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機宜*107

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ロシア正教会の救世主ハリストス大聖堂でゲリラ演奏した「Pussy Riot」。
道を普通に歩いていても職務質問されそうな感じに見えるけれど。
小さな子は泣きだすかもね。
知らなきゃ大人でもとりあえず避けるよね?
しかしいったいマイクやら楽器やら誰が準備したんだろう。(画像映像合ってる?)

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共愛学園の歴史と思想(後編、こちらの続き)


③深沢利重

深沢利重は、深沢雄象の娘婿である。

1859年、横浜港**の開港とともに生糸貿易が始まった。
深沢雄象は生糸輸出に関わり、1870年には日本初の藩営製糸所を前橋に創設した。
ここは日本において初めて洋式機械(イタリア製)を導入した製糸工場でもあった。

1875年には前橋にて正教会*の伝道が始まった。
1878年には前橋ハリストス正教会が設立された。
日本に正教を伝道したのは、新島襄が函館で出会い、語学や文化を教え合ったロシアのニコライ司祭である。
ニコライが来日(函館)したのは1861年。
新島が函館に行ったのは1864年で、アメリカから帰国し群馬で伝道したのは1874年。
群馬ではプロテスタントと正教の伝道がほぼ同じ頃に始まったのである。

深沢雄象はニコライ司祭から洗礼を受け、自身も布教活動を行った。
そのため製糸工場の労働者に正教が広まったらしい。


*正教会には椅子がない
正教会のホームページを読んでいたら、正教会の聖堂には椅子が置かれておらず、祈祷は立って行うと書いてあった。
私が夢で見た「机も椅子もない教室のような場所」って、ひょっとすると正教会の聖堂?



**横浜と沼田と製糸業とキリスト教、そして星野一族
1868年、群馬県利根郡利南村(現:群馬県沼田市)に住んでいた星野宗七が横浜に出て生糸貿易を営む「星野屋」を開業した。
星野家は代々続く豪農だった。
2年後に妻(星野るい)や次男(星野光多)を横浜に呼び寄せる。
しかし1884年に「星野屋」が倒産し、沼田に帰郷。
この時に生まれたのが星野あいで、後に津田塾大学の初代学長となる。

星野宗七=星野るい

(長男)星野銀治は沼田貯蓄銀行の創設者で県会議員だった。
銀治の息子の一人である星野鉄男は、東京帝国大医科大学を卒業し、衛生学教室に入る。
内村鑑三に師事し、「衛生文化思想普及会」を発足。
金沢大学医学部(現)の初代衛生学教授。
社会衛生学の知見とキリスト教信仰とが統合された独自の社会衛生観を打ち立てた
同じく銀治の息子である星野宏は群馬県のボーイスカウトの父である。

(次男)星野光多
星野光多の長男が満州国で実権を握り、戦後A級戦犯となった星野直樹
次男はトンネル建設の第一人者である星野茂樹。
三男の星野芳樹は参議院議員(一期)。帰郷後に妻が県立沼田女子高校の教諭となる。芳樹自身も利根沼田の水泳指導に尽力した。その後、静岡新聞主幹となった。後年にはケニアにて「日本アフリカ文化交流協会」を設立した。
長女の花子は日系二世の山極越海(ミシガン大学教授)に嫁いだ。


安倍首相が経済政策(アベノミクス)の基本方針を「3本の矢」と表現したが、「3本の矢」もオリジナルではない。
毛利元就が3人の子に書いた文書が「三本の矢の教え」(三子教訓状)と言われているのである。
「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」という教えである。
映画『ストレイト・ストーリー』の木の棒の話もこれに似ている。

興味のある方はこちらもどうぞ。長い文章だが2章で星野兄弟が登場してくる。
それによれば「三本の矢の教え=兄弟が結束して事に当たれ」が、日本製原爆完成にも生かされたという。
3兄弟とは、群馬県沼田市の星野3兄弟であるというのだ。
3兄弟の父である星野光多はフェリス和英女学校の教頭を8年間務めており、その時に講師の長谷川みねと結婚した。(私は夢で「フェリス女学院」という言葉を聞いたことがある)
みねの父親はイギリス国籍でお茶の貿易商だったそうである。



Pussy Riot(プッシー・ライオット)事件

Pussy Riot(プッシー・ライオット)とはロシアのフェミニスト・パンクバンド。
昨年3月、ロシア正教会の大聖堂(救世主ハリストス大聖堂)で、無許可でプーチン大統領を批判する歌を演奏し、フーリガン行為の罪に問われた。
裁判にて3人のメンバーが禁錮2年の実刑判決を言い渡された。
実際その場には5人いたらしいが、2人は逃亡したらしい。

これに対して欧米では一斉に批判の声が上がった。(プーチン政権側に)
多くの有名人やメディアがこぞってプッシー・ライオットを支持し、プーチン政権を非難したのである。
支持を表明した有名ミュージシャンらはWikipediaに掲載されている。
オノ・ヨーコやコートニー・ラブの名前も確認できる。
オノ・ヨーコはその年の秋に「レノン‐オノ平和賞」(そんな賞があったんだね)をプッシー・ライオットに授与したしたという。(どこが平和なのか理解に苦しむけど)
転んでもただでは起きなくて、ドキュメンタリー映画も作った。
その映画は今年1月18日にサンダンス国際映画祭に出品され初公開。
そしてその放映権はアメリカの会社がお買い上げ
しかし日本では今のところ、このバンドも、この事件も、あまり知られていない。



by yumimi61 | 2013-05-23 20:21