2013年 08月 13日
![]() ソニーオーディション 初恋といえば、れいちゃんか村下孝蔵、といった時代だった。 先日書いたこの一文より、今日は村下孝蔵さんについて。(れいちゃんというのは『北の国から』の登場人物です) 村下孝蔵さんは熊本県水俣市出身。高校卒業後に広島へ。 1979年に実施された第1回CBSソニーSDオーディションに合格。 同期合格者には「水割りをください~♪」の堀江淳さんや、「熱く燃える~♪」の五十嵐浩晃さん、「愛がすべてさ~♪」のHOUND DOGなどがいる。 こちらがソニーオーディション出身アーティスト一覧。(年号はオーディション開催年ではなくデビュー年) 北海道出身の五十嵐浩晃さんの奥さんは、同じく北海道出身の丸谷佳織さんである。 結婚後に衆議院議員となり(公明党) 、森内閣と小泉内閣で外務大臣政務官に就任した。 外務大臣政務官は、女性活用が少ないと言われている日本において、わりとよく女性が就任しているポストである。 丸谷佳織さんは、2007年12月に42歳で妊娠していることが分かった。(予定日2008年7月) それと前後して今季限りで政界を引退することを発表した。(妊娠を公にしたのは安定期に入ってからだった) 2009年7月の衆議院解散にともない引退した。 安倍総理は簡単に女性活用というが、妊娠出産や育児との両立は女性国会議員にとってもなかなか難しいものがあるようだ。 レコード会社と所属事務所の人間関係 村下さんのWikipediaを見ると、「プロデューサーとして村下の全作品を手がけた須藤晃によると」という一文がある。 須藤晃とは、CBSソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメントだがアメリカ法人とは別経営)社員で尾崎豊のディレクターだった人物だ。 尾崎豊亡き後、すっかり「プロデューサー」になってしまったようだが、須藤氏は当時はディレクターだったはず。(違いはこちらの記事 村下さんは事務所もCBSソニーレコード傘下のエイプリルミュージック(現:ソニー・ミュージックアーティスツ)に所属していた。 ソニー・ミュージックアーティスツについては前もこちらに書いたが、最近は所属芸能人が顧問をしている。(代表取締役代表者は別にいる)(アメリカのソニー・ミュージックエンタテインメントとは別経営) 交代していないのかなぁと思ってWikipediaを見てみたら、2012年5月1日付で異動があったようだ。 顧問だった奥田民夫さんが名誉顧問に昇進し、後任には真心ブラザーズのYO-KING(倉持陽一さん)が任命された。 それでこの新旧顧問が手を組み、「地球三兄弟」なるバンド(メンバー:奥田民生・真心ブラザーズのYO-KING・桜井秀俊)を結成し、2012年9月より活動しているそうだ。 もはや私物化か。 真心ブラザーズというのは、『拝啓、ジョン=レノン』で「あのダサいおじさん」やら「バカな平和主義者」だと歌い、一部において物議を醸したバンド。 なかなか村下さんに辿りつかないなぁ。 さて。 村下さんのマネージャーだったのが嶋田富士彦さんというお方。(せっかくなので画像付きをどうぞ) 嶋田さんはユーミンこと松任谷由実さんが荒井由実だった時代、つまりユーミンデビュー当時、彼女のマネージャーも務めていた。 さらに、村下孝蔵さんは浜田省吾さんと同い年。レコード会社はともにCBSソニーレコード。 しかも浜田さんは広島県出身。(SMA名誉顧問の奥田さんも広島県出身) 村下さんは出身は熊本県だけれど広島県に移り住んでいたから、浜田さんとは広島県繋がりという縁もあった。 浜田さんのデビューは1975年なので、デビューは数年早い。 浜田さんは今でこそ名が知られているが、当時はそれほどでもなかった。 一般的に名が知られ始めたのは浜田さんと村下さんはほぼ同時期である。 狭い音楽業界にいて、ふたりが意識しないわけがない。 浜田省吾さんのデビュー時の所属事務所はホリプロ。 1983年4月に独立して「ロード&スカイ」という事務所を設立した。 1990年、尾崎豊さんはこの事務所に所属した。 1990年末には尾崎さんも個人事務所を設立し独立したので、所属していた期間は僅かである。 同じ1990年にこの事務所と契約したのがスピッツ。 三浦和良選手や斉藤和義さんもこの事務所だそうで、こちらにも少々書いた。 しかし浜田省吾さん以外で最初にこの事務所に所属した有名人は尾崎豊さんだったのである。 彼は新人ではなく、すでに名は売れていた。 現在においても、スピッツや奥田民夫さん(ユニコーン)、真心ブラザーズ、桜井和寿さん(Mr.Children)など、みんな仲良しなんだろう。 ちょっと寄り道、写真家 写真家の長濱治さんは、荒井由実さん村下孝蔵さんのマネージャーをしていた嶋田富士彦さんの親戚だったか友人だったか、ともかく知り合いだそうだ。 長さんも多摩美術大学出身で、荒井由実(ユーミン・松任谷由実)さんも多摩美術大学出身。 尾崎豊さんを撮っていた写真家(最初はCBSソニー社員だった)田島照久さんも多摩美術大学出身。 井上雄彦さんの漫画『バガボンド』の装丁も田島さん。 その井上雄彦さんは、震災復興支援でソフトバンク×BUMP OF CHICKENともタッグを組んだ。 村上春樹ご用達(?)の大橋歩さんや和田誠さんもそう多摩美出身。 BUMP OF CHICKENとは10年以上の付き合いとなる親交の深い写真家・蜷川実花さんも多摩美。 でもまあ出身者はいっぱいいるけどね。 ジブリの高畑監督やオウム真理教と記念写真を撮った中沢新一さん、YMOの細野さんなどは現役教職員だって。 『十四番目の月』というアルバムと同名の荒井由実エッセイ&写真集は、長さんが写真を担当している。 宇崎竜童さんも1981年に 『や・ぶ・に・ら・み―Life & Live 宇崎竜童・長濱治ジョイント写真展』を出版。 イタリア料理店「キャンティ」を1960年にオープンさせた初代オーナーの川添氏は、カメラマンのロバート・キャパと親しかったそうで、キャンティから始まるカメラマンルートがあり、今なお脈々と流れていると思われる。 ユーミンもキャンティの常連だったそう。(キャンティについては何度か書いたが、代表で財閥一族) なんていうか、もう包囲網みたいなもんよね? ジャーナリストと写真家と猫 以前、作家の坂東眞砂子さんが日常的に子猫を殺していることについて書いたことがあるけれども、これも凄く嫌な気持ちにさせられた。 写真家の加納典明さんがオフィシャルサイトに掲載している「典明による典明記」に書かれていた出来事。 いろいろな人物が登場し、蜷川実花さんのお父さんの蜷川幸雄さんや評論家・田原総一朗さんの名前もあった。 下記青字はその一部を転載したもの。 --------------------------------------------------------------------------------------------------- 1つ忘れられないのがある。 田原さんが如何しても死んだ猫の顔のアップが欲しいと云う事でスタッフが何処かで大人になり切っていない猫を探して来た。 当然、助監督か誰かスタッフが其の生きている猫を殺さなくてはならない。午後の穏やかな日本海は音もなく時を刻んでいる。30分が過ぎ1時間が過ぎようとしている。誰も口を聞こうとしない。誰だって生きている若い猫を殺したくないのは当たり前だ。 かせっ! そう言って、私は猫の首っ玉を持つと海に入って行った。猫は丁度私の右膝上横辺りに体を頻りに捻りながら否否と動いている。 猫を持った右腕を伸ばしたまま海中の猫の動きが止むのを、遠くの海とも空とも付かず見ながら腰辺り迄海水に浸かっている。何も考えるな何も思うなと自分に言い聞かせていた。 死に行く小さな命は時に激しく時に諦めるのか緩慢に動き、手と腕を通して伝わって来る言葉を、拒否したいのと確り聴いておこうと、気が交錯し体は動いていないのに、何かが訳の解らない回転している。 真っ直ぐ遠くを見てろ! と自分に言い聞かせる。 そうやって猫は死んで行った。 ギャっと目を見開いた猫のアップはちゃんと本編に入っていた。 --------------------------------------------------------------------------------------------------- 田原総一朗さんが映像に死んだ猫の顔を欲しがり、加納典明さんが子猫を殺したということだ。 田原さんは先日ここに登場した。 「この本を書くために私はジャーナリストになった」、そして『誰もが書かなかった日本の戦争』という本を書いた人だ。 上記出来事は田原さんのWikipediaの「映画監督として」に書いてある映画でのことだと思う。 「東京12チャンネルディレクター時代」に書いてあることも酷い。 写真家って何?映像作家って何?ジャーナリストって何? ちなみに田原さんはAKBファンらしい。 村下さんの肝炎 Wikipediaには村下さんが患っていたという肝炎について以下のような記述がある。 『初恋』発売の前後に村下は肝炎を患い、『初恋』がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった。 また、肝炎が原因で広島と東京の往復が出来なくなり、1984年末に生活の拠点を東京に移した。 同年秋から全国ツアーを開始したが翌1985年に再び体調が悪化し、入退院を繰り返した。 上記記述の出所はこの本のようだ。というか、ほとんどの記述がこの本を出典としている。 【著者情報】(「BOOK」データベースより) 落合昇平(オチアイショウヘイ) 1950年、山口県生まれ。1984年、新宿のライブハウス「ルイード」で尾崎のライブに出会い、ドキュメント「未成年のまんまで」を雑誌「GB」で連載。以降22歳までの彼を数多く取材 下記説明は尾崎関連サイトから拾ってきた。 【落合昇平】 EPIC・ソニー時代に、尾崎のデビュー当初、各地で行われたライブやコンサートに有給を使い同行取材。 他社のアーティストへの業界内部によるジャーナリズムへの参入というタブーの為のペンネームである。 同じ著者が尾崎豊についての著書も執筆している。 『尾崎豊ストーリー 未成年のまんまで』 上記説明に合った「GB」はギターブックの略。CBSソニー出版が出来た当時の主力商品だった。 村上孝蔵さんが肝炎を患っていたと聞けば、肝臓疾患で亡くなったのかと思うだろうが、そうではない。 1999年に高血圧性脳内出血にて46歳で急逝した。 その昔、肝炎は治ったと聞いた気がしたので、調べて見たらこんな記事を見つけた。 一部抜粋。(抜粋部分は日刊スポーツの訃報記事) 1984年(昭和59年)に肝炎を患い、2年余り闘病生活を送ったこともあるが、最近は病気になったこともなかったという。 村下さんが所属するソニー・ミュージックアーティスツの関係者は「毎日散歩が趣味で、酒もたばこもやらない。人一倍健康に気を使っていた方なのに、なぜ」と困惑している。 B型肝炎? 何型の肝炎だったのだろうと調べてみたら、B型肝炎だったようだ。 B型肝炎の主な感染経路は次の3つ。 ・母子感染 ・輸血・注射・針など ・全ての性行為 C型よりも感染力は非常に強い。 日本では昔は母子感染が多かったが、昨今はほとんどが性行為感染となっており、B型肝炎は「性行為感染症」として扱われている。 エイズなどと同じで海外では特に注意が必要。 辿る経過は以下の通り。 ・自然治癒 ・一過性の感染 ・HBVキャリア(持続感染) ・劇症肝炎 B型肝炎は感染力は強いが治る病気である。ほとんどの人は良くなる。 感染したことに気付かずに自然治癒する人も珍しくない。 慢性肝炎になるとC型と同じように肝硬変や肝癌に繋がることはあるが、急性肝炎であれば一般的に長くても数ヶ月で治癒する。 劇症肝炎になると予後は悪くなるが、発症率は1%程度である。 こちらのブログでは村下孝蔵さんとの思い出が書かれている。 村下さんはこのように言っていたそうだ。 「実は、B型肝炎で順天堂医科大学に入院していて、3名が完治したんだ。その1人が僕なんだと」 「そして、ガシンサンという薬があって、それを飲み続けていたら直ったんだ。 屋久島にその本社工場があってね。でも、屋久島では買う暇がなくて。種子島にもあると聞いているんだけど知ってる?」 そしてブログ著者は知り合いの薬局を紹介したということ。(種子島での出来事) 村下が言った「B型肝炎の完治」が何を示すのかよく分からない。 完治はないと言えばないし、あると言えばある。 B型肝炎ウイルスを完全に排除することを完治とするならば完治はないと言える。 最近では治癒後もごく僅かなB型肝炎ウイルスが肝臓内に潜伏し、抗がん剤治療などで免疫力が低下すると劇症肝炎を発症することがあることが分かっている。 (水平感染で感染に気付いていない人も多いので、この部分は注意が必要) こちらに書いた帯状疱疹(水痘)などと同じである。 急性肝炎が治った状態、持続感染していない状態を完治というならば完治はある。 村下さんの病態は少し不思議な感じがする。(種子島での会話は1985年頃らしい) しかも「ガシンサン」で治るとは・・・。 「ガシンサン」はおそらく「我神散」のことだと思う。 胃腸薬であって肝臓の薬ではない。 何か違う状態(病気)だったのを隠していたか、それとも誰かに騙されていたか。 「良い薬があるから飲みなさい」と薬を紹介されたのか。 ヤバいガシンサン? 村下孝蔵さんは最初の奥さんとは1985年に離婚したそうだ。 1985年といえば、肝炎を患っていたという時期と重なる。 離婚の原因は「親族とのトラブル」だったと元奥さんは語っている。 こちらは家族関係を公表したという2012年6月の記事。それまでは伏せられていたようだ。 こちらは元奥さん自身によって、プライベートな内容を何故今になって公表したかが説明されている。 元奥さんのブログにて。 「村下孝蔵STORY」 内容の数行の苦しみ 村下孝蔵 先妻の思い 村下孝蔵との真実の話 真実の話はかなり生々しいけれども肝炎の事には触れられておらず。 入院については少々触れられている。 「私達は、1984年8月中旬、彼の退院後すぐ、深大寺に引っ越しました。」 「退院後の体調は良く。健康な暮らしでした。」 元奥さんの話をまとめるなら、「『初恋』のヒットに伴い入ってきたお金を巡って揉め事がありました」ということになる。 それに沿って事態を推測すれば、肝炎はB型肝炎の急性症状だった。 どれくらい入院したかは不明だが入院して治り、その後の健康状態は良かった。 但し、お金や家族関係を巡って、家族はストレスを感じていた。 ストレスにより胃腸の調子が悪くなったので「ガシンサン」を愛用していた。 これならまあ、辻褄は合うわね。 ロシアにもいたことがあるようなので、参考までに2012年8月のページを貼っておきます。 長くなったので日付けを変えます。 それと「みんなの党」の投稿がダブっていたようなのですが、気付いていませんでした。 投稿時間が1分違いだったけれど、どういうことなのかしら。押したの?私が?? とりあえず同じ投稿なので削除しました。 ■
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by yumimi61
| 2013-08-13 16:05
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Canon EOS kiss Digital N EF-S 18-55/F3.5~5.6 II USM 上記のカメラレンズで撮影 (一部、コンデジや携帯カメラ) =contact= little.by.little@nifty.com =my another blog= いつかの空 記事ランキング
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