人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

ホワイト

受験生の皆さん、こんにちは。
ワンポイントレッスンならぬ、いろいろレッスンです。
白はWhightではなくてWhite 、紫はPeopleではなくてPurple 、赤はLEDではなくてRED、緑はGReeeeNではなくてGreen、青のBlueはBluetoothのBlueで大丈夫です。
Fight!
ホワイト_e0126350_14045892.jpg
ところで群馬県の皆さんは群馬のローマ字表記に悩んだことはありませんか?
GunmaかGummaかということです。私はGunmaを使っています。
「ん」は「n」と書くけれど、m、b、pの前ではmを使うというルールのようなものも存在していて、どちらを使えばよいのか・・ということになってしまうわけですね。
「m、b、pの前ではmを使う」というルールは発音(声に出して読むこと)を前提にしていて、nmとか nb とかnpの並びは発音しにくいみたいです。
先日「こんま」のことを書いたけれど、点のコンマ(comma)はちゃんとmになっていますね。
でも日本人の場合、発音しにくいということがいまいち分からないんですよね。最近の受験生はそうでもないのでしょうか。
ホワイト_e0126350_14452810.gif
群馬はGunmaかGummaか ローマ字表記の謎
2016/5/20 東京ふしぎ探検隊


■群馬県に2つのローマ字表記 証明書要求も
 「なぜ表記が2つあるのか」。群馬県庁には数年前まで、企業や学生から問い合わせの電話が相次いだ。相手は海外進出を狙う県内の企業や、留学を検討する学生たち。海外の行政機関や学校から表記の混在について説明を求められ、「異なる2つの表記のどちらも有効」と書いた証明書を発行するようになった。
 2つの表記とは「Gunma」と「Gumma」。県では「n」を使っているが、パスポートが「m」を採用しており、違いを指摘されたのだ。
 何度も対応を求められた県は10年、ホームページ上に英文の説明文書を掲載した。そこにはこんな説明が載っていた(日本語訳)。

「群馬県庁では、県名の表記としては”Gunma”という訓令式のローマ字表記を使用しています。これは、1954年内閣告示第1号によるつづり方で、国際標準化機構(ISO)が1989年に承認したISO3602にも準拠するつづり方です。一方、外務省では明治時代以来の慣例として、都道府県のローマ字表記についてヘボン式を採用しているため、パスポートのローマ字表記は”Gumma”となっています。つまり、パスポート表記の”GUMMA”と、その他書類の”GUNMA”は同じ地名を表記していることに間違いはなく、有効に扱われなければならないものです」

 文書には担当者の手書き署名も入っている。nかmかは、関係者にとって大きな問題だったのだ。
 ちなみに歴史をさかのぼると、群馬県は「Gumma」と表記していた時代があった。国際戦略課の担当者によると、「時期は正確に分かりませんが、mからnに一度変更しました」という。内閣告示に従ったというのが第一の理由だが、「Gummaという単語は英語で梅毒のゴム腫という意味があることも考慮したようです」とのことだった。


ホワイト_e0126350_14045892.jpg

・原発事故の頃だったか、放射線のことを書いた時に電磁波の説明もしたと思うけれど、光も電磁波の一種である。
目に見える光を可視光線と言い、紫外線と赤外線は人間の目で見ることは出来ない。
電磁波のうち波長の長いものを電波と呼ぶ。
ホワイト_e0126350_16205961.gif
波長の短い(上の表では左側)電磁波ほどエネルギーが大きく物質を破壊する力がある。
波長が短いゆえに物質に衝突する回数が多くなり、衝突のたびにエネルギーが失われることになる。自身が持っているエネルギーの大きさから衝突の衝撃で失われるエネルギーも大きくなり、結果的に長い距離を進むことはできない。その分、物質に与える影響は大きいということになる。
波長の長い電波はエネルギーが大きくなく、衝突回数も少なくてすみ、長い距離を進む。
波長が高い電波は遠くまで飛ぶことが可能だが、エネルギーが小さいため乗せられる情報量が少なくなり、高出力が必要になる。
ホワイト_e0126350_16570975.png

・LEDは可視光線であり、紫色LEDや青色LEDは可視光線の中では波長が短く、紫外線寄りの可視光線ということになる。
昨今は紫外線の危険性が叫ばれることが多く、必要以上に紫外線を避ける傾向にあるが、その紫外線に比較的近い波長の青色LEDなどには無防備で接している。
LED場合、前記事に書いたように白色を「②青色LED+黄色蛍光体」で作っていることが多いので、単に青色だけが問題というわけではない。
それが「ブルーライト」が良くないと言われる所以である。


・太陽光は紫外線も様々な色の可視光線も出しているし、蛍光灯だって紫外線を放出している。
ただそれらは全方向に光を放つものである。また人は通常好んでそれらを見つめることはない。好んで見つめないだろうということはLED電球も同じ。
但しLEDはスマホやパソコンやテレビなどに使用されている。また今流行りのイルミネーションやライトアップにもLEDは使われている。すなわち好んで見るものにも使われているということが問題になる。
しかもLEDの光は指向性や直進性が強い。スマホやパソコンやテレビを考えてみれば分かるが、使用者と対面する形で前からほぼ真っすぐに放たれることになる。
同じエネルギーのものが360度全方向に光を放つ場合と全面のみに放つ場合、360度全方向のほうが光(エネルギー)が拡散され、全面に立つ1人の人間が受けるエネルギー量は減少する。一方向のみからのものを直で受ければ多くなる。しかも光源から近距離で見るとなれば尚更である。
このようにLEDの光は影響を受けやすい状態で見る機会が多い。


・ブルーライトの範囲 380~500nm
青色LEDだけではなく紫LEDの部分も「ブルーライト」と言う。
400nm以下が紫外線になる。
ホワイト_e0126350_21450424.jpg
私たちが日常的に見る機会のあるLEDのブルーライトのピークは450nmあたりになる。
ホワイト_e0126350_21463246.png
・ブルーライトでどんな影響が考えられるのかというと、やはり目への影響が大きい。
眼精疲労や目の痛み、網膜へのダメージである。
網膜にある黄斑部が変性を起こす黄斑変性症になると最悪失明することもあると言われるが、(加齢)黄斑変性症は今のところ50歳以降に発症することが多く、疾患名に加齢と付いているくらいである。欧米では途中失明の原因のトップになっていて、日本でも増加傾向にある。と言っても50歳以上の有病率が1.5%程度。欧米で2%ほど。iPS細胞で治すとか言っていたのがこの疾患ですね。
糖尿病網膜症は35歳以上で20%を超える有病率。
黄斑変性症は加齢に食生活(トランス脂肪酸の過剰摂取など)、喫煙、肥満、紫外線などがリスクとして挙げられる、ブルーライトの影響で今後増加する可能性があると言われている。歪んでみえる、中心が暗くみえるなどの症状が現れる。

ホワイト_e0126350_21592431.png
人間の角膜や水晶体は350nm~800nmの波長を透過させる。
350nm以下の紫外線は水晶体が吸収する。水晶体は紫外線から網膜をまもる紫外線吸収フィルター なのである。
フィルターである水晶体が通してしまう光の中でもっともエネルギーが大きくダメージを与えやすいのが紫外線寄りのブルーライトということで、これを直に目に入れてしまうことが問題視される。
余談だが、水晶体が白く濁ってうまく働くなるのが白内障。80歳だとほぼ全員白内障になっていると言われるくらいポピュラーな眼病である。遺伝などで若くして発症する人もいるが、約80%は加齢によるもので避けがたい。20%が紫外線によるものとされている。
水晶体のたんぱく質が変性してくると、吸収しきれない紫外線が網膜に届いてしまう。
何事も積み重ねだから無暗に紫外線を入れて負荷を掛けすぎないほうが良いが、加齢による変性は如何ともしがたいところがあり、全てが紫外線が原因となっているわけではない。

あと目で光(明るさ)を感知するので光や日照(日長)などの影響が大きい生体リズムにも関係してくる。いわゆる体内時計(サーカディアンリズム・概日リズム)であるが、特に青色LEDの光はそれを狂わせることが知られている。
サーカディアンリズムは、睡眠、体温、精神活動、ホルモン分泌など人間の大半の生理現象に関わりがあるので、それが乱れると様々な不調を来たす。


・近視になる原因は遺伝と物を近くで見る習慣だと言われている。
今のところ、ブルーライトが直接近視を引き起こすとは考えられていない。
スマホでもパソコンでもテレビでも本でも、近づいて長時間見続けることがよくないとされる。
だけどこれもいまいち説得力が弱いなぁと思う。
私は昔も今も近視ではない。目は良いほうだった。1.5は当たり前で測定してくれれば2.0という時もあった。だけどいろんな意味で目は酷使してきたような気もする。ただ大人になってからはゲーム類はほとんどしないけれど。眼精疲労とかドライアイになることは時々ある。
今はどっちかと言えば老眼で近くの細かい字が見えにくい。1.5の老眼鏡が合うくらいな感じ。2.0ではちょっときつい感じがする。
息子たちも近視ではない。
私の妹は子供の時は近視ではなかったが、年々進んだらしく、数年前から運転免許の更新に眼鏡が必要になったとのこと。ただ近視の人はもともと近くにピントが合っている人なので近くが見えにくくなる老眼を感じるようになるのは概して遅い。妹もそう。
姪っ子は子供の頃から近視だった。


・小中学生の視力低下者が増加しているという話はもう何年も前から言われているが、全国的には実際どんなものか。
ホワイト_e0126350_23384995.gif
ホワイト_e0126350_23373373.gif
http://www.garbagenews.net/archives/1868624.html


・ブルーライトのことを書きながら、こんな時間までブルーライトを浴びてしまっている・・(一応カット眼鏡はしています)
明日センター試験を受ける受験生はもう眠りに就いたかしら。
明日は朝ご飯をしっかり食べて。
パンでもよいけど。
ホワイト_e0126350_00211258.jpg
(写真)
大阪新阪急ホテル ベーカリー&カフェ「ブルージン」の猫パン♡

そういえば、うちの次男はセンター試験の時に私が作ったお弁当を車中に忘れていったことがある。
一瞬あたまが真っ白になって身体が固まって次に蒼ざめた。(私が)
でもなすすべなくお弁当を積んだまま家に戻ったのだった。
たぶん昼食時間に外出して近くのコンビニで何か買ったんだろうなぁと思ったのだけれど、
帰りに聞いたら何も食べなかったと・・・火事場の馬鹿力的なものを狙ったとか?
忘れ物をしないように気を付けましょう。






# by yumimi61 | 2020-01-17 14:08

Whight

・先日、「白馬節会」の「白馬」は「あおうま」という読むということから、色の話を書きました。その時は、青、緑、グリーン(green)が中心の話だったけれど、赤、緑、青で思い出すのは何でしょうか?
そうです、LEDです。

・LED=Light Emitting Diode。発光ダイオードです。
私は以前もLED(ノーベル賞関連だったかな?)について書いたことがあるが、1990年代に青色発光ダイオードが登場したことで(これを理由に日本人研究者が2014年にノーベル物理学賞を受賞した)、ダイオードに光の三原色(赤・緑・青)が揃い、青色ダイオードを用いて「疑似白色ダイオード」(青色ダイオード+黄色蛍光体)を作ることも可能となった。
これによって家庭用の白色LED電球、LEDのフルカラーディスプレイなどが普及していき、信号や街頭にも導入されるようになった。
またこれも何度か書いた気がするが、(私に言わせれば)原発事故であれほど節電だのエコだの言っていたのに、LEDでのノーベル賞が契機になったのか何なのか、その後急速にイルミネーションブームやライトアップブームが興り、瞬く間に拡がっていくという正気の沙汰ではない状態に向かうのだが、そのイルミネーションやライトアップも今ではすっかりLEDがお馴染み。

受賞者 (年齢や所属役職は当時のものです)
名城大学教授 赤崎勇氏(85)
名古屋大学教授 天野浩氏(54)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授 中村修二氏(60)=米国籍


・まず科学的なことを考えるより何より言いたいことがある。
0と1、無と有の間には大きな違いがあるということ。
環境に負荷をかけるAという物があるとする。環境に負荷をかけるということで、これまでは使用を控えていた人もいた。
ところがそのAという物に環境に優しいと謳う新商品が誕生してきた。そこで人々は安心してみなそのAを使用するようになった。
(例)
 旧A 環境負荷2       ⇒使用者10人 ・・・2×10=20
 新A 環境負荷1(旧Aの半分)⇒使用者100人 ・・・1×100=100
環境にかかる負荷は新Aが誕生してからのほうが5倍高くなる。

使用者が変わらず同じだけならば環境に優しくなったとしても、使用者が増えたら(0が1になるということ、無が有になるということ)環境は悪化する。つまり新商品の環境への優しさなんて意味がなくなることを意味する。21世紀はこんなことが分からない社会なのか。


・LEDが環境にやさしいと言われる理由。
(1)消費電力が少ない
この場合、消費電力が少ないというのは、ライトを光らせるにあたって電力をあまり使わないということ。
消費電力差が大きいのは白熱電球と比較したときで、蛍光灯(蛍光ランプ)との差はそこまでなく、蛍光灯のほうが消費電力が少ない場合もある。
電力を使わないということは、結果的に使用者の電気代が少なくて済むということであるが、これら解釈には注意が必要(後述)。
環境的なことを言えば、電気を作り出すために発電が行われる。一番の頼りは火力発電である。火を燃やせば二酸化炭素が放出されるということで、二酸化炭素悪社会(温暖化懸念社会)では、回りまわって消費電力が少ないものがエコだと言われることになる。
(2)水銀を使用していない
蛍光灯(蛍光ランプ)は水銀を使用しているが、LEDは使用していない。
但し白熱電球やハロゲン電球も使用していない。
水銀は危険なものなので、自治体の不燃物回収で危険物として別途回収しているところもあると思う。


・LEDの発光部はLED素子と呼ばれる半導体である。その大きさは約0.3mm角程度。半導体が直接可視光を発している。
LED素子(半導体)が蛍光体の入った樹脂で覆われ、一つのパッケージになっており、照明器具の内部にそのパッケージが取り付けられている。


・一般的に照明器具は白色光であるが、LEDに白色があるわけではない。白色を作り出す必要がある。次のような方法がある。
 ①赤色LED、緑色LED、青色LEDを組み合わせる
 ②青色LED、黄色蛍光体を組み合わせる
 ③近紫外線LED、青色蛍光体、赤色蛍光体、緑色蛍光体を組み合わせる
 ④青色LED、赤色蛍光体、緑色蛍光体を組み合わせる
 ⑤紫色LED、青色蛍光体、赤色蛍光体、緑色蛍光体を組み合わせる

カメラが趣味な人は知っていると思うけれど、照明(照明器具や明るさ)によって写真の写りや色味は全く変わってしまう。
だから一眼レフカメラなどだと自分で調整して撮影したり、どんな光の下で(屋外の自然光で晴れているのか曇っているのか、屋内で蛍光灯なのか白熱電球なのか等)撮っているかを選択した上で撮影することがある。

照明で何か物体を照らすとき、自然光で見る時の色をどの程度再現しているかを示す指標を「演色性」という。

物を商品化するときには、その目的と効率とコストを考えなければならない。
照明器具の場合、効率は発光効率を言う。→単位電力あたりの全光束 lm/W (ルーメン毎ワット)
 ①は演色性は比較的良いが、発光効率とコスト面に課題が大きい。
 ②は演色性は悪いが、発光効率が比較的良い。
 ③は演色性は良いが、発光効率に課題がある。また紫外線を放出する。
 ④は演色性が②より良い。発光効率も比較的良いが、コスト面に課題あり。
 ⑤は演色性は良いが、発光効率やコスト面に課題がある。また紫外線を放出する。


・上記の比較は、基本的に同じ性質を持つLED内(組み合わせ方法)での比較である。
蛍光灯や白熱電球は違う方法で発光させるため、そもそもの性質が違うので単純比較は難しい。
照明器具を使う場合、見合った明るさや色が必要なわけである。どこをどのように明るくさせたり照らしたいかということはそれぞれ違ったりもする。
蛍光灯や白熱電球では360度全方向に光を放射するため、周囲が全体的に明るくなるのに対し、LED照明は0.3mm角程度のLED素子を並べて取り付けているため特定の方向を照らすという指向性や直進性がある。
だから部屋全体の照明として導入した場合などには、これまで使用していた蛍光灯や白熱電球と同じワット数でも暗く感じたり、暗くなる部分が出てくるのである。
何度も言うようだが異なる物を単純比較するのは難しい。
LEDの照明器具が発売された当初には「白熱電球〇〇W(ワット)形相当」という表記がなされていた。
それは元々の性質が異なる物を一概に比べられないからだし、作り出す方法(特色)も幾つかあるし、測定場所や測定方法が違えば数値が大きく変わる可能性があるからである(メーカーなどによって測定方法が違っていた)。
だから「相当」と言って濁したというか誤魔化したが、消費者は「相当」なんて末尾の言葉にはそこまで注目しないか、イコールと思いがちである。
そして白熱電球の40WをLEDの40Wに交換したところ、「これまでより暗い!」という苦情が多数寄せられることになった。
そのため日本電球工業会(JLMA)が中心になって新たな指標が導入されるようになった。それが発光効率とも言っている「単位電力あたりの全光束 lm/W (ルーメン毎ワット)」である。
このルーメン値が大きいほど明るいということになる。
同じ消費電力でも明るい製品も暗い製品もありますということを認めたということにもなるが、「元々の性質が異なる物を一概に比べられない」ということは根本的に解決しているわけではない。
屋内の空間全体を明るくさせたいような場合には、全方向性の照射に優れている蛍光灯などのほうが消費電力が少なく済むということになる。ということは、同じ明るさを維持したいならば蛍光灯のほうが環境(使用電力)にも経済的にもお得でエコである。もう少し暗くても良いとかスポット的照明で消費電力を抑えるのであれば、それはLEDでない方法もあり、LEDが省エネに貢献するとは言い難い。


・LED素子1つは0.3mm角程度と非常に小さいものである。
こんな小さいものであるから発光力には自ずと限界がある。
LED素子1つが発光するくらいは大した電力は必要ではない。同時に用途もないだろう。
じゃあどうするのかと言えば、大量のLED素子を集めて、大きな電力を投入し、一斉に光らせ、大きな発光力を得るのである。
これはあの歌方式である。
 一人の人間は とても弱いけれど それでも みんながみんなが集まれば 強くなれる 強くなれる~♫
この歌は『一人の手』という歌なのだけれど、私はそれを中学1年か2年の時に担任教師&国語担当教師(新任の女性教師だった)から教わった。余談だけど私はその教師と何があったわけでもなく不真面目にしていたということもないし嫌っていたというわけでもないのだが、相性が悪かったらしく、もともと国語は得意だったのに評定成績が5→4に落ちたり担任通信欄に書かれる内容がわりと厳しく母親に慰められるほどだった。そのせいかこの歌のことも妙によく覚えている。


・『一人の手』は"ONE MAN'S HANDS"という英語での原曲がある。
One man’s handsでは刑務所を取り壊すことは出来ないとかか、One man’s handsでは彼らに聞かせるように叫ぶことは出来ないとか、One man’s eyesでは明瞭に未来を見ることは出来ないとか、One man’s voiceでは彼らに聞かせるように叫ぶことは出来ないとか、One man’s strengthでは原子爆弾を禁止させられないとか、One man’s strengthでは組合(連合)を動かすことは出来ない、でも if two and two and fifty make a million, We’ll see that day come round,とかいう歌詞である。
刑務所を取り壊すとかやや物騒と受け止められたのか、もう少しマイルド&抽象的&壮大(世界平和とか)な感じにした英語歌詞も存在する。こちらの解決策はこうである。
But if two by two we watch for one another, We’ll see that day come round
あとは two by two we talk to one anotherとか two by two we learn to love each otherとか。
日本語の歌詞は「みんなが集まれば出来る~」というような、かなりアバウトな、または頭数こそ力‼的な歌詞になっているけれど、英語のほうもそういうニュアンスなんでしょうか?


・LEDがエコだと思わせる理由に「LEDは発熱しない(熱くならない)」というものがある。
だけどそれは間違いである。
エネルギー保存の法則があるように、投入した電気エネルギー(電力)は、エネルギーの形(種類)を変えても量は変わらずに放出されるものである。突如ある量のエネルギーがブラックホールに吸い込まれて消滅してしまうわけではない。
LEDへ投入される電気エネルギーのうち可視光に変換されるのは20~30%程度と言われている(幅を持っているところが要注意でもある!)。白熱電球の場合はおよそ10%程度、蛍光灯は20%程度。
残りのエネルギーはどうなるのかと言えば、熱エネルギーとして放出されるのである。
LEDの光には赤外線がほとんど含まれていないので、人間が熱(暖かさ)を感じることがない。
白熱電球や蛍光灯の光には赤外線も含まれるので熱を感じることが可能である。
赤外線は可視光線ではない。これは前にも書いたことがあるけれど、こたつなどが赤いのは赤外線の色ということではない、見えないのだから赤いも何もない。見える色を付けたから赤いのであり本来は見えないもの。目に見えずとも電球からも赤外線や紫外線が放出されている。
LEDは赤外線や紫外線の放出が少ない。(皆無ということではない)上に書いたように近紫外線LEDや紫LEDは並みに放出する。
Whight_e0126350_22373571.jpg
・LEDは蛍光灯や白熱電球と比べて放たれる可視光が同程度またはやや多いものの、赤外線や紫外線をあまり出さない。
では残り70~80%のエネルギーはどうしちゃうのかと言えば、熱になって籠ってしまうのである。このためLED素子や基板部などがとても熱くなる。
しかし皮肉にも半導体やコンデンサーなどの電子部品は熱にとても弱いものである。
つまりそのままにしておいたのでは熱暴走してすぐに故障してしまう。すぐに故障しないにしても、LED素子・蛍光体・樹脂などの材料は高温に晒され加速的に劣化が早まり、本来の役割を果たさなくなる。高温下では十分に性能を発揮できない。
LEDは寿命が長いと言われるが、本来の性質のままでは全く逆。
ではどうするか。放熱するのである。
LED素子から発した熱を放熱器(放熱板)に伝えて、空気中に熱を逃すのである。
LED製品はいかに放熱させるか(放熱設計)がキモとなる。


・製品にとっては上手に放熱できてバンザイ\(^o^)/ということになっても、空気中に熱が排出されるのだから外気温は上がる環境にあり、「いったいどこが温暖化対策になるのですか?」ということになる。
これは同じく放熱させるエアコンも同じことである。
温室効果とかなんとか言う前に、熱そのものを出し続けていたら、そのほうがよっぽど直線的に強烈に影響があるだろうと思う。
グツグツと沸騰しているお湯を鎮めたかったら、蓋を取ることよりも、まず火や電気を消さないと。
この放熱問題やアスファルトやコンクリートで蓋をして地中に雨水などが浸透しない問題を問題にしない温暖化の問題視や対策は胡散臭さを感じる。
意固地に二酸化炭素だけに拘る点にかえって不都合な真実を感じてしまうわけだ。
二酸化炭素を疑ってみてもよいけれど、それなら同時に疑うべきことは他にもあるはずである。
問題があったら多角的に検討を加えるのは当たり前なことだと思うけれど、何故そうならないのか。それも世界レベルで。






# by yumimi61 | 2020-01-16 14:16

カルマ

昨年12月30日に見つけたこれ。
カルマ_e0126350_15470648.jpg
賽子(サイコロ)1つと瓢箪(ひょうたん)6つの組み合わせは、一賽六瓢(いっさいむびょう)だから一切無病(いっさいむびょう)に繋がるという語呂合わせで、無病息災(むびょうそくさい)の願掛けになっているらしいのです。


・瓢箪(ひょうたん)を使う言葉と言えば、「瓢箪から駒(ひょうたんからこま)」も思い出しますよね。
【意味】 (故事ことわざ辞典より)
瓢箪から駒が出るとは、思いもかけないことや道理上ありえないことが起こること。また、冗談半分で言ったことが現実になること。


・前記事に書いた宮中行事で駒牽(こまひき)というものがあったけれど、それを見ると分かるように駒は馬の意味があります。駒(こま)は子馬(こま)というわけです。子馬のほか若い馬も含まれるようです。
[四月より]
駒牽(こまひき)──二十八日。五月の騎射に出る馬と射手を天皇が親閲される儀式。八月にもあるが意味が違う。
[八月より]
駒牽(こまひき)──十六日。諸国の牧場から献上された馬を、天皇が紫宸殿でご覧になる儀式。



・私は駒で思い出すことがある。
いつだったか将棋の駒が庭に落ちていたこと?
そうです、落ちていたことがありましたね。⇒2009年5月29日『ほころび』
「こま」をタイトルに狛犬のことなどを書いたこともありました。⇒2012年10月29日『こま』

でもそれだけではなく、思い出すのは「春駒」である。
以下「春駒」の説明は、精選版 日本国語大辞典より.

はる‐ごま【春駒】「はるこま」とも
① 春、若草を求めて野に遊ぶ馬。また、単に馬の意。《季・春》
※類従本小町集(9C後か)「霞たつ野をなつかしみ春駒のあれても君がみえわたるかな」
② 新春の祝いに、馬の頭の作りものを、手に持ったり頭に戴いたりして、戸ごとに歌い舞い歩いた門付(かどづけ)芸人。また、その歌。禁中の白馬節会(あおうまのせちえ)を模倣したものであろうという。《季・新年》
カルマ_e0126350_17162661.jpg
※俳諧・洗濯物(1666)春「春駒の糟毛や汗を一しほり〈政也〉」
③ 馬の頭の形をしたものを竹にさし、その末端に車をつけたもの。子どもが初春にまたいで遊ぶ玩具。
カルマ_e0126350_17165082.jpg
※洒落本・善玉先生大通論(1801)序「かの幼稚(こども)の輩(ともがら)〈略〉春駒(ハルコマ)大鼓舞車をのれをのれが好める物に喜戯(たはぶれ)恋著(あそび)」
④ 心の勇みはやるさまをたとえていう。
⑤ 鹿児島市の名物で、米の粉、餠の粉、黒糖などを原料として作り、馬の陰嚢(ふぐり)に模した黒褐色の団子餠


・私は子供の頃から春駒を知っていたが、それは春駒という行事のことを知っていたからである。上で言えば②に該当するのであろう。
私が知っている春駒は利根郡川場村というところで行われている行事である。


・『春駒まつり』は、もとは川場村にある臨済宗建長寺派の禅寺、花寺としても知られている)吉祥寺境内にある養蚕の守護神、金甲稲荷神社の祭日(旧暦の元旦)に催されたもので、現在は毎年2月11日に行なわれている。
昔、毎年村を訪れていた旅芸人一家が病気で来られなくなり、その後養蚕が大不作になったことから、地元の若者(青年団)が歌と踊りを習い覚えたことに始まり、春駒保存会も作られ現在まで伝承されている。
深夜1時頃から集会所に集まった春駒保存会の男性が化粧や着付けを凝らし女装して、明け方6時から歌と踊りを披露しながら100戸ほどの家々を回り「家内安全」と「養蚕の豊作」を祈願するというもの。
おっとう(父親役)1人、おっかあ(母親役)1人、踊り子(娘役)2人という旅芸人一家に扮するのは全て男性(4人1組)。
おっかあは太鼓、おっとうは大袋、踊り子は小さな馬の首を持ち、吉祥寺境内の金甲稲荷神社に奉納され、その後に門前地区の家を次々とまわる。どの家にも上がりこみ神棚の前で春駒の歌を歌って踊るのが慣わし。 
歌と踊りが終わると、桑の小枝の先に小さく色紙を結んだものを縁起物として渡され、渡された家の人は祝儀を渡し、もらった桑の小枝を神棚に供える。これを養蚕の時に蚕室に飾ると「蚕があたる(豊作になる)」と言われている。(しかし現在養蚕自体は廃れている)
場所は川場村門前地区(群馬県利根郡川場村門前860周辺)。
奇祭 春駒まつり ←写真・動画あり


・【春駒】<群馬県教育委員会編 教材「群馬の文化財」-近世・近代・民俗編ー昭和57年刊より>
春駒は、万歳・鳥追い・神楽・俵ころがしなどと同様に、初春に家々を訪れる門付芸のひとつである。多くの門付芸が、一般的な祝言を述べたのに対して春駒は、はっきりと養蚕の予祝をする。そこに本県芸能としての特色がある。
 芸人たちの出所は、旧利根郡白沢村、吾妻郡高山村など2~3のところが知られている。女性が3人ほど組んで、一人は馬首の形の木片を持ち、他は鈴などを楽器として、別掲のような長文の春駒唄をうたう。
 養蚕がどうして馬につながるかは明瞭でないが、遠く中国でも古代からいわれ、日本でもこの結びつきは広く伝承されてきた。
 門付芸としての春駒はすでに絶えてしまったが、それを、利根郡川場村門前の青年たちが民俗芸能として演じている。門付芸がなくなったので、それを継承したのだという。2月初午、同地の金甲稲荷の祭日にあたって演ずる。役は、おっかぁ、踊り子、などとなっている。

春駒唄(抄)
(入)さっさはりこめはねこめ 蚕飼(こがい)の三吉
(序)春の初めの春駒なんぞ 夢にみてさえよいとや申す
(種―略)
(催青)三とこの種をばみなよせ集め 右の小脇に3日3夜 左の小脇に3日3夜 両方合わせて6日6夜 温め申せばぬくとめ申す 3日に見初めて4日に青む
(掃立=略)
(蚕飼)このお蚕さんに何をかしんじょ桑の芽ぐみがよいとや申す 17,8なる姉さんたちが 髪は島田にこじゃんと結うて 白金黄金の目籠をさげて 桑の若芽をおてやわらかに 1こきこいtは目籠にいれる 籠につめこみわが家へ帰り あの蚕(こ)この蚕(こ)に進ぜて廻る
(成長)さればこれより休みにかかる シジの休みはしんじつ蚕 フナの休みはふんだん蚕 ニワの休みでにわかに育つ くせなくきずなく簇に上がる
(以下繭になり、糸にし機を織りそれを神々に供え売り、銭倉7つに札倉7つ建ち大繁昌と祝言を述べて)
ましてわが家は万々年よ お蚕繁盛とお祝い申す。



・私は近年まで何故か川場村の春駒を「はるこま」ではなくて「はるこんま」と読ませる(呼ぶ)ものだと思っていた。その昔「はるこんま」と呼んでいたことはないでしょうか?完全なる私の思い込みなのか。


・サンスクリット語の”karma”(カルマ)の音写が「羯磨」である。
”karma”「羯磨」:行為・所作・業(ごう)などと訳す。受戒・懺悔(さんげ)の儀式作法。
「羯磨」を「かつま」と読むのが天台宗。「こんま」と読むのが真言宗や南都六宗(奈良仏教)。
南都六宗(奈良仏教)は奈良時代に平城京を中心に栄えた宗派であり、天台宗と真言宗は平安二宗と呼ばれ平安時代以降に平安京で栄えた宗派であるが、天台宗と真言宗では読み方が違う。
今日私が『カルマ』というタイトルを付けたのは、「春駒」⇒「はるこんま」の「こんま」⇒「羯磨」(こんま)⇒”karma”(カルマ)という流れです。


・春駒の説明の③で思い出すのはやっぱり木馬ですよね。
馬を模した玩具は紀元前から存在するもので、また世界中で広く例が見られる。玩具としての「木馬」は、子供がその背にまたがって後に揺らして遊ぶもの(rocking horse、揺り木馬)と、長い棒の先に馬の頭をつけ、棒の部分にまたがって遊ぶもの(hobby horse、棒馬)の二種類に大別されるが、揺り木馬のように全体が馬の形をしたものでも前後に動かないもの、車輪がついていて引っ張って遊ぶものなどもある。

子供が背に乗って揺り動かすための木馬は、木製の玩具としては歴史的に最も古いと考えられ、その源流は紀元前5世紀までさかのぼることができる。
日本においては武士の子弟が乗馬の訓練を行うための木馬が古くから存在しており、戦国時代の武将・武田信玄が、その幼少期に自分の木馬に取り憑いた物の怪を退治したという伝説もある。


息子たちが幼い時、揺り木馬がうちにもありました。義父が作ってくれたものです。
大工だった義父は宮大工になりたかったのだとか。こんな写真しかなくて申し訳ない気持ち。
しかも写真の日付が何故か90年になっていますが、1990年に息子たちは生まれておりません。
カルマ_e0126350_00201526.jpg
・ある世代の方は木馬と言えば、冬彦さんを思い出すのではないでしょうか。
今写真探したら簡単に見つかったけれど、なんとクマまでいる~!(うちにも大きいクマさんがいたので思わず感激してしまいました)
そういえば佐野さんが出演していた土ドラの団地シリーズも面白怖かった。
カルマ_e0126350_00241429.png

・でも春駒の馬は棒馬のほうですよね。
棒馬(ホビー・ホース)と呼ばれる、棒の先に馬の頭をつけた木馬も古くから存在しているもので、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの家にもあったという。
「スティック・ホース」 (stick horse)、「コック・ホース」 (cock horse) の呼び名もあり、後者の呼び方は著名なマザー・グース「木馬に乗ってバンベリー・クロスへ」 ("Ride a cock horse to Banbury Cross") にも表れている。棒馬はまた、伝統的な祭礼で踊り手が腰につけたり、仮装者が頭に被ったりする作り物の馬を意味する言葉としても用いられている。
日本にも竹を使った同様の伝統玩具があり「春駒」と呼ばれている。もともとは馬の頭がなく、単に竹の棒に紐をつけて手綱に見立てたものがはじまりで、このような玩具(「竹馬」)は平安時代にはすでに存在し、文献では『雑言奉和』(901年)に最古の言及が見られる。江戸時代中期の絵草子では、練り物の馬の頭がついた非常に凝った作りの春駒が描かれている。現在一般に「竹馬」と呼ばれている、竹竿に横木を付けてその上に乗って遊ぶ玩具も、竹竿の部分またがって遊ぶ古い「竹馬」の変形として江戸時代に現れたものである。



・駒が子馬ならば春駒は春の子馬ということになるけれど、そもそもほとんどの馬が春に誕生するんだそうです。
何故かと言うと、まず馬(特にメス)は長日性季節繁殖動物で、発情するのは日長時間が長い時だけ。春から夏(5~7月くらい)が牝馬の生殖機能が活発となる発情期。でも毎日いつでも良いというわけではなくこの期間内に3週間おきくらいに4~5日の発情期間があるとのこと。
そして妊娠期間は人間より長くて11か月を要する。つまりほぼ1年がかりで、誕生は4~6月が多くなるらしい。
動物だけど馬は発情期も決まった時期しかダメで妊娠期間も長いので、人間よりも繁殖力は強くないということですね。





# by yumimi61 | 2020-01-14 16:56

願望

願望_e0126350_16414930.jpg
あれはいつだったろうか。
「空と海はどちらがどれだけ青いんだろうね」と私が訊けば、ただ「うん」と言ったきり君は黙り込んだ。
「空色と水色、そうだ、緑も青って言うね」
そう言うと、君はクスリと笑った。
あれというのは、”今日は武士の日か”と私が呟いた時で~す。
確かこの国が俗にいう平和安全法制(またの名を戦争法)(極めて狭義には安倍の紛議)ですったもんだしていた頃だったはず。
武士の日というのは、海の日でした。
なぜ海の日を武士の日と言ったのかと言えば、童謡『海』を思い出していたからです。
『海(うみ)』は、作詞:林柳波、作曲:井上武士、という黄金?コンビの童謡です。

今日は1月13日、成人の日ですね。アダルトの日? あ、タルトの日?
この成人の日も海の日もそうなんだけど、何月何週目の月曜日とかいう記念日(祝日)は、記念日感や本来の意味感、親密感がかなり薄れますよね?商業臭が強すぎるというかご都合主義というか、ぶっちゃけどこでもいいんじゃないか的な感じが滲み出てしまって。なかなかいつが何の日か覚えられなくなるし。
そうでもないですか?
今年のカレンダー見たら、今年は2月23日が天皇誕生日になっていたー(それはあたりまえ?)
願望_e0126350_16414930.jpg
さて、昨日の例題の答えを発表します。
例題 十二  七日……白馬(あおうま)見にとて、里人(さとびと)は車清げにしたてて見にゆく。中の御門(みかど)のとじきみ引き過ぐるほど、頭一所(かしらひとところ)にゆるぎあひて、挿櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふもまたをかし。左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)のもとに殿上人(てんじやうびと)などあまた立ちて、舎人(とねり)の弓ども取りて馬どもおどろかして笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりつかさ)・女官(にようくわん)などの行きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をならすらむなど思ひやらるるに、内にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔の衣にあらはれ、まことに黒きに、白きもの行きつかぬところは、雪のむらむら消え残りたるここちして、いと見苦しく、馬のあがりさわぐなどもいとおそろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。(枕冊子・三殿)

  この事がらは、何月ごろと思われるか。理由を示して答えよ。
  次の語句を簡単に説明せよ。
   (イ)里人   (ロ)左衛門の陣  (ハ)舎人
   (二)主殿司  (ホ)九重をならす (ヘ)内にて見る



一月。白馬の節会は一月七日に行われた。

(イ)宮仕え人で、休暇をいただき、自宅にさがっている者。
(ロ)左衛門の役人の控え所。陣は、隊員あるいは班員の勤務場所。
(ハ)近衛府所属の役人。武装して、宮中の警備や儀杖などを担当した。
(二)後宮所属の役所で、照明・燃料・入浴などを管理する。この場合は、そこに勤める女子職員。
(ホ)皇居のなかで、ものなれた行動をすること。
(ヘ)宮中という場所で近くながめること。

=著者である小西先生の解説=
は、宮中の年中行事に関する古典常識からわけなく解けるが、参考までに、中古におけるおもな年中行事を挙げておくから、復習その他に利用していただきたい。

(ゆ選:1月から12月から21個の年中行事が紹介されているが、ここでは6つほど書いておきます。)
[一月より]
白馬節会──七日。白馬の行列を見る儀式。邪気をはらうためという。この日、若葉もつむ。
望粥の節句(もちがゆのせく)──十五日。小豆の粥を食べる。その燃料用の木を削った杖で人を打つ慣わしがある。
子の日(ねのひ)──最初の子の日。ピクニックに出て、小松を取り、若葉をつむ。長寿をいわう意味であった。
[四月より]
駒牽(こまひき)──二十八日。五月の騎射に出る馬と射手を天皇が親閲される儀式。八月にもあるが意味が違う。
[八月より]
駒牽(こまひき)──十六日。諸国の牧場から献上された馬を、天皇が紫宸殿でご覧になる儀式。
[十二月より]
追儺(ついな)──大晦日の夜。天皇が紫宸殿でおこなわれる鬼やらいの儀式。鬼に扮した者を追い払う。

(ゆ注:以下まだ小西先生の解説続きです)
 なぜ「白馬」をアオウマとよむのか、理屈に合わないようだけれど、奈良時代にはほんとうに青馬(といっても実は青みをおびた黒毛の馬)だったのである。醍醐天皇の延長年間(九二三ー三〇)ごろから白馬にかわったらしいけれど、呼びかたはアオウマを据えおいたわけ。式の模様は、白馬二十一頭を左右の馬寮から引き出し、無名門→明義門→仙華門を経て、清涼殿の前を通り、滝口から出る。天皇が御覧になり、そのあと公務員に宴を賜わる。この行列を見る人たちの正月気分が女性の眼をとおして描かれている。当時の上流女性は、けっして人前に姿を現わさず、外出も稀だったことを頭におくと、全体が理解しやすい。



=私のグリーンな思い出とか=

 昔から青と緑は混用されてきた。和歌にも混用が認められることから、平安時代以前より青は緑で、緑は青でよかった時代がある。英語のgreenにもどちらの意味もある。青と緑は同じ1つのカテゴリーに含まれる色と言ってよかったと思うが、青と緑の間にいつからか水色や空色や草色という明るく柔らかい中間色が生まれ、それが結果的に青と緑を引き離していった。この青と緑の分離は言語が発達する途上で必ず通るポイントなんだとか。
 青や緑は清らかで瑞々しく清々しい、生命力や活力を象徴する色であった一方、青ざめるとかコード・グリーンとかあまり良好ではない状態の時にも使われたりする。つまり正反対のものを内包させていたということだ。それが分離される定めにあるというのだから、人間は進歩するに従って、生と死、悲しみと喜び、平穏と不穏など相反するものの同居に耐えがたくなるのかもしれない。あるいは進歩ではなくて退歩や退化と言うべきだろうか。

 伊香保温泉に行く途中にグリーン牧場という名称にグリーンを用いた牧場がある。観光牧場であり、そこにかつてウエスタンタウンがあった。(参考:中日映画社)西部劇で見る町を再現したものであるが、引いて見ると本当に荒野の町になってしまうので、思い切り入り込まなければならない。
「西部劇と言えば荒野の7人でしょ」
昔、父が休日の午後にテレビでよく西部劇を見ていたけれど、西部劇のタイトルはそれくらいしか知らない。内容も程よく知らない。
「7人のマンガンがいるんだよね?」
それを言うならガンマンだよとあの人は言ったのか言わなかったのか。
西部劇に馬は付き物だから牧場にウエスタンタウンがあってもおかしくはないだろう。でも今考えれば子供が沢山やってくる長閑な牧場で芝居にしてもバンバン撃ち合いだなんてと思わなくもないけれど、それこそが同居していたグリーン時代の象徴ということなんだろうか。


望粥の節句

望というのは陰暦(旧暦)15日、満月のことでもある。
望粥の節句は1月15日であるが、これも陰暦(旧暦)であり新暦だと今年は2月8日にあたる。
明治政府が王政復古を各国公使に布告したのがやはり旧暦1月15日だった(新暦で1868年2月8日) 。
新暦にすると年によって多少は日にちはずれるが、明治元年と今年は偶然にも同じ2月8日である。
1月15日はかつての成人の日でもあるが、その前に小正月としても知られていた日にちであった。
今は世の中に小正月を感じさせるものがなくなってきているが、私が子供の頃はもっと小正月感は存在していた。ただ現代の小正月は新暦で行っていたけれど。

小正月
正月15の行事である。または、14日から16日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。
本来旧暦だが、明治の改暦後は新暦1月15日、もしくは、2000年からは成人の日(1月第2月曜日)に行われる場合もある。
六朝時代の歳時記である『荊楚歳時記』によれば、「正月十五日、豆糜を作り、油膏を其の上に加え、以て門戸を祠る。其の夕、紫姑を迎え、以て将来の蚕桑を卜い、并せて衆事を占う」とある。

この日の朝には小豆粥を食べる習慣があり、早朝に食べることから「あかつき粥」、小豆の色合いから「紅調(うんじょう)粥」「さくら粥」とも呼ばれている。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。

繭玉をつくって養蚕の予祝をおこなったり、「道具の年越し」とし農具のミニチュアをこしらえ豊作を祈願する習慣が残っている地域もある。例えば、養蚕農家建築が多くある、群馬県みどり市東町小夜戸地区では、小正月を祝う大朴(おおぼく)、粥掻棒(かゆかきぼう)、孕箸(はらみばし)、御刀大小二振、采配、打ち出の小槌、掻花(かきばな)、十六殿神(でんじ)、掻花十二神将などの飾りで豊作と家内の発展を祈願する。
年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。場所によっては男性が女性の代わりに料理などの家事を行う日とされる。

かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、高度経済成長期以降の都市化などの影響で小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。
小正月の行事として、「左義長」(どんど焼き)、「綱引き」、「粥占い」などが行われる地域がある。



前記事にもちょっと豆のことを書いたけれど、望粥の節句も小豆の粥を食べる行事だというから、また豆の話で。
餡子(あんこ)って小豆から作りますよね。
和菓子には緑色の餡子もあるけれど、あれは青豌豆(アオエンドウ)から作るものです。
アオエンドウの若い時がサヤエンドウで、もう少し成長するも熟す前がグリーンピース(急に英語)、熟したものがアオエンドウというわけです。
昨日書いた青大豆も青豆というけれど、このアオエンドウやグリーンピースのことも青豆ということがあります。
餡子という言葉は詰め物をそう呼ぶこともありますよね?
私は手芸で人形とかに綿を詰める時に餡子を詰めると言っているのを聞いたことがあります。
以前ネットショップをやっていた頃、ハンドメイド仲間から小豆のカイロがエコでいいよと聞いて作ったことがありますが(レンジでチンして使うのです)、あれなんかまさしく餡子が小豆(笑)。
あと男性同士の同性愛関係のことを餡子と呼ぶとか。なんで餡子なんでしょうか。


子の日

子の日と打ちながら、そういえば今年は子年(ねずみ年)で干支のスタートなんだなぁと改めて思いました。
ただ月の場合(子月)は旧暦の11月です。新暦ではおよそ1か月遅れで12月にあたります。
さらに子の日というのがあって、今年最初の子の日は1月10日でした。
宮中行事の「子の日」はピクニックに行って若葉を摘むようなので、同じく若葉も摘むらしい白馬節会の1月7日から10日辺りが七草粥の日でも良い感じですね。
子年の子月の子の日となるのは、12月11日と12月23日。
子の刻は日付が変わる前後なので真夜中0時前後。12月10日~11日の変わり目、12月22日~23日の変わり目が子子子子となり、まさに「しあわせ」な感じですね。いやいやいやいや?






# by yumimi61 | 2020-01-13 15:36

カイ

・この間から書いている『古文研究法』。
1月7日『人日の節句』の最後にその本の1ページ目「はしがき」を写真に撮って載せた。
その前にある見返し(あそび紙、内表紙)の部分が下の左側の写真。カイが描かれているのだった。

カイ_e0126350_15001627.jpg
上の右写真と下の説明は貝の図鑑より。
アクキガイ  別名:アッキガイ(悪鬼貝)
英名:[Troschel's Murex]
学名:[Murex troscheli Lischke]
<分布>
アクキガイは国内においては千葉県の房総半島から南の地域に主に生息しています。海外ではインド洋の東部、太平洋などに広く分布。
<特徴>
 アクキガイは「アッキガイ(悪鬼貝)」とも呼ばれる貝で、そのホネガイにも似ている刺々しい姿と禍々しい名前から、初見のインパクトがかなり強い貝です。
アクキガイは熱帯の水深50m~150m位の海の砂地に住み、貝殻から伸びている棘状の突起は、肉食性の魚から身を守るためにあると言われています。
棘状の突起の間には赤褐色の螺肋が見られ、地の色である白またはピンク色を帯びた白色との対比から、螺旋状になった模様となっています。また、殻口は多くの貝と同じく、白色です。
 アクキガイの全体的な形状は棍棒状の形で、殻頂が鋭く尖っており、体層は丸みを帯びて膨らんでいます。この体層には縦張肋が3つあり、120度おきに長い棘と短い棘がやや曲線を描いて交互に付いています。
また、体層の下部にある細長い水管溝にも棘がありますが、こちらの棘は他の部分のものとは違い、真っ直ぐに近い形になっています。
 尚、ホネガイと形状は似ていますが、アクキガイの方がやや大型で、棘の数が少ない事が見分けるポイントのひとつです。このアクキガイは猟師の底刺網にかかって得られる事が多いとされています。



・貝紫と呼ばれる色がある。こんな色です。
貝紫はアクキガイ(アッキガイ)と関係あるとされている。
英語では王者の紫といわれるロイヤルパープル(Royal purple)をさす。フェニキアのティルスで多く生産されたことからティリアンパープル (Tyrian purple)、「フェニキアの紫」ともよばれ、"born in the purple"(または "born to the purple")という英語は「王家に生まれた」という意味を指す。しかし乱獲のためか原料の貝が減少したことにより、後には王家の色といえばロイヤルブルーと呼ばれる濃い青に変わっている。

貝紫の名前はアッキガイ科の分泌物を染料としてもちいたことに由来し、紀元前1600年ごろから古代東地中海のフェニキア諸都市は地中海産のシリアツブリガイ (Bolinus brandaris) を用いた染物をはじめ、紀元前1000年ごろには高価な特産物として輸出して経済的に繁栄し、ローマ帝国などでは非常に高価な染物として特権階級にふさわしいものともてはやされた。
なかでも、カエサルの紫のマント、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世の旗艦の帆がこの貝紫に染められていたことは有名で、新約聖書「マルコによる福音書」でイエスが着せ掛けられた紫(「マタイによる福音書」では緋色)の王者を象徴する衣もおそらく貝紫であっただろうとされる。
染料として貴重であったことも要因とされるが、当時、貝紫で染められた物には「力が宿る」と信じられており、多くの権力者たちが禁色として、一般の人間の使用を禁じた。
ティルスでは貝紫での染織を秘伝としたため、ローマ人たちはこの貝紫の製法を知らず何度も国産化を試みたが成功しなかった。1世紀頃、ティルス紫で二回染めた羊毛およそ1ポンドに対して、ローマ人は1,000デナリウスを支払っていたという。ローマ人の中では「ある種の魚の尾の血で染める」など間違った製法を信じているものもいた。

ビザンティン帝国(東ローマ帝国)でも皇帝や皇后、高位の聖職者の服の色として親しまれた。中世以降の西欧では主にローマ教皇と枢機卿の衣服の色とされるようになった。
中国などの東アジア世界にはあまり広まらず、日本では近縁のイボニシ、アカニシで海女が手ぬぐいに模様を描くなど限定された利用法しか見られない。
貝紫の主成分6,6'-ジブロモインジゴは科学的に合成が可能であるが、現在のところ実用化はされていない。


日本でも大昔から紫は高貴な色とされてきたが、日本の紫は貝染ではなく植物で染めていたという。ムラサキという植物があって、その根で染色が可能。薬効もあるため現在でも薬品や化粧品に使われることがある。
ムラサキ(紫、Lithospermum erythrorhizon)
ムラサキ科の植物の一種。
根は暗紫色で、生薬「シコン」(紫根)である。この生薬は日本薬局方に収録されており、抗炎症作用、創傷治癒の促進作用、殺菌作用などがあり、紫雲膏などの漢方方剤に外用薬として配合される。
古くから紫色の染料として用いられてきた。色を染めるには、乾燥した紫根を粉にし、微温湯で抽出して灰汁で媒染して染色する。
万葉集にもその名が出るほど歴史は古く、奈良時代から江戸時代末期まで栽培が行われてきた。しかし、明治時代以降は合成染料の登場により商業的価値を失い、ムラサキ自体も絶滅危惧種レッドデータブックIBにランクされるまでになってしまった。そのため、現在も熱心な愛好家たちが栽培を試みているが、種の発芽率が低い上、ウイルスなどに弱いため、株を増やすのは困難である。このため、現在では中国から近縁種が輸入され、ムラサキとして流通しているが、ムラサキとの交雑により純正種を脅かすことになっている。
最近健康食品として、美白に効果があるなどとして広く販売されているが、肝癌などを誘発するピロリジジンアルカロイドを含有するため、注意が必要である。近縁種についても同様の危険がある。



・『古文研究法』のことを初めて書いた1月7日は七草がゆの日だった。
私は「人日の節句」とタイトルを付けたけれど、1月7日は「白馬の節会」の日でもある。

白馬節会(あおうまのせちえ)
古来の年中行事のひとつ。
1月7日、天皇が豊楽院(のちに紫宸殿)に出御して邪気を祓うとされる白馬を庭にひき出し、群臣らと宴を催す。
白馬節会の由来は、この白馬節会が始まった当初、中国の故事に従い、ほかの馬よりも青みをおびた黒馬(「アオ」と呼ばれる)が行事で使用されていたが、醍醐天皇のころになると白馬または葦毛の馬が行事に使用されるようになり、読み方のみそのまま受け継がれたため「白馬(あおうま)」となったとされる。
2011年現在では京都市北区にある上賀茂神社や大阪府大阪市にある住吉大社などの神社で、神事として行われている。



・『古文研究法』では白馬節会は中古(平安時代)における宮中行事として紹介されている。

『古文研究法』 P272‐273

 古典常識は、まだまだこれどころではない。ひとわたり古文をよむのに不自由しない程度の常識をもつことは、専門の国文学者にとってさえ、あまり容易ではないのだから、これぐらいで切りあげるけれど、第一部でも、解釈の間にはさんで、いろんな古典常識を述べてきたわけだから、この章で述べたことだけが古典常識だとお考えにならないことを希望する。こんなふうにまとめて述べてみたのは、語学だけで古文が解釈できると思うのが誤りで、むかしの人の生活をよく知っていなくてはだめだということを頭に入れていただくためである。生きた解釈は、単語プラス文法だけではけっしてできない。
次に、すこし例題をだしておく。

例題 十二  七日……白馬(あおうま)見にとて、里人(さとびと)は車清げにしたてて見にゆく。中の御門(みかど)のとじきみ引き過ぐるほど、頭一所(かしらひとところ)にゆるぎあひて、挿櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふもまたをかし。左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)のもとに殿上人(てんじやうびと)などあまた立ちて、舎人(とねり)の弓ども取りて馬どもおどろかして笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりつかさ)・女官(にようくわん)などの行きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をならすらむなど思ひやらるるに、内にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔の衣にあらはれ、まことに黒きに、白きもの行きつかぬところは、雪のむらむら消え残りたるここちして、いと見苦しく、馬のあがりさわぐなどもいとおそろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。(枕冊子・三殿)

  この事がらは、何月ごろと思われるか。理由を示して答えよ。
  次の語句を簡単に説明せよ。
   (イ)里人   (ロ)左衛門の陣  (ハ)舎人
   (二)主殿司  (ホ)九重をならす (ヘ)内にて見る

 
・「白馬」を「あおうま」と読む理由の整理。(ちなみに「あおうま」での入力変換で「白馬」と出てきます)
宮中行事である白馬節会で使われた馬の変化
 青みがかった黒馬「青馬(あおうま)」 ⇒ 白い馬「白馬(あおうま)」

・あ、おうま!
おうまのおやこは なかよしこよし いつでもいっしょに ぽっくりぽっくりあるく~♬

おうま(オウマ)
1941年(昭和16年)に音楽の教科書である『ウタノホン上』に掲載された。睦まじい馬の母子の姿が表現されている。『ウタノホン』の対象である国民学校1年次の教育課程にカタカナの学習があったことから、題名も『オウマ』とカタカナ表記で、詞も一部の文字を除いてカタカナ表記であった。
戦後は題名も詞も平仮名表記が用いられ、文部省が発行した教科書「一ねんせいのおんがく」昭和22年度版を始め、1950年(昭和25年)から1985年(昭和60年)まで、長年に亘って教科書会社から発行されている音楽の教科書に掲載された。平成以降も1995年(平成5年)まで音楽の教科書に掲載されることとなり、2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。

作詞は林柳波、作曲は松島つね。
【楽曲の背景】
日本全体が戦時体制へと移行する中、幼少時から軍馬に対する関心を子供に持たせようと、当時の軍部指導者が国民学校の教科書編集委員であった林に作詞を依頼した。しかし、1年生用の歌であったことや、林自身がその意図に同意出来なかったことから、ストレートに表現できずに優しい歌に仕上がった。
馬の母子の描写の原型は、林が子供たちとともに千葉県成田市の三里塚御料牧場を訪れた際に目にした、母馬の後ろを子馬が歩く光景を元に作った詩『お馬の母子』であろうと、林の娘は指摘している。また、林が幼少時代を過ごした群馬県沼田市で、荷物を積んだ親馬が後から付いてくる子馬を心配しながら歩く光景を目にしたことが原体験となっているという指摘もある。
一方、女性として初めて教科書編纂委員となった松島は、編纂委員も作曲してみてはという意見が上がった際に「編纂委員たる者自ら範を垂れるべきなのに、他人に押しつけてばかりではずるい」と思い、作曲することとなった。歌詞から純真に感じたものをそのまま飾らずに表現するようにしたが、当時は広く歌われるようになるとは思っていなかったと、後に述べている。
【歌碑】
林の母校である沼田市立沼田小学校の校庭にある。左上に林のレリーフがはめ込まれ、中央には林の自筆によって1番の歌詞が刻まれたもので、1976年(昭和51年)に除幕された。

(沼田小学校は沼田女子高のお隣です)


・林親子は千葉県成田市の三里塚御料牧場を訪れたとあるが、後に空港の敷地になったところである。

宮内庁下総御料牧場
1969年(昭和44年)8月18日まで、千葉県成田市の三里塚地区に存在していた御料牧場の名称である。
江戸時代、下総台地の北部に江戸幕府によって佐倉牧が設置されて軍馬や農耕馬の放牧地があった。佐倉牧は7つの牧から構成されていたことから「佐倉七牧」とも称され、三里塚一帯には七牧の1つであった「取香牧(とっこうまき)」が置かれていた。佐倉牧は幕府の終焉により1869年(明治2年)に廃止された。

千葉県の北部は『続日本紀』で「諸国ニ牧地ヲ定メ牛馬ヲ放ツヲ令ズ」とある700年(文武天皇4年)から続く馬の牧用地(牧)として知られており、源平合戦では東国の源氏に軍馬を供給していた。江戸時代には小金五牧および佐倉七牧が設けられ、軍馬の飼育生産が行われる。
20世紀に入り、殖産興業を推進していた明治政府は佐倉七牧の一つであった取香牧付近に近代牧畜による羊毛自給を目指して牧羊場を設けた。
七牧の一つ取香牧(現:成田市取香、三里塚周辺)の隣接地が牧羊場に定められ1875年(明治8年)9月、下総牧羊場が開場した。この時、取香牧も閉場し牛馬の改良に当たる取香種蓄場として発足した。
下総種蓄場の管理は1881年(明治14年)にそれまでの内務省から新設された農商務省に移され1885年(明治18年)6月には宮内省御料局の直管となり1888年(明治21年)10月に「宮内省下総御料牧場」と改められ、それまで高堀にあった本庁が三里塚に移された。その後、牧羊事業は次第に縮小され綿羊の数も減少した。
1922年(大正11年)には牧場の経営が悪化し、馬の繁殖を一時中止した。
昭和に入り馬の繁殖が再開されサラブレッドだけでなくアングロ・アラブ(フランス原産)などの競走馬も手がけ、かつての活況が取り戻された。特にサラブレッドの産出は名高いものがあり、1927年(昭和2年)英国から輸入されたサラブレッドの種馬・トウルヌソルからは第1回東京優駿大競走の優勝馬ワカタカが出た。また、1935年(昭和10年)に輸入されたダイオライトからは三冠馬セントライトが出た。



・林 柳波(はやし りゅうは)
1892年(明治25年)3月18日 - 1974年(昭和49年)3月27日)は詩人。兄は陸軍獣医少将の林里二。
 群馬県沼田市に農家の三男として生まれた。本名は林照壽(てるとし)。一時、柴田姓を名乗ったこともある。早くから雑誌へ童謡詩の投稿を行う文学少年だった。13歳のとき、兄を頼って上京。1910年(明治43年)明治薬学校(現・明治薬科大学)を卒業。同年薬剤師の国家試験に合格すると、やがて明治薬学校の講師となった。
 他方、1911年(明治44年)から東京本郷で薬局を開業。1916年(大正5年)に最初の結婚をしたが、翌年死別した。また、健康上の理由をきっかけに宗教・哲学にも興味を持ち、神霊万能を説く「健全哲学 (哲理療法)」の普及活動を行ったこともあった。
 1919年(大正8年)1月13日、9つ年上の未亡人、日向(ひなた)きむ子と再婚。きむ子は大正3美人の1人として名高く、代議士日向輝武の妻で、社交界の花形だった。きむ子はその美貌を看板に化粧品の製造・販売も行っており、柳波は薬剤師として化粧品の改良に助言を行うことなどで、きむ子との繋がりを強めたと思われる。きむ子は夫輝武との間に既に6人の子があったが、輝武は疑獄事件(大浦事件)に巻き込まれ、1918年(大正7年)5月28日、狂死。夫の死から1年も経たぬうちの再婚は、夫の死で世間の同情を集めていたきむ子の評判を落とした。折りしも1月5日、愛人島村抱月を追って自殺した松井須磨子と比較されて一大スキャンダルとなったが、柳波は渦中のきむ子をよく支えた。柳波ときむ子は本郷にあったきむ子の化粧品店「瓢々堂」に新居を構え、2人の子をもうけた。
 1918年(大正7年)、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』を契機に童謡運動が盛んとなった。童謡の代表的詩人として知られる野口雨情の依頼により、林きむ子は1925年(大正14年)頃から童謡に振付けを行い、雑誌『金の星』に写真入り解説の掲載を始めた。これが縁となって、林柳波も雨情の影響で再び詩作を行うようになり、娘たちと共に公演旅行を行って「童謡舞踊」を広めたきむ子と共に、童謡運動に貢献した。
 昭和に入ると童謡運動は下火となったが、柳波は詩集の出版を行う一方、1937年(昭和12年)、音楽著作権協会設立委員、文部省国民学校教科書芸能科編纂委員となった。当時文部省唱歌は作者名を公表しないことになっていた。柳波は、野口雨情の弟子、権藤花代の童謡詩『タナバタサマ』が選考に漏れたのを補作して委員会で再議し、採用された。これは後に、第二次世界大戦後、作者名が公表されるに及んで、林柳波が盗作疑惑を受ける原因となった。 レコード作家としての才能も開花させ、1929年(昭和4年)、ヒコーキレコードから「まぼろしの泉」で作詞家デビュー。その後、「ああ我が戦友」、「野営の夢」などの軍国物から、「田植歌」、「お六娘」などのオペラを幅広く作詞。
 1945年(昭和20年)4月13日に空襲を受け、娘の療養先であった長野県上高井郡小布施村(現小布施町)に疎開。請われて地元の校歌や青年団歌、『小布施音頭』などを作詞し、小布施村公民館の初代館長(図書館長も兼任)にもなった。1949年(昭和24年)、帰京。しかし、このころから次第に妻きむ子と疎遠になり、他の女性との間に子ができるに至って別居。以後、きむ子に繋がる童謡関係者との交友を断った。
 1950年(昭和25年)、明治薬科大学の図書館長に就任。以後も日本詩人連盟相談役、日本音楽著作権協会会員など、多くの公職を歴任した。1972年(昭和47年)、勲四等瑞宝章受章。
妻の林きむ子は、1967年(昭和42年)に死去。林柳波は1974年(昭和49年)に死去。1989年(平成元年)沼田市名誉市民に顕彰された。
 代表作に『オウマ』、『ウミ』、『うぐいす』、『羽衣』、『スキーの歌』など。他に『春の小川』(高野辰之作詞)の口語訳や『たなばたさま』(権藤花代作詞)、『港』(旗野十一郎作詞)の補作などでも知られる。
横浜市立戸部小学校校歌 作詞(作曲:井上武士)

(戸部小~!ちなみに井上武士も群馬県出身です)


・青みがかった黒い馬(青馬)が白い馬(白馬)に代わっても、どちらも「あおうま」ならば、青みがかった黒大豆(青豆)の代わりに白大豆(白豆)を使っても、どちらも「あおまめ」で良いということになりますね!?



# by yumimi61 | 2020-01-12 15:07

実効

今日は偶然にも110版の日ですね。
ということで、昨日の例題(『古文研究法』P294‐295)を答え合わせしま~す。

例題 二七  なべて自然の風物といふものは見る人のこゝろごころであるからこんな所は一顧のねうちもないやうに感ずる者もあるであらう。けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないかう云う凡山凡水に対する方がかへつて甘い空想に誘はれていつまでもそこに立ちつくしてゐたいやうな気持ちにさせられる。かういふけしきは眼をおどろかしたり魂を奪つたりしない代りに人なつッこいほゝゑみをうかべて旅人を迎へ入れようとする。ちよつと見ただけではなんでもないが長く立ち止まつてゐるとがあたゝかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。殊にうらさびしいゆふぐれは遠くから手まねきをしてゐるようなあの川上の薄靄の中へ吸ひ込まれてゆきたくなる。それにつけてもゆふべは秋と何思ひけむ後鳥羽院が仰つしやつたやうにもし此のゆふぐれが春であつてあのおつとりした山の麓にくれなゐの霞がたなびき、川の両岸、峰や谷のところどころに桜の花が咲いてゐたらどんなにか又あたゝかみが加はるであらう。思ふに院のおながめになつたのはさういふけしきであつたに違ひない。だがほんたうの優美といふものは たしなみの深い都会人でなければ理解できないものであるから平凡のうちにおもむきのある此処の風致もむかしの大宮人の雅懐がなければ詰まらないといふのが当然であるかもしれない。(谷崎潤一郎「芦刈」)

 この文章は、後鳥羽上皇の離宮のあった水無瀬に行ったときの感懐を述べている。これに基づいて、むかしの大宮人の感覚と現代人の感覚とがどう違うかを述べよ。
「ほんたうの優美」を自然の景色で象徴するとすれば、この文中のどこがいちばん適切か。その部分を抜き出せ。(約三十字程度。原文をすこし切り詰めたり言い替えたりしてもよい。)



むかしの大宮人は、みがきあげられた微妙な感覚をもっていたから、一見平凡な風景にもしみじみとした美しさを発見した。現代人は、感覚の密度があらいから、つよい刺激をあたえるものに感心したがる。

「うらさびしいゆふぐれに遠くから手まねきをしてゐるような川上の薄靄」。


=著者である小西先生による解説=
「おや、現代文?」など変な顔をするにはおよばない。古文だって現代文だって、日本語であることに代わりはない。古文のわからないような現代文学研究者は、どうせ現代文もほんとうにはわからないのだし、ぼくは古文専門でして──など謙虚だか自慢だか見当のつかない挨拶をする人は、ほんとうは古文もわからないのである。古文と現代文とは、主として語学的にちがうだけで、譬喩とか象徴とかいった問題になれば、同じことである。まして右にあげた潤一郎の文なんかは、たいへん古文的な感触が濃いのであって、心がまえとしては『源氏物語』に対するときのような「現代離れ」が必要だろう。わざと句読点を節約し、中古文の流麗な調子を採り入れようと試みた文脈など、古典に通じていないとよくわからないものである。
 さて、は、大意を述べよという問いかたの変形である。むかしの大宮人については詳しく語られているから、その要点をまとめればよいが、現代人についてはほとんど語られていない。しかし、大宮人の反対を考えれば、何とか見当はつくはず。は、象徴ということがわかっていなければ、手も足も出ない。まず作者のいおうとする「ほんたうの優美」を理づめに説明すれば、のようになるわけだから、それをさきの「兵どもが夢のあと」に当て「夏草や」に当たるようなものを探せばよい。「おつとりした……桜の花が咲いてゐたら」には、ちょっと気がひかれるだろうけれど、これは「又あたゝかみが加はるであらう」とあるように、さらに加わるべき性質のものだから、本体としては「薄靄(うすもや)」をとらなくてはいけない。「雄大でも奇抜でもないかう云う凡山凡水」あるいは「眼をおどろかしたり魂を奪つたりしない代りに人なつッこいほゝゑみをうかべて旅人を迎へ入れようとするけしき」としても、誤りではないけれど、それはむしろ「説明」であって、問の「象徴」からはすこしずれている。に正解として示した景色を「本当の優美」と感じられない諸君は、なるほど、おれは現代人だわいと理解するのがよろしい。象徴という表現は、古文にも現代文にも通じていえることだが、これから述べようとする把握とか批評とか鑑賞とかの問題も、現代文と同様の頭が必要である。精神的理解には、古文も現代文もあまり区別できていないような点が多いのである。


=私の思い出話とか=
前記事には余談として、ミレニアム2000年に公衆衛生学会長だった鈴木庄亮氏に私も教わったことがあると書いた。今でこそ鈴木庄亮氏なんて書いてみたけど、当時の私たちは氏でも教授でもなく「次はしょうちゃんの授業だね」などと言っていたのである。
若さというのは素晴らしいというか恐ろしいというか。当時の若者も今はもう押しも押されぬ中年であるが、当時はやっぱりそれなりに現代っ子気質を備えていたことは間違いないであろう。
そこで私はまた時代とはいったい何だろうかという問いを繰り返すことになるが、時代を形作るのは時間だろうか物だろうか。
未来のために種を蒔いたり苗木を育てるというような比喩表現が用いられることがあるけれど、一方で花を咲かすことができるのは過去であるという現実に、私たちはふと歩みの足を止め、花も葉もない桜並木の隙間から乾いた澄んだ空を見上げるのだった。


後鳥羽天皇と壇ノ浦の戦い

上の例題で取っ掛かりになるのは「後鳥羽院」だと思う。
後鳥羽院は後鳥羽天皇のことだが、後鳥羽天皇は平家が滅亡したとされる「壇ノ浦の戦い」の時の天皇(82代)である。
もっとも平家が滅亡するまでは、平家側の安徳天皇(81代)と2年間(1183‐1185年)在位期間が重複している。
三種の神器を持たずに即位したと言われる。
源氏側となった後鳥羽天皇が生まれたのは1180年8月6日。つまり即位したのは3歳の時。
安徳天皇と後鳥羽天皇は兄弟(父親は80代高倉天皇)。安徳天皇が8歳の時に壇ノ浦の戦いがあり平氏側が敗れたため、8歳の安徳天皇も母方祖母に抱きかかえられたまま入水させられ亡くなった。
当然3歳では天皇として国を背負っていくことなどできるわけがなく、代わりに行ったのは祖父にあたる後白河法皇(77代の後白河天皇)だった。すなわち院政である。院政とは皇位を譲っておいて(上皇となり)、天皇に代わって政治に直接携わることである。
後白河法皇が亡くなる1192年(12歳の時)まで院政が続いた。その後も公家の最高位であり成人天皇を補佐する官職である関白が付いていた。
1198年1月11日(17歳の時)、譲位し上皇となって、いよいよ実際に政務に就く。以後天皇3代23年間に亘り上皇として院政を敷いた。
武家側に担がれた天皇として始まったが、院政を敷くようになってからは鎌倉幕府と対立するようになり討幕を企てるも失敗し島流しされた。
この後鳥羽天皇(後鳥羽上皇・後鳥羽院)は文武両道に優れていたと伝えられている。ただ討幕は叶わなかった。
実際に鎌倉幕府を討幕したのは新田義貞である。後鳥羽院が討幕(承久の乱)を目指して挙兵した112年あとの1333年のこと。
後鳥羽天皇(後鳥羽上皇・後鳥羽院)が有名なのはどちらかと言えば文武の文のほうである。中世屈指の歌人であるとされ、後代にまで大きな影響を与えた。

ちなみに現在皇室の家紋となっている「菊の御紋」は後鳥羽天皇から始まったとされている。
刀を打つことを好み、備前一文字派の則宗をはじめとして諸国から鍛冶を召して月番を定めて鍛刀させたと伝えられる。また自らも焼刃を入れそれに十六弁の菊紋を毛彫りしたという。これを「御所焼」「菊御作」などと呼ぶ。皇室の菊紋のはじまりである。


文学の中に登場する後鳥羽院

国語で後鳥羽院とみたら、まず和歌を思い出さなければならない。
具体的に和歌を覚えていなくても、なんか和歌に関係あるんだろうなぁくらいのことは思って読む必要がある。
和歌を知っている人はすぐにわかるが、知らなくてもそうやって例題の谷崎潤一郎の文を読むと、たぶん和歌なんだろうという部分に気づく。
それが次の一文の太字部分。

「それにつけてもゆふべは秋と何思ひけむ後鳥羽院が仰つしやつたやうにもし此のゆふぐれが春であつてあのおつとりした山の麓にくれなゐの霞がたなびき、川の両岸、峰や谷のところどころに桜の花が咲いてゐたらどんなにか又あたゝかみが加はるであらう。」

実際に『新古今和歌集』(巻1・春歌上36)に次のような後鳥羽院の和歌がある。
 見渡せば山もと霞む水無瀬川 夕べは秋と何思ひけむ

《意味》
水無瀬川で見渡せば山の麓が霞んでいる。夕暮れが秋のものだなんて(趣のある夕暮れは秋だなんて)、どうしても今まで思っていたんだろう。

説明を加えると・・・
霞というのは春の季語になっており春を表す。秋の場合は霧である。霧と靄(もや)の違いは濃さ。霧の方が濃く、靄は薄い。
和歌に「霞む」と入っているので春に詠った歌だと分かる。

清少納言『枕草子』では季節を次のように記している。
 春はあけぼの。・・後略
 夏は夜。・・後略
 秋は夕暮れ。・・後略
 冬はつとめて。・・後略

秋の象徴は夕暮れなのだ。
秋の夕暮れは美しい。乾きすぎず淀みすぎず、しっとりと赤く空を染め上げる。
だけど秋は日が短くなり少し肌寒くて、つるべ落としのように夜を連れてくる。
鳥はどこかに帰ってゆき、虫が僅かな命を惜しむかの如く鳴く。
秋に抱くうら寂しさともの哀しさと美の感情。
おんぶされた記憶などなくても、「負われてみたのはいつの日か」なんて郷愁まで感じてしまうのが秋なのだ。

けれど後鳥羽院は、いやいや春だって負けず劣らず美しくてうら寂しくてもの哀しいではないか、どうして今まで気が付かなったんだろうと詠ったわけである。
人間は恋をすると、どんな季節にも、どんな景色にも、そんな感情を抱いてしまうものですが、後鳥羽院が恋をしていたかどうかは分かりません。

俳句は現実(目の前の)風景や事象を描写することが多いが、和歌は心情を乗せることが多く恋の歌も非常に多い。
上の例題では恋などによって春にさえ感じる優美ではなく、秋に感じるものを「ほんたうの優美」として質問しているようですね。




# by yumimi61 | 2020-01-10 13:12

幽玄


例題 二七  なべて自然の風物といふものは見る人のこゝろごころであるからこんな所は一顧のねうちもないやうに感ずる者もあるであらう。けれどもわたしは雄大でも奇抜でもないかう云う凡山凡水に対する方がかへつて甘い空想に誘はれていつまでもそこに立ちつくしてゐたいやうな気持ちにさせられる。かういふけしきは眼をおどろかしたり魂を奪つたりしない代りに人なつッこいほゝゑみをうかべて旅人を迎へ入れようとする。ちよつと見ただけではなんでもないが長く立ち止まつてゐるとがあたゝかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。殊にうらさびしいゆふぐれは遠くから手まねきをしてゐるようなあの川上の薄靄の中へ吸ひ込まれてゆきたくなる。それにつけてもゆふべは秋と何思ひけむ後鳥羽院が仰つしやつたやうにもし此のゆふぐれが春であつてあのおつとりした山の麓にくれなゐの霞がたなびき、川の両岸、峰や谷のところどころに桜の花が咲いてゐたらどんなにか又あたゝかみが加はるであらう。思ふに院のおながめになつたのはさういふけしきであつたに違ひない。だがほんたうの優美といふものは たしなみの深い都会人でなければ理解できないものであるから平凡のうちにおもむきのある此処の風致もむかしの大宮人の雅懐がなければ詰まらないといふのが当然であるかもしれない。(谷崎潤一郎「芦刈」)

 この文章は、後鳥羽上皇の離宮のあった水無瀬に行ったときの感懐を述べている。これに基づいて、むかしの大宮人の感覚と現代人の感覚とがどう違うかを述べよ。
「ほんたうの優美」を自然の景色で象徴するとすれば、この文中のどこがいちばん適切か。その部分を抜き出せ。(約三十字程度。原文をすこし切り詰めたり言い替えたりしてもよい。)

Let’s Try!


むかしの「大宮人」は宮中に関係ある人だと思うけれど、現代人は埼玉県大宮市の人だと思う。
わたし(由美)は、雄大でも奇抜でもない凡山凡水に対する方がかへつて甘い空想に誘はれていつまでもそこに立ちつくしてゐたいやうな気持ちにさせられる。

先生、どうですか? 零点?
正気じゃないぜ?

く?く、く、く、、?
クッククッククッククック青い鳥~~~~♬


・この例題は前記事に書いた『古文研究法』の(リ)象徴の中にある例題である。


・大宮人をネット辞書で調べたところ、以下の通りでした。
大宮人(おおみやびと)とは。《上代は「おほみやひと」》宮中に仕える人。殿上人 (てんじょうびと) 。

殿上人(てんじょうびと)とは、9世紀以降の日本の朝廷において、天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ること(昇殿)を許された者(三位以上は原則全員、四位・五位の一部)の中から公卿を除いた四位以下の者を指す。またその中から更に蔵人も除いて指す場合もある。
上はWikipediaの説明だが、他の辞書などだと「公卿を除く」という説明がないものもある。
令制で官職が三位以上の者および四位,五位のうちで昇殿を許された者をいう。

律令制下においては、従三位以上を「貴」と称し、また星の位ともいわれ、上級貴族の位階であった。
この三位以上は公卿でもある。
公卿
公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を指す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった 。
公家
日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。天皇に近侍し、または御所に出仕していた、主に三位以上の位階を世襲する家。

つまりそういうもともと高位にある貴族は改めて「殿上人」とは言わないというのがWikipediaの説明であり、そのほかの説明では 一緒くたに扱っている。


・どちらにしても「殿」というのは、人ではなく屋敷(御殿)のことである。
その御殿に上がれる人が「殿上人」=「大宮人」だということになる。
君主制において、官職でない一般人や上に上がれない四位以下の官職から見れば、上に上がれる人が選ばれし人物で特別だった。
その意味での「殿上人」=「大宮人」であり、「殿上人」=「大宮人」が最高位だったり君主であるという意味ではない。
その間には越すに越されぬ大きな隔たりがあるのが君主制であると思う。


・これを踏まえて「陛下」というものをもう一度考えてみてほしい。
「陛下」というのはざっくり言うと、階段の下という意味である。
2019年2月1日『続続続続・靖国神社』より)「陛下」というのは「屋外にある階段の下」という意味。かけ離れていることを表す。転じて宮殿の階段の下のいる者、つまり王や皇帝など君主の部下や家来ということである。
部下や家来が自分をへりくだった言い方。謙譲語のようなもの。
昔は絶対的な権威権力を持つ君主に対して直接名前やら役職で呼ぶことすら憚れたという背景がある。

つまり陛下というのは御殿に上がれない官職ということになりそうだ。同じ御殿に上がれない人としても一般人ではない。上の過去記事で私は言葉の使い方の例として次のように書いた。
天皇の家来が天皇に対して「陛下、そろそろ靖国神社に参拝致しましょうか」と言うならば分かる。全部自分を下げて会話相手の天皇を上げている。
この場合の陛下は呼びかけではない、自分のことを言っている。
「わたくし、そろそろ(あなた様の代わりに)靖国神社に参拝致しましょうか」と確認しているというか承諾を得ている文である。
でも家来の位まで加味すれば、実際には陛下(階段下)の者が直接天皇と接することはない。
天皇と陛下(階段下)の間には公卿や殿上人が存在するのである。
すなわち実際に陛下を謙譲語として用いるならば、位の低い官職が上の官職に対して用いるものであろうと考えられる。


・悪魔の詩訳者殺人事件
1991年7月11日に発生した殺人事件である。2006年7月11日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。
1991年(平成3年)7月12日、筑波大学助教授の五十嵐一が同大学筑波キャンパス人文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで刺殺されているのが発見され、司法解剖の結果、11日の午後10時頃から12日の午前2時頃までの間に殺害されたものと断定された。遺体の首には、左に2カ所、右に1カ所の傷があり、いずれも頸動脈を切断するほどの深さで、「イスラム式の殺し方」とされる。また、右側の胸や腹など3カ所に及んだ刺し傷は、一部肝臓にまで達していた。また、現場からO型の血痕(五十嵐の血液型とは一致しないため、犯人のものとされた)や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。
犯人はエレベーターの使用を避け、階段で3階まで降りて非常階段から逃走しており、その後の消息は杳として知れなかった。
五十嵐は、1990年(平成2年)にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語訳している。1989年2月にイランの最高指導者、ルーホッラー・ホメイニーは、同書が反イスラーム的であるとして、ラシュディや発行に関わった者などに対する死刑を宣告するファトワーを発令していたため、事件直後からイラン政府との関係が取り沙汰されていた。
15年後の2006年(平成18年)7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し、未解決事件となった。外国人犯人説が有力なこの事件では、実行犯が国外逃亡したと仮定した場合は、公訴時効は成立していないことになるが、茨城県警察は証拠品として保管していた被害者の遺品を、五十嵐の遺族に返還している。



・2010年、殺人などの時効が廃止される改正刑事訴訟法が成立した。
これは2010年以降の殺人事件だけでなく未解決で時効を迎えていない過去の事件にも遡って適用される。
「悪魔の詩訳者殺人事件」はその前2006年に時効成立していた。しかし上にも書いてあるように実行犯が国外逃亡した場合、国外にいる期間が含まれないため、時効は成立しない。その可能性が高い事件でもあったわけだが、遺品を返して幕引きしたんだねという論調の記述である。
実際に『悪魔の詩』絡みで殺されたのか、単なる怨恨なのかは、いまなお分かっていない。
『悪魔の詩』騒ぎに便乗すれば、捜査を攪乱しやすいとも思うが、その可能性は全くなかったということなのか。


・普通に考えれば、大学構内で起きた事件が未解決であるというのは大学(教員や学生や保護者など)や周辺住民にとっては怖いことだったと思う。
事件が本当に『悪魔の詩』翻訳やイスラムに関係したものならともかく(それなら良いというわけではないが)、よく分からない。
筑波では1985年につくば科学万博が開催され、国内外から多くの人が訪れた。筑波大学は留学生も多い。また筑波研究学園都市が造られたため、周辺には多くの研究機関や企業が存在している。その地に移り住んだ研究者なども少なくなかった。
当初は旧住民と新住民の間に見えない壁があるとも言われたこともあった。
治安は現在でも決して良くないと言う。
学園都市を造るにあたって敷いた電車の路線をどうして大学近く(構内)まで引かなかったのかということを以前記事にしたことがあるが、なぜそんな杜撰な開発計画が進められたのか、学園都市としては成功事例ではないと思う。


・長男が高校生の時に「筑波大は自殺率が一番高い大学なんだって」みたいなことを言っていたことがあったけれど、研究者の間でもそういうことは言われていた。
筑波病
かつて筑波研究学園都市において見られた、研究者の自殺が多発した現象のことである。
筑波研究学園都市では、1985年頃に研究者の自殺者数が最多となり、当時の自殺率は日本人ないし国家公務員の平均値の2倍を超えていた。1986年の朝日新聞の記事では、自殺率の高さ、自殺の特定地域への集中という2つの要素が挙げられ、筑波研究学園都市における異常性も指摘された。
ただし、医学者の小田晋は1977年時点で既に「筑波病」という語が存在していたこと、1970年代後半から1980年代前半に自殺事件の報道も含め、全国的な知名度が上がったことを指摘している。

1988年の日本経済新聞の記事では、筑波研究学園都市の研究者の精神衛生状態が改善されてきたことが指摘されている。この背景として飲食店の増加などに言及した一方、若年層および研究者以外の者への対策が必要としている。
また、大橋力は1988年から筑波研究学園都市での研究者の自殺者数が減少したことを指摘し、その背景としてつくば万博を契機とした百貨店の開業と飲食店の夜間営業に伴う明るい空間の形成、住民同士のつながりの形成を挙げている。また、小田晋はつくば号の開通による東京への交通利便性の改善等も挙げ、筑波病は解消しつつあると指摘している。
一方、2018年の茨城新聞の記事では、直近1年間で自殺を検討した人が246人いたことが指摘された。記事では調査の実施団体の代表への取材も掲載されており、代表者は、都市化の進行により筑波研究学園都市での生活環境が改善されたことに触れつつ、自殺検討者の多さゆえ精神衛生上の対策の必要性について言及した。


ちなみに1989年(平成元年)の公衆衛生学会は筑波大学で行われた。公衆衛生学会長が(当時)筑波大学社会医学系の教授・小町善男氏だったから。
記念すべき(?)ミレニアム2000年(平成12年)の開催は群馬だった。その年の会長は私も教わったことのある鈴木庄亮氏だった。
私は一時期定期的に筑波に通っていたことがあった(仕事で)。


・ある年齢以上の人は、筑波病の記述に登場する小田晋という名前を知っているのではないかと思う。
何故かというと、一時期よくメディアで事件などについてコメントしていたからである。
小田晋
1933年7月28日 - 2013年5月11日
大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。
岡山大学医学部卒。
東京医科歯科大学大学院(神経精神医学専攻)修了、医学博士。
東京医科歯科大学医学部犯罪心理学教室助教授、獨協医科大学医学部精神科助教授を経て、1977年に筑波大学社会医学系の教授となり、1993年には筑波大学社会医学系長となる。


つまり1989年に筑波大学で公衆衛生学会が行われた時も、1991年に殺人事件が起きた時にも、小田晋氏は筑波大学社会医学系の教授だった。

精神科医として刑事事件で容疑者の精神鑑定を行い、1982年の日本航空350便墜落事故や、2000年新潟少女監禁事件において被告の精神鑑定を行った。またオウム真理教元幹部の心理鑑定を行っている。1984年に起きたグリコ森永事件、1988年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、1995年地下鉄サリン事件、1997年神戸連続児童殺傷事件など、重大事件では背景を分析し、犯罪心理についてメディアで積極的にコメントを行っていた。

自ら「反人権派」を公言し、犯人に対して痛烈な批判を行うため、その評価は賛否両論である。人権派を批判する時には、「暴走族友の会」「社会解体促進同盟」などの痛烈な造語を用いて批判していた。これは人権が強調され過ぎる余り、警察、学校、家族などが犯罪の芽を摘むことができなくなり、社会秩序が崩壊してしまうという持論によるものである。刑罰を厳しくすれば犯罪を防止できるとし、犯罪の原因を社会矛盾よりも犯人の人格に求める持論を展開した。(映画監督の山際永三が、その人権感覚を批判している)。とはいえ、こうした考え方は犯罪精神医学に根強いものであるため、小田だけに限ったことではない。
1979年に起きたロボトミー殺人事件の被告人の精神鑑定を担当し、検察側証人として「責任能力あり」「脳波検査での異常なし」と証言した。しかし、控訴審では検察が提出した別の鑑定医のカルテにおいて「脳波検査での異常あり」と検察自身により覆された。



・なぜ陛下(階段下)から悪魔の詩訳者殺人事件の話に飛んだかというと、以下理由から。
捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に書いたメモが発見された。
これには壇ノ浦の戦いに関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と書かれていた。
このため、五十嵐は自身に身の危険が迫っていた事を察知していたのではないかとする憶測が生まれた。

    だんのうらでころされる(壇ノ浦で殺される)
  かいだんのうらでころされる(階段の裏で殺される)

フランス語で書かれたものは当然に読み方だって違うわけだけれど、それを日本語に訳すと「かい」以外が一致する。



168.png明日へ続く。日付が回ったので今日とも言います。





# by yumimi61 | 2020-01-09 13:18

人日の節句

・七草がゆを食べる日というけれど、子供には七草がゆは大層不評で、喜ばれることはありませんでした。
おかゆとか雑炊が嫌いな子供ってわりと多いですよね。大人でもかなぁ。

・ある時テレビドラマを見ていたら、夜食がすごく美味しそうで、夜食を食べたくなったが、自分で作って食べるんじゃ夜食じゃないと思った。

・そういえば、大晦日のお蕎麦が年末に時々話題になることがありますよね。
蕎麦を晩御飯として食べるものなのか、それとも年越し蕎麦というくらいなので年越しタイムに食べるものなのか、だらだらと飲み食いした後の締めの蕎麦みたいな感じなのか。
大晦日にスーパーとか買い物に行くと天ぷらが山ほど売られているから、真夜中の天ぷらそばはないんじゃないかとか(つまり晩御飯説)。

・今は新暦だけど節句は本来旧暦の行事だから、1か月くらい後ろにずれるんですよね。
旧暦だと今年の七草がゆの日は2月1日になります。

・わたしはショウガとかユズとか香物は好きなのだけれど、ショウガを入れる甘酒が子供の頃からあまり好きじゃなかった。

・甘酒は初詣の時に神社で振舞われていて、寒い日にはそれで体が温まってとても有難かったりするので、冬のイメージが強いけれど、実は甘酒は夏の季語。
今は結構「飲む点滴」とか言って夏にも売られてますね。
甘酒は酒粕からつくる甘酒と米麹からつくる甘酒、2種類あります。
酒粕から作る甘酒にはアルコールが含まれます。
私の知り合いの娘さんが地酒の酒造会社に勤めていて酒粕を貰うことがあるのですが、それで作った甘酒は美味しい。でもアルコールがダメな人にはアルコールが若干強めかも。あとこちらは砂糖を入れます。
米麹から作る甘酒にはアルコールが含まれないので、子供でも運転手でも飲むことができます。そしてこちらは砂糖を入れなくても甘みが出る。自然の甘み。お正月に神社で振舞っているのは多くの場合こちらだと思う。
アミノ酸やビタミンB群などが含まれ、胃腸にも優しく、砂糖を入れないとというこということで美容にも良いと言われたりしますが、元はお米なので穀類、栄養素としては炭水化物、ブドウ糖になっていくわけです。前に書いたように炭水化物は人間のエネルギー源。特にブドウ糖は脳のエネルギー源としても重要。でも摂りすぎれば肥満に繋がる。
病院ではブドウ糖点滴というものがあります。
甘酒は美容に良いとかということよりも、元々はそちら(ブドウ糖)の意味での「飲む点滴」だと思います。


・先日、採点基準というか合格基準が必ずしも明確でないため保護者などから不満の声が上がることもある高校受験の前期選抜(A選・B選)について書いた
ちょうど長男(前期選抜で入学)の中学最後(3年3学期期末テスト・2011年2月)の結果があった。
人日の節句_e0126350_10424116.jpg
3計は3教科合計点。満点300点。 国語・数学・英語
5計は5教科合計点。満点500点。 国語・数学・英語・理科・社会
9計は9教科合計点。満点900点。 国語・数学・英語・理科・社会・保健体育・技術家庭科・音楽・美術


・彼が高校を卒業して大学進学のため家を出た後、私は彼が残していった参考書で勉強しようと思い 彼の残していった本の整理をしながら、とある参考書を手にしていた。
人日の節句_e0126350_22390327.jpg
洛陽社
主に学術書や学習参考書を出版する日本の出版社である。 同社の『古文研究法』の著者小西甚一の教え子である阿部邦義が設立。

小西 甚一
1915年(大正4年)8月22日 - 2007年(平成19年)5月26日
日本文学者、比較文学者。1951年(昭和26年)、『文鏡秘府論考』により日本学士院賞を受賞。1987年(昭和62年)、勲二等瑞宝章。1999年(平成11年)、文化功労者。元筑波大学副学長、筑波大学名誉教授。文学博士(東京文理科大学)。
東京教育大学文学部教授、筑波大学文芸・言語学系教授、スタンフォード大学客員教授、ハワイ大学高等研究員、アメリカ議会図書館常任学術審議員、プリンストン大学高等研究員等を歴任し、日本文学研究の国際化に貢献した。
専攻は日本中世文学、比較文学で、飯尾宗祇の連歌や世阿弥の能等。また、俳句研究にも造詣があり、松尾芭蕉に関するものも多い。
全5巻の大著『日本文藝史』は第1巻刊行と同時に英訳版がプリンストン大学出版会から出ている(第3巻まで。第4、5巻は未刊行)。1992年(平成4年)、同書により大佛次郎賞を受賞。
その他の著書に『梁塵秘抄考』、『文鏡秘府論考』、『能楽論研究』、『俳句の世界』等がある。

●学者として壮年期に日本学士院賞を受賞したが、同時に大学受験指導普及に熱心で、大学受験ラジオ講座の講師を務めたほか、自ら著した学習参考書『古文研究法』(洛陽社)は単なる参考書を超えた国文学入門書としてファンが多く、ロングセラーとなっている。自ら編纂した代表的な学習参考書は、他に『国文法ちかみち』(洛陽社、重版中)、『古文の読解』(旺文社、ちくま学芸文庫として復刊)等があり、コンパクトな古語辞典の先駆けとなる『基本古語辞典』(大修館書店、のち『学習基本古語辞典』に改題)がある。

●東京教育大学在勤時には学園紛争に忙殺され、同大の筑波移転問題に際しては、文学部で数少ない賛成派で、移転後に筑波大学で要職を務めたこともあり、主義論説面では保守派と見なされていた。

●三島由紀夫とは自決の数年前に『世阿弥と謡曲』について、ドナルド・キーンと3人で座談しており(のち新旧の『三島由紀夫全集』に所収)、『日本文藝史』第5巻の最後は三島由紀夫の礼讃で締めている。なおキーンとは終生の友人であった。

人日の節句_e0126350_22565629.jpg
・先生、110版ですよ、110版!!
あ~?う~ん?い?
え~と?



『古文研究法』P293‐294

(リ)象徴
 象徴というものは、わかったようなわからないような術語で、高校生諸君を悩ませること多大なるものがあるだろうと思う。これを理解するには、譬喩ということから考えてゆくのがよい。譬喩だと、
 AーB
という二つの観念があり、その間をつなぐのは、両者に共通する観念である。そして、その共通性は、わりあい理詰めでとらえ得るものだが、象徴は理詰めでは行かず、感覚で直観的にとらえられるような場合をいう。つまり、AとBとの間に叙述の飛躍があり断絶があって、論理的に結びつけることはできないけれど、何かしら感じのうえでは深く結びついているということがわかるような表現を、象徴というのである。
実例でいうと、幸福のことを「青い鳥」であらわすなどがそれであろう。「青い鳥」というvehicleをどう分析しても、tenorの「幸福」とは理性的には結びつかない。しかし、両者の間には、たしかに「そうだ」と思わせるものが流れている。また作品でいえば、
 夏 草 や 兵 ど も が 夢 の あ と            芭 蕉
などは象徴の好例である。つまり、「夏草」と「兵どもが夢のあと」とは、意味のうえでは何も関係がない。というよりも、わざわざ「や」という切字を入れて、意味的なつながりを切断しているのである。兵どもが夏草をどうしたこうしたとかいう意味的な関連はない。作者の眼前にははてもなくひろがっている夏草の茂みがある。夏草は、ごわごわとした手ざわりで、冬草(たとえばクローヴァ)のように柔らかくはない。そのあらあらしさは、武士たちの壮烈な最期の場所であるのに、もっともふさわしい。クローヴァや蓮花草のはえている原では、むしろ若人が青春をたのしむのにふさわしい。夏草のはてもないひろがりに悠久な時の流れを、あらあらしい手ざわりに武士の最期を感じることができたら、その人は、象徴ということがわかったわけである。象徴とは、このように、夏草なら夏草という素材をいちおう持ち出すけれど、現実の夏草を描写するのではなく、それを手がかりにして、現実の夏草にひそむいちばん夏草らしい点、すなわち夏草の本質を感じ取らせるような行きかたである。気どって言えば「素材に頼りつつも、これを否定して事物の本質へと人を誘う」表現なのである。この「本質」という所が大切であって、夏草なら夏草の本質に深まってゆくのが、象徴の表現だと考えてよろしい。本質ということばが頭に入りにくければ、簡単に「いちばんそれらしい点」と憶えてもよかろう。このような象徴的表現を、江戸時代の俳人は「配合」といった。


・先生、わたし、これで↑分かったことがあります。
青い鳥が幸福と繋がるのは、『青い鳥』というお話があるからこそであり、それがなければ、青い鳥から幸福を結び付ける人など存在しなかったかもしれませんよね?
『青い鳥』(フランス語:L'Oiseau bleu)
モーリス・メーテルリンク作の童話劇。1908年発表。5幕10場。作品の主題は「死と生命の意味」。
2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。
なお、メーテルリンクによる続編『チルチルの青春』(原題:Les Fiançailles(いいなづけ)、『チルチルの婚約』とも)がある。


そこで日本国憲法の象徴を考えてみたのです。
日本国憲法 第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


天皇が象徴なので、私たちは自分で決められるのです、天皇の本質を。
「青い鳥」=「幸福」と同じで、もともとは存在していない、なんにも。本質なんかないものです。
だからこそ私達は自由に創作が出来る。イメージを膨らませて物語を紡ぎだす。自分の天皇像を描くことができるのです。
もうひとつ大事な点は、天皇を日本国の象徴としていること。私達は日本という国に住む日本人であるから、自分が描いた天皇像(天皇の本質)が、自分の本質であると言われているようなものです。
誰しも自分のことを悪く思われたくない。誰しもが誰にも尊敬される素晴らしい人でいたい。だから天皇の本質は悪だなんてことは間違っても言えなくなってしまうのです。天皇を素晴らしいと言わないと、自分も素晴らしい人でなくなってしまいます。
しかも日本国民統合の象徴であるから、自分だけそう思っていれば人が何を言おうが良いというわけではなく、そう思わない日本人がいることが許せなくなってきてしまうのです。
どうですか、この説は?


人日の節句_e0126350_22360243.jpg


... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2020-01-07 18:35

松の内~*

・たららららららら~らら~♪ ピンポーン!

・某信用金庫から頂いた今年のカレンダーが鬼尽くしだった。
松の内~*_e0126350_17351240.jpg
・カレンダー見て思ったけど、2020ってZOZOみたい。

・この間、本屋さんで『For You』を在庫切れだったと書いたけれど、検索機には確か「カウンターで注文してください」と書いてあった。でも私はしてこなかった。
地球が回っているのなら日々は巡っているのなら
またいつか出会えることがあるかもしれないから~✨
それこそが運命でしょ?


・センター試験まであと2週間ですね。
センター試験を受けた方や受ける方はよくご存じかと思いますが、縁や興味がなかったという方はご存じないかもしれません。
センター試験というのは、中学校の定期試験のように、全員が同じに「国・数・理・社・英」の5教科の試験を受けるわけではありません。
何故かというと、受験にあたって各大学が指定する教科(受験科目)が違うからです。
幾つも異なる大学・学部学科を受験するという場合には、その各々が指定する科目を受けておく必要があります。
先日、次のように書いたのも、受験生が選択する科目が違うためで、教科別受験者数には差異が出てきます。→教科別で言えば、受験者数が多いのはどの模試でも英語である。次が国語。

受験者は、出願時に受験教科(国語、地理歴史・公民、数学、理科、外国語)をそれぞれ受験するか否かを志願票に記入し、「受験する」と申請した教科のみ受験することが出来る。
受験者は数学(1)、数学(2)、外国語から1科目ずつ、地理歴史・公民、理科(2)からは1科目または2科目、理科(1)から2科目しか受験できない。
出願する大学により指定された科目は受験する必要があるが、必要のない科目は受験しなくてもよい。


地理歴史公民
同一名称を含まない最大2科目まで選択。各100点満点
「世界史A」「世界史B」「日本史A」「日本史B」「地理A」「地理B」「現代社会」「倫理」「政治・経済」「倫理、政治・経済」

国語
200点満点(近代以降の文章100点、古文50点、漢文50点)

外国語
(筆記)各200点満点
「英語」「ドイツ語」「フランス語」「中国語」「韓国語」 ←どれか1科目選ぶ
※外国語(リスニング)50点満点
外国語(筆記)で「英語」を選択する受験生は必ずリスニングを受験する必要がある。ただし、重度の難聴者については免除される。「英語」以外の外国語を選択した者は受験できない(250満点と200点満点と違いが出てしまうので得点調整がなされる)。

理科
A:理科(1)より2科目
B:理科(2)より1科目
C:理科(1)より2科目と理科(2)より1科目
D:理科(2)より2科目
の中から1つ選択。

理科(1) ←基礎科目と呼ばれる
2科目で100点満点(1科目のみの選択は不可)
「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」「地学基礎」

理科(2) ←発展科目と呼ばれる
各100点満点
「物理」「化学」「生物」「地学」

数学(1)
 各100点満点
 「数学I」「数学I・数学A」 ←1科目選ぶ
数学Aについては、「場合の数と確率」、「整数の性質」、「図形の性質」から2題を選択して解答する。

数学(2)
 各100点満点
 「数学II」「数学II・数学B」「工業数理基礎」「簿記・会計」「情報関係基礎」 ←どれか1科目選ぶ
数学Bについては、「数列」、「ベクトル」、「確率分布と統計的な推測」から2題を選択して解答する。

生徒の学力低下を懸念して、ほとんどの国公立大学ではセンター試験で5(または6)教科7(または8)科目、合計950点分の受験が必須である。
多くの文系では外国語、国語、数学2科目、地理歴史および公民の中から2科目、理科の基礎を付した科目から2科目が、理系では外国語、国語、数学2科目、地理歴史又は公民のうち1科目、理科の基礎を付していない科目から2科目が主流となっている。
また、私立大学の参加も年々増加している。私大の場合、センター試験を入学者選抜にどう利用するかは、各大学が個別に決めている。英語リスニングの結果を採用しない大学や、足切りのみの使用の大学もある。


・センター試験の「理科」の教科は、長男の学年の次の年から変更になった。変更後が上記のものである。
【変更前】
「理科総合A」←(物理・化学)「理科総合B」←(生物・地学) 「物理I」 「化学I」 「生物I」 「地学I」
上記6科目のうちから最大2科目を選択。

なぜ変わったのかと言えば、学習指導要領が改訂され、教科書とか授業が変わったからである。

「理科総合」とは?
2003年の高等学校学習指導要領の施行によって新たに設置された、教科「理科」の科目の一つである。
理科総合科目である「理科I」(昭和57年度入学生から適用)、「総合理科」(1994年入学生から適用)の系譜を引いており、同じく理科の総合科目である「理科基礎」を履修しない場合は、理科総合A又は理科総合Bのどちらか1科目を原則として履修することとなっているため、理科I以来の理科総合科目の全員必修が復活した。
2012年の学習指導要領改訂により、2012年入学生から同趣旨の科目として「科学と人間生活」が設けられたため、2011年入学生の高校卒業と同時に「理科基礎」とともに科目廃止される。
なお、「科学と人間生活」を履修する場合は、「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」「地学基礎」の4科目のうち1科目以上を併せて履修すればよいが、「科学と人間生活」を履修しない場合は、「○○基礎」の4科目のうち3科目以上を履修しなければならない。


2003年の変更でそれまでの「総合理科」が分割されて「理科総合A」「理科総合B」に。
また4分野の「理科基礎」の科目が新設された。
このうち1~2科目が必修となる。
しかし内容的にはゆとり教育でもあったため、中学4年生的な内容で大学受験には不向き不評。
センター試験では「理科基礎」が該当とならず、「理科総合A」「理科総合B」も上位大学では指定していない。
よって結局高校でも「理科基礎」や「理科総合A」「理科総合B」2科目とも卒業要件にする学校は極めて少なくなる。

大学入試センター試験を利用する大学では、学力上位の文系学部と、ほぼすべての理系学部が理科総合を指定しておらず、しかも理科総合の内容はそれぞれの分野の科目の基礎単元と全く重複しているため、進学校を中心として必修不要論が出て、さらに理科の諸学会が「理科の学習内容の学年後倒し」を批判したことも相まって、2012年の学習指導要領改訂により「理科基礎」とともに廃止されることとなり、理科総合A、理科総合Bで中学校から移行された学習内容は、2009年度から順次中学校へ戻す移行措置が行われることとなった。 

日本の理科教育は戦後から混迷しているのであった。
戦後→身近な生活から問題を見つけて解決する形の授業形態が中心→基礎学力の低下
1958年(昭和33年)より→系統学習中心(知的理解・論理主義的)→落ちこぼれ増加
1977年(昭和52年)→ゆとり教育で授業時間数が減少
1992年(平成4年)→小学校1・2年の理科が廃止され、生活科が新設された。→小学校低学年での理科単独の授業は姿を消す。
1998年(平成10年)→さらに理科の指導時間数が減少
子どもの学力低下が世論で取り上げられるようになった。2003年(平成15年)に文部科学省が「指導要領に示していない内容を加えて指導も出来る」ように学習指導要領を一部改正し、教科書にも発展的な内容が入った。これに対し、「『学習深度は深く』なったものの、『内容が断片的になり、現場の教員は、かなりの試行錯誤をしている』」との意見もある。


・「理科」という言葉があるが、現在は「理科」の化学・物理・生物・地学の4科目の全てを履修するということがない。
理系の大学に進んで科学者を目指すとしても4科目は必要ない。理科の教員になる場合は必要かな?
大学の研究分野などは実際もっと狭い範囲となる。狭く深い感じだろう。だから専門外の余分な科目まで履修したくないということで、理系大学でも4科目必須にはしていない。(大学じゃなくて高校までにやってきなさい?)

高校の理科で4科目の基礎を必須としていたのは1982~1992年。1980年代に高校生だった皆さんですよ!
但し1987年から、その理科4科目必須教科「理科I」が共通一次試験の必須科目でなくなり、やがて高校授業からも消えていく運命に。
大学入試(共通一次)で理科4科目必須世代は、新課程受験者となった1985年から1987年に廃止されるまでなので、実質1985年と1986年の高校3年生(現役)受験者のみです。


・うちの長男は文系学部学科を受験したが、理科科目も必要であり、6科目のうち 「生物I」 で受験していた。
その「生物」は模試で偏差値が80を超えたことがある。
松の内~*_e0126350_00480946.jpg
・偏差値による割合
松の内~*_e0126350_00495080.jpg
実際に見てみると・・・
生物Yというのは、おそらく文系の範囲かと。
文系でも数学や理科が科目に入っている大学がありますが、模試では問題を解くべき範囲を変えて理系や文系や大学指定の区別を付けていて、それがXYZで範囲分けされているようです。
松の内~*_e0126350_00445837.jpg
この模試(進研記述模試)では100点満点中86点で全国での偏差値80.2。
その横71.0は校内偏差値であり、進学校であるため、校内偏差値のほうがぐっと下がる。
生物Yの受験者は全国で102,051人。その0.1%だとすると102人目くらいのはずだけれど、実際は304位と書いてあり、これは0.3%くらいになる。
その隣の欄が群馬県内、その隣が校内。33.4は全国平均点、47.9が校内平均点。
パーセンテージで0.1%というと、ものすごく少ない気がするけれど、でも100人とか300人とか人数にして言ってみて、実際それだけの生徒の数を思い浮かべれば、そんなに少なくない気もしてくるから不思議なものです。
100点から86点までに(14点の間)、304人いるということは、同じ点数や偏差値の人が沢山いて、単純に割れば、1点単位で21~22名いるということになる。
そう考えると受験って大変ですね。
そう思うと数十秒遅れたら謝罪止む無しも止む無しか・・!?







# by yumimi61 | 2020-01-05 17:41

三分の三の日②

・これも昨年末、大掃除をしていて出てきたもの。
ファイルに4枚ほど長男の高校3年生の時の模試の結果が入っていた。
4枚しかないから三者面談時にもらったものだろうか。進研模試と駿台模試で、記述模試とマーク模試と大学入試センター試験プレテストがあった。
三分の三の日②_e0126350_11171067.jpg

・彼は当初、大学でフィンランド語を学びたいと言っていた。
なぜフィンランドなのか、私にもよく分からない。行ったこともない。
フィンランドと言えば、オーロラにサンタクロース村?あとムーミン?
理研の小保方騒動があったとき、騒動について書いたことがあるけれど、その中の1つの記事でもフィンランドについて書いている。
あの騒動の時、彼は高校3年生で大学受験期だった。

過去記事より
受験生だった長男は私立大学も国公立大学も受験した。
当初国公立大学の後期試験受験は考えていなかった。
何度も受けた模試の結果では前期試験で合格できそうだったからだ。
しかしそう、前にも書いた通り、彼はセンター試験の国語の点数が模試の時よりも数十点低かったのである。
センター試験が終わった後の判定でも合格圏内にいたことはいたが少々不安になってきた。
「後期試験も出願しておいたほうがいいんじゃない」と長男に言ったのは私だった。
後期は受ける予定ではなかったので前期受験大学の願書しか取り寄せていなかった。

センター試験後、生徒は学校で担任の先生と面談し、最終的な志望校を決定していくが、この時に長男が後期試験の話を持ち出したらしい。
それで受験校を検討する中で先生から「神戸市外国語大学はどうだ?」と提案があったらしい。
国内で唯一の公立外国語大学である。
何故その大学だったかといえば、ロシア学科があったからである。
何故ロシア学科なのかと言うと、長男は「フィンランドに行きたい」「フィンランド語を学びたい」と言っていたことがあったから。
何故フィンランド学科がロシア学科になるのかというと、日本の大学でフィンランドの学科(北欧学科)があるのは東海大学のみだったから。
「フィンランドに近いところでロシアはどうだ?」ということで先生がロシア科のある国公立大学を探してくれて、神戸市外国語大学に行きついたということのようである。
それから願書を取り寄せたので家に届いたのは1月20日過ぎのことだったと思う。
しかし結局、後期試験は出願しなかった。


・フィンランドの学科(北欧学科)がある東海大学は模試でも志望校にしていたことがある。
他の生徒がどうなのかは分からないが、最終学年3年生になる以前から模試の志望校にいろんな大学を書いてみるということがあまりなかったように思う。
最難関大学に受かりたい~という欲もなく、三者面談では東京大学を目指してみたらと言われたこともあったが予備校に行きたくなかったのか彼には全然その気がなく、模試の志望校に書いてみることもなかった。あと私立だと早稲田はあるけど慶応は書いたことがない。地元の国立大(群馬大学)も志望校に書いたことはない。
結局彼は幼児教室や公文などを含め学習塾・進学塾・予備校などに通って学ぶことは一度もなかった。


・「自分」とか「適正」とか「夢」って何だろう?
夢があったら素晴らしい?子供の夢を大人は全力で応援すべき?
自由があったら素晴らしい? それとも「いまさら翼と言われても」ではないけれど、急に自由を与えられても困る?

健康で五体満足に生まれてくれたら良いと願っていた親が数年もすると、それだけではどこにも足りなくなってくる。
大人や社会にとっての素晴らしいことって何だろう。
難関大学に入って大企業に就職して安定的に働くこと?
有名になったり一攫千金あてて左団扇で暮らすこと?
賞レースに勝ってちやほやされること?
そこに価値を見出せない人はどうすれば良いの?
平和?平和って何?誰にとっての?何にとっての?

大昔のように金持ちの道楽で、あるいは金持ちのパトロンを得て大学に通って、好きなことを好きなだけ学んだり研究できるという時代ではない。
大金かけて大学に入ったって、大学での勉強なんておよそ関係ないところへ就職していくことが多い。
社会の価値や評価は、大学の難関度、企業の大きさや入社しにくさ、有名度に置かれている。
他者に勝つことに何よりの価値を置いていて、戦いのフィールドが大きければ大きいほど勝利の価値はあがる。

東大を目指せる子供がいたとして、その子がフィンランド語を学びたいので東海大学に行きたいと言いだしたら、あなたはその夢を全力で応援しますか?
フィンランド語を学んで、将来どんな仕事に生かせるのか、想像できますか?
フィンランドに移り住んで仕事をして暮らしていくということなんだろうか。だとしたら大学で学んだくらいでそれは可能なんだろうか。
もしもおよそフィンランド語に関係ない仕事に就くとするならば、東海大学の北欧学科に進学する意味はあるんだろうか。
しかもその唯一の大学は国公立でもなく私立大学であり、自宅から通えるところでもない。安く済むというわけでもない。
普通に考えれば大人は無条件で子供の夢や希望を応援したりなんかしないだろうと思う。
私たちは本音と建て前(本当と嘘)が渦巻く社会に生きている。
それが分かっている大人だって嫌気がさすことはあるので、子供とか多感な思春期・青年期には尚更そういうこともあるだろうと思う。

フィンランド語を学びたいと言ったことに対しても、東海大学を志望校にしたことについても、私は猛反対はしなかった。
彼自身も東海大学しか学科がない状況で、そこに進むということにはある種のためらいを持っており、踏み切れなかった。いまひとつ現実味が湧かなかったのだろうと思う。


・ここでひとつ偏差値の話もしておきたいと思う。
偏差値というのは、ある集団(母集団)の中のどの辺りに位置するのかを表すものである。
偏差値が有効で利用価値が高いのは、その集団の成績(得点)の数値分布が「正規分布」の時である。
「正規分布」の大きな特徴としては、平均値を中心にして山型の分布(左右対称)になっていることが挙げられる。
三分の三の日②_e0126350_21460579.jpg
分散(標準偏差)が大きくなると山型曲線は低くなり、分散が小さくなると山が高くなり尖がった形になる。

平均値の付近に集積するようなデータの分布を表した連続的な変数に関する確率分布である。中心極限定理により、独立な多数の因子の和として表される確率変数は正規分布に従う。このことにより正規分布は統計学や自然科学、社会科学の様々な場面で複雑な現象を簡単に表すモデルとして用いられている。たとえば実験における測定の誤差は正規分布に従って分布すると仮定され、不確かさの評価が計算されている。

標準正規分布の確率は下のグラフのようになる。σ(シグマ)は標準偏差。
平均値から標準偏差だけ離れていれば1σ,標準偏差の2倍離れていれば2σということ。
平均から1σの間に入る確率がおよそ34.1%である。
三分の三の日②_e0126350_21483914.jpg
これを試験の偏差値で考えると、母集団の平均点が偏差値50ということになる。
但し模試などの場合、該当模試の純粋な平均点ということではなく、受験者全体の予想される平均点などを基準にして補正してあるのが普通である。
ともかく、偏差値分布は次のようになる。
  偏差値70以上・・・全体の2.3%
  偏差値60~69の人・・・全体の13.6%
  偏差値50~59の人・・・全体の34.1%
  偏差値40~49の人・・・全体の34.1%
つまり10万人の母集団(受験生)がいれば、偏差値70以上の人がだいたい2,300人位いるということになる。
1000人の母集団(受験生)がいれば、偏差値70以上の人がだいたい23人位いるということになる。
300人の母集団(受験生)ならば、偏差値70以上の人がだいたい7人位いるということになる。


・偏差値というものは、同一人物が同じ100点を取っても、受験者(母集団)の人数や平均点、学力レベルなどで変わってくるものである。
受験者がみな高得点を取れるような母集団、あるいは母集団の人数が少ないような場合には、そもそも正規分布にはならず偏差値が有効とは言い切れない。
正規分布だとしても母集団の数が小さいと誤差は大きくなる。
また同一人物が、受験者がみな高得点を取れるような母集団に混じった場合と、平均的な母集団に混じった場合には、その人物の偏差値は平均的な母集団に混じった場合のほうが高くなる。
つまり本来は、誰もかれもが受ける模試よりも、東大模試とか難関大模試のほうが偏差値は低く出てくるということになるが、上でも書いたように偏差値を出している予備校が補正をしているだろうから、完全にそうとも言い切れない。
また繰り返しになるが受験者数が少ないとか偏りが出る場合には誤差が大きくなるため、やはり母集団は大きいほど精度は高い。


・長男が大学受験した年のセンター試験受験者数は53万人だった。
私が見つけた資料では、高校3年の9月に行われた駿台マーク模試の受験者数が一番多くて40万人の受験者がいる。
3年の7月に行われた進研記述模試の受験者数が約36万人。
センター試験直前の12月15日に行われたセンター試験プレテストの受験者数は12万程度である。
教科別で言えば、受験者数が多いのはどの模試でも英語である。次が国語。


・ネットには高校にしろ大学にしろ偏差値が示されている。
受験生はこれらを見て、受験する高校や大学の参考にしたりする。
この偏差値一覧は高校や大学が発表しているものではない。予備校が出している数値である。
大手予備校は上記のように全国模試を何回も実施している。
自社が行った模試の受験者の模試の結果(偏差値)と実際の入試結果(合否)を照らし合わせて、各校のおおよその偏差値を決定している。
つまり実際の入試結果(点数や合否)が分からないとデータも作れない。予備校はどこから個人の合否結果を得ているのだろうか?


・受験生はたいてい複数校受験するものだが、難関校を受かるような生徒が1校だけ不合格になった大学があるような場合、その不合格になった大学の偏差値が「優秀な生徒が落ちるほどのレベル」というようなことで相対的に少し上がることになる。
例えばだけど、私立の難関校と言われる大学は、併願で国立難関校が受かるような生徒は落としたほうが、大学の偏差値が上がりやすい。偏差値もブランドの1つになるだろうから、私大入試では模試とは違って特別に対策しないと解けないようなマニアックというかニッチな問題が出題されることが多いとも言われる。国立併願の場合にはその私大の独特な問題の対策まで手が回らないということがよくあるらしい。
また国公立受験者のほとんどは私大も受験していて、複数校合格しているということもよくある。私大のほうが入試日も発表も早いので。しかしだからこそ入学しないこともよくある。でも大学偏差値はあくまでも合格者で決まるもので、入学者ではない。入学しようがしまいが優秀な生徒が沢山受験してくれたほうが偏差値は上がりやすい(受験料も手に入る)。
また私大は国公立よりも受験科目が少ないのが一般的なので、私大希望者のほうが取りこぼし教科が少なく、模試などで高得点が出やすい。模試で高得点(高い偏差値)を出していた生徒が私大に合格すれば、その私大の偏差値が上がる。
さらに私大には難関校と言われていても高得点(高い偏差値)を必要としない推薦系が相当数いる。今は国公立でも増えている。
このようにいろんな裏事情というか兼ね合いがあるので、大学偏差値=その大学の平均的な学生レベル、とはちょっと(かなり?)言えないところがある。







# by yumimi61 | 2020-01-03 16:27

三分の三の日

・うちの長男は高校に前期選抜で合格し入学した。
高校は県内公立高校。自宅から一番近い進学校。
公立高校の入試制度は都道府県ごとに違うと思うので、全ての都道府県が同じように前期・後期選抜を行っているのかは分からない。
群馬県の公立高校の前期・後期選抜入試の話をすれば・・・
前期選抜は合格定員が少ないため、倍率が非常に高くなる。
前期選抜に落ちても、後期選抜で同じ学校を受験することは可能。それで合格する生徒も少なくはない。進学校の前期選抜で合格するのはせいぜい同じ中学校から1人くらいというような話も伝わっていて、落ちて当たり前という雰囲気もあった。
だから却って、合格ボーダーラインにいても、とりあえず前期は純粋に希望校を受験してみたり、チャレンジ的受験もできる。
前期の試験と発表は後期よりも1か月ほど早いので2月上旬には合否が決定する。
その後に後期選抜の出願期間があり、後期は安全圏を選択することが多いので、倍率は落ち着いて進学校であっても高くなくなる。
三分の三の日_e0126350_11435403.jpg
大学受験の二次試験の前期日程と後期日程は逆で、後期日程のほうが定員が少ないので倍率が上がる。後期は前期日程で不合格になった時のことを考えて出願しておくことが多い。
後期は倍率が高くなることは知っているので(前期発表前に出願するので出願者が全員受験するとは限らないけれども)予めランクを少し落としたところに出願しておく。同じ大学に前期・後期両方出願していおいても構わない。
つまり大学受験の後期日程は滑り止め的な要素が大きいが、高校受験の後期選抜は(とくに進学校の場合は)そうではなく、後期のほうが一般入試的扱いとなる。
従って前期選抜は推薦入試的な要素が強いと考えれば良いのかもしれないが、学校推薦ではなく、本人や家族が希望すれば誰でもどこの高校の前期選抜試験でも受けることが可能である。


・実はうちの次男も前期選抜で高校に入学した。長男とは違う高校である。
彼は小学生時代にサッカーをやっていて、中学校の部活で陸上部に転向し、高校でも続けることを希望し、近隣公立校で陸上部が熱心な高校へ進学したいと言った。候補に挙げていたのは2校だが、1校は他市の高校だった。
私はその時に知ったことがある。(長男受験の時は知らなかった)
前期選抜には密かにA選とB選と呼ばれているものがあるのだということを。(表立って区別されてはいない)
B選というのは、いわゆるスポーツ推薦である。
但し公立高校なので何か1つスポーツが得意ならば「学力全般目を瞑ります」というわけにはいかない。
つまり他の生徒と学力に大きな差がなく部活動をしていても学校の授業に付いてこられる程度の学力は必要ということになる。
何を基準に見るかというと、中学校の調査票(評定)のようだった。あの高校のB選だったら評定4以上必要だとか、そういう話を生徒たちがしていた。
但しA選で合格した生徒ほどの学力や総合力は必要ないと思われ、評定についても厳密にラインが引かれているのではないと考えられる。


・いわゆるスポーツ推薦といっても上に書いたように中学校による推薦は行っていない。
前期選抜の試験項目にスポーツの実地試験も含まれていない。
中学校の部活動成績で特筆するものがあれば調査票に書かれるかもしれないが、以前サッカーのことを書いたように全ての生徒が中学校の部活動に所属して成績を残しているわけではない。クラブチームなどに所属して大会に出場している生徒もいる。クラブチームの成績を中学校は調査票に書くわけにはいかない。
高校にスカウトされるレベルですでに名が通っていれば、高校側からアプローチすることも出来るだろうけれど、そういう生徒ばかりではない。
では誰がどうやって推薦するのかと言えば、クラブチームなどの監督や指導者などである。
B選は各高校の各部活動の顧問などが枠を持っているらしいのだ。
例えば、群馬高校という公立高校があったとして、1学年定員280名だとする。前期選抜の合格者定員は20%で56名。A選とB選の比率は学校などによって違うのだろう、よくわからないが、ここでは半分ずつとする。つまりB選(スポーツ推薦)で合格するのは28名ということになる。
その28名の枠をさらに部活動実績などに合わせて人数を振り分ける。例えば、陸上部5名、サッカー部5名、野球部5名、バスケット部5名、バレー部5名、ラグビー部1名、剣道部1名、バトミントン部1名など。
各部活動に人数以上に前期選抜志願者(推薦された者)がいれば、その合否決定に大きな影響力を持つのは部活動の顧問ということになる。
従ってその顧問と太いパイプを持つ指導者に推薦(口利き)されるほど合格しやすいということになる。


・うちの次男は中学校では部活動に所属して陸上をしていた。
しかし部活動の場合、3年生になると夏で大会が終わり引退となる。そこから高校入学まで長ければ半年以上のブランクが空く。
競技生活を続けることを希望する生徒はこのブランクを嫌う。
次男も部活動引退後から高校入学までの期間、陸上のクラブに所属し、そこで定期的に練習をしていた。練習は自転車で通える範囲内のところで行われていた。
入会手続きの書類には保護者の署名と捺印くらいはしたと思うが、全部次男が自分で決めてしたことなので、私はそのクラブ指導者には会ったことすらない。
そのクラブの指導者と高校の顧問は知らぬ仲ではなかったようだ。
そして次男は前期選抜で合格した。
そもそもA選とB選は表立って区別されておらず、それについては何の説明もないので、保護者であってもB選に出願したという区別を改めて認識することは出来ないし、B選で合格したというお知らせもない。
但し入学前に高校の陸上部の顧問から練習に参加してほしいとの電話があり、それで(これがB選ということなのか)と私は思った。


・長男は小学生時代にサッカー、中学時代も部活動でサッカーをしていた。部活動に選手登録している選手のトレセンに選ばれたこともあり、部活動とは別の練習などに参加したこともある。
中学生になる時に部活動ではなく、クラブチームに所属(選手登録)してサッカーを続けることを選んだチームメイトも多かったが、彼はそれを選ばなかった。クラブチームと部活動両方に所属することは可能だが、両方に選手登録は出来ないので、部活動のほうが選手としては11人に満たないチームになってしまった(2年前は県優勝していたにも関わらず)。彼は部活動の部長でもあった。
長男は中学3年夏で部活動を引退した後、高校入学まで半年以上のブランクが空いたタイプである。
そしてその期間に高校でもサッカーを続けるかどうか彼は悩んでいた。
しかし入学式直前には「やっぱりサッカー部に入ろうかなと思っている」と私に言った。
ところが、入学式の翌日には「サッカー部には入らない」といきなり宣言してきた。
突然の心変わりの理由を聞いたら「もうみんな春休みから高校の練習に参加していたって言うし」と答えた。
え?なんで?なんで入学前から高校のサッカー部で練習しているの? 私は訳がわからなかったし、長男の仲間外れ感(疎外感)も理解できた。
その時私はまだB選について知らなかったが、B選で合格した生徒以外にもクラブチームに所属していて高校サッカー部に入る予定だった生徒には早くから練習に参加するように声が掛かっていて、みな参加していたということのようだった。


・受験の場合、順位や点数が貼り出されるわけではない。
合格したとしても自分がどのあたりで合格したのかは分からない。
また上記括弧内の説明のように、選抜にあたっての比重は学校や学科によって異なるということで、採点基準というか合格基準というのは必ずしも明確ではない。特に前期選抜はその印象が強く持たれることになる。
そのような場合には多かれ少なかれ必ずや「おかしいよね」という声が上がることになる。
「うちの子より成績が悪いのに、あの子がなぜ前期選抜に合格したんだろう」とか「入学してからも前期選抜より後期選抜で入学した子のほうが良い点数を取れる」とか、「分かりにくいし不公平だから一本化してほしい」とか。
大学入試なんかを見ていると、そう言いたくなる気持ちも分からなくない。

おそらく公立高校の前期選抜にスポーツ推薦があるとは多くの人が知らないだろうと思う。
スポーツ推薦で合格した生徒と後期選抜で合格した生徒の学力だけを比べた時には、スポーツ推薦のほうが劣るということは十分にあり得ることで、高校はある程度まではそれを承知したうえで合格させているはずである。
でも一般的に保護者はそんなことは知らなかったりする。
特に保護者世代が高校時代には、群馬県の伝統的普通公立高校はスポーツ推薦どころか推薦入試自体も設けていなかったと思う。(公立でも実業高校にはあった)
そして現在も公立高校は「推薦」という言葉を使っていない。「前期選抜」である。
よって多くの場合、公立の普通高校でスポーツ推薦が行われているなんて思っていないから、「おかしいよね」ということにも繋がるんだろうと思う。

また一方で、昔は相対評価だったけれど現在は中学校の成績も絶対評価であり、評定というものは基本的には他者や他校との比較には向かないものである。だけどそうは思っていない保護者が多いのかもしれない。
昔やっていた全国共通の業者テストも禁止されたので、学校でも地域でも県内でも全国でも自分が(子供が)どの辺りにいるのか分からない。
中学校の定期試験だって学習塾に通っている生徒は、塾が中学校ごとの過去問を洗い、傾向と対策を指導していたりする。でも学習塾に通っていない生徒だっている。よって中学校の定期試験で採った点数が真の実力とは限らない。
点数からだけでは、発想が豊かで学ぶのは好きだけれど丸暗記みたいなことは苦手という生徒の良さや将来性は見いだせない。
中学生と言えば思春期真っただ中。実力はあるけれども十分に発揮できていなかった時がある生徒もいるかもしれない。
スポーツが得意なだけにそちらの練習に時間をとられて、他の生徒ほど学習時間を確保できなかったというハンディキャップがあるかもしれない。
個人的にどんな事情を抱えているのか、全てを知っているわけではない。
このようなことから一面だけでは何とも言えないのだけれど、世間は目の前にあることしか見えていないということが多い。


・昨年12月21日に『記述』という過去記事に追記した。そこにこう書いた。
うちの次男は訳あって(?)、高校時代、学業がかなり落ちこぼれていた。
毎学期末、学校から郵送で保護者呼び出し状が送られてきて、そのたび私は学校に出向いた。
でも次男にやる気があるように見えなかったので、ある時私は次男に「そんなに学校に行くのが嫌だったり勉強するのが嫌だったら学校を辞めていいよ」と言ったのだった。


呼び出されて学校に行くと、うちと同じように保護者が呼び出されている生徒が3人くらいいた。
うちは陸上部だったけれど、他の子は野球部ぽかった。
私が次男に辞めていいと言ったのは、次男にやる気がまったく見えず彼の心を心配していたこともあるけれど、もうひとつ彼がB選であるということが頭にあった。
B選でこんなに落ちこぼれてしまうということは、今後学校も部活動の顧問もB選生徒を合格させにくくなるだろうと思った(前期選抜やB選制度の是非はともかく)。
クラブの指導者が推薦してくれたとするならば、その人にだって間接的に迷惑を掛けることになる。
現に次男は部活の顧問などから「勉強も頑張ってくれ」とか「授業の課題は必ず出すように」とか口を酸っぱく言われていたらしいのだ。
でも彼はそれがなかなか出来なかった。
注意されてもされても授業中に寝てしまうことが多いようで、どうもナルコレプシーみたいな症状(日中の睡眠発作)があるようだった。特発性過眠症かもしれないし、単に寝不足かもしれないけれど。彼の生活を24時間見張っているわけではないから本人の申告以外のことは分からない。それは大学に入ってもしばらく続いたようだったけど、少し前にはなくなったと言っていた。
私の友人も就職して間もなくナルコレプシーに罹った。優しくて真面目で一生懸命な子だった。看護師だったけれど、会議中とか申し送りとか大事な場面でも知らない間に眠ってしまうと言っていた。病院を退職してしばらく休んだ後、別の職場で復帰した。その後は問題なかったようだ。







# by yumimi61 | 2020-01-03 12:00

三分の二の日

・今日「くまざわ書店」に寄ってきた。
お目当ては純愛物語である。
昨年の10月に旧記事に追記し、その中で『リカ』(フジテレビ「大人の土ドラ」)というドラマについて触れたが、その『リカ』の原作者である五十嵐貴久さんが現在Pushしている『For You』を買ってみようかなぁと思ったからだった。
でも残念ながら在庫切れでした。(検索機かけたから間違いありません)


・その『For You』のあらすじを読んだら、最愛の叔母・冬子が急逝したと書いてあった。
遺品整理で訪れた叔母の部屋で古びた日記帳を見つける。そこには叔母の青春時代が綴られていた。1980年代、高校2年生だった冬子・・・
私には姪っ子がいる。姪っ子からみた私は伯母(叔母ですらない)である。
でも普段はそんなこと意識したこともない。昔に比べてきょうだいの数が減っている現代においては必然的に親戚関係も狭まって、「おば」を意識しなくても十分に生きていける昨今だろうと思う。
だから改めて「叔母(おば)」と見て、「おば」って「おばさん」みたいだなぁとしみじみとしてしまった。
みたいだなぁというか、「おば」が「おばさん」のルーツでよいのだと思うけれど、だんだん「おば」が希薄になっていく社会において、「おばさん」は別の空気を纏ったような気がする。
そのうえで「おば」は1980年代に高校生であり、残していた日記帳は古びていた、その事実というか描写に、私は結構衝撃を受けたのだった。
もちろんもはや自分の青春時代を新しい時代と思っているわけではないが、さりとて古い時代とも思っていないのかもしれない、そのことに自分自身で少し驚いたのかもしれない。


・スマホもインターネットもない時代の、人生でたった一度の恋を、ノルタルジックに、ロマンチックに、有り体に言えば大甘に書いています。(作者)

・時代とは時間が作るものではなく、物が作るものなんだね。(わたし)


・「おば」で思い出したのだけど、『いまさら翼と言われても』という短編集がある。作者は米澤穂信さん。表題作は最後に置かれている。
私はこれを前に読んだことがあるが、なぜ読む気になったかといえば、そのタイトルが個人的に引っ掛かったからである。
私が以前作った作り話にこう書いたことがあった。
"翼(つばさと平仮名で書いたかなぁ?)、その名前には祈りが込められている。"
私の従兄の子供にも翼という名の子がいるのだけれど、でもそれを書いた時には私はそのことを知らなかった。

『いまさら翼といわれても』
「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた“古典部”部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田はいま、どんな思いでどこにいるのか―会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、謎解きを通し“古典部”メンバーの新たな一面に出会う全6編。シリーズ第6弾!

もっと突っ込んだあらすじというか感想が知りたいという方はこちら↓を参考に。


・敷かれたレールの上を走るのは電車。電車の速度はいろいろだけれど、多くの場合、速いものが歓迎される。その上、数十秒の狂いさえ謝罪しなければならないのが日本という国である。
そして電車の場合、乗客として乗るのが一般的で自分で運転したりはまずしない。いまや運転だって自動運転、コンピューター任せな部分が大きい。合わせて決定的に違うのは電車の運転は職業として選択しない限り無理だということ。
自動車は道路の上はもちろん、そうでないところも走ろうと思えば走れる(かもしれない)。
行き先も決まっていない、自由である。また自分で運転する人がとても多い乗り物である。また自動運転にもまだほど遠い。
翼と言えば、鳥か飛行機だけど、鳥と飛行機では大違い。人間はどんなに鳥に憧れたところで鳥にはなれない。でも飛行機にだったら誰でもお客さんとして乗ることは出来る(まあでもお金がなければ無理かもしれないけれど)。頑張れば自分で操縦することも可能ではある。職業としても趣味でも。でも行き先やルートは自動車ほど自由ではないし、制約もある。バックだって出来ないし。
「翼」って自由の象徴なのかなぁ?もしそうだとしたら鳥になりたいとか、鳥になれということ?


・跡取りとして家を継ぎ家業を継承することを当然のこととして受け入れ、その道をひた走ってきたのに、高校2年になったある日、父親から継がなくて良いと言われ困惑し悲嘆する少女。
合唱で歌うはずだったソロパート・・・
♬今 私の願い事が 叶うならば 翼がほしい この背中に 鳥のように 白い翼つけてください
無い物や失ったものを生やすことや付けることは不可能と言いきれるほど至難の業なのに、失うのは簡単だ。過去記事より)
🎵ああ 願わくは 我もまた 自由の空に 生きんとて 籠の鳥をば 解き放つ


・前にも書いたことがあると思うけど、そしてもう亡くなってしまったけれど、私が長いこと父やお父さんと呼んできた人は正確に言うと養父である。
母親が再婚したことによる普通養子縁組だから戸籍上は絶対に長女にはなれない、養女である。
養子縁組したという事実は知っていたけれど、高校受験の時だったかに取得した戸籍謄本に養女と記されているのを見て、少なからずショックを受けた。
養う父と養われる女。愛情をもって育てるのではなく、お金だけの繋がりのような冷たい響き。もちろんお金がなければ困ることは多々あるだろうけれど、扶養するのは実子だって同じこと。でも実子には養うという字は使わない。どんなに愛情を注いでもお父さんは世間的(法律的)には普通のお父さんにはなれないんだなぁと思って可哀想に思った。もちろん私は虐待などされたことは一度もない。
私が結婚を決めたとき、その父が姓を変えないでほしいと言った。
私はそれを躊躇なく即座に断った。だって私は家を継ぐために養女になったと思っていないし、結婚して夫の家を継ぐわけでもなかったから。
父は私が跡取りになることを当然のこととして受け入れると思っていたんだろうかと今でもふと考えることがあるけれど・・
生意気なことを言えば、私は女の子を持った父の悲しみと女の子を持った父の幸せをプレゼントしてあげたと思っている。


・跡取りや家業という話とは少し違うけど、どこか似ているのが宗教。
親が熱心に信心している場合、子供も必然的に同じ道を歩みがち。
特に子供の時には、子供の意思が尊重されるということは少なく、世間的には個人が信心している宗教というよりも一家が信心している宗教と見做されるのが一般的だと思う。
それに、熱心に信教していた家庭に育って、20歳になったら「あなたももう成人だから信教の自由があります。これからは自分で好きな宗教を選んでいいのよ」と言われたって、それこそ「今さら翼と言われたって」ではないだろうか。


・うちの長男は高校生の時に創価大学に資料請求したことがあった。
うちもは創価学会員でもないし、親類にもいない。
一般に開かれている大学である以上、別に学会員でなくても進学は可能だろうし、現に全てが全て学会員ということではないのだと思う。
でも世間的にみたら創価学会員の子供が行く大学と思われているところがある。
だから長男に理由を質したら、学校で大学の資料請求をしなさいとかいう指導があったらしくて、幾つか大学名を書き、その1つだったということだった。
そういえば、うちの長男はオープンキャンパスにもどこにも行かなかった。
資料請求すると大学から大学の資料(パンフレット)が郵送で自宅に送られてくる。
ネットで見たり情報を集めるのは推奨しないということなんだろうか。
一括請求するとお金(図書カードなど)をくれる業者やサイトもあったりするが、いったいどういう仕組みで、資料請求されるとどんなメリットがあるんだろう。広告料みたいな仕組みなんだろうか。
「創価大学に行く気があるの?」と訊いたら「別にない、適当に書いてみただけ」と答えた。
だから私はその時長男にすごく怒った。
そんなことを学校で書いたとするならば、うちが創価学会員だと教師や同級生に誤解されるかもしれない。
それに創価大学に行かないにしても、住所に名前に高校名を知らせて大学に資料請求するということは、いずれどんな形にせよ宗教団体への入会の勧誘を受けるかもしれない。大学に入って一人暮らしを始め、そこに誰かが訪問してきたり、あるいは大学内で勧誘を受けたらいろいろと煩わしいでしょうと言った。創価学会に興味があるのだと思われ「適当に書いた」では済まなくなる話だと。


・その時は気が付かなかったけれど、後になってふと思ったことがある。
長男は、敷かれたレール、嵌る型があることに、ぼんやりとした憧れと反発を抱いていたのかもしれないなぁと。
医者の家に生まれたら医者を目指すことが当たり前のように育てられたり、教師などもわりとその傾向があるのかなぁ。「医者にならないのなら私の子ではない」みたいな、ね。親が音楽家だったら子も音楽家、親が芸術家だったら子も芸術家というのもわりと多いのでは。親が政治家なら子も政治家もそうかなぁ。
あと自営業の家などに長男として生まれたら、やっぱり後を継ぐことを期待されて育つようなところはあると思う。
それから職業ではなくて大学にもそういう傾向があるかもしれない。親が東大出たら子供も東大みたいな。
創価学会員の家に生まれたなら、特別に行きたい大学がなくても、とりあえず創価大学に行けばよいということになるのでは。
そういう立場になったらなったでの大変さやプレッシャーは当然あるわけで、それが思わぬ歪を生んでしまうこともある。
でもそういうふうに進むべき道が生まれた時から決まっていることのラクチンさはあるだろうなぁと思う。
自分で自分探しとか適正探しとか夢探しとかしなくてもいいんだから。
取り合えず決められたゴールに向かって頑張ればいいんだもん、効率的だし合理的。
そして目標に対して周囲が協力を惜しまないのだろうし、妥協すべき点は妥協してくれるだろうから。
いやいやそれはちょっと違うんじゃないとか、無理だよとか、もっと頑張れとか、そんなことを親しい人言われずに済む。








# by yumimi61 | 2020-01-02 16:39

お正月

お正月_e0126350_23330493.png


お正月_e0126350_23343440.jpg

# by yumimi61 | 2020-01-01 23:33

大晦日

・さて、レコード大賞でも観るか。(え?昨日?)
昔は確か31日に放送してましたよね。19時~21時がレコード大賞で、21時からが紅白歌合戦といった感じ。
両方とも生放送だから、レコード大賞に出演していて紅白にも出演する歌手の移動が話題になったりして。
子供の時には19時から深夜までテレビを観ているとお風呂に入る時間がなくなるので、大晦日の日は19時前に「お風呂に入っちゃいなさい!」とか言われたりして。

・そういえば昔は歌謡大賞というのもありましたよね?いつから無くなってたんだろう。
あーもしかしてFNS歌謡祭が歌謡大賞代わりなのかな?

・今じゃテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に馴染みつつあって怖い。(怖がらなくていいんですよ?)
レコード大賞とか紅白は知らない人が結構いたり知らない歌が結構あり、むしろ「年忘れにっぽんの歌」のほうが知っている率が上がっているような気がする・・・
こんな私も以前は親が大晦日の夕方に「年忘れにっぽんの歌」にチャンネルを合わせると、渋いなぁと思っていたんですよ。

・「年忘れにっぽんの歌」を聞いていて思ったけど、昭和の時代というのは今よりずっと死が身近だったんだなぁ。

・死にもいろいろあるけれど、自殺に焦点をあててみました。
日本の戦後の自殺率(人口10万人当たりの自殺率)が20%を超えた年。
1953~1960年(昭和28年~昭和35年) 
1998~2014年(平成10年~平成26年)

      計  男性 女性
 1953年 20.4 24.4 16.4
 1954  23.4 29.1 17.8
 1955  25.2 31.5 19.0
 1956  24.5 29.8 19.4
 1957  24.3 29.7 19.1
 1958  25.7 30.7 20.8
 1959  22.7 26.6 18.9
 1960  21.6 25.1 18.2

 1998  26.0 37.1 15.3 ←この翌年1月8日に昭和から平成になった。
 1999  26.1 37.9 14.8
 2000  25.2 36.6 14.2
 2001  24.4 35.6 13.7
 2002  25.2 37.0 13.9
 2003  27.0 40.0 14.5 ←この年(平成15年)が過去最高の率
 2004  25.3 37.3 13.8
 2005  25.5 37.8 13.8
 2006  25.1 36.6 14.3
 2007  25.8 37.6 14.7
 2008  25.2 36.6 14.3
 2009  25.7 37.6 14.3
 2010  24.7 35.8 14.3
 2011  24.0 33.7 14.8
 2012  21.8 31.0 13.1
 2013  21.4 30.3 13.0
 2014  20.0 28.1 12.3

これを見ると、歌詞の中に死が盛り込まれたり、死を彷彿するような重く悲しいテーマの歌が少なくなかった時代に自殺が多いというわけではなさそうである。
そして穏やかな時代であったようにも思える平成の時代は自殺の時代であったとも言えてしまう。

・戦後自殺率が一番低かったのは1967年(昭和42年)である。14.2%(男性16.2%、女性12.2%)

・戦前戦中も含めると、自殺率が一番低いのは戦争真っただ中の1943年(昭和18年)である。
1944~1946年の統計はなし。
     計  男性 女性
1937  20.2 25.4 15.1  ←日中戦争開始
1938  17.2 21.6 12.9
1939  15.1 18.5 11.8
1940  13.7 16.5 11.0
1941  13.6 16.3 10.9  ←太平洋戦争開始
1942  13.0 15.8 10.4
1943  12.1 14.7  9.6

戦中なので統計精度がいまいちということはないのだろうか。
戦後、1947年と1948年も15%台である。
経済的に厳しく、家族が離れ離れになり、貧しく厳しい生活を強いられたように教えられた戦中戦後の自殺率はそう高くない。
戦争が自殺率を下げるとするならば、それはそれで何と言っていいのやら。
そして今日本は、自殺率を下げてきていて、2018年が16.5%(男性23.2%、女性10.1%)である。

・OECD各国との比較
一番左が1990年。右が2010年。
オレンジ色が日本。1998年に急増した。2014年以降20%以下に下げてきているが、グラフはその手前で終わっているので、それを反映していない。
大晦日_e0126350_21384700.jpg
NEWSポストセブン 2011.09.28 SAPIO
1998年以降抗うつ薬の売り上げ増加と自殺者激増が一致 より一部抜粋

自殺者が一向に減らない。問題として取り上げられると、その都度、「不景気」や「ストレスの多い社会」がその原因とされてきた。そして早い段階で医師に診察してもらうことが自殺を未然に防ぐことにつながると言われている。だが、今、そこに大きな疑問符がついている。むしろ、真面目に医者に通えば通うほど、死へ近づいていくのではないかと疑念を抱かせる状況があるのだ。医療ジャーナリストの伊藤隼也氏が追及する。
 * * *
 自殺予防のための内閣府による早期受診キャンペーンを目にしたことはないだろうか。
 
「お父さん、眠れてる? 眠れないときは、お医者さんにご相談を」

 人口にこそ膾炙(かいしゃ)しているが、その成果は見る影もない。今年も9月10日から自殺予防週間が始まったが、日本の自殺者は一向に減っていないからだ。1998年以降、自殺者は常に3万人を超えており、先進国のなかで最悪の道を突っ走っている。

 相次ぐ自殺に国は2000年に初めて自殺予防対策を施策として取り上げ、2002年に自殺予防に向けて提言を行なった。その軸となったのが「精神科の早期受診」キャンペーンである。その根幹には、「多くの自殺者は精神疾患がありながら精神科や心療内科を受診していなかった。生前に医師が診察していたら自殺は防げたはずだ」という考えがあった。

 しかし、その論理は現在、根底から覆っている。

 自殺者の家族などが集まる全国自死遺族連絡会が2006年7月から2010年3月に自殺で亡くなった方1016人の遺族に聞き取り調査したところ、約7割にあたる701人が精神科の治療を継続中だった。

 また、東京都福祉保健局が自殺遺族から聞き取り調査をして2008年に発表した自殺実態調査報告書でも、自殺者のうち54%が「精神科・心療内科の医療機関」に相談していたことがわかっている。

 実は国の調査でも自殺事例43事例のうち、20事例(46.5%)において死亡前1年以内に精神科受診歴が認められていた。平成21年度版の自殺対策白書はその事実を記し、こう指摘する。

<これは、従来から指摘されている、「自殺既遂者の9割以上がその直前には何らかの精神障害に罹患した状態にありながら、精神科治療につながっているのは少数である」という知見と、矛盾する結果である>

 つまり、こうしたデータは、精神科・心療内科の受診が自殺防止につながっていないことを意味する。むしろ後述するように、受診が自殺を後押ししている可能性があるのだ。

 そもそも1997年まで年間自殺者は約2万~2万5000人で推移していた。しかし、97年に2万4391人だった自殺者は翌98年に、3万2863人まで一気に跳ね上がり、現在まで毎年3万人超が続いている。

 なぜ、自殺は減らないのだろうか。これまで自殺が多発する理由は「不景気」「ストレス社会」などにあるといわれた。しかし、ここには見落とされている観点がある。同じく98年頃から抗うつ薬の売り上げが急伸しているという事実だ。実際、98年に173億円だった抗うつ薬の売り上げは翌年以降増え続け、06年には875億円に達している。

 同時期にうつ病患者も急増した。厚生労働省の調査ではうつ病が大半を占める気分障害患者数は1999年に44万1000人だったが02年には71万1000人、2005年に92万4000人に達し、08年には100万人を突破した。

 98年頃を境に自殺者数、抗うつ薬の売り上げ、うつ病患者数が増加する。これは何を意味するのだろうか。

 精神医療の現場における「薬」の役割が相関を解くカギになる。



・近年、大晦日の除夜の鐘が話題になることがある。
うるさいとの苦情があって取りやめたり昼間に行ったりするというような。
それに対して「風情がなくなるのもいかがなものか。いくら何でも行き過ぎなクレームでしょう」なんて言っているテレビ局があるけれど・・・
ここはひとつ私がNHKに代わってモノ申します。
かつて大晦日の年越しにはNHK以外の民放全局も民放版「ゆく年くる年」を放送していました。
 1956/1957年~1988/1989年 SEIKO提供
それを好きでとっくにやめたんでしょ。除夜の鐘を撞く気も聞く気もないんでしょ。今更風情も何もないでしょう!

・除夜の鐘はNHKが作ったようなものだからね?
2019年12月31日 11時15分 プレジデントオンライン
NHKが大復活させた「大晦日のしきたり」の正体 より一部抜粋
しきたりとして意外なほど新しいのが除夜の鐘である。
除夜の鐘が俳句の季語として定着するのは昭和の時代に入ってからである。1933年に刊行された山本三生編『俳諧歳時記』と翌年の高浜虚子編『新歳時記』からだとされる。

それを裏づける記事がある。それは、1924年の大晦日に新聞に出た二つの記事である。
『東京朝日新聞』の記事では、寛永寺と浅草寺の鐘撞きの老人にインタビューしており、二人は永年それをつとめてきたとされる。
寛永寺の老鐘撞きは、「時の鐘を撞いてゐるんだから特別に除夜の鐘ナンか撞いて居られやしませんやね」と答えている。浅草寺の老鐘撞きも、「除夜の鐘はつきません、時の鐘をついてゐますから」と答えている。

除夜の鐘が各宗派に広がったのは、ラジオの力によるものだった。

NHKの「ゆく年くる年」の担当者がインタビューに答えているが、この番組のはじまりについては、「『ゆく年くる年』には前身となる番組がありまして、最初は『除夜の鐘』というタイトルで、ラジオとして始まりました」と述べている。「除夜の鐘」という番組があったのだ。この番組がはじまったのは、1927年のことだった。
記事では、当時の放送風景が写真入りで紹介されている。
その写真には、中央に、かなり大きな鉢の形をした銅製の「磬子(けいす)」が写っている。磬子の向かって右側に立つNHKの職員と思しき人物は、それを打つための「棓(ばい)」を手に持ち、左に立つ、やはり職員と思われる人物は手に持った時計を見つめている。磬子を鳴らす時間が来るのを待っている光景らしい。

「除夜の鐘」の番組は、1929年には、一箇所だけだが実況中継になり、32年には、各地からリレー中継するようになったという。
僧侶向けの専門誌に『月刊住職』というものがあるが、その編集長で、自らも高野山真言宗の僧侶である矢澤澄道(ちょうどう)は、除夜の鐘について、「由来には諸説がありますが、昭和2年にNHKラジオの『除夜の鐘(現:行く年来る年)』の番組で、上野・寛永寺に頼んで除夜の鐘として生中継し、これが契機となって全国の寺院が取り入れたことに間違いはありません」と述べている(『デイリー新潮』2018年12月30日)。



・これまでに駅伝中継車のすぐ後ろを2~3回は走ったことがあるくらいには長く生きていた。
あ、ランナーではなくて、車ですけど。

・明日のニューイヤー駅伝、どこが何時に通行止めになる感じ?
大晦日_e0126350_22443140.jpg
・10月くらいだったかな、うちのポストにこれが↓入っていた。
大晦日_e0126350_22483693.jpg
でもうちは読売新聞とっていないんです。
もう長いこと新聞自体とっていないのです。それについては前に書いたことがあるから今日は書かないけど。
なんでこれだけ入れていったのだろう。応援キャンペーンに応募したら当たったのかなぁ。
それとも応援に行けば、とか?








# by yumimi61 | 2019-12-31 18:30

大晦日イブ

・さっきまでドラマ『相棒』を見ながら棚の中の整理をしていた(大掃除の一環)。
そしたら不二家の赤い丸い缶の中からこんなのが出てきた。
大晦日イブ_e0126350_15470648.jpg
その直後に『相棒』が始まったのだが、サクラとか言っていて、しかも犯人っぽい若者のスカジャンの背中の刺繍にサイコロが入っていた。
(なになにこの偶然は!)と思い、ついドラマに見入ってしまった。
最初は観たことがないような感じがしたんだけど、やっぱり観たことがあった。
もう5回くらいやってる?(笑)

・しっかし整理整頓とか始めると一向に進まないものですよね。
うわぁ懐かしいと浸ったり、捨てようかなぁと思っても、まだこんなに奇麗なのにもったいないとか、まだまだこれから使う時が来るかもとか、もう一人の自分が囁く。
「5年着なきゃ着ない、5年使わなきゃ使わない」と心で復唱してみるんですが、とりあえず家の中で場所を移動するだけのような気がしないでもなく。文字通り整理整頓するだけ終わったり。
まあ、そこそこ捨ててはいますけれども。

・そもそも私は12月上旬に整理整頓始めたんですよ。
しかし頓挫して、はや25日の日々が流れました。

・捨てるのがもったいないものは売れ?メルカリとかで?
ほんとにメルカリデビューしようかなぁ。でもいざとなったら売るほどの物はない気もするしなぁ。
私は昔、フリーマーケットに出店したことが何度かあって、子供用品でいらなくなった物とか自分の洋服とかだいぶそこで売りさばいた経験がある。
だけどフリーマーケットってお店がいっぱいあるから、何かお買い得品ないかなぁと見て回ったりもしてしまい、値切ったりもOKだからついつい買ってしまったりするんですよね。
物を減らすという点においては微妙だったかなぁ。
ネットでオークションもやっていた時代があります。友人の物まで引き受けて出品していた時もあったくらい。
子供服とか本とかCDはリサイクルショップにも持って行ったことがあります。
リサイクルショップは、服だったらブランド物で奇麗な状態の物、本やCDだったら発売直後くらいのものではないと金銭的には期待できないですよね~
誰かに、どこかに、あげた物やバザーに出品した物もたくさんあるけれど、そうしたこと諸々もう何年もご無沙汰。
子供用品とか期間限定品を持っていることが少なくなったこともあるし、本やCDを昔ほど買わなくなったというのもあるけれど、でもなんていうか、一番は中古品を(たとえ新品でも)売ったりあげたりするパワーがなくなったのかもしれないなぁとも思ったりする。
いろいろめんどくさいから捨てちゃおうという気持ちのほうが強くなってきている。でも捨てられなかったり。
これが年をとるということなのかしら。

・今ふと思ったんだけど、図書館は作家の敵だ!みたいに言われていたことがあったじゃないですか。今もかなぁ。
でもよくよく考えたらリサイクルショップも安く本を売ってますよね。それも誰かから買い取ったり引き取ったものが回るだけだから、出版社とか書店の売り上げには関係ないわけですよね?
だけど「リサイクル」「環境」という観点からすれば、他のものと同じように決して悪いこととは言えないなぁと。
CDだってしようと思えば、幾つだってコピーできちゃいますよね。個人に楽しむ分にはよかったんでしったけ?

・整理整頓していたら、未使用のポストカードサイズの紙が沢山でてきた。
写真印刷用もあれば、絵手紙用とか書いてあるのもあって、絵手紙なんて書いたことあったっけなぁ?と思っていたんだけど、これ↓見て思い出した。以前ネットショップで使っていたやつみたい。
大晦日イブ_e0126350_19394963.jpg
これも今日見つけたものだけれど、宛名が入っているけど手元にあるというのはどういうことだろう。失敗作だったのかお試し印刷だったのか。

・ハンドメイドのお店だったので、洗濯など取り扱い注意などが書いてあります。
大晦日イブ_e0126350_20033006.jpg
・昔作った年賀状も出てきた。プリントゴッコで作ったやつもあります。
大晦日イブ_e0126350_21251714.jpg
プリントゴッコ知ってますか?または覚えてますか?
プリントゴッコ(Print Gocco)はかつて理想科学工業が販売していた個人向け小型印刷機シリーズである。
1977年(昭和52年)に製造および販売開始し、アナログ、デジタル及び対応サイズや紙、布等用途に合わせた数機種のラインナップが存在する。
1990年後半、一般家庭でのパソコンの普及率が高まり、併せてインクジェットプリンターの高画質化、低価格化が進むと、原稿作成が容易で画数の多い漢字を小さくきれいに簡単に印刷でき、フルカラー写真の年賀状印刷が可能、機器の準備や後片付けが不要、住所録の管理の容易さなどから多くのユーザーがパソコン利用に移行していった。プリントゴッコも印刷速度やコストではインクジェットプリンターに見劣りするものではなかったが、やがて市場は逆転することになった。
それでもプリンターでは表現できないタッチや発色における根強い人気は健在で、金色・銀色・蛍光色などの特殊インクはインクジェットプリンターでは実現不可のためあえて組み合わせたり、エンボスパウダーを用いた特殊効果など、独自の表現をセールスポイントにして販売は続けられた。
しかし、電子メールが普及したことで、日本の年賀状文化そのものの急激な衰退が決定打となり、プリントゴッコの需要の減少傾向はもはやコントロール不可となった事で2008年(平成20年)6月末に本体の販売を終了した。なお、インク、フラッシュランプなどの消耗品の販売はその後も継続していたが、2012年(平成24年)12月28日にプリントゴッコに関連する事業の全てを終了した。


・2004年の年賀状から。2003年から長期で単身赴任をしていたので、子供たちの小中学校時代は父親不在みたいなものでした。
でもこの辺りでは?当時は?そこまで珍しいことではなく、単身赴任が長い家庭はありましたね。東京なんて近いほうで、外国に長期という家庭もありました。
また会社の再編などで半永久的に?九州とか関西とか北陸とかに単身赴任した家庭もあります。
大晦日イブ_e0126350_21380438.jpg
・こちらは2006年。
大晦日イブ_e0126350_21345725.jpg


・先日「手作りコンニャク」をいただいたので、さっき煮た。
コンニャクはコンニャクイモから作るのだけれど、イモが身近にある人か「手作りコンニャク」も作ったりする。
私の父も元気だった時にはイモを譲っていただいて「手作りコンニャク」を作ったりしていた。
群馬県はコンニャクの産地だから道の駅などにも「手作りコンニャク」として売っていることがある。
市販のコンニャクと違って黒いつぶつぶみたいなものがなくて、もう少し柔らかく、味も染み込みやすい。
今日は私はシイタケと煮てみた。
大晦日イブ_e0126350_22353065.jpg
イモだけど、ジャガイモやサトイモ、サツマイモなどとは栽培方法が少々違っていて、コンニャクの原料に適した大きさになるには3年ほどかかる。
春にイモを植えて育て、秋が深まったら掘り上げる。冬は凍みないように倉庫で保管し(暖房を入れることもある)、春が来たらまたそれを植える。コンニャク農家はこれを繰り返すのである。
収穫できるイモ、2年目あたりの大きさのイモ、1年目あたりのイモが混じっているので、掘り上げる時に、あるいは掘り上げてから選別を行う。

大晦日イブ_e0126350_22584466.jpg


# by yumimi61 | 2019-12-30 15:47

不足6

基準が違えば、こうも変わる

『不足5』に掲載した次のグラフを再掲する。
OECDが公表したもので、肥満の定義はBMIが30以上という国際的な基準に則っている。
要するにBMI30以上の人の割合である。
日本はOECD諸国の中で一番低い。男性4.1%、女性3.4%となっている。

不足6_e0126350_15155423.png
次のグラフは厚生労働省が公表した「平成29年国民健康・栄養調査結果の概要」の中のものである。
この肥満者とは日本の独自基準であるBMIが25以上の者のことである。
こうすると、男性が30.7%、女性が21.9%となり、30以上に比べたらだいぶ割合が大きくなる。
肥満率の推移はこの10年ほどでは大きな変化はない。

不足6_e0126350_16585939.jpg
独自基準は必要か?

ここでひとつ日本独自の基準が必要かどうかを問題にしたい。
例えば、日本人という人種の遺伝的性質上というか、日本人固有の特徴として、国際基準よりも低いBMIで国際基準と同じくらいのリスクがあるということが分かっているならば、独自基準を持っていても良いと思う、というか、健康増進や疾病予防の実効性を考えたら持つべきだろうと思う。
但しこれからの社会ではそれにも問題がないわけではない。
何故かというと、人種的日本人ではない日本人、日本人と別の人種の間に産まれる子供などが増えていく可能性があるからである。
そうなったら国籍(市民権)上は日本人であっても、日本で生まれ育っても、「日本人という人種の遺伝的性質」や「日本人固有の特徴」などとは言いきれない。
日本はこれまでそうしたことが少なかったが、世界的にみればそうでない国はたくさんあり、もはや人種固有の遺伝的な特徴なんて通用しないだろうと思う。
また国際的な考え方も「環境」に大きくシフトしている。様々なことが環境次第でどうにかなる、どうにでもなると考える傾向が強い。この意味においても「人種特有の遺伝的性質」とか「固有の特徴」といったものは流行らない。

だけどただ単に、BMI30にしておくと日本では肥満該当者が少なくなってしまうからという理由で独自基準を設けているとしたら、「肥満」に対する説得力に欠ける。
医療、健康食品やダイエット関連商品、スポーツクラブや関連商品などの利益追求に資するために肥満者を多くしたいというならば、それは少し(かなり?)違うだろうと思う。

日本の独自基準が厳しいのではなくて、国際的な基準が悠長すぎるというならば、積極的に国際社会に提言して、BMI25以上肥満という基準にすることを目指したほうがよいのでは。
平均寿命が長い日本にはそれくらいの発言権が与えられたって良いはずである。

それとも国際的には、人口爆発やエネルギー資源不足、食糧難に水不足が問題になっているというのに、平均寿命が長いことなんて何の自慢にもならないよなぁというのが本音でしょうか。
長生きと言ったって、自立した生活が出来ていないんだから、自慢することでもないでしょうとかWHOあたりは言っていたりして?


メタボふたたび

11月26日に『メタボリックシンドローム』というタイトルで記事を書いたけれど、今日もまたBMIついでにメタボについて再度触れておく。
実は前にもメタボ健診についてすこ~しだけ書いたことがある。

2015年5月24日『昭和 質拾陸』・・・NHKの健康保険組合の問題に絡んで健保について書きました。
小見出しとしては、「お茶の間相手だから当たり前!?」「目指せ世界一!?」「健康のための秘策?」「日本の「世論」は異常なまでに大企業嫌い」となっています。
メタボ健診については、自分のブログの過去記事引用文の中にあります。
その後に導入されたのが「後期高齢者医療制度」なのである。
健康保険組合の財政は再びこれで悪化することになる。
これと同時に特定健診(通称メタボ健診)などといった愚かな健診が国から義務付けられ、さらなる費用増加につながった。
今や大企業の健康保険組合も9割が赤字経営を強いられ、解散に追い込まれる健保もある。

2012年3月26日『抗議*29』
上の緑字の初出はこの記事でした。
記事の冒頭部分にアメリカの医療ドラマ『ER』の出演者について書いていた頃。
小見出し「社会保障にはお金を出せないと明言した政府」「リターンがなくても幸せだと思ってほしい」

2013年3月8日『機宜*52』
小見出し「税制改正」「飛べば飛ぶほど赤字になるのは当たり前」「狭い日本そんなに急いでどこにいく」「そうそうAEDね」
メタボについて触れたのは最後の「そうそうAEDね」でだけど、他の人の記事をリンクしただけ。
こちらは女医らしき人が書かれたブログ記事。→※
AEDとドクターヘリ、最後にちらっとメタボ検診について。
そういえば、「東京マラソン」ってまるでAEDの宣伝部隊みたいよね?

※こちらと書いた記事は
AEDにドクターヘリ、本当にいるの? 2008年4月3日
他にも面白い記事あり。
レベルの低い日本の精神科医 2008年6月11日
経済センサスなんて調査、いちいちまともに答える企業っているんだろうか? 2012年1月16日


揺れるメタボ基準

メタボの基準が定められたのは2005年頃のことだった。
不足6_e0126350_22350300.jpg
IDFは、国際糖尿病連合(Internatinal Diabetes Federation)。
NCEPは、米国コレステロール教育プログラム( National Cholesterol Education Program)。
国立環境予測センター(National Centers for Environmental Prediction;NCEP)ではないです。
日本8学会とは、動脈硬化学会・糖尿病学会・高血圧学会・肥満学会・循環器学会・腎臓学会・血栓止血学会・内科学会の8学会によって構成された「メタボリックシンドローム診断基準検討委員会」によって決定した合同基準。

このほか、肥満大国のアメリカでは、米国心臓協会(AHA)や米国立心肺血液研究所(NHLBI)なども診断基準を示した。
それぞれ少しずつ診断基準が違い、同じ人がメタボと診断されたりされなかったりということが起こっていた。
厳密にいえばメタボというのは肥満者のことでも腹囲の大きな人のことでもない。
メタボは「代謝」(metabolism)から来ている言葉であり、メタボリックシンドロームは「代謝異常症候群」ということになる。
 糖代謝異常や脂質代謝異常が重なると→インスリン抵抗性(インスリンの効きが悪い)や高インスリン血症を引き起こし→血管内皮障害となり→動脈硬化性疾患(脳・心血管障害)に繋がりやすい。
腹囲が大きい人は内臓脂肪が多いと見做され、インスリン抵抗性(インスリンの効きが悪い)に繋がるリスクが高いと考えられている。
しかし実際には腹囲やBMIが正常でも痩せの状態であっても代謝異常者は存在する。決して珍しくはない。
腹囲を必須にしてしまうと、他に異常が認められていても、メタボ診断やメタボ予備軍から漏れてしまうということが起こる。
また身長を全く加味しない腹囲が必須なのはおかしいではないかという意見も当初から存在した。


国際統一基準と日本のずれ

2005年に基準が定められ、日本では2008年から「特定健診・保健指導」(メタボ健診)が始まった。
しかし2008年にはバラバラになっていた基準が国際的に統一されることになり、さらに腹囲は必須項目にはしないことが決定した。ほかの項目と同じ並びになる。
日本はこれに同調せずに独自路線を行き、メタボ健診が続けられることになった。

【新たな国際統一基準】
下記の5項目のうち、3項目が該当する場合にメタボリックシンドロームと診断
 (1)腹囲:人種もしくは国・地域に特異的な基準
不足6_e0126350_23323815.gif
 (2)トリグリセライド(TG、中性脂肪)上昇:150mg/dL以上,もしくはTGに対して薬物療法中
 (3)HDLコレステロール(HDL-C)低下:40mg/dL未満(男),50mg/dL未満(女),もしくはHDL-Cに対して薬物療法中
 (4)血圧上昇:130mmHg/85mmHg以上,もしくは降圧薬使用中
 (5)空腹時血糖上昇:100mg/dL以上,もしくは血糖降下薬使用中

日本が何故そんなに腹囲にこだわるかといえばCTが関係している。
日本の診断基準は内臓脂肪面積が100cm2に相当する値を算出したものなのだそうだ。この断面積に相当する腹囲が男性85cm、女性は皮下脂肪が多く90cmになるそうである。
内臓脂肪面積は腹部CT検査で測定することが可能であるが、日本ではCT検査が普及していて、CT検査は世界に先行している、内臓脂肪のデータも十分持っているという自負があるため、この診断基準を簡単に下ろすわけにはいかなかったようなのだ。

でも、次のように腹囲が基準超えの2人を比べても、内臓脂肪面積には大きく違いがあることもあるわけで・・・
不足6_e0126350_23560765.gif
日本のずれは腹囲を必須項目にしているだけでなく、その腹囲の基準が男性よりも女性のほうが甘くなっている点が挙げられる。上の表を見てもらえばわかるが、国際的基準は逆である。
日本では女性は皮下脂肪が多いということで男性よりも緩くて90cmにしているが、皮下脂肪が多いということは筋肉が少ないとも言える。よってこれもかなり微妙な解釈である。





# by yumimi61 | 2019-12-27 17:09

クリスマス

クリスマス_e0126350_10463282.png



クリスマス_e0126350_11060783.jpg

クリスマス_e0126350_11172454.jpg


今朝は昨日の残り物でした~*
クリスマス_e0126350_11065181.jpg
クリスマス_e0126350_11240844.png








# by yumimi61 | 2019-12-25 12:03

イブ

イブ_e0126350_16284334.jpg

今年のクリスマスはプリンアラモードにしました~💛

イブ_e0126350_16485778.jpg

もう食べちゃおうっと。
大丈夫、まだありますよ。

イブ_e0126350_17332919.jpg
手前のサンタ帽のトナカイさんの容器は、
前にカボチャプリン入れたのと同じで、
前にケーキ屋さんで買ったケーキかプリンの容器を使いました。
今回はカボチャではなくて普通のプリンです。
生クリームともに甘さ控え目にしました。
奥の2つはチーズケーキです。


今日はイタリアンパプリカが安く売っていたので2つ買いました。
あと和牛~🐄
テッパンのチキンではなくて
ステーキとハンバーグにしました
イブ_e0126350_23362347.jpg
イブ_e0126350_23510743.png
「"運命の出会い"や"奇跡"って信じる?」
あの日きみはそう訊いていた
「奇跡は信じる。出会いはみんな運命だと思う」
あの日きみはそう答えていた

私は今でも
今だから
奇跡も奇蹟も、軌跡も輝石も貴石もみんな信じられるよ

今日は誰かの誕生日で
君たちは春に生まれ
僕たちは夏に生まれた

あなたが生まれた病院に初めて受診して
あなたを確認してもらったのは
ママの誕生日だったのよ ⇒2010年3月26日『輪』

ママが生まれるまえ
ママのママが小さな手帳をもらった日は
猫の日だったの

You mean so much to me

I love you
Me too (No? I love you, too!?)
🌳YOU+ME179.png

I can't imagine a life without you

You are my superhero
You too
I just need you with me
イブ_e0126350_00561869.jpg
イブ_e0126350_23510743.png
弟「"運命の出会い"や"奇跡"って信じる?」
兄「奇跡は信じる。出会いはみんな運命だと思う」
これは息子たちがしていた会話を私がノートに書き留めたもの。
2008年8月4日に交わされていた会話です。

のび太君の誕生日が8月7日だったって気が付いたのはわりと最近のことで、
小さな手帳というのは母子手帳のことだけれど、
私が自分の母子手帳を見たのは今年の10月の頃のことでした。
なぜ見たのかといえば生まれた時間を知っておいたほうがよいと思ったから。
その母子手帳は交付日が2月22日と記されていました。にゃんにゃんにゃんの猫の日。
私は8月15日生まれなのだけれど、実は私はの出産予定日は8月7日だったのだと、
その時に初めて知ったのでした。
それは運命で奇跡のようなことでした。
ちょうど私の手首にアザが出来ていた頃の話でもあります。(⇒こちらの下部に書いたあざのこと)

そして実は今日私のスマホのカメラが使えなくなったのです!
ストレージ容量不足でした149.png

ME/芽🌱
イブ_e0126350_22394771.jpg
幸せつながり ピンチにつながり 香りつたわる

2008年4月24日『リーフ』より)





# by yumimi61 | 2019-12-24 16:30

不足5

人間は粉飾をする生き物である

不足5_e0126350_15155423.png
社会実情データ図録より
 先進国では世界的に太りすぎ・肥満対策が大きな課題になっている。OECDでは各国の肥満比率を各国について公表している。
 肥満比率には測定調査と自己申告の2通りの出し方がある。測定に基づく肥満評価は身長体重の当人の勘違いを防げることから申告調査より正確で、より高い数字となるのが普通である。両方の値がある国での男女計の平均を求めると前者は後者の1.45倍となっている。
 ここでは、各国データを男女計の大きい順に並べた肥満の国際比較の図録を作成した。
対象国はOECD34カ国。

 米国が肥満世界一であることは知られているがデータ的にも確認されている。米国の他、ニュージーランド、オーストラリア、英国といった英語圏の諸国の肥満比率が高いのが目立っている。また、メキシコ、ハンガリー、ギリシャ、チリといった途上国的色彩の濃い国も肥満率が高い。
 所得の高い国ほど肥満比率が高いとは必ずしもいえないことは、メキシコが米国に次いで肥満比率が高い点、アジアの高所得国である日本や韓国の肥満比率は目立って低い点などから分かる。

英国では、糖分の取り過ぎによる肥満や糖尿病が問題になっていることから、課税によって食習慣の改善を促すため、清涼飲料水に含まれる砂糖の量に応じて課税する「砂糖税」を2018年4月から導入すると発表された。


説明に書いてあるように、身長・体重には実際に測定者が測定した数値と自己申告数値が存在する。
日本のような国では正確な値が必要な時には測定をすると思うが、病院の一般外来初診時などには問診表に記入してもらったり、「身長と体重は分かりますか?」などと聞いてしまうことがある。
そのような自己申告の数値は、身長は高めに、体重は少なめに申告されるのが一般的である。
上の調査においては、測定値でBMIを計算し算出された肥満率のほうが、申告値でBMIを計算し算出した肥満率よりも平均1.45倍多かったということである。
回答者が意図的に良いと思うほうに少し傾けて回答するということ以外にも、思い違いや質問内容の解釈違いだったり、数値であればだいぶ古い測定結果を答えるというようなこともある。
このことを考えただけでも、アンケート調査の類から嘘偽りや粉飾のない事実が確実に引き出せるということには疑問を抱かざるを得ない。


訊いてはいけない、話題にしてはいけない、あれこれ

昔から女性に年齢や体重を訊くことはタブーとされている。
これは万国共通であったりする。
日本では若く見られることは専ら良いことのように思われているが、外国では若く見られることを嫌がる場合も少なくない。
体重数値は聞かずとも痩せ型とか太っているとか普通体形とか見て分かるものがあるが、体形が見えているからと言って数値を訊いて良いというわけでもないらしい。
とにかく何を良いと感じているかは人それぞれであり、それに対して過剰に反応しやすい事柄なので、話題にしないのが無難なようだ。

女性に限らず一般的に訊いてはいけないものとされるのが、宗教と政治(支持政党)である。
営業マンの話題3大タブーは、宗教、政治、スポーツの「3S」だそうである。
外国で話題にしてはいけないこと。年齢、宗教、政治、スポーツ、年収、学歴、容姿(身長や体重含む)、風俗や賭け事、子供の成績や学校や進路など。もういったい何を話せばいいんだ?という感じでしょうか。まずはお天気で、あとは音楽や映画についてとか?

でも医療・福祉従事者、また公務員は世間一般で訊いてはいけないとされていることを訊かなければならない機会が結構ある。


社会通念

採用面接で訊いてはいけないとされていることもある。

マイナビttps://careerlab.tenshoku.mynavi.jp/knowhow/knowhow-4110/
面接で投げかける質問にも注意を払わなければなりません。多少厳しめではありますが、面接におけるタブーな質問として次のようなものが挙げられます。
①「本籍・出生地」に関すること
②「家族」に関すること(職業・続柄・健康・地位・学歴・収入・資産など)
③「住宅状況」に関すること(間取り・部屋数・住宅の種類・近隣の施設など)
④「生活環境・家庭環境など」に関すること
⑤「宗教」に関すること
⑥「支持政党」に関すること
⑦「人生観・生活信条など」に関すること
⑧「尊敬する人物」に関すること
⑨「思想」に関すること
⑩「労働組合・学生運動など社会運動」に関すること
⑪「購読新聞・雑誌・愛読書など」に関すること
⑫「交際、結婚、出産」に関すること

このような、「本人に責任のない事項」「本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)」の把握は、就職差別に繋がるものと言えます。
また、性的な質問(結婚観・交際の有無など)はセクハラ面接、暴力的面接や精神的苦痛を強いる圧迫面接はパワハラ面接と解釈されるケースが多々発生しています。
一般的にタブーとされる質問は、法律で自由が保障されているものに対する質問、また本人には責任のない質問などが挙げられるでしょう。これらの質問は単純に相手へ不快感を与えると共に、問題化する恐れがあるため避けるべき内容です。


このように話題にしてはいけない、訊いてはいけないことに政治(支持政党)が入っているのに、支持政党のアンケートとか選挙の出口調査などの結果を素直に信じろというほうが無理がある。

うちには支持政党や政治のことについてのアンケートが固定電話に何度もかかってきたことがある。
今はたいてい自動音声で話してきてボタンを押して答えるタイプのアンケートである。留守電に入っても構わず音声はマイペースで喋り続ける。
答える気がないので、受話器を取った時は途中で切ってしまう。私は一度も回答したことはない。
まずどうやって電話をかける家を抽出しているのか気になるところである。うちは電話帳には載せていない。ちなみに私は携帯電話には一度も掛かってきたことはない(もっともフリーダイヤルなら出ないけど)。
今は固定電話を持たない世帯もあったり、登録番号以外や非通知やフリーダイヤル番号の電話には出ないという人も多い。世帯の内の誰が電話に出て答えるのか(選挙権を持たない未成年かもしれない)、高齢者だったら音声テープでボタンを押して答えるなんて出来なかったり拒絶したり、間違うかもしれない。
こんなアンケートで精度が保てるとはとても思えない。

また前にも書いたことがあるけれど、アルバイトが行っているという選挙の出口調査。
誰が調査を行っているか分からないのに、「誰にどこに投票しましたか?」なんて訊かれて正直に答えますか?
職場や近所、知人や友人、親類縁者、いろんな所属や関係のしがらみがあるのが普通である。
そばで誰が聞いているか分からない、防犯カメラなどで撮られているかもしれない(私なんか記入するところにこっそりカメラがないだろうかと心配するくらいである)、アルバイトがひょっとしたら知人の子供かもしれない、もしかして支持政党の回し者かもしれない、そんな心配や不安があるのに投票先を簡単に言うとは思えないのだけれど。

あと「独自調査」で当選確実出したり、政治家がそれを鵜呑みにして喜んではまずいと思います。
独自調査方法をオープンにもしないで、選挙管理委員会そっちのけで当選確実が出せるなんてありえない。


日本人のBMI推移
不足5_e0126350_21440988.png
女性20歳代の痩せへの転換は高度成長期にはじまっており、その後も一貫して痩せの方向へ進んだ。いわゆるダイエット・ブームである。17歳(高校3年生)の体格は痩せでないので、20歳代にかけて痩せていくのである。30歳代、40歳代も10年、あるいは20年遅れて、痩せへの方向に転じている。40歳前後(35~44歳)の女性を意味するアラフォー世代という言葉が2007年から使われるようになったが、40歳代女性の痩身志向が最近特に目立つ。あたかも30歳代と同じ体型を維持しようとしているように見える。さらに40歳代ばかりでなく50~60歳代でも痩身化への反転が起こっているようにみえる。

日本人ミス・ユニバース女王のBMIが1959年は19.5と「標準」だったのに対し、2007年には17.6と「痩せ」の領域に入った。
不足5_e0126350_21593110.png
若い女性がこれだけ痩せてきている背景には精神的な要因を想定するしかないが、いいわるいは別にして、精神が肉体にこれだけの影響を及ぼしうるのである。しかし、何故、男性はまったく異なるパターンをたどっているのであろうか。精神と肉体の関係についていろいろ考えさせる事実である。

若い女性の痩せは、摂食障害やうつ傾向、骨密度の低下を起こしやすく、出産時に低出生体重児になる確率が高い。


不足5_e0126350_21483820.png
男性は一貫して太めになって来ている。女性は1970年代前半、高度成長期が終わるとそれまでの体格充実の方向から痩せの方向へと変化し、その後も一貫してスリム化の方向をたどって来ている。戦後から高度成長期までは男性の方が女性より痩せていた。食料や保健が十分でなかった時代には男性は出産の安全を考えて女性に栄養を多く分けていたといえよう。男女が明確に逆転したのは1983年である。



経済成長とともに女性のBMI平均は痩せの方向に進んできた。
しかしひとつ誤解してもらいたくないのは、平均がBMI判定の痩せ(低体重)の範囲内に入ってきているというわけではない。
BMIの日本の判定基準では、18.5~25未満が正常範囲(標準体重・普通)である。
国際基準では25.0~30未満が前肥満(太り気味)という範囲になり肥満にはまだ含まれないが、日本は25以上になると即肥満に該当することになる。
中高年の男性は平均が24くらいになっているので、単純に考えれば半分近くの人は肥満に該当しそうな感じである。
ただ今のところ女性も男性も平均は正常範囲内にある。


177.png 私のBMI177.png
BMI推移グラフはないけれども、私の身長は163.5cmほどである。
小学校高学年の時に160cm近くになっていて背が高いほうだった。でもクラスや学年で一番高いということはなかった。
小学校の時にブラスバンドやマーチングバンドを始めてトランペットをやっていたが、小学生なのでトロンボーンは背が高いほうが良いからという理由でトロンボーンをやることになったのを恨んでいるよく覚えている。
中学ではバレボール部に入っていたので、背がすごく高くなりたくて牛乳をよく飲んでいたなぁ。でももうそんなに伸びなくて、その時から163cm代である。
体重は現在は51~52kg代であり、BMIは19代。正常範囲である。
体重は毎日測定してみると1kgくらいは簡単に動く。数年前にちょっと痩せてしまって48kg代(BMIが18.5を下回る)まで落ちたことがあるが、やばいと思って戻したら、戻りすぎて55kgを超えてしまったことがある(笑)。
でももっとも病気になりにくいBMIは22とされていて、これは私の身長だと58.8kgである。
しかし正直な実感としては50kg後半になると身体が全体的に重い感じがしてくる。慣れ的なものだろうか。
人生最高体重は次男妊娠時の後期。60kgを超えた。長男妊娠時は50kg代で済んだ。

よく足の大きさと背の高さは関係あるといわれるけど,そうなのかな? 靴のサイズは23.5~24.0cm。
指輪のサイズとか手首のサイズとか首周りのサイズは必要ありませんか?
スリーサイズはもっといらない?


年齢調整BMIの推移、各国比較

縦軸がBMIで、30以上が国際基準の肥満に該当するが、アメリカでも平均値ではさすがに30を超えない。
点線が日本基準で肥満範囲に入ってくる25であり、25だと平均でも超えてくる国がある。
不足5_e0126350_00235758.png





# by yumimi61 | 2019-12-23 16:26

不足4

統計は難しい

前記事の都道府県比較は成人男性だったので、「女性はないの?女性がないのは差別、不公平」とお思いの群馬県女子方々もいるかもしれませんが、利用した厚生労働省の報道発表資料の中に女性がなかったのです。
もっと細かく言うと、歩数は男女ともにグラフがあったのですが、肥満者割合や飲酒・喫煙習慣者の割合は男性だけでした。
元にしている「国民健康・栄養調査」は毎年行われていて女性のデータもありますが、それには都道府県別データがないのです。

では、「国民健康・栄養調査」は誰にどのように実施しているか。

■調査対象者(平成29年の場合)
調査の対象は、平成29年国民生活基礎調査(約1,106単位区内の世帯約6万1千世帯及び世帯員約15万1千人)において設定された単位区から層化無作為抽出した300単位区内の全ての世帯及び世帯員で、平成29年11月日現在で1歳以上の者とした。

■調査系統
厚生労働省 → 都道府県・保健所設置市・特別区 → 保健所 → 国民健康・栄養調査員 → 対象者

■調査内容
本調査は、身体状況調査票、栄養摂取状況調査票、生活習慣調査票(自記式調査)からなる。

■調査時期(平成29年の場合)
平成29年11月中
・身体状況調査: 調査地区の実情を考慮して、最も高い参加率をあげ得る日時(複数日設定しても構わない)
・栄養摂取状況調査:日曜日及び祝祭日を除く任意の1日
・生活習慣調査:調査期間中(平成29年11月中)

■調査実施率
調査対象世帯 5,149世帯 ⇒ 調査実施世帯数 3,076世帯 (実施率59.7%)

このブログでも何回か統計調査の難しさとか曖昧さ(不確かさ)、信頼度について書いてきたけれど、この調査も対象世帯が元々かなり少ないうえに、実施できた割合も6割に過ぎない。
自記式調査は正確性が微妙であり、かといって調査員や専門家が対面調査するような場合にはプライバシー等の問題で敬遠されたりしがちである。それから調査員や専門家に聞き取り方や判断でばらつきが出る。
自分に都合の良い情報ばかり集めてしまう「確証バイアス」 という心理が知られているが、自記式調査の場合には現実よりも被対象者が良いだろうと思うほうに傾いて良い回答をしてしまうことが多々ある。
それとは逆に専門家などは問題なしとするよりも問題点を探し出したい傾向が強くなり、そちらに誘導してしまいがちになる。
記述式にしても対面調査にしても対象者は時間を割かなかければならなくなる。
またこの調査は調査内容が身体状況などデリケートな側面もあり、その意味からも難しい面がある。


人間社会にバイアスのかからないものは在りうるか?

統計は難しいと書いたが、これは報道などにも言える。誰かに都合の良い情報ばかり集めて報道するとか、事実にプラスして”個人”の意見を乗せ、あたかもその意見が正解だったり正義だったりするような印象を強く与えてしまうことが出来る。
バイアスには分かりやすいバイアスもあれば、気が付きにくいバイアスも存在する。
初めから個人が発信していると分かるものや偏って報道していると分かるものならば、それはそれで成立すると思うが(例えばSNSでの発言、地方局が地方の情報ばかりを扱うということ、どこかの政党や会社の広報が自党や自社に有利な情報だけを流すなど)、偏りがない平等や公平公正、公平無私を装いながら実はかなりバイアスがかかっているという場合には注意が必要だと思う。混乱を引き起こしたり、誤った方向に社会を向けてしまう。
それにも意図的に行っている場合と、気が付かずにバイアスがかかっている場合があるので、余計に複雑となる。
統計などはバイアスが掛からないように努力して実施しても、結果バイアスがかかってしまうことがある。

これも前に書いたけれど、視聴率。
今まで生きてきた中で、視聴率を取る機械が置いてある家とか、「うちは置いていたことがあるよ」という人に、出会ったことは一度もない。
それくらい標本(サンプル)数が少ないということだろう。
しかも視聴率50%というと、国民の半分が視聴していたとか言うことがあるが、そもそも「世帯=国民数」ではないし、「テレビが付いていた=観ていた」でもない。
無作為抽出は、標本(サンプル)が母集団を代表していなければならないが、母集団が大きくなれば当然に時間と手間と費用がかかる。
それを少しでも小さくするために多段層化抽出を行ったりするが、無作為抽出で標本数を小さくしたり、多段層化抽出を行うということは誤差も大きくなるということを意味する。
その精度を保証するのはなかなか大変であり、誰にでも出来る作業ではなくなってくる。
その意味でテレビ局が行っている選挙速報もすごく不思議に思っている。組織票に敵うものはないとかなのかな。


自然にできてしまう層

時間も手間もかかり、プライバシーにも触れる調査は、調査協力してくれる人が集まりにくい。
そこで民間の調査などでは、謝礼金を出したりすることがよくある。
でもこうすると、謝礼金が欲しいという人ばかりが対象になるということになってしまい、無作為というよりも対象が一定の特徴を持つグループになってしまいかねない。
謝礼金が欲しいことと調査内容が全く関係なければ良いが、お金というものはあらゆる事柄に関係してくるものなので、一見関係なさそうであっても、そうでないかもしれない。

あと視聴率も、今時わけのわからない機械を自宅に置いてくださいなんて突然言われて、二つ返事で承諾する世帯ってどれくらいあるんだろうか。
謝礼金などで釣られるとすれば、調査としては上に書いたような結果になりうるし、謝礼がないにしても断る世帯と断らない世帯と分かれるわけで、決して日本の全世帯(ましてや国民)という母集団を代表するものではなくなる。

調べるものが自分の家に置いてあるというだけでもバイアスが掛かってしまう恐れもある。
授業参観の時の教師や子供がいつもと全く同じというわけにはいかないのと同じ。
変な使命感や記録更新を狙ってラグビーとかオリンピックとか観てしまったり、観たいものはないのにとりあえずテレビを付けてみたり。


男性と女性を同一には語れない日本の特殊事情

肥満の話に戻ると、国ごと都道府県ごとの肥満者の割合(肥満率)の「肥満」は、日本でも国際機関でもBMI数値を基準にしている。
少し前に書いたように、メタボリックシンドロームの診断や特定健康診査(通称:メタボ健診)では腹囲が必須になるが、肥満率には腹囲の数値は加味されていないということになる。

BMIにおける肥満判定には日本と国際基準では少々違いがあって、日本国内に限っては25以上が肥満とされるが、国際基準では30以上となる。
WHOやOECDが発表する各国の肥満率は、日本も国際基準が当てはめられ、日本の肥満率はかなり低い。

WHOの肥満率でトップに輝くのは、世界地図で探すのが大変なナウルという小さな島。人口も1万人弱しかいない。「ナウルの悲劇」で知られている。
日経ビジネス 神野正史の「人生を豊かにする世界史講座」 2017年3月23日
人が堕落するスピードは、かなり早い ― 『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』 リュック・フォリエ著

WHOでのナウルの肥満率は71%ほど。OECD発表の肥満率(加盟国のみ)ではトップに輝くアメリカのWHO肥満率が32%ほどである。
世界には規模を含めそれこそ様々な国があるわけで、国際的な統計の場合、調査機関が一から調査するのではなくて、調査方法や測定方法などが違う各国の調査データを利用することが多いと思うが、はたしてどれほど比較に耐えられるのか、かなり不安要素はある。

詳細はまた後で記そうと思っているが、日本のBMIデータの推移を見ると、経済成長とともに若い女性(20代)のBMIが低下してきた傾向が見て取れる。
それは他の国々とは異なる特徴でもあり、近年はそれが若い女性だけに限らず、上の世代にも広がりを見せている。
女性に限れば肥満とは逆傾向にあり、男性と女性の違いも大きい。




# by yumimi61 | 2019-12-20 16:56

不足3

!!2019年12月20日追記 訂正!!
昨日、下の記述の歩数のところで、この統計では1日1000歩以下と5万歩以上の人が除かれていると書きましたが、1日100歩以下の誤りでした。お詫びいたします。(訂正済みです)
言い訳ではないですが、群馬県のような車社会で事務的仕事をしていたら1日1000歩以下というのは意外に珍しいことではないので要注意。とも書きましたが、やはり生活環境によっては1日1000歩以下というのはそこまで珍しくはないということだと思います。
さすがに100歩以下は珍しいということになりますが、お休みの日に外出も家事もせず、1日家でゴロゴロしたりゲームやDVD・テレビ鑑賞、スマホやパソコンをしていると100歩以下もあり得たりします。

不足3_e0126350_10475652.jpg
都道府県別肥満率

群馬県は”粉もの文化”が定着している。”粉もの”とは穀類であり”炭水化物(糖質)”ということにもなる。
炭水化物はエネルギー源として欠くことのできない重要な栄養素であるが、摂り過ぎれば肥満にも繋がりやすい。
さらに群馬県は自動車免許保有率でも自動車保有台数でも全国1位。すぐに車に乗る。どこに行くにも車に乗る。よって移動するのにあまり歩かない。
では肥満者の割合はどんなものなのか見てみましょう。
不足3_e0126350_17291943.png
飲みすぎたのは~あなたのせいよ~♪

上の表は厚生労働省の報道発表資料より。
平成18~22年(2006~2010年)の5年分の国民健康・栄養調査データを用い、都道府県別に年令調整を行ったもの。
データが若干古いが、規模が大きな調査は間隔が空くため、こんなものである。(WHOやOECDの肥満調査も)

群馬県の肥満者の割合はそこまで高くはなかったけれど、歩かない傾向にあるのは確かである。
不足3_e0126350_17493343.png
車社会であるということは、それだけ公共交通機関が整備されていないことの裏返しでもある。
その代わりというかなんというか、飲酒の機会は減ると思う。
基本的に自分で運転して移動しているため、「仕事帰りにちょっと飲んでいこう」なんてことは気軽には出来ない。飲酒運転になってしまうから。
思い付きの飲酒ではなく、予め決められている飲み会などでも、飲まない人運転手の乗り合い、送迎、代行、宿泊、送迎バスのあるお店の利用など、何らかの対策を準備しないと飲みにはいけない。幹事が送迎バスを手配したりすることもある。
よって都市圏の人ほど外で飲酒するということが身近ではない。
家飲みでも、夜遅くて次の日の朝が早ければ、運転などのこともあり、なかなか飲みにくかったりする。
また運転しようがしまいが家族全員が自家用車に依存せざるを得ないので、子供の帰宅や塾や習い事などの送迎で夜間も運転する機会は多く、それを考えたら飲酒は出来ない。
とはかかあ天下なので女性が男性の飲酒に厳しいのかも!?
不足3_e0126350_18325903.png
でも上位を見ると、大都市とも限らないですね。
コメどころやイモどころでは飲酒が多いとか?比較的寒いところとか?大家族で運転手がいっぱいいるとか?


関係性を探る

肥満の割合と、飲酒や喫煙、歩く距離、平均余命や健康寿命は、はたしてどれくらい関係があるのだろうか。
※健康寿命とは、日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。2000年にWHOが提唱。

肥満率の高い上位10(①~⑩)と、東京都(㉔)と大阪府(⑲)、それに群馬県(㉘)を比較してみた。
※成人男性を比較しています。

●飲酒と喫煙は、順位上位ほど習慣者が多いということ。一時に大量に摂取するわけではないが習慣にしていること、あるいは過度な摂取は一般的に良くないものとされる。

●歩数は順位上位ほどよく歩き、下位ほど歩かないということになり、少ないのは健康には望ましくないとされる。
この統計では1日100歩以下と5万歩以上の人が除かれている。

●平均余命と健康寿命は順位上位ほど健康で長生きの傾向があるということになる。(平均寿命と健康寿命は2015年のデータ、公表が2017年のもの)
但し、健康寿命が短くて(順位が低く)て平均寿命が長い(順位が高い)場合には、医療や介護のお世話になる期間が長いということで本人はもちろんのこと家族なども大変になるかもしれない。例えば奈良県男性の平均寿命は4位で81.36歳だが、健康寿命は41位で71.39歳と差が大きい。
その逆で、健康寿命は高いが平均寿命は低いという場合には、比較的急な死が多いことを意味する。また医療や介護水準が高くないなどの背景があることも考えられる。

①沖縄県 飲酒44位 喫煙35位 歩数18位 平均寿命36位 健康寿命25位
②宮崎県 飲酒29位 喫煙40位 歩数12位 平均寿命32位 健康寿命23位
③栃木県 飲酒31位 喫煙7位  歩数24位 平均寿命42位 健康寿命19位
④福島県 飲酒26位 喫煙12位 歩数14位 平均寿命41位 健康寿命36位 
⑤徳島県 飲酒41位 喫煙39位 歩数29位 平均寿命33位 健康寿命44位
⑥宮城県 飲酒8位  喫煙9位  歩数40位  平均寿命15位 健康寿命12位
⑦岩手県 飲酒5位  喫煙16位 歩数16位 平均寿命45位 健康寿命28位
⑧北海道 飲酒37位 喫煙4位  歩数26位 平均寿命34位 健康寿命25位
⑨青森県 飲酒1位  喫煙1位   歩数46位 平均寿命47位 健康寿命34位
⑩大分県 飲酒10位 喫煙28位 歩数22位 平均寿命9位  健康寿命36位

⑲大阪府 飲酒11位 喫煙25位 歩数7位  平均寿命38位  健康寿命39位
㉔東京都 飲酒18位 喫煙42位 歩数2位  平均寿命11位  健康寿命24位
㉘群馬県 飲酒43位 喫煙46位 歩数35位 平均寿命22位  健康寿命27位


47都道府県だから真ん中が24位。
赤字が半分以下の順位(一般的に良くないほう)にあたる。
抽出調査の平均では、肥満と、飲酒・喫煙・歩数それぞれの関係には明確な相関は認められないと言ってよいだろう。
現実に相関はないのかもしれないし、個人に頼るところの多い調査(被対象者次第の正確性)の限界かもしれない。
それに比べれば、平均寿命や健康寿命と肥満には影響がありそうな傾向がある。
青森県のように、飲酒と喫煙の割合がトップで、そのうえ歩数も下から2番目、ここには提示しなかったが塩分摂取量も第2位と多い。これだけ重なってくると、平均寿命最下位も納得の順位となり得てしまう。


平均寿命トップ10

ついでなので、今度は平均寿命をベースにして、平均寿命の長い都道府県の肥満率をはじめ、飲酒、喫煙、歩数、健康寿命を比較してみた。
青字が半分以上の順位(一般的に良いほう)のもの。
やはり青字が多くなる。
特に喫煙は全てが順位半分以下である。肥満率も歩数も順位が低い傾向にある。よって健康意識が高いことが推測できる。
従って健康意識の高さが平均寿命の長さに結びついているということにもなるが、その割にというか、それ故にというか、健康寿命の高さは平均寿命ほどではない。

(1)滋賀県 肥満率45位 飲酒28位 喫煙32位 歩数13位 健康寿命16位
(2)長野県 肥満率40位 飲酒19位 喫煙44位 歩数19位 健康寿命20位
(3)京都府 肥満率41位 飲酒13位 喫煙29位 歩数11位 健康寿命28位
(4)奈良県 肥満率16位 飲酒32位 喫煙35位 歩数4位 健康寿命41位
(5)神奈川県 肥満率25位 飲酒15位 喫煙38位 歩数3位 健康寿命16位
(6)福井県 肥満率46位 飲酒42位 喫煙47位 歩数23位 健康寿命10位
(7)熊本県 肥満率13位 飲酒27位 喫煙45位 歩数35位 健康寿命データなし(地震のため)
(8愛知県 肥満率30位 飲酒40位 喫煙35位 歩数17位 健康寿命3位
(9)広島県 肥満率28位 飲酒14位 喫煙41位 歩数15位 健康寿命27位
(9)大分県 肥満率11位 飲酒10位 喫煙28位 歩数22位 健康寿命36位
※9位の広島県と大分県は同順位です。



# by yumimi61 | 2019-12-19 17:15

不足2

保有率や保有台数からだけでは見えてこないものもある

群馬県の免許保有率は50年間不動の1位。特に女性の保有率が高いということを前記事に書いた。

女性の場合、特に大都市圏に暮らす女性の場合、免許は持っていても自動車を保有していなかったり自分で運転する機会はないとか少ないという人も多いと思う。いわゆるペーパードライバーである。
男性でも通勤通学には公共交通機関を利用し、自動車に乗るのは休日の時だけという人も結構いるんだろうと思う。
従って免許を保有している人すべてが運転するわけではないし、全ての人が運転に慣れているわけでもない。
例えば群馬県などは通勤も買い物もレジャーも車で、運転しない日はないというくらいである。車の有る無しで在宅か留守か判断されるので困る時もある。
保有率(男女別)に地域差があるかどうかの資料が見つからず確認できなかったが、保有率が同じくらいだとしても、実際の運転率や慣れ率というのは地域差が出てもおかしくない。

慣れは油断に繋がることも確かだが、初心者などに事故が多いということは、それを上回って不慣れはリスクが高いということになるんだろう。
現在の高齢ドライバーにとっては、マニュアル車からオートマ車への大変革が「不慣れ」という状態を引き起こしたとも推察される。
慣れてしまえばオートマのほうがずっと楽だけれども、慣れるまでは大変だったり、気持ちが付いて行かなかったり、受け入れがたかったりする。
オートマや高齢ドライバーに限らず、自動車が大きく変わるということは、運転者はもちろんのこと整備士などすぐには追いついてこないものがある。高度化すればするほど誰にでも扱えなくなる。
かつては新世代の象徴のようだったパソコンだが、スマホやタブレット時代が到来してパソコンなんか触ったことがないという若者も少なくなく、パソコンが使えない若者が増えているという話を聞く。
しかし職場では依然パソコンスキルが必要だったりするわけで、パソコンに慣れない若者を生じさせている。
順応するしない、慣れる慣れないという話は、自動車以外にだって普通にあることである。

私は、昨日載せた年齢層別の保有率のグラフを見て、20~24歳の免許保有率が私が思っていたより高かったので少し驚いた。男性80%、女性71.9%となっていた。
大学進学率が近年は頭打ちになっていて55%ほどである。男性が約52%、女性が約58%で、今や女性の進学率のほうが男性より高い状況である。これには2000年頃から急増した看護系大学などが貢献している。
専修学校(専門学校)が20%程度、就職が20%程度である。
進学をしているということは多かれ少なかれ学費がかかるだろうし、マイカー通学をする学生はそう多くないと思うが、やはり大学あるいは高校在学中に運転免許を取得する人が多いことが読み取れる。
就職してからよりも時間が取りやすかったり、学割がきいたりするからなんだろう。
うちの次男も夏休みに免許取りたいと言っていたけれど、結局取ってない!
それはともかく、実際に本格的に運転するまでにブランクを開けることになったり、車がなくても生活できる環境に暮らしていればペーパー期間が長くなる人もいるんだろうなぁと思う。


歩く人々🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶🚶

車を毎日のように運転している私達(群馬県女子)の間で時々話題になるのは、「東京の人はよく歩くよね」ということである。
たまに電車で東京に行くと、とにかくたくさん歩くことになるので、すごく疲れる😩
とても良い運動になります110.png
「東京の人は歩くスピードも速いよね、あれフツーなのかな?」という話にもなる。
更に言えば「迷いがない」。通勤時間帯の駅構内なんかそれぞれ決まった向きに人の流れが出来ていて、無駄口も叩かず道草もキョロキョロもせず黙々と一方向に歩き、列を作り、入ったり出たりを繰り返している。
まるでファクトリーオートメーションを見ているかのようである。
車って迷いが許されないようなところがあるけれど、徒歩だったら大丈夫だよねなんて思ったら大間違いで、「あれ?こっちじゃないかも」と思って一瞬でも立ち止まると大ひんしゅくを買いそうな空気が漂っている。
たぶんみんな、一瞬でも気を許したら負けよ的に、足底も心もすり減らして頑張っているんだ。


慣れないスピードで慣れない距離を歩き、慣れない喧騒と慣れない空気を取り込んで、ひとつ小さくため息をついた。
たぶん私達は、羽根を伸ばしたり足を伸ばすほどには無碍ではなく、束の間の眠りに落ちるくらいには自在なんだ。
夜の帳が下りたら目映い街明かりが少し草臥れた人々の顔に変わる。
システマティックに刻まれる音と揺れに身を委ねたら、まだ見ぬ明日が待っているのだろうか。



どれくらい歩いたのか、どれくらい走ったのか、分からなかった。
たぶんもう分からないくらいに私達は歩いたし走ったのだろう。
この世界には、知る苦悩もあれば、知らない幸福があることも、私達は知ってもいるけれど。
私はどこにいるの?ここはどこ?あなたはどこにいるの?
1973年のピンボールマシンの中に迷い込んだみたい。
サミットは仰々しすぎて、宇宙では壮大すぎる。
海岸はやけに陽気で、SFやロボットはもはや現実の恐怖でしかない。
こおろぎの季節は通りすぎ、犬の鳴き声にはまだ遠い。
そんなことは知りたくないとの拒絶の意思か、それともこれは夢か幻か。

不足2_e0126350_00063065.jpg




... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-12-17 18:00

不足

少し前に、群馬県は有数の小麦の産地であり(小麦生産量全国4位)、“粉もの文化”が定着しているとことから炭水化物について書いた。

うどん、おっきりこみ、焼きまんじゅう、温泉まんじゅう、高崎パスタ、太田焼きそば、伊勢崎もんじゃ。
これらみんな”粉もの”である。
 すなわち炭水化物(糖質)多し!
肥満の敵にもなりうる炭水化物、でも人間にとって大事な栄養素でもあるということは書いた。

あの時に書こうと思って忘れちゃったことを思い出したので追記します。

運転免許保有率と車両保有台数

私は今年の8月、免許証の更新に行った。
今回はゴールド免許~☆なので講習は当日短時間コース~!
その講習の中で群馬県は運転免許保有率が全国1位なので、車を運転する機会が多いということ、気を付けましょうというお話がありました。
不足_e0126350_18262126.jpg
群馬県の免許保有率は昭和44年(1969年)から1位が続いているということなので、50年間不動の1位。
特に女性の保有率が貢献してしまっているのだと思います。

運転免許保有者が約141万人で、保有率が男女計で71.5%と書いてあるが、群馬県の人口が平成27年(2015年)調査ではおよそ197万人なので、保有率は免許が取得できる年齢者における比率ではなく、単純に全人口あたりの比率だと思われる。
141÷197=0.71573…

それを踏まえて、
車両保有台数は県民1人あたり0.9台で全国1位。
これも当然全人口がベースになっている。分母には赤ちゃんも寝たきりの老人も含まれるということである。
ということは、運転できる年齢や運転可能な成人でみれば、1人1台は当たり前、1人あたり1台以上の自動車を保有していることになる。


私達に足りないもの

ひょっとして私達(群馬県女子)は自立しすぎなんじゃないでしょうか?
「お米は重いから運べないよ~え~ん(泣)」とか(2キロで十分だから頑張れ?)、「水が重くて買いに行けないの~」とか(水は水道水で十分だBy東京都民??)(東京は水道水をペットボトルで売っている!)、「オムツとかミルクとかトイレットペーパーとかティッシュペーパーとかがさばって大変だもんグスン」とか言って(通販で買えばいいだろう?)(日用品に通販はやっぱり割高だからコストコに行こうよぉぉぉ)(年会費 高いか安いか 悩みどこ)、「ねぇあなた買ってきて♥」とか「ねぇパパ今度のお休みに車でお買い物に連れてって★」とか言うべきなんじゃないでしょうか?
なんでも自分で車運転して買いに行っちゃうから「かかあ天下」なんてことを言われてしまうのかも。

しっかし、いくら全国1位とはいえ、そんなに他と違うものなのかという疑問もなくもない。順位を付けたものの小数点以下の違いくらいだったりするんですよね。
そこで調べてみましたよ。
全国平均です。
あれ?1位の群馬より多いじゃん(男女計が)と思って良く見ると、この統計(出典:内閣府)は16歳以上の人口を分母にしていました。
不足_e0126350_22502047.jpg
ついでに年齢別保有率も。
不足_e0126350_23310229.png
上の表は基本5歳刻みとなっています。
二輪免許が16才からなので16才スタートで16~19歳のところだけ4年。あと80歳以上は青天井。
年齢層別の人口もこれで分かりますね。
免許保有率で言えば、2017年末で免許保有率の高い年齢層は、男女とも45~49歳。


統計の取り方

グラフを見ると、高齢者の免許保有率は他の年齢層から比べると低い。
特に女性の保有率が低い。
2017年だと終戦の1945年生まれの人が72歳ということになるので(18歳の時が1963年)、それより上の世代は返納したとか流したとかいうことよりも、時代的にまだ免許取得率そのものが低かったということだろうか。

昨今は高齢ドライバーが取り沙汰されることが多いが、では高齢ドライバーとはいったい何歳以上のことを言うか、お分かりでしょうか。

●警察庁がまとめている交通事故統計では、65歳以上を高齢運転者としている。

●高齢者講習の前に認知機能検査を受けなければならないのは、75歳以上の運転者。

●「もみじマーク」(高齢運転者標識)を付けるのは70歳以上。(付けるのは努力義務だが、周囲の車は付けている車に対して保護義務が生じる。初心者マークを付けている初心者同様に暖かい目で見てあげなけれなばならないわけである(保護義務違反には罰則あり))。

以前に私も高齢者の交通事故の報道と統計について書いたけれど、単なる印象と統計的数値が違うことはよくあるし、統計は考え方というか、何を分母にするかなどによって数値が変わってくる。


高齢ドライバーの事故は20代より少ない 意外と知らないデータの真実 2016/11/20(日)

弱者であるということ

報道されているほど高齢ドライバーの第1当事者としての事故率は高くないというレポートがなされているが、以前私が統計を調べた時もそういう傾向は見て取れた。
また保険会社の自動車保険の掛け金を考えるだけでも初心者や若者の事故率が高いであろうことは容易に想像ができる。(それともそれは便乗的な高価格なんだろうか)

私が免許更新に行った時の群馬県の資料では・・

平成30年(2018年)
 事故発生件数 13,087件(前年比342件増加)
 負傷者数 16,727件(前年比491件増加)
 死者数 64名(前年比3人減)
  ※死者数は統計を取り始めた昭和28年以降2番目に少なかった。
  ※65歳以上の高齢者の死者数が36名(56.3%)と半数を超えた。
   →36名中の10人は歩行中に事故に巻き込まれた。
    10人中6人は道路横断中だった。その全てが運転手から見て右から左への横断であった。
   →36名中の4人は自転車に乗っていて事故に巻き込まれた。

ということは、高齢者死亡者のうちの22名が自動車に乗っていて亡くなったということになるが、この群馬県の数値は運転者(第1当事者)に限った話ではなく同乗していてもカウントされる。
死者数には加害者も被害者も含まれているということである。ともかく死者数の半数以上は高齢者だった。
車を運転しなくても、徒歩でも自転車でも(もっと言えば電車だって)事故に遭うことはあり、そこには判断力や運動能力などの衰えも関係していることは否めない。
また高齢者の場合には1つの事故の結果が若者よりも重大化しやすいことが推測される。それは身体機能や体力面、後遺症からの回復などが劣ることが多いからである。
これらのことは高齢者と同様に、発達途上にある未熟な幼い子供達にも言えることである。



 

# by yumimi61 | 2019-12-16 18:44

Trail

Trail_e0126350_18123644.jpg
増えてる~~~~

Trail_e0126350_17460990.jpg

先日またまた亀に遭遇しました。
前回はこちら

・増えるものなくて寂しき師走かな

・同情はしないいらない愛をくれ

・増えるのは責任ばかりと嘆く人

・増えるのは体重ばかりとぼやく君

・見てからじゃ間に合わないとフライング

・この時期はミニマリストに憧れる

・増えるたび減ってくものがあるなんてあの頃はまだ知らずにいたね

・あの方へ心ばかりの12月限定セット買いたくなりて (先日買いました!ビアードパパで)

・年はまた分け隔てなく移りゆく 追いつかぬ背を見つめているよ

・年はまた 変わっていくも 心だけ 変わらないんだ そう君は笑む 
    (feat.プリプリ 季節はまた変わるのに~心だけ立ち止まったまま~♪)







# by yumimi61 | 2019-12-15 18:30

低空飛行2

下野新聞「SOON」ニュース  2018年9月6日
米軍オスプレイ、栃木県内で目撃相次ぐ 横田基地と訓練地移動か

米軍の輸送機オスプレイとみられる航空機の目撃情報が7~8月、県内で相次いだ。今春、米軍横田基地(東京都福生市など)に5機が暫定配備され、各地の訓練区域などと同基地間を移動する際に本県上空を通過したとみられる。国内外で墜落や緊急着陸などの事故やトラブルが多発している機体だけに、目撃者からは「(県内を)飛行していることを知らなかった。本県でもトラブルが起きるのではないか」などと不安の声も上がっている。
低空飛行2_e0126350_16302325.jpg
県内では7月24日午後、大田原市城山1丁目でオスプレイとみられる2機の飛行を下野新聞社の記者が撮影。2日後には鹿沼市内での目撃情報が市民から下野新聞社に寄せられ、8月13~15日にも宇都宮市内などで目撃が相次いだ。

 目撃の多くが縦列飛行する2機で、目撃者は「高度がかなり低い」と感じたという。8月に目撃したという宇都宮市、自営業男性(50)は「安全性の問題が取り沙汰されている。なぜ、あんなに低く飛ぶのか」と疑問視。



前記事に載せたマップを下に再掲する。
上の記事の地図の中で「ホテル地区」と書いてある所は、自衛隊のエリアH(自衛隊高高度訓練空域)のことである。
自衛隊はほとんど海上空域を訓練エリアにしているが、この群馬県上空を中心としたエリアHとエリア3は、陸上空域であり、しかも内陸である。
山口県でも陸上空域を利用しているが、そちらは日本海沿いの陸上空域となる。
その他、富山県と岐阜県の県境辺りに高高度訓練空域、福島県の西部に低高度訓練空域がある。このエリアは内陸である。
低空飛行2_e0126350_01253573.jpg
HがHotel(ホテル)と呼ばれているのはフォネティックコード由来

通話表、又はフォネティックコードとは、無線電話で通信文の聞き間違いを防ぐために制定された規則である。
通話表は、帯域が狭く、歪や雑音の多い無線電話で、話者の発音の癖などがあっても、原文を一文字ずつ正しく伝達する目的で生まれた。

欧文通話表(ラテン文字)は、一般にフォネティックコード(phonetic code)と呼ばれる。アルファベットの「B」と「D」や「M」と「N」の様に、発音が似通っている言葉を弁別するため、国際電気通信連合で制定された。無線通信に限らず多くの業種で用いられ、ここから派生した規則もあり、主なものに北大西洋条約機構が制定した「NATOフォネティックコード」がある。例えば ALPHABET を送るときには Alfa Lima Papa Hotel Alfa Bravo Echo Tango と送る。

現行の表は、国際民間航空機関の国際民間航空条約に基づき条約に記載され、使用が義務付けられているものである(雑音や混信などにより、この表現でも認識できない場合は、地名・人名で表すなど別の表現を使ってもよいとされている。

低空飛行2_e0126350_17212778.png
横田配備オスプレイの訓練空域

前述のようにエリアHは自衛隊の訓練空域であるが、米軍がオスプレイを横田基地に配備するにあたって、横田基地配備のオスプレイが使用する訓練空域を6か所挙げている。
これはアメリカ空軍特殊作戦コマンド(AFSOC)が作成した「CV-22の横田飛行場配備に関する環境レビュー」(横田ER)の中で示されているものである。2015年9月に防衛省が日本語で公表している。
アメリカ国内では国家環境政策法(NEPA)に基づき環境影響評価を行う必要があって、影響を受ける自治体などの意見も聞かなければならないそうであり、日本においても環境レビュー(空域・騒音・安全性・大気などについて)を提出しているが、それをもとに関係自治体の意見を吸い上げるなんてことは日本ではないようだ。
横田基地があるせいか、横田ERは普天間ERに比べるとかなり簡易なレビューとなっており、重大な影響もないとされている。

①東富士演習場(静岡県、富士山東麓の陸上自衛隊演習場で米軍と共同使用している) 
②ホテル地区(群馬県・新潟県・長野県、自衛隊の高高度訓練空域)←一部は低高度訓練空域とも重なっている
③三沢対地射爆撃場(青森県、航空自衛隊と米軍が共同使用している)
④沖縄の訓練場(沖縄県、米軍と自衛隊が共同使用している)
⑤アンダーセン空軍基地(グアムにあるアメリカ空軍基地)
⑥韓国烏山空軍基地周辺のピルサン・レンジ(韓国にあるアメリカ空軍基地)

②のホテル地区というのが自衛隊のエリアHと同じ範囲であるとの説明がなされている。
自衛隊の訓練空域にしている箇所ではあるが、ここは陸地部分が演習場や訓練場となっているわけではない。普通に社会生活が営まれている場所である。市街地、工業地、田畑、観光地、山々など様々な生活環境と自然が混在している場所である。


エリアHとエリア3

自衛隊高高度訓練空域である「エリアH」と自衛隊低高度訓練空域である「エリア3」は平面的に見ると一部重なっている。
しかし「エリアH」は高高度(10,000~23,000ft) 、「エリア3」は低高度(地表~10,000ft)であるため、立体的にみると違う空間ということになる。

国土交通省が発行していて、航空機の運航のために必要な恒久的情報を掲載しているAIP(Aeronautical Information Publication;航空路誌)には、エリアHは自衛隊低高度訓練空域エリア3と相馬原コントロールゾーンの部分を除くとの但し書きがある。(↓JSDFは自衛隊のこと)

"Excluding the portion JSDF Low Altitude Training/testing Airspace No.3 and the airspace of Soumagahara Control Zone"

つまりHというエリアを忠実に守れば、低高度域、特にエリア3と重なっている箇所では10,000ft以下には入らないはずであるが、実際には自衛隊もエリアH全体を地表~23,000ftと捉えて運用している時もあるそうである。
自衛隊機でも米軍機でも500ft~2000ftくらいの低高度で飛行しているものがある。


飛行制限区域と空域調整

航空法では、航空機の飛行を禁止する区域「飛行禁止区域(その上空における航空機の飛行を全面的に禁止する区域)」、「飛行制限区域(その上空における航空機の飛行を一定の条件の下に禁止する区域)」を定めている。
そうした空域を飛行する場合には事前に申請し許可が必要となる。

一 氏名及び住所
二 航空機の型式並びに航空機の国籍及び登録記号
三 飛行計画の概要(飛行の目的、日時、経路及び高度を明記すること。)
四 飛行禁止区域又は飛行制限区域を飛行する理由
五 操縦者の氏名及び資格
六 同乗者の氏名及び同乗の目的
七 その他参考となる事項


【エリア3】
このエリアを使用する軍用機
・自衛隊のジェット偵察機、輸送機、連絡機、ヘリなど。
・米軍の輸送機など。

統制機関:航空自衛隊入間基地
管制機関:自衛隊レーダーサイト “OFF SIDE” 124.9
(エリア南東で宇都宮進入管制区と重複する部分の7,000ft以下は”宇都宮 Radar”122.45 が管制)

自衛隊入間基地に連絡し空域調整を依頼する必要あり。自衛隊機の飛行が優先で、 “OFF SIDE” 124.9 とコンタクトすることが求められる。

【エリアH】
自衛隊および米軍のジェット戦闘機・練習機が高機動な訓練などを行っている。

統制機関:航空自衛隊入間基地
管制機関:自衛隊レーダーサイト “OFF SIDE” 124.9

この空域は必ず事前に統制機関へ申請し許可を得た上で空域調整してもらう必要がある。(但し日曜日は訓練が無いので空域自体が無くなる)
雷雲回避などの理由で急遽進入する場合には管制機関に通報しなければならない。

群馬県の防災ヘリが墜落したのは、エリアH内である。
墜落したのは2018年8月10日(金曜日)であった。




# by yumimi61 | 2019-12-13 17:00

低空飛行

昨日の午後、2機のオスプレイが低空飛行しているのを見た。(群馬県内)
オスプレイが低空で飛んでいるのを目撃したのは初めてだった。

私はサーターアンダーギーでも落ちてくるんじゃないかと思ってヒヤヒヤした。
その前にオスプレイや部品が落ちてくることを心配しなさい?

低空飛行特有の爆音がしてきたので空を見上げたら、両翼にプロペラの付いた特徴的な機体がはっきりと見て取れ、「あ、オスプレイだ」と思ったのだった。
手元に撮影できるものを持っていなかったので、写真などは撮れなかった。

群馬県はもともと軍用機の低空飛行が多い地域である。
実際うちの近くでもよく低空飛行している。住宅地の上を爆音を轟かせて通り過ぎる。
何事か!という音と振動があるが、低空飛行に慣れっこになっているという側面もある。長時間続くわけでも、毎日あるわけでもないので、私は苦情を入れたことはないけれど、でもやっぱり、家にいる時はもし突っ込んで来たら…と一瞬身構えることはある。
写真は先月屋外で撮った低空飛行機。
低空飛行_e0126350_23444729.jpg
神奈川新聞  2011年02月26日
厚木の米軍機?群馬で騒音深刻、GW配備後急増の苦情最多に
より
米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)を拠点とする空母艦載機とみられる米軍機による騒音被害が、群馬県で深刻化している。2010年度に同県に寄せられた騒音苦情件数は2月現在で過去最多の513件。特に今月は高校の入学試験日に当たったため、保護者らから「昼夜を問わない騒音で集中できない」などの電話が殺到した。同県が国や米側に飛行自粛を求めたものの、試験日も飛行はやまなかった。

群馬県地域政策課によると、苦情件数は、統計開始から2007年度までは2桁から3桁の間で推移していたが、米海軍横須賀基地配備の原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)配備後の08年度からは急増、300件を上回り続けている。

前橋、高崎両市の苦情が多い。今月も前橋市上空で米軍機が旋回を繰り返すのが確認され、市民は「人口密集地の上空なので怖い」「機体のマークが確認できるほど低空を飛んでいる」と不安がっているという。

苦情は、GWが演習などで日本を離れることが多い6~12月は少ないが、横須賀基地に寄港してメンテナンスを行う1~5月に増える傾向があるという。

1~3月に飛行が多いことも被害を増幅させている。同県はことしも、2月に行われる高校入試の試験日程を米軍側に通知し自粛を要請したが、公立高の前期選抜試験日の今月15日も飛行は続いた。

県は21日、飛行の即時中止を米側に要請するようあらためて国に申し入れた。しかし米側は「日米合意に基づいている」と主張し、折り合うめどは立っていない。また防衛省は米軍戦闘機が群馬県上空を飛行していることは認めるが、運用上の秘密として詳細を公表していない。

米軍施設のない群馬に米軍機が飛来する理由について、軍事評論家の前田哲男さんは、低空飛行訓練の実施を挙げる。低空飛行訓練はレーダーに映らないよう山肌をはうように飛行しながら敵に接近する戦術訓練で、「同県の山間部を北朝鮮などと想定していることが考えられる」とみている。

在日米軍基地の監視活動に取り組む地方議員グループ「リムピース」の調査でも、10年に厚木基地から群馬県渋川上空の対地攻撃エリアに向かった艦載機の総数は346機(前年比57機増)と、1990年の調査開始以来、過去最多だった。同グループメンバーの金子豊貴男・相模原市議は、艦載機が昨年3月に北マリアナ諸島のテニヤン島近くの射爆場に向かったことなどに触れながら、「実弾訓練を行う前に、渋川市上空周辺で模擬訓練をしているのではないか」との見方を示している。



2010年4月16日(金)「しんぶん赤旗」
低空飛行訓練激化 米軍機苦情 全国の8割 群馬 過去最多
政府は中止求めよ 井上議員要求
より
群馬県の県都・前橋市や高崎、渋川両市上空で米軍戦闘機の低空飛行訓練が激化し、地域に住む80万人の命と生活を脅かしています。県に寄せられた苦情は昨年、過去最多の478件。日本共産党の井上哲士議員は訓練中止に向け政府が対応するよう求め、長島昭久・防衛政務官は、実態の調査と報告を約束しました(8日の参院外交防衛委員会)。事態は国の主権の根本が問われるものとなっています。

昼夜2分おき
 2005年から09年の間に防衛省が受けた全国の米軍低空飛行訓練の苦情は665件、うち群馬県は521件で、実に8割近くにのぼります。外防委の質問で井上氏は、高崎市の住民が記録した騒音回数の記録を示しました。今年3月1日から同4日まで、午前10時台から午後9時すぎまで、多い日で72回、ひどいときには2分ごとに戦闘機が住宅地上空を飛行しました。
低空飛行_e0126350_00360638.jpg

実態承知せず
 「米空母ジョージ・ワシントンの横須賀配備(08年)に伴い、戦闘機(厚木基地)による昼夜問わない訓練が急増している。県や前橋市からも中止の要望が出ている。どのような対応をしているのか」

 井上氏の質問に対し、長島政務官は「日米合同委員会の合意に沿って、安全面に最大限考慮を払い、地元住民への影響を最小限にするよう申し入れた」と回答。しかし国が取った対応は、学校受験に配慮するよう米軍側に申し入れただけで、米軍は3月9、10の両日、訓練を自粛したものの、その後、再開しました。防衛省は、訓練の実態把握について「米軍の運営にかかわることなので承知していない」(同政務官)との態度です。

低空飛行_e0126350_00472669.jpg

「しんぶん赤旗」は、米軍が示したルート(航法経路)を地球儀ソフト「グーグルアース」や目撃証言に基づいて分析し、推定されるポイント(進路切り替え地点)を割り出したそうである。
よってこれはあくまでも推定ルートということになり、完全に一致するとは限らない。私が目撃したのは示されているルート上ではない。
×は私が入れたもので、群馬県防災ヘリの墜落地点。
低空飛行_e0126350_00582055.jpg

ブルールートに限らず、飛行ポイントにはダムが多く含まれている。
上空からの目印になりやすいということだろうか。
(それともダムテロに備えての訓練ですか?ご苦労様ですっ!)

低空飛行_e0126350_01095738.jpg

上の地図の×も私が入れました。防災ヘリ墜落地点です。
地図は、日本共産党・群馬県議会議員 酒井ひろあきの『からっ風日和』より。


群馬県はかなり広範囲に(ほとんど全て)自衛隊の訓練空域にもなっている。
オスプレイの低空飛行訓練コースも群馬県の北部に一部かかっているが、そこは自衛隊の高高度訓練空域でもある。
しかしながら範囲が同じでも想定高度が違っている。
低高度で飛ぶ予定のオスプレイと高高度で飛ぶ自衛隊機、両者ともに高度を守っていれば、重なることはないはずである。
低空飛行_e0126350_01253573.jpg

黄色の部分の横田エリアというのは横田空域と呼ばれることもあるが、米軍横田基地が管制している空域であり、ここを飛ぶとなると申請とか管制切替などが手間となり、何かアクシデントがあっても困るので、羽田空港や成田空港を離発着する民間機は基本的にこの空域を避けて飛んでいる。
但し来年オリンピックがあるため、国際線発着増便に対応するため、羽田への飛来便は横田空域を通過できるようになり、管制も日本が行うことで日米が合意している。

それも然ることながら、県庁所在地の前橋市や高崎市といった市街地が自衛隊の低高度と高高度の両方の訓練空域になっているというのもなかなか凄い。
そこにさらに米軍機も低空飛行してくる。
そしてドクターヘリも飛びまくり?防災ヘリだって飛ばなくちゃだし?
オスプレイも飛ぶ?
そのうち民間旅客機も飛びますよ?





# by yumimi61 | 2019-12-12 23:25

お弁当♡

日の丸弁当は御存知でしょうか。

弁当箱に詰めた飯の中央に副食として梅干し1個だけを乗せたもので、日本の国旗(日の丸)のデザインに似ていることが名の由来である。

戦時中の1939年(昭和14年)からは国民精神総動員の一環として、毎月1日が興亜奉公日に定められ、戦場の苦労を偲んで日の丸弁当だけで質素に暮すことが奨励された。陸軍省では毎月7日を「日の丸デー」と定め、7銭の日の丸弁当を売って恤兵の費用を捻出した。鉄道の駅弁もやがて、日の丸弁当のみに制限された。
この日の丸弁当奨励の背景には、当時は台湾や朝鮮から米が移入され、米が比較的安価で入手できたという事情もある。米穀配給制度の施行も同1939年であった。

この時代はまだ食に不足しているというほどではなく、日の丸弁当も質素ながら、ある程度の人気があった。文化史学者の小木新造は、日本人は米を主食とし、以前から単食の傾向が強かったため、副食が梅干だけでもさほど辛い食生活と感じなかったと指摘している。

特に日の丸弁当が奨励されたのは小学校・中学校である。学校に通う子供たちは昼食に日の丸弁当を持参したが、貧しい家の子供の弁当は飯に野菜屑などを混ぜて量を水増ししており、白い飯と良質の梅干しの弁当を持参できる豊かな家の子供は、羨望や憎しみの対象にもなった。興亜奉公日を忘れて弁当におかずを添える子や、興亜奉公日を知りながらも、親が育ち盛りの子供のために飯の中に密かにおかずを隠すことも多かった。

日の丸弁当の外観は、前述のように日本国旗のイメージに重なるため、愛国弁当としても意味づけられた。副食が梅干し1個だけの弁当自体は戦時中より前から存在しており、戦時中には愛国心を煽るためにあえて「日の丸弁当」と呼ばれたともいう。国民精神総動員の標語「欲しがりません、勝つまでは」とともに、「日の丸弁当」の名は戦時中の流行語にもなり、興亜奉公日の象徴とも見なされた。


だけど梅干し日の丸弁当はもう古い!
今年、そして来年2020年に向けての日の丸弁当はこれです。
お弁当♡_e0126350_15100199.jpg
星条旗のアップではないか?
いえいえこれはラグビー日本代表ユニにヒントを得た歴とした愛国弁当です。
お弁当♡_e0126350_15313578.jpg
赤いところはもちろんパプリカ。
背番号はお好きな選手の番号、あるいは好きな数字を入れて下さい。
黄色っぽいのは沢庵ではありません。ショウガ、ガリです。またの名をガリ弁にしようと思います。
正式名は「パプリ弁」です。
キャッチコピーも考えておきました。
”パクリと食べるよパプリ弁” 早口言葉でもいけますので、3回続けて早口で言ってみてください。

ところでユニホームのストライプは真っ直ぐではなく両端下がりだったんですね。(今頃気が付いたのか?)

パプリカとのりだけは味気ないとの心配はいりません。塩を振ります。
塩は厳選、どこ産が良いですか?
沖縄産?それとも目指すは世界最高峰ということでヒマラヤ岩塩ですか?

それでもちょっと何か足りない感じがするという場合には、ご飯の中におかずを隠します。
おかずと言ってものりとおかか&昆布の佃煮。若干のり弁のパクリになってしまいますけれどもね。
お弁当♡_e0126350_16281696.jpg


実写版
お弁当♡_e0126350_16212452.jpg
昔の日の丸弁当に似合うのはやっぱりアルミニウム製の平たい四角いお弁当箱ですよね?
だけど今どきの家庭にはそんなお弁当箱はまずありません。
私は質感が似ているお弁当箱をチョイスしてみました。
これまで私的にはこのお弁当箱はおにぎりの時のおかず入れだったんです。何故かと言えば結構小さいから。2段タイプですが、手のひらサイズです。
だけどお茶碗から移してみたら、これで1杯程度。お茶碗もサイズがいろいろあるけれど、普通~小さ目タイプの1杯です。山はかかりませんので、だいたい150gだと思います。

ショウガ?ショウガがなかったから、しょうがなかったの。





# by yumimi61 | 2019-12-12 15:35

ワン!

ワン!_e0126350_23285361.jpg
ONEはOcean Network Express(オーシャン ネットワーク エクスプレス)の頭文字。
ピンクのコンテナがトレードマーク。

オーシャン ネットワーク エクスプレス ホールディングス(Ocean Network Express Holdings,Ltd.)は、日本の海運業者。定期コンテナ船事業を行っており、事業規模は144万TEU。

2017年に日本の海運業社である川崎汽船、商船三井、日本郵船の3社が設立し、2018年4月1日から定期コンテナ船ネットワークの運営をスタートした。
  川崎汽船株式会社 31%
  株式会社商船三井 31%
  日本郵船株式会社 38%

事業運営会社であるオーシャン ネットワーク エクスプレス(Ocean Network Express Pte. Ltd.)はシンガポールに本店を置いている。
設立時点では世界第6位の規模の定期コンテナ船事業である。


ONEの日本総代理店は「ONEジャパン」である。


最近のONEと言えば、ラグビー日本代表の”ONE TEAM”でしょうか。
流行語大賞を受賞されたようですが、流行というには随分古臭いというか定番ものという感じがします。


キャリアコンパス 2016/11/24
大企業若手の会「One JAPAN」発起人はなぜ26社、120名を巻き込めたか?
 より
今年9月、26の企業・団体に所属する20〜30代の若手有志の会「One JAPAN」の設立発表会が行われました。会には、トヨタ自動車、NTTグループ、富士ゼロックスなど錚々たる企業の有志社員120名が参加しています。

発表会にはNHKのカメラも入り、マスコミで大きく取り上げられました。「これから何を仕掛けていくのか」「どうすれば自分も入れるのか」、主に大企業の若手の間で大きな反響を呼びました。

「One JAPAN」の発起人でその中心人物が、パナソニックの濱松誠さん(33歳)。4年半前、同社で若手有志の会「One Panasonic」を立ち上げ、これまで2000名を超す社員をつなぎ、社内交流の活性化を推進してきた人物です。



PR Table
One JAPAN
大企業病を打ち破れ! ひとりの熱狂からはじまった46社1,200名の繋がり
 より

パナソニック創業者一家が再びひとつに。運命の足音が聞こえた日
パナソニック、富士ゼロックス、NTT。参加団体には日本を牽引する大企業がずらりと名を連ねる。このプラットフォームの名は「One JAPAN」。大企業若手・中堅の有志団体だ。これは”大企業病”を克服し、挑戦する空気をつくろうと「One JAPAN」を立ち上げた男と、想いをともにする仲間たちのお話。

2016年9月の設立から、わずか1年。大企業で働く20代~30代の若手・中堅社員を中心に構成され、46社1,200名を超えるネットワーク(2018年1月現在)となった「One JAPAN」は、ひとりの熱い思いからはじまりました。その男の名は、濱松誠。

「One JAPAN」設立のきっかけは、濱松がパナソニックの内定を得た2005年までさかのぼります。

濱松 「内定者時代に、先輩社員とのつながりが少ないと感じました。そこで内定者と若手社員のネットワーキングのため、2006年の入社後に内定者と社員の懇親会をはじめたことが、そもそものはじまりです」

自らが先輩社員となった後も濱松は2011年まで、懇親会を主催。気付けば、400名を超える若手のネットワークができ上がっていました。そのタイミングで、濱松にとって運命とも呼べる転機が訪れます。

濱松 「2011年にパナソニック株式会社が、パナソニック電工株式会社、そして三洋電機株式会社を完全子会社化しました。もともと3社は創業者一家ですが、各社異なる社風、文化をもつ会社だから大変なこと。パナソニックとして再びひとつになるこの統合は、経営的に大きな出来事でした」

世界に数十万人の社員を抱えることになる会社の転換期。

「大きな組織のイチ社員だから、自分には何もできない。どうせ何を言っても変わらない」と普通なら途方に暮れてしまいそうですが、濱松は持ち前の情熱と実行力で動きはじめます。

濱松 「世界数十万人の社員の心をひとつにしようと、経営陣が『One Panasonic』とスローガンを掲げているのを聞いて、自分には何ができるだろうと。当時、僕には6年かけてつくってきた400人を超える若手のネットワークがあったので、若手を集めて一体感を生み出そうと、大坪文雄社長(当時)を呼び、200名規模のイベントを開催しました。これが有志の若手社員の会『One Panasonic』のスタートです」

こうしてOne JAPANのベースとなるOne Panasonicが、2012年に誕生。濱松は社員のモチベーション向上、知識拡大、人脈形成を目的に、全体交流会や分科会を開催していきました。


何と言っても、現在のラグビー日本代表選手の所属するチームはパナソニックが最大なわけですからね~。
今でこそパナソニックですけれども、ラグビーが強かったのか三洋電機でしたけれどもね。
ワン!_e0126350_00081373.jpg
(出典)M&A Online 2019年10月9日 ラグビーワールドカップに選手を送り出す企業とは 


企業がスポーツチームを持つって費用がかかるんですよね。
選手を従業員にすればそんなにかからないだろう、なんてことはないわけで。
だから経営悪化した企業などが身辺整理経営改善による健全化を図る際に廃部になったりすることもありますよね。
普段は皆さん結構「税金とかいろいろ大企業への優遇はやめるべき」とか「大企業の内部留保はけしからん」とか言うくせに、その大企業のスポーツチームには寛容なんですよね~
特に国際大会になると目の色が変わる。オリンピックしかりW杯しかりノーベル賞しかり。
そういう二枚舌みたいなことにうんざりしている人も少なくないと思いますけれども。
ラグビーだって、「テレビでは盛り上がっていたけれど周囲では全く盛り上がっていなかった、いったいどこで盛り上がっていたんだ?」という声もちらほら聞きました。
代表チームは代表というくらいで、チームというからには団体でもあり、出身母体があるわけで、いきなり代表選手に選ばれたり、国際大会用の代表チームが出来るわけではないんですよね、残念ながら。
チーム維持費とか大会参加費&協賛金とか広告料とかいろいろ費用がかかるので、優遇とか内部留保とか大目に見てあげたらいいんじゃないですか?
そもそも「日本を牽引する大企業」なんだから”大企業ファースト”でよろしいんじゃありませんこと?

だけれども何かが1つになっていくというのは、ちょっときな臭い感じもしますね。
日本なんて戦前は、ファシズム国家、全体主義国家であったわけだから、一体化に馴染める国民性というものが少なからず存在し、当時は一国一党を目的として大政翼賛会なんてものも成立したくらい。
戦後、形式に変更を加えたようでいて、本質はたいして変わっていない。
戦後に財閥も解体されたけれど、徐々に戻っていって、再び巨大化していっている。
戦争だって世界大戦というものは、連合国だとか枢軸国だとか徒党を組んだわけじゃないですか。
グローバル化した世界では世界が一体化していて、他の主義主張や思想や意見は一切許さない的な風潮が強いですよね。その自信や根拠はどこから生じるのか。結局のところ権威や権力追従では?
ONE WORLDの仮想敵はいったい何なのでしょうか。ONE WORLDに反対する者?それとも地球外生命体?宇宙に人間以外の生命体がいるかもしれないと考えるだけで許せないとか?
「一緒にやろう」とかもよく考えるとちょっと寒気を覚える。
世界大戦は利害がぶつかる国と国が一騎打ちしたということではなくなって、何だかいつの間にか世界の多くの国が関係して戦争していたという訳の分からない状態になっているわけで。
垣根を超えるということはスケールを大きくするということでもあるから、付いてくる結果だって大きくなって当然。





# by yumimi61 | 2019-12-11 23:50

Rail

Rail_e0126350_23300989.jpg

Rail_e0126350_23370865.jpg
上は先月、犬の散歩中に見つけたカメで、
下は2017年の春先、庭に訪れたカメ。(→過去記事『外来種』より)





... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)

# by yumimi61 | 2019-12-09 23:33

Times

Times_e0126350_22581067.jpg

今日は誰かの誕生日で、今日は誰かの命日。そして今日は真珠湾攻撃の日。
 
    

"The Three Tenors"(三大テノール)
ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3名のテノール歌手が、共同でコンサート等の活動を行った際に用いた名称。
3人がそれぞれ人気、実力を兼ね備えた当時を代表するスター歌手であったことから、「三大」の面が強調され、共同活動のグループ名としてのみならず、3人の歌手の存在そのものを指す言葉となった。 
三大テノールとしての最初の活動は、1990年イタリアで行われたサッカーワールドカップの前夜祭として、ローマのカラカラ浴場で行われたコンサートである。その後も4年毎に開催されるワールドカップのたびにコンサートが催され、2002年の日韓共催の際の横浜アリーナまで続いた。


2002年6月27日の夜に横浜アリーナでコンサートが開催された。W杯前夜祭コンサートはこれが最後。唯一DVD化されていない。
年齢的なこともあり3人でのコンサートは2003年が最後であり、2007年にはイタリア出身のルチアーノ・パヴァロッティが膵臓がんで亡くなった(71歳没)。
スペイン出身のプラシド・ドミンゴは現在78歳、同じくスペイン出身のホセ・カレーラスは現在73歳。
3大テノールコンサートのCDやビデオ/DVDの売上げはプレスリーやローリング・ストーンズを超えるのだそう。

Times_e0126350_23073969.jpg

 今夏、3大テノールのお一人、プラシド・ドミンゴ氏のセクハラが報じられた。
 =2019年8月14日 BBC NEWS JAPAN= 
世界的なオペラ歌手のプラシド・ドミンゴ氏(78)からセクハラを受けたとして、9人の女性が告発した。AP通信によると、歌手8人とダンサー1人は1980年代後半に、ドミンゴ氏からセクハラを受けたという。
同氏を告発した9人のうち、メゾソプラノ歌手のパトリシア・ウルフ氏のみが実名での報道に応じた。
ドミンゴ氏は告発の内容を否定した一方、「それでも、私が誰かを傷つけたり不快に思わせていたかもしれないと聞くのは、それがどんなに昔のことであっても心が痛い」と話した。
「私を知る人、一緒に仕事をしたことがある人なら、私が意図的に誰かを傷つけたり、攻撃したり、辱めるような人間ではないと知っている」
その上で、「こんにち、我々が測られるべきルールや基準が、過去のものとは大きく変わっていることを認識している」とも述べている。

疑惑は否定したものの報道を受けて、ロサンゼルス・オペラの公演を全てキャンセルし、その後2003年から務めてきた総監督を辞任した。
フィラデルフィア管弦楽団やニューヨークのメトロポリタン歌劇場もドミンゴ氏の出演を中止した。
出演予定だった2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の公式文化プログラムの公演も辞退した。
しかしながら来年1月の東京公演は予定通り行われるらしい。(アメリカ以外の公演は予定通り行われているとの理由を主催者が発表している)

Times_e0126350_23374487.jpg

昨年秋、実家にて、某女優さんの息子さんが覚醒剤で逮捕されたというニュース(ワイド―ショーだったかな)を観ていたら、私の母がこう言い出した。
「4回も逮捕されていて、2回目の保釈金が○○〇円、3回目が〇〇〇円、今度が〇〇〇円。全部で〇〇〇〇円よ」(母は具体的に数字を言ったけれど私は覚えておらず)
当時母は耳も聴こえにくいのでテレビは滅多に観ないと言っていたのに、やけに詳しいなぁと思い、私は母の話をおとなしく聞いていた。
すると母の話はまったく突然に違う方向に飛んだのである。
「この間、ヘルパーさんが△△病院に講習会に行ってきたんだって。そこで実際に動けない人にロボット(動作支援の装具とかロボットスーツのことのようだった)を装着して動けるようになるのを見てきたって」
「へぇ~そうなんだぁ」と相槌をうったものの、私の興味はどうして保釈金の話から思い出したようにこの話に繋がったのか、だった。
母はその頃、身体機能が落ちつつあって、手すりにつかまれば、やっとこさっとこ歩けるような状態だった。
だからヘルパーさんの話には興味を持ったんだろうとは思った。
だけどきっとロボットは高価だと思ったんだろうか?そして逮捕を重ねて膨らんだ保釈金(+多額のおこづかい?)の話でこの話を思い出したとか?
そのあと私に「ロボットの金額」とか「動く時にいちいち付けるのは面倒くさいよね?」とか「トイレの時はどうするんだろう」とか訊いてきた。
母のイメージするロボット動作支援と実際のそれの動作支援とはだいぶ開きがあるような気がしたが、何とも言えずお茶を濁した。


Times_e0126350_23441611.jpg

ヘルパーさんは大宮で開催された最新介護用品?看護用品?か何かの展示会に言ってきた後にも、「最新のポータブルトイレはすごいわよ」などと母にいろいろお話してくれたようで、さらに「娘さんにもぜひ行ったほうがいいって言ったほうがいいわよ」と言っていたらしい。(ラジャ~!)(返事は良いのですが行けませんでした、すみません)


Times_e0126350_23483288.jpg
先週金曜日にスーパーに行ったら、「ブドウ糖」推しされていた(通路のワゴンで3種類くらい売られていた)。ブドウ糖は受験期に出てくることが多いのだが、もうそんな時期かぁ。
受験生にはハッピークリスマスもハッピーニューイヤーもないのね。(あるよ?)
脳のエネルギー源の話を書いたばかりの私は、「ブドウ糖ラムネ」を買ってしまった。
これにしました↓  はっ!森永・・・
Times_e0126350_21444013.jpg
この商品の栄養成分表示(右下)には炭水化物しか書いてありませんが、炭水化物の中の糖質と食物繊維を分けて表示している商品や糖質中の糖類を表示している商品もあります。


Times_e0126350_23583848.jpg

今日はカボチャスープを作った。
使ったのは小さ目のカボチャ2個。
Times_e0126350_22402698.jpg
赤いのはこの間あてもなく買ったパプリカです!(もう1つは使いました)
Times_e0126350_22405115.jpg
カボチャの他に玉ねぎとにんじんとキャベツを入れた。





... Ads by Excite .....
無料ブログのため広告が上部及び下部に強制表示されてしまいますが、内容など一切関知しておりません。個人の広告収入などもありません。(yumimi61)


# by yumimi61 | 2019-12-08 17:02