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甍(いらか)二百一

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左側は仏パリの風刺週刊紙シャルリー・エブド本社が襲撃事件で銃弾を浴びた警察車両(AFP)の画像。
右側は私が数年前に作成したポストカード。

左側の映像をニュースで見た時すぐに写真のことを思い出した。
銃弾を撮ったことはないけれども、窓に映った木は私が撮りそうな被写体だったからだ。
まず上のポストカードのことを思い出した。
祈ぎ事」という記事に載せた写真にも似ている。






アメリカ発の鳥が日本で大挙して鳴くとき

(常世)思金神の発案で常世の長鳴鳥を集めて鳴かせたという古事記の文から思い出すのは、Twitterである。
アメリカの国旗は考えようによっては常世(常夜)である。
そのアメリカ発のTwitterで日本人がこぞって滅びの呪文「バルス」を唱えるというのだ。
ジブリ映画の『天空の城ラピュタ』をテレビ放映時の出来事。誰が仕掛けたのか社会現象になっているらしい
ツイート数トップ5は日本が独占!!!!!
日本らしいというかなんというか。ダントツ1位がバルスで「バルス祭り」と言われている。
バルスって何?という方はこちらを参照してください

実は私、アニメ映画はあまり好みではない。
ジブリ作品も観たことがあるのは『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の4本のみ。
さらに好みでないのが3DCGアニメ映画。
あの絵づらといい、動きといい、ノイズの無い鮮やかすぎる色彩といい、立体なのに何故かのっぺり平面的に感じられてしまうことといい、どうしても好きになれない。
アメリカの玩具風でまさしくアメリカ的と言えばそうかもしれないが、そうならば何も映画でなくてもいい。
こればかりは個人の好き嫌いの問題だから仕方ないし、アニメ映画というのはもともと子供のものだったはずだ。
子供が小さい時は一緒に観たが、大人同士ならば、一人ならば、他にも観るものがあり、することがある。

話がずれてきたが、そんなこんなで私は『天空の城ラピュタ』も観たことがない。
「バルス」はラピュタが崩壊する時の呪文だということだったので、てっきり悪いことだと思っていたのだが、ストーリー的にはそれで平和になったということのようだ。
ちなみにラピュタ語では「閉じよ」という意味になるらしい。


二柱とは誰か

此二柱神者拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】 次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也 次天石戸別神 亦名謂櫛石窻神亦名謂豐石窻神 此神者御門之神也 次手力男神者坐佐那那縣也
この二柱の神は、拆く釧(さくくしろ)(口の割れた腕輪)五十鈴(いすず)の宮(伊勢神宮内宮)に祀ってある。
次に登由宇気(トユウケ)神、これは外宮の度相(わたらひ)に鎮座する神である。
次に天の石戸別(アメノイハトワケ)神、またの名は櫛石窓(クシイハマト)神と言い、またの名は豊石窓(トヨイハマト)神と言う。この神は御門の神である。
次にタヂカラヲ神は佐那那県(さなながた)に鎮座している。


この前の文はこうであった。(私の訳)
天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、物事の始まりに伴った5者を支えに加えて天から降りた。
是にてあの「えんぎし」八尺勾玉鏡及び草那藝の剣、また常世の思金神、手力男神、天石門別神を賜り、詔は「この鏡(の者)を専ら私の魂として、我を前にして拝むがごとく治める都(聖職者の都)の分かれ道に奉りなさい。次に思金神が取持ち事の前には政(まつりごと)を成すように」であった。


これに続く文が、此二柱神者拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】、である。
まず考えるべきは「この二柱の神」とは誰かということである。
天から降りようしている「日子番能邇邇藝命と思金神」と解釈するのが妥当であると思うが、拝まれる対象としての鏡に注目すれば天照大御神も浮上する。
「天照大御神と思金神」、また「天照大御神と日子番能邇邇藝命」という組み合わせも考えられる。
ここではすでに「奉り」「祭り」「祀り」「政(まつりごと)」が混同されているので判別が付けにくい。
これまでは誰の命令なのかが記されていたが、この詔は誰が誰に向けて言った言葉なのかも記されていない。
前後文から判断するしかないのだが、その前後文が煙に巻いたような文になっている。


者とはなんだ?

前述したとおり、者と物の混同も著しくなってきている上に、「者」と付けることが非常に多くなってきている。
「者」は神や人のことである場合もあり、数も単数であることも複数であることも考えられる。
また「~という者」という、それほど親しくない、それほど詳しくない場合の距離感を表している時もある。
国、場所、事、物、地位などを示す場合もある。
この場面では「神」の後に「者」が付いている場合と付いていない場合があり、これも複雑にしている要因である。

此之鏡專爲我御魂而如拜吾前伊都岐奉 次思金取持前事爲政
此二柱拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】
次登由宇氣坐外宮之度相
次天石戸別亦名謂櫛石窻亦名謂豐石窻御門之
次手力男坐佐那那縣也


あなたはどおれ、どれですか?

此二柱神者 拜祭佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】

①この二柱の神は(それを)「佐久久斯侶伊須受能」の宮にて祭り拝んだ。
②この二柱の神を「佐久久斯侶伊須受能」の宮にて祭り拝んだ。
③この二柱の神が祭り拝んだ所は「佐久久斯侶伊須受能」の宮であった。
④この二柱の神の者(この二柱の神を信心する者)は「佐久久斯侶伊須受能」の宮にて祭り拝んだ。

少なくともこのように4つの解釈ができる。
但し「~にて」や「~で」という場所を表す「於」「于」などの漢字が使用されておらず、動詞のほうが先にあるので、それを重視しれば③が適当だと思われる。


ないないないでも止まらない~


「佐久久斯侶伊須受能」は音読み指定となっている。
現代語訳では「拆く釧(さくくしろ)(口の割れた腕輪)五十鈴(いすず)の宮(伊勢神宮内宮)」となっていた。
  ※五十鈴川が三重県伊勢市にある(しかし宮崎県にも同名の川がある)

「さくくしろ(拆釧)」は「五十鈴(いすず)」にかかる枕詞として辞書にも掲載されているが、ほとんどが古事記のこの部分を例文に掲げている。
つまり先に枕詞があったのではなく、「佐久久斯侶」に「さくくしろ」という読みを当てて枕詞が作られたのだろう。
おそらくそうでもしないと音読み指定の「佐久久斯侶伊須受能」が説明できなかったのだ。
読みは「さくくしろいすずのみや」とされている。
しかしそれならば何故そのままの漢字を使用しないのだろうか。
ここはあまり自信はないがこんなのはどうだろうか。
「さくきゅうしりょいすずのう」、漢字に直せば「咲給思慮椅子頭脳」。
(八百萬神が咲いたように)咲くを給え、椅子(地位・ポスト)と頭脳を慮ってしまう宮。

「佐久久斯侶伊須受能」を訓で解釈すると「支え助け幾久しく、連れ添う統治者を求め、受ける能力のある」となる。
つまり宮にはどのような統治者と補佐役がいるべきかということが示されているのだが、訓読みではなく音読み指定なので、それが無い宮と解せる。
よって上のような読みと解釈にした。
③でこの解釈にすると、二柱は「日子番能邇邇藝命と思金神」になる。


田を食み出すと由

次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也

登由宇気神はここで初めて登場した神の名前。
それなのに何故かみなイザナミが生んだ豊宇気毘売神と同一の神だと決めつけている。
豊宇気毘売神はイザナミが火の神を生んで火傷して寝込んだ時にした尿から生まれた神。つまりイザナミが死ぬ直前に生まれた神である。別名は書かれていない。
豊宇気毘売神のうち「宇気毘売」は音読み指定となっている。
「うきびばい」(浮気美唄!?)、それか、「うきひめ」(憂き秘め・憂き姫など)、または「うけひめ」(有卦姫・受け姫)、はたまた「うけひばい」(受け非売・受け非買)。
同一神だとする天照大御神よりも早く生まれた神になる。世代がばらばら。

イザナミの死ぬ間際に尿-豊宇気毘売神
イザナミの死ぬ間際の嘔吐物-金山毘古神-天津国玉神-天若日子
イザナギの左目洗浄-天照大御神・天照大御神の勾玉(左)―正勝吾勝勝速日天忍穂耳命―日子番能邇邇藝命
イザナギの右目洗浄-天照大御神・天照大御神の勾玉(右)―天菩比神
イザナギの鼻洗浄-スサノオ・スサノオの剣-多紀理毘売命×大国主神(スサノオ7代目)―下照比売

登由宇氣神、此の者は宮の外に坐し(座すが)、同程度の神である。・・・私の訳
日子番能邇邇藝命と思金神のいる宮の外にいるが同程度の地位の神である。
日子番能邇邇藝命と思金神のいる宮の外にいるが(地位や性質、頭脳など)程度は似たような神である。


なぜそこに、なぜここに

次天石戸別神 亦名謂櫛石窻神 亦名謂豐石窻神 此神者御門之神也

天石戸別神、またの名は櫛石窓神と豊石窓神で、 この神は御門の神である。

日子番能邇邇藝命に添わせたもの「八尺勾玉と鏡、草那芸の剣、常世思金神、手力男神、天石門別神」の中の天石門別神と1字違いである。
その上、御門の神とあるので、これは同一の神だろうか。
猿田比古神に加えた天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、そして日子番能邇邇藝命に添わせた常世思金神・手力男神はみな天照大御神の天岩戸の一件に関わった者である。
その中では天石門別神だけが関与していない神であった。
その後に名が出てきた登由宇気神と天石戸別神も関係していない。
(名が出てこなかった=関係していない、ではないと言われれば全くその通りでございます)
どちらも突然に登場してきて、後にも先にもこれといったエピソードがない。
非常に雑で深みの無い事柄が列挙されていて、ストーリー的にどうしてこの名前がこの場所に置かれているのかよく分からない。

次手力男神者坐佐那那縣也

手力男神が座した所は那を補佐する那の県であった。

現代語訳では「佐那那県」としているが、場所は特定されていない。
音読み指定箇所ではないので訓で読むのだと思うが、那については前も述べたように固有名詞扱いされている可能性がある。






by yumimi61 | 2015-01-09 10:12