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昨日の続き。


あの日、ホテルで?

ヨーコがニューヨークから帰国したという1962年。
『ただの私(あたし)』の中の手記では初春に帰国したとある。
飯村のインタビューではジョン・ケージたちとパフォーマンスをするためにヨーコは帰国したと言っている。

1962年、ヨーコの夫の一柳慧が師事していたジョン・ケージは確かに日本で公演した。
1962年10月23日・24日、草月会館、「ジョン・ケージ、デヴィッド・チュードア演奏会」。
これにオノ・ヨーコが出演しているのも間違いない。
この頃に飯村氏はヨーコの部屋を訪ね、キョーコがいたと言っている。
1963年8月8日生まれだというキョーコちゃんキョーコ・チャンが1962年にいたというのはいったいどういうことなのだろうか?
キョーコと京子は別人なんだろうか?


実は辻褄が合わない情報はこれだけではない。
『20世紀の芸術と生きる―ペギー・グッゲンハイム自伝』という本の中に書かれているオノ・ヨーコとアンソニー・コックス。
文中ではトニー・コックスとあるがアンソニー・コックスである。
ヨーコも彼をトニーと呼んでいる。
『ただの私(あたし)』にトニーが最初に登場した時には、トニー(注・アンソニー・コックス)と書かれていた。
ペギーによれば、ヨーコとアンソニーはジョン・ケージの公演期間中に関係を持ったそうだ。
「それで混血の赤ん坊が生まれることになった」というのは、やはりキョーコだろうか。
一行が日本にどれくらい滞在していたのかは不明だが、10月23日・24日前後にたまたま関係を持ってしまって妊娠をしたのだとすれば、予定日は1963年7月中旬。
8月8日の出産では遅すぎる。
予定日を2週間過ぎると胎盤機能 が低下してきて危険なのだ。
その頃までにお産の兆候がない場合は促進してでも産ませる。


ただ11月28日にアンソニーとヨーコは結婚届を出しているので(後に一旦無効となる)、日付け的には公演後の出来ちゃった婚というのも頷けなくはない。
一度だけではなく公演後にも関係が続いたということであろう。
そうなると1962年のキョーコは飯村の勘違いだろうか。
若しくは『LOVE』というサイレントフィルムは1962年に撮ったものだけれど、音楽を入れたのは1963年になってからということだろうか。


いったい誰の言っていることが本当なんだろう。




本能のまま、赴くまま


以前にもリンクしたことがあるが再びこちら。
あんな時代もあったねと~♪ 新時代の寵児


こんな時代もあったねと~♪ Place(場所の記憶)




あなたにもチェルシーあげたい


あなたはCHELSEA(チェルシー)を知っていますか?

歌は歌えますか?

メロディーも欲しい?







*2月27日分の「抗議*1」より目次を作りました。


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by yumimi61 | 2012-05-09 23:51