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器官148

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ヒントにならない?

3月と言えばジャガイモの植え付け時期。
あなたはジャガイモを植え付けたことがありますか?

種イモの大きさによるが通常1つの種芋を2~4つにカットして植える。
そのカットして植えたイモそれぞれから芽を出し根が出来て葉を生い茂らせ、幾つもの塊茎(地下の茎の部分)を太らせる。
その塊茎がジャガイモと言う食べ物で、私達を満たすものである。

種芋をカットして植える場合には灰や石灰、草木灰などを切り口に付けると良いとされていた。
これら灰は強いアルカリ性という性質を持ち、殺菌作用があるため切り口からの腐敗を防止する意味で使用される。
もうちょっと洒落て珪酸塩白土を使う人もいる。
最近は乾かすだけで何も付けなくてよいとレクチャーされることも多い。
乾かすということは昔から行われていた方法であるが、これは日に当てて乾かすことに殺菌効果があると考えられていたからである。布団を干すのと同じイメージ。
しかしここ最近はこれをキュアリングと呼ぶ。
この場合は湿度のある環境に2,3日置いておくのが良いと言われる。
2,3日というのは切り口に新しい組織が生成されて覆われるまでの時間だということ。
灰を付けるのは逆に病気になりやすいと聞いたら、それは「そうか病」を念頭に置いていると思ってほしい。
ジャガイモの大敵「そうか病」はアルカリ性土壌を好むので、アルカリである灰は避けるべしということだ。
しかし(ぶっちゃけ)何をしたって病気になるときはなるし、ならない時はならない。
「種芋の植え付け」はジャガイモ収穫までの1つの条件に過ぎない。


ハイターとして馴染み深い塩素系漂白剤は次亜塩素酸ナトリウムが主成分で、水酸化ナトリウムというアルカリ剤が使われており液体はアルカリ性である。
ノロウイルスの消毒に効果があるとされたのがこれ。
しかしノロウイルスの不活化は試験管の中での話で医療現場や生活の場での有効性とは一致していない。
肌がつるつるになると謳う「美人の湯」系統の温泉はアルカリ泉であることが多い。
漂白剤が肌に付いてつるつるになったことがないだろうか?程度の差こそあれ、それと同じ。
またコマーシャルの「素肌と同じ成分だから優しい」に影響されて弱酸性が肌に優しいと思っている人も多いのではないだろうか?
純石鹸の良さが見直されている昨今だが石鹸はアルカリ性である。ボディソープや洗顔料は弱酸性を謳うものが多い。
アトピーなど皮膚病に良いとされる温泉は酸性泉であることが多い。
群馬で言えば草津温泉が酸性泉で、水上温泉はアルカリ泉。

アルカリにしても酸にしても効果と有害性は背中合わせ。
優しいということは効かないということでもあり、効くということは厳しいということでもある。
人間の身体は恒常性維持という機能を備えておりアルカリ性や酸性の食品を食べたくらいでどちらかに偏ることはない。

STAP細胞は弱酸性の刺激を加える(弱酸性溶液に入れる)などの簡単操作で最短2日で出来ると発表された。


もちろんの木

話が若干脱線するがこれも書かせてもらおう。

子育ては綺麗ごとでは済まない。
子供が成長するまでには幾度となく子供を叱る。
「叱る」よりも「怒る」という言葉の方が相応しいことも多々ある。
すべきでないと分かっていても感情にまかせて人格攻撃のような言葉を発してしまうこともある。
非難している子は紛れもなく自分が産んで育てた子だというのに。

あることで子供を散々怒った後に子供がまたそれと同じことをすることもよくあると思う
私はそれを見ると内心安心することがあった。
呆れる気持ちもないわけではないが、安心する気持ちが勝るのである。
それがどういう時かと言えば自分の怒り方が激しかった時である。
怒ったことによって効果が出たとするなら、子供はかなり傷ついてもいるはずだからだ。
効果がないことによって自分が許されているような気がした。
しかし怒る理由によってはその気持ちは生じないだろうとも思う。
たとえば子供が罪を犯し、その罪を繰り返したとするなら安心することはないだろう。
つまり怒ったことが効果なく安心するようなことは、してはいけない程度としては比較的軽度なことであるということでもあり、軽度なことにむきになって怒ったことを証明することにもなってしまう。

『モチモチの木』という絵本がある。切り絵が印象的な絵本。
学校の国語の教科書にも掲載されていたことがあったので知っている人も多いかもしれない。

じさま(おじいさん)と二人暮らしの少年(豆太)は臆病者で夜になると一人でトイレにも行けない。
ある夜じさまが急に具合が悪くなる。
少年は勇気をふりしぼって医者を呼びに山を駆け下りていくのだった。

私はこのストーリーのラストの一文が好きである。
それでも、豆太は、じさまが元気になると、そのばんから、「じさまぁ。」と、しょんべんにじさまを起こしたとさ。

少年はすぐに変わらなかったのである。
おじいさんの病気は非日常であった。火事場の馬鹿力が発揮されただけ。
最後の一文は、日常を、おじいさんを、少年を、そっくりそのまま肯定している。
私達に届けられたのは安心だ。
少年はすぐには変わらなかったがやがて大人になる日が来るであろう。
そこに見え隠れするのは希望である。


ノーヘルで卒業

脱線ついでにもうひとつ。

長男が中学3年生の時のこと。
12月だったか1月だったか冬の出来事であった。
長男が通っていた中学は自転車通学が認められている。
原則的な該当者は家が遠い生徒。学校から何キロ以上という決まりがあったと思う。
その他の生徒は自転車通学が必要な理由を書いて許可願いを申請する。
理由は「部活動で帰りが遅くなるため」であることがほとんど。休日の遠征などにも自転車は使用されていた。
よってほぼ全員の生徒が申請し許可を貰っている。
申請には保護者が署名捺印する。

中学の部活動は3年生の夏に引退となる。
数年前までは部活動を理由に申請していた生徒は引退とともに自転車通学の資格がなくなり徒歩通学となっていた。
しかしその決まりが無くなったようで、長男の時には部活動引退後も自転車通学が続けられていた。


学校は自転車に乗るときはヘルメット着用を義務付けている。遠征時のみならず日々の通学においても。
中3の冬、長男は学校帰りにノーヘルで自転車に乗っていたところ、巡回していた先生に見つかって指導を受けた。
友達4,5人と一緒で誰も被っていなかったようだ。
始末書には本人と保護者が反省や今後の取り組みなどを書く欄がある。
それを提出し5日間の自転車通学禁止期間を過ぎれば再び自転車通学が出来るようになる。

私はどうして被らなかったのかを長男に尋ねた。
「みんな被ってない」長男はそう言った。
「みんなが被らないから被らないの?」
「別にそういわけじゃないけど」
「じゃあなんで?」
「・・・(無言)・・・・」
「いつも被ってなかったの?」
「そうだよ」
「朝も帰りも?」
「そう。被ってる奴なんかいない」

中3にもなると先輩もいなくなり服装や規則には大抵緩くなる。
ヘルメットを好き好んで被る年頃でもない。
正直に言えば、3年も雑に使ったヘルメットに真の安全性を求めることにも少々無理があるかもしれない。
「被っている」としたって頭に乗せただけのヘルメットがいざという時どれほど有効だろうか。
そうは言ってもヘルメットを被ることが決まりなのだから仕方ない。
被らなくていいと思うのならばそれを伝える必要がある。
だから私は言った。

「被らなくていいと思うのならばそれをちゃんと先生に意見しなさい。始末書に反省していますとか今後はしませんと書いて同じことをするんだったら意味ないからね」
何度も確認したが長男は始末書を提出すると言う。
仕方なく私も一筆書いた。

それから僅か1週間ほどでまたしてもノーヘルでいるところを見つかり指導され始末書を持ってきた。
この時も何人か友達と一緒だったようだ。
「だからあれほど言ったでしょっ!」私は怒った。
子供が注意されるということは親が注意されるということでもあり、こうした場合、親の怒りは大抵増幅する。
この時はさすがに長男も返す言葉がなかったようだ。
私はその始末書にこのように書き、長男に同じことを申し渡した。
「反省文を出したにもかかわらず同じことをしたので卒業まで一切自転車通学はさせません」

友達はみな自転車通学だったが長男は卒業まで徒歩で通学した。文句や泣き言はもちろん言わなかった
朝我が家に立ち寄り一緒に学校に行っていた友達はその後も一緒に通学をしていた。
我が家まで自転車に乗ってきて、そこからは自転車を押して長男とともに歩いていたふうだった。
その子も長男と一緒にノーヘルを見つかって指導されていたらしかった。
ふたりは同じ高校に進学した。


不可逆性な命

植物と動物は同じ生き物でも違いがある。
動物の世界で奇跡と呼ばれることが植物の世界では当たり前に行われていることがある。
上にはジャガイモの例を書いたが、挿し芽や挿し木、葉挿しという方法で親株とは別の独立した株を作ることが出来る。
これを再生と言うことがある。
この場合の再生とは死んだ親株そのものが生き返ることではない。
挿し芽や挿し木をする親株は元気である必要がある。

親株から茎や枝を切り取って挿すだけ。ちょっとしたコツを押さえればそれほど難しいことではない。
好きな植物をどんどん増やせる。
母は挿し木や挿し芽が得意な人だったということをこちらに書いたことがある

たった1つの受精卵がほぼ全ての種類の細胞に分化していって臓器や神経などを作る。
たった1つの種子が分化して茎や葉を作っていく。
受精卵や種子は全能性を持つのである。
しかし残念ながらどうしてそうなるのかということは未だ解明されていない。
人間でも植物でも一般的には分化した細胞が元に戻ることはない。
もしも細胞が勝手に臓器や神経の役割を捨てて元に戻ったら生命は維持できなくなるのだから。
しかしそう、植物はわりと簡単な手法で一度分化した細胞が再び全能性を有する細胞(万能細胞)に戻り、新たに分化し成長することが可能なのである。
そういう意味で言うと、「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」というとネイチャーの評価は適切ではないかもしれない。
「生物」が「動物」だけを指し「植物」を無視しているようにも思える。

野菜のヘタの水栽培の経験はあるだろうか?
ニンジンや大根のヘタを水につけておくと僅か1,2日で瑞々しい葉を出す。
それを庭の土に植えたのがこの写真
土で生きられるということは葉だけでなく根も出るということ。

水に付けなくても勝手に葉が出てきたニンジンの写真はこちら
収穫時に一度葉を落としている。その後に生えてきた葉である。
しかそこれをこの状態で長く放っておけばニンジンは衰弱する。


「再生」という言葉に騙されてはいないか?

受精卵から取り出して作られる胚性幹細胞(ES細胞)。ほぼ全ての種類の細胞に分化する事が可能な細胞である。(未分化維持)
ES細胞に特徴的な4つの遺伝子を皮膚細胞に組み入れて多能性を有する細胞を作ったというのがiPS細胞である。(初期化)

これを挿し芽や挿し木で行う植物の再生になぞれば、ES細胞やiPS細胞は親株から切り取った枝や芽に当たる。(しかしどちらも植物のようにそのままは使えない)
論理的にはES細胞やiPS細胞から別の個体(人間)を作ることが可能である。
目的は親を生き返らすことではない。親と同じ種の独立した別の個体を作ることにある。
好きな人間をどんどん増やせる。

ES細胞とiPS細胞が持つ問題や複雑さを解消できると思わせたのがSTAP細胞である。
STAP細胞の考え方はどちらかというと植物寄りなのである。
しかし植物と動物の再生には大きな違いがある。
それは植物の再生は根を発生させることができるが、動物の再生では胎盤が作れないということである。

ところで、そもそも何故万能であることが必要なのでしょうか?
皆さんが想像しうる特定の疾患の治療のためというのであるならば、「万能」「全能」である必要はないと思いませんか。



ジャガイモは悪魔の食べ物だったって知ってる?

もう少し真面目にジャガイモの文化史
by yumimi61 | 2014-03-15 22:46