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器官28

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手紙にもファイル名

『幻の少年』(1999年発売・集英社)の本に掲載されている尾崎豊さんが須藤晃さんに宛てたという8通の手紙文面
実はこの手紙にもファイル名がある。
本には、[LETTER] FILE 001-46-01 というような形式で載せられている。

【8通の手紙のファイル名】

001-46-01
001-46-01
001-16-02
001-16-02
001-17-01
001-17-02
001-17-03
001-17-04

つまりこれは、須藤さんに宛てられた手紙ではない。
手紙形式な文も入っていたかもしれないが、少なくとも須藤さんに宛てたものではない。
個々の文の意味が分からないとしても、基本的な読解力を持つ人が文章を読めば、その大意からそれが須藤さんに宛てられた手紙ではないことくらいは分かるはず。
それを裏付けるのがファイル名なのである。



同じファイル名を持つ話

手紙の最初の2通は、[LETTER] FILE 001-46-01として本に掲載されている。
制作中小説の中にも同じファイル名がある。[STORY5] FILE 001-46-01として本に掲載されている。
その文章を転載してみる。

[STORY5] FILE 001-46-01 

毎日のように思うことなのだが、どうすれば楽に死ぬことができるだろう。
不確実でかつ盲目的な日常生活に疲れ、懐疑と排他的な愛情に知らぬ間に慣らされてしまう前に。
今自分勝手と誠実、思いやりと悦楽に満ちたそれぞれの欲望を満たすにはあまりに手が足りない。
生きる世界が違うとでもいうのだろう。
もっともっと人は幸せになれそうだ。
もしくはどんぐりの背比べのごとく、僅かな生活に無知で貪欲な幸せを競い合うだけかもしれない。


その日僕は買い物に出かけた。
なだらかな平地には幾つもの窓がある。
その窓はいつも互いを見合っている。
そしてとても窮屈そうに太陽を跳ね返していつも輝いている。
僕は背中に幾つもの窓の幾つもの照り返しを浴びながら、そのひとつの輝きの中へ吸い込まれた。
窓の中のたくさんの静寂が色の中で僕を見つめていた。
太陽と逆の性質をしたガラス質の色を目標に、僕の高揚はその無感触な動揺の上に抱擁された意識のつながりの合間にあった。
午後0時五十分頃、僕はようやく一人だった。

空間を奏でる言葉には、死のかけらの微塵もない。
エスカレーターを上がるとき、それでも僕の頭の中は死に満ちていた。
『シンダホウガ マシダ・・・。』
黒く着古した革ジャンが重たかった。
何も持たないということが何かするより深刻ならば、何かを持つために何かを失うということを美しく思える。
ポケットの中の何時使い果たしてしまうとしれない一日分の金。
これが僕の全てだというなら、ものの五分で一日の全てを手に入れることになるじゃないか。
僕だけを満たすだけなら充分に思える。
音楽とらくがきだけはタダだ。
心は人を巻き込む。
金がものをいう。

混沌としたフロアの照明は明るく彼女を映し出していた。
雑踏につながる人々の流れを受けて少し影を落とした彼女の額は、うっすら汗を浮かべていた。
桜色のシルクのブラウスは春の日差しに答えを無くしそうに優しい。
胸が隠れるほど伸びた髪は柔らかく彼女を隠し、胸元でふわふわとカールされている。
全ての共通項を見出し速やかに整理してゆく街路。
レジで言葉を無くした細い指先は彼女の胸の内を指した。
竹編みになった白いかごの様になったバックから取り出したクロコダイルのサイフから一万円札を丁寧に抜き出し銀のパンプスに替えた。
僕は彼女を見つめ続けた。



放熱

小説は日記でも自伝でもない。
しかし人が書くものだから、自分の経験や思想が反映され、既知なものが取り込まれる。
無から有は生まれない。BIGBANGが『I LOVE YOU』を歌うように。
尾崎さんの小説や詩(詞)はその色が濃い。
そういう書き方しか出来ないというよりむしろ、あえて現実を強く意識して書いた思われる。
その上でメタ言語を好んで使っている。

彼の書いたものを全部事実だと思うのは間違いだし、全部フィクションやファンタジーだと思うことも無理がある。
だから須藤さんや奥さんをはじめ彼の周囲にいた人達が何を言おうが、どんな解説をつけようが、彼の残した作品が彼の気持ちを代弁している。
それは見る人が見れば分かるはず。
しかし一方でこうしたことも言える。
私が見た夢や書いた言葉に嘘がなくても全ての人がもれなくそれを理解することは不可能だと思う。
「私」を「尾崎豊」に替えても同様のことが言えるだろう。
別に「尾崎豊」でなくても構わない。「ノエル・ギャラガー」にしたっていいし、「ビル・ゲイツ」だっていい。(そこと一緒にするな?)
人は意外なほど見えていない。人の理解度なんてその程度のものである。
人と人とはそうそう簡単に分かり合えない。分かち合えない。

時にそれが不思議な方向に出ることがある。過去ではなくて未来に向けて。
ありきたりな言葉でいえば「予言」や「予知」や「予告」、人々が「第六感」と呼ぶものもそうかもしれない。
でもそれは全くの「無」から生じたものではないと思う。


放熱 尾崎豊  詩集『白紙の散乱』(角川書店・1992/02)より

誰もいないのに僕の頭の中に囁く奴がいるんだ それは確かに間違いない
そいつが何を考えているのかもよく分かる でもそれはとてもたわいもないこと
それに僕と向かい合ったんだけれど あっちはまるで僕に気付いていないみたいだ
ねぇお婆さん それ 今 テレビ見てるのかい
ロッキングチェアーに座って 編み物なんかしているんだろ
見知らぬの子供の手をひいて振り返るのは 生まれ変わる前の僕のお母さんかな
可笑しいな買い物籠を下げて三輪車を引っ張っている でも男の方は振り向きもしないぞ
誰もいなくなった そしてまた現れる
僕はまだ二十歳で 精神年齢は七十歳を越えているが 格好はどうも三歳児なんだ
僕を十二歳だという奴もいるが 僕は生まれおちてから七十歳のままさ
それ以前の思い出はないけど 何が誰の人生なのかその運命さえ知っている
放熱してゆくその姿に似て 紐解かれる 止まった時の行方




何をいまさら『はだしのゲン』

久々に時事ネタで旬な話題をお送りします。『はだしのゲン』(漫画)の閉架問題。

私は『はだしのゲン』を小学校の図書室で読んだ。
今でもよく覚えている。夏休みのことだ。
夏休みでも学校の図書室は開放されており好きなだけ本が読めた。貸し出しもやっていたと思う。
その夏休みに図書室にいたら、同じく図書室にいた同級生の男の子が「読んでみな」と薦めてくれたのが『はだしのゲン』だった。
グロテスクで気持ち悪いと思う絵もあったが、それでも夢中で読んだ。

だけどこの歳になったらストーリー(あらすじ)なんかさっぱり覚えていない。
グロテスクな絵で戦争の悲惨さを訴えた漫画という認識。
読んだってそうなってしまう。
知っていることと読むことは違うと思うけれど、皆さん案外読んでいなかったりして。
同列に扱っていいか分からないが、グロテスクな絵でもう1つ強烈に思い出す漫画がある。
楳図かずおさんの漫画である。
友達に借りたんだっけか。とにかくタイトル(まことちゃんだったけ?)もあらすじも覚えていない。
思い出したくない絵しか覚えていないのだ。あああああ(夢でうなされるレベル)←(大人になってからも夢で見たことがあった)

2008年の冬に、『はだしのゲン』のこと、戦争のこと、写真には力がありすぎること、そんな思いを書いた
その時に写真や映像について触れたが、漫画も在り方によっては同じなのかもしれない。

実は私も数年に亘り書いてきたこのブログ記事の中で、たった1つだけ閉架に入れているものがあった。
2007年8月14日に書いたもの。
なんとそこにも『はだしのゲン』が登場しているのだった・・・。

クラスの男の子に薦められて、夏休みに学校の図書室で読んだのだけれど、かなり衝撃だった。
生々しかったのだ、そこに描かれていた戦争が。
何年に戦争が始まり終わりましたということや、原爆で何万人の人が死にましたということでは伝わってこなかったものが
そこには描かれていたような気がした。


この記事で私が一番言いたかったことは自信がないということだった。
『はだしのゲン』への評価についても、戦争に関しても、国というものに対しても。
幼さからは脱却し、かといって大人でもない、12歳と10歳の子供に、それはこういうものだと言って聞かせるほどの自信がなかった。
文中にはその迷いを織り込んだつもりだが、それが伝わるかどうかも不安だった。
書いたきりアップしなかったわけではないし、すぐに下げたわけでもない。
思い出しては悩み、数か月後だったが1年後だったか忘れたが、ブログの記事管理から「非公開」設定にした。

今日公開設定にしたので興味ある人はどうぞ。『音色』


閉架のニュースを目にした時、最初に思ったのは「閉架だって頼めば出してもらえるのに」ということだった。
焚書ならともかく、正直そこまで大騒ぎすることなんだろうかと思った。
第一、閉架がニュースになるということは、今までずっと開架だったということでしょう?


毎年膨大な数の書籍が生まれている。
それでも図書館や図書室に置ける本の数は限られているから更新も必要だろう。
古い本が閉架に行ってしまうことは別に全然珍しいことではない。
ただそれが有名な本で戦争を扱っているから問題視されただけのことではないだろうか。
古典や歴史は有用だし、古いものがつまらなく駄目ということはないけれど、価値観は多様であるべき。
一人の人間が書いた漫画がいつまでも重宝されるような社会は逆に憂慮の対象となるだろう。
あの漫画を良いと思う人もいれば、嫌だと思う人もいたって何ら不思議はない。生理的な問題に近いかもしれない。

それにどんな所にあっても読む気がなければ同じ。
現代社会に図書館や本が好きという子供がどれくらいいるだろうか。
その子たちが図書館で漫画『はだしのゲン』を手にする確率は如何ほどか。
あなたがそれをどうしても子供に読んでほしいと思うならば、「閉架から出してもらいなさい」と助言すればいい。
学校の図書室が駄目ならば、街の図書館だっていい。
図書館が遠ければインターネットで買ってやればいい。
うちの長男は図書館でよく閉架にある本を借りていると言っていた。(今今の会話ではない)
図書館の係員は別に嫌がらずに出してきてくれる。







by yumimi61 | 2013-08-18 11:03