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大正 弐拾

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大正時代(1912~1926年)のまとめ

・1912年 中華民国樹立
・1914~1918年 第一次世界大戦(1915年 対華21箇条要求)
・1918年 西原借款(興業銀行・朝鮮銀行・台湾銀行から1億4500万円調達、北京の段祺瑞政権支援は1億7500万円に上った)
・1919年 パリ講和会議(ヴェルサイユ条約締結)
・1920年 明治神宮創建(明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする)
・1921~1922年 ワシントン会議(九カ国条約締結、四カ国条約締結)
・1921年 大正天皇の病状悪化によって皇太子裕仁親王(20歳、のち昭和天皇)が摂政。
・1923年 関東大震災
・1924~1927年 小野英二郎(オノヨーコ祖父)が日本興業銀行総裁
・1924年 東京放送局設立(1926年に日本放送協会となる)。初代総裁は後藤新平(医師、台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁)。


関東大震災と都市計画

関東大震災の発生は1923年9月1日。
8月24日に首相が病気で亡くなっており、9月1日にはまだ首相が不在であった。
震災直後の混乱の中で組閣され、9月2日に山本内閣(第2次)が成立した。
この新内閣で内務大臣兼帝都復興院総裁に就任したのが後藤新平であり、後藤に震災復興が任されることになった。
震災での壊滅も然ることながら、大規模な都市計画によるインフラ整備が、東京を近代都市へと歩ませた。
明治大正と引きずった江戸の町を脱ぎ捨てるきっかけになったのが関東大震災であった。
その中心にいたのは日本の大陸進出の先鋒でもあった後藤新平(岩手県出身)である。


関東大震災と手形

関東大震災後の救済措置の1つとして震災手形がある。

手形とは支払期日を定め、その日に支払うことを約束した紙(用紙)。有価証券。
手形を作成した時点ではそれに見合った資金がなくとも、とりあえず紙(手形)で支払っておき、約束した支払期日には現金を支払うというもの。
手形を振り出す(発行する)会社等の信用力で実際の支払いを先延ばし出来るわけだが、定めた期限(支払期日)には必ず支払わなければならない。
個人手形もあるが、企業の取引などは数多くの取引があったり大金が動いたりするので銀行が間に入っていることが一般的。(当座預金での決済)

期日までに支払額を用意できず、手形の額面金額を債務者(支払者)から債権者(受取者)へ引き渡す決済ができなった場合を不渡という。
一定期間に2度不渡を出すと銀行取引停止処分という処罰が下る。金融機関では取引停止処分が下った場合を倒産とみる。
期日までに支払えなかった債務者が信用を失うのは当然だが、不渡を多く出すような取引をしている銀行もまた信用を失う。

震災手形は、震災に関連して新たに手形を発行したということではない。
震災が発生した時点において、すでにあった手形のことである。
被災者が債務者である場合には期日に、または当分支払できなくなる可能性が高く、多くの倒産ひいては金融不安を引き起こしかねないので救済処置を与えた。
その手形のことを震災手形と呼んでいる。


手形と割引

もうひとつ関係しているのが「割引」という制度である。
手形の額面金額の受取者になっている企業がその支払期日前に資金が必要になったような場合に、手形を売って資金を調達する手段とすることができる。
例えば、3月31日(支払期日)に1000万円を支払ってもらうという手形を持っている安倍商店が、2月末までに800万円用意しなければならなくなったとする。
しかし余分な現金は手元には無い。
そんな時、安倍商店は持っている1000万円の手形を金融機関に売ることができる。
その場合にはもちろん、額面金額1000万円を手にできるわけではない。
金利分や手数料が引かれるという考え方で、受け取る金額は額面金額より少なくなる。
商品券などを金券ショップに売った場合に受け取る金額が少なくなるのと同じである。
銀行が手形を800万円で買い取ってくれれば、それで安倍商店は用立てできるというわけだ。
これを手形割引という。

つまり特定の企業(債務者)と企業(債権者)の取引の証だった手形が流通し、他(一般的には金融機関)に流れるということなのだ。
手形を持つのは銀行になるから、債務者から期日に支払われた際には銀行が受取人になる。
800万円先に出しておいても1000万円戻ってくれば、単純に考えて銀行は200万円儲かる。
だからこそ手形を引き受ける(割引する)わけである。
しかしこの状態で支払期日に債務者から支払われないとすると、困るのは手形を持っている(債権者となった)銀行となる。
債務者がそのまま倒産し返済されなかったような場合には、安倍商店では「額面より少ないけど800万円でも先に貰っておいて良かったよね~」という話になり、銀行では不良債権となる。


融資

融通が一番効くのは金庫に現金を持っていることであるが、手元に大金を置いておくことも、どこかに運ぶのも物騒であるし、相手方が現金取引に応じてくれない可能性もある。
従って有価証券や銀行が関係してくるのは仕方ないこと。
とはいえ、手形や割引が多用されているということにはあまり余裕は感じられない。自転車操業を思わせる。
現に日本は第一次世界大戦後、戦後恐慌にあった。
手形の問題だけではなく、経営状態が悪化すれば支払いのために金融機関から借金をする企業なども増える。
それが被災者ならば融資した資金が回収できなくなることをも意味する。
尤も経営が改善しなければ、震災がなくとも回収は約束されない。
すでに十分危うい状態だったのだ。


最後は国債

関東大震災の手形救済処置は支払期限の1ヶ月延長。(それでも回収できずに何度か延長し、最終的には1927年9月30日まで延長された)
救済処置のメインは日本銀行の再割引である。
金融機関が持っている手形(手形割引で引き取った手形)のうち、債務者が被災者の手形は、日本銀行が再割引に応じるという法案を成立させ導入した。
銀行や取引企業の連鎖倒産を防ぐための措置である。
上記例で言えば、安倍商店に800万円支払って手形を引き受けた銀行が、今度は日本銀行に700万円で手形を引き取ってもらう。
目論んだ200万円の儲けは水に流れ、むしろ100万円損してしまったが、800万円まるまる返済されないよりも700万円でも戻ってきてくれたほうがよいと思うわけだ。

手形はあくまで手形なので、債権者が日本銀行に移る。
しかし支払期日を多少延期したところで返済される可能性は低い。V字回復でもしないかぎり難しいだろう。
延期した期日までに債務者が返済しない場合には同じことが起こるわけで、日本銀行が不良債権を抱えることになる。
そこでどうしたかといえば、震災手形の処理で日本銀行が損失を被った場合は1億円を限りに政府が補償することを法案に盛り込んでおいたのである。
しかし1億円どころではなく日本銀行は4億5000万円もの再割引に応じた。
支払期日を延長したが、1926年末時点で2億円が未決済だったという。
そこで1927年に新たに国債を発行して損失を処理する法を施行した。


積み上がる借金

「債務者が被災者の手形」というのが実はミソである。
被災の程度を考慮したものではなく、被災地にある企業ならば震災手形として扱われたのである。
従って震災が原因で支払えなくなった手形だけではなく、震災がなくても支払えなかっただろう手形、すでに不良債権化していた手形までが持ち込まれたのである。

さらに酷いことに、被災者は財産も担保も失っているのでリスクが高いと判断され震災手形として認められず、それ以外の者が震災手形として認められるという選別が行われたというのだ。
それ以外の手形の債務者というのは投機に失敗した企業であった。もはや返済する当てがない手形である。
債権者はそうした企業の取引銀行である台湾銀行や朝鮮銀行であったと言われている。(日本興業銀行も・・)
そうなれば西原ローンの1億7500万円も思い出さずにはいられない。
関東大震災の措置としての日銀再割引は最初から台湾銀行などの未決済手形の穴埋めに流用する意図で行われ、日本政府はそれを承知していたとも言われる。
兎にも角にも日本銀行による震災手形の再割引は、不良債権が表面化するのを隠蔽し、不良債権処理を国債にて先送りするという効果を持った。

当時台湾銀行と十五銀行(1944年に帝国銀行に吸収された)は不良債権がかさんで休業に追い込まれた。
これが庶民の不安を煽った。
台湾銀行は日本国内にも進出していた。国が関与する特殊銀行であったため、民間銀行よりもいっそう人々の不安を誘った。
国民は安心感を求め、小さな銀行ではなく大きな銀行(財閥系)に預金を預けるようになった。
この大銀行(三井銀行・住友銀行・三菱銀行・安田銀行・第一銀行)への預金集中が財閥の力を強化した。
                    ↓
         現在の3大メガバンク、三井住友、三菱UFJ、みずほ、に繋がっている。


震災手形の銀行の損失補てんについて。
①手形の処理で日本銀行が損失を被った場合は1億円を限りに政府が補償する。(1923年9月23日)
②日本銀行が割引いた手形を所有する銀行に2億700万円を限度に国債を貸し付け、10年割賦で返済を行う。(1927年3月30日)
③日本銀行が震災手形の処理で被った損害については、1億円を限度に国債の形で政府が補償する。(1927年3月30日)

①②③を限度額で全部合わせれば4億700万円。
日本銀行が再割引に応じた金額は4億5000万円。(未決済は2億円だったと言われるが・・)
疑えば・・・ほぼ全ての返済金を肩代わりしたと考えられなくもない・・・。

ちなみに当初の復興計画(大規模都市計画)では、その予算は13億円(当時の国家予算1年分)だったいう。
しかし承認されたのは6億円程で、都市計画の規模は縮小されたそうだ。

異様

一般的な感覚からすれば、借金を1000兆円も抱え、その借金が増えることはあっても減ることがない国がブラックリスト入りしないことや、いつまで経っても「日本危機」と呼ばれないことが不思議である。
よほど美味しい担保を持っているか、よほど(返ってこないだけの)貸付金があるということか。

紙幣なんてもともと異様なものだからね!?




by yumimi61 | 2015-02-09 22:24