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上記写真は第五福竜丸展示館公式ホームページより


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映画の主題歌として名高い『モスラの歌』。
歌ったのは小美人役であったザ・ピーナッツのおふたり。


モスラの歌はインファント島原住民の言語という設定である。
しかしインファント島は映画上の島であって、実際に「インファント島」という島は存在しない

ただ、映画に出てくる国「ロリシカ」(原作では「ロシリカ」)がアメリカをモデルとしているように、どこかの島を念頭に置いて創作した可能性はある。
核実験で思い出すのは通常「ビキニ環礁」であろう。


第五福竜丸乗組員の異変

●被曝

1954年3月1日、アメリカの水爆実験で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」も死の灰を浴びて被曝した。

(ちなみに、その2日後の3月3日には、原子炉築造費を含めた研究予算要求が国会にて可決されている。)


この水素爆弾は原爆の千倍以上もの爆発力を持っており、放射線降下物(死の灰)は指定された危険区域をはるかに超えて広がったそうだ。
映画のように乗組員に異常がなかったわけではなく、死の灰を浴びた乗務員全員(23人)がその日のうちに何らかの急性放射線症状を呈していたようだ。
乗組員が焼津港に帰港したのは2週間後。
その後、多くの者が肝障害を起こし、乗組員のうち最も高齢だった無線長(39歳)が9月23日に亡くなった。
「俺のような苦しみは、俺一人でたくさんだ」の言葉を残したという。
何故一人だけが被曝後半年の死だったのだろうかと、私は思う。
病名は東大病院から「放射能症」と発表された。


これが放射線によるものなのかどうか、当時も議論されたようだ。
日本側は、「放射能症性肝病変」を主張。(なんとも微妙な診断だ)
アメリカ側は、「輸血による血清肝炎が死因」であるとし、放射線の被曝は決定的なものではないと主張した。
さらにアメリカは、「第五福竜丸がアメリカの設定した危険水域で操業していた」、「第五福竜丸がスパイ行為を働いていた」などと主張し、日本側の被害は誇張によるものと非難した。
これは現在の日本では「事態の矮小化を図った政治的結論」だったと語られている。


確かに第五福竜丸には少々不思議な点がある。
何故すぐに帰ったり、無線連絡しなかったのだろうかということである。
無知であったと言えばそれまでだが。
乗組員らは核実験によるものではないかとの疑惑を持っていたそうだ。(噂があった)
無線長は、被曝の事実を無線で連絡するとアメリカにそれを傍受され、水爆実験のスパイと疑われて攻撃されかねないと判断したそうだ。
そして爆発を目撃した後もすぐに避難することなしに、揚げ網作業を6時間も続け、その時に死の灰を浴びたという。
帰港後もスパイ容疑を恐れて船長らは多くを語ろうとしなかった。
この被曝をスクープしたのは読売新聞。
静岡で発生した別の事件(幼女殺人事件)を取材していた記者が下宿先のおばさんから聞いたとか。
3月16日朝刊で第一報。
それまでは隠されていたということだ。
スクープは日本中に衝撃を与えた。
アメリカが極秘に実施していた実験が明るみになり、国内はもちろんのこと、国際問題へと発展していった。

しかしアメリカは3月26日に再び水爆実験を実施した。


●診断及び治療

乗組員が帰港直後に診察を受けたのは、焼津協立病院。
福竜丸船内はガイガー・カウンターで毎時110ミリレントゲンの数値を示しており、乗組員にも激しく反応したため「急性放射能症」と診断された。
半年後に亡くなった無線長1名は直後から重症であったため直ちに東大病院に入院した。
何故無線長だけが?
その他の乗組員が入院したのは3月28日。
被曝から1ヶ月後、帰港し「急性放射能症」と診断されてから2週間後のことである。
この状況も少々不可解である。



乗組員は白血球低下と骨髄障害を起こし免疫機能が低下していた。
それを補うために大量輸血を実施した。
その血液がC型肝炎ウイルスに汚染されていたというのだ。
C型肝炎ウイルスの感染力は強くなく、主な感染経路は輸血である。


アメリカの医療調査団が被爆者治療のため来日したが日本医師団はこれを拒否。
その理由。
 ・アメリカ医療調査団は患者のデータに興味を示すだけで治療には非協力的だったから。
 ・放射能医学については日本の方がアメリカよりも上であるとの自信があった。
 ・乗組員をスパイ扱いにしたアメリカは信用ならない。
外務省はアメリカの医療調査団に協力するように要請したが、受け入れることはなかった。


死亡した1名以外の乗組員(22名)は、1年2ヶ月後(翌年5月20日)に全員退院した。

その後も乗組員らは千葉市の放射線医学総合研究所(放医研)で健康診断を受けている。
実態調査が主目的であり治療はしない。
放医研でC型肝炎ウイルスの感染検査を導入したのは1991年のようだ。(被曝治療の37年後)


※HCV検査について-------------------------------------------------------------------------

1989年12月、HCV(C型肝炎ウイルス)感染予防のための検査(HCV C100-3抗体検査)が全国の日赤血液センターにおいて導入された。
しかしこれは感染後半年を経過しても70%程度のウイルスしか検出できず完全ではなかった。
1992年からは、より精度の高い検査(HCV 抗体検査)が可能となった。
これ以降、輸血によるHCV(C型肝炎ウイルス)の感染は激減した。
1999年10月には世界に先駆けて核酸増幅検査(NAT)が導入され、感染した血液が輸血される心配はほぼなくなった。

逆に言うと、これらの前に輸血などを受けている場合はHCVに感染している可能性がある。
私も幼少期に受けた輸血によってHCVに感染した。

 ・1988年以前に血液凝固第VIII、第IX因子製剤の投与を受けた人。
 ・1992年2月以前に輸血を受けた人。
 ・1994年以前にフィブリノゲン製剤の投与を受けた人。


一般的にC型急性肝炎は、A型・B型急性肝炎に比べて症状が軽い。
また慢性肝炎の場合も、多くの人の場合、自覚症状がないと言われている。
HCV(C型肝炎ウイルス)に初めて感染した場合、70%前後の人が「キャリア」に移行する。(持続感染)
その後慢性肝炎となる人も多く、さらに一部の人は肝硬変や肝臓癌へと進行すると言われている。
「一部の人」というのがどれくらいかと言うと、持続感染者(HCVキャリア)の30~40%程度と推計されている。

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●C型肝炎

放医研の検査で乗組員のほとんどがC型肝炎ウイルスを保有していることが分かり、「C型肝炎」と診断されている。
しかし乗組員への周知は徹底されなかった(または本人が重要視しなかった)ようで、後年地元の病院で指摘されるまで知らなかったという人もいた。
乗組員の半分以上がすでに亡くなっているそうだが、死因として多いのは肝臓癌だそうだ。


元乗組員もインタビューにおいて、「輸血によって、C型肝炎ウィルスに全員が感染した」と話している。
この方自身も、C型肝炎ウイルスを持っていて、癌にも罹患したそうだ。
最初の子供は死産で奇形児だとも言っている。


●死因はなんだ?


大量の放射線を一度に浴びた場合(7000ミリシーベルト以上)、ほぼ全員が数時間から数日の間に亡くなると言われている。

それ以下は治療によって生存が可能とされる範囲で、症状の主因は造血障害である。
具体的には、白血球減少、出血、紫斑、感染など。
治療は、骨髄移植、輸血、抗生物質など。
出血や感染は死へと繋がる。

急性放射線症期の免疫機能不全の状態でC型肝炎ウィルスに感染してしまったのだ。
リスクを重ねたことは間違いないだろう。

放射線の影響か輸血による肝炎かは今以てはっきりしない。
どちらも否定は出来ない。
複合的な要素がありそうだ。
後年発症した人はその後の生活状況なども考慮する必要があるので、直接何が原因となったのかは何とも言えなくなる。


ともかく第五福竜丸の被曝が原水爆実験反対運動を急速に拡大させ、これは日本の反核運動の始まりとなった。
また戦後最大の反米運動でもあった。その後、安保闘争へと続く。

福島第一原発事故以降続く脱原発運動。
脱原発を支持するマスコミや識者からは「これだけの国民が自発的に抗議行動しているのは安保闘争以来だ」とその盛り上がりを強調する声が聞かれるそうだ。



by yumimi61 | 2012-10-22 17:16