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大正 拾陸

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いつだったか喧噪の町を逃れるように

訪れたその場所で手を合わせた

君もまだ覚えているだろうか





ふつつかですが。さんか?とうか?そう?

対華21箇条要求がどうなったかと言えば、パリ講和会議においては日本の主張が認められたのである。
中華民国山東省(膠州湾・青島)の権益はドイツから日本に移り、同じ戦勝国ではありながら中華民国には戻らなかった。
さらに日本側が求めていた旅順・大連租借地の期限延長など権益も認められた。
中華民国はこれが不服でヴェルサイユ条約には署名しなかったが、他の条約を署名批准していたので国際連盟には加盟できた。
またほぼ実戦に参加することなく戦勝国となり戦勝国としての権利を得ることが出来た。
1840年のアヘン戦争以来、陥落を続けたアジアの大国は70年以上の時を経て、復活の兆しを見たのだろう。

1900年に勃発した義和団の乱(北清事変、列強国相手の国家間戦争)、この戦争のきっかけとなったのが山東省でありドイツであった。
この戦争の敗者である中華民国はドイツにもっとも多くの賠償金を支払っていた。
それが以後帳消しになる。それだけでも戦勝国の意味はある。
中華民国はドイツと1921年に単独で条約を結び国交を回復した。
この時にドイツは日本に移った山東省(膠州湾・青島)以外の権益はすべて中華民国に返還した。


アメリカの台頭

モンロー主義(不干渉主義)を脱ぎ捨てて第一次世界大戦へ参加し、その講和会議に国家元首を送り込み平和への提言を行ったアメリカは、いよいよ世界のリーダーとしての道を歩み始める。

1921~1922年にはワシントンD.C.で国際軍縮会議が開催された。
これもアメリカ国家元首であるウォレン・ハーディング大統領の提唱であった。
ウッドロウ・ウィルソン大統領は1921年に任期を終えていた。

ウィルソン大統領は民主党、ハーディング大統領は共和党であったが、国際連盟に加入しないという姿勢はそのまま引き継がれた。
というかむしろ、反国際連盟は保守派の共和党に多く、ハーディング大統領も議員時代から国際連盟加盟に強く反対していた。
セオドア・ルーズベルト大統領(ノーベル平和賞受賞者)とウィルソン大統領(ノーベル平和賞受賞者)が構築した革新主義、つまり議会を飛び越えて世論を直接誘導し支持を広げ、大統領権限を拡大させ、思い切った政策を取るやり方に賛同していなかった。

そのハーディングが第一次世界大戦直後の1920年の大統領選挙において、南部以外のすべての州で勝利し、南部でも40パーセントの一般投票を得るという圧倒的勝利を収めた。
戦勝国であり世界の平和の顔になりながらも、アメリカ国民は突き進むことを良しとしなかった。
革新主義による行き過ぎた政治変動にノーを突きつけたのだった。
アメリカの革新は州の独裁につながった。強いアメリカを作るために国民は犠牲を強いられたと感じでいたのだろう。
「常態への復帰」「平和への復帰」を掲げ、ハーディング大統領は元に戻ることを約束した。
ここで言う常態とは戦争をしないこと、参戦しないこと、戦争特需に与らないこと。
ここで言う平和とは孤立し干渉しないことで成り立っていた平和である。

支配ではなく統制を目指したハーディング大統領は、世論に支えられて強力なリーダーシップを発揮したセオドア・ルーズベルト大統領とウィルソン大統領に比べると目立つものではない。
現代では無能大統領や不人気大統領の上位に名が挙がり、大統領制度の低迷期であるとも言われる。
大統領権限を縮小してもかつてのような議会政治が完全に復活したわけでもなかった。
様々な価値や考え方が生まれ、国際的・社会的・経済的状況も変化する中では、議会をまとめることも容易ではなく、議会を主導するリーダーも生まれにくかった。
成果競争主義に基づいて公職を採用する制度を停止すれば、猟官運動(大臣や高級官僚などの地位を得ようとして力のある人物に働きかけること)が生まれ、やがてスキャンダルに呑まれていく。

また国家元首である大統領は、国内のことだけを考えていればよいわけではなくなる。外交の最終責任者である。
右と左の関係に似ていて、どちら側にいたとしても、それを貫けば国際的に孤立する可能性がある。
だからといって安易に傾けば、国内と国外のバランスが取れなくなる。表と裏の顔が違うじゃないかという話になってしまうのだ。
ハーディング大統領は国際連盟によって設立された国際司法裁判所への参加を推進しようとしたが議会によって阻まれた。
かつてイギリスの支配下にあったアメリカは独立後も多くの外交上のトラブルを抱えていた。
それを武力ではなく話し合いで解決しようというのが国際裁判の始まりで、1794年のイギリスとアメリカの仲裁裁判がルーツとなっている。
余計な争いに干渉したくはないが、自国のトラブルを考えれば、大統領としてはそこには参加しておきたかったのだ。


アメリカ大統領がワシントン会議で軍縮を提案した理由は、日本の台頭を防ぎ、極東におけるアメリカの覇権を確立する狙いもあったと言われることが多いが、実は議会と世論の圧力に屈したもので大統領が真に望むものではなかった。
アメリカはワシントン軍縮会議を通じて、軍縮を約束し、中華民国を巡る問題を話し合い、太平洋についてはアメリカ・イギリス・日本・フランスの間で現状維持を確認して日英同盟の廃棄を明記した4カ国条約が締結された。
永世中立国が自国を侵略から守るために強大な軍備を敷くのと同様に、孤立を維持するならばやはりそれなりの軍備が必要である。
アメリカは国際連盟に加入しないという孤立路線を選択しながら、軍縮へと動くという、まさに反対のことをやってのけたのだ。
保守派で反国際連盟でモンロー主義の復活を目指した共和党上院議員出身の大統領は、皮肉にもアジア・太平洋地域で「国際協調」体制を築くことに成功し、それが一番の業績ともなった。

舵取りって難しいですね。


常態復帰主義者の報道利用はノー!?

変えるということは維持することよりも瞬発的に多くのエネルギーを必要とする。
期限内で実施しようとするならば尚更である。
革新であっても、常態復帰であっても、自分の思い通りに国を作っていくためには、大統領権限が必要であったし、国民の支持が不可欠であった。
つまり目指すところは違っても、その手段としてはセオドア・ルーズベルト大統領やウィルソン大統領を踏襲するしかなかったのである。
ハーディング大統領も世論誘導スタイルの確立に寄与した。
ましてやハーディング大統領は新聞社を運営し発行していた人物である。報道を熟知していたのである。

日常的に記者を大事にして自身のイメージアップにつなげ、さらには定例記者会見も復活させた(導入したのはウィルソン大統領だが途中で無くなっていた)。
ホワイトハウスのスポークスマンが国民に情報を伝える形式を初めて採用したのもハーディング大統領。
大統領が出席する催事に参加できるようにホワイト・ハウス記者協会の記者に身分証を発行した。
写真を有効に使ってイメージを築き上げた。
就任演説がラジオで最初に放送されたのもハーディング大統領の時だった。
ラジオにより多くの国民が大統領の生の声を聞くことができるようになった。
そうなれば言葉も大事。スピーチライターを導入した初めての大統領でもあった。
目にも耳にも訴えた大統領であったのだ。

1923年8月2日、在任中に急死した。
アラスカからの帰途食中毒を発症し、急にあちこち悪くなったようで、それから1週間で亡くなった。
2年5ヶ月で大統領生命を終えたのみならず、自身の生命も終えてしまった。
いつの時代も人は目に見え耳に聞こえる急死に弱い。
またしても皮肉なことに、支配ではなく統制を目指した大統領は、その死によって大統領支配を見せつけることになった。
報道を巧みに利用した大統領は英雄に祭り上げられた。
しかし革命は長くは続かないのだ。
革新ではなく常態復帰を掲げていた大統領は就任期間の短さと相まって、歴代大統領の中では落ちぶれた存在となってしまった。
ワシントン会議がなければ完全に忘れ去られてしまうところだったかもしれない。


9の呪い!?

国際軍縮会議(ワシントン会議)で中華民国に関して結ばれた条約は「九カ国条約(Nine-Power Treaty)」と言う。
会議に参加した9か国(アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ポルトガル・中華民国・日本)で締結された。
山東省の問題についてはアメリカ・イギリスの仲裁のもとに話し合われ、膠州湾と青島の租借地と同地の公有財産は無条件返還することになった。
山東鉄道だけはどうしても維持しておきたかった日本は、合弁化もしくは売却(日本が中華民国に売却)を提案した。
売却額は4000万円で、その金額を中華民国に貸し付けるというものである。
ドイツへの賠償金が帳消しになると言っても、敗戦続きの中華民国には資金がない。
それを見越してか日本は長期割賦により半永久的な支配権を要求したのだった。
しかし中華民国は「いやいや一括払いにしてほしい」と言ってきたのである。
日本に借りて支配されるくらいなら他から借りても一括で払ったほうがいいと思ったのだろう。(それにしても元は中華民国の土地なのにね、涙)
アメリカ・イギリスチームの妥協案は、15年満期の外債(外国または外国法人によって発行される債券、つまり外国からの資金調達)での支払い、満期まで山東鉄道に日本人を起用すること、条約発効から5年経過すれば繰り上げ償還も可というものだった。
これに門戸開放・機会均等・主権尊重という原則を合わせて、条約締結に至った。

ついでなので。
日本が発展途上国に対して行っている政府開発援助(ODA)には無償資金援助と有償資金援助がある。
奨学金にも無償と有償がある、そのようなものだと思うと分かり易いかもしれない。
インフラの整備のためになどと謳って行う資金援助は有償である。
つまり寄付(贈与)ではなくて長期低金利での貸し付けである。
有償には「自立を促すため」という尤もらしい理由が付くのが定番。
自立すればいいが大抵はそんなに上手くはいかない。
借りては補うを繰り返す自転車操業に陥るか、借金を返すために高い金利の融資に手を出しサラ金地獄に陥っていく。
アフリカのために多額の寄付金を集めたが、膨大な借金の一部返済に充てられただけ、貸した人への寄付になっていたという笑うに笑えない話がある。
融資した側にしたら、どんな手を使っても(どこからお金を借りても)、自分のところには返して欲しいと思うだろう。そうしてもらわないと困るのだ。要するに堂々巡りなのだ。







by yumimi61 | 2015-02-04 10:59