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やがてそこに。


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五里四方

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意志未来
自分が形作る未来があるとどこかで信じていた
たぶん生まれた時から

意志未来
望んだものは手に入れられるものと誰もが一度は
この世を疑わなかった

私はここを この場所を 自分で選んだの?
あなたは 私の希望を知って 私を選んだの?
あなたの望みは 私で叶ったの?
私はあなたに どんな未来を作ってあげられたの?

おはようと言うあなたに預けて
おやすみと言って明日を強く抱きしめる
今日がどんな日でも変わらないものがあればよいのに
終わりはいつでも少し寂しいものだから

有終の美などいらない
誰かの声が聞こえてくる気がして耳を塞いだ
軽すぎて重すぎる それが宿命ならば
重すぎて軽すぎる それが運命ならば

どんなに欲しても届かない場所に思いを馳せる
そこはどう?
誰も彼も見知らぬ顔に問う
予定通り時間きっかり 幕引きくらい自分で極めたいのに

意志未来
自分が形作る未来があると今でもどこかで
意志未来
望んだものはもうここにあると


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# by yumimi61 | 2018-08-19 11:45
アメリカの名目GDPと実質GDPの推移。
前記事では名目GDP推移の各国比較グラフに私がアメリカの実質GDP推移を大ざっぱに記入したが、こちらはアメリカのみのちゃんとしたグラフ。(グラフはガベージニュースより)
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長いこと名目GDP世界ランキングが2位で1位のアメリカに次ぐ経済大国を自負してきた日本。
だけど・・・
GDPが大きいだけで経済大国として優越感に浸るという姿をよく目にするが、企業経営や国家運営の優劣、人々の豊かさは一切表していないと言ってもいい。
これは昨日書いたこと。

日本はGDP世界ランキング2位の座を2010年に中国に譲ったが今度は対外純資産額が引っ張り出されることになる。
対外純資産額が長年世界1位で日本は世界1のお金持ちであると自負している人が多い。

ちなみにアメリカの名目GDPと実質GDPが入れ替わった時期(物価上昇に転じた時期)と、中国の名目GDPがぐーっと伸びてきた時期はほぼ同時期である。
これによって中国が経済大国の仲間入りをしたと言われるようになる。
しかし人口が既存先進国の追随を許さぬほど多いので、1人当たりのGDPはなかなか大きくならない。国の経済の国際競争力は思うほどではないかもしれない。
これも昨日書いた。
もし中国の人口が間違えていて、「14億人なんてどこにもいないよ」ということになれば、話は変わるけれど。


対外純資産
国が海外に保有している資産から負債を除いたもの。具体的な形態は,資産としては外貨準備,銀行の対外融資残高,企業の直接投資残高などがあり,負債としては海外からの証券投資,借入金などがある。

日本政府の借金は膨大である。世界で類をみないほどの借金大国。
それを問題にすると、必ずや「資産があるから大丈夫!」と言い出す人が出てくる。
財務省の誰かが作ったらしいバランスシートではバランスが取れておらず資産不足なのは一目瞭然にも関わらず。
すると今度は対外純資産が持ち出されるのである。
「日本は世界1位の債権国(外国にお金を貸している国)だから大丈夫!」と言うわけだ。
だけど勘違いしてもらっては困る。
対外純資産額は日本政府のみの純資産ではなく民間の金額が含まれている。
日本政府が借金で首が回らなくなった時に、対外資産を持っている民間の金融機関や企業や個人が「私達の資産をどうぞ使ってください」と惜しげなく寄付すればよいが、そんなことをすると思いますか?

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【2016年末の日本の対外資産額と負債額】
※千億の単位を四捨五入。
左側の数字が資産額(日本が外国に投資したり貸している金額)で、右側の数字が負債額(日本が外国から投資されたり借りている金額)。
 1.直接投資 159兆 27兆
 2.証券投資 453兆 324兆
 3.金融派生商品(デリバティブ) 43兆 45兆
 4.その他投資(預金や現金の貸し借り) 200兆 251兆
 5.外貨準備 143兆 -
 <合計> 998兆 649兆 ⇒ 資産額998兆-負債額649兆=純資産額349兆

純資産額349兆円の保有者内訳
 中央銀行・政府 33兆
 預金取扱機関 56兆
 その他金融機関 253兆
 その他 7兆

349兆円のうち316兆円は民間の対外純資産である(民間比率91%)。
中央銀行は公的なものとして政府と一緒にしてあるが、日本銀行の政府出資割合は55%であり、45%は民間である。
さらに日銀への出資者は経営に関与することが出来ないことが日銀法によって定められている。
 
資産の内訳でみると一番多いのは2の証券投資である。
証券投資は利子や配当、売値と買値の差額利益(利ざや)などを目的に証券を購入する投資。間接投資。
金融機関自体が行っている投資の他に、銀行や証券会社を通しての企業や個人の投資もある。
国民の年金積立金などもこうした投資に利用されており、国内資産と対外資産がダブりで数えられていることもあると考えられる。

1の直接投資は経営参加を目的とするもの。
株式を購入して議決権や経営権を取得したり、既存の外国企業を買収したり、新たに工場などを建設したりする投資のこと。
企業経営者や大口投資家が行うことが多い。
日本企業が別会計の外国法人を設立して、そこに投資(資本参加や工場建設)することもあり、対外資産といえど元々が日本企業絡みということもある。

アメリカの対外負債が大きいのは、国債の外国保有率が高いからであろう。
日本とか中国とかアメリカの国債を多く保有している。それを日本から見ればアメリカに投資しているということになる(対外資産)。
日本の国債は国内保有率が非常に高い。もしあれがほとんど外国に出れば、アメリカ並みの対外負債となる。日本ほど国債を自国で抱え込んでいる国はないのではないだろうか。
投資する人の投資というものに対する姿勢(例えばハイリスクハイリターンを狙うのか、ハイリターンではないが安全で着実に利益が出そうなところに投資するのか、リスクやリターン度外視で純粋に支援したいから投資するのか)にもよるが、対外純資産の債務というのは外国から投資されていることでもあるので、ある意味においては対外債務が高いということは魅力があったり信頼がある国とも言える。
なんだかんだ言っても世界の中心であるアメリカには外国から進出してくる企業が多い。そうとなれば必然的に外国からの投資額(アメリカの債務額)は大きくなる。でもそれは国債と違ってアメリカ政府が返さなければならないお金ではない。




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# by yumimi61 | 2018-08-14 14:44
GDP(国内総生産)が大きければ経済大国と言われることが多い。
2017年の名目GDP(USドル換算)トップ10は下記の通り。(ランキングは世界経済のネタ帳より)

【2017年の名目GDP(USドル換算)】
1位 アメリカ 19,390.60(単位は10億USドル、以下同じ)
2位 中国 12,014.61
3位 日本 4,872.14
4位 ドイツ 3,684.82
5位 イギリス 2,624.53
6位 インド 2,611.01
7位 フランス 2,583.56
8位 ブラジル 2,054.97
9位 イタリア 1,937.89
10位 カナダ 1,652.41

どうですか?納得な感じですか?

何度も言うようだけれどGDPは付加価値。
(控除法なら・・)
付加価値=製品の値段-製品を製造するのに掛かって当然の費用
(加算法なら・・)
付加価値=純利益+支払利息+手形割引料+賃借料+人件費+税金

※純利益は企業会計では人件費や利息や税金なども差し引いた最終的な利益であり、差し引く前ならば営業利益や経常利益であるが、国全体では企業会計以外もあるせいか、付加価値の説明においては純利益と記載している場合が多いので私もそのまま「純利益」という言葉を使用している。

GDP(国内総生産)は国内における生産性を示していると言っても良い。
生産をする上で必要な主なもの、紙幣、原材料、労働力。
原材料や動力源(燃料)調達や労働者を雇う紙幣(資金)があり、原材料や燃料や労働力が調達出来て、はじめて生産は可能となる。

・紙幣を持っているか調達できるか  →正金を保有
                  →資産を保有
                  →借金が可能か(紙幣流通量、金利との関係)
・原材料や燃料を調達できるか →国内・近場に資源があるほど調達しやすい
               →原材料や燃料の価格が安いほど調達しやすい
・労働力を確保できるか  →人口が多いほど確保しやすい
             →給料を高くするほど確保しやすい

国も企業も生産が可能となったら効率や利益率を考えて、なるべくそれらが高くなるようにしなければならないが、GDPが生産額から計算されるとするならば効率や利益は正しく反映されない。
沢山作りすぎる、結果が出ないのに開発や研究に膨大な費用を掛けている、借金が多くなり過ぎたり人件費が掛かり過ぎている、これらはGDPを上げる要素でもあるが、経営を悪化させる要素でもある。
そうした良くない経営状態がGDPには「金額の大きさ」としか反映されてこない。
一般には負債も見えない。
GDPが大きいだけで経済大国として優越感に浸るという姿をよく目にするが、企業経営や国家運営の優劣、人々の豊かさは一切表していないと言ってもいい。


人口が多く、その多くの人達が生活していかなければならないとなると、必然的に労働の場が必要となる。労働の場とは生産の場である。
だから人口が増えて生産の場が増えれば、生産額が増え、GDPも大きくなりやすい。
人口が大きくなれば、単純にそれまでよりも需要も増す。
実質GDPは人口が増えただけで大きくなる。
ということで、資源も多く使うし、紙幣を増やすことにもなる。
効率や利益を考えるべきだが、雇用というものを考えると、効率や利益だけに突っ走れないというジレンマを抱えることになる。


このように人口はGDPを大きくする1つの大きな要素であり無視できないものである。
従って国家間でGDPを比較するならば、少なくとも人口くらいは加味したほうがよい。
そこで、1人当たりの名目GDPを見てゆきたい。

計算式は、名目GDP÷人口=1人当たりの名目GDP である。
これが大きいということは1人あたりの生産額が大きいということになるので、人的には効率が良い。1人が価格に与える影響が大きいとも言える。
1人当たりが生み出す付加価値が大きい、1人当たりの生産性が高い、少ない人数で多くを生産できるというようなこと。

【1人あたりの名目GDP(USドル】 (2017年世界人口ランキング)
1位 ルクセンブルク 105,803.13 (163位)
2位 スイス 80,590.91 (93位)
3位 マカオ 77,451.29 (160位)
4位 ノルウェー 74,940.62 (114位)
5位 アイルランド 70,638.26 (118位)
6位 アイスランド 70,332.19 (171位)
7位 カタール 60,804.26 (136位)
8位 アメリカ 59,501.11  (3位)
9位 シンガポール 57,713.34 (111位)
10位 デンマーク 56,444.10  (109位)

ご覧の通り、1人あたりの名目GDPが高い国は、人口はそれほど多くない国ばかり。アメリカだけが例外。
人口が多くなると、1人当たりが生み出す付加価値が下がる、1人当たりの影響力が減少するということを如実に表している。
そんな中アメリカは人口が世界3位という多さでありながら非常に健闘していると言わざるを得ない。
但しGDPは全てがいっしょくたで、1人当たりというのはあくまでも平均。
国としてみれば健闘しているが、国民の端端まで生産性が高いとは言えない。
IT長者など一部の人がGDPの数字に大きく貢献している可能性が高いが、そうだとすれば国内において差が非常に激しい国と言えてしまう。
そうした差の激しさは綻びや軋轢に繋がってしまいやすい。
中国は74位、日本が25位、ドイツは19位、イギリスは24位である。

次のグラフは「1人当たりのGDP」の1980年からの推移である。(2018年以降は予想値)
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前にも載せたこちらのグラフももう一度。
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GDP総額ではずば抜けているアメリカだが、人口も多いので1人当たりのGDPにすると総額ほどの差は付かない。
しかもアメリカが名目GDPを上げてきたのは2009年頃からなのだ。(上のグラフで縦線を引いたところ)
前述したがアメリカはずっと実質GDPのほうが高い国で、物価が抑えられていた国だった。
ところが2009年頃にそれが突如逆転した。
2008年9月にアメリカのリーマン・ブラザースが破綻し、それをきっかけに世界金融危機が起こった。
2009年1月からは民主党のオバマ政権となった時期でもある。
アメリカのGDPが継続して上昇していることには変わりないが、中身は少々というか大きくというか、違うのである。
発表されている数値を信じるならば、アメリカは物価安の恩恵を受けられなくなり、実質(あるべき姿)からもどんどん離れてしまっている状態にある。
他国のことは分からないが、その状態は日本ならば好景気などと言うものである。
しかし人口が多く、しかも差の激しいアメリカで、実質以上に物価が上昇していくことは望ましいこととは言えないのではないだろうか。

中国は現在アメリカに次いでGDP総額は大きいが、人口が飛び抜けて多いので、1人当たりにすると大して大きくはならない。
GDPは純粋に利益を表しているわけではないので何とも言えないところがあるが、それを考慮しても1人当たりのGDPがそれほど大きくないということは、国として経済の国際競争力は思うほど高くないと言えてしまうかもしれない。




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# by yumimi61 | 2018-08-13 15:18
8月7日の記事にGDPのグラフを載せた。
名目GDPと実質GDPのグラフをみれば、日本は概ね物価上昇傾向で推移してきたことが分かる。
しかし皆さんご存知のように、日本は長いことデフレ(デフレは物価の持続的な下落現象)と騒ぎ、デフレ脱却を目標に掲げてきた。
何故かと言うと、それはGDPデフレーター由来ではないかと思われる。

GDPデフレーター
経済学において、GDPデフレーター(GDP deflator)とは、ある国(または地域)の名目GDPから実質GDPを算出するために用いられる物価指数である。
名目GDPと実質GDPはそれぞれ物価変動の影響を排除していないGDPと排除したGDPであるため、その比にあたるGDPデフレーターは、物価変動の程度を表す物価指数であると解釈される。従ってGDPデフレーターの増加率がプラスであればインフレーション、マイナスであればデフレーションとみなせる。

ほとんどの国民経済計算の体系において、GDPデフレーターは名目(nominal)GDPと実質(real)GDPの比を計測する。次の計算式が用いられる。
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名目GDPをGDPデフレーターで割って100倍する(デフレートする)と実質GDPの価額になる。

日本の内閣府の国民経済計算では、GDPデフレーターを直接作成するのではなく、構成項目ごとにデフレーターを作成して実質値を求め、(名目値)/(各構成項目の実質値の合計)として逆算する。このようにして算出されたデフレーターをインプリシット・デフレーター(Implicit Deflator)と呼ぶ


GDPデフレーターは実質GDPを計算する際の物価指数で、消費者物価指数や生産者物価指数とは異なるものである。

計算方法は、GDPデフレーター=名目GDP÷実質GDP×100 である。

しかしながら実際のところ実質GDPが分からないわけである。
現実売買されている価格から分かるのは名目GDPなのだから。
その分からない実質GDPを計算で算出するために、GDPデフレーターを用いる。
すなわち実質GDPの前にGDPデフレーター値を何らかの方法で算出しなければならないというわけ。
(赤字で示したGDPデフレーターと実質GDPが未知なもの)

GDPデフレーターが算出されたら、実質GDP=名目GDP÷GDPデフレータ で実質GDPが算出される。
この実質GDPは物価上昇によって大きくなった分を除去した数値だと考えられている。
GDPデフレーターも実質GDPも計算式はとても簡単なものであるが、そこに当てはめる数値が未知なものなので、別に定義や計算等を必要とし、その手法が世界各国統一されているかは微妙なところだと思う。

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上の日本のグラフを見ると、ピンクの部分が前年比マイナスの部分で、1993~2013年頃までの20年あまりマイナスに位置している。
「失われた20年」と言われる時期にもほぼ一致するような時期である。
第二次安倍政権の発足が2012年末で今日まで続いており、日銀の黒田総裁が就任したのが2013年でこちらも現職にあり。
このお二方は日本のデフレを憂い、デフレ脱却を継続して謳い、「消費者物価の前年比上昇率2%」を目標に掲げ、近頃は達成できないと言っているらしい。
しかしお二人が就任以後はマイナスを脱出している。
また消費者物価指数にしろGDPデフレーターにしろ、発表されている数値を見ていくと2%を全く達成したことがないわけではないので(上のグラフでは2015年が2%であるし2014年も2%近くある)、継続して2%を維持したいという意味だったんだろうか?
前年比が継続して2%上昇ならば、物価上昇(右肩上がり)が止まらない状態になるということになる。

先日掲載した日本の名目GDPと実質GDPのグラフに、GDPデフレーターの前年比がマイナスだった1993~2013年に線を引いてみた。
線内の期間は、東日本大震災の発生した2011年から2013年までを除けば、名目が上にあり、物価上昇期間と見做すことができる。
しかしGDPデフレーターのグラフではこの期間はマイナス成長(最大で-2%だけれども)。
マイナス成長というのは、あくまでも前年と比べてという話である。
震災の前年2010年が-2%でマイナス値が最大だった。そして実質と名目が近づいていた。

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GDPデフレーターの前年比成長率を上げたいならば、名目GDPと実質GDPの差を前の年よりも大きくすればよいのである。
上のグラフで言えば、赤い線と青い線の隙間が大きいほど、GDPデフレーターの数値が大きいということになる。
その隙間が年々広がって行けば、GDPデフレーターの前年比成長率は上がっているということになる。
要するに「実質」(あるべき姿)から遠ざかっていくのが景気が良いということであり、経済が成長しているということになるのだ。


2016年のGDPトップ3
 1.アメリカ 18兆5691億ドル
 2.中国 11兆2182億ドル
 3.日本 4兆9386億ドル
11位から16位の国が千億の単位を四捨五入してGDPが1億ドルとなる国である。

GDPデフレーターが前年よりも2%上昇するというのは、どんなものかというと、

例えば今年、名目GDPが10兆円、実質GDPが9兆円だったとする。(←物価は上昇している状態)
翌年、名目GDPが10兆2000億円、実質GDPが変わらず9兆円ならば、GDPデフレーター(前年比)は2%上昇。

例えば今年、名目GDPが1兆円、実質GDPが9000億円だったとする。(←物価は上昇している状態)
翌年、名目GDPが1兆200億円、実質GDPが変わらず9000億円ならば、GDPデフレーター(前年比)は2%上昇。

例えば今年、名目GDPが10兆円、実質GDPが10兆円だったとする。
翌年、名目GDPが10兆2000億円、実質GDPが変わらず10兆円ならば、GDPデフレーター(前年比)は2%上昇。
翌年も名目GDPは10兆円、実質GDPが11兆円となれば、GDPデフレーター(前年比)は10%下落。

下記緑字は先日書いたものだが、①の要因でDGPが上がれば名目GDPが上がったということになる。
②の要因でGDPが上がるならば、実質GDPが上がったと言ってよい。
②の「製造するのに掛かって当然の費用」とは、原材料費・外注費・機械を動かすための燃料費など・運搬費や保険料などのことで、同じ物を作ってそれらに費やす費用が減少すれば付加価値は上がるわけだが、それは実質GDPが上がったことになる。
そのうえで、実質GDPが名目GDPを上回れば、物価は低下する。
GDPは上がるが、物価は下がる、人々は物価安を享受できることになる。
デフレは持続的な物価下落のことなので、本来1年ごとに上昇や下降を一喜一憂することではない。
1980年から2009年か2010年頃までのアメリカは、GDPが大きくなりながら実質GDPが名目GDPを上回っていた。物価は下がり人々は物価安を享受できていたことになる。
もっともGDPはあらゆる製品やサービスをいっしょくたにしたものなので、あれは安いけれど、これは高い、あれは沢山作ったけど、こちらはそれほど作らなかったということは当然ある。

(控除法なら・・)
製品の値段-製品を製造するのに掛かって当然の費用=付加価値

GDPを上げる要因
 ①製品の価格を値上げする(物価が値上がりした)
 ②製品を製造するのに掛かって当然の費用が減少した

(加算法なら・・)
純利益+支払利息+手形割引料+賃借料+人件費+税金=付加価値

GDPを上げる要因
 利息・手形割引料、賃借料や人件費などは利益が出なくても支払う必要がある。
 要するに生産者の儲けではないが確保しておかなければならない。
 会社ではこれが出ないようでは倒産してしまう。
 すなわち加算法では、人から「借り」が大きくなると、付加価値(GDP)が大きくなっていく。
 控除法においては「借り」が見えていない。





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# by yumimi61 | 2018-08-12 16:21

812

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お盆が近づき、お墓の草むしりをしないと!と思いだし、先日父のお墓に行った。
するとお花が挿してあった。
誰が挿してくれたんだろう・・庭先で咲くようなお花だったのでご近所の方でしょうか。
そういえば・・なんだか父のお墓の周りだけ草がないけれど・・ここは草が生えないんだっけ?いやいやそんなことないなあ、左右は草が大きく成長しているし・・誰かが草むしりしてくれたか除草剤を撒いてくれたのかなあ。
父はお墓をいつも綺麗にしていたらしいので、父が亡くなって、私も時期時期には行っているけれど、夏草の成長は早いから、あまりに草ぼーぼーで父を不憫に思ったのかな。
正直お墓まで頭が回らなかった。
まさか父が幽体離脱墓石離脱!?をして、「まったくあいつは」とか言いながら自分でやったとか?
どなたか分かりませんが、ありがとうございます。



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# by yumimi61 | 2018-08-12 11:18

ジョー・クール

今日私すごい駄洒落を思いついたのですが、ひょっとしたらくだらないかもしれず、あるいは空気が読めないとひんしゅくを買うかもしれず、でなければ、とっくに思いついているけど言わないだけと怒りを買うかもしれませんが、どうか怒らないで下さいね。

やまねー、アメはないっ!

  ・・・わたしちょこっと疲れてる!?



ラグビー日本代表の舞台裏映像が「お願い、殺して!」っておねだりしたくなるモノだったので、あとで売って欲しい 2015年10月29日

舞台裏映像は売れ!売ってくれ!売ってください!

心に種火のようにジンワリと残るラグビー熱。いよいよ今週末は世界一を懸けての決勝戦です。オールブラックスVSワラビーズという、世界一にふさわしい両雄の激突は、2015年の熱い記憶を結び止めるフィナーレとなることでしょう。非常に楽しみです。

2011年も2007年も2003年も見ることは見たけれど、やはり今大会は特別です。ジャパンが大活躍し、旋風を巻き起こし、あと一歩で夢に届かなかったのですから。今までは遠く対岸の祭りとして眺めていたものが、自分たちもその輪に加わって踊れるものなんだと気づかされたから。

文字通り「命懸け」でようやく破った南アフリカをも自陣に縛り付け、ねじ伏せてしまったオールブラックスの強さ。ウェールズ、スコットランド、アルゼンチンとの死闘を鉄壁の守備と驚異的な粘りで勝ち抜いたワラビーズのしぶとさ。それは高く頭上を見上げるものであることは変わりません。いや、コレと互角にやり合う南アによく日本が勝てたな、と改めて震えるほど。

(略)

◆最初から映画監督が侵入していたら絶対に撮れなかったリアルな映像!

ジャパンのスタッフが回すカメラ。手ぶれも多く、解像度は低い。それは「売る」ためではなく、ありのままを「記録」するために入れたカメラなのでしょう。商売など毛頭考えるはずもなく、この4年間の自分たちの努力のすべてと、その結末を記録に残すためだけに。

NHKが入手し、28日の「NEXT 未来のために」で放映されたその映像は、歴史を作る直前の姿から始まります。9月18日、南アフリカとの決戦前夜。選手たちがエディー・ヘッドコーチから桜のジャージを受け取っていく場面は、まだ英雄となる前の姿。アレが起きるなんて、誰も知らなかったときの姿です。

(略)

↓エディーからの選手たちへの檄は、カメラがまわっているという遠慮など何もない戦いへの檄!

エディー:「自分を誇り高く」

エディー:「しっかりとチームに誇りをもち」

エディー:「そして国を誇りに思い」

エディー:「明日は全員のベストが必要だ」

エディー:「国のために」

エディー:「南アフリカを殺しに行く!」

(略)

↓そして選手たちは気合いを入れ直しサモア戦に臨んだ!気合いが入りすぎて、テレビで見せて大丈夫か不安になるレベルで!

<サモア戦 試合前>
リーチマイケル:「間違いなく自分たちはサモアよりいい準備してる」

リーチマイケル:「自分の中の鬼を出して(いこう)」

リーチマイケル:「サモアはまだ“日本の鬼”は見ていない」


リーチマイケル:「今日、すべてをかけて、ぶっ潰そう」

<サモア戦 ハーフタイム>
五郎丸:「今もう(サモアの)首を絞めるところまできているんで」

五郎丸:「しっかり絞めて」

五郎丸:「殺そう!」



鬼が絞め殺しにくるwwwww

あの落ち着いた社会人・五郎丸さんが殺意燃やすレベルまで追い込んでくるから、あんな激しい戦いができるんだなwww

ていうか、このチーム裏では殺す殺す言ってるwww
※太字は元記事で色を変えて強調している部分。私による強調ではありません。

日大アメフト部の問題で潰せが問題になっていたけれど、ラグビー日本代表も殺そうとかぶっ潰すとか物騒なことを言っていたわけでして。
それがオンエアもされていたわけで。
皆さん、それを忘れてしまったのか、知らないのか、なんなのか。
ラグビーに火が付いたと思えば、次は野球で、次はサッカー、スポーツ界も流行り廃りが激しいですからね。


気合を入れているだけだろうと思うかもしれないけど、案外そうでもないみたい。

mixi ラグビーは殺し合い!? 2007年8月28日

最近、近くの高校やスクール行って週末コーチやってるんですが
俺が絶対言う言葉
「殺せ!!!そうないと殺されるぞ!!」

ラックの中の頭突き…モールの中の○ンチ…

時代に合わないコーチだな(笑
でも最後は「ノーサイドの精神」は、徹底しています。
どうでしょう??ギリギリのラフプレー☆
こんなプレーある!!ってのあります??



以下、上記トピに対してのコメント
(モチベーションを上げるために言ってるだけだろうとか、どのみち教育には相応しくないとか、勝たなければ無意味だからラフプレーもある程度仕方ないとか、強豪高校でも褒める指導で基本を丁寧に教えていたとか、いやいやそうでもないとか、いろんなコメントがありますが一部抜粋した)
===============================
・ルール上正当である行為ならば見てる人にとってラフプレーと思われても、やって勝つ必要があるんじゃないでしょうか。もちろん殴る蹴るは反則ですが。
それでも勝ちは勝ちです。いくらクリーンなプレーをしても一点の足しにもなりません。
「負けの美学」は負け惜しみにすぎないように思います。

また相手を殺すのとラフプレーは違うと思います。
相手の芯に思い切りタックルをして再起不能にするのも殺すことだと思いますし。
ラックで相手をつかむとかはラフプレーではなく知恵ではないでしょうか。

・そこそこ高いレベルでプレーした人ならわかるでしょうけど、本当にクリーンなラグビーなんて、存在しません。ただそれが、勝つ為に行うのか、ラフプレー自体が目的なのかで、変わると思います。

何年か前、めっちゃ印象的なシーンが。 神鋼対どこかのチーム。
ラックからSH苑田選手が球出す瞬間、相手FWが寝ながら手を使って阻止。
キレた苑田、狂ったようにあからさまなスタンピング。
その時のレフリー(外国人)が笛吹きながらポイントに走っていく
丸見えのスタンピングで、実況含め観客はどう見ても苑田の反則だという空気
しかし、レフリーは何の迷いもなく相手FWの反則を取る。
苑田は、「当然や!」みたいな感じでチョン蹴り→展開。
ナイスレフリー!と思ったのと同時に、 ラグビーってこういうスポーツなんや、と実感。

・わたくしが現役の時(何年前だ?)には 『潰せ』と言ってたような記憶があります。
ま、ノーサイドの精神を理解していて 且つ、主旨や目的が『スポーツ』であれば 試合中の多少のラフプレーは『有り』かと…

・オレのチームが相手に50ー0で負けたあと、コーチが言ったことが印象的です。
「オマエらにハートはあるのか?ハートっていうのは二つあるんだよ。
一つは、相手を殺すこと。もう一つは、仲間を信じること」
今でも試合前に思い出します。

・『ラグビーは殺し合い』その通りです。
高校の時に試合前に『あいつらをぶっ殺して来い』って言われて、いつも送り出されてました。(練習試合でもです)
大学に入って、試合をした事のある高校の奴と同じチームになり聞くと、同じ事言われてたそうです。
それって、『殺してやる』って思いながらお互いやっていたわけですから、殺し合いって事じゃないかなと…。
振り返ると恐ろしいですけど、当時は洗脳されてましたから、負ける方が怖かった。
試合前に泣く奴も結構いましたよ。それって、勝たなきゃならないプレッシャーと恐怖へのプレッシャーだったと思います。

・大学選手権常連校で主将代行をしていた友人が言っていたのですが・・・
『ラグビーのコーチは汚い言葉を使うものだと考えているコーチがかなりいる。あれじゃラグビーの裾野が広がらないよなぁ~』と。
息子のお世話になっているRSは罵声を飛ばしたりはしませんよ。でも《スピリット》は伝わってます。
元早稲田SHの堀越選手はとても丁寧にコーチングなさるそうですよ(前出の友人談)。
まぁ、私は息子に 『ギリギリまでやれ。反則かどうかはレフェリーが決めること・・・』と言っていますが・・・

・高校時代に当時全国制覇していた高校と練習時代をやった時に、ラフプレーというより、関係ないプレーヤーの邪魔をされたり、汚かった印象があります。
こちらは弱小チームだったのですがなぜかリードしていたために、勝つために必死だったのかもしれませんが、興ざめしました。
レフリーを騙すようなサッカーとは違い、ラグビーは紳士なスポーツであってほしいと思います。

・自分今でも続けてますけど、やっぱりラックとかモールはやりたい放題ですね 
最近よく言われてたのはモールで寝てるヤツは踏んづけていけって指示、一回顔面を思いっきり踏んじゃってやりすぎたかなと焦りました

・殺すつもりでも行くし、死んでも良いぐらいの気持ちでラグビーしてます
一番はボールやろ ラフプレーで相手に怪我させようが俺が怪我しようがどうでもえぇねん
トライ取って勝つ為にしんどい練習してんねんから
怪我なくて負けても、骨折してでも勝ったほうがなんぼか嬉しいわ
でも、怪我なく勝つのが一番やけどな 笑

・ラグビーって格闘技と比べても、マジに「死」に一番近いスポーツじゃないですかね?
密集やタックルのようなコンタクトプレーでは、相手を殺したり怪我させたり、やろうと思えば出来ますよ。
僕のいたチームでは、最初に危険なプレーのやり方を教わりました。
で、「これは絶対にやってはいけない」と教わりました。そして「但し、味方がもしこれをやられたら、やった奴のことは容赦するな。ルールの中でボコボコにやってまえ」とも教わりました。まだ「首へのタックル」も正式には規制されてない頃の話ですが。

僕の一年先輩たちはとある大会で試合の順番待ちをしている時に、ひとつ前の試合で目の前でタックルを受けた他校の選手が後頭部から落ちて「死ぬ」のを見たそうです。
見ていた先輩によれば「タックルした選手は悪くない。あれは受けた方が下手だった。試合に出した監督の責任だ」と感じたそうです。

ラグビーをやるなら「もしかしたら、自分は相手を殺すかもしれない」それと「自分は生きて試合から帰れないかもしれない」ってふたつの覚悟は必要なんじゃないかなぁ?
そう思うから「どんなに熱くなっても、相手の生死に関わるような危険なプレーを絶対にしない」って言えるように思います。
それが「紳士」なんだと思ってます。

・先輩がこの間の試合で、相手のアバラ骨を折って喜んでました。
相手はもちろん退場 こっちは相手チームの主力が一人欠けて、ナイスプレー!
それが成立する団体スポーツってラグビーだけじゃないっすかね~

・そろそろこのトピックのレスも終わりにすべきと感じています。
はっきりいえば不愉快なコメントが多いし、ラグビーを知らない人に誤解を招きます。

以前、僕はこのようなコメントをさせていただきました。
>中学校からラグビーをはじめて、最終的にはクラブでやってました。

>試合の相手ときちんとアフターマッチファンクションをやるような環境でラグビーをやるようなれば、
>あまり、「殺す」「反則にならなければ」「ラフプレー」 なんて発想が無くなって来ますよ。
>(自分がそうでした)
>そうすれば、 ラグビーができること、試合をしてくれる相手がいること、
>そして試合を心の底から集中して楽しむこと、その全てが感謝できるようになってくるのでは。
>こうなってからより一層ラグビーが好きになりました。

>ゾーン?に入った状態では雑念なんか無いです。
>対戦した相手でほんとに強いチームは、みんなが遠い透明な目をしていました。
>ただ、こんなこと考えるようになったのは、大学の終わりのほうから社会人になってからですけどね。

ラグビーはきちんとした練習、スキルのもと、 極限の集中力で行うスポーツだと考えています。
だからこそ、勝利の喜び、どうしても超えられない悔しさ、を実感できるし、そのさきにノーサイドというかけがえのない友情が得られます。

汚い言葉、ラフプレーを容認される方は、自称、高いレベルでやっているのかもしれませんが、結局、人格的にダメなコーチのもとで、部活というせまいローカルルールのなかでの経験ではないですか?
それはラグビーの本当の素晴らしさを味わっていないと思います。
むしろトラウマが残っているのでしょう。 可哀想だし痛々しいと思います。

ばれなければ反則してもいい、勝つためにはラフプレーをしてもいいとう方はどうかラグビーをやめていただきたいです。
コーチなんかもってのほかです。お願いですからやめてください。
いままでのコメントを見返してみてください。
ラグビーを経験したことの無い人がみたらどう思うでしょうか? 異常な人間の集まりですよ。
こんなことがまかり通るのはまだまだラグビーが日本ではマイナーで認められてない裏返しでもあります。

自分は命に関わる仕事をしています。
ラグビーの試合で頚髄損傷になったプレイヤーを知っています。
今も寝たきりですが意識は清明です。
その相手も知っているし、両方の家族も知っています。
その苦しみを想像してみて下さい。
それができないならばラグビーはしないで下さい。

殺す、死ぬなんて簡単に言う人がいますが、(試合前のロッカールームではともかくとして) 病院では老若男女、泣きながら助けてくれと懇願してきます。
ラグビーは素晴らしいスポーツですが、 死人や大けが人を出すことを容認するのであれば、そんなスポーツはなくなってしまったほうがいいと思います。

僕はラグビーが好きですからラグビーがもっと広がって欲しい。
きちんとした練習、本当の意味でのルールの理解、 味方・相手・レフリーに対する尊敬があれば、大怪我のリスクを減らすことができると思っています。

・色んなやつおるな
綺麗ごと言う奴、本音言うやつ、自分の経験言う奴、KYな奴 笑
コメント見てたらおもろいわ 笑




ラグビーの話になると「ノーサイド」と言えば良いと思っているふしがある。
(ノーサイドとは試合が終了したら敵味方がなくなって同じ仲間であるという意味なんだとか。でも英語圏では今はNo sideではなくてFull timeが使われているとか)
敵とは試合が終われば関係を断ち切って仲間にも他人にもなれるかもしれないけれど、味方同士は試合が終わっても仲間だし赤の他人にはなりきれないし、もっと言えば味方こそが一番の敵である。
国際大会に出るには地域や国内の大会で勝たなければならないし、代表選手に選ばれるには熾烈な争いに勝たなければならないし、自分のチームでさえレギュラー争いを繰り広げなければならない。
同じレギュラーだって戦術などに意見の食い違いがあることもあるだろうし、監督やコーチと意見や反りが合わないこともあるだろう。
近いところにいるものほど敵になりやすく、競技を続ける中においては終わりが見えない戦いとなる。
だから敵を殺せとか敵を潰せとかいうことが、そういう気持ちが、試合の相手だけでなく内側の仲間や関係者に向くことだって当然あるのだ。




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# by yumimi61 | 2018-08-09 22:01
2ヶ月ほど前にGDPについて書いた。

付加価値と言うと、「お金で買えない価値がある(プライスレス)」というマスターカードのCMを思い出し、「お金で買えないような何か特別な価値」といったイメージを抱くかもしれないが、マスターカードのCMも舌の根の乾かぬうちに「買えるものはマスターカードで」と言っているように付加価値はもろお金である。

企業がある製品を作った。分かりやすく製品1つを例にとる。
製品1つを5万円で売ったとする。
それを製造するために掛かった費用(原材料費・外注費・機械を動かすための燃料費など・運搬費や保険料など)(言い換えると掛かって当然の費用)が3万円だったとする。
5万円-3万円=2万円、この差額2万円を付加価値という。(控除法)
付加価値を具体的に言うと、純利益・支払利息・手形割引料・賃借料・人件費・税金などがあたる。従ってこれらの額を全部足しても付加価値は算出される。(加算法)

GDP(国内総生産)は日本全体の生産活動における付加価値の合計のことである。
販売額(あるいは生産額)から掛かった費用(原材料費・外注費・機械を動かすための燃料費など・運搬費や保険料など)(言い換えると掛かって当然の費用)を引いた差額のこと。
加算法ならば、純利益・支払利息・手形割引料・賃借料・人件費・税金などを足した額。
控除法と加算法は理論上同額になるはず。
GDPは国の経済力の指標にされている。

でも販売額を基準にするか、生産額を基準にするかで、付加価値(GDP)は変わってくる。

①1個5万円の製品を100個製造。全部売れれば500万円(生産額)。
製造に掛かった費用は1個あたり3万円で、100個分で300万円。
全部売れれば200万円の付加価値が出る。
ところが
②100個のうちの50個しか売れなかった。売り上げは50個分で250万円(販売額)。
製造に掛かった費用は同じ、100個分で300万円。
50個しか売れないと付加価値はマイナス50万円。つまり付加価値どころか等価にすらならない。

①方式で計算すれば利益なんか出ていなくてもGDPはどんどん大きくすることが出来る。
また付加価値に支払利息・手形割引料・賃借料などが入っているのがミソ。
借金をすればするほど利息というものは嵩んでいく。借金大国ではこれもどんどん大きくなっていくもの。


GDP(Gross Domestic Product)の日本語は「国内総生産」である。
全部売れようが売れ残ろうが、生産したものは生産したものである。
売れ残ったとしても作ってしまったものには材料費も人件費もかかっている。
しかし売れなかった場合には決して利益には繋がらない。
生産の大きさ=利益で潤っている、この状態にあるとは限らない。
資産も同じで、富裕層や資産家の資産額にプラスの資産もマイナスの資産も含まれていればよいが、プラスの資産しか表していない場合がある。
1億円の価値の資産があっても、2億円も借金があったら、純粋に資産家やお金持ちと言えるかどうかということになる。

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GDPは国内の生産における付加価値の合計(例えば、日本企業や日本人が外国で生産したものは含まない。外国企業や外国人が日本国内で生産したものは含む)。

(控除法なら・・)
製品の値段-製品を製造するのに掛かって当然の費用=付加価値

GDPを上げる要因
 ①製品の価格を値上げする(物価が値上がりした)
 ②製品を製造するのに掛かって当然の費用が減少した

(加算法なら・・)
純利益+支払利息+手形割引料+賃借料+人件費+税金=付加価値

GDPを上げる要因
 利息・手形割引料、賃借料や人件費などは利益が出なくても支払う必要がある。
 要するに生産者の儲けではないが確保しておかなければならない。
 会社ではこれが出ないようでは倒産してしまう。
 すなわち加算法では、人から「借り」が大きくなると、付加価値(GDP)が大きくなっていく。
 控除法においては「借り」が見えていない。

GDPは理論上、控除法と加算法が同じ額にならなければならない。
借金が増えて加算法でGDPが上がれば、控除法でのGDPも上がらなければならない。
控除法でGDPを上げるには①製品価格が上がるか、②経費(原材料費・外注費・機械を動かすための燃料費など・運搬費や保険料など)が下がるかのどちらか。
②はその時々によって変動があるだろうけれども、継続して大きく下がってくるということは考えにくいと思う。
そうだとするならば、製品の価格を上げるしかない。実際のところ製品には価格を上げるだけの価値が生まれていなくても、設備投資や不動産購入などで借金をしたりてしまったり、労働者の人件費を上げたら、製品価格を上げていかなければバランスが取れない。


売りたいからといって、無暗に数多く作っても、売れなければ赤字である。企業は大きな赤字は避けたい。
企業としても売れそうなだけ作って供給するのがいろんな意味で無駄が少ないのだ。
製品やサービスの黎明期、要するに新しい物が最初から数多く売れるということはほとんどないと思う。
そんな少ない販売数時代に赤字を出さないためには、1つ1つの価格を高めに設定する必要がある。
例えばパソコンは1990年代には20~30万円くらいの価格を付けていた。それ以前にはもっとした。
今では10万円を切った価格でも買える。
要するに新しく生まれる物に対しては「需要が多い(多くの人が欲しがる)と価格が上がる」という一般的な物価上昇理論は当てはまらない。
供給側に労働者がいて十分な生産環境にあれば価格は上がらない。むしろ下がるのだ。
戦後の物価上昇期の中にあっても、冷蔵庫・洗濯機・テレビ、みな普及に伴い黎明期よりも価格は下がっていった。
ところがこういった製品はある時期を境に価格は上がる。おそらく需要が底をつくからであろう。
企業はあれこれ工夫して付加価値(付加機能)を付け価格を上げてくる。
この上げ幅は普及期の下げ幅よりも大きいし急であることが多い。

しかしながらクーラーは1960年代に登場以後、価格の下がり方がにぶかった。ほとんど変わらないような状況だった。需要が増えなかった、それほど普及しなかったということであろう。
1980年代に付加機能を付けるなどして大幅に価格を上昇させた。
そこから少しずつ価格が下がってきたような状況である。

明治以降、あるいは戦後、コンスタントに価格を上げているのは、主食である米(コメ)を筆頭とした食糧、生活必需品、燃料、サラリーマン月給(年収)など。
但し元の値段(単価)が家電品などに比べると低いので、上げ幅は小さい。
でも一般的な需要供給と物価理論に当てはめれば、これらは 需要>供給 になっているということになる。
もう1つこれらの価格が上がる原因として考えられるのは次の式、
製品の値段-製品を製造するのに掛かって当然の費用=付加価値
の「製品を製造するのに掛かって当然の費用」が値上がりしたが、付加価値を同じだけ確保するために製品の値段を上げたということ。


全く同じクーラーのメーカー価格が、今年10万円で、1年後には12万円だったとする。
今年は100台作って、1年後も100台作った。
製品を製造するのに掛かって当然の費用は両年とも3万円だったとする。
1台あたりの付加価値は今年は7万円で、1年後は9万円。
付加価値の総額は今年は700万円で、1年後は900万円である。
全く同じ物を同じ材料費等で同じ数だけ作っても、物価が上がると付加価値額は上がる。
GDPもこれと同じことが言える。

同じ物を同じだけ作っただけだから、物価は様々な要素で動くものだから、物価上昇分の上昇は除いて、価格をなるべく揃えた形で比較しようとするのが実質GDP。
物価上昇分も入れてしまっているのが名目GDP。
上のアメリカがずば抜けているグラフは名目GDPである。


では実質GDPとはどれくらい違うのか。
上のグラフにアメリカの実質GDPを私が記入した。(年ごとに数値を入れて繋げたわけではない大ざっぱな線である)
e0126350_23040649.gif

実質GDPの線が名目GDPの線よりも上にある時は物価は下落していて、逆に下にある時には物価は上昇している。
アメリカは1980年(グラフが1980年から)から2010年頃まで物価の下落が続いていた。
物価は下落しつつもGDPは上昇を続けていたということになる。

次のグラフは日本の名目GDPと実質GDP。
上の方のグラフはUSドルを基準にした数値グラフだったが、こちらは日本円なので、レートによりUSドル基準のものと全く同じグラフにはならない。
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このグラフでは赤い線が名目GDPで、青い線が実質GDPである。
日本は概ね物価上昇しているということになる。





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# by yumimi61 | 2018-08-07 16:10
世界の持続はおおまか次の3つによって決まると思う。

1.資源
2.紙幣
3.人口

資源には人間の身体の資本となる水と食糧、動力源や温度管理のもととなる燃料、工業用原材料となる鉱物や植物がある。
これら資源には限界がある。
人間が人工的に作り出せない資源は増えることはない。必ず限りがある。
循環などによって作り出されるものもあるが、それには気が遠くなるほどの時間が必要であり、急激な変化には対応できないし、循環サイクルを断ち切ってしまえば新たな生成は当てに出来ない。


食糧を作るには栽培や飼育に適した温度や環境、生育期間、従事者が必要である。
昔に比べたら種々の工夫がなされて限界は多少広げられたが、限界を広げるためには燃料や工業製品などが必要で、食料資源を作り出すために他の資源をかなり浪費することになってしまう。

動力源や温度管理のもととなる燃料の不足は言わずと知れたもの。
化石燃料が新たに作り出されるためには見合った環境と膨大な時間が必要となる。ということは、今存在するものが尽きれば、世界は動力源や温度管理のもととなる燃料を失う。
太陽光や風力などの新エネルギーは全く無意味とは言わないが化石燃料にとって代わるものではない。新エネルギーに移行するならば社会のありよう(人々の生活)を大きく変える必要がある。

工業用原材料となる鉱物や植物のうち鉱物は人間には作り出せない。
ただ鉱物はリサイクルが可能なものがある。しかしそれにも結局大きな燃料エネルギーや副原料を必要とするので、やっぱり他の資源を浪費することになってしまう。


人口が増えるほど、紙幣が増えるほど、資源が必要となり消費されていく。
人口が増えたのに紙幣が増えなければ貧しい人は増えていく。
それでは可哀想だと紙幣を増やすと一層資源が消費される。
世界はすでに負のスパイラルに陥っているのではないだろうか。

近年の長者にはIT企業関係者が目立つ気がする。
IT(information technology)はコンピューター・インターネット・携帯電話などを使う情報処理や通信に関する技術のこと。ICT(情報通信技術)とも言う。
基本的にITは人材や技術、意識、情報といった無形の要素で成り立つ(ソフト)。
施設や設備、機器、道具といった形ある要素がメインなのはハード。従来の企業や工業というのはハードである。
IT企業は従来のハード企業に比べると資源を用いない。
資源を仕入れる費用(材料費)、設備投資費や人件費(大量に製造するためには大規模な機械や多くの労働者が必要)が比較的必要ないので同じだけ売り上げたとしても利益が出やすい。

材料関係会社と幅広く取引きを必要としないことや、ハード企業ほどの労働者が必要ないこと、また現実的に労働に携われる人材が限られてくること(誰でもが出来ることではない)などから、労働者の雇用という観点では社会貢献しない。雇用し給料を支払い面倒をみて多くの人口を育てるということは出来ない。

アメリカのアップルという会社は人気こそ高いかもしれないが(それも一部だけではないか?日本だけ異常とか?もういい加減下火になってる?)、ハードにも手を出しているので利益を上げにくいはずなのだ。
ソフトなのかハードなのか、Webサービス会社なのか、小売会社なのか。最初から何か1つに特化するということをしなかった。
それはある意味自由で魅力的ではあるかもしれないが、他と競争しつつ利益を上げていくという面では不利でもある。

アップルの時価総額が1兆ドル(約112兆円)を超えた世界初の上場企業となったとの報道が先頃なされたが、アップルという企業の時価総額が高くなる合理的理由が見当たらない。
特別に効率よく利益を出せる事業を行っているわけでもないし、特別に先行きの明るい将来性ある企業でもないと思う。
その会社が殊更高く評価される理由が分からないのだ。
投資家はアップルという会社の何をどう評価しているのだろうか。




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# by yumimi61 | 2018-08-06 13:35
HUFFPOST 2017年01月17日
この8人の大金持ちは、世界人口の半分と同等の資産を持っている Chitose Wada


貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」は1月15日、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表した。トップ10の大企業の収益の合計は、下位180の貧しい国々の収益以上だという。

報告書は「99%のための経済」というタイトルで、17日から始まる世界経済フォーラム(WEF:通称ダボス会議)に先駆けて発表された。経済誌フォーブスの長者番付や、スイスの金融大手クレディ・スイスの資産動向データを元に調査が行われた。

フォーブスの長者番付によると、上位8人の億万長者は以下の面々だ。
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1位:ビル・ゲイツ(マイクロソフト社創業者)
2位:アマンシオ・オルテガ(スペインの実業家。ZARA創業者)
3位:ウォーレン・バフェット(投資家)
4位: カルロス・スリム・ヘル(メキシコの実業家。中南米最大の携帯電話会社アメリカ・モビルを所有)
5位:ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)
6位:マーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)
7位:ラリー・エリソン(オラクル創業者)
8位:マイケル・ブルームバーグ(前ニューヨーク市長)

報告書によると、上位8人の資産は合計で4.26兆ドルで、全人類の下位半分の資産に匹敵する。
プレスリリースは、報告書について「大企業と超富裕層が税金を逃れ、賃金を下げ、政権に影響を与えることによって、いかに格差の広がりに拍車をかけているかを詳述している」と解説した。

報告書は、富裕層トップの多くが自らの富を維持・拡大するために、多額のお金を積んでロビイストを雇っているなどと指摘。さらに、タックスヘイブンなどの税金逃れも所得格差の拡大の原因のひとつだとして、裕福な個人と企業の税率の引き上げや、法人税を引き下げるような国家間の競争の取りやめを求めている。


紙幣が現実に存在する金(ゴールド)を裏付けにしていれば、青天井に紙幣が増えることはなかった。
しかし世界はその制限を外してしまった。
良識ある者の懸念を拭い去るがごとく無制限に紙幣は増大し、やがて人々はその紙幣に操られるようになっていった。

全人類の半分(世界人口の50%)の資産と同等の資産をたった8人の長者たちが持っている、これは確かに凄いことである。
でももし世界人口が今の半分でしかなかったら、彼らの資産は世界人口の25%に匹敵したことになり、その影響力は少し弱まる。
(例えるならば、1人の長者の資産と対等になるには5人が必要だった時、人口が半分になれば2.5人で済むということ。5人集まらないと対抗できなかったものが、2.5人で対抗できるとなれば、それだけ彼らの資産の影響力が及ぶ範囲が小さくなる。長者以外の人の1人1人の力が大きくなる)
もっと人口が少なければもっと差は小さくなる。
このように人口が少なくなっただけで、長者たちの持つ資産比率(資産影響力)は目減りする。
商売的な成功を考えても、おそらく人口が少ない方が不利なので、そういう意味でも差は付きにくいかと思う。

こういう考え方も出来る。
世界の多くの人に匹敵するような資産を僅か数名で持っていてけしからん、そう言いたいならば世界人口をどんどん増大させたほうがよい。
世界人口を増やせば増やすほど彼らを悪人に仕立てることができる。


長者1人が100万を持っている。(1人100万円)
庶民100人が100万円を持っている。(1人1万円)
   ↓
長者1人は変わらず、庶民が200人に増えた。
   ↓
長者1人が100万を持っている。(1人100万円)
庶民200人が100万円を持っている。(1人5,000円)
   ↓
長者1人は変わらず、庶民が400人に増えた。
   ↓
長者1人が100万を持っている。(1人100万円人)
庶民400人が100万円を持っている。(1人2,500円)
   ↓
差が付き過ぎたということで、中央銀行が1人5,000円レベルまで引き上げようと100万円を投入
(投入しないで人口が増えればどんどん差は開いていくばかり)
   ↓
だが能力や情報や経験値の差、すでに持っている資産量の違い、今の社会システムでは、投入分が長者に持って行かれてしまい、結局庶民1人当たりの金額は然程増えずに、長者はさらに資産を増やすということになり得る。





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# by yumimi61 | 2018-08-03 15:13
・採点競技って難しいですね。

・密室な受験合否判定も難しいですよね。

・裏で何が蠢いているか分からないし。

・実は口が裂けても言えないことがあって、あー見えて(どう見えて?)案外裏方に徹していたりして。

・サッカー界も誰かJFA(日本サッカー協会)のチーム登録制と選手登録制に物申してほしい。
実は私、少年サッカー事情として記事にしたことがある。

2012年9月2日『奇跡』
こうした少年サッカー人気を背景に昨今の中学校サッカー部は特別な事情を抱えている。
かつては、スポーツ少年団でサッカーをやっていても、中学生になったら学校のサッカー部に所属するのが一般的だった。
野球などは今でもそうだ。
小学生のリトルチームは沢山あるが、中学生年代を対象にしたクラブチームというのは聞いたことがない。
プロ野球チームの下部組織もない。
中学生になったら学校の野球部に所属する。

サッカーにはクラブチームとJリーグジュニアユースがある。
どちらもセレクションはあるが、昔に比べてクラブチーム数が増えたために門戸も広がった。
この地域の例でいえば、平均以上の実力があれば、どこかしらのクラブに入れるような感じになってしまっている。
これの何が問題かといえば、中学校の部活とクラブチームでの活動が両立できないこと。
サッカーは全年齢を通して登録によって管理されている。
公式の大会に出場するにはチーム登録、選手登録が必要。
クラブと部活の両方で登録して両方の大会に出場するということは認められていない。
どちらも試合は土日に組まれるので物理的にも無理である。

クラブチームを選んだ時点で部活には入部しないというのであれば話しは分かりやすいがそうではない。
クラブチームも夜間や休日に練習はあるが、部活動のように放課後毎日というわけではない。
そこでクラブチームに進んでも部活動の練習には参加するという状態になる。
しかし幾ら練習に参加しても中学のサッカー部として大会に出場するわけではない。
部活組とクラブ組はモチベーションが違う。
個人競技ならともかくチームの連携を必要とするサッカーでは練習方法にも悩む。
そのあたりに配慮してクラブチームに進んだ生徒の中には陸上部などに籍を置く子もいた。
これは陸上部でも嫌がられたようだ。
陸上競技をする気はないのだから当然といえば当然だ。
とある中学校ではクラブチームに所属する生徒の入部を顧問が拒否したところ親が怒って問題になり、顧問と校長が飛ばされたらしいという噂もあった。
とにかく非常に扱いが難しい。

・それとも逆にプロ野球球団が下部組織(ユースチーム)を作れないことに問題あり?

・みんながみんなスポーツで生計を立てていくプロ選手を目指しているわけではないし、みんながみんなアマチュアの祭典(←古い?)オリンピックを目指しているわけでもない。
スポーツを単にスポーツとして楽しむ喜びや、仲間と勝敗を分かち合い成長していく醍醐味を奪わないでほしいと思う。

・高校野球界では甲子園(全国高校野球選手権大会)が憧れの地で別格みたいに扱われているけれど、上記のように高校サッカー界では高校の部活サッカー部に選手登録していない高校生がいるので、国立(もう国立でもないし?)(全国サッカー選手権大会)の優勝なんて大したことないという雰囲気が無きにしも非ず。格付け社会というか格差社会というかが小中高生までに浸透していたりする。

・スポーツ少年団の指導者はほぼ無償で指導に携わっている。指導専門なんて人はおらず、現役世代ならば当然平日は仕事をしている。自分の休日を利用しているのだ。
少年団の運営に携わる保護者も同じく。
なかには役員等に限らず車当番やお茶当番も出来ない、したくないという理由で子供を辞めさせる保護者もいる。
それを酷いというのは簡単だが、よくよく考えれば親の都合で子供が自分のやりたいことを出来ないなんてことはスポーツに限ったことでもない。
お金がなくてやらせてあげられないことや買ってあげられない物はあるだろうし、子供が1日中遊んでいたいと言っても学校に行かせ宿題やらせ塾に通わせる。
また大人の忙しい、煩わしいという気持ちも分からないではない。スポーツ集団や地域の集団という距離の近い密な閉鎖的な関係に息苦しさを覚える人がいてもおかしくはない。

・とにかく昨今は、スポーツに限らず無償で何かすること、俗に言う「ボランティア」を嫌う人が多いのだ。
有償であっても引き受けたくない人もいる。
【ボランティア】
ボランティア(英: volunteer)とは、自らの意志により参加した志願兵のこと。反対語は「強制徴募」。奉仕活動をする人のことは「チャリティー」の項目を参照すること。
英語の volunteer の語の原義は志願兵であり、徴集兵を意味する drafts とは対義の関係にある。この語は、歴史的には騎士団や十字軍などの宗教的意味を持つ団体にまで影響を与えた。十字軍の際には「神の意思」(voluntas) に従うひとを意味した。
英語圏では、現在も本来の語義どおり志願兵あるいは義勇兵の意味で、この語が使われている。なお voluntary とは、自発的であるさまのことである。


・「ボランティア 強制」で試しに検索をかけてみてほしい。
ボランティアと強制労働を混同する人達と、本当の利他を実現する企業
職場での強制ボランティア命令は法的に問題ありますか?
東京オリンピックに無償ボランティアがタダ働きと炎上!まるで兵役!戦時の強制動員!東京五輪は中止!
強制されるボランティアはボランティアではない。(町内会とPTA)
労働 : パワハラや解雇などの労働問題への対処法 暗黙の了解に基づく半強制参加のボランティアが労働と認められるかどうかの判断基準とは?
東京五輪、ボランティアは強制参加の可能性も……知られていない「招致活動中にもあった強制連行」
PTA不要!出来ない人に強制させるボランティア団体なんて死滅しろ!
PTAの最大の問題点は強制ボランティアということ
強制につながらないのか?国がボランティア促進のため大学などへ授業の繰り上げ対応を通知
ボランティア活動しないのは「悪」なの?
csrとしてボランティアを強制する企業は逆に好感度下がりますか?

自分や家族が属するごくごく身近なところの奉仕活動さえ嫌なのに、どうして災害時には「ボランティア」がそんなに集まるのか。
嫌な人も参加する人も所詮僅かな部類の人だから?

・東京など都市に人が集中するのは、もちろん便利なこともあるだろうけれど、希薄な人間関係を求めている人が少なくないからなのでは。

・地方や田舎ほど、現代の若者よりは高齢世代ほど、人間関係が緊密で義理堅いであろうと思う。
貰ったりあげたりの最後でいるには耐えられない性分という人もいる。(つまり貰った状態でいたくないということ。お返しせずにはいられない。借りを作っておきたくないというような)
「人に何か頼むのにタダでは頼めない」と言う人も少なくない。
だから選挙応援でお金がばら撒かれたりしてしまうのだ。
でも選挙応援に関しては取り締まりが厳しくなって、昔ほどはそういう意識はなくなったみたいだけれど。
ふるさと納税だって、ある意味「人に何か頼むのにタダでは頼めない」精神でお返しするんだろうし。
災害時のボランティア(奉仕活動)もいろいろと心配になる。「お返しボランティア」するから大丈夫とか?





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# by yumimi61 | 2018-08-02 15:36
・某会長御用達、明治アーモンドチョコレート。
私はちょうどこの間、「アーモンド入り高カカオチョコレートが身体に良いんだって」と話しているのを聞いたところだったので、そうかぁ某会長も明治チョコレート効果72% 素焼きクラッシュアーモンド派なんだなあと思っていたのですが、やっぱり昔ながらの明治アーモンドチョコですかね?

・明治アーモンドチョコと明治マカダミアチョコは透明フィルムに巻かれていなくて、最初なんとなく心細かった。軽包装は別にいいんですけれどね。

・プロモーターが用意するコンサートツアーの楽屋ケータリングも正直怖い。

・会社とかいろんな集まりでコーヒーを出したりすることがあると思うのです(これも旧習でしょうかね?)。
それで、ちょっとお偉い方のコーヒーやミルクの使用の有無やコーヒーの濃さの好み、コーヒーダメなどといったことを給湯室等にメモしておくことがあります。
だけど個人的には「今日はブラックの気分」とか、「今日は甘甘甘めが飲みたい」という時があるんですね。
だからいつも変わらず杓子定規に同じ物を押しつけるのも親切そうでいて、実はそうでもないのかなあなんて思うこともあります。

・学校の先生の家庭訪問なんかもそうだと思うけれど、仕事で家庭訪問や会社訪問した時などにお茶を出してくれることがある。迎える側ならば空茶もなにかなあと思いお茶を入れることがある。
仕事で出向いているのでお茶はいらないとは思うけれど(学校なんか予めそう通知している場合がある)、暑い日なんか思いのほか美味しかったりする(笑)。
学校から用意しないで下さいと予め通知されれば私は本当に用意しないけれど、後でうちではケーキ食べたとか聞くと少なからず動揺する(笑)。
でもお茶はトイレが近くなる問題とか、いろいろな問題もある。
訪問先で飲食しないことなどお達しが出ている場合や割り切って一切口を付けないという人もいるけれど、私はお茶を出されると全く口をつけないのも申し訳ないような気がして、全く飲まないということが出来ない。(でも逆の立場では立場が分かるので、それはそれで何とも思いませんけれど)
お茶ひとつなのに・・人間関係って難しい。



前記事では年収について書いたが、年収からは税金が引かれる。
税金を引かれ過ぎるという愚痴は、低所得者からも高所得者からも聞かれる。
税金が少ないと社会保障が危うくなり、国の赤字体質も改善されることはないが、募金や寄付やボランティアに積極的でも何故か皆さん税金というものはお好きではないご様子。
では税金はどれくらい引かれるのか。

【所得税の税率】
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「課税される所得金額」は年収のことではない。
年収から給与所得控除額と所得控除額(基礎控除・配偶者控除・扶養控除・医療控除・生命保険料控除・地震保険料控除・寄付金控除など)を引いたものが「課税所得金額」である。
サラリーマンの場合、給与所得控除額は年収に応じて決まっている。
また所得控除の基礎控除38万円は誰にでも該当する。

年収420万円のサラリーマンの場合で、所得控除が仮に基礎控除しかない場合

①年収420万円-給与所得控除額138万円(年収に応じた額)=給与所得額282万円

②給与所得282万円-基礎控除38万円=課税所得額244万円

課税所得額244万円は税率10%のところに該当する。

③課税所得額244万円×所得税率10%-控除額9万7500円=所得税額14万6500円

税額控除(住宅ローン控除など)があると所得税額からさらに控除されるが、このケースではなしとする。

④所得税額421万2,600円-税額控除(なし)=差引所得税額14万6500円

従って所得税は年間14万6500円支払うことになる。

2013年から2037年までは、所得税に復興特別所得税2.1%が上乗せされる。
差引所得税額14万6500円×復興特別所得税率2.1%=復興特別所得税額3000円(100円未満切り捨て)

14万6500円+3000円=14万9500円 ・・・納めるべき所得税

この所得税額は年収420万円の3.56%ほどである。

所得税のほかに住民税がかかる。
住民税は①の給与所得額から基礎控除33万円(他に配偶者控除や扶養控除がある人はそれらも控除)を引いた額のおよそ10%ほど。
このケースでざっくり計算すると25万円。

日本の平均所得に近い420万円の年収では、支払うべき所得税と住民税は合計で実質年収の10%ほどである。


年収1075万円のサラリーマンの場合で、所得控除が仮に基礎控除しかない場合

①年収1075万円-給与所得控除額220万円(年収に応じた額)=給与所得額855万円

②給与所得855万円-基礎控除38万円=課税所得額817万円

課税所得額817万円は税率23%のところに該当する。

③課税所得額817万円×所得税率23%-控除額63万6000円=所得税額124万3100円

この年収ならば基礎控除以外にも該当する控除が結構あると思うので、もう少し税額は下がると思うが、ここではなしとする。
従って所得税は年間124万3100円支払うことになる。

2013年から2037年までは、所得税に復興特別所得税2.1%が上乗せされる。
差引所得税額124万3100円×復興特別所得税率2.1%=復興特別所得税額2万6100円(100円未満切り捨て)

124万3100円+2万6100円=126万6100円 ・・・納めるべき所得税

この所得税額は年収1075万円の11.78%ほどである。
住民税はざっくり計算して82万ほど。
所得税と住民税合わせて年間209万円。これは年収の19%ほどである。
基礎控除以外に控除されるものがあれば、もう少し比率は下がる。

●年収が2000万円の場合
計算は省くが、所得税が430万1000円。年収の21.5%ほど。
ざっくり住民税が175万。
合わせて605万円ほどで、年収2000万円の30%ほどとなる。
こちらも基礎控除以外に控除されるものがあれば、もう少し比率は下がる。


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日本の所得税の最高税率(45%)は諸外国に比べて決して低いものではない。
しかしながら所得税は年収×税率という単純な計算で決まるわけではないので、単なる税率比較はあまり意味がない。
グラフは実効税率(実質的な比率)を比べたもの。
同じ年収で同じ税率だとしても、人によって、家族形態によって、条件によって、所得税額は変わってしまうものだが、グラフのケースは夫婦と2人の子供という家族形態。そして共働きではなく方働きのケース。それ以上の条件は不明。

日本は年収1000万以下の人の所得税は諸外国に比べて低い。
年収が上がるにつれて上がっていくが、昨日紹介したように日本では年収1000万以上の給与所得者は4%ほどしかいないのである。
大部分の人の所得税は外国に比べると少ないと言えてしまう。
イギリスやドイツでは、日本の平均年収400万円程度の人ならば、所得税だけで年収の10%を超える。

税金の他に、社会保険料(健康保険料や年金)も支払っているではないかと言われれば、まあその通りである。
そこで次のグラフは社会保険料も加味したもの。

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企業も利益に対して税金を支払い、従業員の社会保険料の半分あまりを負担している。
国民所得とは税金や社会保険料を引かれる前の国民の所得(年収)と企業の利益を合わせたものである。
日本の場合は国民や企業が稼いだお金の半分近くが税金と社会保険料に充てられていることになる。それでもヨーロッパに比べると低め。
アメリカは個人主義なところがあり国が主体の皆保険や皆年金が整備されきれていないので、社会保険料の負担が少ない。
その代わり個人や企業が保険を掛けていたりするので、個人レベルでそうした支出がないというわけではない。
保険をかけていない人は莫大な医療費で破産してしまうこともある。
社会保険料(健康保険や年金)の負担はあっても、自分や家族の医療、親の年金など、その恩恵にも与っていることも間違いない。




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# by yumimi61 | 2018-07-31 14:39
テレビを見ていると「年商64億円!」などと、年商アピールしている時があるじゃないですか?
そんなとき私はついつい思ってしまうのです。「営業利益はどれくらい?純利益は?」と。

年商というのは会社や個人が1年で売りあげた金額である。経費が引かれる前の金額。
64億円の売り上げ(年商)があっても、材料費や人件費、広告宣伝費などの経費が65億円かかっていたら営業利益は出ていないということだから、事業や会社運営を見直す必要がありそうである。
64億の年商で65億円の経費で事業(本業)は1億円の赤字、だけどこの年は不動産売買で10億円得したという場合には9億円の黒字となる。そこから税金が引かれて純利益となる。
もし前から借金をしていたとするならば、その返済金も引かなければならないので、純利益はもっと減る。
「年商」では、その人が商売で成功しているのか、富裕層なのか、何なのか、さっぱり分からない。


野球選手などでお馴染みなのが「年棒」。
「年棒」は「年収」のことである。
野球選手だけでなく、年棒制を採用している会社や年棒制のサラリーマンもいる。
年棒制だからといって1年の最初にまとめて支払われるわけではなく、年棒額を12等分した額が月々支払われる。
ボーナス(賞与)が年棒の額に含まれているのか、別途出るのかどうかはそれぞれの賃金規定や雇用契約書による。
月給制の場合、月ごとに給料の見直しが可能だが(実際にはあまりないと思うが会社業績などによって途中で変更可能)、年棒制は月ごとには変えられない(1年の報酬を割ったものだから)。

サラリーマンの年棒で注意しなければならないのは残業である。
年棒は残業(時間外労働)代込だと思っている人が少なくないが、残業代は別である。
労働基準法では、法定労働時間以上の労働に対しては、年俸とは別に時間外割増賃金(残業代)を支給しなければならないことが定められている。

これまでの残業代の規定から外れてフリーになれるというのが「高度プロフェッショナル制度」(高プロ制度)である。
対象者は年収1075万円以上の専門職ということだが、専門職って?高度?っていう話である。


ともかく「年棒」は「年収」のことを言っているが、細かい違いはある。
「年収」にはボーナスも残業代も含まれる。手当ては含まれるものと含まれないものがあるが、多くは含まれると考えてよいと思う。
「年棒」にボーナスが含まれるか含まれないかはそれぞれの賃金規定や雇用契約書による。残業代は含まれないで別途支給される必要がある。
年棒はあくまでも業績や能力によって決まる報酬なので(何歳だから勤続何年だからということに縛られないもの。業績給の正反対にあるのが公務員の給与体系)、年棒制になると生活扶助的な手当てというものは削除される(そもそも出なくなる)傾向にある。


残業代というのもミソで「みなし残業(固定残業代制度)」というものがある。
給料(月給でも年棒でも)の中に予め一定時間分の残業代を含ませておく制度。
賃金規定や雇用契約書に「月〇〇時間の残業を含む」と記載されている場合には、その時間分の「みなし残業代」が支払われる。
実際の残業時間が「みなし残業」として決められた一定時間を超えない場合にも支払われるものである。
その代わり、一定時間内の残業に対しては、次の賃金が支払われない。一定時間を超えたら支払われる。

①労働基準法で定められている週40時間を超える時間外労働に対する割増賃金
②夜10時から朝5時までの深夜割増賃金
③ 休日に仕事をすることに対しての割増賃金

普通に考えればそれくらいの残業はするのが当然だと考えているから予め上乗せしてあるんだと思うし、そもそも「みなし残業代」分が基礎給から予め引かれている。もともと基礎給が通常よりも低く設定されているので、一定時間内の残業をしても給料は増えないし、一定時間に満たないのに「みなし残業代」を支払う会社も別に損するわけではない。


「みなし残業」が必要な職種は、オンオフが曖昧な外回りの営業職、自分のペースで行ったほうが効率の良い開発職や研究職など。
会社が規則で「みなし残業」を定めていて、それが労基法を逸脱したものでなければ、それ以外の職種にも合法的に適用できる。
しかしながら現実には、みなし残業分を超える残業をしても、超えた部分に関して残業代が支払われていない事例が後を絶たない。


使われる労働者にとって、そんなに美味しい話は転がっていないのが現状である。
だから雇用されている労働者が年収1000万円超えるということも実はあまり多くない。
月給50万円(年棒600万円)くらいの人がボーナスは別に年200万円くらいは支給されて、且つ残業をしっかりして1000万円を超えてくるような感じである。
すなわち高度プロフェッショナル制度の対象者はもともとごく僅かと言わざるを得ない。


年収が1000万以上の人の比率(表は年収ガイドより) 
※国税庁「民間給与実態統計調査」をもとにした数値
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調査は民間企業(源泉徴収義務者、自営業者の場合は義務者である場合とそうでない場合がある)の従業員が対象で、公務員は対象外。
全数調査ではなく標本抽出である。従業員の人数による層ごとに抽出率を定め事業所を抽出。さらにその事業所から従業員を抽出する(2000万以上の給与所得者は全数調査対象)。
例えば2016年は、標本事業所数が27,916で、回答事業所数が20,874で、回答率を計算すると74.8%ほどとなる。調査対象となった給与所得者は31万2309人。
2016年の1年を通じて勤務した給与所得者の平均給与額は422万となっている。

上の表の全体の人数とは、民間企業で1年を通じて勤務した給与所得者の総数である。役員も含まれている。1年を通じて勤務したとしても日雇い労働者などは含まない。
2016年の年収1000万以上の割合は4.28%だった。
2000年頃に比べると割合は減っている。


労働基準法では「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者」を時間外労働等の適用除外者に定めている。
要するに残業代が支払われない人。
今現在の年収1000万以上の人(4.28%)の中に適用除外者がどれくらいいるんだろうか。
もともと残業の適用でなければ高プロ制度には無関係である。

技術開発職など残業が非常に多く残業でかなり稼げてしまった時代には「管理職になると残業代が出なくなって給料が減る」と、下手な管理職への昇進は良し悪しな雰囲気があった。
でも一応「管理監督者」にも定めがあり、それに該当しなければ残業代は支払われるべきものである。
管理監督者になったからには残業代は付かないが、それ相応の基本給や手当て、ボーナスなどが出るはずで、逆に管理監督者になってそれらが良くならなければ残業代は貰うべきものであるということである。

(1) 管理監督者とは、一般的には、部長、工場長などの労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある社員のことをいい、役職などの名称にとらわれず、実態に即して判断しなければならないこと。

(2) 職制上の役職者のうち、労働時間や休憩、休日などに関する規制の枠を超えて活動することを要請せざるを得ない、重要な職務と責任があり、現実の勤務態様も、労働時間などの規制になじまないような立場にある社員に限ること。

(3) 一般的に、企業においては、職務の内容と権限等に応じた地位(以下「職位」)と経験、能力等に基づく格付(以下「資格」)とによって人事管理が行われている場合があるが、管理監督者の範囲を決めるにあたっては、かかる資格及び職位の名称にとらわれることなく、職務内容、責任と権限、勤務態様に着目する必要があること。

(4) 定期給与である基本給、役付手当などにおいて、その地位にふさわしい待遇がなされているか否か、ボーナスなどの一時金の支給率、その算定基礎賃金などについても役職者以外の一般社員に比し優遇措置が講じられているか否かなどについて留意する必要があること。




サラリーマンで残業の適用除外者でなく年収1000万を超えてくるという人は僅かしかいないはずである。
その僅かな人に残業代出さないで働いてもらうための制度が高プロなんだろうか。
高度な専門職って医師ではどうですか?
こう見れば年収は確かに良いけれど、医師は残業も多い。年収には当然残業代も含まれている。
もし残業フリーになったらどうなるんだろうか。全ての残業代込の年棒制となる?
2016年末で医療機関に勤務している医師は約30万人。この全てが年収1000万円以上ということはないが、2016年の年収1000万円以上の人は約208万人なので、全体の10%くらいは医師ではなかろうか。

表は平均年収.jp「勤務医師の平均年収」より
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※勤務医師の平均年収(29年度厚生労働省統計より算出)
年収:1696万円(厚生労働省調べ)
月収:106万円
大学病院の医局に進んだ場合は、 医科長で2192万円といわれています。
開業医になると平均で平均年収は2800万円~4000万円台と大幅に増えます。



この社会は、優等生となり受験戦争を勝ち抜け(優等生であってもコネクション等々にコロリと負けてしまうこともあるでしょうけれども)、コンプラに忠実に品行方正に働いても、驚くほど稼げるわけではない。
年収が高ければ残業や責任が付いて回り、自由な自分の時間が減り、心身への負担も大きくなる。(自分の時間が出来るとストレスになる人もいるでしょうけれども)
かといって給料だけで富裕層の仲間入りするのはなかなか難しそう。
そんな厳しい現実を前に、若者が描く夢とは?




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# by yumimi61 | 2018-07-30 15:21
・台風が逆走をしているということで思い出す自動車の逆走。
パイパス道路を下りる時に、左側に側道に向かう車線が出てくるじゃないですか?
あれがほぼ本線に平行に走っているので、一瞬左に下りた車線が本線左側で、自分が走っている本線の左側の車線が右側の対向車線のような気がしてしまう時がある。
前を走る車がいないと、「私もしかして逆走コースに入ってる?」とちょっとドキドキする時がある。

・常々不思議に思うのは平常時に自動車で橋から落ちる人がいないこと(それをあまり聞いたり見たりしたことがないこと)。
自動車事故ってあちこちで起きるものだけれど、橋の上で起きて欄干突き破って川に落ちる自動車やそれに巻き込まれて下に落ちる人がいないのは何故なんだろ。道路に対して橋が少ないから確率的に少なくなるだけなんだろうか。
橋の上を通る時はいつも少し緊張する。

・少し前、運転中に物凄い雨に遭遇したことがあった。
私の前に1台車が走っていたのだけれど、ウィンカーを出して自販機があるところで車を寄せて停車した。
こんな雨が降っているのに買うのか!?と怪訝に思い、その車を追い抜きバックミラーを見た(前を見てなさい?)。
するとその車はすぐに発進してきた。なんだ先頭を避けただけかぁ。大雨や大雪の先頭も前が見えにくいので嫌なものである。決して煽ってません。

・やっぱり少し前、運転中に物凄い雨に遭遇した。
どれくらい凄いかというと、ワイパーのハイスピードがほとんど無意味な程度の雨です。(この時は前にも後ろにも車がいたけれど、前がよく見えない状況なので皆速度を落として走っていた)
あの雨を「バケツをひっくり返したような雨」と言っていいのか悩む。
気象庁では1時間雨量が30mm以上50mm以上の「激しい雨」を「バケツをひっくり返したように降る」と表現している。屋外の様子は「道路が川のようになる」、人への影響は「傘をさしていても濡れる」、車に乗っていて「 高速走行時、車輪と路面の間に水膜が生じブレーキが効かなくなる(ハイドロプレーニング現象)」。
で、その上は1時間雨量が50mm以上80mm未満の「非常に激しい雨」で「滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)」。屋外の様子は「水しぶきであたり一面が白っぽくなり、視界が悪くなる」、人への影響は「傘は全く役に立たなくなる」、車に乗っていて「 車の運転は危険」。
その上は、1時間雨量が80mm以上の「猛烈な雨」で「息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる」。あとは非常に激しい雨と同じ。
私の感覚では「猛烈な雨」でもよかったんだけれど・・・。
その日群馬県のある地域に記録的短時間大雨情報が発表されていたことを後で知った。時間的にも同じ感じだったけど、地域は全然違うところ。



前前記事でHNWIと紙幣量について書いた。
HNWI(high-net-worth individual)とは、主な居住用不動産、収集品、消費財、および耐久消費財を除き、100万ドル以上の投資可能な資産を保有する富裕層のことである。
どんな豪邸に暮らしていて、その豪邸の評価額(時価総額)が高くても、それが居住用であるかぎり、投資可能な資産とは見做されない。
富裕層とは生活や遊興以外に注ぎ込める多くの資産を持っている人のことである。

資産は不動産や株式で保有していることが多いだろうということも書いたが、不動産価格や株価は「物価」とは少々違うものである。
物価の基本は需要供給のバランスで、需要増で供給減ならば物価は上昇する。
需要増が起こりやすいのはお金(紙幣)を持つ人が増えた時。
物やサービスに対する需要が乏しければ物価は下がりやすいし(需要減は自然淘汰につながる)、物やサービスが十分に供給されている状態でも物価は上がりにくい。
しかし不動産価格や株価は需要供給とは違う要素で上がったり下がったりする。
多くの国民(消費者)とは関係ないところで価格が動いてしまうのだ。
不動産価格や株価の上昇が起こっていることを景気が良いとするならば、その「景気の良さ」は多くの国民(消費者)とは関係ないものである。


株価はともかくとして不動産価格には関係しているのではないか?
では、あなたは自分が所有している不動産に自分で価格を付けますか?
自分の所有物を売りたいと思った時や自分が作った物を売る時、本来価格を付ける権利を持っているのは所有者や製造者である。
その価格が馬鹿高ければ売れないし、低すぎれば自分が損をする。
もちろん、高くても売れる、低くても売りたいというような例外もあるが、この世の中に多くの人間がいて、世の中がその関係性や比較で成り立つならば、適当なところで価格は落ち着いてくる。無謀な価格は一般化されないはず。「神の見えざる手」によって調整されるということ。

しかし不動産には評価額というものがあり、それに誘導されてしまう。
例えば土地の評価額。
土地の評価額には幾つかあるが、一番基本になるのは「公示地価・基準地価」。

①公示地価・基準地価
国または都道府県が1年に1回公表している価格。国が公示する公示地価は不動産鑑定士2名が決定する、都道府県の基準地価は不動産鑑定士1名で決定できる。
とはいっても公のものなので、不動産鑑定士が自由に鑑定するのではなく、評価方法というのは決まっていて鑑定士によるバラつきは少ないと思われる。「バラつきが少ない」の言い方を変えれば「精度が高い」と言うことになる。
細かなマニュアルに則ったほうが精度は上がるだろうが、その精度とは結局マニュアルを作る中央が保証するものであり、中央集権化されたものである。この場合、見えざる手を持つ神は中央ということになる。
平均が30点の学校でも、50点の学校でも、80点の学校でも、バラつきが少なければその平均は精度は高いということになる。

公示地価は公共事業に使う土地の取得の基準価格の算出のためと、一般消費者の土地を売却する際の基準価格にするために付けている。
公共事業に使う土地とは、基本的には都市計画法によって定められた都市計画の区域内の土地となる。
基準地価は都市計画に入っていない土地を対象とする。


②路線価
課税の基準となる評価額として作られたのが路線価。
国税局長によって定められ、毎年公表される。
相続税や贈与税の基となるのが「相続税路線価」。
固定資産税や都市計画税・不動産取得税・登録免許税の基となるのが「固定資産税路線価」
路線価調査をもとに決定するものだが、金額の目安としては「相続税路線価」が公示地価の8割で、「固定資産税路線価」は公示地価の7割ほど。


この公示地価というのは日本独特の制度である。

日本「独特」の公示地価制度は、土地の財としての性質の特殊性、それに関連して現実の取引において情報の非対称性(取引当事者の持つ情報の格差)等を含む特殊な取引事情が見られることに深く関連している。
日本の場合、プライバシーや守秘義務に関する懸念、現実の取引価格の正常性への懸念(適正な価格を形成する市場を持つことの困難さ)等から、土地の取引価格情報の公開が進まず、鑑定評価の手法により求められた適正な価格を公示して指標とするという制度が整備された歴史がある。
日本不動産鑑定協会は、本制度を「世界でも珍しく、これこそ我国独特の文化と言えましょう」としている。


日本における20世紀後半の地価高騰として、最初に、1960年前後のものが挙げられる。この地価高騰を背景とした、公共用地の取得費の増大、投機的な土地取引等による国民経済、国民生活への影響が重大な問題となった。そこで、合理的な土地価格の形成を可能とするために、1963年に不動産の鑑定評価に関する法律が制定されるなど、前提となる不動産鑑定評価制度の定着を待って、1969年制定の地価公示法に基づき1970年から地価公示が行われている。

その次の特筆される1970年代の地価高騰に伴う混乱を契機に、国土利用計画法(1974年制定)に都道府県地価調査が定められ、地価公示との相互の連携も進められた。1990年代(バブル景気)の地価高騰に伴う混乱の間には、土地基本法制定もあり、評価手法である鑑定評価にも変化があった。


どういうことかと言うと、オープンで自由な市場を提供しても、情報格差や秘密主義、正義・道徳の欠如などから、「神の見えざる手」による調整は効かないということである。=適正な価格を形成する市場を持つことの困難さ
ということは、「神の見えざる手」はどんな市場でも有効なわけではなく、それが機能するには一定の条件が必要であるということにもなる。


土地には公に決定した基準となる価格があり、それに引っ張られるとはいえ、市場価格が全くないというわけではない。
実際に売買されている価格を実勢価格という。
民間の市場に対して必ず公示価格で取引しなければならないという拘束力はない。
従って不動産バブルともなれば、この実勢価格が跳ね上がる。
そしてここにも「卵が先か鶏が先か」のように、「公示地価が先か実勢価格が先か」というような関係性がみられる。

実勢価格が市場価格というならば、その価格ば需要供給で決まるかと言えば、その点についてはそうとは言い切れない。
1つの物を10人の人が欲しがれば、2人の人が欲しがっている時よりも物価は上がりやすい。
明らかに、需要>供給 だからである。
でも1つの物をたった2人の人が欲しがっているだけなのに、半ば青天井に値が釣り上がってしまうことがある。オークションなどではよく見られる光景である。
1つの物を1人が欲しがっているだけなのに、もっと言えばその1人も別にどうしても欲しいわけでないのに、高い値で購入するということもあるだろうと思う。
情報格差、他人の話を鵜呑みにする、社会やその場の雰囲気に呑み込まれたり流される、冷静さを失い感情的になる、競争心や虚栄心が煽られる、騙し騙されるなど、需要供給以外にも値を上げ下げする要素はあり、これが適正な価格を形成する市場を持つことの困難さにも繋がっている。

不動産鑑定士が行う不動産鑑定評価額は当然民間にも存在するが、評価手法には違いがあるかもしれず、評価ミスも否定は出来ず、また実勢価格とは乖離してしまうことも十分あり得る。

でも不動産価格でそいうことが起こりやすいのは大都市の商業圏が主である。
もっともバブル期にはリゾート地などでも不動産価格が高騰した。しかしバブル崩壊後は酷い有様になった。
大都市の商業圏の不動産やリゾート地の不動産なんて誰もが欲しいわけでも買えるわけでもなく、買ったところで・・といった感じであろうから、市場といっても元々がかなり限られた市場であり、その意味からもバブル景気の「景気の良さ」なんて多くの国民とは関係のないものである。

紙幣の総量から考えればむしろ国民の仕事や給料は減って然るべき事態である。
不動産や株式には元々の価格があった。見合った対価というものが存在している。
1億円のビルを建てるならば、1億円の紙幣が必要なのだ。
1億円のビルの対価1億円は、簡単に言えば材料費と建設労働者の給料と建設事業主の利益であろう。(労働者の給料を減らせば利益を多くすることが出来る、利益を多くすると労働者の給料は減る)

例えば、社会に出回っている紙幣は、1億円ビルを10棟建てる分だけ(10億円)とする。
途中で不動産バブルが起こって、それまで1億円で建ったビルが2億円になったとする。
4棟まではすでに建っていた(4億円)。残りの6億円では6棟建てるのはもはや無理である。
同じ紙幣量では3棟分の労働者と材料屋さんには紙幣は回らないのである。(だからバブルは憂慮すべきこと!)
紙幣を回すようにするならば増幣するしかない。中央銀行が6億円を投入すれば(世の紙幣は全部で16億円となる)、1棟1億円の時と同じだけ材料屋さんや労働者にお金が回る。
こうして10棟のビルは建ったがバブル崩壊。ビルの時価は7000万円となってしまった。
16億円の紙幣が世に出ているがビルの資産価値は7億円。差額は9億。
この9億が材料屋や労働者に分配されるかと言ったら、それはない。
だけどだぶついた9億円が急に消えてなくなるわけでもない。その9億円を持っている人がこの社会には存在しているはずである。




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# by yumimi61 | 2018-07-29 11:26

矛盾撞着

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# by yumimi61 | 2018-07-29 01:39
ZUU online 日本の富裕層人口が1年で1割増 富裕層が多い国ランキング
キャップジェミニ調査


2017年、HNWI(100万ドル以上の投資可能な資産を保有する富裕層)の総資産が、初めて70兆ドルを突破したことが明らかになった。株式の強気相場に後押しされ、HNWIの資産増加率は10.6%と6年連続で増加。2025年には総額106兆ドルに達すると予想されている。

HNWIの人口・資産はアジア太平洋地域が北米を追い越し、過去最高の620万人、21.6兆ドルを記録。富の分散にはかなりの偏りがみられ、米国・日本・ドイツ・中国が世界のHNWI人口の61.2%を占めた。

インドにおけるHNWI拡大は継続、日本・中国も好調
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(画像=Nejron Photo/Shutterstock.com)

キャップジェミニが2018年6月19日に発表した「World Wealth Report 2018」によると、2017年のHNWIの資産増加速度は、2011年に次ぐ早さだ 。好況と株式市場が追い風となり、GDPは3%増、世界市場の時価総額は21.8%増だった。

北米・欧州・アジア太平洋地域で富の増加がみられたが、HNWI人口成長率の74.9%、資産増加率の68.8%は北米とアジア太平洋地域によるもの。

特にアジア太平洋地域のHNWI人口成長率は12.1%(2016年から4.7ポイント増)、資産増加率は14.8%(6.6ポイント増)と3地域中最大の伸びとなった。HNWI人口は620万人、資産総額は21.6兆ドルと、全世界のHNWI人口の34.1%、資産の30.84%を占める。

アジア太平洋地域のHNWI人口の71.5%、資産の65.9%を占める日本と中国は、人口と資産がそれぞれ10%以上の成長・増加で堅調さを維持。

欧州ではアイルランドが急成長、英国はEU平均以下に転落
欧州におけるHNWI人口は2016年から2017年にかけて7.3%増、資産は7.8%増。アジアや北米ほどの勢いには欠けるものの、総体的には順調な伸びだ。

最も好調だったのはアイルランド で、HNWI人口は15.3%増、資産は16.3%増。企業の時価総額は21.2%増え、不動産産業も11.9%の伸びを記録した。

欧州最大の経済市場ドイツのHNWIは資産を7.6%増やし、5.2兆ドルに。不動産は 4.5%の伸びで、前年より2.4ポイント減。不動産が成長しているのはイタリアとフランスで、前年の1.3%から2.7%へと伸びている。

一方、英国の人口増加率と資産増加率はEUの平均(7.3%、7.8%)を大きく下回る1.2%増、2.1%増と、不調さが目立つ。不動産の伸びも前年比3.4ポイント減の-0.1%と、マイナス水準へと落ち込んだ。

HNWIが最も多い10カ国
HNWI人口が最も多い10カ国を見てみよう。各国・地域のHNWI人口から、富が世界中にまんべんなく分散されているのではなく、経済大国に集中していることが分かる。

10位 イタリア 27.4万人  0.45%
9位 オーストラリア 27.8万人  1.13% ⑤
8位 カナダ 37.7万人  1.04%
7位 スイス 38.9万人  4.63% ①
6位 英国 57.5万人  0.88%
5位 フランス 62.9万人  0.97%
4位 中国 125.6万人 0.09% 
3位 ドイツ 136.5万人  1.66% ③
2位 日本 316.2万人  2.49% ②
1位 米国 528.5万人  1.62% ④


主な居住用不動産、収集品、消費財、および耐久消費財を除き、100万ドル以上の投資可能な資産を保有する富裕層をHNWI(high-net-worth individual)と定義している。
100万ドルを日本円にすると2017年の年平均レートで1億1660万円。
簡単に言えば1億円以上ということになる。

どうですか、これ。(どうですかと言われても・・ごもご?)


上の記事内に赤字でパーセンテージを入れたのは私です。人口比です。
実数ではアメリカが1位だが、その数が人口に対してどれくらいの割合かとみると、1位はスイスで、日本は2位である。
前にも書いたけれど、人口は国籍を有しているとは限らない。仕事のために滞在している移民を含めるものである。



投資可能な資産とは主に不動産や株式や債券であろう。
現金(貯蓄)でももちろん構わないが、1億円からの現金を持っていたら投資のお誘いがあると思う。
何十億円や何兆円保有している人の1億ならば現金で持っていたってよいけれど、1億円保有している人の1億ならば投資(運用)を勧められたり行うのではないかという話。

不動産や株式では時価総額というものがあり、価格は上がったり下がったりする。
同じものを変わらず同じだけ保有していても、去年よりも資産額が増えることも減ることもある。
だから資産が増えたということは、必ずしも資産の数量が増えたというわけではない。
不動産バブルで不動産価格が上昇すれば、株式市場が好調で株価が上がれば、売買しなくとも資産額は自動的に上がる。(もちろん下がる局面もあるからそれを見越して売買などしたりするわけだけれど)


大卒のサラリーマンの生涯賃金は2~3億円くらいと言われる。
ということは1億円は一生働かないで暮らせる金額ではない。
定年時の退職金(現在退職金制度のある企業は75%くらい)の平均額は大卒者で2000万円をやや超えるくらいらしい。(大卒と言っても企業によって大きく差はあるだろうし、一時金や年金としてなど支給方法により金額に差があり)
老後資金に必要なお金は2000万とも3000万とも5000万とも言われる。(独身か夫婦か、何歳まで生きるか、持ち家か借り家かなど、条件によって違うので何とも言えないところはある)
1億円ってもちろん大金だけれど、こう考えていくと、それほど莫大な金額でもない。


その莫大な金額でもない1億円という資産を生活費や遊興費に注ぎ込んでしまったらそれで終わり。
使い終わった時点で富裕層から脱落してしまうわけである。
1億円以上の資産を持つ人がずっと富裕層に属していたいならば、チャレンジや特別贅沢をせずに今までの生活を維持して1億という資産を後生大事に持ち続けるか(とはいっても時価総額などで目減りすることはあるのだけれども)、その1億円で稼ぎだして雪だるま式に増やしていくことを狙うかのどちらかになる。
1億というライン付近にいる人は、もっと上の富裕層から比べると資産に余裕がない。投資をして増やしたいのはやまやまだが、投資に失敗すれば脱落するというボーダーにいるとも言える。



日本では長期金利さえマイナスになるほどなのだから、日本人の富裕層が日本で1億円貯金しても全然得はしない。
株式ならば配当利回りが上手くいけば5%くらいになるかもしれない。
1億円の資産を株に投資して、上手くいったとして、1年で500万円くらいの配当ということになる。
日本のサラリーマンの平均年収は400万円くらいだけど、1億円を株式に投資すれば、それくらいの配当をもらえる可能性があるということ。
400~500万円は年収に匹敵するほど大金ではあるけれど、仕事を辞めて1億円の株式配当だけで暮らしていけるかと言ったら、それはかなり心許ないことで、贅沢な生活とは無縁となることは間違いない。
沢山の金利や利ざやを稼ごうと思ったら(ハイリターン)、ハイリスクになることは避けられず、儲かれば資産は増えるが、失敗すれば資産が吹っ飛ぶこともあり得る。
揺れる想い~♪
1億円の資産を持つ富裕層ってなかなか微妙なところにいる。

そうはいっても、もしも1億円の資産を持っているだけで1年5%の利回りで稼ぎ出せるとするならば、無い人とは大違い。
5年後には2763万近くも資産が増えることになる。
1億
1億500万円
1億1025万円
1億1576万2500円
1億2155万625円
1億2762万8156円


■1億円の資産を持つ人が1人(資産とは別に年収は1000万)、資産はない年収500万円の9人が暮らすコミュニティと仮定する。
このコミュニティにおいて給料に必要な資金は5500万円。給料に必要な資金は、コミュニティに出回る資金と言っても良い。
5年間10人は全く昇給せずに年収に全く変化がなかったとしても、1億円の配当に2763万円ほど充てなければならない。
5500万円から2763万円を差し引けば、給料に使える資金は2737万円しか残らない。
1000万円もらっていた人の年収は498万円、500万円の年収だった9人はそれぞれ249万円ほどしか支給できない計算となる。

「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」という聖書の一節はまさしくこのこと。
キリスト教というのは結構真理をついている。
金儲けや金利を悪としていたのは、金利というシステムは社会を破綻に導くからだったんだと思う。
金は悪と謳う当の聖職者たちが金にまみれてしまい、宗教改革などの一大騒動に繋がったわけだけれども。

投資運用というような労働と関係ないところで稼ぐ人が増えると、あるいはその金額が増えると、世に出回っている紙幣量の関係でこのような影響を社会に与えてしまうということになる。
年収を下げないで配当も支払うならば、紙幣量を増加させる以外になくなる。
1回紙幣を増やせば解決するものではなく、「投資運用というような労働と関係ないところで稼ぐ人が増える」という現象が変わらない限り、紙幣を増やし続けるしかなくなる。




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無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。(yumimi61)

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# by yumimi61 | 2018-07-27 14:56
サッカーにはオフサイドというルールがある。
一番後ろの選手の位置で横に引かれた線がオフサイドラインである。
(本当の一番後ろはゴールキーパーなので、後ろから2番目にいる選手ということになる。多くはディフェンスの選手。でもゴールキーパーやディフェンスが他の選手よりも前に出ることも全くないとは言えないけど。とにかく後ろから2番目にいる選手)
横に引かれた線と言っても、センターライン(ハーフウェーライン)とかサイドライン(タッチライン)のように目に見える線ではないし、動かない線でもない。
選手の位置によってオフサイドラインは常に動く(だけどオフサイドラインがハーフウェーラインより上がることはない。つまりオフサイドラインが有効なのは自陣内ということ)。

パスを出す選手がボールを蹴った瞬間、つまりボールに足が当たった瞬間、パスを受け取る選手やボールに向かう選手がオフサイドラインを超えてゴールポスト寄りにいてはいけない。(蹴った後に飛び出るのは良い)
言い換えれば、一番後ろのディフェンス選手よりもゴールポスト寄りにいてはいけない。
超えていると審判に「オフサイド」というファウルを取られ、間接フリーキックとなる。
ライバルがいないところで得点なんかするものではない、という紳士の教えなのかしら?

ディフェンスの選手はこのオフサイドラインを上げたり下げたりコントロールすることができる。。
子供のサッカーなどでも試合中に監督やコーチから「ラインを上げろ」との指示が出ていることがあるが、あれはディフェンスラインのことで、戦術の1つである。
ラインを動かすことによって相手のフォワードなど攻撃陣を置き去りにすることなども出来る。
ディフェンスの選手は守るという役割からして比較的背の高さやフィジカルの強さ(身体的強さ・当たりの強さ・当て方の上手さ)が求められる。
オフサイドラインのコントロールではそれがいらない。本格的に接触しないうちに対処するのだから。
頭脳プレーというか回転の速さ(見極めの素早さ)で可能。
日本人などは外国選手に比べると体格がどうしても劣りがちなので、ラインコントロールが重要な戦術となる。
何かの大会で意外な国やチームが勝ちあがっていっているような場合には、ディフェンスの上手さが光っている場合がよくある。

なんで急にサッカーの話をしたかと言うと、直接戦わなくても有効な方法(あるいはダメージを負ってしまうこと)があるということを言いたかったから。
サッカーを例にとったのはW杯後であるからして、分かりやすいのではないかと思ったから。


一昨日まで記事にしていた気温と湿度関連で言えば、熱中症。
かつては熱射病と日射病と言われていた。
熱射病は主に屋内などの高温環境にいて発症した人、日射病は屋外の日差しにあたり発症した人という区分にあった。
深部体温が上がり体温調節機能が働かなくなった状態で、生命危機に直結している。
今は深部体温が上がるという本来の熱中症以外にも脱水症、ヒートショック、脳貧血、過呼吸(過換気症候群)、貧血や低血圧、めまい症、パニック障害などが暑い日に起これば「熱中症」として扱われていたりする。
同じことが起こっても、暑い日でなければ熱中症としては扱われない。
これでは深部体温の上がった人(熱中症重症者=かつての熱射病と日射病)やその手前にある人が増えていなくても、熱中症となる人が増加するのは当たり前のことである。
熱中症が増えたのではなく、熱中症の概念を広げたからである。

過呼吸の集団発生は過去に何度も起きている。
個人が過呼吸に陥る原因は様々。マラソンや水泳などの運動直後だって過呼吸になる。
集団発生が起こるのは学校生活の場が多く、特に女性に多い。
学校で女性が集団で発症しやすいのは、他からの影響を受けやすい、他人の話や見たものをそのまま信じやすい、他者や環境に合わせやすい、雰囲気に呑み込まれやすいなどの特徴があるからではないかと考えられている。
パニックやヒステリー(キーキー怒るのがヒステリーというわけではない)とも関連している。その場にいたり見たり聞いたりするだけで体調に変化が現れるほど不安や興奮が伝播することがある。

学校の朝礼や集会で倒れたり気分が悪くなるという子は昔も今も季節関わらず一定数いる。
倒れる子は「貧血」と言われたりするが、学校の朝礼や集会で体調不良になるのは血液中の赤血球やヘモグロビンが不足している貧血ではない。脳貧血(迷走神経反射)である。
急激な自律神経失調によって、血圧や心拍数(脈拍)が低下し、一時的に脳に十分な血液を送れなくなる状態。
これが発汗による脱水と末端血管の拡張によって起これば、熱失神(とその手前の体調不良)ということになるが、起こる原因は様々で脱水や末端血管の拡張によって引き起こされたとは限らない。
ストレスやショックや不安を感じていることが多い。
もちろん暑さも人によってはかなりのストレスになるが、人が集まっている状態にストレスを感じる人もいれば、たまに見る校長先生や物々しい雰囲気、先生のとげとげしい緊張感にストレスを感じる人だっているだろう。
ここで何か起きたらどうしようと思うことが原因になることもある。
病院などでは採血時や注射時になる人もいるが、それは自分に何か(例えば針)が向かってくるということが大きなストレスになっている。
当然痛みもストレスになるが、直接何か起こっていない状態でも人は実際に体調変化を来たしてしまうことがある。


皮下脂肪の多い肥満体型の人はたっぷりエネルギーを溜めこんでいるように見えるし、実際ある程度はそうであると言えるが、水分に注目すれば体重における水分率は下がる。だから普通の人よりも脱水が起こりやすい。
元の水分はが同じくらいだったとしても体重(体脂肪)が多い分だけ水分率が減少するからである。
また脂肪が保温効果を発揮するので、普通の人よりも体温は上がりやすい傾向にある。服を多めに着ていたり布団を巻きつけているような感じ。
体温調節が働けば体温の上がり過ぎを防ごうとして汗をかく。
そこで水分を取らなければ元々水分が少な目なのだから脱水リスクはさらに高まる。


これを人口で考えてみる。
人口の60%が移民ではない国民だとする。移民は40%。
人口10,000を万人とすれば、国民が6,000人、移民は4,000人。

①2,000人の移民が流入したとする
→人口12,000万人、国民6,000人、移民6,000人。
移民の比率は40%から50%にアップする。

②20,000万人の移民が流入したとする
→人口30,000万人、国民が6,000人、移民は24,000人。
移民の比率は40%から80%にアップする。

このように国民が全く増えなくても人口が増えることは可能。
国民が何一つ変わらなくても、移民が増えれば、その比率は大きく変わってしまう。
比率が上がれば、いろいろなところで、それはとても無視できるようなものではなくなってくる。
民主主義は多数決の社会でもあるので、人数の多い方が標準とされやすかったり、優遇されたりされやすい。
これを体脂肪の多い人の話にあてはめれば、体脂肪が移民で、水分が国民ということになる。
蓄えている体脂肪(移民)がいざという時に役に立つこともあるが、水分(国民)の蓄えが少ないがゆえに脱水によって危機に陥ることもある。また脱水が起こらないにしても体脂肪の多さは脱水以外のリスクとなる時もある。




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# by yumimi61 | 2018-07-26 13:43
先日私は東京と前橋の戦後と戦前の月平均気温を計算した。
戦前7年分(10年ごと)の気温と、戦後7年分の気温(10年ごと)を積算し、7で割ったものを平均とした。
幾つか個数の数値を足して(積算し)、その総和を個数で割って出す平均のことを「相加平均(算術平均)」と言う。
小学校で習う一番一般的な平均である。

「相加平均(算術平均)」 
●5人のテストの点数の相加平均
Aさんー40点、Bさんー100点、Cさんー70点、Dさんー80点、Eさんー50点
(40+100+70+80+50)÷5=68点

高校生だったら知っていると思うけれど、平均の出し方はそれだけに限らない。

「相乗平均(幾何平均)」 
●縦5㎝・横20cmの長方形(面積100㎡)の面積を変えずに縦と横の長さを平均化したら、縦10cm・横10cmとなる。
√(5×10)=√100=10

単に5cmと20cmの「相加平均」ならば12.5cmだが、その平均とは違う数値となる。
相加平均は足し算で、相乗平均は掛け算する。
相乗平均は経済指標となる数値の計算などに用いられることが多い。GDP(国内総生産)の計算にも相乗平均が使用されている。

「二乗平均平方根(root mean square, RMS)」
●2人のテストの平均
ひまわり小学校 Aさんー0点、Bさんー100点 ・・相加平均は50点
あさがお小学校 Aさんー50点 Bさんー50点 ・・相加平均は50点

ひまわり小学校とあさがお小学校の生徒の点数は全然違うのに相加平均では同じ点数になってしまう。
ひまわり小学校では0と100という両極端な点数にしたが、こうした極端なケースの場合には、実態、要するにばらつき具合を相加平均は全く反映できていないということになる。

0点という極端な点数が存在するため、100点という完全な出来が過小評価されてしまう。
0点と100点ではばらつきが大きいから。
「二乗平均平方根」では次のようになる。極端なばらつきが是正されたということになる。

ひまわり小学校  √(0²+100²)÷2≒70.7
あさがお小学校  √(50²+50²)÷2=50

ひまわり小学校 Aさんー50点、Bさんー100点の場合には、「相加平均」は75点、「二乗平均平方根」では約79.1点となる。

「二乗平均平方根」は物理学や電気工学などの分野で用いられることが多い。

「調和平均」
●駅伝で往路復路ともに42kmだったとする。
往路は1人で4時間、復路は8人で2時間で完走した。
往路は時速10.5km、復路は時速21kmの計算となる。
往路復路の平均時速は、(10.5+21)÷2=15.75ではなくて、84km÷6時間=14km/時となる。


それぞれの平均は次のような関係で成り立っている。
二乗平均平方根≧相加平均≧相乗平均≧調和平均

昨日は測定機器や測定値の問題について少し触れたが、測定機器の精度が素晴らしくても、「平均」というものは計算の仕方で高くなることも低くなることもある。
どのように判断し、どんなサンプルを取り、どの数値や方式を使用し、どのように見せるか、最後は人次第なところがある。


🏃余談だけど、オリンピックのマラソンは駅伝にしたらいいのに。
1人で走るよりも時間が短縮されるはずだし(暑い時期の走る人や観覧する人の負担が減る)、出場選手を増やすことができるし、リレーみたいにそれこそ国別対抗みたいで盛り上がると思う。
ワガクニニハソンナニチョウキョリセンシュガイマセン?
人数が足りない場合には一人で走ってもいいことにすれば。ねえ、いいよね、それでも?ただ時間切れはあるけど。


都道府県格付研究所 年平均相対湿度ランキング
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相対湿度は、蒸気圧と飽和蒸気圧との比をパーセントで表したものです。1日24回の観測値から日平均相対湿度を計算し、これから算出された年平均相対湿度を使用しています。
最上位から、1位は島根県の77%、 2位は宮崎県の76%、 3位は青森県の75%です。
最下位から、47位は群馬県の60%、 45位は東京都の62%、 同じく45位は山梨県の62%です。


算出方法を説明しているようでいて、いまひとつ良く分からない。
気象庁のデータを使用したのか、独自に計算したのか。
日平均からどうやって年平均をだしたのか。
【出典】年平均相対湿度:2014年  と書いてあるので、2014年データのようだ。
そして年平均相対湿度を偏差値にしている。

受験生にはお馴染みの偏差値は集団の中の位置を表す数値である。
平均を偏差値50として、それよりどれくらい上か下かに位置しているのかが分かる。
平均よりも数値が上ならば偏差値は50以上になるし、平均より下ならば偏差値は50未満となる。
平均や数値分布はその時々によって変わるものなので、1つの平均(受験生ならば自分の得点や平均点)の推移だけを見ていても、本当の位置や変化は見えないので偏差値が用いられるが、結局大元も「平均」を使うことには変わりなく、その大元の平均にはどれくらい意味があるのかということも考える必要がある。


真ん中あたりが一番多くて、左右両脇に行くほど少なくなるというバランスの取れた分布を標準正規分布という。
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正規分布 N(μ, σ2) からの無作為標本 x を取ると、平均 μ からのずれが ±1σ 以下の範囲に x が含まれる確率は 68.27%、±2σ 以下だと 95.45%、更に ±3σ だと 99.73% となる。
正規分布は、t分布やF分布といった種々の分布の考え方の基礎になっているだけでなく、実際の統計的推測においても、仮説検定、区間推定など、様々な場面で利用される。


だが標準正規分布になり得る可能性が高いのはサンプル数(標本数・調査数)が非常に多い場合。
都道府県の数やらクラスの人数くらいではダメである。
テレビでよく示している調査のサンプル数もとにかく少なすぎる。
あれでは誤差のない事実に近い結果が出る確率は非常に低いと言わざるを得ない。
視聴率とか選挙速報とかも、統計学的には言えば、甚だ疑問である。
テレビの選挙速報(予想)と実際の結果が違ったということがほとんどないのが、これまた不思議な現象である。

正規分布が統計学上特別な地位を持つのは中心極限定理が存在するためである。中心極限定理は、「独立な同一の分布に従う確率変数の算術平均(確率変数の合計を変数の数で割ったもの)の分布は、もとの確率変数に標準偏差が存在するならば、もとの分布の形状に関係なく、変数の数が多数になったとき、正規分布に収束する」というものである。このため大標本の平均値の統計には、正規分布が仮定されることが非常に多い

クラスの人数くらいでは使えないが、多くの生徒が受ける全国模試ならば大標本ということで正規分布の利用も許容できるといった感じ。
だが問題はサンプル数だけではない。

前述のごとく自然界の事象の中には、正規分布に従う数量の分布をとるものがあることが知られている。しかしそれは必ずしも多数派というわけではない。19世紀ではさながら「正規分布万能主義」といったものがまかり通っていたが、20世紀以降そういった考え方に修正が見られた。今日においては社会現象、生物集団の現象等々、種別から言えば、正規分布に従うものはむしろ少数派であることが確認されている。例えば、フラクタルな性質を持つ物は正規分布よりも、パレート分布になることが多い。
人間は自然界の事象とはちがって自分の意思をもっているため、たとえば、子供の成績などは決して正規分布にはならない

しかし、そもそも理論上、正規分布の x の値は負の無限大から正の無限大まで取れるのに対して、多くの事象は最小値(例えば比例尺度におけるゼロ)と最大値(例えばテストにおける100点満点)が予め定まっている場合があり、そのような事象が完全な正規分布に従うとするには無理がある(その際はcensoringつまり打ち切りを考慮したり、対数正規分布を用いたりするとより正確な確率を求めることが出来る場合がある)。



先日、私は日本の両端である北海道と沖縄の年平均相対湿度が高いと書いたが、2014年データの上の地図ではそれほどでもなく、本州の両端の湿度が高い。
北海道に関しては日本では断トツ広いので、沿岸部と内陸部では違いが出るかもしれない。沿岸部では年平均70%を超えていたりする。
これも前に書いたことだが、都道府県とは具体的にどこなのかという問題も隠れている。
県庁所在地1箇所のデータなのか(気象庁の観測点が県庁所在地にない都道府県もある)、幾つかのデータを平均化したものなのか、それによって解釈や精度も変わる。
データを集めた場所は比較に耐えられる場所なのか、データを集める場所の選択が目的に対して妥当なのか、気温や湿度を上げ下げする要因は1つではないので非常に慎重に選ばなければならないし、仮説などを検討することは非常に複雑な作業となる。

こちらは年平均気温。やはり2014年データ。
夏に最高気温が高くなる埼玉県・群馬県・山梨県の関東甲信地方の内陸コンビは年平均気温は高い方ではない。偏差値50未満の平均以下の年平均気温ということになる。
同じく内陸で暑くなりやすい東海地方の岐阜県は平均か平均をやや上回っている。
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次は年間日照時間と年間快晴日数。
夏に最高気温が高くなりやすい、埼玉県・群馬県・山梨県・岐阜県の内陸コンビは年間日照時間が長い。夏に稼いでいるのか、それとも平均的に長いのかは、ここからは分からない。ただ年間日照時間が長くても年間平均気温は高くない。
埼玉県は日照時間と快晴日数ともに、この年は最高だった。
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では降水量はどうだろうか。
埼玉県・群馬県・山梨県・岐阜県の内陸コンビの降水量は平均以下。それほど多くないことが分かる。
降水量は通常は雨だけではなく雪も含めるものだが、それでも多くない。
関東の水がめの群馬県でも年間降水量はそれほど多くないということになる。まあこれは1年限りの結果だけれども。
北海道や東北、甲信越などの豪雪地帯を抱える都道府県の降水量があまり多くないというのはちょっと意外かもしれない。
先日豪雨被害を被った広島県や岡山県などもこの年の降水量は多いほうではない。
ということは、降水というのは、年のばらつきが大きいものなんだろうか(降る時と降らない時が極端なんだろうか)。
降水量は台風の影響が大きいのかな。
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# by yumimi61 | 2018-07-24 15:30
今日はうちの庭(木陰1.5m・下は芝生)の気温も40℃を超えました。
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でも実は今日は家にいるぶんには昨日よりもずっと過ごしやすい。
昨日の午後はエアコンを使ったが、今日はエアコンなしで平気。(あくまでも個人の感想・体感です。各地の温度や湿度、体質や慣れ等それぞれみな違います)
今日は朝から風がいつもより強めに吹いており、風の違いを感じた。
調べて見たがやはり風向きが逆であった。
夏の北関東では太平洋側から南風が吹き込んでくるが、今日は北からの風が強かった。つまり日本海側からの風。
南からの風は群馬の山を越えていかないが、北から風は新潟や群馬の山を越えてゆく。
空気(風)が山を吹き上がる時の温度下降よりもから吹き下りる時の温度上昇の方が高いために、その差だけ吹き下ろし側では温度が上がりやすくなる。
これをフェーン現象と言っている。
さらに午後になるといつものように南からの風も吹き始める。
北からの風と南からの風がぶつかったのが埼玉県の北部や東京都の北西部(奥多摩)である。
今日熊谷や東京の青梅で高い気温が記録されたのはフェーン現象の影響だと考えられる。このフェーン現象をもたらす風を関東では「北西の風」と言っている。

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個人の感想・体感と書いたが、最高気温は高くても今日の方が多少過ごしやすかったことは、数字でも分かる。
熊谷の昨日の気象データと今日の気象データである。

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昨日と今日では風の向きが全然違うことが一目瞭然。風の強さも今日のほうが強い。そして湿度も全く違う。
これが今日は昨日よりも過ごしやすかった理由である。

近年は天気予報などで熱中症危険度みたいなやつをお知らせしていますよね?
あれのもとになっているのは↓コレである。
日本生気象学会「日常生活における熱中症予防指針」
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WBGT(Wet Bulb Globe Temperature;湿球黒球温度)
熱中症を予防することを目的として1954年にアメリカで提案された指標です。 単位は気温と同じ摂氏度(℃)で示されますが、その値は気温とは異なります。

温度と湿度が分かれば自分で調べることが出来る。
テレビやホームページで「危険」とか「厳重警戒」とか出してくれるのは、気象観測所やアメダスで計測した温度や湿度をもとにしているのだろうから、あなたのいる場所やあなたの家の温度や湿度がそれと同じとは限らない。
危険度を知りたいならば自分に合ったものを調べたほうが良いと思います。

昨日の熊谷14時(37℃の45%)では、31で赤色の危険レベル(危険レベルの中では最低ランク)に入る。
今日の熊谷14時(40℃の25%)では、30でオレンジ色の厳重警戒レベル(厳重警戒レベルの中では最高ランク)。

こんなの作ったり利用したりしているわりには、ただ最高気温だけに踊っている。
そういう状態では気温が比較的低かったが湿度が高い時や地域が見過ごされる。


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同時に2つ並べて撮った、つまり全く同時刻で同じ場所でもこんなに違う気温と湿度。(TANITAのほうは細長いので写真を半分に切ってあります)
このTANITAのほうのタイプはバイメタル式というもので、もともと誤差が比較的許容されている温度計。劣化もしやすい。
私はなんかの景品でもらった。
でも温湿度ともに暑ければ暑いなりに、乾けば乾くなりに動いてはいる。

デジタルのほうは温度の精度は±1℃。湿度は±5%。
温度が50℃以上とかマイナス何十度とか湿度が80%を超えたりするなど極端な場合にはもう少し精度が落ちる。一般的なデジタル温湿度計はだいたいこんな感じ。

最近はどうか分からないけれど、昔は液体温度計が主流だった。
学校の教室とかにあったやつ。うちの実家はあちこちにそれがある。

このように温湿度計によって精度誤差があるので、なるべく同じ温湿度計を使ったほうがよい。
そして日々や時間の変化による温度や湿度を調べたいならば、同じ場所で測定したほうがよい。
適した場所を調べたい時などは同じ温湿度計で場所を変えて測定する必要がある。

気象庁の使っている温度計は抵抗温度計(Pt100 白金測温抵抗体)で精度はクラスAで±0.15である。
研究や産業での品質管理には精度が求められるが、一般にはそんな温度計を使っている人はいないから、やっぱり一般との比較には向かない。
そもそも日本の計量精度は幾つかの先進国に比べると遅れていて、計量的に世界に通用する保証がなかった。国の整備が遅れていた。
1992年に計量法が改正され、国家計量標準の設定・整備及び計量標準の供給制度(JCSS)が設けられた。
温度計や湿度計も対象となっている。
G7に数えられる日本でもこの程度なので、自国はもとより世界の温度変化について何か言うのはいかに難しいかということが分かる。
計測器の違いや測定値の不確かさにより、百年も前の温度と今の温度を単純に比べることなど出来ないのだ。

気象庁の設置している温度計は次のようなもの。
強制通風方式であり、「自然」ではない。「人工的」である。
筒上部に通風のための電動ファンがあり、筒の下から外気を取り入れて、中にある温度計と湿度計で測定している。
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人工熱源から十分に離すことが設置の条件になっているが、電動ファンを付けているということは当の計測器に電源が必要ということであり、電気で動かすということは多かれ少なかれ熱源になり得る。
筒はステンレス製のようだ。
こんなので囲い込んで本当に自然の気温が測定できるんだろうか。
地面の熱の影響を受けた空気を吸い込んでいるようなイメージで(だから草が生えていないとずるいするいとうるさかったのかもしれない)、横から流れる空気の影響をシャットダウンしているような感じすらする。

ステンレスは工業的には、硬くて、熱が籠りやすく、熱膨張しやすい物質として知られている。
水筒や魔法瓶や鍋によく使われているから私達にも馴染みのある素材である。
なぜ熱が籠りやすいかと言えば、ステンレスは熱伝導率が低いから。熱を周囲に伝えにくい物質。
逆を言えば外の熱の影響も受けにくい。
熱しがたく冷めにくい。
だから保温性や保冷性に優れていて、水筒などに使われているのだ。
だけど気温は様々なものの影響を受けているし、受けて然るべきものである。
人間の暮らしや地球環境という視点において、この測定法や測定値は本当に妥当なんだろうか。





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# by yumimi61 | 2018-07-23 17:32
・日曜日に放送しているNHKのど自慢、2008年7月には群馬県沼田市にやってきた。うちの両親はその観覧に行った。その時にのど自慢の司会をやっていたアナウンサーが放送外でうちの奥さんは群馬県出身なんですとか言っていたらしい。
2011年9月には群馬県の桐生市にやってきた。この間書いた、まつもとかずやくんアナウンサーは、奥さんが群馬県出身のアナウンサーの後にのど自慢の司会をやっていたらしいのだが、桐生に来る前に司会を降板してしまったらしい。
で、来たのが群馬県出身の奥さんのアナウンサーだったとか。

・そういえば、武先生は桐生の出身だった。

・2016年にはNHKのど自慢が群馬県渋川市にやってきた。司会は現在の小田切アナウンサー。
この大会には母の友人が出演した。歌った歌は『東京だョおっ母さん』で、合格して小田切アナウンサーにハグしてた。
セミプロというかなんというか、歌謡ショーなどで前座を務めたりしている人なのだ。

・母の姉は老人施設でカラオケの先生をしている。


・犬を飼っているが、犬だけでお留守番をさせることがある。
すごく暑い時にはエアコンを入れた状態にして出掛けたりもする。
ある夏の日の事、帰宅したらエアコンが止まっていたことがあった。雷でブレーカーが落ちていたのだ。
エアコンを入れていかなければ、精一杯の暑さ対策をして出掛けるが、エアコンを入れていく時には快適温度設定していくのだからしない。
だからそれが止まったら逆に悲惨なことになる。
それでも雷が夕方や夜で帰宅時間に近ければよいが、午後の早いうちに雷があって、そのあと普通に晴れる日なんかはきついと思う。
うちのブレーカーが落ちてた日は夕方に雷雨があって、私の帰宅もそんなに遅くなかった。
近場に出掛けている時は雷の動向が分かったりするが、ちょっと離れてしまうと分からなかったり、(今いる場所が安定しているお天気だと)お天気の変化にまでは気が回らなくなる。
局所的に降る雨なんか同じ市内でも線を引いたように道が濡れている箇所とそうでない場所があるくらい。
あっちでもこっちでも暑くて雨も降らないという日もあるんだろうけれど、お天気って結構違ったりもするから難しい。

・夜になってからやはり雷でブレーカーが落ちたことがあった。その時は家にいた。
雷による停電は、ブレーカーが落ちずに自然に復旧する場合と、ブレーカーが落ちてしまったため自分でブレーカーを上げなければいけない場合がある。
だが自然復旧の停電が続いていたりすると、ブレーカーのことを忘れる。
その日、私はやけに停電が長いなあと思って窓から外を見まわしたら、近所の家々に電気が付いていた。
それでやっと「あっブレーカーが落ちていたのか」と気が付いたこともあった。

・ブレーカーって大概高い所に設置されている。ブレーカーが落ちてしまったら、身体の不自由な高齢者などは自力でブレーカーを上げることも出来ないかもしれないなあなんて思ったりもする。
まあ頻繁に起こることではないけれど。
西日本豪雨で、2階に避難すれば助かったであろうに足腰が悪くて2階に上がることが出来ずに亡くなったという報道があって、それもありがちだなあと思い、ついでにブレーカーも思い出したりした。

・エアコンで温度を下げるということは湿度を下げることにもなるので、エアコンを入れない状態よりも乾燥しやすい。人間の皮膚や粘膜も乾きがちとなる。
人間はもともと高齢になるほど身体の水分量を減らしていくものである。
高齢者と赤ちゃんはどちらも体温調節機能が働きにくいが、両者の身体の水分量は違う。高齢者は蓄えが少ない状態。
身体の中の水分は生命維持に重要な役割を果たしているので、エアコンで室内の気温を下げた場合にも意識的に水分補給が必要である。
トイレを心配して(トイレに行くこと自体が大変だったり、片付けてもらうのを気にしたり、間に合わないことを心配したり、おむつをしていたりして)、水分を制限する高齢者がいたりするので注意が必要かも。
身体の中の水分が体重に占める割合は、新生児・乳児期では70〜75%、成人男性で60%、成人女性で55%、高齢者では50%である。
成人女性の比率が成人男性の比率よりも下がるのは女性のほうが体脂肪が多いから。ということは、男性であっても女性であっても、通常よりも体脂肪が多い肥満の方などは水分比率を下げることになる。
同じ温度設定の部屋に年齢層も体格も体質も平熱も違う人がいる場合には、当然乾き方も乾きが与える影響も違ってくる。
エアコンの効いた部屋にいるから熱中症(脱水症)にならないとは言えないし、風邪をひいてしまう人もいます。
エアコンで体調を崩してしまう人がいるが、それは単に「寒い」「冷え過ぎ」という温度の問題だけではないのです。

・冬にはテレビ番組などでも取り上げられることが多いヒートショック。
冬の高齢者のリスクの代名詞のように扱われているが、温度差が問題なのだから冬だけのものではないし、高齢者以外にもハイリスクとなる人もいる。

ヒートショック
一般で使われている用語としては、ヒートショックとは急激な温度変化により身体が受ける影響のことである。比較的暖かいリビングからまだ冷たい浴室、脱衣室、トイレなど、温度差の大きいところへ移動すると、身体が温度変化にさらされて血圧が急変するため、脳卒中や心筋梗塞などを引き起こすおそれがある。高血圧や動脈硬化の傾向がある人がその影響を受けやすい傾向があり、なかでも高齢者は注意が必要とされる。

急激な温度(気温)の変化によって血圧が乱高下したり脈拍が変動し、結果、生命を落とすこともある。
生命を落とさなくても失神などが起こることもあり、失神が起こった環境によっては二次的に生命危機に繋がったり、高齢者などでは怪我によって寝たきりに繋がったりもしかねない。
温度が10℃以上違うとリスクが高くなると言われている。
例えば39℃や40℃も気温がある時に(報道される気温は芝生の上の直射日光が当たっていない場合の気温です)、部屋の温度が26度だったら10℃以上の差がある。

・暑い所から冷えた部屋に入ると「涼しい~」と一瞬気持ちはよいけれど、その温度差を怖いと感じることはある。
しかし少しそこに居ると、その温度に慣れて涼しさも怖さもなくなる。それが適温のような気がしてしまう。
順化って素晴らしいけれど怖いものでもあるのだ。(茹でガエル現象)
それで屋外に出れば今度は超暑い。
特別に体調変化がなくともあまりに落差が大きいと身体に良いことをしているとはやっぱり思えない。
プールや海やサウナ(&水風呂)なんかも同じことが言えるけれど。
順化はある程度鍛えられるが、誰もが同じように鍛えられるわけではないし、鍛えるには手順が必要で、当然限界というものも存在する。
しかもその順化も長い目で見た時に(要するに長生きに繋がるかどうかという視点では)、必ずしもそうとは言いきれない。

・先日暑い日に試しにエアコンの排水量を調べて見た。木造12畳用でそれより少し大きい部屋が26℃設定で冷やされていた。エアコンを継続使用している部屋。
エアコンの排水量は、湿度、家の状態(外気が入りこみやすい構造か)、部屋や家への出入り(開け閉め)、換気扇の使用、居る人間や動物の数、調理など火や水の使用の有無、エアコン使用の継続時間、洗濯物を室内干しにしているなどの条件によって変わるものであり、決まった数量はない(除湿能力による限界はある)。
私が計測した時は2時間で4.5リットルほど排水されていた。

・エアコンの誤解①
例えば6~8畳用というエアコンの意味は、木造住宅の場合には6畳、鉄筋コンクリート住宅(気密性が高い)の場合には8畳、に適しているエアコンということである。
木造住宅の6~8畳に適しているというわけでないので、木造8畳に使いたければ8~10畳のほうが適している。
また同じ畳数でもあっても日差しの差し込み具合(窓や庇の有無)、西日の当たり具合、気密・断熱性能によっても、エアコンの効き具合が変わる。
適さないエアコンを使用していれば、常にエアコンがフル回転でも設定温度どおりの温度にはならないことがある。心配な人は一度温度計で設定温度と温度計の温度を比べてみるとよい。

・エアコンでの誤解②
「最近のエアコンは性能が良いから小さいサイズ(例えば8畳なのに6畳用とか)で大丈夫」などと言う人がいるが、エアコンの冷房や暖房の能力は一昔前も今もほとんど変わっていない。
変わったと言われている(宣伝されている)のは燃費である。
省エネ(電気代がかつてより掛からない)タイプのエアコンは充実したが、冷やす能力や暖める能力が大幅にアップしたということではない。
同じパワーを少ない電気代で出すことが出来るようになったということ。
多少電気代が掛かってもよいから、1つ1つのエアコンのパワーをもっと上げてくれと言われても、それには限界がある。(パワーを上げたければランクが上のエアコンを選ぶ必要があり、エアコンの価格も当然高くなる)
最近のエアコンの性能が良くなったように感じる理由の1つは住宅側の要因。気密性や断熱性に優れた新しい家や賃貸住宅などではロスが少ない。
ロスが少なく効率重視で換気もしないとなると、いろいろと籠りやすいけれど。

・最近、出掛ける時もエアコンを切らずに運転させたままのほうが電気代が掛からず節約できるという話が流行っている。
電気代だけに限らず、帰宅時の不快感がなく快適ということもあるんだろうと思う。
でも誰もいない家や部屋のために、自分が支払う電気代を少しだけ節約するために、ほんの少しの快適を得るために、屋外には熱が排出され続けているということであり、環境的なこと(ヒートアイランド)を考えれば、とてもとてもエコとは言えない。

・エコはエコロジーの略。
エコロジー
①生物とそれを取り巻く環境の相互関係を研究し,生態系の構造と機能を明らかにする学問。生態学。
②人間を生態系を構成する一員としてとらえ,人間と自然環境・物質循環・社会状況などとの相互関係を考える科学。社会生態学。人間生態学。
③生態環境。自然環境。エコ。

家計の支出を減らすことや自分の快適を追求することを目的に何かするのがエコなわけではない。




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# by yumimi61 | 2018-07-22 11:29

続続続続・気温(湿度)

今回は湿度についてです。
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6~9月の各月平均の相対湿度(単位:%)の戦後と戦前の変化を、東京と前橋で比べてみた。
東京と前橋の差はほとんどないと言ってもよいのではないだろうか。
戦前と戦後の比較では戦後のほうが低下している。

空気に含まれる水蒸気量が同じならば、相対湿度は気温が高くなるほど下がる。
気温が高いほど飽和水蒸気量(含むことが可能な水蒸気量)が大きくなるからである。
東京も前橋も戦前よりも戦後のほうが2度前後平均気温が上がっているのだから、戦前と戦後の水蒸気量が同じだと仮定すれば相対湿度が下がるのは当然のこととなる。
では水蒸気量は戦前も戦後も同じくらいだろうか?

水蒸気量に大きく影響を与えるのは海だろう。
海に囲まれた島国である日本は、広大な大陸内部に比べれば、放っておいても多湿環境にある。
さらに太平洋高気圧などの影響から暖かく湿った空気が流れ込みやすい。前線もできやすく雨が降りやすい。
そのほか森林や田畑や地面も水蒸気を発生させる。
もっと細かいことを言えば人間も常に水分(呼気・汗・尿など)を出している。
人間が暮らすことで発生する水分もある。化石燃料の燃焼時にできる水分やエアコンの排水など。

環境変化が水蒸気量に与えた影響はどんなものなんだろうか。
海に囲まれているという点については昔も今も変わらないが、例えば東京では森林や田畑が減り、人口が大きく増え、アスファルトやコンクリートも増えた。
水蒸気が増える要素もあれば減る要素もあって収支としては同じくらいと考えてよいのかどうか。


実は東京都と群馬県の両都県はどちらも年平均相対湿度が低く、「湿度が高いランキング」では最下位を競う間柄である。
高いのは日本列島の両端となる沖縄と北海道。
でも同じ都道府県内でも山の方と都市、あるいは地形などによって湿度って違うような気がする。
どこを基準に都道府県にしたのかという問題はある。
代表的な観測所1つの数値なのか、同一都道府県内のアメダス全部を足して平均を出したのか。
それとも同一都道府県内にはそれほど差異がないのだろうか。

統計メモ帳 年平均相対湿度
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これらの測定は地上にて手の届く範囲で行っている。
湿度減少は地上でのことだし、私が調べたのは東京と前橋と他いくつかだけ。
全国どこでも湿度が減少しているのか確認したわけではない。
霧は私達の生活圏にも立ち込めるものだが(霧の減少の報告はある)、雲はそんな下にできるわけではない。
雲は上空に出来て、雨は空の上から降ってくる。
つまり何が言いたいかというと、上空と地上付近では気温は違うということである。上空のほうが低い。
気温が低くなればなるほど飽和水蒸気量は減少する。
高温よりも簡単に飽和し水(液体)となる。空で液体となったら下に落ちるしかない。
私は前に「飽和水蒸気量が減少しているのでは?」「寒冷化では」と書いたことがあるが、それはそういうことである。
雨がどーっと降ることが多くなったのは上空で飽和水蒸気量を超えてしまうことが多くなったからではないかと思ったのだ。
飽和水蒸気量を超える理由は、これまでと水蒸気の量が変わらないとするならば気温が低くなったからと考えるしかない。
地上の気温の高さや湿度の低さに気を取られてしまうと見逃しやすいことではないだろうかとも思っていた。


「東京砂漠」は東京オリンピックの頃から始まった 東京の相対湿度の記録 2017/2/25
饒村曜 | 気象予報士/青山学院大学・静岡大学非常勤講師

東京砂漠
東京オリンピックが始まる数か月前の昭和39年夏、東京は異常渇水と猛暑にみまわれていました。7月22日から8月19日まで連続して真夏日が続き、8月には東京区部で1日15時間断水という異常事態となっています。
このときに生まれた言葉が「東京砂漠」で、その後、都会生活の味気なさを表現する言葉として定着しています。
また、昭和51年には内山田洋とクールファイブのヒット曲の題名にもなっています。

東京の相対湿度は、19世紀後半には年平均で70%台後半でしたが、次弟に減少し、東京オリンピックの頃から60%台前半となっています。近年は60%を切ることも珍しくありません(図3)。
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砂漠地帯の国での湿度の観測を行っているところは少ないのですが、リビアのトリポリで57%など、砂漠地帯の国でも、人が多く住んでいる場所での相対湿度は50%台です。
東京も砂漠の都市に近くなってきたと言えなくもありません。

※アンダーラインは私による。
真夏日とは最高気温が30℃以上。猛暑日は35℃以上。

1964年におよそ1ヶ月も連続して真夏日が続いたという話が書かれているが、話の中心は気温ではなく湿度である。
「卵が先か鶏が先か」ではないが、「気温が先か湿度が先か」、「冷房が先か温暖化(ヒートアイランド)が先か」ということにも通じてくる。
堂々巡りとなり根源が分からない(見えない)。ことによっては負のスパイラルに陥る。
でもどちらにしても双方は切っても切れない関係にあるということは言えそうである。

同じ水蒸気量で気温が上がれば相対湿度は下がる。これは気温を先にした考えである。
湿度の低下(水蒸気量の減少)を先に考えた時に、どうして気温が上昇すると言えるのかと言えば、空気中の水蒸気と二酸化炭素は太陽光を吸収して日差しを弱める効果があるからである。
空気に水蒸気が少ない状態(湿度が低い)時のほうが日差しは強い。太陽光が地面や地上の建物により強く届き、物質の温度を上げやすくなる。
そうした物質は気体よりも伝導性に優れていて熱しやすく冷めやすい。つまり熱を外側の気体に伝える。放熱するのである。だから結果的に気温も上がっていく。





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# by yumimi61 | 2018-07-20 18:23

続続続・気温

気温が39℃とか40℃を記録したとか言うと、1日中(あるいは昼間はずっと)そんな温度だったように感じてしまうが、その温度は一瞬です。一瞬というのは大げさかもしれないけれど。

例えば昨日の気温。岐阜県の多治見で40.7℃の最高気温を記録。
この多治見というのは、ずるいずるいと言われた館林と似たような環境(消防署の駐車場)に設置されている。ちなみに館林は移設しました。
それにしても小数点以下の違いを各地で争うことにどれほどの意味があるんだろうか。歴史的価値?観光的価値?

話を戻すと、多治見の40.7℃は14時30分の測定値。
だが毎時の測定値を見ると、40℃代の数値は見ることが出来ない。
14:30前後を見ると、14時が39.5℃で、15時が39.2℃である。
とはいっても39℃代だって人間にとって暑いことには変わりない。
しかしながら14時から14時30分の30分間で1.2℃気温が上昇したが、14時30分から15時の30分間で1.5℃下降している。
多治見の場合は毎時でみると後は順調に下降して1日の終わり24時には28.5℃だった。

館林はどうか。
15時36分に昨日1日の最高気温38.9℃を記録したが、15時が38.1で、16時も38.0である。37℃代は14時のみ。

前橋。
15時36分に昨日1日の最高気温38.1℃を記録したが、毎時でみると38℃代はない。12時が37.0℃、13時が37.4℃、14時も37.4℃、15時も37.1℃である。

東京。
11時18分にに昨日1日の最高気温35.3℃を記録したが、毎時で見ると35℃代はない。
11時に34.0℃だった気温が、18分後には1.3℃上昇して35.3℃の最高気温を記録している。
だが12時は33.9℃であり、1.4℃の下降。15時までは僅かながらの下降を続け、15時に再び上昇し34.3℃となる。16時も34.1℃である。
17時には32℃代に下降。
東京は夜も23時~24時、3時~4時に上昇がみられ、なぜそこで上昇するのかいまひとつよく分からない上昇が見受けられる。
♫ NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one~?


■多治見 
最低気温  26.6℃(5:00)
最高気温  40.7℃(14:30)
1時気温 28.8℃
24時気温 28.5℃

■館林
最低気温  27.0℃(4:51)
最高気温  38.9℃(15:36)
1時気温 28.1℃
24時気温 28.8℃

■前橋
最低気温  26.9℃(5:29)
最高気温  38.1℃(13:16)
1時気温 28.6℃
24時気温 29.5℃

■東京
最低気温  26.7℃(5:02)
最高気温  35.3℃(11:18)
1時気温 27.9℃
24時気温 28.3℃


細かく見ると(暑いことには変わりありませんが)測定場所も然ることながら、測定器というか測定値にどれほどの信頼を置いてよいのか、測定値の変化に意味を持たせてよいのか(数値が動く必然性が本当に存在しているのか)、ちょっと疑問に感じる数値の動きをしていることもある。
日本の狭い範囲の気温ですらそうなのだから、地球規模の気温の変化なんてとても難しいだろうと思う。


継続して調べたわけではなく、たった1日2日の気温だから単なる推測にすぎないが、東京の最高気温が出る時間は他と比べて比較的早いのかもしれない。
そこで考えられるのは風である。
東京では昨日の日中、南東方向から風が吹いており、午前よりは午後の方が幾分強めの風となっている。
午後になると南の海側から東京に吹き込む風が東京の熱を乗せて北関東まで運んでくるのではないか。

まず観測地の位置関係。
(私はこの間までアメダスではない観測所は県庁所在地にあるのだと思っていましたが、埼玉県が違ったのでそういうことではないのかもしれません)
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群馬県で東毛地区と呼ばれる南東部は関東平野の北の端である。
南から風が吹いてきた場合、北側には桐生の山と前橋の赤城山があるので、風はそこを乗り越えてはいかないのだと思われる。
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赤線は分かりやすいように私が入れたものだが、この中の風がみな群馬県方向に向いて吹いている。
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夜はそれがやや崩れる。
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# by yumimi61 | 2018-07-19 23:58

続続・気温

前記事で東京と前橋の平均気温を比較した。
平均気温が高いのは東京であった。
但し1年の最高気温が高くなりやすいのは前橋のほうだった。

次の数値は各月の平均気温、6月~9月の1日の最高気温の平均、1月と2月の1日の最低気温の平均の、戦前と戦後の差。
戦前と戦後のデータの取り方は前記事に書いたのと同じ。
東京も前橋も、夏も冬も、戦後のほうが気温が高くなっていることが分かる。
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戦後に気温が高くなった理由として考えられるのは、前々記事に書いたとおり、人口増加、機械化・電化、冷房や暖房環境の変化(都市環境や住宅環境の変化)。
簡単に言えばヒートアイランド。能動的に気温を上げうる発熱・放熱要素が昔に比べると格段に高まっている。
それでも2℃くらいの上昇に留まってはいるが。
2℃と軽く言うが(言ったのは私か)、人間の体温の2℃の変化はなかなか大変である。



「熱中症」流行なので、ここでひとつ熱中症を分類しておく。
①と②が軽症に、③が中等症に、④が重症に分類される。

①熱失神 
発汗による脱水と末端血管の拡張によって、脳への血液の循環量が減少した時に発生する。
末梢血管が拡張することにより血圧が低下し体内の熱を下げようとしているのだが、それによって脳への血流が減ってしまうことで起こる。
(症状)意識消失、発汗や徐脈(1分間の脈拍数が60以下)、血圧低下が認められる。体温は正常なことが多い。
(対処)冷却療法、輸液
※失神に至らないごく軽症な場合でも、徐脈は脳に必要な血液を十分に送ることができなくなるため、眼前暗黒感、めまい、疲労感などが起こることがある。
(対処)動作を中止して日陰や涼しい場所で休む、冷却、水分補給
 
②熱痙攣
大量に発汗した時に水分だけを補給して、塩分やミネラルが補給されず不足した場合に発生する。(ナトリウム欠乏性脱水・低張性脱水)
(症状)手足のしびれ、けいれん、手足のつり、筋肉痛、筋肉の硬直など
(対処)塩分やスポーツドリンク、経口補水液(水1Lに対し砂糖40g、塩3g)を与える。
経口補水液投与、輸液。

③熱疲労
多量の発汗に水分・塩分補給が追いつかず、脱水症状になったときに発生する。(混合性脱水・等張性脱水)
脱水によって循環血液量が減少してショック状態を起こしている。臓器機能が低下して様々な症状が起こる。
体温は熱射病ほどは高くはならない。(39~40℃以下のことが多い)
(症状)頻脈、血圧低下、頭痛、めまい、吐き気や食欲不振や下痢などの胃腸症状、疲労感、頭痛、軽度の意識障害など。
(対処)対応を怠ると重症化する可能性がある。冷却しながら医療機関へ。輸液。

④熱射病(かつての熱射病と日射病)
深部体温が上昇して体温調節機能が失われることにより生じる。
治療が遅れると(治療を行っても)、脳障害が残ったり、最悪の場合死に至る。
(症状)高度の意識障害や異常行動(意識混濁、譫妄状態、意識喪失)、体温40℃以上、発汗停止、皮膚乾燥、全身けいれん。
脳機能障害、肝臓機能障害、腎臓機能障害、血液凝固障害のいずれか1つに異常が認められる。
(対処)救急車搬送、救急救命による対応が不可欠。
緊急入院で速やかに冷却療法、人工透析、輸液などを行う。


それから大人でも子供でも心疾患や糖尿病など基礎疾患を持っている人は要注意である。
熱中症を予防しようと思っての過度の塩分や糖分補給がリスクになるからである。
(一般的に心不全リスクの高い人は塩分を控えることが推奨・指示される)

それまで元気だったのに突然死した場合に急性心不全という死因が告げられることがよくあるが、急性心不全という疾患分類はなく(病態としては定義づけられている)、明確な実態は良く分からない。
高血圧、糖尿病、脂質代謝異常、風邪などの感染症、不整脈、アルコール、ストレス、肥満、睡眠不足、栄養不足や食事抜きなど様々なリスクが複合的に絡んでいると考えられる。
熱中症を発症する場合にも同じことが言えるので、水分と塩分を補給すれば大丈夫、いつも涼しい所にいれば大丈夫というわけではない(そのいつもの状態が確保できない時が危険なのだから)。
学校現場では別に暑い日でなくても運動中の突然死はあることである。頻度としてはやはりマラソン中や直後が多いだろうか。学校外だと入浴中など。
心臓検診などの対策を採っているが、完全には防ぎきれない。

幼い子供の場合には体調不良を上手く訴えることが出来ずに「疲れた」とかいう表現になってしまうことがあるので、幼い子供の「疲れた」は要注意である。
(但し子供はやりたくない時に「疲れた」と言い訳にすることも確かにある。だけどそう思い込んで訴えを聞かず何かをやらせたら実は本当に体調変化が起こっていたということもあるので要注意)
もう少し大きくなった子の場合、「足が痛い」と訴えることがある。
運動していたり歩いている時に足が痛くなったとの訴えを聞けば、「筋肉痛」とか「サボりたいための言い訳」と言いたくなりがちだが、熱中症になっているとか、風邪で発熱しているとかの場合もあるので要注意。


5月頃に気象予報士などが「まだ身体が暑さに慣れていない時期なので、この時期でも熱中症を発症するおそれがあります、気を付けましょう」などと言っているのを聞いたことがないだろうか?
言っている事自体は間違えていない、身体は暑さに慣れるということである。
暑さに慣れて対応できる身体になることを「暑熱順化」と言う。
暑い時にはいかに体温を放散させるかが鍵となる。早い話、汗のかきかたが重要となる。
暑い時には危険な状態まで深部体温を上げないために体温を放散させる、これも体温調節機能の1つである。
赤ちゃんは汗っかきというイメージが強いかもしれないが、新生児(生後28日まで)は体温調節機能が未熟なので寒さにも暑さにも弱い。
だから外から調節してあげる必要があるが、冷やし過ぎや暖め過ぎは、寒さや暑さと同じことになる。自分の身体で調節出来ないのだから過度にならないように注意が必要。
熱がこもって深部体温が上がり過ぎた「うつ熱」が乳幼児突然死症候群の原因の1つに考えられている。
このように対応を間違うと深部体温を低下させたり上昇させ、それこそ命に関わることがある。
身体の機能全般が衰えてくる高齢者も体温調節が苦手となってくる。

だが新生児期を過ぎた乳児期から学童期の成長期には体温調節機能をそれなりに鍛えてやる必要がある。(鍛えてやると言っても手順やら限度というものがあるし、これは精神論でもない)
一日中変化のない適温環境にいたり、一年中同じ室温で過ごしていたら、体温調節機能は十分に発達しない。
暑さや寒さを知らなければ、それを調節する機能も発達しない。
一度発達したとしても同じような環境にいることが長ければ衰える、退化してしまう。
幼い頃から冷暖房の整った中で育った現代の子供達はやはり比較的体温調節が苦手のようである。
そもそも現代の子供達は平熱が低い子が多い。35℃代も珍しくない。
子供の本来大人よりも体温が高めなはずであるが、その子供達の体温が低い。
「私、低体温なんです~。だから36℃も後半だともう苦しくて」なんて言ったりする子がいるが、「サボるための言い訳でしょ」で片付けられなかったする。
持って生まれた体質もあるかもしれないが、いつも冷やしている環境に順化して体温も低くなったと考えられる。あとは栄養的な問題や運動不足な状態が潜んでいたりするが。
体温を上げる環境になかったので上げることを知らない身体になってしまったということ。
このように平熱が低いあげく、体温調節機能も上手く発達しなかった人が、平年よりも、あるいは普段よりも、暑い状態の中に居続ければ、それはまいってしまうだろう。

一般的に測定するのは表皮体温。
深部体温は表皮体温より1℃ほど高い。
平熱が36℃ならば深部体温が37℃ということになる。
深部体温が40~41℃を超えたら熱中症の中等症や重症に該当し危険な状態になり得るが、平熱が低い人は深部体温ももう少し低めにみる必要がある。
だから普通の人よりも外気温の高さに弱いということにもなる。

体温は免疫とも関係している。
細菌やウイルスに侵襲された時には熱を出して対峙しようとする。
過度に負荷がかかり体温調節も出来ずに上がってしまった場合には下げなければいけないが、必要だから上げている時もあるのでなんでもかんでも熱をすぐに下げてしまえばよいというものではない。
体温が1℃下がると、免疫力は3割低下、基礎代謝は1割低下、酵素の働きは5割低下すると言われれる。がん細胞も低体温のほうが好きらしい。


体温調節機能を発達させず、例えば電気が使えないような状況に陥ったらどうするつもりなんだろうと私は心配になる。
東日本大震災(福島原発事故)の時に皆さん電気の心配をしたんですよね?計画停電であっても大変でしたよね?
あれは3月で一番暑い季節も寒い季節も外れてましたが、東北はまだまだ寒かったですね。
先日の西日本豪雨では断水による水不足が伝えられていましたが、あれが電気だったならばどうですか?
このような気候の最中に例えば東京で関東で大規模に電気が供給されない事態が起こったら、どうするつもりなんでしょうか?
それは絶対にないという確信でもおありなのかしら。
ためらわず冷房をって・・その冷房が使えない状況は、これだけ災害に襲われても微塵も考えないのでしょうか。
そんな偶然は滅多にないから大丈夫とか?

今年の1月、夫の実家のあたりで停電があったらしく、義母が「寒くて寒くてカイロを何枚も貼って凌いだけれど、停電の時間がもっと長かったらと思うと・・」と言っていた。
都内だし高齢者だしで暖房は電気器具という状況で寒い時期に停電。
単なる停電、されど停電、復旧が未定だったり長引く時には避難所を開設しなければいけませんね。でも高齢者はそこまで行くのが大変かあ。




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# by yumimi61 | 2018-07-19 14:59

続・気温

とりあえず、気象庁ホームページの過去の気象データをもとに東京と前橋の気温を比べてみた。
測定を開始してからは毎年のデータがあるが、私はその全部を見る時間と気力はなかったので、10年ごとのデータを追っていった。
本当は全部足すべきである。

東京
1880年、1890年、1900年、1910年、1920年、1930年、1940年、 ・・・この7年分のデータを戦前とした。
1950年、1960年、1970年、1980年、1990年、2000年、2010年、・・・この7年分のデータを戦後とした。
従って直近のデータ(2010年以後のデータ)は含まれていない。

前橋
1880年、1890年のデータがないので、1900年より。戦前が5年分ということ。
後は東京と同じ年のデータ。

7年分(あるいは5年分)の該当気温を足して、年数で割り、戦前と戦後の数値を出した。(小数点以下第二位を四捨五入)

暑い時期6月~9月と、寒い時期1月~2月、東京と前橋の平均気温はどちらが高いかを比較した。
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東京と前橋では、戦前も戦後も、6~9月の暑い時期、1~2月の寒い時期、どちらも東京のほうが平均気温が高い。


次は最高気温と最低気温の比較である。
1日の中に最高気温と最低気温があるが、日によってその温度は違うため、1ヶ月平均値が出ている。その数値を使って戦前と戦後を比べた。
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戦前も戦後も6月と7月は前橋のほうが少しだけ高く、あとは東京のほうが高い。
近年は1日の最高気温が全国最高や高めとなるのが内陸部が多く、群馬県も館林や伊勢崎、前橋などが常連であるが、見聞きするほどの気温差は出てこなかった。
もっともニュースや予報で大々的に取り上げるのは暑くなるという予想が出ている時や暑くなった日であり、実際にはそれほど暑くないという日もあるが、そういう日の気温には触れられずスルーされるので暑い印象だけが残るのかもしれない。
8月と9月の最高気温は東京のほうが高いという結果が出た。


ではテレビが好きな平均ではない「最高気温」はどうだろうか。
私がここで言う「最高気温」はその観測点において1年で一番高かった気温である。

東京の戦前・戦後14年で「最高気温」の最高気温は2000年の37.8℃である。
東京の戦前・戦後14年で「最高気温」の最低気温は1980年の32.2℃である。
東京の戦前・戦後14年で「最高気温」の平均を計算すると、戦前7年分33.9℃で、戦後7年分が35.4℃であった。

前橋の戦前・戦後14年で「最高気温」の最高気温は1990年の38.7℃である。
前橋の戦前・戦後14年で「最高気温」の最低気温は1920年の30.4℃である。
前橋の戦前・戦後14年で「最高気温」の平均を計算すると、戦前5年分34.3℃で、戦後7年分が36.3℃であった。

こう見ると「最高気温」は確かに前橋のほうが高い。
つまり何かの条件が重なった時に前橋は気温が上がりやすいということが言えそうである。
但しそれは月の最高気温平均を大幅に引き上げるほどのものではないということも言えそうである。
上の結果と合わせて考えれば、6月と7月にその条件が揃うことが多いと推測することが出来るが、差が小数点以下の数値なので、これが誤差ではなく意味あるものなのかはちょっとここでは判断しきれない。


群馬で言えば、前橋よりも館林や伊勢崎のほうが最高気温が出やすいので、より高温が出やすい条件が揃っているということになる。
それで館林の気温も調べたかったが、前記事に書いたようにデータ不足で東京や前橋との比較、戦前と戦後の比較も出来ないので止めた。




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# by yumimi61 | 2018-07-18 00:14

気温

174.png昨日私も夕方に外気温を計ってみました。
うちの庭の木の下で。高さは1.5mくらい。
16時23分(PM4時23分) 気温40.3℃ 湿度40%
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気象庁の気温測定条件は日当たりの良い日陰(直射日光が当たらないこと、気象庁は通風筒の中に格納している)だと思うので、私も日当たりの良い日陰を選んで設置しました。若干木漏れ日が落ちるかもしれませんが。
左側の写真だとオープンな感じに見えるので、設置環境が分かるように撮った写真が右側です。

次の写真は6月29日と7月15日の夕方17時代(PM5時代)に撮ったもの。
どちらも暑かった日。
締め切った部屋ではなく1日中、家中の窓という窓を開けておいた状態の2階の1室。西側に面した部屋ですが、西側には小さな窓が1つあるだけです。この西側の窓は夏はカーテンで入る日差しを遮ったままにしています。
北と南の窓で風は抜けますが、2階の西側の部屋は体感的にも暑い。
全部で部屋で測ったわけではないですが、午後はたぶんこの部屋が一番暑いと思います。
測定は窓際ではなく部屋の中央あたり。
ちなみに昨日も今日も、この測定をした日も暑かったわけですが、カーテンが揺れたり、風鈴が時々鳴ったりするくらい、風はそれなりにあります。無風ということはありません。
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暑い日が続くので私は昨晩を気温を調べてみました。気象庁ホームページの過去の気象データで。
それで分かったことがあったのです。
分かったのは気温データが十分ではない!ということです。

比較して何かを語るには同じ機関や同じ人が管理した継続したデータが必要です。
他のデータを使用するならば、測定条件や使用機器が公開されていなければ比較に耐えうるものかどうかが分からない。
気象庁の古いデータは条件とか機器などの問題はクリアしていると考えてよいのでしょうか?
ともかく一応そういうことにして、日本の首都・東京は1876年(明治9年)からの気温が分かります。
しかし東京以外の県庁所在地の観測点、群馬県ならば前橋市ということになりますが、その気温は1900年頃からのデータで、その前はありません。(全国全てを確認したわけではありません。あしからず)
さらにそれ以外の観測点の場合には(例えば館林の観測点というようなこと)、1976年くらいからのデータしかありません。(たぶんアメダスによる統計開始が1976年なのだと思う)

気温は様々な気象条件の影響を受けるほか、社会的な要因でも上下すると思います。
それが絡み合ったりもしている。
温暖化は社会的要因を主原因にしたわけですが、フロンや二酸化炭素などたった1つの物質のせいにして、それを世界中に当てはめるには無理があると思うのです。
多くの仮説を検討するには、当然多くのデータが必要となりますが、基本となる気温データすらそれがないという状況だったのです。
私が昨日見ようと思ったのは、戦前と戦後の温度変化だったのですが、館林では全然その比較はできないわけです。


気温が上がる原因として考えられる社会的要因。
①人口の爆発的増加
閉鎖系の空間ならば人間が増えただけで気温上昇や水蒸気量上昇に繋がる。
e0126350_15560421.png

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②機械化・電化
機械などを動かす際には多かれ少なかれ排熱を伴う。
電気を作り出す際にも排熱を伴う。

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③冷房と暖房
エアコンによる冷房は屋外に排熱・排水をしている。
資源を利用して暖めるということを継続すれば、当然そのまま気温上昇に繋がる。

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二酸化炭素がなんたらかんたらと言うよりも、熱を放出しているという事実のほうが簡単で重大であろう。
小難しい話が好きだが(そのわりには間違えている)、排熱にもっと目を向けるべきではないかと思う。
温暖化と言うならば、保温効果などという受動性よりも、継続して熱放出しているという能動性を重視したほうがよい。

あなたの家が冷えてちょうどよい湿度になったということは、屋外に熱と水を排出したということに他ならなない。
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上に日本の自動車保有台数の推移グラフを載せたが、世界規模で見ると日本の右肩上がりなんて可愛いものである。
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先日載せた国連の人口グラフもまさに爆発的な増加を表すグラフだったし、まだ人口は増えると予想されているし。
世界大戦を機にタガが外れた感じの世界だけれども、これ以上経済が発展し経済規模が大きくなり続けたら、いろんな意味でこの地球はいったいどうなるんだかって感じですね。




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# by yumimi61 | 2018-07-17 12:34

本にまつわるトピックス

178.png2008年10月までカテゴリーとタグ付完了しました。

・2008年10月1日エントリーの『絵本
そこに初恋の人の名前を書きました。絵本を一緒に読んだ仲だったので。
その後どれくらい経ってからかは忘れましたが、ある人に「初恋の人、NHKのアナウンサーになったんじゃない?」と訊かれたんです。
「え?そんなの初耳」
その時に同姓同名のNHKアナウンサーがいるということを知りました。
私はかなり長いこと自発的にテレビを見ない生活を送っていたのです。テレビが付いていたとしても傾注することがほとんどなかったので、知りませんでした。
だから私は本当に「もしかして・・」と思ったくらいなのですが、顔を見たところで幼い時の顔も全く覚えていないし、私が小学生の時に転校しちゃったから成長してからの顔も知らないわけです。
そしたら後日出身地が全然違うということが判明し、単なる同姓同名だったみたいです。
ちなみに転校後にしばらく文通をしていた女の子がいて、その子は「はぎわらふみこ」ちゃんと言います。



・2008年10月9日の『こと*2』 では猫の写真で猫のことを書いたのですが、そこには2006年8月に私が書いた文章を転載しています。
作家の坂東眞砂子さんが日常的に子猫を殺していると語ったエッセイが載って話題になった話です。
坂東さんは2014年1月に55歳でがんでお亡くなりになられたようです。
そして没後に同じく作家の東野圭吾さんが追悼文を寄稿していたのですが、私は何気にそれにもショックを受けました。
人気作家がどんな意図を持ってそれを書いたのか正直良く分からなかったし分かりたくもなかった。

じつは子猫など殺していなかった坂東眞砂子さんのこと

崖から落として殺したわけではないんだと。実際は2メートルくらいの段差。子猫を裏の草むらに捨てたのだと。
「なんや、それやったらただの捨て猫やないか。うちの猫も、家の裏に捨てられた。殺すやなんて、過激の表現を使わんでもええやろ」
「母猫と引き離されたら、誰かに拾われんかぎりは生き残るのは難しいと思うよ。つまり殺すも同然ということやね。けど、私は子猫を殺しているも同然である、と書いたのでは意図が伝わらへんと思った。そこでひとつ、子猫を殺している、と」
「あほか。インパクト強すぎや。それで誤解を招いた」
彼女はケラケラ笑い、「ほんま、ちょっとやりすぎた。あんなにまともに受け止められるとは思わへんかった。日本人は純粋やね」と明るくいった。
 

生まれたばかりの子猫を2メートルの高さから投げ捨てることが、ただの捨て猫?誤解?そもそも捨て猫ならいいのか?
ペットにとって繁殖行為(セックスの悦び)を奪うことのほうが、子供を殺されることよりも残酷ではないと勝手に決めつけていると、坂東さんも東野さんも言う。

実は私、もっと前に村上春樹さんのエッセイの中に、引っ越しの際に飼っていた猫を置き去りにしたと書いてあるのを読んだ時も軽くショックを受けた。
問題提起というかの文章でもなく、特段悪びれた様子も無く、懐かしく回想するような文だったと思う。でももしかしたら罪悪感があったからこそ書いた文だったんだろうか。
置いて行かれた猫の立場になってみたり、置き去りにする人の立場にもなって想像したけれど、何かとても悲しかった記憶しかない。




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# by yumimi61 | 2018-07-16 00:16
前記事からの続きで中絶の話。

Business Journal
鳥取県の闇…人工中絶数が日本一、その原因は?日本最低レベル賃金や「風土」が影響か

2016.08.06  文=松庭直/フリージャーナリスト

 人工中絶は、日本で三大死因とされる脳卒中の年間死者数よりさらに多く、脳卒中の死亡者数である年間11万8347人に対し、人工中絶は年間18万6235人。同じく三大死因とされる心疾患も年間19万6723人で、中絶がいかに多いかがわかるだろう。人工中絶はがん、心疾患に続く、日本人の死因3位となっていることを知っている人は少ないのではないだろうか。

 2013年度の年齢別にみた人工中絶率は20歳未満が6.6に対し、20〜24歳が13.3、25〜29歳が11.3、30〜34歳が9.8、35〜39歳が7.6となっている(厚生労働省・平成25年度衛生行政報告例の概況、年齢階級別にみた人工妊娠中絶実施率<女子人口千対>)。
未成年が多いイメージだが、20〜30代が意外と多いことに驚かされる。



2016年の出生数は98万弱だった。中絶が19万弱。
これはやはり凄まじい件数と感じる。


鳥取県は全国的に見て、人工中絶率が一番高い都道府県である。もっとも少ない奈良県の3.9に対し、鳥取県は10.1で、約3倍もの差があるのだ。鳥取県でも中絶件数は20〜24歳が191、25〜29歳が204、30〜34歳が259と年齢に比例し、中絶率が増加傾向になっている。

「鳥取県は全国的に見て、地域別最低賃金が最低ランクです。しかし、最低賃金だけを見れば高知県や宮崎県も同じレベルなので、違う要因が考えられる。現在、県をあげて調査中ですが、原因がわからないのです。識者のなかには『風土ではないか』という声もあるくらいです」(鳥取県医療関係者)

「医者の間でも問題にはなっているのですが、どう取り組めばよいのかがわからないのです。人工中絶には妊娠12週目までに行う初期中絶と22週目までに行う中期中絶があります。初期中絶は胎児を子宮内からかき出す手術です。中期中絶は出産と変わりません。強制的に陣痛を起こし、胎児を産みだします。この週数になると、もう人間らしい体つきで出てきますので、男女の性別もわかる場合がありますし、産声をあげたり動いたりする場合もあります。産婦人科医として、本来やるべき仕事ではないので、本当に心が痛く、何度やっても慣れることはありません」(前出・鳥取県医療関係者)

 生まれたばかりの乳児を殺害、遺棄すれば、殺害容疑や死体遺棄容疑で両親は逮捕されるが、人工中絶で罰せられることはない。なかには、もちろん犯罪などの被害に遭い望まない妊娠が発覚する場合もあるが、大半は自己都合による人工中絶だ。

 私たち誰しもがその加担者となる恐れがあり、誰しもが目をそむけたくなる現実。しかし、その一面を直視できるかできないかで、私たちの振る舞い、行動は変わるものになるはずだ。


鳥取県の闇と書かれてしまっているが、前記事を見てもらうと分かるように合計特殊出生率は1.65で全国7位。(最低賃金が同レベルという宮崎県も合計特殊出生率は1.71で3位である)
1人が産む数は少なくはない。
中絶も多いが、1人が産む数も比較的多い。・・ということは・・?

性交率が高い!&避妊実施率(普及率)が低い!! ではないでしょうか。


社会実績データ図録
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日本の避妊はコンドームへの依存度が高く、その他の近代的避妊法の利用が本当に少ないのが特徴である。

コンドームは正しく使用したとしても失敗率が3%ほどある。
一般的な使用方法(正しく装着できないことがある)だと失敗率が15%にもなってしまう。
コンドームの避妊率は70~80%くらいと考えたほうがよいという産婦人科医もいる。
(失敗例)
・コンドームの破損。(結構多いらしい)
・コンドームが取れてしまい意味をなさなかった。
・コンドームが取れなくなった。
・コンドームをしていたはずなのに何故か妊娠してしまった。
・コンドームを付ける段階を誤っている。(結果妊娠してしまう)
・緊急避妊ピルがあるから失敗しても安心という気持ちで失敗する。

欧米では普及しているピル(低用量経口避妊薬)は正しく使用した場合の失敗率が0.3%である。コンドームよりは避妊効果は確実である。
男性器に用いるコンドームでの避妊はどうしても男性主体となってしまうが、ピルの場合は女性が主体で避妊できるというメリットがある。
ただその分、女性任せとなって男性の避妊意識が薄れてしまうことも考えられる。
費用もコンドームよりかかる。
避妊薬としては用いられることは少ない日本だが、月経(生理)を早くしたり遅くしたりずらすために使用することは昔からあった。修学旅行や何かの大会などの前に、その日にちょうど生理があたって困るという女子に紹介したりすることがあった。

コンドームは他の避妊法よりも優れている点もある。性感染症の予防になるからである。
ピルで避妊している場合には性感染症の予防には一切ならない。
血液・精液・膣分泌液などに含まれる病原体の感染に対してはコンドーム装着が有効である。

病院の検査の基礎知識 過信は禁物!コンドームを付けても感染予防が難しい性病をご存知ですか?より
※コンドームの正しい使用方法についても書いてあるので読んでみてくださいね。
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患者数が多いのは性器クラミジア感染症。不妊症の原因となることがある。
性器クラミジア感染症、淋菌感染症は男女ともに2002年までは増加傾向が見られた。その後減少しているが、最近問題視されているのが梅毒の急増である。
またHIV感染も増加傾向にあることには変わりない。多いのはやはり男性間で性交渉を持った人であるが、異性間の性交渉で感染した人が男女ともにいる。
上の表にはないがB型肝炎も性感染症としての一面がある。これはコンドームが有効である。


現代においても子供を産む気がないのに(産ませる気がないのに)避妊しない率が高い日本。
また避妊の方法の主流がコンドームであるため失敗率も高い。
でもコンドームは性感染症をある程度抑えてきたはずでもある。
人口に関して言えば、中絶する人がみな子供を産めば人口は増えていくだろう。
だがそれは本当に幸せなことなんだろうか。
日本が出生率を下げるきっかけとなったのは戦後ベビーブーム(昭和22~24年)の危機感であった。
ベビーブームの最中に制定されたのが母体保護法(後の優生保護法)である。
出生率は下がっていくことになるが、そのかわり中絶数を増やすことになったのは間違いない。

母体保護法(昭和23年7月13日法律第156号)は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする法律である(同法1条)。



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# by yumimi61 | 2018-07-13 15:20
内閣府 都道府県別合計特殊出生率の動向
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2015年の日本の合計特殊出生率は1.45であった。
全国平均を下回っている都道府県が青い棒グラフとなっている。
都道府県別に見ても2.0を超えているところはない。
ただ西高東低の傾向があるということは言えそうである。
東の地域ほど「子供を育てにくい社会」。
あるいは人口(総人口)の多さに本能が抑制に働いたか。

この場合の都道府県別というのは出身地ではなく、住民票を置いている地である。

【高い順】 
1.沖縄県
2.島根県
3.宮崎県
4.鹿児島県
5.熊本県
6.長崎県
7.鳥取県
8.佐賀県
9.福井県
10.滋賀県

【低い順】
1.東京都
2.北海道
3.秋田県
3.京都府
5.宮城県
6.千葉県
6.奈良県
8.埼玉県
9.神奈川県
10.大阪府



日本の合計特殊出生率は1.45。一番低い東京都は1.24。
先進国の合計特殊出生率は2.0を下回っている。
先進国の平均寿命は比較的長いが、世界にはその半分くらいしかない国もある。
にもかかわらず世界人口は増え続けているので、やはり合計特殊出生率が2.0を超えている国が数多くあると考えられる。
それは前記事に書いたように「妊娠したくなくても妊娠してしまう」からであろう。あるいは本能的に生きていくことに不安を感じているか。

「妊娠したくなくても妊娠してしまう」理由は、避妊をしないからか、避妊に失敗するから。
「妊娠したくないのに妊娠した場合に産む」理由は、中絶をしないからか、中絶が出来ないから。

そこで今度は世界の避妊状況を見てゆきたい。
やむを得ない中絶もあると思うので絶対するなとは言わないが、出来るならば中絶という事態は避けてほしい思いは敬虔なクリスチャンでなくとも持っている。
だとしたら妊娠をコントロールするしかないのだ。


避妊の普及率ランキングマップ
避妊の普及率の偏差値にしたがって、国や地域を色分けした世界地図です。対象となる国または地域の平均と比べて、数値が高い地域はより赤く、数値が低い地域はより青く色分けしています
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避妊の普及率偏差値を計算しているのは、ワールドファクトブック(CIA)。2013年。
【避妊普及率偏差値の高い国】
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【避妊普及率偏差値の高い国】
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78  日本(2005年)  54.3%   52.0  B

人口減少が問題とされている日本の避妊普及率(避妊実施率)は実はあまり高くない。
先進国の中では最低である。
避妊実施率は世界平均に満たない。
避妊発展途上国。

では避妊しないのに、なぜ人口(出生数)が増えないのだろうか?
=考えられる理由=
①性交自体が少ない(それはありえない?)
②避妊していないのに妊娠しない(初経以後で閉経前ならこれはこれで問題がある)
③妊娠はするが産みたくないので中絶してしまう

日本の中絶率が高いことは確かである。
妊娠したのに産まない人が多い。
妊娠しちゃったら(赤ちゃんが出来たら)、始末すればよい(殺せばよい)という考えが根強くあるのだ。
前記事に古今東西「子供は天の授かり物」という意識があると書いたが、日本の中絶率の高さを思う時には信仰心の薄さゆえなのかと思わざるを得なかったりもする。




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# by yumimi61 | 2018-07-13 00:00
合計特殊出生率
15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計した数値。
「1人の女性が一生の間に産むとされる子供の数」に相当する。

例えば2017年の合計特殊出生率を出そうと思ったら・・
2017年に15歳となった人が生んだ赤ちゃんの数÷2017年の15歳となった女性の総数=15歳の出生率。
これを各年齢で全て計算し、全ての年齢の出生率を足す。

「一生」というわりには49歳までなんて・・?出産に関してはそれが現実です。(50歳以上の出産が全くないというわけではありませんが)

国や地域によって若年層が多いとか高齢者が多いとか年齢構成に違いがある場合にも、この方法ではその年齢構造の影響を受けない出生率を表すことが出来る。

但し出産年齢が集団で全体的に遅くなったり早くなったりしている傾向がある場合には、短期間の毎年比較での数値の僅かな上下にはあまり意味がない。

人口を維持するための合計特殊出生率は2.07~2.08。
これは人口のおよそ半分を占める男性が子供を産むことが出来ないため。
女性は男性分を補う必要があるので、1人が2人産む計算で人口維持が可能となる。
でも子供が運悪く出産年齢まで生きられないことなどもあるため、多少余裕を持って2.07~2.08としている。


ワールド・データ・アトラス ロシア合計特殊出生率
(オレンジラインは私が入れました。人口維持ラインです)
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グラフの真ん中辺りの山が1987年である。以降減少していくことになるが、1988年と1989年はまだ2以上ある。1990年が1981年と同じ1.90。
これは「1人の女性が一生の間に産むとされる子供の数」であり、山のところで人口が増えたということを意味するわけではない。
例えば、1960年にロシアの合計特殊出生率は人口維持ラインを超えていた。維持ラインよりも多くの子供が生まれた。
1960年に生まれた子供達の多くが出産年齢(20~30代として)を迎えたのが1980~1990年頃ということになる。
ロシアでは合計特殊出生率ではちょうどその辺りに山が出来ている。
出生数ならばここが第二次ベビーブーム(戦後の第一次ベビーブームに生まれた子供達が生むベビーは必然的に多くなる)というような捉え方になるだろうが、これは合計特殊出生率なので多くなるとは限らない。1.0となることも3.0となることもあり得る。
すなわちロシアでもここで合計特殊出生率が上がる必然性はない。

そこで私達は考える。
人々の妊娠出産の決意と遂行に一番影響を与えるものは何なのだろうかと。
人間が持つ本能なのか、男性の強要なのか、女性の意識なのか、それとも国の人口政策なのか、経済状況なのか。

世界経済のネタ帳 合計特殊出生率の推移(1980~2016年)(ロシア, 日本)
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実は人口減が心配されている日本も合計特殊出生率は僅かながら上昇傾向にある。
人口維持ラインにはどこにも届かないけれども。

内閣府 日本及び諸外国の合計特殊出生率の推移
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日本の戦後ベビーブームは1947~1949年(昭和22年~24年)であった。出生数が増えた年である。この時期に生まれた人達を団塊の世代と言う。存命ならば今年71~69歳になる人。

第二次世界大戦後の出生数の増加は世界各国で見られた現象(ベビーブーム)である。
第二次世界大戦(太平洋戦争を含む)が終わると、戦争から兵士が帰還した際や、戦争の終結に安堵した人々が子供を作ったため、前後の世代に比べて極端に人口比が高い現象が世界的に見られた。この時期に結婚・出産した世代は概ね1910年代末期-1920年代初期に生まれた世代と見られており、おおむね1946年から1952年頃の間に、北米、欧州、オセアニア、日本など世界各国で同種の現象が起きた。ただし、国や地域によって時期については前後することがある。

日本のベビーブーム世代(団塊の世代)の多くが出産を迎えたのが1971~1974年だった(第二次ベビーブーム)。
団塊の世代の女性は22~27歳で出産した人が多かったという計算になる。
しかしながら第二次ベビーブーム期間の合計特殊出生率は上がってはいない。人口維持ラインをすでに割っている。
要するに第二次ベビーブームは元々出産適齢期の人の数が多かったから出生数が増えただけのことであって、人々の意識が特別出産に向かったわけではないということ。


では戦前の日本の合計特殊出生率はどうなのか。
1920年 5.24
1925年 5.11
1930年 4.71
1935年 4.36
1940年 4.11

戦後ベビーブーム時代も4くらいである。

・戦前は貧しい時代と言われることが多い。女性にとって厳しい時代だったと言われることも多い。
・現代では経済的な支援をすれば、女性の労働環境などを変えれば、出生率が上がると考えられている。

この2つは事象は相反する。矛盾する。
貧しくて厳しいから出産しないのならば、戦前の合計特殊出生率はもっと低くて良かったはずだし、今はもっと高くて良いはずだ。
でもまるで逆。
何故だろう。
避妊と中絶に関係しているのではないだろうか。

昔は避妊成功率が高くなかったのでは?(避妊性交率も?)
つまり妊娠したくなくても妊娠してしまう。
そして今ほど中絶に対して積極的でなく(古今東西'子供は天からの授かり物'という意識がある)、今ほど中絶が容認されておらず、中絶場所や技術が整備・発展していなかった。
昔の人が生まれてきた子を可愛くないとか大切ではないと思っていたということではないが、女性が本能的に一生涯に産みたいと思う子供の数って昔も今もそれほど変わりないのではないだろうか。


(仮説)母性には本能的母性と芽生える母性がある。
産みたいと思うのは本能的母性。
お腹の中に胎児を感じたり、産まれた子を見たり抱いたりして芽生える(育まれる)母性もある。
育まれる母性が子を育んでいくのだ。

女でもあっても男であっても、どちらにも女性ホルモンと男性ホルモンが存在するように、同じ女性であっても母性よりも父性が強い人がいても不思議はない。役割が違う。
全ての女性を平均すれば、女性が本能的に一生涯に産みたいと思う子供の数って昔も今もそれほど変わりないのではないか、という意味である。
その本能的に産みたいと思う子供の数がおそらく人口維持ラインの2.0人前後なのではないだろうか。

また芽生えた母性が強いと育むことにエネルギーを傾けてしまうため、本能的母性が委縮することもあるだろうと思う。
それに関連して言えば、子供を育てにくい社会では育てることにエネルギーが費やされるため、本能的母性が委縮してしまう。
本能によるものなので、意識で簡単にコントロールできる部分ではない。
子供を育てにくい社会という認識を多くの人が持っているようで、だからこそ助成したり、女性の労働環境や家事環境を変える試みがなされてきたし、なされているのだと思うが、それでは改善しなかったという現実がすでにとっくに突きつけられているのだ。
よって「子供を育てにくい社会」の解釈が間違っているということになりそうだ。


本能の部分は意識では変わりにくい。
「子供を育てやすい社会」を実現したとしても、通常は2.0を大きく超えて増えることは考えにくい。
逆に、人口が増えていく時には本能は自然に抑制に動くと思われる。
それと同じで死亡率が高いなど生きていくことに不安を感じる時代は本能的に促進に向かうことも考えられる。
「子供を育てやすい社会」の実現で出来るのは、2.0を大きく下回ることを防ぐことだけのはず。
1人1人の意思が尊重された社会では、本来人口は減らすよりも増やすほうが難しいはずである。

世界全体で見れば人口は今も増え続けている。
先進国の合計特殊出生率は2.0を下回っているが、世界には超えている国が数多くあるということである。
それは上に書いたように「妊娠したくなくても妊娠してしまう」からである。
あるいは本能的に生きていくことに不安を感じているか。

ちなみに上の内閣府のページによれば、アジアにおいても、タイ(1.4)、韓国(1.24)、シンガポール(1.24)、香港(1.20)、台湾(1.18)は日本よりも合計特殊出生率が低い。




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# by yumimi61 | 2018-07-12 15:38
世界人口は爆発的な増加を続けているが、幾つかの国では人口が減少している。
ロシアも人口が減少していた時代があり、ロシアの人口減少は日本より格段に速く進むであろうと予測されていた。

日経ビジネスONLINE
門倉貴史の「BRICsの素顔」 ロシアの人口減少は日本より深刻 ー2006年6月26日
 より
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だがロシアは一旦持ち直して増加に転じた。
但し近年再び人口が減少に向かうのではないかと憂慮されている。

ロシアの人口減少、国連が予測  ー2018年05月17日 スプートニク日本

国連経済社会局は、ロシアの人口が2050年までに1億3200万人に減るとの見通しを出した。

一方で、都市部人口は300万人増え1億1060万人となり、総人口の83.3%となる。
農村部の人口は現在の3680万人から2210万人に減る。国連が統計を取り始めた1950年には、農村部に5740万人が住んでいた。

ロシア連邦統計局は1月末、2017年の出生率が前年比10.9%下がったとする報告書を発表した。
(でも国連予測は一度外れているからなあ・・と思われてしまいますね)

ロシアの人口は2010年頃から僅かに増加に転じた。

世界経済のネタ帳 人口の推移(1980~2018年)(ロシア・日本) 
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ソ連が崩壊したのは1991年のこと。
ソ連は15の共和国が集まった連邦国だった。
ソ連崩壊に伴って15共和国全てが独立した。

ロシア、ウクライナ、 ウズベキスタン、カザフスタン、ベラルーシ、アゼルバイジャン、ジョージア、タジキスタン、モルドバ、キルギス、リトアニア トルクメニスタン、アルメニア、エストニア、ラトビア、

現ロシアはその中の1つであるが、大きな面積を占める。
ただ1つ言えることは、ソ連と現ロシアはまるで同じ規模ではないということ。
ロシアの人口減少が始まったのはソ連崩壊以降である。


ロシアにおける移民政策の変容(上智大学助教 ムヒナ・ヴァルヴァラ)(PDF)より
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出生数よりも死亡数が上回った、要するに自然減が始まったのは、ソ連崩壊(1991年12月)の翌年から。
「自然増加数」で赤枠で囲った部分がマイナスとなっているところ。
しかしながらロシアはアメリカとドイツに次いで移民が多い国である。
すなわち移民が人口に与える影響が大きい国。
ソ連崩壊後の1992~1994年は倍倍と移民が急増した。
1994年には自然減を移民が全て埋めて余った状況となった(総合増加数がプラス)。
その年以外は自然減を完全に埋めるほどの移民増加はないが、それでもかなりの部分を移民がカバーしている現実が見て取れる。
移民が流入しなければ国連予測も外れることはなかったかもしれない。

さらに上記データの「移民」には不法移民は含まれていない。
上記データに限らず、不法移民は人口にはカウントされない。
ロシアには正規の移民の2~3倍の不法移民がいると見られている。
そうした不法移民は労働力にはなるかもしれないが、賃金や人権などが保障されない可能性は高く、当然税金などには繋がらない。
但しその国に居るということは、少ないながらもその国の紙幣を使うということになるので、不法移民も数が多くなって来れば紙幣量にも影響を与えることも考えられる。


ロシアへの移民は旧ソ連でロシア以外の共和国だった国からがほとんどである。
またそういう国からのロシアへの移住の場合、「同胞」として6ヶ月ロシアに住みさえすれば国籍が取得できる制度があったりもするらしい。
国の人口をどのように数えているかによるが、上記の表のように出生数と死亡数と移民局で管理している正規の移民の増加から毎年の人口を弾き出しているとすると、途中で国籍を取得した人などは数に含まれない可能性がある。
帰化する人が少なければよいが、かなりの人数がいるとすれば人口も変わってくる。


そのようにロシアには流入移民が多いが、ロシアから出ていく人もいる。
行き先はアメリカであったりイギリスなどヨーロッパだったり。

ソ連崩壊後にはロシア人科学者などのアメリカへの頭脳流出も起こった。全米科学財団によると、2003年にはアメリカ合衆国では20,000人のロシア人科学者がおり、2002年の発表では、マイクロソフト製品の30%はロシアのソフトウェアエンジニアによるものである。

ソ連解体以降は専門職の育成制度が廃止されたため,専門職の労働者が不足している。ソ連時代は,工場付属専門学校の制度があり,それぞれの工場がそこで要求される人材を育成していた。さらに,当時は,地方労働力の余剰があり,専門職および非熟練労働に就く動機づけを高める制度もあった。地方出身で都市の工場に就職した者は都市の登録(戸籍)を与えられ,宿舎が提供された。街路清浄労働者に対しては公営アパートが提供された。
しかしながら,ソ連の解体後はこういった専門職の育成制度が廃止されたため,専門職および非熟練労働者の不足の問題が顕著となった。現在のロシアにおける外国人労働者に対しては,安い労働力という側面だけではなく,専門職の労働力不足を補う人材としてのニーズも高まっているとされる(外国人人材派遣と移民手続支援センター長のインタビューより,2014 年3月)。


また日本と同じように一極集中、国内でもモスクワへ移住する人が多いらしい。
モスクワのような都市は人口が増加している。
著しく減った地域は、シベリア連邦管区(-8.7%)、北西連邦管区(- 10.8%)、極東連邦管区(- 22.1%)。
極東極東連邦管区は日本に近い所。北海道の上の方。
その西側隣がシベリア。
北西連邦管区はヨーロッパ側の北の方。ロシア帝国の首都だったサンクトペテルブルクはここに含まれる。



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# by yumimi61 | 2018-07-10 22:47
108.pngオウム真理教の死刑囚数名の死刑が執行されたということで、やはりそれなりに思うことはある。
事件やオウム真理教周りは実に不可解なことが多く、そのことについては過去に何度も記事にしてきた。
そこで今回「地下鉄サリン事件」「松本サリン事件」「オウム真理教」というカテゴリを作りました。


HUFFPOST
森達也 映画監督、作家
BLOG
地下鉄サリン事件がテロだったと誰が断言できるのか?
本来なら精神に異常をきたした人の死刑執行はできない。麻原の裁判をやり直すべきだ。
  ー2013年05月06日 14時08分 JST 

「テロ」の定義は、「直接的な暴力行為を働きながら、その脅威によって特定の政治目的を達成しようとする行為」だ。暴力行為や破壊行為だけではテロの条件を満たさない。だから秋葉原の無差別殺傷事件や付属池田小事件などを、テロと呼ぶ人はいない。

ところがボストンの爆破事件が起きたとき、犯行声明もなければ犯人も特定できていない状況で(つまり動機が不明なまま)、新聞やテレビなど日本のマスメディアは、「テロ」という言葉を当たり前のように使っていた。

つまり「テロ」がインフレーションを起こしている。ワシントンポストやニューヨークタイムスなどアメリカの主要紙の見出しについては、少なくとも日本の新聞よりは抑制的だとの印象を受けた。injureやkillやbombなどの言葉は散見するけれど、terrorismというワードは見つからない。犯行翌日にオバマ大統領はテロとして調査を進めているとスピーチしたけれど、この段階ではテロと断定はしていない。ただし最も影響力のあるテレビについては、日本のメディアと同じように、直後から「テロ」という言葉を使っていたようだ。


森氏はテロがインフレを起こしているという表現しているが、私は日本では何かあった時にどうしてテロだと疑わないのだろうかと感じることが多い。テロのデフレに違和感を感じるとでも言えばよいだろうか。
外国で何か事件があると日本人を含めて「テロか?」と疑ってかかる。
だが同じような事件が起きても、日本ではテロてのテの字も出てこない。
犯人の「自己責任」で片付けられてしまう。
ごくたまに変わり者が生じるくらいで、日本は平和で素晴らしい国だと思っているらしい
激しい学生運動の時代があったにもかかららず。連合赤軍によって凄惨な事件が起こされたにもかかわらず。日本赤軍は外国でも繰り返しテロを起こしたというのに。しかもその犯人達を超法規的措置で釈放したにも関わらず。
思いきりテロに身近な国の国民が世界で一番テロが遠いと思っているところが不思議極まりない。



いずれにせよ、取り調べはこれから始まる。どれほどに政治的な背景があったのか、実際のところはまだわからない。でも一つだけ確かなこと。もしもこれがテロならば、社会の不安と恐怖が高まったという意味では、その目的は半ば達成されている。不安と恐怖を必要以上に煽るメディアによって。

この傾向は、日本では1995年に発生した地下鉄サリン事件以降、そしてアメリカでは2001年の同時多発テロ以降、急激に加速した。二つの事件に共通することは、不特定多数が標的にされたことにより、自分や自分の家族もその場にいたら殺害されていたかもしれないとの被害者意識が、国民レベルで一気に共有されたことだ。不安と恐怖を抱いた社会は集団化を進め、自分たちを指揮する強いリーダーを求め、連帯を高めるために共同体内部の異物を探してこれを排除し、さらに共同体外部に共通の敵を探そうとする。もしも適当な敵が見つからなければ、無理やりにでも作り上げる。


不安と恐怖を必要以上に煽るメディアによって、集団が正義を振りかざす社会になった。それは確かに至る所で目にする。
だがメディアがどんなに非常事態を煽っても、今回のような記録的豪雨などへの備えは後手後手に回る。
今までにない被害が出る可能性があると予め言ってるのに「今までにこんなことはなかった」と振り返る。
あちこちで被害はあるけれど、「ここは大丈夫」「まさか自分のところには来ないだろう」と思ってしまうのだ。
体験していないことを自分の身に置き換えるということは、それほど難しいことである。体験していても、例えば育児など、ある程度時間が経過してしまうと、辛かったことや困ったことは薄れて、わりと良い思い出しか残らないということもよくある。
だから私は何故人々が自分に全く関係のないことに不安や恐怖を感じ、怒り狂うのか理解に苦しむ。

ひとつには数字の盲点、映像の盲点があるだろう。
雨で100人の人間が死んでしまうとしたら、それは酷い事態である。100人はとても多く感じる。映像はむごたらしい非日常だけを映し出す。
でも雨が降った地域の人口からすれば、亡くなった人は数%にも満たない。限りなくゼロに近いパーセンテージとなるだろう。
「ここは大丈夫」「まさか自分のところには来ないだろう」と人々が思ったことの大半は結果として間違いなかったことになってしまうのだ。
それを当てはめると、正義を振りかざしている人間を近年至るところで目にし、とても多くいるように感じてしまうが、実はそんなにいないということも考えられる。
森氏の文章に対して散々なコメントが並んでいるが、それが大衆の意見を代表するとは限らない。極めて偏った意見であることの可能性のほうが大きい。

子供を持つ多くの親が真に不安になるのは、被害者になることよりもむしろ加害者側になることなのではないかという気さえする。
被害者になることのほうが確率が低いであろうとどこかで感じ取っているからだ。


私はロックバンドのライブが怖い。何でかと言うと、観客が手を上に挙げて、腕振りっていうのかなあ、申し合わせたように同じ動きをするから。
気持ちがぐわーっと盛り上がったとして、どうしてみんな同じ動きになるの?無意識に同じ動きになるとしたらかなり怖い。
今はロックバンドに限らないかもしれない。全員起立するとか、手を横に振るとか、気持ち悪いくらいに動きが同じで、これは宗教イベントか!と思ってしまう。
というか、アーティスト自体が煽っていることもある。腕の振り方とか指南したり、一緒に歌わせたりして。
AKBの歌に乗せて、あっちでもこっちでも、あの人もこの人も同じ振付で踊ることも怖い。
なんとなくオウム真理教を彷彿するものがある。
あと生理的に受け付けないのが、アーティストがライブ地や会場名を叫んで盛り上げようする点。
そりゃあ誰だって帰属意識というものは多かれ少なかれ持っているだろう。
だけどライブに行って何で地名だったり会場に帰属しなければならないんだろうか。
そこの出身やそこに居住しているとも限らないのに。
とにかく私は人々が一斉に疑いも無く同じ動きをするのが怖いのだ。
そう考えると私は逃げ遅れるタイプかもしれない。あるいは別に逃げる必要なかったのに~と言われるタイプ。
あまり大きな声では言えないが(でもブログのどこかに書いたはずだが)、小学1年生の完成度の高い合唱すら怖い気がしてしまったくらい。(正確に言うとそれに感動したという親御さんがとても多かったことを怖いと感じてしまった。。だってまだ1年生なんだからそんなに立派に出来なくてもよいと思うんだけれど)
強制でないとするならば、これも一種の洗脳ではないのか、そう思う場面に出くわすことは日常に於いても結構ある。
サッカーのW杯でラグビーのW杯で、オリンピックで、それを観戦したり視聴したり応援しなければまるで非国民のような扱いも正直怖い。
みんないつからそんなにサッカーやラグビーが好きになったの?
どうして夜中にテレビ観ることを当たり前のように語っているの?昼間働いている人は夜は寝た方が良いと思う。

ひとつ何か間違えばオウム真理教の信者になったっておかしくない、ひとつ間違えば統一教会に入信して合同結婚式に参加してもおかしくはない、ひとつ間違えば、いや間違わなくても兵士となって人を殺したり特攻したりするかもしれない。
ごくたまに生じる変わり者だけでなく、集団と同じように行動できる優等生が、集団に埋没してしまうような普通の人が、ある日突然加害者になっていることがあり得るということである。
自分が子供の時にはあまり感じないかもしれないが、大人になって親になった時に、その漠然とした掴みどころのない不安がじわじわと押し寄せてくるということはないだろうか。


HUFFPOST 地下鉄サリン事件から20年 緊迫の現場(画像集)ー2015年3月20日 より

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防護服にマスク、黒手袋で地下鉄千代田線の霞ケ関駅構内に入っていく自衛隊員と消防庁化学中隊。
村上春樹氏の『アンダーグラウンド』の海外版の表紙に使われている写真に写っている駅員だか警察官の手が黒いのだが、駅員も警察官も通常は白い手袋を着用する。
黒い手袋は特別な防護手袋のようだ。


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出てきた時はマスクなしの手袋もなし。それならばいっそのこと服も着替えたほうが良かったのではないでしょうか。


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警視庁科学捜査研究所の職員。通称「科捜研」。
半袖に白衣、マスクなしで素手という緊張感がほとんどない軽装。


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気のせいか笑顔も。


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この写真でも白衣の方は気持ち笑顔のような。スーツ姿の方も科捜研の職員でしょうか。やはり素手。


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地下鉄千代田線の霞ケ関駅の入り口付近で毒物残留量を調べているという東京都職員だそう。
どこの残留量を調べたいのか調べているのか中途半端感は否めない。
毒物が残留しているかもと疑っている割には下を向いて顔を突き出し、マスクもなしに素手で臨んでいる。
第一、報道陣だか野次馬だかも周囲にいて、構内から上がってくる場所の周囲の立ち入りを規制しているふうもない。


写真は全て地下鉄千代田線の霞ケ関駅。
霞ヶ関は官公庁の街である。
オウム真理教は強制捜査を妨害するために警察庁のある霞ヶ関を狙ったと言われることもあるが、地下鉄を無差別に狙ったところで警察を壊滅できるわけはなく、そんなことをしても何の意味もない。
千代田線での死者は2名。霞ヶ関駅でサリンを片付けたという駅員2名がなくなったからサリンの象徴にしたいのか、官公庁の象徴なのか知らぬが、毎年3月20日になると霞ヶ関駅で慰霊式が報道される。
だけど死者を含めて被害者を一番出したのは日比谷線である。
いっそのこと聖路加国際病院で慰霊式やったらいいのに。(嫌味です)
時事通信社の写真が全て霞ヶ関駅というのもなんとも。


テレビで『科捜研の女』って放送しているじゃないですか。
ドラマとしては嫌いではないけれども、どう考えても科捜研が出しゃばり過ぎ。
鑑識官はいないのか?という感じである。
科捜研は現場や事件に囚われてはいけない。余計な情報に引っ張られず淡々と科学的事実だけを報告するのが仕事なはず。
現場を見たり、事件の概要や詳細を知ってしまうと、先入観が入り、自分や捜査陣の考えに沿うような物を探して採取してしまったり、そのような結果を出してしまいがちだからである。
あんなにちょくちょく現場に出掛けたりしないと思うのだが。

大河ドラマなどの歴史物、史実や現実に起こった事件を扱うドラマ、現実に存在する職業などを扱うドラマ、そういうものは幾らフィクションだと制作側が言っても、視聴者がドラマなんだと分かって観ているつもりでいても、完全に歴史や現実とは切り離せないものである。
そういう現実があると思い込んでしまうのだ。
洗脳の一種である。


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# by yumimi61 | 2018-07-09 13:27 | オウム真理教