貰ってエネルギーが落ちにくい。
質量の小さな中性子のエネルギーを落とすならば同じくらいに質量の小さな相手でなければダメである。
地球上で一番質量の小さな元素は原子番号1の水素。陽子1に電子1で、中性子は持たない。
それに酸素がくっついたのが水である。地球上で一番簡単に手に入れられ保存しておける減速材は水ということになる。
但し普通の水(軽水)は中性子を持っていない。在る所に入りこむより無い所のほうが入りやすいであろうことは誰にでも想像しやすい。
軽水は中性子を吸収してしまう(取りこんでしまう)のではないかと考えた。他の物に取られてしまっては元も子もない。
そこで注目されたのが中性子を持っている水素からなる重水である。
重水素は陽子1、中性子1、電子1。三重水素は陽子1、中性子2、電子1。


原爆には減速材として重水が必要不可欠であるという見解は原爆開発者全ての共通認識となった。
水(軽水)はいつでもどこでも比較的簡単に手に入るものだが、同じ水でも重水となるとそうはいかない。
ヨーロッパにおける重水生産拠点はノルウェーの工場だけだった。
しかも当時すでに戦争が始まっており、軍人は戦火に赴き、侵攻や占領が進行中という状況。迫害や敵味方国籍問題などがあって科学者や技術者らの国家間移動も盛ん。戦時中なので情報戦も激しい。
幸いというか何というか、ノルウェーは当時中立的な立場を取っていた国だった。

ノルスク・ハイドロ(Norsk Hydro ASA)
1905年12月2日、マルクス・ヴァレンベリ (シニア) を初代会長とし、主にパリバの出資でノルウェー水力電気窒素 (Norsk hydro-elektrisk Kvælstofaktieselskab) が設立された。

ヴァレンベリ家はスウェーデンで最も有名な大富豪一族。
1990年にスウェーデンのGNPの3分の1を間接的に支配していると見積もられていた。自分の財団も所有しているがノーベル財団とも繋がりがある。
パリバ銀行は、1863年にビショフスハイム・ゴールドシュミット&Cie銀行と合併したオランダ貯蓄信用銀行が、1872年にロスチャイルド・パリ家とも親密な富豪らが創立したパリ銀行と合併して誕生した銀行。

ノルスク・ハイドロは1934年に、ヴェモルクに、肥料生産の副産物として世界で初めて重水を商業的に生産できる工場を建設した
ノルスク・ハイドロリューカンの工場はヨーロッパで唯一の重水生産拠点であり、第二次世界大戦において連合国が、ドイツの原子爆弾開発に利用されると警戒することになった。


ノルウェーの重水工場から重水をフランスに運び出させたのはマリ・キュリーの長女の夫フレデリック・キュリー。

ドイツのノルウェー侵攻より前の1940年4月9日に、フランスの諜報機関参謀本部第2局が、当時はまだ中立国であったノルウェーのヴェモルクの工場から185 kgの重水を撤去した。工場の管理者であったAubertは、戦争の期間中この重水をフランスに貸し出すことに同意した。フランス人らは重水を秘密裏にオスロとスコットランドのパースを経由してフランスへと運び込んだ。工場は重水の生産能力を持ったまま残された。

この時にこの工場からすでにドイツが重水を大量に仕入れていたという情報を掴んだ。
ドイツという国は第一次世界大戦前から発明や技術的にも脅威的な国と捉えられていたくらいなので、このことがアメリカやイギリスの原爆開発推進への転換に繋がったと考えられる。

連合軍はなお、占領軍がこの工場を利用して兵器開発計画のための重水をさらに生産することを心配していた。
ナチス・ドイツの核兵器開発を阻止するために、重水工場を破壊して重水の供給を絶つことを決定した。テレマルク県のリューカンの滝にある、60MWのヴェモルク水力発電所が攻撃目標となった
1940年から1944年にかけて、ノルウェーの抵抗活動による破壊活動と、連合軍の空襲により、工場の破壊と生産された重水の損失を確実なものとした。これらの作戦は、「グルース」(Grouse、「ライチョウ」)、「フレッシュマン」(Freshman、「新人」)、「ガンナーサイド」(Gunnerside、イングランドの村)とコードネームが付けられ、最終的に1943年初頭に工場を操業停止に追い込んだ。



ロスチャイルド家が重水を押さえれば確実に儲かると睨んだり、純粋にカトリック信仰者であったりカトリックの味方であったならば、工場停止や破壊に追い込まず買い取るという手段だってあったのではないかと思う。
でもそうはしなかった。
天然の放射線研究から人工放射性元素を経ての原爆や核エネルギーへの認識はやはりその程度だったのだろうと思うし、ユダヤとカトリックの連携、巨大化した一族の結束は一枚岩ではなさそうなことが分かる。

ともかくドイツが重水をすでに仕入れていたことが発覚したことで広げた波紋があった。
一部の科学者はこの時に気が付いたはずである。ドイツは減速材として重水に注目したのではないだろうと。
注目したのはエネルギーの大きさとしての水素である。





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# by yumimi61 | 2018-03-25 14:12