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甍(いらか)百六十六

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帝国大学医学部への道

●旧制高等中学校(1886~1894年)

この時代には帝国大学は東京に1つあっただけである。

1886年、帝国大学令(合わせて中学校令)発令。
全国を5区に分けて、各区に1校ずつ2年制の官立高等中学校を設置した。(+山口・鹿児島)
本科(2年制)と専門科(医学科は4年制でその他は3年制)があった。

①本科は帝国大学進学のための予備教育(プレカレッジ)。
第一部(法・文)、第二部(工・理・農)、第三部(医)に分かれていた。
ただし第三部の医学は旧東京大学の大学予備門を引き継いだ第一高等中学校(東京)にしか置かれていなかった。
②専門科はその名のとおり専門。分科や学部とも呼ばれた。医学・工学・法学があった。
ただし法学科は第三高等中学校(大阪→1989年より京都へ)にしかなかった。

本科が帝国大学への予備教育の場といいつつも、各高等中学校に専門科を設けていた。
東京への進学を遠ざけるような(地方救済とでも言うべきか)仕組みになっていたわけである。
本科→専門科というコースで学べば、5年なり6年となり、高等中学校自体が大学の役割を果たしていた。
だからこれが地方における最高学府であり、本来大学という名にすべきだがそれもしなかった。
第三高等中学校だけは本科がなく専門科のみであった。
このことから第三高等中学校は当初、第一高等中学校の受け皿という役割を果たしていたと推測できる。


●旧制高等学校(1894~1901~1919~1950)

①上段の本科が大学予科と改称され、修業年限が2年制から3年制となった。
高等中学校時代には第三部(医)は第一高等中学校にしか設けられていなかったが、この時代には全て設置された。
第一部(法・政・文)、第二部(工・理・農・薬)、第三部(医)。
②専門科は3年制から4年制となる(医学科のみ4年制のまま)。
しかしこの専門科は1901年から順次廃止(または帝国大学昇格)されていった。
この時に医学部は医学専門学校として分離されたのである。(この記事の末にその変遷を記した)

専門科が廃止された後は帝国大学への予備教育を行う大学予科のみが残った。
しかし忘れてはいけない。この時代にはすでに帝国大学というのは地方にも作られていたのだ。
要するに帝国大学の大学予科と言っても、東京の帝国大学へのパスポートとは限らなくなった。
さらには地方帝国大学のパスポートとも限らなくなる。(大学予科を持たない旧六医科大出現のため)

まとめると、旧制高等中学校時代に帝国大学(東京帝国大学)の医学部に進めたのは、第一高等中学校の第三部(医)だけだった。
旧制高等学校時代には第一高等学校にも医学部(後の千葉大医学部)が作られていることから、各校の第三部から東京帝国大学適任者を集めたと思われる。


エリート養成

第一高等学校は1921年に上記の分類名を変更し、文科甲・乙・丙類、理科甲・乙類という分類とした。(現在の文科1類や理科1類などの源流)

医学部に限らなければ第一高等学校の多くは東京帝国大学へ進学した。
これが古くから東大一直線コースである。
つまり地方と東京は同じではないということ。
東京帝国大学へ進みたければまず第一高等学校に入学する必要がある。それがパスポートだからだ。
(明治時代には)名門とされた官立旧制中学校の成績優秀な生徒に対して、無試験(のち一部科目免除の試験に改定)で一高をはじめとするナンバースクールへ入学出来る特権的な枠が用意されていた。
この枠が地方の一部学校にも与えられたと思われる。
特権校に入学するために、(旧制)高等学校、(旧姓)中学校、さらには小学校、幼稚園と、進学熱がエスカレートしたのがいわゆる「お受験」であった。
お受験の歴史は明治にありて。


全部の類が埋まれば、例外

東京大学の入学者は全員が6つの科類(文科一類・二類・三類、理科一類・二類・三類)に分かれて2年間の前期課程を履修する。教養学部前期課程という。
(ということはつまり、最初から大学院も込み込みの教育と考えてよいのでしょうか?)
受験時は科類を選んで出願し、後期課程の進学先(各学部・学科)を決めるのは2年生の時。
希望者の多い学部は選考が行われる。
だいたいこんな感じで進学するらしい。

・文科一類:法学部
・文科二類:経済学部
・文科三類:文学部・教育学部
・理科一類:工学部・理学部・薬学部・農学部
・理科二類:農学部・薬学部・理学部・工学部・医学部健康総合科学科(旧:衛生看護科)
・理科三類:医学部医学科
・教養学部の後期課程:どの科類からも進学可

2008年度より全科類進学枠が設けられた。(上記分類に限らずどの学部にも行ける枠、但し医学科は除く)
2007年度までは、文一から法学部、文二から経済学部、理三から医学部医学科へは、希望すれば成績関係なく全員進学できたが、2008年度からは他科類と同様に成績による選考が行われているそうだ。(振るい落とし)

理科三類だけは創設されたのが遅く1962年のこと。
それまでは医学部は医学科・衛生看護科ともに、科類(前期課程)とは別に入学試験が実施されていた。
つまりこれは医学進学過程(医学教養課程)が念頭に無い専門学部のみの募集だったのである。
東京大学の教養学部(文科一・二類、理科一・二類)に限らず、他大学の教養学部(教養課程)や大学予科修了者、旧制高等学校卒業者なども出願できた。
広く募集する公募制だったのだ。大学院や専攻科、保健師学校への入学、編入などにも似た制度。
東京大学内部でも無試験にはならず、他の学生と同様に受験する必要があった。(内部優遇があったかどうかは神のみぞ知る!?)(広くから適任者を集めるための(実質)公募制推薦のようなものが存在したかどうかも不明)
とにもかくにも、東京大学、特に医学部は、古くからずっと「他とは違う」のである。


現在は教養課程と専門課程がはっきりと分かれていないところも多いそうだが、昔は医学部は最初の2年、その他学部は最初の1年が教養課程だった。
群馬大学は教育学部と医学部と工学部はそれぞれキャンパスが違ったが、教養課程期間は教育学部のある荒牧キャンパスで行われた。(医学部も1年で帰ってきたような気もするけど)
医療技術短期大学部はこの教養課程がなかったのである。
つまり荒牧キャンパスを経験することなく、いきなり昭和キャンパスだった。
しかし専門基礎科目以外にも、外国語(英語・ドイツ語)、統計学(情報処理)、法律、体育などの授業が行われていた。
但しその学部学科だけの授業なので選択の余地はほとんどなかった。
またドイツ語と言っても医療に関係する単語などが中心で「ドイツ語を話しましょう」という授業ではなかったと思う。そんなに時間とれないもの。







by yumimi61 | 2014-11-14 12:40