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やがてそこに。


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甍(いらか)百 ~JLスペシャル6~

6日も続いたらスペシャルじゃないのでは?
送り盆も、その週末も終わり、ちょうどきりのよい5でスペシャル終了しようと思っていたのですが、若干書き残したことがあるので、今日ももう1日JLスペシャルでいきたいと思います。

【奥多摩からの飛行経路について】
123便は幾つかの目撃証言があった。
西多摩郡奥多摩町日原 前田清巡査長(24)「川下より低空で左翼を大きく落とし斜めに落ちて来る感じで・・・直ぐ翼を取り戻し通り過ぎ北西山並みへ」
その後の別の場所での目撃証言もつなげれば、奥多摩町日原を北西方向に飛行していった123便は、埼玉県と山梨県と長野県の県境にある甲武信ヶ岳を南下。(埼玉県内のどこかで左旋回したということ)
その後は大きく右旋回して北西方向へ進み、扇平山の手前あたりで再び大きく右旋回し北東方向に向きを変えた。
123便は長野県、群馬県、埼玉県の県境にある三国山方向へ進み、群馬県内で墜落した。
横田基地以降の飛行経路を都道府県で表せば、東京都→埼玉県→山梨県→長野県→群馬県となる。
(余談だが三国山を地図上で▲表示すれば頂点は群馬県側となる)


【奥多摩で撮られた写真について】
飛行中の123便を東京都奥多摩町日原で撮影した人(山崎啓一さん)がいたという。
今回のフジテレビの特番でもその写真が使われていた。過去にも再三使われている。

気になるのは機体の赤い部分である。
ボイスレコーダーでは「ギアをみて」という機長の言葉があったが、機体底部の赤味はちょうどそのギア(車輪)あたりだろうか。もう少し前方になるだろうか?
下記画像はフジテレビではなく昨日リンクしたTBSの過去の特番より。(フジテレビでも同じように赤い部分がある画像が使用されていたが、その赤さについては特に言及していなかった)
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他にも幾つかネットから拾ってみた。
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下記は上野村の慰霊の園の資料館に展示されているものをこちらの方(青山貞一さん)が撮った写真。
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元の写真はこちらのようだ。要するに123便はもっと小さく写っている。
画質が荒いのでこれでも拡大しているはずだ。
飛ぶ飛行機を狙って撮ったわけではなく、居合わせた人が手持ちカメラでたまたま撮ったとするならばこんなものだろう。(飛んでいる飛行機を見つけてからではレンズを撮りかえる暇もない)
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下の写真は低空飛行している飛行機を私が慌てて撮ったもの。2枚撮るのが精一杯で木に被ってしまった。
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ここで登場しそうなのが、音声(音響)解析ならぬ画像解析である。
昨日リンクした動画をみてもらうと分かると思うが、テレビ番組で使われている画像はズームされてくるのである。
私が123便を誰でも出来る方法でズームしたらこうなった。
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専門家が行えば、最新の技術を持ってすれば、もっと見やすく出来る、そう言い出しそうだ。
しかし存在しないものはどんな技術を持ってしても映し出せないはずである。
最初に撮られたあの写真には機体に赤っぽい色なんか存在していない。
専門家や最新の技術を持ってすれば、存在しないものをあたかも存在していたかのように作り出すことが出来るということを、私達はもっと知るべきだろう。
形や色を付け加えたり削除することは、もはや専門家でなくともそう難しいことではない。
写真愛好家や写真のプロは当たり前のようにそれを行っている。
しかしそれは場合によっては捏造と呼ばれる。映画ならば許されても、許されない場合がある。
使命感を持てば持つほど捏造や偽装は起きやすい側面があることを過去にも書いたことがある。
STAP細胞論文も画像をいじって作り上げた。

上に掲載した写真は少しずつ違う。
それは、問題の垂直尾翼だったり、主翼先端の形であったり、ジェットエンジンの見え方だったり。
奥多摩で撮られた写真の画像解析により、写真が撮影された時点で垂直尾翼は55%以上欠損していたと推定された。
しかし写真によって見え方はまちまちだ。全く存在のないものもあれば、存在するように見えるものもある。


【垂直尾翼の真実を追え】
上記に元の写真と書いた写真と、それと似た角度から撮影された飛行機の写真を比較してみた。
(撮影角度重視で選んだので比較対象はANAのエアバスになってしまった。垂直尾翼の形は似ている)
この比較では垂直尾翼の先端が少し無いように思える。(赤ラインよる上の部分が破壊された)
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もしあの写真に間違いがなければ、垂直尾翼は55%も破損されていないと思う。(下画像程度)
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ところがテレビ番組ではこの画像から始まっていた。
もし元の写真の飛行機がこの大きさならば、上の元写真の垂直尾翼も怪しくなってしまう。
上の写真は垂直尾翼がとても綺麗に写っているから。
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こうなると何が本当なのか分からない。
画像解析をするのは構わないが元画像も提示すべきだ。
1985年と言うとデジタルカメラでなかったはず。
あの時代には誰でも簡単に画像処理は出来ないので、行ったとすれば自分で現像をするような写真通か専門家である。
デジタル時代とインターネット時代になってからは裾野が果てしなく広がったので真実は尚更埋もれがち。


事故調査委員会が本当の原因を隠すのと同様に、追求する側(探求側と開発側と言い換えてもいいかも)が自分の思惑に沿って画像処理などを行っていることがある。
民衆を誘導しての化かしあいの様相を呈することがあるのだ。 
それが判明すればどちらにしても信頼を損なうことになる。
名だたる組織の権威に傷がつくこともあれば、陰謀説(革新や開発と言い換えてもいいかも)が軽視されることもあるだろう。
しかし結局のところ多数決勝負だろうと思う。この世界は数が多い主張が正しくなるのが常だ。
特殊部隊には心理戦部隊や民事(作戦)部隊が掲載されている)


【なぜ123便だったのか】
日本航空123便の墜落は、事故原因の証拠に乏しく、異常発生後の挙動がおかしかったため、今なお陰謀論が根強い。
かつては陰謀論というのもテレビや書籍がそれを支えていたが、現在はインターネットでいつでもどこでもお目にかかれる時代なので余計に廃れない。
但し現代はいつでもどこでも誰にでも陰謀論を語ることができ、且つコピー&ペーストで拡散可能時代なため、陰謀論というものはかつてより軽視される風潮にある。

陰謀論ならば123便は狙われたということになる。
狙われたということはそれなりに理由があるはずだ。

==主要な陰謀説==

・プラザ合意のための揺さぶり
(G5のアメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本によって1985年9月22日に発表された。協調的ドル安を図ることの合意である。実質的にはアメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 円高ドル安に誘導する内容であった。日本不利な合意と墜落日が近かったために当初からこの説は根強い。だから坂本九さんなど有名人を多く乗せたとまで言われる)
・グリコ森永事件絡み
(脅迫された企業の1つであるハウス食品工業の社長・浦上郁夫氏が搭乗していて亡くなった。また同じ日に犯人側からの「終結宣言」が届いていた。しかしどこに届いたのかは、墜落でそれどころではなくなり定かではない)
・神経生理学の世界的権威であった大阪大学の塚原伸晃氏が搭乗していたから。
(文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり、文部省に出向いた帰路だった。マインドコントロールを研究していたとか)
・トロンOSの開発技術者が17名搭乗していたから。
(噂が出た最初の頃は「WindowsOS日本版の開発技術者」だったが、現在は「トロンOSの開発技術者」になっている)
・123便には貨物として多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が積載されていたから。
(核兵器転用可であり、日本国内で核兵器製造を計画していたため、アメリカのCIAやロックフェラーが脅して妨害したという噂)
・プロ野球チームの阪神タイガースがペナントレースで快進撃を続けていたため。
(阪神タイガースの中埜肇球団社長が搭乗していて亡くなった。阪神タイガースナインはこの日、福岡→羽田の移動で墜落機に乗っていた。それが折り返して羽田→大阪便になった。 しかし結局この年、チームは日本一に輝いた)


【トロンOS説での検証】

昨今この説でよくコピペされているのは以下の文章。
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実は20年前に日本に純国産の無償OSが存在していた。

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃の日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。
95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。 
それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
 
即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。
もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。
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20年前というのは80年代後半のこと。
ネタ元はこちらのようだ
上の記事は123便墜落絡みの記事に引用されていたものだが、ネタ元の1989年はしっかり省かれている。123便の墜落は1985年である。
つまり元の記事は墜落事故に絡めたものではなかったのだが、これを引用してあたかも墜落と関係しているかのように仕向ける記事を書いた人がいたのであろう。

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皆さんご存知だろうか。かつて日本にもこの「Windows」と競った「OS」のあったことを。
1980年代のことである。坂村健・東大教授(当時、助手)が手がけた「トロン」があった。
1989年、日本の全国の小中学校に大量の教育用コンピュータを導入する計画が打ち出され、大手メーカー11社の全社がOS「トロン」の採用を希望したのだった。
ところが、日本市場を「トロン」に独占され米国製OSが締め出されると危機感を抱いた米国政府が、「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて圧力をかけてきたのだ。
この勢いはただ者ではなく、日本に戦争を仕掛けてきたような勢いだったのである。即ち、米国にとっての「OS市場の独占」とは「国家戦略」であり、戦争に等しいものだったのだ。
この有無を言わせぬ「宣戦布告」に対して、当時の日本政府はあっさり「無条件降伏」をしたのだった。

かくして「Windows 95」が上陸し、瞬く間に日本のパソコン市場を独占して行ったのである。
米国のこの世界戦略は大成功し、パソコンOSといえば「Windows」、それ以外のアーキテクチャの機種は市場の片隅に追いやられたのである。殆どの人が、パソコンというと「Windows」そして「米国製」というイメージさえ持っている筈だ。
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TRONプロジェクト
TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足したのは1988年である。

このトロンプロジェクトに松下電器が関わっていた。
実は123便の犠牲者には松下電器グループの社員が複数いた。
1985年8月14日の毎日新聞には「一度に17人遭難松下電器グループ」という記事見出しがあったようだ
「トロンOSの開発技術者が17名搭乗していた」という説の17名はここから来たものと思われる。

犠牲者一覧があるので私も数えてみたが16名である。後で身元判明した人がいたのかもしれない。
会社や部署はそれぞれ違う。
10代の女性なども含まれている。出張帰りの人も多いが、レジャー帰りや帰省という私用で搭乗した人も含まれている。
 松下電器システムエンジニアリング本部課長
 松下電器産業システムエンジニアリング本部の部長
 松下電工東京支店
 松下電器ゼネラルオーディオ事業部アクセサリー営業部長
 松下電器製品開発推進センター副参事
 松下電器貿易総合企画室長
 松下電器九州特機営業所勤務
 松下電工東京支店
 松下電器貿易自動車機器課主任
 松下電器勤務
 松下電器産業ビデオ事業部課長
 松下電器ゼネラルオーディオ事業部首都圏営業課係長
 松下電器社員
 松下電器産業システムエンジニアリング本部企画担当参事
 松下電器電化調理事業部
 松下電器会社社員
※上記社名のシステムエンジニアはコンピュータープログラマーのことではない。
日本で言うシステムエンジニア(SE)という職種は和製英語。意味が違う。

【搭乗者について】
夏休み&お盆休みであり、ディズニーランドとつくば万博、帰省なども多いが、出張帰りの人が非常に多い。
1985年8月のお盆前後は11日と18日が日曜日。8月12日は月曜日。ちなみにオーソドックスな迎え盆は8月13日。
昨今ならば10日~18日の連続休暇をとる企業も少なくないと思うが(見かけだけよ?)、1985年8月12日夕方の大阪行き便にはサラリーマンが多かった。

個々の搭乗理由を見ていくと、一人一人に、確かに人生があったということを知らされて、とても切なくなる。


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by yumimi61 | 2014-08-18 17:08