人気ブログランキング |

by and by yumimi61.exblog.jp

カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

移送*1

e0126350_1441199.jpg






父の入院と退院

6月3日(月曜日)の朝に肺炎のため救急車で入院した父は、6月11日(火曜日)に退院した。
「発熱が続いており、肺も真っ白になっている。肺気腫の持病を持つことから、簡単にはよくならない。覚悟もしておいてください」
これが入院した日の医師の説明だったそうだ。
熱が下がり順調に回復すれば2週間の入院とのことだったらしいが、入院翌日の夕方には熱が下がり、2週間待たずして退院した。
熱が下がったといっても呼吸が苦しそうなことは変わりない。
元々父は在宅酸素療法(HOT)をしていたくらいなので、家族としてはあまり無理をしてほしくない。
しかし父は家に一人でいる母が心配で早期退院を希望したらしく、8日目で退院したのだった。


私は入院翌日の4日(火曜日)に病院と実家に行ったのだが、前に書いた通り、夕方体調に異変があった。
本当は毎日通おうと思っていたのだけれど、そんなこともあったので大事をとってその週は遠慮した。
5日(水曜日)と6日(木曜日)、8日(土曜日)には叔父が、8日(土曜日)と9日(日曜日)には妹が行ってくれた。

現在実家には家事援助のヘルパーさんが週6日(1日あたり1時間)ほど入ってくれており、料理や掃除などをしてくれる。
介護保険によるものだが、介護保険サービスを利用するには「要介護・要支援認定」を受けなければならない。
調査や審査の後、必要な介護の度合いに応じて、「要支援1~2、要介護1~5、非該当」の8つの区分に分けられる。
父も母もこれを申請しており、2人とも要支援の認定をうけている。
ヘルパーさんは父の介護保険分で3日、母の介護保険分で3日入っており、合わせて週6日となる。
時間は1日1時間ほどだが家族としては非常に助かっている。

家族が誰も行けなかった金曜日には、ヘルパーさんが母を面会のために病院へ連れて行ってくれたそうだ。
病院への送迎は別料金となる。送迎は有資格者が担当している。


私は週が明けた10日(月曜日)と退院日の11日(火曜日)に病院と実家へ行った。
やや不安だった私の体調も大丈夫だった。



母の通院

母は2008年12月14日にクモ膜下出血で倒れ緊急入院した。
私が流れ星を見た日だった。
水頭症なども併発し、入院は2009年春まで及んだ。


母は私が高校生だった時にも倒れたことがある。
母はまだ40歳前だった。
当時、実家近くではまだMRIを持つ病院は少なかったようで、MRIのある病院へ病院間搬送された。
軽い脳梗塞だと診断された。
何の後遺症も残さず回復したが、母自身によれば、これ以降は字が上手に書けなくなってしまったそうである。
母はとても字が上手な人だったから、病気後だって私から見れば十分すぎるほどだったけれど。


幸いにも、クモ膜下出血や水頭症からも回復した。
手足に十分な力が入らなかったり、軽く震えがあったり、足元が覚束ない感じはあるが、身体介護が必要なほどの障害は残さなかった。
呂律が回らなくなるというような障害もなかった。
しかし車を運転することはこれ以降出来なくなった。
当初は完全に諦めていたわけではなかったようだが、病はこれだけでは済まなかった。
幾つかの事が進行していた。
そして2011年はとても大変な1年であった。(そのことは別記する)


母は車の運転をすることが不可能になったので、買い物や通院、所用など、すべて父が運転をしていた。
父が不在になるということは、それらが全く出来なくなるということなのだ。
公共の交通機関が発達している都会と違い、地方で車を使わずに生活することは、健康であっても厳しい。
高齢者や障害者がそれらの術を失った時には非常に困りものである。


母は6月17日(月曜日)と6月20日(木曜日)に病院受診する予約が入っていた。
17日は月に1度の受診日で、20日は半年に1度の介護保険認定更新のための調査及び診察であった。
母はクマ膜下出血後の水頭症の治療でシャント手術をし、シャントシステムを利用している。
シリコン製の細い管が脳室から腹腔にかけて入っているのだが、1ヶ月ほど前から管の入っている位置に痛みがあったそうだ。
それを5月の定期受診の時に訴えたため、6月の受診日にはCTとX線の検査を追加することになっていた。
通常の受診よりも手間も時間もかかる。
父は退院するにはしたが、病院に付き添っていくほどの体調ではない。
それで私が17日も20日も母を病院へ連れて行くことになった。



6月17日

この日、次男は、関東高等学校陸上競技大会(兼インターハイ北関東地区予選)のため埼玉県熊谷市の陸上競技場に行くことになっていた。
いわゆるインターハイの関東大会である。
といっても次男が出場したわけではない。3年の先輩が出場したそうである。
陸上部員は、学校は公欠だった。

この大会に長男の友達も出席していた。
高校は違うが、同じ中学校だった。
中学時代から仲良くしていて、今でも休日にはよく一緒に遊んでいる友達である。
テーラー先生と一緒のこの写真にも写っている。
種目は110mハードル。県内高校生ではトップ。
17日の関東大会では3位で全国大会出場を決めたそうだ。その日の走り

閑話休題。

6月17日朝も私は次男を駅まで送って行った。
その日は6時15分に駅集合ということだったので、自宅を5時40分くらいに出た。その前にお弁当を作った。
「今日お母さんはおばあちゃんを病院を連れて行く日だから、あまり早い時間だと迎えに来られないけど帰りは何時くらいの予定?」と次男に尋ねた。
彼は「よく分かんないけどいつもと同じくらいだと思う。19時半くらい」と答えた。

病院の予約は13時30分だった。
検査・診察・会計・薬、すべて終えて母とともに実家に戻ったのは16時半頃だった。
次男の迎えの心配があったので、私は16時40分くらいには実家を出発した。


次男から「むかえこれない?」とメールが入ったのは、それから5分後くらいのことだった。
朝に言っていた時間とだいぶ違う。
実家から自宅までは2時間近くかかるので、迎えに行けるのは2時間後になる。
しかもメールはこんな感じ。本気で帰る気があるのかないのか。
e0126350_1434298.jpg

e0126350_14351697.jpg

e0126350_14344312.jpg

お友達の家の車に乗せてもらうということだったので、私はスーパーで買い物をしてから帰宅した。



*トップの写真は、2012年のお正月に母がくれた年賀状です。
 字を書くことも以前にも増して難しいことになってしまったそう。






by yumimi61 | 2013-06-22 10:32