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器官78

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タイタニック号の正式名称は「RMS Titanic」。
RMSはRoyal Mail Ship(英国郵便汽船)を意味する艦船接頭辞。

上記は当時、雑誌に掲載された広告。
タイタニックの船内で使用された石鹸「VIONIA SOAP」などアメニティグッズの宣伝である。
現代にも「一流ホテル使用の〇〇」や「高級ホテル仕様」、「三ツ星シェフご愛用」、「宮内庁御用達」、「あの人も使っています」といった宣伝文句があるけれど、「豪華客船でも使われていま~す」みたいな感じだったのだろうか。
「石鹸1つにもこだわっている豪華客船で~す」という意味の提携でもあったんだろうか。

今でこそ超有名船となったが、処女航海当時、タイタニック号のためだけに製作されたポスターは一枚もなかったそうである。
会社(ホワイト・スター・ライン)の宣伝のために製作されたポスターはあった。
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速さを飛行機に譲った現代では、豪華さが売りの船や電車も当たり前のようにあるが、個々の船に固有の価値を持たせたのはこの頃より後のことなのだろう。
それまでは、目的は移動であり旅であり、求められたものは安全であり速さであった。
手段であったものが目的になったのが豪華客船(クルーズ客船)である。
過程をも楽しむために、居住性はもちろん多くの付加価値が重視されるようになった。
タイタニック号が沈没した時代はその先駆期である。







タイタニック号とFRB

タイタニック号の沈没は連邦準備制度が原因であったという説がある。
タイタニック号の犠牲者の中に3人の大富豪がいたことをこちらに書いたが、彼らは連邦準備制度に反対していたという。
議会で否決されたことからも分かるが、反対者は少なくなかったのだ。
しかし彼らは特別だった。
潤沢な資金と絶大な影響力を保持していたからである。
連邦準備制度の設立を目指す者にとっては彼らは厄介者であった。
厄介者はまとめて船ごと沈めてしまえ。―これがタイタニック号が沈没した理由だという説である。



タイタニック号とアイルランド

タイタニック号はアイルランドのベルファストという都市で造船された。
北アイルランド最大の都市で、ベルファストには「ファーセットの口」(ファーセット川の畔)という意味があるという。
この都市に世界最大のドライドックがある。
ハーランド・アンド・ウルフ(Harland and Wolff)というイギリスの会社の造船所である。
1909~1914年にかけて、ホワイト・スター・ライン社のタイタニック号、ブリタニック号、オリンピック号の建造を請け負ったのがハーランド・アンド・ウルフであった。
タイタニック号は北アイルランドで造られた船であったのだ。



イギリスとアイルランドとアメリカ

カトリックが多いアイルランドにおいて、北アイルランドはプロテスタントが主流な地域であった。
カトリックとプロテスタントいう宗教の対立が国を二分し、今なお問題を引きずっていることはこちらに書いた
アイルランドでは昔からユニオニスト(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)が対立してきたのである。
それは北のプロテスタントと南のカトリックという対立でもあった。
どちらもキリスト教ではあるが別宗教かというくらい根深い問題となっているのである。
この対立が表面化してきたのがちょうど1910年頃であった。
それ以前からナショナリズム運動はあったが、その主目的が連合王国内での自治権獲得から分離独立に変化したことがきっかけである。
これに対抗して北アイルランドのアルスター地方でユニオニストが武装化。(アルスター義勇軍,UVF)
その武装化に対抗してナショナリストも武装化。(アイルランド義勇軍→アイルランド共和軍,IRA)
どちらもテロ組織となる。

ベルファストはアルスター地方にあり、ユニオニストの運動拠点であった。


1908年 セオドア・ルーズベルト大統領再出馬せず。
1909年3月 セオドア・ルーズベルト大統領(共和党)→ウィリアム・タフト大統領(共和党)
1909年3月 アルスター地方・ベルファストにてタイタニック号建造開始。
1910年11月 ジキル島で連邦準備制度の秘密会議。

1911年9月 アルスター・ユニオニスト会議(UUC)が臨時政府樹立の用意があることを表明。
     9月9日 ジョン・ジェイコブ・アスター4世再婚。
     9月20日 イギリス・サウサンプトン港でオリンピック号と巡洋艦ホークが衝突。
            このためタイタニック号の建造工事が大幅に遅れた。

1912年4月1日 タイタニック号、ベルファストにて試験航海。
     4月10日 処女航海に出発(イギリス・サウサンプトン港→ニューヨーク)。
     4月14・15日 タイタニック号沈没。

1912年 セオドア・ルーズベルト再び大統領選に立候補。
1913年1月 アルスター義勇軍(UVF,プロテスタントからなる武装集団)が結成された。
1913年3月 ウィリアム・タフト大統領(共和党)→ウッドロー・ウィルソン大統領(民主党)
1913年12月 連邦準備制度の法案成立



政府紙幣と暗殺とタイタニック号

以前、政府紙幣に関わると暗殺されるらしいという事をこちらに書いた
例に挙げた暗殺された大統領3人。

・16代 アブラハム・リンカーン大統領  1861年3月4日-1865年4月15日

・20代 ジェームズ・ガーフィールド大統領 1881年3月4日-1881年9月19日

・35代 ジョン・ケネディ大統領 1961年1月20日-1963年11月22日

リンカーン大統領の暗殺はタイタニック号の沈没と日付が重なるのである。
1865年4月14日午後10時頃、フォード劇場で撃たれる。
妻と『われらのアメリカのいとこ(Our American Cousin)』を観劇中の出来事だった。
翌日4月15日の朝に亡くなった。

ジェームズ・ガーフィールドの亡くなった日は、ロスチャイルドの初代当主(一族の祖)の亡くなった日付と重なる。(ロスチャイルドの誕生日は2月23日)

ケネディ大統領の亡くなった11月22日というのは、ジキル島で秘密会議を持っていた日付と重なる。



スミス船長

沈没したタイタニック号の船長は、エドワード・スミス
「安全な船長」「大富豪たちの船長」と言われるほどのキャリアを積んでいた。

しかしながらスミス船長はタイタニック号前にも2度ほど事故を起こしていた。
1911年6月21日、姉妹船オリンピック号の処女航海でのこと。
目的地ニューヨークに到着したが、接岸時にタグボート1隻を船尾に巻き込み沈没させかけた。
2度目は1911年9月20日のオリンピック号と巡洋艦ホークの衝突事故である。
にもかかわらず、タイタニック号処女航海の船長に任命された。

これが意味することはなんだろう。

事故を甘く見たのか。
よほど船長という人材に事欠いていたのか。
ノーと言える者がいなかったのか。
富豪らの熱烈支持か。
どうしてもスミス船長でなければならない理由が他にあったのか。
事故はスミス船長を退ける事由には全くならなかったということか。
むしろ計画的なものだ?






by yumimi61 | 2013-10-24 23:44