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やがてそこに。


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器官106

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---次男が中学生の時に書いた絵---







ステータス、いないいないばー

今日午前中テレビを観ていたらTBSの番組に山王病院副院長が出演していた。
この方、爆笑問題のプロダクション(タイタン!)に所属してテレビのお仕事をしているようだ。

山王病院と言えば、皇族&芸能人御用達ブランド産院御三家の1つとして名高い。
御三家は、港区赤坂の山王病院、港区南麻布の愛育病院、中央区明石(築地)の聖路加国際病院である。
兎にも角にも高額であることがウリ。
「ステータス向上のためには、出産も子供も庶民とは差をつける必要があるざますっ」←誰やねん?
そして子供にはやはりこう言うのだろうか。
「あなたは生まれた所からして違うのよ」

ブランド産院御三家徹底比較!


山王病院は1996年には高邦会・国際医療福祉大学グループによって買収され経営者が変わっている。
品の無い2ちゃんねるの話題で申し訳ないけれど(あんなに言われたくない?)、46の書き込み。
46(2011/02/11) 都知事の選挙、受かるといいね

愛育病院は2009年に「総合周産期母子医療センターの指定」解除を東京都に打診しニュースになったことがあった
「総合周産期母子医療センターの指定」とは早産などハイリスクの妊産婦を24時間体制で受け入れる医療機関として都道府県から指定されるもの。
何故解除を打診していたかというと、労使協定(三六協定)を結ばず医師に長時間労働をさせており、労働基準監督署から是正勧告を受けたからである。
愛育病院の院長は記者会見にて「人を増やして過重労働をなくすような対策のロードマップ(道筋)を行政がつくってほしい」と訴えたそうである
「じゃあ新しい病院でも建てたらどうだ?」と言われたのか知らないが、新築移転予定。移転先はあの芝浦。



病院以外で出産するケース

●トイレなどで産み落とし
近年でも時々、自宅やトイレで赤ちゃんを産み落としたというケースがニュースなどに取り上げられることがある。
ニュースになるのは10代の若い女性であることが多い。
本人が妊娠に気づいていなかったというケースもあるし、気付いた時には中絶も出来ない週数になっており密かに産み落とすしかなかったという人もいる。

●費用と拘りにて自宅出産
低所得層などでは費用を節約するため自宅出産をする人もいる。
また、並々ならぬ拘りがあって自宅出産を選択する人もいる。(家族愛と平和と平等を謳う若干左寄りな人達に多いかも知れない)
後者の場合には助産師などが立ち会うことが多いとは思うが。

●産科恐怖症の自宅出産
女性の中には膣の中に指や器具を入れられることを拒否する人達がいる。(性器や性交は自然なものとして捉えるので大丈夫らしい)
尤も内診を喜んでする女性は元来そう多くはないと思う。
どんな女性であっても身構えるだろうし違和感は大きいはず。
しかし我慢して行うのが一般的であろう。
拒否する人達というのは生理的な拒絶に近く、気分が悪くなったり(血圧が上昇したり、酸欠や過呼吸のような状態になったり、嘔吐したり)、失神したりする。
白衣を見ただけで血圧が上がる人がいたり(白衣性高血圧症)、望まないセックス(レイプや近親相姦など)が心に深い傷を与えることを思えば、そういう人がいてもおかしくはない。
そうした人たちは病院でのお産も恐怖でしかなく、検診に行きたくない、自宅で産みたいと考える。

内診をする時、医師と受診者の間にはカーテンが引かれる。
そのカーテンに余計に恐怖心を煽られると言う人も少なくない。
受診者は滅多に人目に晒すことのないものをさらけ出しているというのに、向こう側では何をしているのか分からない。
カチャカチャとした冷たい金属音だけが響いて怖いと言うのだ。
無論、広げた脚の先に医師の顔や器具があるのを見たくないという人もいるだろう。
一律には語れない難しい問題ではある。
1つ知っておいてほしいのは、医師や看護師、助産師などはいきなりプロになるわけではないということ。
内診のカーテンが引かれてから、受診者には気付かれないようにそっと実習生を呼び込むことがある。
カーテンの向こう側で複数の人が見学していることがあるのだ。
実習生に変な下心があるわけではないが、内診はデリケートな問題であるし、産科に限らず実習生というのは患者から敬遠されることが多々あるので、そうせざるを得ないという面もある。

●間に合わず自宅出産
産科を受診し検診も受けていたが、急な陣痛により自宅出産となるケースがある。
病院へ連絡を入れたり、救急車を呼んだりしても、移動するよりは自宅で産んだほうが安全だと判断されることは珍しくはない。
助産師などが駆け付ける前に生まれてしまう場合もあれば、救急隊員などが介助に入るケースもある。



男子たるものは、一度戦って負けても、やめてはならない。 二度目三度目の戦いの後でも、やめてはならない。 刀折れ、矢尽きてもやめてはならない。 骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ。

血(月経・分娩)を知って、少女から女へ、女から母へ。 これが女子たるものである。

女子ばかりでは不公平なので男子についても語っておこう。

父を知って、少年から男へ、男から父へ。

「ち」を2つ重ねると「ちち」。
男が知るのは「父」である。
言っておくけど「乳」じゃないわよ。「乳」を出すのも女だから。
男が知る「父」の意味は実の父親という意味だけではない。
外に出て戦う「父なるもの」ということであろう。


表題の「男子たるものは、・・・」という文章は新島襄の言葉として知られている。
秋元先生が長いタイトルのヒントをここから得たかは分からないが、株式会社giftの経営陣仲間である幻冬舎社長の見城徹氏とサイバーエージェント社長の藤田晋氏の共著『憂鬱でなければ、仕事じゃない』の最終章タイトルは「男子たるもの、最後の血の一滴が流れるまで、戦い抜け」で、文中に新島襄の上記言葉を引いている。
新島襄の言葉の最後は聖書に返っていると思う。(何と言っても新島先生はクリスチャンだもの)
この本もビジネスマンの聖書(バイブル)として宣伝されていたので、私は実際に聖書を引きたいと思う。

創世記2:21
And Jehovah God caused a deep sleep to fall upon the man, and he slept; and he took one of his ribs, and closed up the flesh instead thereof:
そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

創世記2:22
and the rib, which Jehovah God had taken from the man, made he a woman, and brought her unto the man.
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

創世記2:23
And the man said, This is now bone of my bones, and flesh of my flesh: she shall be called Woman, because she was taken out of Man.
そのとき、人は言った。 「これこそ、ついにわたしの骨の骨、 わたしの肉の肉。 男から取ったものだから、 これを女と名づけよう」。

創世記2:24
Therefore shall a man leave his father and his mother, and shall cleave unto his wife: and they shall be one flesh.
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

創世記2:25
And they were both naked, the man and his wife, and were not ashamed.
人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。



何故「あばら骨」であって他の骨ではダメだったんだろうという疑問があるかと思うが、おそらく、あばら骨は心臓を守っている骨だからだろう。
命を、ハートを、怪を、気を、木を、守る骨。それがあばら骨(rib)。
それは「気骨」という言葉で表すことが出来る。
気骨― 自分の信念を守って、どんな障害にも屈服しない強い意気。
英語ならば「spirit」。
古代エジプトではイブには心臓という意味があったようだ。


創世記2:21の眠らせたというのは死の暗喩ではないか。
外で戦って死ぬのは男だった。
死んだ人は母なる大地に返る。女に抱かれ融けて眠り土となる。最終的に人はみな女に返るのだ。
しかし、すぐにはとけないものがある。それが骨である。
死があって骨がなければ男という性は簡単に消滅してしまう。

女は多くの死と男の悲哀を内に持つ。だから「woman」なのではないだろうか?
外で戦って命を守ってくれる男という性がなければ、女は自ら戦わなければいけないのだから、やがて女という性も滅びるだろう。

あばら骨から女が創られたのには意味がある。
女の中に精子が注がれ子が出来ることにも意味がある。
精子はあばら骨と言える。
いくら女が母なる大地で生命を育むことが出来ると言っても、精子がないことには人間を創造することは不可能なのだ。(不可能だったと過去形で言うべきだろうか?)
消滅してしまう夥しい死。生き残り受け継がれる気骨。
精子はまさしく男の生と死の象徴である。






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by yumimi61 | 2013-12-15 15:53