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大正 陸

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出処はすでに404

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親切な方が入れてくれた英訳文付

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日本3景の1つ、宮城県の松島にて




第一次世界大戦突入まで48時間

1914年6月28日、サラエボにてオーストリア皇太子(王位継承者)夫妻がセルビア人の青年に暗殺され、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア政府を非難した。
実行犯であるセルビア人は、セルビア民族主義者により1911年に結成された秘密組織(テロ組織)の「黒手組」のメンバーだったとされている。
1914年7月23日、オーストリア・ハンガリー帝国はセルビア王国に対して最後通牒を突きつけた。
これは10箇条の要求をセルビアが48時間以内に無条件で全てを受け入れなければ宣戦布告することを通告するものだった。
48時間以内にこれだけのことを決定するということは共和国や立憲主義国家や民主主義国家ではなかなか難しい。
つまり通告するほうも君主国なら受ける方も君主国であったということだ。

「王位継承者」と「風刺新聞の関係者」という「人(身分・地位・格・命の重み)」や「人数」には違いがあるが、サラエボ事件を先日起こったパリ新聞社襲撃事件に当てはめて考えてみよう。
①パリにて風刺新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスはフランスを非難して最後通牒を突きつけた!?
②パリにて風刺新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスはアルジェリアを非難して最後通牒を突きつけた!?
③パリにて風刺新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスはイスラム過激派を非難して最後通牒を突きつけた!?
④パリにて風刺新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスはイスラム教を非難して最後通牒を突きつけた!?
⑤パリにて風刺新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスはイスラム国家を非難して最後通牒を突きつけた!?
⑥パリにて新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスは秘密組織(テロ組織)を非難して最後通牒を突きつけた!?
⑦パリにて新聞関係者がアルジェリア系フランス人の青年に暗殺され、フランスは中東諸国を非難して最後通牒を突きつけた!?

どれが正しいのだろうか?
サラエボ事件では秘密組織ではなく国に対して行動を起こしたのだから、①②⑤⑦になりそうだ。
但し⑦の場合、現実的には「中東」に対して最後通牒を突きつけるという行動は取れない。幾つも国があるから。
風刺新聞ならば事件後は①路線で風刺してほしかったものだ。
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科学がどんなに進歩しても決して覆らないもの

オーストリアがセルビアに出した最後通牒。
イギリスの外務大臣エドワード・グレイに「今までで国の状況を変更する最も恐ろしい文書」と評されたという10の要求はこちらを参照
その1がなかなか強烈である。
1.帝国政府の君主制に対する憎悪・軽蔑を扇動するすべての出版を禁止すること。

当のセルビアは5と6の一部分を留保した以外は同意したのだという。
しかし「全て」ではなかったのでオーストリアはセルビアに宣戦布告した。
これが第一次世界大戦の始まりだった。


表現の自由に「二重基準」?

フランスでは18世紀末に採択されたフランス人権宣言で表現の自由が掲げられたが、19世紀後半から名誉毀損(きそん)などにあたる対象が法律で順次規定された。民族、宗教などを理由に個人や団体への差別や憎悪などをあおる行為や、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の否定は処罰される。昨年秋に成立した反テロ法はテロを擁護する言動も禁じた。
ただし、その中に「神」は含まれない。聖職者を特権階級とした身分制を擁する絶対王制を革命で倒して民主国家を樹立した経緯から、教会や神への批判や風刺は譲れない権利と位置づけられる。このため信者個人への侮辱は処罰の対象になるが、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載など宗教そのものを題材にすることは罰せられない。



フランス革命

君主名などが記録として残る君主国の始まりは世界的におおよそ5世紀前後である。
絶対君主と立憲君主の違いはあれど、21世紀に至ってもまだ君主制を継続している国が世界には複数ある。
もっとも君主の血統が一度も途切れていない、直系を維持しているなどと謳うのは、名が知れた国では日本くらいのものだろうと思う。
かつてはフランスも君主国だった。「〇世」という呼び方はフランス式ではなかろうか。
それくらいフランスの君主制は由緒正しく歴史の古いものだったはずだ。

フランスの絶対君主制は1789年のフランス革命によって崩れ去ったものの、この時に誕生した共和制は12年ほどしか続かなかった。
君主制が復活したのである(王政復古)。
君主が廃され大統領制に移行したのは1870年のことで、革命からさらに80年の年月が必要だった。
しかし今でも完全に君主が否定されているわけではなく、かつての君主の子孫らが我こそが正当君主であるとして王位請求している。
歴史に名高いナポレオンは市民革命の象徴でもあり、王政復古させた張本人でもある。

フランス革命が世界に与えた影響は非常に大きい。
フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理は、その後市民社会や民主主義の土台となった。一方で、理性を絶対視し、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も正当化しうるとした点で、その後の共産主義、社会主義、全体主義の母体ともなった。
また、教会への略奪や破壊などのキリスト教の弾圧・迫害と「理性」の神の信仰や「最高存在の祭典」などから、宗教戦争としての側面もあったといえる。
今日、日本を含む世界中の多くの国家がフランス革命時に掲げられた理念を取り入れているが、各国の歴史や伝統に照らして穏やかなものとなっている。


フランス革命は市民革命として知られるわけだが発端は王権に対する貴族の反乱であった。
貴族だけでは「市民革命」と呼ばれることはなかったであろう。
反乱は拡大して市民を巻き込んだがゆえに「市民革命」という名を手にした。
市民と言っても幅広いわけだが、どの革命にも必ずや登場してくるのが「知識人」と括られる人達である。


革命の真実

王権に貴族が反抗し、知識人が扇動し、市民が参加した「フランス革命」とはどのようなものだったのか。
カトリック教会制度の破壊などキリスト教の迫害、ルイ16世の処刑をはじめとするギロチンの嵐、ヴァンデの反乱を始めとする内乱、ジャコバン派による恐怖政治、繰り返されるクーデター、そしてそれに伴う大量殺戮などによって混乱を極めた。

またフランスの革命政府と君主制を布く欧州の列強国との争いにも発展した。フランス革命戦争(1792-1802)。
きっかけはオーストリアがフランスに干渉したことで、フランス革命政府がオーストリアに宣戦布告した。
オーストリア側にイギリスやドイツ、ロシア、スペイン、ポルトガル、トルコ、フランスの王権派などが付き、フランスは多くの国々を敵に回した。

しかしながら「革命」などというものは長く続かない。長く続くものは「革命」とは呼ばないであろう。
一時的な反乱、急転直下な事態、血の匂い漂う儚さこそが革命である。
どんな野党であっても政権を取った途端に与党になってしまう。
左が主になればそれはもう右と言い換えることができる。
保守でないから革新・革命なのであって、長くそれを守り続けたら、それはもう革命ではない。
「革」は獣の皮のことである。獣を殺し皮を引ん剥いて新しい物を作ることが「革」である。
「新たな命を吹き込む」とでも言いかえれば、耳触りが良いだろうか。
生きていない革は水に弱くて、傷みやすく、手入れが難しい。
傷みを味と取るか、古臭く汚らしいと取るか。さてあなたはどちらですか?
新たに吹き込んだ命も決して永遠ではない。

フランス革命戦争は直にフランスの、ナポレオンの侵略戦争に変わっていった。
この戦争に勝利したナポレオンがフランスで王(皇帝)という地位を手にすることになったわけだが、それと前後してナポレオン戦争(1803-1815)と呼ばれる戦争が始まっており、正直どこが境なのかもよく分からないくらいなのだ。
この頃の欧州というのは相手国はともかく戦争しっぱなしの状態にあった。
こうなれば革命と言うよりもルーチンワークと言ったほうが相応しい。国としての土壌や素養が違う。
キーになるのはやはり、フランス、イギリス、ロシア、ドイツであろう。






by yumimi61 | 2015-01-19 13:37