人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

機宜*62(聖路加国際病院と地下鉄サリン事件と日野原重明)

e0126350_0375446.jpg




聖路加国際病院と地下鉄サリン事件と日野原重明

3月20日は地下鉄サリン事件の発生した日だった。
(当日私は妊婦健診で病院にいたため、最初に事件を知ったのは病院のテレビだった)
e0126350_1772936.jpg

あれから18年が経った。
長男が生まれた年に発生した事件なので彼も同じに年を重ねている。彼は来月18歳になる。


地下鉄サリン事件の被害者の多くを受け入れて一躍有名になったのが聖路加国際病院である。
しかし物語はそれより前に始まっていた。

1992年に聖路加の新病院、1994年には聖路加ガーデンが完成した。
新病院の建設に深く関わったのが、当時、聖路加国際病院の理事であった日野原重明氏。(建設経緯などはこちらをどうぞ
当時の東京都知事とも同窓で懇意にしていたようだ。
そして新病院の院長に就任したのは他でもない日野原氏であった。

病院は、大規模災害などで患者が多数発生した際に、チャペル、ロビーやホール、廊下などでも救急医療処置が出来るような設計となっていた。(院内にチャペルを作った)
これを提案したのも日野原氏で、これが地下鉄サリン事件の時に大活躍したというわけである。
日野原氏はサリン事件の翌年1996年に院長を退任し、理事長に就任した。
まるでサリン事件のために現場にいたようである。これも神の思し召しだろうか。


私が日野原重明という医師を知ったのは大学生の時だった。
終末期医療に関しての講演会か何かで知ったと思うのだが、はっきりとは覚えていない。(ただ私の中では終末期のイメージが非常に強い)
当時、日野原氏は自治医科大学の教授と名乗っていた。(客員だったということは後で知った)
聖路加病院の理事も兼務していようだがそんなことは当時は知る由もなかった。
日野原氏が2001年に出版しベストセラーになった著書『生きかた上手』も読んでみたのだが、悪いことは書いていなかった。
「亀の甲より年の功」という言葉もあるように、長生きしている医師の言う事はそれだけで説得力がある。
一番印象的だったのは昼食はクッキーをつまむ程度と書いていたことだった。
健康に良いのは「バランスの取れた食事」ではなく「食べないこと」なのだと、私はその時に悟った。(しかし実践できていない)




医療は英雄であるべからず

当日の聖路加国際病院の様子はこちらを参照

この病院の対応は、ペンタゴンをはじめ諸外国からも絶賛されたそうだ。(こちらがそのソース:PDF


しかし私の見解は逆である。
外来も予定されていた手術も全て停止したことが英雄視されるようでは困る。
大震災で東京中が壊滅状態になったわけではない。原因すら分かっていなかったはずだ。
日常業務を機能させながら対応したならともかく、それらの機能を停止し対処したことが他と比べて格段に優れたことだとは思わない。
災害時の寄附などにも言えることだが、こういう視点は日常をおざなりにしやすい。
極端な話、災害が発生すればいい、事件が起きればいい、ということになる。
そうでなくても、はっきり言って聖路加国際病院はかなり胡散臭い病院である。

キリスト教には英雄が付き物と言ってしまえばそれまでだが。
日野原氏と同じ匂いがするのが、今は亡き心理学者の河合隼雄氏である。

地下鉄サリン事件、よど号事件と国立がんセンター、厚生労働省を繋ぐもの




人は流されやすい。そうでなければ広告は機能しない。

こんなふうには考えられないだろうか。
外来患者や手術予定だった患者の診療を休んでもいいと判断したということは、日野原氏及び聖路加国際病院は普段来ている患者は大したことはないと日頃から思っている証拠である。
それを知っているからこそドタキャンできたわけである。
ということは、6,300人いると言われいてる地下鉄サリン事件の被害者の多くもまた、大したことはない人達だったのではないだろうか。
6,300人の被害者のわりに死者(13人)が少なかったのではなくて、サリン(若しくはそれに類似する何か)の直接的被害者は元々少なかったと推測できる。
あんな騒ぎになれば乗り合わせた人や駅にいた人は誰だって不安に思うはずだから、病院を受診する人は増えるだろう。


一般に死者が少なかったのは、松本サリン事件で患者を診察した信州大学附属病院の医師の機転によるものだと言われている。
事件報道のテレビをたまたま見ていて、伝えられる患者の様子からサリンではないかと思い、聖路加国際病院に電話したそうである。
平日の午前中にテレビを観られた環境にいたということは非番だったのだろうか。
それとも待合室のテレビに見入ってしまったのか。


こちらはオウム真理教の土谷正実公判の傍聴記である。
「土谷の推理」というタイトルのところにこう書かれている。

「松本の現場で症状が出た人はいなかった」
前から気になっていたが、改めて確認したのが、サリンを撒きに行ったオウムの人たちが、誰ひとり縮瞳すらもおこさなかった事実である。
(略)
このことは、オウムが撒いたサリンなるものに毒性があったのか、という疑念に突き当たる。でも松本で人が死んだのは事実である。これをどう解くべきか。思い出したのが、松本市地域包括医療協議会『松本市有毒ガス中毒調査報告書』にあった。
(略)
調査にあたった信州大医学部講師は読売新聞に「8時台の5人は散在しており、記憶違いの可能性があるが、9時台は、発生現場と同じ番地に4人がまとまっている。症状も共通しており、9時台にサリンが発生したのではないか」(1995年6月25日朝刊31面)と述べている。
これがほんとうだとすると、サリンが撒かれたのは9時台ということになる。ただこの意見は、法廷で認知されているわけではない。信州大の先生を法廷に呼んで、はっきりした証言を聞きたいものである。




以前この記事でも疑問視する声もあると書いてリンクを貼ったのだが、現在は見られなくなっている。
幾らなんでもサリンの解毒剤PAMの準備がよすぎるだろうというような話だったはず。

それから防毒マスクについても事前に幾つか不審な動きがあったと言われている。




by yumimi61 | 2013-03-22 17:03 | 地下鉄サリン事件