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甍(いらか)百六十九

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※下部に付け足しています(11月30日)

イギリス・フィリップ殿下の話の続きから。

愛憎関係

母親が心神耗弱となったため、ヴィクトリア女王の孫娘にあたる祖母を頼ってイギリスに渡ったのが1928年、8歳の時だった。
イギリスとドイツで少年期を過ごす。
1939年(18歳)にイギリス海軍兵学校を卒業し、士官候補生として海軍に入隊。
時は第二次世界大戦を迎えていた。
ギリシャ及びデンマーク、ノルウェーの王家出身であり、イギリス女王を高祖母に持つ青年が、軍隊の一員として戦地に赴いた。
下っ端の兵隊であるわけないが、それでもこうした部分は現在の日本の皇族のイメージとは一線を画す。

終戦後の1947年にイギリスに帰化。
母の実家の家名である「マウントバッテン」(英語名のほう)を姓として選択し、イギリス国教会への改宗も行い、ギリシャやデンマークの王家の称号を放棄した。イギリス貴族になったのである。
その年にイギリス王の娘エリザベス(後の2世女王)と結婚した。
1948年チャールズ王子(現:王太子)、1950年にアン王女が誕生した。
1952年にエリザベス2世女王即位。
しかし夫妻共同君主でもなければ、共同統治者としての地位を示す称号も与えられることはなかった。
(1953年『ローマの休日』の公開)

女王一家の姓は「ウィンザー」であり、フィリップ殿下の姓は「マウントバッテン」である。
ウィンザー朝が王家に姓を設けたものだから、夫婦別姓問題(特に女性君主の場合には)が生じてきたのだ。
1960年に夫妻の子の姓をマウントバッテン=ウィンザーとする枢密院令が発せられたものの、王家の名を「マウントバッテン=ウィンザー家」(マウントバッテン=ウィンザー朝)と改称したわけではない。


象徴日本

天皇家には姓がない。(密かにあるのかどうかは知らない)
姓とは家族の単位を表すもののような気もするが、全国には同姓の方々も多かれ少なかれいる。
それを一族と括るのは現代では憚れる。
姓とは何だろうか?


遥か昔の社会の単位は「民族」「部族」「氏族」と呼ばれた。
今ほど国が定まっておらず今ほど人の移動もない世界の共同体は、共通の祖先をもつ血縁集団だったのだ。
人口が爆発的に増えなかった理由の1つには血縁集団であるがゆえの淘汰が考えられる。

姓は氏姓制度から誕生した。
氏姓制度は古墳時代(250~600年末頃)に創られた制度である。
この時代の日本は幾つかの有力氏族が存在し、その集団には「王」と呼称された人物がいた。
この連合組織を「倭国」と呼び、これが古代の日本であった。(中国の歴史書には倭国の五王という記述がある)
これはドイツ帝国(皇帝下の連邦国家)前のドイツによく似ている(1800年前半)。
その頃のドイツには部族を基盤とした国があり(邦国という)、そこにはそれぞれ君主がいた。かつての王権下での領邦が次第に国家に発展したものである。
これらの邦国が組んだ同盟がドイツ連邦の始まりである。
当時はまだ連邦国家ではなく、古代ゲルマン部族に由来する諸国家(主権国家)の連合体、つまり国家連合だった。
現在のドイツの正式名称は「ドイツ連邦共和国」であり、これは戦後1949年に成立したものである。
共和国とは君主を置かず、選挙で選ばれた者が国家元首を務める国である。
これを踏まえると、EUはいずれ連邦国家になるかもしれない。
世界再編成、アメリカ・EU・ロシアという大国揃いに、さてさてアジアはどうしましょう。
(ちなみに邦人とは決して日本人という意味ではない)
第二次世界大戦は「連合国」対「枢軸国」であったが、枢軸というのは物事の中心である。
世界の軸となる中心国家に、その領邦にあった国々が連合して立ち向かったと考えると、なかなか面白い。


『古事記』や『日本書紀』では倭国の「倭」で「やまと」、且つ「日本」でも「やまと」と表記されている。
これが現在では「大和(やまと)」になっている。
国号が「日本」と決められたのは古墳時代末期(600年代)のことのようだ。
倭(日本・大和)がどこにあったかというと現在の奈良県である。
これをかつては大和時代の大和朝廷と呼んでいた。
ドイツ連邦のような形式(または現在のアメリカ形式)で、政治中枢本部が奈良県にあったということだろう。

ところが1970年代以降の相次ぐ古墳の発見に科学の発展も手伝い、「大和」や「朝廷」は適切ではないということになって、「大和時代」は「古墳時代」に置き換えられた。。
さらに1980年代以降は「王権」が重視され、「大和朝廷」も「大和王権」と言い換えられるようになった。
邦国の連合(同盟)ではなく、君主(王・天皇)が力を持った時代と認識を変えたのだろう。
それが氏姓制度に見られるのだ。

倭国時代までの血縁集団が基盤になっていた同族集団の「氏」を国家の政治制度として編成し直したものが氏姓制度である。
それぞれに君主がいる連邦ではなく天皇家(朝家)を頭とした中央集権国家を築くことを目指した。
それを実現させるためには、中央貴族や地方豪族を支配体制下に組み入れる必要がある。
あちらこちらに別の勢力がのさばっていたのでは困るということだ。
朝家への貢献度や政治上に占める地位に応じて、朝家より氏(うじ)と姓(かばね)の称号を与えるのが氏姓(しせい)制度である。
つまりそれは身分制度の始まりである。


氏姓制度の始まり始まり

氏姓制度も基本的には血縁集団を基盤にし世襲制であった。
「氏」とは集団の単位である。
「氏」が複数あれば、「氏」だけでは区別が付かなくなるので、その前に名を付けた。
ドイツなどでもそうだが最初はその土地の名を冠していたと思われる。
現代風に例えれば、九州氏、関西氏、関東氏、、、の氏族がいたことになる。

制度導入によって変わったことは血縁関係のない者も「氏」集団に含まれるようになったこと。
それが何かと言えば家来、下の者である。
氏の頭は「氏上(うじのかみ)」と呼ばれた。上(かみ)と神(かみ)はかかっているというわけだ。
現代においても「氏神様」という言葉を聞くことがあると思う。
同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神様のことで、その神を信仰する者を氏子(うじこ)と言う。
仏教の寺と檀家という関係もこれに似ている。

新しく設定された氏家には、自由人(氏人・氏上と血縁関係にある者)、半自由人(部民・労働者)、自由無し人(奴や奴婢・奴隷)という構成要因がいた。
一番下の層に位置する家内奴隷は一族の資産として売り買いされたらしい(現代の家畜のようなイメージか?)。
「奴」は「やっこさん」や「やつ」という言葉に残っている。
<主権国家であった氏>王―豪族―平民 という関係が、<国に従属する氏>天皇―氏上―自由人-半自由人―奴隷 という関係になったのだ。
天皇家内にはさらに細かい身分制度が敷かれたであろう。


一方、姓というのは天皇家を中心にした身分秩序や家柄、政治的位置関係を示す称号であった。
「臣」 元皇族だが天皇家から離れた者が中心となっている氏族の姓。特に有力な氏族は「大臣」。 
「連」 天皇家とは祖先の違う(神が別)の氏族の姓。特に有力な氏族は「大連」。
「君」 元皇族だが天皇家から離れ地方で豪族となっている者に与えられた姓。
「造」 地方の官職トップに与えられた姓。その地方に土着した豪族を任命したり、朝廷から派遣した場合もあった。
「直」 地方の官職に統一的に与えられた姓。
「首」 地方村落の首長などに与えられた姓。
「村主」 韓・漢からの渡来人(その子孫)の統率者に与えられた姓。
「史」 記録を司る官にあった者に与えられた姓。多くは帰化人の子孫であった。

庶民はどこかの氏族に属する部民か奴や奴婢である。
関東氏族の部民ならば、「関東氏部」という氏姓になったのである。
この時代に姓がなかったのは最上級の天皇家と最下層の奴婢のみだった。


【大臣と閣】
「大臣」は内閣を構成する閣僚職名として残っているわけだが、古くはここに見られた。
その後、国王や皇帝等に助言して国政を司る重要官職となり現在に至る。
大蔵大臣など各行政部門のトップに位置するのが大臣だが、首相も「総理大臣」と言う時には大臣である。
内閣の閣とはもともと高い所にある御殿や高い建物のことだった。金閣、高閣、仏閣、楼閣、天守閣など。
アテネではないが、現在ランドマークになっているこうした煌びやかな閣が出現してきたのはもっと後の世代である。
日本における閣の始まりは弥生時代(古墳時代の前)の見張り台としての望楼である。これが楼閣になっていった。「砂上の楼閣」とはよく言ったものだ。
ちなみに金閣寺の正式名称は鹿苑寺である。楼閣に金箔を貼り付けたから金閣なのである。金閣は固有名詞ではない。


【だいじんに悩む】
氏名文字数と「びんぼう、だいじん、おおだいじん」という言葉を重ねて指で数えていくという遊びを子供の頃に行った記憶はないだろうか?
「うわわわぁ貧乏だー(泣)」と大騒ぎする可愛らしい遊びである。
「びんぼう」は貧乏で良いとして、問題は「だいじん」と「おおだいじん」である。
お金持ちという意味の「だいじん」は「大尽」である。
「貧乏、大尽、大大尽」なのか、「貧乏、大臣、大大尽」なのか、「貧乏、大尽、大大臣」なのか、時代によっても違いそうだけれども。
ちなみに田舎には「おだいじんさま」「だいじん」と呼ばれる家庭(農家)があった。
確かに裕福であり、仁徳もあったようだが、大人達は「大尽」の意味でそう呼んでいたのか、それとも「大臣」か、はたまた「大神」か。


【口に出しては言えないこと】

・・・・・・察して下さい。



by yumimi61 | 2014-11-29 15:05