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器官96

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人間と思うな!?

人々が健康だと儲からない病院の経営は矛盾を抱えているという話をこちらに書いた
病人や怪我人頼みの経営は不安定である。
もっと確かなるものが欲しい。内から湧き出でる希望が欲しい。
そんな病院経営者の切なる願いを叶えるお手伝いをするのが、健康診断や人間ドックである。
人々の体調不良を待つことはない。
こんな素晴らしいことがあるだろうか!

人間ドックが全国に展開されたのが1957年頃。
「人間ドック」という名称をつけたのは読売新聞。(こちらに書いたよ)
現在の日本人間ドック学会理事長は、足利赤十字病院で人間ドックに手を染めた。(こちらに書いた)

ここで人間ドックの始まりを知っておこう。出典はこちら。赤字は私の感情や説明の付け足し。

【提唱者】保健同人社
保健同人社の設立は戦後間もない1946年。設立者は朝日新聞の政治経済部の記者(当時42歳)。

【動機】ベルトコンベアに乗った患者(!)を各科の医師が次から次に検診し、コンベアの最後(!)では、得られた検査データをもとに主治医が総合判定をするというシステムを作りたい!!
このアイディアは、国立東京第一病院(現・国立国際医療センター)の守屋博医師(病院管理学の指導者)との議論の過程で生まれた。
機械化や大量生産の象徴がベルトコンベアである。人間性を無視した単純労働の例えともなる。
ベルトコンベアを発明したのはエジソンで、実用化したのは自動車王であるフォード。


【試行】
協力したのは、政治評論家の細川隆元氏、『保健同人』の表紙絵を担当した東山魁夷画伯、ロイター通信の幹部記者の恒川真氏。
3氏からはの健康管理に役立ったと好評であった。システム改革(!)にも一石を投じた。
・細川氏は熊本出身。東京大学→朝日新聞社(政治部長→ニューヨーク支局長→編集局長)
日本社会党から衆議院選挙に出馬し当選(1期・1947~1948年)→政治評論家に転身。

・皇居東宮御所の壁画「日月四季図」、新宮殿波の間の大壁画「朝明けの潮」も東山魁夷作である。ドイツに留学経験あり。
・ロイターは通信は、ユダヤ系ドイツ人のポール・ロイターがイギリスに設立した通信社。

【施行】
保健同人社が運営全面を担当。検診作業は国立東京第一病院が行うという形でスタートした、
受診を希望する人の受付から登録、そして経営維持まで責任を負う保健同人社のスタッフは大忙しだった。

【名付け親】
当初の名称は「短期間入院特別健康精査」であった。
1954年9月19日の読売新聞紙上で紹介され、そのときに「人間ドック」という呼称を与えてもらった。

【展開】
スタートからまもなく聖路加国際病院(!)、昭和医科大学病院、東京女子医科大学病院が加わった。
4病院いずれも、受診者の受け入れ、登録、補充など現場の世話は、保健同人社が請け負った。
開拓者の気概をもって殺到する(!)受診者の対応に取り組んだ。
その2~3年後には全国の病院でも人間ドックが次々に創設され、やがて厚生省(現・厚生労働省)から病院単独での人間ドック運営が公認されたことに伴い、当社が4病院と交わしていた検査作業の委託と受諾の契約を解消し、当局に返上。
旧態然(!)とした日本に1つの新しい医療システムが完成した。

要は通信を利用した政治経済主導であったということですね。

しかしそれにしても、病院単独の運営が認められていなかったのに、病院でもない一出版社が運営するのはOKって、いったいどいうこと? 「当局に返上」って?




病院はリッチだった

病人や怪我人頼みの経営は不安定であるのと同じで、健康な人の健康診断や人間ドックの受診もただ待っているだけでは落ち着かない。
放っておけば、健康な者は体調不良者よりもあてにならない人達であった。
何故こんなことに気付かなかったのか。こうなったら取りに行くしかない!
目の付け所は世にごまんといる労働者である。
法律で企業を縛り付け、健康診断やら検診、人間ドックに送り込んでもらおう。そうだそうだ、それがいい。
たぶんこんな感じだったのではないだろうか。

現代は病院が健康管理センターや健診センターなどと称して、健康診断や人間ドックを実施する部門を持つところも多い。
病院も積極的なわけである。
病院の事務長などが企業や健康保険組合などを詣で、「ぜひとも当病院と契約を、提携を」などと言うのである。

契約関係にある病院や会社、それから部品や薬剤・機械などを納入している会社など、こうしたところからは契約時だけでなく季節の折々(盆暮れなど)に付け届けがある。
私も恩恵に与ったことがある。
一般的にはやはり景気が反映されるが、病院は不況下でも経営が厳しくとも付け届けに関しては他に比べるとなかなかリッチであることが多い。
前にも書いたけれど製薬会社も凄い。
製薬会社が医師にする接待などを見ていると、病院側もそういう感覚になってしまうのかもしれない。
もちろん病院にもよる。会社間よりも病院間の差のほうが大きいかもしれない。
しかし病院にはそうした土壌が少なからずあるので、病院と政治家の組み合わせでの金銭の授受には「やっぱりね」くらいな感想を抱いてしまう。
「なんでそんな馬鹿なことするんだろう」と思うかもしれないが、感覚が麻痺していて案外それほど罪悪感がないのかもしれない。
あらゆるところから様々な付け届けがあるのが政治家であると考えられるから。



虎の巻

徳洲会の創立者である徳田虎雄氏は、2002年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したそうである。
そのため次第に国会にも出席できなくなり、2005年に政界を引退した。
後継者として政界へ進出したのは息子である徳田毅氏。
帝京大学を中退後、父の公設秘書や徳洲会の理事を務めていたが、2005年から衆議院議員となった。
2005年の選挙は無所属での出馬だったが2006年11月より自民党に入党している。(事件発覚後に離党)
2003年の結婚の際には亀井静香氏(東大→警察庁→衆議院議員・自民党→2005年国民新党結成→離党し無所属→2012年反TPP・脱原発を実現する党結成→減税日本や未来の党と合流→選挙後に離党→みどりの風)が媒酌人であったそうだ。
現在、選挙違反として事件となっているのは、徳田毅氏の2012年の選挙戦である。

徳田毅議員は第2次安倍内閣(2012年12月26日~)において国土交通省政務官と復興大臣政務官に任命されたが、就任後1ヶ月余りで女性問題により辞任していた。



徳田虎雄氏の妻は薬剤師で、夫妻には7人(2男5女)の子供がいる。
次男の毅氏と四女以外はみな医師である。
親が医師であり、特に病院経営をしている場合などには、目標が定めやすいためか、幼い頃から英才教育をするせいか、目的意識が強いためか、それこそ血筋というべきか、子供も医師になることが多い。
以前こちらに、私は裏口から医学部に入学した開業医の子供を知っていると書いたが、薬学部(私大)に裏口入学した子供も知っている。
そちらも開業医の娘だった。裏から入った大学はさほど偏差値の高い大学ではなかった。(薬学部もいろいろある
彼女自身はスポーツが得意で別に悪い人ではなかったけれども。
恵まれた環境には恵まれた環境なりの大変さがあるわけだ。


私は徳田家がそうだとは言っているわけではないし、職種や大学を全てそんな目で見られては困ることもよく分かっている。
しかし力を持った人というのはどうしたって平民よりも影響力が大きい。過ちにも同じことが言える。
本人は軽い気持ちでやっているのかもしれないが、それが未来を左右してしまうことだってあると思う。
意識して襟を正す必要があるのだが、「未来なんか知ったこっちゃない」という人には誰が何を言っても届かないかもしれない。
人間は基本的に未来を考えられない生き物だと思う。というか、未来を考える生き物などいないのだ。
「未来」「未来」と口にするのは、それを認めたくない意識が無意識に働くからであろう。
または忘れないように事あるごとに復唱しているのである。
他の事を考えられるのに未来を考えられないのは困る。
そんな未来を考えられない人間に神が与えたのが子供と死であり、未来を考えられない人間であることを自覚して形成したのが家族であると思う。
だけど近い未来を見過ぎると遠い未来には思いが及ばなくなるというパラドックスが存在していた。ああ神よ~

ちなみに徳田虎雄氏の弟3人も医師であるそうだ。
随分余計なお世話だろうけれど、貧しい家計からよく4人も医学部へ通わせることが出来たと思う。
先祖伝来の土地が相当あったということか?
ということは、収入はあまりないけど不動産的には資産家だったのか?
それとも大学偏差値が時代によって違うように当時の医学部の学費はそれほど高くなかったとか?













by yumimi61 | 2013-11-24 17:13