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やがてそこに。


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機宜*70(松本サリン事件の概要と、事件周辺者のその後)

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---『サリンが来た街』より(詳細は後述)---





松本サリン事件を振り返る

以前こちらに最初の計画からして無謀すぎると書いたことがあるが、今日は実際に起こった事件について振り返ってみる。


事件の発覚

=1994年6月27日=

22時40分 サリンの噴霧開始
   50分 噴霧を終了し立ち去る。


23時6分 河野宅より救急車要請の119番通報―これが第一通報

23時14分 救急車が河野宅に到着する。

(救急車のサイレンを聞ききつけ、屋外に出て事態を見届けた近隣住民も多数いた)

23時25分 河野宅を出発し協立病院へ向かう。

23時30分 消防が警察、水道局、ガス会社に調査を依頼。

23時48分 開智ハイツより119番通報(体調がおかしいのでガスかどうか調べてほしいと要請)―これが第二通報
この通報者はハイツの1階の住人。河野宅の救急車騒ぎの時に外に見物に出ている。

23時53分 ガス漏れを調べるための消防隊が到着。


=1994年6月28日=

0時 消防が依頼したガス会社が到着。河野宅のガス漏れがないことを確認した。
   消防は広域中毒も視野に入れて水道局にも調査を依頼したが、そちらも異常がないことが確認された。

0時5分  松本レックスハイツから救急車要請の119番通報ーこれが第三通報
     この通報者はハイツ3階に住む住人と一緒にいた友人。「友人が吐いて痙攣して死にそう」

     松本レックスハイツの南隣の家の住人から救急車要請の119番通報ー上記と同時で第三通報
    「胸が苦しくて何度も吐いている」と一人暮らしの本人より通報。
     消防は複数の救急隊に救助を依頼。

0時10分 この頃には体調の悪い人が外にぞろぞろと出始めていた。
     また駆け付けた警察が外に出るように広報した。

0時13分 第二通報で出動した消防隊と救急隊が開智ハイツ住人の救助活動を開始する。

0時14分 第三通報で出動した救急隊が松本レックスハイツに到着。

0時48分 レスキュー隊及び他の消防署の救急隊にも出動要請。

0時57分 レスキュー隊到着。

(自力で外に出た人や破綻されていない部屋の住人の救助作業が行われた。また開智ハイツはマスターキーを使った。)

1時40分 松本レックスハイツのドアの破壊作業開始。
     ドアが破綻されたまま応答のない部屋の確認と救出、搬送が行われた。 

※上記青字は公判で語られた時間



通報までの時間と野次馬

噴霧開始(22:40)から第一通報(23:06)までの時間は26分。
第一通報(23:06)から第二通報(23:48)までの時間は42分。
第二通報(23:48)から第三通報(0:05)までの時間は17分。第一通報からはおよそ1時間。
噴霧開始(22:40)から第三通報(0:05)までの時間は1時間25分。

この時間から考えれば噴霧されたサリンに即効性はなかったと思われる。

また最初の通報で屋外に出た野次馬がいたのである。(これは珍しいことではなく、救急車出動現場などにはよくある光景である。)
河野宅近辺を取り巻いたと思われる。
ということは、サリンを噴霧現場近くを通過したり、しばらく立っていた人がいたということである。
しかしその時すぐに異常を訴えるものはいなかったということでもある。

通報があった場所は離れてはいない。



松本サリン事件の死亡者

2つのサリン事件の24時間以内に亡くなった人の数を比較すると、屋外で噴霧された松本サリン事件のほうが多いのである。
・松本サリン事件―7名
・地下鉄サリン事件―6名

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【開智ハイツ】
★29歳女性 4階住人 信州大学医学部6年生
★19歳男性 3階住人 信州大学経済学部2年生
★26歳男性 2階住人 日本ベーリンガーインゲルハイム(外資系製薬会社)勤務 

【松本レックスハイツ】
★35歳女性 3階住人 無職
★53歳男性 3階住人 エクセルカイジョー(半導体・超音波製品事業)取締役
・23歳男性 2階住人 富士電機(重電機メーカー)松本工場(半導体デバイス製造)勤務

【明治生命寮】 (当時、松本裁判所宿舎の西隣りにあった。現在はない)
★45歳男性 3階住人 明治生命松本支社営業次長

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★印はマンション内で死亡が確認された人。
はっきりとした死亡時間は不明である。
救急隊が到着した0時15分を死亡時間としている。

搬送後に亡くなったのは1名。
発見時にはすでに意識不明だったが心肺停止には至っておらず救命措置が取られたが4時20分に死亡。

通報者及びその友人はいずれも死に至ることはなかった。
死亡した7人の次に被害が大きかったのは、第一通報者の奥さんだった。
器質的な後遺障害を残し、重度障害者に認定された。(事件14年後に亡くなった)
それ以外の人に器質的な後遺障害を残したものはいなかった。(事件当時、意識を失ったり朦朧としていた人も無事だった)
入院した人もみな年内中(1994年)に日常生活に戻った。
第一通報者の奥さんの次に重症だったのは第一通報者(河野氏)だったという。
しかし死亡者7名と重度障害者となった奥さんと、その次の重症者である河野氏には、その程度に大きな差がある。



「サンタが街にやってくる」ならぬ『サリンが来た街』

『サリンが来た街』という書籍は1994年12月に出版された。あとがきは11月に記している。
地下鉄サリン事件が起こる以前のことであり、一般的にはまだ松本サリン事件がオウム真理教の仕業だと思っていなかった時期である。
この本の中にもオウム真理教という言葉は全く出てこない。
著者の磯貝陽悟氏はフリーのジャーナリストで、事件当時にテレビ朝日「ザ・ニュースキャスター」の取材班の1人として取材にあたっていた。
被害にあったハイツ住民はもとより周辺地域住民や救急隊及びレスキュー隊、第一通報者の河野氏などから話を聞いていて、事件を検証している。(番組でも放送されたようだ)
取材班は同年9月末に解散したそうだ。いわばそれまでの取材の記録とも言える。

死亡者や河野氏以外の被害者などの氏名や背景には触れていないが、消防隊が発見した時の様子は詳しく書かれている。
本ではイニシャルで説明しているのだが、事件当時に報道された氏名と照らし合わせると誰がどこでどんな様子で亡くなっていたのかが分かってしまう。

やはり河野氏の第一通報から第二通報までに時間があることを疑問視している。(空白の40分と表している)
サリン発生場所は複数だったのではないか、有機溶媒を使ったのではという仮説を立てている。


あとがきの終わりのほうにはこんな風に書かれていた。

事件はまだ終わっちゃいない。
そして11月。この本の原稿書き上げと同時に、召集がかかった。
毒ガスサリン事件の謎を再度追いかけるためだ。

そう、事件はまだ終わってはいないのだ。

この本を出すにあたって、
 (以下あとがきによく見られる関係者への謝礼が綴られているので省略)


そして翌年3月20日、地下鉄サリン事件が発生して、オウム真理教一色に染まったわけである。


磯貝氏はその後、サリン事件で被害にあった人々をケアするNPO法人「リカバリー・サポート・センター(R・S・C)」を立ち上げた。
そこの理事に就任している。
顧問は第一通報者の河野氏である。
事件で名の知れた聖路加国際病院の救急救命センター長や元TBSアナウンサーで後に管内閣で内閣官房内閣広報官室内閣審議官に就任した下村健一氏も理事に名を連ねている。
下村氏もまた河野氏を継続取材し冤罪をスクープした。
しかし坂本弁護士を取材したビデオを放送前にオウム真理教に見せたのが下村氏であり、これが弁護士一家殺人事件に繋がったとも言われている。


このNPO法人が何をやっているかというと検診だという。
以下ホームページより抜粋。

長野県松本市で約600名、東京の地下鉄サリン事件では約6000名の方々が被害を受けました。しかもこれらの被害者の方々の多くが事件から数年経過してもPTSD・頭痛・手足のしびれ・視力低下などの後遺症で苦しんでいました。
後遺症をケアーし、治療の支援をしていくために、私たちが行ったのがサリンの被害に遭われた方々への検診(毎年1回)でした。


被害者のケアと言えば聞こえはよいが、後遺症なのか、加齢が原因なのか、何か別のストレスなのか、判断が難しい症状を掲げており、検診が有効なのか疑問なところだ。
第一、被害者はそんなにいない。




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by yumimi61 | 2013-04-02 19:07 | 松本サリン事件