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甍(いらか)百七十五

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どこの国の王女?

『ローマの休日』という有名な映画がありますがご存知でしょうか。

ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまう。(Wikipediaより)

ローマを舞台に某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語…… (allcinemaより)

ヨーロッパ最古の王室の王位継承者であるアン王女は、欧州各国を親善旅行で訪れていた。ローマでも公務を無難にこなしていくアン。だが実は、彼女はこれまでのハードスケジュールで疲れやストレスが溜まっていた。 (Yahoo映画作品紹介より)

ヨーロッパ最古の王室の王位継承者、アン王女は、公務に縛られた毎日にうんざりして、親善旅行で訪れたローマの宮殿から脱走を図る。そんな彼女にたまたま出会ったアメリカ人の新聞記者ジョーは、突如転がり込んだ大スクープのチャンスに俄然興奮。 (amazon商品説明ストーリーより)


タイトルになっている「ローマ」は王女が住まわれている国ではない。旅行先である。
ではどこの国の王女なのか?上記説明から拾った情報では次のようになる。
・ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女
・某小国の王女
・ヨーロッパ最古の王室の王位継承者

映画の王女様の名前はアンである。アン王女。
アン王女と言えば思い出すのはイギリスである。
イギリス王室もこの映画がイギリス王女をモデルにしたと認めている。
しかしそれはアン王女ではなくマーガレット王女(1930年生まれ)だという。
マーガレット王女は現在のイギリス女王・エリザベス2世(1926年生まれ)の妹である。

姉妹の父親は1936年に即位したイギリス国王・ジョージ6世で、母がエリザベス王妃である。
第二次世界大戦中のイギリス国王であったのがジョージ6世。
イギリスの植民地であったインドの皇帝もイギリス君主が兼ねていたため、インド独立(1947年8月15日)まではインド皇帝でもあった。
ジョージ6世は1952年に崩御。息子がいなかったため長女(現在のエリザベス2世)が王位継承した。


なぜ『ローマの休日』のモデルにマーガレット王女の名が挙がるかといえば、それは引き裂かれた恋物語があるからである。
マーガレット王女の父であるジョージ6世は即位前に海軍や空軍に士官として所属していた。
そんな縁もあってか、「空の英雄」と呼ばれたピーター・タウンゼント大佐を自分の侍従官に任命した。
時は大戦最中の1944年、マーガレット王女若干14歳のことである。出会いはバッキンガム宮殿。
16歳も年上で既婚者だったタウンゼント大佐にマーガレット王女は恋心を抱くようになっていったとか。
その後タウンゼント大佐は「妻の不倫」が原因で離婚。
「密かに愛を温めてきた2人」は結婚を決意。

しかーし、そうは問屋が卸さない。
イングランド国教会も王室も政府も大衆紙も揃いに揃って大反対。
16歳も年上の離婚歴のある男なんか許さんっ!将来は保証しませんよ(王位継承権やらそれに伴う金品などは剥奪する)と通告。
1955年、BBCが「私はピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」との王女の声明文を放送し(←ここが『ローマの休日』っぽい)、2人の恋は終結した。
タウンゼント大佐はベルギーに亡命。

あれれれ?
そう、『ローマの休日』は、アメリカ公開1953年8月で、日本では1954年4月。アメリカで制作された映画。
BBC放送での声明文発表よりは映画のほうが早い。

アン王女は?
現在のイギリス女王・エリザベス2世の娘がアンという名前であり「アン王女」である。(1950年8月15日生まれ)
父はエディンバラ公フィリップ。
1950年生まれということなので映画公開時には3歳に過ぎない。
よってこのアン王女が人物モデルになったとは言い難いが、アン王女の誕生(1950年)やエリザベス2世女王の即位(1952年)した時代に映画が作られたことは確かである。


貧しさに負けた~いえ~世間に負けた~~~♪

許されぬ恋と言えば、こちらの御方のほうが有名だろう。
愛する人のために王位を捨てた「王冠を賭けた恋」で知られるエドワード8世(1894年生まれ)。
そういうと実直で堅物で奥手な人物のように思うが実際はそれとは正反対。
ヨーロッパ屈指のプレイボーイとして有名で貴族令嬢から芸能人まで交際相手は幅広く、相手が人妻であろうが何だろうがお構いなしだった。

そんな中、アメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの交際が1933年頃から始まった。エドワード39歳のことである。
ウォリス・シンプソンは2つ年下の37歳ですでにバツイチの既婚者、2人の交際は俗にいう不倫。
こちらも交友関係は派手で周囲には「金持ちの良い男を見つけて結婚するのが夢なの」と語っていたとか。
ウォリスの最初の夫はアメリカ海軍の航空士官で、2番目の夫(つまりシンプソン、世界最大手の船舶ブローカーであるシンプソン・スペンス・アンド・ヤングの社員)はアメリカ生まれであるがイギリス国籍を取るためイギリス陸軍の少尉になった経歴のある人物であった。
シンプソン夫妻をエドワードに引き合わせたのは、エドワードの愛人(人妻)という『昼顔』(見たことないけど)真っ青な展開。
しかもイングランド国教会は離婚は禁じており、おいそれとは離婚できないもかかわらず、離婚させて結婚しようとしたからさあ大変。お相手は離婚歴のある民間のアメリカ人である。
猛反対にあったのは言うまでもない。

1936年に父親であるジョージ5世が崩御。
それに伴いジョージ5世の長男(王位継承第1位)であったエドワードがイギリス国王の座に就いた。
しかしウォリスとの結婚のために即位後1年足らずで退位した(1936年)。
「王太子の頃から交際していて反対にあっているのだから、王位継承の時にもっと話し合って王位を譲ると決断すればよかったじゃん」と平民は思うわけだが、急なことだしそうもいかなかったのだろうか。
退位したといっても平民になるわけではなく、ウィンザー公爵になったのである。
ウォリス・シンプソンは離婚して公爵夫人に収まり、かねてからの夢が叶ったのである。

エドワード8世に代わって国王に即位したのがエリザベス2世の御父上であるジョージ6世であった。
父親が亡くなった1936年に、弟であるジョージ6世(1895年12月14日生まれ)には2人の娘(1926年生まれエリザベス2世女王と1930年生まれマーガレット王女)がいたが、兄であるエドワード8世(1894年6月23日生まれ)はまだ未婚で跡継ぎもいなかった。
ウォリスと結婚後も子は儲けなかった。

ウィンザー公爵夫妻はロスチャイルド家やヒトラーと親しく、ナチスドイツと親密な関係にあったと言われている。
イギリスはウィンザー公をイギリスの植民地であったバハマにおける総督と駐在イギリス軍の総司令官に任命しており、これをドイツ寄りのウィンザー公をヨーロッパから引き離すためと説明しているようだが・・・。
これがすべて戦略のうちだとしたら・・・イギリスという国は凄まじく凄い国だわ。
西インド諸島と名付けたのは後世の人間でコロンブスは日本を目指していた

ウィンザー公爵夫妻は戦後はフランスに暮らし、アメリカのニクソン大統領と親しくしたり、来日し皇族や軍人と面会したりもしている。(ニクソン大統領と8月15日
没後は他の王族とともに王室墓地に埋葬された。妻ウォリスが没した後の遺産は遺言によってパスツール研究所(フランス)に全額寄付されたという。







by yumimi61 | 2014-11-26 12:45