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攻防

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ドナルド・キーン氏が日本に永住するということで、9月1日来日しました。
「私は『日本』という女性と結婚した」と語ったとか。

今日から私、『日本』という名前に改名します!(というのは冗談ですけれど)

目頭が熱くなりますね。(それはもういいから?)

ドナルド・キーン氏は小説家M(それももういいから?)の著書も翻訳してくださった方ですね。
翻訳だけでなく、いろいろとお世話していただいたようです。
ご自身の著書では小説家Mのことを、「私は無二の親友を失い、世界は偉大な作家を失った」とまで。
日本人としては大変光栄なことですね。


彼はなんとオノ・ヨーコさんにも会ったことがあるそうなのです。
著書『思い出の作家たち』にその記述があります。


1964年(昭和39年)の秋、アメリカニューヨークにて。

安部公房の小説『砂の女』の英語版が刊行されるにあたり、安部氏はNYのコロンビア大学にいたドナルド氏と面会します。
そのとき同行したのが、映画監督の勅使河原宏と、日本人女性の通訳。
通訳を必要としなかったドナルド氏は彼女とは目を合わせなかったとか。(怖かったというこではないのですね?)
この通訳がオノ・ヨーコさんだったというのです。

といっても、ドナルド氏もその時は彼女が「オノ・ヨーコ」であることは分からなかったということです。(それもそうでしょう)
あの通訳は「オノ・ヨーコ」だった、ということを彼が知ったのは、数年後のことだったそうです。(ジョン・レノンと結婚した頃でしょうか?)

1964年ということは、オノ・ヨーコさんが日本から再びNYに渡った年ですね。
アンソニー(トニー)・コックスと結婚していた時代です。


それとは別に、東大医学部卒の安部公房氏が「医学」と「英語」が苦手だったというエピソードはすごいです。
妊娠月数を2年と答え、医師国家試験を受けないことを条件に卒業させてもらったなんて、まさしく天才。
ドナルド・キーン氏も安部氏に危うく麻薬中毒患者にさせられるところだったようです。



勅使河原宏とオノ・ヨーコの関係は?

気になるのはこの2人の関係ですね。

昔の人ならともかく我々若者(!)はまず、「勅使河原宏って誰?」というところから始まると思うのです。
昔なら電車やバスを乗り継いで図書館まで出向いたと思うのですが、便利な時代になりました。
スイッチポン。
勅使河原宏さん。

ヨーコさんとは、前衛芸術つながりでしょうかね。
政治的側面もあるようですね。
さらには映画へとつながっていくのでしょうか。


1962年 『おとし穴』  原作・脚本:安部公房、映画監督:勅使河原宏、音楽監督:武満徹、音楽:一柳慧、高橋悠治

1964年 『砂の女』   原作・脚本:安部公房、映画監督:勅使河原宏、音楽監督:武満徹
               カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞 

これ以降にも幾つか、勅使河原宏は、安部公房の小説を映画化している。


オノ・ヨーコの最初の夫である一柳慧が、安部ー勅使河原コンビの映画に関係があったという点は興味深い。
そして、妻であったヨーコが、一柳慧と離婚後(アンソニー・コックスと結婚後)の1964年に、
通訳として勅使河原宏と行動を共にしているという点もなかなか面白い。

一柳アンソニーはともに、映画の世界にも関係があった。


一筋縄ではいかない人間模様。
何故ヨーコは、離婚した一柳慧が師事がしていたジョン・ケージのために、ビートルズの楽譜を手に入れようとしていたのか?
最初の夫の師が住む高級アパートに3人目の夫と住むというのも、胡散臭いといえば胡散臭い。


一柳慧氏の出版、著作管理を行っている会社が、ショット・ミュージックというのも、すごいですね。
('ショット'のスペルは'SHOTT'で、人名らしいですけれど)

I'm shott ! (なんてね)


by yumimi61 | 2011-09-03 17:17