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昭和 弐拾肆

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停船中停戦中

後悔はしないと君が言った。

・関東軍の影響下にあり、大日本帝国と不可分的関係を有する独立国家。
・満洲民族と漢民族と蒙古民族からなる「満洲人」による民族自決の原則に基づく国民国家。
・日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」と「王道楽土」。

これでは「満洲人」の具体的な定義や満洲国(満洲軍)と大日本帝国(関東軍)の正式な関係性が分からない。
どんなふうに主張することも解釈することも可能になってしまうので争いも必至。
大風呂敷を広げれば広げるほど畳むのは難しくなる。
理想と現実の乖離が大きければ大きいほど回収は困難になる。
それが端的に表れるのは境目である。
満州国と中華民国では熱河省における国境紛争がその象徴となっている。

1932年3月1日に満州国建国の宣言はしたものの、柳条湖事件に始まった日本と中華民国の武力衝突(満州事変)の停戦協定(塘沽協定)が結ばれたのは1933年5月31日のことである。
注目すべきは停戦であったことだ。停戦とは終結ではない、一時的な停止である。


日本の国際連盟脱退の原因は満州国

満洲国建国前は満洲の支配者・張学良も中華民国最高指導者の蒋介石も不抵抗を支持していたが、1933年2月、国境・熱河を巡る紛争に突入する。
停戦協定直近の争いはこの国境紛争であった。
蒋介石は軍閥や政党という幾重にも重なるライバルを倒し囲い込み協調路線を敷いて、1928年に中華民国統一を果たしたのであって、その関係性は複雑である。
国内にあっても常に「今日の味方が明日はライバル」な状態にあり、その支配力は十分なものではなかった。

その中華民国が取った作戦が国際連盟に訴えるという方法であった。
満州国が建国された時にも中華民国はこれを侵略行為として国際連盟に提訴した。
すると直ちに、イギリスのリットン伯爵を団長とするリットン調査団が派遣され、1932年10月に日本の主張は認めないとの報告がなされた。
1933年2月24日に国際連盟は「満州は法的に中華民国の主権下にあるべき」としたリットン報告を採択。
それに不服だった日本は同年3月27日に国際連盟から脱退した。


独立と返還

清のラストエンペラー愛新覚羅溥儀を国家元首とした独立国家であると主張した満洲国と(そうさせた)日本であったが、日本の半官半民会社である南満州鉄道の付属地は依然満州国の治外法権にあった。
その地で税金を徴収し行政を担っていたのは南満州鉄道という会社であった。
満洲国の駅が置かれているような都市は南満洲鉄道会社のものであったと言っても過言ではない。
よって満洲で大きな利益を上げられるのは、満洲国ではなく南満洲鉄道会社だったのだ。
利益の恩恵に与るのは南満洲鉄道会社の資本家だろう。
満洲国は国として独立しても税金収入もままならずアヘンや麻薬などの儲けに頼るしかなかった。
中華民国の複雑な勢力図も然ることながら、満洲という地域も同じ日本人によって分断されることになったのである。

天皇や日本政府が南満州鉄道会社と満洲国のどちら側の味方になるかによって、双方の繁栄は大きく変わってしまう。
また勢力争いが絶えない中華民国と同様に利益相反する勢力の存在は日本に降りかかる火種にもなりかねない。
それを危惧してか日本政府は1937年に南満洲鉄道の治外法権や行政権を撤廃して付属地を満洲国に返還した。

問題がそれで解決したかと言えば、それほど単純なのものではない。
これまで治外法権に住んでいた人々やそこで商売を営んでいた人達は、返還後どの国の法律に従うべきなのかという問題が生じる。
日本人は五族協和の五族に数えられても満洲人には含まれていない。
満洲国に住む人々を満洲人とするならば満洲国に従わなければならなくなる。しかしそうではなかった。
満洲に住んだ多くの日本人は日本人のままであった。満洲人に対する行政権は及ばないから満州国の指導や教育外にあった。
その上、満洲在住日本人には税金の面などで優遇措置が与えられ、やはりほとんど治外法権にあったという。
建国前にすでに多くの日本人が居住しており、その独立も日本の主導であった満州国では、独自の国籍法も議会も法律も設置できなかなったというのが現実である。
これが果たして独立国と言えるのかという問いが突きつけられる。
さらに言えば、半官半民の南満州鉄道会社はどのような条件で返還に応じたのかという疑問も残る。


半官半民の会社とは?

南満州鉄道会社は1906~1945年まで満洲に存在した半官半民の株式会社である。
設立は勅令(君主令・天皇令)に基づき、資本金は2億円。そのうち1億円は日本政府の現物(鉄道や炭坑など)出資であった。
現物の鉄道や炭坑というのは清の領内にあったもので、その権利を持っていたロシアから日露戦争後に譲渡されたものである。

半官半民というのはその設立が特別法(固有の法律)に基づく会社を言う。
日本が帝国主義を推し進めるのに重要な役割を担ったのが、実はこの半官半民の会社である。
当時はこれを「国策会社」と呼んだ。
1931年の満州事変後にその設立が急増したことからも分かるように占領政策に深く関与した会社である。
2大国策会社は設立の早い「南満洲鉄道株式会社」(1906年設立、満洲支配)と「東洋拓殖株式会社」(1908年設立、朝鮮支配)である。
このように法律を根拠に設立した会社を特殊会社という。

また国(政府)が100%出資し経営を掌握している場合を国営企業、国(政府)が株式の一部を保有している場合などは国有企業と呼ぶことがある。
それに倣えば「南満州鉄道」は国有企業と言える。
国営企業や国有企業は公的な資本(公的資金)が投入されている会社である。

つまり国が関係する企業にも2通りある。両者は全く別物である。
実際にはどちらにも該当する場合が多いが、特殊会社というのはあくまでも法律に設立根拠があるどうかという区分けであって、公的資本が入っているかどうかは関係ない(優先されるものではない)。

ここがとても勘違いしやすいところで、これを上手いこと利用しているのがNHKである。


NHKは会社ではないんですか?

Q.NHKとはどういう事業体なのか

これはNHKのサイトの「よくある質問集」に載っている質問であり、回答がある。(以下青字、回答より抜粋)

・NHKは、全国にあまねく放送を普及させ、豊かで良い番組による放送を行うことなどを目的として、放送法の規定により設立された法人です。

NHKはいわゆる特殊法人とされていますが、NHKの行っている公共放送という仕事は、政府の仕事を代行しているようなものではありません。そこで放送法は、NHKがその使命を他者、特に政府からの干渉を受けることなく自主的に達成できるよう、基本事項を定めています。

・NHKが自主性を保っていくためには、財政の自立を必要としますが、それを実現しているのが受信料制度です。 NHKの運営財源は、受信設備を設置されたすべての視聴者のみなさまに公平に負担していただくように放送法で定められています。政府のほか、財界などいかなる団体の出資も受けていません。(政府から支出されているのは、政見放送の実費や国際放送の一部の実施経費のみです。)

・NHKには重い責任が生じますから、NHKの業務運営については、予算の承認や経営委員の任命などに関して、国民の代表としての国会を中心とする公共的規制があります。NHKが「半官半民」、あるいは「国営放送」などと誤解されるのは、このためではないかと思われます。



NHKは自らを「放送法の規定により設立された法人」と述べている。
これは特殊法人であるということである。「特殊法人とされていますが、」もなにも明確に特殊法人である。
会社ならば特殊会社と呼ぶところなのだが、NHK(日本放送協会)が会社かどうかは分からない。
名称にも会社とは付いていないし、アンサーでも法人と言っているから。
法人とは非常に大きな括りで、会社も法人に含まれるし、学校や宗教団体、労働組合やその他団体組織、いろんな法人がある。

特殊会社とは言い切れないが特殊法人であることは間違いない。放送法という固有の法律に基づいた法人であるから。
放送法というのは日本の法律であるからして日本政府が関知しないわけがない。


日本赤十字社とは親戚のようなものですか?理研はどうですか?


以前こちらで
特殊法人など法人について記した。
自治体を巻き込んで社費や募金を半ば強制的に集金している日本赤十字社と、(放送法に基づき視聴者の皆様から公平に負担していただいている)受信料を集めている日本放送協会は、兄弟姉妹のように似ている気がする。

STAP細胞騒動で理化学研究所が話題になった時には、理研が特殊行政法人であることを書いた
理研以上にお金がない国立大学法人として、法人の収入構成についても述べた。
気に入らなかったら国家権力を使って「経済制裁」「孤立化」作戦を展開することが可能。
世界で一番強力なものはやはり権力なのだ。









by yumimi61 | 2015-02-14 12:02