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甍(いらか)九十四

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あけましておめでとうございます。
甍(いらか)は年を跨いでしまいましたが、もう少しお付き合いくださいませ。

成り立ちを振り返ろう

イザナギとイザナミというペアの神は交わりによって国(島)を生みだしたこともあるから、下記の構図の中では中界に位置すると思われる。
上界(高天原・天国)-中界(中つ国・人間界)-下界(黄泉国・根堅州国・地獄)

イザナミは火の神を生んだことをきっかけに死んで黄泉国へ行った。
その後イザナギは単独で神を生むようになる。
天照大御神と月詠命と建速須佐之男命(スサノオ)はともにイザナギが清めから生みだした子であり、いわば同胞。
イザナギが生み出した神は数多くいたが特にこの3者を重要と見做した。
そしてそれぞれに統治する場を与えた。
それが高天原と夜之食国と海原だった。その象徴は太陽(昼・晴れ)と月(夜・雲や雨)と海(波と凪)である。
しかしこれはたった一人で勝手にイザナギが決めたことである。
統治に関しての反対や賛成、争いや葛藤などその詳細が描かれているわけでもない。
僅かな語でイザナギがそう命じたと書いてあるに過ぎない。

思い出してほしい。
天地創造の時に、高天原でそれを築いたのは「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」という3柱の神であったと冒頭に記されていたことを。
さらに「天之常立神」と「宇麻志阿斯訶備比古遲神」という2柱の神がいて、この5柱は独立していて身を潜めており別格であると綴られていたのだ。

その次の「国之常立神」と「豊雲野神」もまだペアではない。独立して身を潜めている存在。
ここまでの神は1者が1とカウントされる。
しかしその後はペアで1代とカウントされるようになるのだ。
ペアの5代目がイザナギとイザナミである。表記は「伊耶那岐神」と「伊耶那美神」だが、凪と波を秘めているのではないだろうか。
しかしこのペアは後に破綻してしまうのである。
妻と別れて1人になったことを、それまでの別格神のような独立神になれたと勘違いしたのかもしれない。


イザナギの前に高天原はすでに存在しており、目立つことはないがそこには別格の神がいたというのに、イザナギは自分の子をそこの統治者として独断で任命した。
いくら神話だとはいえ、同じ書物でその後に国譲りといった話が展開されたり、現在の宗教(神社仏閣)や皇室が古事記や日本書紀の解釈に則っていることを考えると、この部分の辻褄の合わなさを度外視することは出来ない。
「別天神ですから」で済まされる問題ではないだろうと思う。
「だったら別天神のほうが重要でしょう」と言いたくもなる。
また別天神が後の話に一切出てこないかと言えば、そうでもない。出てくるのである。このあたりも矛盾している。


国は不明

スサノオ:海原→(姉のいる)高天原→肥の国の出雲国(または雲国)→須賀→黄泉国(根堅州国)

スサノオの子孫である大国主神:(兄弟たちと)稲羽→伯耆国→木国→根堅州国(黄泉国)→初めて国を作り始めた

実は大国主神はどこで国造りをしたのかは一切書かれていない。
最初から大国主神という名前でありながら、兄弟たちと稲羽に行った時には下っ端であり、兄弟たちはそれぞれ国を持っていたような記述があるが、大国主神は自分の国を持っていなかった。
だからだろうか彼は稲羽の八上比売やスサノオなどから大穴牟遅神や葦原色許男神と呼ばれていた。
それより前の文中で別名として紹介されている名である。
スサノオの所から逃げ出す時にスサノオから投げかけられた言葉の中には「おまえが大国主神となって」とあるが、彼の名はもともと大国主神だった。
そう期待されたか、運命づけられていたか、名を見る限り国の主になるべき者であった。
その後はスサノオの言葉通りに兄弟たちをやっつけて、初めて国造りを始めたと記されている。
ただそれがどこなのかは分からない。
それらしき地名があるとすれば、スサノオが投げた言葉にある「於宇迦能山【三字以音】之山本」である。


なぜ出雲?

なぜ人々は大国主神の治めていた国は出雲と決めつけたのだろうか?
文章にその手がかりを追えば、この場面が有力と言えそうだ。

故大國主神 坐出雲之御大之御前時 自波穗 乘天之羅摩船而 內剥鵝皮剥 爲衣服 有歸來神
さて、オホクニヌシ神が出雲の御大(みほ)の岬にいる時、波の彼方から天の羅摩船(かがみのふね)に乗って、鵝(ひむし)の皮を丸剥ぎに剥いで衣服として、寄って来る神がいました。

海から協力者となる神「少名毘古那」がやってきた場面である。
少名毘古那は古事記冒頭に登場した天地創造の時の高天原の別格3柱神(別天神)の1柱「神産巣日神」の子であるというのだ。

故與汝葦原色許男命 爲兄弟而 作堅其國
「そこでお前は、アシハラシコヲ命と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と言いました。

故自爾 大穴牟遲 與 少名毘古那 二柱神 相並 作堅此國
こうして、それからオホナムヂとスクナビコナと二柱の神は協力して、この国を作り固めました。

しかしその後、少名毘古那神は常世国に渡ってしまう。
大国主神はこの時に自ら「自分一人では国は作れない。どの神と協力すればよいだろうか」と言いだすわけである。
その時にまた海から神が現れた。これが大物主とも呼ばれる神である。

其神言 能治我前者 吾能共與相作成 若不然者國難成
爾 大國主神曰 然者治奉之狀奈何 答言 吾者 伊都岐奉 于倭之青垣東山上此者坐御諸山上神也

その神が言うには、「私をよく祀ったら、私が共に協力して作りあげるだろう。もしそうでないならば、国を作ることはできない」と言いいました。
そこでオホクニヌシ神が、「それならばどのようにして祀ればよろしいでしょうか」と尋ねると、「私を倭の東の青々とした垣根のような山上に祀れ」と答えました。
これが御諸山(三輪山)の上に鎮座している神(大物主)です。


確かに出雲という名があり、国造りの話がなされている。
しかしこの箇所「故大國主神 坐出雲之御大之御前時」の訳が心許ない。
上記に掲載した訳では「オホクニヌシ神が出雲の御大(みほ)の岬にいる時」と訳しているが、「大国主神が出雲で食膳の前におられた時」と訳す者もいる。
しかし普通に訳せば、「大国主神が出雲の御大(トップ)の御前(お側)にいる時」である。
出雲にはすでに別の統治者がいたことを匂わせる一文である。
文章を見る限り大国主神はその人物よりも格下である。
けれども此の国を協力して治めなさいと「神産巣日神」に言われたがゆえに出雲を治めることになった。
そうとなれば神のお告げとはいえ他者から奪い取ったことになる。
別のトップがいたならばこの場面だって「国譲り」だろうと思う。大国主神が譲ってもらった側だ。

もうひとつ気になるのが「坐出雲之御大之御前時」の出雲である。
この箇所に限らないが、出雲は音読み指示されているわけでなく、これが地名であるという証拠はどこにもない。なぜこれを地名と決めつけたのだろうか?
黄泉の国などと同じで雲の出る国や雲の国と訳す方が自然ではなかろうか。
さらにここでは国という字も使用されていない。
従ってここは「雲の出る国で偉くなった方のお側にいる時」や「雲を出でて偉くなった方のお側にいる時」とも訳せる。


大物主の言葉から知る不適任

この部分の訳も少々怪しい。
其神言 能治我前者 吾能共與相作成 若不然者國難成
爾 大國主神曰 然者治奉之狀奈何 答言 吾者 伊都岐奉 于倭之青垣東山上此者坐御諸山上神也


その神が言うには、「上手く統治していた我が前者と私とであれば共に協力し合い良いものを作っていける、もしもそうでない者なばら国造りは難しい」
大国主神が「治めるに然る者(その相応しい者)をどのように奉ればよいでしょうか」と尋ねれば、「吾の者を統治者(聖職者)の都の分かれ道に奉り、倭の青垣東山上に此の者を坐らせ御諸山上神としなさい」と答えた。


このように訳せば、大物主が認めたのは先に統治していた人物であり、大国主神と共に国を治める気は全く無いように解せる。







by yumimi61 | 2015-01-01 17:25