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明治 参

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フランスの週刊紙カナール・アンシェネは十一日付の紙面で、二〇二〇年夏季五輪開催地に東京が選ばれたことと、東京電力福島第一原発での汚染水漏れを関連づけ、腕や脚が三本ある力士などを描いた風刺画を掲載した。2013年9月12日 東京新聞より

フランスの著名紙が東京で開催が決まった2020年夏季五輪と東京電力福島第1原発とを関連づけた風刺画を掲載し、波紋を広げている。汚染水問題の解決の糸口が見えないままに2020年夏季五輪の開催が東京に決まったことに対する国外の不信感の表れだとも言えそうだが、日本政府は「誤った印象を与える不適切な報道であって、大変遺憾」と怒り心頭。正式に抗議する考えだ。2013年9月12日 J-CASTニュース

この福島の風刺画を描いた漫画家も先日のパリ新聞社襲撃事件の時に犠牲になったそうだ。

しかし日本の八咫烏はもともと3本足でデザインされている。
それを好き好んでサッカー日本代表チームのシンボルマークとして使用しているではないか。
2本足が一般的な生き物が3本足ならば普通は奇形である。
奇形を良しとし誇りに思っているならば、3本の風刺画を描かれたからと言って大騒ぎすることもないだろうにと思う。
文章の比喩などと同じで奇形ではない全く別の意味が込められていると言うならば、風刺画にだって同じことが考えられる。
写真の1枚目と4枚目は中国と北朝鮮の壁画。三足烏である。





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1700年代の清 http://zh.wikipedia.org/wiki/清朝


中国が「清」だった時代は、1644~1912年。
日本の「明治」時代は、1868~1912年。

■アヘン戦争(1840‐1842)
■アロー戦争(1856~1860)
■日清戦争(1894-1895)

相次いで戦争に敗北し分割植民地化された清(中国)。
朝鮮国(李氏朝鮮)は日清戦争後の下関条約にて清との冊封関係から離脱し自主独立国となる。
李氏朝鮮は1897年に国号を「大韓帝国」となる。支配権が清から日本に移行。
1910年に正式に日本が併合した。1910~1945年までが日本統治時代。
台湾は日清戦争で日本が勝利したことによって割譲された植民地。
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http://thepage.jp/detail/20140325-00000012-wordleaf?page=2


ロシアは1891年にシベリア鉄道の建設を開始した。
建設に関しては露仏同盟を結んでいたフランスからも資金援助を受けた。
1896年、清の対日賠償金に融資したフランスとロシアは、その見返りとしてシベリア鉄道の短絡線となる東清鉄道の敷設権を得た。
また1898年に旅順と大連の租借権を得たロシアは東清鉄道と大連とを結ぶ支線(南満洲支線)の敷設権も得た。
シベリア鉄道は1901年にほぼ完成し、日露戦争の最中の1904年9月に全線開通した。
これにより大量の人員と物資をこれまでには考えられないようなスピードと効率で前線に輸送することが可能になった。
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http://www53.atwiki.jp/alonsodeleyva/pages/81.html
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■北清事変(義和団の乱)(1900)
■日露戦争(1904-1905) 


日清戦争の賠償金

日清戦争に勝利した日本は国家予算の数倍にもなる賠償金を手にした。
下記はその賠償金の使い道である。

・日清戦争戦費 22%
・海軍拡張費+陸軍拡張費(海軍のほうが多い) 62%
・皇室財産 6%
・教育基金 3%
・災害準備金 3%
・その他 4%

すでに述べたように京都帝国大学設立や八幡製鉄所(福岡)の建設費用にも充てられた。
戦争は「天皇のため」「御国のため」と言われることがあるが、勝てば皇室の財産も増えるということのようだ。
明治時代は富国強兵路線だったので軍の拡張費に充てられたというのは尤もな使い道であるとは思うが、だからこそ、その尤もらしさに隠れやすいとも言える。
「軍の拡張費」と言っても広義と狭義では内容は全然違うだろう。
復興費ではないけれど実際どこで何に使われたのかは不透明な気もする。
日清戦争終結から9年後に行われた日露戦争で日本は膨大な借金をして臨んだわけだから余剰金は無かったんだろう。
この借金は後世まで影響を残すことになった。
お金で方を付ける戦争がお金のための戦争になったって不思議はない。


アヘンについて

清の陥落はアヘンが原因となったわけだが、清はもともとアヘンを警戒していた。
そういう意味では不幸な結果としか言いようがない。
日本も江戸幕府はアヘンの輸入を固く禁じていた。
また国内での栽培にも厳しく幕府の管理下において医療用に少量流通するのみであった。
ところが幕末から明治維新にかけては、日本においてもアヘンの栽培が広がってしまった。
明治政府もアヘンを売買や使用を禁じる政策を取ってはいたが、医療用途は認め、栽培者・取扱者(薬局)・購入者の門戸を広げた。
つまり専売制にして国家が利益を独占したのである。

日本が日清戦争の下関条約で獲得した植民地・台湾でもアヘンが広まっていた。
ここでは直ちにアヘン禁止政策を取らずに、漸禁政策を取った。
それまで馴染んでいたものを急に禁止すれば反発も大きいでしょうから、様子を見ながら(可能ならば)徐々に禁止方向に持っていきましょうという政策である。

当時台湾においてアヘンの使用が広がっていたことを背景に、後藤新平は伊藤博文にアヘンの漸禁政策案を提出し、1897年には台湾阿片令が敷かれる。阿片令において、アヘン中毒者へのアヘン販売が許可された。1898年の台湾阿片令にて台湾におけるケシ栽培が禁止され、台湾総督府専売局によりアヘンは独占的に販売された。内地におけるアヘン製造が活性化した。






by yumimi61 | 2015-01-16 13:44