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やがてそこに。


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器官105

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「いけい」「おそれ」「けがれ」

ヨセフとマリアのどちらが偉いかという話の続き。

・私の回答はマリアが偉いだった。何故なら妊娠出産は命がけだから。
・しかし実際のところ、妊娠出産は命がけではない。
・現代の日本において、妊娠出産で亡くなる人は0(れい)%と言える。死亡率が最高と言われている国でも1%程度。

西暦はイエス・キリストの生誕を基準にしているから、マリアがイエスを産んだのは2013年前。
100年200年の話ではない。2000年以上前の話なのである。
2000年前がどんな社会だったのか想像するのはなかなか難しい。
しかし恐竜の絶滅したのはもっと昔、6500万年前と言われている。
どれだけ昔なのかとクラクラしてくる。


そこで年齢を指標にしてみた。
旧約聖書に出てくる人は皆長生きである。(数の概念が今と同じならば)
アダムやノアは1000歳近くまで生きていたと記されている。(100歳過ぎてからも生殖していた)
セム以降は500歳以下となり、アブラハム以降は200歳以下となった。
新約聖書の時代はそれより後なので寿命が100歳くらいだった考えられる。
寿命だけから言えば、現代と大きくかけ離れた世界ではなさそうだ。
何故寿命が短くなったのかも興味深い事柄ではあるが、とりあえずヨセフとマリア問題の先を急ごう。


イエスが生まれた場所を考えてみた。
日本では「馬小屋(厩、馬屋)」と言われているが、馬とは限定できず「家畜小屋」とでも言ったほうがよいらしい。
イエスが生まれた時にはそばに牛とロバがいたようだ。
家畜小屋なんて衛生状態最悪。現代人ならばそう思うだろう。(豚小屋という比喩もあるくらいだし)
しかし日本でも昔は村のはずれに建てられた「産小屋」という場所で出産していた。
血は忌み嫌われ、出産や月経は不浄なものと思われており、隔離される場所があったのだ。
月経中の女や産気づいた女はここに集った。
隔離というと悪いイメージしか持たない人も実に多いが悪い面ばかりではない。
人が逆らい難い死や病気という運命を運ぶ「物の怪(もののけ)」から産婦や赤ちゃんの身を隠す意味もあったと言われている。
また外から病原菌などを運んでくる男を遠ざけることが感染予防になっていたとも考えられる。
そしてそこでは女が女を助けた。それが後に「産婆」「助産婦」という仕事に繋がったのだと思う。

この「産小屋」は日本書紀など神の時代から明治時代まで存在した。
その後は自宅出産が主流となるがやはり納戸や土間で行われていた。多くの場合、男子禁制であった。
現代のように出産のほとんどが病院で行われるようになったのは1975年(昭和50年)以降のことである。
これに伴い赤ちゃんを取り上げる人は助産婦(後に助産師)から産科医へと大きく移行した。
1975年の妊産婦死亡は、妊産婦10万人中27.3人。
出産場所が病院になり産科医が受け持つようになったから妊産婦死亡が急激に減少したわけではない。
死亡数は徐々に減ってきたのである。
(日本の場合、第二次世界大戦敗戦前後1944~1946年の統計データがない。戦前より戦後の方が死亡率は低いが、戦後10年間は死亡率に変化が見られず、若干上昇した年もあった)


ここを読んでみてほしい
聖書には家畜小屋や馬小屋で生まれたという記述はないそうだ。
小屋の出典は「偽マタイ福音書」。
しかもその本においてもイエスが生まれた場所は家畜小屋ではなく洞窟となっており、3日後に別の場所に移動したと書いてあるとのこと。
面白いのは単語。家畜小屋(馬小屋)を指す単語は英語だと「stable」。
stable違い!?

「いけい」「おそれ」の違いは分かるかと思うので「けがれ」の説明をしておこう。
けがれ=穢れ、汚れ
不浄なもの、汚いものとして忌み嫌われる「けがれ」。
穢れるということは大人になるという意味がある。
血を知って(月経、分娩)、少女から女へ、女から母へ。
また「気枯れ」「木枯れ」でもある。
気枯れは気力が枯れること。
月経や出産は女の体力や情緒安定を奪うものでもある。
木枯れは死と再生の意味を持つ。
木の枯れは死である。
しかし冬に見られる枯れは死ではない。
余分な物を落として体力を温存し、やがて再生する。



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= ここからは12月14日に書いています。=

上記に「ここを読んでみてほしい」と書いてリンクしましたが、リンク切れとなっておりました。
こちらをお読みください。


何故私はマリアが偉いと言ったか?

2000年前であっても妊産婦死亡率が極端に高かったということはなかったと思う。
それなのに何故私がマリアのほうが偉いと思ったのか?

●第一の理由は、マリアはおそらく出産の壮絶さを知っていたはずだから。

昔の人のほうが出産や死を目にする機会が多かった。
現代では出産も臨終も病院で迎えることが多く、一般的には他人のそれを見る機会はほとんどない。
家族であっても全てに立ち会えるわけではないし、例えば子供などは遠ざけられるだろう。
しかし昔は違った。
女であれば、自分が出産を経験するより前に、産小屋や自宅で、他の女や家族が出産するところを見たことがあったはず。
死はもっと身近で、家族や近所の誰かが亡くなる瞬間に多くの者が立ち会った経験があったと思う。
だからそれが決して「綺麗なもの」でも「楽なもの」でもないことを知っていた。
知らないで行うことよりも、知っているのに行うことのほうが、より勇気が必要である。

現代の場合、「出産は命がけ」という言葉を知っていても、実際にその壮絶な場面を見たことがない。
言葉は体や心には落ちていない。そして下準備のないままに出産を経験する。
生ぬるい現代を生きる人達にとって大抵は自分が思っていたよりも凄いことなので、出産を経験した女は「出産はまさしく命がけよ!」と譲らない。
逆に「出産は命がけ」「お産は死ぬほど痛い」という言葉だけに囚われると、無痛分娩や帝王切開を希望したり、産まないという選択をすることになる。
無痛分娩や帝王切開は出産時の痛みはないかもしれないが、麻酔をかけるわけだから危険度は遥かに高くなる。


●第二の理由は、実の父親と結婚相手が違うのに出産を決断したこと。

どうして生むという決断をするか?
愛する人の子だと思うから痛みや苦しみに耐えようと思う。
この子が生まれてくることを多くの人が祝福してくれると分かっているから乗り越えようと思う。

マリアのお腹の中にいた子は、夫となる男性(ヨセフ)の子ではなかった。
マリアがヨセフを愛していたならば、「愛する人の子だから」という心理が働きにくい。
無事に生まれたとしても世間の風当たりが強いことは容易に想像できる。
(実際、『マタイによる福音書』にはイエス誕生後に幼児虐殺が綴られている。イエスが生まれたと聞いたユダヤの支配者がベツレヘムで2歳以下の男児を殺害させたとされる出来事である。)
また受け入れてくれた人がずっとそばにいてくれる保証はどこにもない。
理解者が病気や不慮の事故で他界してしまうことだってあるだろう。
最初は理解を示していたが途中で心変わりすることだってあるかもしれない。
それを誰に責めることができようか。
責任を負うのはマリアである。
孤独の影は払しょくできない。
その中で出産を決意したマリアの精神力は賞賛に値する。
もちろんそれには、受け入れてくれたヨセフと、「生まれてきた子は民衆を救うはず」とアドバイスした人の愛があったからに他ならない。
その愛を信じての決断である。


イエス生誕に見る、イエスの死と復活

上記リンクに「偽マタイ福音書」のことが書かれている。
イエスは洞窟で生まれ、3日後に別の場所に移動した。

And on the third day after the birth of our Lord Jesus Christ, Mary went out of the cave and, entering a stable, placed the child in the manger, and an ox and an ass adored him.

自らの立場をわきまえて洞窟でそっとイエスを産んだマリア。
それを伝え聞いた誰かが「あなたたちもここに来なさい」と産小屋に連れてきたのではないだろうか。
イエスは他の者(牛とロバ)に可愛がられた。
イエスが、そしてマリアとヨセフが、他者に受け入れられた瞬間である。

望まない子や望まれないであろう子を妊娠した時、昔の女性は冷たい水に何時間も浸かったり、何か変なものを食べたり飲んだりして流産させた。
堕胎はそれこそ命懸けだった。
それも叶わず生まれてきてしまった場合には、他の女性(産婆)が生まれた直後に殺し、死産としていた。
そんなことは本来誰もしたくない。
「生まれてくる子が民衆を救う」と言った意味は深い。
そうしたことが陰ながら沢山行われていたということであろう。

死ぬ運命を背負ったイエスが生まれた。
罪を背負って。
それは死ぬことより辛い生となるかもしれない。
しかし3日後、他者に受け入れられたことで、イエスに瑞々しい生が吹き込まれた。

「偽マタイ福音書」は今で言う解説本のような書物だったのかもしれない。(門の存在感が見る者を圧倒する、生誕



マリアの叫び

人が逆らい難い死や病気という運命を運ぶ「物の怪(もののけ)」。
妊産婦や赤ちゃんには特に付きやすい(憑きやすい)。

堕胎は命懸けだった時代。

だけどマリア叫んだ。
「命が怪(いのちがけ)-!」

「物の怪(もののけ)」なんかには負けない。
命のほうがよっぽど怪(不思議、神秘)なのだから。

私は堕胎に命を懸けたりなんかしない。
生むことに命をかける。
授かったこの子に自分のこれからの生涯を捧げよう。
この運命に、不確かな愛に、かけてみよう。
命から命へ、未来へと、橋をかけよう。


本意ではなかった妊娠。
おそらく誰も天使やコウノトリが赤ちゃんを運んできたなんて思っていなかった。マリアとて同じ。
相手が誰にせよ、どんな状況であったにしても、性交(セックス)をして出来た子だと思っていたのである。
その上での決断だった。

ひょっとすると・・・
そのことが本当に奇跡を呼んだのかもしれない。











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by yumimi61 | 2013-12-13 19:55