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護国寺





1992年4月30日、雨の護国寺。

尾崎豊の追悼式が行われた。

年月が経ってから尾崎さんの父親が「当時のことはほとんど覚えておらず、ただ若葉の季節だったことのみを印象に残している」というようなことを言っていたけれど、私も同じ。
当時の事は報道を含めて全くといって記憶にない。
彼が亡くなったことをいつどうやって知ったのかさえも覚えていないのだ。



東京都文京区にある音羽護国寺(通称)は、江戸幕府5代将軍である徳川綱吉の生母(桂昌院)の願いにより創建された寺。
創建は1681年。真言宗豊山派。
本尊の如意輪観音は桂昌院の持仏。
後に将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。

明治以降は徳川家との関係が絶たれ、多くの著名人が眠る寺院となっている。
また明治天皇の皇子の死去を機に 護国寺境内の東半分が皇族墓地となっている。


綱吉の誕生日は1646年2月23日。(皇太子様の誕生日。夫も同じ誕生日)
綱吉は将軍になる前(1661~1680)、上野国(群馬県)の館林藩主だった。(皇后陛下のご実家である正田家のルーツは館林にあり。私も住んだことがある)


綱吉の母である桂昌院が帰依し絶大な信頼を置いていたのが、真言宗の僧である亮賢だった。
亮賢は上野国(群馬県)出身で、上野国の得成寺で出家。
大和国(奈良県)の長谷寺で密教を修学した。


綱吉が館林藩主になると桂昌院は亮賢を招き、高崎にある大聖護国寺の住職(碓氷八幡宮の別当職)に任命した。
大聖護国寺は1215年建立。
大聖護国寺は当時、碓氷八幡宮(現在の上野国一社八幡宮)の別当寺だった。
別当寺というのは神社を管理するために置かれた寺のこと。
現在も大聖護国寺と上野国一社八幡宮は隣接した場所にある。
私のブログのここここの写真が、上野国一社八幡宮である。
「八幡」には「はちまん」と「やわた」という読み方があるという話は、高崎市周辺地図とともにこちらに書いた。


綱吉が将軍となると今度は幕府が所有していた高田御薬園の地を亮賢に与えて寺を開かせた。
これが東京都文京区にある音羽護国寺なのである。
正式名称は「神齢山 悉地院 大聖護国寺」。
今では東京都の護国寺のほうが比べ物にならないくらい有名だが、実は群馬県にある「大聖護国寺」の名を継いでいるのである。

by yumimi61 | 2013-04-30 22:15