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構造





想像する前に現実を見なさい

隠されている真実を想像しなさい











Please give me...


ジョン・レノンはチョコレートが好きでした。
一方、オノ・ヨーコさんはチョコレートがお嫌い。
あんなに美味しいものを嫌いな人がいるんですね。世の中は広い。


「ギブ・ミー・チョコレート」という言葉は知っていますか?
2月14日(バレンタインデー)の男性の心の声、ではありません。

第二次世界大戦後の混乱期、日本の子供たちは米軍兵士にチョコレートをねだりました
「ギブ・ミー・チョコレート」という言葉は流行語となり、現代まで語り継がれています(細々と)。

オノさんがチョコレートを嫌いな理由は、味ではなくて、こんな背景にあるのかもしれません。




ジョン・レノンのソロ活動と社会情勢


1969年2月 オノ・ヨーコと前夫アンソニー・コックス、離婚。
         ヨーコは、離婚前(前年10月)に、ジョン・レノンの子を妊娠したと発表している。
         離婚前であり、ジョン・レノンの子だと法的に認められるわけがない。
         世の中が何故こんなことを何の疑いもなく受け入れていたのか甚だ疑問。

1969年3月 ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、結婚。
         離婚後1ヶ月しか経っていないのに結婚できている。
         2度目の結婚と同じく超法規的措置か?

1969年11月 日本の新左翼が佐藤首相訪米阻止闘争を起こす。
          実行には至らなかったが、新左翼活動家、川島豪の命令で、セスナかヘリコプターを乗っ取り、
          そこに爆弾を積んで、首相特別機に特攻を仕掛けることも企てられていた。

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1970年3月 共産主義者同盟赤軍派がよど号ハイジャック事件を起こす。

1970年4月 ビートルズ解散

1970年9月 PFLPが旅客機同時ハイジャック事件を起こす。

1970年12月 初のソロ・アルバム『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』をリリース。
          『Working Class Hero(労働階級の英雄)』など政治色が強い楽曲が多い。

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1971年3月 シングル『Power to the People(パワー・トゥ・ザ・ピープル)』をリリース。
         ヘルメットの写真のレコード。(日本での発売日は3月8日)
         ヘルメットは日本の新左翼組織「共産主義者同盟」叛旗派のもの。

1971年6月 ニクソン大統領、麻薬は国家の敵だとして宣戦布告。麻薬撲滅運動を展開。

1971年8月 ニクソン大統領、ドルと金の交換停止を発表。(8月15日!)
         これにより固定相場制は廃止され、変動相場制へ移行することとなり、
         世界経済の大きな転換点となった。「ニクソンショック」と呼ばれている。
         

1971年9月 ニューヨークに移住、活動の拠点とする。
         反体制を掲げ、政治的活動へ積極的に参加するようになる。
         アメリカの新左翼活動家 Jerry_Rubin(ジェリー・ルービン)、Abbie Hoffman(アビー・ホフマン)らと出会う。

         『Imagine(イマジン)』リリース。(アメリカでの発売日は9月9日、イギリスでは10月8日)

       
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1972年2月 連合赤軍があさま山荘事件を起こす。(2月19日~28日)

   
         ニクソン大統領が中国を電撃訪問し、毛沢東主席と対談。(2月21日~28日)。
         米中共同声明を発表し、中国共産党政府が事実上承認された。
         こちらも「ニクソンショック」。

1972年3月 ニクソン政権、ジョンに対して国外退去命令。
         1968年の麻薬不法所持の有罪判決を理由にしたが、実際は政治的理由だったと言われている。
         以降、永住権獲得までアメリカ政府との闘いが続いた。

1972年5月 日本赤軍がテルアビブ空港乱射事件を起こす。

1972年6月 『Some Time in New York City(サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ)』リリース。
          政治色の強いアルバムだった。

1972年12月 ニクソン大統領再選。

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1973年2月 日本政府が円の変動相場制移行を決定。(2月14日!)

1973年3月 アメリカの永住権許可を申請したが、移民局から60日以内に国外退去を命じられた。

1973年4月 ヨーコとともにヌートピア建国宣言

1973年7月 PFLPと日本赤軍の混成部隊ががドバイ日航機ハイジャック事件を起こす。

1973年9月 オノ・ヨーコと別居。秘書のメイ・パンとロスで同棲生活を始める。

1973年11月 アルバム『Mind Games(マインド・ゲームス)』リリース。

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1974年1月 日本赤軍がハーグ事件を起こす。

1974年7月 アメリカ司法省から60日以内の国外退去命令を受ける。
         ジョンは強く抗議し、盗聴や尾行があったとし、提訴に踏み切る。

1974年8月 ニクソン大統領、ウォーターゲート事件により辞任。(8月9日)
         任期中に辞任した唯一の大統領である。
         ウォーターゲート事件はニクソン大統領を辞任に追い込むためのクーデターだったとする説もある。

         オノ・ヨーコは福島で開催されたフェスに参加するため来日。(8月9日来日、10日出演)

1974年9月 アルバム『Walls And Bridges(心の壁、愛の橋)』リリース。

1974年11月 エルトン・ジョンのコンサートでヨーコと再会する。

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1975年1月 ヨーコと再び暮らし始める.

1975年3月 ヨーコの妊娠により国外退去一時差し止め。

         日本赤軍がクアラルンプール事件を起こす。

1975年10月 最高裁が国外退去命令を破棄する判決を下す。

         息子ショーンが生まれる。ジョンは音楽活動から離れる。

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1976年7月 アメリカ永住権を獲得。



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1980年8月 5年ぶりに音楽活動再開。『Double Fantasy(ダブル・ファンタジー)』のレコーディング開始。

1980年11月 アルバム『Double Fantasy(ダブル・ファンタジー)』リリース。

1980年12月 ジョン・レノン射殺される。

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(補足)

アメリカ37代ニクソン大統領について

ペプシコ社(ペプシコーラ)の顧問弁護士であった。
ペプシコーラは1973年ソビエト連邦と独占契約を結び、ソ連国内で生産された初のアメリカ商品となるのだが、これはニクソンに因るところが大きい。
下院議員時代は「赤狩り」に取り組み反共活動家として名を馳せた。
40歳で副大統領就任。(1953年1月20日~1961年1月20日)
56歳で大統領就任。(1969年1月20日~1974年8月9日)

ベトナム戦争を終結させ、中国やソ連を訪問し、軍縮の努力をして、デタント(緊張緩和)を実現させた。
一方で、ベトナム戦争終結のための容赦ない侵攻、反共産主義であったにもかかわらず中国を利用、
自国保護のために突然に金ドルの交換停止を発表して世界を震撼させ混乱に巻き込むなど、冷酷な部分を持ち合わせた。


ドルと金の交換停止について

1971年8月15日、ニクソン大統領の突然の発表を受けて、ヨーロッパ各国は直ちに外国為替市場を閉鎖した。
ところが日本は世界で唯一、外国為替市場を16日から27日まで開け続け、引き続き1ドル360円での交換を続けたため、ドル売りが殺到した。
多額の差益を狙って大量に外資が流入し、日本は莫大な損失を被った。
何故閉鎖しなかったのか謎とされている。




1972年、ジョン・レノンは、新左翼活動家(イッピー)の暴力的行為と過激な政治活動に幻滅していた。
平和運動が無力であることも思い知らされ、政治色の強い自身のアルバムに難色を示されたこともショックだった。

この頃のジョン・レノンはおそらく混乱を来たしていたのでしょう。
これらのことを考えると、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの別居は当然の成り行きだったのではないかと思います。
そして、ニクソン大統領の辞任が、2人の間に微妙な影を落としたように思えてなりません。



 
 

by yumimi61 | 2011-10-30 22:49