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ナルシシズム

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「巡り合い」か「巡り合わせ」か、さらなる考察


昨日私が某所で偶然に出会ったのはオノ・ヨーコさんだけではありません。
「巡り合わせ」は沢山あったわけです。
その中からオノ・ヨーコさんをピックアップしたということは、そこに私の意思が働いています。

某所に行く(巡り合う)→そこでたまたま見掛ける(巡り合わせ)→興味を持ってさらに見る・考える(巡り合う)

流れとしてはこういう感じです。

では何故私はオノ・ヨーコさんに目を留めてピックアップしたのか?
私は再三オノ・ヨーコさんのことを書いていますが、基本的にオノさんのツイートには興味ありません。
ましてや昨日の"Join me on Pinterest"というツイートには惹かれるものがない。
Pinterestも知らないし、なによりオノ・ヨーコさんと"Join me" する気が全くないからです。
通常ならば素通りしたと思います。
にもかかわらず、昨日私がそれにただならぬ「巡り合わせ」を感じたのは、アンディ・ウォーホルのことを考えたあとに巡り合ったからです。


先日『Waterfront』でリンクしたこちらのブログにもアンディ・ウォーホルの名前が出てきました。
東日本大震災の翌々日に、オノ・ヨーコさんが日本及び被災者に向けて発したメッセージのあとがきにもアンディ・ウォーホルの名前が出てきました。(参照
昨日載せた写真は、いつか使う機会があるかもしれないと思い、随分前から保存しておいたものです。



中身があるかないかの考察


「話しは長いが、中身は薄い」と自虐的に言っている上記ブログですが、とても中身のある良い文章でした。
ひょっとすると「話は長いが、中身は薄い」文章も紛れ込んでいるのかもしれませんが、こと『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』に関しては長さに比例して実のある話でした。
少なくとも私にとっては。


こんなことが書かれていました。

以上を踏まえた上で、私は純粋な「自分なりの審美眼」なるものは成立しないと思います。
とりわけ美に対する価値判断は、多分に外的因子の影響に左右されるもののように思えます。



私も概ねこの意見に賛成です。
他者に合わせてもらうこと(評価)無しに芸術は存在できないのです。
特に芸術をビジネスとした場合には。
芸能、ショービジネスの世界も外的因子への依存度が高い。
他者無しにビジネスは成り立たないし、持続できない。
多くのビジネスの定めとも言えます。

常に他者を基準にしているからこそ、人は多くの他者を取り込んだビッグネームに弱いのです。
そしてそこに付け込み「洗脳」という手段が使われるわけです。

そうした世界で生きる以上、「権威」は必要不可欠なものです。
反体制を謳っても賞が欲しいのは、「他者からの評価」すなわち「権威」を手に入れたいからです。

人が権威を持っていることは許しがたい。でも自分が持つなら構わない。むしろ積極的に欲しい。
だから簡単に翻ってしまうのですね。
多くの場合、「自らが君臨したい」「自分が神になりたい」、これが反体制や革新の実態ではないかと私は思っています。
権威は麻薬のようなものです。
心地よい。一度手にしたら離し難い。



幸せについてのさらなる考察


再び上記ブログからの引用
あらゆる「権威」から比較的無縁と思われる個人の瑣末な「好み」でさえ、その実の成り立ちはパーソナルなものではないと考えます。
ドラマ「リアル・クローズ」からの「自分の好きを辿れば、その先には必ず幸せな思い出がある」というセリフは、まさに「好み」が過去の他者による好意的な評価に根付いているということを端的に示しているように思います。黄色が好きなのは、幼少のころ黄色の服を着ていた自分を母親という「他者」が褒めたから、という。


これはどうでしょうか?

成り立ちという面からみれば、そのとおりかもしれません。
でも持続に関しては疑わしいものがあると思います。
そこがビジネスと違うところなのではないでしょうか。

つまり、それを好きになったきっかけに他者が介在していたとしても、他者を介さなくても幸福感を得られることはあるということです。



ナルシシズムで何が悪い


またまた引用。
逆に、もし仮にカウンター・カルチャーが徹底して「権威」に徹底抗戦を続けたらどうなるでしょうか?
それは前述のとおり、あらゆる「他者」の評価を得ることのない、もはや「芸術」と呼ぶことの困難な作家のナルシシズムの残骸でしょう。私たちはいつの間にか「芸術」と呼ばれるものを有難いものとして崇拝し、思い思いに感動していますが、極端な話、それは「権威」の崇拝に他ならず、その「権威」を取り除いたときに残るものがナルシシズムの残骸であるならば、果たして「芸術」そのものに特別な価値があるのでしょうか?いえ、価値がないとは言えませんが、少なくとも皆が皆、取り立てて有難がるものではないのかもしれません。



例えばこの短歌

これには方言&ネット語が絡めてあります。
「なして」です。
「なぜ、どうして」という意味の「なして」。
「返して」という意味の「なして」。
「なしっていったいどういうことだよ~」という意味の言葉を縮めたネット語の「なして」。


私はこれを思いついた時、自分で素晴らしいと思いました。
この短歌にはすごく満足しています。
こういうのが出来ると幸福感を味わえます。
他者の評価に因る満足や幸福ではありません。
それぞれの言葉の状況を思い浮かべて可笑しくなって、Happyになる。
嘘だろうと思う人もいるかもしれませんが本当です。

こういうことは短歌に限らず多々あります。
自己満足、ナルシシズムの残骸と言われればそうかもしれませんが、さりとて取り立てて「権威」に徹底抗戦を続けているわけでもありません。
ベースが「価値」や「芸術」にあるのではなく「幸福感」にあるからです。

誰にも分かってもらえなくても十分に幸福なのですが、分かってくれる人がいれば、それはそれですごく嬉しい。
幸せ倍増。
そういう世界も存在するんですねえ、実際に。


「他者から認められたい」というハングリー精神がドリームには必要なのでしょう。
他者の評価を必要不可欠とせず、ナルシシズムの残骸に満足してしまう場合、プロや著名人にはなりにくい。
でもそれは見方を変えれば幸福でいられる能力に長けているとも言えます。


「好きなことを仕事にするな」「一番好きな人とは結婚するな」という人生の先輩の言葉には含蓄があります。
幸福感から離れてしまうということを示唆しています。
「ビジネス」や「価値」と「幸福」をいかに共存させるか、これがこれからの時代を生きるあなた達の課題です。(もう引退?)(しかも他力本願?)








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by yumimi61 | 2012-02-13 14:43