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甍(いらか)百五十六

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「最後はアメだね」



今年の初夏に石原環境相が汚染土などの中間貯蔵施設を巡って「最後は金目でしょ」と発言し問題になったことがありましたね。覚えていますか?

「最後は金目でしょ」の何が一番問題だったかと言うと、言葉が丁寧じゃなかったこと。
金(かね)という言葉がわりと露骨な上に、金目(かねめ)には「お」が付いてない、というか付けられない。「おかねめ」ではおかしいから。
京都にある神社なんか「おかね」ではあまりに露骨にマネーが想像できてしまうと思ったのか、御金で「みかね」と読ませている。
「死亡見舞金」では露骨だから「香典」である。

費用だとか予算だとか政治家らしい言葉ならば印象は違ったのではないだろうか。
また「かね」よりは「きん」のほうがオブラートに包まれる。
ただその場合には「金(きん)」だけは成立しない。何か言葉を引っ付ける必要がある。見舞金、謝罪金、義援金、義損金、募金、金一封など。
「金を与える」「金を援助する」「金で詫びる」、こうした言葉で考えてみれば分かるけれど、「かね」と「きん」では意味が変わってくる。

「金(かね)」という言葉には多分に田舎(地方)蔑視や弱者(貧困)蔑視の匂いがしてしまうのだ。
『家なき子』というドラマで不遇な子供の主人公に「同情するならカネをくれー!」と言わせて流行語にもなったくらいだったけれど、あれは「弱者」や「貧しさ」や「異端」を端的に表現したものだ。
だからこそ多くの人の共感を得た。「ふふ、分かる分かる」という意味での共感である。本人がそう認識していなくとも。
東京はもちろんのこと地方の都市などでも田舎を馬鹿にするような発言をする人はとても多い。
酒の肴ではないけれども冗談半分のこともあるが、地方出身者は意外に傷ついていたりもする(らしい)。
(いいですか皆さん、生まれてくる場所や親は自分では選べないんですよ!)
群馬県がアフリカだなんて言われると気分を害する人もいるというわけだ。
自分を都会人だと思っている人は多分本人は気付いていないと思うのだが、言葉の端端に地方蔑視主義が滲み出てしまっていることがある。

田舎(地方)蔑視や弱者(貧困)蔑視に反論しようとするならば、郷土愛、田舎(地方)の豊さ、心の豊さを押し出すだろう。
そうでなければ都市化や一攫千金で同じ土俵に乗るかである。

ともかく「金(かね)」や「飯(めし)」や「腹(はら)」なんてハシタナイ言葉は上品な人達は使わない。また女子供に使わせてはならない。
「奥様見てほら。育ちが分かりますわね。おほほほほ」
それが暗黙の社会ルールである。








こうだ。どうだ?・・・ないないないない!(お金?食欲?今頃?)
1を並べた霜月に幸せや豊かさについて考えれば、それは人それぞれなのだという答えが自ずと見えてくる。
こんにちは。今日は分化文化の日ですね。
芸術の秋に文化に親しもうということで文化の日なんだろうなぁとお思いの方もいるでしょうが、文化というのは憲法のことです。

文化の日に語る天皇家

今日は日本国憲法の公布日で休日になっている。(昨年の文化の日後にも書きましたよ
しかしそう5月3日も憲法記念日である。こちらは施行日。
最近は祝日本来の意味合いが非常に希薄なっているが、5月3日はGW中のことなので尚更のことかもしれない。
11月3日は表向きは日本国憲法公布日だが、裏には明治節(明治天皇の誕生日)があると考えられている。

当代天皇の誕生日は「天皇誕生日」(1948年までは天長節)として存在する。
平成時代であれば12月23日がそうである。昭和時代には4月29日であった。
天皇誕生日なので時代によって祝日が動く。
動くと言っても即位と同時にカレンダーを書き換えればいいわけではなく法律を改正しなければならない。祝日というのは法に基づいたものである。

◎明治時代(1868〜1912)
◎大正時代(1912〜1926)
◎昭和時代(1926〜1989) 1945年第二次世界大戦に降伏
◎平成時代(1989〜)

明治時代までは天皇一代に元号一つとは決められていなかった。
それが法律で定められたのは1868年10月23日(慶応4年9月8日)のことである。そして慶応4年が明治元年となった。
これを「一世一元の詔(みことのり)」や「明治改元の詔」と言う。どちらが先か知らぬが「一世一代」という言葉はこれに関係するのではないだろうか。
要するに1人の天皇に1つの元号が与えられるようになった、言い換えると天皇至上主義的になったのは、明治天皇(明治時代)からのことである。
元号というと非常に古いイメージがあるのだが、元号と天皇が結びついたのは歴史が浅く近代のことなのだ。

【孝明天皇】
明治天皇の先代が孝明天皇。
1831年7月11日(天保2年6月14日)-1867年1月30日(慶応2年12月25日)。35歳で崩御(亡くなった)。
天皇在位は1846年3月10日(弘化3年2月13日)-1867年1月30日(慶応2年12月25日)であり、若干14歳で即位したことになる。
孝明天皇の実母は先代・仁孝天皇の女御(女官)だった藤原雅子。

【明治天皇】
明治天皇は孝明天皇が21歳の時に生まれた子である。
1852年11月3日(嘉永5年9月22日)-1912年7月30日(明治45年7月30日)。59歳で崩御。
天皇在位は1867年1月30日(慶応2年12月25日)-1912年(明治45年)7月30日。やはり14歳で即位している。
実母は先代・孝明天皇の女御(女官)であった中山慶子(中山忠能の娘ということだが出したのか出されたのか里子歴あり)。4歳近くまで中山家で育つ。

【大正天皇】
1879年(明治12年)8月31日-1926年(大正15年)12月25日。 
天皇在位は1912年(明治45年)7月30日 - 1926年(大正15年)12月25日。
実母は先代・明治天皇の女官であった柳原愛子。
中山忠則家に里子に出され、8歳の時(1887年)に明治天皇の皇后の養子となる。(明治天皇と皇后の間に実子はいなかった。明治天皇の妾の子も早死にしていた)
1900年5月10日(20歳)に結婚。一夫一妻制をとった初の天皇で、妻が皇后という身位となった。
それまでは結婚が女性(后妃)の身位(後述)を決めていたわけではない。 
また側室(妾・愛人)が公然と存在していた。
大正天皇の妻(皇后)は、公爵(華族)である九条道孝(藤原氏一族の最後の代表者)の妾の子であった。
生まれてすぐに東多摩郡高円寺村(現:杉並区)近郊の農家夫妻の家に里子に出され、1888年(4歳)に九条家に戻った。

【昭和天皇】
1901年(明治34年)4月29日-1989年(昭和64年)1月7日。
天皇在位は1926年(大正15年)12月25日-1989年(昭和64年)1月7日。25歳で即位している。
1904年(3歳)まで川村純義(薩摩藩士、海軍中将・戦死ではなく死後に海軍大将となった唯一の人物、妻は西郷隆盛の親戚)邸に預けられていた。
1924年1月26日(22歳)に結婚。
父が大正天皇で母は皇后。結婚と夫婦間の子(実子)という現代のスタンダードな形式をとった初の天皇である。
つまり現代社会において王道と信じて疑わない道はたかだか昭和時代に作られたものである。
「血統」「法律」というものにこだわれば天皇家など存在しなくなってしまう。


◆后妃の身位------------------------------------

●大宝律令(701年)によるもの・・・初の法律で定められたもの
①皇后
②妃―2名以内、4品*以上の内親王  *品位には一品(いっぽん)から四品(しほん)までの4段階があった。
③夫人―3名以内、3位以上(公卿)の娘
④嬪―4名以内、5位以上(貴族または豪族)の娘

●生まれてきた通称
①皇后―天皇や皇帝の正妻や正妃。一夫多妻制の場合は複数の妻のうち最上位の者となる(勝手に決められるわけではない)。

②中宮―皇后の住居が中宮であり、本来は皇后のこと。複数の妻(皇后)がいた場合には2番目以降の人が住む場所であった。時代によって中宮の意味合いや位が少々違う。

③女御―天皇の寝所に侍する者。中宮や皇后に昇格するための登竜門。

④更衣(後宮)―本来は便殿(天皇が外出訪問時に休憩する部屋)に詰めた女官であり、衣替えに奉仕する女官とも言われたが、後に天皇の寝室にも奉仕するようになり女御に次ぐ地位を獲得。

⑤御息所―本来は御息所(休息所)詰めの女官であったが、後に天皇の寝室にも奉仕して更衣に次ぐ地位を獲得した。次第に皇太子・親王の配偶者のことを指すようになった。

⑥御匣殿―本来は御匣殿(裁縫所)詰めの女官であったが、後に天皇の寝室にも奉仕して更衣に次ぐ地位を獲得した。ここの最上位のものは「別当」と称し、後に女御に昇る予定の女性が就く事もあった。

・尚侍・典侍―法律に規定された宮中に奉仕する女官(宮人)のみの組織「後宮十二司」があった。その1つ「内侍司に属する。後宮十二司には職による格付けがあって、一番上は蔵司で、膳司、縫司、内侍司と続いた。天皇の秘書的な仕事をした人。但し大正時代前まではここから后妃になっていた者がおり区別が曖昧。前述の中山慶子や柳原愛子は典侍であった。

たびたび映画化される江戸時代の大奥やイスラム圏のハーレム(ハレム)の世界観である。
皇帝・天皇・王など君主(主権者)である1人の男を巡る女の世界。
源氏物語の世界と言えば分かり易いだろうか。
奈良平安時代や鎌倉時代、江戸時代などの将軍(征夷大将軍)というのは若干立場が違う。軍隊の最高指揮者や指導者である。
将軍が率いる政府が幕府であり、つまり将軍とは幕府のトップでもある。
その将軍を任命したのは天皇であった。
戦国武将は戦国時代の武士集団の統率者である。
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きな臭い祝日

現在の祝日を規定している「国民の祝日に関する法律」では、先代天皇の誕生日は休日にするとは定めていない。
しかし明治天皇の誕生日(文化の日)と昭和天皇の誕生日(みどりの日→昭和の日)は結果として祝日として残っている。

大正天皇の誕生日(天長節)は8月31日で、1913年(大正2年)に8月31日が祝日として設けられたが、夏季では天長節の式典に不都合であるとして、翌年1914年から2か月後の10月31日(ハロウィンの日)に天長節祝日が設けられた。
行事は秋に移行したが天長節の休日は年2回あった。しかしそのどちらの休日も崩御とともに消滅している。

当初、憲法は公布を11月1日、施行を5月1日とする予定でいたが、5月1日ではメーデーと重なるという理由で公布を11月3日にずらしたという。(しかし日本においてメーデーは祝日になっていない。メーデーに対する意識は欧米との温度差がある)
そして公布日の11月3日を憲法記念日にするつもりでいたが、GHQが「11月3日だけは絶対にだめ!」と主張し、結局施行日の5月3日が憲法記念日になった。
GHQはどうも「11月3日=憲法記念日」という図式に反対だったらしい。
文化の日ならいいの?文章化の日ならば?


霜月に語る御台所

御台所というのは貴人の妻のことであった。
妻と言っても、現代の妻とは若干意味合いが違う。
上に書いた便殿(休憩所)や御息所などもそうだが、そこには男と女の情事が存在していたのである。
女性が上品ぶって「うちの御台所はね」なんて言うと違う意味になるので注意!
でも今は台所派は少なく、多くはキッチン派でしょうかね。しかしシステムキッチンもよく考えると意味深になりますね。

「御台」とは身分の高い人の食事を載せる台の事で、「台所」とはまさしく調理する所の事である。
現代においても男性が女性とセックスしたことを「食った」と表現することがあり、それを卑しく下品に思う人もいるだろうけれども、語源はこのあたりにあるのではないだろうか。
また逆に「男を食う」という言葉もある。これは一般的にはセックスとは関係なく男勝りというような意味で使われることが多い。

貴人のお相手に選ばれるのは妻である「御台様」ばかりとは限らない。
貴人の側室(妾)や側室予備軍の世話役(女官や女中)、また御台様の世話役(女官や女中)であることもある。
しかしどのみちこれらはみな御台所公認の存在なのである。
但し御台様(妻)の世話役に手をつける時には本人及び御台様の許可を得なければならなかった。(御台様付から貴人様付になるため。いわば配置転換)
本人が難色を示した場合にはやや脅してみて、それでもダメならば解雇された。
貴人様の手がまだ付いていない女性「お清」と呼ばれ、手がついた者は「汚れた方」と言ったという。
どちらが先か後か分からぬが、ハレ(非日常)とケガレ(日常)のルーツは案外このあたりにあるのではないだろうか。
貴人様らはどうも御台様以外を指名することが多かったようだ。(そりゃあそうだろう?)
博愛で懐の深い旧時代にあっても、御台様の公式行事に出席する者や御台様と貴人様の床の世話をするものは「お清」でなければならなかった。

貴人というのは貴族である。
今でも貴族階級などと言われることがあるが、君主制の元に作られたものであり、称号や特権も君主によって与えられるものである。
本来は反民主主義なものであるが、血筋や血統、特権階級などといった言葉で今なお脈々と受け継がれている。
しかし前述したように血筋という意味で貴族を維持するのは至難の業である。

将軍は貴族とは性質を異にするが、日本では「大奥」などとして江戸時代を舞台にした御台所が描かれるところが多い。
これにはかなり意図的なものを感じずにはいられない。


階級が作り出したもの

簡単に言えば、大奥のような場所(貴人様の私邸、御台所)には、妻(御台様)と妾(愛人)と身辺世話役(貴人付・妻付)がいた。
そしてそれら人々を仕切る人物(役付き女官・高級女中)も存在した。
御台所は完全に女の世界であり、女が女を仕切っていたということになる。御台所界の権力者である。
従ってそれなりの家柄や地位が必要であった。
また自分が目を掛けた女性が将来貴人様の子を産むようなことがあれば、御台所界の自らの権力も確かなるものになった。
本来貴人に差出す女性は妻(御台様)か妾(愛人)か身辺世話役(貴人付・妻付)であるが、中にはこの仕切り女性たちが情事を持ってしまったこともあったのだろう。
仕切り役から妻になった者もいれば、妻になって仕切り役の称号を得た者もいるようである。

飯炊き女と言われることや専業主婦を必要以上に卑下するのは、この御台所文化があるせいなのだと思う。
食と性がくっついてしまっているのだ。
しかしそれこそが「私事」であり、「私邸」で繰り広げられているのだから、別に恥ずべきことではないはずだが、現代社会では「男女差別」や「女性蔑視」として忌み嫌われる傾向にある。

御台所から派生したのが食と性を職業とした女達である。歌や踊りの芸事も加わるようになった(宴席)。
「遊女」「芸者」「女給士」「社交係」「接待係」「ホステス」「コンパニオン」などとして貴人(お偉いさん・お客様)に奉仕した。
性に特化していったのが売春婦であろう。
「御台所」がここを彷彿させてしまうことも女自身が飯炊き女や専業主婦を卑下する要因なのだと思う。
これら卑下された職業の地位を上げるために必要以上に高待遇に置かれたのが芸事に関わる職業である。
AKB48をはじめとする現代流行の若い女性を大勢擁するアイドルグループには御台所の影を見ずにはいられない。(今では男性版もあるのよ?)

ここに関係するもう1つの職業が看護婦である。今でこそ男性も増えたがやはり女が仕切る女の世界であった。
これに軍隊や売春婦が絡んでしまったことが、歴史ある職業であるにも関わらず看護婦の地位が上がらなかった要因であろう。
看護婦のことを慰安婦と呼んだ時代もあったのだ。
つまり、慰安婦とは売春婦のことを言うこともあれば、看護婦のことを言うこともある。
また歴史的には戦時中に従軍していた看護婦が捕虜になったこともあるようなので性を強要されることもあったかもしれないし、軍隊の兵隊さんと恋仲になることだってあったかもしれない。
もちろんそんなことはなく傷病の手当ほか母子の代わりの精神的な支えとして慰安していた看護婦も大勢いただろう。
看護婦側のそうした事情と、それとは別に望んで売春婦になった者、または性の相手をする慰安婦として応募したり強制連行された者、これらが今では全て一緒くたになっているような気がする。
慰安婦が看護婦として通じないことは尾崎豊の歌が証明した。(尾崎のことを本にしたジャーナリスト・吉岡忍氏にも全くそうした観点がなかった)
現代においての慰安婦は「兵隊の性の相手をさせられた女」になってしまっている。


清めの塩について

葬儀に参列すると香典返しなどに「清めの塩」が添付されていることが多い。
自宅に入る前にその塩を自分に向けて軽く振る。
昔は自分で予め用意して出掛けたり、家に居る家族に「おーい塩を持ってきてくれー」などと言って振ったり降振ってもらったりしていた時代もあった。
「清め」という言葉で分かるが、身を清めること、つまり穢れ(汚れ・ケガレ)を祓うということなのである。
相撲で取組み前に土俵に大量の塩を撒いているが、あれも清めの塩である。
相撲は神社から生まれた。神事だったのである。今でも神社で土俵を見かけることがある。
それから盛り塩もたまに見かけることがあるが、盛り塩のルーツはおそらく御台所にあるのではないだろうか。
起源と言われている故事も御台所に関係するものである。

神道では死を穢れと見做す。(仏教やキリスト教では転生や再生の思想があるので死を穢れとは見做さない)
神道における穢れとは不浄や異常など正常や理想的ではない状態のことであり、死や出産、月経、伝染病などの病気などが含まれた。
しかし同時にケガレは日常でもある。日常とは俗世界ということだ。
神社は神様や神様の分身がいる神聖な場所。ハレ。非日常。浮世離れしている世界とも言える。
私は葬儀に参列して帰宅しても清めの塩を振らない派である。俗世界に生きているからであり、死を汚れとも思っていないからである。(法事のお食事会場などで用意されている塩は振る。そこまで意固地でもないから)

以前キリスト教のマリア絡みで「けがれ」のことを書いた
その時に「気枯れ」「木枯れ」にも触れた。
造園屋さんに庭木の伐採を依頼した時に「酒と塩を持ってきて」と言われたことがあった。
これも「お清め」に使うものであった。
昔から木を伐採することは縁起がよくないこととされた。おそらく「気枯れ」「木枯れ」に通じるからだろう。
それを思うと葬儀参列後に清めの塩を振ってもよい気がする。自分の気持ちまで枯れないようにという意味で。


職としての清め

きよめ
汚穢・不浄の物の清掃に従事した特定の身分の人々の呼称として使われだしたのは、京都からで、遅くとも平安時代末期からである。「きよめる」事それ自体は、元来「きよめ」の理念が極めて重んじられていたのに対応して重視され、それに携わる人が卑賎視を蒙るものではなかった。しかし宮廷での野犬掃討の任務である「犬狩り」が次第に下層の身分の官人の職務へと移り、最終的には都市の賎民の専業となりきったのと同様に、身分的に極度の卑賎視を蒙った人々の専業と化していく。

今朝私は次男を送迎していく道すがら猫だろうか小動物の死骸を見た。
道路の真ん中にいたので飛び出して車に轢かれたのだろう。
40分後くらいの帰りにはもうそれはなかった。
こういうことはよくある。
実際に片付けている場面に遭遇したことは一度もないが、驚くくらい迅速に片付けられているように思う。
日本では死骸が長く放置されていることはまずない。

身分制度の下の身分として知られる「えたひにん」の「えた」とは「穢多」と書く。つまり穢れ多いということである。
「ひにん」は「非人」である。人に非ず。
殺生を嫌う仏教と(反モーセだから)、死や血を穢れとして嫌う神道(反仏教で反キリスト)の両方の影響から、動物の死体を扱う人達を忌む思想があったそうだ。
そしてこの「穢多」「非人」と呼ばれた賤民(せんみん)が部落差別に繋がっている。
しかしこのあたりの解釈もかなり微妙なところだと思う。
穢れが多いのは俗世界や日常であり、人に非ずなのは神またはそれに準ずる者だからである。
「せんみん」は選ばれた民という意味の「選民」とも書ける。
畏れと恐れ、畏敬と異形、そんな裏表の関係性に似てはいないだろうか。

助産婦(産婆)や看護婦などは神道的には穢れ多き職業になるだろう。。
これが魔女狩りに繋がったようにも思われる。そうなれば魔女狩りは神道的であるということになる。
また血の出ない殺生、たとえば養蚕。日本の近代化(外貨獲得、富国強兵)に貢献した御蚕様だが蛾になることなく殺されてしまう。
だけど血がべったり出るわけではないせいか、養蚕農家や製糸業に携わる人が「穢多」だったという話は聞かない。

中国の三国志などに登場する「ワイ人」という古代民族がいる。
漢字で書くと「濊」だがこれを「穢」と表記することがあるらしい。穢れ(けがれ)と同じ漢字である。
この民族も蚕を飼っていたという。


お尻が拭けない

大層巨漢なお相撲さんは自分でお尻を拭くことができずに付き人に拭いてもらうという話を日本人ならば一度くらい聞いたことがあるはず。
御台所の御台様たちもお尻は自分で拭かずに世話係に拭いてもらっていたらしい。
えええーと驚くかもしれないが、看護師や介護士などは仕事でお尻を拭くこともある。
赤ちゃんのお尻になれば拭いたことがある人は大勢いるだろう。
視点を変えれば、それほど驚くべきことではなくなる。

看護の学習でこのような視点の転換を行ったことがある。
ある状態を文章化した時に学生が思い浮かべたのは赤ちゃんだった。
しかしそれは老人に関しての記述だったのだ。
赤ちゃんならば笑って許せることが、老人になるといろいろと許せなくなる。
もっとも赤ちゃんであっても許せない人や平静でいられない時もあると思うが。


引退の時期

昔の御台所界では30歳になったら君主様や将軍様と寝室を共にするのは辞退しなければならなかった。
どんなに寵愛を受けていようとも。御台様であっても妾であっても世話役でもあっても等しく。
若く健康で美しい(若く健康で賢いのは少年航空兵でしたね)娘たち後進に道を譲るが定め。
この世界では年齢だけが平等だったというわけですね。

30歳?は?
そうお怒りの方、または涙した方も多いかもしれませんが、第二次世界大戦前の日本人の平均寿命は40歳代でした。
現代の半分くらいです。
ということは、当時の30歳は倍にしなければならない。
60歳・・・定年にぴったり・・・というか昔ってわりと寛容寛大?








by yumimi61 | 2014-11-03 14:27