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器官79

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キュナード・ライン

タイタニック号を所有していたホワイト・スター・ラインの親会社は国際海運商事(IMM)であり、実質的なオーナーはJ.P.モルガンであったことをこちらに書いた。

モルガンはホワイト・スター・ライン社の客船の上得意客であったという。
アメリカの鉄道事業の買収・再編・独占に成功したモルガンは競争が激化しつつあった北大西洋海運事業に目を付けて、IMMを設立した。
船が大きく豪華になれば当然のごとく掛かる費用も増大し、資本やスポンサーが必要となる。
それが調達できなければ競争に負けて脱落してしまう。
だから会社は生き残りのために傘下に入るしかなくなる。
これはオリンピック選手などにも言えそうだ。

1902年にIMMが設立された後、わずか数年で欧州の海運会社はほとんどIMM傘下となった。
これを拒否したのがイギリスのキュナード・ラインという海運会社。郵船会社としてスタートした会社であった。
キュナード・ラインの拒否により大西洋航路の競争は激化したが、キュナード・ラインにはイギリス政府が支援に回った。
最新技術を取り入れた巡洋艦転用前提の高速大型客船の建造を計画し、資金もイギリス政府が融資した。
1907年に豪華客船「モーレタニア」と「ルシタニア」が就航。
ホワイト・スター・ラインの「オリンピック」「タイタニック」「ブリタニック」のオリンピッククラス3姉妹客船はそれに対抗した船であったが、速度で競うことは無意味なことだった。

1934年には長年のライバルだったホワイト・スター・ラインを合併し、その主要航路に「クイーン・メリー」(1936年)、「クイーン・エリザベス」(1940年)を就航させた。
これらの豪華客船は世界最大級の規模を誇り、しかも最速で大西洋を横断したため、人気を博した。
しかし「クイーン・エリザベス」建造時は不況下にあり、資金繰りに窮して約3年半も放置されるなど建造は難航していた。
この時もイギリス政府から多額の補助を受けたが、資金補助の条件の一つが経営難に陥っていたホワイト・スター・ラインとの合併であった。
この条件を呑み、1934年にキュナード・ラインはホワイト・スター・ラインと合併した。

キュナード・ラインの船の名称は末尾「ia」で終わる地名とするという命名規則があった。
ホワイト・スター・ラインの船は末尾「ic」で終わるという命名規則であった。
1936年に登場した「クイーン・メリー」よって、フラッグ・シップに限り「クイーン」を冠するという新たな規則が加わった。
またホワイト・スター・ラインが所有していた船の名称は合併後も改名せずに使用された。
現在はアメリカのカーニバル・コーポレーションの傘下となっている。



タイタニック号に乗らなかった人達

タイタニック号への乗船を直前でキャンセルした人が55人程いたそうである。
55人ははたして多いのか少ないのか。
実質的オーナーのモルガンはタイタニック号の乗船予定だったが、病気を理由にキャンセルした。
モルガンが使う予定だった部屋を使用したのは、 ホワイト・スター・ラインの社長・ブルース・イズメイ。
彼は救命ボートで脱出し生還したが非難の嵐に晒されることは避けようがなかった。

モルガンはキャンセル後、エジプトやイタリアを観光し、フランスで愛人と逢瀬を楽しんでいた。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」と考えたのかもしれない。

55人のうちの数名はモルガンに近い人物であったようだが、そうでない人も大勢いたらしい
何か嫌な感じがあったり、予知夢を見たりした人もいた。
実際にそういうことはあるだろうし、あれだけ大きな事故ともなれば、「そういえば」という後付の回想もあるだろう。

集団ヒステリー(集団妄想)や集団パニックと判別しなければならないが、いつの世でもどんな事件でも、そのあたりの判断は難しいところである。
地下鉄サリン事件ではこの群集心理が非常に強く働いたと思う。



タイタニック号に乗って途中で降りた男

フランシス・ブラウン

アイルランドのイエズス会修道士。写真家。

1880年1月3日生まれ。8人の子供の末っ子としてアイルランドのコークに生まれた。
アイルランドのコークと言えばアップルを思い出す。(思い出さない?the Coke Side of Lifeよ。1980年代からだって

彼の母親はコークの市長の娘だった。しかし産褥熱のため彼を出産して間もなく亡くなってしまった。
彼が9歳の時、父親も水泳事故により他界した。
その後は司教であった伯父に育てられた。
伯父にカメラを買ってもらって、ヨーロッパへ自分探しの旅周遊旅行に出掛け、数多くの写真を撮った。
両親を早くに亡くしてしまったが経済的には恵まれていたようだ。
1911年~1916年は、アイルランドのダブリンにある「The Milltown Institute of Theology and Philosophy」という高等教育研究機関で神学を研究していた。
イエズス会によって設立運営されていた機関であるが、1917年にアイルランドの国立大学として認可されている。


フランシス・ブラウンのタイタニック乗船チケットは伯父からプレゼントされたものであった。
32歳であったが、まだ身分的にはイエズス会の神学生であった。
行き先はニューヨーク迄ではなく、アイルランドのクイーンズタウン迄。
彼はそのタイタニックでも非常に沢山の写真を撮った。
船の外部に内部、船長に乗組員、そして乗客。
沈まないと謳われた豪華客船の処女航海を記念に残すべく。

ブラウンはファーストクラスの食堂で同席した富豪カップルと親しくなった。
「ニュヨーク往復の旅費を払ってあげるからニューヨークまで行こう」と言われ、彼は上の者の了解を得るために電報を打った。
しかし返事は「その船を降りなさい」だった。
沈没する船に乗りながら、沈没する前に降りた男、フランシス・ブラウン。沢山の記念の写真を手に。

タイタニック号が沈没後、ブラウンはその写真を新聞社など報道機関に販売した。
最初で最後のタイタニック号の写真は飛ぶように売れて、世界中の刊行物に掲載されるに至った。



竜巻を撮った高校生

写真と報道機関で思い出した。
9月2日に埼玉県で発生した竜巻被害。
あの竜巻を撮影しTwitterに載せたら、即座に報道機関が群がったという一件である。
こちらがその証拠ツイート(まとめ)
確かに凄い。
竜巻も然ることながら、こちらも竜巻なみに怖い。

写真は無償提供したようだ。
マスコミの群がり方、無償提供の是非、著名人と一般人の著作権保護の違いなど、物議を醸した。
しかしそうした物議があったということは悪いことではないと思う。
異様に感じたり疑問を持つ人がいることは一抹の救いである。
ただ東日本大震災のように被害が大きい場合には、おそらくそうした声も上がらない。
もしくはすぐに叩き潰されるのではないかと思う。
比較的軽度で限定的な災害であるからこそ議題に上ったのであろう。

リンクしたまとめにも書いてあるが、本人は「なんで写真あげるだけでお金もらわなきゃいけないんですか笑」とツイートしていたらしい。
携帯カメラ世代ならでは。「こんなんでお金もらえるの~?」みたいな、ね。
「他人の不幸でお金を貰ったら罰が当たる」、とは言わないか。

プロとアマチュアの違い。
有名人と無名人の違い。
撮った物と撮れた物の違い。
カメラの違い。
写真精度の違い。
誰でも撮れる時代と、誰にでも撮れない時代。
誰にでも撮れるものと、誰にでも撮れないもの。
作る写真と、作らない写真。
どうしても欲しい写真と、そうでない写真。
お金にすごく困っている人と、そうでない人。
あげても良い写真と、あげられない写真。
あげたい人と、あげてもよい人と、あげたくない人。










by yumimi61 | 2013-10-25 23:59