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ホームページとホワイトバンドのこと再び

以前この記事で乙武さんの事務所のサニーサイドアップとホワイトバンドについて少々触れた。
以前と言ってもこれは今年に書いたものなのでまだ新しい。

私はホームページを運営していた頃、知人からホワイトバンドを紹介され、ホワイトバンドを持っていたことがあった(貰った・・)。
しかもその後、自分のホームページにホワイトバンドの広告を貼っていた。
そのことについてはこちらに書き、ホームページの写真も掲載している。

かつて私はインターネットでハンドメイドショップを開いていた。
ホワイトバンドの右側のバナーはお店や新作の紹介をしてくれるサイトである。
ハンドメイドの品物を買いたいという人に興味を持ってもらうためには、そうしたサイトでホームページまで集客する必要がある。
それが全て購買に繋がるわけではないけれど、それらのサイトを通すのと通さないのでは来訪者の数は雲泥の差である。
ただ私はひとりで細々作って送ってホームページを更新していたので、来訪者や注文が増えても限界があった。
ホームページはお店主体ということでもなかったので、いろいろな兼ね合いもあった。
ともかく紹介(集客)サイトに登録した場合にはバナーを貼る義務があった。
ホワイトバンドの広告は自発的に貼ったもので、集客には全く関係ないものだった。



ホワイトバンドとボノ

私がホームページを始めたのは2004年。
次男が小学1年生となり、ほっと一息ついた秋のことだった。
その前10年間くらいは世間の流行事にはほとんど興味を持てず疎遠な生活をしていた。
ホームページにホワイトバンドのことを書き、広告を貼った時には、サニーサイドアップのことも、ホワイトバンドにボノが関係していたことも全く知らなかった。
後から少しずついろいろな噂を耳にするようになった。
尤も募金などについてはそれより以前から懐疑的な気持ちが生じていたけれど。

ホワイトバンドとライブ8(ボノと安倍首相のグラサン写真入り) *ライブ8とは

(余談)
近年のボノは眼鏡をかけているから「Bono」として成立しているんだろうなぁと思う。
外したら普通のおじさんになっちゃうから。
女の整形や化粧みたいな物と考えればいいのだろうか。それともファッショや宝石の類なんだろうか。
回転が速く旬のある仕事はきっとなかなか辛いんだろうと思ってみたりして。
こちらによれば本当に視力もよくないみたい。

(余談2)
最近聞いた話で「へぇ~」と思ったのが、過激なお色気で売っている壇蜜さんの胸は豊胸の賜物らしいということ。
ジョニーもそう言っている。
美容外科医の「ジョニー」のほうが嘘くさい?
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snap

以前ホワイトバンドを書いた時にリンクしたこのサイトに、サニーサイドアップの社長の話が掲載されている。2005年9月11日の記事である。
社長はホワイトバンド運動を始めた切っ掛けなどを次のように話していたという。

ネットで偶然イギリスのクリッキング・フィルムを見て、『なんてかっこういいんだろう!』と思ったんです。だからきっかけはある意味、よこしまなものだったんです(苦笑)。


そこから次原社長は一気に走り始めた。自社の資金を投入して、ホワイトバンドを中国の工場で生産する道筋をつけ、20年かけて培ってきたノウハウや、人脈を活かして、PR戦略をプランニング。
(中略)
7月頭のG8に間に合わせるため、「社員の反対を押し切って」“突貫工事”をはじめた。


しかし当時「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」の事務局長だった今田克司さんの話では若干ニュアンスが違う。
世界的に画策されたキャンペーンだったことが窺える。
少々長くなるが今田さんの話を下記にまとめつつ紹介する。(赤字は私の独断と偏見に満ちた付け足し)

ちなみに、「指パッチン」がお得意だったポール牧さんは2005年4月に新宿の自宅マンションから飛び降り自殺して亡くなられた。



「ほっとけない世界のまずしさ」は、世界のキャンペーンの一環 (元資料:PDF

●2005年になぜこのキャンペーンを始めたのか?

貧困問題を国際社会の優先課題にさせ、政策上の具体的な前進を勝ち取る機会(絶好のチャンス)が2005年にあったから。

(1)G8サミット― 英国グレンイーグルスにて2005年7月開催
  ブレア首相がこれに向けてアフリカ委員会を創設。
  アフリカの課題を世界の指導者を通して国際社会に働きかけていこうと考えた。
  (アフリカを餌に世界の大物を使って金集めしようと考えた、ではなくて?)
  私たち(!)のキャンペーンの関係者でもあるボブ・ゲルドフ(アイルランド出身ロックシンガー)もこの委員会に入っていた。
  (ボブ・ゲルドフだが、日本では余程洋楽に興味なければまず知らないと思われ)

(2)国連ワールドサミット―ニューヨーク国連本部で2005年9月開催
  2000年のミレニアム・サミットから5年後ということで「ミレニアム開発目標」の中間レビューをやることになっていた。

(3)WTO(世界貿易機関)の閣僚会合―香港で2005年12月開催
  貿易も貧困の問題と密接に関係しているので、ここでも市民社会からインプットをしていこうとなった。


上記3つの大きな国際社会のイベントで、「市民サイド発言できる」「メディアに乗せられる」という機会がある。
これを生かさない手はないだろうと2005年にキャンペーンを展開することになった。


●国連ミレニアムサミットが大元

2000年に開催されたこのサミットのコミットメントが、「ミレニアム宣言」と「MDG(ミレニアム開発目標)」である。
MDGは目標として「2015年までに世界の貧困を半減させる」ことなどを掲げた。

しかし翌年2001年9月11日、アメリカで大規模なテロが発生した。
国際社会は加速度的に「テロとの戦い」にシフトしていき、ミレニアム開発目標はメディアでも国際ニュースとして取り上げられなくなってしまった。
このままではミレニアム開発目標は守られないという危機感を抱き、再びグローバルコール(世界への呼びかけ)が始まった。
2005年というタイミングを捉えて、国際社会に約束を守らせる運動を展開する計画を練った。
これが「Global Call to Action againstPoverty (GCAP) 」。
2004年9月に結成され、南アフリカのヨハネスブルグに70 人くらいが結集した。
話し合いの結果、2005年の行動計画が「ヨハネスブルグ宣言」に収められた。
この時に「ホワイトバンド」をキャンペーンの連帯シンボルにすることを決定した。


●ホワイトバンド・プロジェクト

日本からはNGO関係者が1人参加していた。
その後、日本では10人のNGOメンバーが実行委員会を組織した。
実行委員会から事務局がCSO ネットワーク(市民社会組織のグローバルなネットワーク化を進める連絡会)に委託され、今田が事務局長となった。
これが2005年6月のこと。
実行委員会の外側に賛同団体が65ほどある。国際協力NGOに限らず、国内ベースで活動している団体や労働組合や生協も入っている。
事業パートナーとして「ホワイトバンド・プロジェクト」という企業の連合体ができ、そことタイアップした。
そしてキャンペーンの信頼性向上や経費削減の面から、発展途上国でホワイトバンドを生産する計画を立てたが思うように進まなかった。

(ここでやっと登場、サニーサイドアップ!)
その頃、PR企業のサニーサイドアップが興味を示して「一緒にやりましょうか」と言ってきた。
「ホワイトバンド・プロジェクト」をサニーサイアップが組織し、日本のホワイトバンドの生産、流通、それに関する宣伝を担ってくれた。
(つまり、サニーサイドアップによって生産流通ルートと広告出演者を確保できたわけである)←(途中から出てきたけれど重要な役割であることは確か!)
そのほか、全国各地で自然発生的に応援してくれるグループがあった。
(それこれも広告出演者の皆様のお力でしょう。さすがです)


●ライブ8

1984~85年、エチオピアで飢饉があった時、国際社会が何かをしようとチャリティの機運が高まった時期があった。
その時、ロックシンガーのボブ・ゲルドフが色々なアーティストを招いてライブ・エイドというチャリティー・コンサートを実施した。
これにより300億円近いお金が集まった。予想以上に集まったとのこと。
しかしそれを現地に送って飢餓や貧困の状況はよくなったかというと、必ずしもそうではなかった。
(送ったの?送らなければ意味ないのよ?送る人間違えてもダメなのよ?300億のうち1億だけ送ったとか無しよ?)
それで2005年、ライブ・エイドにも参加していたU2のボノが、これをもう一度やろうとボブ・ゲルドフに声をかけて、ライブ8を開催する運びとなった。
(送っても改善しなかったのならば、その理由を調査検討すべき。同じライブやるのは学習がないと言うのよ)
今回はチャリティではないやり方でやろうと、入場料を無料にした。
お金を集めない代わりに、多くの人が世界の貧困に注目していることを見せようとしたわけである。
(学んだのねー☆)
「We don’t want your money, we want your voice.」(あなたのお金はいりません。あなたの声をください)というのがライブ8のメッセージだった。
「お金ではなく、声を」、「でも、それってどういうこと?」。
(個人からお金を集めると偽善だなんだと言われ、嫌われ、怪しまれたりもするから、攻撃対象を政府にしたのよ。つまり、債権放棄しろしろ、手口)
(でも国のお金は結局は国民のお金なの。これを忘れてはいけないわね)



 ・日本のキャンペーンの正式始動は2005年5月26日。
 ・新聞広告第一弾は6月27日28日。
 ・「このホシの未来」と題した日記を私がサイト内に掲載したのが7月1日。
 (ホワイトバンドのことはまだ知らず。当時は新聞を取っていたはずだけれど)

 ・ホワイトバンドの発売が7月2日。
 ・ライブ8も7月2日で、9カ国、10都市で開催された。

その頃、ボノが何をしていたかと言えば、ビルゲイツ宅を訪問。2005年の4月末か5月初めのこと。
ゲイツ様は以前からボノさんのファンだったとか。(OMG)



●イギリスからのお金

日本版クリッキング・フィルム第一弾の発表は7月7日だった。
新聞広告第一弾の文面は次の通り。
「貧困をなくそうという声を表すホワイトバンドを身につけてください。9日後のG8にもご注目ください」

7月のこの広告代金はイギリスのホワイトバンドの売上で賄った。
日本は先進国でそれなりに国際政治の舞台で影響力もある国なので、日本の市民社会が頑張って政府を動かすことが大事だという趣旨で、イギリスのホワイトバンドの売上から資金を回してもらった。
(市民を扇動して政府を誘導せよと言うクーデターのスポンサーがイギリスだったというわけか)
(但しイギリス国内では、クリッキング・フィルムがメディア監視機関「Ofcom」により政治的なメッセージを与えると判断され、英国通信法に基づきCM放映禁止となったという。自浄作用が利く国なのね)



●政治家もホワイト一色

GCAP レベルで決めたことに、「2005年に3回、世界を白く染める日をつくろう」というのがあった。
日にちは3つの国際会議の直前に設定した。
(アフリカを救おうとしている人達が何故ここまで白に固執するのか理解不能。むしろ黒なのではと思う。)

日本では2005年9月11日に実施された郵政解散での総選挙の選挙戦中、多くの候補者がホワイトバンドを着けた。

ホワイトバンドを着けていた人(賛同者)と脱原発論者には、北朝鮮が見え隠れするという記事。(前原さんがホワイトバンドをしているのが見える)(こちらも参照


●まとめ

ホワイトバンドは売れに売れた。




by yumimi61 | 2013-08-27 12:55