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右翼と左翼-トップダウンとボトムアップ-専制政治と独裁政治

●右翼

右翼または右派とは、保守や愛国といった思想の傾向を指している。
伝統的な社会秩序や価値を重要視し、社会的身分や地位の維持を支持するのが特徴。
安易に他国文化を取り入れるのではなく、国家固有の政治や文化、歴史や伝統を守り発展していこうという精神を持つ。
右翼というと天皇(皇族)を奉る団体というイメージがある人もいるかと思うが、これは上記のような古来からの伝統を重んじた結果と言える。
「右翼」の類義語には「保守」や「守旧」などがある。
ちなみに群馬県は選挙で自民党が強いことなどから保守王国と言われて長い。

●左翼

右翼・右派の反対は左翼・左派である。
左翼の類義語には「革新」「変革」「革命」「急進」「イノベーション」などがある。
平等な社会を目指すための社会変革を支持するのが特徴。
権利の平等、労働条件の改善、社会保障や福祉の向上、平和の追及などを目標とする。
「マイノリティ(弱者)に優しい社会の実現」などと謳うのはやはり左翼的な思想であると言える。
「平等」ということで分かると思うが、これは社会主義、共産主義、無政府主義的思想に繋がっている。
弱肉強食的な資本主義やトップダウン形式を基本的に嫌う。


●トップダウンとボトムアップ

トップダウンというのは、企業の経営方式を表する時によく使われる言葉である。
組織の上層部が意思決定 をし、その実行を下部組織に指示する管理方式。
反対はボトムアップである。
下からの意見を吸い上げて全体をまとめて いく管理方式。
「やりましょう」などと社長が安請け合いして物事が決まるソフトバンクは典型的なトップダウン形式の企業である。
「顧客の要望を聞いてくれるのだからボトムアップではないの?」と考える人もいるかもしれないが、企業の形式を指しているのだから顧客ではなく社員の意見を吸い上げるのがボトムアップ形式である。
社長の独断が多い企業はワンマン経営とも言う。


●専制政治と独裁政治

政治の世界(国家運営)ならば専制政治と独裁政治と呼ばれる形式がある。
社会的な身分や地位により支配層が決まり、支配される者の意思とは無関係に統治していくのが専制政治である。
昔の大名領国制や植民地支配などがこれに当たる。選挙に依らない方法で統治者が決まる。

一方、独裁政治というのは、国民の大多数の支持によって権力を与えられた独裁者による政治のことである。
「独裁」という言葉から独り歩きするイメージとは実体(実態)が少々違うのだが、これを誤って解釈している人も多い。
統治者と統治される側に身分の違いはない。あくまでも国民の代表である。
独裁政治が問題となるのは、少数の反対者に対して、また国民の支持が得られなくなった時に弾圧という手段に出ることである。
独裁政治や独裁者というとヒトラーの名が真っ先に上がりそうだが、元々は民衆の支持を得ていたのである。
国民と身分の違いがない者の統治なので、誰でも独裁者に成り得たということでもある。


●夫婦関係や恋人関係に置き換えると分かり易い(はず)

ふたりの仲が良い時、意見が一致する時は、大概どんなカップルだって上手くいくものなのだ。
問題は両者の意見や思惑が合わなくなった時である。
(独裁編)
「俺が主人だ!おまえが俺の意見に従え!!」「俺が稼いでいるんだ文句を言うな!」または「レディーファーストよ。女を立てなさい!」「家事に子育て、女ばかりに押し付けないでよ!!」などと、どちらか一方の支配者が暴挙に出るのである。
夫婦間虐待、または自分の憂さ晴らしにために子供を虐待、これが政治でいえば弾圧となる。
(専制編)
専制政治の場合は元々身分が確立していて同等ではない。
例えがよくないかもしれないけれど、SMプレイの関係性に似ている。
それほど両者の関係には絶対性があるということである。
地位だけで言うならば、ある時点での教師と生徒や親と子なども、入れ替え不能であるという観点から専制と言えるかもしれない。
専制を揺るがすのは、支配者の身分の維持が危うくなった時である。
カップルならば、「もうあなたには懲り懲り!」「他に好きな人がいるの!!」などと突如三行半を突き付けられた時である。
離婚に応じない、暴力で支配する、ストーカーとなって付きまとう、相手を不当に陥れる等、三面記事を飾りワイドショーが好みそうな事件となる。



ただし相対的

右翼と左翼の基本的な違いは上記のようになるが、国や時代などによって多少変化する。(変化せざるを得ない側面がある)
基本的に野党は与党には同調しない。
機能的役割からして天邪鬼のように反対のことを言わなければならないという使命がある。
よってクーデターなどで現政権を倒した場合と違い、民主主義の選挙において社会党や民主党が政権を握った場合には右左の考えは非常にややこしくなる。
多くの国民は右翼にも左翼にも無関係で、そこを基準に投票しているわけではない。
思想より遠い未来より目先の金や身近な縁故が大事。
資本主義なんてまさにそう。人様のことなんか考えてない。
それが日常なのである。
「震災」は非日常である。国民はずっと非日常にいるわけにはいかないのである。
こうした状況の中で、「天皇制反対!」「皇室解散!」と叫んでいた者が政権を握れば、伝統を重んじて天皇や皇室を敬わなければならない。
だから左翼・野党勢力が政権を取っても「言うは易く行うは難し」と非難されてしまう結果になる。
憲法でも変えないかぎり誰がなっても同じという状況である。



絶対君主制と制限君主制

かつて自由に職業を選択できない時代があった。
絶対君主制時代である。
君主が統治の全権能を持ち、好きなように権力を行使する事が出来た。

この絶対君主を支えていたのが「王権神授説」である。
王権は神から付与されたものであり、王は神に対してのみ責任を負い、また王権は人民はもとよりローマ教皇や神聖ローマ皇帝も含めた神以外の何人によっても拘束されることがなく、国王のなすことに対しては人民はなんら反抗できない」とする政治思想のこと。
国王の権利は神から授けられたものと主張したのである。
逆を言えば、神の後ろ盾がなければ只の人。
上記説明(青字)にもあるように、王権神授説は長いこと神の代理人とされてきたローマ教会の権力から逃れるための道標でもあった。
イギリスやフランスなどで称えられた。
「目には目を歯には歯を」という聖書由来の言葉があるが、神には神で対抗せよということである。

余談になるが「目には目を歯には歯を」という言葉も誤解されていることが多い。
復讐の推奨ではない。罪への意識を持たせ犯罪の抑止を狙うとともに、過剰な復讐を戒める言葉なのである。
拡大解釈すれば、感情の高ぶったまま報復に行くのではなく、法律の中で適正に裁くべきであるということ。
最近流行った「やられた倍返し」などという態度は、キリスト教や法律の否定でもある。
閑話休題。

日本の天皇は神の代理人どころか神(天照大神)の子孫としているため、その絶対性は崩し難い。
天照大神→孫のニニギノミコト→神武天皇。(家系図
神武天皇が初代天皇として今日まで数えられてきた。
しかしそれは日本神話由来であるため、実在には疑問を持つ者は少なくない。
またその時代から現代までの系譜の繋がりにも異を唱える者もいるし、直系ではないとも言われる。
キリスト教も聖書由来と言ってしまえばそのとおりで、私達はいつの時代もそれを「信じる」しかないのである。
「聖書の粗探しをする馬鹿」と言った人がいたが、神に異を唱えるな、疑問を持つな、偉そうなことを言うな、ということであろう。
「神童も大人になれば只の人」「朱に交われば赤くなる」という諺に垣間見られるように、本来、長い時間「神聖」を保つのはとても難しいことである。


絶対君主制の下では厳しい身分差別が存在し、民衆は自由に商売を始めることが出来なかった。
君主の贅沢な生活を維持していくには多くのお金(税金)が必要であり、君主は結託した一部の人だけに権利を分けて儲けさせたり、広く貢物(年貢・税金)を徴収したりした。
しかしこうした統治は民衆に不満が溜まりやすく、それが爆発すると絶対君主制も崩れてしまうのである。
天皇という君主が長いこと維持されてきたのは、朝廷と幕府、皇室と政府という二枚看板のおかげではないだろうか。
「任命」という権利を持つ「象徴」という立場と、「実権」を握る2つの立場が、良い意味でも悪い意味でも上手く機能してきたのだと思う。




by yumimi61 | 2013-11-15 16:38