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甍(いらか)百七十三

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NHKに物申す(それとこれとは話が違う?!)

新島襄が亡くなった1890年に日本赤十字社の看護婦養成所が設立されたことはすでに述べたが、それとは別に日赤篤志看護婦人会なるものが設立されていた。
実はこの日赤篤志看護婦人会も、新島襄が設立した京都看病婦学校が始めた巡回看護を追いかけるようにして設立され活動を始めている。
京都看病婦学校の巡回看護はキリスト教精神に則った慈善事業として病院に行くことができない貧しい病人に対して行われた看護活動で、これが日本の保健師活動のルーツであり社会福祉サービスの始祖と言われる。
ところがこれも発展することはなく途絶えてしまうのである。
別の人物らにより再び同様の活動が起こったのは1910~1920年頃のことである。


日赤篤志看護婦人会は皇族妃や華族女性など上流階級婦人の組織であって、看護と名がついているが正式な看護教育を受けた看護婦ではなくボランティアである。
上流階級婦人であるからして前線での活動に従事するわけでもない。
金と権力を背景に広報活動を中心として戦略的な役割を果たした組織である。
日赤篤志看護婦人会の中で八重が他の人と違ったのは、前線近くに自身が出ていったことだと思う。

転換点として重要な1894年日清戦争で新島八重は53人の看護婦の「取締役」として広島の陸軍予備病院に4か月間派遣されている。

同志社女子大学コラムより
八重が担った役割が、日赤の知名度アップと看護婦の地位向上だったというわけです。皮肉なことに日清戦争における広島従軍は、まだ知名度の低かった日赤の存在をアピールするのには恰好の機会でした。その際、多少の知名度があり、しかも現場で看護婦を指導する立場の八重は、最適の広告塔たりえたのです。だからこそ八重は沢山の写真の被写体になっているのだし、進んで新聞雑誌等の取材を受けているのです。そういった活躍が認められて、民間女性初の勲七等宝冠章が八重に授与されたのだと思います(高木ハルは勲八等宝冠章)。
※普通なら看護婦取締は勲八等であるが、これではふさわしくない、として勲七等宝冠章にしたと伝えられている。
(高木ハルは副取締役。看護婦有資格者で実質的に彼女が指揮した)


若さゆえ~

医療関係者と取締役で思い出すのはオバマ大統領夫人である。
【職歴】(外務省ページより
1988年~1991年 弁護士(法律事務所Sidley & Austin勤務)
1991年~1996年 シカゴ市政府要職を歴任(市長補佐、1993年に市のボランティア・プログラムを設立等)  ・・・27~32歳
1996年~2008年 シカゴ大学勤務(学部長補佐、大学病院幹部等)  ・・・32~44歳
2009年1月20日~ 米国大統領夫人

「年齢云々ではない」「これだから日本人は」などと言われそうだが、何の力も実績もない小市民がこの年齢で大学や大学病院の要職に就けるとは思えない。 
これには日本人のみならず多くのアメリカ人、多くの黒人が同意してくれるだろうと思う。
新島八重は政治家の兄や宗教家教育家事業家の夫を背景に持ち、上流階級婦人組織に仲間入りして知名度を上げたことになるが、大統領夫人はいったいどんなバックが付いていたのだろうか。
世界のどの国に行ったって「素」で伸し上っていけるほど世の中甘くないだろうと思う。
それを認めてしまえば自分の甘い汁が干上がってしまう可能性があるからだ。
ところで市政府って?それとも政府要職という区切り?


八重先生の誕生

1899年に新島八重(54歳)は日赤篤志看護婦会から看護学修業証を与えられ、その翌年1900年から篤志看護婦人会の看護学助教を委託された。
現代の心理士のよう民間資格か、はたまた講習修了書のようなものか、それとも国立公衆衛生院の脱法学位のような位置付けか、一般の人にはひどく分かり難い証書を発行したのである。
日赤は別途看護婦養成所を持っていたにもかかわらず。
これが看護学教授の走りだったのだろうか。
新島襄が夢見た総合大学とは別の場所で、未亡人八重は先生になったのである。
こうして1900年代が幕を開けた。


聖路加国際病院の前身

1902年、聖路加病院が設立された。現在の聖路加国際病院である。
病院の初代理事長は渋沢栄一。こちらに書いたとおり理化学研究所の創設者で、日本経済の創始者とも言われる人物である。
聖路加国際病院はこの1902年を公式な創立年にしているのだが、実はもっと古い歴史がある。

聖路加病院の前身はスコットランド長老派教会の宣教師ロバート・デイヴィッドスンが1875年に設立した健康社(築地病院)である。
スコットランド長老教会が出資している。
そこに医師として派遣されたのが同教会の医療宣教師ヘンリー・フォールズであった。指紋研究者でもあったという。
スコットランドからインドに渡り2年ほど過ごした後に来日した。1873年か1874年頃のこと。
1874年というのは新島襄がアメリカから帰国し群馬県に戻ってきた年であり、新島は1875年に同志社英学校を京都に設立した。

スコットランドいうと今年イギリスからの独立騒ぎ(住民投票)があったが、イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)を構成する4つのカントリー(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)の宗教はそれぞれ違う。
スコットランドは「スコットランド国教会」というプロテスタント長老派教会が主流である。
スコットランドの女性運動の最も大きなボランティア組織でもあるそうだ。
正式な教会員は国民の10%ほどだが、半数近くの国民がこれを信心しているという。次いで多いのがカトリックで20%弱。
「スコットランド国教会」は国教という名ではあり、国民教会として認められているものの、純粋な意味での国教ではないという。

国教とは国家宗教である。国が保護し積極的にその活動に関与している宗教となる。
一般的には君主や元首の信仰する宗教であることが多い。
国の宗教と定めた場合にはどうしたって政治家が関わるため政治と切り離すことが難しくなる。
ローマ帝国におけるキリスト教、大日本帝国における神道、イスラム国家におけるイスラム教、イングランド国教会、北欧諸国のプロテスタント福音ルター派教会などが国教である。(福音ルター派の発祥はドイツ)
アメリカは君主はいないが、国家元首である大統領が就任式で宗教儀式のようなことを行っているので、政教分離はかなり怪しい。あの儀式は国教宣言なのではないかと思う。
いったい誰に忠誠を誓っているのかがいつも気になるところである。
よその国のことばかり言えませんね!
日本の皇族の儀式や政治家の参拝も国教宣言のようなところがあるのだが、但し日本の場合はその皇族がキリスト教系の学校を好んだり、十字を掲げている日本赤十字社の役員や広報部隊となっていたりと、他国ではちょっと信じられない様相を呈している。
日本は「宗教お飾り宣言」をしてしまっているようなものである。

イングランド国教会はキリスト教のプロテスタントとカトリックのどちらに寄って立っているのかが曖昧であるが、それに伴ってスコットランド国教会の立ち位置も若干怪しげなところがある。
そう思ってあの独立騒ぎを見ると自作自演っぽい気がしないでもない。

とにもかくにも聖路加国際病院の前身はイギリス派(海軍派)であったということだ。


カトリックとプロテスタントの狭間で

あるとき健康社に侵入者があり、警察は病院スタッフを逮捕するが、フォールズが指紋によって無実であることを証明したため警察も諦めてそのスタッフを釈放した。
フォールズの興味は完全に指紋認証(法医学)に傾いてしまったのだろうか。
1886年に離日。
しかしスコットランド長老派教会はフォールズが日本で培った法医学を受け入れようとはせず彼を解雇する。
日本の健康社(築地病院)も怪しいと思って出資や支援を断ち切ったのか、フォールズ帰国後は次第に荒廃していったという。

1902年、その廃墟の病院を買い取ったのがアメリカ聖公会の医師である宣教師ルドルフ・トイスラーだった。
病院を立て直し「聖路加病院」と改称し初代院長に就任した。
今となっては病院がどれほど荒廃していたのか知る術はないが、聖路加国際病院は廃墟期間を挟んでいるので築地病院と聖路加病院は全く無関係と言い張っている。

聖公会というのはイギリスの植民地であった地に見られる宗教である。
「イングランド国教会」の傘下のようなものであり、聖公会の聖職者はイギリス君主の承認を得なければならなかった。
しかしアメリカ独立戦争終結の翌年1784年に初めてその慣習が打ち破られた。
イギリス君主ではなくスコットランド聖公会の主教によって承認されたアメリカ聖公会が誕生したのである。
以来アメリカ聖公会はスコットランド聖公会を通じた後継者選び(使徒継承)を行っているという。
この使徒継承とは最後の晩餐に通じる神秘的なものだそうで、誤った方向に・・行っていなければよいが・・と危惧する儀式でもある。
使徒継承というのはカトリックでお馴染みのものだが、聖公会もこれを行っている。
しかしカトリックは聖公会の使徒継承は認めないと言っているそうで、何がどうなっているのやら。
こうなると若干秘密結社(フリーメイソン)の匂いも漂ってくる。

富裕層や社会上層部に信者が多く、歴代のアメリカ合衆国大統領の1/4、アメリカ合衆国最高裁判所長官の1/4は米国聖公会の信者である。またアメリカ合衆国議会と合衆国最高裁判所判事の約半分が信者である。

カトリック系をも含めた全てのキリスト教諸教派の中で最もリベラル寄りだとする評価もあり、実際、アメリカにおけるキリスト教系団体としては珍しく、中絶と同性愛を公認している。


このアメリカ聖公会にとっての救世主が前述のとおりスコットランドなのだが・・・・。
1707年連合法によりイングランド王国とスコットランド王国は統合しグレートブリテン王国になっていた。
つまり「グレートブリテン王国(イングランド+スコットランド)の王」=「イギリス君主」である。あれれれ?
辻褄が合わなくなったせいか「当時国家から迫害されていたスコットランドの主教から承認された」とアメリカ聖公会は言っているようだが、聖公会はイングランドのものである。
そのイングランドとスコットランドが合体した以上、国家から聖公会主教が迫害されていたということはないと思うのだが・・・。
国家(カトリックから独立)から迫害されていたとするならばカトリックであった可能性が強い。


まとめると、聖路加国際病院のキーになるのはスコットランドである。
前身の健康社(築地病院)はスコットランド長老派教会によって設立された。
後身の聖路加病院はアメリカ聖公会が設立した。アメリカ聖公会はスコットランドとの結びつきが強い。
しかしそのスコットランドとイングランドは1つの国家であり、聖公会というのはイングランド国教会の傘下にあるようなものである。
イングランド国教会は元々はカトリックであったが分離独立したのでカトリックとは敵対関係にあるが、典礼はカトリックを踏襲している。
要するにカトリックの経典そのものに意義や不服があったのではないかもしれない。
アメリカの要職者がアメリカ聖公会信者だとするならば、この宗教的解釈の意味合いは重要となるだろう。


地震で酔いました。30分以上経つのにまだ気持ち悪い。22時47分
by yumimi61 | 2014-11-22 13:55