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器官57

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『FU-JI-TSU』 工藤静香(作詞:中島みゆき)

こんな小さな星では
きっと出会ってしまう
二人…別れ告げても
あんな輝いた日々を
全部無駄にするような
再会だけは よしたいね
大人になって 苦笑いだとか
それとも 子供の言葉でなぐさめを

不実です 初めて会ったような不思議顔
私は街角ピエロ
不実です 微笑んだ私を不思議顔
それはないんじゃない?


『潜水』 Mr.Children(作詞:桜井和寿)

バラバラに散らばったパズルが
床でふて寝している
恨めしそうだけれどどうしようもない
どれが元通りの形かは
もはや知りたくもない
これはこれで結構芸術だ

無造作の中に潜んだ意識を知ろう
赤 白 青 黄色
そうだ 冷えたビールを飲もう

金と黒のラベル選んで 出来るだけ一息で
あぁ あぁ あぁ あぁ 生きてるって感じ

調子良さそうだねって言われたら
そんな気もしてくる
畳んでおいた羽が開きそうになる
「傷つきやすそうに見えるでしょ案外強いのよ」
君の言葉いじらしくて泣きそうになる

ピアノ叩いても音しか出ない
君に届くはずない
そうだ 明日プールに行こう

澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ
あぁ 生きてるって感じ







グレーアウト!?

ソフトバンクを忘れたわけではないけれど、もう少し富士通の話題。
富士通は群馬県館林市に「館林システムシステムセンター」というデータセンターを持っている。
富士通の旗艦(きかん)である。
こちら富士通のサイトを見ると、サービス開始2009年11月とあるが、館林システムセンターはそれより前にあった。

2008年のニュースリリースでは富士通もそう言っている。
富士通のアウトソーシングビジネスの中核として1995年以来データセンターサービスを提供してきた富士通館林システムセンターを拡張し、2009年10月に新棟を開設します。

たぶん1995年頃だったと思うけれど、富士通館林システムセンターはしょっちゅう求人広告を出していた。
それで私もよく覚えていた。
 

2012年6月7日、富士通館林システムセンターが大規模障害を起こし、早朝から十数時間にわたって複数の銀行や会社に影響を与えた
この日、ニフティとソニー銀行が5時59分から、りそな銀行、広島銀行、北陸銀行が運営するコンビニATM「BankTime」が6時頃、東京スター銀行のATMが6時1分から、それぞれ障害発生したことを発表した。
ソニー銀行のサイト経由で取引するソニーバンク証券は、緊急電話での注文となった。
これらは館林システムセンターで起きた電源設備故障に起因していた。
無停電電源装置(UPS)が1台故障し、障害回避策も機能せず、同センターの7%に相当する範囲で電力の供給が絶たれた。

館林システムセンターは、変電所からの2系統受電、UPS設備設置(冗長化構成) 、自家発電設備設置(冗長化構成)など、一部の設備が故障してもサービスを継続して提供できるようなシステムが構築されていた。
ところが、停電に備えるために設置していたUPS自体に障害が発生し、冗長化していた別のUPSにも切り替わらなかったそうだ。
大元の理由は1995年から溜まり続けたホコリだとか。
停電防止策が停電を生むって本末転倒。笑い話のような話だし、若干胡散臭さも匂う。きな臭さはどうだったのかしら?

このことは何故かあまり報道されず(影響を受けたのがソニーとスターとニフティだったからか?)、富士通も知らんぷり。
代わりにソニー銀行に説明してもらおう



初めてのあなた

富士通と同じく古河グループに属するアドバンテストという会社がある。
半導体デバイスが正しく動作するか検査する半導体テストシステム分野で世界トップクラスのシェアを占めている。
この会社も群馬県邑楽郡(館林の近く)に研究開発・生産拠点を持っている。
そのせいだろうか馴染み深い。

1998年の長野冬季オリンピックに合わせて、同社初のCMを制作放映。
2001年、アメリカ同時多発(911)テロの影響でニューヨーク証券取引所が停止したことがあった。
アドバンテストはニューヨーク証券取引所再開後に上場を果した最初の企業であった。
詳しくはこちらの1998年と2001年を参照)

アドバンテストの代表取締役会長の丸山利雄は誕生日が4月17日。うちの長男も4月17日。(だからといって直接の関係はない)
(丸山会長の)信条は「Never say never」とのこと。
野田首相の信条は「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー・ギブアップ」。
チャーチル首相の信条は「Never give in」。
私の18番は「never, never, never, never」。←これは嘘。 (Never話はこちらに



根津の戦い

●皇后陛下のご祖父様とも親しく根津財閥を形成した根津嘉一郎は、「日本のビール王」と呼ばれた三井物産出身の馬越恭平と30年にも亘ってビール戦争を繰り広げた。


●徳富蘇峰が1890年に國民新聞を創刊。
これは、徳富蘇峰が群馬県の湯浅治郎(新島襄から洗礼された人物、新島学園創立者の祖父)と親戚になり、(徳富蘇峰の姉が湯浅と結婚)、湯浅から資金援助を受けて実現したものである。(機宜100106
根津嘉一郎は1926年に、この國民新聞に資本参加した。
しかしその後、根津と徳富が対立し、徳富が退社。
その7年後に、根津は國民新聞を新愛知新聞社(現:中日新聞社)に譲渡。
1941年に都新聞と合併し東京新聞となった。
一旦は経営から身を引いた新愛知新聞社(現:中日新聞社)であったが、東京新聞が経営不振に陥ったため、再び中日新聞社が吸収した。
中日新聞・東京新聞も歴史を辿っていくと群馬県に関わりがある。(反原発と東京新聞東京MXテレビの資本


●根津嘉一郎は、日本最初の電力会社(1886年創業)「東京電燈」の役員でもあった。
東京電燈創業後には日本各地に次々と電力会社が作られた。
1910年代にはそれら電力会社の合併が進み、5大電力会社(東京電燈、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気)が誕生した。
この5社でエリアや顧客を奪い合う「電力戦争」が勃発。
特に酷かったのが、東京電燈と東邦電力の戦い。
東邦電力の社長は「電力王」と言われた松永安左エ門
東邦電力が東京進出のために設立した子会社は「東京電力」。
この東京電力が東京電燈のエリアに乱入。
政治家の思惑も絡めながら、電力と顧客と覇権を争う戦いを繰り広げた。
東京電燈は資金調達のために、三菱、三井、安田の銀行から役員を迎えた。
これら財閥系の役員と激しく対立したのが根津だった。
「財閥の雇われ役員」と扱き下ろし、遂には財閥系役員が一斉に引き上げる事態に。
根津も引責辞任。
自身が保有していた東京電燈の株式を売却し、東武鉄道が購入していた電力をライバルだった東京電力に切り替えてしまった。
そして根津はこの一件の怒りを「國民新聞」でぶちまけた。
東京電燈と東京電力は1928年に合併し、新生「東京電燈」が誕生。(雨降って地固まる!?)
松永安左エ門は政治家や官僚が嫌いで戦争にも反対だった。
軍閥に追随する官僚達を「人間のクズ」と吐き捨てた。
根津は新聞に怒りをぶちまけたが、こちらは新聞に謝罪広告を掲載するはめとなった。


戦争はあらゆるものを変えてしまう。
戦時体制とともに電力会社もあっけなく解散を余儀なくされた。
電力事業を国が掌握したのである。
1938年に「電力管理法」が制定され、日本発送電という株式会社が誕生した。
この会社が日本中の電力を管理した。
戦後の1951年、日本発送電が9つの電力会社に分割させられた。これを主導したのは松永安左エ門。
北海道電力、東北電力、東京電力、北陸電力、中部電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力。
沖縄返還後の沖縄電力を加えて、今日の10電力会社体制となった。





by yumimi61 | 2013-09-24 15:34